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三国志演技も好きだけど、史実も興味がある。わかりやすく説明してくれるので、楽しく拝見しています。このチャンネルに出会えて幸運です。
ありがとうございます😊
生きていたら孔明の北伐の際は首都成都の留守番役の副丞相ぐらいには成っていたでしょうね?
周防をやって下さい
夷陵の戦いがなければ😢
ゆっくり系の三国志解説で1番好きです。これからも楽しみにしてます。
ありがとうございます!
動画編集お疲れ様でした。字の法則に五渓の話と前座に手抜き無しの面白かったです。書状のやり取りでの経緯で馬良の人物像が良く解る動画でした。馬良退場で鄧芝の登場と…歴史は面白いです。
本当は手紙は全文載せたかったんですけど無駄に長いんですよね(笑
横山三国志の影響デカいなとコメ欄眺めて思う(笑)
横山先生は偉大(笑
今回もちらっと出た鳳統をぜひ掘り下げてほしいです。経歴から色んな見方ができるこの人をどう考察するのかが非常に楽しみです。
龐統や法正の要望も多いんですよね~ちなみに八丈島から泳いで参った方ですか?(笑
僕が一番好きな糜芳を紹介してください
馬良の紹介だ〜(*'ヮ'*)すごく嬉しいです(^ ^)しかし、外交官だったのは知りませんでした。
コメントありがとうございます!
字の順番でパッと思い浮かんだのか孫策・孫権兄弟ですねぇ
孫兄弟は四男までピッタリ照合しますもんね〜
極めて良質な解説チャンネルよければ三国志時代の軍制?について、一度纏めてみてほしい……車騎将軍とか●●将軍とか校尉とか、何となくはわかるんだけど正直よくわからん的な……当時の軍がどんな感じの組織構造で、どういう指揮系統で、実際にどう動いていた、みたいなのが知りたいですこれからも頑張ってください!
コメントありがとうございます。将軍位についてはコミュニティの四方山話で少ししてるので良かったら読んでみて下さい
@@装甲猫 コミュニティの存在に今気づきました、ありがとうございます!無料でこんな情報が読み放題とは!( ・∇・)次の動画投稿まで、ゆっくりこの辺の解説を読みながらお待ちしておりますー!!!
馬氏の五常…馬刺しもっとも良し
馬良、馬謖、馬超、馬騰… 馬一族は基本短命なのかな。馬岱という例外もいるけど。
コメントありがとうございます。
馬良が生きてれば孔明も楊儀と魏延のゴタゴタに対してすっぱり対処できたかもしれませんね😔涼州や南中の懐柔なんかも上手にやってくれた可能性も考えられますしわりと惜しいような気がしてきます
いつの時代も人間の集団って1+1が2じゃな3になったりマイナスになったりで難しいですものねその辺を上から抑えるんじゃなく同僚同士で仲を取り持ってくれると助かったと思います。
蜀の人材不足は、夷陵の戦いで優秀な幕僚を多数失ったのが決め手ですね。
コメントありがとうございますそう思います
その前に、ホウ統、法正、リュウハなど重臣を失ったのがな。馬良、黄権、がいなくなるのも痛すぎる。
@@猫のダヤン 関羽敗死後に魏に降った孟達も五虎大将に匹敵する能力を持っていたと言われていますし、関羽敗死前後が有能の人材が死んだり亡命したりで蜀が深刻な人材不足に陥るターニングポイントですね。
@@shionsan2000 潘シュも正史じゃめっちゃ有能やし
馬良のように何をしたか詳しく知らない人物を深堀ってくれるのは嬉しいです。孔明の親友(義兄弟)とか演義で関羽と碁を打ってたりとかくらいしか。馬良の兄達とか司馬懿以外の八達同様に優秀といわれてもほぼ知らないし。
新たな発見があったなら嬉しい限りです
知ってそうで知らない劉曄の解説していただければありがたいです。
コメントありがとうございます劉曄は目立たないけど凄い人物なんで是非紹介したいですね〜
最近見始めましたが私の好きな王平はまだだったのですね・・・
私も王平好きなのでその内にやりたいですね~
@@装甲猫 やったーヽ(^o^)丿
馬良が如何に働いたか知り得たことが良かったです。世の中、地道に裏で働く人がいてこそ、表舞台で働く人が活躍できると思う。それを怠る組織は体力を奪われることになり、崩壊へと導くことになる。
まさにその通りだと思います
字(あざな)は面白いですよね。伯仲叔季……の字(あざな)の法則は司馬八達にも当てはまります。司馬朗(伯達)司馬懿(仲達)司馬孚(叔達)司馬馗(季達)……以下は法則外……司馬恂(顕達)司馬進(恵達)司馬通(雅達)……そして末っ子の意味がある幼の字が付いた司馬敏(幼達)。また、元が付く字にも長男という意味があるので龐統(士元)や徐庶(元直)は、長男だとわかります。曹操(孟徳)の孟の字には庶子の長子という意味があるのはup主様の仰る通りですが、明の字には庶子で2番目の子供という意味があるという説もあります。だとすると龐徳(令明)などは庶子の2番目。ただ、これは私が調べた限り確証がありません。あと大学の恩師が云うには、長幼の序から父の諱(いみな)の漢字の偏などはある程度避ける傾向があるみたいです。つまり諱の王偏(おうへん)が共通する諸葛珪・諸葛瑾父子は実は血の繋がりはなく諸葛瑾は実母の連子だったという事を暗に示しているのではないか?諸葛瑾の実母は、その後亡くなり(又は諸葛珪は多妻を娶っていた)次男の諸葛亮は後妻(又はお妾さんor愛人)が産んだ子供なのではないか?また、諸葛瑾の実母の実家は資産家だったので、資金援助が受けられた諸葛瑾だけは無位無官で父が早くに亡くなっていたのに高額な学費が必要な大学に通え、父諸葛珪の遺した後妻(諸葛亮の生母ともまた違う女性で、諸葛瑾と歳が近い)を扶養出来たのではないか?諸葛瑾の実母の実家とは血の繋がりがなかった他の子供達(女子二人、諸葛亮、諸葛均)は、援助が受けられず叔父の諸葛玄に引き取られて荊州に移ったのではないか?明の字を持つ諸葛亮(孔明)は、庶子で2番目の子供……という解釈ができる。と言っておりました。こちらも恩師の受け売りでしかなく、確証はありませんが……。諸葛瑾が諸葛珪の実子ではない説は未亡人の連子なら実父の氏を名乗る筈なので、厳密には、「諸葛珪が未亡人となった諸葛瑾の実母を娶った際には既に諸葛瑾が実母のお腹の中にいた」と解釈するべきかもしれません。
おお、沢山のコメントありがとうございますあれ、避諱って字そのものじゃありませんでしたっけ?部位だけでも避けたんでしたっけ?明の話しは知りませんでしたそれって後漢や三国志時代でも照合する話しなんですかね〜?
@@装甲猫 様私も恩師の説の受け売りを書いただけなので、あまり自信はありません。今回は字の話が取り上げられておりましたので、私が聞きかじった字にまつわる情報をコメントした次第です。恩師によると時代などによって必ずしも絶対ではないものの、概して父親や主君や学問の師などの諱と偏やつくりが被らないように自分の子供に名付けをする傾向はあるらしいです。恩師は、諸葛珪が諸葛瑾に自分と同じ王偏の諱を名付けた背景を推察して、諸葛珪・諸葛瑾父子は戸籍上は父子関係ながら血縁がない説を説いたのだと思います。その推定の根拠を恩師曰くですが……「諸葛珪死後に、諸葛瑾が諸葛亮達妹弟達を叔父の諸葛玄に預けて半ば放置したのは父親亡き後の一家の長たる者として、諸葛瑾は無責任で薄情なのではないか?また諸葛瑾は一家で自分だけが太学に遊学したり未亡人となった父親の後妻の面倒を看るなど経済的に困窮している様子はなかった。ならば家長たる諸葛瑾は諸葛亮など幼い妹弟達の扶養して然るべき。そうしなかったのは、諸葛瑾は諸葛珪の実子ではなく、また諸葛瑾と諸葛亮達とは母親も違っていて、諸葛亮達の生母の方は、正妻ではなく身分が低い、いわゆるお妾さんだったのではないか?」という仮説に至ったみたいです。私個人としては、諸葛瑾も諸葛亮も好きなので、諸葛瑾・諸葛亮は血を分けた実の兄弟で兄弟仲が良好であって欲しいと思います。
ああ副業禁止のお仕事ですかお疲れ様です特にこの一年の忙しさは想像に絶するところだったかと
いや〜正社員で副業オッケーの会社ってあまり多くはないですよ〜
馬良をはじめ夷陵で失った戦力は蜀にとって痛手…もしもですが、馬良が生きていたら…街亭に向かっていたのが馬良なら…馬謖が街亭に向かうとしても馬良が北伐に同行していれば…それを思うと惜しい人物を亡くしましたね…あとそれ以前の関羽が荊州に居た時代に遡って関羽と藩濬の不仲も馬良がどう見ていたかも気になります。コーエーテクモの三国志では戦下手の内政マシンの印象が強かったので勉強になりました♪今回も有難うございます♪
夷陵がなければ黄権も北伐に参加してたハズなんですよね~馬良もキッチリ諸葛亮の脇を固めたでしょうし、費禕や蒋琬といった若手を無理に用いなくても中堅の経験有る人材が残ることになりますし潘濬は何気に後年五渓の異民族討伐をしてたはずなんで繋がり有るんですよね
個人的に、馬謖のあれは、相手が上だったというだけなんですよね。戦術ってのはほんのちょっとだけ相手の意図を上回れば、それで結果に大きな差が出ちゃうものですからね
その辺を地形や時系列を整理してお互いの戦略意図を解説してみたいと思ってます
全権任されていたのなら、そうだけど命令違反、任務放棄だからな、同情はできんよね(演義的に)
@@青梨要 正史では少なくとも全権委任でしたね。諸葛亮の命令、などと言うのも実はあいまいな記述なんですよ。王平も役職から見ると、馬謖配下の武将の更にその配下の一人程度でしかなかった、と言うのが実情のような。馬謖の場合は最後のやらかしがアカンかっただけで、それまでの戦術で批判されるものとはちょっと違うのです。多分ww
@@装甲猫 がんばってください、楽しみに待っています。馬謖の次についでに張郃紹介もやっちゃいましょうよw
昔調べたんだけど、馬氏の五常って誰がどうなったのかもう忘れちゃったなぁ。
馬氏の五常で有名なのは2人だけっていうね、他の兄弟は能吏って感じだったのかな?次回の馬謖編は「なぜ登山に水筒を忘れたのか」ですな
いえ、登山家は何故山に挑むのか?です(笑
次回は「なぜ彼は街亭に300円以上のおやつを持って行ったのか ~丞相、ポカリとバナナはおやつに入りますか?~」だと思います。
今回もお疲れ様でした!たいへん優秀な外交官ですね…確かにこの頃の劉、孫はピリピリしていたでしょうし。字の話、久々に聞きました!また読み返してみようかな〜\( ¨̮ )/ちなみに横山三国志の馬良の眉は真っ白でしたなw
惜しいんですよね。武官・文官・兵卒に武器その他の物資…これがあったら北伐って全然違うものになったかも?と想像してしまいます。
馬良が生き延びていれば、楊儀の代わりに孔明を補佐し、魏延との間にも割って入れた気がします。惜しい、只々惜しい。
孔明「街亭の守りに行きたい人!!」登山家「ハイハイハ~イ!!自分が行きますよ!!」馬良「ちょっと待った!弟が行ったら街道ではなく山に布陣するからダメです。」
孔明の歴史解説チャンネルさんは私も好きです、というか猫さんと孔明さんはクオリティが他のチャンネルより高く感じますしこの二人が出てから他チャンネルもややマニアック度が増えたように感じてました個人的に思うのは調べてくれた事を発表してくれて私たちが喜ぶその対価でcm収益を得るは全然構わないんです、ですがcmをバンバン入れてちょっと見ただけでcmで動画が途切れる、そのせいか内容が入ってきずらい、ブラウザバックという事がよくありました猫さんの動画はちょうど良いところでcmが入ってるのでテンポ良く楽しめますいつも楽しみにしています、次回は馬謖なんで泣きながら包丁研いで待ってます
私のはTH-camが勝手に入れてくれてるんですCMは自分で増やしたり選んだり出来る様なんですが、私のはTH-camが勝手に入れてくれてるんですよ〜多分ですが、音や画像の変化が無い部分を自動判別してるんだと思います。技術って凄いですよね!感心します私はIT系の人間なんで興味がつきません
自分もそれあります!数分ごとに入ってるのとか正直萎えるw
惜しい人材でしたね💦馬良が生きていれば、きっと諸葛亮の負担も減って、北伐も違うものになったでしょう。龐統・法正・馬良…これらの中の誰か1人でも長生きしたら、蜀漢の命運はどうなっていたか、考えるのも面白いなと思いました。
歴史にifはありませんが考えるのは楽しいですよね
更には黄権、劉巴もね。黄権は軍略に優れた漢中攻略戦の陰の功労者、劉巴は蜀科の制定や経済政策に辣腕を発揮した逸材。
私は黄権・劉巴が生きてるだけで相当に楽になると思いますね〜黄権は都督として、劉巴は参謀として
スリキンの馬良は好青年だったのにその後にアニメ三国志みたらおじいちゃんだった笑
孔明よりも年下なのにね
三部作の奴ですね~
異民族相手って、今でも荊州南部って言葉が違うのにどうやってコミュニケーションとったんでしょうねー。馬良はいわゆるバイリンガルで、だから重用されたんじゃないかな。
流石に馬良が五渓の言葉全部を学んでいたのは無いかもですねやってたら凄いけど(笑多分、普通に通訳がいたか、言葉が分かる人間がいたんでしょう
言葉の違いを言ったら劉備と孔明も同じで、中国はその土地土地で方言があるから、現在の北京の近く生まれの劉備と、徐州生まれの孔明とでは言語が違うから、実は余り孔明が話している事を劉備が理解していなくて、その都度孔明が文面で書いて読ませて、理解して貰えているか反応を見ていたと言う説もありますし。だから劉備が蜀を取ったけど、果たして現地住民や劉璋の旧臣たちと上手く言葉での意思疎通が出来ていたのかも謎ですね。
馬良は入形劇では劉備より年上に見えていたそして武将も務めていた。
五渓の異民族を率いて戦ってるのであながち間違いじゃないかも?
司馬八達、、、、。
馬良の兄3人は演義では共に劉備に仕えたとされているけど、実際には地元である宜城で「地元の顔役」として生涯を送ったのではないだろうか?
多分そうだと思います
馬良の兄達は任官せず地元の顔役をしていたというのは、長子が任官せず弟が先に用いられる事になり、長男司馬朗がいたので次男司馬懿は任官を遅らせた経緯から見ても、儒教的価値観の長幼の序から見ても、士大夫階級の家柄ならば可能性はあまり高くはないのではありませんか?馬良の兄三人は早逝したか、単純に劉備に仕えるのが嫌だったのでは?あるいは兄達も劉備(あるいは劉表)に仕えてはいたが、可もなく不可もなく職を全うしたので史実に殊更の事績が記されなかったか……。関係がないのに不躾にも割り込んでコメントしてしまい申し訳ありません。
馬良が極めて優秀だから、馬謖も実績や経験を積む前に抜擢されたというのもあるのかな。
あるかも知れませんね〜夷陵で史に名前が残るほど有能な文官も亡くなったりしてるので、その繰り上がり的な側面もあるかもです
兄弟呉の虞ほんは、その子供7人兄弟だっけ?
馬良というと、関羽との囲碁相手のイメージが強かったですが、もう少し長生きし、北伐にも関わって欲しかったですね。
うぽつです。今回のも凄く解り易くて良かったです。馬良は、シナノ企画のアニメ映画三部作での完結編での、自分や配下兵の服や旗を燃やさせて作った火壁で呉軍の追撃を防ぎつつ矢をたくさん撃ち込まれて典偉かと見紛う程の立往生を遂げたのが印象的でしたね……あと、何気に あのアニメでの死に様の方が演義や横光よりも史実に近い死に方だと知って地味に驚愕した記憶も(^ ^;
アドバイス欲しくて軍師を呼びつけたら「蒼天既に死す…」とか切ないことを言ってくる三國志2でも曹操と並んで名指しで褒められていた馬良ですね(*´∇`*)こういう地味なのに高く評価されている人というのは本当に優秀で、著名な誰かを支え続けていた事が多いものですが、この人こそまさに現場を回し上司の意思を汲み取る能吏の代表格であったのだと思います。ちなみに私は諸葛亮が使っていたとされる茶碗のレプリカを見て以来この時代の食生活に興味がありますが、以前詳しい人にウミガメとか食べてたよって教えてもらったものの解説動画は見たことないのでリクエストしたいです♪ヽ(´▽`)/
表で活躍する人間がいればそれと支える裏方が同数以上いるものですから〜例えば、現代の様に機械化が進んだ時代でも、軍隊を構成する戦闘員は3割程度で、後は後方支援なんですよ〜
馬良の3人の兄の名前が昔から気になって仕方なかった。
up主の話を聞いて、投稿主でゲームやる人、やりたいという人が、何か多い気がしていた理由が解りました。やっぱりみんな考えているなと。主の正史準拠の解説も、演技で盛られた話を再考察できて、とても楽しんでいます。
あれ?安定とか天水辺りは雍州では?と思ったら、涼州だったり雍州だったりしてたんですね~どうでしょう?新たな試みとして地域別の解説動画なんていかがでしょう?この地域ではこんな人物たちが同郷で、こんな出来事があって誰々が治めてて、比較的水害の多い地域だったのかもしれないですねといった感じの動画が出来ると面白いかも♪
馬良が今一影薄いのって、馬謖がはっちゃけすぎたせいってのもあると思うのよね杉村太蔵と同期の政治家なんて誰も覚えていないでしょ?w
ある意味そうだと思いますよ(笑馬謖は印象に残りますからね~
名前とか興味ない自分にはとても参考になります。全く気にもしませんでしたから。もしかして春秋時代の呉の季札もそうなのかな?次が馬謖ですか~趙括の後輩ですね。良くも悪くも有名ですからね。
文官の文章のデキや外交使節という所は戦争の勝った負けたに比べて中々良し悪しがわかりにくい部分なので、馬良を知れてよかったです。諸葛亮と義兄弟であれば性格面でもとんがった部分が少なかったのではないかと思いますので、蜀の後々を思えば夷陵で失ったのはかなり痛手でしたね。
コメントありがとうございます。まさに夷陵は蜀の国力を衰退させた痛恨事でした
もちろん孔明さんも浸透襲撃さんも試験に出る三国志さんも危険な鬼太郎さんも見ていますw俺三国志ばっか見てんな(白目)
その通り。それに加えていつかやるさんとか、俺の世界史チャンネル、鳥人間中国史三昧まで含めれば、もはやテレビなんて見ている暇はない。
@@三方ヶ原家康さんおぉ歴史のロマンと真実を追求するトゥーリー人間さんを失念してましたw歴史チャンネルさんはしくじりとローマ史が好きですねいつかやるさんは名前は知ってましたが見たことなかったですねぇ・・・まぁこんだけ趣味が有ってれば楽しめそうなので今度見てみようと思います
文官って地味というか、戦いに目を向けがちなだけで、地味でもなんでも無いんですよね。 人物としては武官より個性派が多い気が。尚、日本でも政を担う人材の損失が、勢力の限界点を縮めたり、滅亡に直結する例が見られますね。有名どこでは前者が毛利、後者が武田・豊臣という所でしょうか。
政治は瞬間的に目立つ功績じゃなくコツコツ積み重ねていくものだから注目を集め辛いんでしょうね
三国志演技も好きだけど、史実も興味がある。わかりやすく説明してくれるので、楽しく拝見しています。
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ありがとうございます😊
生きていたら孔明の北伐の際は首都成都の留守番役の副丞相ぐらいには成っていたでしょうね?
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これからも楽しみにしてます。
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本当は手紙は全文載せたかったんですけど無駄に長いんですよね(笑
横山三国志の影響デカいなとコメ欄眺めて思う(笑)
横山先生は偉大(笑
今回もちらっと出た鳳統をぜひ掘り下げてほしいです。
経歴から色んな見方ができるこの人をどう考察するのかが非常に楽しみです。
龐統や法正の要望も多いんですよね~
ちなみに八丈島から泳いで参った方ですか?(笑
僕が一番好きな糜芳を紹介してください
馬良の紹介だ〜(*'ヮ'*)
すごく嬉しいです(^ ^)
しかし、外交官だったのは知りませんでした。
コメントありがとうございます!
字の順番でパッと思い浮かんだのか孫策・孫権兄弟ですねぇ
孫兄弟は四男までピッタリ照合しますもんね〜
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よければ三国志時代の軍制?について、一度纏めてみてほしい……
車騎将軍とか●●将軍とか校尉とか、何となくはわかるんだけど正直よくわからん的な……
当時の軍がどんな感じの組織構造で、どういう指揮系統で、実際にどう動いていた、みたいなのが知りたいです
これからも頑張ってください!
コメントありがとうございます。
将軍位についてはコミュニティの四方山話で少ししてるので良かったら読んでみて下さい
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馬良、馬謖、馬超、馬騰…
馬一族は基本短命なのかな。
馬岱という例外もいるけど。
コメントありがとうございます。
馬良が生きてれば孔明も楊儀と魏延のゴタゴタに対してすっぱり対処できたかもしれませんね😔
涼州や南中の懐柔なんかも上手にやってくれた可能性も考えられますしわりと惜しいような気がしてきます
いつの時代も人間の集団って1+1が2じゃな3になったりマイナスになったりで難しいですものね
その辺を上から抑えるんじゃなく同僚同士で仲を取り持ってくれると助かったと思います。
蜀の人材不足は、夷陵の戦いで優秀な幕僚を多数失ったのが決め手ですね。
コメントありがとうございます
そう思います
その前に、ホウ統、法正、リュウハなど重臣を失ったのがな。
馬良、黄権、が
いなくなるのも痛すぎる。
@@猫のダヤン
関羽敗死後に魏に降った孟達も五虎大将に匹敵する能力を持っていたと言われていますし、関羽敗死前後が有能の人材が死んだり亡命したりで蜀が深刻な人材不足に陥るターニングポイントですね。
@@shionsan2000 潘シュも正史じゃ
めっちゃ有能やし
馬良のように何をしたか詳しく知らない人物を深堀ってくれるのは嬉しいです。
孔明の親友(義兄弟)とか演義で関羽と碁を打ってたりとかくらいしか。
馬良の兄達とか司馬懿以外の八達同様に優秀といわれてもほぼ知らないし。
新たな発見があったなら嬉しい限りです
知ってそうで知らない劉曄の解説していただければありがたいです。
コメントありがとうございます
劉曄は目立たないけど凄い人物なんで是非紹介したいですね〜
最近見始めましたが私の好きな王平はまだだったのですね・・・
私も王平好きなのでその内にやりたいですね~
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馬良が如何に働いたか知り得たことが良かったです。世の中、地道に裏で働く人がいてこそ、表舞台で働く人が
活躍できると思う。それを怠る組織は体力を奪われることになり、崩壊へと導くことになる。
まさにその通りだと思います
字(あざな)は面白いですよね。
伯仲叔季……の字(あざな)の法則は司馬八達にも当てはまります。
司馬朗(伯達)司馬懿(仲達)司馬孚(叔達)司馬馗(季達)……以下は法則外……司馬恂(顕達)司馬進(恵達)司馬通(雅達)……そして末っ子の意味がある幼の字が付いた司馬敏(幼達)。
また、元が付く字にも長男という意味があるので龐統(士元)や徐庶(元直)は、長男だとわかります。
曹操(孟徳)の孟の字には庶子の長子という意味があるのはup主様の仰る通りですが、明の字には庶子で2番目の子供という意味があるという説もあります。
だとすると龐徳(令明)などは庶子の2番目。
ただ、これは私が調べた限り確証がありません。
あと大学の恩師が云うには、長幼の序から父の諱(いみな)の漢字の偏などはある程度避ける傾向があるみたいです。
つまり諱の王偏(おうへん)が共通する諸葛珪・諸葛瑾父子は実は血の繋がりはなく諸葛瑾は実母の連子だったという事を暗に示しているのではないか?
諸葛瑾の実母は、その後亡くなり(又は諸葛珪は多妻を娶っていた)次男の諸葛亮は後妻(又はお妾さんor愛人)が産んだ子供なのではないか?
また、諸葛瑾の実母の実家は資産家だったので、資金援助が受けられた諸葛瑾だけは無位無官で父が早くに亡くなっていたのに高額な学費が必要な大学に通え、父諸葛珪の遺した後妻(諸葛亮の生母ともまた違う女性で、諸葛瑾と歳が近い)を扶養出来たのではないか?
諸葛瑾の実母の実家とは血の繋がりがなかった他の子供達(女子二人、諸葛亮、諸葛均)は、援助が受けられず叔父の諸葛玄に引き取られて荊州に移ったのではないか?
明の字を持つ諸葛亮(孔明)は、庶子で2番目の子供……という解釈ができる。
と言っておりました。
こちらも恩師の受け売りでしかなく、確証はありませんが……。
諸葛瑾が諸葛珪の実子ではない説は未亡人の連子なら実父の氏を名乗る筈なので、厳密には、「諸葛珪が未亡人となった諸葛瑾の実母を娶った際には既に諸葛瑾が実母のお腹の中にいた」と解釈するべきかもしれません。
おお、沢山のコメントありがとうございます
あれ、避諱って字そのものじゃありませんでしたっけ?
部位だけでも避けたんでしたっけ?
明の話しは知りませんでした
それって後漢や三国志時代でも照合する話しなんですかね〜?
@@装甲猫 様
私も恩師の説の受け売りを書いただけなので、あまり自信はありません。
今回は字の話が取り上げられておりましたので、私が聞きかじった字にまつわる情報をコメントした次第です。
恩師によると時代などによって必ずしも絶対ではないものの、概して父親や主君や学問の師などの諱と偏やつくりが被らないように自分の子供に名付けをする傾向はあるらしいです。
恩師は、諸葛珪が諸葛瑾に自分と同じ王偏の諱を名付けた背景を推察して、諸葛珪・諸葛瑾父子は戸籍上は父子関係ながら血縁がない説を説いたのだと思います。
その推定の根拠を恩師曰くですが……
「諸葛珪死後に、諸葛瑾が諸葛亮達妹弟達を叔父の諸葛玄に預けて半ば放置したのは父親亡き後の一家の長たる者として、諸葛瑾は無責任で薄情なのではないか?また諸葛瑾は一家で自分だけが太学に遊学したり未亡人となった父親の後妻の面倒を看るなど経済的に困窮している様子はなかった。ならば家長たる諸葛瑾は諸葛亮など幼い妹弟達の扶養して然るべき。そうしなかったのは、諸葛瑾は諸葛珪の実子ではなく、また諸葛瑾と諸葛亮達とは母親も違っていて、諸葛亮達の生母の方は、正妻ではなく身分が低い、いわゆるお妾さんだったのではないか?」
という仮説に至ったみたいです。
私個人としては、諸葛瑾も諸葛亮も好きなので、諸葛瑾・諸葛亮は血を分けた実の兄弟で兄弟仲が良好であって欲しいと思います。
ああ副業禁止のお仕事ですか
お疲れ様です特にこの一年の忙しさは想像に絶するところだったかと
いや〜正社員で副業オッケーの会社ってあまり多くはないですよ〜
馬良をはじめ夷陵で失った戦力は蜀にとって痛手…
もしもですが、馬良が生きていたら…
街亭に向かっていたのが馬良なら…
馬謖が街亭に向かうとしても馬良が北伐に同行していれば…
それを思うと惜しい人物を亡くしましたね…
あとそれ以前の関羽が荊州に居た時代に遡って関羽と藩濬の不仲も馬良がどう見ていたかも気になります。
コーエーテクモの三国志では戦下手の内政マシンの印象が強かったので勉強になりました♪
今回も有難うございます♪
夷陵がなければ黄権も北伐に参加してたハズなんですよね~
馬良もキッチリ諸葛亮の脇を固めたでしょうし、費禕や蒋琬といった若手を無理に用いなくても中堅の経験有る人材が残ることになりますし
潘濬は何気に後年五渓の異民族討伐をしてたはずなんで繋がり有るんですよね
個人的に、馬謖のあれは、相手が上だったというだけなんですよね。
戦術ってのはほんのちょっとだけ相手の意図を上回れば、それで結果に大きな差が出ちゃうものですからね
その辺を地形や時系列を整理してお互いの戦略意図を解説してみたいと思ってます
全権任されていたのなら、そうだけど
命令違反、任務放棄だからな、同情はできんよね(演義的に)
@@青梨要 正史では少なくとも全権委任でしたね。諸葛亮の命令、などと言うのも実はあいまいな記述なんですよ。
王平も役職から見ると、馬謖配下の武将の更にその配下の一人程度でしかなかった、と言うのが実情のような。
馬謖の場合は最後のやらかしがアカンかっただけで、それまでの戦術で批判されるものとはちょっと違うのです。
多分ww
@@装甲猫 がんばってください、楽しみに待っています。
馬謖の次についでに張郃紹介もやっちゃいましょうよw
昔調べたんだけど、馬氏の五常って誰がどうなったのかもう忘れちゃったなぁ。
馬氏の五常で有名なのは2人だけっていうね、他の兄弟は能吏って感じだったのかな?
次回の馬謖編は「なぜ登山に水筒を忘れたのか」ですな
いえ、登山家は何故山に挑むのか?です(笑
次回は「なぜ彼は街亭に300円以上のおやつを持って行ったのか ~丞相、ポカリとバナナはおやつに入りますか?~」だと思います。
今回もお疲れ様でした!
たいへん優秀な外交官ですね…
確かにこの頃の劉、孫はピリピリしていたでしょうし。
字の話、久々に聞きました!
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ちなみに横山三国志の馬良の眉は真っ白でしたなw
惜しいんですよね。武官・文官・兵卒に武器その他の物資…これがあったら北伐って全然違うものになったかも?と想像してしまいます。
馬良が生き延びていれば、楊儀の代わりに孔明を補佐し、
魏延との間にも割って入れた気がします。
惜しい、只々惜しい。
孔明「街亭の守りに行きたい人!!」
登山家「ハイハイハ~イ!!自分が行きますよ!!」
馬良「ちょっと待った!弟が行ったら街道ではなく山に布陣するからダメです。」
孔明の歴史解説チャンネルさんは私も好きです、というか猫さんと孔明さんはクオリティが他のチャンネルより高く感じますしこの二人が出てから他チャンネルもややマニアック度が増えたように感じてました
個人的に思うのは調べてくれた事を発表してくれて私たちが喜ぶ
その対価でcm収益を得る
は全然構わないんです、ですがcmをバンバン入れてちょっと見ただけでcmで動画が途切れる、そのせいか内容が入ってきずらい、ブラウザバック
という事がよくありました
猫さんの動画はちょうど良いところでcmが入ってるのでテンポ良く楽しめます
いつも楽しみにしています、次回は馬謖なんで泣きながら包丁研いで待ってます
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技術って凄いですよね!感心します
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龐統・法正・馬良…
これらの中の誰か1人でも長生きしたら、蜀漢の命運はどうなっていたか、考えるのも面白いなと思いました。
歴史にifはありませんが考えるのは楽しいですよね
更には黄権、劉巴もね。黄権は軍略に優れた漢中攻略戦の陰の功労者、劉巴は蜀科の制定や経済政策に辣腕を発揮した逸材。
私は黄権・劉巴が生きてるだけで相当に楽になると思いますね〜
黄権は都督として、劉巴は参謀として
スリキンの馬良は好青年だったのにその後にアニメ三国志みたらおじいちゃんだった笑
孔明よりも年下なのにね
三部作の奴ですね~
異民族相手って、今でも荊州南部って言葉が違うのにどうやってコミュニケーションとったんでしょうねー。
馬良はいわゆるバイリンガルで、だから重用されたんじゃないかな。
流石に馬良が五渓の言葉全部を学んでいたのは無いかもですね
やってたら凄いけど(笑
多分、普通に通訳がいたか、言葉が分かる人間がいたんでしょう
言葉の違いを言ったら劉備と孔明も同じで、中国はその土地土地で方言があるから、現在の北京の近く生まれの劉備と、徐州生まれの孔明とでは言語が違うから、実は余り孔明が話している事を劉備が理解していなくて、その都度孔明が文面で書いて読ませて、理解して貰えているか反応を見ていたと言う説もありますし。
だから劉備が蜀を取ったけど、果たして現地住民や劉璋の旧臣たちと上手く言葉での意思疎通が出来ていたのかも謎ですね。
馬良は入形劇では劉備より年上に見えていたそして武将も
務めていた。
五渓の異民族を率いて戦ってるのであながち間違いじゃないかも?
司馬八達、、、、。
馬良の兄3人は演義では共に劉備に仕えたとされているけど、実際には地元である宜城で「地元の顔役」として生涯を送ったのではないだろうか?
多分そうだと思います
馬良の兄達は任官せず地元の顔役をしていたというのは、長子が任官せず弟が先に用いられる事になり、長男司馬朗がいたので次男司馬懿は任官を遅らせた経緯から見ても、儒教的価値観の長幼の序から見ても、士大夫階級の家柄ならば可能性はあまり高くはないのではありませんか?
馬良の兄三人は早逝したか、単純に劉備に仕えるのが嫌だったのでは?
あるいは兄達も劉備(あるいは劉表)に仕えてはいたが、可もなく不可もなく職を全うしたので史実に殊更の事績が記されなかったか……。
関係がないのに不躾にも割り込んでコメントしてしまい申し訳ありません。
馬良が極めて優秀だから、馬謖も実績や経験を積む前に抜擢されたというのもあるのかな。
あるかも知れませんね〜
夷陵で史に名前が残るほど有能な文官も亡くなったりしてるので、その繰り上がり的な側面もあるかもです
兄弟
呉の虞ほんは、その子供7人兄弟だっけ?
馬良というと、関羽との囲碁相手のイメージが強かったですが、もう少し長生きし、北伐にも関わって欲しかったですね。
うぽつです。今回のも凄く解り易くて良かったです。馬良は、シナノ企画のアニメ映画三部作での完結編での、自分や配下兵の服や旗を燃やさせて作った火壁で呉軍の追撃を防ぎつつ矢をたくさん撃ち込まれて典偉かと見紛う程の立往生を遂げたのが印象的でしたね……あと、何気に あのアニメでの死に様の方が演義や横光よりも史実に近い死に方だと知って地味に驚愕した記憶も(^ ^;
アドバイス欲しくて軍師を呼びつけたら「蒼天既に死す…」とか切ないことを言ってくる三國志2でも曹操と並んで名指しで褒められていた馬良ですね(*´∇`*)
こういう地味なのに高く評価されている人というのは本当に優秀で、著名な誰かを支え続けていた事が多いものですが、この人こそまさに現場を回し上司の意思を汲み取る能吏の代表格であったのだと思います。
ちなみに私は諸葛亮が使っていたとされる茶碗のレプリカを見て以来この時代の食生活に興味がありますが、以前詳しい人にウミガメとか食べてたよって教えてもらったものの解説動画は見たことないのでリクエストしたいです♪ヽ(´▽`)/
表で活躍する人間がいればそれと支える裏方が同数以上いるものですから〜
例えば、現代の様に機械化が進んだ時代でも、軍隊を構成する戦闘員は3割程度で、後は後方支援なんですよ〜
馬良の3人の兄の名前が昔から気になって仕方なかった。
up主の話を聞いて、投稿主でゲームやる人、やりたいという人が、何か多い気がしていた理由が解りました。やっぱりみんな考えているなと。
主の正史準拠の解説も、演技で盛られた話を再考察できて、とても楽しんでいます。
あれ?安定とか天水辺りは雍州では?と思ったら、涼州だったり雍州だったりしてたんですね~
どうでしょう?新たな試みとして地域別の解説動画なんていかがでしょう?
この地域ではこんな人物たちが同郷で、こんな出来事があって誰々が治めてて、比較的水害の多い地域だったのかもしれないですねといった感じの動画が出来ると面白いかも♪
馬良が今一影薄いのって、馬謖がはっちゃけすぎたせいってのもあると思うのよね
杉村太蔵と同期の政治家なんて誰も覚えていないでしょ?w
ある意味そうだと思いますよ(笑
馬謖は印象に残りますからね~
名前とか興味ない自分にはとても参考になります。
全く気にもしませんでしたから。
もしかして春秋時代の呉の季札もそうなのかな?
次が馬謖ですか~趙括の後輩ですね。
良くも悪くも有名ですからね。
文官の文章のデキや外交使節という所は戦争の勝った負けたに比べて中々良し悪しがわかりにくい部分なので、馬良を知れてよかったです。
諸葛亮と義兄弟であれば性格面でもとんがった部分が少なかったのではないかと思いますので、蜀の後々を思えば夷陵で失ったのはかなり痛手でしたね。
コメントありがとうございます。
まさに夷陵は蜀の国力を衰退させた痛恨事でした
もちろん孔明さんも浸透襲撃さんも試験に出る三国志さんも危険な鬼太郎さんも見ていますw
俺三国志ばっか見てんな(白目)
その通り。それに加えていつかやるさんとか、俺の世界史チャンネル、鳥人間中国史三昧まで含めれば、もはやテレビなんて見ている暇はない。
@@三方ヶ原家康さん
おぉ歴史のロマンと真実を追求するトゥーリー人間さんを失念してましたw
歴史チャンネルさんはしくじりとローマ史が好きですね
いつかやるさんは名前は知ってましたが見たことなかったですねぇ・・・
まぁこんだけ趣味が有ってれば楽しめそうなので今度見てみようと思います
文官って地味というか、戦いに目を向けがちなだけで、地味でもなんでも無いんですよね。
人物としては武官より個性派が多い気が。
尚、日本でも政を担う人材の損失が、勢力の限界点を縮めたり、滅亡に直結する例が見られますね。
有名どこでは前者が毛利、後者が武田・豊臣という所でしょうか。
政治は瞬間的に目立つ功績じゃなくコツコツ積み重ねていくものだから注目を集め辛いんでしょうね