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餅さんの霊夢が陰キャ中二病じゃない…
9:33 台湾のネット上街亭の現地を考察した人がいるけど、彼が撮った写真を見る限り1. 街亭の地形は「山」よりも「緩んだ丘」であるため下から丘の上の布陣を丸見えことができる2. 史実通り水源地である渭水にかなり距離がある3. 周りに植生がほとんどなし「こんなどころで布陣したから負けるんだ」と台湾の人々が納得したのようです
自分は戦は不得手だからっていう理由で鳳雛を軍師として呼ぶように劉備に具申したってどっかで聞いたことあるから孔明は内政官タイプだったんだろうね不得手と言いつつ一般的な武官将軍よりは戦上手だったあたり能力の高さが窺えますな
この動画から、ゲーム実況に変わるなんてなぁ この動画からは想像がつかんなぁ
めちゃんこ前のコメントに返信すんのもあれだけど、普通に古い順で見たらゲーム実況やってるよ
とても良かったです。次回も期待!
ちなみに渡邊先生は三国一番の切れ者は魯粛であると言っています。諸葛亮は今は天下三分して後々統一しましょうって策に対して魯粛は統一にこだわらず個々の国がそれぞれ統治すれば良いって言ってます。魯粛のおかげで荊州も取れています。あと、死せる孔明生ける仲達を走らすって故事も創作です。
演義だと孔明が単身呉に乗り込んで、孫権を説得し、政略結婚を利用し、蜀を取り天下三分の流れですが。よく読むと、先に単身敵対勢力の荊州に乗り込んで劉備孔明を説得したのは魯粛です。劉備を利用するために政略結婚をさせ、後ろ立てになって蜀を取らせたのも魯粛です。魯粛生前の劉備の行動は天下三分の計に合致しますが、魯粛の死後は、孫夫人を追い出し、孫権から独立し、荊州争奪の原因を作ってしまいます。劉備孔明の頭に天下三分、蜀呉同盟があったとは思えません。赤壁の戦い、政略結婚、常に魯粛が先に行動し、天下三分に向かって劉備孔明を動かしていたように見えます。
夜間飛行 流石です。演義の元になったのは朱熹学を書いた朱熹です。この人物が今で言う孔明推しで、義に基づいて国を治めたのは孔明だけたとまで言うほど好きだったそうです。孔明の人智を超えた魔法使いみたいな扱いを受けて居るのは時代もあると思います。当時天候がわかる時点で他より凄く、まるで魔法使ったかのような事が出来た訳です。この時代ですと地震や雷と言った自然現象は神によって起こされると信じらた時代です。そこに何処にどんな天候になるかわかる人が1人居るだけであっという間に神です。何が言いたいかと言うと孔明や司馬懿と言った人達も日本的に言うと戦国時代における禰宜に当たる人達だと言う事です。
夜間飛行 政略結婚をさせたのは周瑜だったような気がします
北條蔵馬 それも演義ですね。多分嫁がせるのを進言したのも魯粛です。周瑜も一枚噛んでるとは思いますが。後蜀と呉が仲が良かった理由は、魯粛が蜀を育てて行って魏に睨みを効かせて自由にやらせないようにしたかったんです。でもどんどん呉の為に戦いましょうって人達が居なくなると、呉は衰退して行ってます。
イダンノブコフ 言われてみればそうでしたね😅たまに演技と正史わからなくなるんですよね
今見てる人いるかな?三國志大好きだからこういう動画本当にうれぴい!
小学生のときハマってがむしゃらに小説読んだ思い出がある
正史は誰がいつ書いたかですよね。魏志なら当然魏に都合の良いことがかかれているに決まっています。そしてもう一つ、当時あたり前だったことは当然記されていないということで、逆に当たり前じゃないから記されたということです。その前提で読み解かないと大いに間違う事になりますよね。
それでも嘘ばかりの演義に比べれば遥かにマシ。
素晴らしい考察でした。私もそこそこ知識に自信はありますが……ここまで噛み砕いて分かりやすく解説できる才能は素直に羨ましいです。ちなみに南中では逆に孟獲が諸葛亮を引っ捕らえた話もあったり、やっぱ水面下の不満はあったようで。まあ、そこに関しては滅亡同然の蜀を立て直す必要上、重税や圧政も必要だったので評価を下げる意味には繋がりませんが(というか語っててこの人曹操と気が合うんじゃねぇかなとか思い始めた←)ついでに個人的意見を付け加えると、益州派閥(というか李厳)との政権争奪で圧勝、完封してる辺り政争もできるのねこの人……
いい投稿、ありがとうございます。大変面白かったです。
孔明の再評価と言うと散々こき下ろすのが多いのですが評価すべき点はしっかり評価されててよかったと思います。三国志に興味を持ち深く知るにつれ正史にも矛盾が有り一部では演技の方が正しかったりと・・・そんな中、詳しい人が「正史を鵜呑みにするな」と言っているのを知りました、その点にもふれてたのが嬉しいですね~人によっては正史の内容が正しいんだ!といってこき下ろしまくる人もいるのが残念です。赤壁でも蜀からみた場合と呉から見たときとは内容が違いますし、正史も注釈を読むのと頑張って漢文を読んでみるのとではニュアンスがだいぶ違います、まあ~興味があったのはもう十年以上前になりますし何度かの引っ越しで正史も紛失してしまい、この記事を見て読んでみようかと思って探してみて「あっ、どっかやっちまったんだ」と今更ながら思い出したくらいですのでだいぶ忘れちゃってますが・・・。自分も正史基準で言われるほど孔明に軍事の才が無かったり人を見る目が無かったとは思っていません、ただそれ以上に馬謖がアンポンタンだったとは思ってますが・・・。少し違うかもしれませんがそのあたりもフォローされていたのは嬉しかったですね。
うぽつです普段のゲーム実況とは違う真面目な動画でしたけど初めて知ることばかりで勉強になりましたゲーム実況の方もこういう動画も楽しみに待ってます
この動画、面白かったです。孔明の凄さ。ここで、少し語らせてもらいます。孔明の凄さを 一番分かっているのは、当時の人達です。正史、演義からではなく、当時の人達の語り、史実から、見ます。孔明は、国も持たない劉備に付き、三分の計を、用いる話をします。魏や呉とは、違い国も持たぬ劉備に、語ります。夢物語の話ですが、実際に実現させます。大国の呉と同盟を、結ぶ。外交の力もあります。孔明が劉備に付くと、馬良やホウトウも劉備に付きます。孔明が、居るならば、、天才の器が、見られます。その後孔明は、荊州を、取り、蜀を攻め、蜀も制覇します。少ない人材から、始めたのにも、関わらず、天下三分を、実現させます。孔明は、政治的評価が高い。と、言われてますが、知能的に天才だったのでしょう。能力が優れているだけに、政治も上手く出来たのでしょう。戦略ですが、実際に荊州から、蜀~漢中に至るまで、勝ち進めて、いるので、戦略的にも優れているのでしょう。魏の将、姜維は、文武両道の優秀人物。姜維は孔明の説得で、蜀に付きます。そこで孔明を見て、孔明を尊敬し、愛弟子となります。建て前や、立場上ではなく、本心で見込んだのでしょう。劉備亡き後、北伐を開始します。これは劉備との漢室復興の約束を果たす為、死を覚悟で進軍したのでしょう。忠義心も高いです。蜀は人口も少なく、人材不足でした。出師の表は、遺書のようなものです。 北伐は、開始は勝ち進み、魏の曹家では、歯が立たず、司馬懿に託します。蜀は人材不足で、やむ無く馬謖をも、使わざる負えなかったのでしょう。そこは上手く行かず、撤退になりました。攻めるは難しく守りは易し、司馬懿はなんとか守りで、北伐を阻止します。孔明夢半ばで、没します。評価で戦略は司馬懿が上、とも、言われるのもありますが、司馬懿自身、孔明には、とてもかなわない。と、後に孔明を敬服してます。蜀の民も孔明を尊敬し、孔明を称えています。世界から稀に出てくるほどの極少の偉人の天才だったと、思われます。孔明の凄さは、当時の人達の評価が、表してると思います。孔明のこの時の戦果は、他の軍使達では不可能だったと、思います。素晴しい、偉人だと思います。私個人の評価でした。🙏
以前世界の天才100人って番組で諸葛孔明は4位、アジア人では一番って結果を見てました、上位3人も欧米でマルチな才能を持つ人だった気がします、孔明が一番じゃ無かった時点でがっくしして三人が誰か覚えてませんが
こういう人がいるからアンチ孔明がいるんでしょうね。何をやっても孔明はすごいと言って 贔屓と嫌味を感じてしまいます。そしてそれゆえに蜀も好きになれないです。儒教文化からすれば孔明のような人が理想でしょうね。私は孔明の残した偉大な実績は疑うべくもないと思います。そして多くの人に愛され尊敬されていたというところもそうです。しかし彼はイエスキリストではないです。あくまで我々と同じ普通の人です。間違いも多く犯しています。そういう普通の人です。時に偉大で時に人間臭い曹操は時代を超越した英雄(超世の傑)ですがそれとはまったく違う。しかしその超世の傑物に普通の人として挑んでいるところ、そしてそのやり方も決して超人的な能力とか天才的な頭脳とかではなく、あくまで正々堂々と普通の人なりに基本に忠実で多くの苦労や矛盾と向き合いながら自分の持てるものすべてをもって挑んでいるところにこそ彼が愛されるのだと思いたいです。彼のことを天才として扱う必要はありません。曹操や司馬懿などほかの天才たちとの不毛な比較をすることになるだけでの無意味です。しかし彼が天才ではなく凡人であったとしたら、そして凡人でありながらけっして驕らず、凡人でありながらひたむきに自分のできる限り蜀をもりたてて、魏に挑もうとする三国志の孔明とは本当に魅力的な存在として輝くと思います。
句読点多くないか?
読みにくさや誤字ははひとまず置いとくとして、まんま後世になって創作された演義の孔明ですね
「当時の人達の語り、史実から、見ます」→「知能的に天才だったのでしょう」「戦略的にも優れているのでしょう」「本心で見込んだのでしょう」「死を覚悟で進軍したのでしょう」「使わざる負えなかったのでしょう」「天才だったと、思われます」「私個人の評価でした」ついでですが、なるほど当時の人の語りや史実から見るとはこうやるんだというお手本ですね。参考にさせていただきます。
遊ぶゲーム似てて歴史解説もしてくれるなんて最高すぎる!!!
正史では天才と言うより真面目で勤勉な秀才って感じだね
勉強になりました。孔明は自分では、第2次世界大戦の日本と考えています。国力で比較すると1/10の生産力でアメリカと戦った日本は負けたが、同じ状態の蜀は孔明がいる間は、滅亡しなかった。それだけで十分。蜀にとって痛かったのは参謀職では孔明の逆のタイプの法正が死んだのが痛かったですね。
Mochiさんの動画遡ってたら出てきた。なんか意外
ここのコメント三國志好きが多くて嬉しい😃しかも叩き合うとか少ないし!主様こういう動画をあげてありがとう😊
勉強になるなぁ。俺にとっての諸葛孔明はビーム撃ちまくって五丈原の戦いを中央突破で7分で戦を終わらせられるスーパーヒーローだから。
もちさんがこれやってるの初めて知った
あなたへのおすすめで出てきて見たのですが、やはり今とは動画の雰囲気が結構違うんですね〜 三国志はあまり詳しくないのですが、色々なことが知れて面白かったです
色々調べると、孔明が内政向きなのに対してホウ統が軍務向きだったって話があるぐらいだな。惜しむなら、ホウ統が早期に戦死したことかな。孔明と同時期まで生きていたら、もう少し魏を苦しめたと思うぜw
龐統がもし劉備が乗っていた馬に乗っていなければまだ戦局は違ってたのは同意しますね
nick maximum あ、それ創作。
法正も惜しいですよね。
そうですね。赤壁には参加してないし。むしろ司馬懿みたいに謀略を駆使して蜀の権力を掌握したというのが本当かも
非常に為になる動画でした。諸葛亮をよく知るのはどのような本が良いでしょうか?正史もいずれ読みたいとは思っていますが…孫子や吉川三国志は読みました。梁父吟を歌っていたとWikipediaで見て、他に諸葛亮が勉強していた本なども知りたいです。
本当は龐統が軍事面で秀いでていたという説もあるので、 諸葛亮は動画での評価通りの内政面で優れていたのだろうし布陣もそうなら、国の総力を駆使した後方支援体制が出来、卓越していたはず。ただ軍を実践で臨機応変に動かす事は馬謖の件でも苦手だったのかもしれないね。
うぽつです!なんかいつもと雰囲気違う動画だけど、分かりやすいって言うか…なんか、眠たくならない動画だった!
饅頭(中華まん)が食べられるのも孔明のお陰だもんね。諸説あるけど、信じるなら孔明説を信じたいかなと。(演義発祥って訳じゃ無いし)
三國志大好きです❤掛け合いの説明最高😃⤴⤴
公開からだいぶ経ってからの拝見となりましたが、なかなか面白い考察だなと感心いたしました。もしまだ三国志にご興味がおありでしたら、高島俊男先生の「三国志 きらめく群像(ちくま文庫)」を一読いただけると、また新たな視点を得られて良いのではないかと思います。創作物から得た知識を元に、根拠もなく三国志を知ったかぶるような人も多い中で、このようにしっかりとご自身で理解された上で発信をされている方がいると、一人でも多くの方に歴史学に興味を持っていただくきっかけとしても非常に良いと思いますので、これからもご活躍されることを祈念いたします。
正史は魏が統一した時代に書かれたもので、著者・陳寿は元蜀の人。孔明のことを書くのはかなり難しかったんじゃないかな。その国の歴史書は国の正当性を示すものだから、「魏がNO.1だぜ!」って書かなきゃいけないし。その中でもこれだけの評価を貰ってるんだから、いかにすごい人物なのかがわかる。実際、魏の名将・司馬懿と何回もやり合ってるのに、ほぼ負け戦なしだし(これは本当に凄いことだと思う)。国力の差、遠征であることの難しさを考えると、軍事能力はたいへん優れていたと考えるべきじゃないかな。軍事面で頼れる将軍もほとんど死んでたしね。馬謖のことはよく言われるけど、諸葛亮の死後の宰相の決め方は実に見事で(蒋琬→費禕→董允までは決めてた)、それが蜀が死後数十年もった理由でしょう。黄皓なんかが力を持たなければ(これは劉禅のせい)もっと蜀は長生きできたと思うけど(あとは姜維の北伐がもっと決定的なものか、国力を落とすものでなかったら)。三国志時代に知略で孔明に勝てる人物はいなかったんじゃないかな。惜しむらくは、関羽・・・。関羽が荊州を取られさえしなければ、蜀にワンチャンあった。
細いかも知んないけど魏じゃなくて晋じゃない?
俺は悪くねぇ ! さん 仰る通りでした。陳寿の三国志は晋の時代に書かれたものでした。失礼しました。
北伐を全て司馬懿に防がれたことを、全て負けたと表現するか、一度も負けてはいないと言うかはなんとも微妙ですが、北伐は全て失敗に終わって、一度も司馬懿に勝てなかったのは間違いない。
太宗皇帝 そうですね(笑)まあ、陳寿も難しい立場にいましたからね(笑)劉備は・・・個人的には好きなんですけどね。
夜間飛行 基本的に守る方が有利な戦いですからね。城にこもって戦を避け続ければ、相手の兵糧は尽きますし。これは孫子の兵法にも書かれておりますが。孔明の戦上手な点は、あれだけ北伐を繰り返しながら、被害がほとんどない。また、1番難しい撤退戦も無難にこなしている。これはすごいことだと思います。結局司馬懿は追撃の戦果を全く得られなかったですからね。
この動画の評価は正しいと思う。色々こういったものがあるが、あなたの動画は本当に正しい評価だと思う。
またこういう動画やって欲しい
モッチー三国志の解説もしてたのね!ますます好きになったわ!
うぽつです!こういう趣向の動画は面白いですねぇ...。
三国志群雄ビジュアル百科が好きで小学生のころ読みまくってた記憶がある。
三国志好きなので面白かったです。劉備についての動画が見たいです。あえて劉備をリクエストいたします。
孔明ってマリオで隠しブロック作ってるだけの人じゃないのか・・・また1つ賢くなってしまった
ラーの使徒マリク しょぼんやろそれwwwww
こういう動画凄くイイ!
正史なんて一行読むだけで味気なさに発狂しそうになります。超絶骨が折れたでしょう。それをTH-camでわかりやすく解説してくれるとは、、有り難いことです。
中国の歴史書を学ぶ上でまず最初に注意すべき点は、滅びた国の歴史を滅ぼした国の人が纏めるという特徴があって、その為「建国当初は望まれて建ったが後年の腐敗によって滅んだ」というセオリーが存在しており、建国に尽力したであろう最初期の人物は優秀に、最後期に政治の舞台に上がった人物は大抵無能に描かれると言う悲劇も起きます。そういったセオリーを知っていると正史をまとめた後世の国にとって都合の良かった人物や政策がどういったものだったかなど、或いは都合が悪いコトってなんだったかなども読み取れて一味違った見方もあるように思えます。
うん、初期の人が優秀で末期はおかしくなって滅びるって普通だよね
同感です。「記紀」の前に歴史がありませんから。
うぽつ勉強になるなあ
銀英伝トリビア:ヤン=孔明、ラインハルト=曹操、キルヒアイス=郭嘉、メルカッツ=夏侯 覇がモデル。一応、作者公認データ。
ヤンは孔明だったんですか三顧の礼も当時はそれが普通って説もあるけど、初回「うわ何で俺なの?他に誰かいないの?もっかい探してみてよ」二回目「いないの?じゃあ他は皆俺以下なの?すごい大変じゃん考えさせて」三回目(マジかよ)みたいなイメージがどうしてもあってヤンのモデルだとしたらなんか納得しましたw
ヤンには杜預も入ってると思う。
孔明のきれいなイラスト見てたら、何故か中華料理屋行きたくなった(笑)
諸葛亮の凄いのは何度も北伐できたこと自体だよね。中国の歴史の中でも、中原を支配した勢力が南に攻め込むことはあっても、中原を支配した勢力に南から攻め込むなんて例は極めて稀。それを何度もやったんだからね。
姜維はやり過ぎたけど……
結局、諸葛亮の凄いとこは実務能力ですよね、グランドデザインの天下三分の計を思いつくのは沢山いたでしょうが、当時の劉備の勢力みたいな弱小からそれを成そうとするとどれだけ実際のタスクがあったことか...国土の小さな蜀から魏を攻めることを可能にする国家運営自体が凄まじい能力の現れですよね。
時代は違いますが北魏の時代に陳慶之が7000の騎馬隊で南朝から出撃し北朝の首都を直撃し陥落させるという離技をやってのけてます。いくら北魏が乱れているとはいえ騎馬のみ7000で数万~30万の軍を何度も撃退するなど人とは思えない。
そんなことない。秦も元々辺境だった所から中原を制覇したし、匈奴や亮、女真まで辺境が中原を制覇して中華がどんどん大きくなっていったのが中国の歴史ですよ。
@@hon6492 多少でも中国史を齧っていれば分かるが、中原を支配する勢力に南から攻め込める例なんて非常に稀。勢力図を見る限りでは北魏に負けてないように見える宋ですら、国力比では7:3というかなりの劣勢だったわけで。蜀と魏なら実に7倍の差があった。そのくらい中原とその他の地域には大きな格差があったわけで。その数少ない例に上げていいのが岳飛だったり陳慶之だったり諸葛亮だった。前の二人はハンニバルみたいに兵力差関係なく快進撃できたイレギュラー。秦の時代は中原を支配する勢力などない。中原は幾つもに分裂していたし、秦が伸張できたのはそれらの一部と同盟組んだからだからな。
昔めっちゃかしこまった感じだったんだ〜
メルカッツ提督の例が分かりやすすぎる 笑
うぽつです。勉強になる動画だぁ
うぽつです。三国志を余り知らない私でも楽しめました!質問なのですが歴史で一番興味のある人物はいますか?
司馬懿
メガメロン 日本史だと、聖徳太子です👍一人に絞るのは難しいですね。孔明様も子供の頃から大ファンですよ💕
諸葛亮は政治は上手いが戦争が弱いと言う意見が多いですが、政治って国営で一番大切なものですよね。歴史って面白いですよね、もし、その時に違う選択をしていれば今は違う世界だったかもしれない。関羽が呉を対等に見ていれば、法正が生きていたら、陸ソンが劉備を深追いしていれば、そういう世界を想像するのも面白いものです。
天下3分の計は考えついたのが凄いことではなく、実現させたのが凄いこと。孔明が居なかったらそもそも三国志は無かった。
ん~私個人としては天下3分ってやっぱりすごい発想だったと思うなぁただでさえ自己主張が強いきらいのあるアジア人で、自国がトップになることをかんがえたわけでなくて、3すくみにすることで戦いがおこる事を減らそうと考えてなんじゃないかと思います。中国は国土が広大なため1つに統一することは難しく、最悪戦争がおきない平和な状況でそれぞれの国をそれぞれで統治することを願ったのではないかと思っています。単に魏を倒すために小国を倒していくことが天下3分の計という戦略ではなかったと思っています。
うぽつです~、たまにはこんな動画も良いっすねぇ…話は変わりますがシャドバの新カードディベートってやるんですか?
諸葛亮孔明に関しては、私も独自に調べたりしました。例えば、赤壁の戦いの前哨戦で孔明が一晩で十万本の矢を集める話とか、東南の風を祈祷で吹かせたとか色々有りますが、殆どフィクションと言って過言ではないと思います。いくら船足が速いと言っても、敵陣に単身非武装で近づく馬鹿は居ないし、冬の一時期に東南から風が吹く事自体呉軍の将兵なら誰もが知っている筈です。で実際の赤壁の戦いは、実に地味であっさりしています。曹操の軍勢は、長江北岸で孫権の軍勢と対峙するも、疫病と兵士の船酔いに悩まされていました。呉の宿将黄蓋が投降すると知り、喜んで迎え入れようとした時…思わぬ火攻めにあい撤退するのですが、これだと劉備達の活躍が殆どありません。(でもこれが事実)赤壁の戦いは周瑜がメインになるところを、演義の影響で周瑜は魯粛と共に孔明の引き立て役に甘んじているじゃないかと思います。動画の内容は、本当に良かったので 次は周瑜か魯粛の解説とか希望します。
祈祷で風を起こしたって言うのは孔明の計だった様な……確か東南の風が1週間だけ吹く時が有って、それを孔明が起こした様に見せかけたんじゃ無かったっけ?
諸葛亮孔明‼︎好きだなぁ〜なんだか惹かれる
確かに、兵を引きながら敵の戦力を削ぐという発想は、なかなかできない事かも知れない。ただ、そうすることで、安全に撤退する条件が増えることにもなるし、後日、不利な条件が減るという意味でも、理にかなってるのは事実だろうね。
諸葛亮孔明って言うと怒る人がいるらしい
面白かった。断片的に入ってくる情報から凄腕内政家(軍略もイケるよ!)ってイメージだったのでとてもしっくり来る説明。楚漢戦争の蕭何と張良を混ぜたような感じかな…?
内部から崩したのが司馬一族だがw
諸葛亮のライバルとしてあがる名前第一位は司馬懿だが、第1~3(4?)次北伐までの対蜀の総司令は曹真だったんだよね。彼が亡くなるまで、司馬懿は確か対呉側の人だった覚えがある。
パリピ見てからここに(゚∀゚)
俺的三国志の大好きエピソード・「子息が無能なら自ら国を治めてくれ」と孔明に後事を託した打算や思惑の一切ない劉備の魂の遺言。・手なずける事が出来ずに去ってしまった関羽を受け入れた曹操の度量。・周りの反対を押し切ってまで関羽の弔い合戦を決行した三義兄弟の絆。何故か呉のエピソードは中々思い浮かばないなぁ。。
横山先生の三国志って読むべきですか??
おもしろいよ
結局あれを超える三国志漫画は出てないし、これからも出ないだろう。
これらが全部、日本では卑弥呼とか邪馬台国とかの時代だと思うと改めて中華文明は凄いよなあ
天下三分の計は成就させた時点で優れてるし、今まで大陸を流浪し続けてた傭兵集団の劉備軍に建国の基盤を得させる手腕は、置かれてた状況を考慮したらもともと基盤があり中原や華北の混乱に乗じた曹操よりも優れた国家戦略家だと思います。曹操と孔明の立場が逆ならもっと後漢の戦乱は早く終わってたとも思ってます。北伐は国力差がありすぎて、意義としては「これ以上好き勝手に動かれて魏との国力差が広がるとヤバい」という牽制的なもので、本当に討伐できるなんて微塵にも思ってなかったはず。孔明が局地戦での用兵が得意ではなかった(兵力差がありすぎる以上、奇策で相手の裏をかき続けてやっと戦果を挙げられるかな?程度)というのも勿論あるけど…
戦国時代の武将についてのもお願いします!
因みに南中攻略の時は孟獲が漢人あるいはその流れを汲む者だったから孟獲はわざと孔明と戦って負けて南中奥深くまで行かせたって論もありますね。孟獲は南蛮王という称号と領土欲しさに孔明と水面下で繋がっており南中深くまで蜀が進軍するのに自分が戦ってわざと負けてを繰り返してみたいなプロレスのような仕組みがあったと言っている人もいます。
こういう動画もいいもんだなー
横山先生の三国志読んでたので若干嬉しいですあとリクエストですがギルガメッシュさんをお願いします
Mo chi 僕もfeteで見てあまり知らないなと思ったのでリクエストしましたが確かに他の人がやってそうなキャラですね(笑) 検討ありがとうございます
伸太郎金成 今のシナ人の作った三國志の大半は捏造らしいぞ。信じ過ぎるのは良くない。元々、シナは日本の一つであったそうです。
歴史解説してたんだ。知らなかった。
平家と源氏のよかった点、悪かった点などの対立した勢力の解説をしてもらいたいです!
天下三分の計が優れているところは傭兵隊長の劉備を皇帝にする方法を提示したこと。呉のように既に戦力のある国が曹操と対抗する計略とは性質が異なると思います。当時の劉備が天下統一したいですと聞かれたら、相手にされないし、苦笑いをされると思います。大真面目に可能性を提示したことが凄いんだと思います。自らを楽毅と述べる諸葛亮は奇策が嫌いなわけはないと思います。それでも堅実な戦術に終始したのは、夷陵で戦力が払底したからでしょうね。もう一度大敗したら戦争ができなくなることを知っていたのが大きいのだと思います。諸葛亮(というよりも荊州の戦力)が呉に協力することを確約したことで、戦力不足に悩む(周瑜魯粛が説得しても逡巡している)孫権が戦争にgoサインを決断した可能性は高いと思います。(蓋を開けたら大した戦力ではなかったけれど)そもそも軍師とは帷幕の人でありますので、政治家であります。軍師の代名詞である張良が何をやったかといえば、基本戦略をたて外交を行い勝ち筋を示したことにあります。ほとんど謀臣、軍参謀のような働きはありません。演義でゆがめられたのは諸葛亮よりも、軍師とは何かの認識ではありますまいか。
蜀好きな人多いけど、曹操ほど魅力的な主人公いないよね
しかも殆どの武将と軍師はスカウトした中途採用。
関羽に樊城攻撃を命じて関羽を死なせ荊州を失ったとしたら、とんでもない作戦失敗、軍師の責任重大ですよね。これは仮説ですが、プライドの高い関羽は、諸将が手柄を挙げるのに自分は何も出来ていないことを許せずに勝手に樊城に攻めて行ったという考えも出来るのではないでしょうか?
こういう動画ほんとすこ
演技とは違って実際の孔明は内政向き。経済・農耕・法治などに秀で、組織運営が上手いとは知っていたが、戦までマスタークラスとは・・・。政治・外交・用兵できて公正で人望もある。もうこいつが帝でいいじゃん(笑)
K0E3I 孔明が帝だったら良かったのに~(´;ω;`)昔から思っていました 劉禅は帝の器ではないですよね 自分の国が無くなっても、魏で楽しく暮らしていたし、ストレス等も無かったのか長生きしましたね(^_^;)
諸葛亮が禅譲にせよ簒奪にせよ劉禅の帝位を奪ってしまうとどうなるか。蜀漢という国は、(後)漢王朝の正当な後継国(劉備が後漢王朝の血脈をひいているというのも相当眉唾ですが)であるという大義名分を抱えていて、漢を滅ぼした魏を打倒することを国是としているわけです。ところが諸葛亮が皇帝になってしまったら魏からすれば「お前は主君の息子から帝位を奪っているのに我が国のことを非難できる謂われがあるのか」ということになって、蜀漢の正当性の大義名分が大きく揺らぐことになります。だから能力は甚だ疑問な劉禅でも神輿として担がないといけなかったわけです。政治というのは難しいものですね…^^;
K0E3I 人には、向き不向きが、ありますからね、孔明は軍使でこそ、その力を発揮しました。孔明自身、それも分かっていたでしょう。上に立つ人は、力や知性ではなく、胆の座った人物が一番なのでしょう。 劉邦が一番良い例でしょう。劉邦は、特に 優れた所はなく、人柄と度量、天性の持ち主です。
帝になれば性格変わるよ絶対
ちなみに当時生きていた役人の評価は生存されていたときは特に大した人のように思えなかった。しかし逝去されてからはもうあの人のような人は生まれないのだろうと思うとの事。役人ですらこうだから民衆も同じかも。
孔明様 子供の頃から大ファンでした( ☆∀☆)昔、NHKで、人形劇三国志 見て、とても⤴⤴感動しました。人形の孔明が、寝ている時に目を閉じている所に、ではなく 内容に ですよ(^_^;)飯田に有る、人形三国志の記念館も、勿論出来てすぐに見に行きました。孔明様最高ですね~❗物語としても、リアルな歴史としても👍
内政に優れ戦争でキッチリ基本を守る人だったって事でいいのかな?戦争に優れた部下が居なかったのが不幸だったかもね。
趙雲や関羽や張飛が居ればなーって思う時もありますよね。最後は姜維あたりしか有能な部下残ってなかったっぽいし
nick maximum まあ更にゆうと正史で考えれば趙雲も軍を率いるものとしてはあまり…だし…まあそれでも劉備が死んでも孔明が死ぬまでかその直後ぐらいは張嶷、王平、馬忠、趙翼だったりはいたんでやっぱ蜀の国力のせいですよね…
勉強なりましたです(≧∇≦)bありがとうございます
諸葛亮が魏延を「反骨の相がある」と言ったのは納得いかない。あんなイチャモンをつけられては謀反の一つも起こしたくなる。
KN9260 後頭部が長いかららしいねwしかし、魏延はかなり活躍している。孔明は人を見る目がなかった。
それ演義の創作エピソードですよ
孔明は軍事、政治共に優秀だけど人物眼はなかったんだよね。馬謖の件や魏延の事件、全て孔明のおこしたものといって良いと思う。人物眼のある劉備、関羽張飛黄忠の良将の死は大きかったんだろうね。
あまり知られてない孔明の史実での最高の実績で鍛鉄法の改善があるよ。
最後のイラストや可愛い……
三顧の礼の時の諸葛亮は、劉備がきても弟諸葛均にわざと断ってくれ、と言って断った説有
文化的(食文化)でも、孔明は貢献してますね。行軍中の食材の軽量化及び炊事時間の短縮の為に、今の『肉まん』の元と成った物を発明したと光栄から出版された物に記述が有りました。
公明については、自分も同意見ですね。ただ北伐は、内部の政治的圧力を受け仕方なく行った感が有りますから、1回は自らの意思で指揮してたんでしょうが、敗走で自分には無理と悟ったんでしょう。それ以降は、消極的だったし。孔明のスゴさは、内政面と欲の少なさではないかと思うけど、家族が暮らしていける最低限の禄をもらい、(桑の木数本と僅かな土地だったとか)内政を全て統括してたらしいから。
劉軍に徐庶が残留していたら前線で指揮、政軍にわたり指揮するのが鳳統で政治的な事案を捌く孔明が理想だったと思います。出来なかったのは残念でした。
mahoroba 龐統が早くに亡くなったのは痛手でしたよね。馬謖ではなく姜維がもう少し早く生まれて蜀軍に居たらどうなっていたか。
孔明の発明?そりゃ饅頭でしょ あの人がいなけりゃ 肉まん あんまんこの世に存在しないんやで!
温泉饅頭が存在しないから観光地の土産物屋涙目w
この動画で喋ってる饅頭も存在し得なかった
確か生贄の儀式の代用品として開発したんだっけ?
yoshii871 ぱっと見たとき下ネタ言ってるのかと思ったw
どら焼き作った弁慶とおんなじぐらい偉い
蒼天航路の孔明は、なかなかショッキングだったんだが、だんだん慣れてきた俺は大丈夫だろうか。。。?
天下三分を発言した諸葛亮は、偉大と思ってます。天下二分も天下三分も現代の発想からすればありがちな発想に思えるかも知れません。ですが当時を思えば周瑜が天下二分を謀り、魏も呉の精強さを注視していたと言う事は言葉通りに劉備の勢力は脅威に思わない程の勢力と言う事です。情勢を知りながら諸葛亮は天下三分を発言して、劉備に蜀を持たせてそれを実行してます。赤壁では、呉も蜀と同盟を組んでいます。急展開に蜀は強くなってるのも諸葛亮の影響な筈です。蜀は貧弱なイメージですが、武将の人材には恵まれていると思います。諸葛亮に関しては臨機応変が効かなかったような記録があるそうですが、臨機応変が出来なかった人物にしても、そこまでの影響をあんなに広い中国に轟かせたのは軍師としても名声に恥じない才能の持ち主だと想像してます。これは悪までも自分の感性や感想です、勉強不足の点もありますので、ご了承下さい。 因みにですが、司馬懿は本当の天才で現代で言う所の天才ハッカーなイメージです!笑 長文失礼しました😊
この頃(もっと前)から北京入りした連中にロクなのが居ないのだな
今見てるやつおる?
結局のところ諸葛孔明がもっとも徳のある皇帝になり得た人物なんだよな。ただ一点欲がない。あってもそれは忠義ゆえのものだから。知が優れていた、いや治が優れていた、いやそれら含めて徳があったから、みなに好かれ憧れのわかりやすい対象なのだと思います。
劉備が遠征中に諸葛亮が後方支援で物資を送る行為は高祖劉邦と蕭何の関係を意識していたのかな?っと推測してみたり
おめえかわいい
うぽつです南中平定は「元々漢への野心が無かった南蛮を、単に国境が接しているから間違いを未然に防ごうとして侵攻するも7回追い払われて結局断念した」という説もあるけどね
個人的妄想としては、南方貿易を盛んにしたかった孔明が行ったサミットだと思っています。通訳を介して、南蛮諸王とのコンセンサスを作り上げ、明文化するのに複数回の会談がもたれた。もちろん、王様単独でくるわけがなく、それなりの兵隊を率いてくるので、その様が戦争として伝聞された。そう、妄想しております。
懐かしい!今は霊夢がサングラスかけてヒャッハーしてるのに
落ち着け孔明、これは罠だ
草
げぇ糜芳!
終始😱面白ストーリーだわ。
劉備は多くの作品でお人好しに描かれているけれど、ある程度豪胆じゃないと張飛や関羽はついてこないんじゃないかと思うよね。イメージとしては、千代の富士とか、デシャン監督みたいな?
孔明は「すごく頭は良いけど、真の天才には及ばない」ってイメージ。
張良には及ばないか…
この手の動画でいつも思うけど、動画だけじゃなくて米欄見ても弁当になる
餅さんの霊夢が陰キャ中二病じゃない…
9:33 台湾のネット上街亭の現地を考察した人がいるけど、彼が撮った写真を見る限り
1. 街亭の地形は「山」よりも「緩んだ丘」であるため下から丘の上の布陣を丸見えことができる
2. 史実通り水源地である渭水にかなり距離がある
3. 周りに植生がほとんどなし
「こんなどころで布陣したから負けるんだ」と台湾の人々が納得したのようです
自分は戦は不得手だからっていう理由で鳳雛を軍師として呼ぶように劉備に具申したってどっかで聞いたことあるから孔明は内政官タイプだったんだろうね
不得手と言いつつ一般的な武官将軍よりは戦上手だったあたり能力の高さが窺えますな
この動画から、ゲーム実況に変わるなんてなぁ
この動画からは想像がつかんなぁ
めちゃんこ前のコメントに返信すんのもあれだけど、
普通に古い順で見たらゲーム実況やってるよ
とても良かったです。
次回も期待!
ちなみに渡邊先生は三国一番の切れ者は魯粛であると言っています。諸葛亮は今は天下三分して後々統一しましょうって策に対して魯粛は統一にこだわらず個々の国がそれぞれ統治すれば良いって言ってます。魯粛のおかげで荊州も取れています。あと、死せる孔明生ける仲達を走らすって故事も創作です。
演義だと孔明が単身呉に乗り込んで、孫権を説得し、政略結婚を利用し、蜀を取り天下三分の流れですが。
よく読むと、先に単身敵対勢力の荊州に乗り込んで劉備孔明を説得したのは魯粛です。
劉備を利用するために政略結婚をさせ、後ろ立てになって蜀を取らせたのも魯粛です。
魯粛生前の劉備の行動は天下三分の計に合致しますが、魯粛の死後は、孫夫人を追い出し、孫権から独立し、荊州争奪の原因を作ってしまいます。劉備孔明の頭に天下三分、蜀呉同盟があったとは思えません。
赤壁の戦い、政略結婚、常に魯粛が先に行動し、天下三分に向かって劉備孔明を動かしていたように見えます。
夜間飛行 流石です。演義の元になったのは朱熹学を書いた朱熹です。この人物が今で言う孔明推しで、義に基づいて国を治めたのは孔明だけたとまで言うほど好きだったそうです。孔明の人智を超えた魔法使いみたいな扱いを受けて居るのは時代もあると思います。当時天候がわかる時点で他より凄く、まるで魔法使ったかのような事が出来た訳です。この時代ですと地震や雷と言った自然現象は神によって起こされると信じらた時代です。そこに何処にどんな天候になるかわかる人が1人居るだけであっという間に神です。
何が言いたいかと言うと孔明や司馬懿と言った人達も日本的に言うと戦国時代における禰宜に当たる人達だと言う事です。
夜間飛行 政略結婚をさせたのは周瑜だったような気がします
北條蔵馬 それも演義ですね。多分嫁がせるのを進言したのも魯粛です。周瑜も一枚噛んでるとは思いますが。後蜀と呉が仲が良かった理由は、魯粛が蜀を育てて行って魏に睨みを効かせて自由にやらせないようにしたかったんです。でもどんどん呉の為に戦いましょうって人達が居なくなると、呉は衰退して行ってます。
イダンノブコフ 言われてみればそうでしたね😅たまに演技と正史わからなくなるんですよね
今見てる人いるかな?三國志大好きだからこういう動画本当にうれぴい!
小学生のときハマってがむしゃらに小説読んだ思い出がある
正史は誰がいつ書いたかですよね。魏志なら当然魏に都合の良いことがかかれているに決まっています。
そしてもう一つ、当時あたり前だったことは当然記されていないということで、逆に当たり前じゃないから記されたということです。
その前提で読み解かないと大いに間違う事になりますよね。
それでも嘘ばかりの演義に比べれば遥かにマシ。
素晴らしい考察でした。私もそこそこ知識に自信はありますが……ここまで噛み砕いて分かりやすく解説できる才能は素直に羨ましいです。
ちなみに南中では逆に孟獲が諸葛亮を引っ捕らえた話もあったり、やっぱ水面下の不満はあったようで。まあ、そこに関しては滅亡同然の蜀を立て直す必要上、重税や圧政も必要だったので評価を下げる意味には繋がりませんが(というか語っててこの人曹操と気が合うんじゃねぇかなとか思い始めた←)
ついでに個人的意見を付け加えると、益州派閥(というか李厳)との政権争奪で圧勝、完封してる辺り政争もできるのねこの人……
いい投稿、ありがとうございます。大変面白かったです。
孔明の再評価と言うと散々こき下ろすのが多いのですが評価すべき点はしっかり評価されててよかったと思います。
三国志に興味を持ち深く知るにつれ正史にも矛盾が有り一部では演技の方が正しかったりと・・・そんな中、詳しい人が「正史を鵜呑みにするな」と言っているのを知りました、その点にもふれてたのが嬉しいですね~人によっては正史の内容が正しいんだ!といってこき下ろしまくる人もいるのが残念です。
赤壁でも蜀からみた場合と呉から見たときとは内容が違いますし、正史も注釈を読むのと頑張って漢文を読んでみるのとではニュアンスがだいぶ違います、まあ~興味があったのはもう十年以上前になりますし何度かの引っ越しで正史も紛失してしまい、この記事を見て読んでみようかと思って探してみて「あっ、どっかやっちまったんだ」と今更ながら思い出したくらいですのでだいぶ忘れちゃってますが・・・。
自分も正史基準で言われるほど孔明に軍事の才が無かったり人を見る目が無かったとは思っていません、ただそれ以上に馬謖がアンポンタンだったとは思ってますが・・・。
少し違うかもしれませんがそのあたりもフォローされていたのは嬉しかったですね。
うぽつです
普段のゲーム実況とは違う真面目な動画でしたけど初めて知ることばかりで勉強になりました
ゲーム実況の方もこういう動画も楽しみに待ってます
この動画、面白かったです。孔明の凄さ。ここで、少し語らせてもらいます。孔明の凄さを 一番分かっているのは、当時の人達です。正史、演義からではなく、当時の人達の語り、史実から、見ます。孔明は、国も持たない劉備に付き、三分の計を、用いる話をします。魏や呉とは、違い国も持たぬ劉備に、語ります。夢物語の話ですが、実際に実現させます。大国の呉と同盟を、結ぶ。外交の力もあります。孔明が劉備に付くと、馬良やホウトウも劉備に付きます。孔明が、居るならば、、天才の器が、見られます。その後孔明は、荊州を、取り、蜀を攻め、蜀も制覇します。少ない人材から、始めたのにも、関わらず、天下三分を、実現させます。孔明は、政治的評価が高い。と、言われてますが、知能的に天才だったのでしょう。能力が優れているだけに、政治も上手く出来たのでしょう。戦略ですが、実際に荊州から、蜀~漢中に至るまで、勝ち進めて、いるので、戦略的にも優れているのでしょう。魏の将、姜維は、文武両道の優秀人物。姜維は孔明の説得で、蜀に付きます。そこで孔明を見て、孔明を尊敬し、愛弟子となります。建て前や、立場上ではなく、本心で見込んだのでしょう。劉備亡き後、北伐を開始します。これは劉備との漢室復興の約束を果たす為、死を覚悟で進軍したのでしょう。忠義心も高いです。蜀は人口も少なく、人材不足でした。出師の表は、遺書のようなものです。 北伐は、開始は勝ち進み、魏の曹家では、歯が立たず、司馬懿に託します。蜀は人材不足で、やむ無く馬謖をも、使わざる負えなかったのでしょう。そこは上手く行かず、撤退になりました。攻めるは難しく守りは易し、司馬懿はなんとか守りで、北伐を阻止します。孔明夢半ばで、没します。評価で戦略は司馬懿が上、とも、言われるのもありますが、司馬懿自身、孔明には、とてもかなわない。と、後に孔明を敬服してます。蜀の民も孔明を尊敬し、孔明を称えています。世界から稀に出てくるほどの極少の偉人の天才だったと、思われます。孔明の凄さは、当時の人達の評価が、表してると思います。孔明のこの時の戦果は、他の軍使達では不可能だったと、思います。素晴しい、偉人だと思います。私個人の評価でした。🙏
以前世界の天才100人って番組で諸葛孔明は4位、アジア人では一番って結果を見てました、上位3人も欧米でマルチな才能を持つ人だった気がします、孔明が一番じゃ無かった時点でがっくしして三人が誰か覚えてませんが
こういう人がいるからアンチ孔明がいるんでしょうね。何をやっても孔明はすごいと言って 贔屓と嫌味を感じてしまいます。そしてそれゆえに蜀も好きになれないです。儒教文化からすれば孔明のような人が理想でしょうね。私は孔明の残した偉大な実績は疑うべくもないと思います。そして多くの人に愛され尊敬されていたというところもそうです。しかし彼はイエスキリストではないです。あくまで我々と同じ普通の人です。間違いも多く犯しています。そういう普通の人です。時に偉大で時に人間臭い曹操は時代を超越した英雄(超世の傑)ですがそれとはまったく違う。しかしその超世の傑物に普通の人として挑んでいるところ、そしてそのやり方も決して超人的な能力とか天才的な頭脳とかではなく、あくまで正々堂々と普通の人なりに基本に忠実で多くの苦労や矛盾と向き合いながら自分の持てるものすべてをもって挑んでいるところにこそ彼が愛されるのだと思いたいです。彼のことを天才として扱う必要はありません。曹操や司馬懿などほかの天才たちとの不毛な比較をすることになるだけでの無意味です。しかし彼が天才ではなく凡人であったとしたら、そして凡人でありながらけっして驕らず、凡人でありながらひたむきに自分のできる限り蜀をもりたてて、魏に挑もうとする三国志の孔明とは本当に魅力的な存在として輝くと思います。
句読点多くないか?
読みにくさや誤字ははひとまず置いとくとして、
まんま後世になって創作された演義の孔明ですね
「当時の人達の語り、史実から、見ます」
→「知能的に天才だったのでしょう」「戦略的にも優れているのでしょう」「本心で見込んだのでしょう」「死を覚悟で進軍したのでしょう」「使わざる負えなかったのでしょう」「天才だったと、思われます」「私個人の評価でした」
ついでですが、なるほど当時の人の語りや史実から見るとはこうやるんだというお手本ですね。参考にさせていただきます。
遊ぶゲーム似てて歴史解説もしてくれるなんて最高すぎる!!!
正史では天才と言うより真面目で勤勉な秀才って感じだね
勉強になりました。孔明は自分では、第2次世界大戦の日本と考えています。国力で比較すると1/10の生産力でアメリカと戦った日本は負けたが、同じ状態の蜀は孔明がいる間は、滅亡しなかった。それだけで十分。蜀にとって痛かったのは参謀職では孔明の逆のタイプの法正が死んだのが痛かったですね。
Mochiさんの動画遡ってたら出てきた。
なんか意外
ここのコメント三國志好きが多くて嬉しい😃しかも叩き合うとか少ないし!主様こういう動画をあげてありがとう😊
勉強になるなぁ。俺にとっての諸葛孔明はビーム撃ちまくって五丈原の戦いを中央突破で7分で戦を終わらせられるスーパーヒーローだから。
もちさんがこれやってるの初めて知った
あなたへのおすすめで出てきて見たのですが、やはり今とは動画の雰囲気が結構違うんですね〜 三国志はあまり詳しくないのですが、色々なことが知れて面白かったです
色々調べると、孔明が内政向きなのに対してホウ統が軍務向きだったって話があるぐらいだな。
惜しむなら、ホウ統が早期に戦死したことかな。
孔明と同時期まで生きていたら、もう少し魏を苦しめたと思うぜw
龐統がもし劉備が乗っていた馬に乗っていなければまだ戦局は違ってたのは同意しますね
nick maximum あ、それ創作。
法正も惜しいですよね。
そうですね。赤壁には参加してないし。むしろ司馬懿みたいに謀略を駆使して蜀の権力を掌握したというのが本当かも
非常に為になる動画でした。
諸葛亮をよく知るのはどのような本が良いでしょうか?
正史もいずれ読みたいとは思っていますが…
孫子や吉川三国志は読みました。
梁父吟を歌っていたとWikipediaで見て、他に諸葛亮が勉強していた本なども知りたいです。
本当は龐統が軍事面で秀いでていたという説もあるので、 諸葛亮は動画での評価通りの内政面で優れていたのだろうし
布陣もそうなら、国の総力を駆使した後方支援体制が出来、卓越していたはず。ただ軍を実践で臨機応変に動かす事は馬謖の件でも
苦手だったのかもしれないね。
うぽつです!なんかいつもと雰囲気違う動画だけど、分かりやすいって言うか…なんか、眠たくならない動画だった!
饅頭(中華まん)が食べられるのも孔明のお陰だもんね。
諸説あるけど、信じるなら孔明説を信じたいかなと。(演義発祥って訳じゃ無いし)
三國志大好きです❤掛け合いの説明最高😃⤴⤴
公開からだいぶ経ってからの拝見となりましたが、なかなか面白い考察だなと感心いたしました。
もしまだ三国志にご興味がおありでしたら、高島俊男先生の「三国志 きらめく群像(ちくま文庫)」を一読いただけると、また新たな視点を得られて良いのではないかと思います。
創作物から得た知識を元に、根拠もなく三国志を知ったかぶるような人も多い中で、このようにしっかりとご自身で理解された上で発信をされている方がいると、一人でも多くの方に歴史学に興味を持っていただくきっかけとしても非常に良いと思いますので、これからもご活躍されることを祈念いたします。
正史は魏が統一した時代に書かれたもので、著者・陳寿は元蜀の人。
孔明のことを書くのはかなり難しかったんじゃないかな。その国の歴史書は国の正当性を示すものだから、「魏がNO.1だぜ!」って書かなきゃいけないし。
その中でもこれだけの評価を貰ってるんだから、いかにすごい人物なのかがわかる。
実際、魏の名将・司馬懿と何回もやり合ってるのに、ほぼ負け戦なしだし(これは本当に凄いことだと思う)。
国力の差、遠征であることの難しさを考えると、軍事能力はたいへん優れていたと考えるべきじゃないかな。軍事面で頼れる将軍もほとんど死んでたしね。
馬謖のことはよく言われるけど、諸葛亮の死後の宰相の決め方は実に見事で(蒋琬→費禕→董允までは決めてた)、それが蜀が死後数十年もった理由でしょう。黄皓なんかが力を持たなければ(これは劉禅のせい)もっと蜀は長生きできたと思うけど(あとは姜維の北伐がもっと決定的なものか、国力を落とすものでなかったら)。
三国志時代に知略で孔明に勝てる人物はいなかったんじゃないかな。
惜しむらくは、関羽・・・。関羽が荊州を取られさえしなければ、蜀にワンチャンあった。
細いかも知んないけど魏じゃなくて晋じゃない?
俺は悪くねぇ ! さん 仰る通りでした。陳寿の三国志は晋の時代に書かれたものでした。失礼しました。
北伐を全て司馬懿に防がれたことを、全て負けたと表現するか、一度も負けてはいないと言うかはなんとも微妙ですが、北伐は全て失敗に終わって、一度も司馬懿に勝てなかったのは間違いない。
太宗皇帝 そうですね(笑)まあ、陳寿も難しい立場にいましたからね(笑)劉備は・・・個人的には好きなんですけどね。
夜間飛行 基本的に守る方が有利な戦いですからね。城にこもって戦を避け続ければ、相手の兵糧は尽きますし。これは孫子の兵法にも書かれておりますが。
孔明の戦上手な点は、あれだけ北伐を繰り返しながら、被害がほとんどない。また、1番難しい撤退戦も無難にこなしている。
これはすごいことだと思います。
結局司馬懿は追撃の戦果を全く得られなかったですからね。
この動画の評価は正しいと思う。
色々こういったものがあるが、
あなたの動画は本当に正しい評価だと思う。
またこういう動画やって欲しい
モッチー三国志の解説もしてたのね!
ますます好きになったわ!
うぽつです!
こういう趣向の動画は面白いですねぇ...。
三国志群雄ビジュアル百科が好きで小学生のころ読みまくってた記憶がある。
三国志好きなので面白かったです。
劉備についての動画が見たいです。
あえて劉備をリクエストいたします。
孔明ってマリオで隠しブロック作ってるだけの人じゃないのか・・・また1つ賢くなってしまった
ラーの使徒マリク しょぼんやろそれwwwww
こういう動画凄くイイ!
正史なんて一行読むだけで味気なさに発狂しそうになります。超絶骨が折れたでしょう。それをTH-camでわかりやすく解説してくれるとは、、有り難いことです。
中国の歴史書を学ぶ上でまず最初に注意すべき点は、滅びた国の歴史を滅ぼした国の人が纏めるという特徴があって、その為「建国当初は望まれて建ったが後年の腐敗によって滅んだ」というセオリーが存在しており、建国に尽力したであろう最初期の人物は優秀に、最後期に政治の舞台に上がった人物は大抵無能に描かれると言う悲劇も起きます。
そういったセオリーを知っていると正史をまとめた後世の国にとって都合の良かった人物や政策がどういったものだったかなど、或いは都合が悪いコトってなんだったかなども読み取れて一味違った見方もあるように思えます。
うん、初期の人が優秀で末期はおかしくなって滅びるって普通だよね
同感です。「記紀」の前に歴史がありませんから。
うぽつ
勉強になるなあ
銀英伝トリビア:ヤン=孔明、ラインハルト=曹操、キルヒアイス=郭嘉、メルカッツ=夏侯 覇がモデル。一応、作者公認データ。
ヤンは孔明だったんですか
三顧の礼も当時はそれが普通って説もあるけど、
初回「うわ何で俺なの?他に誰かいないの?もっかい探してみてよ」
二回目「いないの?じゃあ他は皆俺以下なの?すごい大変じゃん考えさせて」
三回目(マジかよ)
みたいなイメージがどうしてもあって
ヤンのモデルだとしたらなんか納得しましたw
ヤンには杜預も入ってると思う。
孔明のきれいなイラスト見てたら、何故か中華料理屋行きたくなった(笑)
諸葛亮の凄いのは何度も北伐できたこと自体だよね。
中国の歴史の中でも、中原を支配した勢力が南に攻め込むことはあっても、中原を支配した勢力に南から攻め込むなんて例は極めて稀。
それを何度もやったんだからね。
姜維はやり過ぎたけど……
結局、諸葛亮の凄いとこは実務能力ですよね、グランドデザインの天下三分の計を思いつくのは沢山いたでしょうが、当時の劉備の勢力みたいな弱小からそれを成そうとするとどれだけ実際のタスクがあったことか...
国土の小さな蜀から魏を攻めることを可能にする国家運営自体が凄まじい能力の現れですよね。
時代は違いますが北魏の時代に陳慶之が7000の騎馬隊で南朝から出撃し北朝の首都を直撃し陥落させるという離技をやってのけてます。
いくら北魏が乱れているとはいえ騎馬のみ7000で数万~30万の軍を何度も撃退するなど人とは思えない。
そんなことない。秦も元々辺境だった所から中原を制覇したし、匈奴や亮、女真まで辺境が中原を制覇して中華がどんどん大きくなっていったのが中国の歴史ですよ。
@@hon6492 多少でも中国史を齧っていれば分かるが、中原を支配する勢力に南から攻め込める例なんて非常に稀。
勢力図を見る限りでは北魏に負けてないように見える宋ですら、国力比では7:3というかなりの劣勢だったわけで。
蜀と魏なら実に7倍の差があった。そのくらい中原とその他の地域には大きな格差があったわけで。
その数少ない例に上げていいのが岳飛だったり陳慶之だったり諸葛亮だった。前の二人はハンニバルみたいに兵力差関係なく快進撃できたイレギュラー。
秦の時代は中原を支配する勢力などない。中原は幾つもに分裂していたし、秦が伸張できたのはそれらの一部と同盟組んだからだからな。
昔めっちゃかしこまった感じだったんだ〜
メルカッツ提督の例が分かりやすすぎる 笑
うぽつです。
勉強になる動画だぁ
うぽつです。三国志を余り知らない私でも楽しめました!質問なのですが歴史で一番興味のある人物はいますか?
司馬懿
メガメロン
日本史だと、聖徳太子です👍
一人に絞るのは難しいですね。
孔明様も子供の頃から大ファンですよ💕
諸葛亮は政治は上手いが戦争が弱いと言う意見が多いですが、政治って国営で一番大切なものですよね。
歴史って面白いですよね、もし、その時に違う選択をしていれば今は違う世界だったかもしれない。
関羽が呉を対等に見ていれば、法正が生きていたら、陸ソンが劉備を深追いしていれば、そういう世界を想像するのも面白いものです。
天下3分の計は考えついたのが凄いことではなく、実現させたのが凄いこと。孔明が居なかったらそもそも三国志は無かった。
ん~私個人としては天下3分ってやっぱりすごい発想だったと思うなぁ
ただでさえ自己主張が強いきらいのあるアジア人で、自国がトップになることをかんがえたわけでなくて、3すくみにすることで戦いがおこる事を減らそうと考えてなんじゃないかと思います。
中国は国土が広大なため1つに統一することは難しく、最悪戦争がおきない平和な状況でそれぞれの国をそれぞれで統治することを願ったのではないかと思っています。
単に魏を倒すために小国を倒していくことが天下3分の計という戦略ではなかったと思っています。
うぽつです~、たまにはこんな動画も良いっすねぇ…
話は変わりますがシャドバの新カードディベートってやるんですか?
諸葛亮孔明に関しては、私も独自に調べたりしました。
例えば、赤壁の戦いの前哨戦で孔明が一晩で十万本の矢を集める話とか、東南の風を祈祷で吹かせたとか色々有りますが、殆どフィクションと言って過言ではないと思います。
いくら船足が速いと言っても、敵陣に単身非武装で近づく馬鹿は居ないし、冬の一時期に東南から風が吹く事自体呉軍の将兵なら誰もが知っている筈です。
で実際の赤壁の戦いは、実に地味であっさりしています。
曹操の軍勢は、長江北岸で孫権の軍勢と対峙するも、疫病と兵士の船酔いに悩まされていました。
呉の宿将黄蓋が投降すると知り、喜んで迎え入れようとした時…思わぬ火攻めにあい撤退するのですが、これだと劉備達の活躍が殆どありません。(でもこれが事実)
赤壁の戦いは周瑜がメインになるところを、演義の影響で周瑜は魯粛と共に孔明の引き立て役に甘んじているじゃないかと思います。
動画の内容は、本当に良かったので 次は周瑜か魯粛の解説とか希望します。
祈祷で風を起こしたって言うのは孔明の計だった様な……確か東南の風が1週間だけ吹く時が有って、
それを孔明が起こした様に見せかけたんじゃ無かったっけ?
諸葛亮孔明‼︎好きだなぁ〜
なんだか惹かれる
確かに、兵を引きながら敵の戦力を削ぐという発想は、なかなかできない事かも知れない。ただ、そうすることで、安全に撤退する条件が増えることにもなるし、後日、不利な条件が減るという意味でも、理にかなってるのは事実だろうね。
諸葛亮孔明って言うと怒る人がいるらしい
面白かった。
断片的に入ってくる情報から凄腕内政家(軍略もイケるよ!)ってイメージだったのでとてもしっくり来る説明。
楚漢戦争の蕭何と張良を混ぜたような感じかな…?
内部から崩したのが司馬一族だがw
諸葛亮のライバルとしてあがる名前第一位は司馬懿だが、第1~3(4?)次北伐までの対蜀の総司令は曹真だったんだよね。
彼が亡くなるまで、司馬懿は確か対呉側の人だった覚えがある。
パリピ見てからここに(゚∀゚)
俺的三国志の大好きエピソード
・「子息が無能なら自ら国を治めてくれ」と孔明に後事を託した打算や思惑の一切ない劉備の魂の遺言。
・手なずける事が出来ずに去ってしまった関羽を受け入れた曹操の度量。
・周りの反対を押し切ってまで関羽の弔い合戦を決行した三義兄弟の絆。
何故か呉のエピソードは中々思い浮かばないなぁ。。
横山先生の三国志って読むべきですか??
おもしろいよ
結局あれを超える三国志漫画は出てないし、これからも出ないだろう。
これらが全部、日本では卑弥呼とか邪馬台国とかの時代だと思うと改めて中華文明は凄いよなあ
天下三分の計は成就させた時点で優れてるし、今まで大陸を流浪し続けてた傭兵集団の劉備軍に建国の基盤を得させる手腕は、置かれてた状況を考慮したらもともと基盤があり中原や華北の混乱に乗じた曹操よりも優れた国家戦略家だと思います。曹操と孔明の立場が逆ならもっと後漢の戦乱は早く終わってたとも思ってます。
北伐は国力差がありすぎて、意義としては「これ以上好き勝手に動かれて魏との国力差が広がるとヤバい」という牽制的なもので、本当に討伐できるなんて微塵にも思ってなかったはず。孔明が局地戦での用兵が得意ではなかった(兵力差がありすぎる以上、奇策で相手の裏をかき続けてやっと戦果を挙げられるかな?程度)というのも勿論あるけど…
戦国時代の武将についてのもお願いします!
因みに南中攻略の時は孟獲が漢人あるいはその流れを汲む者だったから孟獲はわざと孔明と戦って負けて南中奥深くまで行かせたって論もありますね。孟獲は南蛮王という称号と領土欲しさに孔明と水面下で繋がっており南中深くまで蜀が進軍するのに自分が戦ってわざと負けてを繰り返してみたいなプロレスのような仕組みがあったと言っている人もいます。
こういう動画もいいもんだなー
横山先生の三国志読んでたので若干嬉しいです
あとリクエストですがギルガメッシュさんをお願いします
Mo chi 僕もfeteで見てあまり知らないなと思ったのでリクエストしましたが確かに他の人がやってそうなキャラですね(笑) 検討ありがとうございます
伸太郎金成 今のシナ人の作った三國志の大半は捏造らしいぞ。信じ過ぎるのは良くない。元々、シナは日本の一つであったそうです。
歴史解説してたんだ。知らなかった。
平家と源氏のよかった点、悪かった点などの対立した勢力の解説をしてもらいたいです!
天下三分の計が優れているところは傭兵隊長の劉備を皇帝にする方法を提示したこと。呉のように既に戦力のある国が曹操と対抗する計略とは性質が異なると思います。
当時の劉備が天下統一したいですと聞かれたら、相手にされないし、苦笑いをされると思います。大真面目に可能性を提示したことが凄いんだと思います。
自らを楽毅と述べる諸葛亮は奇策が嫌いなわけはないと思います。それでも堅実な戦術に終始したのは、夷陵で戦力が払底したからでしょうね。もう一度大敗したら戦争ができなくなることを知っていたのが大きいのだと思います。
諸葛亮(というよりも荊州の戦力)が呉に協力することを確約したことで、戦力不足に悩む(周瑜魯粛が説得しても逡巡
している)孫権が戦争にgoサインを決断した可能性は高いと思います。(蓋を開けたら大した戦力ではなかったけれど)
そもそも軍師とは帷幕の人でありますので、政治家であります。軍師の代名詞である張良が何をやったかといえば、基本戦略をたて外交を行い勝ち筋を示したことにあります。ほとんど謀臣、軍参謀のような働きはありません。演義でゆがめられたのは諸葛亮よりも、軍師とは何かの認識ではありますまいか。
蜀好きな人多いけど、曹操ほど魅力的な主人公いないよね
しかも殆どの武将と軍師はスカウトした中途採用。
関羽に樊城攻撃を命じて関羽を死なせ荊州を失ったとしたら、とんでもない作戦失敗、軍師の責任重大ですよね。
これは仮説ですが、プライドの高い関羽は、諸将が手柄を挙げるのに自分は何も出来ていないことを許せずに勝手に樊城に攻めて行ったという考えも出来るのではないでしょうか?
こういう動画ほんとすこ
演技とは違って実際の孔明は内政向き。経済・農耕・法治などに秀で、組織運営が上手いとは
知っていたが、戦までマスタークラスとは・・・。政治・外交・用兵できて公正で人望もある。
もうこいつが帝でいいじゃん(笑)
K0E3I
孔明が帝だったら良かったのに~(´;ω;`)
昔から思っていました 劉禅は帝の器ではないですよね 自分の国が無くなっても、魏で楽しく暮らしていたし、ストレス等も無かったのか長生きしましたね(^_^;)
諸葛亮が禅譲にせよ簒奪にせよ劉禅の帝位を奪ってしまうとどうなるか。
蜀漢という国は、(後)漢王朝の正当な後継国(劉備が後漢王朝の血脈をひいているというのも相当眉唾ですが)であるという大義名分を抱えていて、漢を滅ぼした魏を打倒することを国是としているわけです。
ところが諸葛亮が皇帝になってしまったら魏からすれば「お前は主君の息子から帝位を奪っているのに我が国のことを非難できる謂われがあるのか」ということになって、蜀漢の正当性の大義名分が大きく揺らぐことになります。
だから能力は甚だ疑問な劉禅でも神輿として担がないといけなかったわけです。
政治というのは難しいものですね…^^;
K0E3I 人には、向き不向きが、ありますからね、孔明は軍使でこそ、その力を発揮しました。孔明自身、それも分かっていたでしょう。上に立つ人は、力や知性ではなく、胆の座った人物が一番なのでしょう。 劉邦が一番良い例でしょう。劉邦は、特に 優れた所はなく、人柄と度量、天性の持ち主です。
帝になれば性格変わるよ絶対
ちなみに当時生きていた役人の評価は生存されていたときは特に大した人のように思えなかった。しかし逝去されてからはもうあの人のような人は生まれないのだろうと思うとの事。
役人ですらこうだから民衆も同じかも。
孔明様 子供の頃から大ファンでした( ☆∀☆)
昔、NHKで、人形劇三国志 見て、とても⤴⤴感動しました。
人形の孔明が、寝ている時に目を閉じている所に、ではなく 内容に ですよ(^_^;)
飯田に有る、人形三国志の記念館も、勿論出来てすぐに見に行きました。
孔明様最高ですね~❗
物語としても、リアルな歴史としても👍
内政に優れ戦争でキッチリ基本を守る人だったって事でいいのかな?戦争に優れた部下が居なかったのが不幸だったかもね。
趙雲や関羽や張飛が居ればなーって思う時もありますよね。最後は姜維あたりしか有能な部下残ってなかったっぽいし
nick maximum まあ更にゆうと正史で考えれば趙雲も軍を率いるものとしてはあまり…だし…まあそれでも劉備が死んでも孔明が死ぬまでかその直後ぐらいは張嶷、王平、馬忠、趙翼だったりはいたんでやっぱ蜀の国力のせいですよね…
勉強なりましたです(≧∇≦)bありがとうございます
諸葛亮が魏延を「反骨の相がある」と言ったのは納得いかない。
あんなイチャモンをつけられては謀反の一つも起こしたくなる。
KN9260 後頭部が長いかららしいねw
しかし、魏延はかなり活躍している。孔明は人を見る目がなかった。
それ演義の創作エピソードですよ
孔明は軍事、政治共に優秀だけど人物眼はなかったんだよね。馬謖の件や魏延の事件、全て孔明のおこしたものといって良いと思う。人物眼のある劉備、関羽張飛黄忠の良将の死は大きかったんだろうね。
あまり知られてない孔明の史実での最高の実績で鍛鉄法の改善があるよ。
最後のイラストや可愛い……
三顧の礼の時の諸葛亮は、劉備がきても弟諸葛均にわざと断ってくれ、と言って断った説有
文化的(食文化)でも、孔明は貢献してますね。
行軍中の食材の軽量化及び炊事時間の短縮の為に、今の『肉まん』の元と成った物を発明したと光栄から出版された物に記述が有りました。
公明については、自分も同意見ですね。ただ北伐は、内部の政治的圧力を受け仕方なく行った感が有りますから、1回は自らの意思で指揮してたんでしょうが、敗走で自分には無理と悟ったんでしょう。それ以降は、消極的だったし。孔明のスゴさは、内政面と欲の少なさではないかと思うけど、家族が暮らしていける最低限の禄をもらい、(桑の木数本と僅かな土地だったとか)内政を全て統括してたらしいから。
劉軍に徐庶が残留していたら前線で指揮、政軍にわたり指揮するのが鳳統で政治的な事案を捌く孔明が理想だったと思います。出来なかったのは残念でした。
mahoroba 龐統が早くに亡くなったのは痛手でしたよね。馬謖ではなく姜維がもう少し早く生まれて蜀軍に居たらどうなっていたか。
孔明の発明?
そりゃ饅頭でしょ あの人がいなけりゃ 肉まん あんまんこの世に存在しないんやで!
温泉饅頭が存在しないから観光地の土産物屋涙目w
この動画で喋ってる饅頭も存在し得なかった
確か生贄の儀式の代用品として開発したんだっけ?
yoshii871 ぱっと見たとき下ネタ言ってるのかと思ったw
どら焼き作った
弁慶とおんなじぐらい偉い
蒼天航路の孔明は、なかなかショッキングだったんだが、
だんだん慣れてきた俺は大丈夫だろうか。。。?
天下三分を発言した諸葛亮は、偉大と思ってます。天下二分も天下三分も現代の発想からすればありがちな発想に思えるかも知れません。ですが当時を思えば周瑜が天下二分を謀り、魏も呉の精強さを注視していたと言う事は言葉通りに劉備の勢力は脅威に思わない程の勢力と言う事です。情勢を知りながら諸葛亮は天下三分を発言して、劉備に蜀を持たせてそれを実行してます。赤壁では、呉も蜀と同盟を組んでいます。急展開に蜀は強くなってるのも諸葛亮の影響な筈です。蜀は貧弱なイメージですが、武将の人材には恵まれていると思います。諸葛亮に関しては臨機応変が効かなかったような記録があるそうですが、臨機応変が出来なかった人物にしても、そこまでの影響をあんなに広い中国に轟かせたのは軍師としても名声に恥じない才能の持ち主だと想像してます。これは悪までも自分の感性や感想です、勉強不足の点もありますので、ご了承下さい。 因みにですが、司馬懿は本当の天才で現代で言う所の天才ハッカーなイメージです!笑 長文失礼しました😊
この頃(もっと前)から北京入りした連中にロクなのが居ないのだな
今見てるやつおる?
結局のところ諸葛孔明がもっとも徳のある皇帝になり得た人物なんだよな。ただ一点欲がない。あってもそれは忠義ゆえのものだから。知が優れていた、いや治が優れていた、いやそれら含めて徳があったから、みなに好かれ憧れのわかりやすい対象なのだと思います。
劉備が遠征中に諸葛亮が後方支援で物資を送る行為は高祖劉邦と蕭何の関係を意識していたのかな?っと推測してみたり
おめえかわいい
うぽつです
南中平定は「元々漢への野心が無かった南蛮を、単に国境が接しているから間違いを未然に防ごうとして侵攻するも7回追い払われて結局断念した」という説もあるけどね
個人的妄想としては、南方貿易を盛んにしたかった孔明が行ったサミットだと思っています。
通訳を介して、南蛮諸王とのコンセンサスを作り上げ、明文化するのに複数回の会談がもたれた。
もちろん、王様単独でくるわけがなく、それなりの兵隊を率いてくるので、その様が戦争として伝聞された。
そう、妄想しております。
懐かしい!
今は霊夢がサングラスかけてヒャッハーしてるのに
落ち着け孔明、これは罠だ
草
げぇ糜芳!
終始😱面白ストーリーだわ。
劉備は多くの作品でお人好しに描かれているけれど、ある程度豪胆じゃないと張飛や関羽はついてこないんじゃないかと思うよね。イメージとしては、千代の富士とか、デシャン監督みたいな?
孔明は「すごく頭は良いけど、真の天才には及ばない」
ってイメージ。
張良には及ばないか…
この手の動画でいつも思うけど、動画だけじゃなくて米欄見ても弁当になる