ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
「大量のトキに混じって」なんかジワるw
それな
座席車の夜行もなかなかいいもんだよ!はまなすでしか経験ないけど、寝たり起きたりで今どこ?なかなかよかった!
晩年の急行能登号みたいですね。こっちも停車駅は割り切っていて、高崎~直江津間は客扱い無しでしたが。
はくたかのヘッドマーク凄かった、ショッカーのような鷹のマークが付いてた。笑えた。
この当時はくたかはくたかは向日町運転所の485系で雷鳥などと共通運用でした。
上野⇔青森を結ぶ🌃夜行特急[ゆうづる]も583系を座席車(💺)の状態で運行した時期がある(乗務員不足が原因).
国鉄時代の初代はくたかに夜行列車があったとは知らなかったです。しかも定期昼行と同じ485系とは…本来ならば583系の出番のはずだが…全車座席の夜行列車は珍しく晩年の急行能登を彷彿させます。
急行能登みたいな列車ですね
車両もさる事ながら、当時の寝台列車では車掌補と呼ばれる人が3両に1名は配置しないといけない規則になっていたそうですから、人員確保の観点からも座席車になっていた可能性もありそうですね。
急行能登の夜行列車で東京と北陸、けっこう往復していたのを思い出しました。グリーン車も利用しました。
『はくたか』から連想で北越急行の超快速は、今でもあるのかなぁー😂
最適な車輌といえば583系だが、当時は連日の定期運用でいっぱいいっぱいな状況であり、特別急行のアコモデーションと速度を兼ね備えた車輌は485系しかなかったのでしょう。ちなみに485系が夜行特急として用いられたのは他に「有明」もありましたね。
583系は車両重量が重いうえに車体断面も大きかったからか、意外と運行実績がある路線はかぎられていた。
大宮、高崎に止まらないのも珍しい。
50年も前のこと、両親と富山へ帰省した際にはくたかに乗車しました。上野発8時8分でした。高岡で両親が下車。金沢まで行ってベッドマークが変わるところを写真に撮って喜んでたのを思いだします。東京に住んでた自分が九州、関西の特急の写真が撮れる唯一の手段でした。300番台に乾杯🍻
昔は大阪発新潟行きの夜行急行がありました。高岡に早朝5時半頃着でしたね。冬の時期でしたのでスノートレインでしたでしょうか。北海道で運行されていたハマナスみたいな感じでした。
臨時の夜行はくたか号の元となった列車は、1968年〜1969年の年末年始に登場した急行北陸51号になるようです。(上野2013→富山615・富山2255→上野915)その後お盆や年末年始を中心に設定され続け、1971年の夏の運行を最後に一旦廃止されました。その後1971年~1972年の年末年始より同区間で特急はくたか51号(上野2356→富山718・富山2219→上野433)として再び運行されるようになりました。※1971年の運行もありました。見落としていましたので修正をいたしました。
上野駅で宮原の11両編成を見たことがある。
1972年夏のダイヤを見ていこう→なぜか見られないのだが
旧国鉄、オール座席車の夜行列車が結構運転されていました。臨時列車だとひどい車両の列車もありましたね。高速道路が普及していなかったあの時代、それでも皆さん我慢して乗ったのでしょう。
70年代末から80年代は赤羽にいましたがはくたかは記憶にある限り数回しか見て無いですね。青地に鷹のヘッドマーク、見たときははくただよ!と。ときやひばりはまたかよと… 廃止直前まで上野に上り下り何時に来てたのか、全く記憶にないのですが、ときひばりはつかりやまびこよりレアなはくたか、断片的ながらも見られてよかったです。
上越線経由の「はくたか」に乗って富山に行ったことがあります。しかし、同名の夜行の存在は知りませんでした。「北陸」と違い長岡で客扱いしていたのですね。晩年の「白山」は1往復しかないのに「L特急」なのが謎ですが。今度は「かがやき」も取り上げてほしいです。もちろん、新幹線になる前のを。
「白山」は「あさま」と合わせてのL特急。他に「つばさ」「やまばと」もあった😉
はくたかって鳥は実在こそしないけど相当前から列車愛称としてはあったんだな…追記在来線(北越急行)はくたか乗ってみたかったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
最晩年の『急行能登』。雪を纏った上野到着、写真撮りにいったよな〜🎉
この列車よりも特急夕月を取り上げてほしかったです。ユは昼行特急みどりとともに489系が始めて九州二乗り入りた列車でした。このときはサハ489型をハズした11両編成でした。また485系など特急型の不通齒シートピッチ910mmでシカモ座席下に暖房装置のカバーがあり足が伸ばせず長期的には、不向きでした。583系や急行型の固定クロスートのほうが足は伸ばせて楽でした。ただし背中のクッションは回転クロスシートのほうが良い。
ミステリートレインとか東上線の池袋から寄居周りで遠回りして東武日光まで運行した電車とかもありますぜ!
14系座席車の夜行特急はいろいろあったのでは?金星とか日本海とか…
ゆうづるもそうですね。これらのうち金星を除いて12系時代から特急料金100円引きで運転されていました。夜行つばさにいたっては、181系と14系座席車が最繁忙期に運転されたこともありました。これらの特急型はシートピッチ910mmと狭くまた、座席下に暖房カバーがあって足が伸ばせず窮屈で夜行には向かなかった。
あたしははくたか好きです。🐹🐱
然し[北陸]も[あけぼの]も登場当時は20系。[あけぼの]までは新製車だった様だが[北陸]は24系投入で東海道方面から捻出された車輛の転用だった。電車・気動車に於いては特急型とそれ以外とは厳然たる区別があったが、客車に関してはアバウトで14系座席車など特急・急行・鈍行(快速)運用が同時期に存在した。また多客期臨時では14系座席車による夜行特急は実例がある。
当時の「はくたか」は上越線経由で489系で運転され、昭和57年11月のダイヤ改正で廃止されました。上野から金沢へは6時間45分です 上野 大宮 高崎 長岡 直江津 富山 高岡 金沢 はくたか1号 8:19 8:46 9:43 = 11:47 12:44 14:14 14:30 15:04
489系はゴウサントウダイヤ改正からですね!それまでは向日町運転所の485系・481系の食堂車組込みの6M5T11両編成でした。なお昭和51年10月からはサハ481型が増結されていて12両編成になっています。
特急北斗にも臨時夜行があったね
往年の急行能登に近いダイヤだな
雷鳥の列車名も復活してほしいな。
復活するとすれば新幹線音は4音とは言えひらがな五文字の新幹線は前例がない「らいてふ」「はくてふ」みたいになるのかな?まあ復活は厳しそうですねえ...
北越急行のはくたかと新幹線のはくたかしか知らんかったから意外
画像16の485(489)のときがあった事初めて知りました。結構貴重ですか?
貴重です。
実際には上野、富山共に有効時間帯に発着してA寝台、B寝台、グリーン座席指定席、普通指定席、普通自由席と、多くの需要に応えた普通急行能登号の方が圧倒的に便利だったと愚考いたします。昼行特急はくたか51号に使われた485系電車特急の間合い運用として使いたかった(ついでに料金値上げによる増収策を図りたかった)国鉄当局の思惑がうまく行かなかったのかも知れませんね。その需要に応える目的で寝台特急北陸号へ発展的に継承されたのでしょうか。
もしかしたら、停泊させる車庫に余裕が無かったから夜行列車に充当していた可能性もあります。
当時能登は信越本線経由の臨時の急行です。急行は北陸が定期の寝台列車と季節列車の一般急行が上越線経由で急行越前が信越本線経由でした。能登はゴウマルサンダイヤ改正で季節列車の北陸が20系寝台特急に格上げされたために一般急行として能登の愛称が与えられました。能登愛称自体は、ヨンサントウ白紙ダイヤ改正前まで東京から東海道本線米原経由で金沢までの列車に使われていました。
手元に1973年12月号の時刻表があるんですが12/28-31と1/4-6のみの運行というわけで最繁忙期限定の運行みたいです。また同様の最繁忙期の座席夜行臨特は北海・北斗・あけぼの・はくつる・やまびこ・やまばとなど東日本各地にあり(なぜか西日本は四国の「しおかぜ」のみ)、客車便は指定席が100円引き(12系でも使ってたのか?)ということもあっていろいろ興味がつきません。
100円引きは、12系客車を使っていたことの証左です。
上野・金沢間で上越線経由の昼行特急「はくたか」なら知ってましたが」これは驚きです
コウマルサンダイヤ改正以降特急北陸51号として繁忙期に運転されたこともあったと思う。
第一こだま号の資料あったらアップしてほしいです
国鉄時代のはくたかは知っていましたが、夜行が走っていたのは知りませんでした。なぜわざわざ上越線経由で金沢に行くのか、疑問でしたが、碓氷峠の事情だったのですね。白山が出来た後も廃止にはならなかったのですね。国鉄時代はバラエティーに富んだ列車がたくさんあって楽しかったですが、私鉄(JR)になって採算ばかり考える運行になってつまらないです。
採算考えないからJR化されたんだが(まぁ、当時は保安設備の関係で有人駅多数とか郵便📮・荷物📦️輸送の関係で夜行列車設定とか仕方ない部分はあったが)😉
はくたかは東日本と西日本の架け橋的な名門特別急行だが、北陸新幹線の金沢延伸で凱旋帰京を果たすも学生ら卒業時の翼をくださいに連想するなぁ〜✋☺🚃
富山発着というのは、おそらく、雷鳥やしらさぎで富山に着いた編成を臨時はくたかに充当していたのでしょう。
かすかに覚えているが、車両運用上の問題もさることながら、寝台車を併結するには距離が短すぎた印象。まぁ夜行列車の首都圏到着は朝ラッシュ前~九州ブルトレは朝ラッシュ後~に到着するのが鉄則だが、それでも午前6時台というのがルールだった。それに寝台券の払い戻し基準に「午前6時まで寝台を利用した場合、それ以後に様々な理由で運行は取りやめとなっても、寝台券の部分は払い戻さない」というものがあったため、抵触しないようにという思惑があったんじゃなかろうかと推測している。
「はくたか」は新幹線になったときに当初のルートに戻ったと言えそうです。
見方を変えれば「はくさん」が新幹線の愛称になってもおかしくなかったわけですね
はくたかは蘇る
そもそも北陸新幹線の「はくたか」はルート的には「はくさん」と命名されるべきだったんだよな
寝台車って結構儲かるんでないか? 大昔から三段の囚人護送寝台でも5000円はした気がする。
昼行特急の座席で寝られない?……軟弱者!
プロの乗り鉄なら115系のボックスシートですら眠れます
静岡で211系のロングシートで爆睡できたら勇者。
@@MN-tw5fq 早朝出勤の阪急電車で爆睡していた俺……
165系の上り大垣夜行で名古屋〜東京間を眠ってた事がある。
@@nabe9215 大体俺みたいなビンボ旅行者に寝台など望むべくもないし(笑)
嘘はいけません。デビュー当時特急白鳥は青森編成、上野編成ともに6両で合計12両編成です。またはくたかが485系11両編成になったのは、北陸本線と信越本線の全線電化が完成したので上越線経由になったのです。そして、この当時昼行特急の夜行列車はやまびこややまばとやしなのや夕月につばさでも見られ別に珍しくもなかったですし冬季にはあずさ銀嶺やあさま銀嶺なんかもありました。また12系座席車を使用した臨時のゆうづるや日本海などもありました。12系座席車は特急料金100円引きでした。12系座席車齒昼行特急しおじやつばさでも運用されていました。やがてこれらの12系座席車は14系座席車に徐々に置き換えらられていった。
「はくたか」日本酒?
それははくつる
はくたかは昼行だけのはず
「大量のトキに混じって」
なんかジワるw
それな
座席車の夜行もなかなかいいもんだよ!
はまなすでしか経験ないけど、寝たり起きたりで今どこ?なかなかよかった!
晩年の急行能登号みたいですね。
こっちも停車駅は割り切っていて、高崎~直江津間は客扱い無しでしたが。
はくたかのヘッドマーク凄かった、ショッカーのような鷹のマークが付いてた。笑えた。
この当時はくたかはくたかは向日町運転所の485系で雷鳥などと共通運用でした。
上野⇔青森を結ぶ🌃夜行特急[ゆうづる]も583系を座席車(💺)の状態で運行した時期がある(乗務員不足が原因).
国鉄時代の初代はくたかに夜行列車があったとは知らなかったです。しかも定期昼行と同じ485系とは…本来ならば583系の出番のはずだが…全車座席の夜行列車は珍しく晩年の急行能登を彷彿させます。
急行能登みたいな列車ですね
車両もさる事ながら、当時の寝台列車では車掌補と呼ばれる人が3両に1名は配置しないといけない規則になっていたそうですから、人員確保の観点からも座席車になっていた可能性もありそうですね。
急行能登の夜行列車で東京と北陸、けっこう往復していたのを思い出しました。グリーン車も利用しました。
『はくたか』から連想で北越急行の超快速は、今でもあるのかなぁー😂
最適な車輌といえば583系だが、当時は連日の定期運用でいっぱいいっぱいな状況であり、特別急行のアコモデーションと速度を兼ね備えた車輌は485系しかなかったのでしょう。
ちなみに485系が夜行特急として用いられたのは他に「有明」もありましたね。
583系は車両重量が重いうえに車体断面も大きかったからか、意外と運行実績がある路線はかぎられていた。
大宮、高崎に止まらないのも珍しい。
50年も前のこと、両親と富山へ帰省した際にはくたかに乗車しました。上野発8時8分でした。高岡で両親が下車。金沢まで行ってベッドマークが変わるところを写真に撮って喜んでたのを思いだします。東京に住んでた自分が九州、関西の特急の写真が撮れる唯一の手段でした。
300番台に乾杯🍻
昔は大阪発新潟行きの夜行急行がありました。高岡に早朝5時半頃着でしたね。冬の時期でしたのでスノートレインでしたでしょうか。北海道で運行されていたハマナスみたいな感じでした。
臨時の夜行はくたか号の元となった列車は、1968年〜1969年の年末年始に登場した急行北陸51号になるようです。(上野2013→富山615・富山2255→上野915)その後お盆や年末年始を中心に設定され続け、1971年の夏の運行を最後に一旦廃止されました。その後1971年~1972年の年末年始より同区間で特急はくたか51号(上野2356→富山718・富山2219→上野433)として再び運行されるようになりました。※1971年の運行もありました。見落としていましたので修正をいたしました。
上野駅で宮原の11両編成を見たことがある。
1972年夏のダイヤを見ていこう
→なぜか見られないのだが
旧国鉄、オール座席車の夜行列車が結構運転されていました。臨時列車だとひどい車両の列車もありましたね。高速道路が普及していなかったあの時代、それでも皆さん我慢して乗ったのでしょう。
70年代末から80年代は赤羽にいましたがはくたかは記憶にある限り数回しか見て無いですね。青地に鷹のヘッドマーク、見たときははくただよ!と。ときやひばりはまたかよと… 廃止直前まで上野に上り下り何時に来てたのか、全く記憶にないのですが、ときひばりはつかりやまびこよりレアなはくたか、断片的ながらも見られてよかったです。
上越線経由の「はくたか」に乗って富山に行ったことがあります。
しかし、同名の夜行の存在は知りませんでした。「北陸」と違い長岡で客扱いしていたのですね。
晩年の「白山」は1往復しかないのに「L特急」なのが謎ですが。
今度は「かがやき」も取り上げてほしいです。もちろん、新幹線になる前のを。
「白山」は「あさま」と合わせてのL特急。他に「つばさ」「やまばと」もあった😉
はくたかって鳥は実在こそしないけど相当前から列車愛称としてはあったんだな…
追記
在来線(北越急行)はくたか乗ってみたかったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
最晩年の『急行能登』。雪を纏った上野到着、写真撮りにいったよな〜🎉
この列車よりも特急夕月を取り上げてほしかったです。ユは昼行特急みどりとともに489系が始めて九州二乗り入りた列車でした。このときはサハ489型をハズした11両編成でした。また485系など特急型の不通齒シートピッチ910mmでシカモ座席下に暖房装置のカバーがあり足が伸ばせず長期的には、不向きでした。583系や急行型の固定クロスートのほうが足は伸ばせて楽でした。ただし背中のクッションは回転クロスシートのほうが良い。
ミステリートレインとか東上線の池袋から寄居周りで遠回りして東武日光まで運行した電車とかもありますぜ!
14系座席車の夜行特急はいろいろあったのでは?
金星とか日本海とか…
ゆうづるもそうですね。これらのうち金星を除いて12系時代から特急料金100円引きで運転されていました。夜行つばさにいたっては、181系と14系座席車が最繁忙期に運転されたこともありました。これらの特急型はシートピッチ910mmと狭くまた、座席下に暖房カバーがあって足が伸ばせず窮屈で夜行には向かなかった。
あたしははくたか好きです。🐹🐱
然し[北陸]も[あけぼの]も登場当時は20系。[あけぼの]までは新製車だった様だが[北陸]は24系投入で東海道方面から捻出された車輛の転用だった。電車・気動車に於いては特急型とそれ以外とは厳然たる区別があったが、客車に関してはアバウトで14系座席車など特急・急行・鈍行(快速)運用が同時期に存在した。また多客期臨時では14系座席車による夜行特急は実例がある。
当時の「はくたか」は上越線経由で489系で運転され、昭和57年11月のダイヤ改正で廃止されました。
上野から金沢へは6時間45分です
上野 大宮 高崎 長岡 直江津 富山 高岡 金沢
はくたか1号 8:19 8:46 9:43 = 11:47 12:44 14:14 14:30 15:04
489系はゴウサントウダイヤ改正からですね!それまでは向日町運転所の485系・481系の食堂車組込みの6M5T11両編成でした。なお昭和51年10月からはサハ481型が増結されていて12両編成になっています。
特急北斗にも臨時夜行があったね
往年の急行能登に近いダイヤだな
雷鳥の列車名も復活してほしいな。
復活するとすれば新幹線
音は4音とは言えひらがな五文字の新幹線は前例がない
「らいてふ」「はくてふ」みたいになるのかな?
まあ復活は厳しそうですねえ...
北越急行のはくたかと新幹線のはくたかしか知らんかったから意外
画像16の485(489)のときがあった事初めて知りました。結構貴重ですか?
貴重です。
実際には上野、富山共に有効時間帯に発着してA寝台、B寝台、グリーン座席指定席、普通指定席、普通自由席と、多くの需要に応えた普通急行能登号の方が圧倒的に便利だったと愚考いたします。
昼行特急はくたか51号に使われた485系電車特急の間合い運用として使いたかった(ついでに料金値上げによる増収策を図りたかった)国鉄当局の思惑がうまく行かなかったのかも知れませんね。
その需要に応える目的で寝台特急北陸号へ発展的に継承されたのでしょうか。
もしかしたら、停泊させる車庫に余裕が無かったから夜行列車に充当していた可能性もあります。
当時能登は信越本線経由の臨時の急行です。急行は北陸が定期の寝台列車と季節列車の一般急行が上越線経由で急行越前が信越本線経由でした。能登はゴウマルサンダイヤ改正で季節列車の北陸が20系寝台特急に格上げされたために一般急行として能登の愛称が与えられました。能登愛称自体は、ヨンサントウ白紙ダイヤ改正前まで東京から東海道本線米原経由で金沢までの列車に使われていました。
手元に1973年12月号の時刻表があるんですが12/28-31と1/4-6のみの運行というわけで最繁忙期限定の運行みたいです。また同様の最繁忙期の座席夜行臨特は北海・北斗・あけぼの・はくつる・やまびこ・やまばとなど東日本各地にあり(なぜか西日本は四国の「しおかぜ」のみ)、客車便は指定席が100円引き(12系でも使ってたのか?)ということもあっていろいろ興味がつきません。
100円引きは、12系客車を使っていたことの証左です。
上野・金沢間で上越線経由の昼行特急「はくたか」なら知ってましたが」これは驚きです
コウマルサンダイヤ改正以降特急北陸51号として繁忙期に運転されたこともあったと思う。
第一こだま号の資料あったらアップしてほしいです
国鉄時代のはくたかは知っていましたが、夜行が走っていたのは知りませんでした。
なぜわざわざ上越線経由で金沢に行くのか、疑問でしたが、碓氷峠の事情だったのですね。
白山が出来た後も廃止にはならなかったのですね。
国鉄時代はバラエティーに富んだ列車がたくさんあって楽しかったですが、私鉄(JR)になって採算ばかり考える運行になってつまらないです。
採算考えないからJR化されたんだが(まぁ、当時は保安設備の関係で有人駅多数とか郵便📮・荷物📦️輸送の関係で夜行列車設定とか仕方ない部分はあったが)😉
はくたかは東日本と西日本の架け橋的な名門特別急行だが、北陸新幹線の金沢延伸で凱旋帰京を果たすも学生ら卒業時の翼をくださいに連想するなぁ〜✋☺🚃
富山発着というのは、おそらく、雷鳥やしらさぎで富山に着いた編成を臨時はくたかに充当していたのでしょう。
かすかに覚えているが、車両運用上の問題もさることながら、寝台車を併結するには距離が短すぎた印象。
まぁ夜行列車の首都圏到着は朝ラッシュ前~九州ブルトレは朝ラッシュ後~に到着するのが鉄則だが、それでも午前6時台というのがルールだった。それに寝台券の払い戻し基準に「午前6時まで寝台を利用した場合、それ以後に様々な理由で運行は取りやめとなっても、寝台券の部分は払い戻さない」というものがあったため、抵触しないようにという思惑があったんじゃなかろうかと推測している。
「はくたか」は新幹線になったときに当初のルートに戻ったと言えそうです。
見方を変えれば「はくさん」が新幹線の愛称になってもおかしくなかったわけですね
はくたかは蘇る
そもそも北陸新幹線の「はくたか」はルート的には「はくさん」と命名されるべきだったんだよな
寝台車って結構儲かるんでないか? 大昔から三段の囚人護送寝台でも5000円はした気がする。
昼行特急の座席で寝られない?……軟弱者!
プロの乗り鉄なら115系のボックスシートですら眠れます
静岡で211系のロングシートで爆睡できたら勇者。
@@MN-tw5fq 早朝出勤の阪急電車で爆睡していた俺……
165系の上り大垣夜行で名古屋〜東京間を眠ってた事がある。
@@nabe9215 大体俺みたいなビンボ旅行者に寝台など望むべくもないし(笑)
嘘はいけません。デビュー当時特急白鳥は青森編成、上野編成ともに6両で合計12両編成です。またはくたかが485系11両編成になったのは、北陸本線と信越本線の全線電化が完成したので上越線経由になったのです。そして、この当時昼行特急の夜行列車はやまびこややまばとやしなのや夕月につばさでも見られ別に珍しくもなかったですし冬季にはあずさ銀嶺やあさま銀嶺なんかもありました。また12系座席車を使用した臨時のゆうづるや日本海などもありました。12系座席車は特急料金100円引きでした。12系座席車齒昼行特急しおじやつばさでも運用されていました。やがてこれらの12系座席車は14系座席車に徐々に置き換えらられていった。
「はくたか」日本酒?
それははくつる
はくたかは昼行だけのはず