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「臨機応変さに欠け、机上の空論に固執する」↑日本軍将校はシュターデンだった?
戦略レベルでは臨機応変やったよ(玉虫色)
シュターデンも軍官僚としては有能だったのでは、現場にいたとは言え。当時の帝国高官の中では何だかんだでメルカッツ提督の次にラインハルトの才能を認めた立場だろうし。ちゃんと嘗ての教え子(ミッタマイヤー)達の才能を評価していましたしね。
水木しげるの昭和史でも、インパールは初頭では成功をおさめて、快調に進撃していたとなってたな
最初から失敗した方が犠牲者は少なかったな。後先考えずに進軍したから後で食い物すらなくなったんだから。
捷一号作戦もそうだけど、この手の芸術的なスケジュール策定で計画通りなら成功するみたいな作戦は絶対成功しないんだよなあ。完璧になるはずがないんだから、全てが計算通りならできるっていう考えになる時点でその作戦は破綻してる。会社のプロジェクトとかにも通ずるものだと思う。
家に帰るまでが遠足じゃないけど、撤退するまでが戦争なんですね。
インパールの牟田口はやたら叩かれてると思ったらこう言った経緯があったのか
これは素晴しい分析。一次資料に当たる大切さがよく分かりました。
航続距離が長い日本機とはいっても隼ハヤブサはかなり活躍したね
2年後から失礼。この話を聞いていると、上からの無茶を現場指揮官が何とか必死に帳尻を合わせようと足掻いている感がありますね。現場としてはできる限りの事はしたけど上からのフォローはなく、負けた時には現場に責任をかぶせて上層部はとんずら。日本人の悪い所が如実に出ていると思います。
インパールが無人の野という想定で計画されたのがインパール作戦なら、英守備軍がいた時点で計画は破綻していました。想定外の事で計画が失敗する事は仕方のない事ですが、問題は臨機応変に対応できず当初の計画のまま攻撃を続けた事でしょう。
オシムやベンゲルは日本人の特徴として、「日本人は実際に起こっている現実から判断をせず、現実と乖離する決まり事に従う」と言っていた。それを聞かされてたジーコは代表監督時代に選手に権限を与えて自主性を高める方向で動いてみたが、そこまで結果は出なかった。臨機応変さに欠け、机上の空論に固執するのは日本人の国民性なのかもしれない。
実態を教えきれない、思い出せない、上下が繋がり過ぎているゆえに生まれる弊害
緒戦から終戦にかけて日本軍と対峙したウィリアム・スリム将軍は、インパールの河辺大将や牟田口中将などの日本軍の日本軍の高級将校について頭が固いと否定的でありましたが、木村兵太郎大将と櫻井省三中将の2名にのみは高い評価を与えていたりします。
なお、木村兵太郎は敵前逃亡して台湾へ…人間の評価って難しいね
@@Delta_4. 台湾への無断撤退は富永中将です。あと木村大将のラングーン放棄は南方軍からの死守勧告を無視したものなので、無断ではありましたが、ラングーン放棄自体はこれ以上無駄な損害を防ぐ点では正しいものであり、また、木村大将は撤退前に現地民に避難指示を出したり、ラングーンからの撤退の命令を作成したりするなど、司令官としてやることはしっかりやっていました。ラングーン放棄の際の大混乱の元凶は田中参謀長をはじめとするビルマ方面軍参謀部が後始末を放棄したり、妨害したことにあります。
木村大将に関しては方面軍司令官として裁量権がありますから、ラングーン撤退自体は敵前逃亡とはいえません。外交官や自治政府などに配慮しなかったことは非難されてもしかたないかと思います。まあ沖縄戦でも県庁との連係はうまくいってませんし、仕方なかったのかもしれませんね。
@@magicuser8654 一応、ビルマ政府首相のバー・モウの護衛のため1個小隊をつけるなどの配慮はあったのですが、たしかに足りていないと言われたらそうかも知れませんね。あとは現地大使館職員や他のビルマ国閣僚の脱出用の車両は手配されていませんでしたしね。ただ、これに関してはビルマ方面軍参謀部の責任であると思います。実際、撤退時の混乱をビルマ方面軍参謀部に求める主張は、元ビルマ方面軍後方参謀の後少佐(ラングーン撤退時には前線指導のため方面軍司令部に不在)や元第33軍参謀の野口少佐、元第215連隊所属の磯部大尉などかなりの数の将校がしているのです。
@@user-vy4ig1tf6d おっしゃるとおり参謀や民政担当の仕事ですよね。米軍は民政部などの組織がしっかりあるんですが、日本軍はその辺の組織があっても権限、人員、ノウハウが十分でないようです。とはいえ部下の不始末は上官の責任だよねと言われてしまうと、どうにもならないかなとも思います。
客観的な分析でとても面白かったです!インパール作戦の見方が少し変わりました!
言っている事は分かるが、そもそも失敗した作戦なんて両軍合わせて大量にある。インパール作戦とムタグチへの批判はその終わらせ方、中止の判断が最大の原因。しかも、おめおめと生き延びて自己弁護に終始した事。そこまでを含めて後生への失敗談になっているってのが事実。軍事作戦として有名な訳では無い。
初めて知る事ばかりでした。ありがとうございました
英軍側から見た評価も詳しく知りたいと思いました。
勉強になります!
日英共にギリギリだったのですね。毎度のことながら詳しい解説ありがとうございます。これを機に自分でもインパール作戦について調べてみようかと思います。
あともしよろしければ参考にした書籍等を教えていただきたいです。
@@f15-fa.k.a2 11:29
チャー研のモブ ありがとうございます。見落としてました・・・
ギリギリだったらこんな惨敗する訳がない日本軍内部からも無謀という声が挙がっていたんだそういった人たちの意見を無視した結果だ
@@akibanokitune 当時の日本軍に余裕のある作戦をしろということ自体無理な話では
やっぱり砲兵は重要なんだなって
マウントバッテン元帥有能。ディマプール失陥は英軍の責任だとしても、その失敗を取り戻すために必要なことをきっちり実現させる。味方というか特に上司にしたいタイプ。
伊達や酔狂で元帥じゃないってことやなあ
全般的に言えるのは、日本軍として退却戦に対する研究が不熱心で、例えば退路の補給基地に予め物資を集積しておくなどの努力が払われなかった。(もっとも前線部隊への補給すらケチらなければならない状況ではあるが)そのため、ポートモレスビー、インパールと、退却時に死者が集中しているのが特徴的。
33師団って第14師団の後備師団だから装備が劣悪かと勝手に思ってたんだけど優等師団だったんですね、宇都宮師管区の兵は優秀だったからなんですかね?
師団固有の部隊の他に野戦重砲連隊2個や独立速射砲大隊、戦車連隊、などが配属されており、当時の日本軍としては破格の重武装兵団となっていましたね。
やっぱり日本の作戦って理想論的な側面もあるな。漸減作戦みたいに。上手くハマればマレーみたいになるけど「上手くいけば」ていう考え方が先行してる感じ
日本軍の作戦は陸海ともに奇策をとりがちなところがありますね。ただでさえ兵站能力が貧弱なのに進撃路を3つにして負担をかけるとか、やはり兵站を軽視と言われても仕方ないかと思います。
沖縄戦での米軍は首里への侵攻が停滞した際に島尻方面への上陸による挟撃を検討しますが、兵站への負担が増大することから上陸戦を実行しませんでした。
なるほど、秀才らしく事前の計画立案は素晴らしいものですね…ただ頭でっかちの悪いところで、その後の柔軟な対応ができていない…
インパールは航空戦から見ると面白いよ。阻止攻撃が徹底されていた頃は日本軍が優勢だったけど対地支援の要請が増えて輸送機狩りに戦闘機を割けなくなると途端に英軍が盛り返してくるという構図。ある意味逆スターリングラード
作戦立案自体は普通に優秀だったと思う。問題はいろいろなしがらみで撤退が遅れたことだねえ。損害のほとんどは退却の判断が遅れたことによるものだし。
ありがとうございます!
たぶん一番有名なNスぺも、よーく見ていると山越え部隊だけでなく自動車中隊が別動隊として動いていたとか、一時的にコヒマを占領に近い状態まで持っていったことも語られているんですが、本当にサラッと、一言レベルですね。牛馬の現地徴発はいつものことと動画で言ってますが、それは事実として各家畜の渡河と山登りの適性は無視していたと思うし、その辺はやっぱり机上の空論ってことなんでしょうかね。
勝ちに不思議の勝ちあり負けに不思議の負けなしこれに尽きるなぁ
野村提督・・・
光文社新書の『牟田口廉也とインパール作戦』を読んでますが、ハッキリ言って分かりにくいです。この動画を作って下さったことに感謝です。
巷で無能無能って言われているヒトも調べれば調べる程意外と考えていたことがよく分かるだからなんか無能って言葉が嫌いになった
武田勝頼とか今川氏真とか
マリアナ沖海戦やフィリピン沖海戦に似てますね。アウトレンジは机の上では合理的だし、空母の囮作戦は実際にハルゼーが引っ掛かってたし。でも失敗した理由は簡単。「緻密で正確な作戦をワンセットしか用意してなかった」点予定外の行動、事態に対しての柔軟性が無さすぎる。これは個人の問題だけでなく日本人全体としての問題。受験エリートが多すぎる
旧日本軍というと、乾坤一擲、背水の陣というような一戦に全てを掛けるイメージがありますね。日本軍の作戦でプランBを用意したものはあったんだろうか。
@@rennya31 リスクヘッジとかダメコンの概念が無さすぎる。あっても職人芸の“なんとなく”肌感頼りで判断する。現場レベルだとそれでもいいかもしれないが、指導者とか高級将校レベルでその発想は論外すぎる。日本人にも論理的思考ができる人材はいたんだよ。堀栄三、大井篤などなど。でもその人材を生かせるためのシステムが構築できない。元々ある枠組みを抜本的に改革できるリーダーがいない。誰もリスクを取りたがらないから結局無難な調停者ばかりをトップに据える。結果ことなかれ主義のなあなあなクソ戦略と人事になる
多く見積もっても1カ月あるかないかの食料備蓄なのに撤退完了が作戦開始から半年後なのイカれてるこれじゃもう撤退する兵士がいなくなったんだろうな
予想外かつ強引な援軍がなければ少ない補給での快進撃で違った流れになったかもですね、牟田口の脳裏にはマレーでの電撃作戦があったのかも当事者だし
行きはよいよい帰りは怖い事前に撤退の方法を煮詰めないことが損害を増やした要因かな、当時の軍人からすると「戦う前から負ける算段をするのか!」と言われそうだが
アントニオ猪木は、軍人には最も不向きだな。
「臨機応変に欠け、机上の空論に固執する。」倒産する会社の社長って、みんなそうだよね。現在の官僚や政治家もそんなのばっか。
バブルが弾ける前に転職しようとしたら「係長にしてやるから残れ、月給5万円上がるぞ」って言うんで残ったら会社潰れたw潰れる一年半前に、「このやり方変えた方が良いですよ」と部長に提案。そしたら部長「このやり方を拡大する方針になった。」俺「それは不味いですよ」部長「もうこないだの会議できまったんだ!」俺の心の叫び「ああ、この会社、あと2〜3年で終わるな」って思ってたら一年半後に倒産wその間俺は次に備えて専門学校に行って技術を習得、卒業直後にうまい具合に会社は精算(もう駄目と判断した社長が倒産前に整理)おかげで残った有給全部使って1ヶ月優雅に遊んで、退職金も5割増。仰る通り、失業保険も直ぐに出てホクホクでしたw
会社整理する説明会の時に社長が「撤退には何倍ものエネルギーが要る」って言うんで私は「だから社長、私があの時言ったじゃ無いですか!」と叫んだのです(心の中で)
会社の社長は完全に同意だが、官僚や政治家はそもそも法律に縛られてるから同列に比較はできない。個人的には考えを変えてても、法律が古いままになってて法改正からしないと変えられないみたいな場合は臨機応変に動けないからね。
要求の2割しか与えられなかったら作戦は中止すべきなのに、それが出来ないから無能なんですよ
その点どうなんですかね陽動作戦が成功して千載一遇のチャンスがある中、それをみすみす見逃せばその後はどんどん強化される英軍に物量差によって押しつぶされるだけワンチャンあるとすれば攻勢をかけて敵の攻勢要因及び攻勢拠点を叩くのみ、という中で今ある戦力でも攻勢に出ざるを得なかったのでは?とも思われますが
@@user-tg8jz1sl8l 元々が余裕のない無茶な作戦である上に、予定より少ない兵力兵站ですから、失敗の可能性が極めて高くなったわけですそこで実行して軍事資源を大量に失えば防衛もままならなくなるジリ貧は元よりですからどっちにしろ八方塞がりではあるのですが、わざわざ兵力を減らすことで連合国に楽をさせるのは失策だと思います
何でも自分で調べないとダメだな。Wikiはあてにならないし、皆が言っている、評価しているから、正しい訳ではないから
勿論そうです。戦後75年経って定説とされていても、実は議論の余地があったり。一次資料に当たり続けるのは難しいですか、なにごとも自分で調べないといけないと思った次第です。
wikipediaは別分野で編集してるけど、閲覧するときは俺みたいな奴が書いてるんだなーって思いながら見てる
結局撤退の判断が早くできてればまだマシだったんでしょうね。
僕もこの動画を見るまでは牟田口は大の無能でその上層部も無能ばかりだったという考えでした。結果だけ見れば最悪の作戦だった、という考えには変わりありませんが。歴史は多角的に色々な方の話を聞かなければなぁ、と感じた。
あれれ、これは勉強になりますね。こんなに英軍も苦戦していたなんて、知りませんでした。しかし、全体をいつも見ない作戦計画でしたね。
グレイトゲームの勝利って感じだなぁ。英米中は意外と連携とれてるのに、日独伊はできてない。日本は本当に孤立していたんだなあ。
そもそもドイツと日本じゃ距離が遠すぎて同盟の意味があんま無い
独ソ戦始まる直前に日ソ中立条約、イタリアはそもそもイタリア軍自体が参戦しても勝てないと自覚してたのにムッソリーニが勝手に乗っちゃって何の準備もできてない、日本はアメリカを起こしてしまう(といってもアメリカも40年中期か41年段階ではもう世論ひっくり返って連合軍と共に海軍運用するくらいにはやる気だったが)。うーん・・・
いろんな見方があると思う。普段言われているイメージの出典が正しいのか、UP主の参考にした出典が正しいのか。
私も同感です。出典が知りたいです。
軽量な先行部隊が拠点を制圧。そのご重装備の本隊が戦線を確保。これってどこかで?空挺と機甲でやったあのマーケット・ガーデン作戦では?
日本軍将校というより、参謀の評価というべきでしょう。当時の日本の国力からすれば、150個自動車中隊の配備なんて無理ですし。それとなんか聞いていたら、既視感を覚えたので何だろうと考えたら、マーケット・ガーデン作戦と似ていませんか?
似てる。それな!!
ほんとにですねぇ
補給的に不可能な見積もりを出して上層部の人たちに「やっぱり現実不可能な作戦である」ことを察してもらうというコミュニケーションがあったのかと邪推してしまいました。
こっちは逆に空輸で助かったと言うなんと皮肉な・・・・・
マーケット・ガーデン作戦はこの後だから、空輸作戦に英軍が変な自信を持ったのは間違いないだろう。
それでも、インパール作戦は杜撰、が言いすぎであれば、計画段階で薄氷を踏むようなものであり、実施したら普通に氷が割れただけ、と思える。そもそも追送補給が前提の作戦自体無謀。しかもその追送補給を受ける師団が全部山越え。つまり追送補給に失敗したら進むも地獄、退くも地獄状態となるわけで。牟田口が要求した増援の2割しか確保できない(牟田口の要求が盛られたものだとしても)という時点で作戦は中止すべき。こんな条件でも作戦を行うしかないほど、帝国陸軍の状態が悪かった、というならそれまでだけど。牟田口一人の責任ではないという点はその通りだと思いますが、牟田口は他にもいろいろやらかしているわけで、陸軍一かは分からないけど、代表的な愚将だと思いますね。
1944年の日本軍に余裕のある作戦をやれってのも無理があるかと…
戦争を振り返る時って当時の日本軍に全ての責任を押し付けるような論調になりがちだけど、きちんと根拠に基づいて慎重に事実を検証していかないとね、本当に歴史に学んで反省する気があるのなら。
「臨機応変さに欠け、机上の空論に固執する」インパール作戦に対する風評もそんな感じがするよくよく調べてみたらもうちょっと柔軟だったっていうね
なんか第三ソロモンのエンプラみたいな綱渡りやな
まぁ後期〜末期日本の作戦なんて全部が全部綱渡りの作戦だから…
1:21 第三十三師団の写真にて先頭に移っているのは(見切れてますが)、まさかあのくろがね四起?
最低の日本帝国軍の作戦。兵站無視の無謀な作戦。今さら、ウソを言っても。
ミイトキーナとミトイキーナってどっちが正しいんですか?
ミートキーナ。より発音に忠実にしたければミチナ(ミッチナ)ですな。wikiにはミッチーナーで出てきた。
ちっちゃいちゃん ありがとうございます!
戦争とは何が起こるか分からないものだな
コヒマとか占領してもその後が続かないよ 補給がないのではどうにもならない 最初から無理があるよ この作戦は
大変勉強になりました。ありがとうございます。インパール作戦が戦後になって、他作戦と比べて突出して辛い評価をされる様になったのは、牟田口氏の人格や作戦指揮を行った当事者たちの責任のなすりつけ合いもあるでしょうが、この作戦が原因でイギリスはインドを放棄せざるを得ない状況に追い込まれ、ドミノ的に大英帝国が崩壊してしまった事も大きいように思われます。イギリスの凋落は、日本の政財界にいた親英派の凋落をも意味します。事実、戦後、親英派は親米派によって駆逐され、日本は親米国家としての道を歩んでいきます。親英派からすれば既得権益を新参者に奪われた格好ですから、インパール作戦という「イギリスを凋落させた原因」を許せる訳がありません。ですので、マイナスの尾ひれが過剰につく事にもなったのではないでしょうか?更に大陸打通作戦という、インパール作戦以上に大規模かつ膨大な戦死者を出し、最終的には戦略的失敗に終わった作戦は、これほどまでに叩かれていません。これには恐らく作戦計画立案者である服部卓四郎氏が、戦後、極めて米側に協力的だった事と無関係ではないでしょう。日本の戦史研究には、甚だしく戦後の政治状況の影響が大きい。この政治的影響を取っ払う事が、正確な戦史研究をする上では不可欠なのだと思います。
客観的な事実に基づく良い動画だった。インパール作戦の評価が低いのは偏に負けたからだ。勝てば神作戦と持ち上げられて牟田口も英雄になっていただろう。歴史の評価はそういったものだ。
マーケット・ガーデン作戦との比較ですかね。
忘れてはならないのは牟田口大将は中将の師団長時代はインパールへの攻勢には反対であり、司令官になってインパールへの攻勢を強硬したのは何かしらの理由があると考えなければならない。今まで適当に本当かどうかもわからない逸話を信じて非難し続けていた人々が本当に思考停止していたのかもしれない。
魔理沙と霊夢の表情を変えてくれればよりリアルな解説になると思われるがww。
昭和十八年、自由インド仮政府樹立、大東亜会議インドから撤退できない空気を前年に作っている
NHKではインパールには到達すら出来なかったって書いてあったけど結局どっちが正しんだ?
素晴らしい分析動画です。インパール作戦と牟田口軍司令官へのイメージが変わりました。
臨機応変さに欠け、机上の空論に固執する。この評価は現代の日本にも当てはまる場面がとても多いように思う。日本側からすれば過去の成功体験に裏打ちされたものであるから、尚更だと。
インパール作戦の支作戦、第二次アキャブ作戦と同じ経緯をたどってインパール作戦は敗北する。インパール作戦の陽動だった第二次アキャブ作戦は日本軍が英軍の包囲を完成させ、従来の常識なら日本軍の完勝だが包囲された英軍は航空支援によって補給を得て堅固な防衛陣地を守り抜き、迅速な機動を行うために十分な食料弾薬を持たなかった日本軍は補給不足で敗退する。敗北が2月の下旬。この敗北後の3月にインパール作戦は開始される。最初順調なのは第二次アキャブ作戦と同じで、英軍が航空支援で十分な補給を得て、補給物資の少ない日本軍に勝つという流れ。第二次アキャブ作戦では補給不足と人員の消耗により戦闘継続できなかった主力の連隊が命令無視して撤退し、戦線崩壊し日本軍は敗北するが作戦開始から二週間強で、独断撤退したから、インパール作戦のような悲惨なことにならなかった。インパール作戦の縮図のような第二次アキャブ作戦の顛末を知りつつインパール作戦は行われた。この動画も随分色眼鏡で解説されている。
残念ながら「インパールはアキャブと同じように失敗した」という理論は成立しません。第一にインパールでは軍民15万人が包囲されており、これに必要な物資は1日あたり5000トン。アキャブの英兵とは比べ物にならないほど大量の物資が必要とされていました。第二に包囲下の4月4日には整備されたインパール飛行場及びパレル飛行場が砲撃に晒されることとなり、未舗装で水没の可能性が高いツリハル、カングラ、ワンジン飛行場に分散することを強いられています。地上軍により着陸と物資の積み下ろしが阻害されているわけです。最後に第五飛行師団の進出です。4月初頭には飛行第五十、二百四戦隊の隼がインパール上空に進出してC47を撃墜ないし妨害し始めました。地上軍による妨害、航空兵力による妨害を受けつつ莫大な物資を供給しなければならない。いずれも第二次アキャブ戦には存在しなかった要素です。インパール包囲戦と第二次アキャブ戦には一見「包囲下の部隊が空輸により耐え切った」という共通点が見出せそうに思えますが、規模やそれらを取り巻く環境が違いすぎるので同列に語ることは不可能ですね。
@@heinkel3614 さんへ別に空輸によってインパール作戦で英軍が補給を満たして、日本軍の攻撃を耐えきったとは思っていません。補給を軽視し、弾薬食糧も十分に持たない日本軍は航空支援を受けていた英軍を短期で攻略できず、敗退した、ということを言ってるつもりです。日本軍が奇襲をかけることを英軍が当初予想できなかったように、英軍がすばやく要地を占領確保することも日本軍は予想できなかった。そして日本軍は連合軍の航空支援により補給されることは第二次アキャブ作戦で理解し予想できたのに、その対策を怠り、軽武装食料弾薬僅少の部隊を送り込んだ。長期戦になれば補給で苦しむことが予想できたのに、その対策を立てなかった。作戦の基本的な欠陥が第二次アキャブ作戦で露呈していた、と言いたいんですよ。
そもそも包囲ってどの程度の厚さだったんですかね?地図上では包囲していても実際は重火器のない大隊規模の歩兵でなんとか退路をおさえこんでるなんてこともあるわけで…例えばこの動画でさらっと流されてる英第17軽師団の包囲も実際に退路を断ったのは歩兵第 215 連隊のⅠ大隊とⅢ大隊だけで、しかも脱出を図る第17師団とインパールからの増援部隊に挟まれてすり潰されてるんですよね包囲したはいいものの退路を遮断した部隊が少なすぎるってパターンがインパール作戦の部隊運用では多発してるようにみえます地図の上に矢印は一瞬にして引けても実際そこを進むのは重い武器・弾薬・糧食など携行した生身の人間だということを牟田口中将は失念していたのではないでしょうか?「包囲下の英軍が耐え抜いた」ではなく「包囲した日本軍の戦力が余りに脆弱だった」が本質に近かったのでは
大本営に要求した輸送手段がわずか2割しか充足されず、高山が連なるアラカン山脈を駄馬と駄牛で輸送に切り替える。この時点ですでに作戦の破綻は約束されていたといえる。輜重・兵站の軽視が作戦失敗の主因なのだ。それを駄馬駄牛による運搬は当時としては一般的だったと片付ける姿勢には全く賛同できない。
1945年8月のポツダム宣言受諾から米軍が進駐して来るまでの間、軍上層部の命令により、膨大な量の「機密文書」が焼却処分され、文書に記載されていた事は無かったことになりました。それ故、公式記録ではなく、検閲されていない体験者の手記や新聞の投稿等から「戦争の真実」に迫ることが必要ではないだろうか?
秦郁彦氏でさえかなり批判的ですからねw ノモンハンも今では再評価が進んでいる ただ辻の起案についてはやっぱりレベルが低いとしかいいようがない 童貞将軍植田司令の作戦への危惧が正しかったとは戦後になって辻自身も認めている
うちのひいじいさまはビルマから帰ってきた騎兵(馬に乗ってたらしい)だと母親が祖母から聴いていたのですがそれくらいしか詳しいことが分かりません。いつか調べてみたいです〜。
良くまとめられていて、凄くためになりました!作戦の失敗は牟田口だけの問題じゃないことはよく分かったのですが、腑に落ちない点もあります。ちょっと長文になります。解説にあった「臨機応変さに欠け、机上の空論に固執する」まさしくその通りだと思いますが、疑問もあります。仕事をする上で行程表を作る方はいると思いますが、作った行程表を確認し、クリティカルポイントあれば、影響度合い、期間に余裕はあるのか、人員は足りているのか、等を考え、マズかったら必要な措置を「事前に」講じるものと思います。軍事作戦ともなれば相手もいることから「想定外」は起こりえると思いますが、そういったことは「机上で想定」しないのかな?その上で次善の作戦を策定しないのでしょうか?例えば、①作戦目標を変更する②このまま進める③作戦を中止する と言ったことを損益分岐点を立てた上で用意しておくものだと思うのですが軍事作戦は違うのかな?何が何でも当初の予定に固執し、できなければならないと言う考えにとらわれ、打開策はマンパワーに頼ると言うのは、典型的なブラック企業の思考ルーチンだと思います。日本軍士官はエリート集団のはずなのにちょっと想定が甘くないかと思ってしまいました。
これは日本陸軍に限らず独伊や連合国による一部の作戦にも言えるのですが、長期的な戦略に基づき策定された計画ではなくある時点での局地的な形勢に応じて即興的に立てられる計画で軍事行動が起きる、というのは結構ありましてこういう場合は「次善の策までじっくり計画を練ってから行動する」より「状況が変化して我が方が優勢を失い不利になる前に速攻する」ことが軍事の世界では大抵優先されます。孫子に「故に兵は拙速を聞く、未だ功の久しきを覩ざるなり」とありますように戦争はさっさと終わらせた方が良いのですこのように速攻を志向して大成功を収めた例がナチスドイツのフランス侵攻で、WW1で4年かけて倒せなかった仏を1か月ちょっとで倒してしまいました当然ながら失敗例も多くインパール作戦もその1つであり、連合国では第二次ハリコフ戦のソ連軍が即興的な計画で負けた良い例と言えると思いますその中でも日本陸軍は日本特有の事情(乏しい国力のため長期戦は不利、それ故の精神論と攻勢主義、組織文化等)で負ける時は悲惨な負け方をするのです
「必要な措置を事前に」講じてはいたと思いますが、牟田口の必要要求部隊を二割しか送らなかった時点で、牟田口も先に起こるであろう事態をある程度想定していたと思いますよ。二割しか送らない割には、大本営で地図だけを見ながら作戦内容・開始日を決めます。人員は足りてなくても「牟田口」が指揮をすれば大丈夫だし、想定外も解決するだろうと思ったのでしょう。①はインパールがあの地域の主要道路執着地点で変更は難しい③の中止は自身の進退問題を解決しようとした東條首相の肝入りの作戦で、皇道派の派閥に属している牟田口としては上の命令を無下にはできませんし、自身の出世に響いてしまいます。不思議なものですが、兵士の命よりも自身の出世が気になる士官は多くおりました。(インパール作戦に反対した幕僚はたくさんいましたが、東條の腰巾着の人事により全て左遷しております。)牟田口として出世や上司からの期待を裏切らない為には②しかないです。インパール作戦後も予備役にはなりましたがすぐに士官学校長になっています。エリート集団であるが故の派閥組織があり戦争をしているのに終戦の最後まで派閥組織の争いに終始しておりますね。
Akihira Azuma インパール作戦が東條肝いりの作戦って、東條大将インパール作戦が参謀本部にて決定されたとき陸軍大臣で作戦立案に関わってないんだが。あと、東條大将自体はインパール作戦を不安視してて、陸軍大臣のとき、インパール作戦の予算を下ろすよう参謀本部から督促されたとき、制空権や補給に問題があることなどを指摘してそれは大丈夫なのかと参謀本部に言ったんだけど、参謀本部はろくに確かめもせず大丈夫と言って、東條大将は政務側の軍人なのでそれ以上は聞くことができず最終的には認可した。東條大将が現状の打開のため攻勢作戦を必要していたことは事実だけど、インパール作戦に関しては慎重でしたよ。ただ、作戦終結を遅らせてしまった元凶の一人であることは間違えないんですけどね。
インパール作戦に反対した幕僚の一人としてよく稲田正純が挙げられるけど、この人が南方総軍参謀副長の座を追われたのは、インパール作戦に反対したからではなく、タイ国境の策定の際に、中央からの命令を無視して勝手に国境線を策定したことが原因です。
@@user-vy4ig1tf6d ありがとうございます。チャンドラ・ボースとの絡みで東條にとってインパール作戦は必要なモノだと思っておりました。
要求の2割しか補給が来ない時点で作戦は崩壊してんじゃん・・。それでも決行したのは誰なんですかね。
それなんですよ。 だからこの「作戦」は最初から成立していません。
2割ってひでーよ
でもここで決行しなきゃ対米英反攻作戦の糸口となりうる千載一遇のチャンスが消えていくのを指をくわえて見過ごすことになりますからね日本としては多少きつくても反攻作戦をしないと物量差でじりじりと負けに向かうだけですし
決行したのは大本営だな(正確には参謀本部作戦課長の服部)なんでもかんでも牟田口のせいにはならんよ
@@user-cu6il3jq2e 牟田口 方面軍 大本営という馬鹿の3乗ですから
これを見ると日本軍は勝てたと錯覚するだろうが、陸と空の立体作戦が出来た連合軍とそれが出来ない日本軍の比較など兵站から見てお話にならない。兵站なしの戦争は何とかなるレベルではない。陸軍の航空支援も実際にはないに等しい機数しか稼働できなかった。もしつばぜり合いで対等なら、こんな結果にはならない。死んだ人からコメントを貰うわけにはいかないからこのような見方もされるのだろうが、意見を言えぬ死んだ兵士の数を無視した評価はできないはずだ。
飛行第5師団の戦力は3個飛行隊、つまり70機程度の戦力はいましたよ航空戦力が互角だったのは飛行第5師団の拠点であるミイトキーナが占領されるまでですからね航空支援が封殺されてからは当然英空軍の独壇場で、よく聞くインパールの敵航空機が~の話題は日本軍の航空支援が瓦解した後のことですね
なるほど戦いってのは一方的なものじゃなくて双方の側から見ないと真実は見えてこないのの見本みたいな戦史ですね‼️英軍もそんなにギリギリやったなんて初耳でした‼️インパール作戦は確かに無謀に近いけど全く不可能ではなかったんですね‼️
始まる前から兵站でも諜報でも戦略レベルで英国に負けてるのだからやっぱり無能初期の優勢で評価されるべきは前線の部隊の努力
当時の日本の国力にイギリスレベルの兵站と諜報を求める方が酷なのでは…
日露戦争では総力戦でヨーロッパでも諜報戦を行っていたのにWWⅡでは愚かな作戦指揮でたくさん殺されましたね。何時の世もばかの大将敵より怖い だと思います。
@GTR 33 チート国家アメリカの援護をお忘れで?マウントバッテン元帥の強硬手段もアメリカの航空機あってのものだしそれに日本だって主戦場は太平洋と中国なんでインド方面の軍はそれらに比べれば力も入れてないのは明白ですし
@GTR 33 仮にインパール作戦をやらなかったところで、連合国の物量に押しつぶされるのが目に見えてるんだから、先に敵の攻勢要因を叩くのは立派な防衛行動では?しかも成功すれば最後の援蒋ルートも遮断できて手を焼いてる中国軍も弱体化するというオマケ付き防衛のために攻勢かけて敵の戦力を削ぐのはあのロンメル将軍もよく使った手ですし
@GTR 33 植民地英軍は弱体化してたので、太平洋、中国、インドの3方面の内インドを撃破すれば戦線が一旦太平洋、中国の2方面に減ってしかも中国は弱体化するのでその方向で行ってもいいのではないか、と思ったんです3方面抱てて厳しいなら多少他の戦線から戦力を引き抜いてでも1つの戦線を潰し、他の戦線では遅滞戦闘で時間稼ぎして前述の潰した戦線から後に兵力を呼び戻して巻き返す、とまあ当時の日本の輸送能力的に厳しいし巻き返す軍艦も無いのは承知の上ですが、3方面に兵力分散させてジリジリ押し込まれるよりかは良いのではないでしょうか?
大前提である「無人の野」を偵察したり空輸を阻止したりするために必要だった『初期』時点に何もできなかったのだから、制空権論争は半分くらい意味がないと思いますよ。他所でも「なんか重装備の海兵隊員いっぱいいるわー」とか「敵空母一隻多くね?」なんて話があったし、組織としての情報収集および処理能力も悲惨すぎませんか。
二週間前に突然空輸された兵力を察知しろってのが大概無茶。インパール作戦自体は十分な情報収集の上で二ヶ月前から始動してるわけで日本軍がどうというより一週間半で空輸路を復旧させた英軍の功績でしょ
まぁ当時はどの国もガバガバな情報伝達ミスをやらかしてるので...
イナゴ大福さん群馬県(烈)・山梨県(祭)・静岡県(弓)から進撃して上越市と松本市を攻略する規模の戦域を、ハ号作戦終了後一ヵ月間も敵が再編成なしで放置するという想定の方が怖いんですが・・・
Oden Master さんまず「一ヶ月も」っていう認識から改めてね。戦略ゲームじゃあるまいに作戦行動中の一個師団(約7000〜10000人)を1日2日で再編+移送なんてできるわけないでしょ。ただでさえ道路状態の悪いビルマで、14軍主力はアラカンに、第4軍はゴウハティにいたんだからイギリス自体の空輸能力はパンク寸前だったし陸路使って一ヶ月で展開される程度の兵力相手なら十分な戦える編成だったんだよ日本軍は。ハンプ越えで手一杯の米軍が一週間足らずで30機も輸送機をイギリスに貸し出すとこまで予測しろなんてエスパーじゃなきゃ無理だね
情報収集できなかったことを問題視せずに「仕方なかった」と開き直ってしまう人がいるのは、実にまずいと思いますね。今も昔もそんなだから、状況の変化に合わせて対応(撤退も含む)することができなかったのだろうとは思えますが。
インパール作戦は最初から破綻していたという訳では無いのは知っていたが、こんなエピソードがあったのな…ごめんな牟田口
事実は根性出して頑張った英軍となんか決め手をかく半端な攻め方で勝機を逸した日本軍か...。通説とはだいぶ違う話だな
キ〇ガイ→普通の無能くらいに牟田口さんの評価が上がったw
補給面から考えると、日本側は最初から破たんしている。インパールに進出するならインパール方面への鉄道・道路の敷設は必要だが出来ていないし、戦線が拡大したコトにより、全体の輸送能力が足りていない。インパールを押さえても、インパールへの補給をどうするんだ?英印軍はラバ、自動車、鉄道といった輸送手段を持ち、西海岸のボンベイといった港湾から荷揚げされた物資を輸送できる。日本がインパールを押さえて英印への出血を強要してもレド公路が出来たりハンプ越えが強化されたら、強化された中華民国軍に後ろから刺される。
大陸打通作戦が成功かどうかは、個人的にはかなりの疑問がある…w
戦術的には成功戦略的には失敗
それでも、「命令を出して責任を取る」のが職務である責任者が責任を取らない、責任逃れをする、責任を人のせいにするのは、徹底的に糾弾し非難し批判するべきだと思う。牟田口に限らず、いま現在の民間の企業の、人間として見たらゴミみたいな上司についてもね。そういうゴミにならないように生きていきたいよね。
本当に面白かった!陸軍参謀本部の肩を持つわけではないけども、日本軍指揮組織全員アホ説みたいな、昭和の馬鹿げた情報を更新して、こうした令和らしい最新のリサーチで正しい歴史を学びたいものです。その意味で古峰文三氏の航空戦史は名著ですよね。
うーん冷静に見ても、敵の物資を鹵獲出来たり、序戦はあくまで局地戦が偶然上手くいっただけにしか見えないな。大量の支援物資を前提とした作戦なら、その横車を押すのも高級将校の仕事だろうし、物資が確保できない時点で戦術レベルでは早晩破綻する可能性は予見出来たんだから作戦を見直す必要があった。「牛を徴収したり頑張りました」じゃ擁護できない
かと言ってできるだけのことをして突撃しないとハ号作戦が作った千載一遇のチャンスをみすみす逃すことになり、その後は物量差が開く一方で押しつぶされるだけどっちにしろ厳しい戦場ですね
牟多口は開戦時は、最も有能な指揮官の一人であったと思う。インパール作戦も負け戦になった時の対応さえしっかりしていれば、ここまで酷評されることはなかったと思います。
そりゃ、陸大卒だもん
なに言ってるんですか!武器弾薬、食料の補給がほとんど無いんだから、無謀な作戦であったことに変わりありません。
「時間をかければ安全かつ兵站を十分に維持しつつインパールへの補給が可能だった」って動画内でも言われてるんですがそれは
日露戦争の時の様に兵站を確保せずに悪路を行軍する作戦は無謀でしょう。無田口が考えたのは攻勢のみで、その作戦が失敗しないと言う信念?以外無いですから。
インパール作戦と対米戦争全体には類似点があって、どちらも目標を早期に達成することを前提に無理目な計画を立て、当てが外れて敗色濃厚になった後も(無駄な)戦闘を続け無駄な犠牲を出し、敗戦処理が遅れてる。この都合の良いことしか考えない病理は現代日本にも脈々と受け継がれているようで、原発事故時の「想定外」という言葉になっている。
太平洋戦争というか対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案では、極力米軍と交戦することを避け、植民地軍を叩き、戦争遂行の資源を獲得後、西進し、イギリスの補給を断ち、イギリスを戦争から離脱させることでアメリカの継戦を諦めさせるというものですから、無理なものではないですよ。実際、初期は順調にことが進んでいましたから。太平洋戦争が悲惨なものとなったのはアメリカやイギリスのように国家戦略を統一する機関が無かったことから、海軍と政府、陸軍の戦略を統一できなかったことにあります。また、終戦が遅れたのも、国家戦略を統一する機関がなかったからです。また、失敗を想定していない言われていますが、そもそも太平洋戦争自体日本が追い詰められてのものであり、(原因は日本の自業自得ではあるんだけれども)それ以外に方法がなかったのですから、失敗したことを考えていないという批判は少しズレていると思います。インパール作戦ではもし作戦が失敗した場合、5月ごろに撤退することが考えられていましたが、牟田口中将や河辺中将が失敗を認める道徳的勇気に欠如していたため、凄惨な結果となってしまったのです。戦後日本は、内閣総理大臣のもとに自衛隊が存在し、国家戦略を統一する機関ができました。今に至るまでにかなり改善したと思われます。太平洋戦争やインパール作戦の失敗は、当時の国家機関の欠陥によるものが大きいです。なんでもかんでも失敗の原因を、日本人の性質とするのはかなりズレた考えだと思います。
「臨機応変さに欠け、机上の空論に固執する」って今の日本企業文化もなんだよなあ(鬱 方針転換を主張する事は日本ではタブーぽい。何も変わって無いな。。。
政治的に見ても牟田口を擁護することはできない。自分が反戦ミリヲタであるという立場は放棄しても同じ結論になるだろう
インパールを占領しても維持できたのでしょうか?
無理に維持する必要はありません縦深防御のための距離確保ができ一時的に援蒋ルートを遮断できる=中国軍の活動が弱まる、ついでに一号作戦の揺動にもなる、とだけ見てもインパールに到達して無理に維持する必要は無いでしょう仮にインパールを一時的にでも確保できれば雨季では英軍も無理に攻勢には出られず、連合軍お得意の航空支援も雨季の悪天候で思うようにできないでしょうし
@@user-tg8jz1sl8l コメント有難う御座います。攻勢防御でしょうか?確かに重要なご指摘です。実際に英印軍も1万余の被害を出しています。そうなると問題はインパールの占領→インド侵攻ではなく英印軍に損害を与えた上でマンシュタインの様に柔軟な撤退と攻勢を織り交ぜて戦いの主導権を握るこの様な戦略が日本に考えられたかが大事です。
とても面白く、インパール作戦は100%誰がどう見ても失敗確定の作戦ではなかったと言うことですね。これはあまり知られていないことだと思います。ありがとうございました😊ちなみに動画で出てくる英軍の正確な部隊名称としては英第2歩兵師団やインド第4軍団そして英空軍第221航空団だったと思います。
作戦自体の合理性を説明するものが皆無でしたので良い勉強になりました。太平洋戦争は日本が一方的に虐殺された内容のものが巷に溢れていますが諸外国も多くの戦死者を出している。もっと日本軍の頑張りを説明する動画があってもいいと思います。
皇軍って当時使ってないんじゃないかな。国軍ではない?小説引用からだと思うが少し気になりました
そとそも援奨ルート遮断が目的なら、航空戦力で参道を爆撃すれば良いでしょ
日本の航空機生産力と運用能力で出来ると思います?ドイツでさえ出来なかったのに
精密誘導ができない当時の爆撃でそこまで効果を出せたとは思えんな。
そもそも陸軍航空隊は空襲で壊滅主力の陸軍航空隊は中国戦前とフィリピンと本土防空隊インドの航空隊は数も連度と燃料もないそもそも爆撃機はもっと無い。
インパール作戦についてほとんど知らなかったけど大体想像通りなの草
大本営や当該軍の司令官などの責任について触れないというのは、あまりにも酷い動画だ。東条の責任転嫁や牟田口司令官の人間性の酷さが招いたと言って過言ではない大失敗作戦は、その酷さを後世にまで語り継がなければならないのに。
アメリカすら脅すとは…イギリスがイギリスしてらっしゃる
キングがイライラするやつ。これに始まったことではない。
冷静な分析、すごく面白かったです。国営放送局の特集なんかと全然違う印象ですねー
NHKは国営ではなくて公営放送局だよ。BBCは国営だけど
ジンギスカンはラム肉だろ、
計画初期段階で想定と違うことが起こった時点で作戦失敗として、雨季になる前に撤退判断できれば、良かったんでしょうけど。少なくとも雨季までに撤退できる時期に判断できていれば、牟田口中将は無能呼ばわりされていないと思いました。
1 想定と現実が違う2 それに対処できない3 部下に責任転嫁こんな上司いやですよね。命がかかった現場で。
当時の生存者の証言では現場の部下(師団長)の方でも連絡や連携が取れておらず、ある部隊は命令通りに続行、ある部隊は続行不可能だとして停止、ある部隊はやはり続行不可能だとして戦線から下がる...となってたとか。戦闘に移行するまでの移動中も悲惨だったようですから、士気が上がる筈もないですし、上と下の板挟みで師団長は精神的に相当追い詰められていたでしょう。原因は作戦立案段階で、インパールまでルートがあるといっても雨季でなくとも泥濘も多い山越えで、ジャングルに道などないということを想定できていなかった事。先に移動していた英軍の3000人規模の部隊は少数精鋭で精々獣道を移動していた訳ですが、師団規模の部隊にそこを移動させようとしていた訳です。偵察機以外で事前のルート確認をやったのか、やったとしてそこを大人数で通過する想定をしたのかも疑問です。当然、目の前が樹木で塞がり急斜面や崖もあり、徴発した牛なんかもすぐに潰れ、すぐに重い物資も背負って、極端な話、場所によっては僅かな距離ですら何百、何千単位の人数が1列になって何時間も掛けて徒歩で通り抜けるしかない訳ですから。悪路で移動に想定外の時間が掛かり、ただでさえ要求に足りていない物資も特に食料が不足し、完全に事前準備不足という事に。かと言って、森林内を移動中でどこに居るのかも分からない部隊へは空路での物資投下も無理筋で、数十~数百m離れただけで、投下された場所へ行くにも一苦労な地形がまた邪魔をする。という訳で、事前準備物資も不足なら追加補給も増援も実質無し。作戦の想定が事実上も結果的にも戦闘以前に机上の空論ではあった訳ですが、現実と想定の差は現場でしか分からず、それも決定的な失敗になる以前は上層部に伝わっても無視され、失敗になりそうな段階でも計画修正できる柔軟性も無く、完全に失敗してから損失に慌てる。一個人というより、それが日本の組織の体質だった訳です。
いずれにしても、作戦を開始する無能、作戦を中止できない無責任、作戦を省みることができない無恥。
続けて投稿します。「インパール」「全滅」「コヒマ」名前は忘れましたが地図で見る船上も読みました。前2作は著者の思想の可能性もありますが、前線の実態を表していると思います。後2作も英印軍の苦境を示しており、彼らにとっても薄氷を踏む思いだったでしょう。しかし前線の苦闘へ後方から どれだけの支援を送れるかは英印軍に対して日本軍には後詰が無かった。これではノモンハン戦の方が ましと言うものでしょう。作戦目的自体、攻勢防御によるインパールの占領なら、占領後の維持が重要ですが、占領し続けるには兵力と補給物資が必要です。これでは防衛面積が増えて、兵力の分散に繋がる恐れもあったでしょう。実際にはインパールの敗北により貴重な兵力を失い、ビルマ防衛に支障をきたした事は否めないと思います。
武器もなくなり、石を投げて闘ったという状況が全てを物語ってる
「臨機応変さに欠け、机上の空論に固執する」
↑
日本軍将校はシュターデンだった?
戦略レベルでは臨機応変やったよ(玉虫色)
シュターデンも軍官僚としては有能だったのでは、現場にいたとは言え。
当時の帝国高官の中では何だかんだでメルカッツ提督の次にラインハルトの才能を認めた立場だろうし。
ちゃんと嘗ての教え子(ミッタマイヤー)達の才能を評価していましたしね。
水木しげるの昭和史でも、インパールは初頭では成功をおさめて、快調に進撃していたとなってたな
最初から失敗した方が犠牲者は少なかったな。後先考えずに進軍したから後で食い物すらなくなったんだから。
捷一号作戦もそうだけど、この手の芸術的なスケジュール策定で計画通りなら成功するみたいな作戦は絶対成功しないんだよなあ。
完璧になるはずがないんだから、全てが計算通りならできるっていう考えになる時点でその作戦は破綻してる。
会社のプロジェクトとかにも通ずるものだと思う。
家に帰るまでが遠足じゃないけど、撤退するまでが戦争なんですね。
インパールの牟田口はやたら叩かれてると思ったらこう言った経緯があったのか
これは素晴しい分析。一次資料に当たる大切さがよく分かりました。
航続距離が長い日本機とはいっても隼ハヤブサはかなり活躍したね
2年後から失礼。
この話を聞いていると、上からの無茶を現場指揮官が何とか必死に帳尻を合わせようと足掻いている感がありますね。
現場としてはできる限りの事はしたけど上からのフォローはなく、負けた時には現場に責任をかぶせて上層部はとんずら。
日本人の悪い所が如実に出ていると思います。
インパールが無人の野という想定で計画されたのがインパール作戦なら、英守備軍がいた時点で計画は破綻していました。
想定外の事で計画が失敗する事は仕方のない事ですが、問題は臨機応変に対応できず当初の計画のまま攻撃を続けた事でしょう。
オシムやベンゲルは日本人の特徴として、「日本人は実際に起こっている現実から判断をせず、現実と乖離する決まり事に従う」と言っていた。
それを聞かされてたジーコは代表監督時代に選手に権限を与えて自主性を高める方向で動いてみたが、そこまで結果は出なかった。
臨機応変さに欠け、机上の空論に固執するのは日本人の国民性なのかもしれない。
実態を教えきれない、思い出せない、上下が繋がり過ぎているゆえに生まれる弊害
緒戦から終戦にかけて日本軍と対峙したウィリアム・スリム将軍は、インパールの河辺大将や牟田口中将などの日本軍の日本軍の高級将校について頭が固いと否定的でありましたが、木村兵太郎大将と櫻井省三中将の2名にのみは高い評価を与えていたりします。
なお、木村兵太郎は敵前逃亡して台湾へ…
人間の評価って難しいね
@@Delta_4.
台湾への無断撤退は富永中将です。あと木村大将のラングーン放棄は南方軍からの死守勧告を無視したものなので、無断ではありましたが、ラングーン放棄自体はこれ以上無駄な損害を防ぐ点では正しいものであり、また、木村大将は撤退前に現地民に避難指示を出したり、ラングーンからの撤退の命令を作成したりするなど、司令官としてやることはしっかりやっていました。ラングーン放棄の際の大混乱の元凶は田中参謀長をはじめとするビルマ方面軍参謀部が後始末を放棄したり、妨害したことにあります。
木村大将に関しては方面軍司令官として裁量権がありますから、ラングーン撤退自体は敵前逃亡とはいえません。外交官や自治政府などに配慮しなかったことは非難されてもしかたないかと思います。まあ沖縄戦でも県庁との連係はうまくいってませんし、仕方なかったのかもしれませんね。
@@magicuser8654
一応、ビルマ政府首相のバー・モウの護衛のため1個小隊をつけるなどの配慮はあったのですが、たしかに足りていない
と言われたらそうかも知れませんね。あとは現地大使館職員や他のビルマ国閣僚
の脱出用の車両は手配されていませんでしたしね。ただ、これに関してはビルマ方面軍参謀部の責任であると思います。
実際、撤退時の混乱をビルマ方面軍参謀部に求める主張は、元ビルマ方面軍後方参謀の後少佐(ラングーン撤退時には前線指導のため方面軍司令部に不在)や元第33軍参謀の野口少佐、元第215連隊所属の磯部大尉などかなりの数の将校がしているのです。
@@user-vy4ig1tf6d おっしゃるとおり参謀や民政担当の仕事ですよね。米軍は民政部などの組織がしっかりあるんですが、日本軍はその辺の組織があっても権限、人員、ノウハウが十分でないようです。とはいえ部下の不始末は上官の責任だよねと言われてしまうと、どうにもならないかなとも思います。
客観的な分析でとても面白かったです!
インパール作戦の見方が少し変わりました!
言っている事は分かるが、そもそも失敗した作戦なんて両軍合わせて大量にある。
インパール作戦とムタグチへの批判はその終わらせ方、中止の判断が最大の原因。
しかも、おめおめと生き延びて自己弁護に終始した事。
そこまでを含めて後生への失敗談になっているってのが事実。
軍事作戦として有名な訳では無い。
初めて知る事ばかりでした。ありがとうございました
英軍側から見た評価も詳しく知りたいと思いました。
勉強になります!
日英共にギリギリだったのですね。毎度のことながら詳しい解説ありがとうございます。これを機に自分でもインパール作戦について調べてみようかと思います。
あともしよろしければ参考にした書籍等を教えていただきたいです。
@@f15-fa.k.a2 11:29
チャー研のモブ
ありがとうございます。見落としてました・・・
ギリギリだったらこんな惨敗する訳がない
日本軍内部からも無謀という声が挙がっていたんだ
そういった人たちの意見を無視した結果だ
@@akibanokitune
当時の日本軍に余裕のある作戦をしろということ自体無理な話では
やっぱり砲兵は重要なんだなって
マウントバッテン元帥有能。ディマプール失陥は英軍の責任だとしても、その失敗を取り戻すために必要なことをきっちり実現させる。味方というか特に上司にしたいタイプ。
伊達や酔狂で元帥じゃないってことやなあ
全般的に言えるのは、日本軍として退却戦に対する研究が不熱心で、例えば退路の補給基地に予め物資を集積しておくなどの努力が払われなかった。(もっとも前線部隊への補給すらケチらなければならない状況ではあるが)
そのため、ポートモレスビー、インパールと、退却時に死者が集中しているのが特徴的。
33師団って第14師団の後備師団だから装備が劣悪かと勝手に思ってたんだけど優等師団だったんですね、
宇都宮師管区の兵は優秀だったからなんですかね?
師団固有の部隊の他に野戦重砲連隊2個や独立速射砲大隊、戦車連隊、などが配属されており、当時の日本軍としては破格の重武装兵団となっていましたね。
やっぱり日本の作戦って理想論的な側面もあるな。漸減作戦みたいに。
上手くハマればマレーみたいになるけど「上手くいけば」ていう考え方が先行してる感じ
日本軍の作戦は陸海ともに奇策をとりがちなところがありますね。ただでさえ兵站能力が貧弱なのに進撃路を3つにして負担をかけるとか、やはり兵站を軽視と言われても仕方ないかと思います。
沖縄戦での米軍は首里への侵攻が停滞した際に島尻方面への上陸による挟撃を検討しますが、兵站への負担が増大することから上陸戦を実行しませんでした。
なるほど、秀才らしく事前の計画立案は素晴らしいものですね…
ただ頭でっかちの悪いところで、その後の柔軟な対応ができていない…
インパールは航空戦から見ると面白いよ。
阻止攻撃が徹底されていた頃は日本軍が優勢だったけど
対地支援の要請が増えて輸送機狩りに戦闘機を割けなくなると
途端に英軍が盛り返してくるという構図。
ある意味逆スターリングラード
作戦立案自体は普通に優秀だったと思う。
問題はいろいろなしがらみで撤退が遅れたことだねえ。
損害のほとんどは退却の判断が遅れたことによるものだし。
ありがとうございます!
たぶん一番有名なNスぺも、よーく見ていると山越え部隊だけでなく自動車中隊が別動隊として動いていたとか、一時的にコヒマを占領に近い状態まで持っていったことも語られているんですが、本当にサラッと、一言レベルですね。
牛馬の現地徴発はいつものことと動画で言ってますが、それは事実として各家畜の渡河と山登りの適性は無視していたと思うし、その辺はやっぱり机上の空論ってことなんでしょうかね。
勝ちに不思議の勝ちあり負けに不思議の負けなし
これに尽きるなぁ
野村提督・・・
光文社新書の『牟田口廉也とインパール作戦』を読んでますが、ハッキリ言って分かりにくいです。この動画を作って下さったことに感謝です。
巷で無能無能って言われているヒトも調べれば調べる程意外と考えていたことがよく分かる
だからなんか無能って言葉が嫌いになった
武田勝頼とか今川氏真とか
マリアナ沖海戦やフィリピン沖海戦に似てますね。アウトレンジは机の上では合理的だし、空母の囮作戦は実際にハルゼーが引っ掛かってたし。
でも失敗した理由は簡単。「緻密で正確な作戦をワンセットしか用意してなかった」点
予定外の行動、事態に対しての柔軟性が無さすぎる。これは個人の問題だけでなく日本人全体としての問題。受験エリートが多すぎる
旧日本軍というと、乾坤一擲、背水の陣というような一戦に全てを掛けるイメージがありますね。日本軍の作戦でプランBを用意したものはあったんだろうか。
@@rennya31 リスクヘッジとかダメコンの概念が無さすぎる。あっても職人芸の“なんとなく”肌感頼りで判断する。現場レベルだとそれでもいいかもしれないが、指導者とか高級将校レベルでその発想は論外すぎる。
日本人にも論理的思考ができる人材はいたんだよ。堀栄三、大井篤などなど。でもその人材を生かせるためのシステムが構築できない。元々ある枠組みを抜本的に改革できるリーダーがいない。誰もリスクを取りたがらないから結局無難な調停者ばかりをトップに据える。結果ことなかれ主義のなあなあなクソ戦略と人事になる
多く見積もっても1カ月あるかないかの食料備蓄なのに撤退完了が作戦開始から半年後なのイカれてる
これじゃもう撤退する兵士がいなくなったんだろうな
予想外かつ強引な援軍がなければ少ない補給での快進撃で違った流れになったかもですね、牟田口の脳裏にはマレーでの電撃作戦があったのかも当事者だし
行きはよいよい帰りは怖い
事前に撤退の方法を煮詰めないことが損害を増やした要因かな、当時の軍人からすると「戦う前から負ける算段をするのか!」と言われそうだが
アントニオ猪木は、軍人には最も不向きだな。
「臨機応変に欠け、机上の空論に固執する。」倒産する会社の社長って、みんなそうだよね。現在の官僚や政治家もそんなのばっか。
バブルが弾ける前に転職しようとしたら「係長にしてやるから残れ、月給5万円上がるぞ」って言うんで残ったら会社潰れたw
潰れる一年半前に、「このやり方変えた方が良いですよ」と部長に提案。そしたら
部長「このやり方を拡大する方針になった。」
俺「それは不味いですよ」
部長「もうこないだの会議できまったんだ!」
俺の心の叫び「ああ、この会社、あと2〜3年で終わるな」って思ってたら一年半後に倒産w
その間俺は次に備えて専門学校に行って技術を習得、卒業直後にうまい具合に会社は精算(もう駄目と判断した社長が倒産前に整理)
おかげで残った有給全部使って1ヶ月優雅に遊んで、退職金も5割増。
仰る通り、失業保険も直ぐに出てホクホクでしたw
会社整理する説明会の時に社長が「撤退には何倍ものエネルギーが要る」って言うんで私は「だから社長、私があの時言ったじゃ無いですか!」と叫んだのです(心の中で)
会社の社長は完全に同意だが、官僚や政治家はそもそも法律に縛られてるから同列に比較はできない。
個人的には考えを変えてても、法律が古いままになってて法改正からしないと変えられないみたいな場合は臨機応変に動けないからね。
要求の2割しか与えられなかったら作戦は中止すべきなのに、それが出来ないから無能なんですよ
その点どうなんですかね
陽動作戦が成功して千載一遇のチャンスがある中、それをみすみす見逃せばその後はどんどん強化される英軍に物量差によって押しつぶされるだけ
ワンチャンあるとすれば攻勢をかけて敵の攻勢要因及び攻勢拠点を叩くのみ、という中で今ある戦力でも攻勢に出ざるを得なかったのでは?
とも思われますが
@@user-tg8jz1sl8l 元々が余裕のない無茶な作戦である上に、予定より少ない兵力兵站ですから、失敗の可能性が極めて高くなったわけです
そこで実行して軍事資源を大量に失えば防衛もままならなくなる
ジリ貧は元よりですからどっちにしろ八方塞がりではあるのですが、わざわざ兵力を減らすことで連合国に楽をさせるのは失策だと思います
何でも自分で調べないとダメだな。
Wikiはあてにならないし、皆が言っている、評価しているから、正しい訳ではないから
勿論そうです。
戦後75年経って定説とされていても、実は議論の余地があったり。
一次資料に当たり続けるのは難しいですか、なにごとも自分で調べないといけないと思った次第です。
wikipediaは別分野で編集してるけど、閲覧するときは俺みたいな奴が書いてるんだなーって思いながら見てる
結局撤退の判断が早くできてればまだマシだったんでしょうね。
僕もこの動画を見るまでは牟田口は大の無能でその上層部も無能ばかりだったという考えでした。結果だけ見れば最悪の作戦だった、という考えには変わりありませんが。
歴史は多角的に色々な方の話を聞かなければなぁ、と感じた。
あれれ、これは勉強になりますね。こんなに英軍も苦戦していたなんて、知りませんでした。しかし、全体をいつも見ない作戦計画でしたね。
グレイトゲームの勝利って感じだなぁ。英米中は意外と連携とれてるのに、日独伊はできてない。日本は本当に孤立していたんだなあ。
そもそもドイツと日本じゃ距離が遠すぎて同盟の意味があんま無い
独ソ戦始まる直前に日ソ中立条約、イタリアはそもそもイタリア軍自体が参戦しても勝てないと自覚してたのにムッソリーニが勝手に乗っちゃって何の準備もできてない、日本はアメリカを起こしてしまう(といってもアメリカも40年中期か41年段階ではもう世論ひっくり返って連合軍と共に海軍運用するくらいにはやる気だったが)。うーん・・・
いろんな見方があると思う。普段言われているイメージの出典が正しいのか、UP主の参考にした出典が正しいのか。
私も同感です。出典が知りたいです。
軽量な先行部隊が拠点を制圧。そのご重装備の本隊が戦線を確保。これってどこかで?
空挺と機甲でやったあのマーケット・ガーデン作戦では?
日本軍将校というより、参謀の評価というべきでしょう。当時の日本の国力からすれば、150個自動車中隊の配備なんて無理ですし。それとなんか聞いていたら、既視感を覚えたので何だろうと考えたら、マーケット・ガーデン作戦と似ていませんか?
似てる。それな!!
ほんとにですねぇ
補給的に不可能な見積もりを出して上層部の人たちに「やっぱり現実不可能な作戦である」ことを察してもらうというコミュニケーションがあったのかと邪推してしまいました。
こっちは逆に空輸で助かったと言うなんと皮肉な・・・・・
マーケット・ガーデン作戦はこの後だから、空輸作戦に英軍が変な自信を持ったのは間違いないだろう。
それでも、インパール作戦は杜撰、が言いすぎであれば、計画段階で薄氷を踏むようなものであり、実施したら普通に氷が割れただけ、と思える。そもそも追送補給が前提の作戦自体無謀。しかもその追送補給を受ける師団が全部山越え。つまり追送補給に失敗したら進むも地獄、退くも地獄状態となるわけで。牟田口が要求した増援の2割しか確保できない(牟田口の要求が盛られたものだとしても)という時点で作戦は中止すべき。
こんな条件でも作戦を行うしかないほど、帝国陸軍の状態が悪かった、というならそれまでだけど。
牟田口一人の責任ではないという点はその通りだと思いますが、牟田口は他にもいろいろやらかしているわけで、陸軍一かは分からないけど、代表的な愚将だと思いますね。
1944年の日本軍に余裕のある作戦をやれってのも無理があるかと…
戦争を振り返る時って当時の日本軍に全ての責任を押し付けるような論調になりがちだけど、きちんと根拠に基づいて慎重に事実を検証していかないとね、本当に歴史に学んで反省する気があるのなら。
「臨機応変さに欠け、机上の空論に固執する」
インパール作戦に対する風評もそんな感じがする
よくよく調べてみたらもうちょっと柔軟だったっていうね
なんか第三ソロモンのエンプラみたいな綱渡りやな
まぁ後期〜末期日本の作戦なんて全部が全部綱渡りの作戦だから…
1:21
第三十三師団の写真にて先頭に移っているのは(見切れてますが)、まさかあのくろがね四起?
最低の日本帝国軍の作戦。
兵站無視の無謀な作戦。
今さら、ウソを言っても。
ミイトキーナとミトイキーナってどっちが正しいんですか?
ミートキーナ。より発音に忠実にしたければミチナ(ミッチナ)ですな。wikiにはミッチーナーで出てきた。
ちっちゃいちゃん ありがとうございます!
戦争とは何が起こるか分からないものだな
コヒマとか占領してもその後が続かないよ 補給がないのではどうにもならない 最初から無理があるよ この作戦は
大変勉強になりました。ありがとうございます。
インパール作戦が戦後になって、他作戦と比べて突出して辛い評価をされる様になったのは、牟田口氏の人格や作戦指揮を行った当事者たちの責任のなすりつけ合いもあるでしょうが、この作戦が原因でイギリスはインドを放棄せざるを得ない状況に追い込まれ、ドミノ的に大英帝国が崩壊してしまった事も大きいように思われます。イギリスの凋落は、日本の政財界にいた親英派の凋落をも意味します。事実、戦後、親英派は親米派によって駆逐され、日本は親米国家としての道を歩んでいきます。親英派からすれば既得権益を新参者に奪われた格好ですから、インパール作戦という「イギリスを凋落させた原因」を許せる訳がありません。ですので、マイナスの尾ひれが過剰につく事にもなったのではないでしょうか?
更に大陸打通作戦という、インパール作戦以上に大規模かつ膨大な戦死者を出し、最終的には戦略的失敗に終わった作戦は、これほどまでに叩かれていません。これには恐らく作戦計画立案者である服部卓四郎氏が、戦後、極めて米側に協力的だった事と無関係ではないでしょう。日本の戦史研究には、甚だしく戦後の政治状況の影響が大きい。この政治的影響を取っ払う事が、正確な戦史研究をする上では不可欠なのだと思います。
客観的な事実に基づく良い動画だった。
インパール作戦の評価が低いのは偏に負けたからだ。
勝てば神作戦と持ち上げられて牟田口も英雄になっていただろう。
歴史の評価はそういったものだ。
マーケット・ガーデン作戦との比較ですかね。
忘れてはならないのは牟田口大将は中将の師団長時代はインパールへの攻勢には反対であり、司令官になってインパールへの攻勢を強硬したのは何かしらの理由があると考えなければならない。
今まで適当に本当かどうかもわからない逸話を信じて非難し続けていた人々が本当に思考停止していたのかもしれない。
魔理沙と霊夢の表情を変えてくれればよりリアルな解説になると思われるがww。
昭和十八年、自由インド仮政府樹立、大東亜会議
インドから撤退できない空気を前年に作っている
NHKではインパールには到達すら出来なかったって書いてあったけど結局どっちが正しんだ?
素晴らしい分析動画です。
インパール作戦と牟田口軍司令官へのイメージが変わりました。
臨機応変さに欠け、机上の空論に固執する。
この評価は現代の日本にも当てはまる場面がとても多いように思う。
日本側からすれば過去の成功体験に裏打ちされたものであるから、尚更だと。
インパール作戦の支作戦、第二次アキャブ作戦と同じ経緯をたどってインパール作戦は敗北する。
インパール作戦の陽動だった第二次アキャブ作戦は日本軍が英軍の包囲を完成させ、従来の常識なら日本軍の完勝だが包囲された英軍は航空支援によって補給を得て堅固な防衛陣地を守り抜き、迅速な機動を行うために十分な食料弾薬を持たなかった日本軍は補給不足で敗退する。
敗北が2月の下旬。この敗北後の3月にインパール作戦は開始される。
最初順調なのは第二次アキャブ作戦と同じで、英軍が航空支援で十分な補給を得て、補給物資の少ない日本軍に勝つという流れ。
第二次アキャブ作戦では補給不足と人員の消耗により戦闘継続できなかった主力の連隊が命令無視して撤退し、戦線崩壊し日本軍は敗北するが作戦開始から二週間強で、独断撤退したから、インパール作戦のような悲惨なことにならなかった。
インパール作戦の縮図のような第二次アキャブ作戦の顛末を知りつつインパール作戦は行われた。
この動画も随分色眼鏡で解説されている。
残念ながら「インパールはアキャブと同じように失敗した」という理論は成立しません。
第一にインパールでは軍民15万人が包囲されており、これに必要な物資は1日あたり5000トン。アキャブの英兵とは比べ物にならないほど大量の物資が必要とされていました。
第二に包囲下の4月4日には整備されたインパール飛行場及びパレル飛行場が砲撃に晒されることとなり、未舗装で水没の可能性が高いツリハル、カングラ、ワンジン飛行場に分散することを強いられています。地上軍により着陸と物資の積み下ろしが阻害されているわけです。
最後に第五飛行師団の進出です。4月初頭には飛行第五十、二百四戦隊の隼がインパール上空に進出してC47を撃墜ないし妨害し始めました。
地上軍による妨害、航空兵力による妨害を受けつつ莫大な物資を供給しなければならない。
いずれも第二次アキャブ戦には存在しなかった要素です。インパール包囲戦と第二次アキャブ戦には一見「包囲下の部隊が空輸により耐え切った」という共通点が見出せそうに思えますが、規模やそれらを取り巻く環境が違いすぎるので同列に語ることは不可能ですね。
@@heinkel3614 さんへ
別に空輸によってインパール作戦で英軍が補給を満たして、日本軍の攻撃を耐えきったとは思っていません。補給を軽視し、弾薬食糧も十分に持たない日本軍は航空支援を受けていた英軍を短期で攻略できず、敗退した、ということを言ってるつもりです。
日本軍が奇襲をかけることを英軍が当初予想できなかったように、英軍がすばやく要地を占領確保することも日本軍は予想できなかった。そして日本軍は連合軍の航空支援により補給されることは第二次アキャブ作戦で理解し予想できたのに、その対策を怠り、軽武装食料弾薬僅少の部隊を送り込んだ。
長期戦になれば補給で苦しむことが予想できたのに、その対策を立てなかった。
作戦の基本的な欠陥が第二次アキャブ作戦で露呈していた、と言いたいんですよ。
そもそも包囲ってどの程度の厚さだったんですかね?
地図上では包囲していても実際は重火器のない大隊規模の歩兵でなんとか退路をおさえこんでるなんてこともあるわけで…
例えばこの動画でさらっと流されてる英第17軽師団の包囲も実際に退路を断ったのは歩兵第 215 連隊のⅠ大
隊とⅢ大隊だけで、しかも脱出を図る第17師団とインパールからの増援部隊に挟まれてすり潰されてるんですよね
包囲したはいいものの退路を遮断した部隊が少なすぎるってパターンがインパール作戦の部隊運用では多発してるようにみえます
地図の上に矢印は一瞬にして引けても実際そこを進むのは重い武器・弾薬・糧食など携行した生身の人間だということを牟田口中将は失念していたのではないでしょうか?
「包囲下の英軍が耐え抜いた」ではなく「包囲した日本軍の戦力が余りに脆弱だった」が本質に近かったのでは
大本営に要求した輸送手段がわずか2割しか充足されず、高山が連なるアラカン山脈を駄馬と駄牛で輸送に切り替える。この時点ですでに作戦の破綻は約束されていたといえる。輜重・兵站の軽視が作戦失敗の主因なのだ。それを駄馬駄牛による運搬は当時としては一般的だったと片付ける姿勢には全く賛同できない。
1945年8月のポツダム宣言受諾から米軍が進駐して来るまでの間、軍上層部の命令により、膨大な量の「機密文書」が焼却処分され、
文書に記載されていた事は無かったことになりました。
それ故、公式記録ではなく、検閲されていない体験者の手記や新聞の投稿等から「戦争の真実」に迫ることが必要ではないだろうか?
秦郁彦氏でさえかなり批判的ですからねw ノモンハンも今では再評価が進んでいる ただ辻の起案についてはやっぱりレベルが低いとしかいいようがない 童貞将軍植田司令の作戦への危惧が正しかったとは戦後になって辻自身も認めている
うちのひいじいさまはビルマから帰ってきた騎兵(馬に乗ってたらしい)だと母親が祖母から聴いていたのですがそれくらいしか詳しいことが分かりません。いつか調べてみたいです〜。
良くまとめられていて、凄くためになりました!
作戦の失敗は牟田口だけの問題じゃないことはよく分かったのですが、腑に落ちない点もあります。
ちょっと長文になります。
解説にあった「臨機応変さに欠け、机上の空論に固執する」まさしくその通りだと思いますが、疑問もあります。
仕事をする上で行程表を作る方はいると思いますが、作った行程表を確認し、クリティカルポイントあれば、影響度合い、期間に余裕はあるのか、人員は足りているのか、等を考え、マズかったら必要な措置を「事前に」講じるものと思います。
軍事作戦ともなれば相手もいることから「想定外」は起こりえると思いますが、そういったことは「机上で想定」しないのかな?
その上で次善の作戦を策定しないのでしょうか?
例えば、①作戦目標を変更する②このまま進める③作戦を中止する と言ったことを損益分岐点を立てた上で用意しておくものだと思うのですが軍事作戦は違うのかな?
何が何でも当初の予定に固執し、できなければならないと言う考えにとらわれ、打開策はマンパワーに頼ると言うのは、典型的なブラック企業の思考ルーチンだと思います。
日本軍士官はエリート集団のはずなのにちょっと想定が甘くないかと思ってしまいました。
これは日本陸軍に限らず独伊や連合国による一部の作戦にも言えるのですが、長期的な戦略に基づき策定された計画ではなく
ある時点での局地的な形勢に応じて即興的に立てられる計画で軍事行動が起きる、というのは結構ありまして
こういう場合は「次善の策までじっくり計画を練ってから行動する」より「状況が変化して我が方が優勢を失い不利になる前に速攻する」ことが
軍事の世界では大抵優先されます。孫子に「故に兵は拙速を聞く、未だ功の久しきを覩ざるなり」とありますように戦争はさっさと終わらせた方が良いのです
このように速攻を志向して大成功を収めた例がナチスドイツのフランス侵攻で、WW1で4年かけて倒せなかった仏を1か月ちょっとで倒してしまいました
当然ながら失敗例も多くインパール作戦もその1つであり、連合国では第二次ハリコフ戦のソ連軍が即興的な計画で負けた良い例と言えると思います
その中でも日本陸軍は日本特有の事情(乏しい国力のため長期戦は不利、それ故の精神論と攻勢主義、組織文化等)で負ける時は悲惨な負け方をするのです
「必要な措置を事前に」講じてはいたと思いますが、牟田口の必要要求部隊を二割しか送らなかった時点で、牟田口も先に起こるであろう事態をある程度想定していたと思いますよ。二割しか送らない割には、大本営で地図だけを見ながら作戦内容・開始日を決めます。人員は足りてなくても「牟田口」が指揮をすれば大丈夫だし、想定外も解決するだろうと思ったのでしょう。
①はインパールがあの地域の主要道路執着地点で変更は難しい③の中止は自身の進退問題を解決しようとした東條首相の肝入りの作戦で、皇道派の派閥に属している牟田口としては上の命令を無下にはできませんし、自身の出世に響いてしまいます。不思議なものですが、兵士の命よりも自身の出世が気になる士官は多くおりました。(インパール作戦に反対した幕僚はたくさんいましたが、東條の腰巾着の人事により全て左遷しております。)牟田口として出世や上司からの期待を裏切らない為には②しかないです。インパール作戦後も予備役にはなりましたがすぐに士官学校長になっています。
エリート集団であるが故の派閥組織があり戦争をしているのに終戦の最後まで派閥組織の争いに終始しておりますね。
Akihira Azuma
インパール作戦が東條肝いりの作戦って、東條大将インパール作戦が参謀本部にて決定されたとき陸軍大臣で作戦立案に関わってないんだが。あと、東條大将自体はインパール作戦を不安視してて、陸軍大臣のとき、インパール作戦の予算を下ろすよう参謀本部から督促されたとき、制空権や補給に問題があることなどを指摘してそれは大丈夫なのかと参謀本部に言ったんだけど、参謀本部はろくに確かめもせず大丈夫と言って、東條大将は政務側の軍人なのでそれ以上は聞くことができず最終的には認可した。東條大将が現状の打開のため攻勢作戦を必要していたことは事実だけど、インパール作戦に関しては慎重でしたよ。ただ、作戦終結を遅らせてしまった元凶の一人であることは間違えないんですけどね。
インパール作戦に反対した幕僚の一人としてよく稲田正純が挙げられるけど、
この人が南方総軍参謀副長の座を追われたのは、インパール作戦に反対したからではなく、タイ国境の策定の際に、中央からの命令を無視して勝手に国境線を策定したことが原因です。
@@user-vy4ig1tf6d ありがとうございます。チャンドラ・ボースとの絡みで東條にとってインパール作戦は必要なモノだと思っておりました。
要求の2割しか補給が来ない時点で作戦は崩壊してんじゃん・・。
それでも決行したのは誰なんですかね。
それなんですよ。 だからこの「作戦」は最初から成立していません。
2割ってひでーよ
でもここで決行しなきゃ対米英反攻作戦の糸口となりうる千載一遇のチャンスが消えていくのを指をくわえて見過ごすことになりますからね
日本としては多少きつくても反攻作戦をしないと物量差でじりじりと負けに向かうだけですし
決行したのは大本営だな(正確には参謀本部作戦課長の服部)
なんでもかんでも牟田口のせいにはならんよ
@@user-cu6il3jq2e 牟田口 方面軍 大本営という馬鹿の3乗ですから
これを見ると日本軍は勝てたと錯覚するだろうが、陸と空の立体作戦が出来た連合軍とそれが出来ない日本軍の比較など兵站から見てお話にならない。兵站なしの戦争は何とかなるレベルではない。陸軍の航空支援も実際にはないに等しい機数しか稼働できなかった。もしつばぜり合いで対等なら、こんな結果にはならない。死んだ人からコメントを貰うわけにはいかないからこのような見方もされるのだろうが、意見を言えぬ死んだ兵士の数を無視した評価はできないはずだ。
飛行第5師団の戦力は3個飛行隊、つまり70機程度の戦力はいましたよ
航空戦力が互角だったのは飛行第5師団の拠点であるミイトキーナが占領されるまでですからね
航空支援が封殺されてからは当然英空軍の独壇場で、よく聞くインパールの敵航空機が~の話題は日本軍の航空支援が瓦解した後のことですね
なるほど戦いってのは一方的なものじゃなくて双方の側から見ないと真実は見えてこないのの見本みたいな戦史ですね‼️英軍もそんなにギリギリやったなんて初耳でした‼️
インパール作戦は確かに無謀に近いけど全く不可能ではなかったんですね‼️
始まる前から兵站でも諜報でも戦略レベルで英国に負けてるのだからやっぱり無能
初期の優勢で評価されるべきは前線の部隊の努力
当時の日本の国力にイギリスレベルの兵站と諜報を求める方が酷なのでは…
日露戦争では総力戦でヨーロッパでも諜報戦を行っていたのにWWⅡでは愚かな作戦指揮でたくさん殺されましたね。
何時の世もばかの大将敵より怖い だと思います。
@GTR 33
チート国家アメリカの援護をお忘れで?
マウントバッテン元帥の強硬手段もアメリカの航空機あってのものだし
それに日本だって主戦場は太平洋と中国なんでインド方面の軍はそれらに比べれば力も入れてないのは明白ですし
@GTR 33
仮にインパール作戦をやらなかったところで、連合国の物量に押しつぶされるのが目に見えてるんだから、先に敵の攻勢要因を叩くのは立派な防衛行動では?
しかも成功すれば最後の援蒋ルートも遮断できて手を焼いてる中国軍も弱体化するというオマケ付き
防衛のために攻勢かけて敵の戦力を削ぐのはあのロンメル将軍もよく使った手ですし
@GTR 33
植民地英軍は弱体化してたので、太平洋、中国、インドの3方面の内インドを撃破すれば戦線が一旦太平洋、中国の2方面に減ってしかも中国は弱体化するのでその方向で行ってもいいのではないか、と思ったんです
3方面抱てて厳しいなら多少他の戦線から戦力を引き抜いてでも1つの戦線を潰し、他の戦線では遅滞戦闘で時間稼ぎして前述の潰した戦線から後に兵力を呼び戻して巻き返す、と
まあ当時の日本の輸送能力的に厳しいし巻き返す軍艦も無いのは承知の上ですが、3方面に兵力分散させてジリジリ押し込まれるよりかは良いのではないでしょうか?
大前提である「無人の野」を偵察したり空輸を阻止したりするために必要だった『初期』時点に何もできなかったのだから、制空権論争は半分くらい意味がないと思いますよ。
他所でも「なんか重装備の海兵隊員いっぱいいるわー」とか「敵空母一隻多くね?」なんて話があったし、組織としての情報収集および処理能力も悲惨すぎませんか。
二週間前に突然空輸された兵力を察知しろってのが大概無茶。インパール作戦自体は十分な情報収集の上で二ヶ月前から始動してるわけで
日本軍がどうというより一週間半で空輸路を復旧させた英軍の功績でしょ
まぁ当時はどの国もガバガバな情報伝達ミスをやらかしてるので...
イナゴ大福さん
群馬県(烈)・山梨県(祭)・静岡県(弓)から進撃して上越市と松本市を攻略する規模の戦域を、ハ号作戦終了後一ヵ月間も敵が再編成なしで放置するという想定の方が怖いんですが・・・
Oden Master さん
まず「一ヶ月も」っていう認識から改めてね。戦略ゲームじゃあるまいに
作戦行動中の一個師団(約7000〜10000人)を1日2日で再編+移送なんてできるわけないでしょ。ただでさえ道路状態の悪いビルマで、14軍主力はアラカンに、第4軍はゴウハティにいたんだから
イギリス自体の空輸能力はパンク寸前だったし陸路使って一ヶ月で展開される程度の兵力相手なら十分な戦える編成だったんだよ日本軍は。
ハンプ越えで手一杯の米軍が一週間足らずで30機も輸送機をイギリスに貸し出すとこまで予測しろなんてエスパーじゃなきゃ無理だね
情報収集できなかったことを問題視せずに「仕方なかった」と開き直ってしまう人がいるのは、実にまずいと思いますね。今も昔もそんなだから、状況の変化に合わせて対応(撤退も含む)することができなかったのだろうとは思えますが。
インパール作戦は最初から破綻していたという訳では無いのは知っていたが、こんなエピソードがあったのな…ごめんな牟田口
事実は根性出して頑張った英軍となんか決め手をかく半端な攻め方で勝機を逸した日本軍か...。通説とはだいぶ違う話だな
キ〇ガイ→普通の無能くらいに牟田口さんの評価が上がったw
補給面から考えると、日本側は最初から破たんしている。インパールに進出するならインパール方面への鉄道・道路の敷設は必要だが出来ていないし、戦線が拡大したコトにより、全体の輸送能力が足りていない。
インパールを押さえても、インパールへの補給をどうするんだ?英印軍はラバ、自動車、鉄道といった輸送手段を持ち、西海岸のボンベイといった港湾から荷揚げされた物資を輸送できる。
日本がインパールを押さえて英印への出血を強要してもレド公路が出来たりハンプ越えが強化されたら、強化された中華民国軍に後ろから刺される。
大陸打通作戦が成功かどうかは、個人的にはかなりの疑問がある…w
戦術的には成功
戦略的には失敗
それでも、「命令を出して責任を取る」のが職務である責任者が責任を取らない、責任逃れをする、責任を人のせいにするのは、徹底的に糾弾し非難し批判するべきだと思う。牟田口に限らず、いま現在の民間の企業の、人間として見たらゴミみたいな上司についてもね。
そういうゴミにならないように生きていきたいよね。
本当に面白かった!
陸軍参謀本部の肩を持つわけではないけども、日本軍指揮組織全員アホ説みたいな、昭和の馬鹿げた情報を更新して、こうした令和らしい最新のリサーチで正しい歴史を学びたいものです。
その意味で古峰文三氏の航空戦史は名著ですよね。
うーん冷静に見ても、敵の物資を鹵獲出来たり、序戦はあくまで局地戦が偶然上手くいっただけにしか見えないな。大量の支援物資を前提とした作戦なら、その横車を押すのも高級将校の仕事だろうし、物資が確保できない時点で戦術レベルでは早晩破綻する可能性は予見出来たんだから作戦を見直す必要があった。「牛を徴収したり頑張りました」じゃ擁護できない
かと言ってできるだけのことをして突撃しないとハ号作戦が作った千載一遇のチャンスをみすみす逃すことになり、その後は物量差が開く一方で押しつぶされるだけ
どっちにしろ厳しい戦場ですね
牟多口は開戦時は、最も有能な指揮官の一人であったと思う。
インパール作戦も負け戦になった時の対応さえしっかりしていれば、ここまで酷評されることはなかったと思います。
そりゃ、陸大卒だもん
なに言ってるんですか!武器弾薬、食料の補給がほとんど無いんだから、無謀な作戦であったことに変わりありません。
「時間をかければ安全かつ兵站を十分に維持しつつインパールへの補給が可能だった」
って動画内でも言われてるんですがそれは
日露戦争の時の様に兵站を確保せずに悪路を行軍する作戦は無謀でしょう。無田口が考えたのは攻勢のみで、その作戦が失敗しないと言う信念?以外無いですから。
インパール作戦と対米戦争全体には類似点があって、どちらも目標を早期に達成することを前提に無理目な計画を立て、当てが外れて敗色濃厚になった後も(無駄な)戦闘を続け無駄な犠牲を出し、敗戦処理が遅れてる。この都合の良いことしか考えない病理は現代日本にも脈々と受け継がれているようで、原発事故時の「想定外」という言葉になっている。
太平洋戦争というか対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案では、極力米軍と交戦することを避け、植民地軍を叩き、戦争遂行の資源を獲得後、西進し、イギリスの補給を断ち、イギリスを戦争から離脱させることでアメリカの継戦を諦めさせるというものですから、無理なものではないですよ。実際、初期は順調にことが進んでいましたから。太平洋戦争が悲惨なものとなったのはアメリカやイギリスのように国家戦略を統一する機関が無かったことから、海軍と政府、陸軍の戦略を統一できなかったことにあります。また、終戦が遅れたのも、国家戦略を統一する機関がなかったからです。また、失敗を想定していない言われていますが、
そもそも太平洋戦争自体日本が追い詰められてのものであり、(原因は日本の自業自得ではあるんだけれども)それ以外に方法がなかったのですから、失敗したことを考えていないという批判は少しズレていると思います。インパール作戦ではもし作戦が失敗した場合、5月ごろに撤退することが考えられていましたが、
牟田口中将や河辺中将が失敗を認める道徳的勇気に欠如していたため、凄惨な結果となってしまったのです。戦後日本は、内閣総理大臣のもとに自衛隊が存在し、国家戦略を統一する機関ができました。今に至るまでにかなり改善したと思われます。太平洋戦争やインパール作戦の失敗は、当時の国家機関の欠陥によるものが大きいです。なんでもかんでも失敗の原因を、日本人の性質とするのはかなりズレた考えだと思います。
「臨機応変さに欠け、机上の空論に固執する」って今の日本企業文化もなんだよなあ(鬱 方針転換を主張する事は日本ではタブーぽい。何も変わって無いな。。。
政治的に見ても牟田口を擁護することはできない。
自分が反戦ミリヲタであるという立場は放棄しても同じ結論になるだろう
インパールを占領しても維持できたのでしょうか?
無理に維持する必要はありません
縦深防御のための距離確保ができ一時的に援蒋ルートを遮断できる=中国軍の活動が弱まる、ついでに一号作戦の揺動にもなる、とだけ見てもインパールに到達して無理に維持する必要は無いでしょう
仮にインパールを一時的にでも確保できれば雨季では英軍も無理に攻勢には出られず、連合軍お得意の航空支援も雨季の悪天候で思うようにできないでしょうし
@@user-tg8jz1sl8l コメント有難う御座います。
攻勢防御でしょうか?
確かに重要なご指摘です。
実際に英印軍も1万余の被害を出しています。
そうなると問題はインパールの占領→インド侵攻ではなく英印軍に損害を与えた上で
マンシュタインの様に柔軟な撤退と攻勢を織り交ぜて戦いの主導権を握る
この様な戦略が日本に考えられたかが大事です。
とても面白く、インパール作戦は100%誰がどう見ても失敗確定の作戦ではなかったと言うことですね。
これはあまり知られていないことだと思います。ありがとうございました😊
ちなみに動画で出てくる英軍の正確な部隊名称としては英第2歩兵師団やインド第4軍団そして英空軍第221航空団だったと思います。
作戦自体の合理性を説明するものが皆無でしたので良い勉強になりました。太平洋戦争は日本が一方的に虐殺された内容のものが巷に溢れていますが諸外国も多くの戦死者を出している。もっと日本軍の頑張りを説明する動画があってもいいと思います。
皇軍って当時使ってないんじゃないかな。国軍ではない?小説引用からだと思うが少し気になりました
そとそも援奨ルート遮断が目的なら、航空戦力で参道を爆撃すれば良いでしょ
日本の航空機生産力と運用能力で出来ると思います?
ドイツでさえ出来なかったのに
精密誘導ができない当時の爆撃でそこまで効果を出せたとは思えんな。
そもそも陸軍航空隊は空襲で壊滅主力の陸軍航空隊は中国戦前とフィリピンと本土防空隊インドの航空隊は数も連度と燃料もないそもそも爆撃機はもっと無い。
インパール作戦についてほとんど知らなかったけど大体想像通りなの草
大本営や当該軍の司令官などの責任について触れないというのは、
あまりにも酷い動画だ。
東条の責任転嫁や牟田口司令官の人間性の酷さが招いたと言って
過言ではない大失敗作戦は、その酷さを後世にまで語り継がなければ
ならないのに。
アメリカすら脅すとは…
イギリスがイギリスしてらっしゃる
キングがイライラするやつ。これに始まったことではない。
冷静な分析、すごく面白かったです。国営放送局の特集なんかと全然違う印象ですねー
NHKは国営ではなくて公営放送局だよ。
BBCは国営だけど
ジンギスカンはラム肉だろ、
計画初期段階で想定と違うことが起こった時点で作戦失敗として、雨季になる前に撤退判断できれば、良かったんでしょうけど。
少なくとも雨季までに撤退できる時期に判断できていれば、牟田口中将は無能呼ばわりされていないと思いました。
1 想定と現実が違う
2 それに対処できない
3 部下に責任転嫁
こんな上司いやですよね。命がかかった現場で。
当時の生存者の証言では現場の部下(師団長)の方でも連絡や連携が取れておらず、ある部隊は命令通りに続行、ある部隊は続行不可能だとして停止、ある部隊はやはり続行不可能だとして戦線から下がる...となってたとか。
戦闘に移行するまでの移動中も悲惨だったようですから、士気が上がる筈もないですし、上と下の板挟みで師団長は精神的に相当追い詰められていたでしょう。
原因は作戦立案段階で、インパールまでルートがあるといっても雨季でなくとも泥濘も多い山越えで、ジャングルに道などないということを想定できていなかった事。
先に移動していた英軍の3000人規模の部隊は少数精鋭で精々獣道を移動していた訳ですが、師団規模の部隊にそこを移動させようとしていた訳です。
偵察機以外で事前のルート確認をやったのか、やったとしてそこを大人数で通過する想定をしたのかも疑問です。
当然、目の前が樹木で塞がり急斜面や崖もあり、徴発した牛なんかもすぐに潰れ、すぐに重い物資も背負って、極端な話、場所によっては僅かな距離ですら何百、何千単位の人数が1列になって何時間も掛けて徒歩で通り抜けるしかない訳ですから。
悪路で移動に想定外の時間が掛かり、ただでさえ要求に足りていない物資も特に食料が不足し、完全に事前準備不足という事に。
かと言って、森林内を移動中でどこに居るのかも分からない部隊へは空路での物資投下も無理筋で、数十~数百m離れただけで、投下された場所へ行くにも一苦労な地形がまた邪魔をする。
という訳で、事前準備物資も不足なら追加補給も増援も実質無し。
作戦の想定が事実上も結果的にも戦闘以前に机上の空論ではあった訳ですが、現実と想定の差は現場でしか分からず、それも決定的な失敗になる以前は上層部に伝わっても無視され、失敗になりそうな段階でも計画修正できる柔軟性も無く、完全に失敗してから損失に慌てる。
一個人というより、それが日本の組織の体質だった訳です。
いずれにしても、作戦を開始する無能、作戦を中止できない無責任、作戦を省みることができない無恥。
続けて投稿します。
「インパール」「全滅」「コヒマ」名前は忘れましたが地図で見る船上も読みました。
前2作は著者の思想の可能性もありますが、前線の実態を表していると思います。
後2作も英印軍の苦境を示しており、彼らにとっても薄氷を踏む思いだったでしょう。
しかし前線の苦闘へ後方から どれだけの支援を送れるかは英印軍に対して日本軍には後詰が無かった。
これではノモンハン戦の方が ましと言うものでしょう。
作戦目的自体、攻勢防御によるインパールの占領なら、占領後の維持が重要ですが、占領し続けるには兵力と補給物資が必要です。
これでは防衛面積が増えて、兵力の分散に繋がる恐れもあったでしょう。
実際にはインパールの敗北により貴重な兵力を失い、ビルマ防衛に支障をきたした事は否めないと思います。
武器もなくなり、石を投げて闘ったという状況が全てを物語ってる