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前線に立っていたご高齢者の方々の中に戦争について口を開こうとしない人がいる理由が少しわかった気がしました。大変勉強になりました。参考文献を自分も読んでみようと思います。ありがとうございました。
あとは、後ろ弾とかね
@@赤い国のプーさん さん、ソ連なんか全方向だもんね
腹すかせて死んだ奴が1番多かったっで事から飯を大切に食べるようになったなぁ…好き嫌い無くなった。
死んだほうが楽に思えるだろうな。と自決する気持ちが、ほんの少しだけど理解できました
@@BakeTanuki好きな物すら無くすって普段何食ってんの?
亡くなったウチの曾祖母は毎日必ず仏壇に茶碗山盛りのご飯を供ていた「あの世では腹一杯食って欲しい」と言って戦死したご先祖様達の遺影に手を合せていた
「腹が減っては戦はできぬ」って本当よく出来た言葉だよなぁ
軍隊は胃袋で動く も
腹減ったら戦できないどころか、もう人間として終わる
兵站軽視は自ら兵糧攻めをしているようなモノ。
@@asuteru0831 Army moves on its stomach
終戦の日にこの動画を上げる主さんに感謝
そもそもこの動画を収益化してなかった主さんには脱帽です。それ程皆さんに伝えたかったと推察します。いつも貴重な動画をありがとうございます。
父の実家に父が辻政信から戦後書いて貰った書が飾ってありますが、確か「万難を排して国難に赴く」と書いてありました。物凄い皮肉だと思います。
辻ちゃんはモー娘。でもやらかしたから
@@THE.Everestlist その言い方すこ
興味深い内容でした。ありがとうございます
マラリアになって、片腕も失ったのに生き残った某漫画家はすげぇな…
ジャワの天国、地獄のビルマ、死んでも帰れぬニューギニアですからね18万7000人中帰国できたのは2万人未満だったとか
水木さんは悪運と生命力が強すぎたんや………
@@I1I1I-yuyuko-konpaku さん、本当ならゲリラ部隊の隊長として活躍したかも
だから松下奈緒と結婚出来たんだな
@設定迷子 さん、本人は死の直前まで悔やんでいたらしい、病室で何度も繰り返しうわごとのように喋り出しては天井に向かって謝っていたらしい、そのせいからか、食うに困った売れない漫画家をやたらアシスタントで食べさせてあげていた。
日本軍への日本兵からのゲリラの実態は凄惨そのもの。末期フィリピン戦などはもはや軍規も完全に崩壊し、自分の部隊からはぐれたら最後他部隊に襲撃され「食料」にされる事件が頻発している...
・行動する時は必ず2人以上になること・「人相の悪い連中」に出くわしたら大きな声で挨拶をし、まだ元気であると教えること末期フィリピンではこれらが「食料」にされることを防ぐ暗黙のルールだったらしい。
戦艦扶桑や山城の生存者が少ないのは、島に流れ着いた乗組員がみんなゲリラに処刑されたからだとか。
ゆっくり歴史系チャンネルの中でも秀逸なチャンネルだと思っています。今後のご活躍をお祈り申し上げます。
とても陰鬱な気分になりました父が海軍陸戦隊でラバウル方面で終戦を迎えたのですが、物資が何もなく、深夜に米軍の集積地に精鋭で食料を盗みに行くのが唯一の任務だったと言っていたのを思い出しました。よく生きて帰ってこれたと思います。
もはや、戦争じゃなくてただのサバイバルじゃないですか…。目的が敵への攻撃ってより自分らの補給になるの本当悲しい.
@@カステラ-d1z父は本来は軍艦の砲術士だったらしいのですが、陸戦隊に選抜された理由が①長男ではない②体が大きいだったそうで、消耗するのが前提の扱いだったらしいです運良く生き延びたと言ってましたが、生きる努力をしたのだとも思います
@@kikoushi0905 さん、アメリカの陸戦隊こと、海兵隊もそうですよ、消耗するのが前提で尊敬はされますが、ていのいい石垣ですよ
@@kikoushi0905 ものすごく失礼なのは承知ですがその生きる努力も道徳的、精神的、肉体的にありとあらゆるハードルを超えてらっしゃったのかと思います。多分自分なら道徳的はともかく精神と肉体的にその時代で生きていたら生き残ることはほぼ無理だったとおもいます。でもお父様は生きて帰ってこられて本当に良かったですね。
既に他界した親戚から聞いた話だが、陸軍初年兵時は毎日、朝昼夕と就寝前に整列させられ殴られ往復ビンタの嵐で複数名が自死したと… 我が軍こそ地獄だったと
皇軍の実態…
うちのじいさんの時は昭和19年で形としては、あったが、もうそんな余裕がなかったらしい、ほかの知り合いのFacebookもしてる 小嶋浩一氏は海軍予科連で最初はひどい教官にやられたが、さらに上の身分の教官がその教官を逆に張り倒して『やめんか!彼らはこれから国にとって必要不可欠な人材だぞ!!』とその鬼教官を怒ったらしい、入りたての少年たちは(まさに桃太郎あらわる)と思ったらしい後で終戦の時にその時の言葉をはっときずいたそうなまた、昭和20年になると、海軍の国内の予科連の訓練基地も場所によるが厭戦気分からかなりグダグタに荒れたとこもあったらしい
全日本国民が1回でもいいから見るべき動画だと思いました。正に8月15日に相応しい内容で良かったです。原爆だとパールハーバーだの、大東亜共栄圏だの言う前に、飢餓と病気による兵站の問題から太平洋戦争を読み解く事が大切だと知りました。
東京五輪の後の自衛隊体育学校の円谷選手の自殺も結局は自衛隊に引き継がれた、大日本帝国陸軍の悪しき遺産のせいだと思います。もしも、明治天皇陛下が乃木将軍に『死んではならぬ、私の孫の代まで生きて日本を見守りなさい、そして戦術を振り返る回顧録を出しなさい』と言われていたら、、、乃木将軍の回顧録的な本はありますか?調べたのですが、わかりませんでした。
最後の投稿主が伝えたい事が一番大切な希ガス
「野火」は本当に名作だった。でもそれよりも酷い現実は書き残すものさえ居ないと思うと言葉も出ない。
素晴らしい動画をありがとうございます!戦術論とか兵器の性能を語る前に、この現実を受け止めなくてはならない。祖国の為に出征した精強な兵士たちが戦うことなく虫けらこ如く朽ち果てていった事実を。
#Afghanistan 軍司令官 『せやな‼️』
虚しさだけが残る話かと
うちの祖父は戦争の体験をよく語ってくれるのに対して、祖父の戦友は絶対に戦話したがらなかったと聞きますなんでも、人肉食をしたということがフラッシュバックするからだとか戦場において餓死ほど残酷な死に方はないと気付かされました先の対戦で亡くなられた全ての国の方々に黙祷
うちのじいさんは中国戦線でよかった(腹部貫通銃創でも助かった)
国を守ったなんて美辞麗句が霞んでしまうほどの地獄
まあ、事実、北海道の赤化を九月まで戦い抜いて防いだからねいまだに、北方領土を返さないのを見ると、アメリカと違って話が通じない、まあ、アメリカとしてはロシア軍基地が残った状態の沖縄式返還は嫌だろうしな、一つの国の中に、大国同士の駐留部隊は二つもそんざいはむりなんだな
英霊だって好きで英霊になったわけじゃないみんな生きたかったんだ
@@Perestro_IKA さん、そうそう、アメリカはたった一人も生き残るためにみんなが頑張る日本は、死んだら神様よ〜だけだから、あの、映画ができないプライベートライアンまあ、映画キスカは似てはいるが
@@長芋よしこ そんなの理解した気になってるだけ、死ぬ時にしかわからない仮定はいらない
@@Perestro_IKA 結局それが戦争の本質ですよね。「学徒動員」とかそのもっともたる例
「日本は捕虜を厚遇してた!」なんていう奴らはこれ見てどう思うんですかね。自国ですらこの惨状なのに捕虜に厚遇する体力なんてどこに残ってるんだか
日本が進んで虐待や虐殺したかはわたしには分からないが、少なくとも自分達の補給もない、技術もなく、とにかく余裕のない日本が捕虜を手厚く保護したとか戯言だと思ってましたし、この動画で確信しました。
フィリピンで米兵を行進させて餓死させていましたね...このことは教科書に載せるべき話なのにな...
@@juntendou6407バターン死の行進であれば教科書に載ってますよ、教えるか教えないかは教師によるでしょうね
「早く弾に当たって靖国に行きたい。」はこんな現実を知っている兵士の心底からの叫びだったとあらためて思います。
戦中駆逐艦乗りだった祖父は食べたいものはなんでも買ってくれて、遊びに行けばご馳走でご飯山盛り、自分は子供のころ唐揚げが好きだったので地元で人気だった中津からあげを買ってくれました死ぬ寸前で家族からガチで止められるまでタバコと酒をやめなかったのは、今となっては意味ありげにすら感じてしまいますいつも動画の作成ありがとうございます、おつかれさまですそんな飢餓の中軍、民間はどんなものを食べていたのでしょうか
近代陸軍を名乗るのが恥ずかしいレベルの損害内容
定量定性的な根拠のある情報で参考になりました。改めて過去の戦没者方々へご冥福をお祈りいたします
前回のノルマンディー兵站解説に比べると20世紀の軍隊が基本現地調達なのほんまに草
現地調達自体は悪く無い日本軍は現地調達すら出来ずに餓死したからそれ以前の問題
前作と兵站環境比較するとあまりの落差に草も生えない
@@エルアラメイン-i2h 現地調達というと略奪の印象が強いですが対価を払って購入する場合もありますからね例えばノルマンディーのアメリカ軍も機動戦の最中は食料や嗜好品、燃料の一部を現地調達(購入)していました
@@kaminumadaisuke6292 それで日本は現地の経済破壊してるからなぁリメンバーバナナリーフマネー
@@kaminumadaisuke6292 さん、実際、フランス人と軋轢や衝突もあったみたいで、解放軍として完全に歓迎された訳ではなかったようです。
戦争を体験した世代が日本占領が終わっても 現日本国憲法変えなかったのがわかるわ
親戚のおじさんが東南アジアで戦っていた、撤退で部隊は散り散り食料は無し。ただ動きがノロく腕くらい大きい緑色のトカゲが結構おり、腹は膨れたが焼くと無限に油がしたたり全身にニキビができて痒かったが味はとても美味かったらしい。
こういう事実から目をそらさない事こそが真の愛国心なのであり、コスプレして靖国に行く人らは本当の愛国者ではないのだと思う。
@@User-nh2rj46g 周りには精神論と愛国心を煽って戦いを強要しつつ、自分は戦わずに安全な後方に居たいという願望が透けて見えるな自らが犠牲になるつもりのない愛国は愛国ではないそいつらには三島由紀夫の爪の垢でも煎じて飲んで欲しい
@@User-nh2rj46g 階級が高いものばかりというのが皮肉的だな
あいつらこそ非国民
兵士だって普通の人間ですもんね…戦略や兵器がどうこう言う以前に食料や医療など人間が生きるために最低限必要なものが無きゃ死んでいくのは当たり前。
Q.300万人の将兵は何故死んだか?誤.日本を守るため正.上層部の判断が悪かったから
当時の日本軍のこと調べてるとそもそも上の戦略がガバガバすぎてまともな戦いになってないのがよく分かるそれに比べ米軍もイギリス軍も対応は早いしちゃんと現状見てて合理的だし負けたら負けたでしっかり戦略立て直して戻ってくるしこれじゃ負けたのも必然だったんだろうなんか、そういう軍部はガバガバなのに無駄な厳しさだけある部分は昔から日本ってロシアに似てる気がする
内地の国民ですら、配給が行き届かずに餓死者出てる状況だったのに、戦地がどれだけひどい状況だったのかが、改めてよく分かるよ。悲しい記録だが覚えておかなきゃいかん記録だ。
イギリスもイタリアも悲惨だったからね、アメリカとかカナダとかオーストリアくらいだよ、なんとか食べれたのはインドやベトナムも台湾も苦労したからね
@@THE.Everestlist 食料も医療も、国が富まなきゃ充実しないという現実だよね。充実していれば、戦争する必要がないというのも、これまた皮肉な事実だけど、第二次大戦の発端は世界的な大不況から来ているから…。
@@mr.chin-chyan さん、今の豊かさが永遠にあると思い込む日本人に喝です。
@@THE.Everestlist 貴方の言う通り、本当にその通りです。不自由がない今だからこそ、こういった過去を忘れちゃいけない!じゃなきゃ、一つしかない命を掛けて、出征していった人達が報われませんよ。
@@THE.Everestlist イギリスが戦後衰退したのは、結局この時の無理がたたったからですからね
近年まれにみる動画だ。昔は重い口を開き自らが体験した事実を語ってくれた先人もいたがそれらの方々の多くは鬼籍に入られた。その代わりに現われた、事実をただ事実として伝えず、自らが信じる価値観をいかにも真実として他者を蔑ろにして語るものがいかに多いことか。
内容もさることながら、最後の締め言葉が素晴らしいです。うp主さんの信条を強く反映されていますし、今までの動画でいちばん響きました。私も強く同意しますし、今後は私自身の言葉としても活用させて頂く事をお許し頂ければ幸いです。
この動画のように、「事実」の蓄積から「本質」を見出だす姿勢が重要なのだと、私は思います。
餓え、病気は少しずつ体を内側から蝕んでいくから銃弾や砲弾とはまた違う恐怖があったんだろうな...
本来なら継戦不可の状態で戦争状態を続けた責任は絶大である。
私の祖父も南方で戦いました。というか、弾薬がすぐに切れて、あとは逃げ回っていたとのことです。そこからが地獄の始まりで、トカゲや蛇を食べながら飢餓に耐えていたらしい。アメリカとは端から戦いにならなかった。本当の戦争に行ったやつは華々しい話はしない。と言っていました。今はもう亡くなりましたが…
戦没者の六割が餓死と戦病死(大半が栄養失調)で二割が移動中の海没死つまり損失の8割は兵站軽視による自滅…
これにはクレフェルトもゲンナリ。
ありがとうございます!
その500円どうやって投げるん?
@@usejehwikuhehejidjcuruehje 高評価・低評価の右らへんに「$THANKS」のアイコンをクリックすれば投げれるで(与信情報を入力しないといけないけど)
@@hq8646 教えてくれてありがとう!😉
曽祖母から聞いた話、曽祖父が赤紙で戦地に行ってたと。曽祖父は当時珍しかった車が運転できる人だったから前線に送られず後方で物資の運搬をしていたと聞いた。だから餓死病死者が多いらしいってことはぼんやりとしか知らなかったけど、この動画を見て唖然というか悲しいというかなんとも言えない気持ちになった。当時の時代背景まで考えると戦争という手段が悪いことだったとは思わないが、今後の為にもこういう一面もあったということをしっかり意識したい。
18:50 「『事実』は事実でしかないし、経過した過去を変えることはできない」重い言葉ですね。これだけ餓死者や病死者が出たという事実が、いかに当時の軍上層部が無能だったかを実証してるのは確かかと
Upお疲れ様です。目を背けたくなる内容ですが日本人としてこの事実に正対しなければならないと考えます。
今まで、盲目的に信仰していた、「無敵皇軍」の考えを改める時かもしれない……勿論日本軍の兵隊さんを突き放すことはしないし、おそらく日本軍を嫌いになることはないだろうけど、活躍した事実と悲惨な末路を辿った事実を認識し、もっともっと知識を深めたいです。僕の目を覚まさせてくれてありがとう
ちょっと泣けてきちゃった。。。
開戦序盤は南方でマラリアに掛ると内地に送られ治療に専念出来たそうです私の祖先は、其れで後の激戦地から内地に送られ命拾いしてます。自分の幼少の頃は、普段は無口な爺さん達が,盆や正月に集まて酒に酔うと戦地に行った時の話や戦闘中の話を良くしていましたね。グラマンに機銃掃射を受けた話、12㎜の銃弾がバカでかく銃弾がのめり込んだ穴からは煙が上がってる話や、乗ってた輸送艦の近くの輸送艦が撃沈された話、シベリアに抑留された時の話、ロシア兵の話、ソ連では自分の所有権が無いに等しいので外に置いて有る物が盗まれても共有財産だと言われれば其れ迄だと云う話など、経験できない生々しい話を多く聞かされました。全ての方は他界してしまい、もう聞く事が出来ないのが残念で、もっと聞いてればと思ってますが。
軍歴証明書を取得すれば軍隊での経歴(赴任地や階級など)がわかりますよ。
そう考えるとニューギニア砲兵隊戦記の著者は凄く幸運な人だったんだな。ニューギニア戦線の割に食料品が充実していて意外だった。肝心の戦闘は砲兵火力支援とその為の補給が如何に重要か切実にわかるからお勧め。
定期的にゴム袋に入った医薬品が補充されてる間はマラリアとも無縁だったようだしね。
@@okw6124 それと高台なのも影響して蚊がいなかったんですよね。ニューギニア戦線なのに戦闘以外の生活が、かなり穏やかなのがビックリでした。
ああ、確かにそう書いてましたね。あの本は昭和19年4月に蔭山大隊長から新しい命令を示されて終わってますけど、著者の大畠さんはその後も大隊長として終戦まで戦い続けたはずなのに、どうしてそこで書き終えたのかがよく分かりません。執筆に疲れたり記録がそこまでしか残ってなかったのかもしれませんが、ニューギニア戦全体の生還率の低さを考えると、もしかするとあのあとは書きたくないくらい悲惨な状況になっていたのかも?と想像できなくもないです。どう思いますか?
@@okw6124 あ、そうでしたか。そうか、そうでしたか。昭和19年に終わっていることを忘れていました。久々に読み返してきます。
素晴らしい。全ての日本人に見て欲しい。そう、最後のフレーズが全て。真実は人間の数だけあるが、事実は一つしかないのだから。そういう意味で資料が増えることはないが、散逸する前に真実ではない、「事実」を記録することが何よりも大切に思います。
今も日本人の本質は変わってませんね。仮に今また戦争が起きたら日本は同様の経過を辿るのだろうと思います。
戦争で負け、医学戦争で負け、補給戦でも負け、当時の日本でアメリカに総じて勝ってたものなんてなかったってのがよく分かる話だった正直自分の認識が甘かった、まさか大陸戦線で既にそんな状況だったとは
文庫本出してる出版社の本、その最後に書かれてる文章みたい
むしろそんな状態で3年8ヶ月も米軍相手に戦い抜いた日本兵がすげぇ
@@ベルカ公国国家宣伝相 さん、ギリギリだったからね、ただ情報戦が下手くそ、帝都の情報部に勤めていた故藤井鼎氏は『いくら物申しても《それは敵の欺瞞工作だ!》と言う、で、やられた後に、《なんで伝えなかった!》と怒られたよ》 って #ワケワカンナイヨー のトウカイテイオー状態だったらしい
@@ベルカ公国国家宣伝相 『戦い抜いた』のではなく『戦わされた』という方が正しい敵の捕虜になって帰ってきたら、それを恥だと言って帰ってきた奴を処刑するような軍隊だぞ
@@2990117 というか米軍の優先順位はイタリア≧ドイツ>>>>>>日本だったからあれだけ長引いたと思うイタリアみたいに集中攻撃受けたらもっと早く降伏してたよ
うちの爺様はレイテに行きましたが、勿論帰って来なかった。故郷から一緒に出征した親族達も誰一人帰って来なかったから、どのような最期だったかは全く分からない。それが前の戦争に参加したと言う事ですよ
目を背けたくなるような内容ですが、全ての日本人が「事実」として知っておかねばならない、実に終戦記念日に相応しいテーマでした。それに付けても主さんの公平性と見識には全く舌を巻くばかりです、凄い。それと大変個人的な話で申し訳ないのですが主さんに是非デーヴ·グロスマン著の「戦争における人殺しの心理学」をお勧めします、戦争と兵士の心理を解りやすく描いていて、とっても面白いですよ(もう読んでいらしたらご免なさい)
ちょうどCSで「トラ・トラ・トラ」を放送してるので思い出したが、キンメルの軍歴は1942年3月から予備役となって終了し、現代になって合衆国議会は名誉回復を議決しているけど、大統領は署名していない。Heinkel氏渾身のこの動画に低評価は解せぬ。
戦陣訓をはじめとして何故そこまで兵が捕虜になるのを嫌ったのか、嫌うようになって行く過程を知りたいです。日露戦争当時、捕虜になった兵が簡単に情報を漏らすので対策として捕虜にならないように仕向けたとか聞いた事があるような。それならそれでハーグ陸戦条約等を教育すれば事足りるはずなのに昭和陸軍はしなかった。劣勢でも簡単に降伏させずに戦わせる為なのか。Heinkel氏のご意見をお伺いしたいです。
ここまで拒否したんだから、何があるでしょ
祖父の兄がビルマ戦線に従軍していたそうで、帰国の途についていた列車の中で病死したと聞きました。帰ってきたのは形見の軍刀のみでしたが、如何に兵士の状態が酷かったかこの動画でよく分かりました。
悪代官牟田口だもんな、あれじゃあアウンサン将軍もブチギレますわなチャンドラボースも恨みがあっただろうけど、特に言わずに、日本の応援に感謝してソ連行きの飛行機に乗り、墜落して死んだ。
最前線どころか国内でも、兵士の腹を満たす為と食料を持って行かれたかと思えば、輸送船や駆逐艦ごと沈められての繰り返し…これどうやれば生き残れたんやろね…初めて餓死、病死の話を聞いた時はコンビニで買った1個のおにぎりさえ食えんかった…
白骨街道の事は亡くなった近所のお爺さんから聞いたことがあるよ、まあその人は中国戦線だったが、引き上げまでの苦労が大変だった。運良く降伏したあと、捕虜になるのがソビエト軍でなく、話の通じる蒋介石軍閥なのがマシだったらしい
圧倒的軍事力で攻めてくる米軍相手に飢餓と病気では確実に死亡だろ。それでも生き残った兵士はかなりの強運の持ち主だと思うわ。生き残った兵士は戦争の悲惨さを訴えている。尊敬する水木先生もその一人、戦記モノは本当に戦争の悲惨さを訴えているからね。
日本軍の「餓死」とかの話を聞くに、靖国に軍服コスプレしてくる連中の締まりのない体に些か怒りを覚える自分がいる。
理不尽な😅
@@月野雫-y4q つまり、何も知らずにコスに遊ぶ連中は不敬である。
投稿お疲れ様です。
いつもながら素晴らしい動画ありがとうございます。日本兵がゲリラになった例があるとは知りませんでした。衝撃です。
分からなくもないですよね。
健全な愛国心だこの人好き
@@freedom5065 あなたの言う通り、愛国心と批判的精神は両立されなくてはならない、さもなくば人間が国家に飲み込まれてしまいます。果たして日本人はそれができるのか?悲観論に偏りすぎているかもしれませんが、もう手遅れな気が…
@@臓ピアス 反日精神だけが突出して肥大化しているかその逆の人なら結構沢山いますが・・・
毎回アップを楽しみにしております。今回も辛口の内容に大変参考になりました。しかし内容が内容だけにひたすら無念としか言えません。終戦の日に考えさせられました。半端なドキュメンタリー等より手応えがありました。
昨日まで天皇陛下万歳を言っていた人間が敗けたとたん民主主義は素晴らしいと平気な顔をして言う。当時の子供たちの目にはそんな大人たちがどのように見えたのだろうか。
小松左京は死ぬまで担任を許さなかったとか
うちの父は学年で一番最初に歴代天皇の名前を暗唱出来たような優等生の軍国少年だったそうで、終戦での手のひら返しにはやはり裏切られたような騙されたような変な気持ちがしたそうです。終戦からこちらずっと狐につままれたような感じが拭えないまま生活してると言っていました。
あまりに凄惨だったんですね、、日本兵は勇敢だった!なんていう人もいますが、背景にはこんな生々しい惨事があったんですね、、亡くなった方々のためにも是非ともテレビとかで流してほしい内容だ(年齢規制入りそうだけど
この状況下で降伏しなかったから勇敢みたいに言うけどね、悲しいよなあ団体の体裁のために生きるか己の幸福のために生きるか捕虜になるのが最終目標のイタリア人が一番賢かったのかもしれないもちろん、イタリアも人間魚雷(どちらかというと小型潜水艦による帰還も可能な水中破壊工作)を使っていたり、場所によっては決死の覚悟で戦っていたけどちなみに、イタリア人もオーストラリアの🇦🇺捕虜収容施設から脱走したが、戦いを継続したり自殺目的ではなく、労働させられていた農場の女の子に一目惚れしたからだという、そのイタリア人は後にオーストラリアで女の子と結ばれて、ワイン畑のオーナーになったというまあ、イタリアとしては、捕虜になることで相手の軍隊の食料を食べることで兵站を困らす戦術でもあったとか、日本とイタリアの差は今も大きい、日本と違い、バカンス期間長いし、家族を大切にするし、信仰心や郷土愛に強いまあユリコタイガーはその弊害に苦しむこともあったらしいがwww.vaiandcompany.com/south-australia/cirillo-estate-チリッロ-エステイト/オーストラリアに行ったイタリア人捕虜については、🇮🇹元々オーストラリアに移民したイタリア系住民が面倒見ていたのもあるかも
そういうの流したら、「ぼくのかんがえたさいきょうのこうぐん」てな脳内大日本帝国が否定されてヒステリーおこして電凸とかする奴がいるからねえ。残念だけど
米軍の戦後の日本軍調査報告書は日本軍は処刑の率も高かったと日本側の記録では見ないけどあったと思う。 極限を越えている。というか歩けなくなったら手榴弾で自決せよってのが戦後でも当たり前に戦記に出てくるのはそれが当たり前だと思っているからだと思うと暗然とする。 負傷、病気に何故ここまでリソースを割かなかったのか
なんというか、会津の東條さん、山口の乃木さん、どちらが良かったかというと戦術や戦略で言うと、山口県の軍人の方がうまかった気がする、どうしても、東北の人が指揮すると短期間ならいいが、長期だと失敗する
つまるところ「英霊」なんて言葉は兵隊を生贄に生き残った日本人が臭い物に蓋をするために仕立て上げた言葉で便所の蓋と同じ意味しかないのである
日本から出ていけ
@@User-nh2rj46g 感情論丸出しで笑止千万
@@User-nh2rj46g 戦時資料一文も目を通さないような感情論を厚顔無恥に語る輩は、思考力皆無の典型例。恥を知れ
@@と地天 資料引用して言おうね〜、ちなみに戦時資料で読んだことあるのを教えてちょ?(読んでるならな)
@@と地天 戦時資料読んだら旧軍の無為無能ぶりがむしろよくわかると思うんですが稚拙なイデオロギーにとらわれ感情論をふりかざしてるのは貴方では?
日露の時はちゃんとデータ残してるのに前の大戦のデータは無い……記録が追い付かなかったのか、はたまた……
敗戦時に焼却された可能性がありますね。
色々酷すぎた日本だけど戦争で亡くなった、戦った兵士には敬意を払うよ俺は
大阪真田山陸軍墓地の「忠霊堂」に納骨されてるご遺骨の死亡区分の大半は大陸・太平洋問わず「戦病死」…つまりは餓死。
かつての古戦場に収められたのも何かの縁なのかなあ
脱走日本兵による生き延びるための日本軍へのゲリラ活動…何と言葉にすればいいのか、わからない
何よりこんな地獄を他国の領土に生み出したのだと思うと、八紘一宇もアジア解放も気味の悪い冗談にしか聞こえない
ベトナムでは60万人が餓死した。教科書に載っている。
待ってました!
日本兵を一番多く殺したのが米軍でも中国軍でもなく日本軍とかほんと笑える(真顔)
@@User-nh2rj46g 上層部の尻拭う為って書こうと思ったけど拭おうとして人工肛門になったみたいな話だなこの戦争
"海行かば"の歌詞にもあるように、屍ありきの運用もなんのそので兵士も民間人をも使うんだものこの歌を「第二国歌」とか誇らしげに言う人らが度々見られるけど、とてもじゃないがその考えには同意出来ないね
イジメで兵士を殺し、飢餓や病気で多くの兵士が死んでしまう…米軍との兵力差云々よりも日本軍という組織そのものに大きな問題があったように感じます。
他国にもあるにはあるけど日本は餓死という部分では一際目立つだろうね。未だに軍内部でいじめ問題があるけど、国を守る組織が身内を攻撃するのほんと理解できない…
ロシアでも部下を真冬に裸同然で放置して凍死させるようないじめがあったわね、軍内のいじめは閉鎖環境でストレスも溜まるからとんでもない苛烈なことに発展しやすいんだろうね
日中戦争のころから既にそのような状況だったとは・・・。
昔高校の歴史の教科書か資料集で見たんだけど、日清日露戦争の頃はもっと戦病死者が多かったはず。大半が脚気だったはず。
昭和の頃に見た番組で軍医だったかの人が従軍したニューギニア戦線の現在を訪ねるという番組をやっていました。通った道は何十年前のままの姿で現在もあり、その一箇所を指さして言いました。「ここに兵隊がですね、赤痢にやられてしもうてズボンもふんどしも脱いでしもうてクソだらけの下半身を丸出しにしてね、クソだらけの手に妻と子供の写真を握りしめてですね、死んでおったですよ。」あまりにもやるせなくて、そんな死に方を人に強要するに足る大義なんて一体何があるんだろうかと小一時間考え込んでしまいました。
衣食足りて礼節を知る……今も昔も士気のためには飯がいるな
専守防衛ってのは枷ではなく、太平洋と大陸という広大な戦場に向かうのは難しいということも有るかもしれない
今も昔も一番キツイ思いをするのは現場なんですね…中には部下を思ってずっと悔いている人だっているかもしれないでも、戦争であろうがなかろうが、現場のみに負担を強いる事は多々あるということ戦後の今だからこそ、こういったことは忘れてはいけないし、分からなかったら考えるということをしていかなければならないんですね とても勉強になりました ありがとうございます
暴力と恐怖は人を従わせる最強の方法!理想や正義は建前に過ぎない。昔の偉い坊さんが良し悪しは時によるって言っているから元々正義や理想など確かなものは世の中に無いのだろう。
それも単なる虚無主義、ニヒリズムだと思うけどねそれでも何が正しいかというのを追求していくのは人が社会を営む上で絶対に必要になることだし
戦争に加えてシベリア抑留までされて生きて帰って来た家の爺さん偉い
美化されていない、素晴らしいレポートです!とかく日本人は「戦争」に関して思考停止しがちで、「悲惨で苦しいのはイヤ・戦争反対!」とか「先人・英霊のご苦労に感謝!」とか極端にまとめがちですが、正も負もあわせて学んで行かないと、何もしないで目を背けているだけでは、国の維持は成り立たないといつか自覚しないと・・・のび太くんが非暴力・無抵抗じゃジャイアンに搾取され放題ですし。「のび太のくせに生意気だ!」「おまえの物は俺の物、俺の物は俺の物」ってセリフ、深いですよ。
最後の締めが頭抱えたくなるほど刺さるんだが
ううう…視聴してて辛くなる内容だぁ。でも他にはないとても勉強になる動画でした!
良作でした。日本を誉めあげる昨今の風潮に、薄気味悪さを感じていました。うちの母方は、クリスチャンだったので、祖父は何でヒトゴロシをせにゃならんのかと、赤紙回避のために、満州鉄道に働きに出ました。(ちなみに、柔道有段者のゴツい祖父でしたw)その後、日本に戻らざるを得なくなっても、兵役を拒否し続け、非国民と罵られながら、憲兵隊の拷問に耐えながら終戦を迎えました。日本を守るために散っていった兵隊さんにはもちろん敬意を払いますが祖父もまた、違う形で戦ったのだと尊敬します。凄まじい圧力だったろうに……どんな理由があれヒトゴロシを正当化してはいけない。大義名分…………そのためにどれほどの犠牲者を出し続けるのか現代においてのテロもそう。同じ宗教に関わるものとして、原理主義者には苦虫を噛み潰したような想いです神の御名において許されるヒトゴロシなど絶対にない!!!イスラム教は自分ら、カトリックと違って、ラマダンや禁酒など厳格な掟があるその真摯な神との時間を大切にしようとの方向性は、尊敬に値するのに……一部の原理主義者の蛮行で台無しだ。もちろん、女性の権利に関しては、時代の流れに乗っ取り、改善する必要性は感じますが、この地域の歴史、文化が絡むので長い目が必要かもしれない。
すごいお祖父様ですね…
真の信仰者だ
そういう人が、真の「愛国者」なのかも?
1:14うp主の思想が滲み出ていいねぇ
徹底的なまでに一次資料で固めた思想だから誰も反論できないという....
本当に無敵なら、大谷光瑞氏も絡んだハワイと同時に行ったパナマ運河破壊作戦が成功していた。
皮肉だと思うんやけど
同じしっかりした動画でも、思想を全面的に押し出さない動画もあるからね(押し出したとしても、もう一方のゆっくりがたしなめている)th-cam.com/video/x7BGOFDigdE/w-d-xo.html
たった76年前に生きていただけの、同じ日本人が、極限状態に追い詰められれば獣のごとく振る舞うようになってしまうのが恐ろしい。
国のためと信じて戦い、その国に(見)捨てられて死ぬとか死んでも死にきれないよな
これじゃ大東亜戦争自体がスターリングラードじゃねえか
ニューギニア戦線とレニングラード包囲戦はどちらがより凄惨なのだろうか?やはり民間人を巻き込んでいるレニングラードだろうか?こういう資料を見ると決号作戦が発動されなかったのは不幸中の幸いと再認識する。
ニューギニアに限ればそうかもしれないけど、フィリピンとかは民間人も巻き込んでますからね…。
ソ連の督戦隊がどうとか言うけど、自国のほうがやばくね?
向こうも飢餓やばいし、粛清だの政策でめっちゃ死なせてるけどさ…日本も戦争という政策でこれだけの人を餓死させたって考えられるよね。他国を馬鹿にする前に鏡をみよう。
中国戦線に行った人が書いた本があるけどそこにも出てたわ、日本軍ゲリラ、抜粋する歩兵連隊に黒木曹長という小隊長がいたが、あるとき、部活2〜30人を連れて脱走し、国籍不明のグレン隊になってしまった。多分中隊長だか大隊長に酷い目に遭わされたのだろう。(中略)まるで鼠小僧だ、えれえ度胸のいい奴がいるもんだと思った。抜粋は終わり衝山という山に拠点があったらしい
これのどこが列強なんだよ アメリカイギリスに遠く及ばない
輸送艦や輸送商船がかなり限られていたから、船の底まで人員を乗せていたから船が沈められると、輸送人員が過密故に犠牲が多かった
いつも動画投稿お疲れ様です。リクエストなのですが、二式大艇の解説をお願いしたいです!!是非お願いします
レニングラードとどちらがヤバかったのだろうか…
凍った湖から雀の涙ながら補給されてたので、まぁ、うん…でもどっちも大概地獄やろ
時間が経ったにせよ包囲網が解放されたレニングラードの方がまだマシだったかもしれないですね....
おめぇのアイコンが1番やべぇんだよな
圧倒的戦力で包囲された街と軍が同列に語られる時点でどうなの
同じ補給不足、違いはジャングルか凍てつく吹雪か
この動画を小学校社会科の授業で流すべき最後の〆の言葉も素晴らしい
小学生がみんなトラウマになっちゃう
漫画『ペリリュー』は合計で12巻まで出てたが2巻の後半から7巻あたりまでは米軍とではなく飢餓と戦っていた気がする。もちろんゲリラ戦を中心に展開されたペリリュー島の特徴も一種の理由なのだろうがやはり日本軍の大敵は飢餓だったのかもしれない
捕虜になれば敵の兵站を圧迫出来たのに敵に負荷を与えよは孫子の昔から言われるのに一面的な思考しか出来ない組織が柔軟な戦闘に耐えないのは必然かと思うと悲しくなってくる
殺されるかもしれないからなぁ
結果論で短絡的に物事を語るべからず
まぁ、殺される可能性もあるけどね。向こうも圧迫されちゃ敵わんって事で殺すやろう。捕虜なんて労働力以外にメリットないし。
@@カステラ-d1z 実際日本兵捕虜は戦後に虐殺されたこともあるしな
アメリカは情報収集のために一般兵でも捕虜を優遇したからな日本軍時代より捕虜時代の方が食事は充実してたとか…
何回も見ましたが、そう言えば超お気に入りの動画なのに、Thanksしてなかったような・・?
最後のまとめ、全くその通りですね…
前線に立っていたご高齢者の方々の中に戦争について口を開こうとしない人がいる理由が少しわかった気がしました。
大変勉強になりました。参考文献を自分も読んでみようと思います。ありがとうございました。
あとは、後ろ弾とかね
@@赤い国のプーさん さん、ソ連なんか全方向だもんね
腹すかせて死んだ奴が1番多かったっで事から飯を大切に食べるようになったなぁ…
好き嫌い無くなった。
死んだほうが楽に思えるだろうな。
と自決する気持ちが、ほんの少しだけど理解できました
@@BakeTanuki好きな物すら無くすって普段何食ってんの?
亡くなったウチの曾祖母は
毎日必ず仏壇に茶碗山盛りのご飯を供ていた
「あの世では腹一杯食って欲しい」と言って戦死したご先祖様達の遺影に手を合せていた
「腹が減っては戦はできぬ」って本当よく出来た言葉だよなぁ
軍隊は胃袋で動く も
腹減ったら戦できないどころか、もう人間として終わる
兵站軽視は自ら兵糧攻めをしているようなモノ。
@@asuteru0831 Army moves on its stomach
終戦の日にこの動画を上げる主さんに感謝
そもそもこの動画を収益化してなかった主さんには脱帽です。それ程皆さんに伝えたかったと推察します。いつも貴重な動画をありがとうございます。
父の実家に父が辻政信から戦後書いて貰った書が飾ってありますが、確か「万難を排して国難に赴く」と書いてありました。物凄い皮肉だと思います。
辻ちゃんはモー娘。でもやらかしたから
@@THE.Everestlist
その言い方すこ
興味深い内容でした。ありがとうございます
マラリアになって、片腕も失ったのに生き残った某漫画家はすげぇな…
ジャワの天国、地獄のビルマ、死んでも帰れぬニューギニアですからね
18万7000人中帰国できたのは2万人未満だったとか
水木さんは悪運と生命力が強すぎたんや………
@@I1I1I-yuyuko-konpaku さん、本当ならゲリラ部隊の隊長として活躍したかも
だから松下奈緒と結婚出来たんだな
@設定迷子 さん、本人は死の直前まで悔やんでいたらしい、病室で何度も繰り返しうわごとのように喋り出しては天井に向かって謝っていたらしい、そのせいからか、食うに困った売れない漫画家をやたらアシスタントで食べさせてあげていた。
日本軍への日本兵からのゲリラの実態は凄惨そのもの。末期フィリピン戦などはもはや軍規も完全に崩壊し、自分の部隊からはぐれたら最後他部隊に襲撃され「食料」にされる事件が頻発している...
・行動する時は必ず2人以上になること
・「人相の悪い連中」に出くわしたら大きな声で挨拶をし、まだ元気であると教えること
末期フィリピンではこれらが「食料」にされることを防ぐ暗黙のルールだったらしい。
戦艦扶桑や山城の生存者が少ないのは、島に流れ着いた乗組員がみんなゲリラに処刑されたからだとか。
ゆっくり歴史系チャンネルの中でも秀逸なチャンネルだと思っています。今後のご活躍をお祈り申し上げます。
とても陰鬱な気分になりました
父が海軍陸戦隊でラバウル方面で終戦を迎えたのですが、物資が何もなく、深夜に米軍の集積地に精鋭で食料を盗みに行くのが唯一の任務だったと言っていたのを思い出しました。
よく生きて帰ってこれたと思います。
もはや、戦争じゃなくてただのサバイバルじゃないですか…。目的が敵への攻撃ってより自分らの補給になるの本当悲しい.
@@カステラ-d1z
父は本来は軍艦の砲術士だったらしいのですが、陸戦隊に選抜された理由が
①長男ではない
②体が大きい
だったそうで、消耗するのが前提の扱いだったらしいです
運良く生き延びたと言ってましたが、生きる努力をしたのだとも思います
@@kikoushi0905 さん、アメリカの陸戦隊こと、海兵隊もそうですよ、消耗するのが前提で尊敬はされますが、ていのいい石垣ですよ
@@kikoushi0905 ものすごく失礼なのは承知ですがその生きる努力も道徳的、精神的、肉体的にありとあらゆるハードルを超えてらっしゃったのかと思います。多分自分なら道徳的はともかく精神と肉体的にその時代で生きていたら生き残ることはほぼ無理だったとおもいます。でもお父様は生きて帰ってこられて本当に良かったですね。
既に他界した親戚から聞いた話だが、陸軍初年兵時は毎日、朝昼夕と就寝前に整列させられ殴られ往復ビンタの嵐で複数名が自死したと… 我が軍こそ地獄だったと
皇軍の実態…
うちのじいさんの時は昭和19年で形としては、あったが、もうそんな余裕がなかったらしい、ほかの知り合いのFacebookもしてる 小嶋浩一氏は海軍予科連で最初はひどい教官にやられたが、さらに上の身分の教官がその教官を逆に張り倒して『やめんか!彼らはこれから国にとって必要不可欠な人材だぞ!!』とその鬼教官を怒ったらしい、入りたての少年たちは(まさに桃太郎あらわる)と思ったらしい
後で終戦の時にその時の言葉をはっときずいたそうな
また、昭和20年になると、海軍の国内の予科連の訓練基地も場所によるが厭戦気分からかなりグダグタに荒れたとこもあったらしい
全日本国民が1回でもいいから見るべき動画だと思いました。正に8月15日に相応しい内容で良かったです。
原爆だとパールハーバーだの、大東亜共栄圏だの言う前に、飢餓と病気による兵站の問題から太平洋戦争を読み解く事が大切だと知りました。
東京五輪の後の自衛隊体育学校の円谷選手の自殺も結局は自衛隊に引き継がれた、大日本帝国陸軍の悪しき遺産のせいだと思います。
もしも、明治天皇陛下が乃木将軍に『死んではならぬ、私の孫の代まで生きて日本を見守りなさい、そして戦術を振り返る回顧録を出しなさい』と言われていたら、、、
乃木将軍の回顧録的な本はありますか?
調べたのですが、わかりませんでした。
最後の投稿主が伝えたい事が一番大切な希ガス
「野火」は本当に名作だった。でもそれよりも酷い現実は書き残すものさえ居ないと思うと言葉も出ない。
素晴らしい動画をありがとうございます!
戦術論とか兵器の性能を語る前に、この現実を受け止めなくてはならない。
祖国の為に出征した精強な兵士たちが戦うことなく虫けらこ如く朽ち果てていった事実を。
#Afghanistan 軍司令官 『せやな‼️』
虚しさだけが残る話かと
うちの祖父は戦争の体験をよく語ってくれるのに対して、祖父の戦友は絶対に戦話したがらなかったと聞きます
なんでも、人肉食をしたということがフラッシュバックするからだとか
戦場において餓死ほど残酷な死に方はないと気付かされました
先の対戦で亡くなられた全ての国の方々に黙祷
うちのじいさんは中国戦線でよかった(腹部貫通銃創でも助かった)
国を守ったなんて美辞麗句が霞んでしまうほどの地獄
まあ、事実、北海道の赤化を九月まで戦い抜いて防いだからね
いまだに、北方領土を返さないのを見ると、アメリカと違って話が通じない、まあ、アメリカとしてはロシア軍基地が残った状態の沖縄式返還は嫌だろうしな、一つの国の中に、大国同士の駐留部隊は二つもそんざいはむりなんだな
英霊だって好きで英霊になったわけじゃない
みんな生きたかったんだ
@@Perestro_IKA さん、そうそう、アメリカはたった一人も生き残るためにみんなが頑張る
日本は、死んだら神様よ〜だけだから、あの、映画ができない
プライベートライアン
まあ、映画キスカは似てはいるが
@@長芋よしこ そんなの理解した気になってるだけ、死ぬ時にしかわからない仮定はいらない
@@Perestro_IKA 結局それが戦争の本質ですよね。「学徒動員」とかそのもっともたる例
「日本は捕虜を厚遇してた!」なんていう奴らはこれ見てどう思うんですかね。
自国ですらこの惨状なのに捕虜に厚遇する体力なんてどこに残ってるんだか
日本が進んで虐待や虐殺したかはわたしには分からないが、少なくとも自分達の補給もない、技術もなく、とにかく余裕のない日本が捕虜を手厚く保護したとか戯言だと思ってましたし、この動画で確信しました。
フィリピンで米兵を行進させて餓死させていましたね...
このことは教科書に載せるべき話なのにな...
@@juntendou6407バターン死の行進であれば教科書に載ってますよ、教えるか教えないかは教師によるでしょうね
「早く弾に当たって靖国に行きたい。」はこんな現実を知っている兵士の心底からの叫びだったとあらためて思います。
戦中駆逐艦乗りだった祖父は食べたいものはなんでも買ってくれて、遊びに行けばご馳走でご飯山盛り、自分は子供のころ唐揚げが好きだったので地元で人気だった中津からあげを買ってくれました
死ぬ寸前で家族からガチで止められるまでタバコと酒をやめなかったのは、今となっては意味ありげにすら感じてしまいます
いつも動画の作成ありがとうございます、おつかれさまです
そんな飢餓の中軍、民間はどんなものを食べていたのでしょうか
近代陸軍を名乗るのが恥ずかしいレベルの損害内容
定量定性的な根拠のある情報で参考になりました。改めて過去の戦没者方々へご冥福をお祈りいたします
前回のノルマンディー兵站解説に比べると20世紀の軍隊が基本現地調達なのほんまに草
現地調達自体は悪く無い
日本軍は現地調達すら出来ずに餓死したからそれ以前の問題
前作と兵站環境比較するとあまりの落差に草も生えない
@@エルアラメイン-i2h
現地調達というと略奪の印象が強いですが対価を払って購入する場合もありますからね
例えばノルマンディーのアメリカ軍も機動戦の最中は食料や嗜好品、燃料の一部を現地調達(購入)していました
@@kaminumadaisuke6292 それで日本は現地の経済破壊してるからなぁ
リメンバーバナナリーフマネー
@@kaminumadaisuke6292 さん、実際、フランス人と軋轢や衝突もあったみたいで、解放軍として完全に歓迎された訳ではなかったようです。
戦争を体験した世代が
日本占領が終わっても 現日本国憲法変えなかったのがわかるわ
親戚のおじさんが東南アジアで戦っていた、撤退で部隊は散り散り食料は無し。
ただ動きがノロく腕くらい大きい緑色のトカゲが結構おり、腹は膨れたが焼くと無限に油がしたたり
全身にニキビができて痒かったが味はとても美味かったらしい。
こういう事実から目をそらさない事こそが真の愛国心なのであり、
コスプレして靖国に行く人らは本当の愛国者ではないのだと思う。
@@User-nh2rj46g 周りには精神論と愛国心を煽って戦いを強要しつつ、自分は戦わずに安全な後方に居たいという願望が透けて見えるな
自らが犠牲になるつもりのない愛国は愛国ではない
そいつらには三島由紀夫の爪の垢でも煎じて飲んで欲しい
@@User-nh2rj46g 階級が高いものばかり
というのが皮肉的だな
あいつらこそ非国民
兵士だって普通の人間ですもんね…戦略や兵器がどうこう言う以前に食料や医療など人間が生きるために最低限必要なものが無きゃ死んでいくのは当たり前。
Q.300万人の将兵は何故死んだか?
誤.日本を守るため
正.上層部の判断が悪かったから
当時の日本軍のこと調べてるとそもそも上の戦略がガバガバすぎてまともな戦いになってないのがよく分かる
それに比べ米軍もイギリス軍も対応は早いしちゃんと現状見てて合理的だし負けたら負けたでしっかり戦略立て直して戻ってくるし
これじゃ負けたのも必然だったんだろう
なんか、そういう軍部はガバガバなのに無駄な厳しさだけある部分は昔から日本ってロシアに似てる気がする
内地の国民ですら、配給が行き届かずに餓死者出てる状況だったのに、戦地がどれだけひどい状況だったのかが、改めてよく分かるよ。
悲しい記録だが覚えておかなきゃいかん記録だ。
イギリスもイタリアも悲惨だったからね、アメリカとかカナダとかオーストリアくらいだよ、なんとか食べれたのは
インドやベトナムも台湾も苦労したからね
@@THE.Everestlist
食料も医療も、国が富まなきゃ充実しないという現実だよね。
充実していれば、戦争する必要がないというのも、これまた皮肉な事実だけど、第二次大戦の発端は世界的な大不況から来ているから…。
@@mr.chin-chyan さん、今の豊かさが永遠にあると思い込む日本人に喝です。
@@THE.Everestlist
貴方の言う通り、本当にその通りです。
不自由がない今だからこそ、こういった過去を忘れちゃいけない!
じゃなきゃ、一つしかない命を掛けて、出征していった人達が報われませんよ。
@@THE.Everestlist イギリスが戦後衰退したのは、結局この時の無理がたたったからですからね
近年まれにみる動画だ。昔は重い口を開き自らが体験した事実を語ってくれた先人もいたがそれらの方々の多くは鬼籍に入られた。その代わりに現われた、事実をただ事実として伝えず、自らが信じる価値観をいかにも真実として他者を蔑ろにして語るものがいかに多いことか。
内容もさることながら、最後の締め言葉が素晴らしいです。うp主さんの信条を強く反映されていますし、今までの動画でいちばん響きました。私も強く同意しますし、今後は私自身の言葉としても活用させて頂く事をお許し頂ければ幸いです。
この動画のように、「事実」の蓄積から「本質」を見出だす姿勢が重要なのだと、私は思います。
餓え、病気は少しずつ体を内側から蝕んでいくから銃弾や砲弾とはまた違う恐怖があったんだろうな...
本来なら継戦不可の状態で戦争状態を続けた責任は絶大である。
私の祖父も南方で戦いました。
というか、弾薬がすぐに切れて、あとは逃げ回っていたとのことです。そこからが地獄の始まりで、トカゲや蛇を食べながら飢餓に耐えていたらしい。アメリカとは端から戦いにならなかった。本当の戦争に行ったやつは華々しい話はしない。と言っていました。今はもう亡くなりましたが…
戦没者の六割が餓死と戦病死(大半が栄養失調)で二割が移動中の海没死
つまり損失の8割は兵站軽視による自滅…
これにはクレフェルトもゲンナリ。
ありがとうございます!
その500円どうやって投げるん?
@@usejehwikuhehejidjcuruehje 高評価・低評価の右らへんに「$THANKS」のアイコンをクリックすれば投げれるで(与信情報を入力しないといけないけど)
@@hq8646 教えてくれてありがとう!😉
曽祖母から聞いた話、曽祖父が赤紙で戦地に行ってたと。曽祖父は当時珍しかった車が運転できる人だったから前線に送られず後方で物資の運搬をしていたと聞いた。
だから餓死病死者が多いらしいってことはぼんやりとしか知らなかったけど、この動画を見て唖然というか悲しいというかなんとも言えない気持ちになった。
当時の時代背景まで考えると戦争という手段が悪いことだったとは思わないが、今後の為にもこういう一面もあったということをしっかり意識したい。
18:50 「『事実』は事実でしかないし、経過した過去を変えることはできない」重い言葉ですね。
これだけ餓死者や病死者が出たという事実が、いかに当時の軍上層部が無能だったかを実証してるのは確かかと
Upお疲れ様です。
目を背けたくなる内容ですが
日本人としてこの事実に正対
しなければならないと考えます。
今まで、盲目的に信仰していた、「無敵皇軍」の考えを改める時かもしれない……勿論日本軍の兵隊さんを突き放すことはしないし、おそらく日本軍を嫌いになることはないだろうけど、活躍した事実と悲惨な末路を辿った事実を認識し、もっともっと知識を深めたいです。僕の目を覚まさせてくれてありがとう
ちょっと泣けてきちゃった。。。
開戦序盤は南方でマラリアに掛ると内地に送られ治療に専念出来たそうです
私の祖先は、其れで後の激戦地から内地に送られ命拾いしてます。
自分の幼少の頃は、普段は無口な爺さん達が,盆や正月に集まて酒に酔うと戦地に行った時の話や戦闘中の話を良くしていましたね。
グラマンに機銃掃射を受けた話、12㎜の銃弾がバカでかく銃弾がのめり込んだ穴からは煙が上がってる話や、乗ってた輸送艦の近くの輸送艦が撃沈された話、シベリアに抑留された時の話、ロシア兵の話、ソ連では自分の所有権が無いに等しいので外に置いて有る物が盗まれても共有財産だと言われれば其れ迄だと云う話など、経験できない生々しい話を多く聞かされました。
全ての方は他界してしまい、もう聞く事が出来ないのが残念で、もっと聞いてればと思ってますが。
軍歴証明書を取得すれば軍隊での経歴(赴任地や階級など)がわかりますよ。
そう考えるとニューギニア砲兵隊戦記の著者は凄く幸運な人だったんだな。ニューギニア戦線の割に食料品が充実していて意外だった。肝心の戦闘は砲兵火力支援とその為の補給が如何に重要か切実にわかるからお勧め。
定期的にゴム袋に入った医薬品が補充されてる間はマラリアとも無縁だったようだしね。
@@okw6124
それと高台なのも影響して蚊がいなかったんですよね。
ニューギニア戦線なのに戦闘以外の生活が、かなり穏やかなのがビックリでした。
ああ、確かにそう書いてましたね。
あの本は昭和19年4月に蔭山大隊長から新しい命令を示されて終わってますけど、著者の大畠さんはその後も大隊長として終戦まで戦い続けたはずなのに、どうしてそこで書き終えたのかがよく分かりません。執筆に疲れたり記録がそこまでしか残ってなかったのかもしれませんが、ニューギニア戦全体の生還率の低さを考えると、もしかするとあのあとは書きたくないくらい悲惨な状況になっていたのかも?と想像できなくもないです。どう思いますか?
@@okw6124
あ、そうでしたか。
そうか、そうでしたか。
昭和19年に終わっていることを忘れていました。久々に読み返してきます。
素晴らしい。全ての日本人に見て欲しい。そう、最後のフレーズが全て。真実は人間の数だけあるが、事実は一つしかないのだから。そういう意味で資料が増えることはないが、散逸する前に真実ではない、「事実」を記録することが何よりも大切に思います。
今も日本人の本質は変わってませんね。仮に今また戦争が起きたら日本は同様の経過を辿るのだろうと思います。
戦争で負け、医学戦争で負け、補給戦でも負け、当時の日本でアメリカに総じて勝ってたものなんてなかったってのがよく分かる話だった
正直自分の認識が甘かった、まさか大陸戦線で既にそんな状況だったとは
文庫本出してる出版社の本、その最後に書かれてる文章みたい
むしろそんな状態で3年8ヶ月も米軍相手に戦い抜いた日本兵がすげぇ
@@ベルカ公国国家宣伝相 さん、ギリギリだったからね、ただ情報戦が下手くそ、帝都の情報部に勤めていた故藤井鼎氏は『いくら物申しても《それは敵の欺瞞工作だ!》と言う、で、やられた後に、《なんで伝えなかった!》と怒られたよ》 って #ワケワカンナイヨー のトウカイテイオー状態だったらしい
@@ベルカ公国国家宣伝相 『戦い抜いた』のではなく『戦わされた』という方が正しい
敵の捕虜になって帰ってきたら、それを恥だと言って帰ってきた奴を処刑するような軍隊だぞ
@@2990117 というか米軍の優先順位はイタリア≧ドイツ>>>>>>日本だったからあれだけ長引いたと思うイタリアみたいに集中攻撃受けたらもっと早く降伏してたよ
うちの爺様はレイテに行きましたが、勿論帰って来なかった。故郷から一緒に出征した親族達も誰一人帰って来なかったから、どのような最期だったかは全く分からない。それが前の戦争に参加したと言う事ですよ
目を背けたくなるような内容ですが、全ての日本人が「事実」として知っておかねばならない、実に終戦記念日に相応しいテーマでした。
それに付けても主さんの公平性と見識には全く舌を巻くばかりです、凄い。
それと大変個人的な話で申し訳ないのですが主さんに是非デーヴ·グロスマン著の「戦争における人殺しの心理学」をお勧めします、戦争と兵士の心理を解りやすく描いていて、とっても面白いですよ(もう読んでいらしたらご免なさい)
ちょうどCSで「トラ・トラ・トラ」を放送してるので思い出したが、
キンメルの軍歴は1942年3月から予備役となって終了し、現代になって合衆国議会は名誉回復を議決しているけど、大統領は署名していない。
Heinkel氏渾身のこの動画に低評価は解せぬ。
戦陣訓をはじめとして何故そこまで兵が捕虜になるのを嫌ったのか、
嫌うようになって行く過程を知りたいです。
日露戦争当時、捕虜になった兵が簡単に情報を漏らすので対策として
捕虜にならないように仕向けたとか聞いた事があるような。
それならそれでハーグ陸戦条約等を教育すれば事足りるはずなのに
昭和陸軍はしなかった。劣勢でも簡単に降伏させずに戦わせる為なのか。
Heinkel氏のご意見をお伺いしたいです。
ここまで拒否したんだから、何があるでしょ
祖父の兄がビルマ戦線に従軍していたそうで、帰国の途についていた列車の中で病死したと聞きました。帰ってきたのは形見の軍刀のみでしたが、如何に兵士の状態が酷かったかこの動画でよく分かりました。
悪代官牟田口だもんな、あれじゃあアウンサン将軍もブチギレますわな
チャンドラボースも恨みがあっただろうけど、特に言わずに、日本の応援に感謝してソ連行きの飛行機に乗り、墜落して死んだ。
最前線どころか国内でも、兵士の腹を満たす為と食料を持って行かれたかと思えば、輸送船や駆逐艦ごと沈められての繰り返し…これどうやれば生き残れたんやろね…初めて餓死、病死の話を聞いた時はコンビニで買った1個のおにぎりさえ食えんかった…
白骨街道の事は亡くなった近所のお爺さんから聞いたことがあるよ、まあその人は中国戦線だったが、引き上げまでの苦労が大変だった。運良く降伏したあと、捕虜になるのがソビエト軍でなく、話の通じる蒋介石軍閥なのがマシだったらしい
圧倒的軍事力で攻めてくる米軍相手に飢餓と病気では確実に死亡だろ。
それでも生き残った兵士はかなりの強運の持ち主だと思うわ。
生き残った兵士は戦争の悲惨さを訴えている。
尊敬する水木先生もその一人、戦記モノは本当に戦争の悲惨さを訴えているからね。
日本軍の「餓死」とかの話を聞くに、靖国に軍服コスプレしてくる連中の締まりのない体に些か怒りを覚える自分がいる。
理不尽な😅
@@月野雫-y4q
つまり、何も知らずにコスに遊ぶ連中は不敬である。
投稿お疲れ様です。
いつもながら素晴らしい動画ありがとうございます。
日本兵がゲリラになった例があるとは知りませんでした。衝撃です。
分からなくもないですよね。
健全な愛国心だ
この人好き
@@freedom5065
あなたの言う通り、愛国心と批判的精神は両立されなくてはならない、さもなくば人間が国家に飲み込まれてしまいます。
果たして日本人はそれができるのか?悲観論に偏りすぎているかもしれませんが、もう手遅れな気が…
@@臓ピアス 反日精神だけが突出して肥大化しているかその逆の人なら結構沢山いますが・・・
毎回アップを楽しみにしております。
今回も辛口の内容に大変参考になりました。
しかし内容が内容だけにひたすら無念としか言えません。
終戦の日に考えさせられました。
半端なドキュメンタリー等より手応えがありました。
昨日まで天皇陛下万歳を言っていた人間が敗けたとたん民主主義は素晴らしいと平気な顔をして言う。当時の子供たちの目にはそんな大人たちがどのように見えたのだろうか。
小松左京は死ぬまで担任を許さなかったとか
うちの父は学年で一番最初に歴代天皇の名前を暗唱出来たような優等生の軍国少年だったそうで、終戦での手のひら返しにはやはり裏切られたような騙されたような変な気持ちがしたそうです。終戦からこちらずっと狐につままれたような感じが拭えないまま生活してると言っていました。
あまりに凄惨だったんですね、、日本兵は勇敢だった!なんていう人もいますが、背景にはこんな生々しい惨事があったんですね、、亡くなった方々のためにも是非ともテレビとかで流してほしい内容だ(年齢規制入りそうだけど
この状況下で降伏しなかったから勇敢みたいに言うけどね、悲しいよなあ
団体の体裁のために生きるか
己の幸福のために生きるか
捕虜になるのが最終目標のイタリア人が一番賢かったのかもしれない
もちろん、イタリアも人間魚雷(どちらかというと小型潜水艦による帰還も可能な水中破壊工作)を使っていたり、場所によっては決死の覚悟で戦っていたけど
ちなみに、イタリア人もオーストラリアの🇦🇺捕虜収容施設から脱走したが、戦いを継続したり自殺目的ではなく、労働させられていた農場の女の子に一目惚れしたからだという、そのイタリア人は後にオーストラリアで女の子と結ばれて、ワイン畑のオーナーになったという
まあ、イタリアとしては、捕虜になることで相手の軍隊の食料を食べることで兵站を困らす戦術でもあったとか、日本とイタリアの差は今も大きい、日本と違い、バカンス期間長いし、家族を大切にするし、信仰心や郷土愛に強い
まあユリコタイガーはその弊害に苦しむこともあったらしいが
www.vaiandcompany.com/south-australia/cirillo-estate-チリッロ-エステイト/
オーストラリアに行ったイタリア人捕虜については、🇮🇹元々オーストラリアに移民したイタリア系住民が面倒見ていたのもあるかも
そういうの流したら、「ぼくのかんがえたさいきょうのこうぐん」てな脳内大日本帝国が否定されてヒステリーおこして電凸とかする奴がいるからねえ。残念だけど
米軍の戦後の日本軍調査報告書は日本軍は処刑の率も高かったと
日本側の記録では見ないけどあったと思う。 極限を越えている。
というか歩けなくなったら手榴弾で自決せよってのが戦後でも当たり前に戦記に出てくるのはそれが当たり前だと思っているからだと思うと暗然とする。 負傷、病気に何故ここまでリソースを割かなかったのか
なんというか、会津の東條さん、山口の乃木さん、どちらが良かったかというと戦術や戦略で言うと、山口県の軍人の方がうまかった気がする、どうしても、東北の人が指揮すると短期間ならいいが、長期だと失敗する
つまるところ「英霊」なんて言葉は兵隊を生贄に生き残った日本人が臭い物に蓋をするために仕立て上げた言葉で便所の蓋と同じ意味しかないのである
日本から出ていけ
@@User-nh2rj46g 感情論丸出しで笑止千万
@@User-nh2rj46g 戦時資料一文も目を通さないような感情論を厚顔無恥に語る輩は、思考力皆無の典型例。恥を知れ
@@と地天 資料引用して言おうね〜、ちなみに戦時資料で読んだことあるのを教えてちょ?(読んでるならな)
@@と地天
戦時資料読んだら旧軍の無為無能ぶりがむしろよくわかると思うんですが
稚拙なイデオロギーにとらわれ感情論をふりかざしてるのは貴方では?
日露の時はちゃんとデータ残してるのに前の大戦のデータは無い……記録が追い付かなかったのか、はたまた……
敗戦時に焼却された可能性がありますね。
色々酷すぎた日本だけど戦争で亡くなった、戦った兵士には敬意を払うよ俺は
大阪真田山陸軍墓地の「忠霊堂」に納骨されてるご遺骨の死亡区分の大半は大陸・太平洋問わず「戦病死」…つまりは餓死。
かつての古戦場に収められたのも何かの縁なのかなあ
脱走日本兵による生き延びるための日本軍へのゲリラ活動…
何と言葉にすればいいのか、わからない
何よりこんな地獄を他国の領土に生み出したのだと思うと、八紘一宇もアジア解放も気味の悪い冗談にしか聞こえない
ベトナムでは60万人が餓死した。教科書に載っている。
待ってました!
日本兵を一番多く殺したのが米軍でも中国軍でもなく日本軍とかほんと笑える(真顔)
@@User-nh2rj46g 上層部の尻拭う為って書こうと思ったけど拭おうとして人工肛門になったみたいな話だなこの戦争
"海行かば"の歌詞にもあるように、屍ありきの運用もなんのそので兵士も民間人をも使うんだもの
この歌を「第二国歌」とか誇らしげに言う人らが度々見られるけど、とてもじゃないがその考えには同意出来ないね
イジメで兵士を殺し、飢餓や病気で多くの兵士が死んでしまう…米軍との兵力差云々よりも日本軍という組織そのものに大きな問題があったように感じます。
他国にもあるにはあるけど日本は餓死という部分では一際目立つだろうね。未だに軍内部でいじめ問題があるけど、国を守る組織が身内を攻撃するのほんと理解できない…
ロシアでも部下を真冬に裸同然で放置して凍死させるようないじめがあったわね、軍内のいじめは閉鎖環境でストレスも溜まるからとんでもない苛烈なことに発展しやすいんだろうね
日中戦争のころから既にそのような状況だったとは・・・。
昔高校の歴史の教科書か資料集で見たんだけど、日清日露戦争の頃はもっと戦病死者が多かったはず。大半が脚気だったはず。
昭和の頃に見た番組で軍医だったかの人が従軍したニューギニア戦線の現在を訪ねるという番組をやっていました。
通った道は何十年前のままの姿で現在もあり、その一箇所を指さして言いました。
「ここに兵隊がですね、赤痢にやられてしもうてズボンもふんどしも脱いでしもうてクソだらけの下半身を丸出しにしてね、
クソだらけの手に妻と子供の写真を握りしめてですね、死んでおったですよ。」
あまりにもやるせなくて、そんな死に方を人に強要するに足る大義なんて一体何があるんだろうかと小一時間考え込んでしまいました。
衣食足りて礼節を知る……
今も昔も士気のためには飯がいるな
専守防衛ってのは枷ではなく、太平洋と大陸という広大な戦場に向かうのは難しいということも有るかもしれない
今も昔も一番キツイ思いをするのは現場なんですね…中には部下を思ってずっと悔いている人だっているかもしれない
でも、戦争であろうがなかろうが、現場のみに負担を強いる事は多々あるということ
戦後の今だからこそ、こういったことは忘れてはいけないし、分からなかったら考えるということをしていかなければ
ならないんですね とても勉強になりました ありがとうございます
暴力と恐怖は人を従わせる最強の方法!理想や正義は建前に過ぎない。昔の偉い坊さんが良し悪しは時によるって言っているから元々正義や理想など確かなものは世の中に無いのだろう。
それも単なる虚無主義、ニヒリズムだと思うけどね
それでも何が正しいかというのを追求していくのは人が社会を営む上で絶対に必要になることだし
戦争に加えてシベリア抑留までされて生きて帰って来た家の爺さん偉い
美化されていない、素晴らしいレポートです!
とかく日本人は「戦争」に関して思考停止しがちで、「悲惨で苦しいのはイヤ・戦争反対!」とか「先人・英霊のご苦労に感謝!」とか極端にまとめがちですが、
正も負もあわせて学んで行かないと、何もしないで目を背けているだけでは、国の維持は成り立たないといつか自覚しないと・・・
のび太くんが非暴力・無抵抗じゃジャイアンに搾取され放題ですし。「のび太のくせに生意気だ!」「おまえの物は俺の物、俺の物は俺の物」ってセリフ、深いですよ。
最後の締めが頭抱えたくなるほど刺さるんだが
ううう…視聴してて辛くなる内容だぁ。
でも他にはないとても勉強になる動画でした!
良作でした。
日本を誉めあげる昨今の風潮に、薄気味悪さを感じていました。
うちの母方は、クリスチャンだったので、祖父は何でヒトゴロシをせにゃならんのかと、赤紙回避のために、満州鉄道に働きに出ました。(ちなみに、柔道有段者のゴツい祖父でしたw)
その後、日本に戻らざるを得なくなっても、兵役を拒否し続け、非国民と罵られながら、憲兵隊の拷問に耐えながら終戦を迎えました。
日本を守るために散っていった兵隊さんにはもちろん敬意を払いますが
祖父もまた、違う形で戦ったのだと尊敬します。
凄まじい圧力だったろうに……
どんな理由があれ
ヒトゴロシを正当化してはいけない。
大義名分…………そのためにどれほどの犠牲者を出し続けるのか
現代においてのテロもそう。
同じ宗教に関わるものとして、原理主義者には苦虫を噛み潰したような想いです
神の御名において許されるヒトゴロシなど絶対にない!!!
イスラム教は自分ら、カトリックと違って、ラマダンや禁酒など厳格な掟がある
その真摯な神との時間を大切にしようとの方向性は、尊敬に値するのに……
一部の原理主義者の蛮行で台無しだ。
もちろん、女性の権利に関しては、時代の流れに乗っ取り、改善する必要性は感じますが、この地域の歴史、文化が絡むので長い目が必要かもしれない。
すごいお祖父様ですね…
真の信仰者だ
そういう人が、真の「愛国者」なのかも?
1:14
うp主の思想が滲み出ていいねぇ
徹底的なまでに一次資料で固めた思想だから誰も反論できないという....
本当に無敵なら、大谷光瑞氏も絡んだハワイと同時に行ったパナマ運河破壊作戦が成功していた。
皮肉だと思うんやけど
同じしっかりした動画でも、思想を全面的に押し出さない動画もあるからね
(押し出したとしても、もう一方のゆっくりがたしなめている)
th-cam.com/video/x7BGOFDigdE/w-d-xo.html
たった76年前に生きていただけの、同じ日本人が、極限状態に追い詰められれば獣のごとく振る舞うようになってしまうのが恐ろしい。
国のためと信じて戦い、その国に(見)捨てられて死ぬとか死んでも死にきれないよな
これじゃ大東亜戦争自体がスターリングラードじゃねえか
ニューギニア戦線とレニングラード包囲戦はどちらがより凄惨なのだろうか?
やはり民間人を巻き込んでいるレニングラードだろうか?
こういう資料を見ると決号作戦が発動されなかったのは不幸中の幸いと再認識する。
ニューギニアに限ればそうかもしれないけど、フィリピンとかは民間人も巻き込んでますからね…。
ソ連の督戦隊がどうとか言うけど、自国のほうがやばくね?
向こうも飢餓やばいし、粛清だの政策でめっちゃ死なせてるけどさ…日本も戦争という政策でこれだけの人を餓死させたって考えられるよね。他国を馬鹿にする前に鏡をみよう。
中国戦線に行った人が書いた本があるけどそこにも出てたわ、日本軍ゲリラ、抜粋する
歩兵連隊に黒木曹長という小隊長がいたが、あるとき、部活2〜30人を連れて脱走し、国籍不明のグレン隊になってしまった。多分中隊長だか大隊長に酷い目に遭わされたのだろう。(中略)
まるで鼠小僧だ、えれえ度胸のいい奴がいるもんだと思った。抜粋は終わり
衝山という山に拠点があったらしい
これのどこが列強なんだよ アメリカイギリスに遠く及ばない
輸送艦や輸送商船がかなり限られていたから、船の底まで人員を乗せていたから船が沈められると、輸送人員が過密故に犠牲が多かった
いつも動画投稿お疲れ様です。
リクエストなのですが、二式大艇の解説をお願いしたいです!!是非お願いします
レニングラードとどちらがヤバかったのだろうか…
凍った湖から雀の涙ながら補給されてたので、まぁ、うん…でもどっちも大概地獄やろ
時間が経ったにせよ包囲網が解放されたレニングラードの方がまだマシだったかもしれないですね....
おめぇのアイコンが1番やべぇんだよな
圧倒的戦力で包囲された街と軍が同列に語られる時点でどうなの
同じ補給不足、違いはジャングルか凍てつく吹雪か
この動画を小学校社会科の授業で流すべき
最後の〆の言葉も素晴らしい
小学生がみんなトラウマになっちゃう
漫画『ペリリュー』は合計で12巻まで出てたが2巻の後半から7巻あたりまでは米軍とではなく飢餓と戦っていた気がする。もちろんゲリラ戦を中心に展開されたペリリュー島の特徴も一種の理由なのだろうがやはり日本軍の大敵は飢餓だったのかもしれない
捕虜になれば敵の兵站を圧迫出来たのに
敵に負荷を与えよは孫子の昔から言われるのに一面的な思考しか出来ない組織が柔軟な戦闘に耐えないのは必然かと思うと悲しくなってくる
殺されるかもしれないからなぁ
結果論で短絡的に物事を語るべからず
まぁ、殺される可能性もあるけどね。向こうも圧迫されちゃ敵わんって事で殺すやろう。捕虜なんて労働力以外にメリットないし。
@@カステラ-d1z
実際日本兵捕虜は戦後に虐殺されたこともあるしな
アメリカは情報収集のために一般兵でも捕虜を優遇したからな
日本軍時代より捕虜時代の方が食事は充実してたとか…
何回も見ましたが、そう言えば超お気に入りの動画なのに、Thanksしてなかったような・・?
最後のまとめ、全くその通りですね…