ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
本庄横網を「ほんじょよこづな」と発音していました(滝汗)たくさんのご指摘ありがとうございます(自称池波ファンとしては穴あらば入りたしの気持ちです)・・・あと醤油のうすくち、濃い口も塩分濃度云々のご指摘ありがとうございます。基本この動画はエンターテインメントですのでいろいろ間違いを含んでおります(^^;; 勉強不足お許しくださいませm_ _m
今の世代は変わってきていますが、江戸っ子の味付けは本当にからいです。母も祖母も叔母もみな濃かった。蕎麦つゆも濃いし。なので、醤油についてはそのとおりですが塩分については間違っていないかと。
ちなみに本庄は埼玉県です。下町は本所です。ツナとアミ。間違えやすいですよね
😊
😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
-7--
いつの間にか一般チャンネルで時代劇が放送されなくなった。「鬼平犯科帳」は何度視ても飽きません。
江戸時代って大昔でもなく最近でもないから、なんかロマンを感じる
世界的に歴史のある国での400年前は最近の内に入るかと
5:12 蕎麦がなぜ食べられたのか。ばーちゃん曰く、野菜が育たなくなるとこぞって農家は蕎麦の実を植えて蕎麦を育てたそうで、蕎麦の苗はかなり丈夫で雨が少ない季節でも割と実が成るので不況や不作の時は村で協力して蕎麦を育てて飢えを凌いだ、と話してくれました。ばーちゃんのばーちゃんのそのまたばーちゃんから受け継がれている話です。
家の福島のばーちゃんもおんなじこと言ってた😊
ま、全部ウソなんですけどね(-。-)y-゜゜゜
救荒作物と呼びます。
そしてお前の代で途絶えると
江戸時代は藩によって違う。藩の特産物として生産してた地域では「農民は蕎麦食べるな」ってお触れ出てて、不作時も年貢免除してたから。
江戸時代の食文化が大変よく分かる、素晴らしい番組でした。
玄米に雑穀を入れたご飯は本当においしくはないですが、栄養満点で歯応えもあって消化も穏やかです。糖質過多の現代人にはもってこいの主食です。
すげー詳しいとこまでわかりやすく教えてくれて面白い。TH-camこういうチャンネルがたまに見つかるからたまらんなぁ。
ほんとにそう思います最後までめっちゃ魅ましたw
自分達もこういった豊かで活気のある時代の人たちの遠い子孫なんだよね…。そしてその食文化は今も受け継がれているのがとても感慨深くて、日本人としての誇りをものすごく感じる。
江戸時代の江戸を見て日本を知った気になると見誤りますよ。華やかな文化や食、豪商などは京や大坂の上方に集中していて、コメ偏重の極端な重農主義で飢饉を何度も起こし文化に理解の無かった幕府の御膝元なんかより、密貿易している地方の雄藩の領民などの方が余程豊かな文化を持っていました。日本食に宮廷料理が無かったり、ルーブルやオルセーのような高度な芸術もないのは、江戸というみすぼらしい長期停滞の影響であり、決して誇れるようなものではありません。
@@hajime-nojima作为一个中国人 很好奇这么一点食物能吃饱吗?一碗饭 2个小鱼 一碗汤 一点油都没有 这么低的热量人会有力气吗?
@@hajime-nojima 確かに江戸って定常経済だよなぁ
時代劇を見ていても、食事のシーンは興味深く見ています。食の歴史で語られる日本史は現代にも引き継がれ、今では和食がユネスコの無形文化財にもなっているので誇らしい限りです。
時代劇でテーブル席で食べてるシーンがありますが当時のお店でテーブル席というのはなかったようですねw
何故でしょう、解説を聞きながら当時の人々の暮らしを想像したら、ホロリと涙が出ました。ノスタルジーとは違います。現代人にとって、当時の暮らしなど知る由もないわけですし。ですが、その文化が間違いなく今の我々の生活にも繋がっているのです。大げさかもしれませんが、感慨としか言いようのない感動でした。
疲れてるんじゃない?早めに病院行きなよ
なんとなくですが。夜に電車から眺める数々のアパートやマンションの灯り。その1つ1つにそれぞれの生活があってそれぞれの人生があるんだ…とぼんやり考えてるときの気持ちに通ずるものがあるかもと思いました。では。
アスリートしてます。かつての飛脚の人達の尋常じゃない力を知るために西洋の食べ物より日本古来の食べ物について調べてましたありがとうございます!
飛脚の体力が現代と比べて凄まじかったのはその栄養環境では無く、純粋なその走り方にあると俺は考える。そもそもベルツが教えた西洋の食事法が日本人に合わなかったのは、日本人が炭水化物を主としたエネルギー源としていたせいで、急な食事変更によりケトジェネシスを行う事が難しかったからだ。それに、たとえ飛脚の日々の運動量が凄まじかったとは言え、当時の日本人の平均寿命は30前後と、とても低い。しかし、明治維新から西洋の食事文化が流入して来たことによってその寿命は大幅に増加している(西洋の食事文化を完全食とは考えていない。本当の完全食とは農耕を始める一万年前の人間が行なっていた肉食生活だからだ)
座頭市(勝新太郎さん)の食事のシーンはすべてのシリーズでものすごいガチ食いを見せてくれるので大好きです。
自分は木枯し紋次郎の一気に掻っ込む食事スタイルも好きでした(笑)
英語字幕付きの座頭市の動画で海外の女性が「日本人男はクチャクチャ音をたてて食べるので気持ちが悪い」ってコメントしてて絶望した。顔が悪くて背が低いともよく言われて差別を受けているけれど。。。こういうところも私達日本人男性が世界一モテない理由なんですよね。。。悲しいです。
@@西村ひろゆきのヒゲコンプレックスの塊で草
@@西村ひろゆきのヒゲ お前ら鮫肌で臭いんだよくらい言い返せ。悲しいです。なんて男がモテるかよ(笑)
@@西村ひろゆきのヒゲよく研究してるな……目が見えないと茶碗に飯粒が残るのが気になるので顔を左右に振る。
物凄く解りやすい説明で観てしまいました。グッドボタン👍✨
鬼平犯科帳…友人がよく、「鬼平料理帳、長谷川平蔵の食いしん坊バンザイ!」って言ってましたネ😅😊
時代小説と料理道具に興味のある方はかっぱ橋道具街の並びにある台東区の中央図書館内に池波正太郎記念文庫って素晴らしい展示施設があるので訪れる価値がありますよ
私は江戸時代の武士の生き方と庶民の暮らしが大好ですんで、庶民???町民が侍を揶揄する「落語家の生き方」なんかが大好きです、動画をありがとうございました♪。
とても面白くて、また聞きやすい声でした。ありがとうございます。😂🎉
池波庄太郎さんのフアンは池波さんが通った小料理屋のカウンター席の椅子にすわつて先生がここで召し上がってましたよと聞いて感激してました。好きな方はそんな気持ちになるんですね😮
勉強になるし、とても面白い。祖国日本の事なのに知らない事だらけで外国人に近い感覚になります。チャンネル登録させて頂きます。
江戸時代は支配者層の文化じゃなくて庶民(町人)文化が花開いた平和な時代だったんだって理解出来るよね。だからこそ江戸時代に凄く惹かれる。
江戸時代じゃなく、江戸な。江戸時代の大飢饉では不作でも収穫は取れていたのに領民は餓死した。収穫された米は、どこに回送されたかというと行き先は江戸や大阪だ。収穫した米を大消費地の江戸・大阪に送って現金に換え、その金で江戸屋敷の生活を維持し、商人への借金を払っていた。例えば仙台藩の実生産高は100万石を超えていたらしいが、その台所事情は幕府への手伝普請などの負担で莫大な借金をかかえた。そのため、取れた米の多くは江戸に運び、換金し借金を返すしかなかった。領民の3人に1人が餓死したといわれる弘前藩だが、その同じ年に江戸に40万俵の米を売っていたのもそういう理由による。諸大名を参勤交代と手伝普請などで疲弊させて、徳川家の将軍様のいる江戸に米を集めるよく出来たシステムを作り上げた。
上手にまとめられています。感心しました。寿司文化と海苔の文化も関東ならではと思います。浅草川河口で作られていた浅草海苔は、江戸中期からのお寿司の普及に役立ったと思いますね
塩分濃度としては、、、 濃口よりも薄口のほうが高い です。
食に携わったものとして(元日本料理厨房勤務)この辺の間違った認識は、食を語る上では正さないといけないと、私も思います。
鬼平犯科帳で冬のナマズの鍋の描写が素晴らしくあのくだりで酒が呑めます🎵私は釣りをするのですが、ナマズは冬には釣れないので夏のナマズを鍋、蒲焼きで食べました。ムチムチした肉がとても美味しかったです❤
いつも大変興味深いお題で詳細なご解説、大変勉強になります。ひとつ気付いたことですが「本所横綱(よこづな)」と記載および音読なさっていますが、正しくは「本所横網(よこあみ)」です。今では横網のある両国には国技館もあり、相撲関係で「よこづな」だと皆さん勘違いなさいますが、よく見たら昔から「よこあみ」と書いてあります。
その通りです。よこあみ町に仕事関係の会社が有り横綱町と呼んだら、よこあみ町ですって言われました。😅
昭和に入れば金魚え〜金魚ォ〜の掛け声の金魚売りに風鈴売りもいたし、自転車に乗ったラッパを吹いた豆腐売りも近所に来ていたね☺️リヤカーを引いた石しぃ〜焼ぁきぃ芋ォ〜も売りに来たら買っていたよwww(笑)もう全てなくなったw
とても分かりやすい解説ありがとうございます!時代劇の映像のカットインが秀逸でした。蕎麦つゆ のくだりで「関西では薄口しょうゆが好まれたが、関東ではこいくち。辛いのです」と仰っていたところが少し気になりました。薄口 濃口 は色合いだけで実際はうすくち醤油のほうが塩分濃度は高いですよね。
二八が十六文のこと…シャレとしてとても腑に落ちる。焼き芋屋の屋台に十三里と書かれていたけどこれは九里+四里(栗よりうまい)の意味でしたね。
当時のサツマイモの産地が江戸から13里離れた川越だった事のダブルミーニングですね
13里は約50kmですね
ということは焼き芋食って四里(尻)+四里(より)出てくるのは八里なんですね(失礼しました)
『十三里』よりさらに美味いという意味で『十三里半』という標語もあったそうです。
蕎麦を食べているシーンでちゃんと短い蕎麦にしているのがさすが鬼平犯科帳あのドラマの食事シーンはほんとよくできてる
武士は古々米を食べてた様です 新米は貯蔵してますよ…武家の給料は米ですから。
めっちゃ面白かった〜
漫画版鬼平は、張り込みや部下へのふるまいとしてほんとに蕎麦・深川飯・ウナギがよくでてきたなあ…原作の表現が本当うまそう。
とても参考になりました。食事が質素で良いことと、よく働く(体を動かす)ことの大切さを学びました。
古い時代劇の映像とともに楽しませていただきました。今の時代劇は、江戸時代の設定を使ったファンタジーみたいな印象ですが、昔の時代劇は今よりも江戸時代に近いせいもあると思いますがリアリティーを感じます
昔のチャンチャンバラバラ(笑)にリアリティなどありませんむしろファンタジー時代劇の源流でしょう
@@hajime-nojimaかわいそうだな
薄口醤油と濃口醤油の薄い濃いは色であって、塩分濃度は薄口醤油の方が高い
ユーチューブばっか見てないで早く寝なさい
それで『関西の方が塩辛い!』とか言う人いますけど、使う量が段違いですので関東の方がめっちゃ塩辛いんですよね
@@娘ちゃんねる抹茶味z 関西でも濃口醤油は使うよ?関西では主に料理に使用するのは素材の色を黒くしないでしっかり味をつける薄口醤油を使い、その他出汁、みりん、酒で味を整える。これは関西の料理は京料理に影響を受けて見た目の美しさにもこだわるから。対して、関東はしっかり色がついていることで味がついていると認識する。醤油以外の調味料は高級品で使用できない。料理の美しさは考えていない下方の文化。なのもあるんじゃないかな。関西では、料理を食べるときに使用する醤油は濃口醤油だよ。
@@wダブル-t2x京都の人みたいで面白い🤣
@@ヘケ太郎-h7qこんなTheみたいな京都民は極めて稀。京都ゴリ押しするのは変な印象つくからマジでやめて欲しい所です……
とても面白い動画です。納豆やお豆腐は栄養価も高く、江戸の人達も食べていたのですね。up、ありがとう❤️
昔みたいに時代劇をシリーズで放映して欲しい。時折り差し込みで入る映像に懐かしさを覚えました。ナレーションも構成も素晴らしい動画をありがとうございます。
食文化からその時代の世情を伺うことが出来て面白いですね。とてもわかりやすく最後まで見てしまいました🙂
これは面白いですね! 井伊直弼が近江牛献上していた、とか初めて知りました! 他の逸話も愉しく拝見しました! ありがとうございました
彦根藩井伊家は、代々幕府へ陣太鼓を献上する家柄だったから、その為の牛革確保の為に養牛が認められた為の副産物なんですよ。>牛肉の味噌漬けだから本来藩主の一存でどうこうなる物でも無かったんだが・・・・・・鳥居甲斐(要蔵)みたいに”頭良いけど馬鹿”だったんだなあとは思うw。>井伊直弼
日本歴史と日本語を勉強中です!ありがとうございます!勉強になりました!
歴史考証が確りした良い動画だと思います。勉強になります。ところで11:47で出てくる天ぷら屋の親父は道場六三郎さんですか??ピッタリの役柄、更に全く違和感がない演技だと感心しました。
江戸時代いろいろ不便だろうけど、宵越しの金を持たなくても生きられるメンタリティをもてるのが羨ましい。仕事も今見たくごちゃごちゃ書類的なものとか決まりとかうるさくなさそうだし。
ドラマを例に観ながら楽しく観させて頂きました。チャンネル登録させて頂きます。
濃口醤油は色は濃いものの塩分濃度は低い。薄口醤油のほうが塩分濃度が高く塩辛い。西のほうが出汁の味を活かすので、東のほうが塩辛さを食すというのならわかりますが・・・。
塩分濃度が低いからたくさん売れるのかな?個人的には単純に江戸の人の好みの気はするが。
塩分濃度があるほうが発酵速度を抑制できて、薄い色の醤油をつくりやすかったからですね。
@@黒雷-t4q水に含まれつるネラル分の量の違いで、昆布出汁が出にくかったってのもあるかも。旨味として感じるアミノ酸も濃口のほうが多いし。蕎麦の出汁が濃いのは、ザル、盛りのつけ蕎麦が先で、屋台で営業してたのも影響したんじゃないかとおもう。
使う量が関東の方がめちゃくちゃ多いので関東が塩辛いんですよ関西は小さじで使う料理を関東は大さじで使いますから
あと江戸内で必ずでる糞尿は江戸を取り囲む農家にとっては貴重な肥料で例えば長屋の便所の糞尿の権利は大家が持ってて定期的に農家が汲みに来てその量に応じて大家には野菜が代金代わりに届けられてました、汲み取った糞尿を持ち帰り発酵させてから肥料として畑にまいて野菜を作り江戸で売り糞尿とのサイクルがある程度出来てましたね。
「江戸前寿司」というほど東京湾が良い漁場になっていたのは江戸の町から出る屎尿による富栄養化が要因だったとも言われていますね。西洋からは野蛮だと言われる屎尿の堆肥ですが、糞尿を窓から道端に捨ててた欧州の方が余程不衛生ですし、現にコレラやペストが蔓延する原因になってましたからね。
素晴らしい内容でした最初の電話や「もしもし」の解説を見ていて、健在なら今なら百数十歳の祖母と子供の頃話していた私はおいおい大袈裟だなぁと興味半分に拝見していましたが、最後の方にはすっかり虜になっていましたよくぞここまでお調べになったことが素晴らしいですこの「です」についても目から鱗でした10数年前は仕事で現場の警◯官と電話で話す時にはお互いいつも「もし」でした。「もしもし」ではありません 笑その当時、すでに退職して嘱託でいた先輩から話を聞くと1963年のオリンピックの時は既にそう言っていたとそして「もし」はタヒ人の言葉で「もしもし」は人間の言葉だから現場で「もし」と言われたら気をつけろよ、と言われましたタヒ亡事故現場に向かう新人の私はその話がとても怖かったものです
ちなみに最安価な灯油は菜種じゃなく魚油(ニシンとか)でした。猫が行灯の油を舐めるってのはそれから来てて
いや、とても面白くて為になる動画を観させてもらいました。私は70になりますが知らない事ばかりでしたね。サクラとかカシワなどの肉の名称も耳にしてはいたのですが、由来を聞いて合点がいきました。良く調べあげた素晴らしい動画、有難うございました。
見所の豊富な資料や映像で、楽しく拝見しました。飽きさせない語りも、良かった
色んな江戸のなんちゃらとかの動画を見てきたけど、要点はちゃんとまとめられてて飽きない、痒いところに手が届く素晴らしい動画
今では米より雑穀米や麦飯の方が高いもんね。糖尿ではないけど気になるので麦を米に混ぜて炊いて食べてます。
おもしろくて全部観てしまった。クオリティもそこらの博物館の解説映像より高かった。
よく調べて編集してありますね。良い学びになりました。玄米や雑穀米、江戸前寿司、うなぎ、獣肉、あれこれ食べたくなります。
上手にまとめていますね😊時間を忘れて見入ってしまいました😅
鍛冶屋のおじさんは黒いシャツなど着てると帰宅時にはシャツが汗の塩分で真っ白になる😂
古い時代劇のメシってめちゃめちゃ旨そうにみえるよね
あと、日本昔話の大盛りご飯も美味しそうに見える
11:47 おやおや、道場さんじゃないですか!?ちょんまげが良くお似合いです👍
素晴らしいレビュー❤ですねぇ!有難うございます。😊🎉
やはり鬼平犯科帳の食事シーンは懐かしいですね、あと俳優の仲谷昇さんはニンベンがつきますよ。大阪万博の頃に見たキイハンターのテロップも゙ニンベンついていましたよ。、
すごく楽しく観ています 分かりやすい😊
いつもながら思いますが素晴らしい構成ですね
濃口は香りが強い淡口は香りを抑えたモノ濃口は冷蔵庫が無い時代に魚・肉を保存する為に使われてた(砂糖も同様)そばつゆに濃口を使うのは、カツオ出汁の香りに釣り合う為淡口は上方が野菜の煮物使うのに香りが強い濃口を使うのではなく、発酵抑えた淡口を開発し使いだしたのでした。蕎麦も関西に『「砂場」ありき』という言葉がありこの有名店が発祥だったような??
江戸時代、上方から江戸に下った酒は、灘(神戸から西宮にかけての地区)の酒のことをさすそうです。現在でも水が硬水なことから灘の男酒と言われますね。伏見は、軟水ですから伏見の女酒と言われますが、京都市内に位置しており、海から離れていることから船舶での大量輸送に不向き=江戸に下る酒ではなかったそうです。このことから「くだらないもの」というへりくだった表現が生まれたとか。小学生の頃、社会科の見学で訪れた灘の某大手酒造メーカーの工場で聞いた話です。
実にお見事なSNSには滅多にお目にかかれない素晴らしい文章ですね。感服いたしました。
(;^ω^)車乗るから最近飲まなくなったけど伏見の酒(月桂冠とか月とか)は下戸の自分でもいけちゃうくらいうまい。
すっごく面白かったです!!素晴らしい動画で永久保存版だとも思いました!作成してくださってありがとうございます!!海外の人にも見て欲しい^^b
19:00 「そう酒です」いい言葉じゃないか
関西の薄口醤油は見た目こそ薄いが、その塩分は関東の濃口醤油より多い事は周知の事実
薄口と濃口では料理方法が違いますからねえ。濃い口は色だろう、と
全然関係ないけど勝新太郎さんの「本物」の演技本当にすごい。皮をかぶった「演じる」ではなくて、その人の魂を背景を「憑依」してる。今はすっかり見なくなってしまった本物の邦画俳優さんですね。
食は生きることの根本でそこにあるドラマってすごい素敵ですよね美味しんぼとか、、食に対する過去から未来への導線すてきですよねこれからも、、過去の方々の食に対する姿勢そこから生まれる、、そして未来の食に面白い動画お願いします
釣りを趣味としてる自分としては、鯛やマグロって今の釣具でも釣るのムズいのに、昔の人ってどうやって流通させれる量を確保してたんだろうと不思議に思う。
縄文以来の網を用いた定置網や延縄漁では?
食べられてたけど、地産地消。ほとんど流通はしてない。
なんならクジラも捕まえてた
釣りとは関係ないけど、数万年前の鎧も銃もない原始人はホラアナライオンとか狩ってたし、人って案外すごいのかも
今より魚がすれてなかったろうから釣れたんじゃないのかな
深川 清澄白河に「小名木川」という運河があります。「おなぎがわ」と読むのですが、元々は「うなぎがわ」だったと言われています。ですから今でも小名木川のそばには鰻屋がたくさんあります。
大変勉強になりました。途中、途中ヘェ~と思いながら最後まで楽しめました。ありがとうございます。
興味深い内容で楽しめました。
Channel登録したよ。勉強になります
楽しませていただきました🤗うな重が生まれたのは出前で冷めてしまう客の声が多くご飯を敷いたのが始まりで、タレの染みたご飯が旨いと評判に!…天婦羅は火事が怖くて屋台しか許可されなかったとも聞きました。
江戸時代の江戸の話ですね。地方では太平洋戦争前まで白米だけのご飯は庄屋さんか豪商しか食べていなかったのではないでしょうか。私の母は昭和3年生まれでしたが、高知県の片田舎で生まれ毎日サツマイモの中に少しの米粒が入ったご飯だったそうです。正月だけ白米ご飯を食べました。海辺の集落では正月でも白米ご飯は食べられなかったのです。サツマイモは水も肥料もいらずに育つ優良作物です。
勉強させて頂きました!ありがとうございます😊
木枯し紋次郎のメシのシーンみるとメザシととろろ芋食いたくなる。
わかります(笑)しかも全部を一箇所にまとめて一気に食わないといけないw
飯テロが過ぎますね・・・どれも美味そうです。日本酒が幾らでも呑めてしまいそう。それにしても、昔はフジテレビはこんな良い時代劇を創れてたんですね。なんだかなぁ・・・
勉強になりました🤗
1:19 麦や雑穀混ぜたの・・・今ではそっちの方が高級品
硬いからご飯と一緒に蒸した方がよく煮えるね。混ぜご飯
混ぜごはんやとおかずが減るよぼくの場合白米10㌔+玄米1㌔+もち米1㌔ベースでおこわ飯おかゆモードで一六穀と麦ブレンドたまに食べる外食やパックごはんの白米がめっさ美味いコンビニの白米おにぎりもw
健康志向の商品だから、有機栽培や自然栽培だったりで付加価値つけてますから。
コメ1合に目分量でざらっと黒米だか赤米入の雑穀混ぜてるわ(;^ω^)ちょっと硬いほうが好きだし。←むしろ黒米だけでもいける人
非常にテンポ良く見れて最高です
興味深かったです。
以前、鬼平犯科帳の食事シーンばかりを編集した動画があって、それが大好きでよく観てますた!また見たいと探しても、削除されて残念です。
戦国時代から江戸末期の200年と、江戸末期から現在までの200年では文明の変化が比較にならないほど進化してますよね。鎖国からの開国が大きいのはわかりますが、こんなに変わるとは。
子供のころ、長七郎江戸日記の六さんに憧れて、本気で「大きくなったら夜鳴き蕎麦やるんだ!」と思っていたものでした 笑
2:34 水害多くて灌漑が少ない三河武士は雑なご飯で満足できるのが男らしいみたいな文化があったからなのよね(へうげものからの引用だけど)
色々、勉強になりました!チャンネル登録させてもらいました。
ご飯食べながら観ましたので美味しかったです😃
しがない元料理人ですが、学校、専門学校でも知り得なかった料理文化の歴史を知る事で、この歳でもっと学びたいと思える動画でした!先人達の知恵、工夫、熱意は現代を生きる人間を遥かに超えていたと痛感しつつ、近代まで残っていた歴史ある食堂が廃業になって行く事に心を痛めました…。
野菜の天ぷらが先にあったのかと思ってたらそんな後だったんですね!「わざわざ天ぷらにする必要がない」ってことなのかな?
この回なんでかわからんけど死ぬほど好きでもう何回見たかわからない
赤穂浪士は討ち入りの前日、鴨肉を葱と焼いて大根おろしと醤油をかけて食べていたそうですね。今も残る「剣菱」を燗につけて一緒に楽しんでいたそうです。
こりゃ良い動画だ、今夜は寿司にしよう🍣
めちゃくちゃ勉強になりました。チャンネル登録しました。
蕎麦屋の屋台は落語(時蕎麦)に登場しますが歌舞伎の世話物にも蕎麦の屋台が(髪結い新三)や(法界坊)の劇中に登場します。
鬼平や剣客商売、藤枝梅安はコミック版で読んだけど食事シーンにも触れていてなかなか面白い。また、江戸の町では蕎麦屋が多かったのに明治時代になると鍋焼うどんの店に取って変わったらしいけど何があったのだろうか。
時代を重ねて今の食生活があると思うと、先人たちの努力の結晶だなと痛感させられますねうなぎは昔は安価だったなんてうらやま
素晴らしい解説!登録します
とても興味深くハイチョウしました何だかお腹空いてきました😄
本来こういった食い物で十分なんだろうけど
マクド最高〜クチャクチャ
現代日本人の生活サイクルで江戸と同じ食生活送ったら肥満等の健康被害受けそうですね、なんせ男性で主食の御飯1日五合(白米で約750g、炊いた状態で約1750g、家族だと毎日一人が一体づつ専用の5合炊き炊飯器で炊いて食べ切る計算)平気で食べるのが常識な世界ですからね。
とても面白かったです!
本庄横網を「ほんじょよこづな」と発音していました(滝汗)たくさんのご指摘ありがとうございます(自称池波ファンとしては穴あらば入りたしの気持ちです)・・・あと醤油のうすくち、濃い口も塩分濃度云々のご指摘ありがとうございます。基本この動画はエンターテインメントですのでいろいろ間違いを含んでおります(^^;; 勉強不足お許しくださいませm_ _m
今の世代は変わってきていますが、江戸っ子の味付けは本当にからいです。母も祖母も叔母もみな濃かった。蕎麦つゆも濃いし。なので、醤油についてはそのとおりですが塩分については間違っていないかと。
ちなみに本庄は埼玉県です。下町は本所です。ツナとアミ。間違えやすいですよね
😊
😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
-7--
いつの間にか一般チャンネルで時代劇が放送されなくなった。「鬼平犯科帳」は何度視ても飽きません。
江戸時代って大昔でもなく最近でもないから、なんかロマンを感じる
世界的に歴史のある国での400年前は最近の内に入るかと
5:12 蕎麦がなぜ食べられたのか。ばーちゃん曰く、野菜が育たなくなるとこぞって農家は蕎麦の実を植えて蕎麦を育てたそうで、蕎麦の苗はかなり丈夫で雨が少ない季節でも割と実が成るので不況や不作の時は村で協力して蕎麦を育てて飢えを凌いだ、と話してくれました。ばーちゃんのばーちゃんのそのまたばーちゃんから受け継がれている話です。
家の福島のばーちゃんもおんなじこと言ってた😊
ま、全部ウソなんですけどね(-。-)y-゜゜゜
救荒作物と呼びます。
そしてお前の代で途絶えると
江戸時代は藩によって違う。藩の特産物として生産してた地域では「農民は蕎麦食べるな」ってお触れ出てて、不作時も年貢免除してたから。
江戸時代の食文化が大変よく分かる、素晴らしい番組でした。
玄米に雑穀を入れたご飯は本当においしくはないですが、栄養満点で歯応えもあって消化も穏やかです。
糖質過多の現代人にはもってこいの主食です。
すげー詳しいとこまでわかりやすく教えてくれて面白い。TH-camこういうチャンネルがたまに見つかるからたまらんなぁ。
ほんとにそう思います
最後までめっちゃ魅ましたw
自分達もこういった豊かで活気のある時代の人たちの遠い子孫なんだよね…。そしてその食文化は今も受け継がれているのがとても感慨深くて、日本人としての誇りをものすごく感じる。
江戸時代の江戸を見て日本を知った気になると見誤りますよ。
華やかな文化や食、豪商などは京や大坂の上方に集中していて、コメ偏重の極端な重農主義で飢饉を何度も起こし文化に理解の無かった幕府の御膝元なんかより、密貿易している地方の雄藩の領民などの方が余程豊かな文化を持っていました。
日本食に宮廷料理が無かったり、ルーブルやオルセーのような高度な芸術もないのは、江戸というみすぼらしい長期停滞の影響であり、決して誇れるようなものではありません。
@@hajime-nojima作为一个中国人 很好奇这么一点食物能吃饱吗?一碗饭 2个小鱼 一碗汤 一点油都没有 这么低的热量人会有力气吗?
@@hajime-nojima 確かに江戸って定常経済だよなぁ
時代劇を見ていても、食事のシーンは興味深く見ています。食の歴史で語られる日本史は現代にも引き継がれ、今では和食がユネスコの無形文化財にもなっているので誇らしい限りです。
時代劇でテーブル席で食べてるシーンがありますが当時のお店でテーブル席というのはなかったようですねw
何故でしょう、解説を聞きながら当時の人々の暮らしを想像したら、ホロリと涙が出ました。ノスタルジーとは違います。現代人にとって、当時の暮らしなど知る由もないわけですし。ですが、その文化が間違いなく今の我々の生活にも繋がっているのです。大げさかもしれませんが、感慨としか言いようのない感動でした。
疲れてるんじゃない?早めに病院行きなよ
なんとなくですが。
夜に電車から眺める数々のアパートやマンションの灯り。その1つ1つにそれぞれの生活があってそれぞれの人生があるんだ…とぼんやり考えてるときの気持ちに通ずるものがあるかもと思いました。では。
アスリートしてます。かつての飛脚の人達の尋常じゃない力を知るために西洋の食べ物より日本古来の食べ物について調べてましたありがとうございます!
飛脚の体力が現代と比べて凄まじかったのはその栄養環境では無く、純粋なその走り方にあると俺は考える。そもそもベルツが教えた西洋の食事法が日本人に合わなかったのは、日本人が炭水化物を主としたエネルギー源としていたせいで、急な食事変更によりケトジェネシスを行う事が難しかったからだ。それに、たとえ飛脚の日々の運動量が凄まじかったとは言え、当時の日本人の平均寿命は30前後と、とても低い。しかし、明治維新から西洋の食事文化が流入して来たことによってその寿命は大幅に増加している(西洋の食事文化を完全食とは考えていない。本当の完全食とは農耕を始める一万年前の人間が行なっていた肉食生活だからだ)
座頭市(勝新太郎さん)の食事の
シーンはすべてのシリーズで
ものすごいガチ食いを見せて
くれるので大好きです。
自分は木枯し紋次郎の一気に掻っ込む食事スタイルも好きでした(笑)
英語字幕付きの座頭市の動画で海外の女性が「日本人男はクチャクチャ音をたてて食べるので気持ちが悪い」ってコメントしてて絶望した。顔が悪くて背が低いともよく言われて差別を受けているけれど。。。こういうところも私達日本人男性が世界一モテない理由なんですよね。。。悲しいです。
@@西村ひろゆきのヒゲコンプレックスの塊で草
@@西村ひろゆきのヒゲ お前ら鮫肌で臭いんだよくらい言い返せ。
悲しいです。なんて男がモテるかよ(笑)
@@西村ひろゆきのヒゲよく研究してるな……目が見えないと茶碗に飯粒が残るのが気になるので顔を左右に振る。
物凄く解りやすい説明で観てしまいました。グッドボタン👍✨
鬼平犯科帳…友人がよく、「鬼平料理帳、長谷川平蔵の食いしん坊バンザイ!」って言ってましたネ😅😊
時代小説と料理道具に興味のある方は
かっぱ橋道具街の並びにある台東区の中央図書館内に
池波正太郎記念文庫って素晴らしい展示施設があるので
訪れる価値がありますよ
私は江戸時代の武士の生き方と庶民の暮らしが大好です
んで、庶民???町民が侍を揶揄する「落語家の生き方」
なんかが大好きです、動画をありがとうございました♪。
とても面白くて、また聞きやすい声でした。ありがとうございます。😂🎉
池波庄太郎さんのフアンは池波さんが通った小料理屋のカウンター席の椅子にすわつて先生がここで召し上がってましたよと聞いて感激してました。好きな方はそんな気持ちになるんですね😮
勉強になるし、とても面白い。祖国日本の事なのに知らない事だらけで外国人に近い感覚になります。チャンネル登録させて頂きます。
江戸時代は支配者層の文化じゃなくて庶民(町人)文化が花開いた平和な時代だったんだって理解出来るよね。
だからこそ江戸時代に凄く惹かれる。
江戸時代じゃなく、江戸な。
江戸時代の大飢饉では不作でも収穫は取れていたのに領民は餓死した。
収穫された米は、どこに回送されたかというと行き先は江戸や大阪だ。
収穫した米を大消費地の江戸・大阪に送って現金に換え、その金で江戸屋敷の生活を維持し、商人への借金を払っていた。
例えば仙台藩の実生産高は100万石を超えていたらしいが、その台所事情は幕府への手伝普請などの負担で莫大な借金をかかえた。
そのため、取れた米の多くは江戸に運び、換金し借金を返すしかなかった。
領民の3人に1人が餓死したといわれる弘前藩だが、その同じ年に江戸に40万俵の米を売っていたのもそういう理由による。
諸大名を参勤交代と手伝普請などで疲弊させて、徳川家の将軍様のいる江戸に米を集めるよく出来たシステムを作り上げた。
上手にまとめられています。感心しました。
寿司文化と海苔の文化も関東ならではと思います。
浅草川河口で作られていた浅草海苔は、江戸中期からの
お寿司の普及に役立ったと思いますね
塩分濃度としては、、、
濃口よりも薄口のほうが高い です。
食に携わったものとして(元日本料理厨房勤務)この辺の間違った認識は、食を語る上では正さないといけないと、私も思います。
鬼平犯科帳で冬のナマズの鍋の描写が素晴らしくあのくだりで酒が呑めます🎵
私は釣りをするのですが、ナマズは冬には釣れないので夏のナマズを鍋、蒲焼きで食べました。
ムチムチした肉がとても美味しかったです❤
いつも大変興味深いお題で詳細なご解説、大変勉強になります。
ひとつ気付いたことですが「本所横綱(よこづな)」と記載および音読なさっていますが、正しくは「本所横網(よこあみ)」です。
今では横網のある両国には国技館もあり、相撲関係で「よこづな」だと皆さん勘違いなさいますが、よく見たら昔から「よこあみ」と書いてあります。
その通りです。よこあみ町に仕事関係の会社が有り横綱町と呼んだら、よこあみ町ですって言われました。😅
昭和に入れば金魚え〜金魚ォ〜の掛け声の金魚売りに風鈴売りもいたし、自転車に乗ったラッパを吹いた豆腐売りも近所に来ていたね☺️リヤカーを引いた石しぃ〜焼ぁきぃ芋ォ〜も売りに来たら買っていたよwww(笑)もう全てなくなったw
とても分かりやすい解説
ありがとうございます!
時代劇の映像のカットインが
秀逸でした。
蕎麦つゆ のくだりで
「関西では薄口しょうゆが好まれたが、関東ではこいくち。辛いのです」
と仰っていたところが少し気になりました。
薄口 濃口 は色合いだけで
実際はうすくち醤油のほうが塩分濃度は高いですよね。
二八が十六文のこと…シャレとしてとても腑に落ちる。焼き芋屋の屋台に十三里と書かれていたけどこれは九里+四里(栗よりうまい)の意味でしたね。
当時のサツマイモの産地が江戸から13里離れた川越だった事のダブルミーニングですね
13里は約50kmですね
ということは焼き芋食って四里(尻)+四里(より)出てくるのは八里なんですね(失礼しました)
『十三里』よりさらに美味いという意味で『十三里半』という標語もあったそうです。
蕎麦を食べているシーンでちゃんと短い蕎麦にしているのがさすが鬼平犯科帳
あのドラマの食事シーンはほんとよくできてる
武士は古々米を食べてた様です 新米は貯蔵してますよ…武家の給料は米ですから。
めっちゃ面白かった〜
漫画版鬼平は、張り込みや部下へのふるまいとしてほんとに蕎麦・深川飯・ウナギがよくでてきたなあ…原作の表現が本当うまそう。
とても参考になりました。食事が質素で良いことと、よく働く(体を動かす)ことの大切さを学びました。
古い時代劇の映像とともに楽しませていただきました。
今の時代劇は、江戸時代の設定を使ったファンタジーみたいな印象ですが、昔の時代劇は今よりも江戸時代に近いせいもあると思いますがリアリティーを感じます
昔のチャンチャンバラバラ(笑)にリアリティなどありません
むしろファンタジー時代劇の源流でしょう
@@hajime-nojimaかわいそうだな
薄口醤油と濃口醤油の薄い濃いは色であって、塩分濃度は薄口醤油の方が高い
ユーチューブばっか見てないで早く寝なさい
それで『関西の方が塩辛い!』とか言う人いますけど、使う量が段違いですので関東の方がめっちゃ塩辛いんですよね
@@娘ちゃんねる抹茶味z 関西でも濃口醤油は使うよ?関西では主に料理に使用するのは素材の色を黒くしないでしっかり味をつける薄口醤油を使い、その他出汁、みりん、酒で味を整える。
これは関西の料理は京料理に影響を受けて見た目の美しさにもこだわるから。
対して、関東はしっかり色がついていることで味がついていると認識する。醤油以外の調味料は高級品で使用できない。料理の美しさは考えていない下方の文化。なのもあるんじゃないかな。
関西では、料理を食べるときに使用する醤油は濃口醤油だよ。
@@wダブル-t2x京都の人みたいで面白い🤣
@@ヘケ太郎-h7qこんなTheみたいな京都民は極めて稀。京都ゴリ押しするのは変な印象つくからマジでやめて欲しい所です……
とても面白い動画です。
納豆やお豆腐は栄養価も高く、江戸の人達も食べていたのですね。
up、ありがとう❤️
昔みたいに時代劇をシリーズで放映して欲しい。時折り差し込みで入る映像に懐かしさを覚えました。ナレーションも構成も素晴らしい動画をありがとうございます。
食文化からその時代の世情を伺うことが出来て面白いですね。
とてもわかりやすく最後まで見てしまいました🙂
これは面白いですね! 井伊直弼が近江牛献上していた、とか初めて知りました! 他の逸話も愉しく拝見しました! ありがとうございました
彦根藩井伊家は、代々幕府へ陣太鼓を献上する家柄だったから、その為の牛革確保の為に養牛が認められた為の副産物なんですよ。>牛肉の味噌漬け
だから本来藩主の一存でどうこうなる物でも無かったんだが・・・・・・鳥居甲斐(要蔵)みたいに”頭良いけど馬鹿”だったんだなあとは思うw。>井伊直弼
日本歴史と日本語を勉強中です!
ありがとうございます!勉強になりました!
歴史考証が確りした良い動画だと思います。勉強になります。ところで11:47で出てくる天ぷら屋の親父は道場六三郎さんですか??
ピッタリの役柄、更に全く違和感がない演技だと感心しました。
江戸時代いろいろ不便だろうけど、宵越しの金を持たなくても生きられるメンタリティをもてるのが羨ましい。
仕事も今見たくごちゃごちゃ書類的なものとか決まりとかうるさくなさそうだし。
ドラマを例に観ながら楽しく観させて頂きました。チャンネル登録させて頂きます。
濃口醤油は色は濃いものの塩分濃度は低い。
薄口醤油のほうが塩分濃度が高く塩辛い。
西のほうが出汁の味を活かすので、東のほうが塩辛さを食すというのならわかりますが・・・。
塩分濃度が低いからたくさん売れるのかな?個人的には単純に江戸の人の好みの気はするが。
塩分濃度があるほうが発酵速度を抑制できて、薄い色の醤油をつくりやすかったからですね。
@@黒雷-t4q
水に含まれつるネラル分の量の違いで、昆布出汁が出にくかったってのもあるかも。
旨味として感じるアミノ酸も濃口のほうが多いし。
蕎麦の出汁が濃いのは、ザル、盛りのつけ蕎麦が先で、屋台で営業してたのも影響したんじゃないかとおもう。
使う量が関東の方がめちゃくちゃ多いので関東が塩辛いんですよ
関西は小さじで使う料理を関東は大さじで使いますから
あと江戸内で必ずでる糞尿は江戸を取り囲む農家にとっては貴重な肥料で例えば長屋の便所の糞尿の権利は大家が持ってて定期的に農家が汲みに来てその量に応じて大家には野菜が代金代わりに届けられてました、汲み取った糞尿を持ち帰り発酵させてから肥料として畑にまいて野菜を作り江戸で売り糞尿とのサイクルがある程度出来てましたね。
「江戸前寿司」というほど東京湾が良い漁場になっていたのは江戸の町から出る屎尿による富栄養化が要因だったとも言われていますね。西洋からは野蛮だと言われる屎尿の堆肥ですが、糞尿を窓から道端に捨ててた欧州の方が余程不衛生ですし、現にコレラやペストが蔓延する原因になってましたからね。
素晴らしい内容でした
最初の電話や「もしもし」の解説を見ていて、健在なら今なら百数十歳の祖母と子供の頃話していた私は
おいおい大袈裟だなぁと興味半分に拝見していましたが、最後の方にはすっかり虜になっていました
よくぞここまでお調べになったことが素晴らしいです
この「です」についても目から鱗でした
10数年前は仕事で現場の警◯官と電話で話す時にはお互いいつも「もし」でした。「もしもし」ではありません 笑
その当時、すでに退職して嘱託でいた先輩から話を聞くと1963年のオリンピックの時は既にそう言っていたと
そして「もし」はタヒ人の言葉で「もしもし」は人間の言葉だから現場で「もし」と言われたら気をつけろよ、と言われました
タヒ亡事故現場に向かう新人の私はその話がとても怖かったものです
ちなみに最安価な灯油は菜種じゃなく魚油(ニシンとか)でした。猫が行灯の油を舐めるってのはそれから来てて
いや、とても面白くて為になる動画を観させてもらいました。
私は70になりますが知らない事ばかりでしたね。
サクラとかカシワなどの肉の名称も耳にしてはいたのですが、
由来を聞いて合点がいきました。
良く調べあげた素晴らしい動画、有難うございました。
見所の豊富な資料や映像で、楽しく拝見しました。飽きさせない語りも、良かった
色んな江戸のなんちゃらとかの動画を見てきたけど、要点はちゃんとまとめられてて飽きない、痒いところに手が届く素晴らしい動画
今では米より雑穀米や麦飯の方が高いもんね。糖尿ではないけど気になるので麦を米に混ぜて炊いて食べてます。
おもしろくて全部観てしまった。クオリティもそこらの博物館の解説映像より高かった。
よく調べて編集してありますね。良い学びになりました。
玄米や雑穀米、江戸前寿司、うなぎ、獣肉、あれこれ食べたくなります。
上手にまとめていますね😊時間を忘れて見入ってしまいました😅
鍛冶屋のおじさんは
黒いシャツなど着てると
帰宅時にはシャツ
が汗の塩分で真っ白になる😂
古い時代劇のメシってめちゃめちゃ旨そうにみえるよね
あと、日本昔話の大盛りご飯も美味しそうに見える
11:47 おやおや、道場さんじゃないですか!?ちょんまげが良くお似合いです👍
素晴らしいレビュー❤ですねぇ!
有難うございます。😊🎉
やはり鬼平犯科帳の食事シーンは懐かしいですね、あと俳優の仲谷昇さんはニンベンがつきますよ。
大阪万博の頃に見たキイハンターのテロップも゙ニンベンついていましたよ。、
すごく楽しく観ています 分かりやすい😊
いつもながら思いますが
素晴らしい構成ですね
濃口は香りが強い
淡口は香りを抑えたモノ
濃口は冷蔵庫が無い時代に魚・肉を保存する為に使われてた(砂糖も同様)
そばつゆに濃口を使うのは、カツオ出汁の香りに釣り合う為
淡口は上方が野菜の煮物使うのに香りが強い濃口を使うのではなく、発酵抑えた淡口を開発し使いだしたのでした。
蕎麦も関西に『「砂場」ありき』という言葉があり
この有名店が発祥だったような??
江戸時代、上方から江戸に下った酒は、灘(神戸から西宮にかけての地区)の酒のことをさすそうです。
現在でも水が硬水なことから灘の男酒と言われますね。
伏見は、軟水ですから伏見の女酒と言われますが、京都市内に位置しており、海から離れていることから船舶での大量輸送に不向き=江戸に下る酒ではなかったそうです。
このことから「くだらないもの」というへりくだった表現が生まれたとか。
小学生の頃、社会科の見学で訪れた灘の某大手酒造メーカーの工場で聞いた話です。
実にお見事なSNSには滅多にお目にかかれない素晴らしい文章ですね。感服いたしました。
(;^ω^)
車乗るから最近飲まなくなったけど
伏見の酒(月桂冠とか月とか)は下戸の自分でもいけちゃうくらいうまい。
すっごく面白かったです!!素晴らしい動画で永久保存版だとも思いました!作成してくださってありがとうございます!!
海外の人にも見て欲しい^^b
19:00 「そう酒です」いい言葉じゃないか
関西の薄口醤油は見た目こそ薄いが、その塩分は関東の濃口醤油より多い事は周知の事実
薄口と濃口では料理方法が違いますからねえ。
濃い口は色だろう、と
全然関係ないけど勝新太郎さんの「本物」の演技本当にすごい。
皮をかぶった「演じる」ではなくて、その人の魂を背景を「憑依」してる。今はすっかり見なくなってしまった本物の邦画俳優さんですね。
食は生きることの根本で
そこにあるドラマってすごい素敵ですよね
美味しんぼとか、、食に対する過去から未来への導線
すてきですよね
これからも、、過去の方々の食に対する姿勢そこから生まれる、、そして未来の食に
面白い動画お願いします
釣りを趣味としてる自分としては、鯛やマグロって今の釣具でも釣るのムズいのに、昔の人ってどうやって流通させれる量を確保してたんだろうと不思議に思う。
縄文以来の網を用いた定置網や延縄漁では?
食べられてたけど、地産地消。ほとんど流通はしてない。
なんならクジラも捕まえてた
釣りとは関係ないけど、数万年前の鎧も銃もない原始人はホラアナライオンとか狩ってたし、人って案外すごいのかも
今より魚がすれてなかったろうから釣れたんじゃないのかな
深川 清澄白河に「小名木川」という運河があります。「おなぎがわ」と読むのですが、元々は「うなぎがわ」だったと言われています。ですから今でも小名木川のそばには鰻屋がたくさんあります。
大変勉強になりました。途中、途中ヘェ~と思いながら最後まで楽しめました。ありがとうございます。
興味深い内容で楽しめました。
Channel登録したよ。勉強になります
楽しませていただきました🤗うな重が生まれたのは出前で冷めてしまう客の声が多くご飯を敷いたのが始まりで、タレの染みたご飯が旨いと評判に!…天婦羅は火事が怖くて屋台しか許可されなかったとも聞きました。
江戸時代の江戸の話ですね。地方では太平洋戦争前まで白米だけのご飯は庄屋さんか豪商しか食べていなかったのではないでしょうか。私の母は昭和3年生まれでしたが、高知県の片田舎で生まれ毎日サツマイモの中に少しの米粒が入ったご飯だったそうです。正月だけ白米ご飯を食べました。海辺の集落では正月でも白米ご飯は食べられなかったのです。サツマイモは水も肥料もいらずに育つ優良作物です。
勉強させて頂きました!ありがとうございます😊
木枯し紋次郎のメシのシーンみるとメザシととろろ芋食いたくなる。
わかります(笑)しかも全部を一箇所にまとめて一気に食わないといけないw
飯テロが過ぎますね・・・どれも美味そうです。日本酒が幾らでも呑めてしまいそう。
それにしても、昔はフジテレビはこんな良い時代劇を創れてたんですね。なんだかなぁ・・・
勉強になりました🤗
1:19 麦や雑穀混ぜたの・・・今ではそっちの方が高級品
硬いからご飯と一緒に蒸した方がよく煮えるね。混ぜご飯
混ぜごはんやとおかずが減るよ
ぼくの場合
白米10㌔+玄米1㌔+もち米1㌔ベースでおこわ飯
おかゆモードで一六穀と麦ブレンド
たまに食べる外食やパックごはんの白米がめっさ美味い
コンビニの白米おにぎりもw
健康志向の商品だから、有機栽培や自然栽培だったりで付加価値つけてますから。
コメ1合に目分量でざらっと黒米だか赤米入の雑穀混ぜてるわ(;^ω^)
ちょっと硬いほうが好きだし。←むしろ黒米だけでもいける人
非常にテンポ良く見れて最高です
興味深かったです。
以前、鬼平犯科帳の食事シーンばかりを編集した動画があって、それが大好きでよく観てますた!
また見たいと探しても、削除されて残念です。
戦国時代から江戸末期の200年と、江戸末期から現在までの200年では文明の変化が比較にならないほど進化してますよね。
鎖国からの開国が大きいのはわかりますが、こんなに変わるとは。
子供のころ、長七郎江戸日記の六さんに憧れて、本気で「大きくなったら夜鳴き蕎麦やるんだ!」と思っていたものでした 笑
2:34 水害多くて灌漑が少ない三河武士は雑なご飯で満足できるのが男らしいみたいな文化があったからなのよね(へうげものからの引用だけど)
色々、勉強になりました!チャンネル登録させてもらいました。
ご飯食べながら観ましたので美味しかったです😃
しがない元料理人ですが、学校、専門学校でも知り得なかった料理文化の歴史を知る事で、この歳でもっと学びたいと思える動画でした!
先人達の知恵、工夫、熱意は現代を生きる人間を遥かに超えていたと痛感しつつ、近代まで残っていた歴史ある食堂が廃業になって行く事に心を痛めました…。
野菜の天ぷらが先にあったのかと思ってたらそんな後だったんですね!
「わざわざ天ぷらにする必要がない」ってことなのかな?
この回なんでかわからんけど死ぬほど好きでもう何回見たかわからない
赤穂浪士は討ち入りの前日、鴨肉を葱と焼いて大根おろしと醤油をかけて食べていたそうですね。
今も残る「剣菱」を燗につけて一緒に楽しんでいたそうです。
こりゃ良い動画だ、今夜は寿司にしよう🍣
めちゃくちゃ勉強になりました。チャンネル登録しました。
蕎麦屋の屋台は落語(時蕎麦)に登場しますが歌舞伎の世話物にも蕎麦の屋台が(髪結い新三)や(法界坊)の劇中に登場します。
鬼平や剣客商売、藤枝梅安はコミック版で読んだけど食事シーンにも触れていてなかなか面白い。
また、江戸の町では蕎麦屋が多かったのに明治時代になると鍋焼うどんの店に取って変わったらしいけど何があったのだろうか。
時代を重ねて今の食生活があると思うと、先人たちの努力の結晶だなと痛感させられますね
うなぎは昔は安価だったなんてうらやま
素晴らしい解説!登録します
とても興味深くハイチョウしました
何だかお腹空いてきました😄
本来こういった食い物で十分なんだろうけど
マクド最高〜クチャクチャ
現代日本人の生活サイクルで江戸と同じ食生活送ったら肥満等の健康被害受けそうですね、なんせ男性で主食の御飯1日五合(白米で約750g、炊いた状態で約1750g、家族だと毎日一人が一体づつ専用の5合炊き炊飯器で炊いて食べ切る計算)平気で食べるのが常識な世界ですからね。
とても面白かったです!