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84年の開幕戦、南アフリカのキャラミでフレディの乗ったNSR500のカーボンホイールが割れて転倒した記憶があります。84年はNS500と併用してたんですよね。
30分で収まらない時は1時間でも良いんですよ😊1980年代に学生だった私は毎年違うコンセプトで出て来るホンダのバイクが不思議で仕方なかったのですが、今なら深く腑に落ちます。とっても楽しいです。
いや~本当に深くて面白い話で観ていてあっという間に時間が過ぎます。次回も期待大ですね!個人的に重心位置の話をもっと聞きたかったです。
この年から125のサポートで鈴鹿・ドニントン・アンダーストープに行きました、ヨーロッパではワークスのピットでしっかりNSRの変化を見れました。
八代さん、楽しい配信をありがとうございます!!今後の企画で「現行MOTO-GP日本車の不振を、独り言」を検討して下さい!どうぞよろしくお願いします(笑)
お疲れ様です!大変興味深く拝見しました。次も楽しみにしています。
このエピソードを心待ちにしてました!ありがとうございます。
❤ワクワクがとまらないです!次が楽しみ‼️
タメの深さが面白いですいつもありがとう御座います毎回楽しみです
84年型はスペンサーも手を焼いたというマシンですね。最下部にあるガソリンタンクのせいで加減速時やレース序盤と終盤で操縦性の変化が大きく(スペンサー談だったかな?)乗りにくいマシンだったとレース誌で読んだ記憶があります。テストライダーのくだり、確かにそうですよね納得です。
今回も面白かったです。NSR250が丸太ん棒については岡田選手もまんま同じこと言ってましたね(笑)RS250?を試した原田選手も同様に言っていたので同じなのですね。ヤマハ車は長身の選手がつま先立ちになるほど重心が高かったですね(幅も広いのですが)、市販車も同じ印象です。
9:08こりゃ、ホッケンハイムじゃなくてニュルブルクだね。
毎回、、独り言にワクワクします~😂次回もめちゃ楽しみで、待ち遠しぃ〰️ー🎉🚀
段々と乗ってきましたね、ホンダのマシンは丸太の様だと岡田さんも何かのインタビューで言ってましたね、次回が楽しみです。
84のNSRのタンクは、鉄工所の友達が唸ってましたよ。図面通りに作る自信ないし、そもそも図面あんのか?これ、とか言ってました。
それにしても、あっという間の楽しい話。早送りなしでいつも聞いてしまう。一般人にはワクワクする内容
本当に30分経った?10分ほどに感じる!八代さんの話が面白いのよ!私も1時間ぐらいが丁度いいが30分で区切る事情があるんでしょうね。
八代さん、宮城さんがいた頃のモリワキの強さの一端はこの方を森脇さんが本当に信頼してからなんだなぁってのがわかったような気がするチャンネルです。それにしても懐かしい話ばかり。レースで勝つというのは総合力。勝ち続けることの難しさがホントによくわかる話です。現在MotoGPでホンダが苦戦してるのはマルケスと心中しちやったことの反動なんでしょうかね?
89型好きなんですがボテッとしたというかちょっと太った?って当時思ってましたバリ伝でも後半の主役機なので連載時初登場で大興奮した思い出
私は、88〜90年のNSR250は、すごいなぁと、思ってました。市販車、RK、RS250、RS250+キットパーツ、ワークスマシンと、兄弟車両というのに、基本設計の凄さを感じてました。
当時YAMAHAは車体のレイアウトがキレイというかスマートなのに、HONDAは同じV4なのに何で「やりくり大変チャンバー」なんだろう?って思ってました。
ホンダの開発ライダーといえば阿部孝夫選手と思っていましたが確か1988年位からRS誌で辛口トークを執筆していたのを思い出し、入れ替わりで八代さんが開発ライダーとなられていたんですね。YAMAHAでは開発ライダーという言葉を昔から語られていましたから1960年代に活躍していた本橋さんが1970年代でも開発ライダーをやっていたり、金谷さん高井さん片山さんシャケさん浅見さん平さん難波さん…脈々と継承されていくイメージとは対照的ですね。ホンダ社内は11年間 GP撤退していたからYAMAHAやSUZUKI(3年位休止有りましたが)に比べて技術伝承が困難だったのかな?社内テストライダーの件はびっくりしました。エディのコメントではホンダは私が言ったことは何でも叶えてくれる的なニュアンスだったから、相手の地位によって対応が違うんだなぁと感じました。
レースという限界ギリギリが当然で、かつそれを超える中で勝利を目指してきたライダーを前に「そうかなあ?」とか「何言ってんだ」とか、幾ら作っている立場といえ、開発側は一体何の経験が有って安易に疑問や否定を持ち出して来たのでしょうね。やはり「何でも自分達が一番わかっているんだ」的な驕りが当時のホンダに有ったのでは。
待ってました
面白すぎます.等速再生で飽きないコンテンツは当方のUtube視聴史上初めてかも.ジェレミーバージェス辺りは特に!
高校の同級生が味の素テラカラーの清水雅弘でした
まじで😱⁉️
ビックリ日本新記録!波乗りチャンピオンに輝いた清水さん!
ちょうど今、もてぎのmotoGP開催中で協賛行事として過去のGPマシンのエンジン掛けをやっていて89年NSRの起動を宮城光さんの解説で行っている動画出てますね~確かに宮城さんも89NSRは等爆でモーターのように回るけど凄いピーキーと言っていてました。
例の「はっつぁん・・」とくると、また面倒事が来るな?!と身構えますね(笑)87〜89、てっきりガードナーのリクエスト通りに作っていたのかと思ったら、かなり八代さんの意見が導入されていたんですね!開発能力が評価されていたのでは。そのベースがあったから、エディも89を改良してチャンプになれたのでは。
いつも楽しく観させていただいてます。ローソンとガードナーの、乗り方の違い、セッティングの違いを、是非、お聞かせください。お願い致します😊。
それは私も気になっていた
90年前半にTZ250乗りの人が、自分のRS250Rに乗ったら、丸太みたいって言われたのを思い出しました。www
この時代の市販車もホンダは重心が低く、ヤマハは高い上シッティングポイントも高めだった印象があります。RZ350Rなどは倒し込みのキッカケがつかみやすかったです。ホンダ車ばかり乗っていた私は、コーナー手前で減速しない程度にブレーキをあて、体はイン側にオフセットし車体を傾ける姿勢を取りますが、ブレーキを当てているので車体は起き上がったまま。倒し込みポイントでブレーキをリリースすると、既にイン側に体重を乗せていたからスパーンとバンクする。そうやって遊んでいました。
88年のドイツGPはニュルブルクリンクのGPコースでの開催で、八代さんの振り返るコースの様子やコース図もニュルGPコースのそれだったので、ホッケンハイムをニュルブルクリンクに脳内変換しつつ視聴しました。タメが大事、というのはシャケさんも語られてましたね。
重心の話は興味深いですね。たしか、ケニーロバーツも重心は高いほうが良いみたいなことをインタビューで言ってたような気がします。ずいぶん昔のことですが。
89NSRってシーズン入ってからもエディがフレームをゴテゴテ補強してましたよね。 あれってはっつぁん的にはどつだったんだろう?エディがもう一年ホンダに居ればホンダもはっつぁんのありがたみがもっと身に染みて解ったんじゃないかなぁ
申し訳ないがケツが4つに がメッチャウケてしまいました🤣
素人意見ですみませんがSP400やらRS125やらなんやら色々乗って才能ないのがわかって趣味でTZM50でミニバイクレースやってた時にシートレールに下駄かましてシート高を高くしたのを思いましました😂サスも硬めにしてピッチングを抑えないと乗り難かったんですが同じくらいのタイムで走る友人が僕のバイクに乗ってみたいと言うのでスワップして乗ってみたのですがサスはブヨンブヨンな上にシート高が低いと言うか全体的に低いのも相まって限界まで試すのが怖かったのを思い出しました。乗りやすさで言うなら友人のNSRかもしれないけれど限界まで探るには分かり難いと思いました。友人は僕のTZMは硬くて乗れないと言ってましたが(笑)それでもNSRで僕と変わらないタイムで走っていたので良くあのバイクでタイムが出せるなと感心していました。以上素人酔っ払いの独り言です(笑)
30分があっという間でした(おもしろすぎ~
今のホンダ車世界GPマシンが低迷してる訳が分かりますか?お願いだから速いマシンを開発してくれ~ホンダもヤマハも勝てない!!
ホッケンハイムじゃなくてニュルブルクリンクGPコースの図では?
ご指摘ありがとうございます。ニュルブルクリンクですね。
なぜアーブさんは89に一杯補強したか知りたいです。岡田さんとNSR対談見たいです。
待ってました!!!😊😊😊😊1番乗り~
84型NSRの問題点は上部のチャンバーに亀裂が入る事や、フレディがストレートを走行中にホイールが割れて吹き飛ばされた事がありましたよね。その事が原因で84型NSRに自信が持てなくなりフレディは84年にNSRとNSを使い分けていたと記憶しております。 HRCとしてもそういう所はあまり触れてほしくないんですかね? 89年WGPでNSRに乗っていたE・ローソン選手、W・ガードナー選手、M・ドゥーハン選手、P・Fキリ選手の車体なども詳しく知りたいです。次回のお話しも楽しみにしています。
メーカーの人は誰も観てないので、思いっ切り独り言お願いします。テストライダーに「辞めてくれ」の件は吹き出してしまいました。晩飯時は危ないと悟りました🤣
いよいよ例の「革命的なエンジン」が出て来るわけですね
低重心のマシンを作ろうとした理由は、ダートトラック出身のフレディーやケニーのイメージがあるからじゃないかな?HRCのテストライダーって車内チームのブルーヘルメットや鈴鹿レーシングの連中では?89年型でエディー・ローソンのオーダーが出てこないけど。
88の重心、ローリングセンターを上げて、運動性能が実質上がったのが89という感じですね。エンジンは、いよいよ位相同爆が出てくるのかな?ひょっとすると、インジェクション仕様も、テストが始まってくるころですかね? 次回のお話も、楽しみにしています。
コースの図面がニュルブルクリンクになってます。
11:29 2輪の超高速コーナーってものすごい直線Gでライダーが全身で曲げなければならないが、4輪レーシングマシンはステアリング操作だけで車体がGを全て吸収して曲がるので、確かに大きな違いですよね。同じことを某国際ライダーさんが動画で語っておられました。
89年型NSR500 ハンドリングの問題と格闘しながらタイトルを取るまでに改善していったのは、エデイーローソンのおかげだと思っていましたがその影には、ハッチが関わっていたんですね。
いや全部エディとアーブの功績。
ケニーさんの言葉を本で読んだ事があるんですけどハンドルは高めでステップは低めでと言われてました🙋
長くないです。どの話も濃くてあっという間です。どんなに長くなろうと出来るだけ省かないで聞きたいです。バージェスさんは遅い社内テストライダーは迷惑ってHRCに言うと角が立つから、俺もテストライダーになる!って言って八代さんを使って言わせましたね!
84年型NSR凄っげ ー熱くてヤダー🥵て言ってませんでしたか🤭
重心高の話のところで、私がオートバイに興味を持ち始めた50年位前に読んだ「オートバイの本(影山克三著)」の中で、重心の高低で操安特性がどのように変わるのか・・・なんてことが書かれていた(詳しい内容は忘れた)のを思い出しました。「テストライダーが10~20秒(少し話盛ってるとは思うけど)遅い」のところでテストライダーってどんな人が走らせたんでしょうね?例えばテストライダー系の社内クラブで当時のA級250やTT-F1のランキング上位の人達とは違うんですかね?どうして85年型TZを買ったというのをもうちょっと詳しく聞きたいな・・・・?
ヤマハが重心を上げたのは「不安定な要素のライダーがコントロールするのだから、重心が高い方がコントロールし易くなる」とか言って居た記憶があります。4輪でも低重心で良いのはノーマルだけで、競技になるとその低重心がアダになってフロント車高を思いっきり上げたら速くなったインプレッサがあります。ナンバー付きの競技なので純然たるレーシングカーとは違いますがね。どんどん車高を下げてデフも足回りもガチガチになったクルマより、フロント車高を高くして動的荷重バランスを決めたクルマの方があっさり速かったです。ホンダはエンジニア中心の革新的技術、ヤマハは人が使いこなせる技術って当時のイメージでした。
若い頃はNSRが最強と思いましたけど、レーサーは恐ろしいマシンだとわかりました。ただ、記憶が正確なら、YAMAHAワークスの平さんが乗りたいバイクのインタビューでNSR500と答えていたのが印象あります。
89年の菅生と言えばエンジンが変わりチャンバーが振り分けになった唯一のマシンかな?吉村さんが加わりローソンがチャンピオンになりマシン作りが変わった1年だと思います
当時片山敬済さんとの絡みはありましたか?
途中で「ホッケンハイム」て言うてました?コース図は「ニュルブルクリンク」でしたネ🎵
確かにレーザーレプリカの’88NSR250Rは低速からトルクがあって扱いやすかったけど、コーナーで曲がらないかったな〜
89.NSR500はアーブカネモトとエディローソンが作り上げたマシーンと認識していますが。八代さんがどこまで関わったのかコメント欲しいです。
菅生っーの話!次回かい。待ち遠しい。はっつぁん、の呼び掛けなので嫌な予感するけどね。
アンチスクワット、大変興味深くお聞きしました。HondaのGPマシン全般、リアブレーキディスクがベンチレイテッドやカーボンにされていたモデルが多かったですよね?。当時は乗るライダーの好みの問題かと思いましたが、今思えば多用しリアタイヤを押し付けていたからでしょうか?。ドゥーハンが怪我があり足首の角度障害でリアのハンドブレーキになりましたが、やはり止まる以上に繊細に操作でき操安に効果的だったとの解釈はあながち間違いではなかったのかも?。ドゥーハンは『あんなもん足がキチンと動けば使わない』とコメントしてましたが(笑)。社員テストライダーの話、もう少しレベルの高いスキルある人達かと思いました(汗)。
うむ 先ずオープニングの走りが凄まじい😊どっかの元GPライダーは話しはヤメて走りでお願いしたいw
CDの棚がボビーコールドウェル!ロマンティックなのね。はっさん
HRCのテストライダーって阿部孝夫さんの事なのでしょうか?国内のホンダのエースライダーだった木下恵二(恵司だったか?)さんよりも格段に遅かったけど、バイク雑誌のご自身のページでワークスマシンのテストを担当されていると書かれていた様な記憶があります。私はバイクレースが好きなだけでマシンの事など何も分からない小僧でしたが、速く走れない人でも速く走れる人を満足させるマシン開発が出来るのか疑問に思っていました。あ、独り言です。
阿部さんは八代さんが入る前にHRCを去っており、社員の飯田浩之さんが担当していた記憶があります。
曲がらない車体89年のエディのリクエストに応えたら、見た目ゴツイフレームシーズン中頃だったような、アンダー対策としてフロント16インチ採用90年型になると、また、フレームが大きくかわる車体造りは、ライダーの感性にあう作り込みをしないといけないから大変ですね
結局どの世界も感覚を伝えるのは、難しいって事ですね~、本間さんも同じ事思ってますよ!
おもしろい
ある程度の速さがないとマシンは作れませんよね🤚🤚🏍️遅い人と速い人ではマシンの挙動が違いますからね😂🤚🏍️遅い人が乗ればどんなマシンもめちゃくちゃ曲がりますからね😂😂😂😂😂😂😂🤚🏍️💨やっぱ本間さんや八代さんが現場にいて開発しないとダメたんですよね😂🤚🏍️🏍️💨💨💨
ちょっと息抜き企画で荘 利光さんをお招きして管楽器セッションとか、ざっくばらんに設計者は何にも分かっちゃいねーよ!みたいな歓談して欲しいですw
毎回めちゃ面白いです。もう今のmotogpも乗っちゃって下さい!何とかして下さい!別のTH-camされてる方が3億でテストライダーしますよって言ってますが2人で何とかして下さい!
メーカーのテストライダーとその関係者からは良く思われないでしょうね。全く畑違いの業種で仕事でケースが違う事を思い出しました。でも、それをしないと(上申しないと)組織としても良くならないし、八代さんの場合だと勝てる車体が作れないのは良く分ります。
う〜ん、何というか・・最初から常識を疑って、理想点から設計を起こしていくというか、現場は違っても市販車のMVXと同じ様な " ボタンのかけ違え " からスタートしちゃったんですかねぇ" かけ違えない場合は無敵 " なのはホンダらしいと言えば、とてもらしいですけども。
3番乗り〜😂🤚🏍️🏍️🏍️💨💨💨
うちの嫁さんが文句言うんです、最近のJsportsSBKが面白くないって。いつになったら解説に復帰してもらえるのでしょうか?Jsportsに問合せしたら、今の所未定ですのと切れの悪い回答でした。Jsportsさん、分かってないなあ〜!
全く同感です!八代さんのレース解説もさることながら、パドック解説が面白いのにねぇ「彼はファイターなんですよ」「彼女はデータロガーのエンジニアなんです」「今のは○○選手の彼女ですね」とかある時の8耐で「ボーっと走ってんじゃねぇよ!って感じですね!」でチコちゃんを知ったクチですww
ウチも同感です八代さんと坂田さんの解説は予言みたく当たりますよね✨
いつも楽しく拝見してます✋当時HRCってこうやってマシンを作っていくんだ!なるほどって見てました😊死ぬまでに1度でいいからNSR500乗ってみたいです😅th-cam.com/video/3GPnAWEz6pk/w-d-xo.htmlsi=iKy8kyJrkVXhccM6
ホンダらしい独善的な思い上がりをマンパワーと資金でごり押しして成功したのがNSでそれでも失敗したのがNRだと思ってます
ホッケンハイムじゃなくて、ニュルブルクリンクですね(;^_^A
'89NSR500は大失敗作だと今でも感じます。初見は「シート(ステップ)が高過ぎる」でしたが、鈴鹿でのガードナーのコーナーでの違和感。何であんなマシンにしたのか本当に理解不能です。
なっかなか本題に行かないなあ
SUGOの旧4コーナーとかもF3マシンだと全開で入って行きましたね😂🤚🏍️💨そして5コーナーまで急激な下りだからマシンがバラバラになるんじゃないか🏍️⁉️と思うくらい振られましたね😂😂😂😂😂😂😂🤚🏍️💨💨💨
フレディーやエディーと交流があったか知りたかったな。
話みじかい😂
マイペースで、、、
話が途中でブッた切ってもいいので、15分×2回にして下さい。
84年の開幕戦、南アフリカのキャラミでフレディの乗ったNSR500のカーボンホイールが割れて転倒した記憶があります。84年はNS500と併用してたんですよね。
30分で収まらない時は1時間でも良いんですよ😊
1980年代に学生だった私は毎年違うコンセプトで出て来るホンダのバイクが不思議で仕方なかったのですが、今なら深く腑に落ちます。
とっても楽しいです。
いや~本当に深くて面白い話で観ていてあっという間に時間が過ぎます。
次回も期待大ですね!
個人的に重心位置の話をもっと聞きたかったです。
この年から125のサポートで鈴鹿・ドニントン・アンダーストープに行きました、ヨーロッパではワークスのピットでしっかりNSRの変化を見れました。
八代さん、楽しい配信をありがとうございます!!今後の企画で「現行MOTO-GP日本車の不振を、独り言」を検討して下さい!どうぞよろしくお願いします(笑)
お疲れ様です!
大変興味深く拝見しました。
次も楽しみにしています。
このエピソードを心待ちにしてました!ありがとうございます。
❤ワクワクがとまらないです!次が楽しみ‼️
タメの深さが面白いです
いつもありがとう御座います
毎回楽しみです
84年型はスペンサーも手を焼いたというマシンですね。
最下部にあるガソリンタンクのせいで加減速時やレース序盤と終盤で操縦性の変化が大きく(スペンサー談だったかな?)乗りにくいマシンだったとレース誌で読んだ記憶があります。
テストライダーのくだり、確かにそうですよね納得です。
今回も面白かったです。
NSR250が丸太ん棒については岡田選手もまんま同じこと言ってましたね(笑)
RS250?を試した原田選手も同様に言っていたので同じなのですね。
ヤマハ車は長身の選手がつま先立ちになるほど重心が高かったですね(幅も広いのですが)、市販車も同じ印象です。
9:08
こりゃ、ホッケンハイムじゃなくてニュルブルクだね。
毎回、、
独り言にワクワクします~😂
次回もめちゃ楽しみで、
待ち遠しぃ〰️ー🎉🚀
段々と乗ってきましたね、ホンダのマシンは丸太の様だと岡田さんも何かのインタビューで言ってましたね、次回が楽しみです。
84のNSRのタンクは、
鉄工所の友達が唸ってましたよ。
図面通りに作る自信ないし、
そもそも図面あんのか?これ、とか
言ってました。
それにしても、あっという間の楽しい話。早送りなしでいつも聞いてしまう。一般人にはワクワクする内容
本当に30分経った?10分ほどに感じる!八代さんの話が面白いのよ!私も1時間ぐらいが丁度いいが30分で区切る事情があるんでしょうね。
八代さん、宮城さんがいた頃のモリワキの強さの一端はこの方を森脇さんが本当に信頼してからなんだなぁってのがわかったような気がするチャンネルです。
それにしても懐かしい話ばかり。レースで勝つというのは総合力。
勝ち続けることの難しさがホントによくわかる話です。
現在MotoGPでホンダが苦戦してるのはマルケスと心中しちやったことの反動なんでしょうかね?
89型好きなんですがボテッとしたというかちょっと太った?って当時思ってました
バリ伝でも後半の主役機なので連載時初登場で大興奮した思い出
私は、88〜90年のNSR250は、すごいなぁと、思ってました。
市販車、RK、RS250、RS250+キットパーツ、ワークスマシンと、兄弟車両というのに、基本設計の凄さを感じてました。
当時YAMAHAは車体のレイアウトがキレイというかスマートなのに、HONDAは同じV4なのに何で「やりくり大変チャンバー」なんだろう?って思ってました。
ホンダの開発ライダーといえば
阿部孝夫選手と思っていましたが
確か1988年位からRS誌で辛口トークを執筆していたのを思い出し、
入れ替わりで八代さんが開発ライダーとなられていたんですね。
YAMAHAでは開発ライダーという言葉を昔から語られていましたから1960年代に活躍していた本橋さんが1970年代でも開発ライダーをやっていたり、金谷さん高井さん片山さんシャケさん浅見さん平さん難波さん…脈々と継承されていくイメージとは対照的ですね。
ホンダ社内は11年間 GP撤退していたからYAMAHAやSUZUKI(3年位休止有りましたが)に比べて技術伝承が困難だったのかな?
社内テストライダーの件はびっくりしました。
エディのコメントではホンダは私が言ったことは何でも叶えてくれる的なニュアンスだったから、相手の地位によって対応が違うんだなぁと感じました。
レースという限界ギリギリが当然で、かつそれを超える中で勝利を目指してきたライダーを前に「そうかなあ?」とか「何言ってんだ」とか、幾ら作っている立場といえ、開発側は一体何の経験が有って安易に疑問や否定を持ち出して来たのでしょうね。
やはり「何でも自分達が一番わかっているんだ」的な驕りが当時のホンダに有ったのでは。
待ってました
面白すぎます.
等速再生で飽きないコンテンツは当方のUtube視聴史上初めてかも.
ジェレミーバージェス辺りは特に!
高校の同級生が味の素テラカラーの清水雅弘でした
まじで😱⁉️
ビックリ日本新記録!
波乗りチャンピオンに
輝いた清水さん!
ちょうど今、もてぎのmotoGP開催中で協賛行事として過去のGPマシンのエンジン掛けをやっていて89年NSRの起動を宮城光さんの解説で行っている動画出てますね~確かに宮城さんも89NSRは等爆でモーターのように回るけど凄いピーキーと言っていてました。
例の「はっつぁん・・」とくると、また面倒事が来るな?!と身構えますね(笑)
87〜89、てっきりガードナーのリクエスト通りに作っていたのかと思ったら、かなり八代さんの意見が導入されていたんですね!開発能力が評価されていたのでは。そのベースがあったから、エディも89を改良してチャンプになれたのでは。
いつも楽しく観させていただいてます。ローソンとガードナーの、乗り方の違い、セッティングの違いを、是非、お聞かせください。お願い致します😊。
それは私も気になっていた
90年前半にTZ250乗りの人が、自分のRS250Rに乗ったら、丸太みたいって言われたのを思い出しました。www
この時代の市販車もホンダは重心が低く、ヤマハは高い上シッティングポイントも高めだった印象があります。RZ350Rなどは倒し込みのキッカケがつかみやすかったです。
ホンダ車ばかり乗っていた私は、コーナー手前で減速しない程度にブレーキをあて、体はイン側にオフセットし車体を傾ける姿勢を取りますが、ブレーキを当てているので車体は起き上がったまま。倒し込みポイントでブレーキをリリースすると、既にイン側に体重を乗せていたからスパーンとバンクする。そうやって遊んでいました。
88年のドイツGPはニュルブルクリンクのGPコースでの開催で、八代さんの振り返るコースの様子やコース図もニュルGPコースのそれだったので、ホッケンハイムをニュルブルクリンクに脳内変換しつつ視聴しました。
タメが大事、というのはシャケさんも語られてましたね。
重心の話は興味深いですね。たしか、ケニーロバーツも重心は高いほうが良いみたいなことをインタビューで言ってたような気がします。ずいぶん昔のことですが。
89NSRってシーズン入ってからもエディがフレームをゴテゴテ補強してましたよね。 あれってはっつぁん的にはどつだったんだろう?
エディがもう一年ホンダに居ればホンダもはっつぁんのありがたみがもっと身に染みて解ったんじゃないかなぁ
申し訳ないが
ケツが4つに がメッチャ
ウケてしまいました🤣
素人意見ですみませんがSP400やらRS125やらなんやら色々乗って才能ないのがわかって
趣味でTZM50でミニバイクレースやってた時に
シートレールに下駄かましてシート高を高くしたのを思いましました😂
サスも硬めにしてピッチングを抑えないと乗り難かったんですが
同じくらいのタイムで走る友人が僕のバイクに乗ってみたいと言うので
スワップして乗ってみたのですがサスはブヨンブヨンな上に
シート高が低いと言うか全体的に低いのも相まって
限界まで試すのが怖かったのを思い出しました。
乗りやすさで言うなら友人のNSRかもしれないけれど
限界まで探るには分かり難いと思いました。
友人は僕のTZMは硬くて乗れないと言ってましたが(笑)
それでもNSRで僕と変わらないタイムで走っていたので
良くあのバイクでタイムが出せるなと感心していました。
以上素人酔っ払いの独り言です(笑)
30分があっという間でした(おもしろすぎ~
今のホンダ車世界GPマシンが低迷してる訳が分かりますか?
お願いだから速いマシンを開発してくれ~
ホンダもヤマハも勝てない!!
ホッケンハイムじゃなくてニュルブルクリンクGPコースの図では?
ご指摘ありがとうございます。ニュルブルクリンクですね。
なぜアーブさんは89に一杯補強したか知りたいです。岡田さんとNSR対談見たいです。
待ってました!!!😊😊😊😊
1番乗り~
84型NSRの問題点は上部のチャンバーに亀裂が入る事や、フレディがストレートを走行中にホイールが割れて吹き飛ばされた事がありましたよね。その事が原因で84型NSRに自信が持てなくなりフレディは84年にNSRとNSを使い分けていたと記憶しております。 HRCとしてもそういう所はあまり触れてほしくないんですかね? 89年WGPでNSRに乗っていたE・ローソン選手、W・ガードナー選手、M・ドゥーハン選手、P・Fキリ選手の車体なども詳しく知りたいです。
次回のお話しも楽しみにしています。
メーカーの人は誰も観てないので、
思いっ切り独り言お願いします。
テストライダーに「辞めてくれ」の件は吹き出してしまいました。晩飯時は危ないと悟りました🤣
いよいよ例の「革命的なエンジン」が出て来るわけですね
低重心のマシンを作ろうとした理由は、
ダートトラック出身のフレディーやケニーのイメージがあるからじゃないかな?
HRCのテストライダーって車内チームのブルーヘルメットや鈴鹿レーシングの連中では?
89年型でエディー・ローソンのオーダーが出てこないけど。
88の重心、ローリングセンターを上げて、運動性能が実質上がったのが89という感じですね。
エンジンは、いよいよ位相同爆が出てくるのかな?ひょっとすると、インジェクション仕様も、テストが始まってくるころですかね? 次回のお話も、楽しみにしています。
コースの図面がニュルブルクリンクになってます。
11:29 2輪の超高速コーナーってものすごい直線Gでライダーが全身で曲げなければならないが、4輪レーシングマシンはステアリング操作だけで車体がGを全て吸収して曲がるので、確かに大きな違いですよね。同じことを某国際ライダーさんが動画で語っておられました。
89年型NSR500 ハンドリングの問題と格闘しながらタイトルを取るまでに改善していったのは、エデイーローソンのおかげだと思っていましたがその影には、ハッチが関わっていたんですね。
いや
全部エディとアーブの功績。
ケニーさんの言葉を本で読んだ事があるんですけど
ハンドルは高めでステップは低めで
と言われてました🙋
長くないです。どの話も濃くてあっという間です。どんなに長くなろうと出来るだけ省かないで聞きたいです。バージェスさんは遅い社内テストライダーは迷惑ってHRCに言うと角が立つから、俺もテストライダーになる!って言って八代さんを使って言わせましたね!
84年型NSR
凄っげ ー熱くてヤダー🥵
て言ってませんでしたか🤭
重心高の話のところで、私がオートバイに興味を持ち始めた50年位前に読んだ
「オートバイの本(影山克三著)」の中で、重心の高低で操安特性がどのように変わるのか
・・・なんてことが書かれていた(詳しい内容は忘れた)のを思い出しました。
「テストライダーが10~20秒(少し話盛ってるとは思うけど)遅い」のところで
テストライダーってどんな人が走らせたんでしょうね?例えばテストライダー系の
社内クラブで当時のA級250やTT-F1のランキング上位の人達とは違うんですかね?
どうして85年型TZを買ったというのをもうちょっと詳しく聞きたいな・・・・?
ヤマハが重心を上げたのは「不安定な要素のライダーがコントロールするのだから、重心が高い方がコントロールし易くなる」とか言って居た記憶があります。
4輪でも低重心で良いのはノーマルだけで、競技になるとその低重心がアダになってフロント車高を思いっきり上げたら速くなったインプレッサがあります。
ナンバー付きの競技なので純然たるレーシングカーとは違いますがね。
どんどん車高を下げてデフも足回りもガチガチになったクルマより、フロント車高を高くして動的荷重バランスを決めたクルマの方があっさり速かったです。
ホンダはエンジニア中心の革新的技術、ヤマハは人が使いこなせる技術って当時のイメージでした。
若い頃はNSRが最強と思いましたけど、レーサーは恐ろしいマシンだとわかりました。ただ、記憶が正確なら、YAMAHAワークスの平さんが乗りたいバイクのインタビューでNSR500と答えていたのが印象あります。
89年の菅生と言えばエンジンが変わりチャンバーが振り分けになった唯一のマシンかな?
吉村さんが加わりローソンがチャンピオンになりマシン作りが変わった1年だと思います
当時片山敬済さんとの絡みはありましたか?
途中で
「ホッケンハイム」て言うてました?コース図は「ニュルブルクリンク」でしたネ🎵
確かにレーザーレプリカの’88NSR250Rは低速からトルクがあって扱いやすかったけど、コーナーで曲がらないかったな〜
89.NSR500はアーブカネモトとエディローソンが作り上げたマシーンと認識していますが。八代さんがどこまで関わったのかコメント欲しいです。
菅生っーの話!次回かい。待ち遠しい。
はっつぁん、の呼び掛けなので嫌な予感するけどね。
アンチスクワット、大変興味深くお聞きしました。HondaのGPマシン全般、リアブレーキディスクがベンチレイテッドやカーボンにされていたモデルが多かったですよね?。当時は乗るライダーの好みの問題かと思いましたが、今思えば多用しリアタイヤを押し付けていたからでしょうか?。ドゥーハンが怪我があり足首の角度障害でリアのハンドブレーキになりましたが、やはり止まる以上に繊細に操作でき操安に効果的だったとの解釈はあながち間違いではなかったのかも?。ドゥーハンは『あんなもん足がキチンと動けば使わない』とコメントしてましたが(笑)。社員テストライダーの話、もう少しレベルの高いスキルある人達かと思いました(汗)。
うむ 先ずオープニングの走りが凄まじい😊
どっかの元GPライダーは話しはヤメて走りでお願いしたいw
CDの棚がボビーコールドウェル!ロマンティックなのね。はっさん
HRCのテストライダーって阿部孝夫さんの事なのでしょうか?国内のホンダのエースライダーだった木下恵二(恵司だったか?)さんよりも格段に遅かったけど、バイク雑誌のご自身のページでワークスマシンのテストを担当されていると書かれていた様な記憶があります。私はバイクレースが好きなだけでマシンの事など何も分からない小僧でしたが、速く走れない人でも速く走れる人を満足させるマシン開発が出来るのか疑問に思っていました。あ、独り言です。
阿部さんは八代さんが入る前にHRCを去っており、社員の飯田浩之さんが担当していた記憶があります。
曲がらない車体
89年のエディのリクエストに応えたら、見た目ゴツイフレーム
シーズン中頃だったような、アンダー対策として
フロント16インチ採用
90年型になると、また、フレームが大きくかわる
車体造りは、ライダーの感性にあう作り込みをしないといけないから大変ですね
結局どの世界も感覚を伝えるのは、難しいって事ですね~、本間さんも同じ事思ってますよ!
おもしろい
ある程度の速さがないとマシンは作れませんよね🤚🤚🏍️遅い人と速い人ではマシンの挙動が違いますからね😂🤚🏍️遅い人が乗ればどんなマシンもめちゃくちゃ曲がりますからね😂😂😂😂😂😂😂🤚🏍️💨やっぱ本間さんや八代さんが現場にいて開発しないとダメたんですよね😂🤚🏍️🏍️💨💨💨
ちょっと息抜き企画で荘 利光さんをお招きして管楽器セッションとか、ざっくばらんに設計者は何にも分かっちゃいねーよ!みたいな歓談して欲しいですw
毎回めちゃ面白いです。もう今のmotogpも乗っちゃって下さい!何とかして下さい!別のTH-camされてる方が3億でテストライダーしますよって言ってますが2人で何とかして下さい!
メーカーのテストライダーとその関係者からは良く思われないでしょうね。
全く畑違いの業種で仕事でケースが違う事を思い出しました。
でも、それをしないと(上申しないと)組織としても良くならないし、八代さんの場合だと勝てる車体が作れないのは良く分ります。
う〜ん、何というか・・
最初から常識を疑って、理想点から
設計を起こしていくというか、現場は違っても市販車のMVXと同じ様な " ボタンのかけ違え " からスタートしちゃったんですかねぇ
" かけ違えない場合は無敵 " なのはホンダらしいと言えば、とてもらしいですけども。
3番乗り〜😂🤚🏍️🏍️🏍️💨💨💨
うちの嫁さんが文句言うんです、最近のJsportsSBKが面白くないって。いつになったら解説に復帰してもらえるのでしょうか?Jsportsに問合せしたら、今の所未定ですのと切れの悪い回答でした。Jsportsさん、分かってないなあ〜!
全く同感です!
八代さんのレース解説もさることながら、パドック解説が面白いのにねぇ
「彼はファイターなんですよ」「彼女はデータロガーのエンジニアなんです」「今のは○○選手の彼女ですね」とか
ある時の8耐で「ボーっと走ってんじゃねぇよ!って感じですね!」でチコちゃんを知ったクチですww
ウチも同感です
八代さんと坂田さんの解説は
予言みたく当たりますよね✨
いつも楽しく拝見してます✋
当時HRCってこうやってマシンを作っていくんだ!なるほどって見てました😊
死ぬまでに1度でいいからNSR500乗ってみたいです😅
th-cam.com/video/3GPnAWEz6pk/w-d-xo.htmlsi=iKy8kyJrkVXhccM6
ホンダらしい独善的な思い上がりをマンパワーと資金でごり押しして成功したのがNSでそれでも失敗したのがNRだと思ってます
ホッケンハイムじゃなくて、ニュルブルクリンクですね(;^_^A
'89NSR500は大失敗作だと今でも感じます。初見は「シート(ステップ)が高過ぎる」でしたが、鈴鹿でのガードナーのコーナーでの違和感。何であんなマシンにしたのか本当に理解不能です。
なっかなか本題に行かないなあ
SUGOの旧4コーナーとかもF3マシンだと全開で入って行きましたね😂🤚🏍️💨そして5コーナーまで急激な下りだからマシンがバラバラになるんじゃないか🏍️⁉️と思うくらい振られましたね😂😂😂😂😂😂😂🤚🏍️💨💨💨
フレディーやエディーと交流があったか知りたかったな。
話みじかい😂
マイペースで、、、
話が途中でブッた切ってもいいので、15分×2回にして下さい。