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凄い、ここまできちんとまとめて下さるとは!日本髪の結髪は今だと2、3万はします。やはり当時の物価バランスは不思議面白く興味深い動画ありがとうございました
なんと、貨幣の基礎から、分かりやすい解説ありがとう
江戸時代も現代も生きていくのは厳しい世の中やったんやなぁ〜
鬼平をきっかけに江戸時代への興味(特に食(もっともこの動画では経済だけど))が尽きないから、これほど詳細にまとめてくれているチャンネルはすごく助かります。おもしろいです。
『宵越しの銭は持たぬ』だけど、不景気?だかで節約が流行ったかなんかの理由で『消費を促そう』てなことで流行らせた流行語なんだそうで。
それ、江戸っ子だけだよいw
江戸時代の物価は高かったけど、税金とか保険料が無くて家賃も長屋なら日当1~2日分だったから生きていけたんだよな。
最期の貨幣改鋳時の一両は今の貨幣価値にすると16万円。二分金、二分銀が揃って今の貨幣価値にすると4万円。一分金、一分銀揃って今の貨幣価値にすると2万円。豆板銀十六文で一両。一朱金、一朱銀それぞれ五千円。六紋銭三百六十枚で一両。
江戸時代は基本的に物価も安いが人件費も安い、今のヴェトナムぐらいの感覚で、それを今の日本経済に当てはめてみようとすること自体が実は無理です。金銀銭が変動相場に加えて改鋳に次ぐ改鋳、大きさも変えたりして、特に金貨は17世紀と幕末で全然違う。藩札も発行元の藩の信用度によって額面と実質レートが変動(藩札は隣領の者や多藩に亘って商いをしているような者も、嫌でも持っていました)していたので、もうカオスです。
いつも楽しく視聴させております。冒頭の魔理沙さんの説明口調が新鮮でした(笑)
前田家ですら江戸中期には今までの貯金が無くなってた。大名の赤字を取り上げた動画も観たいです
参勤交代が大名の財産を奪ったのは有名な話しです。
14:17だから必殺仕置人、念仏の鉄は骨つぎを表の業していたのか。
髪結いの亭主なんて話もあるくらいだから、髪結いが高収入なのはわかる。しかし、無益の旗本、御家人は町人よりも金がないのでは、見栄を張るために親の脛を齧ったり、たかったり大変だなあ。
齧れる親の脛が有るならまだマシよ本当にヤバい所は借金しまくりで二進も三進もいかなくなってたからねそれで定期的に幕府の事実上の徳政令(悪徳な金貸しを懲らしめる的な理由付けしてるけど)だして借金チャラにしてたけど、ソレでも解消せず最終的に明治維新で「侍の特権捨てる(領地返上等)なら借金チャラにしてあげるよ」って言う明治政府の提案に殆どの侍が喜んで特権捨ててたからねぇ・・・
面白いです。2が楽しみです。
興味深いし分かりやすいし為になるしで申し分のない素晴らしいチャンネル。もっと登録が伸びても不思議じゃないんだがなあ。
毎回楽しみにしてます。今後も頑張って下さい
「世に銭ほど面白き物はなし」【井原西鶴『日本永代蔵』】江戸も現代も、銭が仇であることは変わりがないようだ。
センないことよ(´・ω・`)
早く仇に巡り会いたいw W W
とりあえず現代との労働のキツさの違いを比較するには、真っ先に生産技術力の差を考慮に入れる必要があるでしょうね電気もパソコンも自動車もなかった時代は生活に必要な糧の全てを人力で賄う必要があったわけですから。
現在の価格に変換すると大変でしたね面白かったです
私の実家は代々農家であったが、自分はその田畑を継がずエンジニアになった。なんとなく農家より稼いでいるつもりになっていたが、相対的にご先祖様と大差ない年収なのは皮肉だな・・・
農家は収入だけ見れば1000万越えも普通にいるからなぁ。(支出も大きいのだけど)
面白い比較ですね医師が頭を丸めてたのは、僧籍があったからです。人の体を診るってのが聖職者的な扱いだったのと、知識が必要(僧侶は文字が読める。難しい仏典が読める。すなわち知識人)というのが理由です。後に、知識という点で、儒者が同様に見聞を広めたため、髪の毛の長い、時代劇にもちょくちょく出てくる人が台頭してきました。
茶も昔は薬扱いだったとか聞いたね。
近世の医者に僧籍はありません。医者、盲目者、絵師などにも公的ステイタス(受領名、肩書)があって、法印、法眼を(実質大金で買って)許されるとはじめてその肩書きに従って頭を丸めたのです。
リクエスト当時の江戸城や初代の大阪城それに姫路城などを作るのにいくらかかったか 知りたい
素晴らしい、非常に興味深い
いつも為になる動画をありがとう👍
江戸時代の大衆風俗や高度経済成長期の日本などに興味があります。この度は、その江戸時代の基礎ともいえる金銭の価値や懐事情について、詳しく述べられていたので、大学ノートで、ほぼ丸写しでした。これからもよろしくお願いします。
私江戸時代の収入よりも TH-camrのtera senさんの収入に興味ある😁
いつも楽しく観させていただいております。リクエストなのですが、瓦版の動画を観てみたいです。時代劇のイメージだと号外のようなイメージなのですが、実際の所はどうだったのか気になります。
リクエストなのですが、時代劇や小説などでよくある内職などについての動画が見てみたいです。
年金もないし保険もない江戸の長屋は借家、ずっと働かないといけない江戸の老後も大変そうだw
@ZEROポジ そして87歳で母子2人を轢き殺すなんてこともなかっただろう。何事も善し悪し。
焼き芋屋や菓子売り、細かい雑貨屋とか橋の番人とかは老人優先の仕事だったらしいから、小遣い稼ぎくらいでなんとか生きられたんやろなって。そもそもこの時代人生五十年だから、まだ働ける時期に死んでしまうならあまり後のことは考えなくていいんじゃないかな。そう考えたら定年以後の長い人生どう暮らすか考えなきゃ行けない現代人よりは潔いかも。
@@さいたま2000-f6j 戦国時代は今日生きられるかを考え、江戸時代は明日の銭は明日稼ぐと考え、現代は老後というあるかどうかも分からないものを準備し、自分が安らかな老後を送れるか、若い頃から怯えている。果たして、どちらが幸せだったんだろうな。
@@スリーリングス 当時は還暦で人生が一周りしてるから、元気であればどこへ行って何をしても良かったといいますね。藩によっては趣味に老齢給付金が出たり講組から旅費が出たりして、家族も納得してお伊勢参りや善光寺詣でに送り出したとか。無論そのまま帰ってこなくても探したりはせず、死んでいたとしても分かるまでは放っておいた。現代社会からすれば大変な世の中だと思うかもしれないけど、定年後を100までどう過ごすか、家族や本人が不安に苛まれる現代よりはよほど自由な気がします
そのため(老後対策)に太古に考え出されたのが先祖を敬い祭祀を十分にする事と併せて目上の者、ご先祖さまに近い母父(昔は「女性優位の母系社会」だったから文字の順番も女性が先。メオトは「女夫」が本来の表記)を敬い 年老いては孝養を尽くしなさい!と老後対策を数千年前(出雲王国時代(BC-660~700年弱の間)以前)から思想教育を行っていた結果、世界にも稀な?長幼の序を重んじ子供が老後の面倒を見るのが当たり前の社会、習慣を作り出しました?
「一年を 二十日で暮らす よい男」・・・という当時の力士を詠った川柳を、どこかで聞いた覚えがあります。
1年を三日で暮らす。エエ男!🎌⛩️🎍🔯西宮のえべっさん。😄😁
実際の所は興行収入だけじゃなく名のある力士は皆大名のお抱えだから相応に遇されては板だろうけどねぇ
斬九郎出てきたのでチャンネル登録しました
なるほど主水さんは仕事人の副業をするはずだな
主水さんは1両とか時にはもっと安いお金で仕事受けてたよね。ばれるリスクとか考えたら全然割に合わない気がする。
菅井きんさんと白木万理さんにイヤミ言われるほどですからね('ω')しかも昇給がないので結構大変だったのかなと思います('ω')
実際の町奉行所同心は公式の俸給少ないのに本人たちの身なりは立派。それどころか同心の奥方まで贅沢に着飾ってることで有名で江戸のトップモードの代名詞でした。どこからそんなお金が出てたやらフシギダネ(微笑)
主水さんは武器として、刀を使う。どこかで聞いた話だが、人を切ると刀は研がなければならないらしい。その研ぎ賃が仕事賃以上に高いらしく、主水さんは赤字。本当の正義の味方ですね。
@@とりことりこ-k4f ……付け届け……
知りたかったことが、良く分かりました。どうもありがとう。
関取の最高額が人場所で2400万ってことは当時、年間2場所しかなかったから年間4800万ってところか当時は横綱がなかったから大関が最高位だから大関で年間4800万かまぁ現代とあまり変わらないかなちなみに現代の大工見習いの日当15000円てあったけどそんなにないぞあってせいぜい10000円てとこだよ
金貨(小判)一両=米一石=田んぼ一反(米が一石の取れる耕作面積)=絹織物一反、、、炭一石、、、が公定歩合(れーと)貨幣の流通が盛んに成って、如何に大大名と言えども米の現物の物々交換は出来なくなり、領地から上がる米をどうにかして貨幣に交換しなければなりません。それが米会所。大坂の堂島に有った米会所が特に有名ですが、ここが世界初の先物取引所だとか?米会所では各地(藩)から持ち込まれた米に毎日ランク付けを行って値段が決定していきました。米の旨い不味いがその基準になるのは自明の理で、当然、旨い産地の米は上位にランクインして高値が付きました。反面、今一から不味い(滋味がなくパサパサ、、、)米は低空飛行からゴミ寸前の扱い。となると、いくら収穫量が莫大な大中の大名(10万石以上)とは言っても収入(税収)は米相場次第で天地程のさが付きました。勢い、各藩の関心事は米会所での自分たちの藩の米の相場に成ります!この相場の情報(速報)は大きな旗を振る旗振信号(世界初?)のリレーによる高速通信網!!により各藩に伝達されていました。例えば、岡山藩の岡山城~大坂の堂島の米会所(取引所)迄の約200キロ以上の距離を何と、僅か二時間~3時間以下で伝達されていたと言います。朝10時に市がたち岡山の米の相場が決まるとその情報(速報)は昼には岡山城にその情報が伝達されていたと。こんな国、他にありません?
古代中国は狼煙で伝達してたから、情報伝達速度はそんなに変わらなかつたかも、但し、当時は早馬だったから、正確な情報が伝わった。
@@吉野和壽 大きな旗振り信号。銘柄、値段など、重要な情報が暗号化された旗の振り方で判明。
4:19 が日本の悲劇を惹起した.
当時の相撲取りはその興行収入の他に各大名のお抱えだから別途給与が有ったんだっけ
江戸経済や文化を趣味としている者として三貨制度で少し語弊があるように思われたので書かせていただきます。一石=一両=40匁とされていますが、幕府の御定相場(公定レート)は時代でも変化しますが金一両が40匁であったことはなかったと思います。銀の重さの単位にも「両」があり、そちらは銀一両=40匁になっていますので、そちらと混同されているのではないでしょうか。金銀の相場は長い江戸時代では銀匁に対する一両は50匁から始まり幕末には100匁をこえてしまいます。物価比較の場合をこれで考えては埒が明かないので多くの場合は元禄の御定相場である一両=60匁で計算することが多いと思います。実際、一般的に江戸の生活でイメージされるであろう文化元年から安政元年のころで65匁前後していますので60匁で考えてもそう相違は出ないと思います。また、小判の価値を金の含有量で計算されていますが、金の含油量(品位)は時代によって下がっていくので一概に言えませんが、江戸後期の小判では品位57%ほどとなっています。小判の量目(重さ)で現代の金価格と比較するならば4匁4分(この量目の小判はないのですが)の57%としなければ正確な金額にはならないと思います。動画説明ですと金(金貨)も銀(銀貨)のような秤量貨幣と誤解される方もでてしまうのでは感じました。色々書いてしまい、ご不快な思いをされたらすみません。けして批判するつもりではありませんのでご容赦ください、むしろ精力的に初心者にもわかりやすい江戸文化についての動画アップされていて同好の士として感服しています。
匁(もんめ)は重さの単位。現代の五円玉が3.75gで1匁。銀60匁は五円玉60枚分の銀。ちなみに真珠は日本の特産品だから単位はmom(モンメ)が使われている。本編には関係ないか。
昭和40年代でも買い物なんかで普通に使っていたよ グラムも併用だったね。だから昔のはかりは併記してあった。量り売りが普通でお砂糖100匁くださ~い なんて具合さ
Altoman Japan なんとなく記憶にあるのはポン菓子でそんな事があったような。。。。
@@tinkerbeer1676 様 かあちゃんに手を引かれお買い物のお供でな。半世紀以上昔なのに忘れてない。ところでよく見りゃビールになってる、飲んで妖精やオバケが出るなら飲み過ぎですぞ
Altoman Japan カティンカティンに冷えたビールが好きだからですw
武士の給料は一石30万ぐらいで計算してるっぽいけど、8:04の3000石だけ一石10万五千円になってる。
説明不足ですみません、3000石は知行地の表記となっていました。このデータの実収入は0.35掛でそこに30万円という計算となります
@@terasen なるほど。補足ありがとうございました!
代官にせよ町奉行にせよ経費は自腹で作況・米相場で収入が変わるからやってられねえ収入のような気がする特に代官なんかやってられるのか
天候で収入が左右される武士の世界は超ストレス社会だったのでしょうかね('ω')吉良上野介さんの事件が超有名ですが、殿中での切り付け事件は江戸時代を通じて何件かおこっていますし('ω')
代官就任中は基本的に赤字だそうです。それでも出世コースの第一歩なので成りては多かったそうです。
物価が高いのはもちろん、商品やサービスの水準も工業化が進んだ今とは大違いだから、実際の生活水準は数字の印象より相当低かったとは思いますけどね
杉田玄白は町医者ではなく代々続く小浜藩の藩医です。勿論藩主や藩士が最優先ですが、どこの藩でも領内の城下、江戸藩邸近くに医院を開くのは認められていました。杉田玄白はその腕が認められ小浜藩の奥医師へ出世しております。杉田の孫の成卿は一時幕府天文方に勤めていましたが、父が亡くなると天文方を辞し小浜藩藩医として復帰するなど、杉田家は明治まで小浜藩医として活動しています
いつも楽しく視聴させてもらってます。「髪結いの亭主」を希望します(笑)
米価換算と蕎麦換算と給料換算ではすごく違いが出るんですね('ω')
米は税金その物、一方蕎麦はどれだけ作ろうが非課税ですからねぇ当時の税制の歪さ故の価値の違い
この時代に生きていれば百万石の大名🌹
江戸幕府最後の貨幣改鋳小判は、今の価値に直すと一両約16万円。二分金、二分銀4枚で一両だから各一枚4万円。。一分金、一分銀8枚で一両だから各一枚2万円。
歴史系ユーチューバーのお給料が気になります
一文だとおもう
囲碁や将棋のプレーヤーはどうだったんだろうか?
寝てるニャンコちゃんが…(涙)。
藤枝梅安は鍼灸で高給を得て、仕事でも稼いでいた…ということかな?
そうかぁ、今は機械化で物価が下がったのかぁ。ヤッパリ昔より今の方が良いね。家賃を別にすれば低収入でも何とか食べて行けるもんね。
タイムマシーン出来たら1週間下町グルメツアーしたい!!
江戸って特別な存在で、当時の日本人はお金見たこともない人が多数だったんじゃないですかね。そもそも税が米だったし。ソレを踏まえたうえで現在の物価に換算すると~、って意味不明でおもしろい。
さすがにそれは無いわw貨幣は普通に誰でも見ていた
庶民にまで貨幣が行きわたったのが江戸時代・・・まあ、超の付くほどのド田舎では貨幣が行きわたってないケースもあるが、通貨を見た事が無い子供というのは昭和の頃まではいたから例外は探し出すとキリがない(´・ω・`)
町方は余得が大きく、与力で1万石の大名とおなじぐらい、同心で1000石の旗本とおなじぐらい贅沢な暮らしをしていた。
江戸時代でも初期・中期・後期で一両の価値が全然違うので!
薬が案外安い。貧乏で医者にかかれないという、時代劇のイメージが強すぎた。ところでサンピンて3両1人扶持じゃなくて?
あの希代の天才回まで焦らされるなぁ期待値がガンガン上がる
給料良くても責任の重さや拘束時間を考えると幕府の役人だけはご遠慮願いたいです。
町奉行の死因は、過労死が多い代官も過労死若年寄も過労死老中も過労死上に行く程給料や待遇が良いが過労死點せられる。外様大名の方が良い武門なのに戦場じゃ無くて過労死て嫌だ江戸時代下級武士の方が労働時間短い。
❌ご遠慮願いたい⭕️御免被りたいだと思います。つまらない事言ってすいません❗️
@@暇人只の ご指摘ありがとうございます。できれば見逃して欲しかったですww
幕府役人の大半は薄給な代わりに超暇です。その余波で一部の有能でやる気がある人は高給のチャンスがある代わりに死ぬほど働かせられます
@@とりことりこ-k4f 江戸時代、家臣の地位は世襲ではなかったかと。
貰った給料をパーッと使う宵越しの金は持たねぇみたいなことしてみたいが恐ろしくてできねぇ
町民から住民税を取るべきでしたね 一定以上の売り上げある商人からも売上税を徴収すれば良かったのにね 叉は治安維持協力金として徴収も有りえた物を
昔の町商人って各方面へのショバ代や接待費が結構すごそう
大奥や参勤交代があるから収入はあっても財政は厳しいですね・・・
参勤交代よりも江戸屋敷の維持費のほうが金かかったという話もありますね('ω')映画「超高速!参勤交代」のラストのナレーションで「参勤交代のおかげで長く戦が起きなかったのは事実です。 参勤交代は平和を維持する仕組みだったのかなぁ」生かさず〇さずというのは江戸時代の全ての階層で実行されてたのでしょうか('ω')
おもしろかった
ゼーレは金をかき集め、リリンに銀を使わせる。昔から( ̄∇ ̄;;)いつも楽しく拝聴させて頂いております。自粛と予防、共に頑張りましょう!こんな時こそ、心穏やかに( ´ ▽ ` )
江戸で良い稼ぎの大工の5人家族が、年間5石米代にしたとして残り20両くらい、月にだいたい7000文で他を賄う…1日200文ちょい、なんとなく1文=100円前後、という物価感覚があるので、旦那は酒も飲んで帰れるし家族もきちんとした生活、教育ができそうですね。しかし、大工も上の方になると設計もやったのでしょうし、相当の技術職でしょうか?担当は別?その人達の数値ということですかね。見習いだと一日60文、おお、二人ならやっていけそう。農家だとわらじ作ったり薪売ったりというところでしょうか。そばなどは今で言う家系ラーメンのちょっとお高いやつみたいな外食だったのかな。現代ほど道具やサービスが溢れていたわけではないので、それにかかるお金も必要ない。自分でやったり早く寝たり服を着込んだり我慢したりが当たり前だけど、元和偃武で戦争もないので余剰生産力の中から新しいサービスが生まれると生活費も増えてしまう。その分新しい従事者が増えて需要も増えるから、みんな多く稼げるようになり、相対的にお金の価値が下がっていく、参勤交代で農業の生産が街道や江戸に流れ込み、いっそうそういうことが進んだ時代だったんでしょうね。一方、固定収入しか無い武士たちは…
冒頭、5人家族だと年間に15石程度の米を食べるので、それ程の余裕がなかったかと思います。
地域や養ってる家族の数にもよるが、20石の生産高の田畑持ってる自作農ってほとんど地主に足ひっかけてるくらい裕福じゃない?3.7石だった小林一茶の家すら中流的と評されてるレベルだし。
意外といまと給料水準が変わっていない…
この給料計算は間違っていますよ。こんなに高いわけないやん。
@@菅野智之THC 物価の高さを考慮すれば、実質賃金としては下がるでしょう物価基準にしたら動画内の1/5程度の給料になるのですから
越後は名古屋と金沢を結んだ線の東側。だから、越後屋は金の小判を渡していたのかな?(笑)
武家は、給料お米だったけど食べる分以外は、お金だから変動が多いけど食べる米に困る事は、無かったかな?独身武士は、お金が多いが既婚者は、お米が多い事情も解説してくれると助かる。飯炊き雇っている武士も居たがその飯炊きの女性適当な御家人や藩士の養女にして結婚する武士も多く居たから養女料等や武士辞めて町人や農民武士身分のまま農業や商業する郷士一度武士辞めて復帰する場合の付け届けで暮して居た武家も存在しているから江戸時代も経済から見れば複雑怪奇かも。
通貨が米じゃねぇから食う分残して売って現金にしていた
こういうの見ると、戦って本当に金かかるんだな~って思う
叩き大工と組み込み大工、宮大工では、報酬が違うのでは?有名な左甚五郎のような、欄間彫りは、高収入です。ジィ様も宮大工で、欄間彫りをしていたと聞いて、います。20年に1度の遷宮の際は、大変だったそうです。
農民って大半は農業以外に何かしら商売してたらしいな一年の半分は農業出来ないし農村でも結構店があったとかどっかで聞いた記憶がある
大工が花形の職業だったかは、都市は江戸に限らず、火事が多く、延焼を食い止めるには、建物を壊すしかなかったので、新たな建物を建てるのに必要だった事によります。
いいな
ユニクロの柳井正は配当金だけで60億円
暴れん坊将軍で吉宗が仮の身分で名乗ってた、貧乏旗本の3男坊・・・収入「だけ」見ると貧乏に見えねえ・・・いや、必要経費とかの支出も凄いんだろうけどさ・・・
それ以前に、吉宗は小人症で、町に出たとて子供と勘違いされたかも。因みに、彼の身長は124cm前後だったと言われています。
さんぴんて、御家人などの、旗本などに仕える下級武士の手当の、3両一分って意味じゃなかったの?町方同心は30俵3人扶持だから、3と1(ピン)とは違うし。
乙です。冒頭の魔理沙の一言「志向」ですけど、「趣向」では?(笑)
なにこれ、今の状況と重なるところ多過ぎて怖っ…
俺の給料 < 江戸時代の下っ端大工の給料・・・orz
おもろい
私の先祖は450石取りの武士ですけど、今の貨幣価値だと幾らかしら?
単純計算で1億円前後か?
このチャンネル 内容がすごくいいのに 音声が合成だから聞きづらくて避けてしまう。惜しいなぁ。
生かさず殺さず、ひと家族400万円。結構リアルな数字。
30キロがその値段とした場合、同心の給与って、30俵なので、最大360万円くらいの年収・・・。
別のゆっくり動画で知ったけど金が流出したおかげでヨーロッパの進行から守られたっぽい。本当に日本って先人の奇跡の采配で出来た国だと思う。今の自分もかけらでもそれに貢献したいな~
江戸時代の結婚に掛かった費用なんて気になります。
どうなんでしょね。当時の江戸の長屋暮らしの庶民とかは女性はほぼ身一つで同居するみたいですし。披露宴をするにしても大家さんや長屋の住人、両親が近くにいれば呼んでお披露目するくらいで今みたいにお金はかからなかったみたいです。江戸の庶民は今の地味婚の若い男女たいな感じかな。大店の娘さんの嫁入りや婿取り、または嫁取りとかはそれなりにお金が掛かったしかけることもできたかと思います。それ以上に中流以下の貴族や武家なんかは対面のため身の丈以上お金がかかって大変そう、そうなると大名や将軍、皇族なんかは今以上のお金が……
ヒラ同心には厳しい世の中でしたね…裏家業が重要な収入源なのがよく判る。
現代の大工が首都圏見習いで日当15000円もあると思うか?現在の大工とは、昔と違って木造の大工なんて殆ど居なくて鉄筋を打つときに必要な仮枠大工。30年の経歴の中で腕のある大工でも日当20000前後のはず。見習いはその半分位だな。これは首都圏での話、地方だと大工見習は8000円位。
自分の経験から言うと、大工見習いで1.5万は貰えんほぼ何もできん下っ端にそんなに給料払えんよ一人前の職人で1.5万の会社もある木造大工がいねぇとか偏見もいいとこだなw普通にいるよ型枠大工とは別種といっても良いくらい仕事が違う
かけそばの値段だけ三回再生し、理解できず二分位一時停止してどういう意味か考えたけど……恐ろしく感じる。
色としては、金より銀のほうが好きだったが、銀のほうが高かったんだな
金の方が高かったはずです。金は銀の4倍。でも海外では金は銀の10倍だったから、後年外国に金を安く買い叩かれて大損したっていう話は聞いたことがあります。
大店主人どこかで見た顔だな…あっ
今のお江戸も物価は高い
銭形平次も投げた銭拾ってたりするよ
銭投げて無くすと女房に怒られる(´・ω・`)
銭形平次は小説の世界だけです。
@@吉野和壽 さすがに分かってますw
悪党を倒したあとに小銭を拾う姿!!😨😅
@@user-88vv77keiko 時代劇でそういうシーンがホントにありました(^^;
うp主の収入はいくら?
同心の給料は、300万円⁉️⁉️⁉️安給で?今、交番って⁉️ 昔の同心でも、袖の下多くいるヨ。😁
江戸時代の花形職業が大工だと思わなかった!てっきり商人だと思った
頭丸めて医者に・・・って言うけど、医者って坊主頭のもいるけど総髪のもいますよね?あれの違いは何ですか(´・ω・`)?
原則、坊主頭だったと思います。
歌舞伎役者が「民放」だとすると、「公共放送」的な申楽ってのがあってだね強制徴収される受信料・・・ではない、各藩割り当ての負担金を幕府が強制徴収して運営してたんだとさちなみに観世太夫の年収は256石(慶長13年)
てやんでい❗なんちゃって
凄い、ここまできちんとまとめて下さるとは!
日本髪の結髪は今だと2、3万はします。
やはり当時の物価バランスは不思議
面白く興味深い動画
ありがとうございました
なんと、貨幣の基礎から、分かりやすい解説ありがとう
江戸時代も現代も生きていくのは厳しい世の中やったんやなぁ〜
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江戸時代の物価は高かったけど、税金とか保険料が無くて家賃も長屋なら日当1~2日分だったから生きていけたんだよな。
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今の貨幣価値にすると16万円。二分金、二分銀が揃って今の貨幣価値にすると4万円。一分金、一分銀揃って今の貨幣価値にすると2万円。
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一朱金、一朱銀それぞれ五千円。六紋銭三百六十枚で一両。
江戸時代は基本的に物価も安いが人件費も安い、今のヴェトナムぐらいの感覚で、それを今の日本経済に当てはめてみようとすること自体が実は無理です。金銀銭が変動相場に加えて改鋳に次ぐ改鋳、大きさも変えたりして、特に金貨は17世紀と幕末で全然違う。藩札も発行元の藩の信用度によって額面と実質レートが変動(藩札は隣領の者や多藩に亘って商いをしているような者も、嫌でも持っていました)していたので、もうカオスです。
いつも楽しく視聴させております。
冒頭の魔理沙さんの説明口調が新鮮でした(笑)
前田家ですら江戸中期には今までの貯金が無くなってた。大名の赤字を取り上げた動画も観たいです
参勤交代が大名の財産を奪ったのは有名な話しです。
14:17
だから必殺仕置人、念仏の鉄は骨つぎを表の業していたのか。
髪結いの亭主なんて話もあるくらいだから、髪結いが高収入なのはわかる。
しかし、無益の旗本、御家人は町人よりも金がないのでは、見栄を張るために親の脛を齧ったり、たかったり大変だなあ。
齧れる親の脛が有るならまだマシよ
本当にヤバい所は借金しまくりで二進も三進もいかなくなってたからね
それで定期的に幕府の事実上の徳政令(悪徳な金貸しを懲らしめる的な理由付けしてるけど)だして借金チャラにしてたけど、ソレでも解消せず最終的に明治維新で「侍の特権捨てる(領地返上等)なら借金チャラにしてあげるよ」って言う明治政府の提案に殆どの侍が喜んで特権捨ててたからねぇ・・・
面白いです。2が楽しみです。
興味深いし分かりやすいし為になるしで申し分のない素晴らしいチャンネル。
もっと登録が伸びても不思議じゃないんだがなあ。
毎回楽しみにしてます。今後も頑張って下さい
「世に銭ほど面白き物はなし」【井原西鶴『日本永代蔵』】
江戸も現代も、銭が仇であることは変わりがないようだ。
センないことよ(´・ω・`)
早く仇に巡り会いたいw W W
とりあえず現代との労働のキツさの違いを比較するには、真っ先に生産技術力の差を考慮に入れる必要があるでしょうね
電気もパソコンも自動車もなかった時代は生活に必要な糧の全てを人力で賄う必要があったわけですから。
現在の価格に変換すると大変でしたね
面白かったです
私の実家は代々農家であったが、自分はその田畑を継がずエンジニアになった。
なんとなく農家より稼いでいるつもりになっていたが、
相対的にご先祖様と大差ない年収なのは皮肉だな・・・
農家は収入だけ見れば1000万越えも普通にいるからなぁ。(支出も大きいのだけど)
面白い比較ですね
医師が頭を丸めてたのは、僧籍があったからです。人の体を診るってのが聖職者的な扱いだったのと、知識が必要(僧侶は文字が読める。難しい仏典が読める。すなわち知識人)というのが理由です。後に、知識という点で、儒者が同様に見聞を広めたため、髪の毛の長い、時代劇にもちょくちょく出てくる人が台頭してきました。
茶も昔は薬扱いだったとか聞いたね。
近世の医者に僧籍はありません。
医者、盲目者、絵師などにも公的ステイタス(受領名、肩書)があって、法印、法眼を(実質大金で買って)許されるとはじめてその肩書きに従って頭を丸めたのです。
リクエスト当時の江戸城や初代の大阪城それに姫路城などを作るのにいくらかかったか 知りたい
素晴らしい、非常に興味深い
いつも為になる動画をありがとう👍
江戸時代の大衆風俗や高度経済成長期の日本などに興味があります。
この度は、その江戸時代の基礎ともいえる金銭の価値や懐事情について、詳しく述べられていたので、
大学ノートで、ほぼ丸写しでした。
これからもよろしくお願いします。
私江戸時代の収入よりも TH-camrのtera senさんの収入に興味ある😁
いつも楽しく観させていただいております。
リクエストなのですが、瓦版の動画を観てみたいです。時代劇のイメージだと号外のようなイメージなのですが、実際の所はどうだったのか気になります。
リクエストなのですが、時代劇や小説などでよくある内職などについての動画が見てみたいです。
年金もないし保険もない江戸の長屋は借家、ずっと働かないといけない江戸の老後も大変そうだw
@ZEROポジ
そして87歳で母子2人を轢き殺すなんてこともなかっただろう。何事も善し悪し。
焼き芋屋や菓子売り、細かい雑貨屋とか橋の番人とかは老人優先の仕事だったらしいから、小遣い稼ぎくらいでなんとか生きられたんやろなって。
そもそもこの時代人生五十年だから、まだ働ける時期に死んでしまうならあまり後のことは考えなくていいんじゃないかな。
そう考えたら定年以後の長い人生どう暮らすか考えなきゃ行けない現代人よりは潔いかも。
@@さいたま2000-f6j
戦国時代は今日生きられるかを考え、江戸時代は明日の銭は明日稼ぐと考え、現代は老後というあるかどうかも分からないものを準備し、自分が安らかな老後を送れるか、若い頃から怯えている。果たして、どちらが幸せだったんだろうな。
@@スリーリングス 当時は還暦で人生が一周りしてるから、元気であればどこへ行って何をしても良かったといいますね。藩によっては趣味に老齢給付金が出たり講組から旅費が出たりして、家族も納得してお伊勢参りや善光寺詣でに送り出したとか。無論そのまま帰ってこなくても探したりはせず、死んでいたとしても分かるまでは放っておいた。現代社会からすれば大変な世の中だと思うかもしれないけど、定年後を100までどう過ごすか、家族や本人が不安に苛まれる現代よりはよほど自由な気がします
そのため(老後対策)に太古に考え出されたのが
先祖を敬い祭祀を十分にする事と併せて
目上の者、ご先祖さまに近い母父(昔は「女性優位の母系社会」だったから文字の順番も女性が先。メオトは「女夫」が本来の表記)を敬い
年老いては孝養を尽くしなさい!
と老後対策を数千年前(出雲王国時代(BC-660~700年弱の間)以前)から思想教育を行っていた結果、
世界にも稀な?長幼の序を重んじ
子供が老後の面倒を見るのが当たり前の社会、習慣を作り出しました?
「一年を 二十日で暮らす よい男」
・・・という当時の力士を詠った川柳を、どこかで聞いた覚えがあります。
1年を三日で暮らす。エエ男!
🎌⛩️🎍🔯
西宮のえべっさん。😄😁
実際の所は興行収入だけじゃなく名のある力士は皆大名のお抱えだから相応に遇されては板だろうけどねぇ
斬九郎出てきたのでチャンネル登録しました
なるほど主水さんは仕事人の副業をするはずだな
主水さんは1両とか時にはもっと安いお金で仕事受けてたよね。ばれるリスクとか考えたら全然割に合わない気がする。
菅井きんさんと白木万理さんにイヤミ言われるほどですからね('ω')
しかも昇給がないので結構大変だったのかなと思います('ω')
実際の町奉行所同心は公式の俸給少ないのに本人たちの身なりは立派。それどころか同心の奥方まで贅沢に着飾ってることで有名で江戸のトップモードの代名詞でした。どこからそんなお金が出てたやらフシギダネ(微笑)
主水さんは武器として、刀を使う。
どこかで聞いた話だが、人を切ると刀は研がなければならないらしい。
その研ぎ賃が仕事賃以上に高いらしく、主水さんは赤字。
本当の正義の味方ですね。
@@とりことりこ-k4f ……付け届け……
知りたかったことが、良く分かりました。どうもありがとう。
関取の最高額が人場所で2400万ってことは
当時、年間2場所しかなかったから
年間4800万ってところか
当時は横綱がなかったから
大関が最高位だから
大関で年間4800万か
まぁ現代とあまり変わらないかな
ちなみに現代の大工見習いの日当15000円て
あったけどそんなにないぞ
あってせいぜい10000円てとこだよ
金貨(小判)一両=米一石=田んぼ一反(米が一石の取れる耕作面積)=絹織物一反、、、炭一石、、、
が公定歩合(れーと)
貨幣の流通が盛んに成って、如何に大大名と言えども米の現物の物々交換は出来なくなり、
領地から上がる米をどうにかして貨幣に交換しなければなりません。
それが米会所。大坂の堂島に有った米会所が特に有名ですが、
ここが世界初の先物取引所だとか?
米会所では各地(藩)から持ち込まれた米に毎日ランク付けを行って値段が決定していきました。
米の旨い不味いがその基準になるのは自明の理で、
当然、旨い産地の米は上位にランクインして高値が付きました。
反面、今一から不味い(滋味がなくパサパサ、、、)米は低空飛行からゴミ寸前の扱い。
となると、いくら収穫量が莫大な大中の大名(10万石以上)とは言っても
収入(税収)は米相場次第で天地程のさが付きました。
勢い、各藩の関心事は米会所での自分たちの藩の米の相場に成ります!
この相場の情報(速報)は大きな旗を振る旗振信号(世界初?)のリレーによる高速通信網!!により各藩に伝達されていました。
例えば、岡山藩の岡山城~大坂の堂島の米会所(取引所)迄の約200キロ以上の距離を何と、僅か二時間~3時間以下で伝達されていたと言います。
朝10時に市がたち岡山の米の相場が決まるとその情報(速報)は昼には岡山城にその情報が伝達されていたと。
こんな国、他にありません?
古代中国は狼煙で伝達してたから、情報伝達速度はそんなに変わらなかつたかも、但し、当時は早馬だったから、正確な情報が伝わった。
@@吉野和壽
大きな旗振り信号。
銘柄、値段など、重要な情報が暗号化された旗の振り方で判明。
4:19 が日本の悲劇を惹起した.
当時の相撲取りはその興行収入の他に各大名のお抱えだから別途給与が有ったんだっけ
江戸経済や文化を趣味としている者として三貨制度で少し語弊があるように思われたので書かせていただきます。
一石=一両=40匁とされていますが、幕府の御定相場(公定レート)は時代でも変化しますが金一両が40匁であったことはなかったと思います。
銀の重さの単位にも「両」があり、そちらは銀一両=40匁になっていますので、そちらと混同されているのではないでしょうか。
金銀の相場は長い江戸時代では銀匁に対する一両は50匁から始まり幕末には100匁をこえてしまいます。
物価比較の場合をこれで考えては埒が明かないので多くの場合は元禄の御定相場である一両=60匁で計算することが多いと思います。
実際、一般的に江戸の生活でイメージされるであろう文化元年から安政元年のころで65匁前後していますので60匁で考えてもそう相違は出ないと思います。
また、小判の価値を金の含有量で計算されていますが、金の含油量(品位)は時代によって下がっていくので一概に言えませんが、江戸後期の小判では品位57%ほどとなっています。小判の量目(重さ)で現代の金価格と比較するならば4匁4分(この量目の小判はないのですが)の57%としなければ正確な金額にはならないと思います。動画説明ですと金(金貨)も銀(銀貨)のような秤量貨幣と誤解される方もでてしまうのでは感じました。
色々書いてしまい、ご不快な思いをされたらすみません。
けして批判するつもりではありませんのでご容赦ください、むしろ精力的に初心者にもわかりやすい江戸文化についての動画アップされていて同好の士として感服しています。
匁(もんめ)は重さの単位。現代の五円玉が3.75gで1匁。銀60匁は五円玉60枚分の銀。
ちなみに真珠は日本の特産品だから単位はmom(モンメ)が使われている。
本編には関係ないか。
昭和40年代でも買い物なんかで普通に使っていたよ グラムも併用だったね。だから昔のはかりは併記してあった。量り売りが普通でお砂糖100匁くださ~い なんて具合さ
Altoman Japan なんとなく記憶にあるのはポン菓子でそんな事があったような。。。。
@@tinkerbeer1676 様 かあちゃんに手を引かれお買い物のお供でな。半世紀以上昔なのに忘れてない。ところでよく見りゃビールになってる、飲んで妖精やオバケが出るなら飲み過ぎですぞ
Altoman Japan カティンカティンに冷えたビールが好きだからですw
武士の給料は一石30万ぐらいで計算してるっぽいけど、8:04の3000石だけ一石10万五千円になってる。
説明不足ですみません、3000石は知行地の表記となっていました。このデータの実収入は0.35掛でそこに30万円という計算となります
@@terasen なるほど。補足ありがとうございました!
代官にせよ町奉行にせよ経費は自腹で作況・米相場で収入が変わるから
やってられねえ収入のような気がする
特に代官なんかやってられるのか
天候で収入が左右される武士の世界は超ストレス社会だったのでしょうかね('ω')
吉良上野介さんの事件が超有名ですが、殿中での切り付け事件は江戸時代を通じて
何件かおこっていますし('ω')
代官就任中は基本的に赤字だそうです。それでも出世コースの第一歩なので成りては多かったそうです。
物価が高いのはもちろん、商品やサービスの水準も工業化が進んだ今とは大違いだから、実際の生活水準は数字の印象より相当低かったとは思いますけどね
杉田玄白は町医者ではなく代々続く小浜藩の藩医です。勿論藩主や藩士が最優先ですが、どこの藩でも領内の城下、江戸藩邸近くに医院を開くのは認められていました。杉田玄白はその腕が認められ小浜藩の奥医師へ出世しております。杉田の孫の成卿は一時幕府天文方に勤めていましたが、父が亡くなると天文方を辞し小浜藩藩医として復帰するなど、杉田家は明治まで小浜藩医として活動しています
いつも楽しく視聴させてもらってます。
「髪結いの亭主」を希望します(笑)
米価換算と蕎麦換算と給料換算ではすごく違いが出るんですね('ω')
米は税金その物、一方蕎麦はどれだけ作ろうが非課税ですからねぇ
当時の税制の歪さ故の価値の違い
この時代に生きていれば百万石の大名🌹
江戸幕府最後の貨幣改鋳小判は、今の価値に直すと一両約16万円。二分金、二分銀4枚で一両だから各一枚4万円。。一分金、一分銀8枚で一両だから各一枚2万円。
歴史系ユーチューバーのお給料が気になります
一文だとおもう
囲碁や将棋のプレーヤーはどうだったんだろうか?
寝てるニャンコちゃんが…(涙)。
藤枝梅安は鍼灸で高給を得て、仕事でも稼いでいた…ということかな?
そうかぁ、今は機械化で物価が下がったのかぁ。ヤッパリ昔より今の方が良いね。家賃を別にすれば低収入でも何とか食べて行けるもんね。
タイムマシーン出来たら1週間下町グルメツアーしたい!!
江戸って特別な存在で、当時の日本人はお金見たこともない人が多数だったんじゃないですかね。そもそも税が米だったし。
ソレを踏まえたうえで現在の物価に換算すると~、って意味不明でおもしろい。
さすがにそれは無いわw
貨幣は普通に誰でも見ていた
庶民にまで貨幣が行きわたったのが江戸時代・・・まあ、超の付くほどのド田舎では貨幣が行きわたってないケースもあるが、通貨を見た事が無い子供というのは昭和の頃まではいたから例外は探し出すとキリがない(´・ω・`)
町方は余得が大きく、与力で1万石の大名とおなじぐらい、同心で1000石の旗本とおなじぐらい贅沢な暮らしをしていた。
江戸時代でも初期・中期・後期で一両の価値が全然違うので!
薬が案外安い。貧乏で医者にかかれないという、時代劇のイメージが強すぎた。
ところでサンピンて3両1人扶持じゃなくて?
あの希代の天才回まで焦らされるなぁ
期待値がガンガン上がる
給料良くても責任の重さや拘束時間を考えると幕府の役人だけはご遠慮願いたいです。
町奉行の死因は、過労死が多い代官も過労死若年寄も過労死老中も過労死上に行く程給料や待遇が良いが過労死點せられる。
外様大名の方が良い武門なのに戦場じゃ無くて過労死て嫌だ江戸時代下級武士の方が労働時間短い。
❌ご遠慮願いたい
⭕️御免被りたい
だと思います。
つまらない事言ってすいません❗️
@@暇人只の
ご指摘ありがとうございます。
できれば見逃して欲しかったですww
幕府役人の大半は薄給な代わりに超暇です。その余波で一部の有能でやる気がある人は高給のチャンスがある代わりに死ぬほど働かせられます
@@とりことりこ-k4f 江戸時代、家臣の地位は世襲ではなかったかと。
貰った給料をパーッと使う
宵越しの金は持たねぇみたいなことしてみたいが
恐ろしくてできねぇ
町民から住民税を取るべきでしたね 一定以上の売り上げある商人からも売上税を徴収すれば良かったのにね 叉は治安維持協力金として徴収も有りえた物を
昔の町商人って各方面へのショバ代や接待費が結構すごそう
大奥や参勤交代があるから収入はあっても財政は厳しいですね・・・
参勤交代よりも江戸屋敷の維持費のほうが金かかったという話もありますね('ω')
映画「超高速!参勤交代」のラストのナレーションで
「参勤交代のおかげで長く戦が起きなかったのは事実です。
参勤交代は平和を維持する仕組みだったのかなぁ」
生かさず〇さずというのは江戸時代の全ての階層で実行されてたのでしょうか('ω')
おもしろかった
ゼーレは金をかき集め、
リリンに銀を使わせる。昔から( ̄∇ ̄;;)
いつも楽しく拝聴させて頂いております。
自粛と予防、共に頑張りましょう!
こんな時こそ、心穏やかに( ´ ▽ ` )
江戸で良い稼ぎの大工の5人家族が、年間5石米代にしたとして残り20両くらい、
月にだいたい7000文で他を賄う…1日200文ちょい、なんとなく1文=100円前後、という物価感覚があるので、
旦那は酒も飲んで帰れるし家族もきちんとした生活、教育ができそうですね。
しかし、大工も上の方になると設計もやったのでしょうし、相当の技術職でしょうか?
担当は別?
その人達の数値ということですかね。
見習いだと一日60文、おお、二人ならやっていけそう。
農家だとわらじ作ったり薪売ったりというところでしょうか。
そばなどは今で言う家系ラーメンのちょっとお高いやつみたいな外食だったのかな。
現代ほど道具やサービスが溢れていたわけではないので、それにかかるお金も必要ない。
自分でやったり早く寝たり服を着込んだり我慢したりが当たり前だけど、元和偃武で戦争もないので余剰生産力の中から
新しいサービスが生まれると生活費も増えてしまう。
その分新しい従事者が増えて需要も増えるから、みんな多く稼げるようになり、相対的にお金の価値が下がっていく、
参勤交代で農業の生産が街道や江戸に流れ込み、いっそうそういうことが進んだ時代だったんでしょうね。
一方、固定収入しか無い武士たちは…
冒頭、5人家族だと年間に15石程度の米を食べるので、それ程の余裕がなかったかと思います。
地域や養ってる家族の数にもよるが、20石の生産高の田畑持ってる自作農ってほとんど地主に足ひっかけてるくらい裕福じゃない?3.7石だった小林一茶の家すら中流的と評されてるレベルだし。
意外といまと給料水準が変わっていない…
この給料計算は間違っていますよ。
こんなに高いわけないやん。
@@菅野智之THC
物価の高さを考慮すれば、実質賃金としては下がるでしょう
物価基準にしたら動画内の1/5程度の給料になるのですから
越後は名古屋と金沢を結んだ線の東側。だから、越後屋は金の小判を渡していたのかな?(笑)
武家は、給料お米だったけど食べる分以外は、お金だから変動が多いけど食べる米に困る事は、無かったかな?独身武士は、お金が多いが既婚者は、お米が多い事情も解説してくれると助かる。
飯炊き雇っている武士も居たがその飯炊きの女性適当な御家人や藩士の養女にして結婚する武士も多く居たから養女料等や武士辞めて町人や農民武士身分のまま農業や商業する郷士一度武士辞めて復帰する場合の付け届けで暮して居た武家も存在しているから江戸時代も経済から見れば複雑怪奇かも。
通貨が米じゃねぇから食う分残して売って現金にしていた
こういうの見ると、戦って本当に金かかるんだな~って思う
叩き大工と組み込み大工、宮大工では、報酬が違うのでは?
有名な左甚五郎のような、欄間彫りは、高収入です。
ジィ様も宮大工で、欄間彫りをしていたと聞いて、います。20年に1度の遷宮の際は、大変だったそうです。
農民って大半は農業以外に何かしら商売してたらしいな
一年の半分は農業出来ないし
農村でも結構店があったとかどっかで聞いた記憶がある
大工が花形の職業だったかは、都市は江戸に限らず、火事が多く、延焼を食い止めるには、建物を壊すしかなかったので、新たな建物を建てるのに必要だった事によります。
いいな
ユニクロの柳井正は配当金だけで60億円
暴れん坊将軍で吉宗が仮の身分で名乗ってた、貧乏旗本の3男坊・・・
収入「だけ」見ると貧乏に見えねえ・・・いや、必要経費とかの支出も凄いんだろうけどさ・・・
それ以前に、吉宗は小人症で、町に出たとて子供と勘違いされたかも。
因みに、彼の身長は124cm前後だったと言われています。
さんぴんて、御家人などの、旗本などに仕える下級武士の手当の、3両一分って意味じゃなかったの?
町方同心は30俵3人扶持だから、3と1(ピン)とは違うし。
乙です。冒頭の魔理沙の一言「志向」ですけど、「趣向」では?(笑)
なにこれ、
今の状況と重なるところ多過ぎて怖っ…
俺の給料 < 江戸時代の下っ端大工の給料・・・orz
おもろい
私の先祖は450石取りの武士ですけど、今の貨幣価値だと幾らかしら?
単純計算で1億円前後か?
このチャンネル 内容がすごくいいのに 音声が合成だから聞きづらくて避けてしまう。
惜しいなぁ。
生かさず殺さず、ひと家族400万円。結構リアルな数字。
30キロがその値段とした場合、同心の給与って、30俵なので、最大360万円くらいの年収・・・。
別のゆっくり動画で知ったけど金が流出したおかげでヨーロッパの進行から守られたっぽい。
本当に日本って先人の奇跡の采配で出来た国だと思う。
今の自分もかけらでもそれに貢献したいな~
江戸時代の結婚に掛かった費用なんて気になります。
どうなんでしょね。当時の江戸の長屋暮らしの庶民とかは女性はほぼ身一つで同居するみたいですし。
披露宴をするにしても大家さんや長屋の住人、両親が近くにいれば呼んでお披露目するくらいで今みたいにお金はかからなかったみたいです。
江戸の庶民は今の地味婚の若い男女たいな感じかな。
大店の娘さんの嫁入りや婿取り、または嫁取りとかはそれなりにお金が掛かったしかけることもできたかと思います。
それ以上に中流以下の貴族や武家なんかは対面のため身の丈以上お金がかかって大変そう、そうなると大名や将軍、皇族なんかは今以上のお金が……
ヒラ同心には厳しい世の中でしたね…裏家業が重要な収入源なのがよく判る。
現代の大工が首都圏見習いで日当15000円もあると思うか?
現在の大工とは、昔と違って木造の大工なんて殆ど居なくて
鉄筋を打つときに必要な仮枠大工。
30年の経歴の中で腕のある大工でも日当20000前後のはず。
見習いはその半分位だな。
これは首都圏での話、地方だと大工見習は8000円位。
自分の経験から言うと、大工見習いで1.5万は貰えん
ほぼ何もできん下っ端にそんなに給料払えんよ
一人前の職人で1.5万の会社もある
木造大工がいねぇとか偏見もいいとこだなw
普通にいるよ
型枠大工とは別種といっても良いくらい仕事が違う
かけそばの値段だけ三回再生し、理解できず二分位一時停止してどういう意味か考えたけど……
恐ろしく感じる。
色としては、金より銀のほうが好きだったが、銀のほうが高かったんだな
金の方が高かったはずです。金は銀の4倍。
でも海外では金は銀の10倍だったから、後年外国に金を安く買い叩かれて大損したっていう話は聞いたことがあります。
大店主人どこかで見た顔だな…あっ
今のお江戸も物価は高い
銭形平次も投げた銭拾ってたりするよ
銭投げて無くすと女房に怒られる(´・ω・`)
銭形平次は小説の世界だけです。
@@吉野和壽
さすがに分かってますw
悪党を倒したあとに小銭を拾う姿!!😨😅
@@user-88vv77keiko
時代劇でそういうシーンがホントにありました(^^;
うp主の収入はいくら?
同心の給料は、300万円⁉️⁉️⁉️安給で?
今、交番って⁉️ 昔の同心でも、袖の下多くいるヨ。😁
江戸時代の花形職業が大工だと思わなかった!てっきり商人だと思った
頭丸めて医者に・・・って言うけど、医者って坊主頭のもいるけど総髪のもいますよね?
あれの違いは何ですか(´・ω・`)?
原則、坊主頭だったと思います。
歌舞伎役者が「民放」だとすると、「公共放送」的な申楽ってのがあってだね
強制徴収される受信料・・・ではない、各藩割り当ての負担金を幕府が強制徴収して
運営してたんだとさ
ちなみに観世太夫の年収は256石(慶長13年)
てやんでい❗なんちゃって