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エキパイのメルトダウンは後のキハ181系しなの号でも頻発してたな。
客車→気動車→電車の3種類の車両を走行した東の名特急3種の車両を走行したのは東のはつかり西のかもめと稀少価値になっている
はつかりの列車番号は青函連絡船の深夜便に接続する列車が号数に関係なく1M、2Mとなっていましたね。
当時の新聞記事にははつかり→がっかり ってね
がっかり特急はつかり特急はつかり故障ばっかりって揶揄されてましたね
山形新幹線開業直後に初期トラブル頻発してた時も山形を捩って「山ガタガタ新幹線」と新聞が揶揄してたな。東京の大新聞は東北地方に恨みでもあるのかと思った。
@@hakomarumaru3827 昔のマスメディアには何か揶揄しないとタヒぬ病の人がいたんですよ。国鉄が増収のアイデアを考えると、それを紹介した後に「はたして上手くいくのでしょうか」等と茶化すのがデフォルトでした。山形新幹線開業の頃はまだ民営化から数年しか経っておらず、そういう感覚の人が残っていたのでしょう
東北新幹線に「はつかり」を使えない理由、雁行運転という言葉があるよう「雁は追い抜きをしないから」という話を駅員時代に聞いたことが。ならば常磐線特急なら使えるのでは?(石岡以南折り返しときわ→ときわ、水戸〜高萩折り返しときわ→ひたち、いわき以北折り返しひたち→はつかり)
国鉄時代、1972年3月札幌-函館-青森-盛岡-仙台と家族旅行をしたり、1980年以降、札幌から東京よ西日本方面に国鉄を使って旅行の際、青函連絡船の深夜便で青森駅に朝方着いて、乗り換えのため、青函連絡船桟橋側の跨線橋を通る際、ホームでそれぞれの方面別に並んでいた特急電車、583系みちのく、485系のはつかりと白鳥が仲良く並んでいる光景は圧巻でした。逆に青森駅に23時前後に到着した上野発のはつかりとそのあとだったと思うけど、大阪発の白鳥が時間差で到着して、乗客が渡道するため、桟橋側の跨線橋を渡って青函連絡船の方の待合室に行き、途中で、乗船名簿を記入して、桟橋のブリッジの箱に名簿を入れていたのは、いつもの光景でした。やっぱり、学校の夏休み、旧盆の時期や年末年始は、当時の状況は青函連絡船を使っての移動が多かったと思います。今は、乗り換えなしで東京から新函館北斗まで、一本で行けるし、2030年代に入れば、北海道新幹線が札幌まで延長開業するので、その時の東北・北海道新幹線の列車名が、「はやぶさ」のままか、新青森止まりに「はつかり」か「みちのく」が復活して、北海道新幹線札幌行きがどうなるのだろう?「すずらん」とか「北斗星」か「北斗」を新幹線に譲って「海回りの特急に「すずらん」とするのか?ちょっとだけワクワクしますね😀
学生のとき、元カノと北海道旅行をした際に、盛岡から乗ったのが「はつかり」だったか。。
皆さんは、583系はBoxだからあまり人気がないようだが、長距離はかえって485系よりも、良いと思う。583系は、車体が重く、ボックスシートとはいえシートピッチが広いため空いていればかえって楽だった。私は485系の白鳥に靑から敦賀まで乗ったが、みちのくの583系に上野から青森まで乗ったんだけど、白鳥よりもみちのくのほうが疲れは少なかったように思い出します。
長距離昼便では583の優位。御指摘内容で割愛されてますが『WCが多く(寝台兼用車ゆえ)しかも昼便定員が少ない為WC待ち時間が485より確実に短い』のは大きかったですw 殊に盛夏、御盆時期帰省列車の場合は大宮『はつかり』/北千住『みちのく』 通過前に車内が酒精漂う”出来上がった”状態になっていたりするとソレは顕著でしたwww後、足元が寝台車用途の勘定で動揺が少なく(自重が有る事も一端)静粛性の高さも長丁場乗車時の疲労度に寄与した、と思われます。 不都合の多い箇所ばかりが目立った器用貧乏な583ですが全車退役後に再考を重ねると当時は指摘されなかった長所が見えて参ります。
583系以外の特急型はシートピッチが910ミリでしかも座席下には暖房装置のカバーがあり、足が伸ばせなかった。今は暖房装置が吊り下げ式に変わっていますが、長時間座っていると本当に疲れるし、エコノミー症候群になりかねなかった。
小学5年生の時に両親の実家、小樽に帰省の時にキハ81のはつかりに乗りました。後に父の転勤で札幌で中学、高校、浪人を過ごし大学受験で上京、帰りは485系のはつかり、連絡船でした。以降は飛行機になってしまい北斗星に乗るまで鉄道は使わなかったです。サンロクトウ、ヨンサントウにワクワクしていた昭和30年生まれのオジンです。。。
悲運のブルドッグが大好きです。奥中山では自転車よりも遅かったですが。東北新幹線の各駅停車系だけでも、はつかりは残してして欲しかった。白鳥は日本海ルートだし・・。北陸新幹線のはくたか・つるぎを残した様に。
大井川鉄道のあいつが元はつかりだったとはね乗りに行きたい
最初は特急つばめとはと用だった。その後はかもめや、はつかりに使用されて夜行急行の主に指定席で使用されて最後は四国の高松運転所で普通列車として使用されボックスシートに固定されました。他にもスハニ35型もありました。特急時代は固定クロスシートで向きを変えられず、終着駅で編成もろとも向きを変えていました。こうしたことから特急かもめは軽量客車のナハ10型か、ナハ11型に変わっています。
はつかりの愛称は北東北の人にとっては特別なもの。はやぶさの愛称は新幹線に合っているとは思うものの、やはりはつかりにして欲しかったと思う。
人気にて似た?営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
その通りですよ 九州人としては『はやぶさ』は長距離ブルートレインのイメージですからね 新幹線には『はつかり』を採用して欲しかったです
新青森開業時に、はやぶさじゃなくてはつかりにすべきだった!それだけはつかりは、地域の人にも愛されていた。
ハヤブサは九州へ向かう列車名として定着していた。
@@N--jv3go それこそ今のみずほをはやぶさにすべきだったと思う。はやぶさは、鹿児島行き列車として定着していたから。寧ろさくらを温存して、西九州新幹線に投入すべきだったと。
@@也寸志稲葉 西九州新幹線はかもめとあかつきでいいよ
はつかりが選ばれなかったのは、青森の列車だったので今後札幌延伸時を考えてのことと、はやぶさのスピード感で選ばれたのではないか今後、札幌から。新函館北斗駅までは、北海が候補となりそう!
昭和54年〜58年まで八戸に住んでました。上りは全てに乗車しました。485系と583系が3往復ずつでした。
下り はつかり1号・5号・7号上り はつかり4号・6号・12号が583系13両。下り はつかり3号・9号・11号上り はつかり2号・8号・10号が485系12両。昭和55年7月26日(日曜日) に上野12時33分発はつかり7号で三戸まで。昭和56年の夏休みに上野8時33分発はつかり3号で三戸まで乗車しました。いずれも三戸に住んでいた祖父母の家に帰省するため。上りのはつかり号は昭和50年頃に八戸駅から乗車した記憶があります。三戸駅にははつかり号が上下2往復ずつ停車していました。下り はつかり3号 上野8時33分発 三戸15時54分着。下り はつかり7号 上野12時33分発 三戸20時00分着。上り はつかり6号 三戸10時45分発 上野18時10分頃着。上り はつかり12号 三戸15時45分発 上野23時10分頃着。一戸と北福岡(二戸)も上野発の昼行特急が上下2往復ずつ停車していました。一戸だけみちのく号(583系常磐線経由 下り上野14時48分発、上り青森4時50分発)停車。その代わりはつかり号が1往復しか停車しません。下りがはつかり7号、上りがはつかり10号。北福岡には下りがはつかり1号と9号。上りがはつかり8号と10号。
青函連絡船のコカ・コーラ自動販売機は青森側(十和田丸等)は250㎜缶。北海道側(羊蹄丸等)は350㎜缶だったと思う。
昔は北海道にしか350mm缶売ってなかったので、よくお土産に買ってきました。
混在でしたか‼ 思えば、最晩年乗船時に十和田丸が続いた時以外、全部北海道側のフネばかりで「珍しい350ml缶だ!」と喜んでいた幼童時分の記憶は御在ましたが青森側のフネでは「みちのくコカ・コーラボトリング」(鶴ヶ坂駅至近に工場)だった訳ですか、そう云う御話は、なかなか耳にする機会も多くない上に記録にも記憶にも残り難いですので、御教示が有難い限りです。
岩手県奥州市出身です。高校二年の修学旅行が東北新幹線開業の前年で、たしかはつかりで上野まで。上野東京間を山手線に乗り、東海道新幹線で京都という経路で、早朝6時に水沢駅に集合し、京都についたのは夕方6時台だったと記憶しています。12時間くらいかかったわけですね。いまだと東北新幹線と東海道新幹線で5時間前後ですね。大学受験の際は新幹線を利用できたので一気に便利になりました。大宮どまりでしたけど…。東北本線の特急に乗ると、振動が激しく。あのぺったんこな紙コップで飲むウォーターサーバーの水をこぼさず受け取るのがかなり難しかった思い出がありますww。
流石、後藤寿庵先生‼ 東北本線系統は高速貨物列車が多く運転されていた都合上、どうしても線路規格に比して過酷な運用が長く続いた結果、本邦屈指の高速旅客列車が「良く揺れる」区間でありました。夜行寝台列車の『ゆうづる』(最大7往復)や『十和田』(最大御5往復)の多数が常磐線経由に比して、東北本線経由の夜行は『はくつる』『八甲田』が共に1往復ずつ(晩年には増減アリ)に留まった時代が長く、理由としては貨物列車を夜間も優先したダイヤだった事と、やはり「揺れが多少なりとも少ない」常磐線回りが夜行列車には都合が良かった旨の指摘を受ける事は御在ました。殊に電気機関車牽引、旧型客車臨時急行『八甲田』に乗った時分には宇都宮以北では本当に良く揺れたのを記憶しております。尚、列車本数や整備条件の違いか有るのか、盛岡以北と宇都宮以南はソコまで酷くなかった様に覚えております。近年、何回か乗りましたけど(普通列車しか無くなってますが速度は高い)整備事情や貨物列車環境が変わったのか、当時の揺れ具合は同じ区間でも見かけなくなりましたwww
はやぶさは九州行きブルートレインの印象がいまだに強く、馴染めません。はつかりの名前が復活してほしいです。
70年の大阪万博の夏の繁忙期には常磐線経由のはつかりがたしかあったように思います。これは仙台青森間の特急とうほくを延長するかたちで設定された。のちにこの列車は東北本線経由のはつかりになった。
統一列車は走る🇰🇵
縦型(竪型?)を横型にしたDMH17H機関。横型にしたことで当初エンジンオイルの潤滑に難があったこと。気動車としては異例の長距離を走らせたこと。パワー不足なのに無動力の食堂車を連結したことなど(おまけに先頭車も走行機関1台/後は発電用)、後追いで考えると、開発を急ぎすぎて、ツッコミどころ満載の気動車だったと思います。
懐かしいな、青森に行くときによく乗ったっけ。盛岡駅で新幹線から乗り換えの短い時間、在来線まで走ってホームでうどん買って列車に持ち込んで食べたっけな。出発到着のあのメロディも好きだった。
東北・北海道新幹線の列車名公募、一般投票が3回行われて3回共『はつかり』がTOPだったのですが、到頭採用されておりません。 某●森県内では「国鉄末期『はつかり』の名前は新幹線には採用しない」旨の申し送りが有ってJ●東▼本は今でもソレを墨守している、等と陰口を叩かれていたのを聞いております。
東北新幹線八戸延伸時、伝統の「はつかり」という愛称を捨て、東北新幹線のシンボルカラーだったグリーンも捨て、青と赤のE2系が「はやて」としてデビューしたのを見てショックを受けたもんです。
はつかり大好きでした。なぜ新幹線の愛称がはつかりがダメなのか。はやぶさって未だにブルートレインの東京から西鹿児島を走っていた列車しか思い浮かばないです。東京発16時45分の寝台特急はやぶさ号です。さくらもみずほも山陽・九州新幹線で走っているのは納得ができます。さくら号は東京発16時30分、みずほ号は東京発17時00分でした。新幹線はやぶさなんてかぶっているのが東京だけですもん。他の新幹線もその地方を走っていた特急などの愛称を継承しているのに。はやぶさじゃなくて他の愛称はなかったのでしょうか?4文字以内で東北・北海道新幹線にふさわしいの何かないかなあー?
ブルトレはやぶさはJR東が運行していて商標権はJR東が持っていたんじゃない?だからJR九州では使えないしはやぶさの方がスピード感があって採用されたのだと。札幌延伸時にはつかり復活を願ってます
@@おしげ-b6k 母方の祖父母が三戸に住んでいたので昼行特急といえば「はつかり号 」でした。新幹線開業前は2往復ずつ停車していました。すごく思い入れのある特急でした。
【はつかり】って、そういえば常磐特急だったんだ。東北本線特急になってからも、青函深夜便接続で【みちのく】が同じスジを受け継いでいた。昼行で【はつかり/みちのく】夜行で【はくつる/ゆうづる】が輝いていた、旧き良き時代(涙)。
確か、青森発ははつかりの後、すぐにみちのくが出発し、日本海ルートは大阪行きの白鳥が出発していた。対して函館側も北斗の続行で北海(山線経由)が組まれていたと思います。小学生のころ、東武伊勢崎線の北千住で待っていると、13時20分過ぎにみちのくが通過していた。
@@tsuka5116 北海道側の相方は【おおぞら】【北海】【ニセコ】ですね。
@@tetsu0804 さんそうですか?わかりました。
@@tsuka5116 青森駅超早朝の情景ですね~~。 一方の深夜も深夜で発は23:58に『はくつる』が0:02に『八甲田』が出て行き、その直前~直後に『はつかり11号』と『みちのく』が入って来るので連絡船指定席(ロザ)又は寝台を確保してある者には、凄く余裕を以て出入りの激しく見応え有る青森駅の情景を堪能出来たものでした。あの長い跨線橋から眺めた出入りする列車風景の豪華さや多彩さは本邦屈指の稀有な光景でありました。
人気にて乗れる営業には審査にて黒字列車創作を四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
東京から北海道へ行くには欠かせない特急列車である。特急「はつかり5号」上野 10時05分青森 19時04分青森から函館へは青函連絡船急行「すずらん5号」函館 23時40分札幌 6時08分特急「オホーツク」札幌 7時00分網走 12時42分
残念ながらゴツサントウダイヤ改正では、上野発着の列車は減速された。これは、列車の増発をするためだった。
皮肉にもその頃が上野発特急の一番輝いていた時代なんだけどね
485系の方がよかった。フツーに速いし。気動車特急時代のはつかり、動力集中方式時代のはつかりは嫌いだったなぁ。
2010年に東北新幹線が新青森まで延伸し、翌年E5系投入時の愛称の公募では「はつかり」が1位だったのですが、残念ながら採用されず、現在の「はやぶさ」になりましたね。
1980年前後は上野駅は賑わっていたな。母親の実家が秋田だったので485系つばさは良く乗った。はつかりは新幹線開業後に盛岡〜青森間で乗りました。583系でした。
当時「はやぶさ」の名前はJR東日本内では既に決定事項であり、世間の注目度アップの為に一般公募した感じなんですかね。
高輪ナントカ見れば公募何の意味もない…
@@社畜の棺桶 左様で御在ます。大宮⇔盛岡 八戸延伸、函館延伸、3回の列車名一般公募で3回共TOP得票は一貫して『はつかり』でしたが「新幹線列車名としては『はつかり』は使わない様に」との申し送りが国鉄末期から有った、旨の噂は複数個所で耳にしております。
@@パンチョ特盛 ?審査にて導入は?黒字は四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
電車もそうだけど、気動車は特に「油」の管理が大変。性能の良いオイルクーラーすら持たない気動車での長距離運行は大変だったと思います。電車でもギヤオイルの冷却は大切ですからね。
DMH17H揚油機構の完成度が低かった時分に多発した事案ですね。元々が戦前(昭和17年設計図完成、しかも、その元がガソリンエンジン派生)の縦置きエンジンを床下艤装の都合に合わせる為に強引な横置き(H附番)を短期間で強行したのが出処でしたから、完成度の向上と運用管理に費やした現場の方々や技術陣の御尽力には半世紀過ぎた今でも頭が下がる思いです。
はつかりの運行本数は1978年10月改正が最も多いですが、スピード面では1975年3月改正の時が、最も速かったりします。※1978年改正では、特急にパターンダイヤが導入されたため、運行時間がのびたようです。
53-10では1&2Mが485系化
今のはやぶさ号の名前一般公募の際人気1位は「はつかり」だったのになぜか8位の「はやぶさ」が選ばれ、寝台特急から「はやぶさ」が消えたのを待ってこっちに名前つける気満々だった出来レースと言われてましたね・・・もっとも2位が「はつね」だったので、「もし人気投票に従ってたら「はつね」になりかねない」という意見を聞かされるとぐうの音も出ないのも事実ですが・・・
国鉄残党の策謀は明らか。
このはつかりには、お世話になりましたね❤️高校の修学旅行のときに青森から上野迄寝台列車でしたね❗上野から山手線で東京駅迄行き東京駅からは、新幹線で移動し二日後にまた新幹線で東京宿泊して次の日に常磐線経由のはつかりで青森迄、青森に23時50分に、午前0時10分発電の青函連絡船の十和田丸で函館に函館からは、特別急行おおぞらで旭川迄それからバスに乗り換えて富良野に帰り修学旅行は終わったのです。5泊6日長くて短い旅行で2度もはつかりにお世話になりましたね❤️その後、専門学校で仙台にいつた時は、東京に遊びに行く時も利用した思い出の列車です😌💓
それ、はつかりじゃなくて同形式を使用した別列車では?はつかりが寝台列車だった事は一度もありません
L特急化された後もトップナンバーの1Mは朝の始発ではなく、上野を夕方に発つ便に付与され続けていましたね。札幌に翌日午前中に到達できる接続こそが東北本線のエースということでしょうか。
左様で御在ます。 1M『はつかり』最速列車~1便青函連絡船深夜便~1D『北斗』最速列車 と連なる乗継が対北海道連絡の最も格上、概ね最速の連絡となる列車乗継だった時代が長く、その頃の情景と伝統を(その主たる任務を喪失した後も)継承し続けていた、と云える模様です。 尚、上り列車も2D~2便~2Mで 2Dが札幌を夕方発2便が連絡船深夜便、2Mが早朝青森発、午後の早い時刻に上野着。となっておりました。
貨物列車も対北海道便は発車順ではなく北海道上陸順で付番されていて、やはり夕方の列車に小さい番号が付いていたと聞きます。いかに北海道輸送を意識していたかが感じられますね。
@@harukasama76 上野15時30分発 はつかり11号(485系12両編成)が1Mでした。青森0時13分着(東北新幹線開業前)
東北特急の中には、大宮通過はもちろん、上野~郡山ノンストップがあったらしいです。乗務員の労働環境の改善で宇都宮に特急全てが停車するようになったとおもいます。
53.10改正ではつかり(1M,2M)は郡山、一ノ関、八戸に停車するようになりましたが、これも乗務員の労働環境改善が目的でしたね。
何処に?停めて営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
最初の頃はボンネットのひげがなかったので151系とは車高と字幕式方向幕以外あまり差はなかった。また白鳥といなほは最初の頃は片方がボンネット型だった。これは青森運転所に200番台が、所定数揃わなかったための措置だった。
また、青森方だけ新造の先頭車が宛がわれた理由として、連絡船対応の為、青森桟橋直通の長距離無線連絡機器が装備されていた事情も御在ます。(大阪/上野方先頭車には当然不要な装備なので後回しが成立)
人気にて増は?営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
新青森延伸時に「はやぶさ」ではなく「はつかり」になっていたら、九州新幹線は「みずほ」ではなく「はやぶさ」になってたと思う。
尻内=現在の八戸、平=現在のいわきですね。
はつかりという名に特別な思いを持つ東北人は多いだろう。私は新幹線連絡特急のイメージが強いが、初めて乗った在来線特急がはつかりだったしその後もよく利用した。新幹線にスピードのイメージを持つ名前を付けたい気持ちも分かるが、はつかりの名をこのまま歴史の中にしまってしまうのはやはり悲しいな。
私は「はつかり」はとてもいい名前だと思うしどこかで残ってほしいけど、今の人たちには「はつかりって何?」て感じだと思う。だから新幹線のような万人向けの列車名に選ばれる可能性はなさそうな気がする。
新青森延伸時の愛称公募で1位は「はつかり」でした…「はやぶさ」は、確か5位くらいだったかと…
それはある。「はつかり」は少々分かりにくいだから分かりやすい「はやぶさ」が愛称になるのは全くおかしくない話この公募で一番おかしいのは「緑=初音ミク」を錯覚したクソヲタ共の(日本人お得意)組織票で「はつね」が2位に入った事だ!
最速便は「はやて」のままがよかったなぁ…盛岡以北便だけ「はつかり」が個人的には1番しっくり来る
@@小早川美幸-h1e はやぶさは九州方面の新幹線の愛称になってほしかったなぁ
みずほ「」
全然関係ないが山梨県内の中央本線に初狩駅がある。
特急といえばはつかり
今の北海道新幹線の終着駅の所在地は函館市ではなく北斗市です。そのことに大泉洋のお兄さんが非常に気に食わないものを持っていて、函館にミニ新幹線を引っ張ってこようとしているのです。
ガンちゃん「ヤッターワン、メカの素だ!」
ブルドックが終焉を迎えた「くろしお」で、今やパンダ顔やイルカ顔の特急が走ってる.........これも何かの因縁ですかね。
2:492番線に貴重な黄色101系の山手線が写っている。ブルドックっは冬場のデビューで良かった寒い東北方面でこれだけトラブルが出るなら夏場だったらもっと大変だっただろう、新幹線も列車名もハヤブサなんて言う場違いな名前でなくはつかりにしておけばSL+客車、気動車、電車、新幹線、の全て使用した列車だったのにJR東日本は新駅名を含めて命名が下手。
同感です。旧国鉄からの申し送りを墨守しているのか、斯社の「命名が下手」は痛感する処が多いです。
はつかり がっかり 事故ばっかりはこれだっけ
ほかのコメで混同してる人もいるけどそれは「いしかり」ね
@@mothlla3000「いしかり がっかり 事故ばっかり」じゃあ語感揃わんやろ😉
津軽海峡線(現いさりび鉄道)沿いに住んでますが、特急といえばはつかりでしたね。国鉄特急色はなんとなく覚えてますし485の3000番台はよく覚えてます。
俺のハートが火を吹くぜ(一切の誇張表現無し)
5:17 統一列車を使うのはセンスありますね〜(この曲自体の評価は別にして)はつかりの新幹線の愛称ですが、札幌〜仙台とかの区間便ではありそうですけど、北海道の人にとってそこまで馴染みないと思うので、復活しなさそうですけどねー
関西の鉄道ファンからするとキハ81は「はつかり」ではなく「くろしお」かもしれない弁天町の交通科学博物館に展示もされてたしねはつかりが新幹線として復活してくれたら胸アツ
人気にて似た?営業には審査にて黒字列車創作を四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
新幹線の愛称には、住民は愛着のあるはつかりを推していたみたいですね。ただ、JR東日本が嫌がったと。
大宮⇔盛岡 八戸延伸 新青森延伸 の三回 列車名一般公募では3回共TOP得票は一貫して『はつかり』でしたが、国鉄末期の上層部申し送りで『はつかり』の名は新幹線では採用しない、旨、通っていたと複数個所で伺っております。
はつかりに使われた81系の壊れっぷりを見ると「第1あずさ」 のエピソードを思いだしました。「第1あずさ」に似たようなエピソードを持つ列車は多いので、これで1本できるのでは?(笑)
京都鉄道博物館で6月にキハ81の車内が公開されるようなのでぜひ行きたいです!!
たまに盛岡に行く時は、6:33のやまびこ1号に乗ってました。あとははつかり1号だったと思うけど、583より485に乗ってましたね。新幹線開業の前日はお名残りのやまびこに、はつかりは一往復くらい(ひばりも)動いてたので、これもお名残りに乗りました。あとになって、東北旅行のついでに盛岡〜青森の各地ではつかりを撮りました。繁忙期になると485は8連、583は堂々12連の勇姿。クハネ583−1も健在でした(クハ481−1はひたち)。そのうち485改や751が走るようになったのにはガッカリでした。
ワイ的理想最速達 はつかり東京、大宮、仙台、盛岡、新青森、新函館、札幌準速達 はやぶさ(+こまち)東京、上野、大宮、仙台、盛岡から各駅
逆になると思います。
なんで宇都宮止まらんの?
無敵の顔を垂らすメディア強(し)いて その秘密ミステリアス抜けてる所さえ彼女のエリア完璧で嘘つきな君は天才的なアイドル様
戦前からのエンジンなのに 1960年ころまでには熟成はされなかったのかね?しかしこんなエンジンを平成に入っても使ってたとは驚きですね 海外に目を向ければ軽量・大出力のものがあったのに国鉄は国産優先だからダメだったんですかね?
3車種使用の特急列車は、かもめもッスよ。
正に【火の玉 特急】🤪
一連のトラブルの根本原因はズバリ出力不足。そもそも当初設計では400PS×8=3200、の編成出力で運用する予定が180PS×2×6+180PS×2=2520、と20%も出力ダウンそもそもDMH17エンジン自体戦前の設計でそれを水平対向エンジンにして目先誤魔化して新型エンジンと称したところ自体既にフラグもの、更に諸外国ならそんなポンコツエンジンでもせめてターボ過給機つけて騙し騙し使えるレベルまで持っていくところ、このエンジン自体ターボ過給機さえ使えない超ポンコツエンジン、故に5分以上全力運転すると排気管が過熱で火を噴くどころかエンジンがぶっ壊れる酷い代物。キハ82系で食堂車の定員も水タンク容量も減らしてまでエンジンをつけたのはこのボロエンジンを騙し騙し使う為の苦肉の策。これでも所要出力より10%不足してます。ちなみに日本のディーゼルエンジンのボロぶりは酷いもので、1988年のアルカディア号事故でキハ58系の図面を見たJR東日本山下会長は見た瞬間「おい、いまだに戦前のエンジン使ってるのか!」と呆れて激怒、すぐに前職場から鉄道車両に使えそうなエンジンのサンプルを取り寄せ、速攻で重役会議開いて「気動車のエンジンをすぐ交換しろ!お前ら今まで何やってたんじゃあ」と吠えまくったそうです。しかし現在でも日本のディーゼルエンジン技術は2周回遅れ、例えばカミンズエンジンの場合、本国のカミンズではとっくにカタログ落ちしたボロエンジンを最新型エンジンとしてHC85に搭載する有様、ぶっちゃけ日本にエンジン技術で勝てないからバッテリー式にシフトさせた中国の方がディーゼルカーでは一歩も二歩も進んでいます。
日本では鉄道においては排ガス規制もかかっていないので、高い金掛けてわざわざ触媒処理装置が付いた最新型を買うくらいならカタログ落ちしてるレベルの旧設計エンジンの方が安いし出力も良いし維持も楽というのは道理です。最近の電気式車は産業用エンジンの流用で、ある程度の性能改善はしているようですけど。
181も東北一暑い板谷を走らせたばかりに😅 😅😅
動画の終盤にあった将来の北海道新幹線札幌延伸開業時の新幹線列車愛称に往年の東北特急[はつかり]の愛称復活か?…の件は、正直云って「もはやかなり遅すぎる感」が高い気がしてならない。現代の列車愛称命名の基準は、これまでの国鉄時代や民営化直後のJR化初期の時代と比較すると、鉄道に愛着を持つ鉄道趣味人の様々な多様性が拡大して行くのに伴う様にかなり意外性が高い命名事例が増え、これまでの様なご当地馴染みの在来線優等列車愛称名を新幹線列車愛称として踏襲する暗黙のルールが必ずしも通用しない事が増えた様に感じられる。特に…東北新幹線の列車愛称命名で最も解せなかったのは[はやぶさ]の採用である。本来ならばそれ以前の遥か昔…何と戦前の昭和4年に国鉄(鉄道省)初の東京~下関間特急列車の愛称公募候補(この時に実際に採用されたのは[富士][櫻])として既にその名が挙がっていて、それから凡そ73年後のH14-12の東北新幹線八戸延伸時の速達列車愛称として晴れて大抜擢された[はやて]が、そのまま東北新幹線や将来の北海道新幹線直通列車として推移していくのかと思いきや…その後の新青森延伸では突然「降って沸いた」様なまさかの元九州ブルトレの代名詞的存在であった[はやぶさ]を新たな東北新幹線速達列車愛称として登用すると云う…まさに「青天の霹靂」の様な大改変が断行され、個人的にこれ程衝撃を覚えた愛称命名劇は無かった。まあ…更に突き詰めるならば、東北新幹線が大宮~盛岡間の暫定開業でスタートした際、速達列車が元在来線盛岡特急[やまびこ]に命名されたのは合点が行ったものの…その後の上野、東京延伸を経た八戸延伸でこの不遇愛称(疫病の異称として忌み嫌われていた時代があった事が発端)であった[はやて]を持ち出してきた時点からおかしくなった様にも感じられる。本来ならば新青森延伸時点で(これまでの暗黙ルールに則るのであれば)最速達列車は[はつかり]にするのが妥当だったものと思われ、何故…まるで「鶴の一声」の様なニュアンスで[はやぶさ]を持ち出してきたのか?…当時は相当理解に苦しんだ記憶が残っている。まあ…とはいえ、今や[はやぶさ]は東北新幹線を代表する列車愛称としていつの間にか定着している事も事実で、恐らくこの愛称を敢えて改称する…と云う事は考え難く、今となっては今後どうひっくり返っても[はつかり]が復活する可能性は限り無く低い様に思う。勿論新幹線愛称に拘らなければ復活の可能性ゼロでは無いとは思うが、例え愛称名公募か何かで名前が挙がったとしても…公募数の如何に関わらず北海道新幹線列車愛称としては想定外…と私は個人的に予想する次第。
5:17 からの曲が国鉄特急の雰囲気に絶妙にマッチしてる今後もどんどん使って欲しい
しかしE751って本当何だったんだろうE653耐寒仕様ならいくらでも転用できただろうに…
それの失敗がE653改修にフィードバックされたんですよ
当時を考えれば、増備した新車の653を転用なんてするはずもなく。コスト的にも使う計画のない直流機器をわざわざ製造することも無いから交流車にしたのも道理。むしろ快適な新車を渡道させればいいのにATCすら装備せず本州運用にしたのも増備するには需要精査が必要だったのでしょう。最終的につがる転用されてるのだし、結果オーライな気はする。
はつかり の名称は 北海道には何の関係も無いので 名称の復活は無いでしょう。北海道新幹線ならば ほくと、すずらん、エルム、おおとり、のような名称だと思います。
北海道新幹線の愛称は「はまなす」や「ニセコ」がいいと思いますね…
(ボソ)山線経由の特急は「北海」‥‥。
壊れてやがる。早すぎたんだ。
現状ではクリアしないといけない課題はあるにせよ、東北縦断する夜行列車の需要はあるはず。復活して欲しい。(名称は“はつかり”ではないだろうが…)
冷やかしで視聴したのだが不覚にも感動してしまった(T_T)現在はつかりの忘れ形見が大井川鐵道に在る、今度観に行こうと思ふ。
人気にて乗れる営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
はやぶさが定着してるし紛らわしい名前になるから、はつかりの復活はないだろうな。
はつかりは常磐線経由だったのね^^;末期(盛岡⇔青森)では583によく乗ったな🚃新幹線での名称復活を望むけど無理か^^;
はつかりがっかり事故ばっかり
北海道新幹線が札幌まで開通したら愛称はほくとになるでしょ
はつかり、がっかり……😢
北海道新幹線が札幌まで開業したら新しい列車名は「はつね」になるのだろうか。
ありがたいネタなのだが、BGMはなんですか?朝鮮語?
典型的な鉄ヲタコメント💬満載のコメント欄やな。一般ピープルには愛称なんてどうでもいい。しかも、20年以上前に消えた愛称への復活コメント草😉
どうでもいいのにわざわざ喧嘩売りに来るのが草。かまって欲しいの?
エキパイのメルトダウンは後のキハ181系しなの号でも頻発してたな。
客車→気動車→電車の3種類の車両を走行した東の名特急
3種の車両を走行したのは東のはつかり西のかもめと稀少価値になっている
はつかりの列車番号は青函連絡船の深夜便に接続する列車が号数に関係なく1M、2Mとなっていましたね。
当時の新聞記事には
はつかり→がっかり ってね
がっかり特急はつかり
特急はつかり故障ばっかり
って揶揄されてましたね
山形新幹線開業直後に初期トラブル頻発してた時も山形を捩って「山ガタガタ新幹線」と新聞が揶揄してたな。
東京の大新聞は東北地方に恨みでもあるのかと思った。
@@hakomarumaru3827 昔のマスメディアには何か揶揄しないとタヒぬ病の人がいたんですよ。国鉄が増収のアイデアを考えると、それを紹介した後に「はたして上手くいくのでしょうか」等と茶化すのがデフォルトでした。山形新幹線開業の頃はまだ民営化から数年しか経っておらず、そういう感覚の人が残っていたのでしょう
東北新幹線に「はつかり」を使えない理由、雁行運転という言葉があるよう「雁は追い抜きをしないから」という話を駅員時代に聞いたことが。
ならば常磐線特急なら使えるのでは?(石岡以南折り返しときわ→ときわ、水戸〜高萩折り返しときわ→ひたち、いわき以北折り返しひたち→はつかり)
国鉄時代、1972年3月札幌-函館-青森-盛岡-仙台と家族旅行をしたり、1980年以降、札幌から東京よ西日本方面に国鉄を使って旅行の際、青函連絡船の深夜便で青森駅に朝方着いて、乗り換えのため、青函連絡船桟橋側の跨線橋を通る際、ホームでそれぞれの方面別に並んでいた特急電車、583系みちのく、485系のはつかりと白鳥が仲良く並んでいる光景は圧巻でした。
逆に青森駅に23時前後に到着した上野発のはつかりとそのあとだったと思うけど、大阪発の白鳥が時間差で到着して、乗客が渡道するため、桟橋側の跨線橋を渡って青函連絡船の方の待合室に行き、途中で、乗船名簿を記入して、桟橋のブリッジの箱に名簿を入れていたのは、いつもの光景でした。
やっぱり、学校の夏休み、旧盆の時期や年末年始は、当時の状況は青函連絡船を使っての移動が多かったと思います。
今は、乗り換えなしで東京から新函館北斗まで、一本で行けるし、2030年代に入れば、北海道新幹線が札幌まで延長開業するので、その時の東北・北海道新幹線の列車名が、「はやぶさ」のままか、新青森止まりに「はつかり」か「みちのく」が復活して、北海道新幹線札幌行きがどうなるのだろう?「すずらん」とか「北斗星」か「北斗」を新幹線に譲って「海回りの特急に「すずらん」とするのか?ちょっとだけワクワクしますね😀
学生のとき、元カノと北海道旅行をした際に、盛岡から乗ったのが「はつかり」だったか。。
皆さんは、583系はBoxだからあまり人気がないようだが、長距離はかえって485系よりも、良いと思う。583系は、車体が重く、ボックスシートとはいえシートピッチが広いため空いていればかえって楽だった。私は485系の白鳥に靑から敦賀まで乗ったが、みちのくの583系に上野から青森まで乗ったんだけど、白鳥よりもみちのくのほうが疲れは少なかったように思い出します。
長距離昼便では583の優位。御指摘内容で割愛されてますが『WCが多く(寝台兼用車ゆえ)しかも昼便定員が少ない為
WC待ち時間が485より確実に短い』のは大きかったですw 殊に盛夏、御盆時期帰省列車の場合は大宮『はつかり』
/北千住『みちのく』 通過前に車内が酒精漂う”出来上がった”状態になっていたりするとソレは顕著でしたwww
後、足元が寝台車用途の勘定で動揺が少なく(自重が有る事も一端)静粛性の高さも長丁場乗車時の疲労度に
寄与した、と思われます。 不都合の多い箇所ばかりが目立った器用貧乏な583ですが全車退役後に再考を
重ねると当時は指摘されなかった長所が見えて参ります。
583系以外の特急型はシートピッチが910ミリでしかも座席下には暖房装置のカバーがあり、足が伸ばせなかった。今は暖房装置が吊り下げ式に変わっていますが、長時間座っていると本当に疲れるし、エコノミー症候群になりかねなかった。
小学5年生の時に両親の実家、小樽に帰省の時にキハ81のはつかりに乗りました。
後に父の転勤で札幌で中学、高校、浪人を過ごし大学受験で上京、帰りは485系のはつかり、連絡船でした。
以降は飛行機になってしまい北斗星に乗るまで鉄道は使わなかったです。
サンロクトウ、ヨンサントウにワクワクしていた昭和30年生まれのオジンです。。。
悲運のブルドッグが大好きです。
奥中山では自転車よりも遅かったですが。
東北新幹線の各駅停車系だけでも、はつかりは残してして欲しかった。白鳥は日本海ルートだし・・。
北陸新幹線のはくたか・つるぎを残した様に。
大井川鉄道のあいつが元はつかりだったとはね
乗りに行きたい
最初は特急つばめとはと用だった。その後はかもめや、はつかりに使用されて夜行急行の主に指定席で使用されて最後は四国の高松運転所で普通列車として使用されボックスシートに固定されました。他にもスハニ35型もありました。特急時代は固定クロスシートで向きを変えられず、終着駅で編成もろとも向きを変えていました。こうしたことから特急かもめは軽量客車のナハ10型か、ナハ11型に変わっています。
はつかりの愛称は北東北の人にとっては特別なもの。
はやぶさの愛称は新幹線に合っているとは思うものの、やはりはつかりにして欲しかったと思う。
人気にて似た?営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
その通りですよ 九州人としては『はやぶさ』は長距離ブルートレインのイメージですからね 新幹線には『はつかり』を採用して欲しかったです
新青森開業時に、はやぶさじゃなくてはつかりにすべきだった!それだけはつかりは、地域の人にも愛されていた。
ハヤブサは九州へ向かう列車名として定着していた。
@@N--jv3go
それこそ今のみずほをはやぶさにすべきだったと思う。はやぶさは、鹿児島行き列車として定着していたから。寧ろさくらを温存して、西九州新幹線に投入すべきだったと。
@@也寸志稲葉 西九州新幹線はかもめとあかつきでいいよ
はつかりが選ばれなかったのは、青森の列車だったので今後札幌延伸時を考えてのことと、はやぶさのスピード感で選ばれたのではないか今後、札幌から。新函館北斗駅までは、北海が候補となりそう!
昭和54年〜58年まで八戸に住んでました。上りは全てに乗車しました。485系と583系が3往復ずつでした。
下り はつかり1号・5号・7号
上り はつかり4号・6号・12号が583系13両。
下り はつかり3号・9号・11号
上り はつかり2号・8号・10号が485系12両。
昭和55年7月26日(日曜日) に上野12時33分発はつかり7号で三戸まで。
昭和56年の夏休みに上野8時33分発はつかり3号で三戸まで乗車しました。いずれも三戸に住んでいた祖父母の家に帰省するため。上りのはつかり号は昭和50年頃に八戸駅から乗車した記憶があります。
三戸駅にははつかり号が上下2往復ずつ停車していました。
下り はつかり3号 上野8時33分発 三戸15時54分着。
下り はつかり7号 上野12時33分発 三戸20時00分着。
上り はつかり6号 三戸10時45分発 上野18時10分頃着。
上り はつかり12号 三戸15時45分発 上野23時10分頃着。
一戸と北福岡(二戸)も上野発の昼行特急が上下2往復ずつ停車していました。一戸だけみちのく号(583系常磐線経由 下り上野14時48分発、上り青森4時50分発)停車。その代わりはつかり号が1往復しか停車しません。下りがはつかり7号、上りがはつかり10号。北福岡には下りがはつかり1号と9号。上りがはつかり8号と10号。
青函連絡船のコカ・コーラ自動販売機は青森側(十和田丸等)は250㎜缶。
北海道側(羊蹄丸等)は350㎜缶だったと思う。
昔は北海道にしか
350mm缶売ってなかったので、よくお土産に買ってきました。
混在でしたか‼ 思えば、最晩年乗船時に十和田丸が続いた時以外、全部北海道側の
フネばかりで「珍しい350ml缶だ!」と喜んでいた幼童時分の記憶は御在ましたが
青森側のフネでは「みちのくコカ・コーラボトリング」(鶴ヶ坂駅至近に工場)だった
訳ですか、そう云う御話は、なかなか耳にする機会も多くない上に記録にも記憶にも
残り難いですので、御教示が有難い限りです。
岩手県奥州市出身です。高校二年の修学旅行が東北新幹線開業の前年で、たしかはつかりで上野まで。上野東京間を山手線に乗り、東海道新幹線で京都という経路で、早朝6時に水沢駅に集合し、京都についたのは夕方6時台だったと記憶しています。12時間くらいかかったわけですね。いまだと東北新幹線と東海道新幹線で5時間前後ですね。大学受験の際は新幹線を利用できたので一気に便利になりました。大宮どまりでしたけど…。
東北本線の特急に乗ると、振動が激しく。あのぺったんこな紙コップで飲むウォーターサーバーの水をこぼさず受け取るのがかなり難しかった思い出がありますww。
流石、後藤寿庵先生‼ 東北本線系統は高速貨物列車が多く運転されていた都合上、どうしても線路規格に比して
過酷な運用が長く続いた結果、本邦屈指の高速旅客列車が「良く揺れる」区間でありました。夜行寝台列車の
『ゆうづる』(最大7往復)や『十和田』(最大御5往復)の多数が常磐線経由に比して、東北本線経由の夜行は
『はくつる』『八甲田』が共に1往復ずつ(晩年には増減アリ)に留まった時代が長く、理由としては貨物列車を
夜間も優先したダイヤだった事と、やはり「揺れが多少なりとも少ない」常磐線回りが夜行列車には都合が良かった
旨の指摘を受ける事は御在ました。
殊に電気機関車牽引、旧型客車臨時急行『八甲田』に乗った時分には宇都宮以北では本当に良く揺れたのを
記憶しております。尚、列車本数や整備条件の違いか有るのか、盛岡以北と宇都宮以南はソコまで酷くなかった
様に覚えております。近年、何回か乗りましたけど(普通列車しか無くなってますが速度は高い)整備事情や
貨物列車環境が変わったのか、当時の揺れ具合は同じ区間でも見かけなくなりましたwww
はやぶさは九州行きブルートレインの印象がいまだに強く、馴染めません。はつかりの名前が復活してほしいです。
70年の大阪万博の夏の繁忙期には常磐線経由のはつかりがたしかあったように思います。これは仙台青森間の特急とうほくを延長するかたちで設定された。のちにこの列車は東北本線経由のはつかりになった。
統一列車は走る🇰🇵
縦型(竪型?)を横型にしたDMH17H機関。横型にしたことで当初エンジンオイルの潤滑に難があったこと。気動車としては異例の長距離を走らせたこと。パワー不足なのに無動力の食堂車を連結したことなど(おまけに先頭車も走行機関1台/後は発電用)、後追いで考えると、開発を急ぎすぎて、ツッコミどころ満載の気動車だったと思います。
懐かしいな、青森に行くときによく乗ったっけ。
盛岡駅で新幹線から乗り換えの短い時間、在来線まで走って
ホームでうどん買って列車に持ち込んで食べたっけな。
出発到着のあのメロディも好きだった。
東北・北海道新幹線の列車名公募、一般投票が3回行われて3回共『はつかり』が
TOPだったのですが、到頭採用されておりません。 某●森県内では「国鉄末期
『はつかり』の名前は新幹線には採用しない」旨の申し送りが有ってJ●東▼本は
今でもソレを墨守している、等と陰口を叩かれていたのを聞いております。
東北新幹線八戸延伸時、伝統の「はつかり」という愛称を捨て、東北新幹線のシンボルカラーだったグリーンも捨て、青と赤のE2系が「はやて」としてデビューしたのを見てショックを受けたもんです。
はつかり大好きでした。なぜ新幹線の愛称がはつかりがダメなのか。はやぶさって未だにブルートレインの東京から西鹿児島を走っていた列車しか思い浮かばないです。東京発16時45分の寝台特急はやぶさ号です。さくらもみずほも山陽・九州新幹線で走っているのは納得ができます。さくら号は東京発16時30分、みずほ号は東京発17時00分でした。新幹線はやぶさなんてかぶっているのが東京だけですもん。他の新幹線もその地方を走っていた特急などの愛称を継承しているのに。はやぶさじゃなくて他の愛称はなかったのでしょうか?4文字以内で東北・北海道新幹線にふさわしいの何かないかなあー?
ブルトレはやぶさはJR東が運行していて商標権はJR東が持っていたんじゃない?だからJR九州では使えないしはやぶさの方がスピード感があって採用されたのだと。札幌延伸時にはつかり復活を願ってます
@@おしげ-b6k 母方の祖父母が三戸に住んでいたので昼行特急といえば「はつかり号 」でした。新幹線開業前は2往復ずつ停車していました。すごく思い入れのある特急でした。
【はつかり】って、そういえば常磐特急だったんだ。東北本線特急になってからも、青函深夜便接続で【みちのく】が同じスジを受け継いでいた。
昼行で【はつかり/みちのく】夜行で【はくつる/ゆうづる】が輝いていた、旧き良き時代(涙)。
確か、青森発ははつかりの後、すぐにみちのくが出発し、日本海ルートは大阪行きの白鳥が出発していた。
対して函館側も北斗の続行で北海(山線経由)が組まれていたと思います。
小学生のころ、東武伊勢崎線の北千住で待っていると、13時20分過ぎにみちのくが通過していた。
@@tsuka5116 北海道側の相方は【おおぞら】【北海】【ニセコ】ですね。
@@tetsu0804 さん
そうですか?わかりました。
@@tsuka5116 青森駅超早朝の情景ですね~~。 一方の深夜も深夜で発は23:58に『はくつる』が
0:02に『八甲田』が出て行き、その直前~直後に『はつかり11号』と『みちのく』が入って来るので
連絡船指定席(ロザ)又は寝台を確保してある者には、凄く余裕を以て出入りの激しく見応え有る青森駅
の情景を堪能出来たものでした。あの長い跨線橋から眺めた出入りする列車風景の豪華さや多彩さは
本邦屈指の稀有な光景でありました。
人気にて乗れる営業には審査にて黒字列車創作を四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
東京から北海道へ行くには欠かせない特急列車である。
特急「はつかり5号」
上野 10時05分
青森 19時04分
青森から函館へは青函連絡船
急行「すずらん5号」
函館 23時40分
札幌 6時08分
特急「オホーツク」
札幌 7時00分
網走 12時42分
残念ながらゴツサントウダイヤ改正では、上野発着の列車は減速された。これは、列車の増発をするためだった。
皮肉にもその頃が上野発特急の一番輝いていた時代なんだけどね
485系の方がよかった。フツーに速いし。気動車特急時代のはつかり、動力集中方式時代のはつかりは嫌いだったなぁ。
2010年に東北新幹線が新青森まで延伸し、翌年E5系投入時の愛称の公募では「はつかり」が1位だったのですが、残念ながら採用されず、現在の「はやぶさ」になりましたね。
1980年前後は上野駅は賑わっていたな。母親の実家が秋田だったので485系つばさは良く乗った。はつかりは新幹線開業後に盛岡〜青森間で乗りました。583系でした。
当時「はやぶさ」の名前はJR東日本内では既に決定事項であり、世間の注目度アップの為に一般公募した感じなんですかね。
高輪ナントカ見れば公募何の意味もない…
@@社畜の棺桶 左様で御在ます。大宮⇔盛岡 八戸延伸、函館延伸、3回の列車名一般公募で3回共
TOP得票は一貫して『はつかり』でしたが「新幹線列車名としては『はつかり』は使わない様に」との
申し送りが国鉄末期から有った、旨の噂は複数個所で耳にしております。
@@パンチョ特盛 ?審査にて導入は?黒字は四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
電車もそうだけど、気動車は特に「油」の管理が大変。
性能の良いオイルクーラーすら持たない気動車での長距離運行は大変だったと思います。
電車でもギヤオイルの冷却は大切ですからね。
DMH17H揚油機構の完成度が低かった時分に多発した事案ですね。
元々が戦前(昭和17年設計図完成、しかも、その元がガソリンエンジン派生)
の縦置きエンジンを床下艤装の都合に合わせる為に強引な横置き(H附番)
を短期間で強行したのが出処でしたから、完成度の向上と運用管理に費やした
現場の方々や技術陣の御尽力には半世紀過ぎた今でも頭が下がる思いです。
はつかりの運行本数は1978年10月改正が最も多いですが、スピード面では1975年3月改正の時が、最も速かったりします。※1978年改正では、特急にパターンダイヤが導入されたため、運行時間がのびたようです。
53-10では1&2Mが485系化
今のはやぶさ号の名前一般公募の際人気1位は「はつかり」だったのに
なぜか8位の「はやぶさ」が選ばれ、寝台特急から「はやぶさ」が消えたのを待って
こっちに名前つける気満々だった出来レースと言われてましたね・・・
もっとも2位が「はつね」だったので、「もし人気投票に従ってたら「はつね」になりかねない」と
いう意見を聞かされるとぐうの音も出ないのも事実ですが・・・
国鉄残党の策謀は明らか。
このはつかりには、お世話になりましたね❤️
高校の修学旅行のときに青森から上野迄寝台列車でしたね❗上野から山手線で東京駅迄行き
東京駅からは、新幹線で移動し二日後にまた新幹線で東京宿泊して次の日に
常磐線経由のはつかりで青森迄、青森に23時50分に、午前0時10分発電の青函連絡船の十和田丸で函館に
函館からは、特別急行おおぞらで旭川迄それからバスに乗り換えて富良野に帰り修学旅行は終わったのです。
5泊6日長くて短い旅行で2度もはつかりにお世話になりましたね❤️
その後、専門学校で仙台にいつた時は、東京に遊びに行く時も利用した思い出の列車です😌💓
それ、はつかりじゃなくて同形式を使用した別列車では?はつかりが寝台列車だった事は一度もありません
L特急化された後もトップナンバーの1Mは朝の始発ではなく、上野を夕方に発つ便に付与され続けていましたね。札幌に翌日午前中に到達できる接続こそが東北本線のエースということでしょうか。
左様で御在ます。 1M『はつかり』最速列車~1便青函連絡船深夜便~1D『北斗』最速列車 と連なる乗継が
対北海道連絡の最も格上、概ね最速の連絡となる列車乗継だった時代が長く、その頃の情景と伝統を(その主たる
任務を喪失した後も)継承し続けていた、と云える模様です。 尚、上り列車も2D~2便~2Mで 2Dが札幌を夕方発
2便が連絡船深夜便、2Mが早朝青森発、午後の早い時刻に上野着。となっておりました。
貨物列車も対北海道便は発車順ではなく北海道上陸順で付番されていて、やはり夕方の列車に小さい番号が付いていたと聞きます。
いかに北海道輸送を意識していたかが感じられますね。
@@harukasama76
上野15時30分発 はつかり11号(485系12両編成)が1Mでした。青森0時13分着(東北新幹線開業前)
東北特急の中には、大宮通過はもちろん、上野~郡山ノンストップがあったらしいです。
乗務員の労働環境の改善で宇都宮に特急全てが停車するようになったとおもいます。
53.10改正ではつかり(1M,2M)は郡山、一ノ関、八戸に停車するようになりましたが、これも乗務員の労働環境改善が目的でしたね。
何処に?停めて営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
最初の頃はボンネットのひげがなかったので151系とは車高と字幕式方向幕以外あまり差はなかった。また白鳥といなほは最初の頃は片方がボンネット型だった。これは青森運転所に200番台が、所定数揃わなかったための措置だった。
また、青森方だけ新造の先頭車が宛がわれた理由として、連絡船対応の為、青森桟橋直通の長距離無線連絡機器が
装備されていた事情も御在ます。(大阪/上野方先頭車には当然不要な装備なので後回しが成立)
人気にて増は?営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
新青森延伸時に「はやぶさ」ではなく「はつかり」になっていたら、
九州新幹線は「みずほ」ではなく「はやぶさ」になってたと思う。
尻内=現在の八戸、平=現在のいわきですね。
はつかりという名に特別な思いを持つ東北人は多いだろう。私は新幹線連絡特急のイメージが強いが、初めて乗った在来線特急がはつかりだったしその後もよく利用した。新幹線にスピードのイメージを持つ名前を付けたい気持ちも分かるが、はつかりの名をこのまま歴史の中にしまってしまうのはやはり悲しいな。
私は「はつかり」はとてもいい名前だと思うしどこかで残ってほしいけど、今の人たちには「はつかりって何?」て感じだと思う。だから新幹線のような万人向けの列車名に選ばれる可能性はなさそうな気がする。
新青森延伸時の愛称公募で1位は「はつかり」でした…
「はやぶさ」は、確か5位くらいだったかと…
それはある。「はつかり」は少々分かりにくい
だから分かりやすい「はやぶさ」が愛称になるのは全くおかしくない話
この公募で一番おかしいのは「緑=初音ミク」を錯覚したクソヲタ共の(日本人お得意)組織票で「はつね」が2位に入った事だ!
最速便は「はやて」のままがよかったなぁ…盛岡以北便だけ「はつかり」が個人的には1番しっくり来る
@@小早川美幸-h1e はやぶさは九州方面の新幹線の愛称になってほしかったなぁ
みずほ「」
全然関係ないが山梨県内の中央本線に初狩駅がある。
特急といえばはつかり
今の北海道新幹線の終着駅の所在地は函館市ではなく北斗市です。そのことに大泉洋のお兄さんが非常に気に食わないものを持っていて、函館にミニ新幹線を引っ張ってこようとしているのです。
ガンちゃん「ヤッターワン、メカの素だ!」
ブルドックが終焉を迎えた「くろしお」で、今やパンダ顔やイルカ顔の特急が走ってる.........これも何かの因縁ですかね。
2:492番線に貴重な黄色101系の山手線が写っている。ブルドックっは冬場のデビューで良かった寒い東北方面でこれだけトラブルが出るなら夏場だったらもっと大変だっただろう、新幹線も列車名もハヤブサなんて言う場違いな名前でなくはつかりにしておけばSL+客車、気動車、電車、新幹線、の全て使用した列車だったのにJR東日本は新駅名を含めて命名が下手。
同感です。旧国鉄からの申し送りを墨守しているのか、斯社の「命名が下手」は痛感する処が多いです。
はつかり がっかり 事故ばっかり
はこれだっけ
ほかのコメで混同してる人もいるけどそれは「いしかり」ね
@@mothlla3000「いしかり がっかり 事故ばっかり」じゃあ語感揃わんやろ😉
津軽海峡線(現いさりび鉄道)沿いに住んでますが、特急といえばはつかりでしたね。国鉄特急色はなんとなく覚えてますし485の3000番台はよく覚えてます。
俺のハートが火を吹くぜ(一切の誇張表現無し)
5:17 統一列車を使うのはセンスありますね〜(この曲自体の評価は別にして)
はつかりの新幹線の愛称ですが、札幌〜仙台とかの区間便ではありそうですけど、北海道の人にとってそこまで馴染みないと思うので、復活しなさそうですけどねー
関西の鉄道ファンからするとキハ81は「はつかり」ではなく「くろしお」かもしれない
弁天町の交通科学博物館に展示もされてたしね
はつかりが新幹線として復活してくれたら胸アツ
人気にて似た?営業には審査にて黒字列車創作を四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
新幹線の愛称には、住民は愛着のあるはつかりを推していたみたいですね。ただ、JR東日本が嫌がったと。
大宮⇔盛岡 八戸延伸 新青森延伸 の三回 列車名一般公募では3回共TOP得票は
一貫して『はつかり』でしたが、国鉄末期の上層部申し送りで『はつかり』の名は
新幹線では採用しない、旨、通っていたと複数個所で伺っております。
はつかりに使われた81系の壊れっぷりを見ると「第1あずさ」 のエピソードを思いだしました。「第1あずさ」に似たようなエピソードを持つ列車は多いので、これで1本できるのでは?(笑)
京都鉄道博物館で6月にキハ81の車内が公開されるようなのでぜひ行きたいです!!
たまに盛岡に行く時は、6:33のやまびこ1号に乗ってました。あとははつかり1号だったと思うけど、583より485に乗ってましたね。新幹線開業の前日はお名残りのやまびこに、はつかりは一往復くらい(ひばりも)動いてたので、これもお名残りに乗りました。あとになって、東北旅行のついでに盛岡〜青森の各地ではつかりを撮りました。繁忙期になると485は8連、583は堂々12連の勇姿。クハネ583−1も健在でした(クハ481−1はひたち)。そのうち485改や751が走るようになったのにはガッカリでした。
人気にて似た?営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
ワイ的理想
最速達 はつかり
東京、大宮、仙台、盛岡、新青森、新函館、札幌
準速達 はやぶさ(+こまち)
東京、上野、大宮、仙台、盛岡から各駅
逆になると思います。
なんで宇都宮止まらんの?
無敵の顔を垂らすメディア
強(し)いて その秘密ミステリアス
抜けてる所さえ彼女のエリア
完璧で嘘つきな君は
天才的なアイドル様
戦前からのエンジンなのに 1960年ころまでには熟成はされなかったのかね?
しかしこんなエンジンを平成に入っても使ってたとは驚きですね
海外に目を向ければ軽量・大出力のものがあったのに
国鉄は国産優先だからダメだったんですかね?
3車種使用の特急列車は、かもめもッスよ。
正に【火の玉 特急】🤪
一連のトラブルの根本原因は
ズバリ出力不足。
そもそも当初設計では400PS×8=3200、の編成出力で運用する予定が
180PS×2×6+180PS×2=2520、と20%も出力ダウン
そもそもDMH17エンジン自体戦前の設計でそれを水平対向エンジンにして目先誤魔化して新型エンジンと称したところ自体既にフラグもの、
更に諸外国ならそんなポンコツエンジンでもせめてターボ過給機つけて騙し騙し使えるレベルまで持っていくところ、このエンジン自体ターボ過給機さえ使えない超ポンコツエンジン、故に5分以上全力運転すると排気管が過熱で火を噴くどころかエンジンがぶっ壊れる酷い代物。
キハ82系で食堂車の定員も水タンク容量も減らしてまでエンジンをつけたのはこのボロエンジンを騙し騙し使う為の苦肉の策。これでも所要出力より10%不足してます。
ちなみに日本のディーゼルエンジンのボロぶりは酷いもので、1988年のアルカディア号事故でキハ58系の図面を見たJR東日本山下会長は見た瞬間「おい、いまだに戦前のエンジン使ってるのか!」と呆れて激怒、すぐに前職場から鉄道車両に使えそうなエンジンのサンプルを取り寄せ、速攻で重役会議開いて「気動車のエンジンをすぐ交換しろ!お前ら今まで何やってたんじゃあ」と吠えまくったそうです。
しかし現在でも日本のディーゼルエンジン技術は2周回遅れ、
例えばカミンズエンジンの場合、本国のカミンズではとっくにカタログ落ちしたボロエンジンを最新型エンジンとしてHC85に搭載する有様、ぶっちゃけ日本にエンジン技術で勝てないからバッテリー式にシフトさせた中国の方がディーゼルカーでは一歩も二歩も進んでいます。
日本では鉄道においては排ガス規制もかかっていないので、高い金掛けてわざわざ触媒処理装置が付いた最新型を買うくらいならカタログ落ちしてるレベルの旧設計エンジンの方が安いし出力も良いし維持も楽というのは道理です。
最近の電気式車は産業用エンジンの流用で、ある程度の性能改善はしているようですけど。
181も東北一暑い板谷を走らせたばかりに😅 😅😅
動画の終盤にあった将来の北海道新幹線札幌延伸開業時の新幹線列車愛称に往年の東北特急[はつかり]の愛称復活か?…の件は、正直云って「もはやかなり遅すぎる感」が高い気がしてならない。
現代の列車愛称命名の基準は、これまでの国鉄時代や民営化直後のJR化初期の時代と比較すると、鉄道に愛着を持つ鉄道趣味人の様々な多様性が拡大して行くのに伴う様にかなり意外性が高い命名事例が増え、これまでの様なご当地馴染みの在来線優等列車愛称名を新幹線列車愛称として踏襲する暗黙のルールが必ずしも通用しない事が増えた様に感じられる。
特に…東北新幹線の列車愛称命名で最も解せなかったのは[はやぶさ]の採用である。本来ならばそれ以前の遥か昔…何と戦前の昭和4年に国鉄(鉄道省)初の東京~下関間特急列車の愛称公募候補(この時に実際に採用されたのは[富士][櫻])として既にその名が挙がっていて、それから凡そ73年後のH14-12の東北新幹線八戸延伸時の速達列車愛称として晴れて大抜擢された[はやて]が、そのまま東北新幹線や将来の北海道新幹線直通列車として推移していくのかと思いきや…その後の新青森延伸では突然「降って沸いた」様なまさかの元九州ブルトレの代名詞的存在であった[はやぶさ]を新たな東北新幹線速達列車愛称として登用すると云う…まさに「青天の霹靂」の様な大改変が断行され、個人的にこれ程衝撃を覚えた愛称命名劇は無かった。
まあ…更に突き詰めるならば、東北新幹線が大宮~盛岡間の暫定開業でスタートした際、速達列車が元在来線盛岡特急[やまびこ]に命名されたのは合点が行ったものの…その後の上野、東京延伸を経た八戸延伸でこの不遇愛称(疫病の異称として忌み嫌われていた時代があった事が発端)であった[はやて]を持ち出してきた時点からおかしくなった様にも感じられる。本来ならば新青森延伸時点で(これまでの暗黙ルールに則るのであれば)最速達列車は[はつかり]にするのが妥当だったものと思われ、何故…まるで「鶴の一声」の様なニュアンスで[はやぶさ]を持ち出してきたのか?…当時は相当理解に苦しんだ記憶が残っている。
まあ…とはいえ、今や[はやぶさ]は東北新幹線を代表する列車愛称としていつの間にか定着している事も事実で、恐らくこの愛称を敢えて改称する…と云う事は考え難く、今となっては今後どうひっくり返っても[はつかり]が復活する可能性は限り無く低い様に思う。勿論新幹線愛称に拘らなければ復活の可能性ゼロでは無いとは思うが、例え愛称名公募か何かで名前が挙がったとしても…公募数の如何に関わらず北海道新幹線列車愛称としては想定外…と私は個人的に予想する次第。
5:17 からの曲が国鉄特急の雰囲気に絶妙にマッチしてる
今後もどんどん使って欲しい
しかしE751って本当何だったんだろう
E653耐寒仕様ならいくらでも転用できただろうに…
それの失敗がE653改修にフィードバックされたんですよ
当時を考えれば、増備した新車の653を転用なんてするはずもなく。
コスト的にも使う計画のない直流機器をわざわざ製造することも無いから交流車にしたのも道理。
むしろ快適な新車を渡道させればいいのにATCすら装備せず本州運用にしたのも増備するには需要精査が必要だったのでしょう。
最終的につがる転用されてるのだし、結果オーライな気はする。
はつかり の名称は 北海道には何の関係も無いので 名称の復活は無いでしょう。
北海道新幹線ならば ほくと、すずらん、エルム、おおとり、のような名称だと思います。
北海道新幹線の愛称は「はまなす」や「ニセコ」がいいと思いますね…
(ボソ)山線経由の特急は「北海」‥‥。
壊れてやがる。早すぎたんだ。
現状ではクリアしないといけない課題はあるにせよ、東北縦断する夜行列車の需要はあるはず。
復活して欲しい。(名称は“はつかり”ではないだろうが…)
冷やかしで視聴したのだが不覚にも感動してしまった(T_T)現在はつかりの忘れ形見が大井川鐵道に在る、今度観に行こうと思ふ。
人気にて乗れる営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
はやぶさが定着してるし紛らわしい名前になるから、はつかりの復活はないだろうな。
はつかりは常磐線経由だったのね^^;
末期(盛岡⇔青森)では583によく乗ったな🚃
新幹線での名称復活を望むけど無理か^^;
はつかりがっかり事故ばっかり
北海道新幹線が札幌まで開通したら
愛称はほくとになるでしょ
はつかり、がっかり……😢
北海道新幹線が札幌まで開業したら新しい列車名は「はつね」になるのだろうか。
ありがたいネタなのだが、BGMはなんですか?朝鮮語?
典型的な鉄ヲタコメント💬満載のコメント欄やな。一般ピープルには愛称なんてどうでもいい。しかも、20年以上前に消えた愛称への復活コメント草😉
どうでもいいのにわざわざ喧嘩売りに来るのが草。かまって欲しいの?