ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
動画解説中に間違いが有りましたので訂正します。張郃の兵力五万※魏略による→魏書によるまた、コメント頂いた中で、TH-camの規制に引っかかられた方がいましたが、内容的に問題ないので公開にしました。機械診断なので煽りっぽい言葉が入ってると引っかかってしまうようです。※上記の方が煽りをしてたわけでは断じてありません。過去の体験話の中でした。
😂
王平は元々大好きな武将でしたので、1時間でも時間を忘れて観ることができました。従来の説では見られなかったものがたくさんあって、とても有意義でした。ほかの動画も興味を持ってきました。
最高の動画、こちらこそ視聴させていただきありがとうございました!にしても王平かっこ良すぎる
実は人からの評価を気にしたり、劣等感を持っていた、という人格の複雑さ、それを努力で補おうとする姿勢。魅力的人物ですよね。
解説者によって注目解析するポイントが違って面白いから裾野の広さの重要性を感じる
面白かったです!街亭の戦いは、馬謖も張コウもお互いギリギリの判断で戦っていたと思うと、熱い戦いだったんですねぇ。王平も前より好きになりました!
当時の人間は誰も最善と信じて取った行動の結果だと思うので、馬謖の布陣についてもその意図を読み取ってみました~
街亭の戦いの地理や流れの解説が凄く面白かった今までの動画で一番見入っちゃったわ
ありがとうございますそういって頂けると作った甲斐があります
王平動画で馬謖の事を思った馬謖は孔明を尊敬して孔明の戦略を、苦労も理解してたから無理をしたのかもって思ったら凄く切なかったそして王平も孔明を慕っていて改めて孔明の凄さを知った戦略の根幹を理解していた王平と孔明の人となりを理解していた馬謖 と感じました
演技ではピンチな場面で尽く「これぞ王平」って、まるで趙雲のように出てくるんよな。著者の羅漢中に気に入られているのが分かる。(笑)はい、王平…私も大好きです。❤️
あなたの分析力で、官途の戦い、夷陵の戦いなど、戦闘の解説中心の動画が見たいです
今回も間に合わなかったので追っかけで見させていただきました。本当にお疲れ様でした!今回のはもうなんか…「凄い」の一言。語彙力無くて申し訳ないですがこれは凄い。今までの中で一番かも。大変な力作、ありがとうございました!次も期待してます!
ありがとうございます。次はいつになるか分かりませんがお待ち下さいませ~
リクエストに応えて下さりありがとうございました。大変聞きごたえのある内容になっていて、三国志の中でも好きな武将の一人である王平がますます好きになりました!通好みの優れた武将だったからこそ、演義で活躍場面が増やされたのかもしれませんね。みんな三国志は大好きですが、歴史ムックなどでも資料が少ないのか、戦いの実際(特に布陣図や鳥瞰図なども)が取り上げられる機会が少なく、こういった解説動画は本当に勉強になります。演義を読んで横山三国志にハマったワタクシといたしましては、横山三国志の関連図眺めても、位置関係がさっぱりわからず、街亭がこうも複雑なエリアだとは到底想像できなかったですね。一部で「登山家」呼ばわりされている馬謖にしても「装甲猫」さんの動画では、公平・公正な視点で描かれていて好感が持てます。「戦場の霧」にしても、歴史を知っているとつい先入観をもって見てしまいがちですが、戦場では不確定要素の連続で、ちょっとしたことが戦いに大きい影響を与えることを踏まえて見直す必要がありますね。今度は馬超一族の馬岱や長年蜀に仕えているのに演義でもあまり出番のない呉懿なんかもお願いします。
ありがとうございます。私は紹介するに当たっては、必ず当人は当人なりに必死に考えて判断した結果だと思ってやっていますので、単純にダメなやつだった、という以外の感想を持って頂けたら御の字です。
本当に良い動画。客観性の高さが抜群。
ありがとうございます!
いやあ、一時間近くあった動画だったけど、全く飽きることなく視聴しちゃいました。渋い武将の印象な王平でしたけど色々と知れて面白かった!!!有難う御座いました!王平、ナムコの三国志だと超一流の体力があって、武力、知力上げて主力武将にしてました(笑)
ありがとうございます。これからも王平を使ってあげて下さい!
衛生写真見るまで中腹に布陣が良いかななんて特に根拠なく考えていましたが、思っていたより急峻な上に大きめの川が近くて(しかもm形)今迄の街亭の戦いの先入意識が払拭されました。王平の出自や参軍経緯、戦時の時系列の考察も成程(特に板楯族の秦時代からの経緯は知らなかったし、その都出身とは!)と思い、本当に色々の事が目から鱗です。とても面白かったです。あと他の方のコメント見て知りましたが、1時間動画だったとは!寝ます()
長尺お疲れ様でした楽しんで頂けたなら何よりです
王平将軍!蜀で1番好きな将!こんなに長時間嬉しいです!!あとでゆっくり楽しみます!
楽しんで頂けたなら何よりです
@@装甲猫 昔、学研?の歴史群像で、10万の魏軍を漢中で小人数で防いだと見て、それ以来王平ファンです偏狭で心が狭い?とそこに書いてあって、ん??と疑問に思っていたのですが、今回の解説で理解出来ました出自を気にしていた故の事だったんですねそのために、冗談も言わず厳しく自分を律していたとか、益々王平が好きになりましたあと、馬謖がただただ運悪く、気の毒ですね。。
王平はとても好きな武将です。1時間があっという間でした😄うp主さんの丁寧な解説、見ていてとても面白かったです。
楽しんで頂けたなら何よりです!
王平の助言や忠告に従わないと敗戦フラグが立つというイメージ。
まさしく
そういや徐晃も忠告無視して、趙雲や黄忠にやられたな
長時間のアップ、ご苦労様でした。王平についてはこれ以上 詳しい解説はないのでは…と、思います。見ごたえのある内容で、時間を忘れて拝見いたしました。
いやいや、昔にネットで語ってた人達はもっと詳しかった気がしますので、そういう人達が動画とか作ってくれないかな〜とかあるいは、こんな動画は薄い!ってもっと良い動画を作ってくれないかな、と思います。
よく調べた上で個人の考察を語っているので、とても説得力があり共感できます。また、王平が諫言する場面で流れるBGMと魔理沙の言い方が、必死に諫言する王平を想像させます。私の好きな場面なので、飽きずに何回も視聴しています。また、馬謖、劉封の話も納得させられました♪。王平の諫言は、川の民目線で山上に布陣する事に対してか?、煩雑な命令は士気に影響する事か?、丞相に援軍要請をしない事か?(防衛態勢が整えられなければ撤退せよ、という指示に反して独力で戦おうとする馬謖の思惑を下っ端武将の王平が知っていたようには思えないので、兵数で劣るのに援軍要請をしない事に疑問を持った為)。王平に聞いてみたいですね。あと、川の戦いで思い出すのが、韓信と陳余の戦い。孫子の兵法を無視して背水の陣を敷き勝利した韓信と、孫子の兵法どうりに布陣して大敗した馬謖…。兵法書どうりにしか動けずに大敗した趙括と馬謖が同列に見られるのは、そうところなのかな…と思います。最後に、敵前逃亡の汚名を着せられたのは、戦闘に負けた後、諸葛亮の元ではなく向朗の元に逃げたからではないでしょうか?。長くなりましたが、いつも楽しく動画を視聴しています♪。
コメントありがとうございます。馬謖はネタとして愛されている部分は別として、単純に馬謖はバカと見下す人も多いので色々と考えてみました。馬謖は街亭が初陣であり、しかも参軍として各将軍を作戦指導した(直接の兵権を持たなかった)点、相手が歴戦の名将である張郃だった、といくつもの不利があったと個人的には思っていて、つい同情してしまいます。
@装甲猫 お忙しい中、長文を読んで頂いた上、返信までして頂き有難うございました。
動画投稿お疲れさまです。前回の馬ショクの動画とあわせて非常に重厚な内容でした。今までに無い新しい仮説を立てられて大変興味深かったです。馬ショクにしてみては「時間を稼げれば勝利」という条件を、「街亭より後退(追撃の危険有)、もしくは逃げながら戦う」or「数では劣るが、地形的防御バフが受けれる高所に陣取る」の2択だったわけですね。僕たちが戦略ゲーム的思考をすれば、恐らく後者の選択をするのが妥当と考えてしまうと思います。そういう意味で初めて馬ショクに共感できたような気がします。王平氏のこの不利な地形での詳細な采配を知りたいところですね。馬ショクについた「登山家」の汚名を返上するのは難しそうですw
馬謖がなんの考えもなしに戦って敗けたわけではない、という見方を持って頂けたら私としては成功です(笑
王平・・・最高でした!!
ありがとうございます
王平に関しては1:魏から蜀の武将となった2:馬謖を諌め救った3:孔明から信頼されていた…との認識でしたが今回の動画で詳細が分かり彼の人物像に血と肉が付いてリアルになりました。
そういって頂けると嬉しいです!
動画作成 お疲れ様でした 蜀の北伐には 必ず郭淮が 出てくるので 私なりに調べあげましたが やはりキーポイントとなる場所に 郭淮って居るんですよね なので 一度 流れからも 郭淮の動画見てみたいです 主の主観が とても参考になって 面白いです愛がなければ見えない ほくそ笑んでしまいました 笑
郭淮はやりたいですね~。この人も複雑な人格形成をしてるので面白いです。>ほくそ笑んでしまいました 笑ベアトリーチェさんは、まさにそのままですもんね。
郭淮は とにかく 正史のなかでも 記述が多く 纏めるのは大変だと思います 主がどのように編集なされるのか 今から想像してしまうと ちょっと気の毒な事お願いしたかなぁとも 思ってしまいます 無理強いではないので 汗 一視聴者からの密かな願いくらいに思っていてくださいね
因みに 我が師は 鐘ヨウ 鐘会 親子が好きで 世説新語をよく引き合いに出してました
@@黄金のベアトリーチェさんご心配ありがとうございます。大丈夫ですよ、語りたい事が出来たらやりますので〜
@@黄金のベアトリーチェさん良いですね〜私は理系だから師と呼べるひとがおらず全て独学なので、そういうお話は羨ましいです
魏蜀の戦いになるとかなりの頻度で張郃が百戦錬磨の名に恥じない活躍をしますね。そのうち張郃の紹介動画を見たいものです。
善く敗れる者は滅びずとは言うものの、行うは殊の外難しいものですな・・・
まさに言うは易し、ですな
観ていてとても面白い、色んな観点から読み取るのはとても素晴らしいと感じます。
素晴らしい うp主の見識に敬意を評します 何故そこまで詳しく調べられるのか疑問な位です
面映いですが、ありがとうございます!
動画再開ありがとうございます!前回おっしゃっていたように、馬謖が指揮官として無能だったわけではなく、相手が悪過ぎましたね💦チョウコウがあまりにも凄すぎだなと。そしてそんなチョウコウという化け物を相手に獅子奮迅の働きをして勇名を轟かせた王平。字を知らなくても学問をバカにせず、自分ができる事を最大限に尽くした生涯がカッコいいなと思いました😊
王平の生涯、学や出自がなくても努力で補うという姿勢は好感が持てますね
リクエスト応えてくださりありがとうございます!王平が異民族という話は聞いたことありましたが、ここまで調べてくださりありがとうございます!まさか諸葛亮生存中まで母の姓を名乗っているのは知りませんでした。もっと早く有名になれば少しは歴史が変わったのかなと思える人物ですねしかしながら、蜀には欠かせない人材であったことは間違いないですね!
歴史が変わったかは分かりませんが、非常に魅了的な人物だと思いますね~
個人的に北伐絡みは好きな武将多いんですよね。魏延、王平、カク昭。超有名(まぁ魏延はある意味有名だけど)ってわけでもなく万能じゃない所が人間じみてていいですよね。
郝昭は私が解説するとガッカリするかも~(笑
孫呉の名将で孫権の相談役の潘濬(承明)の動画解説よろしくお願いします!
潘濬って良い働きしてるんですけど知名度低いですよね〜
それな
馬謖の敵前逃亡説は浸透襲撃さんの動画の影響も大きいですねぇ。こちらも地形や孫子などを踏まえた解説なので説得力がありますので、私もこの装甲猫さんの動画を観るまではそちらの説を信じてましたから。
そうなんですね〜敵前逃亡説は基本的に当時の各位の職責とかを確認する限りはあり得ない話なんですよね〜なので沢山の方が敵前逃亡を唱えるのに「??」ってなりました(笑
@@装甲猫 浸透襲撃さんは孫子と戦術が好きな方で、解説も人物ではなく戦役単位でされてます。面白く説得力もあるのですが、正史をあまり読まれておらず、三国志の解説書を参考にされてるので人物単位の掘り下げが甘いかな、という印象です。
そうなんですね。私も何本かは動画を拝見したのですが、件の動画は知らなかったので、最初は自分の表現が悪くて退却の指揮を最後まで執らなかったのを敵前逃亡と誤解されたんだと思ってました。
面白かったです。街亭の戦い時、諸将が言うように魏延か呉懿を主将にしてたら上手くいってたような気がします。呉懿の後任を引き継いで曹爽の大軍を防ぎきった功績を鑑みると、名将といっても差し支えないと思います。
正に名将ですね
とても楽しく見させて頂きました。王平は大好きです、日本的な理想の武人像に最も近いのではないでしょうか(^-^)北方謙三版の三國志の王平も凄くカッコいいので、王平好きなかたにはお勧めです!
そういうリスナーさんのオススメも嬉しいですね!
張コウ「昔はお前のような将軍だったのだが膝に矢を受けてしまってな…(戦死)」
スカイリムの衛兵。
正直、張コウに「スタアァァァァップ!!」されたら逃げられる気がしない
張郃は見えないからこそ目の前の見える敵に全力で当たり、その時間の中で周囲の情報も収集してたんだろうな・・・と思いますその辺りが叩き上げの魏国最優秀の現場指揮官武将の本領なのかなと
簡単に勝ったようにみえて実は色々な取捨選択や難しい判断を重ねた上の勝利という、張郃の凄みが伝わったなら何よりです
この歴戦の相手をするには平地では勝ち目がないのは見えてるし山に籠る以外に道がないと思ったであろうのは想像に難しくないよなぁ水は忘れたのではなく用意する暇がなかったのかと
王平は演義だと最初は徐晃の副将として出て来るし、街亭の戦いでは豊富な経験を買われて馬謖の副将に付けられているから馬謖より年上というイメージになるけど、実際には馬謖と同い年か少し年下だったと思う。
それは思いますちょっと判定が難しいので書きませんでしたが、王平の少年時代の従軍は張魯と劉璋の争いじゃないかな?と思います
街亭の局面では、やはり遅滞戦術一択でしょうね…張郃は持久戦に賭けた、というより、馬謖を拘束しつつ斥候を出して敵の別部隊の有無を確認し、その上で馬謖軍を確実に撃破する必要があったからではないか?と動画を見て思いました。別部隊が後ろの道で遅滞行動や伏兵の準備をしていたらそもそも行軍が困難、略陽へ進むも隴へ戻るも、馬謖軍に背後を晒すわけにはいかないですからね…
そうなんですよ。張郃には確実な情報を得て行動する必要があったんですよね。西方3郡が呼応したせいで、一時的に敵地に入ったのと同じなので。
@@装甲猫 王平も同じことを、もしかしたら馬謖も張郃の持久戦は想定していたかもしれませんね。ソースは忘れてしまいましたが、山で生活している人は、外から山を見ただけで湧水の有無の見当がつくと聞いたことがあります。水不足で軍を維持できなくなったら対陣しての時間稼ぎもできませんし。張郃はもしかしたら、対張飛戦のトラウマもあってあんな戦い方を…?
王平というと、横山光輝マンガでは「気のいいおっさん武将」みたいな外見で、孔明の指示に忠実、みたいな印象を持ってました。今回の動画で、ある意味「バーサーカーで兵法書にない戦い方を心得ている部族」の出身みたいな印象に変わりました。参考になりました。ありがとうございます。
いつか、狐篤(馬忠)の動画をお願い致します。
馬忠も名将ですよね劉備が黄権を失ったが狐篤を得た、と言ったくらいですし
一番の敗因は孔明でも馬謖でもなく、国力が低いゆえに柔軟な戦略が構築できなかった蜀漢そのものであったか・・・。
まさにです
どちらもとても楽しく観ています!
ありがとうございます!どちらって?
王平は、文字は確か10文字程度しか書けず、軍中にいる時には、配下をそばに置いて兵法書を読ませて覚えたとか本当に叩き上げの将であり、漢中太守でもあり、凄い将だよな蜀の中では、1番好きな武将
五文字 姓名と字名が「王」「平」「子」「均」後一文字なんだろう?www
一応、倍の10文字は識ってるそうですよ(笑
さらに「何」は読めそうですから、後数字で終わりですかねw
王平は名将と思ってます。臨機応変に対応出来て的確ですよね。地味だけど功績は大きいです。街亭の馬謖のイメージに隠れてるけど。馬謖は他人の意見を聞かない人だったのかな。進言は出来ても聞く事は出来ない。現場だと臨機応変には対応できない。関係ないけど関羽と魏延は上手くやれたような気が・・・。
馬謖の理論としては最善だったんでしょう。王平には既存の兵学とは違う心積もりがあったんじゃないか?と思いますね。たぶん同じ状況だと、関羽や魏延というか誰が戦っても敗けたと個人的には思います。
@@装甲猫 すいません。関羽と魏延仲良く出来たかな?という意味でした。
一般に武将と呼ばれる人物を大きく2つのタイプに分けるという説を聞いたことがあります。ジェネラリストとスペシャリスト。ジェネラリストは総督や司令官タイプ、スペシャリストは部隊長タイプ。張郃は夏侯淵戦死の際に代理を務めたほどの人物、間違いなくジェネラリストでしたでしょう。一方王平は部隊長タイプ(スペシャリスト)、馬謖に至っては本質的には秘書官のようなタイプであり、どう考えても戦闘向きであったとは思えません。ジェネラリストとスペシャリストが戦えば、ほとんどジェネラリストが最終的勝利を収める可能性が高い、というその説に沿って考えれば、相手が悪かった、または馬謖の人選自体が誤りであったというような気がします。
今回も大変勉強になる動画でした。街亭の戦いは単純に賢い方が勝って馬鹿な方が負けた、というような内容ではないんですね。結局の所幾ら張郃が合理的に動いても大勝にならなかった可能性は十分あり、最終的には何処に、何にヤマを張るかという理屈だけでは語れない戦人としてのセンスが明暗を分けたのかなと個人的に思う。あと王平将軍が思ってたより凄いというかこんなに実績と名声のある将やったんやね。一つ勉強不足でアレなんですが、王平が母方の姓を名乗っていたのには何か理由があるんですか?
ありがとうございます。そういう視点で馬謖を見てもらえれば成功と思ってます。ゲームのコマではなく過去の時代に実在した生の人間なので、必ず葛藤を抱えながらも最善と信じて判断を下していた、と信じているので単純に馬謖が間抜け、というような風潮に一石を投じてみました。母方の姓であった理由はわかりませんでした。想像ですが、王平は私生児に近い立場だったんじゃないかな、とか思ってます。
王平は今で言うディスクレシア(学習障害や難読症等)だったんではないでしょうか?その為現状を自分で観察したり読み上げて貰えば内容を理解して的確な判断を下す事はできたとか
あ〜なるほど。そういう方向では考えてませんでした!
私が好きな武将は王平、張遼、馬岱の3人です。叩き上げの実直な人物というイメージがあります。馬岱も取り上げて頂ければ嬉しいです
馬岱と牛金は正史では何気に長期間活躍してるんですよね~
@@装甲猫 牛金は名前🐂で損してます。三国志大戦ではネタ武将扱いですし(笑)
猫さんの動画は前も言いましたけど目を閉じるとその人の人間臭さが見える動画なので私はとても好きです
ありがとうございます嬉しいです
なるほど、馬謖ごめん
失敗らしい失敗は一度もしていないめちゃめちゃ優秀な武将だよね
前線指揮官としては傑出してますよね~
好きな将である王平のことをわかりやすく解説してくれてありがとうございました。正直、五虎大将よりも凄いんじゃないかと思います。
五虎将軍も魏の五大将も凄いんですけどね~王平は知名度が低いですから
@@装甲猫 王平は黄忠や趙雲みたいに優秀な現場指揮官でしょうね。関羽や張飛のようにある程度の裁量も任された独立勢力ではない
王繋がりで王基あたりも解説していただきたいです!
王基も知名度の割に名将なんですよね特にその見識の高さとかが
次は劉封の解説おねがいします!
リクエストに追加しますね!
漢・楽に軍を集めなかった王平と集めた姜維。状況は全然違うが因果を感じてしまう。
姜維には姜維の思惑があったのでしょうね。
曹爽に「孔明の遺風は残っていた」と言わせた武将のイメージ。劉備の死後めっちゃ活躍してて好きでした。
王平は最終的に武官とはいえ実力で高官に登ったので非常に有能なのが分かりますよね
1時間は長すぎやろとは思ったけど、やっぱりガッツリの内容でした。俺じゃなきゃ我慢できないね。王平さんは業務に関係のない別の部署の人だったらお付き合いできると思うけど、上司とか同僚になるのはきついタイプですね。今回も人物のバックボーンの内容がありましたが、個人の動画だけでなく、一族のつながりとか流れが分かるような動画も見てみたいと思いました。
一族ってなかなか記録に残ってないんですよね〜
張郃側の視点で考えると長期戦に持ち込んだのではなく持ち込まされたのではないだろうか?地理には多少明るくても現状は不明で、1月近く倍速行軍してきたところ、寡兵とはいえ相手が兵法に適った万全の配置で待ち構えていたわけだし。そうなれば背中に敵を置いて突っ切るより、腹を括って陣を構え、情報収集にあたる方が自然にも感じる。無視すれば挟撃受けたり、先の情勢次第では兵糧を手に入れられない可能性を疑ってもおかしくない。あと、王平だけが諫言したの洛陽に実際に行った経験からどれだけ無理な行軍をしているか予想出来て、すぐに相手は戦端を切れないと読んでいたのかも?全部想像(妄想?)だけど
徐晃「よし。俺は許されたな!」
演義徐晃が(笑
王平は読み書きに不自由があったとかって話があったと思うので、漢民族とは違う可能性はあるでしょうね。馬謖は戦後に逃亡したんじゃなかったでしたっけ?
確か戦場にしょっちゅう居て学問修めてる暇がなかったから、読み書きが不自由だったかと。
そうですね!王平は軍隊の中で育ったので文字が書けなかった、と書かれてます。
雪辱は「果たす」
ホントだ間違えた
この王平のイラスト、板東英二さんにしか見えません!!「板」循蛮と「板」東にかけたのだと勝手に予想します。
座布団一枚!
王平、魏延、馬謖とみています。ぜひ次は陳宮を!
陳宮は好きな人物なのでやりたいですね~
EXCELLENT.
板楯族のレリーフにうわぁぁああのAAみたいな顔がw
私も思いました(笑
航空写真をみると、橋の無い場所を道路が横切る洗い越しが散見されます。王平としては、この程度の川を絶対的な障壁としてみるべきではないということだったのでしょうか。
王平の諫言が山上への布陣か、川を捨てた事か、原文からはどっちにもかかる書き方なので難しいですね
坂盾族ですか、槍に盾と中国よりローマやギリシャに近い槍投げや密集ファランクスしそうな…王平がそうかは分かりませんが坂盾族そしてソウ族にそっちの血あったりして…アレキサンダー大王ですらインドで引き返したので可能性は低いですが…
ロマンですがあったら面白いですね〜確か前漢の陳トウ(だっかな?)がローマ兵と戦ったってどなたかの著書で読んだ気がします
馬謖の「敵前」逃亡は誤りです。しかし戦後に馬謖は逃亡を図ったとの記録があります。向朗伝には、「馬謖が処罰を恐れて逃亡し、向朗は荊州以来の知古があったので情けをかけて馬謖の逃亡を黙認した。その為に向朗は降格させられた」と記されている筈ですが……。私の記憶違いだったでしょうか?
それで合っている、と思います私は自身は馬謖の逃亡が漢中に戻ってからか、それとも祁山での事か、街亭との関連はどこまであるか?については向寵紹介について一つの推察を出しましたが、アレも思考実験の一つなので答えはまだ出せてないです
結局「馬謖が逃亡して軍が潰走した」or「軍が潰走して処罰を恐れた馬謖が逃亡した」かの二択になると思われます
ベテランの勘で若手が敗走するのは古今東西有るとはいえ、右も左も前すらよく分からん状態で馬謖相手にした張郃が凄すぎる…王平が文盲をコンプレックスにしてたのは吃音の鄧艾や隻眼の夏侯惇、冴えない格好の龐統が軽んじられた当時の価値観が理由なのかな、と思いました惇兄は鏡を見るたびにブチ切れて叩き割ってたって言う逸話が残ってるくらいですし
前にコミュニティの四方山話で書いた事あるんですけど、実は三国志で立伝されてるのって基本的に上流階級なんですよだから、余計にコンプレックスがあったんじゃないかな?と考えてみました
なんと、それは知りませんでしたとなると有り得そうな話ですね異民族+文盲は名士受け悪いでしょうし下手すれば伝すら残されなかった可能性が有りますもんね
上流階級=基本なので特に書かれてない下級層=寒門出身などと記述される特に上流=その富豪な様が記述されるという感じですね〜だから王平の同僚は基本的に良いとこの出の人が多かったと思います
演義だと徐晃と仲たがいだけど、あれは徐晃の扱いが酷いですよな。しかしまぁ、この人のイメージってパッと浮かぶのが「ザ・副将」イメージがなんかあります(私だけかもしれんけど)が、実際は長く蜀漢を支える名将ですよねー。ただ陳寿の記述が褒めてから落とすのは、やっぱ謎い……
陳寿は一番最初に母方に養われて元々王平じゃ無かった事を記しながら、成長については最後尾に記すなど、何か秘められた意図があるのかもですね
演義では五虎将の後を継ぎ、王平、張嶷、張翼、廖化で四猛将となっていたなあ
その4人だとあとは廖化ですね~
言わんとすることは判るけど、張コウ側に地理情報あったのなら持久戦に持ち込むの当たり前のような気がしないでもない。兵法通り南山に布陣したからこそ「急戦では敗れぬ」と判断され、持久戦に持ち込まれてるわけで、馬謖の将器はやっぱり期待値で動いてるから半端だと思います。持久戦に持ち込む気なのに持久戦を闘う状況を整えられてないってどうなんだって話です…。
クイズはおもっクソ外したものの自分はどうするか、との問いについて「じりじり後退させるのが良い」という点と、「結局アルピニストになるしかないじゃん…」というのも意見が合致していました。私の場合はそこにプラスして後退時、山の上に少数の兵を残して煮炊きをさせていたかもしれません。あと、王平も無茶なことやってるなぁ、という私の第一印象は間違ってなかったんやなって
そうなんですよ皆さん結構良いところを突いてるのでワクワクしながらコメント見てました(笑王平は無茶ですね普通は整然と退却させただけでも後席ものでしょうに向寵とかみたいに
王平と馬謖の解説が凄すぎて感動しました。馬謖も孫子に従っての行動だったと。功名心で先走ったわけではなかったと。向朗の解説を加えると馬謖処刑の為に牢屋入り→孔明(処刑するには惜しい人物だ。そうだ陛下に止めてもらえばOKだな)→牢屋の馬謖、恐怖心に耐えられず逃亡を企て向朗が見逃す(ここが敵前逃亡の謂れ?)→馬謖見つかり捉えられる→孔明(せっかく処刑を止める策を企ててるのに何してくれてんだよ)向朗に怒り→降格、罪を重ねた馬謖を庇いきれず処刑て流れと納得できました。
失敗者をただ「無能」と指弾するのでは折角の歴史が面白くないですからね~。傍目には不合理に見える事も当事者には合理的な考えがあったのではないか?というのは常に考えるようにしてるので行間を読んでみました。
本を理解する手間は惜しまないのに字を覚える手間は惜しむのはよく分からない人物ですね、諸葛亮が孫権の呂蒙蒋欽の時みたく諭すこととかなかったのかな?
初等教育を受けずに成人してからだと脳が変わらず中々に大変なんだそうですよ。だからせめて本だけでも読んで貰ったんじゃないでしょうか?
陳到は短かったのに王平は随分なかいのね。
蜀に王平あり!!ですね。
この頃の蜀って馬岱、姜維以外に王平という立派な将によって支えられていたんだね。3人それぞれにエピソードがあって面白いですね。張飛や魏延といった一癖ありそうな将がいるのが蜀なんです。おもしろいですね。
最初から蜀に所属していればもっと名を上げていたかも?
かも知れませんね!
張郃は第4次の時点で戦いに居る事45年余り恐らく司馬懿より10歳くらい年上でしょうから明帝崩御のころには鬼籍へ行っているでしょうし大事な将軍をわざわざころそうとはしてないと思いますただ第一次のアルピニストのように何か功を焦ったのかもしれません
そうですね或いは上邽・鹵城での負け分を取り戻そうとして焦ったのかもですね
王平の読み書きに関してですが、民族の違いにより学習した言語が異なる可能性はありませんか。会話は自然に身についていっても辞書に相当する物が存在しないため、読み書きを戦乱の中で戦いながら身につけるのが困難だったのではないでしょうか。日本でも鎖国時代の長崎でオランダ語の通訳を職業としていた通詞の人たちは、オランダ語での会話は出来ても読み書きは出来なかったと聞きます。主な理由として「口伝により子孫にのみ伝え、自分たちの立場を守る」ためとの考察もあるようです。だからこそ医学書が入ってきても訳せる者がおらず、杉田玄白や前野良沢らが苦労して解体新書を出版したことが日本史の上で大きな出来事の1つになっているのだと思います。
個人的な見解ですが、そうだと思いますよ。王平が知らなかったのは漢字であって賨族の文字は使えてたんじゃないでしょうか?
王平の兵の指揮の強さが異常なんですが。ゲームでもっと強い扱いをされても良いんじゃね?武力のイメージは無いから無双でプレイヤーキャラには無理か!?
王平の統率力パラメータはあげても良いかもですね~ただ将の将という経歴がないので上げすぎるのもなんですが
字幕下記( )部分に間違いがあったので修正願います孔明の信頼を受けて別軍を率いた王平は勇躍して、あの張郃が率いる大軍の攻撃を、指令通り固く守ってまるで寄せ付けず、ついに張郃ですら(克つ)ことが出来なかったんだ克つ→× 勝つ→○
コメントありがとうございます。ちなみに間違いだと思う理由を教えて貰えますか?
張郃は猛将であり、克つと使うと王平に頑張っても勝てなかったと言う意味になるのかなと。張郃と王平では場数や潜ってきた修羅場で張郃にやや分があると個人的には認識。つまり総合的に張郃が王平より上回るので、ここはあえて克つではなく、勝負の勝つを使った方が良いかと思ったのです
なるほど、そういう理由であれば原文に従って克つで良いと思います
拙速してますか?の方の動画も凄いなーと思ってましたけど、装甲猫さんからするとあれも適当なホラ動画レベルなのか・
え?そんな事ないですよ!むしろ浸透襲撃さんと私の動画って考察が似てる気がします
@@装甲猫 あーあちらでは馬謖敵前逃亡説をとっていたみたいだったので、装甲猫さんの「誰か広めてんの?」「さぁ?」ってくだりがそう感じてしまったのかもです。すいません。
あれ〜?浸透襲撃さんの動画はいくつか拝見した事ありますけど、そんな事言ってましたっけ?確か張郃に対する考察とかを同感だなって観てた記憶しかないです
@@装甲猫 確か北伐に対する一考察(100日後に死ぬ馬謖編)だったかな?私が浅い見方しか出来てないのかもしれません。
@@装甲猫 「北伐に対する一考察、街亭の戦い」シリーズの最終回(36:17の動画)の、24:54あたりから、「なぜ馬謖は【処刑】されたのか?」という考察を33:10頃までの10分近くかけて考察しています。新鮮な視点からの考察であったゆえに、覚えている人も多いのでしょう。
36:20~の箇所。さすがにこれはやり過ぎでしょう。分かる人には分かるCHの内容に言及することであり、明確な他者批判です。それも、正々堂々と「○○さんはこう思っているようだが、私はこう思う」と語るわけではなく、とぼけたように「どっかで敵前逃亡って広めてるのかしらね?」と表現するのは、正直小賢しさを感じて不快です。現に、複数のコメントで他所のCHのことだと察していることが見られています。前回の動画で、他所のCHと内容が被ったことで批判され、動画制作を辞める可能性すら示唆し、リスナーを騒がせた反省を、なにも活かしていないように思えます。どうして不要な火種を撒くような言動をするのか。歴史というものを学ぶ意義は、過去の人々の成功や失敗から学び、自身の人生に活かすことであり、不要で不注意な言動から破滅した人物など、それほど枚挙に暇がありません。だというのに、そうした失敗の轍を踏むかのごとく行動をしたこのCHに、少々幻滅いたしました。評価していたCHであっただけに、今回の一連のことは残念でなりません。
あら、この話って動画がもとなんですか?馬謖紹介以降コメントで多数の方が敵前逃亡と書かれるので、最近のガイド本とかじゃそういう事になってるのかと思いました。特定の誰かを指して批判したつもりではなかったんですが、そう思われたなら私の不徳の致すところですね。ご忠告ありがとうございます。
@@装甲猫 もし貴方が知らずにああ書いたのならば、それは「軽率」であり「調査不足」と言わざるを得ません。その理由としては、前述のように「他所の動画と投稿日と内容が被った」ことでリスナーを騒がせておきながら、同じ題材を扱うCHのことを一切リサーチせずに動画を作っていることを示しているからです。無論、三国志を扱う動画をすべて視聴しろ、などという常識はずれを言うつもりはありませんが、少なくとも「街亭の戦い」でyoutube検索して10万再生を超える動画くらいは視聴しておくべきでしょう。本や専門書も大事ですが、この情報化社会で影響力があるのは動画であることは確かです。なぜなら、その動画のコメント欄には今の人々の認識を示している「生の情報」があるためです。そこを調べずに「知らなかった」というのは、正直「貴方は馬謖やほかの武将の失敗の歴史を見て、何を学んでいたのか?」と疑問視せざるを得ませんでした。
批判も大事と思いますが、話が飛躍し過ぎかつ、動画と無関係な話をされるのは余計な感情が入り過ぎと感じます。時間を割いて動画を作成してくださった方への敬意を、もっと持たれた方が良いのでは無いでしょうか?
@@呂蒙子明-e6h ならばこそ、投稿主にも、「同じく時間を割いたであろう他所のCHが作った動画」に対する敬意を持ち合わせてほしいのです。私も、以前投稿主が「動画作成を辞める可能性」を示唆する内容の記事を出していなかったら、このようなコメントはしません。「あああの人の動画を知らなかったのかな?」と思っただけでしょう。しかし、他所のCH関連で騒がせた次の動画で、知らずとは言え自ら他所のCHのことを言及していたので、最も気を付けなればならないデリケートな部分を弄るような状況となっていたため、強めに苦言を呈しました。
既に忠告を受け入れた相手に対してかさにかかって言い募るのが感情的すぎる?といわれているんじゃないの?少し頭冷やしたら?
動画解説中に間違いが有りましたので訂正します。
張郃の兵力五万※魏略による→魏書による
また、コメント頂いた中で、TH-camの規制に引っかかられた方がいましたが、内容的に問題ないので公開にしました。
機械診断なので煽りっぽい言葉が入ってると引っかかってしまうようです。
※上記の方が煽りをしてたわけでは断じてありません。過去の体験話の中でした。
😂
王平は元々大好きな武将でしたので、1時間でも時間を忘れて観ることができました。
従来の説では見られなかったものがたくさんあって、とても有意義でした。ほかの動画も興味を持ってきました。
最高の動画、こちらこそ視聴させていただきありがとうございました!にしても王平かっこ良すぎる
実は人からの評価を気にしたり、劣等感を持っていた、という人格の複雑さ、それを努力で補おうとする姿勢。魅力的人物ですよね。
解説者によって注目解析するポイントが違って面白いから裾野の広さの重要性を感じる
面白かったです!街亭の戦いは、馬謖も張コウもお互いギリギリの判断で戦っていたと思うと、熱い戦いだったんですねぇ。王平も前より好きになりました!
当時の人間は誰も最善と信じて取った行動の結果だと思うので、馬謖の布陣についてもその意図を読み取ってみました~
街亭の戦いの地理や流れの解説が凄く面白かった
今までの動画で一番見入っちゃったわ
ありがとうございます
そういって頂けると作った甲斐があります
王平動画で馬謖の事を思った
馬謖は孔明を尊敬して
孔明の戦略を、苦労も理解してたから
無理をしたのかもって思ったら
凄く切なかった
そして王平も孔明を慕っていて
改めて孔明の凄さを知った
戦略の根幹を理解していた王平と
孔明の人となりを理解していた馬謖
と感じました
演技ではピンチな場面で尽く「これぞ王平」って、まるで趙雲のように出てくるんよな。
著者の羅漢中に気に入られているのが分かる。(笑)
はい、王平…私も大好きです。❤️
あなたの分析力で、官途の戦い、夷陵の戦いなど、戦闘の解説中心の動画が見たいです
今回も間に合わなかったので追っかけで見させていただきました。
本当にお疲れ様でした!
今回のはもうなんか…
「凄い」の一言。語彙力無くて申し訳ないですがこれは凄い。
今までの中で一番かも。
大変な力作、ありがとうございました!
次も期待してます!
ありがとうございます。次はいつになるか分かりませんがお待ち下さいませ~
リクエストに応えて下さりありがとうございました。
大変聞きごたえのある内容になっていて、三国志の中でも好きな武将の一人である王平がますます好きになりました!
通好みの優れた武将だったからこそ、演義で活躍場面が増やされたのかもしれませんね。
みんな三国志は大好きですが、歴史ムックなどでも資料が少ないのか、戦いの実際(特に布陣図や鳥瞰図なども)が取り上げられる機会が少なく、こういった解説動画は本当に勉強になります。
演義を読んで横山三国志にハマったワタクシといたしましては、横山三国志の関連図眺めても、位置関係がさっぱりわからず、街亭がこうも複雑なエリアだとは到底想像できなかったですね。
一部で「登山家」呼ばわりされている馬謖にしても「装甲猫」さんの動画では、公平・公正な視点で描かれていて好感が持てます。
「戦場の霧」にしても、歴史を知っているとつい先入観をもって見てしまいがちですが、戦場では不確定要素の連続で、ちょっとしたことが戦いに大きい影響を与えることを踏まえて見直す必要がありますね。
今度は馬超一族の馬岱や長年蜀に仕えているのに演義でもあまり出番のない呉懿なんかもお願いします。
ありがとうございます。
私は紹介するに当たっては、必ず当人は当人なりに必死に考えて判断した結果だと思ってやっていますので、単純にダメなやつだった、という以外の感想を持って頂けたら御の字です。
本当に良い動画。客観性の高さが抜群。
ありがとうございます!
いやあ、一時間近くあった動画だったけど、全く飽きることなく視聴しちゃいました。渋い武将の印象な王平でしたけど色々と知れて面白かった!!!有難う御座いました!
王平、ナムコの三国志だと超一流の体力があって、武力、知力上げて主力武将にしてました(笑)
ありがとうございます。これからも王平を使ってあげて下さい!
衛生写真見るまで中腹に布陣が良いかななんて特に根拠なく考えていましたが、思っていたより急峻な上に大きめの川が近くて(しかもm形)今迄の街亭の戦いの先入意識が払拭されました。
王平の出自や参軍経緯、戦時の時系列の考察も成程(特に板楯族の秦時代からの経緯は知らなかったし、その都出身とは!)と思い、本当に色々の事が目から鱗です。
とても面白かったです。あと他の方のコメント見て知りましたが、1時間動画だったとは!
寝ます()
長尺お疲れ様でした
楽しんで頂けたなら何よりです
王平将軍!
蜀で1番好きな将!
こんなに長時間嬉しいです!!
あとでゆっくり楽しみます!
楽しんで頂けたなら何よりです
@@装甲猫 昔、学研?の歴史群像で、10万の魏軍を漢中で小人数で防いだと見て、それ以来王平ファンです
偏狭で心が狭い?とそこに書いてあって、ん??と疑問に思っていたのですが、今回の解説で理解出来ました
出自を気にしていた故の事だったんですね
そのために、冗談も言わず厳しく自分を律していたとか、益々王平が好きになりました
あと、馬謖がただただ運悪く、気の毒ですね。。
王平はとても好きな武将です。
1時間があっという間でした😄
うp主さんの丁寧な解説、見ていてとても面白かったです。
楽しんで頂けたなら何よりです!
王平の助言や忠告に従わないと敗戦フラグが立つというイメージ。
まさしく
そういや徐晃も忠告無視して、趙雲や黄忠にやられたな
長時間のアップ、ご苦労様でした。王平についてはこれ以上 詳しい解説はないのでは…と、思います。
見ごたえのある内容で、時間を忘れて拝見いたしました。
いやいや、昔にネットで語ってた人達はもっと詳しかった気がしますので、そういう人達が動画とか作ってくれないかな〜とか
あるいは、こんな動画は薄い!ってもっと良い動画を作ってくれないかな、と思います。
よく調べた上で個人の考察を語っているので、とても説得力があり共感できます。また、王平が諫言する場面で流れるBGMと魔理沙の言い方が、必死に諫言する王平を想像させます。私の好きな場面なので、飽きずに何回も視聴しています。また、馬謖、劉封の話も納得させられました♪。
王平の諫言は、川の民目線で山上に布陣する事に対してか?、煩雑な命令は士気に影響する事か?、丞相に援軍要請をしない事か?(防衛態勢が整えられなければ撤退せよ、という指示に反して独力で戦おうとする馬謖の思惑を下っ端武将の王平が知っていたようには思えないので、兵数で劣るのに援軍要請をしない事に疑問を持った為)。王平に聞いてみたいですね。
あと、川の戦いで思い出すのが、韓信と陳余の戦い。孫子の兵法を無視して背水の陣を敷き勝利した韓信と、孫子の兵法どうりに布陣して大敗した馬謖…。兵法書どうりにしか動けずに大敗した趙括と馬謖が同列に見られるのは、そうところなのかな…と思います。
最後に、敵前逃亡の汚名を着せられたのは、戦闘に負けた後、諸葛亮の元ではなく向朗の元に逃げたからではないでしょうか?。
長くなりましたが、いつも楽しく動画を視聴しています♪。
コメントありがとうございます。
馬謖はネタとして愛されている部分は別として、単純に馬謖はバカと見下す人も多いので色々と考えてみました。
馬謖は街亭が初陣であり、しかも参軍として各将軍を作戦指導した(直接の兵権を持たなかった)点、相手が歴戦の名将である張郃だった、といくつもの不利があったと個人的には思っていて、つい同情してしまいます。
@装甲猫 お忙しい中、長文を読んで頂いた上、返信までして頂き有難うございました。
動画投稿お疲れさまです。
前回の馬ショクの動画とあわせて非常に重厚な内容でした。今までに無い新しい仮説を立てられて大変興味深かったです。
馬ショクにしてみては「時間を稼げれば勝利」という条件を、「街亭より後退(追撃の危険有)、もしくは逃げながら戦う」or「数では劣るが、地形的防御バフが受けれる高所に陣取る」の2択だったわけですね。僕たちが戦略ゲーム的思考をすれば、恐らく後者の選択をするのが妥当と考えてしまうと思います。そういう意味で初めて馬ショクに共感できたような気がします。王平氏のこの不利な地形での詳細な采配を知りたいところですね。
馬ショクについた「登山家」の汚名を返上するのは難しそうですw
馬謖がなんの考えもなしに戦って敗けたわけではない、という見方を持って頂けたら私としては成功です(笑
王平・・・最高でした!!
ありがとうございます
王平に関しては1:魏から蜀の武将となった2:馬謖を諌め救った3:孔明から信頼されていた…との認識でしたが今回の動画で詳細が分かり彼の人物像に血と肉が付いてリアルになりました。
そういって頂けると嬉しいです!
動画作成 お疲れ様でした 蜀の北伐には 必ず郭淮が 出てくるので 私なりに調べあげましたが やはりキーポイントとなる場所に 郭淮って居るんですよね なので 一度 流れからも 郭淮の動画見てみたいです 主の主観が とても参考になって 面白いです
愛がなければ見えない
ほくそ笑んでしまいました 笑
郭淮はやりたいですね~。この人も複雑な人格形成をしてるので面白いです。
>ほくそ笑んでしまいました 笑
ベアトリーチェさんは、まさにそのままですもんね。
郭淮は とにかく 正史のなかでも 記述が多く 纏めるのは大変だと思います 主がどのように編集なされるのか 今から想像してしまうと ちょっと気の毒な事お願いしたかなぁとも 思ってしまいます 無理強いではないので 汗 一視聴者からの密かな願いくらいに思っていてくださいね
因みに 我が師は 鐘ヨウ 鐘会 親子が好きで 世説新語をよく引き合いに出してました
@@黄金のベアトリーチェさん
ご心配ありがとうございます。
大丈夫ですよ、語りたい事が出来たらやりますので〜
@@黄金のベアトリーチェさん
良いですね〜
私は理系だから師と呼べるひとがおらず全て独学なので、そういうお話は羨ましいです
魏蜀の戦いになるとかなりの頻度で張郃が百戦錬磨の名に恥じない活躍をしますね。そのうち張郃の紹介動画を見たいものです。
善く敗れる者は滅びずとは言うものの、行うは殊の外難しいものですな・・・
まさに言うは易し、ですな
観ていてとても面白い、色んな観点から読み取るのはとても素晴らしいと感じます。
素晴らしい うp主の見識に敬意を評します 何故そこまで詳しく調べられるのか疑問な位です
面映いですが、ありがとうございます!
動画再開ありがとうございます!
前回おっしゃっていたように、馬謖が指揮官として無能だったわけではなく、相手が悪過ぎましたね💦チョウコウがあまりにも凄すぎだなと。
そしてそんなチョウコウという化け物を相手に獅子奮迅の働きをして勇名を轟かせた王平。
字を知らなくても学問をバカにせず、自分ができる事を最大限に尽くした生涯がカッコいいなと思いました😊
王平の生涯、学や出自がなくても努力で補うという姿勢は好感が持てますね
リクエスト応えてくださりありがとうございます!
王平が異民族という話は聞いたことありましたが、ここまで調べてくださりありがとうございます!
まさか諸葛亮生存中まで母の姓を名乗っているのは知りませんでした。
もっと早く有名になれば少しは歴史が変わったのかなと思える人物ですね
しかしながら、蜀には欠かせない人材であったことは間違いないですね!
歴史が変わったかは分かりませんが、非常に魅了的な人物だと思いますね~
個人的に北伐絡みは好きな武将多いんですよね。魏延、王平、カク昭。超有名(まぁ魏延はある意味有名だけど)ってわけでもなく万能じゃない所が人間じみてていいですよね。
郝昭は私が解説するとガッカリするかも~(笑
孫呉の名将で孫権の相談役の潘濬(承明)の動画解説よろしくお願いします!
潘濬って良い働きしてるんですけど知名度低いですよね〜
それな
馬謖の敵前逃亡説は浸透襲撃さんの動画の影響も大きいですねぇ。
こちらも地形や孫子などを踏まえた解説なので説得力がありますので、私もこの装甲猫さんの動画を観るまではそちらの説を信じてましたから。
そうなんですね〜
敵前逃亡説は基本的に当時の各位の職責とかを確認する限りはあり得ない話なんですよね〜
なので沢山の方が敵前逃亡を唱えるのに「??」ってなりました(笑
@@装甲猫 浸透襲撃さんは孫子と戦術が好きな方で、解説も人物ではなく戦役単位でされてます。面白く説得力もあるのですが、正史をあまり読まれておらず、三国志の解説書を参考にされてるので人物単位の掘り下げが甘いかな、という印象です。
そうなんですね。
私も何本かは動画を拝見したのですが、件の動画は知らなかったので、最初は自分の表現が悪くて退却の指揮を最後まで執らなかったのを敵前逃亡と誤解されたんだと思ってました。
面白かったです。
街亭の戦い時、諸将が言うように魏延か呉懿を主将にしてたら上手くいってたような気がします。
呉懿の後任を引き継いで曹爽の大軍を防ぎきった功績を鑑みると、名将といっても差し支えないと思います。
正に名将ですね
とても楽しく見させて頂きました。王平は大好きです、日本的な理想の武人像に最も近いのではないでしょうか(^-^)
北方謙三版の三國志の王平も凄くカッコいいので、王平好きなかたにはお勧めです!
そういうリスナーさんのオススメも嬉しいですね!
張コウ「昔はお前のような将軍だったのだが膝に矢を受けてしまってな…(戦死)」
スカイリムの衛兵。
正直、張コウに「スタアァァァァップ!!」されたら逃げられる気がしない
張郃は見えないからこそ目の前の見える敵に全力で当たり、その時間の中で周囲の情報も収集してたんだろうな・・・と思います
その辺りが叩き上げの魏国最優秀の現場指揮官武将の本領なのかなと
簡単に勝ったようにみえて実は色々な取捨選択や難しい判断を重ねた上の勝利という、張郃の凄みが伝わったなら何よりです
この歴戦の相手をするには平地では勝ち目がないのは見えてるし山に籠る以外に道がないと思ったであろうのは想像に難しくないよなぁ
水は忘れたのではなく用意する暇がなかったのかと
王平は演義だと最初は徐晃の副将として出て来るし、街亭の戦いでは豊富な経験を買われて馬謖の副将に付けられているから馬謖より年上というイメージになるけど、実際には馬謖と同い年か少し年下だったと思う。
それは思います
ちょっと判定が難しいので書きませんでしたが、王平の少年時代の従軍は張魯と劉璋の争いじゃないかな?と思います
街亭の局面では、やはり遅滞戦術一択でしょうね…
張郃は持久戦に賭けた、というより、馬謖を拘束しつつ斥候を出して敵の別部隊の有無を確認し、
その上で馬謖軍を確実に撃破する必要があったからではないか?と動画を見て思いました。
別部隊が後ろの道で遅滞行動や伏兵の準備をしていたらそもそも行軍が困難、
略陽へ進むも隴へ戻るも、馬謖軍に背後を晒すわけにはいかないですからね…
そうなんですよ。張郃には確実な情報を得て行動する必要があったんですよね。
西方3郡が呼応したせいで、一時的に敵地に入ったのと同じなので。
@@装甲猫
王平も同じことを、もしかしたら馬謖も張郃の持久戦は想定していたかもしれませんね。
ソースは忘れてしまいましたが、山で生活している人は、外から山を見ただけで湧水の有無の見当がつくと聞いたことがあります。水不足で軍を維持できなくなったら対陣しての時間稼ぎもできませんし。
張郃はもしかしたら、対張飛戦のトラウマもあってあんな戦い方を…?
王平というと、横山光輝マンガでは「気のいいおっさん武将」みたいな外見で、孔明の指示に忠実、みたいな印象を持ってました。
今回の動画で、ある意味「バーサーカーで兵法書にない戦い方を心得ている部族」の出身みたいな印象に変わりました。
参考になりました。ありがとうございます。
いつか、狐篤(馬忠)の動画をお願い致します。
馬忠も名将ですよね
劉備が黄権を失ったが狐篤を得た、と言ったくらいですし
一番の敗因は孔明でも馬謖でもなく、国力が低いゆえに柔軟な戦略が構築できなかった蜀漢そのものであったか・・・。
まさにです
どちらもとても楽しく観ています!
ありがとうございます!
どちらって?
王平は、文字は確か10文字程度しか書けず、軍中にいる時には、配下をそばに置いて兵法書を読ませて覚えたとか
本当に叩き上げの将であり、漢中太守でもあり、凄い将だよな
蜀の中では、1番好きな武将
五文字
姓名と字名が「王」「平」「子」「均」後一文字なんだろう?www
一応、倍の10文字は識ってるそうですよ(笑
さらに「何」は読めそうですから、後数字で終わりですかねw
王平は名将と思ってます。
臨機応変に対応出来て的確ですよね。
地味だけど功績は大きいです。
街亭の馬謖のイメージに隠れてるけど。
馬謖は他人の意見を聞かない人だったのかな。
進言は出来ても聞く事は出来ない。
現場だと臨機応変には対応できない。
関係ないけど関羽と魏延は上手くやれたような気が・・・。
馬謖の理論としては最善だったんでしょう。
王平には既存の兵学とは違う心積もりがあったんじゃないか?と思いますね。
たぶん同じ状況だと、関羽や魏延というか誰が戦っても敗けたと個人的には思います。
@@装甲猫
すいません。
関羽と魏延仲良く出来たかな?という意味でした。
一般に武将と呼ばれる人物を大きく2つのタイプに分けるという説を聞いたことがあります。ジェネラリストとスペシャリスト。ジェネラリストは総督や司令官タイプ、スペシャリストは部隊長タイプ。張郃は夏侯淵戦死の際に代理を務めたほどの人物、間違いなくジェネラリストでしたでしょう。一方王平は部隊長タイプ(スペシャリスト)、馬謖に至っては本質的には秘書官のようなタイプであり、どう考えても戦闘向きであったとは思えません。ジェネラリストとスペシャリストが戦えば、ほとんどジェネラリストが最終的勝利を収める可能性が高い、というその説に沿って考えれば、相手が悪かった、または馬謖の人選自体が誤りであったというような気がします。
今回も大変勉強になる動画でした。
街亭の戦いは単純に賢い方が勝って馬鹿な方が負けた、というような内容ではないんですね。
結局の所幾ら張郃が合理的に動いても大勝にならなかった可能性は十分あり、最終的には何処に、何にヤマを張るかという理屈だけでは語れない戦人としてのセンスが明暗を分けたのかなと個人的に思う。
あと王平将軍が思ってたより凄いというかこんなに実績と名声のある将やったんやね。
一つ勉強不足でアレなんですが、王平が母方の姓を名乗っていたのには何か理由があるんですか?
ありがとうございます。
そういう視点で馬謖を見てもらえれば成功と思ってます。
ゲームのコマではなく過去の時代に実在した生の人間なので、必ず葛藤を抱えながらも最善と信じて判断を下していた、と信じているので単純に馬謖が間抜け、というような風潮に一石を投じてみました。
母方の姓であった理由はわかりませんでした。想像ですが、王平は私生児に近い立場だったんじゃないかな、とか思ってます。
王平は今で言うディスクレシア(学習障害や難読症等)だったんではないでしょうか?
その為現状を自分で観察したり読み上げて貰えば内容を理解して的確な判断を下す事はできたとか
あ〜なるほど。
そういう方向では考えてませんでした!
私が好きな武将は王平、張遼、馬岱の3人です。叩き上げの実直な人物というイメージがあります。馬岱も取り上げて頂ければ嬉しいです
馬岱と牛金は正史では何気に長期間活躍してるんですよね~
@@装甲猫 牛金は名前🐂で損してます。三国志大戦ではネタ武将扱いですし(笑)
猫さんの動画は前も言いましたけど目を閉じるとその人の人間臭さが見える動画なので私はとても好きです
ありがとうございます
嬉しいです
なるほど、馬謖ごめん
失敗らしい失敗は一度もしていないめちゃめちゃ優秀な武将だよね
前線指揮官としては傑出してますよね~
好きな将である王平のことをわかりやすく解説してくれてありがとうございました。
正直、五虎大将よりも凄いんじゃないかと思います。
五虎将軍も魏の五大将も凄いんですけどね~王平は知名度が低いですから
@@装甲猫 王平は黄忠や趙雲みたいに優秀な現場指揮官でしょうね。関羽や張飛のようにある程度の裁量も任された独立勢力ではない
王繋がりで王基あたりも解説していただきたいです!
王基も知名度の割に名将なんですよね
特にその見識の高さとかが
次は劉封の解説おねがいします!
リクエストに追加しますね!
漢・楽に軍を集めなかった王平と集めた姜維。
状況は全然違うが因果を感じてしまう。
姜維には姜維の思惑があったのでしょうね。
曹爽に「孔明の遺風は残っていた」と言わせた武将のイメージ。劉備の死後めっちゃ活躍してて好きでした。
王平は最終的に武官とはいえ実力で高官に登ったので非常に有能なのが分かりますよね
1時間は長すぎやろとは思ったけど、
やっぱりガッツリの内容でした。
俺じゃなきゃ我慢できないね。
王平さんは
業務に関係のない別の部署の人だったら
お付き合いできると思うけど、
上司とか同僚になるのはきついタイプですね。
今回も人物のバックボーンの内容がありましたが、
個人の動画だけでなく、一族のつながりとか
流れが分かるような動画も見てみたいと思いました。
一族ってなかなか記録に残ってないんですよね〜
張郃側の視点で考えると長期戦に持ち込んだのではなく持ち込まされたのではないだろうか?
地理には多少明るくても現状は不明で、1月近く倍速行軍してきたところ、寡兵とはいえ相手が兵法に適った万全の配置で待ち構えていたわけだし。
そうなれば背中に敵を置いて突っ切るより、腹を括って陣を構え、情報収集にあたる方が自然にも感じる。無視すれば挟撃受けたり、先の情勢次第では兵糧を手に入れられない可能性を疑ってもおかしくない。
あと、王平だけが諫言したの洛陽に実際に行った経験からどれだけ無理な行軍をしているか予想出来て、すぐに相手は戦端を切れないと読んでいたのかも?
全部想像(妄想?)だけど
徐晃「よし。俺は許されたな!」
演義徐晃が(笑
王平は読み書きに不自由があったとかって話があったと思うので、漢民族とは違う可能性はあるでしょうね。
馬謖は戦後に逃亡したんじゃなかったでしたっけ?
確か戦場にしょっちゅう居て学問修めてる暇がなかったから、読み書きが不自由だったかと。
そうですね!
王平は軍隊の中で育ったので文字が書けなかった、と書かれてます。
雪辱は「果たす」
ホントだ間違えた
この王平のイラスト、板東英二さんにしか見えません!!「板」循蛮と「板」東にかけたのだと勝手に予想します。
座布団一枚!
王平、魏延、馬謖とみています。ぜひ次は陳宮を!
陳宮は好きな人物なのでやりたいですね~
EXCELLENT.
ありがとうございます!
板楯族のレリーフにうわぁぁああのAAみたいな顔がw
私も思いました(笑
航空写真をみると、橋の無い場所を道路が横切る洗い越しが散見されます。王平としては、この程度の川を絶対的な障壁としてみるべきではないということだったのでしょうか。
王平の諫言が山上への布陣か、川を捨てた事か、原文からはどっちにもかかる書き方なので難しいですね
坂盾族ですか、槍に盾と中国よりローマやギリシャに近い槍投げや密集ファランクスしそうな…王平がそうかは分かりませんが坂盾族そしてソウ族にそっちの血あったりして…アレキサンダー大王ですらインドで引き返したので可能性は低いですが…
ロマンですがあったら面白いですね〜
確か前漢の陳トウ(だっかな?)がローマ兵と戦ったってどなたかの著書で読んだ気がします
馬謖の「敵前」逃亡は誤りです。
しかし戦後に馬謖は逃亡を図ったとの記録があります。
向朗伝には、
「馬謖が処罰を恐れて逃亡し、向朗は荊州以来の知古があったので情けをかけて馬謖の逃亡を黙認した。その為に向朗は降格させられた」
と記されている筈ですが……。
私の記憶違いだったでしょうか?
それで合っている、と思います
私は自身は馬謖の逃亡が漢中に戻ってからか、それとも祁山での事か、街亭との関連はどこまであるか?については向寵紹介について一つの推察を出しましたが、アレも思考実験の一つなので答えはまだ出せてないです
結局「馬謖が逃亡して軍が潰走した」or「軍が潰走して処罰を恐れた馬謖が逃亡した」かの二択になると思われます
ベテランの勘で若手が敗走するのは古今東西有るとはいえ、右も左も前すらよく分からん状態で馬謖相手にした張郃が凄すぎる…
王平が文盲をコンプレックスにしてたのは吃音の鄧艾や隻眼の夏侯惇、冴えない格好の龐統が軽んじられた当時の価値観が理由なのかな、と思いました
惇兄は鏡を見るたびにブチ切れて叩き割ってたって言う逸話が残ってるくらいですし
前にコミュニティの四方山話で書いた事あるんですけど、実は三国志で立伝されてるのって基本的に上流階級なんですよ
だから、余計にコンプレックスがあったんじゃないかな?と考えてみました
なんと、それは知りませんでした
となると有り得そうな話ですね
異民族+文盲は名士受け悪いでしょうし下手すれば伝すら残されなかった可能性が有りますもんね
上流階級=基本なので特に書かれてない
下級層=寒門出身などと記述される
特に上流=その富豪な様が記述される
という感じですね〜
だから王平の同僚は基本的に良いとこの出の人が多かったと思います
演義だと徐晃と仲たがいだけど、あれは徐晃の扱いが酷いですよな。しかしまぁ、この人のイメージってパッと浮かぶのが「ザ・副将」イメージがなんかあります(私だけかもしれんけど)が、実際は長く蜀漢を支える名将ですよねー。ただ陳寿の記述が褒めてから落とすのは、やっぱ謎い……
陳寿は一番最初に母方に養われて元々王平じゃ無かった事を記しながら、成長については最後尾に記すなど、何か秘められた意図があるのかもですね
演義では五虎将の後を継ぎ、王平、張嶷、張翼、廖化で四猛将となっていたなあ
その4人だとあとは廖化ですね~
言わんとすることは判るけど、張コウ側に地理情報あったのなら持久戦に持ち込むの当たり前のような気がしないでもない。兵法通り南山に布陣したからこそ「急戦では敗れぬ」と判断され、持久戦に持ち込まれてるわけで、馬謖の将器はやっぱり期待値で動いてるから半端だと思います。持久戦に持ち込む気なのに持久戦を闘う状況を整えられてないってどうなんだって話です…。
クイズはおもっクソ外したものの
自分はどうするか、との問いについて「じりじり後退させるのが良い」という点と、
「結局アルピニストになるしかないじゃん…」というのも意見が合致していました。
私の場合はそこにプラスして後退時、山の上に少数の兵を残して煮炊きをさせていたかもしれません。
あと、王平も無茶なことやってるなぁ、という私の第一印象は間違ってなかったんやなって
そうなんですよ
皆さん結構良いところを突いてるのでワクワクしながらコメント見てました(笑
王平は無茶ですね
普通は整然と退却させただけでも後席ものでしょうに
向寵とかみたいに
王平と馬謖の解説が凄すぎて感動しました。
馬謖も孫子に従っての行動だったと。功名心で先走ったわけではなかったと。
向朗の解説を加えると
馬謖処刑の為に牢屋入り→孔明(処刑するには惜しい人物だ。そうだ陛下に止めてもらえばOKだな)→牢屋の馬謖、恐怖心に耐えられず逃亡を企て向朗が見逃す(ここが敵前逃亡の謂れ?)→馬謖見つかり捉えられる→孔明(せっかく処刑を止める策を企ててるのに何してくれてんだよ)向朗に怒り→降格、罪を重ねた馬謖を庇いきれず処刑
て流れと納得できました。
失敗者をただ「無能」と指弾するのでは折角の歴史が面白くないですからね~。
傍目には不合理に見える事も当事者には合理的な考えがあったのではないか?
というのは常に考えるようにしてるので行間を読んでみました。
本を理解する手間は惜しまないのに字を覚える手間は惜しむのはよく分からない人物ですね、諸葛亮が孫権の呂蒙蒋欽の時みたく諭すこととかなかったのかな?
初等教育を受けずに成人してからだと脳が変わらず中々に大変なんだそうですよ。
だからせめて本だけでも読んで貰ったんじゃないでしょうか?
陳到は短かったのに王平は随分なかいのね。
蜀に王平あり!!ですね。
この頃の蜀って馬岱、姜維以外に王平という立派な将によって支えられていたんだね。
3人それぞれにエピソードがあって面白いですね。
張飛や魏延といった一癖ありそうな将がいるのが蜀なんです。
おもしろいですね。
最初から蜀に所属していればもっと名を上げていたかも?
かも知れませんね!
張郃は第4次の時点で戦いに居る事45年余り恐らく司馬懿より10歳くらい年上でしょうから
明帝崩御のころには鬼籍へ行っているでしょうし大事な将軍をわざわざころそうとはしてないと思います
ただ第一次のアルピニストのように何か功を焦ったのかもしれません
そうですね
或いは上邽・鹵城での負け分を取り戻そうとして焦ったのかもですね
王平の読み書きに関してですが、民族の違いにより学習した言語が異なる可能性はありませんか。会話は自然に身についていっても辞書に相当する物が存在しないため、読み書きを戦乱の中で戦いながら身につけるのが困難だったのではないでしょうか。
日本でも鎖国時代の長崎でオランダ語の通訳を職業としていた通詞の人たちは、オランダ語での会話は出来ても読み書きは出来なかったと聞きます。主な理由として「口伝により子孫にのみ伝え、自分たちの立場を守る」ためとの考察もあるようです。だからこそ医学書が入ってきても訳せる者がおらず、杉田玄白や前野良沢らが苦労して解体新書を出版したことが日本史の上で大きな出来事の1つになっているのだと思います。
個人的な見解ですが、そうだと思いますよ。
王平が知らなかったのは漢字であって賨族の文字は使えてたんじゃないでしょうか?
王平の兵の指揮の強さが異常なんですが。ゲームでもっと強い扱いをされても良いんじゃね?
武力のイメージは無いから無双でプレイヤーキャラには無理か!?
王平の統率力パラメータはあげても良いかもですね~
ただ将の将という経歴がないので上げすぎるのもなんですが
字幕下記( )部分に間違いがあったので修正願います
孔明の信頼を受けて別軍を率いた王平は
勇躍して、あの張郃が率いる大軍の攻撃を、
指令通り固く守ってまるで寄せ付けず、つい
に張郃ですら(克つ)ことが出来なかったんだ
克つ→× 勝つ→○
コメントありがとうございます。
ちなみに間違いだと思う理由を教えて貰えますか?
張郃は猛将であり、克つと使うと王平に頑張っても勝てなかったと言う意味になるのかなと。張郃と王平では場数や潜ってきた修羅場で張郃にやや分があると個人的には認識。つまり総合的に張郃が王平より上回るので、ここはあえて克つではなく、勝負の勝つを使った方が良いかと思ったのです
なるほど、そういう理由であれば原文に従って克つで良いと思います
拙速してますか?の方の動画も凄いなーと思ってましたけど、装甲猫さんからするとあれも適当なホラ動画レベルなのか・
え?そんな事ないですよ!
むしろ浸透襲撃さんと私の動画って考察が似てる気がします
@@装甲猫
あーあちらでは馬謖敵前逃亡説をとっていたみたいだったので、装甲猫さんの「誰か広めてんの?」「さぁ?」ってくだりがそう感じてしまったのかもです。すいません。
あれ〜?
浸透襲撃さんの動画はいくつか拝見した事ありますけど、そんな事言ってましたっけ?
確か張郃に対する考察とかを同感だなって観てた記憶しかないです
@@装甲猫
確か北伐に対する一考察(100日後に死ぬ馬謖編)だったかな?私が浅い見方しか出来てないのかもしれません。
@@装甲猫
「北伐に対する一考察、街亭の戦い」シリーズの最終回(36:17の動画)の、24:54あたりから、「なぜ馬謖は【処刑】されたのか?」という考察を33:10頃までの10分近くかけて考察しています。新鮮な視点からの考察であったゆえに、覚えている人も多いのでしょう。
36:20~の箇所。さすがにこれはやり過ぎでしょう。分かる人には分かるCHの内容に言及することであり、明確な他者批判です。
それも、正々堂々と「○○さんはこう思っているようだが、私はこう思う」と語るわけではなく、とぼけたように「どっかで敵前逃亡って広めてるのかしらね?」と表現するのは、正直小賢しさを感じて不快です。現に、複数のコメントで他所のCHのことだと察していることが見られています。
前回の動画で、他所のCHと内容が被ったことで批判され、動画制作を辞める可能性すら示唆し、リスナーを騒がせた反省を、なにも活かしていないように思えます。どうして不要な火種を撒くような言動をするのか。歴史というものを学ぶ意義は、過去の人々の成功や失敗から学び、自身の人生に活かすことであり、不要で不注意な言動から破滅した人物など、それほど枚挙に暇がありません。だというのに、そうした失敗の轍を踏むかのごとく行動をしたこのCHに、少々幻滅いたしました。
評価していたCHであっただけに、今回の一連のことは残念でなりません。
あら、この話って動画がもとなんですか?
馬謖紹介以降コメントで多数の方が敵前逃亡と書かれるので、最近のガイド本とかじゃそういう事になってるのかと思いました。
特定の誰かを指して批判したつもりではなかったんですが、そう思われたなら私の不徳の致すところですね。
ご忠告ありがとうございます。
@@装甲猫
もし貴方が知らずにああ書いたのならば、それは「軽率」であり「調査不足」と言わざるを得ません。
その理由としては、前述のように「他所の動画と投稿日と内容が被った」ことでリスナーを騒がせておきながら、同じ題材を扱うCHのことを一切リサーチせずに動画を作っていることを示しているからです。
無論、三国志を扱う動画をすべて視聴しろ、などという常識はずれを言うつもりはありませんが、少なくとも「街亭の戦い」でyoutube検索して10万再生を超える動画くらいは視聴しておくべきでしょう。
本や専門書も大事ですが、この情報化社会で影響力があるのは動画であることは確かです。なぜなら、その動画のコメント欄には今の人々の認識を示している「生の情報」があるためです。そこを調べずに「知らなかった」というのは、正直「貴方は馬謖やほかの武将の失敗の歴史を見て、何を学んでいたのか?」と疑問視せざるを得ませんでした。
批判も大事と思いますが、話が飛躍し過ぎかつ、動画と無関係な話をされるのは余計な感情が入り過ぎと感じます。
時間を割いて動画を作成してくださった方への敬意を、もっと持たれた方が良いのでは無いでしょうか?
@@呂蒙子明-e6h
ならばこそ、投稿主にも、「同じく時間を割いたであろう他所のCHが作った動画」に対する敬意を持ち合わせてほしいのです。
私も、以前投稿主が「動画作成を辞める可能性」を示唆する内容の記事を出していなかったら、このようなコメントはしません。「あああの人の動画を知らなかったのかな?」と思っただけでしょう。
しかし、他所のCH関連で騒がせた次の動画で、知らずとは言え自ら他所のCHのことを言及していたので、最も気を付けなればならないデリケートな部分を弄るような状況となっていたため、強めに苦言を呈しました。
既に忠告を受け入れた相手に対してかさにかかって言い募るのが感情的すぎる?といわれているんじゃないの?少し頭冷やしたら?