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未来に残したい授業
Japan
เข้าร่วมเมื่อ 11 ม.ค. 2021
普遍的な問いに対する論考をお持ちの方々にお話を伺い、一緒に考えていくチャンネルです。
「中学生からの大学講義」というコンセプトのもと、専門家ではない私が感じる素朴な疑問を、叡智をお持ちのさまざまなジャンルの専門家や実践者に伺っていきます。
知とは樹木のように根を張って、私たちを支えてくれるものです。
「知る」という行為は、純粋に楽しいのはもちろんのこと、視野を大きく広げてくれる行為だと考えています。すぐには役に立たないかもしれないけれど、長い目で見たときに人生を支えてくれると同時に、不条理に立ち向かう力を養えるのが「知」なのではないかと思います。
そうは言いながらわたし自身も「知っている」とは程遠いところにおり、なぜ学生時代にもっとちゃんと学ばなかったんだろう…と後悔する日々です。
けれど、人生100年時代。学び直すのはいつからでも遅くないとわたしは信じています。
「本物の知」や「ものの見方」「本質を見極める力」が未来に残るよう、普遍的な問いを探求している方々にご意見を伺い、わたしたちはどう生きるのか、次世代によりよい未来を残すために何ができるのか、について考えていきたいと思います。
気になることやご感想をお寄せいただき、みなさんと一緒に考え、未来につながる一歩をつくっていけたら嬉しいです。
◆企画・MC:だいまりこ(代麻理子)
ライター・編集者。11、9、7歳の3児の母です。数年前まで長年専業主婦をしており、知とは無縁の日々でしたが、この仕事について以後「知るよろこび」を体感して日々楽しく過ごしています。そのよろこびを共有したい!という思いからチャンネルを企画。みなさんと一緒に学び、感動し、希望を持てる未来をつくっていけたらと思っています。
◆デザイン:いずいず( iziz_1984 )
「中学生からの大学講義」というコンセプトのもと、専門家ではない私が感じる素朴な疑問を、叡智をお持ちのさまざまなジャンルの専門家や実践者に伺っていきます。
知とは樹木のように根を張って、私たちを支えてくれるものです。
「知る」という行為は、純粋に楽しいのはもちろんのこと、視野を大きく広げてくれる行為だと考えています。すぐには役に立たないかもしれないけれど、長い目で見たときに人生を支えてくれると同時に、不条理に立ち向かう力を養えるのが「知」なのではないかと思います。
そうは言いながらわたし自身も「知っている」とは程遠いところにおり、なぜ学生時代にもっとちゃんと学ばなかったんだろう…と後悔する日々です。
けれど、人生100年時代。学び直すのはいつからでも遅くないとわたしは信じています。
「本物の知」や「ものの見方」「本質を見極める力」が未来に残るよう、普遍的な問いを探求している方々にご意見を伺い、わたしたちはどう生きるのか、次世代によりよい未来を残すために何ができるのか、について考えていきたいと思います。
気になることやご感想をお寄せいただき、みなさんと一緒に考え、未来につながる一歩をつくっていけたら嬉しいです。
◆企画・MC:だいまりこ(代麻理子)
ライター・編集者。11、9、7歳の3児の母です。数年前まで長年専業主婦をしており、知とは無縁の日々でしたが、この仕事について以後「知るよろこび」を体感して日々楽しく過ごしています。そのよろこびを共有したい!という思いからチャンネルを企画。みなさんと一緒に学び、感動し、希望を持てる未来をつくっていけたらと思っています。
◆デザイン:いずいず( iziz_1984 )
【横道誠】ASD者は地球外生命体!?「宇宙の孤独」の感覚を探る! 「精読!『みんな水の中』」第8回
#みんな水の中、#発達障害、#PTSD、
発達障害、PTSD、宗教2世というさまざまな当事者性を持つ文学研究者の横道誠さんのデビュー作である『みんな水の中「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)。2021年5月に刊行された本書を皮切りに、2024年12月現在に至るまで25冊もを出版されたという横道さんですが、処女作である本書の奥深さは一度で語りきれるようなものではないため、「精読!『みんな水の中』」と題してシリーズ化し、「脳の多様性」を丁寧に読み解いていきます。
「一回で一冊解読」は目指さず、大学で行われる哲学の授業のように一度に数ページずつのペースで、その体験世界を紐解いていきます。文字を読むのが苦手な方にもお楽しみいただけるよう、各回扱う該当部分はなるべく音読したいと思っています。「我こそは当事者なり」と感じる方やその支援者の方はもちろんのこと、そうではないけれど「脳の多様性」や「当事者研究」「他者の体験世界」が気になる方にはきっとお楽しみいただけると思います。
8回目の今回は、第2部論文パートの【25】(p75)から数ページを読みました。
◆12/15(日)に隣町珈琲にて開催予定の「横道誠とだいまりこの「対話について対話する」第3回「アノニマス系自助グループの「言いっぱなし聞きっぱなし」で心をひらく」イベント詳細
peatix.com/event/4197640
◆横道誠さん著『みんな水の中 「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)amzn.asia/d/f6fWmiJ
◆横道誠さん著『発達障害の子の勉強・学校・心のケア』(大和書房)
amzn.asia/d/3FbwvLQ
発達障害、PTSD、宗教2世というさまざまな当事者性を持つ文学研究者の横道誠さんのデビュー作である『みんな水の中「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)。2021年5月に刊行された本書を皮切りに、2024年12月現在に至るまで25冊もを出版されたという横道さんですが、処女作である本書の奥深さは一度で語りきれるようなものではないため、「精読!『みんな水の中』」と題してシリーズ化し、「脳の多様性」を丁寧に読み解いていきます。
「一回で一冊解読」は目指さず、大学で行われる哲学の授業のように一度に数ページずつのペースで、その体験世界を紐解いていきます。文字を読むのが苦手な方にもお楽しみいただけるよう、各回扱う該当部分はなるべく音読したいと思っています。「我こそは当事者なり」と感じる方やその支援者の方はもちろんのこと、そうではないけれど「脳の多様性」や「当事者研究」「他者の体験世界」が気になる方にはきっとお楽しみいただけると思います。
8回目の今回は、第2部論文パートの【25】(p75)から数ページを読みました。
◆12/15(日)に隣町珈琲にて開催予定の「横道誠とだいまりこの「対話について対話する」第3回「アノニマス系自助グループの「言いっぱなし聞きっぱなし」で心をひらく」イベント詳細
peatix.com/event/4197640
◆横道誠さん著『みんな水の中 「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)amzn.asia/d/f6fWmiJ
◆横道誠さん著『発達障害の子の勉強・学校・心のケア』(大和書房)
amzn.asia/d/3FbwvLQ
มุมมอง: 406
วีดีโอ
【風間勇助】「刑務所アート展」の試みから考える、アートと社会の関わり
มุมมอง 43221 ชั่วโมงที่ผ่านมา
#プリズンアート、#アートプロジェクト、#刑務所、 完成までのプロセスや、場を開いていくことを大切にし、様々な人をつなぐアートプロジェクト。東京藝術大学在学時にアートプロジェクトの魅力を体感し、「アートのための場所ではないところでのアートの可能性」を探究するようになった風間勇助さんに、「刑務所アート」について伺いました。 現在は奈良県立大学の講師、Prison Arts Connections 代表、NPO法人CrimeInfo 副代表、NPO法人マザーハウス理事などを務める風間さん。身体感覚を通してみんなで考える、アートならではのコミュニケーションがあるのではないかと感じて、アートと社会の関わりをさぐってこられたそうです。 和歌山県立図書館で12/18まで開催中の「プリズンアート展」や、2023年から開催している「刑務所アート展」の詳細についても伺いました。展示に寄せられた作品には...
【斎藤慶典・荒谷大輔】自由を守るために、どのような共同体・経済システムが可能か? カント哲学からみた贈与経済2.0
มุมมอง 93614 วันที่ผ่านมา
#哲学、#カント、#純粋贈与、 資本主義経済に代わるオルタナティブな経済システムを模索している荒谷大輔さん著の『贈与経済2.0』(翔泳社)。本書を読み、いくつかの疑問点が生じたという哲学者の斎藤慶典さん。贈与経済2.0の可能性と課題について、カント哲学における自由の概念を軸に深く掘り下げていきます。 贈与とは何か、贈与経済2.0は経済システムとしていかに機能しうるのか。資本主義における貨幣を介した関係性と、贈与経済2.0を通じた人々のつながりの違いとは。経済活動の根底にある「自由」という概念をカント哲学の視点から捉え直すことで、新たな経済システムの展望が見えてきます。 現代社会において、人々は資本主義経済の中で生きることを余儀なくされています。しかし、実際の生活の中では、見返りを求めない純粋な贈与行為も確かに存在しています。このような贈与の実践を経済システムとして確立することは可能な...
【青木海青子】本と生きづらさ 『不完全な司書』から考える孤独と生きづらさとの向き合い方
มุมมอง 1.2K21 วันที่ผ่านมา
#ルチャリブロ、#図書館、#司書、 奈良県東吉野村にひっそりとたたずむ「ルチャ・リブロ」は、自宅の古民家を開いてはじめた私設の図書館です。このルチャ・リブロの司書である青木海青子さんが綴る、本と図書館の仕事にまつわるエッセイ『不完全な司書』(晶文社)。 人と接するのが苦手で、本という「窓」から外の世界と接してきたという海青子さん。幼い頃は、「自分は人間じゃない何か」なのではないかと感じていたそうです。「生きづらさ」という言葉がまだ一般的に流通していなかった当時をどのように乗り越えてきたのか。そして就職してみてからのこと、東吉野村に移った経緯、そこでの生活、心の不調についてなど。 『不完全な司書』から想起されたさまざまな問題について二人で語り合いました。書籍とともにどうぞお楽しみください! ◆青木海青子さん著『不完全な司書』(晶文社) amzn.asia/d/0T033rw ◆人文系私...
【高橋勅徳】経営学から考える婚活との付き合い方 マッチングアプリに結婚相談所…etc. こじらせは回避できるのか?
มุมมอง 72128 วันที่ผ่านมา
#経営学、#東京都立大学、#マッチングアプリ、 マッチングアプリ、婚活パーティー、結婚相談所等の結婚支援サービスを支配する独特の力学をどう捉え、利用すべきか。男女それぞれで可能な行為戦略を経営学の視点で探っている、高橋勅徳 さん、オオノリサさん著の『婚活との付き合いかた: 婚活市場でこじらせないための行為戦略』(中央経済グループパブリッシング)。 同書の著者である高橋さんに、婚活との付き合い方について伺いました。 2022年の明治安田生命「いい夫婦の日」に関するアンケート調査(出典/www.meijiyasuda.co.jp/profile/news/release/2022/pdf/20221116_01.pdf)によると、結婚した人の22.6%がマッチングアプリによって出会っており、およそ5人に1人がアプリ婚をしているそうです。 もはや珍しいことではないアプリによる出会いと結婚。...
【荒谷大輔・朝日】イレズミの哲学 「社会の穴」としてのイレズミ? イレズミの社会的機能とは
มุมมอง 961หลายเดือนก่อน
#哲学、#美学校、#tattoo、 人類が最も古くから行ってきた身体加工のひとつとも言えるイレズミ。皮膚に傷をつけ、色素をいれるイレズミは世界中で見られますが、特に明治以降の日本では抵抗感を持たれることも多いのも事実です。 イレズミとはどのようなもので、その社会的機能はいかなるものなのか? 彫師の朝日さんをお迎えし、哲学者の荒谷大輔さんと共にイレズミを哲学しました。 荒谷さん著の『贈与経済2.0』(翔泳社)で綴られていたアイデアを機に、現在では同著の実証地である高円寺のCafe&Bar Blue MOONを拠点としている朝日さん。 イレズミの歴史や、彫り彫られる際にどのような関係が生まれているのか、図案をめぐる具体と抽象、規範と逸脱、目的に縛られない「遊び」など。 イレズミの哲学をどうぞお楽しみください! ◆朝日さんプロフィール asahi_0110001...
【横道誠】親子・家族間で起きた問題から回復するには 『アダルトチルドレンの教科書』に学ぶ様々な回復メソッド 親子関係の当事者研究②
มุมมอง 909หลายเดือนก่อน
#トラウマ、#依存症、#DV、 依存症、精神疾患、貧困、DVなど、さまざまな事情による機能不全家庭で育った人のために書かれた、回復メソッドの教科書である横道誠さん著の『アダルトチルドレンの教科書』(晶文社)。アダルトチルドレン(AC)の困り事は多様で、一般的な処方箋だけでは対応しきれません。多様な出方をするACの事例にあわせて、当事者自身が回復メソッドを発見する必要がある、というのがメタメソッドの考え方。当事者研究とオープンダイアローグ的手法により、数多くの対話型自助グループを主宰する横道さんの経験知が詰まった、物語形式で語る、アダルトチルドレンの回復指南書である本書について、詳しくお聞きしました。 前回の前編(th-cam.com/video/0re6BqklwM0/w-d-xo.htmlsi=xyzXNaMC4i2z4Pxd)に続いての後編です。 虐待を受けた経験はなくとも、「毒...
【荒谷大輔・吉田寛】欲望をどう構造化するか ルールや意味、時間、公平性の問題、虚構・物語にどうコミットするか… ゲーム研究と「贈与経済2.0」の意外な共通点とは
มุมมอง 1.1Kหลายเดือนก่อน
#哲学、#美学、#贈与、 資本主義以外の経済のしくみはいかに可能かを探究している哲学者 荒谷大輔さん著の『贈与経済2.0』(翔泳社)。本書を読んだゲーム研究者の吉田寛さんは、「この本の一番のポイントは「意味とは何か」ではないでしょうか」と指摘していました。 経済とゲーム、一見まったくの別物に思えるそれぞれには、ルールや意味、時間、公平性、欲望の構造化、虚構・物語へのコミットメントなど数々の共通点が…! ルールがころころ変わると成立しない経済にゲーム。そこでの公平性はどう担保するのか? 価値や意味は時間の中で生成して変化していくが、贈与経済2.0やゲームは時間をどう組み込んでいるのか? 贈与経済2.0やゲームは「意味」や「物語」をどう捉えているのか? などなど。 お二人だからこそ交わし合えるエキサイティングな議論が繰り広げられたゲーム研究×贈与経済2.0対話をぜひお楽しみください! ◆...
【守中高明・森元斎】アナキズムの現在形 暴力、国家、貨幣、教育を問い直す 一般的価値形態にNO! 暴力に抗する暴力について考える
มุมมอง 2.2Kหลายเดือนก่อน
#死なないための暴力論、#他力の哲学、#哲学、 『死なないための暴力論』(インターナショナル新書)で暴力の発露をどう考えるべきかという問いを深く掘り下げて考察している森元斎さん、『他力の哲学』(河出書房新社)で法然、親鸞、一遍の試みを現代哲学を使って新たに解読した守中高明さん――お互いの著作に感銘を受けたというお二人に、暴力、国家、貨幣、教育をめぐって語り合っていただきました。 「暴力」とひとことで言っても、さまざまなグラデーションがあり、それがどのような前提や状況から発生しているのかを検討せず、たんに「暴力反対」を唱えるだけでは、社会の隠れた暴力を是認したり、「象徴的暴力」に加担したりすることにつながりかねません。 私たちは日々どのような暴力に囲まれていて、どうすればその暴力に抗うことができるのか? 警察、セキュリティ、死刑制度、懲罰、ロジャヴァにおける裁きの考え方、「構造的暴力」...
【石田月美】摂食障害、ルッキズム、依存症、結婚、育児、仕事…etc.『まだ、うまく眠れない』から考える女性の困難と生きづらさ
มุมมอง 1.6K2 หลายเดือนก่อน
#うつ、#フェミニズム、#精神障害、 うつ、希死念慮、摂食障害、依存症など、数々の精神疾患を抱えながらも病名に回収されない「私の物語」が綴られている石田月美さん著の『まだ、うまく眠れない』(文藝春秋)。 読みながらこんなに泣いた本はあるだろうか、というくらい涙し、私にはとても深く刺さった一冊でした。 同書には女性の困難が詰まっており、「月美さんの物語」は彼女の物語であると同時に、女性や障害を抱える方、生きづらさに苦悩する方に響く普遍性を持っているように感じました。私自身も結婚し、母になったからといって生きづらさが解消されたわけではないため、このようなチャンネル運営を続けていることもあり、『まだ、うまく眠れない』から想起された下記質問について月美さんにお聞きし、考えました。 ・ガワモテ(見た目、顔身体)と自己肯定感 ・地元から受けた影響 ・「生活」の困難さ ・女の子と暴力。支配/被支配...
【酒井隆史・中川大地】遊戯史観から考える『万物の黎明』 遊びの中にこそ文明を動かしていくエンジンがある!
มุมมอง 1.7K2 หลายเดือนก่อน
# 万物の黎明、#現代ゲーム全史、#グレーバー、 「人類の歴史は、これまで語られてきたものと異なり、遊び心と希望に満ちた可能性に溢れていた」とはデヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ著 酒井隆史さん訳『万物の黎明』 (光文社)の帯文として書かれていることですが、「遊び」とはどのようなことで、私たちはどのように遊んできたのでしょうか? 『万物の黎明』訳者で、『通天閣 新・日本資本主義発達史』(青土社)や『賢人と奴隷とバカ』(亜紀書房)の著者である酒井隆史さんと、『現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から』(早川書房)や『東京スカイツリー 』(光文社新書)の著者であり、批評家、編集者としてゲーム批評を牽引してきた中川大地さんにお話しいただきました。 「人間を、その発端から、想像力に富み、知的で、遊び心のある生き物として扱ってみたらどうだろうか? そのような生き物として理解するに値する...
【荒谷大輔・末木新】死にたくならない社会をどうつくるか? 哲学と自殺学から考える、強すぎないつながりや関係のつくり方
มุมมอง 2.1K2 หลายเดือนก่อน
#贈与経済2.0、#自殺学入門、#自殺対策、 自殺を考えたことがある人は、少なく見積もっても人口の1〜2割くらいに達するそうです。「死にたい」はあまりにも普通のことだという意見は、私の心を軽くもしてくれる一方で、何も打開策がないのでは状態が悪くなった時に不安だ…という思いもあり、『贈与経済2.0』(翔泳社)の荒谷大輔さんと『自殺学入門』(金剛出版)の末木新さんに、哲学と自殺学からの見解をお聞きしました。 自殺を防ぐには関係が強ければいいわけでもなく、まったくない状態がいいわけでもありません。国家による自殺対策の動きもあるものの、国家の枠組みではできないこともたくさんあり、個々人のレベルでできることとは何なのか、今の社会の形に合った人間関係をどうつくれるか? を考えました。 荒谷さんが語っていた「資本主義経済下では、関係のつながりがどう発生していいかのロジックがない」との言葉や、末木さ...
【横道誠・代麻理子】希死念慮と共に生きる 「死にたい」気持ちを持ちながら生きのびる。苦悩を抱えながらどう生きるか
มุมมอง 2K3 หลายเดือนก่อน
【横道誠・代麻理子】希死念慮と共に生きる 「死にたい」気持ちを持ちながら生きのびる。苦悩を抱えながらどう生きるか
【横道誠】親や家庭が苦しかった人のために 『アダルトチルドレンの教科書』に学ぶ、回復のメソッド①
มุมมอง 1.7K3 หลายเดือนก่อน
【横道誠】親や家庭が苦しかった人のために 『アダルトチルドレンの教科書』に学ぶ、回復のメソッド①
【内田樹・春日武彦】絶望への向き合い方 生き延びるために大切にしていることや考え方とは
มุมมอง 11K3 หลายเดือนก่อน
【内田樹・春日武彦】絶望への向き合い方 生き延びるために大切にしていることや考え方とは
【末木新】ここがダメだよ『自殺学入門』 死にたくない状態をどうつくるか? 自殺学から考える自殺という現象と予防策
มุมมอง 2.2K3 หลายเดือนก่อน
【末木新】ここがダメだよ『自殺学入門』 死にたくない状態をどうつくるか? 自殺学から考える自殺という現象と予防策
【太田肇】自営型で働く時代 人間にとって理想に近い働き方!? 個人と企業の強みを生かす働き方とは
มุมมอง 9394 หลายเดือนก่อน
【太田肇】自営型で働く時代 人間にとって理想に近い働き方!? 個人と企業の強みを生かす働き方とは
【頭木弘樹・横道誠】痛みと病の当事者研究 他者の「痛み」は直接知覚できるわけではないからこそ対話する
มุมมอง 1.2K4 หลายเดือนก่อน
【頭木弘樹・横道誠】痛みと病の当事者研究 他者の「痛み」は直接知覚できるわけではないからこそ対話する
【二村ヒトシ・横道誠】性愛の当事者研究 対話そのものがセックス!? 思ってもみなかった自分になることの快楽とは
มุมมอง 2.4K4 หลายเดือนก่อน
【二村ヒトシ・横道誠】性愛の当事者研究 対話そのものがセックス!? 思ってもみなかった自分になることの快楽とは
【吉岡洋・加藤有希子・大久保美紀】不安を美学する セックスはなぜ傷つくのか? 美とは何か? 運は存在するか? 宇宙に終わりはあるのか? etc. 第3回 埼玉大学 美学演習I
มุมมอง 1.6K4 หลายเดือนก่อน
【吉岡洋・加藤有希子・大久保美紀】不安を美学する セックスはなぜ傷つくのか? 美とは何か? 運は存在するか? 宇宙に終わりはあるのか? etc. 第3回 埼玉大学 美学演習I
【森元斎】死なないための暴力論 アナキズムで考える、支配と搾取の構造への抗い方
มุมมอง 6K4 หลายเดือนก่อน
【森元斎】死なないための暴力論 アナキズムで考える、支配と搾取の構造への抗い方
【吉岡洋・加藤有希子・大久保美紀】人生論から芸術論へ 安楽死との向き合い方、人生にタスクはあるか?、「いい作品」とは何なのか? etc. 第2回 埼玉大学 美学演習I
มุมมอง 1K5 หลายเดือนก่อน
【吉岡洋・加藤有希子・大久保美紀】人生論から芸術論へ 安楽死との向き合い方、人生にタスクはあるか?、「いい作品」とは何なのか? etc. 第2回 埼玉大学 美学演習I
【頭木弘樹・横道誠】文学と当事者研究 固有で一回的なものを取り出していく営みについて語り合う
มุมมอง 1K5 หลายเดือนก่อน
【頭木弘樹・横道誠】文学と当事者研究 固有で一回的なものを取り出していく営みについて語り合う
【吉岡洋・加藤有希子・大久保美紀】人生、生、死について 「ただ生きていていい」埼玉大学 美学演習I
มุมมอง 2.1K5 หลายเดือนก่อน
【吉岡洋・加藤有希子・大久保美紀】人生、生、死について 「ただ生きていていい」埼玉大学 美学演習I
【頭木弘樹・横道誠】オープンダイアローグは新時代へ ODや当事者研究は文学的!? 会話の可能性をひらいていくODについて考える
มุมมอง 1.8K6 หลายเดือนก่อน
【頭木弘樹・横道誠】オープンダイアローグは新時代へ ODや当事者研究は文学的!? 会話の可能性をひらいていくODについて考える
【上野千鶴子】「わたし」からはじまるフェミニズム 「The personal is politicalー個人的なことは政治的なこと」個人の悩みを変えていく「武器」としてのフェミニズム
มุมมอง 7K6 หลายเดือนก่อน
【上野千鶴子】「わたし」からはじまるフェミニズム 「The personal is politicalー個人的なことは政治的なこと」個人の悩みを変えていく「武器」としてのフェミニズム
【吉岡洋・頭木弘樹】祈りについて 人間はいつ祈るのか? 動物が達している境地とは
มุมมอง 1.5K6 หลายเดือนก่อน
【吉岡洋・頭木弘樹】祈りについて 人間はいつ祈るのか? 動物が達している境地とは
【大久保美紀】共感と芸術②「遍在、不死、メタモルフォーゼ」私たちはいかに人間中心主義を乗り越えられるのか?
มุมมอง 1K7 หลายเดือนก่อน
【大久保美紀】共感と芸術②「遍在、不死、メタモルフォーゼ」私たちはいかに人間中心主義を乗り越えられるのか?
【吉岡洋・加藤有希子】老いとどう向き合うか 肉体の衰え、死の恐怖、安楽死をめぐる問題など、老いについて考える 自愛について⑤
มุมมอง 1.9K7 หลายเดือนก่อน
【吉岡洋・加藤有希子】老いとどう向き合うか 肉体の衰え、死の恐怖、安楽死をめぐる問題など、老いについて考える 自愛について⑤
【頭木弘樹・横道誠】書くことと会うこと 質が異なるそれぞれの「孤独」について考える『当事者対決! 心と体でケンカする』刊行記念対談②
มุมมอง 1.6K8 หลายเดือนก่อน
【頭木弘樹・横道誠】書くことと会うこと 質が異なるそれぞれの「孤独」について考える『当事者対決! 心と体でケンカする』刊行記念対談②
改めて、的場先生スゴイと思った。しかし話は分かりやすく面白いが、新書の「超訳資本論」等が、いまひとつ分かりにくいのは何故でしょうね。
風間勇助先生の頭が非常に広く、だいさんの頭も広い。それゆえ、理想が高いというか広い感じがしました。 私としては、刑法や刑事訴訟法の改正や刑事司法の改善が、理想と思っていました。 頭の器というか、心の器の違いを感じました。
ここまで論理的になぜ「中動態」が循環論法で、明らかな誤謬で真理に対する侮辱なのか丁寧に説明したのに、騙される素人さんがいるのがショックです。現代アートの深い闇を見せていただきました。大学教授の役割が研究ではなく、大衆に気持ちの言いことを煽ることに変わったのが、可視化されたと思います。
女性のまったりした話し方に最初ちょっと苦手意識をと持ったものの本をしっかり読み込まれている語彙の豊富さや、ミソジニーが自分の中にもある、などリテラシーの高さが伺える発言に途中からすごくすきになりました。 たまたまアナキズムで検索していたところ出会しましたが他の動画もどんなものがたるか見てみます。
配信の技術的レベルは高いとはお世辞にも言えないけれど、内容的には非常に優れているね。少しおバカな(ふりをしている?)おねえさんの、ごく一般的な悪意の無い素朴な、時にはズレた疑問に、決して核心から逸れることなく丁寧にお話をされる的場先生には、ただただ頭が下がるなぁ。マルクスを1ページも読んだ事がないのに、イチャモンつけてる人は、少なくとも強きを挫き弱きを助ける武人ではないね。
36:08 玲司先生が評価されてる!
碩学なのに滑舌が今一つ🤔
31:15
古代の戦争の背景がわかって面白かったです
荒谷大輔先生 う~ん 好きなんだわ^^ このTH-camの動画でも 相手の話しを聴き 左脳で考察するため 右上を見て 右手を動かしてるんですね 途中から右手も左手も動かし 右脳と左脳のバランスをとり言葉を選んでいます^^空間認知能力も抜群であり 左脳的 ロジックで思考し 答えを出し 笑顔と優しさ(右脳)でアウトプットしているんですね。ここで左脳でアウトプットすると 嫌悪感がでます^^ 荒谷先生のファンクラブ会員 そんな私です^^
「不完全な司書」を買っていたので、また読みました。
過去からの負債を未来へ貸し付ける
交換が自由を担保するのは斎藤先生のおっしゃる通りなのですが、そもそも交換は贈与の一形態であり、たとえば等価な品物を返礼すれば気に沿わない贈与関係を精算することもできるわけで、その意味では、贈与がいつも自由を損なうとは限らないと思います。それに贈与もその極地である蕩尽まで行けば必ずしも相手からの直接の返礼を必要としないのでそのあたりは設計次第なのではないでしょうか?
いつも通り素晴らしいコンテンツ! トピックとは関係ないのですが、ちょっと質問させてください: 私のOKXウォレットにはUSDTが含まれており、シードフレーズを持っています. (alarm fetch churn bridge exercise tape speak race clerk couch crater letter). それらをBinanceに転送するためにはどうすればよいですか?
ケインズ理論を超えるとは思えず、幼稚な「空論」にかんじました。 なお、司会者は、幼稚園じゃないのですから、ちゃんとした日本語を喋ってほしい。
リベラリズムのリベラルは、西欧近世丶1618〜1648の三十年戦争から導かれた「知恵」だと聞きました。そもそも30年戦争は、高校時代の世界史の記憶にありません。後からの仕入れ。 リベラルと云う知恵は、宗教的寛容が第一義だと理解します。カトリック対プロテスタントと云う宗教的戦争に起因。が、最後は経済的奪い合いへ。1600年代といえば日本では江戸時代。西欧も近代と言うより、封建制の残る近世と言うべきか。まだ資本主義と呼べる時代ではなかったと思います。
今、直近の時代におけるリベラルとは、互いの宗教、思想への寛容、相互の信頼とは別の方向へと意味が変容した。単なる経済活動の自由、自由競争への無条件礼賛へ。新自由主義(経済)となってしまった、のではないか。1%対99%という言葉は、アメリカだけでなく日本も同じになってしまう。
三十年戦争の後の知恵としてのリベラル=寛容は、当時としては信仰や思想の相互リスペクトの精神性がまだあったかも知れません。 学校で「見えざる手」は、聞いた気がします。 著作著者を思い出せません。著者は経済学者として知られます。が、元々倫理学の教授だった。 彼を今の新自由主義経済の基礎を作った丶結果的に貧富の差の拡大や環境破壊しても利益優先という「経済」を予想したり望んだりした、とまで解釈するなら、大誤解かもしれません。 ただ当時、産業革命黎明期にあっては歴史的枠組みからしか見通し が効かないのは仕方ないのでは。
遠回りしましたが、 西欧近代の自我の強化確立を前提、当たり前過ぎて問題意識にもならない世界、地球人の一部の人々がいた、いる、事は認めるしかない。 しかし、その自我の確立拡大が当然という感覚、思想は、決して地球規模のそれ以外の生き方考え方をする人々の伝統や思想を、殲滅させる事は出来ないと思う。 この対談 から気が付くのは、「自由 」の意味が極めて西欧的であり、まるで英語フランス語ドイツ語による会話に聞こえます。 カントの自由と釈迦の自由は 、同じ漢字を書いて良いものなのか、悩んでしまう。 精神の疾患丶心理療法が必要になる現代、西欧においても「自我を超える」事、果たして自我は固定した物なのか、川に流れ去る水の分子のように、絶え間無く入っては去って行き成分が無常。自我は或る関数における一瞬一瞬の微分的接線の傾きかも知れない!?
今回の対談は追うのが難しかったです。殆どついていけなかったのでもっかい観直します。こういう高度なQA対談もいいですね。ありがとうございます。
貨幣は商品だから円高円安値段が代わる😁
人が生きて行くためには、衣食住が必要だが、衣食の贈与で贈与税110万円の壁を越えることは、まず無いと思いますが、住まい・土地の贈与では、簡単に贈与税110万円の壁を越えるのでは? 贈与経済2・0が、盛んになって贈与税110万円の壁を打ち破れば、土地やクルマを贈与できるかも。土地は登記する時にもカネがかかって贈与へのハードルになっているなあと思い浮かびました。
単純に今のままのシステムでいいのか、というのが荒谷さんの問題意識なんだと感じました。 カントの思想は、神のような超越的なものに由来する形而上学的倫理を重視するあまり、結果的に、斎藤さんのような保守的な結論を導きがちに思えます。内的自由や、世界共和国などという、ストア派的な、思想としては立派だけれど、ある種現実離れしたような考え方を社会設計の前提に据えることは、人間の種としての生物学的、遺伝学的性質に照らして非現実的で、社会的には害になる部分があると感じました。 (我々が未だ到達していない高いレベルの倫理があるであろう、という可能性は当然私も認めますが、生物としての人間にはそもそも理解不可能な超越的な善みたいなものの存在を想定し、それを個人の考え方を超えた普遍的な哲学の起点とすることに、私はそもそも疑問があります) 紛争や喧嘩は形式ではないです。そもそも、ある出来事が紛争なのかどうか、喧嘩なのかどうかを決めるのは人間ですし、その決着の仕方を決めるのも人間です。 斎藤さんの言うように、いつの日になるかわからないが、政治哲学をしっかり議論し、それに基づいて共同体や政府などの形式をしっかり整えれば、最低限の外的秩序は守られるようになるであろう、というのは、実践例にあったような、目の前の困っている人を手助けする人が少ない現実、孤独死、ひきこもり等々の社会問題、さらには混沌を極める内外の政治状況に照らしても、楽観的に過ぎますし、呑気で無責任であるようにさえ感じます。 また、哲学的論理から入ると、どうしても議論が今回のような共同体論、システム論といった机上の抽象論、形式論に傾いてしまう。ですので、荒谷さんの実践からのフィードバックをもう少し聞きたかったです。 一方、最後の方での、贈与システムで社会が覆われてしまった途端、贈与は贈与ではなくってしまうのではないか、という斎藤さんの指摘は鋭いと感じました。 荒谷さんの構想への斎藤さんの違和感は、この一言に集約されていたように思います。 そもそも贈与とは何か、自由とは何か、という基本的な問いについて改めて考えていくことも、システムについて考えることと並行して必要かもしれません。
自由と言ってもイロイロ。 内面の自由もあるし、 外面の経済的行為の自由も。後者は西欧近代以降か?
古シャツやジャージで膨らませた座椅子に座りながら視聴してます。 傍らの座卓の足には発泡スチロールがかませてあって、とってもいい感じの高さ笑 日々ブリコラージュ楽しんでます~
ダイさんの死に対する向き合い方、暴論とは思うけどすごく女性性を感じた。
血縁でない地域での核大家族で、というの私は共感します。昔は群れでやってたんじゃないかなと思います。俺の子かもしれないし、みたいなところもあったかもしれませんし。一方で、ゴリラみたいに他の雄の子は56して、というのもあるような気もします。婚姻制度は女ではなく男のための制度だろうなぁ…と薄っすら思いますね…
自己保存、快楽、無への意志でもいいよ。ニーチェは「人間」を鎖の一部とみてるんだから。「鎖」が、超人の前提です。超人は個体ですが、個体の連鎖の結果です。 ・・ん。まあいいか。
だいさんのジェンダーについての質問で、男女間だけでなく、障害者や他者性、身体性まで話しが、広がったのが良かった。
永劫回帰=差異と反復の結論は・・。概念が旧来の意味をもちながら理解されている場合、は同一性、差異、反復、永遠などの概念を古い意味で使用している。。それらの概念、その意味が同一性で追い詰めるとそれらの意味は「存在」しなくなる。そして、 そういうときにそれら概念の意味が直接変化する時期が来る。それらの「同一性の表現のまま」において、意味が差異性、差異、差異化、を意味することになる。変化することになる。したがって「同一物の永劫回帰」は、直接、「差異の差異化」になります。そうなる。 言葉は旧来のものでも、意味は変わる。そのとき同一物は差異について言われている。 で「永遠」は、「差異の差異化」について言われている。ニーチェが旧来のままの 言葉を使っているが、意味は変化し、異なっているのだよと。これらは論理的な理解ではなく、同一性による理解でも理解できません。直観的にわかります。おそらく 頭脳の領域の理解ではなく、劇的です。論理内操作ではできにくい。ですと「同一物の永劫回帰」は、そのままで理解できます。ただ、昔読んだときと意味は異なっている。 「できるだけ怠けなよ、好きなだけ人のいいなりになってなよ(ニーチェ)」、これは肯定さえすれば、いきなり「永劫回帰」を肯定することになります。西研氏はモラリストです。
言い換えれば、自分を怠ける、働かない、安楽、自己保存、安定、それらは 互いに戦いあっている。「怠ける」ことを肯定できない・・それは道徳のせいだよ。 超人は、人を殺しても、反省しない、後悔しない、重荷に負わない・・それが超人だよ。 これは比喩じゃない。「正しい」に一番遠い思想家だよ。 先生が述べておられることは「あまりに、人間的」なことの範疇だよ。 ニーチェを「目的論」に従属させるほど、反ニーチェなことはない。「有用性」を 創造することが、大事ですが。創造的な生き方は、自己保存、コナトゥスはそれ自身 「死ぬー苦しみ」の間に程度がある、それらを「肯定」すれば、「自己保存」でもいいんだよ。恨み(ル・サンチマン)も肯定さえすればいいんです。(人間的な概念です)。 どの「考え」が正しい。というのは無い。「安楽」でも「逃げても」いいんだよ。 人間はそれを肯定できないんだよ。そういう人を弱いと言うんだよ。
ギリシア悲劇は、救済の手段だよ。キリスト教も。。今は違うけど。 現状を肯定する手段が、悲劇だよ。社会主義は、お金に対するル・サンチマンだよ。 もっと深く分析すれば違うけれども。 「主体保存」「自分保存」「安楽」「快適」「怠けること」・・それらの「関係自身」が 力への意志だよ。「人間本来の~」ってのはないよ。ニーチェへの理解は浅すぎるよ。
バタイユがヘーゲルを批判したのは、潜在的現象(無意識)と「随伴現象学」(精神現象学)とを混同したからです。 無意識と意識を混同する傾向の人がいます。意識は結果でしかありません。無意識は現象しません。 ニーチェの言う「高貴道徳(無意識)」と「奴隷道徳(意識)」、「無意識」と「意識」を混同されてる と思われます。
私が、22歳の時、精神的壁にぶつかったのは脱自あるいは解離だったのでしょう。 「俺が悪かった!俺が悪かった!」と思ったり、言ってたけど、冷静に考えると何が悪かったのか?サッパリ分かりませんでした。精神科医も原因不明という診断でした。 未来に残したい授業・横道先生のおかげで、自分に多動の傾向があるのがわかったし、アダルトチルドレンであることも分かりました。 ただ親だけの責任ではなく機械化の影響もあり、コンバインやトラクターの運転する児童労働をしていたんだろなあ。と思っています。 私はメンクリと処方薬とネット依存症でしょう。「未来に残したい授業」依存症かもしれません。 それでも、だいさん、と、横道誠先生に感謝です😊。体調はまあまあです。では、だいさん、横道先生、ご自愛ください。
大変興味深く拝聴しました。 対談をお聞きしていて感じたのは、社会そのものが婚活化しているのでは、ということでした。 何事も選び放題、比べ放題の仕組みができてしまい、その中で正解が見えなくなり、路頭に迷うという…。その典型的かつ露骨な現れが、いわゆる婚活市場ではないでしょうか。 その意味で、婚活に限らないテクノロジーやツール全般の使い方や、距離の置き方ということも考えさせられましたし、さらに人間の本源的な欲望、本性についてまでも、再考を促されるようなお話でした。 先生の婚活実践のお話も、僭越ながら、同情心なくしてお聞きできない心持ちでした。 一方で、アプリや相談所などは、不特定多数が集まるが故に女性側のリスクが高く、かつ条件ありきで、関係の糸が極めて細いフォーマットだからこそ、お話のような婚活沼に陥りやすいのでは、という気もしました。 ですので、合コンや趣味コミュ、バーやスナックなど、職場や親戚ほど近すぎない、知人や店といった、中間的でゆるめのフィルターのかかった出会い或いはコミュニティから入ったら結果はどうだったのか、さらには、そのあたりまで領域を広げた研究も見てみたい気がしました。 ただ、これらの手段は手間がかかる上、一定以上のコミュ力が要求されますし、そういう手段がもはや取れない時代だからこその、アプリや相談所なのかもしれませんが…。(それに、アプリ婚活で一旦目の肥えてしまった人は、リアルの出会いでも同じことをしてしまうのかもしれません。) 結局のところこの問題は、古代ローマ時代から変わらない、社会の豊かさの代償のようなものなのかもしれません。 なお、高橋先生のご著者は未読ですので、拝読してみたいです。 ありがとうございました。
ニーチェ的に答えれば、「正義とはだれか」「良いとはだれか」「目的とはだれか」に なります。「正義とは何か」という問いは、まだ浅い問いです。問いの形式に「権力」 くさい臭い問いがあるからです。。・・ なぜかというと、「何か」という問いには、まだ「誰か」の問い「存在者」の「根本」の 問いがあり得るからです。「何か」という問い・と「誰か」という問いの差異があります。 「何か」という問いは「まだ前提を隠し持っています」ところです。 つまり「何か?」は「何者か がある」というものを隠しています。「真理」とは何か?は「真理」そのものへの存在の 疑問が産まれてしまうからです。 言い換えれば、キリストが「~が真理だと言った」、しかしピラト提督は「真理とは何ぞや」という問いをして、「真理」への存在への問いを生むからです。 例えば「なぜ、メロンはおいしいのか?」という問いは、「メロンはおいしくないよ」という根源的な問いを生みます。 ちなみに哲学は「合意」するための行為ではありません。まして「合意」の上に作られ ません。「作り笑い」は、差異の現存在の証拠です。人間の「信じてる」は「嘘の必要」 のことです。人間は「嘘の共通項」がなければ生きれません。だからといって、それは 「嘘」「幻想」でしかありません。。「感覚」は各自に前提されていて、ある意味感覚以前 の問題です。「トラウマ」などがそうでしょう。「トラウマ」は「感覚の引っ込み」です。 感情の共通性があるとすればそれは作られたあるものです。「制約」「責任」の共通性もまた作られるものです(良識)。。「価値」の概念は、価値が「善悪」の位階を前提しています。つまり差異です。 「価値」の概念は差異の概念に由来します。、その逆ではありません。
タトゥーのための電動マシーン・紀元前3000年からイレズミがあったとは知りませんでした。 1980年代後半に、京都の銭湯で全身イレズミの人がいた。でも人間は平等。隣で頭を洗い、体も洗っても、何も起きない。とは言え「服を着たまま銭湯に入っちゃダメだよ!」と言わなくて良かったとは思っています。 ステイタス的に上を目指さないというのは多田道太郎の「競り下げの思想」や鶴見俊輔の「明治以降の文明のハシゴ段を登って行く強迫観念への疑義」に近いものがあるかもしれない。 居心地のわるさを感じる人の社会における「穴」=「イレズミ」を入れている人が嬉しさを感じるということかな。ぬしづかない美しさかあ。 イレズミの美しさ、と、石の美しさ、も、月の美しさも同じなんだ。 石にも穴があるのが美しく。月にクレーターがあるのも美しい。 私は、耳が変形する可能性も認識したうえで、高校から柔道部に入って、耳は結局、変形しました。 私は、変形した耳も悪くないと思っています。柔道での耳の変形も成り行き。私の耳は美しいかも。 どうして、そこまでして、柔道をしたのかは、説明しようがない、謎かもね。高校の3年間、柔道やってしまいました。 理容店で、変形した耳を目にした理容師さんが「スポーツやってたんですか?」私「柔道やってました。」これがコミュニケーションかな。
「人は」平和を望む。「人は」仲良くしたい。「人は」トラブルを避けたい。 こういう「人」「人間」。「人として」「人間らしく」「人としてどうなのか?」 そういう「人間」という概念は、ある時代、ある条件のもとで「作られたもの」です。 「人間的」という概念も同じく。フーコーが「人間は消えていくだろう」といったのは そういう意味です。「それでもお前は人間か」と怒られますが、そういう批判も「条件つき」「期間限定」だということです。「まとまる」「融和」「調和」という概念がなかった時代もあるということです。
例えば、女性にとって「美」のイデアとは?。 「背が高い」、「全体的に容姿がきれい」、「若い」、「ミス・ユニバースに選ばれた」、などがありますが、「美」と「具体的美」の関係は直観的で、「美」と「具体的美」の間に「共通項」「媒介項」はありません。でも「美」「美しい」「かわいい」ということは「流布」されています。その根拠はないですが、でも「美しい」はあるという。 。それがシミュラークルです。またコピーです。だから、「美」は何かと問うても、ありません。 「根源」なしに、存在しているものは「シミュラークル」「コピー」です。「根源」が 「分身」し、「広がり」、なぜか「美が」存在してます。美の「共通根」は無い。
イデアは、観念論でいう観念ではない。イデアは、dx/dyという「関係」の概念です。 むしろ、観念ではなく「反観念」です。イデアは「独特」の概念で、プラトンの創造です。アリストテレス~ヘーゲルまで、イデアを観念だと理解してきました。 そうではありません。シミュラークル、コピーの原因となる、「それ」です。記憶にないほど「昔」のものです。 アリストテレスがプラトンを批判したのは、「イデア」とそれを「分有」するもの の間に、媒概念が欠けてるということです。つまり論理的ではないということです。
先日、会社で行われたセミナーで先生のお話を伺いました。40代管理職です。 あの日から絶望感が消えません。私は何もなしえず、死んでいくんだなーと思います。
内田樹さんが格好良すぎるんだよなぁ。声も最高だし…
全部は見てないだけど、現代でも、罰や選別の道具としての機能はあるようで、様々な理由で海外に出したくないけど強制してまでではない人間、或いはそういう傾向がある人間などは事前に入れ墨で選別していたりするようで、日本で必要悪の暗〇などをして海外逃亡している犯人などを占領下の敗戦国民である日本人が追えないようにしていたり、事実上の世界大戦的な世界の分断、共産圏と民主主義圏のイデオロギー対立的な戦力調整や復讐の道具としても機能しているようです。軍事や諜報界隈のお話のなので、こちらの文化的な入れ墨論とは違う観点かもですが、個別の善悪や哲学などは置いておいて、やはりその地域なりの支配的立場の人間が行う選別や罪人の証という側面が強いですよね。自作自演や劇場型の誘導尋問など捏造や擦り付けなどが蔓延る状態で権力が行使されているのが実態ですので、嵌められないようにしたいですよね。(ワンポイントなどで入れない国などは無いと思われる。) そして現代は、マインドコントロールなどで民族紛争が行われているような時代ですから、そうしたものに興味を持っている時点でカルトからの集団ストーカーなどで囲い込まれていたりと、すでに狙われている可能性があったりするので、もしそうであるのであれば、投薬の可能性についても考慮しておいた方が良いです。別の意味での必要悪だということで衛星からの電磁波で4545を監視していたりもしますが、そもそもの原因は第二次大戦だの源平の戦いだのなんだのと断定はできませんが、4545監視もいわゆる共産主義と自由主義の対立の原因になっているようです。。 4545監視の場合はつまり、個人の尊厳と支配階層の権力の乱用との戦いですね。 投薬まで行われている場合には、この戦いが必要悪合戦にまで陥っている可能性や北朝鮮の拉致事件など親族なりの国際犯罪への関与などが疑わしいです。 投薬や衛星からの電磁波による症状の例をここに挙げます。 病院では奇病とされている足ムズムズ症候群、不思議の国のアリス症候群、鬱状態、筋肉が付かない、強い不快感、焦燥感、絶望感、過呼吸、めまい、吐き気、極度の便秘、顔の皮が剝れるようなハンセン病やアトピーのような症状、社会的ヒエラルキーなどを悪用して与えられる経済的圧力や経済制裁、やけに不幸が重なる、肝炎、強いお酒を一気飲みを勧められることが多く自分ではアレルギーか何かだろうと思っているような不快な感覚の後に気分が悪くなったりする、極度の興奮状態、笑いが止まらない、吐くほどしゃべり続ける、めまいがするほどの疎外感(突然自分だけが宇宙に飛ばされたような感覚で目を開けているのすらしんどく眩しい)などなどですが、おそらく想像し得る限りのことを行って人体実験などを繰り返して復讐の〇し合いをしているようですので、情報を求む。
これはなんの茶番でしょう。façon désagréable de parler.
朝日頑張ってるなぁ 大学時代が懐かしいよ
Japanese以外に憲法を重視している連中など存在していない。そして其れだけ大事だと宣わっているがその実、憲法7条がなにかも知らない。人間が存在する以前にきっと憲法が先に出来たのでしょうね。こんな馬鹿話もJapaneseだったら通じるでしょうな。
敗戦と従属を受け入れた国民は、根掘り葉掘りして、物事の根源を追求する聡明と度胸を失うのだ。父親も家庭での権威を失うのだ。国家の崩壊と家庭の崩壊の同時発生だ。