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「三国志」は何度も読んだけど、やっぱり「劉備」「曹操」「孫権」の時が一番面白かったなぁ
孫堅かな?創業の時が面白い。みな数々の死線を潜り抜けてきた
後、南北時代は異民族VS漢族感じ
そりゃー1作目の方が面白くて2作目3作目は何か微妙ってのがあるじゃん
間違いないですな!
それよりも後よりはその頃がおもしろいけど、個人的にはそれよりも前の群雄割拠のときのほうがおもしろい。KOEIのゲームでもそっちのシナリオのほうがおもしろいし。単純にそれよりも前の時代のころは日本ではあまり知られていない気がする。
めっっっちゃわかりやすいな!ほとんど三国志知らないのに、思わず全部見てしまった。
姜維は、よくも悪くも骨の髄まで武人だった。
こんにちは!最高に面白かったです!とて素敵な講談でした。「破竹の勢い」の誕生となる場面の表現が神がかりで感動しました。ありがとうございました❕️❕️❕️
結局は、心の貧しさゆえに滅んで行くのですね。それゆえ、心を豊かにするという結論になります。🔔👍
わかりやすいご説明、有難うございました
自分の認識が時間的にかなりズレている事を理解出来、又、晋の建国、呉の滅亡の過程が良く分かりました。とても面白かったです。ありがとうございました。
こうしてみると色々言われる劉禅の治める蜀の内部が一番平和だったという皮肉
三国志の孔明死すまでは結構知ってましたが、晋になるまでも色々と物語があるんですね。勉強になりました
その原因を作ったのが日本の作家であの有名な吉川英治氏ですね。諸葛亮の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名な『五丈原の合戦』をクライマックスに持ってきて終わらせてます。同様に宮本武蔵vs佐々木小次郎の『巌流島の決闘』をクライマックスにして宮本武蔵の小説を終わらせてる御仁ですね(笑) 後世の作家が大半吉川英治氏の脚本に引っ張られて大体同じ流れになってます。 良い所取りで読み物として面白いが、歴史的な検証ではイメージが先行し過ぎで邪魔な事が多い。
@@ahawaha2400要は演義でしょw
切ないなぁ、兵も民もいったい何のために苦しんだというのか、
丁寧で良いですね。
久しぶりに三国志やりたくなる動画。
横山の三国志で諸葛亮以後はさらっと書かれてますねただ、ここまで詳しくは初めて知りました!
なんだかんだ言って「蜀目線」で面白い物語
司馬氏から国を乗っ取っとられた曹氏ですが、陳留王として晋が滅んだ後も、何気に存続してたり。
後の晋もお察しの通りになるあたり歴史は繰り返すってことなんだろうな
次は共産党王朝の番ですね
@@毛沢山-m8k晋王朝と清王朝を混同してませんか?
清朝の後も、その前に袁王朝と国民党政権があるからな実態は列強の植民地やったが
三国志の後日談は中々聞く機会が無かったので、勉強になりました。やはり凡人では乱世を治めるのは難しかったんですね。
この乱世の時代で、初期からほぼ大勢の決着が窺える頃まで生き続けた司馬懿が異常
凄いチャンネル見つけてしまった最高👍️
ほぼ横山光輝三国志しかしらなかったから、その後の話おもしろかったです。すぐ後の時代だから、自分の知っている武将たちがまだ活躍してる時代。もう一度よみたくなった。
晋含めて両漢由来のさまざまな政治制度が、社会情勢の実情と乖離しづづけていく時期ですよね。永嘉の乱の伏線にもなる異民族の労働力としての使役や戦力化が積極的に進められたのもその一つですし。
「破竹之勢」は「竹は、最初の一節さえ割ってしまえば、あとは一気に裂けること」から作られた四字熟語です。竹ひご作るのを見れば分かります。
😂竹を割るには、末から割る。
検索すると、「「晋書」杜預伝から」とするものが多いようですが、「「北史」周高祖紀」とするものも見られます。(※前者:コトバンク「破竹の勢い」他など。後者:情報・知識&オピニオンimidas スピーチに役立つ四字熟語辞典 「破竹の勢い」他など)「晋書」は、唐の2代皇帝、李世民の命により、房玄齢・李延寿らにより編纂され、完成は648年とされています。「北史」は「南史」と共に李大師、李延寿親子によって執筆され、完成は645年頃の様です。(それぞれWikipedia「晋書」、「北史」「李延寿」より)そして、李延寿が李世民に使えた関係か、659年に正史として公認されます。「晋書」杜預伝の原文と訳文(※「いつか読みたい晋書訳」より該当部分を引用)は、※※※(引用開始)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※時衆軍會議、或曰「百年之寇、未可盡剋。今向暑、水潦方降、疾疫將起、宜俟來冬、更爲大舉。」預曰「昔樂毅藉濟西一戰以并強齊。今兵威已振、譬如破竹、數節之後、皆迎刃而解、無復著手處也。」遂指授羣帥、徑造秣陵。所過城邑、莫不束手。議者乃以書謝之。※※※(和訳部分)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※時に衆軍會して議するに、或るひと曰く「百年の寇、未だ盡くは剋(さだ)むべからず。今、暑に向い、水潦 方に降り、疾疫 將に起こらんとすれば、宜しく來冬を俟(ま)ち、更めて大舉を爲すべし」と。預曰く「昔、樂毅は濟西に藉(よ)りて一戰して以て強齊を并(あわ)せり。今、兵威は已に振るい、譬えば破竹の如く、數節の後、皆な刃を迎えて解けば、復た著手する處無きなり」と。遂に羣帥に指授し、徑(ただ)ちに秣陵に造(いた)らしむ。過ぐる所の城邑、束手せざるは莫し。議者乃ち書を以て之に謝す。※※※(引用終了)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※次に「北史」周高祖紀の方は(※ひぽ太郎(アメブロ)「南北朝三国志(資治通鑑+正史)」「576年(2) 異議あるも 周武、再び東伐に赴き 急報あるも 淑妃、更めて囲殺を請う」より該当部分を引用)(※※原文と和訳が同時記載されているサイトを見つけられなかったので、個人ブログにてご容赦願います。意味は大体合ってる筈)※※※(引用開始)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※然晉州本高歡所起之地,鎮攝要重,今往攻之,彼必來援,吾嚴軍以待,擊之必克。然後乘破竹之勢,鼓行而東,足以窮其窟穴,混同文軌※※※(和訳部分)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※一方、晋州(平陽)はもと高歓⑵が身を起こした〔賊にとって由緒ある〕地で、拠点としても重要な地である。今この地を攻めれば、賊はきっと助けにやってくる。そこを、充分に態勢を整えた我らが攻撃をかければ、必ず勝てる。しかるのちに破竹の勢いに乗って東進すれば、賊の本拠(鄴)を陥とし、天下を統一することなど造作もないであろう。※※※(引用終了)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※晋書の方は、正しく「破竹の勢い」の『意味そのもの』である一方、北史の方は「破竹之勢」と『そのまんまの表記』である。両書がほぼ同時期に制作された事から考えれば、「破竹之勢」にあたる表現が既にあったと考えられ、それは上記のどちらかの事例から取られたものだと考えた場合、より古い晋書が語源であったと考えられます。超長文で果てしなく回りくどくなりましたが、つまり「破竹の勢い」は、「竹は節を割れば簡単に裂ける」という意味になるでしょう。従って、31:00 の「竹の節を割って行くような勢い」は、少々語弊があると言えるでしょう。「「破竹の勢い」の語源となった程の勢い」といった表現にしておけば良かったのではないかと。あと、余り大袈裟な煽りタイトルは感心しないな、と
@@kta7843 木と違って割れる勢いは早いね。まるで今回の兵庫県だ。名古屋に飛び火したよ。ホント、燎原の火事になるのかな。
動画は竹を斜めに切ってるのと説明が変だけど、晋の進軍が、まるで竹を割るようだとして「破竹之勢」が故事成語になったのは事実ですよ。
歴史大好きの近所の中学生にここを教えると聞き耳を立てて、学校の歴史授業より面白いと言ってました。アリガト!
面白い!良くしらべたね〜。あのあとどうなったのか気になってたよ。
凄く分かりやすく感激です。これからも続けて発信してください。
蜀漢は建国の経緯から、北伐しないと存在意義自体が無くなる。けど、国力の差が開きすぎて、北伐がうまくいく確率はかなり低かった。国としてのジレンマがあって諸葛亮も大変だったろうね。二世皇帝は劉禅だし。
大変面白く続きがぜひ見たい。
一番わかりやすい動画でした。
国力増強をせずに油断してると国は滅ぶ。
日本もでしょうか
@@kuroko3090 古今東西例外は無いです。
@@kuroko3090😭国力であって、軍事力だけではない。手取りを増やすのも国力の1つ。🤣年金は完全にインフレに負けてしまった。
泣くまで待とうホトトギスが最強だないつの時代も。
司馬懿を主人公にした中国ドラマがなかなかの長編。面白かったですよ。当時はやはり短命の人が多いですね。一度、病気になるとなすすべ無し、というか。
その晋も後継者問題や粛清、身内同士の争いなどとたいして魏や呉と変わらず似たような理由で滅亡していくのは勝者は実は誰もいなかったのかもしれません(あえて言うならこれらの問題が全く起きなく降伏した蜀が 真の勝者とも言えます)
劉禅は勝者ですね。 自分の幸せな人生を満喫した 簒奪する者への報いなのか、滅びに向かう晋朝末期の皇帝達は、皇帝としての尊厳すら与えられず家畜にされた
劉禅はこの時代の唯一の勝者だと思う
晋の話も聞きたいなぁ…この続きとして順々に話を聞かせてもらえませんか?続きが気になりますw
魏は曹操の時代から北方異民族を登用して国力の増強を図っていました。それは皇帝や側近が巧く調整役になって価値観の異なる異民族の利害を制御出来無いと国家が瓦解する事を意味しました。蜀という強敵が存在するうちは、内包する価値観の相違が問題になっていませんが確実に燻り続けてはいたのです。蜀が滅び短命の皇帝が続くと、魏と云う国家体制の求心力は急速に衰退してしまった。異民族登用は諸刃の刃でしたね。
北伐を牽制程度にしておけば蜀はもう少し長生きできたかな。呉も蜀も実権を握ってた人間が消えた瞬間に一気に崩れたな。
劉禅とかそもそも劉焉の独立勢力みたいなとこ無理やり乗り込んで、荊州派閥やら魏からの亡命者やらでぐちゃぐちゃになったとこ、どうやって管理すんねんって感じがする。歴史が流れ過ぎて政治利用の脚色されたりもあるから、実は違ってたとか新説が出てくると良いよな。
孔明が死んでから蜀が滅亡するまで30年くらいあるのに、小説も横山光輝さんの漫画もダイジェストなのが・・・
全く人の世はままならぬそこが三国志の最大の魅力だけど
蜀は劉備が放浪して地盤固めるのに時間かかりすぎて元々の人材が少ないてのもあるし優秀な人材は死ぬか魏や呉に流れていくのが辛い
無双シリーズでの劉禅は、昼行燈を演じてるって感じでしたねしかしまぁ、あそこは本当に内戦と言うか内紛と言うか・・・自分たちで殴り合うのが好きな国なんでしょうかね・・・
語りが聞きやすいですね。早口にならず、適切に間を取っているからでしょう。他のユーチューバーも参考にしてほしい。もちろん肉声が良いことはいうまでもない。あと少しだけまろやかな声音になれば文句ありません
25:46 父親が酒乱爺に廃嫡された上にその後に自害までさせられてるのを見てたら人間不信にもなるわなあっさり降伏したし最初から憎い呉を滅ぼすつもりでいた気もする降伏後の司馬炎や賈充とのやりとり見てると決して凡才ではなかったのはよくわかる
黄皓も孫皓も同じ皓がついていて偶然とは思えない忌まわしき文字なのかも
吉川英治の三国志を若い時に読みました。懐かしい思いでが甦えました。諸葛亮は素晴らしい人材でしたね、排水の陣は今でも現代人の中に生きていますね、三国志のその後を知り、感無量です。
吉川英治氏の小説は読み物としては面白いですが、良い所で終わらせて後は知らないみたいな流れです。因みに横山光輝氏の『三国志』では蜀滅亡まで描かれてます。
蜀に関しては費禕の死が早すぎましたね。それ以後、姜維等の北伐を止められる者も居なくなり国力の低下を招きました。諸葛亮が選んだ後継者たちは国を支え維持しましたが、その下の後継者は育てられなかったのも原因でしょうか。
メインパートの殆どが病死という時代なんですね。道半ばの無念で溢れてますね。
曹爽の漢中侵攻(興勢の役)が漢川を遡ったかのようになっていますが、実際は長安から駱谷道で侵攻ですね。李勝と司馬懿のエピソードも出身の荊州を意味する本州と并州の聞き間違いだけですね。
ショウエン、兼務が多すぎて激務すぎですよね。
素晴らしい👍
劉禅はまだ孫晧よりましだな。
以外にも劉禅がかなりの長生きだったと知って性格的にも乱世の世向きじゃなかったんだろうなぁって
演義としては滅亡の様子が描かれていてこれはこれで意味があるんでしょうけど物語としては盛り上がりに欠けるいまいちな感じになるから重視されないんでしょうね
戦争ばかりしているのに流れを変える人物はだいたい病死戦争するより衛生環境整えるとか他にやることあったはずよね…
まともな薬も無い、領内の設備整備整えても敵に略奪される可能性もあるからね董卓がスタートダッシュ失敗せず中国統一して、古代ローマくらい安定した地盤つくれてたら三国時代に飛行機やらWi-Fi飛んでただろうよ
普の続きが気になる!
一般の民にとっちゃ平和に暮らせるのが一番。無駄な戦はせず降伏した劉禅は名君でしょ。
そうだね だけど劉諶が好きです
読者は劉備達の尽力を見ているから劉禅が腹立たしいけど、庶民からしたら圧政をしかないなら誰でも良いもんな。
???劉禅が降伏しても「戦国時代」は終わらないんだけど???
郭循をけしかけたのは魏か、それとも姜i……おっと正月の酒宴の誘いが
五胡十六国もお願いします!
五胡十六国と五代十国・・・混同しますね
劉禅が降伏する事を決めた時に、息子の劉諶が、劉備、諸葛亮、関羽、張飛達先代が命をかけて作り上げた蜀を、1度も戦わずして降伏するのかって泣きながら反論したシーンは、横山光輝大先生の三国志で読んだ時に泣いたな…。でも、諸葛亮の北伐よりも夷陵の戦いで敗れた事が、蜀の国力を低下させた一番の要因だろうな…。
寧ろ諸葛亮が亡くなってから30年近く保った事の方がスゴイと思います。
@@大坂智義 確かに凄いですね。多分長く続いたのは、司馬懿と曹家の対立があったりしたのもあるかもしれないですね。
魏も呉も内部崩壊が始まったから微妙なバランスが保たれたのもあるでしょう。
結果的に、蜀を滅亡に追いやった発端をたどると、関羽が諸葛亮の言うことを守らずに呉に討たれたことがすべて。それによって無駄な仇討ちに固執した劉備が夷陵の戦いで敗北、その前に張飛が寝首をかかれ、ここでもう蜀は終わったに等しい。また、日本のカリスマ大名あるあるのように、劉備も跡継ぎをしっかり教育しなかった。阿呆を跡継ぎに亡くなってしまった。
関羽の敗北と夷陵の戦い、これで事実上は蜀が天下を取る道は途絶えましたね。それどころか滅亡寸前というレベルまで追い込まれたとも言えます。それを諸葛亮が支えたわけですが、彼が指名した後継者以降に人材が育たなかったのも痛いですね。特に費禕の早い死で姜維の北伐を止める重石が無くなり、国力の低下を招いたのは痛恨でした。
耐え難きを耐え、忍び難きを••
ついに晋のあとにスポットライトがあたってくるのかな・・・
それを現在では海外まで巻き込んで歴史を繰り返そうとしているから困る。内輪でやって心底国外まで巻き込まないで欲しい物である。
太傅は太子ではなく皇帝を教え導く名誉職です。
本当の地獄はこれから
中国史は面白い!!こんな昔からって考えると本当凄い
諸葛亮の北伐で衰退したのは明白
諸葛亮は政治家では無く 官僚だったと言う事でしょう、机上の空論 では完璧でも現実は相手がある事まして相手は仲達 文武両道の人 易々とはのらない逆に時間を掛けられ作戦の無効化と消耗し何も得ることなく撤退が続くハメになり 諸葛亮自体苦悩し死んで行った印象、兎に角蜀には将軍とかはそこそこ居たけど 政治家の人材は劉備時代から少なかった だからこの時代のエリートは魏か呉に集まっていたのでしょうね..
劉備が連れてきた中原出身者も多く、いつかは中原に返り咲くって目的があっての国でもあるのでは?と。
玄徳が亡くなった後人材が枯渇したのが蜀滅亡の原因
中国人ですよ
そもそも運の要素が強くて、どの陣営でも統一があり得てその中の最悪の全て全滅のルートを辿ったに過ぎないかと思う。
汶山はぶんざんではなく「びんざん」ですね
晋のその後も踏まえると、結果的にどの国も勝ったわけではなく結果的には北方民族にやられたって印象です。そして漢民族ではない王朝が気が付いたら漢民族を名乗るようになった。
イヤイヤ、家臣が良かっただけだよ!
全ては馬謖の失態から…
人口の推移が分かるとありがたいですね😊
食人の問題🐶
結局笑ったのは腐らせた元凶と文化
つまり魏では【暗刹将軍:徳川吉宗♪】が大活躍した訳ね😂晩年の孫権の所業を見て『あぁ、太閤も〜』と一時期は思ってたが、アレは【イイ人振っていた下衆】と気付いた今日、この頃🤔
戦死と老化とか世代交代かな
劉備の入蜀の大義名分が漢の復興なので、魏を攻めないといけなかったが、後漢の献帝が220年曹丕に皇位を禅定、五丈原の戦いの同年の234年に死亡してしまったので、大義名分もそれほど必要なくなり、劉禅は蜀防衛だけすれば良くなった。五丈原以降は順当に勢力差だけで終わり盛り上がりに欠けるので、五丈原で話を切るのは物語としては正しい。
曹操そんなに悪いなら独り占めするだろう
蜀の失策はやはり夷陵だと思う。孔明は「荊州と蜀で鍛え上げられた精兵を率いて」という構想で打倒魏を掲げ、逆にそうしなければ魏には勝てないと考えていたのではないだろうか?夷陵の後の蜀は北伐を大義に掲げていたが、実際は「攻めこそ最大の防御」思想であって、魏を攻めることで蜀漢という国の体裁を保っていただけだと思う。
夷陵の戦いは荊州名士層で形成されていた蜀には必要な戦いで関羽の弔い合戦はあくまで士気を上げる名目。実際に諸葛亮も止めてないし関羽が亡くなってからかなり後の話。荊州失陥の時点で命運は尽きてる。それだけにそこから立て直し国是として北伐をした諸葛亮が優秀なのは疑いようがない事ですが。あとその割を食ったのは馬謖ですかね。最近の研究では蜀の当時の戦力では間道を塞ぐ事は不可能であり山に布陣するしかなかったと言われてます。要するに国力の差による敗北を馬謖1人に被せる事で将の損害と士気の低下を防いだ当て馬役を全うしましたね。
あと北伐に関しては、蜀の存在意義という側面もある。漢朝から帝位を簒奪した魏を倒すという大義名分が存在したから。とはいえ、国力でも人員でも魏には差を付けられている以上どのみち蜀がジリ貧になっていた可能性は高いけど
まあそもそもが、圧倒的に国力が違うからね。魏と蜀は織豊政権と島津家くらいの差があったのでは?
多分劉禅は蜀の持続を念頭に置いていたのに、絶対漢再興するマンに国力削がれてしまったんだね。
劉禅は黄皓と遊興に耽ってきたと言うのは実は姜維達に内緒で三国の国力を比較、分析した上で孔明亡き後の情勢を図上演習をしていたのでは無いかと思っています。
政治用語の傀儡は「かいらい」芸能用語の傀儡は「くぐつ」
32:25これについては、早稲田大の渡邉先生が「悲哀の物語」と論じていらっしゃる。勝者はいないと。そして屯田制を中心に後世でも役立てられた法律や制度が生まれ、劉備と諸葛亮が守ろうとした漢は、現代でも中国のアイデンティティになっているから、決して無駄ではなかった、とも。
この動画を見ると、ゲームの蒋琬の能力値はもっと高くても良いと感じました。
やっぱ禿髪樹機能だよな
図体が幾ら大きくても、要は人で肝心な要(かなめ)ですね。C国の衰退も支那の伝統に定めに従った運命を辿るのか?(集金兵)
死せる孔明生ける仲達を走らす。だけではなく魏まで走らせた。
あーいいね 良い動画
内政に長け、姜維のブレーキにもなれた費禕の退場が矢張り痛い。。
2周目司馬懿利口過ぎる!
「売り家と唐様で書く三代目」とはよく言ったものだなと。
キングダムの話があって三国志だもんなぁ。中国の戦乱の歴史は物凄い。
鳳雛を失わなければ、関羽を諌め、荊州を失わずに済み、北伐の難易度も下がったと思っている。
初見です。最後まで見た感想ですが、面白いの一言です。今の大半の日本人に三国志の知識やアイデンティティの元になったのは、吉川英治氏の小説『三国志』でしょう。後に様々な作家(北方謙三氏含め)が諸葛亮が最後に活躍した『五丈原の合戦』で魏の司馬懿仲達を翻弄した「死せる孔明、生ける仲達を走らす」をクライマックスにして終わらせてます。 横井光輝氏の『三国志』でその後の蜀がどうなったかを最後まで描いてますね。
因みに吉川英治氏が同じ様に、宮本武蔵を小説の題材にして『巌流島の決闘』をクライマックスに勝った武蔵が悠々と船で去る姿で締めてます。 実際の武蔵は船島(負けた小次郎の『巌流』が付く前)の戦い以降散々な生活だったのは知られて無いですね・・・・
龐統と法正が長生きしていたらどうだっただろう
少なくても龐統が生きてれば荊州を失うことはなかったと思う
龐統に関しては惜しいことに早く亡くなってしまい評価は付けづらいよね。
荊州を失わないってことは荊州の生産量を失わずに済む+関羽周りが生存するってことだし色々変わりすぎるね、拮抗する時代が長く続いたかもね
なぜ龐統が関羽をコントロールできると思うの?→スマン。記憶違いだ。龐統存命なら諸葛亮は荊州に残留だった。しかし、諸葛亮でも関羽を御し得なかっただろうから同じこと。
@@rowhow6449 まあ、無理だよね。派閥と地位の違いがあるし、孔明ですらお世辞を言って手のひらで転がしてたとはいえ、かなり気を使っていたくらいだものね。孔明の北伐だって理由の一つは国をまとめる為の戦争でもあったくらいには内部は複雑だった。
民族的に争いが好きなんですかね?
私は、晋王朝……すべての国 すべての英雄、すべての民族を消し……そして、私も消えよう……永遠に!!
シバエクスデス
姉が子供の名前皓にしようとして全力で諌めたな
結局のところ、欲も邪魔なんですよね。
三国志は国がどの辺とか登場人物の関係性分からなくて、訳分からない歴史の一つ
そもそも論で、漢民族は権力握ったらどうなるかは歴史が証明していることだし、漢民族にさせようとしたのが本当の原因なのでは?
綿竹の戦い全員軍師なら話し合いだろうよ
普による統一のあと、すぐ八王の乱という内紛を始め、ま〜た国内は混乱していくんですよね〜。その混乱に乗じて北方異民族達が侵入してきて、長い長い中国の大混乱の時代が続く…。3国時代はまだこの混乱の序章にすぎなかったという。その後、隋が統一するまで200年近く混乱が続くという大変な時代だったんですねえ…😢
晋のその後は、聞いたことないなぁ。
蜀は関羽の死が早かったのが痛かったな
「三国志」は何度も読んだけど、やっぱり「劉備」「曹操」「孫権」の時が一番面白かったなぁ
孫堅かな?
創業の時が面白い。みな数々の死線を潜り抜けてきた
後、南北時代は異民族VS漢族感じ
そりゃー1作目の方が面白くて2作目3作目は何か微妙ってのがあるじゃん
間違いないですな!
それよりも後よりはその頃がおもしろいけど、個人的にはそれよりも前の群雄割拠のときのほうがおもしろい。KOEIのゲームでもそっちのシナリオのほうがおもしろいし。単純にそれよりも前の時代のころは日本ではあまり知られていない気がする。
めっっっちゃわかりやすいな!
ほとんど三国志知らないのに、思わず全部見てしまった。
姜維は、よくも悪くも骨の髄まで武人だった。
こんにちは!
最高に面白かったです!
とて素敵な講談でした。
「破竹の勢い」の誕生となる場面の表現が神がかりで感動しました。
ありがとうございました❕️❕️❕️
結局は、心の貧しさゆえに滅んで行くのですね。
それゆえ、心を豊かにするという結論になります。🔔👍
わかりやすいご説明、有難うございました
自分の認識が時間的にかなりズレている事を理解出来、
又、晋の建国、呉の滅亡の過程が良く分かりました。
とても面白かったです。
ありがとうございました。
こうしてみると
色々言われる劉禅の治める蜀の内部が
一番平和だったという皮肉
三国志の孔明死すまでは結構知ってましたが、晋になるまでも色々と物語があるんですね。
勉強になりました
その原因を作ったのが日本の作家であの有名な吉川英治氏ですね。
諸葛亮の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名な『五丈原の合戦』をクライマックスに持ってきて終わらせてます。
同様に宮本武蔵vs佐々木小次郎の『巌流島の決闘』をクライマックスにして宮本武蔵の小説を終わらせてる御仁ですね(笑)
後世の作家が大半吉川英治氏の脚本に引っ張られて大体同じ流れになってます。
良い所取りで読み物として面白いが、歴史的な検証ではイメージが先行し過ぎで邪魔な事が多い。
@@ahawaha2400要は演義でしょw
切ないなぁ、
兵も民もいったい何のために苦しんだというのか、
丁寧で良いですね。
久しぶりに三国志やりたくなる動画。
横山の三国志で諸葛亮以後はさらっと書かれてますね
ただ、ここまで詳しくは初めて知りました!
なんだかんだ言って「蜀目線」で面白い物語
司馬氏から国を乗っ取っとられた曹氏ですが、陳留王として晋が滅んだ後も、何気に存続してたり。
後の晋もお察しの通りになるあたり歴史は繰り返すってことなんだろうな
次は共産党王朝の番ですね
@@毛沢山-m8k晋王朝と清王朝を混同してませんか?
清朝の後も、その前に袁王朝と国民党政権があるからな
実態は列強の植民地やったが
三国志の後日談は中々聞く機会が無かったので、勉強になりました。やはり凡人では乱世を治めるのは難しかったんですね。
この乱世の時代で、初期からほぼ大勢の決着が窺える頃まで生き続けた司馬懿が異常
凄いチャンネル見つけてしまった
最高👍️
ほぼ横山光輝三国志しかしらなかったから、その後の話おもしろかったです。
すぐ後の時代だから、自分の知っている武将たちがまだ活躍してる時代。
もう一度よみたくなった。
晋含めて両漢由来のさまざまな政治制度が、社会情勢の実情と乖離しづづけていく時期ですよね。永嘉の乱の伏線にもなる異民族の労働力としての使役や戦力化が積極的に進められたのもその一つですし。
「破竹之勢」は「竹は、最初の一節さえ割ってしまえば、あとは一気に裂けること」から作られた四字熟語です。
竹ひご作るのを見れば分かります。
😂竹を割るには、末から割る。
検索すると、「「晋書」杜預伝から」とするものが多いようですが、「「北史」周高祖紀」とするものも見られます。
(※前者:コトバンク「破竹の勢い」他など。
後者:情報・知識&オピニオンimidas スピーチに役立つ四字熟語辞典 「破竹の勢い」他など)
「晋書」は、唐の2代皇帝、李世民の命により、房玄齢・李延寿らにより編纂され、完成は648年とされています。
「北史」は「南史」と共に李大師、李延寿親子によって執筆され、完成は645年頃の様です。
(それぞれWikipedia「晋書」、「北史」「李延寿」より)
そして、李延寿が李世民に使えた関係か、659年に正史として公認されます。
「晋書」杜預伝の原文と訳文(※「いつか読みたい晋書訳」より該当部分を引用)は、
※※※(引用開始)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
時衆軍會議、或曰「百年之寇、未可盡剋。今向暑、水潦方降、疾疫將起、宜俟來冬、更爲大舉。」預曰「昔樂毅藉濟西一戰以并強齊。今兵威已振、譬如破竹、數節之後、皆迎刃而解、無復著手處也。」遂指授羣帥、徑造秣陵。所過城邑、莫不束手。議者乃以書謝之。
※※※(和訳部分)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
時に衆軍會して議するに、或るひと曰く「百年の寇、未だ盡くは剋(さだ)むべからず。今、暑に向い、水潦 方に降り、疾疫 將に起こらんとすれば、宜しく來冬を俟(ま)ち、更めて大舉を爲すべし」と。預曰く「昔、樂毅は濟西に藉(よ)りて一戰して以て強齊を并(あわ)せり。今、兵威は已に振るい、譬えば破竹の如く、數節の後、皆な刃を迎えて解けば、復た著手する處無きなり」と。遂に羣帥に指授し、徑(ただ)ちに秣陵に造(いた)らしむ。過ぐる所の城邑、束手せざるは莫し。議者乃ち書を以て之に謝す。
※※※(引用終了)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
次に「北史」周高祖紀の方は(※ひぽ太郎(アメブロ)「南北朝三国志(資治通鑑+正史)」「576年(2) 異議あるも 周武、再び東伐に赴き 急報あるも 淑妃、更めて囲殺を請う」より該当部分を引用)
(※※原文と和訳が同時記載されているサイトを見つけられなかったので、個人ブログにてご容赦願います。意味は大体合ってる筈)
※※※(引用開始)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
然晉州本高歡所起之地,鎮攝要重,今往攻之,彼必來援,吾嚴軍以待,擊之必克。然後乘破竹之勢,鼓行而東,足以窮其窟穴,混同文軌
※※※(和訳部分)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
一方、晋州(平陽)はもと高歓⑵が身を起こした〔賊にとって由緒ある〕地で、拠点としても重要な地である。今この地を攻めれば、賊はきっと助けにやってくる。そこを、充分に態勢を整えた我らが攻撃をかければ、必ず勝てる。しかるのちに破竹の勢いに乗って東進すれば、賊の本拠(鄴)を陥とし、天下を統一することなど造作もないであろう。
※※※(引用終了)※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
晋書の方は、正しく「破竹の勢い」の『意味そのもの』である一方、北史の方は「破竹之勢」と『そのまんまの表記』である。
両書がほぼ同時期に制作された事から考えれば、「破竹之勢」にあたる表現が既にあったと考えられ、それは上記のどちらかの事例から取られたものだと考えた場合、より古い晋書が語源であったと考えられます。
超長文で果てしなく回りくどくなりましたが、つまり「破竹の勢い」は、「竹は節を割れば簡単に裂ける」という意味になるでしょう。
従って、31:00 の「竹の節を割って行くような勢い」は、少々語弊があると言えるでしょう。
「「破竹の勢い」の語源となった程の勢い」といった表現にしておけば良かったのではないかと。
あと、余り大袈裟な煽りタイトルは感心しないな、と
@@kta7843
木と違って割れる勢いは早いね。まるで今回の兵庫県だ。名古屋に飛び火したよ。ホント、燎原の火事になるのかな。
動画は竹を斜めに切ってるのと説明が変だけど、晋の進軍が、まるで竹を割るようだとして「破竹之勢」が故事成語になったのは事実ですよ。
歴史大好きの近所の中学生にここを教えると聞き耳を立てて、学校の歴史授業より面白いと言ってました。アリガト!
面白い!
良くしらべたね〜。
あのあとどうなったのか気になってたよ。
凄く分かりやすく感激です。これからも続けて発信してください。
蜀漢は建国の経緯から、北伐しないと存在意義自体が無くなる。
けど、国力の差が開きすぎて、北伐がうまくいく確率はかなり低かった。
国としてのジレンマがあって諸葛亮も大変だったろうね。二世皇帝は劉禅だし。
大変面白く続きがぜひ見たい。
一番わかりやすい動画でした。
国力増強をせずに油断してると国は滅ぶ。
日本もでしょうか
@@kuroko3090
古今東西例外は無いです。
@@kuroko3090
😭国力であって、軍事力だけではない。手取りを増やすのも国力の1つ。
🤣年金は完全にインフレに負けてしまった。
泣くまで待とうホトトギスが最強だないつの時代も。
司馬懿を主人公にした中国ドラマがなかなかの長編。
面白かったですよ。
当時はやはり短命の人が多いですね。
一度、病気になるとなすすべ無し、というか。
その晋も後継者問題や粛清、身内同士の争いなどとたいして魏や呉と変わらず似たような理由で滅亡していくのは勝者は実は誰もいなかったのかもしれません(あえて言うならこれらの問題が全く起きなく降伏した蜀が 真の勝者とも言えます)
劉禅は勝者ですね。 自分の幸せな人生を満喫した
簒奪する者への報いなのか、
滅びに向かう晋朝末期の皇帝達は、皇帝としての尊厳すら与えられず家畜にされた
劉禅はこの時代の唯一の勝者だと思う
晋の話も聞きたいなぁ…この続きとして順々に話を聞かせてもらえませんか?
続きが気になりますw
魏は曹操の時代から北方異民族を登用して国力の増強を図っていました。それは皇帝や側近が巧く調整役になって価値観の異なる異民族の利害を制御出来無いと国家が瓦解する事を意味しました。蜀という強敵が存在するうちは、内包する価値観の相違が問題になっていませんが確実に燻り続けてはいたのです。蜀が滅び短命の皇帝が続くと、魏と云う国家体制の求心力は急速に衰退してしまった。異民族登用は諸刃の刃でしたね。
北伐を牽制程度にしておけば蜀はもう少し長生きできたかな。呉も蜀も実権を握ってた人間が消えた瞬間に一気に崩れたな。
劉禅とかそもそも劉焉の独立勢力みたいなとこ無理やり乗り込んで、荊州派閥やら魏からの亡命者やらでぐちゃぐちゃになったとこ、どうやって管理すんねんって感じがする。歴史が流れ過ぎて政治利用の脚色されたりもあるから、実は違ってたとか新説が出てくると良いよな。
孔明が死んでから蜀が滅亡するまで30年くらいあるのに、小説も横山光輝さんの漫画もダイジェストなのが・・・
全く人の世はままならぬ
そこが三国志の最大の魅力だけど
蜀は劉備が放浪して地盤固めるのに時間かかりすぎて元々の人材が少ないてのもあるし優秀な人材は死ぬか魏や呉に流れていくのが辛い
無双シリーズでの劉禅は、昼行燈を演じてるって感じでしたね
しかしまぁ、あそこは本当に内戦と言うか内紛と言うか・・・自分たちで殴り合うのが好きな国なんでしょうかね・・・
語りが聞きやすいですね。早口にならず、適切に間を取っているからでしょう。他のユーチューバーも参考にしてほしい。もちろん肉声が良いことはいうまでもない。あと少しだけまろやかな声音になれば文句ありません
25:46
父親が酒乱爺に廃嫡された上にその後に自害までさせられてるのを見てたら人間不信にもなるわな
あっさり降伏したし最初から憎い呉を滅ぼすつもりでいた気もする
降伏後の司馬炎や賈充とのやりとり見てると決して凡才ではなかったのはよくわかる
黄皓も孫皓も同じ皓がついていて偶然とは思えない
忌まわしき文字なのかも
吉川英治の三国志を若い時に読みました。懐かしい思いでが甦えました。諸葛亮は素晴らしい人材でしたね、排水の陣は今でも現代人の中に生きていますね、
三国志のその後を知り、感無量です。
吉川英治氏の小説は読み物としては面白いですが、良い所で終わらせて後は知らないみたいな流れです。
因みに横山光輝氏の『三国志』では蜀滅亡まで描かれてます。
蜀に関しては費禕の死が早すぎましたね。
それ以後、姜維等の北伐を止められる者も居なくなり国力の低下を招きました。
諸葛亮が選んだ後継者たちは国を支え維持しましたが、その下の後継者は育てられなかったのも原因でしょうか。
メインパートの殆どが病死という時代なんですね。道半ばの無念で溢れてますね。
曹爽の漢中侵攻(興勢の役)が漢川を遡ったかのようになっていますが、実際は長安から駱谷道で侵攻ですね。李勝と司馬懿のエピソードも出身の荊州を意味する本州と并州の聞き間違いだけですね。
ショウエン、兼務が多すぎて激務すぎですよね。
素晴らしい👍
劉禅はまだ孫晧よりましだな。
以外にも劉禅がかなりの長生きだったと知って性格的にも乱世の世向きじゃなかったんだろうなぁって
演義としては滅亡の様子が描かれていてこれはこれで意味があるんでしょうけど物語としては盛り上がりに欠けるいまいちな感じになるから重視されないんでしょうね
戦争ばかりしているのに
流れを変える人物はだいたい病死
戦争するより衛生環境整えるとか
他にやることあったはずよね…
まともな薬も無い、領内の設備整備整えても敵に略奪される可能性もあるからね
董卓がスタートダッシュ失敗せず中国統一して、古代ローマくらい安定した地盤つくれてたら三国時代に飛行機やらWi-Fi飛んでただろうよ
普の続きが気になる!
一般の民にとっちゃ平和に暮らせるのが一番。無駄な戦はせず降伏した劉禅は名君でしょ。
そうだね だけど劉諶が好きです
読者は劉備達の尽力を見ているから劉禅が腹立たしいけど、庶民からしたら圧政をしかないなら誰でも良いもんな。
???劉禅が降伏しても「戦国時代」は終わらないんだけど???
郭循をけしかけたのは魏か、それとも姜i……おっと正月の酒宴の誘いが
五胡十六国もお願いします!
五胡十六国と五代十国・・・混同しますね
劉禅が降伏する事を決めた時に、息子の劉諶が、劉備、諸葛亮、関羽、張飛達先代が命をかけて作り上げた蜀を、1度も戦わずして降伏するのかって泣きながら反論したシーンは、横山光輝大先生の三国志で読んだ時に泣いたな…。
でも、諸葛亮の北伐よりも夷陵の戦いで敗れた事が、蜀の国力を低下させた一番の要因だろうな…。
寧ろ諸葛亮が亡くなってから30年近く保った事の方がスゴイと思います。
@@大坂智義
確かに凄いですね。多分長く続いたのは、司馬懿と曹家の対立があったりしたのもあるかもしれないですね。
魏も呉も内部崩壊が始まったから微妙なバランスが保たれたのもあるでしょう。
結果的に、蜀を滅亡に追いやった発端をたどると、関羽が諸葛亮の言うことを守らずに呉に討たれたことがすべて。それによって無駄な仇討ちに固執した劉備が夷陵の戦いで敗北、その前に張飛が寝首をかかれ、ここでもう蜀は終わったに等しい。また、日本のカリスマ大名あるあるのように、劉備も跡継ぎをしっかり教育しなかった。阿呆を跡継ぎに亡くなってしまった。
関羽の敗北と夷陵の戦い、これで事実上は蜀が天下を取る道は途絶えましたね。
それどころか滅亡寸前というレベルまで追い込まれたとも言えます。
それを諸葛亮が支えたわけですが、彼が指名した後継者以降に人材が育たなかったのも痛いですね。
特に費禕の早い死で姜維の北伐を止める重石が無くなり、国力の低下を招いたのは痛恨でした。
耐え難きを耐え、忍び難きを••
ついに晋のあとにスポットライトがあたってくるのかな・・・
それを現在では海外まで巻き込んで歴史を繰り返そうとしているから困る。
内輪でやって心底国外まで巻き込まないで欲しい物である。
太傅は太子ではなく皇帝を教え導く名誉職です。
本当の地獄はこれから
中国史は面白い!!
こんな昔からって考えると本当凄い
諸葛亮の北伐で衰退したのは明白
諸葛亮は政治家では無く 官僚だったと言う事でしょう、机上の空論 では完璧でも現実は相手がある事まして相手は仲達 文武両道の人 易々とはのらない逆に時間を掛けられ作戦の無効化と消耗し何も得ることなく撤退が続くハメになり 諸葛亮自体苦悩し死んで行った印象、兎に角蜀には将軍とかはそこそこ居たけど 政治家の人材は劉備時代から少なかった だからこの時代のエリートは魏か呉に集まっていたのでしょうね..
劉備が連れてきた中原出身者も多く、いつかは中原に返り咲くって目的があっての国でもあるのでは?と。
玄徳が亡くなった後人材が枯渇
したのが蜀滅亡の原因
中国人ですよ
そもそも運の要素が強くて、どの陣営でも統一があり得て
その中の最悪の全て全滅のルートを辿ったに過ぎないかと思う。
汶山はぶんざんではなく「びんざん」ですね
晋のその後も踏まえると、結果的にどの国も勝ったわけではなく結果的には北方民族にやられたって印象です。
そして漢民族ではない王朝が気が付いたら漢民族を名乗るようになった。
イヤイヤ、家臣が良かっただけだよ!
全ては馬謖の失態から…
人口の推移が分かるとありがたいですね😊
食人の問題🐶
結局笑ったのは腐らせた元凶と文化
つまり魏では【暗刹将軍:徳川吉宗♪】が大活躍した訳ね😂
晩年の孫権の所業を見て『あぁ、太閤も〜』と一時期は思ってたが、アレは【イイ人振っていた下衆】と気付いた今日、この頃🤔
戦死と老化とか世代交代かな
劉備の入蜀の大義名分が漢の復興なので、魏を攻めないといけなかったが、後漢の献帝が220年曹丕に皇位を禅定、五丈原の戦いの同年の234年に死亡してしまったので、大義名分もそれほど必要なくなり、劉禅は蜀防衛だけすれば良くなった。五丈原以降は順当に勢力差だけで終わり盛り上がりに欠けるので、五丈原で話を切るのは物語としては正しい。
曹操そんなに悪いなら独り占めするだろう
蜀の失策はやはり夷陵だと思う。孔明は「荊州と蜀で鍛え上げられた精兵を率いて」という構想で打倒魏を掲げ、逆にそうしなければ魏には勝てないと考えていたのではないだろうか?
夷陵の後の蜀は北伐を大義に掲げていたが、実際は「攻めこそ最大の防御」思想であって、魏を攻めることで蜀漢という国の体裁を保っていただけだと思う。
夷陵の戦いは荊州名士層で形成されていた蜀には必要な戦いで関羽の弔い合戦はあくまで士気を上げる名目。実際に諸葛亮も止めてないし関羽が亡くなってからかなり後の話。荊州失陥の時点で命運は尽きてる。それだけにそこから立て直し国是として北伐をした諸葛亮が優秀なのは疑いようがない事ですが。あとその割を食ったのは馬謖ですかね。最近の研究では蜀の当時の戦力では間道を塞ぐ事は不可能であり山に布陣するしかなかったと言われてます。要するに国力の差による敗北を馬謖1人に被せる事で将の損害と士気の低下を防いだ当て馬役を全うしましたね。
あと北伐に関しては、蜀の存在意義という側面もある。漢朝から帝位を簒奪した魏を倒すという大義名分が存在したから。
とはいえ、国力でも人員でも魏には差を付けられている以上どのみち蜀がジリ貧になっていた可能性は高いけど
まあそもそもが、圧倒的に国力が違うからね。魏と蜀は織豊政権と島津家くらいの差があったのでは?
多分劉禅は蜀の持続を念頭に置いていたのに、絶対漢再興するマンに国力削がれてしまったんだね。
劉禅は黄皓と遊興に耽ってきたと言うのは実は姜維達に内緒で三国の国力を比較、分析した上で孔明亡き後の情勢を図上演習をしていたのでは無いかと思っています。
政治用語の傀儡は「かいらい」
芸能用語の傀儡は「くぐつ」
32:25
これについては、早稲田大の渡邉先生が「悲哀の物語」と論じていらっしゃる。勝者はいないと。そして屯田制を中心に後世でも役立てられた法律や制度が生まれ、劉備と諸葛亮が守ろうとした漢は、現代でも中国のアイデンティティになっているから、決して無駄ではなかった、とも。
この動画を見ると、ゲームの蒋琬の能力値はもっと高くても良いと感じました。
やっぱ禿髪樹機能だよな
図体が幾ら大きくても、要は人で肝心な要(かなめ)ですね。
C国の衰退も支那の伝統に定めに従った運命を辿るのか?(集金兵)
死せる孔明生ける仲達を走らす。だけではなく魏まで走らせた。
あーいいね 良い動画
内政に長け、姜維のブレーキにもなれた費禕の退場が矢張り痛い。。
2周目司馬懿利口過ぎる!
「売り家と唐様で書く三代目」とはよく言ったものだなと。
キングダムの話があって三国志だもんなぁ。
中国の戦乱の歴史は物凄い。
鳳雛を失わなければ、関羽を諌め、
荊州を失わずに済み、北伐の難易度も
下がったと思っている。
初見です。最後まで見た感想ですが、面白いの一言です。
今の大半の日本人に三国志の知識やアイデンティティの元になったのは、吉川英治氏の小説『三国志』でしょう。後に様々な作家(北方謙三氏含め)が諸葛亮が最後に活躍した『五丈原の合戦』で魏の司馬懿仲達を翻弄した「死せる孔明、生ける仲達を走らす」をクライマックスにして終わらせてます。
横井光輝氏の『三国志』でその後の蜀がどうなったかを最後まで描いてますね。
因みに吉川英治氏が同じ様に、宮本武蔵を小説の題材にして『巌流島の決闘』をクライマックスに勝った武蔵が悠々と船で去る姿で締めてます。
実際の武蔵は船島(負けた小次郎の『巌流』が付く前)の戦い以降散々な生活だったのは知られて無いですね・・・・
龐統と法正が長生きしていたらどうだっただろう
少なくても龐統が生きてれば荊州を失うことはなかったと思う
龐統に関しては惜しいことに早く亡くなってしまい評価は付けづらいよね。
荊州を失わないってことは荊州の生産量を失わずに済む+関羽周りが生存するってことだし色々変わりすぎるね、拮抗する時代が長く続いたかもね
なぜ龐統が関羽をコントロールできると思うの?
→スマン。記憶違いだ。龐統存命なら諸葛亮は荊州に残留だった。しかし、諸葛亮でも関羽を御し得なかっただろうから同じこと。
@@rowhow6449 まあ、無理だよね。
派閥と地位の違いがあるし、孔明ですらお世辞を言って手のひらで転がしてたとはいえ、かなり気を使っていたくらいだものね。孔明の北伐だって理由の一つは国をまとめる為の戦争でもあったくらいには内部は複雑だった。
民族的に争いが好きなんですかね?
私は、晋王朝……
すべての国 すべての英雄、すべての民族を消し……
そして、私も消えよう……
永遠に!!
シバエクスデス
姉が子供の名前皓にしようとして全力で諌めたな
結局のところ、欲も邪魔なんですよね。
三国志は国がどの辺とか登場人物の関係性分からなくて、訳分からない歴史の一つ
そもそも論で、漢民族は権力握ったらどうなるかは歴史が証明していることだし、漢民族にさせようとしたのが本当の原因なのでは?
綿竹の戦い全員軍師なら話し合いだろうよ
普による統一のあと、すぐ八王の乱という内紛を始め、ま〜た国内は混乱していくんですよね〜。
その混乱に乗じて北方異民族達が侵入してきて、長い長い中国の大混乱の時代が続く…。
3国時代はまだこの混乱の序章にすぎなかったという。
その後、隋が統一するまで200年近く混乱が続くという大変な時代だったんですねえ…😢
晋のその後は、聞いたことないなぁ。
蜀は関羽の死が早かったのが痛かったな