【三国志解説42】時流に呑まれた人傑・劉封【ゆっくり史伝】三國志14発売記念
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- เผยแพร่เมื่อ 4 มิ.ย. 2021
- 今回は劉備の養子にして若くして活躍した劉封を紹介。その生まれから活躍、そして未だ若くして死なねばならなかった秘密を解説します。
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装甲猫: / @user-wj5tx9oz4n
―参考文献―
『三国志』『後漢書』『続漢書』『史記』『漢書』『東観漢記』『後漢紀』『水経注』『華陽国志』『襄陽耆旧記』『益部耆旧雑記』『太平御覧』『読史方輿紀要』『太平寰宇記』『大清一統志』『初学記』『芸文類聚』『釈名』『説文解字注』『貝と羊の中国人』『世界保健統計2019年版』『医療の国際数量比較』『医療関連データの国際比較』
『三国志集解』※上記三国志で参照した各伝
『後漢書集解』※上記後漢書で参照した各伝
※動画に引いた史書中の文言は可能な限り常用漢字に改めています。
そのためもとの原文とは文章に異同があります。ご注意下さい。
■使用イラスト
いらすとやさんwww.irasutoya.com/
■使用BGM
DOVA-SYNDROME内
shimtoneさん:dova-s.jp/_contents/author/pr...
作田京輔さん:dova-s.jp/_contents/author/pr...
田中芳典さん:dova-s.jp/_contents/author/pr...
MAKOOTOさん:dova-s.jp/_contents/author/pr...
ゆうりさん:dova-s.jp/_contents/author/pr...
■使用地図
蒼天さん郡国志:3594.wiki.fc2.com/
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#歴史解説 #三国志解説 #ゆっくり解説 - บันเทิง
装甲猫さんの考察は何度も見返すほど好き。
ありがとうございます!
@@user-wj5tx9oz4n😊😊😊
考察通りなら劉備の後継者としてならば実子である阿斗ちゃんとなるけど漢王朝の正統となるとこの人が断然優位に立つわけか後は魏が劉封を"漢中王"に封じて劉備の後を継ぐようにと命じる勅命を出して揺さぶりをかけて来る可能性が有るからね
劉封に以前からはぼんやりと豊臣秀次や松平信康と重ねて居ました。
死という罰に対して罪が見合ってないと感じますよね。
名家くらいにしか理解してませんでしたが皇族の傍流にあたる可能性があるという解釈、非常に面白いです。
馬超の扱いもそうでしょうが劉備は血統書はついてないですからねw
王や帝を名乗るにはさぞ気を揉んだんでしょうね。
自分の中で歴史は小説的な物なのでこの解釈はとても好きです
いがみ合っていたけど死ぬほどではないと思って助け舟を出した孟達や、実に理不尽で不当だと分かりながら自害を命じて最後に涙した劉備の心境も合わせて考えると実に儚くて哀しくて面白い話でした
ありがとうございます!
劉封という今まであまり気に留めていなかった武将でしたが、とても鋭い考察で見入ってしまいました。
三国志には、戦についての考察や政治的な考察ものから、このような人物伝までいろんな楽しみ方があって奥が深いなと思います。
まさに懐の深さですね!
終始唸り続けました!
劉封の処分がまさか血統的な事かもしれない、その事に才人の孟達は気付いて、手紙を送ったり(劉禅を「太子」としかしていない理由の考察は、鳥肌が立ちました!)、全てが終わって劉備は涙した、というのも、そうなのかも!と思いました。
貧弱な語彙ですが、凄すぎる動画です!😆
情状酌量の余地も十分あって、これからいくらでも挽回できる能力もあったでしょうに、不憫な人生だなぁと感じています…😭
ありがとうございます。
太子については、既に正式に王太子になってるのに、なんで「王太子と為す」或いは表現自体を「立太子」とするなどをせずに、王太子とも皇太子とも取れる書き方したんだろう?
という所から考えてみた与太話です(笑
劉封の立場の危うさもそうですが、三国志正史が当時の政治に強く結びつく歴史書というものだという事を強く意識させる動画でした。
コメントありがとうございます。
正史は陳寿が私撰したものですが、最終的には晋の朝廷に提出されているので、そこで廷臣の検閲が入っただろうなあ、とは思いますね
『元本三国志』では、養子などという記述はなくそもそも劉封は劉備の実子、つまり劉禅の異母兄であるとしているが、万が一陳寿が劉封の出生に対して「本来は嫡子」という事実の一切を噓で塗り固めたとしたら・・・・
イヨッ!待ってました😄✨
劉封という悲運の人が好きで色々な考察文や動画を読み漁ってきましたが、ここまで深い考察を見たのは初めてです。
色々調べてみると、劉封の死の原因の考察に、正史と演技の話がごっちゃになっていたりしていたので色々すっきりしました!
考察動画は劉封が初めてなので、他の動画もこれから見ようと思います、ありがとうございました!!
こちらこそ楽しんで頂けた上にコメント貰えると励みになります!
@@user-wj5tx9oz4n
孟達の手紙はやたら詳しく残していますが、史実とはいえこんな手紙が残っているものなんでしょうか?🤔
地理と出自から歴史の事象を見直すと因果関係が違って見えてくるのが本当に面白いですね。
考察するのが楽しいです
劉封だけでなく、劉備や諸葛亮、そして孟達の見方も少し変わりました。とても面白かったです!
コメントありがとうございます。
楽しんで頂けたなら何よりです。
三国志という物語を名将の英断と天運を掴む逸話としてのめり込んで好んでいたけれど、大人になって疑問になった点を解説して頂けて心がスッとしました。
三国志という物語は幼少から大人まで共感できる人間味の溢れる、表裏一体の魅力的世界であると再認識いたしました。
敬服いたします。
ありがとうございます。
でも、あくまで一視点なので鵜呑みにはしないでくださいね!
今まで何も不思議に思わなかった点でした。最高に面白かったです!
途中から動画の雰囲気がかまいたちの夜っぽくなってきたなと思っていたら、あのBGMが流れ始めて笑った。
好きなんです。かまいたちの夜(笑
すげぇ。歴史の中の誰にも気づかれないで張られていた伏線を見事に回収したかのような解説だ!
ありがとうございます!
跡目争いでよくある、微妙な立ち位置に居る養子だから賜死させなければならないパターンと思ってました。
しかしまさか劉封自身の家格が劉備以上だったとは…。養子として廃しても漢王朝の血統としては召し出して後継に据えるのが筋→じゃあ絶対殺すしか無かったなんて…。
見応えのある考察いつもありがとうございます!
こちらこそコメントありがとうございます!
既存の見方に納得出来ない時は前提を疑う、という思考をしてみた結果の与太話ですけど(笑
今までの解説動画の中で、最も興味深い内容でした。
個人的にも処分が重過ぎると感じていたので、参考になります。
楽しんで頂けたようで何よりです!
考察していただき、ありがとうございます。
こちらこそリクエストありがとうございました。
深い考察、脱帽です!
ありがとうございます。一つの小説的な妄想としてならアリかな?と考えてみました。
この考察は普通にすごいな。確かに劉封が死ぬにはやりすぎなところもあったが、この背景があるなら頷ける。
ありがとうございます!
@@user-wj5tx9oz4n 大変で辛いこともあると思いますが、頑張ってください!
今回ちらっと出た劉璋を装甲猫さんの考察とともに見たいです!よろしくお願いしますm(*_ _)m
知らないこともあり
ありがとうございました
こちらこそいつもコメントありがとうございます!
初コメ失礼します。
以前から動画拝見させて頂いていましたが、今回の動画は過去の動画の中でも特に面白かったです。
劉封という人物の見方が180°変わりましたし、定説とされている(?)ところに疑問を抱き、非常に説得力のある答えに辿り着かれたことに感服しました。
これからも動画楽しみにしています!
コメントありがとうございます!
これからも気付いた事があれば遠慮なくコメントして下さいね!
ゲームでは孟達と徐晃と夏侯尚にリベンジしてみたくて統率95武力100知力75政治60魅力80まで鍛え上げた事がある。
ああ~そういうIFに挑むのって好きですわ~
ゲームで山間部上庸地形も大河に囲まれての水軍での劉封の活躍に今までの劉禅と劉封の後継者関係も劉封の出自や血筋の考察楽しいかったです。孟逹も色々なキーパーソン的な立場が多い人物…機会が有ればお願いします。上庸攻略が孟逹以外の人物だと劉封はどうしていたか…妄想が絶えません。動画ありがとうございました。
季漢の忠臣として劉封が生存するルートがあったとしたら…自ら寇に姓を戻すとか…?
養子になったあとで出来るかは知らんけど…
他の方への返信にあった、養子になった時点では、劉備は自分が皇帝になるなんて思っていないだろうということは、つい忘れがちですね…
少なくとも、阿斗の諱を”封禅”の禅(多分)にするくらいには、その時は幸福な養子縁組だったはずだから
毎回、史書を踏まえた紹介や考察には感服いたします!鳥人間さんの動画とともに楽しみに視聴しています
そうなんですよね。
どうしても後の結果を知ってると忘れてしまいがちですが、考察の際には”その時点での”状況を考えないと、と思います
劉封がもし魏に走っていても、親を捨てた不孝の人物として冷遇され結果的に死んでそう……
曹丕は性格的にやりかねないんですよね~(笑
実に鋭い意見に、脱帽です。👍劉封の子供は、劉林と言うそうです。
ありがとうございます。
劉林は晋の時代まで生きたようなので、恐らく劉封が死んだ時にはほんの数歳だと思いますね。
装甲猫さんの考察はいつも驚かされます。
これは考えたことはなかったなぁ。
コメントありがとうございます!
いや~面白かったです。
個人的に「わざわざ養子にまでした人物なのに何で殺すのかな?性格に問題でもあったのかな?」と思っていたのでこういう考察はとても参考になりました。
楽しんで頂けたなら何よりです!
劉封は戦国武将で例えると豊臣秀次ポジション。後継者だったが実子が生まれて非業の死を遂げた。
面白かったぁ~♪
今回も猫さんの考察は流石でしたね。
ここに関羽と劉備の不仲(?)説や、実は冠氏復興待望勢力が居て(または献帝と繋がりがあった)、みたいな話が絡むと、よりドロドロで楽しいですね(笑)
献帝が曹丕の臣下になってしまっては劉備は立場上曹丕の臣下になってしまい、劉氏であるが故の正統性は確かに揺らぐからな。
劉封が生きていれば絶対に魏から劉封を懐柔しようとする奴が出てくる。孫権が孫策の後を継いですぐに曹操の調略によって一族から裏切り者が出まくったのと同じことが起きては劉備軍はおしまいだった。故にどうしても後漢の血筋には消えてもらうしかなかったんだね
救援拒否で断罪された人ってイメージだったけど、具体的な立場や当時の状況をよく考えて推察するってのは見え方も変わって面白いもんですね。決して答え合わせはできないんだけれど。推理パートにはハッとさせられました。犯人はM樹本
最初の犯人入力は田中さん
馬岱動画観てもう一回他のも観たくなった
もう一周してきますー
ありがとうございます〜
ほんと見やすいし聞きやすい
もっと登録者増えていいのに
全部見たわけじゃないけど一応リクエストで除盛と丁奉をお願いします!
ありがとうございます
リクエストノートに追記しておきますね
今の価値観で個人が語られる事が多いですが、この時代は個人=家(clan) の側面があると思っていた私としてはとても興味深い考察でした。ありがとうございます。
脱線ですが、こういった考察を踏まえて、いつか自分も個人的でない利害で行動する人間に至りたい(願望
私も同じくです!
ちなみに関係ないですがコメントを読んでバッフ・クランを思い出しました(笑
渋いw
かなり武芸に優れた武将とよく聞くけど横山三国ではいきなり現れて退場のイメージ・・
楽しみです!!
関平とセットで動くイメージ
劉封も好きな武将
いつも楽しく動画を拝見させて頂いております。
装甲猫さんの動画は本当に良く調べているのがよく分かり勉強になります。
どなたか小説家の方とコラボして原案 装甲猫 三国志武将列伝とか読んでみたいものです(笑
ありがとうございます!
三国志考察ゆっくり動画で泣くとは思わなかった
コメントありがとうございます。
そこまで入り込んで観て頂けると冥利に尽きます!
劉禅が産まれたばかりに孔明の劉備への讒言により
命を奪われた悲運の武将ですね
讒言というか二人の陰謀ですね
劉備って割と諸葛亮の言う事聞かないので(笑
こういった考察を反映したゲームを出したらたまらんでしょうね。
仮想シナリオでもいいからやりたいなぁ。
私としては人事面での役職を強化して欲しいですね〜
大司農とかに有能な人材を当てるとバフが掛かるとか
毎回鋭い考察に感服していますが今回は特に感動しました。
劉備よりも明らかに正当性がある人物で一定の戦果を得た人物というのは確かに危険です。すごい。
曹操が亡くなり曹丕が継いで程なく禅譲を迫る見込みになったことは、恐らく劉備/諸葛亮サイドも情報として把握しており、そこから得られる今後の動きの予測は、ある程度見えている人物達(孟達とか)であれば、劉備一党が皇帝即位するしか国の政治的正当性を保てない、その為に「劉封は危うい」のは当時自明だったのかもしれませんね。
そもそも劉封を養子にしたのも、
『「劉」の正当性を保てる世継ぎを確保しておきたかった?』とか
『その後の劉琦よろしく荊州らへんの領有正当性を確保しておきたかった?』とか
『劉備は諸葛亮参画以前からそういった政治的思惑を図っていたのでは?』とかいろいろ妄想が捗ります。
さて、一点、装甲猫様の見解をお伺いしたいことがあります。
動画でもサラッと触れるのみに留まった、恐らく当時幼年の劉封の息子を劉備たちは何故生かしたと思われますでしょうか?
血統を優先するとした場合、この子供もそれなりに面倒な存在に思えたのですが、、、
いくつかありきたりな妄想は思いつくのですがぜひ装甲猫様の考察をお伺いしたい。と思った次第です。
では、次回動画も期待しております。
※個人的には趙儼の紹介を期待しております!
ありがとうございます。
さて蛇足ですが、お尋ねの点についての回答は劉封の子(劉林)は問題が無いと考えています。
というのも劉備が漢の血統を尊重するのはあくまで対外的なもの、つまり建前なんです。
しかし成人し能力もある劉封が万一「それなら俺の方が血筋が近いだろ常考!」と主張して血統を精査する話になると劉備達は困るんです。
だから嫌いではないけど死んで貰い涙を流したんです。
つまり「死人に口なし」にしたわけです。重要なのは「口なし」なので「殺す」のが目的ではないんです。
と、ここまで書けば察して頂けるでしょうか?
それにプラスして幼子を自身の野心のために始末するのも嫌だったんでしょう。
@@user-wj5tx9oz4n ご返事ありがとうございます。
なるほどやはり劉備が僭称せざるを得ないタイミングで有力候補としていなければさして重要ではない。ということになりますかね。
実際この先、諸葛亮が出師の表にて蜀の臣と民は先帝劉備に恩があり、忠義の対象であることを明確にしていますが、出師の表に表す以前からその政治スタンスでやっていたでしょうし、劉封の子を担ぎ出すことを含め劉備の正当性に難癖をつけるような政治団体が現れないような工作はすでに十分だったといったところでしょうか。
いやはやしかし、先日動画にされていた馬謖周りもそうですが、少ない文字数で色々読み取れるようにしている陳寿ら当時の中国の知識人の文才に改めて驚かされます。
ありがとうございました。
子を担ぎ出すメリットとデメリットを考えたら、他人だったら誰も火中の栗を拾おうとはしないだろう、と推察した次第です。
漢字が表意文字であるところの面白さで、一語一語辞書を引いて字義を調べるのって楽しいですよ
実際は文調を整えるためにやってたりしますけど
劉封の血筋が高いから除かれたのか…なるほど…いやぁ本当に凄い考察恐れ入ります。
かまいたちの夜、面白かったですよね
すごく楽しかったです。劉封の字が伝わっていないのは蜀にとっては居無かった事にしたい人物だった。けれど上庸の覇権が後の北伐まで影響を与えたから伝が立てられているんでしょうね。「易世」を単に世代交代として、荊州を失った事は蜀にとって劉備存命中は軍事上の問題だけであったでしょうが、没後には荊州出身の良血の劉封が存在するだけで後継者争いを火種として荊州派と益州派の権力争いと政治面にも影響する事態に発展する可能性も高かったのではと考えています。そもそも私は劉備と諸葛亮の関係も本当に「水魚の交わり」のような仲ではなかったと思っています。出身地の異なる二人が会話だけで完全な意思疎通が出来ていたとは思えないからです。そこで自然と会話の内容を吟味し言外の意を汲み取るような腹の探り合いみたいな部分もあるやり取りをしていたのではないかと。諸葛亮は「除」の一言を進言し劉備はその言を深く考え、導き出された結果が「死」だったのでは。というのが私見です。
まして劉封の戦果は諸葛亮どころか関羽、張飛、趙雲、黄忠、魏延、馬超といったトップクラスの武人までが知っているところ。さすがに劉封がクーデターを起こすとかはあり得ないが、劉封が生きている状態で劉備が崩御したら、ふとしたことが原因で国内も割れそうだ。例えば、荊州奪還の議論とかでね。
おつかれさまです。
興味深い話題ありがとうございます。
横山三国志の赤壁前は間違いだったんですね。
間違い、というかもとが小説の漫画なので
正史三国志⇒三国志平話⇒三国志演義⇒吉川三国志⇒横山三国志と変遷を経てるので、仕方がないと思います
@@user-wj5tx9oz4n
ありがとうございます。
いつも番組を見るのが楽しみです。
次回も楽しみにしています。
おつかれさまです。
「ちょっと粗くなっちゃったかな…」と思ってみてたけど、31:19からの切れ味、さすがでです。
ありがとうございます!
豊臣秀吉の養子である豊臣秀次とも被るところがあり、中々に切ない人物ですよね。
ゲームを遊ぶ際、その人生を思うと自分でも気がつかないうちに厚遇してしてしまう人物です。
実子・養子の問題って多いですよね。
養子じゃなく秀家みたいな猶子であれば多少は違ったんでしょうが
@@user-wj5tx9oz4n
乱世における養子って本当に立ち回りが難しい人生を負わされますよね。秀次の場合、本人が自暴自棄にならなければ殺されることは無かった気もしますけど。
劉備と秀吉は結構被る部分が多い様な気がします。成り上がっていく人生や、軍師の竹中半兵衛と諸葛亮の存在など。
そしてどちらにおいても破滅へと向かっていく描写をされるさい、実子が生まれて養子を殺すのが印象的です。
歴史を調べて分かるのは国や時代が違えど人は結局同じなんだな、という面白さですね。
うぽつです。
孟達から帰順を勧める手紙が来たタイミングが
恐らく劉封にとって生き残るラストチャンスだったんでしょうが、
仮に劉備への忠孝を抜きにしても
一度仲違いした相手からの助け舟に乗るのは
本人の剛直な気質が許さなかったかもしれませんね。
結果だけ見れば、敗けると知っていても関羽を救援するべきだったんでしょうが、劉封側の状況を考えるとその決断は難しいですね。
傍から見ると不合理に見えても、その立場に立つと色々と悩んだと思いますね
劉封も救援すべきかせざるべきか、かなり悩んだと思います
私のリクエスト覚えていてくださって感謝です。もしも自裁を命じられていなければ、関興や張苞達と次代の武将として活躍できただろうにと妄想するぐらいに好きな人物です。
ただ、おそらく能が無ければひっそりと生きていけたんじゃないかなとも思います。有能だったばかりに劉備に見いだされて。有能だったから後の災いと思われて除かれたかもですし。
他の二世武将たち(張虎とか楽チンとか)も好きなので機会があったら取り上げてください。
頂いたリクエストは記録してますから!
無能というのは乱世で命を全うするには場合によっては役立つのかも知れませんね。
後代の皇帝にも帝位につくまでは無能を装って安全を保った例もありますし。
すばらしい考察ありがとうございます!家格まで含めてなんて考えも及びませんでした。
まだ解説されていなければ、『荀彧はなぜ死ななければならなかったのか』の考察も見てみたいです。
荀彧の死は「饋食」をどう解釈するか?
がキーになるかなあ?とか思ってます
@@user-wj5tx9oz4n 蒼天航路の雪球のような優しい解釈がいいなと思いますが、現実は厳しそうですね。
呉の潘濬の解説もよろしくお願いします!
潘濬も文武両道で良いですよね~
確かに夷陵も実は関羽の仇討ちじゃなかった説も有るので(しっかり関羽が討ち取られてから期間を取っている点)もしそうだとしたら劉封の処遇にも違和感が出てきますもんね
劉封を消さなければならない理由が他にも有ったのは確かなんでしょうね
そもそも関羽が死んでから劉封が処分されるまで1年くらい空きがあるし、本当にそれが理由?
と思ってみた次第です
今回の劉封の深掘りとても面白かったです。
寇氏が劉氏と少なからず繋がりがあるのなら、
この動画のストーリーも有り得ますね。
私は、劉備も孔明も演義程の善人とは思ってませんが、
劉封のほうがよほど好青年に思えます。
これからも面白い動画を楽しみにしています。
応援ありがとうございます!
史書に取材してるとはいえ素人の与太話レベルですが良かったら今後もご期待下さい!
劉封の話、自分も追及してみたところでした。
まさに、悲願の貴公子、能力はもっと高いはずなのに、ゲームでは凡庸。
関羽や諸葛亮に疎まれ、かわいそうな実績ある養子でした。
豊臣秀次さんなんて人を思い出しましたよ
他の配信と違い、考察が入るところが面白いです。
劉邦についての私の考察は、漢ではなく、益州や蜀自体の後継者としての対立だと私は考えます
劉備を始め蜀の人々は、漢の復興や帝を救うという忠義心から逸れたことはないと思いますし、それなくして蜀の求心力そのものが失われるので、違えることはないと思います
しかしそこを絶対に果たさなければならないという戒めこそが、蜀という漢よりは小さな皇統を争う時には、必要悪として排除原理が生まれることになるからです
つまり、北伐を果たす為には、やっと手に入れた蜀という枠組みを手放す訳にはいかず、蜀という集合体だけで見た時には劉備こそが本来はよそ者であり、劉邦こそが正当な後継者であるという、皇統の原理が働くことになるからです
漢を想えばこその本当に辛い決断であったのだろうと思います
そもそも劉邦を養子にすること自体が、蜀を纏め内圧を和らげる為の策であり、劉邦が亡くなったその後の蜀の衰退は、劉邦への謀殺から始まる猜疑心が、蜀を覆った事による副作用や忠義心の薄れによるものだと思えてなりません
全てはそこを起因とし、蜀の北伐が叶わないことが、運命付られたように見えます
コメントありがとうございます!
劉封は孟達を嫌っていたっぽいけど、孟達は劉封を嫌っておらず、むしろ同情していたんじゃないですかね。最後に送った手紙やら何やら見て考えると、どうしてもそんな考えに至るんですよねぇ
喧嘩別れした件以外には二人に接点がないので、お互いに根深い相克があったわけではないのかもしれませんね。
劉封はあまりに不憫だなと思いますね
ただ関羽が負けたのはそれこそ関羽の自業自得だと思っています
関羽は、劉備が全幅の信頼を寄せた唯一の武将だっただけに残念ですね~
肥「能力補正?DLC買って勝手にやってね」
劉封の息子が蜀滅亡後、関羽の出身地の河東郡に移住したみたいですね。父が処刑された原因の関羽の出身地に強制移住させられたのでしょうか?父の死後にできた国が滅亡後に父の死の原因となった重臣の故郷に移住させられたのなら、悲しいですね。
ブラック孔明の一面が見えました。
どさくさに紛れて関係者が全員魏に寝返ったりして、
誰もいなくなったところでほかの理由つけて殺すのがなんとも・・・
孔明の有能さが解ります。
この解説が真実であったなら、
劉封も漢に対する筋目を通したのか、
魏に降ったらどうなったんでしょうか・・・?
どうなったのか興味は尽きませんね!
晋なら生きてそうですけど
魏って…
意外と曹操裏切りには厳しいからなぁ
横山三国志だと、死を命じた後、劉備が慌てて止めようとしてたよね
惜しいけど処刑したのは間違ってはいない判断だと思ってます。
孟達の安定した保身っぷりには頭が下がる。
関羽を助け出したとしても遅かれ早かれ結果は同じだっただろうね。
初めて三国志に触れたのは無双②からで、
それ以降三国志好きな友達からのうんちくもあり裏切り者みたいなイメージでしたが深掘りしていくと羽柴秀次みたいな時代に翻弄された人っぽいなー。
という評価に変わりました。
ホントに根っからの裏切り者気質なら魏に降るし、蜀を得る前から付き従ってた古参とも言える人物で政治に疎かったせいもあれば蜀の人材不足や派閥争い等のしわ寄せの餌食になって死んでったイメージです。
しかしこの見方も中々に納得です。
だが実際コレなら尚更蜀の評価は下がる……
単なる自分達の都合で古参の忠臣排除はそりゃ人材不足の奴らがやれば滅亡フラグ以外の何でもない……
折角ですので調べました。劉邦は「元々は寇氏の子で、長沙劉氏の甥であった。」との事です。ウィキより。私が勝手に考えている事ですが 劉備は劉表の遺児・劉琦を補佐する名目で荊州統治の正当性を得ていましたが、残念ながら病弱で何時亡くなるかもしれない。そのため長沙劉氏の劉封を義理の息子にする事で、荊州統治の正当性を主張する事が出来ます。その後、関羽が敗れ荊州統治の正当性の必要性も少なくなり、後継者争いで邪魔な存在なっていた劉封は時流に呑み込まれ、処刑されたのが実情ではないかと。
コメントありがとうございます。
>「元々は寇氏の子で、長沙劉氏の甥であった。」との事です。
劉封に興味を持って頂いたようで嬉しいです。ただ…これは動画中で紹介した内容ですよ(汗
>劉備は劉表の遺児・劉琦を補佐する名目で荊州統治の正当性を得ていましたが、残念ながら病弱で何時亡くなるかもしれない。そのため長沙劉氏の劉封を義理の息子にする事で、荊州統治の正当性を主張する事が出来ます。
劉備が劉錡を荊州統治の正当性として擁立したのが208年で209年には早くも亡くなってます。
この点はご指摘の通りなんですが、劉封が養子になったのは動画中でも紹介したように、206年より以前なんです。
また劉封は荊州統治の正当性には全く寄与しません。
なので、劉封の死に荊州の有無は無関係と考えた方が良いと思いますよ~
up主様、お疲れ様です。
才能からでいうと、育成に時間がかかる劉禅よりも、群臣に気心知れている劉封に継がせた方が蜀は安定したのでは、と思いますね😭
しかし、家の格が劉備の方が劉封より低いことについて、現在の日本ではあまり気にならないものの、序列が当たり前の世界ではかなりのネックになってしまう、だから劉禅を守るために劉封を駆逐した、というのはなかなかの考えだと思います🥺
意外と、ホウ統が蜀の丞相だったら処刑されずに済んだかも知れません。
人材に実力以上の成果を発揮させたホウ統ですから、皇帝の義兄となった劉封とも上手くやったと思います。
龐統の「仮に半分が目を出しただけでもめっけもんじゃないか」という思想は良いですよね
良い先生になれそう
突然のかまいたちの夜w
好きなんですよ(笑
演義の方じゃ、劉備は封を死刑にするのが辛くてやっぱり死刑は取り止めにしようと転がるようにして刑場に向ったが間に合わなかったって事になってますね。
後々の人材枯渇を考えると判断間違えたね
主将劉封の北伐、見てみたかったかもですね( ◜ω◝ )
羽柴秀次を思い出したぜ。。
名家の養子になんぞ。なるもんじゃないな。。。
初めは可愛がって貰ったんでしょうけどねぇ
関羽はなぜ劉備にも援軍要請をしなかったんだろうか?また劉封も関羽の援軍要請に関して、なぜ劉備にお伺いを立てなかったんだろうか?
新たなクエスチョンですね!
ぜひ調べて自分なりの仮説を考えてみて下さい!
劉封の生家の家格という部分でふと思ったんだが、劉焉や劉表、劉曄や劉虞といった他の皇統の末裔も含めた中での家格のランクというものを考えた場合、献帝の後継を称えるに相応しいのは誰なんだろう?
その中からだと劉虞ですね。次点で劉曄です。劉表なんかも劉備よりは系統がハッキリしてます。
つまり群雄の中では劉備の血統が一番格下ですね。
というか陳寿の書いた「陸城亭侯」というのが、そもそも誤植か勘違いですし・・・
※前漢には亭侯は存在しません
この辺は劉備解説をご参照いただければと思います。
劉備と長沙劉氏や寇氏との間に接点があったとは考えにくい。劉備が劉封を養子にするに当たっては当時荊州を統治していた劉表あたりが仲介したのかもしれない。
う~ん、多分その線はないと思いますよ~
もし劉表が仲介したとしたら、この動画と同じような理由で前漢の家系である劉表と後漢の家系である劉封の正統性が逆転しそうで、むしろ劉備に出世の口実を与えてしまうと思うが。劉備の場合、接点はあったというより自分で作ったのでは?劉備は後漢の臨邑候の子孫であると典略に書かれていたように、本人がそれに類することを言っていた縁で知り合ったのではないかと。
政治って、恐いですね^^;軍事とか外交とかも政治の範疇ですけど、今回の動画は違う意味で政治の恐さを知りましたよ。
地上に王位は唯一つ…乱世の英雄ゆえのマキャベリズムですね
なるほどねぇ、漢の復興を掲げている以上、献帝が居ないならもっと血筋の良い劉封を推す必要が出てくるわけか
建前と本音の乖離ですね~
前漢景帝を起点に武帝から続いた系統が、一旦断絶して光武帝の長沙王系統に代わり、劉備はこれを更に中山王系統に易世したわけですね
光武帝の血統の立場からしたら、300年も遡らないと繋がらない系統に譲位するなら俺で良いじゃん、て劉封も思ったかも?
リクエストで、武将分官ではないですが、左慈又は于吉(仙人?)を取り上げてくれると嬉しいです。実在した人物かわからないのですが…。
左慈も于吉も一応史書に載っている人物ですね~
@@user-wj5tx9oz4n 実在してたんですね。なかなか取り上げてるところがなくて…。楽しみに待ってます🎵
非常に楽しく拝見しました!ひとつ私見を言えば、劉封の血統を劉備が把握していたなら、魏で皇帝が○されたときの新皇帝として立てる意図があったんじゃないでしょうか?
ただ彼の能力の高さや性格が災いして史実のようになってしまったという印象です。
ありがとうございます!
何となく劉備が皇帝になるという発想に至ったのはかなり晩年になってからだと思うな。それまでは基本的に領地を得るという目先の目標に終始しており、政治的センスが劉備にあったようにも感じない。
諸葛亮以下荊州の人士が加わってから後天的に軍団の後継者→劉封という選択肢が出てきた。でも劉備本来の想定ではどこかの王になって曹操を逆賊と見る立場を維持すること、しかしその献帝が曹丕に変わってしまっったら。。。
@@stone3944さん
実は同感です
というのも劉備の前半生で皇室縁云々という逸話はほとんどないんですよね
中国で女系相続は基本的に無いので、劉封の方が劉備より漢の正統に近いということは無いと思います。漢の皇女を母方の祖とする匈奴の劉淵が劉氏を称して「漢」王朝を建てた例はありますけど、あまり相手にされなかったのか趙に国号を改めてますし、その後の類似例は知る限り見当たりませんし。
コメントありがとうございます。
劉封の場合は女系相続ではないんです。
劉封の「劉」は劉備の「劉」ではなく長沙王劉氏の劉なんですよ。
係累として母方の家の方へ養子に入るというのは割と類例がありますので。
血筋が原因なら最初から養子にするかなあ
養子にする時に自分が皇帝になれる、と思ってたらしなかったでしょうね
ニーサン
劉禅23
桓帝の父親劉翼が早世し、桓帝が14歳で即位していることを考えたら、彼女も10代から20代くらいで下嫁したと思われますね。孫とされる劉封が生まれた時、彼女はまだ40代なので、劉封が劉備の養子となった時で70代、劉備とは面識があるかもしれませんね。
で、長沙劉氏の女性が劉封の父親に嫁ぐというのも十分にあり得る話ですね。
そうですね。
計算してみると桓帝の生年が132年で、その妹。兄弟間で親子ほど年齢が違う事も珍しくありませんが、後漢書によれば父の劉翼は桓帝の即位前に死んでいるので、どんなに離れていたとしても10歳が限度。仮にそれだけ離れていたとすると142年生まれで、降嫁が笄年以降と考えれば157年以降。劉封が生まれたのが切りよく190年くらいとすれば、仰るとおり40代なので、劉封の世話くらいはしててもおかしくないですね。
@@user-wj5tx9oz4n すでに地方豪族レベルに落ちぶれていたとはいえ、それだけ高貴な血筋の人間が長沙にいたのを劉備が見逃すわけないですね。
孔明被害者であり劉備被害者…
只でさえ人材不足の蜀の自滅の始まりの一辺にも…劉禅が有能であれば問題なかったとも思われます…完全に孔明が好きになれない(対呉の為に関羽と劉備を見捨てた等その他諸々のブラック孔明疑惑)理由の一つですね。
劉封と劉禅の仲はどうだったのかなあ
ほとんど接点無かったんじゃないでしょうか?
益州攻略のために荊州を出た時点で阿斗は5〜6歳ですし
ロシアの男性の平均寿命は59歳
ほとんど面識もなかった孟達と関羽の救援をめぐってそれほどまで大きな対立をするだろうかという部分ですが、孟達が手紙のような示唆ではなく劉封の立場の危うさを所謂正論パンチで説いた結果それと向き合いたくない劉封がムキになった結果の仲違いだったのではないかとも感じますね
いつの日か審配をお願いします
審配は独善的ですが忠義の臣ではあるし好きなんですよね!
リクエストノートに入れておきますね!
@@user-wj5tx9oz4n
ありがとうございます。
私も好きなんですが、人によって評価が別れると思うので。
フラットな紹介動画、どうかよろしくお願いします。
長編投稿お疲れ様です。
もし劉封の血に問題が無かったとしても、
劉備の死後劉封を担ぐ武断派と孔明、劉禅派で内戦になる恐れがあったように思います。
他の時代で「幼い主君では乱世は戦えない」と主君を家臣が変えた例もありますし。有名所だと宋の太祖ですね。
そういう立場であればこそ身を慎んで野望が無いアピールをすべきなんでしょうが、
逆に「いずれ俺が...」なんて思っていた、或いは近い者に言っていた(個人的推測)というのが処刑の決定的理由じゃないでしょうか。
これなら陳寿の言う自滅、魏延や楊儀と伝のくくりが同じ事も説明出来ます。
う〜ん…血統的優位性がないという前提に立つと、劉封派というのは成立しないかな?
と思います。
単に養子対実子の勝負なら劉封を担ぐ正当性が全くないので誰が参加するのか微妙かと
あちゃ〜劉備より血筋がクッキリ感?
劉備と比較するとクッキリですね
実は蜀は祖廟の祭祀すらあやふやな状態だった、と正史に書かれてるので(笑
おもしろい推論だけど劉封の息子が生きてた時点でそれはないと思うなぁ
単純に、後に神様となるほど慕われた関羽の敗死という大きな政治的事件の後始末
をしたという方が可能性が高いかと思います。孔明って、結構な政治家ですので。
後の愛弟子馬謖+自分の降格という件も有りますし。少なくとも、三国鼎立という
防御的な思想の中で、まだまだ戦略的に大きく劣勢なこの時点で、魏打倒後の内ゲ
バに備えて貴重な有能で忠義な次世代の人材を殺してしまうてのは無理が有るかと。
有能な犬を殺すのは、狩るべき獣が居なくなった後ですぜ。
という妄想
孟達もそういう本国の雰囲気を知ってて、仲が悪くも無い劉封と擦り付け合いを
してたので、実は同情的だったという妄想。
劉封伝は記事の半分以上が孟達からのクソナガ手紙だというところにヒントがあるのかも?
僕が孟達だったら、同じ内容のものを成都に送りつけて「もう劉封も裏切ったよ」と偽情報を流すが。
劉封の本名は姓は寇、名は封
劉封は元は劉姓じゃないけど、
劉氏とは同族じゃありませんでしたっけ?
そもそも養子に迎えようとしたときに、いずれこうなるであろうことを劉備は考えていなかったのでしょうか?もう実子が生まれることはないと思っていたのかな?
最近十数年ぶりに北方三国志を読み返しているのですが、なぜかやたら出番ある張衛や兄の張魯、五斗米道についてもいずれ取り上げていただけると嬉しいです。
養子に迎えた時は豫州で曹仁にボロ負けして荊州に逃げて来て、劉表は表面上は礼遇しつつも劉備が力をつけないようにしてた『髀肉の嘆』の時期なので、この段階で皇帝になれるとは考えてなかったでしょう
劉封が韓信、彭越、黥布を味方に引き入れる時から、すでに或る程度活躍するくらいでそのあとはぶっ殺すつもりでいたかもということになる。そのタイミングがたまたま天下獲ったあとという結果論で、場合によっては項羽殺す前がそのタイミングだったりもする。
つまり天下とる人間は時に無実の味方や家族に対しても状況によっては容赦なく切り捨てる人間だってこと。理由なんて後でいくらでもとってつけることはできる。
陳寿の評で自業自得と書かれてた理由ゎひょっとしたら…劉封も自分の血筋の事を理解してたのでゎないのでしょうか?孟達の手紙の内容から察するに
コメントありがとうございます。
可能性はありますよね!
スパチャしたい
コメントありがとうございます!スパチャってなんですか?
@@user-wj5tx9oz4n いわゆる投銭ですね。
superthanksでできるのですが、設定?なのか出来る人と出来ない動画があります。
張南って元々袁紹配下でそこそこ優秀だったのに劉備に付いて行ったよな?
どんな武将だったんやろ?
後、蜀漢の祭酒程畿だっけかなり優秀だったのに夷陵でいっちゃったの?
牛金って様々なゲームで勇将名高いが全く生い立ちが解らない。
呉で言うなら孫邵の事を知りたいが彼の事は誰も解らんからだいたいうP主やってくれてるから呉はいいや。
袁紹の下の張南と劉備の張南は多分別人だと思います。
張三李四っていうくらいで張姓の人は多いですし。
むしろ呂布が遠くない世代で二人いる方が珍しい気がします(笑
@@user-wj5tx9oz4n 確かにその通りでした。
袁紹の配下から劉備に付き従い後に曹操の配下となった張南と荊州の武将で劉備が荊州に入ってから配下になった張南居るんやね。ややっこしい。
劉封が劉備の跡を継いで居たらどうなってたかな?趙雲が1番好きだが趙雲にとって1番の名場面の阿斗救出が実は蜀漢に取って最悪な事だったかもしれない。
あの時、阿斗が劉備と離れて違う経路を辿ってたらな。
私は阿斗ちゃんは割と好きなんですよ~
周囲の状況が悪かっただけで、素養は悪くなかったんじゃないかなあ?と思います。
@@user-wj5tx9oz4n 劉璋と劉禅ってクリソツだなと思うのはワイだけかな?君主としては心持たないが友人や仲間なら本当に良いやつ。こう言う人柄の良い人って周りに一人は必ず居るよな。
まぁ孔明的には劉封よりも劉禅の方が扱いやすかったんでないかい。
俺の親友の竹さんに似てる。