【吉岡洋・加藤有希子・大久保美紀】人生、生、死について 「ただ生きていていい」埼玉大学 美学演習I

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  • เผยแพร่เมื่อ 11 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 10

  • @Lain_999
    @Lain_999 5 หลายเดือนก่อน +11

    私は現状、心身衰弱で大学を休学しています。何も無い私が生きてていいのか、とずっと感じてて、泣いてしまいました。素晴らしい対談ありがとうございました

    • @lessons_for_the_future
      @lessons_for_the_future  5 หลายเดือนก่อน +4

      つらい思いをされている中、こんなに温かいコメントを寄せてくださってありがとうございます。涙 大久保さんが語ってくれた「いつか死ぬ時まで死ななくていい」を心に留めて共に歩みましょうね。

  • @gaoasa8714
    @gaoasa8714 5 หลายเดือนก่อน +2

    03:15 質問1
    17:34 質問2
    30:16 質問3
    47:22 質問4
    1:03:51 質問5
    1:16:02 質問6

  • @gaoasa8714
    @gaoasa8714 5 หลายเดือนก่อน +3

    相対的な価値に支配されないというのは、自然の摂理、宇宙の理から考るという意味なのだろうとお話を聞いていて思いました。人が死にたいと言ってる時、自然の摂理では猫や動物は死のうとしない。宇宙の理からしたら価値がある無し、美醜、正しい間違いなど全て存在しない。だから、生とか死なんてどうでも良く、ただこの瞬間に存在するのみというように思えました。
    私は自己嫌悪や自責の念に押しつぶされそうになることが多かったのですが(最近もありました)、外部からきた刺激を自己嫌悪や自責の念に変換しているのはこの私で、でも、私を含めた全てに価値がないのであれば私が悪い、私が駄目なんてそもそもないのだと体感することがありました。人が行うことなんて全てはしょせんエゴに過ぎないのだから自分のことも他人のことも責め立てることなんてしなくて大丈夫と思えました。もしかしたらそれが私にとっての自愛なのかもしれません。

  • @masaotobita5000
    @masaotobita5000 5 หลายเดือนก่อน

    4人の登壇者の話し共、自己の生死への愛を中心とした話が多く、自分の生死の他者への誓願的な願いや祈りを通しての生死の発言が一言も聞かれなかったのが不思議である。恐らくそこには、生命を受け身的にしか最終的に受け取れないでいる意識しかないのかと思った。それが最終的に、何者かに「のまれてしまう」という意識になってしまうのだろう。‎04/‎07/‎2024-23:53

  • @masaotobita5000
    @masaotobita5000 5 หลายเดือนก่อน

    仏教的な感覚ならば、自愛ではなくて、自他共に愛する人間の他者への愛を実現する方法を深く語る必要があるように思えます。

  • @コムラー-t7g
    @コムラー-t7g 5 หลายเดือนก่อน +3

    「天なお寒し、自愛せよ!」
    私が先にいって、あとは上から順番にいってもらいたいものです。
    小学校1年生・昭和49年に、曽祖父が亡くなったんですが、なんだ!寝とるだけやないか、という感じでした。葬儀は、孫子(まごこ)の祭りで、曾孫が先頭で、草花を振りながら家から火葬場まで、遠足みたいに歩いて行くものでした。
    小学生の頃から、ずっと東海地震の避難訓練をしていて、運が良ければ生き残れるし、そうでなければ、それで仕方ない。死生、天に有り。
    米や野菜を作っいるので、皆さん、食べましょう!モリモリ食べてください😊
    先生!死神って、死ぬんですか?

  • @SEKITOBAmimick
    @SEKITOBAmimick 5 หลายเดือนก่อน +6

    埼玉大学には素晴らしい先生がいらっしゃるんですね。こういうテーマの授業受けられるのは幸福だと思います。一人で聴くのと、大人数でこの授業を共有して、話し合う体験は一生ものですね。紹介のあった書籍もメモ、この動画内でも心に留めておきたいお話もφ(`д´)メモメモ...しながらもう一度見直します。素晴らしい対談を共有してくださってありがとうございました。