- 33
- 710 812
突っ込みハッチの独り言
Japan
เข้าร่วมเมื่อ 3 ก.พ. 2024
モーターサイクルジャーナリストの八代俊二です。バイク業界に関わること40数年。
テストライダーから始まりワークスライダーを経てジャーナリストに転身。
業界の裏の裏まで知り尽くした男の愉快な話をお楽しみあれ。
テストライダーから始まりワークスライダーを経てジャーナリストに転身。
業界の裏の裏まで知り尽くした男の愉快な話をお楽しみあれ。
「突っ込みハッチの独り言」 1989年型NSR500 マシン解説
1989年、NSR500はタイトルを獲得した。ライダーはホンダに移籍してきたエディー・ローソン。アーブ金本とタッグを組んだローソンはシーズンが進むに連れ、速さと強さを発揮。シリーズ終盤にレイニーを逆転し、移籍一年目でタイトルを獲得するという離れ技をやってのけた。巷では、NSR500大躍進はローソンによってもたらされたものだという噂話で持ちきりだった。‘89年型NSR500大躍進の真実とは。その秘密が今、明かされる。
มุมมอง: 19 940
วีดีโอ
「突っ込みハッチの独り言」 ‘89年シーズン後半
มุมมอง 21Kวันที่ผ่านมา
前回、‘89年型NSR500のことをつぶやくと言いながら、話が二転三転して、当初の予定通りに話を完結できなかったので、今回は時系列でシーズンの流れを追いながら’89年型NSR500についてつぶやきます。果たして、ちゃんとゴールに辿り着けたのか、乞うご期待です。 #nsr500 #ロードレース #hrc #八代俊二 #つぶやき #独り言
「突っ込みハッチの独り言」 大型化した’89年型NSR500 の秘密
มุมมอง 29K14 วันที่ผ่านมา
全日本選手権に参戦しながらマシン開発に関わることになった八代は、さっそく‘89年型NSR500のテストに着手した。 #八代俊二 #nsr500 #hrc #ロードレース世界選手権 #突っ込みハッチの七転び八起き
「突っ込みハッチの独り言」 謎を解明‼︎ NS&NSR500の系譜
มุมมอง 28K14 วันที่ผ่านมา
‘88年に世界GPから撤退することになった八代は、翌‘89年から国内に戻り、全日本ロードレースに参戦しながらマシン開発に携わることになった。 ‘89年型NSR500とは、如何なるマシンなのか? その疑問に答える前に、500ccに転向後八代が乗り継いで来たNSや NSRを通して、500ccマシンとは如何なるものなのか? また‘89年型NSR500は何を目標に開発されたマシンなのか、その背景と経緯を解き明かす。 #nsr500 #HRC #ロードレース #八代俊二 #世界GP
突っ込みハッチの独り言 戦いの場は世界GPから全日本ロードレース選手権へ
มุมมอง 19K21 วันที่ผ่านมา
フランスGPで負った怪我の影響で、世界GPから撤退せざるを得なくなった八代は、翌‘89年は戦いの場を世界GPから全日本ロードレース選手権に移すことになった。マシントラブルに見舞われた’88年、海外にいたのでは、トラブルに素早く対応出来ないことを痛感した八代は、マシン開発を円滑に進める為に心機一転、全日本ロードレース選手権に集中することに。 #世界gp #automobile #hrc #motogp #八代俊二 #gp500 #nsr500
「突っ込みハッチの独り言」 強制終了で終わった世界GP参戦
มุมมอง 28Kหลายเดือนก่อน
ワークス参戦2年目の飛躍を期して‘88年シーズンに臨んだ八代だったが、自らお願いしたマシン改良が期待通りの成果を収められないどころか、チーム全体を混乱に陥れる問題を抱えてしまった上に、開幕前、唯一ニューマシンのテストが計画されていたオーストラリアで、何の前触れもなく利用するはずだったサーキットが閉鎖されるという、前代未聞のトラブルに巻き込まれてしまう。シーズン開幕前からトラブルに見舞われた続けた八代の’88年シーズンは、どのように展開していくのか。これまで語られることがなかった事実が今、明かされる。 #世界gp #hrc #nsr500 #ロードレース #ロスマンズ
「突っ込みハッチの独り言」 ’87年オフに起こった驚きの出来事
มุมมอง 16Kหลายเดือนก่อน
‘87年シーズンを尻上りに終えた八代は、翌’88年の飛躍を期して、契約更改に臨んだ。契約更改に際して八代が要求した案件は2つ。マシンの改良とチーム体制の強化だった。どちらもすんなり受け入れられるものだと楽観視していた八代だったが、帰って来た答えは期待を裏切るものだった。八代が失望した契約更改の中身とは・・・。 #nsr500 #世界gp #hrc #八代俊二
「 突っ込みハッチの独り言」 終わり良ければ全て良し! 尻上りに好成績を残せるようになった‘87年シーズン後半。
มุมมอง 18Kหลายเดือนก่อน
予選の速さをレース結果に結び付けられなかった前半戦から、鈴鹿8時間耐久レースを経て臨んだ後半戦では、予選の順位に拘らなくなった結果、平常心でスタートに臨むことができるようになり、スタートで出遅れることがなくなった。シーズン終盤の南米シリーズでは、フロントローからスタートを切ると自己ベストを更新。最終戦のアルゼンチンでは、表彰台を視界に捉える4位でゴールした。後半戦;で急上昇した八代の戦いぶりとは。 #世界GP #hrc #八代俊二 #nsr500 #ロードレース
突っ込みハッチの独り言 ロスマンズホンダの一員として世界GPに参戦
มุมมอง 20Kหลายเดือนก่อน
‘87年にHRCへ移籍した八代は、ロスマンズホンダの一員として世界GPへの参戦を開始するが、‘86年シーズン終了後に負った鎖骨骨折の回復が遅れ、ライディングを始められたのは、開幕直前のオーストラリアテストからだった。始動は遅れたものの着実にテストをこなし、順調に速さを取り戻していった八代は予選でフロントローに並ぶ速さを見せるものの、決勝では芳しい結果を残せずにいた。シリーズ前半、八代が結果を残せなかった原因とは。 #世界gp #八代俊二 #ロードレース #ロスマンズ #HRC
突っ込みハッチの独り言 ついにモリワキからHRCへ
มุมมอง 29Kหลายเดือนก่อน
500ccへ転向後、本人の意思とは関係のないところで事態が急展開し、心身ともに疲弊した八代は、レースに対するモチベーションを失ってしまう。何とか世界GP参戦を終わらせ、気分転換の為に一日も早く休暇に入りたかったのだが、八代を待っていたのは、波乱の1986年を象徴するような不運の連鎖だった。シーズン最終盤に八代を襲った不運とは。 #八代俊二 #世界GP #ロードレース #hrc #モリワキ
突っ込みハッチの独り言 マニアックな視点から切る、鈴鹿8時間耐久ロードレース 素速いピットワークの為に費やす技術とは。
มุมมอง 12K2 หลายเดือนก่อน
今年も開催された鈴鹿8時間耐久ロードレース。結果は皆さん, 既にご存知の通り。今さら、レースレポートなんてかったるくて、やってられない。というわけで今回は、耐久レースには不可欠なピットワークについてのおはなしです。レース界の裏側が垣間見える独り言をお楽しみあれ。 #鈴鹿8耐 #ロードレース #八代俊二 #世界GP #ピットワーク
突っ込みハッチの独り言 インプレ第2弾 DUCATI Desmosedici RR
มุมมอง 16K2 หลายเดือนก่อน
現在、MotoGPで最強の呼び声高いDUCATI。 そのDUCATIがMotoGP参戦を記念して市販したのが、Desmosedici RRだ。2006年のワークスマシンをベースに製作されたDesmosedici RR とは、いったいどのようなマシンだったのか。紆余曲折を経て、ようやく実現した、オーストラリアのフィリップアイランドサーキットでの試乗。Desmosedici RR に対する八代のインプレッションとは? # 突っ込みハッチ # motogp # desmosedici RR #ducati #automobile #automobile #八代俊二 #インプレ
突っ込みハッチの独り言 疑問&質問に答えます2️⃣ノ2
มุมมอง 14K2 หลายเดือนก่อน
これまでにアップした「独り言」に寄せられた(疑問&質問に答えます2️⃣)の後編。今回は、バイクファンの間で流布されている「◯◯スペシャルなるマシン」は存在しない!という八代の主張と根拠について、と、チームやオートバイメーカーと契約していないのに、どうやって飯を食っていた(生活していた)のか?という素朴な質問にお答えします。業界人だからこそ知っている、メーカーのバイクに対する取り組みや思想、レース業界で食べていくための仕組みや業界の構造、部外者では知りえない業界の裏側についてお話しします。 #八代俊二 #レーシングライダー #突っ込みハッチの七転び八起き #NSR500 #HRC #WGP #テールスライド
突っ込みハッチの独り言 疑問&質問に答えます①
มุมมอง 15K3 หลายเดือนก่อน
これまでにアップした動画に寄せられた疑問&質問に、お答えします。 先ずは、意外にも一番問い合わせが多かった、ヘルメットに関する回答から。お楽しみください(^_^) #八代俊二 #ロードレース
「突っ込みハッチの独り言」 飛んで火に入る夏の虫
มุมมอง 22K3 หลายเดือนก่อน
体調不良により緊急帰国したが、処方された薬の効果で劇的に体調が回復した八代は、鈴鹿8耐に参戦し,過去最高の成績を収めたが、想いは複雑だった。そのまま世界GPに復帰し、翌週のイギリスGPに参戦することになった八代だったが、彼を待ち受けていたのは予想もできない事件の連続だった。
シーズンオフに掛かってきた一本の電話とカルチャーショックの連続‼︎ 初めての海外遠征
มุมมอง 20K7 หลายเดือนก่อน
シーズンオフに掛かってきた一本の電話とカルチャーショックの連続‼︎ 初めての海外遠征
八代さん、ホンダさんには、ホンダさんの流儀が、あるんですね。当時の話し、とても面白いです。僕は、ヤマハファンですが、八代さんの活躍は、ライディングスポーツで、確認してました。その頃の、お話、大変面白く、独り言として聞かせていただいています。当時は、悔しかっただろうなあーと。親善大使じゃないは。名台詞ですね。また、次もお聞かせ下さい。ありがとうございます。
90がどんな仕様でメカとかのチーム体制も気になってます。92以降ごろドゥーハン、ノリックがリーンアウトで乗れてた車体をどう見てたかも聞きたいです
洋梨事件を思い出すのはぼくだけか?(ライディングスクールでの八代さんの講演会より)
本を読み動画で当時のレースを見てレーサーズを読みを繰り返しています。89SUGOと最終戦TUKUBAの話を楽しみにしてます!
本間俊彦さんが取り上げてますよ あまり良い取り方ではないですが やり合うのでは無くコラボは出来ないですか?
タイトルと違う とりとめの無い話し好きです😊 八代さんの本音が聞けて楽しいですよ。 オフ会楽しみです!
ということはオーリンズを買ったとしてもリンクが対応してないとダメってことなのかな
超おもろい
13:12 幽体離脱
おもしろい
何年か前、ホンダの開発関係者の方から聞いた話ですが、当時のホンダはストレートで抜けると市販車の売り上げが伸びるとの事で直線番長的なバイクにしたようです。多分、八代さんが乗ってた頃の話しだと思います。 今では考えられないような開発手法ですね。 計画通りオーストラリアでテスト出来てGPまでに改善されていたら八代さんは、優勝とか表彰台があってレース人生が変わっていたでしょうね。
後ろに見えている『突っ込みハッチの七転び八起き』、ネットでは電子書籍しか探せなかったので ダメ元で近くのTSUTAYAで聞いてみると、すぐ近くの別のTSUTAYAに1冊在庫があるとの事で早速 ゲットしてきました。これからじっくり読ませて頂きます!
当時の情報は新聞で結果だけ見たり遅れて雑誌で内容でした。 あと少しで表彰台!だったのに色々上手く行かない理由があったのですね。 それにしてもホンダは、残念な会社です。
余談が面白いんですよね笑 こぼれ話っていうか。気にせずどんどん話して欲しいです。
その頃、四輪のツーリングカーレースのメカニックをしてました。使ってたMk.-Vというレコーダー、データロガーを使ってましたが、確かに2輪で使うには車両側に設置するもんじゃなかったですね、デカくて。 それでもNが使ってた(恐らく多機能なんてしょうが)ものは、助手席いっぱい使ってましたからコンパクトな方だったと思います。 出力はペンレコという、今考えたら恐ろしくアナログな手法でしたが、冷却系の検討に威力を発揮してました。 所謂ワークスだったので、パーツを作ったらテスト、よければ2輪で言うところのサテライト(とはいえ、ドライバーの選定も含めて運営にメーカーが強く関与している)にパーツを流し、その後カスタマーにも販売、という流れでした。で、サテライトですよ。うちが新しいタマ持ち込んだら必ず気づくドライバーがいて、1セッション走ってダメで外したものでも必ず「よこせ」と言いに来てました。よく言えば、貪欲。アーブさんのお考えは分かりませんが、もしかしたらシーズン末期だったからかもしれませんが、貪欲なサテライトチームのドライバーからしたら、タイム出てるのに使わないのはあり得ない事だったと思います。とりあえずタイム出てるならそれで少しやってみて、ダメなら戻せばいいって感じでした。当時はタイヤテストやら占有やらで走るチャンスが多かったのもありますが。
四輪ラリーで解釈すると、ラリー アート+ MMCからエンジニアスタッフを引っ張っていった某社は、そういうことなんだよね。
この動画のオープニング曲🎶 チョッパーベースが気持ちいいですねぇ😄 気持ちが昂ぶります
件のレース動画見ました。ラストの10%、んん・・言われてみれば失速してるかな、と。 心の優しい八代さん、心の何処かにひっかかっていたんでしょうね。カミングアウトされてよかったと思います。 町井さんはなんでも居酒屋を経営されてるとか、今でもやっていればそこで懺悔大会と同窓会とかいいかもしれませんね(笑) 元レーサーユーチューバー集めて、裏motogp座談会なんてのも見てみたいです。
ここまでワークスの開発経緯を聞ける機会ってなかなかないですね 貴重なお話と素晴らしい貢献ありがとございます!
世界GP500に参戦するトップライダー(ワークスライダー)は鈴鹿8時間耐久レースも掛け持ちするのが一般的でしたが ロスマンズ・ホンダのローソンは 世界GPに専念するためRVF750には乗らなかった? 代わりにガードナーとドーハンがRVF750に乗りラッキーストライク・ヤマハのレイニーはYZF750、ペプシ・スズキのシュワシュワはヨシムラかのGSX-R750に乗って鈴鹿8時間耐久レースに参戦した。
すいません。って言わないで下さい もっと長くても良いですので、まったく問題ないです。 興味深い話が聞けて感謝です。
最近じゃなくて最初から(笑) だから視聴率高い。
ローソンNSRの後ろを走っていたレイニーがコケて、ローソンのチャンピオンが決まる・・・。この時、ローソンはどんどん飛ばしていきレイニーも付いていく。ローソンはアクセルを開けていくタイミングを少しずつ早くし、そして開けてはいけないタイミングで開けたふりをした・・・音だけ代わって加速していない程度。つられたレイニーはそのタイミングでアクセルを開けてハイサイドじゃなかったっけ・・? その時のローソンのコメントが雑誌に載っていたと思うのだが・・・
ローソンのレース巧者っぷりがよく分かる内容ですね。敵にするとこうも怖いものかと。
@@atos4123 あの時はローソンからすると、レイニーは勢いある”新人”なんだね。
いつか、世界転戦時のプライベートの話も聞きたいです。モーターハウスでずっと暮らすのか、ホテルを取ってもらえるのか、HRCの人とかやはり頻繁に来るのか、メカニックの人達はどこで暮らしてるのかとか。聞きたい事が山ほどあります。
元NA250の自分でもセッティングは沼でした IAの世界はもっとスゴいんでしょうね
プロリンクの構造、これだと確かに静止時はフワフワで上下しやすく、走行時はアンチスクワットの発生力でしかバネを縮める方向に 力をかけられないから荷重の奥に行くほど固くなり分かりづらくなりますね。NNリンクは単純にスイングアームの上下運動がバネを伸縮させる入力になるからわかりやすい。サスにまで開発の目が行くとはさすがです。WGPの現場では良いとわかってもデータ不足で使ってもらえなかったのが惜しいところ・・。私の夏休み終盤も高荷重でロックしてまたしたね(笑) NSRのフレームを倒立仕様に進化させたのがエディー。前後サスを作ったのが八代さんであり、後のデータロガー積極導入のきっかけも作られた。89以降のNSRは二人の合作とも呼べますね。今回の話は1分おきに一行感想を書かないとならないくらい濃い話です・・。
th-cam.com/video/UI4Y7-Np7Yw/w-d-xo.htmlfeature=shared
ローソンがホンダに移籍して1年目でタイトル獲得出来たのには、 もちろんローソンのキャリア経験も大きい要素でしたが、 ガードナーが第3戦アメリカGPで負傷した事でローソンが事実上のエースNo.1ライダーになった事と ローソンとヤマハのレイニーとのタイトル争いにスズキのシュワシュワが絡んで三つ巴の戦いになったからと思っていますね? スズキRGV-Γ500も1989年から格段にポテンシャルアップしてホンダNSR500とヤマハYZR500と肩を並べるくらいになりましたから。 ただレイニーもシュワシュワもタイトル獲得未経験で3度世界タイトル獲得したローソンに勝負では負けてしまいました。
すいません‼️ コメント文章入力間違ってシュワシュワと書き込んでしまいましたが シュワンツが正しいです‼️大変申し訳ありませんでした‼️ ローソンNSR500とレイニーYZR500とシュワンツRGV-Γ500による米国🇺🇸アメリカンライダーによる三つ巴です‼️
大きなメーカーでも結構やらかしますよね・・・。個人的には某メーカーのGPマシンで何じゃこりゃ? ってのはありましたね。エンジンからフレームからぶっ飛び過ぎて思い付いた事全部入れただけの バイクじゃないの?って感じのやつが。案の定GPではボロボロでしたが国内では確か1勝したはず。 出力足りなきゃ倍回せばいいとか話としては面白いんですけどねえ・・・。
ホッケンハイムじゃなくて、ニュルブルクリンクですね(;^_^A
おもしろかったです。亀裂探傷はやった人じゃないとわかんないんじゃないかな
私は倒立だめでした。 特にショウワは最悪でした。 初期ストロークが無く フロント接地感覚まるで無く メーカーも売るために 完成度の低い粗悪品を付けられたと思っています。
現役当時のお話し、通し番号が付いてないので『これ、見たかな・・・?』と見始めるんですが、 『ああ、これ前回見たな・・・。』と思うもののまた最後まで見てしまって20~30分寝るのが 遅くなるの繰り返し・・・。
当時HRCワークスは、側がショウワで中身がオーリンズって、噂は本当って事ですか?プライベーターの間だけだったのでしょうか?それをショーリンズって言ってました!W
語られるエピソード全てが興味深すぎて最後まで一気に見てまうw
相変わらずハッチ節炸裂〜! リュックサックのくだりでは思わず吹き出してしまいました。次回が待ち遠しいです!!
1990年型のNSR500には八代さんが開発したNNリンクになっていたのかな?
八代さんのぼくとつ(気にさわったらすみません)な語り口が良いですね。昔を思い出して、カリカリしないほうが良いとおもいます。八代さんのレースとの関わりを聞いていると、当時のアメリカンライダーのように、小さいころからバイクに乗れる環境だったら少なくとも表彰台は常連のライダーになってたでしょうね!それがラッパを吹いていたとはw 続き、楽しみにしています。
僕の周りだけか?当時市販TZR250後方排気が倒立フォークを採用したが、フレームの強度不足かで、トップの付け根にクラック、割れ等の事故車をよく見た記憶。
開発陣はアウターパイプの肉厚を0.1ミリずつ変えたものをテストしてベストなバランスを達成したといううたい文句でしたが、耐久性しわ寄せがでてましたか!
八代さんの話を聞いていると、才能だけではレースで勝てない事がよく分かりますね。独り言とはいえ、とても深い話です。
そんなエディさんがたった一年でYAMAHAに復帰してしまい、レイニー・シュワンツ時代の到来でHONDAはその他大勢化してしまい、王者ドゥーハンの誕生まで雌伏を余儀なくさせられる… ライダーに対して誠実である事がいかに大事なのか、言外に感じさせてくれるお話しでした。 オートバイが曲がる!と言う現象は今の科学でも謎だらけですね。
アンダーストープサーキットでレイニーさんのハイサイド目撃しました。シーズンを決定ずけた瞬間だと思いました。チーフメカの変更、リスク大き過ぎましたマシン開発といい見所満載なシーズンでした。
いつも楽しく拝見させていただきています。 記憶が正しければ、Ride-Onというビデオマガジンで福田照男さん、山田純さんと一緒に90年型NSR500(ガードナーのフロントブレーキが片側鋳鉄、片側カーボン)のマシンを試乗されていたように思います。 その時に「ガードナーは鋳鉄の初期制動が好きだからこんな仕様にしたんでしょうね」といったのを思い出します。 山田さんが「八ちゃんはセッテイングしようとしてるね」と笑いながら言っていたのが印象的でした。
そのRide-On持ってました!八代さんのコメントが面白かったことを覚えてます。 「ナンダコレ!最初は冗談かな?と思ったんですけど、和洋折衷というか折衷案で鋳鉄とカーボンのいいとこどりなんですね」
1989年NSR500の中でローソン車だけがフロントブレーキにカーボンディスク板を2枚カバー付きで走っていたレースも有ったような記憶有りましたが? 雨☔のレースでは鋳鉄ディスク板だったでしょうか?
チームの内情も聞けて濃い内容で楽しかったです🎶
89年全日本最終戦MFJグランプリで八代さん優勝しさあ90年に向けて!とでしたがな~ぜ90年は乗れなかったのか?非常に疑問知りたいですね!当時全日本ヤマハ勢500ccは藤原さんや500に慣れてきた町井さんそして平さん(開発)の三本柱!かたやホンダ勢は伊藤さんと宮城さんの2人でした八代さんは必要だったのでは?と思いますよね!
サスペンションの動きは夏休みの宿題と一緒! わかりやすかったー😆
ガードナーとバージェスの間にはそんなことがあったんですね。 いつもガードナーの横にいたバージェスがいなくなって、あれ?と思ってたんですけど。 まさか自分から切っていたとは。
90年代の衰退していく2輪レース業界の話も聞きたいです。元野球選手のyoutubeも同じですが昔リスペクトして見ていた事の答え合わせが出来て楽しいです。(当時は言えなかった、今なら言える事もある) 次回も楽しみにしています。
91年の日本GPをツアーで見に行ったのですが、近くの温泉で八代さんがゲストに来られてトークショーでワインはメカニックを変えたからもうチャンピオンにはなれない! と言っていたのを思い出しました。 当時ガードナーのファンだったので、そんな事ない!と思ってましたが、本当にそうなりましたね。 八代さんの読みは凄いです。
88年時の愛車がNSR250で 格好はエディー・ローソン、フルレプリカで走ってたら? 何やってんの?って言われてて 89年には、オオゥっと言われた思い出。