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「学のないくせに」「戦場を知らないくせに」か… 今でも起こりうる事だなあ。
現場の声を聞いて、適切な判断ができるのが上官の役目
牟田口は確かに失敗を盛られている感じがあると思います。しかし退却を決断した佐藤幸徳や他の将官を更迭したり、河辺との面会でも顔色で中止を悟って欲しかったなど己の保身のみを考え、部下の生命及び日本軍の戦力を無駄に消耗するに任せた責任はあると考えます。今回のオリンピックもそうですが己の保身と組織の存続のみを願い、国民と国益など露知らない人物達が社会上部で結託した結果がインパール作戦だったと思います。
逆に当時の軍規で佐藤の更迭以外の選択肢が無かったって知らんのかな?牟田口は佐藤が銃殺刑になるって可能性を回避するために精神錯乱状態だったという嘘を言ってるし
本作戦の全てが計画道理完璧に行われ、尚且つ敵の反撃が絶無だった場合のみ成功の可能性が見込めると思われます。
ヤン・ウェンリーが皮肉全開で喋ってる場面が浮かんだ。
むしろラインハルトかと
「方面軍の意見は第33師団をフォーホワイトからティディム、インパール道方面に、第15師団をタムからバレル、インパール道方面に使用し、コヒマ方面に対しては歩兵第31師団から歩兵4個大隊基幹の支隊を派遣し、第31師団主力を軍予備とするものであった。こうすればどの線で敵と遭遇しても後方補給に心配はなくかつ第二戦兵団の運用によって堅実な作戦指導が出来る。この作戦はあくまで防衛戦推進のためであるから、万一の場合インパールが攻略できなくとも随所の要域に戦線を整理して防衛線を構成することが必要である」
要約すると「なるほどぉ〜完璧な作戦っスねぇーー 不可能ということに目をつぶればよぉ〜〜〜〜」ってことですね
それをいえはそもそもあの大戦事態がそうでしょ。
感情少なく事実だけを述べる学者感が大好きです。
日本軍上げが目的でそのために一次資料を軽視し、歪曲した解説動画が多いので、そのアンチテーゼとしてはすばらしいですよね。
そういう属性の人が一番信用できる。
@@quanhault879一次資料の軽視や歪曲なんぞ、むしろ「日本サゲ」「日本軍サゲ」「日本陸軍サゲ」の連中の方がよっぽど酷いんじゃねぇの?例えば、アナタも大好きな井上成美だ。やれ三国同盟反対、やれ終戦工作と持て囃されているが、巷間言われる「ドイツの真意を知って同盟に反対した」「日米戦回避の為に反対した」なんぞという(戦後の)主張を裏付ける一次資料は、ほぼ存在しないのだ。(軍務局長時代の「英独は不戦。故に両天秤をかけるべく同盟不可」「英国我に楯突かば帝国海軍にも覚悟あり」等々のお勇ましい言辞なら、防研の一次資料に保存されている)終戦工作に至っては、他者や外部からの証言や手記といった一次資料に井上成美の名なんぞほぼ出てこない。(高木惣吉の名は佐々弘雄あたりの資料にちょこちょこ出てくるが、その高木も戦前には佐藤賢了を腰抜けよばわりした開戦論者だ)「理屈だけは達者な机上の空論制作者」が、都合の悪いことを全て伏せてモノした戦後の作文を作家が敷衍しただけで、一次資料重視なんて言っていればあんなもんを持ち上げられる筋なんぞないのだ。自分の葬式で「インパール作戦の真実」だかのイイワケを配布させた牟田口廉也と、やはり「非公開」として都合の悪い話(日独防共協定賛成、重慶無差別爆撃、ウェーキや珊瑚海海戦、ガダルカナルの基地設営)を伏せたイイワケ文書を残した井上成美と、むしろ非常に似たやり口の二人なのだ。官僚軍人の特長なのだろう。そしてまた、そんな井上成美なんぞをゼッサンする者が「一次資料を軽視するのは〜」なんぞといっているのも、結構滑稽だ。
めちゃくちゃ勉強になりましま。今までのインパール作戦に対する概念が変わりました。
大局的に見れば日本軍が攻勢に出なければ英軍の勢いは更に増して雨季明けに攻め込まれて史実より早くビルマは失陥していたかも知れない。あと牟田口は作戦立案に当たって通常の3倍の兵站部隊を要求して万全を期していた。もちろん日本軍にそんな余裕は無く、絵に描いた餅に終わった結果、地獄のような作戦になってしまったのだが。後編楽しみにしてます!
動画の配信を、ありがとうございます。
動画upお疲れ様です。インパール作戦は某放送協会のビッグデータを駆使した秀逸なドキュメント番組の影響もあり無謀な作戦が組織の情実的な論理で実行され、地獄の撤退戦がどれだけ凄惨なものであったかに注目されがちですが、今回のように冷静な視点からの分析は非常に興味深いです。これから後編を拝見します。
牟田口用語派は擁護動画は貴重だから歓喜やろなぁ
ちょうどこの作戦、気になってたから有り難い
ちょうどインパールで出征するので、助かります!
@@user-wj4tl1ql3u 成仏してクレメンス
@@user-uk4cy9tb8x ウエルカム・白骨街道 ようこそ地獄
@@user-wj4tl1ql3u 馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前(万歳突撃)
ガルパン劇場版で戦車道ニュースに出てた。気になります。
最強のメラさんが解説を渋ってた理由がわかりました。シンガポールでの活躍と戦後の言動。本当に評価がわかりにくい人。
おは牟田口、かと思ったらとっても勉強になりました。
牟田口の問題点は戦後とインパール作戦中の態度や発言がクソ過ぎる所なんよな
2:40 服部さん戦争始まる前に死んじゃってますよ
構想は理解出来る。15Aは自動車中隊150、輜重兵中隊60、輸送司令部3乃至5、兵站病院10、衛生隊4、野戦道路隊5、独立工兵連隊5が作戦に必要と申請。NAが15Aに与えたのは自動車中隊18、輜重兵中隊12、輸送司令部1、兵站病院0、衛生隊0、野戦道路隊2、独立工兵連隊0構想がよくてもこれじゃあね
論より結果だと思う。つまり作戦指揮の論が如何に優れたものと思われようとも、失敗したことは事実であろうし、不本意でも、失敗の結果こそ全てだと思う。成功すれば評価されただろうし、失敗ならば失敗の評価は妥当であって、犠牲の大きさを考慮すれば無謀な作戦であったと評価せざるを得ないと思う。このことは、成功していれば逆に評価されたということでもある。
死者の6割以上はマラリアや赤痢などの感染症の病死 餓死だったそうです
ありがとうございます!
興味深いですね。一方的な批判しか無いのはよく無いと思いますし、冷徹な分析を知りたいです。次回超期待!
インパールの従軍記者が書いた手記を読んだけど、ジャングルと雨に悩まされたってところが印象的だったな。
ちょうどこの前、友達とこの作戦の是非について話してたとこなんでありがたいです🙏あと服部さんの没年が1960年から1922年になってますよ💦
連隊長だった牟田口を含め盧溝橋事件当時の第一歩兵連隊の兵士には、石原莞爾ら満州事変を画策した連中を恨む権利があると思う。満州事変さえ起こさなければ、盧溝橋事件に始まる日中戦争もなかったろうし、アメリカの介入と太平洋戦争もやらずに済んだかもしれない。
そもそも一介の現場指揮官にしかすぎない石原が勝手に満州侵略するのがありえない。その上そんな犯罪者を罰せないどころか「天才」とか持ち上げる輩も信じられない。もし石原が組織を動かしたいんなら政治家になるべきだった。満州事変は銃殺刑でもおかしく無いはず、本来
なるほどねえ、陽動作戦が功を奏して(というか)イギリス軍がアラカン方面へ兵を補充してインパールの兵力が少なくなったのって結果論であって陽動作戦とはいえないと思う陽動作戦なら、インパール作戦が先に立てられていないと、でも実際にはイギリス軍のビルマ西部への進出を防ぐ目的で兵力を送ったが失敗視点を転じるとインパールのイギリスの兵力は激減している、じゃあインパールに進出しようじゃないか、ってことだからアラカン方面の防衛の失敗から目をそらして、もっと大きな成功に結び付けようとしただけで、いわば誤魔化しみたいな感がする仮にインパール攻略しても、アラカン方面から引き返してくるイギリス軍とコヒマからのイギリス軍に挟み撃ちに遭うことになるイギリス軍は道路上を進軍するのに対して、日本軍はジャングルをかきわけて補給しなければならないインパールを攻略したとしても、壊滅していたという結果にしか思えないそのあたりは、どういう構想をもっていたのか次回が興味深いですね
まったくそのとおりで。負け戦を「成功した陽動作戦」と呼んだって、その時点で本命作戦(のハズのインパール作戦)が成立していないんだからこじつけ以外のなんでもないですよ。制空権も補給路もなくて最終的な成功を手にした侵攻作戦なんて聞いたこと無いってばあちゃんが言ってた。
いいえ。ハ号作戦は最初から陽動として実施された作戦ですよ?アラカン方面への誘引が失敗したら大理へ、成功したらインパールへ(もしくはインパール進出後に大理への攻撃)というのが当初の目的です。ただし大理への攻撃は兵力不足からより近場の保山に切り替えられたため計画通りに進んだのはインパール急進だけです。「陽動ならインパールがアキャブより先に立案されてなければおかしい」とのご指摘ですが、そもそもインパール作戦の雛形自体が昭和17年8月の二十一号作戦なので、なんならビルマ方面軍の設置(1943年3月)よりずっと早いです。一時期凍結された二十一号作戦は演習や卓上での計算により研究が続けられていました。「中止」という表現では無いのはそういう理由です。また、インパール作戦が大本営により認可されたのは1944年1月、構想どころか実行決定の方がアキャブ戦より早いです。
@Heinkel さん 今回の話は振切翔さんのご指摘を支持します。インパールのひな型がいつから存在していたかではなく、どれだけ準備されていたかということです。またハ号には陽動という面があったにしてもそれ自体が勝利あるいはそれに近い結果を求める作戦。それなのに負けてビルマ防衛の壁が崩れました。この時点でプランは頓挫しています。
自分も結果論に同意。ビルマ方面でなんとかしないといけないと色々な作戦があって「よしインパールが空いた、作戦やろうぜ(準備なし)」に思える。
@@mastakos2400 「一方ビルマ周辺の敵は外線の利を得て近く総反攻を開始しようとしており、単なる防衛作戦だけでは自滅することも自明の理である。所要方面に局部攻勢を採ることは必要である。そのため反撃の兆しが顕著であり、我にとって危険性の大であるインパール方面に第一撃を加えるという構想は理解できる。 しかしその後の作戦は怒江方面か、フーコン方面に生起する公算が大であり方面軍の責務からは本作戦が本命でなければならぬ。海岸方面も警戒を要する。すなわち第2段の作戦を考慮の上第1弾の作戦を指導すべきであった。 そうなれば第1弾作戦の作戦目的も自ずから変わったものになったのではなかろうか、第2弾の作戦構想が徹底しておれば、第1弾作戦の要領も異なるし、ディマプールに突進しようなどという考案など出てこないであろう。大本営はもちろん南方軍、方面軍において明確な方針を立て得なかったところに第15軍の作戦構想にずるずる引き込まれた原因があったように観察される」
作戦がうまくいったとしてインパール、コヒマが占領できたとしてもそこへの補給はできるのだろうか、英軍が物資を都合よく置いていってくれるとも限らない、インパールの街から徴発する分で五万人以上を食わせることができるのか
それこそ三十三師団が通る南方道路でしょうそれに史実では三十三師団は上手く英軍から物資奪えてる訳ですし
インパール作戦が凄惨な結果に終わったのは、兵站とかそういう部分ではなく、指揮した牟田口中将、河辺中将に道徳的勇気が欠けていたことにあると私は考えます。5月に打ち切れば凄惨な結果になることはなかったでしょうに。
失敗の本質でも酷評されていた作戦ですが、一応筋が通っている部分もあったのですね
祖父がコヒマ攻略に参加したので有り難いです
個人的にインパールまで猛将として名を馳せた人がこういう結末を迎えて少々疑義があるんだよなぁ。史料を精査すると牟田口は確かに愚将なんだけど、なんか腑に落ちないんだよな
事実のみを積み上げて、考えていく姿勢は好感がもてます。正直な話、IFを考えると、真珠湾でアメリカに喧嘩を売るよりもイギリス、オランダと開戦をしてこちら方面を頑張っていたほうが勝ち目があったのではないかとも思う。蘭領インドシナの石油とボーキサイトとインドの人口による
@@user-xl9po4fb8m 山本五十六の真珠湾やミッドウェーはアレだと思うけど、基本的に圧倒的な国力差のある米国を敵とした時点で、誰がやってもどうやっても敗戦は必至。そこまで導いたのは大陸での陸軍の暴走。条約派の開戦回避強硬派の井上成美大将は、2.26の時、「内戦では国は滅ばないが、外戦では国が滅ぶ」として、軍艦を回航し、海軍陸戦隊を東京に回して事態鎮静を図ったという。また山本も自分がなりたくて連合艦隊司令長官になったわけでもない。陸軍が大陸から撤兵せず、仏領インドシナを占領して、米国を石油禁輸にもって行った事実を忘れてはいけない。海軍が善ではないけど、陸軍が大きな原因といえる。
子供のころから疑問だったけど、なぜアメリカと戦争したのか?アメリカ以外なら戦争に勝てた。ABCD包囲網もDは日本に占領され、Cも滅亡寸前、Bもドイツと本土決戦している状況!海軍左派三羽烏が余計なことをしなければ、インド洋封鎖、石油が欲しけばペルシャ湾まで進出すれば良かった。包囲戦の脱出は弱いところを各個撃破が基本!信長が好例!信長は強敵の武田、上杉とはまともに戦わず、弱い浅井、朝倉などを各個撃破して包囲網を突破した。海軍を見ていると戦争に勝つ気があったのか?全く戦略が見えない。陸軍にはまだ戦略があった!
@@user-pk3mh6uf4q この手の話題は荒れやすいからまず叩く気はないとだけアメリカへの攻撃は結果的に悪手だったとは思うが、そもそもアメリカが包囲網に加わった時点で、日本の勢力拡大は不都合だったのは間違いないと思うんだよ そうじゃなきゃ石油止める必要はないわけで だから日本としては、既にアメリカの反感は買ってると考えた上でならアメリカに注意を払わない状態で介入されるより先叩いた方がいいと考えるのはそんな不自然じゃないと思うんだ あと日本の戦国時代は詳しくないんだが、集団で戦うイメージが強いんだが、戦線を張り続ける必要がある近代戦争とは比べられないんじゃないか?
@@user-pk3mh6uf4q 英蘭と戦う上で、フィリピン島の占拠とその活用が、海軍が陸軍に協力する上での前提条件だったらしい。日本本土から印支・マレーに向かうルートから、フィリピンはその中間にあるので、南方作戦を実行するにあたり、フィリピンの確保はシーレーンの安全上欲しかったそうです。仮にオランダだけ、イギリスだけと開戦しても、アメリカが途中参戦してくる可能性が、開戦前から危惧されていたらしいですね。これだと日本がアメリカに横っ腹を突かれる形になり、もしもアメリカが途中参戦する可能性が少しでもあれば、こちらから宣戦して奇襲し、前もって敵戦力を削っておいた方が安全と考えたそうです。(後から見て正しかったかは別としても…)
いや、無理だね南進する以上真珠湾しなくてもアメリカは参戦してくるよ
作戦実行自体はかなり自然な導入であったんですね。無理やりやったみたいな印象があったけど
資源と、トラックや飛行機さえあればね…悲しいが日本の国力がもう足りなかった…
わざわざレスしてただき、ありがとうございます。陽動作戦とすると、納得できないなと感じた主な理由は小畑信良第15軍参謀長の更迭理由が動画の中ではせっかくインパールががら空き状態になっている機を逃さず(タイムリミットが迫っている状況で師団長や参謀を説得する時間が惜しく)となっていたので、ハ号作戦が陽動作戦だとすると、人事がおかしい感じたのですなぜなら、小畑信良参謀長はインパール進出は兵站の整備が困難であるからという理由でインパール作戦に反対して、牟田口司令官の怒りに触れて参謀長を解任されるならば、インパールががら空きになる原因になった、ハ号作戦がインパール作戦の陽動作戦だとしたら、なぜ小畑参謀長はハ号作戦は容認していたんだろうという疑問が起きたのです逆に考えるとハ号作戦は陽動作戦ではなくて、それによって偶々インパールががら空きになったから場当たり的に、牟田口司令官がこの機を逃さじとして、インパール侵攻を主張して、そこで初めて小畑参謀長と意見が食い違い結果、小畑参謀長の更迭になった、というイメージをもってしまったわけです。いまさらながら自分の持っていたイメージが事実に合っているのか確かめてみようと時系列を調べてみたら、ハ号作戦は小畑参謀長が解任された翌年に行われていたんですねつまり小畑参謀長は、インパール作戦に反対だったし、ハ号作戦も承認したわけじゃなくて、前年には南方軍から飛ばされていたということになりますねこちらの早とちりでした、m(__)mただ動画の中での説明では(タイムリミットが迫っている状況で師団長や参謀を説得する時間が惜しく)となっていたので小畑参謀長の更迭理由の説明では、インパールががら空き状態になってから説得する時間がもったいなからクビにした、みたいなイメージだったのでなんとも場当たり的だなあと感じてしまったのです。おかげでいろいろ調べるきっかけになり、楽しかったです後編も楽しみにしています
補給線が伸びるという状況での無理な作戦というのは昔tvで視たかな、鉄道建設隊はかなり頑張ったんですがね、
そこから、大河を超えて、密林の山を越えて、食料弾薬の補給は全くないという作戦でしたね
徒歩で500キロ以上移動ってのは、マトモじゃないと思う。それも舗装された平たんな道ではない。牛や馬を食いつぶしながら・・・よく往復して生き残った人たちがいたものだよ
絶望的な先が見えてるからこそ多少の無理は通さなければならない。しかし無暗に無謀な作戦なんて論外。でもやはり何もしないのではもっと酷くなるのが見えている。年単位で敵と日々接し続け、唯一の希望である補給も叶うことなく何とかしないといけないが何もできないジレンマを毎日抱え、このままでは勝ち目なく高確率で死ぬ。こんなストレスに晒され続けた中で「2度とない最高級のチャンス」が目の前に来てしまったらどう動いてしまうだろう多大なストレスに精神を冒され続けた末、やっと抱けた唯一の希望さえも潰えてしまったら、人間はどうなってしまうだろう…
何をどう言おうと牟田口氏は負けくさった訳だからそれだけの話、餓死病死者を大量に出した事は消えない。
うぽつです
近所の爺さんが、俺はインパールの生き残りだ!って、いつも自慢してた😏
結果的に正解はビルマ・タイを捨ててベトナムまで撤退する事だったんだが、そんなことこの時点でわかるわきゃないし。
インパール作戦を実行する前の日本軍の置かれた状況は、優勢ではないけれどかといって不利でもないという状況でしたからねえ。
「第15軍の主力たる第31、第15師団をインパール以北に使用したことは多少の危険性が感じられる。方面軍の意見は第33師団をフォーホワイトからティディム、インパール道方面に、第15師団をタムからバレル、インパール道方面に使用し、コヒマ方面に対しては歩兵第31師団から歩兵4個大隊基幹の支隊を派遣し、第31師団主力を軍予備とするものであった。こうすればどの線で敵と遭遇しても後方補給に心配はなくかつ第二戦兵団の運用によって堅実な作戦指導が出来る。この作戦はあくまで防衛戦推進のためであるから、万一の場合インパールが攻略できなくとも随所の要域に戦線を整理して防衛線を構成することが必要である」インパールへの攻勢自体は間違いじゃないと思う。問題はやり方
「一方ビルマ周辺の敵は外線の利を得て近く総反攻を開始しようとしており、単なる防衛作戦だけでは自滅することも自明の理である。所要方面に局部攻勢を採ることは必要である。そのため反撃の兆しが顕著であり、我にとって危険性の大であるインパール方面に第一撃を加えるという構想は理解できる。 しかしその後の作戦は怒江方面か、フーコン方面に生起する公算が大であり方面軍の責務からは本作戦が本命でなければならぬ。海岸方面も警戒を要する。すなわち第2段の作戦を考慮の上第1弾の作戦を指導すべきであった。 そうなれば第1弾作戦の作戦目的も自ずから変わったものになったのではなかろうか、第2弾の作戦構想が徹底しておれば、第1弾作戦の要領も異なるし、ディマプールに突進しようなどという考案など出てこないであろう。大本営はもちろん南方軍、方面軍において明確な方針を立て得なかったところに第15軍の作戦構想にずるずる引き込まれた原因があったように観察される」
俺としてはやはり無謀の一言だったと思うけどな。最も、無理な状況でも結果を出さなきゃいけない状況の陥った牟田口には少し同情するけど。この作戦は補給と重装備の空挺部隊と制空権がなければ成立しないよ。
気になるのですが うぷ主さんは彼を正しいとお考えですか?
戦略次元でやらかした戦争、作戦が成功すれど所詮戦術次元…()
もしインパール作戦が成功した場合、最後の援蒋ルートが遮断されるとこになるので、大陸打通作戦と合わせて中国軍は大幅な弱体化となるので戦略単位で動いたかもしれませんよ
牟田口まぁいろいろ言われてるけどそこそこまともな作戦能力あるからね牟田口がボロクソ言われてるのは戦後のはずだからそこは抜きにしてインパール作戦自体はまともな作戦理由があって行われてるからね
まともな作戦理由があっても、まともな作戦遂行能力がなければやっちゃだめ。
服部卓四郎が警察予備隊初代トップになりかかったのだからぞっとする。
動画中にて、牟田口は東條派の軍人だったとあるのですが、これはどこに載っていたのですか?牟田口中将が最終的には第15軍司令官となるため東條大将が彼を評価していたことは間違い無いと思いますが、牟田口中将は元は皇道派であり、また、東條大将と個人的な親交があったとは聞いたことがないのですが。
確か、牟田口は軍人としての保身の為に当時の統制派のトップだった東條大将に媚びて東條大将に忠誠を誓う為に東條派の一員になったんじゃないかな。
完璧じゃん インパール作戦は日本軍の大勝利で終わったに違いない
ブリカスジョークに「インパール作戦を史上最悪の作戦と言うとキレる」が追加されますねコレハ・・・因みに、服部卓四郎は米軍の反主流派の将校(チャールズ・ウィロビー等)からの評判は良いみたいです
サムネの人クロちゃんかな?「インパールでカレーを食べたいんだしん」
補給さえ、補給さえ都合付けば何とかなった可能性があったと
「第15軍の主力たる第31、第15師団をインパール以北に使用したことは多少の危険性が感じられる。方面軍の意見は第33師団をフォーホワイトからティディム、インパール道方面に、第15師団をタムからバレル、インパール道方面に使用し、コヒマ方面に対しては歩兵第31師団から歩兵4個大隊基幹の支隊を派遣し、第31師団主力を軍予備とするものであった。こうすればどの線で敵と遭遇しても後方補給に心配はなくかつ第二戦兵団の運用によって堅実な作戦指導が出来る。この作戦はあくまで防衛戦推進のためであるから、万一の場合インパールが攻略できなくとも随所の要域に戦線を整理して防衛線を構成することが必要である」要するに、補給がやばそうな部隊は、兵力を減らして補給への負担を減らし。減らした分を予備戦力として後方に配置した上、インパールが攻略できない時も想定しろというもの
NHKのドキュメント太平洋戦争でインパール作戦の事を放送して補給参謀がこの作戦に反対の場面が有り補給参謀の声がアニメ銀河英雄伝説の同盟軍で補給専門家のキャぜルヌ役のキートン山田がやって居た。
編集量が跳ね上がりそうだけど土地勘がないから解説に土地名出てきたら地図に表示してほしい
参考文献は後編かな?
馬鹿な大将敵より怖い
後編はジンギスカン作戦が出てくるんですかね😄
その呼称からしても疑わしいけどな
@@arminiusherman4783 史上に名の残る酷い作戦ですからね。兵站はなかったことは明らかですね。
無謀な作戦をたてる無能。作戦を中止できない無責任。失敗を反省できない無恥。現代の政治家と変わらないという悲劇。
服部卓四郎(1901〜1922)とはこれいかに?もっと生きてるはずですで
牟田口は、まあ確かに第一線の指揮官には向いてなかったのかな、と。しかし言われているほど無能ではなく、そもそも陸軍自体、日本自体がまあ…ね…精神がやられちまったのか戦後の立ち振舞いが何よりまずかった。
日本だけじゃなく、イギリスも牟田口がいたんだな
モンティおじさんことモントゴメリー将軍ですよね?
@@user-mj2vy1rn4g モントゴメリーはアメリカからのレンドリースによる物資で勝てただけでイギリスだけの物資ではドイツ軍に負けて居た。
松尾直 他にもブラウニング中将がいますぞ。こやつは現地司令官にマーケットガーデン作戦失敗の責任をなすりつけて戦後のうのうとしていましたから。
@@user-vy4ig1tf6d そうですね。「遠すぎた橋」でも最前線で指揮した将官たちは悲壮感しかないのにのうのうとしてたし。
なるほど完璧な作戦っスね―――ッ 不可能だという点に目をつぶればよぉ~~
北海道でジンギスカンといえば羊です。牛ではない。
作戦のデメリットが多いと精神論を語ってさっさと行けと言いメリットが多くなった途端 いや、慎重になるべきだって言って作戦の実行を渋る何なん大本営
俺が牟田口の立場なら作戦にgoすると思う。
そもそもウィンゲート旅団の作戦が大失敗だったのだが。あれで兵力の半分は失っているし、それでいてビルマの占領地を1ミリも奪還できていない。補給もなっていなかった。ただ錯乱させることには成功?したから、牟田口は不安にかられおかしくなった。そこからインパール作戦の悲劇が始まる。牟田口とて最初から愚将だったわけではなく、不安にかられ愚将になったのだ。不安と焦りは人をおかしくさせる。
あと、敵の失敗からも学べなかったんだな。
いつの、時代も、下っ端は、つらいな😭あ
9:05 いえ全く。
ほならね、自分でやってみろって話でしょ?そう私はそう言いたいですけどね()大して軍事も歴史も人物も知らない人が、歴史上のミスをした人物をボロクソ批判する、そういうのは本当に虫唾が走る。別にミスした人をいくら批判して下に見ても、批判した人は何もすごくないし何かしたわけでもないしwikipediaに紹介されるわけでもない。そんな人よか牟田口さんのが100倍尊敬するね、てかシンガポール攻略で血まみれになりながらも作戦を指揮した人やぞ。もちろんダメな所はあるけど。その点この動画は物事を淡々と紹介してて良いね。
揚げ足を取るようで申し訳ないのですが、この動画でも服部卓四郎を無能と評していますよ。
@@user-xy3hs8pc2t まあ「無能」で若干イラっとはしましたが、ここは牟田口さんの解説動画なんで触れずにね。
石塔 服部卓四郎は作戦立案能力自体は高いんだけど、作戦第一主義に陥ったり、戦略目標があやふやになったりするので参謀としては「無能」とは言いませんが、非常に難のある軍人だったのは間違い無いんですよね。ただ指揮官としては非常に有能で、末期に中国大陸の歩兵第60連隊の隊長を務めるのですが、的確な指揮を執り活躍しています。
野々村やめいw
ほならね理論ほんとすき。批判自体は別にいいと思うけど歴史も戦術戦略もほぼ知らない人が高らかに批判を喚くのはおかしいと思うゾ。歴史以外にも当てはまることだけどね。
この話聞いた上でも大博打以下のギャンブルにしか思えん
逆に1944年の日本に安定した作戦ができるとでも?どんな作戦だろうと当時の日本でもギャンブルになりますよ
@@user-tg8jz1sl8l じゃあ何もしなきゃいい
@@jejejemm9096 けど何もしなきゃどんどん増強されていく連合軍に物量で押し潰されるだけなんですよね
@@user-tg8jz1sl8l 何かやらかしてしまえば押し潰されるのが早まって戦力が消し飛び、抑止効果が激減して敵が増強する必要すらなくなる
@@jejejemm9096 敵の戦力が増強される前に攻勢に出て敵の攻勢要員を先に潰すのは立派な防衛行動になり得ます状況によりますが、防衛線に立てこもるだけが防衛行動ではない
「学のないくせに」「戦場を知らないくせに」か… 今でも起こりうる事だなあ。
現場の声を聞いて、適切な判断ができるのが上官の役目
牟田口は確かに失敗を盛られている感じがあると思います。
しかし退却を決断した佐藤幸徳や他の将官を更迭したり、河辺との面会でも顔色で中止を悟って欲しかったなど己の保身のみを考え、部下の生命及び日本軍の戦力を無駄に消耗するに任せた責任はあると考えます。
今回のオリンピックもそうですが己の保身と組織の存続のみを願い、国民と国益など露知らない人物達が社会上部で結託した結果がインパール作戦だったと思います。
逆に当時の軍規で佐藤の更迭以外の選択肢が無かったって知らんのかな?
牟田口は佐藤が銃殺刑になるって可能性を回避するために精神錯乱状態だったという嘘を言ってるし
本作戦の全てが計画道理完璧に行われ、尚且つ敵の反撃が絶無だった場合のみ成功の可能性が見込めると思われます。
ヤン・ウェンリーが皮肉全開で喋ってる場面が浮かんだ。
むしろラインハルトかと
「方面軍の意見は第33師団をフォーホワイトからティディム、インパール道方面に、第15師団をタムからバレル、インパール道方面に使用し、コヒマ方面に対しては歩兵第31師団から歩兵4個大隊基幹の支隊を派遣し、第31師団主力を軍予備とするものであった。こうすればどの線で敵と遭遇しても後方補給に心配はなくかつ第二戦兵団の運用によって堅実な作戦指導が出来る。この作戦はあくまで防衛戦推進のためであるから、万一の場合インパールが攻略できなくとも随所の要域に戦線を整理して防衛線を構成することが必要である」
要約すると
「なるほどぉ〜完璧な作戦っスねぇーー 不可能ということに目をつぶればよぉ〜〜〜〜」
ってことですね
それをいえはそもそもあの大戦事態がそうでしょ。
感情少なく事実だけを述べる学者感が大好きです。
日本軍上げが目的でそのために一次資料を軽視し、歪曲した解説動画が多いので、そのアンチテーゼとしてはすばらしいですよね。
そういう属性の人が一番信用できる。
@@quanhault879
一次資料の軽視や歪曲なんぞ、むしろ
「日本サゲ」「日本軍サゲ」「日本陸軍サゲ」
の連中の方がよっぽど酷いんじゃねぇの?
例えば、アナタも大好きな井上成美だ。
やれ三国同盟反対、やれ終戦工作と持て囃されているが、巷間言われる
「ドイツの真意を知って同盟に反対した」
「日米戦回避の為に反対した」
なんぞという(戦後の)主張を裏付ける一次資料は、ほぼ存在しないのだ。
(軍務局長時代の「英独は不戦。故に両天秤をかけるべく同盟不可」「英国我に楯突かば帝国海軍にも覚悟あり」等々のお勇ましい言辞なら、防研の一次資料に保存されている)
終戦工作に至っては、他者や外部からの証言や手記といった一次資料に井上成美の名なんぞほぼ出てこない。
(高木惣吉の名は佐々弘雄あたりの資料にちょこちょこ出てくるが、その高木も戦前には佐藤賢了を腰抜けよばわりした開戦論者だ)
「理屈だけは達者な机上の空論制作者」
が、都合の悪いことを全て伏せてモノした戦後の作文を作家が敷衍しただけで、一次資料重視なんて言っていればあんなもんを持ち上げられる筋なんぞないのだ。
自分の葬式で「インパール作戦の真実」だかのイイワケを配布させた牟田口廉也と、やはり「非公開」として都合の悪い話(日独防共協定賛成、重慶無差別爆撃、ウェーキや珊瑚海海戦、ガダルカナルの基地設営)を伏せたイイワケ文書を残した井上成美と、むしろ非常に似たやり口の二人なのだ。
官僚軍人の特長なのだろう。
そしてまた、そんな井上成美なんぞをゼッサンする者が
「一次資料を軽視するのは〜」
なんぞといっているのも、結構滑稽だ。
めちゃくちゃ勉強になりましま。
今までのインパール作戦に対する概念が変わりました。
大局的に見れば日本軍が攻勢に出なければ英軍の勢いは更に増して雨季明けに攻め込まれて史実より早くビルマは失陥していたかも知れない。
あと牟田口は作戦立案に当たって通常の3倍の兵站部隊を要求して万全を期していた。
もちろん日本軍にそんな余裕は無く、絵に描いた餅に終わった結果、地獄のような作戦になってしまったのだが。
後編楽しみにしてます!
動画の配信を、ありがとうございます。
動画upお疲れ様です。
インパール作戦は某放送協会の
ビッグデータを駆使した秀逸な
ドキュメント番組の影響もあり
無謀な作戦が組織の情実的な論理
で実行され、地獄の撤退戦がどれだけ凄惨なものであったかに注目されがちですが、今回のように冷静な視点からの分析は非常に興味深いです。
これから後編を拝見します。
牟田口用語派は擁護動画は貴重だから歓喜やろなぁ
ちょうどこの作戦、気になってたから有り難い
ちょうどインパールで出征するので、助かります!
@@user-wj4tl1ql3u 成仏してクレメンス
@@user-uk4cy9tb8x ウエルカム・白骨街道 ようこそ地獄
@@user-wj4tl1ql3u 馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前(万歳突撃)
ガルパン劇場版で戦車道ニュースに出てた。
気になります。
最強のメラさんが解説を渋ってた理由がわかりました。シンガポールでの活躍と戦後の言動。本当に評価がわかりにくい人。
おは牟田口、かと思ったらとっても勉強になりました。
牟田口の問題点は戦後とインパール作戦中の態度や発言がクソ過ぎる所なんよな
2:40 服部さん戦争始まる前に死んじゃってますよ
構想は理解出来る。
15Aは自動車中隊150、輜重兵中隊60、輸送司令部3乃至5、兵站病院10、衛生隊4、野戦道路隊5、独立工兵連隊5が作戦に必要と申請。
NAが15Aに与えたのは自動車中隊18、輜重兵中隊12、輸送司令部1、兵站病院0、衛生隊0、野戦道路隊2、独立工兵連隊0
構想がよくてもこれじゃあね
論より結果だと思う。つまり作戦指揮の論が如何に優れたものと思われようとも、失敗したことは事実であろうし、不本意でも、失敗の結果こそ全てだと思う。成功すれば評価されただろうし、失敗ならば失敗の評価は妥当であって、犠牲の大きさを考慮すれば無謀な作戦であったと評価せざるを得ないと思う。このことは、成功していれば逆に評価されたということでもある。
死者の6割以上はマラリアや赤痢などの感染症の病死 餓死だったそうです
ありがとうございます!
興味深いですね。一方的な批判しか無いのはよく無いと思いますし、冷徹な分析を知りたいです。次回超期待!
インパールの従軍記者が書いた手記を読んだけど、ジャングルと雨に悩まされたってところが印象的だったな。
ちょうどこの前、友達とこの作戦の是非について話してたとこなんでありがたいです🙏
あと服部さんの没年が1960年から1922年になってますよ💦
連隊長だった牟田口を含め盧溝橋事件当時の第一歩兵連隊の兵士には、石原莞爾ら満州事変を画策した連中を恨む権利があると思う。
満州事変さえ起こさなければ、盧溝橋事件に始まる日中戦争もなかったろうし、アメリカの介入と太平洋戦争もやらずに済んだかもしれない。
そもそも一介の現場指揮官にしかすぎない石原が勝手に満州侵略するのがありえない。その上そんな犯罪者を罰せないどころか「天才」とか持ち上げる輩も信じられない。
もし石原が組織を動かしたいんなら政治家になるべきだった。満州事変は銃殺刑でもおかしく無いはず、本来
なるほどねえ、陽動作戦が功を奏して(というか)イギリス軍がアラカン方面へ兵を補充してインパールの兵力が少なくなったのって結果論であって陽動作戦とはいえないと思う
陽動作戦なら、インパール作戦が先に立てられていないと、でも実際にはイギリス軍のビルマ西部への進出を防ぐ目的で兵力を送ったが失敗
視点を転じるとインパールのイギリスの兵力は激減している、じゃあインパールに進出しようじゃないか、ってことだから
アラカン方面の防衛の失敗から目をそらして、もっと大きな成功に結び付けようとしただけで、いわば誤魔化しみたいな感がする
仮にインパール攻略しても、アラカン方面から引き返してくるイギリス軍とコヒマからのイギリス軍に挟み撃ちに遭うことになる
イギリス軍は道路上を進軍するのに対して、日本軍はジャングルをかきわけて補給しなければならない
インパールを攻略したとしても、壊滅していたという結果にしか思えない
そのあたりは、どういう構想をもっていたのか次回が興味深いですね
まったくそのとおりで。
負け戦を「成功した陽動作戦」と呼んだって、
その時点で本命作戦(のハズのインパール作戦)が成立していないんだからこじつけ以外のなんでもないですよ。
制空権も補給路もなくて最終的な成功を手にした侵攻作戦なんて聞いたこと無いってばあちゃんが言ってた。
いいえ。ハ号作戦は最初から陽動として実施された作戦ですよ?
アラカン方面への誘引が失敗したら大理へ、成功したらインパールへ(もしくはインパール進出後に大理への攻撃)というのが当初の目的です。ただし大理への攻撃は兵力不足からより近場の保山に切り替えられたため計画通りに進んだのはインパール急進だけです。
「陽動ならインパールがアキャブより先に立案されてなければおかしい」とのご指摘ですが、そもそもインパール作戦の雛形自体が昭和17年8月の二十一号作戦なので、なんならビルマ方面軍の設置(1943年3月)よりずっと早いです。一時期凍結された二十一号作戦は演習や卓上での計算により研究が続けられていました。「中止」という表現では無いのはそういう理由です。
また、インパール作戦が大本営により認可されたのは1944年1月、構想どころか実行決定の方がアキャブ戦より早いです。
@Heinkel さん 今回の話は振切翔さんのご指摘を支持します。
インパールのひな型がいつから存在していたかではなく、どれだけ準備されていたかということです。
またハ号には陽動という面があったにしてもそれ自体が勝利あるいはそれに近い結果を求める作戦。それなのに負けてビルマ防衛の壁が崩れました。この時点でプランは頓挫しています。
自分も結果論に同意。ビルマ方面でなんとかしないといけないと色々な作戦があって「よしインパールが空いた、作戦やろうぜ(準備なし)」に思える。
@@mastakos2400
「一方ビルマ周辺の敵は外線の利を得て近く総反攻を開始しようとしており、単なる防衛作戦だけでは自滅することも自明の理である。所要方面に局部攻勢を採ることは必要である。そのため反撃の兆しが顕著であり、我にとって危険性の大であるインパール方面に第一撃を加えるという構想は理解できる。 しかしその後の作戦は怒江方面か、フーコン方面に生起する公算が大であり方面軍の責務からは本作戦が本命でなければならぬ。海岸方面も警戒を要する。すなわち第2段の作戦を考慮の上第1弾の作戦を指導すべきであった。 そうなれば第1弾作戦の作戦目的も自ずから変わったものになったのではなかろうか、第2弾の作戦構想が徹底しておれば、第1弾作戦の要領も異なるし、ディマプールに突進しようなどという考案など出てこないであろう。大本営はもちろん南方軍、方面軍において明確な方針を立て得なかったところに第15軍の作戦構想にずるずる引き込まれた原因があったように観察される」
作戦がうまくいったとしてインパール、コヒマが占領できたとしてもそこへの補給はできるのだろうか、英軍が物資を都合よく置いていってくれるとも限らない、インパールの街から徴発する分で五万人以上を食わせることができるのか
それこそ三十三師団が通る南方道路でしょう
それに史実では三十三師団は上手く英軍から物資奪えてる訳ですし
インパール作戦が凄惨な結果に終わったのは、兵站とかそういう部分ではなく、
指揮した牟田口中将、河辺中将に道徳的勇気が欠けていたことにあると私は考えます。5月に打ち切れば凄惨な結果になることはなかったでしょうに。
失敗の本質でも酷評されていた作戦ですが、一応筋が通っている部分もあったのですね
祖父がコヒマ攻略に参加したので有り難いです
個人的にインパールまで猛将として名を馳せた人がこういう結末を迎えて少々疑義があるんだよなぁ。
史料を精査すると牟田口は確かに愚将なんだけど、なんか腑に落ちないんだよな
事実のみを積み上げて、考えていく姿勢は好感がもてます。
正直な話、IFを考えると、真珠湾でアメリカに喧嘩を売るよりもイギリス、オランダと開戦をしてこちら方面を頑張っていたほうが勝ち目があったのではないかとも思う。
蘭領インドシナの石油とボーキサイトとインドの人口による
@@user-xl9po4fb8m 山本五十六の真珠湾やミッドウェーはアレだと思うけど、基本的に圧倒的な国力差のある米国を敵とした時点で、誰がやってもどうやっても敗戦は必至。
そこまで導いたのは大陸での陸軍の暴走。条約派の開戦回避強硬派の井上成美大将は、2.26の時、「内戦では国は滅ばないが、外戦では国が滅ぶ」として、軍艦を回航し、海軍陸戦隊を東京に回して事態鎮静を図ったという。また山本も自分がなりたくて連合艦隊司令長官になったわけでもない。
陸軍が大陸から撤兵せず、仏領インドシナを占領して、米国を石油禁輸にもって行った事実を忘れてはいけない。海軍が善ではないけど、陸軍が大きな原因といえる。
子供のころから疑問だったけど、なぜアメリカと戦争したのか?アメリカ以外なら戦争に勝てた。ABCD包囲網もDは日本に占領され、Cも滅亡寸前、Bもドイツと本土決戦している状況!海軍左派三羽烏が余計なことをしなければ、インド洋封鎖、石油が欲しけばペルシャ湾まで進出すれば良かった。
包囲戦の脱出は弱いところを各個撃破が基本!信長が好例!信長は強敵の武田、上杉とはまともに戦わず、弱い浅井、朝倉などを各個撃破して包囲網を突破した。
海軍を見ていると戦争に勝つ気があったのか?全く戦略が見えない。陸軍にはまだ戦略があった!
@@user-pk3mh6uf4q この手の話題は荒れやすいからまず叩く気はないとだけ
アメリカへの攻撃は結果的に悪手だったとは思うが、そもそもアメリカが包囲網に加わった時点で、日本の勢力拡大は不都合だったのは間違いないと思うんだよ そうじゃなきゃ石油止める必要はないわけで だから日本としては、既にアメリカの反感は買ってると考えた上でならアメリカに注意を払わない状態で介入されるより先叩いた方がいいと考えるのはそんな不自然じゃないと思うんだ あと日本の戦国時代は詳しくないんだが、集団で戦うイメージが強いんだが、戦線を張り続ける必要がある近代戦争とは比べられないんじゃないか?
@@user-pk3mh6uf4q 英蘭と戦う上で、フィリピン島の占拠とその活用が、海軍が陸軍に協力する上での前提条件だったらしい。
日本本土から印支・マレーに向かうルートから、フィリピンはその中間にあるので、南方作戦を実行するにあたり、フィリピンの確保はシーレーンの安全上欲しかったそうです。
仮にオランダだけ、イギリスだけと開戦しても、アメリカが途中参戦してくる可能性が、開戦前から危惧されていたらしいですね。これだと日本がアメリカに横っ腹を突かれる形になり、もしもアメリカが途中参戦する可能性が少しでもあれば、こちらから宣戦して奇襲し、前もって敵戦力を削っておいた方が安全と考えたそうです。(後から見て正しかったかは別としても…)
いや、無理だね
南進する以上真珠湾しなくてもアメリカは参戦してくるよ
作戦実行自体はかなり自然な導入であったんですね。無理やりやったみたいな印象があったけど
資源と、トラックや飛行機さえあればね…
悲しいが日本の国力がもう足りなかった…
わざわざレスしてただき、ありがとうございます。
陽動作戦とすると、納得できないなと感じた主な理由は
小畑信良第15軍参謀長の更迭理由が動画の中では
せっかくインパールががら空き状態になっている機を逃さず(タイムリミットが迫っている状況で師団長や参謀を説得する時間が惜しく)
となっていたので、ハ号作戦が陽動作戦だとすると、人事がおかしい感じたのです
なぜなら、小畑信良参謀長はインパール進出は兵站の整備が困難であるから
という理由でインパール作戦に反対して、牟田口司令官の怒りに触れて
参謀長を解任される
ならば、インパールががら空きになる原因になった、ハ号作戦がインパール作戦の陽動作戦だとしたら、
なぜ小畑参謀長はハ号作戦は容認していたんだろうという疑問が起きたのです
逆に考えるとハ号作戦は陽動作戦ではなくて、それによって偶々インパールががら空きになったから
場当たり的に、牟田口司令官がこの機を逃さじとして、インパール侵攻を主張して、そこで初めて小畑参謀長と意見が食い違い
結果、小畑参謀長の更迭になった、というイメージをもってしまったわけです。
いまさらながら自分の持っていたイメージが事実に合っているのか
確かめてみようと時系列を調べてみたら、ハ号作戦は小畑参謀長が解任された翌年に行われていたんですね
つまり小畑参謀長は、インパール作戦に反対だったし、ハ号作戦も承認したわけじゃなくて、前年には南方軍から
飛ばされていたということになりますね
こちらの早とちりでした、m(__)m
ただ動画の中での説明では(タイムリミットが迫っている状況で師団長や参謀を説得する時間が惜しく)となっていたので
小畑参謀長の更迭理由の説明では、インパールががら空き状態になってから
説得する時間がもったいなからクビにした、みたいなイメージだったので
なんとも場当たり的だなあと感じてしまったのです。
おかげでいろいろ調べるきっかけになり、楽しかったです
後編も楽しみにしています
補給線が伸びるという状況での無理な作戦というのは昔tvで視たかな、鉄道建設隊はかなり頑張ったんですがね、
そこから、大河を超えて、密林の山を越えて、食料弾薬の補給は全くないという作戦でしたね
徒歩で500キロ以上移動ってのは、マトモじゃないと思う。
それも舗装された平たんな道ではない。
牛や馬を食いつぶしながら・・・
よく往復して生き残った人たちがいたものだよ
絶望的な先が見えてるからこそ多少の無理は通さなければならない。しかし無暗に無謀な作戦なんて論外。でもやはり何もしないのではもっと酷くなるのが見えている。
年単位で敵と日々接し続け、唯一の希望である補給も叶うことなく何とかしないといけないが何もできないジレンマを毎日抱え、このままでは勝ち目なく高確率で死ぬ。
こんなストレスに晒され続けた中で「2度とない最高級のチャンス」が目の前に来てしまったらどう動いてしまうだろう
多大なストレスに精神を冒され続けた末、やっと抱けた唯一の希望さえも潰えてしまったら、人間はどうなってしまうだろう…
何をどう言おうと牟田口氏は負けくさった訳だからそれだけの話、餓死病死者を大量に出した事は消えない。
うぽつです
近所の爺さんが、俺はインパールの生き残りだ!って、いつも自慢してた😏
結果的に正解はビルマ・タイを捨ててベトナムまで撤退する事だったんだが、そんなことこの時点でわかるわきゃないし。
インパール作戦を実行する前の日本軍の置かれた状況は、優勢ではないけれどかといって不利でもないという状況でしたからねえ。
「第15軍の主力たる第31、第15師団をインパール以北に使用したことは多少の危険性が感じられる。方面軍の意見は第33師団をフォーホワイトからティディム、インパール道方面に、第15師団をタムからバレル、インパール道方面に使用し、コヒマ方面に対しては歩兵第31師団から歩兵4個大隊基幹の支隊を派遣し、第31師団主力を軍予備とするものであった。こうすればどの線で敵と遭遇しても後方補給に心配はなくかつ第二戦兵団の運用によって堅実な作戦指導が出来る。この作戦はあくまで防衛戦推進のためであるから、万一の場合インパールが攻略できなくとも随所の要域に戦線を整理して防衛線を構成することが必要である」
インパールへの攻勢自体は間違いじゃないと思う。問題はやり方
「一方ビルマ周辺の敵は外線の利を得て近く総反攻を開始しようとしており、単なる防衛作戦だけでは自滅することも自明の理である。所要方面に局部攻勢を採ることは必要である。そのため反撃の兆しが顕著であり、我にとって危険性の大であるインパール方面に第一撃を加えるという構想は理解できる。 しかしその後の作戦は怒江方面か、フーコン方面に生起する公算が大であり方面軍の責務からは本作戦が本命でなければならぬ。海岸方面も警戒を要する。すなわち第2段の作戦を考慮の上第1弾の作戦を指導すべきであった。 そうなれば第1弾作戦の作戦目的も自ずから変わったものになったのではなかろうか、第2弾の作戦構想が徹底しておれば、第1弾作戦の要領も異なるし、ディマプールに突進しようなどという考案など出てこないであろう。大本営はもちろん南方軍、方面軍において明確な方針を立て得なかったところに第15軍の作戦構想にずるずる引き込まれた原因があったように観察される」
俺としてはやはり無謀の一言だったと思うけどな。
最も、無理な状況でも結果を出さなきゃいけない状況の陥った牟田口には少し同情するけど。
この作戦は補給と重装備の空挺部隊と制空権がなければ成立しないよ。
気になるのですが うぷ主さんは彼を正しいとお考えですか?
戦略次元でやらかした戦争、作戦が成功すれど所詮戦術次元…()
もしインパール作戦が成功した場合、最後の援蒋ルートが遮断されるとこになるので、大陸打通作戦と合わせて中国軍は大幅な弱体化となるので戦略単位で動いたかもしれませんよ
牟田口まぁいろいろ言われてるけどそこそこまともな作戦能力あるからね牟田口がボロクソ言われてるのは戦後のはずだからそこは抜きにしてインパール作戦自体はまともな作戦理由があって行われてるからね
まともな作戦理由があっても、まともな作戦遂行能力がなければやっちゃだめ。
服部卓四郎が警察予備隊初代トップになりかかったのだからぞっとする。
動画中にて、牟田口は東條派の軍人だったとあるのですが、これはどこに載っていたのですか?牟田口中将が最終的には第15軍司令官となるため東條大将が彼を評価していたことは間違い無いと思いますが、牟田口中将は元は皇道派であり、また、東條大将と個人的な親交があったとは聞いたことがないのですが。
確か、牟田口は軍人としての保身の為に当時の統制派のトップだった東條大将に媚びて東條大将に忠誠を誓う為に東條派の一員になったんじゃないかな。
完璧じゃん インパール作戦は日本軍の大勝利で終わったに違いない
ブリカスジョークに「インパール作戦を史上最悪の作戦と言うとキレる」が追加されますねコレハ・・・
因みに、服部卓四郎は米軍の反主流派の将校(チャールズ・ウィロビー等)からの評判は良いみたいです
サムネの人クロちゃんかな?
「インパールでカレーを食べたいんだしん」
補給さえ、補給さえ都合付けば何とかなった可能性があったと
「第15軍の主力たる第31、第15師団をインパール以北に使用したことは多少の危険性が感じられる。方面軍の意見は第33師団をフォーホワイトからティディム、インパール道方面に、第15師団をタムからバレル、インパール道方面に使用し、コヒマ方面に対しては歩兵第31師団から歩兵4個大隊基幹の支隊を派遣し、第31師団主力を軍予備とするものであった。こうすればどの線で敵と遭遇しても後方補給に心配はなくかつ第二戦兵団の運用によって堅実な作戦指導が出来る。この作戦はあくまで防衛戦推進のためであるから、万一の場合インパールが攻略できなくとも随所の要域に戦線を整理して防衛線を構成することが必要である」
要するに、補給がやばそうな部隊は、兵力を減らして補給への負担を減らし。減らした分を予備戦力として後方に配置した上、インパールが攻略できない時も想定しろというもの
NHKのドキュメント太平洋戦争でインパール作戦の事を放送して補給参謀がこの作戦に反対の場面が有り補給参謀の声がアニメ銀河英雄伝説の同盟軍で補給専門家のキャぜルヌ役のキートン山田がやって居た。
編集量が跳ね上がりそうだけど土地勘がないから解説に土地名出てきたら地図に表示してほしい
参考文献は後編かな?
馬鹿な大将敵より怖い
後編はジンギスカン作戦が出てくるんですかね😄
その呼称からしても
疑わしいけどな
@@arminiusherman4783
史上に名の残る酷い作戦ですからね。
兵站はなかったことは明らかですね。
無謀な作戦をたてる無能。
作戦を中止できない無責任。
失敗を反省できない無恥。
現代の政治家と変わらないという悲劇。
服部卓四郎(1901〜1922)とはこれいかに?もっと生きてるはずですで
牟田口は、まあ確かに第一線の指揮官には向いてなかったのかな、と。
しかし言われているほど無能ではなく、そもそも陸軍自体、日本自体がまあ…ね…
精神がやられちまったのか戦後の立ち振舞いが何よりまずかった。
日本だけじゃなく、イギリスも
牟田口がいたんだな
モンティおじさんことモントゴメリー将軍ですよね?
@@user-mj2vy1rn4g モントゴメリーはアメリカからのレンドリースによる物資で勝てただけでイギリスだけの物資ではドイツ軍に負けて居た。
松尾直
他にもブラウニング中将がいますぞ。
こやつは現地司令官にマーケットガーデン作戦失敗の責任をなすりつけて戦後のうのうとしていましたから。
@@user-vy4ig1tf6d そうですね。「遠すぎた橋」でも最前線で指揮した将官たちは悲壮感しかないのにのうのうとしてたし。
なるほど完璧な作戦っスね―――ッ 不可能だという点に目をつぶればよぉ~~
北海道でジンギスカンといえば羊です。牛ではない。
作戦のデメリットが多いと精神論を語ってさっさと行けと言い
メリットが多くなった途端 いや、慎重になるべきだって言って作戦の実行を渋る
何なん大本営
俺が牟田口の立場なら作戦にgoすると思う。
そもそもウィンゲート旅団の作戦が大失敗だったのだが。あれで兵力の半分は失っているし、それでいてビルマの占領地を1ミリも奪還できていない。補給もなっていなかった。
ただ錯乱させることには成功?したから、牟田口は不安にかられおかしくなった。そこからインパール作戦の悲劇が始まる。牟田口とて最初から愚将だったわけではなく、不安にかられ愚将になったのだ。不安と焦りは人をおかしくさせる。
あと、敵の失敗からも学べなかったんだな。
いつの、時代も、下っ端は、つらいな😭あ
9:05 いえ全く。
ほならね、自分でやってみろって話でしょ?そう私はそう言いたいですけどね()
大して軍事も歴史も人物も知らない人が、歴史上のミスをした人物をボロクソ批判する、そういうのは本当に虫唾が走る。
別にミスした人をいくら批判して下に見ても、批判した人は何もすごくないし何かしたわけでもないしwikipediaに紹介されるわけでもない。
そんな人よか牟田口さんのが100倍尊敬するね、てかシンガポール攻略で血まみれになりながらも作戦を指揮した人やぞ。
もちろんダメな所はあるけど。
その点この動画は物事を淡々と紹介してて良いね。
揚げ足を取るようで申し訳ないのですが、この動画でも服部卓四郎を無能と評していますよ。
@@user-xy3hs8pc2t まあ「無能」で若干イラっとはしましたが、ここは牟田口さんの解説動画なんで触れずにね。
石塔
服部卓四郎は作戦立案能力自体は高いんだけど、作戦第一主義に陥ったり、戦略目標があやふやになったりするので参謀としては「無能」とは言いませんが、非常に難のある軍人だったのは間違い無いんですよね。ただ指揮官としては非常に有能で、末期に中国大陸の歩兵第60連隊の隊長を務めるのですが、的確な指揮を執り活躍しています。
野々村やめいw
ほならね理論ほんとすき。批判自体は別にいいと思うけど歴史も戦術戦略もほぼ知らない人が高らかに批判を喚くのはおかしいと思うゾ。歴史以外にも当てはまることだけどね。
この話聞いた上でも大博打以下のギャンブルにしか思えん
逆に1944年の日本に安定した作戦ができるとでも?
どんな作戦だろうと当時の日本でもギャンブルになりますよ
@@user-tg8jz1sl8l じゃあ何もしなきゃいい
@@jejejemm9096
けど何もしなきゃどんどん増強されていく連合軍に物量で押し潰されるだけなんですよね
@@user-tg8jz1sl8l 何かやらかしてしまえば押し潰されるのが早まって戦力が消し飛び、抑止効果が激減して敵が増強する必要すらなくなる
@@jejejemm9096
敵の戦力が増強される前に攻勢に出て敵の攻勢要員を先に潰すのは立派な防衛行動になり得ます
状況によりますが、防衛線に立てこもるだけが防衛行動ではない