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すいません。って言わないで下さいもっと長くても良いですので、まったく問題ないです。興味深い話が聞けて感謝です。
アラン・カスカートさん…懐かしいです!サイクルサウンズでのシーズンオフの各マシンの試乗インプレを当時楽しみにしてました!自分なんか乗れもしない夢のバイク達でしたから!あとライディングスーツの背中にカタカナで「カスカート」と入れてたのが強く印象に残ってます‼️
ここまでワークスの開発経緯を聞ける機会ってなかなかないですね貴重なお話と素晴らしい貢献ありがとございます!
毎回楽しく見させていただいています。時間超過や脱線を気にされていますが、全く気になりません。むしろその部分を楽しんでます。
91年の日本GPをツアーで見に行ったのですが、近くの温泉で八代さんがゲストに来られてトークショーでワインはメカニックを変えたからもうチャンピオンにはなれない!と言っていたのを思い出しました。当時ガードナーのファンだったので、そんな事ない!と思ってましたが、本当にそうなりましたね。八代さんの読みは凄いです。
前回見た後で、TH-camで‘89の最終戦見ました。いろいろな苦労の後での優勝。本当にお疲れ様でした、と画面に向けて言ってました🙇🏻♂
八代さんの話を聞いていると、才能だけではレースで勝てない事がよく分かりますね。独り言とはいえ、とても深い話です。
動画の内容から少し脱線してしまいますが、アラン・カスカートのインプレ…特別バイクに詳しいわけじゃないオバサン(失礼)が翻訳してたってのがまた面白い。
サスペンションの動きは夏休みの宿題と一緒!わかりやすかったー😆
いやぁ~毎回笑かして頂いております、、話しの内容もですが、表情?表現?で内容がわかる時が、もひとつ笑えます~30分 あっとゆう間です!次回も楽しみにしております😊
カスカートさんがご存命でホッ😌てっきり元レーサーだと思っていたら旅行会社の人とは意外過ぎました。それなのにあのライディングと分析力は素晴らしいなぁ。カスカートさんはライディングフォームが特徴的で当時ミニサーキットでマモラ乗りならぬ「カスカート乗り!」とかやって遊んでいたのを思い出しました。
チームの内情も聞けて濃い内容で楽しかったです🎶
当時、高校生で89年の世界グランプリ(ロスマンズホンダ)にドハマリした自分には、最高のお話でした。
今回も楽しく拝聴させて頂きました!(笑)30minがちょうどいいです!八代さんのお人柄と語り口で引き込まれます(笑)これからもよろしくお願いします!
さすがオーリンズなんですね、あれだけ人気あるのは伊達じゃないっすわ。エディは凄い、あの年はケビンとウェインという若手がばかっぱやくてこら今年はこの二人だなと思ったら、シーズン途中からエディの追い上げしかもエディはメーカーもチームも移籍した初年度、ほんま凄いっすわ
語られるエピソード全てが興味深すぎて最後まで一気に見てまうw
90年代の衰退していく2輪レース業界の話も聞きたいです。元野球選手のyoutubeも同じですが昔リスペクトして見ていた事の答え合わせが出来て楽しいです。(当時は言えなかった、今なら言える事もある) 次回も楽しみにしています。
相変わらずハッチ節炸裂〜!リュックサックのくだりでは思わず吹き出してしまいました。次回が待ち遠しいです!!
バイクをデザインする方向性という面で、エディ、八代さんの指向性が見えてとても興味深いです。全体をまとめるか、優れたパーツを起点にするか、大変面白かったです。サイクル・サウンズでのアラン・カスカートさんのインプレはよかったですね。あと、ライディング・スポーツの阿部孝夫さんのインプレ。操安はキャブで決まる、はいまだに名言だと思います。
いつも楽しく拝見させていただきています。記憶が正しければ、Ride-Onというビデオマガジンで福田照男さん、山田純さんと一緒に90年型NSR500(ガードナーのフロントブレーキが片側鋳鉄、片側カーボン)のマシンを試乗されていたように思います。その時に「ガードナーは鋳鉄の初期制動が好きだからこんな仕様にしたんでしょうね」といったのを思い出します。山田さんが「八ちゃんはセッテイングしようとしてるね」と笑いながら言っていたのが印象的でした。
そのRide-On持ってました!八代さんのコメントが面白かったことを覚えてます。「最初は冗談かな?と思ったんですけど、折衷案で鋳鉄とカーボンのいいとこどりなんですね」
1989年NSR500の中でローソン車だけがフロントブレーキにカーボンディスク板を2枚カバー付きで走っていたレースも有ったような記憶有りましたが?雨☔のレースでは鋳鉄ディスク板だったでしょうか?
あの頃のカーボンディスクは、高温にならないと制動力が上がらないと言われてて、レース序盤のフルブレーキングを優先した仕様なのかと当時思ってました。
ヤマハはカヤバとかオーリンズとか使っていたと思いますが、ホンダーはショーワだけだったような気がします、雑誌ではフロントの倒立フォークですが、物の精度そのものはカヤバの方があるけど、フリクションも含めてレースで走るのノウハウはオーリンズの方があるみたいな事を書いてありました。 ガードナーのメカニックの話は面白かったです。一人ではチャンピオンになれないですもんね。
アンダーストープサーキットでレイニーさんのハイサイド目撃しました。シーズンを決定ずけた瞬間だと思いました。チーフメカの変更、リスク大き過ぎましたマシン開発といい見所満載なシーズンでした。
今回のお話も凄く楽しかったです(ためになりました)。90年なのですが、昔のレース雑誌の記憶に、レースを辞めたのは、ある約束を反故にされたからですと載っていたような記憶があるのですが、ある約束とは何なのか当時から気になってます。
私と同い年の八代さん、ずっと応援していました🙋
本を読み動画で当時のレースを見てレーサーズを読みを繰り返しています。89SUGOと最終戦TUKUBAの話を楽しみにしてます!
活字等、メディア側からの話しは、さておき、現場の、『あぁ』だ『こう』だの生々しい話しが、とても、とても楽しみです😊
今思うと八代さんがカジバに行ったら面白かったかもしれない。
いつも興味深い話ありがとうございます!
この動画のオープニング曲🎶チョッパーベースが気持ちいいですねぇ😄気持ちが昂ぶります
自身のチームのレーサーが個人のひらめきで「レースシーンで多くのチームから信頼を受けている物だから」と、改善の為に研究に乗り出し、そのサスを基に作った新製品を装着した、まだ全くぶっつけ本番の第1回試走段階とも呼べる状況で四苦八苦している姿を大勢の方の前で批判し、罵倒するHRC上層部の人物に関しては、話を聞いているだけで当時の八代さんと同様に私も怒りが込みあげて来ます。
後ろのCD棚が気になります。動画の最後に、今日の1枚を紹介してください。バイク以外の話もして良いのでは。
今回も興味深い内容で非常に面白かったです。私事ですが89年当時モトクロッサーで正立から倒立に乗り換えたのですが、ストレートでハンドルが振れまくってまともに走らず怖い思いをした経験が・・・今思い出してもガクブルでつ。
いつも楽しみに視聴しております。阿部孝夫さんや木山賢吾さんの著者に無いエピソードがあったら聞いてみたいです。
エディー・ローソンのNSRでのライディングフォームかっこ良かった!フレディー・スペンサーがカムバックしてきてYZRに乗ったときのフォームは?って感じだったけど。
プロリンクの構造、これだと確かに静止時はフワフワで上下しやすく、走行時はアンチスクワットの発生力でしかバネを縮める方向に力をかけられないから荷重の奥に行くほど固くなり分かりづらくなりますね。NNリンクは単純にスイングアームの上下運動がバネを伸縮させる入力になるからわかりやすい。サスにまで開発の目が行くとはさすがです。WGPの現場では良いとわかってもデータ不足で使ってもらえなかったのが惜しいところ・・。私の夏休み終盤も高荷重でロックしてまたしたね(笑)NSRのフレームを倒立仕様に進化させたのがエディー。前後サスを作ったのが八代さんであり、後のデータロガー積極導入のきっかけも作られた。89以降のNSRは二人の合作とも呼べますね。今回の話は1分おきに一行感想を書かないとならないくらい濃い話です・・。
90年のお話も是非お聞きしたいですね
ひじょうに良く分かりました。ありがとうございます。
89年ガードナー選手を担当していたチーフクルーはS・シェントンさんでしたね。84年片山敬済さんのメカニックを担当されてHRC退任後はスズキでRGVΓの開発にも手腕を発揮しましたよね。 ガードナー選手にしてみれば自分の全てを知っているジェリーさんがドゥーハン選手を担当する事になったので、右にはアーブさんがいて左にはジェリーさんがいたのでかなり脅威に感じていたんではないでしょうか? 89年型NSRの倒立フォークにはドゥーハン選手も納得いかなかった様で89年の8耐でのRVFの倒立フォークが気に入って、HRCのエンジニアにNSRに取り付けてくれとオーダーを出したそうですが八代さんはRVFの倒立フォークの感触はどうでしたか? 八代さんの心の声をみなさん聞きたいと思っているので最後に「すいません」て謝らなくていいですよ。 次回のお話しも楽しみにしています。
バイクとは関係無いんだけど後ろの棚のケニーGが懐かしくてバブル真っ盛りの当時LIVEに行って頭から客席スタートの演出がカッコよくて感動して次の日に楽器屋行ってソプラノサックス買ってました。(やりたがり)アホみたいに練習してエスターって曲と”モーメント”からも何曲か?吹ける様になってましたよまた、引っ張り出して来てみようかな?メンテ大変そう。
ガードナーとバージェスの間にはそんなことがあったんですね。いつもガードナーの横にいたバージェスがいなくなって、あれ?と思ってたんですけど。まさか自分から切っていたとは。
89年全日本最終戦MFJグランプリで八代さん優勝しさあ90年に向けて!とでしたがな~ぜ90年は乗れなかったのか?非常に疑問知りたいですね!当時全日本ヤマハ勢500ccは藤原さんや500に慣れてきた町井さんそして平さん(開発)の三本柱!かたやホンダ勢は伊藤さんと宮城さんの2人でした八代さんは必要だったのでは?と思いますよね!
去年だか一昨年に、フレームにガチガチに補強のパッチが当たってる89年仕様のNSR500が売りに出てましたね。フロントフォークは正立に先祖返りさせられてしまってましたが、あの車体がまだ現存していたのかと驚きました。ホンダが持ってる89NSRはSTD仕様のフレームですし。。
88年時の愛車がNSR250で格好はエディー・ローソン、フルレプリカで走ってたら?何やってんの?って言われてて89年には、オオゥっと言われた思い出。
八代さんのぼくとつ(気にさわったらすみません)な語り口が良いですね。昔を思い出して、カリカリしないほうが良いとおもいます。八代さんのレースとの関わりを聞いていると、当時のアメリカンライダーのように、小さいころからバイクに乗れる環境だったら少なくとも表彰台は常連のライダーになってたでしょうね!それがラッパを吹いていたとはw 続き、楽しみにしています。
元NA250の自分でもセッティングは沼でした IAの世界はもっとスゴいんでしょうね
八代さんは応援してました。お話しも懐かしいやら納得やらたのしいです。ただ、画面がもう少し明るいと見やすいと思いますがいかがでしょうか?
メカの裏話はとても面白いですが、その理由はメカといっても根底に人間がいるということだなと思いました。理屈だけじゃなくて何パーセントかは人間性や感情のパワーでレーサーは走っているw
89年の1勝って筑波のバク転(しそうな)ウィリーの時ですよね?生で見てました。見てる私が焦りました。w次も楽しみにしています。
⭐︎87年の最終戦ですね(^∇^)
ひっくり返りそうになったのは87年の最終戦ですね
1990年型のNSR500には八代さんが開発したNNリンクになっていたのかな?
その頃、四輪のツーリングカーレースのメカニックをしてました。使ってたMk.-Vというレコーダー、データロガーを使ってましたが、確かに2輪で使うには車両側に設置するもんじゃなかったですね、デカくて。それでもNが使ってた(恐らく多機能なんてしょうが)ものは、助手席いっぱい使ってましたからコンパクトな方だったと思います。出力はペンレコという、今考えたら恐ろしくアナログな手法でしたが、冷却系の検討に威力を発揮してました。所謂ワークスだったので、パーツを作ったらテスト、よければ2輪で言うところのサテライト(とはいえ、ドライバーの選定も含めて運営にメーカーが強く関与している)にパーツを流し、その後カスタマーにも販売、という流れでした。で、サテライトですよ。うちが新しいタマ持ち込んだら必ず気づくドライバーがいて、1セッション走ってダメで外したものでも必ず「よこせ」と言いに来てました。よく言えば、貪欲。アーブさんのお考えは分かりませんが、もしかしたらシーズン末期だったからかもしれませんが、貪欲なサテライトチームのドライバーからしたら、タイム出てるのに使わないのはあり得ない事だったと思います。とりあえずタイム出てるならそれで少しやってみて、ダメなら戻せばいいって感じでした。当時はタイヤテストやら占有やらで走るチャンスが多かったのもありますが。
そんなエディさんがたった一年でYAMAHAに復帰してしまい、レイニー・シュワンツ時代の到来でHONDAはその他大勢化してしまい、王者ドゥーハンの誕生まで雌伏を余儀なくさせられる…ライダーに対して誠実である事がいかに大事なのか、言外に感じさせてくれるお話しでした。オートバイが曲がる!と言う現象は今の科学でも謎だらけですね。
89年、90年、91年はレイニーとシュワンツの2人だけがマシンやメカニック云々を超えた別次元にいた印象です(あくまで個人的な印象です)
アラン、最近(でもないけれど)だと無限 神電の試乗をされていましたっけ。
ホンダが以前、ケニーはあまりにもヤマハカラーが染み付いてるからもし移籍するとしてもウチでは受け入れがたいってコメントを見てたので てっきりガセネタかと思いきや開幕戦にローソンが本当にNSRに乗っててビックリ、チャンピオン獲ってさっさとヤマハに帰ったのでまたビックリ。毎年シーズンオフに鈴鹿でHRCの試乗会ありましたね~、当時たしか八代さんがNSRを満タンにして走られてた記事が(笑リンク周り、特許申請して乗れなくすればよかったですねw
うーむ🤔オーリンズってそんなに良かったんだ🤣ワークスでも敵わないことがあるんだねえ!
ローソンがホンダに移籍して1年目でタイトル獲得出来たのには、もちろんローソンのキャリア経験も大きい要素でしたが、ガードナーが第3戦アメリカGPで負傷した事でローソンが事実上のエースNo.1ライダーになった事とローソンとヤマハのレイニーとのタイトル争いにスズキのシュワシュワが絡んで三つ巴の戦いになったからと思っていますね?スズキRGV-Γ500も1989年から格段にポテンシャルアップしてホンダNSR500とヤマハYZR500と肩を並べるくらいになりましたから。ただレイニーもシュワシュワもタイトル獲得未経験で3度世界タイトル獲得したローソンに勝負では負けてしまいました。
すいません‼️コメント文章入力間違ってシュワシュワと書き込んでしまいましたがシュワンツが正しいです‼️大変申し訳ありませんでした‼️ローソンNSR500とレイニーYZR500とシュワンツRGV-Γ500による米国🇺🇸アメリカンライダーによる三つ巴です‼️
おもしろかったです。亀裂探傷はやった人じゃないとわかんないんじゃないかな
89NSRの写真を見た時倒立に付けるようなフロントフェンダーだったんでホンダも倒立になったか・・と思ってよく見たら正立だったという思い出
90がどんな仕様でメカとかのチーム体制も気になってます。92以降ごろドゥーハン、ノリックがリーンアウトで乗れてた車体をどう見てたかも聞きたいです
余談が面白いんですよね笑 こぼれ話っていうか。気にせずどんどん話して欲しいです。
キングケニーはスリックタイヤを、スペンサーはラジアルタイヤを物にしてチャンピオンになりローソンは倒立フォークを物にして4回目のチャンピオンなった感じですかね。そんな中ガッツでチャンピオンとったガードナーもカッコ良いと思います。
8:26 さすが倒立F!しかし一般市販車(特にネイキッド車)は正立Fの方が見た目が良くて好きです(^^ゞ
当時HRCワークスは、側がショウワで中身がオーリンズって、噂は本当って事ですか?プライベーターの間だけだったのでしょうか?それをショーリンズって言ってました!W
僕の周りだけか?当時市販TZR250後方排気が倒立フォークを採用したが、フレームの強度不足かで、トップの付け根にクラック、割れ等の事故車をよく見た記憶。
開発陣はアウターパイプの肉厚を0.1ミリずつ変えたものをテストしてベストなバランスを達成したといううたい文句でしたが、耐久性しわ寄せがでてましたか!
ローソンNSRの後ろを走っていたレイニーがコケて、ローソンのチャンピオンが決まる・・・。この時、ローソンはどんどん飛ばしていきレイニーも付いていく。ローソンはアクセルを開けていくタイミングを少しずつ早くし、そして開けてはいけないタイミングで開けたふりをした・・・音だけ代わって加速していない程度。つられたレイニーはそのタイミングでアクセルを開けてハイサイドじゃなかったっけ・・? その時のローソンのコメントが雑誌に載っていたと思うのだが・・・
ローソンのレース巧者っぷりがよく分かる内容ですね。敵にするとこうも怖いものかと。
@@atos4123 あの時はローソンからすると、レイニーは勢いある”新人”なんだね。
ヤマハの河崎さん曰くエディローソンはフロントフォークを固くセッティングするんだとかフロントからの転倒防止の様です なので倒立フォークに違和感が無かったのではカワサキの頃はステアリングダンパーがダブルだったとか
余計な舵角がつきにくくするためでしょうね、リアのスビニング誘発からのフロント転倒が防止できる。
プロリンクの方がより高いプログレッシブ効果が出るように見えますが実戦ではどんな感じなのかな?
超おもろい
4輪でも倒立ショックはオーリンズが物凄く良くて、八代さんと同じくギャップが消えた感はありましたね〜。ダートでしたが、カヤバだとコーナーのツッコミで姿勢を作って振り回して入る感じでしたが、オーリンズはリヤがブレークする感覚が無かったです。20段❓調整でしたが、走って調整してみると3段階の違いしか感じられず、ツルシだと結局最強で丁度いい感じでした。その後エルシュポルトに替えてからはイン側のリヤタイヤのグリップだけ気にすれば、フロントが全く逃げない恐ろしい程に限界が上がり、数パーセントの減衰力の違いで同じクルマでも全くハンドリングが違って感動したのを覚えて居ます。倒立ショックは車体の剛性が高いクルマでないと逆にネガが出てしまうのも二輪と同じですね。90年代半ば辺りのカヤバの倒立は酷い代物で、本当に単筒式ショックをひっくり返しただけで、挙句にロッドが折れて居て成績も最悪でした。現代のマテリアルは精度も高くて恵まれて居ますね。トラコンABSや様々な制御は逆に要らないんですが、進化の度合いは驚異的ですね。
アップされた直後の 今なら読んでくださるかと 一縷の思いでここにお願いします。どうしても知りたいのです。NS が16インチをフロントに使用しメカ 仕込みで極端な切れ込みが発生、国内ライダーはそれを嫌い18インチに換装。一方 スペンサーはリアブレーキを使わず一気に寝かしこみ早く大きく開ける。つまり 寝かしこみの段階でステアリングダンパー最も硬くしたような ステアリングのホールドを捨てたと予想します。そして極端なフロント荷重。そして国内の荘さんは全てが真逆の操作で正直 出口は見つかってなかったようで。八代さんも曲がらないからリーンになっていたとおっしゃってましたね。それらの試行錯誤とローソンが来た 施したこと、そして 寝かしこみの時のステアリングの切れ込みをどう考えていたのか、ぜひお教えください。非常に下手な説明申し訳ございません。
ということはオーリンズを買ったとしてもリンクが対応してないとダメってことなのかな
何かレーシングバイクって「青い鳥」のようですね 良いものはそのそばにあるのにその時の状況で選ぶのはその時に辿ってきた物からしか選べないって感じでしょうかギャンブルできる状況でなければや駄目と解かっていてもその中のでベストと思えるものを選ぶレースとは「走る実験室」ではない与えられた環境の中でベストを尽くすって事で結果が良くない事が予想できてもそれでも立ち向かわなければならない情熱とか使命とか何かよく解らないパワーなければできない厄介なものでだから面白いと思いました
エディの補強入りまくりのフレームの話が面白かったし納得がいった。けど「エディー」「がーちゃん」「レイニーさん」はっつぁんのさん付けの基準がよく解らない「ハスラムさん」「ケニーさん」で「レイニーさん」???
本間俊彦さんが取り上げてますよあまり良い取り方ではないですがやり合うのでは無くコラボは出来ないですか?
私は倒立だめでした。特にショウワは最悪でした。初期ストロークが無くフロント接地感覚まるで無くメーカーも売るために完成度の低い粗悪品を付けられたと思っています。
ミシュランはズルいよね。スペシャルタイヤは白人ライダーにしか使わせないんだから。平さんもタイヤの違いに驚いたといってる。
次はモリワキ時代の話が聞きたいです。
スェーデンGPでW・レイニーがハイサイドを起こしたのはローソンがファステストタイムを出したラップでした。ローソンに離されまいと着いていったレイニーのタイヤが限界を超えました。つまり両者のタイヤの差です。
ローソンもコシンスキーもHONDA車に乗ると全く違う走りになりますよね😂🤚🏍️やっぱそうなりますよね😂🤚🏍️的な😂🤚🏍️しかしすぐに順応して結果を出す😂🤚🏍️1流の中の1流😂☝️🏍️✨✨✨✨
世界と日本のレベルの隔たりが凄かった500cc時代その時代より速くて日本人でも勝てる程乗りやすい4st技術無くても速く走れる4stって何なん?と思ってしまう
すいません。って言わないで下さい
もっと長くても良いですので、まったく問題ないです。
興味深い話が聞けて感謝です。
アラン・カスカートさん…懐かしいです!サイクルサウンズでのシーズンオフの各マシンの試乗インプレを当時楽しみにしてました!自分なんか乗れもしない夢のバイク達でしたから!あとライディングスーツの背中にカタカナで「カスカート」と入れてたのが強く印象に残ってます‼️
ここまでワークスの開発経緯を聞ける機会ってなかなかないですね
貴重なお話と素晴らしい貢献ありがとございます!
毎回楽しく見させていただいています。時間超過や脱線を気にされていますが、全く気になりません。むしろその部分を楽しんでます。
91年の日本GPをツアーで見に行ったのですが、近くの温泉で八代さんがゲストに来られてトークショーでワインはメカニックを変えたからもうチャンピオンにはなれない!
と言っていたのを思い出しました。
当時ガードナーのファンだったので、そんな事ない!と思ってましたが、本当にそうなりましたね。
八代さんの読みは凄いです。
前回見た後で、TH-camで‘89の最終戦見ました。いろいろな苦労の後での優勝。本当にお疲れ様でした、と画面に向けて言ってました🙇🏻♂
八代さんの話を聞いていると、才能だけではレースで勝てない事がよく分かりますね。独り言とはいえ、とても深い話です。
動画の内容から少し脱線してしまいますが、アラン・カスカートのインプレ…特別バイクに詳しいわけじゃないオバサン(失礼)が翻訳してたってのがまた面白い。
サスペンションの動きは夏休みの宿題と一緒!
わかりやすかったー😆
いやぁ~
毎回笑かして頂いております、、
話しの内容もですが、表情?表現?で内容がわかる時が、もひとつ笑えます~
30分 あっとゆう間です!
次回も楽しみにしております😊
カスカートさんがご存命でホッ😌
てっきり元レーサーだと思っていたら旅行会社の人とは意外過ぎました。
それなのにあのライディングと分析力は素晴らしいなぁ。
カスカートさんはライディングフォームが特徴的で当時ミニサーキットでマモラ乗りならぬ「カスカート乗り!」とかやって遊んでいたのを思い出しました。
チームの内情も聞けて濃い内容で楽しかったです🎶
当時、高校生で89年の世界グランプリ(ロスマンズホンダ)にドハマリした自分には、最高のお話でした。
今回も楽しく拝聴させて頂きました!(笑)
30minがちょうどいいです!八代さんのお人柄と語り口で引き込まれます(笑)
これからもよろしくお願いします!
さすがオーリンズなんですね、あれだけ人気あるのは伊達じゃないっすわ。
エディは凄い、あの年はケビンとウェインという若手がばかっぱやくてこら今年はこの二人だなと思ったら、シーズン途中からエディの追い上げ
しかもエディはメーカーもチームも移籍した初年度、ほんま凄いっすわ
語られるエピソード全てが興味深すぎて最後まで一気に見てまうw
90年代の衰退していく2輪レース業界の話も聞きたいです。元野球選手のyoutubeも同じですが昔リスペクトして見ていた事の答え合わせが出来て楽しいです。(当時は言えなかった、今なら言える事もある) 次回も楽しみにしています。
相変わらずハッチ節炸裂〜!
リュックサックのくだりでは思わず吹き出してしまいました。次回が待ち遠しいです!!
バイクをデザインする方向性という面で、エディ、八代さんの指向性が見えてとても興味深いです。全体をまとめるか、優れたパーツを起点にするか、大変面白かったです。サイクル・サウンズでのアラン・カスカートさんのインプレはよかったですね。あと、ライディング・スポーツの阿部孝夫さんのインプレ。操安はキャブで決まる、はいまだに名言だと思います。
いつも楽しく拝見させていただきています。
記憶が正しければ、Ride-Onというビデオマガジンで福田照男さん、山田純さんと一緒に90年型NSR500(ガードナーのフロントブレーキが片側鋳鉄、片側カーボン)のマシンを試乗されていたように思います。
その時に「ガードナーは鋳鉄の初期制動が好きだからこんな仕様にしたんでしょうね」といったのを思い出します。
山田さんが「八ちゃんはセッテイングしようとしてるね」と笑いながら言っていたのが印象的でした。
そのRide-On持ってました!八代さんのコメントが面白かったことを覚えてます。
「最初は冗談かな?と思ったんですけど、折衷案で鋳鉄とカーボンのいいとこどりなんですね」
1989年NSR500の中でローソン車だけがフロントブレーキにカーボンディスク板を2枚カバー付きで走っていたレースも有ったような記憶有りましたが?
雨☔のレースでは鋳鉄ディスク板だったでしょうか?
あの頃のカーボンディスクは、高温にならないと制動力が上がらないと言われてて、レース序盤のフルブレーキングを優先した仕様なのかと当時思ってました。
ヤマハはカヤバとかオーリンズとか使っていたと思いますが、ホンダーはショーワだけだったような気がします、雑誌ではフロントの倒立フォークですが、物の精度そのものはカヤバの方があるけど、フリクションも含めてレースで走るのノウハウはオーリンズの方があるみたいな事を書いてありました。 ガードナーのメカニックの話は面白かったです。一人ではチャンピオンになれないですもんね。
アンダーストープサーキットでレイニーさんのハイサイド目撃しました。シーズンを決定ずけた瞬間だと思いました。チーフメカの変更、リスク大き過ぎましたマシン開発といい見所満載なシーズンでした。
今回のお話も凄く楽しかったです(ためになりました)。90年なのですが、昔のレース雑誌の記憶に、レースを辞めたのは、ある約束を反故にされたからですと載っていたような記憶があるのですが、ある約束とは何なのか当時から気になってます。
私と同い年の八代さん、ずっと応援していました🙋
本を読み動画で当時のレースを見てレーサーズを読みを繰り返しています。89SUGOと最終戦TUKUBAの話を楽しみにしてます!
活字等、メディア側からの話しは、さておき、
現場の、『あぁ』だ『こう』だの生々しい話しが、とても、とても楽しみです😊
今思うと八代さんがカジバに行ったら面白かったかもしれない。
いつも興味深い話ありがとうございます!
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チョッパーベースが気持ちいいですねぇ😄
気持ちが昂ぶります
自身のチームのレーサーが個人のひらめきで「レースシーンで多くのチームから信頼を受けている物だから」と、改善の為に研究に乗り出し、そのサスを基に作った新製品を装着した、まだ全くぶっつけ本番の第1回試走段階とも呼べる状況で四苦八苦している姿を大勢の方の前で批判し、罵倒するHRC上層部の人物に関しては、話を聞いているだけで当時の八代さんと同様に私も怒りが込みあげて来ます。
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バイク以外の話もして良いのでは。
今回も興味深い内容で非常に面白かったです。
私事ですが89年当時モトクロッサーで正立から倒立に乗り換えたのですが、ストレートでハンドルが振れまくってまともに走らず怖い思いをした経験が・・・今思い出してもガクブルでつ。
いつも楽しみに視聴しております。
阿部孝夫さんや木山賢吾さんの著者に無いエピソードがあったら聞いてみたいです。
エディー・ローソンのNSRでのライディングフォームかっこ良かった!
フレディー・スペンサーがカムバックしてきてYZRに乗ったときのフォームは?って感じだったけど。
プロリンクの構造、これだと確かに静止時はフワフワで上下しやすく、走行時はアンチスクワットの発生力でしかバネを縮める方向に
力をかけられないから荷重の奥に行くほど固くなり分かりづらくなりますね。NNリンクは単純にスイングアームの上下運動がバネを伸縮させる入力になるからわかりやすい。サスにまで開発の目が行くとはさすがです。WGPの現場では良いとわかってもデータ不足で使ってもらえなかったのが惜しいところ・・。私の夏休み終盤も高荷重でロックしてまたしたね(笑)
NSRのフレームを倒立仕様に進化させたのがエディー。前後サスを作ったのが八代さんであり、後のデータロガー積極導入のきっかけも作られた。89以降のNSRは二人の合作とも呼べますね。今回の話は1分おきに一行感想を書かないとならないくらい濃い話です・・。
90年のお話も是非お聞きしたいですね
ひじょうに良く分かりました。
ありがとうございます。
89年ガードナー選手を担当していたチーフクルーはS・シェントンさんでしたね。84年片山敬済さんのメカニックを担当されてHRC退任後はスズキでRGVΓの開発にも手腕を発揮しましたよね。 ガードナー選手にしてみれば自分の全てを知っているジェリーさんがドゥーハン選手を担当する事になったので、右にはアーブさんがいて左にはジェリーさんがいたのでかなり脅威に感じていたんではないでしょうか? 89年型NSRの倒立フォークにはドゥーハン選手も納得いかなかった様で89年の8耐でのRVFの倒立フォークが気に入って、HRCのエンジニアにNSRに取り付けてくれとオーダーを出したそうですが八代さんはRVFの倒立フォークの感触はどうでしたか? 八代さんの心の声をみなさん聞きたいと思っているので最後に「すいません」て謝らなくていいですよ。 次回のお話しも楽しみにしています。
バイクとは関係無いんだけど
後ろの棚のケニーGが懐かしくて
バブル真っ盛りの当時
LIVEに行って頭から客席スタートの演出がカッコよくて感動して
次の日に楽器屋行ってソプラノサックス買ってました。(やりたがり)
アホみたいに練習して
エスターって曲と”モーメント”からも何曲か?
吹ける様になってましたよ
また、引っ張り出して来てみようかな?
メンテ大変そう。
ガードナーとバージェスの間にはそんなことがあったんですね。
いつもガードナーの横にいたバージェスがいなくなって、あれ?と思ってたんですけど。
まさか自分から切っていたとは。
89年全日本最終戦MFJグランプリで八代さん優勝しさあ90年に向けて!とでしたがな~ぜ90年は乗れなかったのか?非常に疑問知りたいですね!当時全日本ヤマハ勢500ccは藤原さんや500に慣れてきた町井さんそして平さん(開発)の三本柱!かたやホンダ勢は伊藤さんと宮城さんの2人でした八代さんは必要だったのでは?と思いますよね!
去年だか一昨年に、フレームにガチガチに補強のパッチが当たってる89年仕様のNSR500が売りに出てましたね。
フロントフォークは正立に先祖返りさせられてしまってましたが、あの車体がまだ現存していたのかと驚きました。ホンダが持ってる89NSRはSTD仕様のフレームですし。。
88年時の愛車がNSR250で
格好はエディー・ローソン、フルレプリカで走ってたら?
何やってんの?って言われてて
89年には、オオゥっと言われた思い出。
八代さんのぼくとつ(気にさわったらすみません)な語り口が良いですね。昔を思い出して、カリカリしないほうが良いとおもいます。八代さんのレースとの関わりを聞いていると、当時のアメリカンライダーのように、小さいころからバイクに乗れる環境だったら少なくとも表彰台は常連のライダーになってたでしょうね!それがラッパを吹いていたとはw 続き、楽しみにしています。
元NA250の自分でもセッティングは沼でした IAの世界はもっとスゴいんでしょうね
八代さんは応援してました。お話しも懐かしいやら納得やらたのしいです。
ただ、画面がもう少し明るいと見やすいと思いますがいかがでしょうか?
メカの裏話はとても面白いですが、その理由はメカといっても根底に人間がいるということだなと思いました。
理屈だけじゃなくて何パーセントかは人間性や感情のパワーでレーサーは走っているw
89年の1勝って筑波のバク転(しそうな)ウィリーの時ですよね?
生で見てました。見てる私が焦りました。w
次も楽しみにしています。
⭐︎87年の最終戦ですね(^∇^)
ひっくり返りそうになったのは87年の最終戦ですね
1990年型のNSR500には八代さんが開発したNNリンクになっていたのかな?
その頃、四輪のツーリングカーレースのメカニックをしてました。使ってたMk.-Vというレコーダー、データロガーを使ってましたが、確かに2輪で使うには車両側に設置するもんじゃなかったですね、デカくて。
それでもNが使ってた(恐らく多機能なんてしょうが)ものは、助手席いっぱい使ってましたからコンパクトな方だったと思います。
出力はペンレコという、今考えたら恐ろしくアナログな手法でしたが、冷却系の検討に威力を発揮してました。
所謂ワークスだったので、パーツを作ったらテスト、よければ2輪で言うところのサテライト(とはいえ、ドライバーの選定も含めて運営にメーカーが強く関与している)にパーツを流し、その後カスタマーにも販売、という流れでした。で、サテライトですよ。うちが新しいタマ持ち込んだら必ず気づくドライバーがいて、1セッション走ってダメで外したものでも必ず「よこせ」と言いに来てました。よく言えば、貪欲。アーブさんのお考えは分かりませんが、もしかしたらシーズン末期だったからかもしれませんが、貪欲なサテライトチームのドライバーからしたら、タイム出てるのに使わないのはあり得ない事だったと思います。とりあえずタイム出てるならそれで少しやってみて、ダメなら戻せばいいって感じでした。当時はタイヤテストやら占有やらで走るチャンスが多かったのもありますが。
そんなエディさんがたった一年でYAMAHAに復帰してしまい、レイニー・シュワンツ時代の到来でHONDAはその他大勢化してしまい、王者ドゥーハンの誕生まで雌伏を余儀なくさせられる…
ライダーに対して誠実である事がいかに大事なのか、言外に感じさせてくれるお話しでした。
オートバイが曲がる!と言う現象は今の科学でも謎だらけですね。
89年、90年、91年はレイニーとシュワンツの2人だけがマシンやメカニック云々を超えた別次元にいた印象です(あくまで個人的な印象です)
アラン、最近(でもないけれど)だと無限 神電の試乗をされていましたっけ。
ホンダが以前、ケニーはあまりにもヤマハカラーが染み付いてるから
もし移籍するとしてもウチでは受け入れがたいってコメントを見てたので てっきりガセネタかと思いきや
開幕戦にローソンが本当にNSRに乗っててビックリ、チャンピオン獲ってさっさとヤマハに帰ったのでまたビックリ。
毎年シーズンオフに鈴鹿でHRCの試乗会ありましたね~、当時たしか八代さんがNSRを満タンにして走られてた記事が(笑
リンク周り、特許申請して乗れなくすればよかったですねw
うーむ🤔オーリンズってそんなに良かったんだ🤣
ワークスでも敵わないことがあるんだねえ!
ローソンがホンダに移籍して1年目でタイトル獲得出来たのには、
もちろんローソンのキャリア経験も大きい要素でしたが、
ガードナーが第3戦アメリカGPで負傷した事でローソンが事実上のエースNo.1ライダーになった事と
ローソンとヤマハのレイニーとのタイトル争いにスズキのシュワシュワが絡んで三つ巴の戦いになったからと思っていますね?
スズキRGV-Γ500も1989年から格段にポテンシャルアップしてホンダNSR500とヤマハYZR500と肩を並べるくらいになりましたから。
ただレイニーもシュワシュワもタイトル獲得未経験で3度世界タイトル獲得したローソンに勝負では負けてしまいました。
すいません‼️
コメント文章入力間違ってシュワシュワと書き込んでしまいましたが
シュワンツが正しいです‼️大変申し訳ありませんでした‼️
ローソンNSR500とレイニーYZR500とシュワンツRGV-Γ500による米国🇺🇸アメリカンライダーによる三つ巴です‼️
おもしろかったです。亀裂探傷はやった人じゃないとわかんないんじゃないかな
89NSRの写真を見た時倒立に付けるようなフロントフェンダーだったんでホンダも倒立になったか・・と思ってよく見たら正立だったという思い出
90がどんな仕様でメカとかのチーム体制も気になってます。92以降ごろドゥーハン、ノリックがリーンアウトで乗れてた車体をどう見てたかも聞きたいです
余談が面白いんですよね笑 こぼれ話っていうか。気にせずどんどん話して欲しいです。
キングケニーはスリックタイヤを、スペンサーはラジアルタイヤを物にしてチャンピオンになりローソンは倒立フォークを物にして4回目のチャンピオンなった感じですかね。そんな中ガッツでチャンピオンとったガードナーもカッコ良いと思います。
8:26 さすが倒立F!しかし一般市販車(特にネイキッド車)は正立Fの方が見た目が良くて好きです(^^ゞ
当時HRCワークスは、側がショウワで中身がオーリンズって、噂は本当って事ですか?プライベーターの間だけだったのでしょうか?それをショーリンズって言ってました!W
僕の周りだけか?当時市販TZR250後方排気が倒立フォークを採用したが、フレームの強度不足かで、トップの付け根にクラック、割れ等の事故車をよく見た記憶。
開発陣はアウターパイプの肉厚を0.1ミリずつ変えたものをテストしてベストなバランスを達成したといううたい文句でしたが、耐久性しわ寄せがでてましたか!
ローソンNSRの後ろを走っていたレイニーがコケて、ローソンのチャンピオンが決まる・・・。この時、ローソンはどんどん飛ばしていきレイニーも付いていく。ローソンはアクセルを開けていくタイミングを少しずつ早くし、そして開けてはいけないタイミングで開けたふりをした・・・音だけ代わって加速していない程度。つられたレイニーはそのタイミングでアクセルを開けてハイサイドじゃなかったっけ・・? その時のローソンのコメントが雑誌に載っていたと思うのだが・・・
ローソンのレース巧者っぷりがよく分かる内容ですね。敵にするとこうも怖いものかと。
@@atos4123 あの時はローソンからすると、レイニーは勢いある”新人”なんだね。
ヤマハの河崎さん曰くエディローソンはフロントフォークを固くセッティングするんだとか
フロントからの転倒防止の様です なので倒立フォークに違和感が無かったのでは
カワサキの頃はステアリングダンパーがダブルだったとか
余計な舵角がつきにくくするためでしょうね、リアのスビニング誘発からのフロント転倒が防止できる。
プロリンクの方がより高いプログレッシブ効果が出るように見えますが実戦ではどんな感じなのかな?
超おもろい
4輪でも倒立ショックはオーリンズが物凄く良くて、八代さんと同じくギャップが消えた感はありましたね〜。
ダートでしたが、カヤバだとコーナーのツッコミで姿勢を作って振り回して入る感じでしたが、オーリンズはリヤがブレークする感覚が無かったです。
20段❓調整でしたが、走って調整してみると3段階の違いしか感じられず、ツルシだと結局最強で丁度いい感じでした。
その後エルシュポルトに替えてからはイン側のリヤタイヤのグリップだけ気にすれば、フロントが全く逃げない恐ろしい程に限界が上がり、数パーセントの減衰力の違いで同じクルマでも全くハンドリングが違って感動したのを覚えて居ます。
倒立ショックは車体の剛性が高いクルマでないと逆にネガが出てしまうのも二輪と同じですね。
90年代半ば辺りのカヤバの倒立は酷い代物で、本当に単筒式ショックをひっくり返しただけで、挙句にロッドが折れて居て成績も最悪でした。
現代のマテリアルは精度も高くて恵まれて居ますね。
トラコンABSや様々な制御は逆に要らないんですが、進化の度合いは驚異的ですね。
アップされた直後の 今なら読んでくださるかと 一縷の思いでここにお願いします。どうしても知りたいのです。NS が16インチをフロントに使用しメカ 仕込みで極端な切れ込みが発生、国内ライダーはそれを嫌い18インチに換装。一方 スペンサーはリアブレーキを使わず一気に寝かしこみ早く大きく開ける。つまり 寝かしこみの段階でステアリングダンパー最も硬くしたような ステアリングのホールドを捨てたと予想します。そして極端なフロント荷重。そして国内の荘さんは全てが真逆の操作で正直 出口は見つかってなかったようで。
八代さんも曲がらないからリーンになっていたとおっしゃってましたね。それらの試行錯誤とローソンが来た 施したこと、そして 寝かしこみの時のステアリングの切れ込みをどう考えていたのか、ぜひお教えください。非常に下手な説明申し訳ございません。
ということはオーリンズを買ったとしてもリンクが対応してないとダメってことなのかな
何かレーシングバイクって「青い鳥」のようですね 良いものはそのそばにあるのにその時の状況で選ぶのは
その時に辿ってきた物からしか選べないって感じでしょうか
ギャンブルできる状況でなければや駄目と解かっていてもその中のでベストと思えるものを選ぶ
レースとは「走る実験室」ではない与えられた環境の中でベストを尽くすって事で結果が良くない事が
予想できてもそれでも立ち向かわなければならない情熱とか使命とか何かよく解らないパワーなければ
できない厄介なものでだから面白いと思いました
エディの補強入りまくりのフレームの話が面白かったし納得がいった。
けど「エディー」「がーちゃん」「レイニーさん」はっつぁんのさん付けの基準がよく解らない「ハスラムさん」「ケニーさん」で「レイニーさん」???
本間俊彦さんが取り上げてますよ
あまり良い取り方ではないですが
やり合うのでは無くコラボは出来ないですか?
私は倒立だめでした。
特にショウワは最悪でした。
初期ストロークが無く
フロント接地感覚まるで無く
メーカーも売るために
完成度の低い粗悪品を付けられたと思っています。
ミシュランはズルいよね。スペシャルタイヤは白人ライダーにしか使わせないんだから。平さんもタイヤの違いに驚いたといってる。
次はモリワキ時代の話が聞きたいです。
スェーデンGPでW・レイニーがハイサイドを起こしたのはローソンがファステストタイムを出したラップでした。ローソンに離されまいと着いていったレイニーのタイヤが限界を超えました。つまり両者のタイヤの差です。
ローソンもコシンスキーもHONDA車に乗ると全く違う走りになりますよね😂🤚🏍️やっぱそうなりますよね😂🤚🏍️的な😂🤚🏍️しかしすぐに順応して結果を出す😂🤚🏍️1流の中の1流😂☝️🏍️✨✨✨✨
世界と日本のレベルの隔たりが凄かった500cc時代
その時代より速くて日本人でも勝てる程乗りやすい4st
技術無くても速く走れる4stって何なん?と思ってしまう