ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
なんか風情があって現代より幸せそうだなぁ
全く同感です
隣の芝は青く見える
ほんと、正月くらい皆休めば良いのにね
@@銅鑼衛門学生一人旅 将軍様は正月から激務&激務で正直可哀そうにも思えるw他の仕事とかは代理人とか立てたり交代で出来たりもするけど、この手の挨拶だけは絶対に代理人って訳にはいかないからねぇ確か一月は年中行事が滅茶苦茶過密で最早休む日なんて無かったんだっけな?
現代人より文化レベル高いな✨こちとら盆、正月関係なく仕事よ~💦
今よりも幸せそうで良い、食べ物も風味があって美味しそうだね。日本食から四季折々の風味が抜けると本当に味気ないからね…
素直に遊ぶって大事だよな。
当時の話はもちろん、庶民たちの絵が色鮮やかに残っている事にも感動😭人々の活気に溢れる声が聞こえてくるようですねそしておせちの内容や正月遊びが江戸時代には既に完成されていたのもすごい😳今回も素敵な動画をありがとうございます✨
昭和20-30年代は江戸時代と変わりないですね!三ヶ日のおせちは女が台所仕事をせずにゆっくりする、酒の用意も男がやって居ました!銭湯は正月だけ朝から空いて居て1年に一度だけ朝湯に行けました、大晦日は除夜の鐘を数えて(子供も一緒なのでワクワクして居ました)少し寝て起きると枕元に新しい着物(下着も)一揃えが置いて有り、部屋を片付け、御膳を出して、まず挨拶です!新年明けましておめでとうございます🎉頭を下げて、そして父からお屠蘇をお盃(正月用)で頂いて、お年玉を貰い、自分の名前を書いた祝い箸で雑煮とおせちを食べます!(お年玉をその場で開けるのは不敬で我慢します!)堅苦しい儀式ばってましたが!緊張感が懐かしいです!ご馳走様の後は無礼講、男どもは飲み続け、女達は朝湯へ、双六も百人一首の坊主めくりもカルタも沢山遊び道具があり、部屋で遊んで居ると突然大きな獅子頭がやって来て玄関の中迄入り怖くて泣いて居るのに頭をかじられます😂外ではカッコ良く獅子舞いをして!一軒ずつ子供を👶かじってました!江戸時代と変わらない下町の子供時代でした🎉平和でゆったりとしてましたね❤(未だ貧しい時代でしたが今よりも過ごし易かった気がします)
毎回思うんだけど何か、、、昔の方が楽しそうだし、文化面でも豊かで本当に皆が個としてるというか、これ数百年前の事?😮って思う。
もう、年の瀬ですね。やがて訪れる年明けを、古の風俗によって感じ取るというのも、なかなか良いものですね。不可思議な高揚感があります。
温暖化で季節感が狂ってきたこともあり、一年の中で四季を感じにくくなった気がします。四季の中で生まれていった庶民の文化は日本の宝の様に思えます。
お笑い番組が昔から正月に人気なのは日本人の心にこの風習が少しでも気配を残してるからなんでしょうねこういう動画すきです!
凧揚げも羽付きも、今でも出来るけどやる人少なくなってきたな…昔の気持ちに戻ってやってみるのも楽しそう✨
昭和の生まれですが、正月には幼いとき、凧揚げ羽子板すごろくカルタ等々で遊んでいました。江戸時代から伝わってきた遊びだったのですね。テレビが普及しスマホが普及し現代では見ることも久しくなりましたが、いつまでも残しておきたい風物詩ですね。
同感です。😊✨✨私も昭和後半生まれで、子供の時は上記の遊びが一般的でした。日本ならではの遊び、風習は21世紀になっても大切にしたいです。😊✨✨
同じくです。羽子板で遊んでいました。羽根つきに夏に蚊に刺されないまじないという意味があったのは初めて知りましたが、幼少期の風習が江戸時代から続いていた事に驚きました😊我が子は凧揚げを今年もしました、街に住むと凧揚げも出来ないですが守っていきたい風習だと改めて思いました😊
江戸時代の人々も今の我々と同じ様に正月を楽しんでいたんですね😸なんかでも、現代は24時間365日インターネット、テレビ、店もやって全然季節感も無くなってしまってますが、😩江戸時代の人々は、しっかり季節感を感じていてうらやましく感じますね🌝
タイムリーな動画だな〜今度の正月は江戸時代風にして過ごそうかな、って思っちゃうw
楽しそうなお正月わかりやすいお話とたくさんの浮世絵で江戸時代がとても身近に感じました
知らない事ばかりで勉強になります。おせちを食べながら見て、非常に満たされた気分になりました。
初夢は今でも受け継がれている、良き風習✨😉❤️
正月2日がメインだったのですね。江戸時代の人々の姿が頭に浮かびます。良いチャンネルですね!
素晴らしい記事です。
早く現代技術が発達して江戸の町を五感で体験できるVR観光ができるようにならないかなぁ
歳神様かあ…。注連縄すら用意できない神社も出てきてる。つらいなあ、寂しいなあ…。
14:54 壮観ですね!今こんな風景そうそう見れないですよね(広い場所がまず無いと)自分は成人後にエビアレルギーになったので、代わりに好きな数の子や栗きんとんを多めに貰って食べてたな…🌰何だかんだ、1年ぶりに食べると美味しいですよね、おせち。もし、当時の江戸のお正月へ行けたら、伏せってるわんこにごはんあげ行脚したい(犬好き😊)
がきんちょの頃は12月31日に晦日市が有り、父ちゃんがタコかコマを買ってくれましたどちらにしようか?悩みました。江戸時代の奴だこは、武家屋敷の近くでは上げることが出来なかったそうです。身分の低い者が、主人より高い所上がることが駄目だったそうです。
旧暦が日本の四季に合っていると思います。
今の時代のようにやみくもに行くのではなく初詣もきちんと信仰している神社へ御参り。きちんと意味が1つずつあって良いと思います。
僕が生まれも育ちも 庶民だからかも庶民の正月風情は良いですね年も押し迫ると夜の静けさと重みに年神様も帰り支度かなとでも、家の裏のさくら並木の枝には小さな蕾を見ると江戸の迎春はこんな感じかなと思います
私は東北で育ったのですが、昭和でも同じようなことをやっておりました。大変、興味深いお話しをありがとうございました。 ナレーションのテンポだけが気になりました。
まさしく風流だなあ^^平和を願ういろいろな習わしがとても眩しく感じます。
旧暦の正月7日だと春の七草が生えていたわけですね。現在の西暦のカレンダーの1月7日には、生えてないですもんね。このズレに気付くと、もっと内容が深く理解できるかも。
無いものを欲しがり有るものを失う
このころの正月は?旧暦でしょ?どうやって?知ってたのでしょ?それにしても正月らしいですね(笑)ゲーム機もスマホも無い時代良いね~❤
16:59 1960-70年代に流行った、人生ゲーム(TVコマーシャルも)。その起源が、江戸時代の出世双六とはしりませんでした。ちなみに、西洋圏にも酷似したゲームがあります。名称は、モノポリー。日本と同様に、サイコロを振って前進。目的地到着の速さを競うものです。
かしまし娘って鳥追いだったのですか!?もしかしてシュガーとかパフュームとかも・・・
現代は文明が進化し過ぎて社会は複雑になり人の心が全然追い付いていない気がする。自分たちで作り上げた社会で疲れ切っている…
昔の日本人も働きものだったんだなぁー
凧上がり杉で草庶民が遊びにふけることが出来るとかここまで優れた国家が他にあったのか?と遊びも頭脳プレイが多くてやべぇ
良い動画を有難うございます。だが、多種多様で豊かな日本文化が欧米とその手先の左翼に壊されようとしていることが腹立たしい。
旧暦の12月25日を旧クリスマス(キリストの誕生日)と言わないように新暦の一月は正月ではありません、お盆のように正常に戻して欲しい
城前で煮売り禁止!とはしてるけど、まぁ寒い中ずっと待ってなきゃならない家臣も大変だしその辺は幕府も建前では言うけど寒い中ずっと待ってるのは辛いことを重々承知してるからこそ実情を鑑みて黙認なんだろうねぇ
掛取り万歳という落語では三河万歳が出て来ます
今回は情報量が段違いに多かった気がする
凧は江戸の途中まではイカだったとか
そもそも、お節料理は、正月三ヶ日を家に籠って過ごす為の料理。三ヶ日は、外に出たらあかんのよ、本当は。
『江戸府内絵本風俗往来』に田作(ごまめ)・数の子・黒豆が祝い肴三種として特別視されていたとのことですが、正しくは黒豆ではなく「座禅豆」です。黒豆という表記は江戸時代には極めて稀で、ほぼ全てが「座禅豆」ですから、「黒く日に焼けて云々」という理解は明治以後のことです。『江戸府内絵本風俗往来』中編 内の部 正月 屠蘇と雑煮の項に記されていますから、ご確認下さい。
獅子舞、全く見なくなったな
今更ですがナレーターさんは人間かAIかとても気になる...
医療も発達してないし大した食い物も暖房器具もなく子供はおろか人間自体の生存率も低かった時代こうでもして精神の健康を保つぐらいしかやりようがなかったんだよね
東京都内の開発で掘り出された人骨を、国立科学博物館が大量に保管している。ざっと1万人分。江戸時代の骨がほとんどで、今よりも小柄で栄養状態 が悪かった。現代なら死亡率の低い若い世代の骨が多いのも特徴で、伝染病がたびたび流行し、人が簡単に死んでいた事も分かってる。江戸時代の成人の平均身長は男性が150センチ台半ばで、女性はそれよりも10センチほど低かった。
食い物は豊かでしたよ!暖房も炬燵と火鉢で充分暖かでした❗️江戸時代の下町の元寺子屋の長屋で育ちました❗️(昭和20年代)毎日朝から納豆、シジミ売り、魚屋豆腐屋、ちょっとした広場に何かしら売り手がきて移動スーパーの様❗️紙芝居もきた、肉は無いけど魚と野菜料理、今より健康的な食事だと思います❗️お婆ちゃんに聞いてみて下さい、そんなに貶さないで!あなたはその頃を知らないでしょう‼️
@@tamitouta 江戸患い(江戸煩い)も知らない人いるんだ。ビタミンB1が欠乏し、麻痺型・水腫型の脚気で多くの人が亡くなっていたのになぜか、昭和の話に変えてるし
三が日位、皆休めばいいのに日本文化が失われていくように思う
無駄。誰もやりたいと思ってやってはないだろ。日本人なんてそんなもん
なんか風情があって現代より幸せそうだなぁ
全く同感です
隣の芝は青く見える
ほんと、正月くらい皆休めば良いのにね
@@銅鑼衛門学生一人旅
将軍様は正月から激務&激務で正直可哀そうにも思えるw
他の仕事とかは代理人とか立てたり交代で出来たりもするけど、この手の挨拶だけは絶対に代理人って訳にはいかないからねぇ
確か一月は年中行事が滅茶苦茶過密で最早休む日なんて無かったんだっけな?
現代人より文化レベル高いな✨
こちとら盆、正月関係なく仕事よ~💦
今よりも幸せそうで良い、食べ物も風味があって美味しそうだね。
日本食から四季折々の風味が抜けると本当に味気ないからね…
素直に遊ぶって大事だよな。
当時の話はもちろん、庶民たちの絵が色鮮やかに残っている事にも感動😭
人々の活気に溢れる声が聞こえてくるようですね
そしておせちの内容や正月遊びが江戸時代には既に完成されていたのもすごい😳
今回も素敵な動画をありがとうございます✨
昭和20-30年代は江戸時代と変わりないですね!三ヶ日のおせちは女が台所仕事をせずにゆっくりする、酒の用意も男がやって居ました!銭湯は正月だけ朝から空いて居て1年に一度だけ朝湯に行けました、大晦日は除夜の鐘を数えて(子供も一緒なのでワクワクして居ました)少し寝て起きると枕元に新しい着物(下着も)一揃えが置いて有り、部屋を片付け、御膳を出して、まず挨拶です!新年明けましておめでとうございます🎉頭を下げて、そして父からお屠蘇をお盃(正月用)で頂いて、お年玉を貰い、自分の名前を書いた祝い箸で雑煮とおせちを食べます!(お年玉をその場で開けるのは不敬で我慢します!)堅苦しい儀式ばってましたが!緊張感が懐かしいです!ご馳走様の後は無礼講、男どもは飲み続け、女達は朝湯へ、双六も百人一首の坊主めくりもカルタも沢山遊び道具があり、部屋で遊んで居ると突然大きな獅子頭がやって来て玄関の中迄入り怖くて泣いて居るのに頭をかじられます😂外ではカッコ良く獅子舞いをして!一軒ずつ子供を👶かじってました!江戸時代と変わらない下町の子供時代でした🎉平和でゆったりとしてましたね❤(未だ貧しい時代でしたが今よりも過ごし易かった気がします)
毎回思うんだけど何か、、、昔の方が楽しそうだし、文化面でも豊かで本当に皆が個としてるというか、これ数百年前の事?😮って思う。
もう、年の瀬ですね。
やがて訪れる年明けを、古の風俗によって感じ取るというのも、なかなか良いものですね。
不可思議な高揚感があります。
温暖化で季節感が狂ってきたこともあり、一年の中で四季を感じにくくなった気がします。
四季の中で生まれていった庶民の文化は日本の宝の様に思えます。
お笑い番組が昔から正月に人気なのは日本人の心にこの風習が少しでも気配を残してるからなんでしょうね
こういう動画すきです!
凧揚げも羽付きも、今でも出来るけどやる人少なくなってきたな…
昔の気持ちに戻ってやってみるのも楽しそう✨
昭和の生まれですが、正月には幼いとき、凧揚げ羽子板すごろくカルタ等々で遊んでいました。江戸時代から伝わってきた遊びだったのですね。テレビが普及しスマホが普及し現代では見ることも久しくなりましたが、いつまでも残しておきたい風物詩ですね。
同感です。😊✨✨私も昭和後半生まれで、子供の時は上記の遊びが一般的でした。
日本ならではの遊び、風習は21世紀になっても大切にしたいです。😊✨✨
同じくです。
羽子板で遊んでいました。
羽根つきに夏に蚊に刺されないまじないという意味があったのは初めて知りましたが、幼少期の風習が江戸時代から続いていた事に驚きました😊
我が子は凧揚げを今年もしました、街に住むと凧揚げも出来ないですが守っていきたい風習だと改めて思いました😊
江戸時代の人々も今の我々と同じ様に正月を楽しんでいたんですね😸
なんかでも、現代は24時間365日インターネット、テレビ、店もやって全然季節感も無くなってしまってますが、😩江戸時代の人々は、しっかり季節感を感じていてうらやましく感じますね🌝
タイムリーな動画だな〜
今度の正月は江戸時代風にして過ごそうかな、って思っちゃうw
楽しそうなお正月
わかりやすいお話とたくさんの浮世絵で江戸時代がとても身近に感じました
知らない事ばかりで勉強になります。
おせちを食べながら見て、非常に満たされた気分になりました。
初夢は今でも受け継がれている、良き風習✨😉❤️
正月2日がメインだったのですね。江戸時代の人々の姿が頭に浮かびます。良いチャンネルですね!
素晴らしい記事です。
早く現代技術が発達して江戸の町を五感で体験できるVR観光ができるようにならないかなぁ
歳神様かあ…。
注連縄すら用意できない神社も出てきてる。
つらいなあ、寂しいなあ…。
14:54 壮観ですね!今こんな風景そうそう見れないですよね(広い場所がまず無いと)
自分は成人後にエビアレルギーになったので、代わりに好きな数の子や栗きんとんを多めに貰って食べてたな…🌰何だかんだ、1年ぶりに食べると美味しいですよね、おせち。
もし、当時の江戸のお正月へ行けたら、伏せってるわんこにごはんあげ行脚したい(犬好き😊)
がきんちょの頃は12月31日に晦日市が有り、父ちゃんがタコかコマを買ってくれました
どちらにしようか?悩みました。
江戸時代の奴だこは、武家屋敷の近くでは上げることが出来なかったそうです。
身分の低い者が、主人より高い所上がることが駄目だったそうです。
旧暦が日本の四季に合っていると思います。
今の時代のようにやみくもに行くのではなく初詣もきちんと信仰している神社へ御参り。きちんと意味が1つずつあって良いと思います。
僕が生まれも育ちも 庶民だからかも
庶民の正月風情は良いですね
年も押し迫ると夜の静けさと重みに年神様も帰り支度かなと
でも、家の裏のさくら並木の枝には小さな蕾を見ると
江戸の迎春はこんな感じかなと思います
私は東北で育ったのですが、昭和でも同じようなことをやっておりました。
大変、興味深いお話しをありがとうございました。
ナレーションのテンポだけが気になりました。
まさしく風流だなあ^^
平和を願ういろいろな習わしがとても眩しく感じます。
旧暦の正月7日だと春の七草が生えていたわけですね。現在の西暦のカレンダーの1月7日には、生えてないですもんね。このズレに気付くと、もっと内容が深く理解できるかも。
無いものを欲しがり
有るものを失う
このころの正月は?旧暦でしょ?どうやって?知ってたのでしょ?それにしても正月らしいですね(笑)
ゲーム機もスマホも無い時代
良いね~❤
16:59 1960-70年代に流行った、人生ゲーム(TVコマーシャルも)。その起源が、江戸時代の出世双六とはしりませんでした。ちなみに、西洋圏にも酷似したゲームがあります。名称は、モノポリー。日本と同様に、サイコロを振って前進。目的地到着の速さを競うものです。
かしまし娘って鳥追いだったのですか!?もしかしてシュガーとかパフュームとかも・・・
現代は文明が進化し過ぎて社会は複雑になり人の心が全然追い付いていない気がする。自分たちで作り上げた社会で疲れ切っている…
昔の日本人も働きものだったんだなぁー
凧上がり杉で草
庶民が遊びにふけることが出来るとか
ここまで優れた国家が他にあったのか?と
遊びも頭脳プレイが多くてやべぇ
良い動画を有難うございます。
だが、多種多様で豊かな日本文化が欧米とその手先の左翼に壊されようとしていることが腹立たしい。
旧暦の12月25日を旧クリスマス(キリストの誕生日)と言わないように新暦の一月は正月ではありません、お盆のように正常に戻して欲しい
城前で煮売り禁止!とはしてるけど、まぁ寒い中ずっと待ってなきゃならない家臣も大変だしその辺は幕府も建前では言うけど寒い中ずっと待ってるのは辛いことを重々承知してるからこそ実情を鑑みて黙認なんだろうねぇ
掛取り万歳という落語では三河万歳が出て来ます
今回は情報量が段違いに多かった気がする
凧は江戸の途中まではイカだったとか
そもそも、お節料理は、正月三ヶ日を家に籠って過ごす為の料理。三ヶ日は、外に出たらあかんのよ、本当は。
『江戸府内絵本風俗往来』に田作(ごまめ)・数の子・黒豆が祝い肴三種として特別視されていたとのことですが、正しくは黒豆ではなく「座禅豆」です。黒豆という表記は江戸時代には極めて稀で、ほぼ全てが「座禅豆」ですから、「黒く日に焼けて云々」という理解は明治以後のことです。『江戸府内絵本風俗往来』中編 内の部 正月 屠蘇と雑煮の項に記されていますから、ご確認下さい。
獅子舞、全く見なくなったな
今更ですがナレーターさんは人間かAIかとても気になる...
医療も発達してないし大した食い物も暖房器具もなく
子供はおろか人間自体の生存率も低かった時代
こうでもして精神の健康を保つぐらいしかやりようがなかったんだよね
東京都内の開発で掘り出された人骨を、国立科学博物館が大量に保管している。
ざっと1万人分。江戸時代の骨がほとんどで、今よりも小柄で栄養状態 が悪かった。
現代なら死亡率の低い若い世代の骨が多いのも特徴で、伝染病がたびたび流行し、人が簡単に死んでいた事も分かってる。
江戸時代の成人の平均身長は男性が150センチ台半ばで、女性はそれよりも10センチほど低かった。
食い物は豊かでしたよ!
暖房も炬燵と火鉢で充分暖かでした❗️江戸時代の下町の元寺子屋の長屋で育ちました❗️(昭和20年代)毎日朝から納豆、シジミ売り、魚屋豆腐屋、ちょっとした広場に何かしら売り手がきて移動スーパーの様❗️紙芝居もきた、肉は無いけど魚と野菜料理、今より健康的な食事だと思います❗️お婆ちゃんに聞いてみて下さい、そんなに貶さないで!あなたはその頃を知らないでしょう‼️
@@tamitouta
江戸患い(江戸煩い)も知らない人いるんだ。
ビタミンB1が欠乏し、麻痺型・水腫型の脚気で多くの人が亡くなっていたのに
なぜか、昭和の話に変えてるし
三が日位、皆休めばいいのに
日本文化が失われていくように思う
無駄。誰もやりたいと思ってやってはないだろ。日本人なんてそんなもん