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木材だけでなく雑木林を田んぼや畑にしたので、新しい災害を発生させていました。
数多くの古代文明が人口増や戦乱時の過剰伐採で森林資源を喪失、それをきっかけに衰亡しており、森林資源を大量消費していた江戸時代の日本も結構危なっかしいものがありましたね。おかげで明治時代に寺社仏閣の大修理が行われた際も国内で良質の巨木が見つからず、台湾まで探しに行ったほど…。
名古屋に残っていた貯木場は伊勢湾台風で洪水が発生した時に浮かべてあった木材が流出して大変危険だったので廃止になってしまった
いつも動画ありがとうございます。林業は父が従事していたので、興味深く拝見しました。父に言わせれば、せっかくの立派な木があっても、それを伐れる能力を持つ人がいなくなってしまったそうです。山の衰えは、の下は父に聞かせたら頷いてました…。
各地に禿山が出現したということは江戸時代くらいの人口でも日本の国土面積だと持続不可能なんだね
火事による喪失がなければもっとうまくやりくりできたんじゃないかと思うけどね・・・
材木(燃料を含む)の供給力もですが、食料自給という意味でも、江戸時代の人口は、維持できる上限に近かったようですね。
@@westwind2837 江戸時代はハーバーボッシュ法がなかったのでおそらくエネルギーさえ自給できればもっと食料は生産できたでしょう。ただ品目は圧倒的に貧しくなるでしょうね。
ハーバー・ボッシュ法無しの状態なら江戸時代の水準が限度なのかもですね〜
@@yaizudamashii さん化学肥料(と農薬)なしでの、さらなる食糧増産は、かなり厳しいですね。(自然農法を掲げる方からは、目の敵にされますが)
この木を加工する木挽きの技術がまたすごいでかいのこぎりで職人が切っていく電動のこもない時代だぜ!
私は賃貸屋さんに務めており書類をたくさん作ってますが、山地と平地の境目に昔は木材をストックしたと聞く場所となっていた場所がありまして、一部はまんま住所に木材関係の名前がついています。また付近には企業名が「〇〇木材」となっているのにそこに工場はなく、代わりに賃貸物件があったりします。年代に沿って変わってきたんだなぁと思います。時代の変遷がよく分かりました、ありがとうございました🤗✨
Thanksありがとうございます。当方田舎在住ですが、昔はどこにでもあった材木置き場がどんどん姿を消していってますよね。子供の頃からの風景が変わっていくのは寂しいですが、これも時代なのかなと思っております
ちょっと違いますが、ドラえもんの「土管が置いてある広場」って東京にあるわけないという…👀応援してます︎︎👍ではあらあらかしこ
待ってました! tera senさん! いつも待ってますよ。
江戸で火事が起これば、木材の値段が跳ね上がる人口も増えるから薪や炭の需要も増える。植林技術が発達していくという流れになるわけですね。
チェンソ講習で林業習ったけど日本は外国と違い45°の急斜面ばっかりでかなり大変だった
現代も林業は3K仕事の象徴とされてるけど、もし国産材の見直しがすすむというなら林業の待遇も改善されると良いね。
現代の都市部一極集中とは違い、不便と言われる地方の津々浦々にも人々が住みついていた理由のひとつに、収入源としての木材伐採があったと思えば納得できますね。国土管理(不法移民による占拠防止)という視点で見れば隅々まで人が住んでいるほうがいい。
19:47 今の漁業管理よりしっかりしてて笑ってしまう
木材がなくなれば国(文明)が滅びるというのは「サイエンスライター北村雄一の地球放送」でも言われてましたねとても参考になります
イースター島がその典型例ですね
秋田藩の近くの弘前藩で、当時は人里から離れてて、木材としても加工しにくくて放置されたブナの原生林が後に白神山地として日本の世界遺産第一号に選ばれるんだから皮肉というか
戦後、山に樹を戻そうとスギをたくさん植樹した結果wwww山は青々としたが、今度は花粉症が国民病になっちゃったよ…。
山に樹を戻そうと植林した訳ではありません。商品としての材木生産が目的でした。しかし、安価な輸入材に負けて売れなくなってしまいました。伐採されることもなく、毎年大量に花粉をまき散らすことに。杉ばかり植林するのではなく、自然の姿を意図して植生を戻したなら、厄介な国民病もなかったかも知れません。
杉は成長が早く、色々な物に活用出来ると言う事で植えたれたんだけど、禿山に植えられた物だけでなく、ブナの木を切り倒してそこにも植えたんだよね。これを「ブナ征伐」と言いました。
今は逆に何もしなくて至る所で草木ボーボーですね。昔、長篠城跡を観光に行ったけど、木が育ちすぎちゃって何も展望できんかった。
こんにちは。前回のうp主さんの無事との返信ありがとうございました。今回の動画のようにうまく自然とお付き合いできるようになるといいですね。当時の人たちの知恵はスゴいですね。SDGsは今に始まったことではないことを知ることができました。日本人はその時出来ることを肌で理解していて、本当に聡明な国民だと誇りに思います。尾張は潜在的に豊かな国だったんですね。宝の持ち腐れにせず、工夫をしてより発展させる昔の人々を尊敬します。
我が家は冬は薪ストーブ使ってるので現在進行形でお世話になってますね。
私が 田上山の近くに 引っ越した、1990年頃、まだ、土が見えてました。その時、柔らかい地面に植樹する工夫をして、2000年頃なは、やっと緑に なりました。
江戸時代に御林だった所は明治維新後もそのまま官有林・御料林に編入され、現在の国有林に引き継がれているものが多い。
私の住まい、会社の近くに禿山が有り岩が露出して植樹も出来ない。平城京を造るのに大量伐採され河川は荒れて天井河が発生しました😢
ありがとうございます!
こちらこそ、ありがとうございます
林業なぁ。高校が山林を持っていて檜を主体に植えていたなあ。1日全校だったなぁ。男だけだったかなあ。下刈りになぁ。ただ農業コースがなくなり今はそのままみたい。私は力がないけど農業コースにいた。いろんなことがあったがなあ。まぁ、私は自分の特技を活かして全く関係のない方向に行ったがなぁ。ハメ(マムシ)を見つけて、殺そうとしたら目に毒を吹きかけるられた者もいたなぁ。のんびりした時代。農業で生きたものは一人もいない。帰って農業しても勤めないとやれない。みんなそういう中で生きていたなあ。しかし懐かしいなあ。
昔の里山は松林ばかりだったのは、下草刈りや木炭作りで木が充分に育たなかった証拠みたいですね…。
で、その松林(赤松)の根元から、マツタケが出まくると。主要な燃料が石油に変わると、薪も落ち葉も集めなくなり、痩せ地に適応した赤松(とマツタケ)は数を減らしました。
里山は意図的に草山にしている区域がありました。肥料を下肥で賄えるのは大都市の近郊だけで、干鰯のような金肥は金が掛かるだけに大量には使用できず、多くは草を田畑に鋤き込み肥料としていました。大量の草を要したため、村の共有の山(入会地)を専用の草刈場としていました。他村との入会地の境界ではしばしば隣村の入会地に侵入して刈り取ることも行われたため、全国どこでも訴訟(山論)になっています。この山論は鎌倉時代には始まっており、戦国時代には水利権とともに村同士が権利の確保のために合戦をしている事例もあります。山論は戦後、化学肥料が普及するまで続きます。
木材は江戸時代から昭和にかけてよく使われてました。特に江戸時代は木材は建物だけでなく様々に使用されました。
うぽつです。クマやイノシシが住宅地に出没するニュースが多い現在ですが、やっぱり山林に手を加えて人と動物の緩衝地帯の「里山」が無くなったのが原因でしょうね。
毎回テーマが面白いのと更新を楽しみに待ちわびております。今回も非常に勉強になり楽しかったです。次回が又楽しみにしております。
江戸300藩シリーズ細々でいいからやって欲しいです
滋賀県へ引っ越しの最中で、京都から大津への山越に苦しんでおります、、、何回か往復したけど 一時は山中で遭難しかけた、、、 不動産屋のおっさんも似た経験があるそうです! ナビ盲従危険!
今は山の木々を伐採して「10年後には廃棄物になるソーラーパネルを建てる」ことに躍起になってる政治家がいる始末山の神が怒るぞいずれ・・・・・・・・・
私、某企業で太陽光発電や風力発電の完工試験、プログレスモニタリングなどに従事しているのですが、この分野の“伝統的管制の厳しさ”は幕藩時代の「留山」を彷彿とさせるもので、法律だけでも[電気建築に関わる法律]電気事業法、国土利用計画法、都市計画法、建築基準法[水利土砂災害に関わる法律]河川法、港湾法、海岸法、砂防法、地すべりなど防止法[土地運用に関する法律]景観法、農地法、農振法、森林法、文化財保護法、土壌汚染対策法[工事、安全、防空に関わる法律]道路法、消防法、航空法、振動規制法、騒音規制法、廃棄没の処理及び清掃に関する法律らがあり、これらを全て基準を満たして申請が通った上で、土地所有や近隣住民の合意が必要で、【法律上の問題で採算が合わなくなり企画倒れ】になることがとっても多かったります。なので皮肉極まりますが、“既に開発され商業利用された行楽施設”の跡地に作られるケースが特に特高発電所では多いです、代表的な例がかつて日本中で森林を伐採し造られたゴルフ場、ホテルリゾート地、スキー場などなど。まあ、【とうの昔に山の神を怒らせきって】おり、今更という感じがあります。太陽光発電所を建てようが建てまいが、山の神は絶対に怒り心頭でしょうね。「今は」ではなく、「50年前から」政治家は躍起になっていて、「今も」変わっていないだけですね。
杉や檜をソーラーパネルに変えるのなら賛成だけどね
バブル期にスキー場とゴルフ場とホテル&リゾート施設を建てまくりあちこちの山を禿げ山だらけにした大企業の経営者連中の後始末をしている、とも言える。
冒頭の季節の挨拶スコ
山の資源を確保するために杉の木植えまくったけど安い海外産の木材にシェア奪われて手付かずの山林が増えた挙句花粉症と言う名の腐海と化しているのがなんとも皮肉だなぁ…
住んでる町に杣小屋という地名がありますが、こういう由来だったんですね。ありがとうございました。
興味深く面白かったです
つい最近魔理沙さんちから遠からぬところに太子の道場までできて、ますますビックリですな。と寝言はさておき、当時の林業というのは気にしたことがありませんでした。ありがとうございました。
岡山では、県北部から木材を筏を組んで旭川を降り、木場に着いた後は筏師は乗せてきた自転車の乗って北部まで戻って行ったそうです。
戦国時代前後の武将なんかの出身地や街道とか調べてるとかなり山の中で樹しかねぇじゃねぇかみたいな場所は当時は樹は少なくて人里として機能していたのかななんて考えていました今は戦後の植林もしくは自然緑化してやっぱ樹しかねぇじゃねぇかになったのかな
日本でのこういった歴史を学ぶことは、今を生きる人にもとてもいい時間。学びは多方面に深い。
江戸の町の銭湯の数は600件ほど。で、江戸っ子は粋でいなせだから(?)あっつい湯を好んだので、45℃やら50℃のお風呂に入っていたんだとか。温泉じゃなくて、ぼうぼう焚いていたんだと思うと、そりゃ木がなんぼあっても足らんでしょうなぁ。
コーヒーあっつうに!(難波安組ドキュメント)風呂入り過ぎて肌カサカサ!これぞ垢抜け江戸っ子でい!
能代が無双していた頃をシッカリ覚えている世代の自分が、昔々に読んだ本のことなので、ザックリふんわりした記憶だけれど、鎌倉時代に鹿島神宮(当時は伊勢のように遷宮をしていた)の建築用木材のための山林の利権を巡って千葉氏の分家同士がバトルしたとか、奈良時代には木材や檜皮は人を使って採らせるのでは無く、業者から購入する方が経済的で、その入手法がそこそこ普及していたとか、そんなことをふわふわと思い出した。「木材が貴重な資源」という当たり前の前提が、今の今まで、ちゃんとに頭に入っていなかったんだと実感しました
1950年代の世界人口は20億程度でした。現在は80億といわれています。たかだか70年程度で4倍です。この事実の恐ろしさを我々は噛み締めるべきです。
現在では逆に輸入木材の発展のためにあり得なくなりますたね。そして日本の森林は現在林業の高齢化もあり、手入れをする後継者も右肩下がりとなっているのはご存知の通り。
天領日田や紀州藩もそうですが尾張藩も木曽の山林地帯が付属していたので幕府も山林資源を重要視していたのでしょう。天竜川治水の金原明善を思い出します。
薪や炭を詰めてたから 灯油も詰めるというようになったんですかね… うちの方では言わないので…
ひとたび大火が起これば、再建するだけで木材消費量やばそうよなぁ
屋久島のウィルソン株は豊臣秀吉の命令で切られましたが現在の縄文杉よりも大きな杉の木だったそうです。
現在の杉や檜の山はその禿山へ植林したものですよね。
今で言えば、燃料や建材ですもんね材木商が大儲けした話が残りますよってなもんです
リクエストなのですが、江戸の宿場町シリーズもあったら見てみたいです!
火事が多発した江戸の町の木材需要と小氷河期の14~19世紀に掛けて、暖房は薪を採ると、苗木を植えない限り禿げ山が出現するよな。
徳川美術館で最近義親さんの業績を企画展で見たけど、このような内容もありましたね。
木材を石油に置き換えると、この歴史は今でもためになる。
川狩りを冬やるのは農閑期だからってのも有るのかもね 田植え前にやられたら農家と戦争になっちゃう
この件は全く知りませんでした。江戸時代あちこちがハゲ山だらけだったのですね。今環境問題が色々言われていますけどこういう事をもっと広く教えていいのかなと思いました。
時代と共に国家の基幹は木から鉄そして現代は情報技術こそ国家を制する。
高知県(土佐藩)からも当時名前の由来となった四万十川より多くの材木が都市部へ送られて行きました(ノ_ _)ノ🏞🌳
産業革命期のロンドンのように大気汚染が深刻になったりしなかったんだろうか
取り敢えず日本がイースター島のように過度の森林伐採で滅びずに済んだのは奇跡的なのでしょうね😮ただ毎年のように大陸から来る黄砂は、隣国の森林伐採による砂漠化によるものですから、他人事にはできませんね。
江戸時代以前からある樹木ってもしかしてめちゃくちゃレアだったりする?
渋江政光……大阪冬の陣で討ち死にしてしまって😭
「杣」という名字の人がいるけど元々は木こりだったのかな。
上野国利根郡・吾妻郡を支配していた上州真田家が西暦1680年代に取潰し・廃藩になりましたが2つの理由があったそうです。群馬県北部の森林資源の確保と利根川の治水対策で真田家資金繰りで乱伐が利根川下流域の怒りを買った話で尾瀬沼近くまで伐採計画あり、それを知った利根川下流域の譜代大名や天領代官の凄まじい怒り=利根川氾濫の恐怖で幕府課役で失敗したので取潰しの刑を受けた【大河ドラマ・元禄繚乱で初期にチョッコと】と沼田城の説明ガイドさんが話してました
日本にはげ山があったなんてとても信じられない。去年木曽にいったけど山だらけ、木だらけだったから。
「灯油を詰める」?初めて聞いた言い回しです。どこか特定の地方の語法でしょうか。
イタリアだって地形が変わるくらい森林伐採しまくったからな、世界のどこでも同じか
いずれ化石燃料がなくなれば現在の人口を維持できず、江戸時代くらいまで逆戻りだが有名なマウスの楽園実験の様にそのまま絶滅しないのかどうか人間には知恵があり問題を解決できるが,繁殖本能の退化を何とか出来るのか現在の時点で少子化は止まってないことを考えるとなかなか難しい禿山に戻るだけならまだ幸せだと思う
そうだったのかぁ、江戸時代に禿山を作って災害を招いてたのかぁ
先の大戦で焼夷弾被害からの強大な材木需要に応えようと、下町に点在していた材木商を深川木場に集めて定着させたのが昭和の人々。その深川木場の材木商を新興埋め立て地の新木場へ集団移転させたのが平成の人々。もう国内産の材木は建築材料としては不要だと言わんばかりに、相続税や事業税を厳しく取り立てて、新木場の材木商たちの多くの廃業を促したのが、平成末期から令和に掛けての政治家の連中。現在辛うじてのこる、林業建築材料会社も輸入材木の取引が大部分を占めているとかいないとか…。
江戸時代の木材消費量を考えると、古代文明が発達した場所の殆どが砂漠になったのは何となく解る。
人間が全く手をださなければはげ山も数十年で森林になります例 行徳の不法投棄跡地 別名行徳冨士は 放棄して数年で草に覆われ徐々に低木が生えいまは密集した木々に覆われた森ですここに至るまでおおよそ40年くらいでしょうか
林野庁って省庁があるの初めて知ったw
はげ山はフランス・ドイツで森がちょこちょこある一方基本真っ平らなのとも一緒と思えば
江戸時代は保護する法律なんて無いから木や動物取りまくってたやろな。今って禿山ってほとんど見た事無いからかなり植林したんやろな。
小田原城の背後の山というと石垣山かな? 今では普通に木が茂ってるけど、江戸時代は禿山だったんだな。
これほど二酸化炭素の還元が少なくなってそうなのにかなりの冷時代だったのはなぜだろうか。
江戸時代には森林が減りすぎてニホンザルは絶滅寸前になっていたそうな
木材って尾張潘が所有していました
吉宗「江戸が火事で大変だから、木材確保のため木曽の山林を貸してくれ」尾張宗春「わかりました、山はご公儀にお貸しします。されど、川はお貸しできません」
一部で有名な禿山問題のやつ
「国の宝は山なり」日本神話最強の武神にして大英雄である御方も、植林を実践してましたね。
殿🥺元気かな?🥺
現代日本での山は『カネにならない無駄なモノ』って認識になってしまった。むしろ花粉症の人から『禿山の方がマシ』なんて言われる始末。
江戸時代は木の切りすぎではげ山続出、新田開発で後背地がなくなり下肥に頼った結果寄生虫がまん延。江戸時代の三千万人口ですら持続可能とは言えなかった。戦国時代ぐらいが良かったのかな?
本当にあった仇討ちをリクエストします
ウチは小学校の校歌にあるように、木曽川の中流域なんじゃが。昔は夏になると、川に入ったはよいが流されて対岸まで泳ぎ切れず落命する人が、毎年のようにいたものじゃ。更に上流は、日本ライン下り、なんて観光になるくらいの急流。江戸時代の人は、よく木曽の山奥から筏を操作して川を下ったものじゃな?まさに男!の仕事じゃなあ。その日本ライン下りも、事業の衰退と、天竜川での事故の影響で、幕を閉じ。それでも、もっと過激なラフティングが後を継ぐなど、人間のスリルを求める心理は変わらないようじゃ。事故がないように祈る!(・ω・)ノ
ーコメです
えつ? ずっと聖徳太子であったものを、厩戸にかえたんですか? なぜに?
知らないことばかりでした。単に価格の安さを求め、経済的利益だけを考えて輸入材木を主力とした木材事情は、「国の無策」というべきでしょう。幕府の「御林」は無茶だが、先を見越した手ですね。秋田藩は凄い♪しかし、今の日本は、昔の「木材需要」の多くが「燃料重要」となっているのに、政府は炭鉱を水没させ、火力をほぼすべて輸入に頼っている。現在の日本政府は、幕府の知恵にも劣る・・・と思わざるを得ません。・・山は国の宝、本当にそう思います、(; ・`д・´)ゞ
昔はどの家も薪用に山に土地を所有していたから、今は必要なくなって手入れせずに 木が伸び放題。所有者がいるから勝手には切れないから、木を伸ばし放題にして手入れしない所有者には、罰則を設けるなど、法改正すべきなのに、政府は対応が遅いですよ。 増税だけは電光石火の早さで決まるのに、
木材だけでなく雑木林を田んぼや畑にしたので、新しい災害を発生させていました。
数多くの古代文明が人口増や戦乱時の過剰伐採で森林資源を喪失、それをきっかけに衰亡しており、森林資源を大量消費していた江戸時代の日本も結構危なっかしいものがありましたね。おかげで明治時代に寺社仏閣の大修理が行われた際も国内で良質の巨木が見つからず、台湾まで探しに行ったほど…。
名古屋に残っていた貯木場は
伊勢湾台風で洪水が発生した時に浮かべてあった木材が流出して大変危険だったので
廃止になってしまった
いつも動画ありがとうございます。林業は父が従事していたので、興味深く拝見しました。
父に言わせれば、せっかくの立派な木があっても、それを伐れる能力を持つ人がいなくなってしまったそうです。山の衰えは、の下は父に聞かせたら頷いてました…。
各地に禿山が出現したということは江戸時代くらいの人口でも日本の国土面積だと持続不可能なんだね
火事による喪失がなければもっとうまくやりくりできたんじゃないかと思うけどね・・・
材木(燃料を含む)の供給力もですが、食料自給という意味でも、江戸時代の人口は、維持できる上限に近かったようですね。
@@westwind2837 江戸時代はハーバーボッシュ法がなかったのでおそらくエネルギーさえ自給できればもっと食料は生産できたでしょう。ただ品目は圧倒的に貧しくなるでしょうね。
ハーバー・ボッシュ法無しの状態なら江戸時代の水準が限度なのかもですね〜
@@yaizudamashii さん
化学肥料(と農薬)なしでの、さらなる食糧増産は、かなり厳しいですね。(自然農法を掲げる方からは、目の敵にされますが)
この木を加工する木挽きの技術がまたすごい
でかいのこぎりで職人が切っていく
電動のこもない時代だぜ!
私は賃貸屋さんに務めており書類をたくさん作ってますが、山地と平地の境目に昔は木材をストックしたと聞く場所となっていた場所がありまして、一部はまんま住所に木材関係の名前がついています。
また付近には企業名が「〇〇木材」となっているのにそこに工場はなく、代わりに賃貸物件があったりします。
年代に沿って変わってきたんだなぁと思います。
時代の変遷がよく分かりました、ありがとうございました🤗✨
Thanksありがとうございます。
当方田舎在住ですが、昔はどこにでもあった材木置き場がどんどん姿を消していってますよね。子供の頃からの風景が変わっていくのは寂しいですが、これも時代なのかなと思っております
ちょっと違いますが、ドラえもんの「土管が置いてある広場」って東京にあるわけないという…👀
応援してます︎︎👍
ではあらあらかしこ
待ってました! tera senさん! いつも待ってますよ。
江戸で火事が起これば、木材の値段が跳ね上がる
人口も増えるから薪や炭の需要も増える。植林技術が発達していくという流れになるわけですね。
チェンソ講習で林業習ったけど日本は外国と違い45°の急斜面ばっかりでかなり大変だった
現代も林業は3K仕事の象徴とされてるけど、もし国産材の見直しがすすむというなら林業の待遇も改善されると良いね。
現代の都市部一極集中とは違い、不便と言われる地方の津々浦々にも人々が住みついていた理由のひとつに、収入源としての木材伐採があったと思えば納得できますね。国土管理(不法移民による占拠防止)という視点で見れば隅々まで人が住んでいるほうがいい。
19:47 今の漁業管理よりしっかりしてて笑ってしまう
木材がなくなれば国(文明)が滅びるというのは「サイエンスライター北村雄一の地球放送」でも言われてましたね
とても参考になります
イースター島がその典型例ですね
秋田藩の近くの弘前藩で、当時は人里から離れてて、木材としても加工しにくくて放置されたブナの原生林が
後に白神山地として日本の世界遺産第一号に選ばれるんだから皮肉というか
戦後、山に樹を戻そうとスギをたくさん植樹した結果wwww
山は青々としたが、今度は花粉症が国民病になっちゃったよ…。
山に樹を戻そうと植林した訳ではありません。商品としての材木生産が目的でした。しかし、安価な輸入材に負けて売れなくなってしまいました。伐採されることもなく、毎年大量に花粉をまき散らすことに。
杉ばかり植林するのではなく、自然の姿を意図して植生を戻したなら、厄介な国民病もなかったかも知れません。
杉は成長が早く、色々な物に活用出来ると言う事で植えたれたんだけど、禿山に植えられた物だけでなく、ブナの木を切り倒してそこにも植えたんだよね。
これを「ブナ征伐」と言いました。
今は逆に何もしなくて至る所で草木ボーボーですね。
昔、長篠城跡を観光に行ったけど、木が育ちすぎちゃって何も展望できんかった。
こんにちは。前回のうp主さんの無事との返信ありがとうございました。
今回の動画のようにうまく自然とお付き合いできるようになるといいですね。
当時の人たちの知恵はスゴいですね。SDGsは今に始まったことではないことを知ることができました。日本人はその時出来ることを肌で理解していて、本当に聡明な国民だと誇りに思います。
尾張は潜在的に豊かな国だったんですね。宝の持ち腐れにせず、工夫をしてより発展させる昔の人々を尊敬します。
我が家は冬は薪ストーブ使ってるので現在進行形でお世話になってますね。
私が 田上山の近くに 引っ越した、1990年頃、まだ、土が見えてました。その時、柔らかい地面に植樹する工夫をして、2000年頃なは、やっと緑に なりました。
江戸時代に御林だった所は明治維新後もそのまま官有林・御料林に編入され、現在の国有林に引き継がれているものが多い。
私の住まい、会社の近くに禿山が有り岩が露出して植樹も出来ない。
平城京を造るのに大量伐採され河川は荒れて天井河が発生しました😢
ありがとうございます!
こちらこそ、ありがとうございます
林業なぁ。高校が山林を持っていて檜を主体に植えていたなあ。1日全校だったなぁ。男だけだったかなあ。下刈りになぁ。
ただ農業コースがなくなり今はそのままみたい。私は力がないけど農業コースにいた。
いろんなことがあったがなあ。まぁ、私は自分の特技を活かして全く関係のない方向に行ったがなぁ。
ハメ(マムシ)を見つけて、殺そうとしたら目に毒を吹きかけるられた者もいたなぁ。
のんびりした時代。農業で生きたものは一人もいない。帰って農業しても勤めないとやれない。
みんなそういう中で生きていたなあ。しかし懐かしいなあ。
昔の里山は松林ばかりだったのは、下草刈りや木炭作りで木が充分に育たなかった証拠みたいですね…。
で、その松林(赤松)の根元から、マツタケが出まくると。
主要な燃料が石油に変わると、薪も落ち葉も集めなくなり、痩せ地に適応した赤松(とマツタケ)は数を減らしました。
里山は意図的に草山にしている区域がありました。肥料を下肥で賄えるのは大都市の近郊だけで、干鰯のような金肥は金が掛かるだけに大量には使用できず、多くは草を田畑に鋤き込み肥料としていました。
大量の草を要したため、村の共有の山(入会地)を専用の草刈場としていました。他村との入会地の境界ではしばしば隣村の入会地に侵入して刈り取ることも行われたため、全国どこでも訴訟(山論)になっています。
この山論は鎌倉時代には始まっており、戦国時代には水利権とともに村同士が権利の確保のために合戦をしている事例もあります。
山論は戦後、化学肥料が普及するまで続きます。
木材は江戸時代から昭和にかけてよく使われてました。特に江戸時代は木材は建物だけでなく様々に使用されました。
うぽつです。クマやイノシシが住宅地に出没するニュースが多い現在ですが、やっぱり山林に手を加えて人と動物の緩衝地帯の「里山」が無くなったのが原因でしょうね。
毎回テーマが面白いのと更新を楽しみに待ちわびております。今回も非常に勉強になり楽しかったです。次回が又楽しみにしております。
江戸300藩シリーズ細々でいいからやって欲しいです
滋賀県へ引っ越しの最中で、京都から大津への山越に苦しんでおります、、、
何回か往復したけど 一時は山中で遭難しかけた、、、 不動産屋のおっさんも似た経験があるそうです! ナビ盲従危険!
今は山の木々を伐採して「10年後には廃棄物になるソーラーパネルを建てる」ことに躍起になってる政治家がいる始末
山の神が怒るぞいずれ・・・・・・・・・
私、某企業で太陽光発電や風力発電の完工試験、プログレスモニタリングなどに従事しているのですが、
この分野の“伝統的管制の厳しさ”は幕藩時代の「留山」を彷彿とさせるもので、法律だけでも
[電気建築に関わる法律]
電気事業法、国土利用計画法、都市計画法、建築基準法
[水利土砂災害に関わる法律]
河川法、港湾法、海岸法、砂防法、地すべりなど防止法
[土地運用に関する法律]
景観法、農地法、農振法、森林法、文化財保護法、土壌汚染対策法
[工事、安全、防空に関わる法律]
道路法、消防法、航空法、振動規制法、騒音規制法、廃棄没の処理及び清掃に関する法律
らがあり、これらを全て基準を満たして申請が通った上で、土地所有や近隣住民の合意が必要で、【法律上の問題で採算が合わなくなり企画倒れ】になることがとっても多かったります。
なので皮肉極まりますが、“既に開発され商業利用された行楽施設”の跡地に作られるケースが特に特高発電所では多いです、代表的な例がかつて日本中で森林を伐採し造られたゴルフ場、ホテルリゾート地、スキー場などなど。まあ、【とうの昔に山の神を怒らせきって】おり、今更という感じがあります。
太陽光発電所を建てようが建てまいが、山の神は絶対に怒り心頭でしょうね。「今は」ではなく、「50年前から」政治家は躍起になっていて、「今も」変わっていないだけですね。
杉や檜をソーラーパネルに変えるのなら賛成だけどね
バブル期にスキー場とゴルフ場とホテル&リゾート施設を建てまくり
あちこちの山を禿げ山だらけにした大企業の経営者連中の後始末をしている、とも言える。
冒頭の季節の挨拶スコ
山の資源を確保するために杉の木植えまくったけど安い海外産の木材にシェア奪われて手付かずの山林が増えた挙句
花粉症と言う名の腐海と化しているのがなんとも皮肉だなぁ…
住んでる町に杣小屋という地名がありますが、こういう由来だったんですね。ありがとうございました。
興味深く面白かったです
つい最近魔理沙さんちから遠からぬところに太子の道場までできて、ますますビックリですな。
と寝言はさておき、当時の林業というのは気にしたことがありませんでした。ありがとうございました。
岡山では、県北部から木材を筏を組んで旭川を降り、木場に着いた後は筏師は乗せてきた自転車の乗って北部まで戻って行ったそうです。
戦国時代前後の武将なんかの出身地や街道とか調べてると
かなり山の中で樹しかねぇじゃねぇかみたいな場所は
当時は樹は少なくて人里として機能していたのかななんて考えていました
今は戦後の植林もしくは自然緑化してやっぱ樹しかねぇじゃねぇかになったのかな
日本でのこういった歴史を学ぶことは、今を生きる人にもとてもいい時間。
学びは多方面に深い。
江戸の町の銭湯の数は600件ほど。で、江戸っ子は粋でいなせだから(?)あっつい湯を好んだので、45℃やら50℃のお風呂に入っていたんだとか。
温泉じゃなくて、ぼうぼう焚いていたんだと思うと、そりゃ木がなんぼあっても足らんでしょうなぁ。
コーヒーあっつうに!(難波安組ドキュメント)
風呂入り過ぎて肌カサカサ!これぞ垢抜け江戸っ子でい!
能代が無双していた頃をシッカリ覚えている世代の自分が、昔々に読んだ本のことなので、ザックリふんわりした記憶だけれど、
鎌倉時代に鹿島神宮(当時は伊勢のように遷宮をしていた)の建築用木材のための山林の利権を巡って千葉氏の分家同士がバトルしたとか、奈良時代には木材や檜皮は人を使って採らせるのでは無く、業者から購入する方が経済的で、その入手法がそこそこ普及していたとか、そんなことをふわふわと思い出した。
「木材が貴重な資源」という当たり前の前提が、今の今まで、ちゃんとに頭に入っていなかったんだと実感しました
1950年代の世界人口は20億程度でした。現在は80億といわれています。たかだか70年程度で4倍です。この事実の恐ろしさを我々は噛み締めるべきです。
現在では逆に輸入木材の発展のためにあり得なくなりますたね。
そして日本の森林は現在林業の高齢化もあり、手入れをする後継者も右肩下がりとなっているのはご存知の通り。
天領日田や紀州藩もそうですが尾張藩も木曽の山林地帯が付属していたので幕府も山林資源を重要視していたのでしょう。
天竜川治水の金原明善を思い出します。
薪や炭を詰めてたから 灯油も詰めるというようになったんですかね… うちの方では言わないので…
ひとたび大火が起これば、再建するだけで木材消費量やばそうよなぁ
屋久島のウィルソン株は豊臣秀吉の命令で切られましたが現在の縄文杉よりも大きな杉の木だったそうです。
現在の杉や檜の山はその禿山へ植林したものですよね。
今で言えば、燃料や建材ですもんね
材木商が大儲けした話が残りますよってなもんです
リクエストなのですが、江戸の宿場町シリーズもあったら見てみたいです!
火事が多発した江戸の町の木材需要と小氷河期の14~19世紀に掛けて、暖房は薪を採ると、苗木を植えない限り禿げ山が出現するよな。
徳川美術館で最近義親さんの業績を企画展で見たけど、このような内容もありましたね。
木材を石油に置き換えると、この歴史は今でもためになる。
川狩りを冬やるのは農閑期だからってのも有るのかもね 田植え前にやられたら農家と戦争になっちゃう
この件は全く知りませんでした。江戸時代あちこちがハゲ山だらけだったのですね。今環境問題が色々言われていますけどこういう事をもっと広く教えていいのかなと思いました。
時代と共に国家の基幹は木から鉄そして現代は情報技術こそ国家を制する。
高知県(土佐藩)からも当時名前の由来となった四万十川より多くの材木が都市部へ送られて行きました(ノ_ _)ノ🏞🌳
産業革命期のロンドンのように大気汚染が深刻になったりしなかったんだろうか
取り敢えず日本がイースター島のように過度の森林伐採で滅びずに済んだのは奇跡的なのでしょうね😮
ただ毎年のように大陸から来る黄砂は、隣国の森林伐採による砂漠化によるものですから、他人事にはできませんね。
江戸時代以前からある樹木ってもしかしてめちゃくちゃレアだったりする?
渋江政光……大阪冬の陣で討ち死にしてしまって😭
「杣」という名字の人がいるけど元々は木こりだったのかな。
上野国利根郡・吾妻郡を支配していた上州真田家が西暦1680年代に取潰し・廃藩になりましたが2つの理由があったそうです。群馬県北部の森林資源の確保と利根川の治水対策で真田家資金繰りで乱伐が利根川下流域の怒りを買った話で尾瀬沼近くまで伐採計画あり、それを知った利根川下流域の譜代大名や天領代官の凄まじい怒り=利根川氾濫の恐怖で幕府課役で失敗したので取潰しの刑を受けた【大河ドラマ・元禄繚乱で初期にチョッコと】と沼田城の説明ガイドさんが話してました
日本にはげ山があったなんてとても信じられない。去年木曽にいったけど山だらけ、木だらけだったから。
「灯油を詰める」?
初めて聞いた言い回しです。どこか特定の地方の語法でしょうか。
イタリアだって地形が変わるくらい森林伐採しまくったからな、世界のどこでも同じか
いずれ化石燃料がなくなれば現在の人口を維持できず、江戸時代くらいまで逆戻りだが有名なマウスの楽園実験の様にそのまま絶滅しないのかどうか
人間には知恵があり問題を解決できるが,繁殖本能の退化を何とか出来るのか
現在の時点で少子化は止まってないことを考えるとなかなか難しい
禿山に戻るだけならまだ幸せだと思う
そうだったのかぁ、江戸時代に禿山を作って災害を招いてたのかぁ
先の大戦で焼夷弾被害からの強大な材木需要に応えようと、下町に点在していた材木商を深川木場に集めて定着させたのが昭和の人々。
その深川木場の材木商を新興埋め立て地の新木場へ集団移転させたのが平成の人々。
もう国内産の材木は建築材料としては不要だと言わんばかりに、相続税や事業税を厳しく取り立てて、新木場の材木商たちの多くの廃業を促したのが、平成末期から令和に掛けての政治家の連中。
現在辛うじてのこる、林業建築材料会社も輸入材木の取引が大部分を占めているとかいないとか…。
江戸時代の木材消費量を考えると、古代文明が発達した場所の殆どが砂漠になったのは何となく解る。
人間が全く手をださなければはげ山も数十年で森林になります
例 行徳の不法投棄跡地 別名行徳冨士は 放棄して数年で草に覆われ徐々に低木が生えいまは
密集した木々に覆われた森ですここに至るまでおおよそ40年くらいでしょうか
林野庁って省庁があるの初めて知ったw
はげ山はフランス・ドイツで森がちょこちょこある一方基本真っ平らなのとも一緒と思えば
江戸時代は保護する法律なんて無いから木や動物取りまくってたやろな。
今って禿山ってほとんど見た事無いからかなり植林したんやろな。
小田原城の背後の山というと石垣山かな? 今では普通に木が茂ってるけど、江戸時代は禿山だったんだな。
これほど二酸化炭素の還元が少なくなってそうなのにかなりの冷時代だったのはなぜだろうか。
江戸時代には森林が減りすぎてニホンザルは絶滅寸前になっていたそうな
木材って尾張潘が所有していました
吉宗「江戸が火事で大変だから、木材確保のため木曽の山林を貸してくれ」
尾張宗春「わかりました、山はご公儀にお貸しします。されど、川はお貸しできません」
一部で有名な禿山問題のやつ
「国の宝は山なり」日本神話最強の武神にして大英雄である御方も、植林を実践してましたね。
殿🥺元気かな?🥺
現代日本での山は『カネにならない無駄なモノ』って認識になってしまった。
むしろ花粉症の人から『禿山の方がマシ』なんて言われる始末。
江戸時代は木の切りすぎではげ山続出、新田開発で後背地がなくなり下肥に頼った結果寄生虫がまん延。
江戸時代の三千万人口ですら持続可能とは言えなかった。戦国時代ぐらいが良かったのかな?
本当にあった仇討ちをリクエストします
ウチは小学校の校歌にあるように、木曽川の中流域なんじゃが。昔は夏になると、川に入ったはよいが流されて対岸まで泳ぎ切れず落命する人が、毎年のようにいたものじゃ。更に上流は、日本ライン下り、なんて観光になるくらいの急流。江戸時代の人は、よく木曽の山奥から筏を操作して川を下ったものじゃな?まさに男!の仕事じゃなあ。
その日本ライン下りも、事業の衰退と、天竜川での事故の影響で、幕を閉じ。それでも、もっと過激なラフティングが後を継ぐなど、人間のスリルを求める心理は変わらないようじゃ。事故がないように祈る!(・ω・)ノ
ーコメです
えつ? ずっと聖徳太子であったものを、厩戸にかえたんですか? なぜに?
知らないことばかりでした。単に価格の安さを求め、経済的利益だけを考えて輸入材木を主力とした木材事情は、
「国の無策」というべきでしょう。幕府の「御林」は無茶だが、先を見越した手ですね。秋田藩は凄い♪
しかし、今の日本は、昔の「木材需要」の多くが「燃料重要」となっているのに、政府は炭鉱を水没させ、火力をほぼすべて輸入に頼っている。現在の日本政府は、幕府の知恵にも劣る・・・と思わざるを得ません。・・山は国の宝、本当にそう思います、(; ・`д・´)ゞ
昔はどの家も薪用に山に土地を所有していたから、今は必要なくなって手入れせずに 木が伸び放題。所有者がいるから勝手には切れないから、木を伸ばし放題にして手入れしない所有者には、罰則を設けるなど、法改正すべきなのに、政府は対応が遅いですよ。 増税だけは電光石火の早さで決まるのに、