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仙台ー秋田間を走っていた特急あおば号の経路を現在は東北ー秋田自動車道経由の高速バス🚌千秋号が受け継いでます。
千秋号といえば半世紀前には秋田〜仙台の陸羽東線経由の急行列車を思い出しますね。因みにグリーン車も連結されてました。
むかしから北上線は陸羽東線や田沢湖線より線形が良くて重宝されてました。
特急あおば廃止後の急行きたかみに乗ったことがあります。指定席・グリーン車連結の急行きたかみと、モノクラス自由席だけの急行たざわが併結していました。そこから東北新幹線開業に合わせて田沢湖線を電化し電車特急を走らせて秋田方面へのメインルートにするとは、ずいぶん無茶したなと思いました。
建設規格が低く大曲での時間ロスを考慮しても盛岡での需要を無視出来なかったのでしょう。東北本線/東北新幹線側接続駅が盛岡と北上では後者が不利。秋田県側が秋田行き新幹線接続電車特急さえ通せれば良いとした事で短略線としての北上線の命脈は断たれました。もし北上市周辺が人口も多く現在より大きな都市圏を形成していれば、秋田行き特急きたかみが生まれ、やがて秋田新幹線は奥羽本線北上線経由になっていたでしょう。重い機関車入線に耐えられる軌道と線形の良さがありながら活かせず、赤字を大義名分にして鉄道事業は遠からず廃止へ向かうでしょう。
食堂車も営業していたから豪華な列車だったよね。
今は高速バスがほぼ同じルートで運行されてます。所要時間はほぼ同じです。
北上線は寝台特急の迂回などもありましたね。
1994年頃には寝台特急夢空間北東北号(弘前→新宿)が北上線経由で運転されたこともありましたね。
秋田リレー号、東日本社ではおそらく最後の気動車特急でしょう……。
あおばは、後に仙台以南の各駅停車の新幹線の名前で復活も、なすのの誕生で姿を消した。在来線でも、新幹線でも、短命だったか…
なすの号と入れ替わりではなく平成9年の秋まであおば号は東京から仙台の各駅に止まる列車として存在していました。漢字の青葉号と合わせると30年以上。通算するとそこそこ長生きした名称でした。新幹線の東京から仙台の列車があおばかひばりなら良いのですが、もう厳しいのでしょうね。
@@TSUYOS185 今や、仙台発着で仙台以南の各駅停車も準速達と同じくやまびこに、郡山以南発着の各駅停車はなすのに、分離した感もありますね。
@@showgo72spさま東北新幹線自体がカオスになりましたね。はやぶさも2パターンありますし。
@@TSUYOS185はつかりですら見送られ故に無理でしょうね。いつまでも昔を偲んでは発展や進化はないという現実だと思います。
こういう列車の歴史をお聞きすると鉄道残さず発展の経緯が見えてきますねありがとうございます私は関西に生まれ育ちました大阪京都から山陰九州への列車が頻繁に出ていましたが気づけば何もない状態になっていましたこれは新幹線の為せる技なんですよねおそらくは東北の事情は存じ上げないのですが歴史をわかりやすく解説いただきありがとうございます🎉
鹿児島線の【おおよど】と共に間合い運用の優等生だった。関西線の【あすか】があまりにも憐れ。
鹿児島線と言うか肥薩・吉都線のイメージ。
@@tetsu0804 1979年の秋 82系のにちりんが電車化されたけど 捻出車両を活用しておおよどを二往復化できなかったの?
@@6128-r3f 幹線特急の【にちりん】が無くなれば、ローカル特急の【おおよど】だけの為にキハ82を1編成(2往復なら2編成)用意しなければならないし予備車も必要になるので廃止になったのでしょう。
国鉄時代は間合い間合いでとんでもない広範囲運用だったようですね。北上線は仙台秋田間の短絡線として臨時列車も多く設定され貨物列車も運行されていました。今となっては存廃議論の始まりそうな勢いで減車減便が進んでますが。。。雪も多い地域なので冬の運行に相当苦労してるのだろうなと思います。営業線としては大赤字ですが山形新幹線開業や東北本線の一部三セク化で事業用車の仙台秋田のルートとしての役割はむしろ増したようです。
地元出てきて嬉しい
寝台特急あけぼのの迂回に乗った事があります‼️
あれは陸羽東線。北上線は急行「津軽」のほうだったはず。
北上線も数日あったよねたしか、かなり貴重だと思うけど
東北本線等が不通の時に代替路線としての印象ですね。
奥羽本線湯沢~大曲も衰退してしまいましたね
交友社「鉄道ファン」誌によれば、「あおば」は北上線が非電化やったから「泣く泣く急行に格下げ」されたて書いたあったな。「あおば」が仙台ー秋田間に一定の需要があることを顕在化してんから、特急並みのアコモの気動車急行を走らす価値あったんと違うかなあ。
@@keishimomma258 1975年12月号の猪口信氏の記載だな 電車化された後の181系は一部を残してやくもや四国特急 そしておきに転用され 翌年捻出されたおき用の82系は高山線のひだに転用
一定数のビジネス需要を拾えていたのだから酷使されてボロボロになっていたけど各地から抽出したキハ80系モノクラス6〜7連程度で東北新幹線開業まで特急運転を継続しても良かった気がする
機関にクセが強いキハ181系は去勢前だから現場が嫌がるのは理解する
仙山線と奥羽本線で仙台〜秋田のルートもあり、山形で乗り換えですが急行仙山や特急つばさを利用する方法もありました。
懐かしい動画で少し涙目になりました🥹仙台行きの上り列車が相野々駅をエンジンを唸らせて通過する勇姿を今も脳裏に焼き付いています。
仙台から秋田への日帰り出張に便利なダイヤだが,車両運用に別の事情があったとは😨
滞在時間が現在とは比べる術もありませんでしたが、一応日帰り可能なダイヤですね。
今は横手からの速達対応に、一部はやぶさが北上線接続で停車していますね。
それなりの距離だから、この区間の夜行もあってもよかったかな!
実際臨時というか!季節列車というか!急行千秋という急行が経路こそ違うが夜行運転された時があった。それと急行きたかみには全車指定席という列車もあった。仙台と秋田にはある一定程度ビジネス需要もあった。今も高速バス千秋号が数多く運行されています。昔は夜行高速バスもありました。
急行に格下げされてもなお20分前に出た2本の急行(たざわ1号・千秋1号)よりも先に秋田に着く速達列車だったんです。東のあおば、西のおおよどどっちも新幹線接続ルートにすらなれなかった悲運の路線
距離よりも環境が災いした不運な境遇が共通してたと思います。
運用の合間を埋める都合で誕生した特急は他にも特急おおよど(博多肥薩線、経由宮崎間)があり、熊本宮崎間どころか博多宮崎間でも従来のにちりん号より所要時間を短縮する事になったが、鹿児島にちりんの電車化であおばと大差ない年数で廃止に。更に特急ひたちも、間合い運用の形で誕生したがこっちはあっという間に専用運用が組まれて、日本有数の規模を持つ列車に大出世を果たした。東京を結んでいたか、早期に専用運用を組んでもらえたかが明暗を分けたのか?
急行に格下げされてもその俊足ぶりは変わらず、仙台を30分以上早く出た田沢湖線経由のたざわ号より1時間近く早く秋田に到着していました。きたかみが速いのではなくたざわが遅いだけ、という説もあるけど…
たざわ号はもともと盛岡~秋田の需要を請け負う立場だったのでしょうね。
特急「あおば」は結構乗車率が高く、「あすか」とは違って廃止のニュースが出た時は「何でや工藤!!」じゃないけど、仙台・秋田地区から相当な苦情が国鉄本社に届いたそうです国鉄側は「3往復急行「きたかみ」残るから便利だよ」って言いつつも急行型のボックスシートの非冷房車だったら利用者からしたらドッチラケ状態「安芸」「紀伊」の特急化するんだったら、「あおば」を3往復の特急にした方が数段良かったようにしか思えない…
あおば廃止と同時に東日本エリアから気動車特急は全廃されたので元々間合い運用だった列車の為だけに特異な車両を残すのは割に合わないと判断されたのでしょう(東京偏重だった国鉄だけに)仙台〜秋田に拘るなら仙山線経由で485系の運行という手もあった気はしますが
普通車:14系座席車グリーン車:サロ481を14系客車化改造して充当食堂車:オシ14またはサシ481を14系客車化改造して充当こうすれば車内設備を低下させず、グリーン車と食堂車の連結も維持できるわけだが、さすがに無理かw
DD51の軸重に耐えられるが20‰の峠越えがある非電化単線で昼行客車列車は無理急行ニセコのように現金輸送任務が有るから敢えて客車で運用されるような特殊な事情も無い
北上線便利なんだけどな横手とか拠点なら本数があれば
仙台と秋田を結ぶ便利なルートを走行する特急列車なのに共通運用を組むつばさの電車化による合理化の為にわずか4年で急行格下げになったのは残念ですね。
労組がジャジャ馬であるキハ181系を嫌っていた事情もある。どの現場でも嫌われていた。名古屋はプロトタイプであるキハ90ともども手放した。電車置き換え直前には秋田で脱線事故まで起こした。
@@金澤華 キハ82系より性能がいいのに嫌われていたんですね。
@@岡村充康-h9z キハ181系が安定するのは特急つばさから撤退し中国四国地方での運用が中心になってから。高速運転する区間も限られ山間部の隘路をノロノロ走行するだけになり定格出力1割減に調整された事で安定した。特に特急つばさ仕業は過酷で定格出力1割増しだった上に平野部は電車特急と伍するスピードで飛ばした上で板谷峠に始まる峠越えでの低速でオーバーヒートが多発。補修が追い付かずエンジンカットで営業運転してさらなるエンジン不調を招く悪循環。板谷峠はEL補機に頼るも奥羽本線内のスローペースによりオーバーヒート気味で不調は治らず。尾久配置時代に消耗し修理を諦めて4〜5両程度中間車を廃車にしている。
仙台始発で秋田へ行くのに車は尾久所属という違和感
秋田仙台間は今でもそれなりの需要がある様で高速バスと新幹線で 需要を分かち合ってるようです。
あら、在来線特急のあおばはしらんかった@昭和47年生まれ。動画の説明みたら、現存の高速バスと同じ位の所要時間か。うまくやれば高速バスと競争できましたね。
今や自家用車との競争ですねー。秋田県民が仙台行くとなると、ほとんどが自家用車ですから。
まさか奥羽本線が非電化に戻るとは思わなんだ…
もう少し後時代の国鉄の発想だったら急行の特急格上げできたかみも特急あおばにしたんでしょうけどね。当時は車両が足りなくそれが出来なかった。
まぁ今でもこまちでその魂は受け継がれてると言う事で。
盛岡通らないのが敗因か
3時間52分、仙秋号より遅いのか・・・北上線はリダンダンシー的な性格を持つ路線だから、今後も色々活用してほしいな
その北上線も昼間はキハ100の1両、しかも立ち客もいない状態ですので、、、
災害に遭ったら命運が尽きる
181系DCのつばさは485系EC化されたけど 余剰となったDCを活用してあおばを増発するというわけにいかなかったのかな(泣)
車両の配置を、尾久から秋田へ転属させて…キハ181系で あおば を2~3往復に増発❗しても良かったのでは😃 なんて思います❤️キハ181系大好きおじさんです😃💕
@@白銀敏夫さん秋田はキハ181で辛酸を舐めてキハ65 500番台の投入をも拒否した。結果東日本地域のキハ58系の冷房化が遅れる結果に...
@@exp.m.k.2300さん「つばさ」はキハ181で運用された列車で一番過酷な運用だったのではないでしょうか。東北本線を電車特急同様に120km/hで飛ばして、休む間もなく福島からは33.3‰の峠越えを置き換え当初は補機無しでこなしていたのでエンジンの負担は相当なものでした。時には故障で無動力になった車両の為に更に負担が増えるという悪循環で、また入区しても故障車両が多くて手が回らずにそのまま出区する車両があったと聞きました。電車化で余剰になったキハ181を名古屋のキハ80の置き換えにする案があったが「しなの」で懲りたので断ったという逸話もあります
@@おしげ-b6k 様で、「つばさ」用181系はほぼ全車が山陰・四国へ移動していったわけですな。
お蔭さまで「新快速に交じってぶっ飛ばす」キハ181系が見れるようになりましたから。「はまかぜ」こそキハ181の本領発揮ですよ。
北上線は線形が良いのに活用されない、不遇な路線だなあ。
今やキハ100が1両か2両。勾配のあるところでもハイパワーで走っています。
震災直前までDD51重連のコンテナ貨物列車が走っていましたね。もし震災時まで残っていたら、迂回貨物のルートの一つとして活用されていたかも…
@@Hajime86-q3t そういうタイミングの悪さもあるのか・・・。
機関車を動かせる機関士も居なくなり機関車自体が消滅間近
新幹線もはやく消えたような?
それでも15年持ちましたけどね。
上野〜仙台間の急行「青葉」、北上線特急「あおば」、東北新幹線の「あおば」と、短命な愛称は繰り返す?
宮交バスの青葉号が現在進行形で最も長く使われていますね。
Excellent video my friends awesome like and Greeting from Argentina nuevo subcritor suscribete 👍🏻 😊
青葉(あおば)って言う言葉や列車名は好きだったけど京アニ放火犯人のせいでイメージダウンしたわ。
あいつ何遍死刑で殺しても殺し足りんですよねぇ💢👊‼️
東北新幹線にも各停タイプであおばってなかったっけ?
あったねえこの動画のあおばと同じく短命
仙台ー秋田間を走っていた特急あおば号の経路を現在は東北ー秋田自動車道経由の高速バス🚌千秋号が受け継いでます。
千秋号といえば半世紀前には秋田〜仙台の陸羽東線経由の急行列車を思い出しますね。因みにグリーン車も連結されてました。
むかしから北上線は陸羽東線や田沢湖線より線形が良くて重宝されてました。
特急あおば廃止後の急行きたかみに乗ったことがあります。指定席・グリーン車連結の急行きたかみと、モノクラス自由席だけの急行たざわが併結していました。そこから東北新幹線開業に合わせて田沢湖線を電化し電車特急を走らせて秋田方面へのメインルートにするとは、ずいぶん無茶したなと思いました。
建設規格が低く大曲での時間ロスを考慮しても盛岡での需要を無視出来なかったのでしょう。
東北本線/東北新幹線側接続駅が盛岡と北上では後者が不利。
秋田県側が秋田行き新幹線接続電車特急さえ通せれば良いとした事で短略線としての北上線の命脈は断たれました。
もし北上市周辺が人口も多く現在より大きな都市圏を形成していれば、
秋田行き特急きたかみが生まれ、やがて秋田新幹線は奥羽本線北上線経由になっていたでしょう。
重い機関車入線に耐えられる軌道と線形の良さがありながら活かせず、
赤字を大義名分にして鉄道事業は遠からず廃止へ向かうでしょう。
食堂車も営業していたから豪華な列車だったよね。
今は高速バスがほぼ同じルートで運行されてます。所要時間はほぼ同じです。
北上線は寝台特急の迂回などもありましたね。
1994年頃には寝台特急夢空間北東北号(弘前→新宿)が北上線経由で運転されたこともありましたね。
秋田リレー号、東日本社ではおそらく最後の気動車特急でしょう……。
あおばは、後に仙台以南の各駅停車の新幹線の名前で復活も、なすのの誕生で姿を消した。
在来線でも、新幹線でも、短命だったか…
なすの号と入れ替わりではなく平成9年の秋まであおば号は東京から仙台の各駅に止まる列車として存在していました。
漢字の青葉号と合わせると30年以上。通算するとそこそこ長生きした名称でした。
新幹線の東京から仙台の列車があおばかひばりなら良いのですが、もう厳しいのでしょうね。
@@TSUYOS185 今や、仙台発着で仙台以南の各駅停車も準速達と同じくやまびこに、郡山以南発着の各駅停車はなすのに、分離した感もありますね。
@@showgo72spさま
東北新幹線自体がカオスになりましたね。はやぶさも2パターンありますし。
@@TSUYOS185はつかりですら見送られ故に無理でしょうね。いつまでも昔を偲んでは発展や進化はないという現実だと思います。
こういう列車の歴史をお聞きすると
鉄道残さず発展の経緯が見えてきますね
ありがとうございます
私は関西に生まれ育ちました
大阪京都から山陰九州への列車が頻繁に出ていましたが
気づけば何もない状態になっていました
これは新幹線の為せる技なんですよね
おそらくは
東北の事情は存じ上げないのですが
歴史をわかりやすく解説いただきありがとうございます🎉
鹿児島線の【おおよど】と共に間合い運用の優等生だった。関西線の【あすか】があまりにも憐れ。
鹿児島線と言うか肥薩・吉都線のイメージ。
@@tetsu0804
1979年の秋 82系のにちりんが電車化されたけど 捻出車両を活用しておおよどを二往復化できなかったの?
@@6128-r3f 幹線特急の【にちりん】が無くなれば、ローカル特急の【おおよど】だけの為にキハ82を1編成(2往復なら2編成)用意しなければならないし予備車も必要になるので廃止になったのでしょう。
国鉄時代は間合い間合いでとんでもない広範囲運用だったようですね。
北上線は仙台秋田間の短絡線として臨時列車も多く設定され貨物列車も運行されていました。今となっては存廃議論の始まりそうな勢いで減車減便が進んでますが。。。
雪も多い地域なので冬の運行に相当苦労してるのだろうなと思います。
営業線としては大赤字ですが山形新幹線開業や東北本線の一部三セク化で事業用車の仙台秋田のルートとしての役割はむしろ増したようです。
地元出てきて嬉しい
寝台特急あけぼのの迂回に乗った事があります‼️
あれは陸羽東線。北上線は急行「津軽」のほうだったはず。
北上線も数日あったよねたしか、かなり貴重だと思うけど
東北本線等が不通の時に代替路線としての印象ですね。
奥羽本線湯沢~大曲も衰退してしまいましたね
交友社「鉄道ファン」誌によれば、「あおば」は北上線が非電化やったから「泣く泣く急行に格下げ」されたて書いたあったな。
「あおば」が仙台ー秋田間に一定の需要があることを顕在化してんから、特急並みのアコモの気動車急行を走らす価値あったんと違うかなあ。
@@keishimomma258
1975年12月号の猪口信氏の記載だな 電車化された後の181系は一部を残してやくもや四国特急 そしておきに転用され 翌年捻出されたおき用の82系は高山線のひだに転用
一定数のビジネス需要を拾えていたのだから
酷使されてボロボロになっていたけど
各地から抽出したキハ80系モノクラス6〜7連程度で東北新幹線開業まで特急運転を継続しても良かった気がする
機関にクセが強いキハ181系は去勢前だから現場が嫌がるのは理解する
仙山線と奥羽本線で仙台〜秋田のルートもあり、山形で乗り換えですが急行仙山や特急つばさを利用する方法もありました。
懐かしい動画で少し涙目になりました🥹
仙台行きの上り列車が相野々駅をエンジンを唸らせて通過する勇姿を今も脳裏に焼き付いています。
仙台から秋田への日帰り出張に便利なダイヤだが,車両運用に別の事情があったとは😨
滞在時間が現在とは比べる術もありませんでしたが、一応日帰り可能なダイヤですね。
今は横手からの速達対応に、一部はやぶさが北上線接続で停車していますね。
それなりの距離だから、この区間の夜行もあってもよかったかな!
実際臨時というか!季節列車というか!急行千秋という急行が経路こそ違うが夜行運転された時があった。それと急行きたかみには全車指定席という列車もあった。仙台と秋田にはある一定程度ビジネス需要もあった。今も高速バス千秋号が数多く運行されています。昔は夜行高速バスもありました。
急行に格下げされてもなお20分前に出た2本の急行(たざわ1号・千秋1号)よりも先に秋田に着く速達列車だったんです。
東のあおば、西のおおよど
どっちも新幹線接続ルートにすらなれなかった悲運の路線
距離よりも環境が災いした不運な境遇が共通してたと思います。
運用の合間を埋める都合で誕生した特急は他にも特急おおよど(博多肥薩線、経由宮崎間)があり、熊本宮崎間どころか博多宮崎間でも従来のにちりん号より所要時間を短縮する事になったが、鹿児島にちりんの電車化であおばと大差ない年数で廃止に。
更に特急ひたちも、間合い運用の形で誕生したがこっちはあっという間に専用運用が組まれて、日本有数の規模を持つ列車に大出世を果たした。
東京を結んでいたか、早期に専用運用を組んでもらえたかが明暗を分けたのか?
急行に格下げされてもその俊足ぶりは変わらず、仙台を30分以上早く出た田沢湖線経由のたざわ号より1時間近く早く秋田に到着していました。きた
かみが速いのではなくたざわが遅いだけ、という説もあるけど…
たざわ号はもともと盛岡~秋田の需要を請け負う立場だったのでしょうね。
特急「あおば」は結構乗車率が高く、「あすか」とは違って廃止のニュースが出た時は「何でや工藤!!」じゃないけど、仙台・秋田地区から相当な苦情が国鉄本社に届いたそうです
国鉄側は「3往復急行「きたかみ」残るから便利だよ」って言いつつも急行型のボックスシートの非冷房車だったら利用者からしたらドッチラケ状態
「安芸」「紀伊」の特急化するんだったら、「あおば」を3往復の特急にした方が数段良かったようにしか思えない…
あおば廃止と同時に東日本エリアから気動車特急は全廃されたので元々間合い運用だった列車の為だけに特異な車両を残すのは割に合わないと判断されたのでしょう(東京偏重だった国鉄だけに)
仙台〜秋田に拘るなら仙山線経由で485系の運行という手もあった気はしますが
普通車:14系座席車
グリーン車:サロ481を14系客車化改造して充当
食堂車:オシ14またはサシ481を14系客車化改造して充当
こうすれば車内設備を低下させず、グリーン車と食堂車の連結も維持できるわけだが、さすがに無理かw
DD51の軸重に耐えられるが20‰の峠越えがある非電化単線で昼行客車列車は無理
急行ニセコのように現金輸送任務が有るから敢えて客車で運用されるような特殊な事情も無い
北上線便利なんだけどな横手とか拠点なら
本数があれば
仙台と秋田を結ぶ便利なルートを走行する特急列車なのに共通運用を組むつばさの電車化による合理化の為にわずか4年で急行格下げになったのは残念ですね。
労組がジャジャ馬であるキハ181系を嫌っていた事情もある。
どの現場でも嫌われていた。
名古屋はプロトタイプであるキハ90ともども手放した。
電車置き換え直前には秋田で脱線事故まで起こした。
@@金澤華 キハ82系より性能がいいのに嫌われていたんですね。
@@岡村充康-h9z
キハ181系が安定するのは特急つばさから撤退し中国四国地方での運用が中心になってから。
高速運転する区間も限られ山間部の隘路をノロノロ走行するだけになり定格出力1割減に調整された事で安定した。
特に特急つばさ仕業は過酷で定格出力1割増しだった上に平野部は電車特急と伍するスピードで飛ばした上で板谷峠に始まる峠越えでの低速でオーバーヒートが多発。
補修が追い付かずエンジンカットで営業運転してさらなるエンジン不調を招く悪循環。
板谷峠はEL補機に頼るも奥羽本線内のスローペースによりオーバーヒート気味で不調は治らず。
尾久配置時代に消耗し修理を諦めて4〜5両程度中間車を廃車にしている。
仙台始発で秋田へ行くのに車は尾久所属という違和感
秋田仙台間は今でもそれなりの需要がある様で高速バスと新幹線で 需要を分かち合ってるようです。
あら、在来線特急のあおばはしらんかった@昭和47年生まれ。
動画の説明みたら、現存の高速バスと同じ位の所要時間か。うまくやれば高速バスと競争できましたね。
今や自家用車との競争ですねー。秋田県民が仙台行くとなると、ほとんどが自家用車ですから。
まさか奥羽本線が非電化に戻るとは思わなんだ…
もう少し後時代の国鉄の発想だったら急行の特急格上げできたかみも特急あおばにしたんでしょうけどね。当時は車両が足りなくそれが出来なかった。
まぁ今でもこまちでその魂は受け継がれてると言う事で。
盛岡通らないのが敗因か
3時間52分、仙秋号より遅いのか・・・
北上線はリダンダンシー的な性格を持つ路線だから、今後も色々活用してほしいな
その北上線も昼間はキハ100の1両、しかも立ち客もいない状態ですので、、、
災害に遭ったら命運が尽きる
181系DCのつばさは485系EC化されたけど 余剰となったDCを活用してあおばを増発するというわけにいかなかったのかな(泣)
車両の配置を、尾久から秋田へ転属させて…キハ181系で あおば を2~3往復に増発❗しても良かったのでは😃 なんて思います❤️
キハ181系大好きおじさんです😃💕
@@白銀敏夫さん
秋田はキハ181で辛酸を舐めてキハ65 500番台の投入をも拒否した。結果東日本地域のキハ58系の冷房化が遅れる結果に...
@@exp.m.k.2300さん
「つばさ」はキハ181で運用された列車で一番過酷な運用だったのではないでしょうか。東北本線を電車特急同様に120km/hで飛ばして、休む間もなく福島からは33.3‰の峠越えを置き換え当初は補機無しでこなしていたのでエンジンの負担は相当なものでした。時には故障で無動力になった車両の為に更に負担が増えるという悪循環で、また入区しても故障車両が多くて手が回らずにそのまま出区する車両があったと聞きました。電車化で余剰になったキハ181を名古屋のキハ80の置き換えにする案があったが「しなの」で懲りたので断ったという逸話もあります
@@おしげ-b6k 様
で、「つばさ」用181系はほぼ全車が山陰・四国へ移動していったわけですな。
お蔭さまで「新快速に交じってぶっ飛ばす」キハ181系が見れるようになりましたから。「はまかぜ」こそキハ181の本領発揮ですよ。
北上線は線形が良いのに活用されない、不遇な路線だなあ。
今やキハ100が1両か2両。勾配のあるところでもハイパワーで走っています。
震災直前までDD51重連のコンテナ貨物列車が走っていましたね。
もし震災時まで残っていたら、迂回貨物のルートの一つとして活用されていたかも…
@@Hajime86-q3t そういうタイミングの悪さもあるのか・・・。
機関車を動かせる機関士も居なくなり
機関車自体が消滅間近
新幹線もはやく消えたような?
それでも15年持ちましたけどね。
上野〜仙台間の急行「青葉」、北上線特急「あおば」、東北新幹線の「あおば」と、短命な愛称は繰り返す?
宮交バスの青葉号が現在進行形で最も長く使われていますね。
Excellent video my friends awesome like and Greeting from Argentina nuevo subcritor suscribete 👍🏻 😊
青葉(あおば)って言う言葉や列車名は好きだったけど
京アニ放火犯人のせいでイメージダウンしたわ。
あいつ何遍死刑で殺しても殺し足りんですよねぇ💢👊‼️
東北新幹線にも各停タイプであおばってなかったっけ?
あったねえ
この動画のあおばと同じく短命