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デザインめっちゃカッコ良くて好き。
あのゴーグルみたいな初期試作車の運転席パノラミックウィンドウが国鉄らしからぬイカしたデザインでした。
113系同様、前面窓と貫通扉幅が黄金比で、飽きの来にくいデザインですね。
一度乗車してみたかった車輛です。。
キハ181系もキハ91系をベースに作られた特急車両ですね。
2:22 キハ91系の前面、前面窓と貫通扉幅が115系みたいな雰囲気ですね。こんな気動車が嘗て存在したことをたった今知りました!
筑豊本線沿線住まいでした。キハ66.67はしょっちゅう乗っていました。6両編成なども有りました。子供の頃は謎のキハ91系も実物を見たくて、種々雑多なディーゼルカーが走る筑豊本線沿線ならいつか走るんじゃないかと目を凝らしてみていた記憶があります。
キハ65は高出力エンジン1基搭載のため、キハ58系の冷房用電源を確保すると同時に編成出力を下げることもなかったため、中間にキハ28でなくキハ65を挟み、両端をキハ58で固める運用も九州ではありました
左の運転台窓下の出っ張りが特徴的でしたね
初期のキハ91系車両は、車両前面には、他系列との混結を可能とする「制御装置(信号読替装置)が入った箱」が付いていて、実際に、急行きそ(キハ91系)と急行天竜(キハ57・58系)の二階建て列車が走っていたようです。エンジン同系列なら、キハ181系しなのに初期トラブルが多発していた頃に、代車としてキハ91を混結した話が有名ですね。
キハ65はJRになってからも2000年代後半まで運用されてましたが...
キハ91系とキハ65型の一番大きな違いは他の気動車と連結できるかどうかで、キハ91系は単独運行せざるを得なかった。ただキハ65型も1形式のみてありグリーン車は作られなかった。また寒冷地仕様の500番台も東北地区には配備されず東北地区の気動車の冷房化が遅れ、かせんか
「後継」のキハ65は長年活躍しましたが・・・。悲運の名車でしたね。東日本在住の私は1度も生では見れませんでした。
試作要素が強い形式でしたね。構造・車体強度上、側扉に従来の引戸が採用できず、3枚折戸という他にはない独特の扉を採用したのが、特徴でした。
前面デザインは、キハ65に比べ後退角が大きい三面折り妻で、急行形電車より天地寸法の大きな窓ガラスを用いた事で出色の美人ちゃんでしたね。❤️運転最終日は別れがたまらなくなって中学校放課後、名鉄で新鵜沼へ行き鵜沼から「のりくら4号」に、車内を行き交うファンを怪訝に思った乗客から「コレは何ですか?」と質問されてしまいました。
キハ65系はJR化後もジョイフルトレイン等で運用されてました。
急行かすがでもキハ65+58で走ってました。
ジョイフルトレインの種車以外にもあちこちで走ってたし、90年代頃までは特に珍しい車両ではなかったね。
昭和48年、松本駅で見かけました。独特の形をしてましたね。一度乗りたかったです。新型の300馬力のは12系客車の冷房用電源発電用エンジンとして使われたと聞いてます。
キハ181形のサービス電源用にも搭載されていましたよ。キハ90のエンジンを電源用に、キハ91のエンジンを走行用にもらい、90+91=181なんて計算も成り立ってしまいます。
そりゃJR東日本の初代社長が「なんで戦前のエンジン使ってるんだ」と愕然とするわけだわな
早くにカミンズエンジンを投入するように日本国有鉄道が海外の協力を仰いだらそうでもなかったんでしょうが、如何せんまともな電車でさえ同じ形式を20年も作る会社だったので無理もないと思われます。
@@asokai2346国鉄の制式エンジンを製造していたメーカーも鉄道用以外では自社設計で高性能のエンジンを製造している。メーカー設計のエンジンの採用をほとんどアピールしなかったのは、国鉄車両で使っているエンジンは国鉄で分解整備するという規約があって、それによってメーカー独自の技術が国鉄や他メーカーに流出するのを嫌がったというのもあると思う。
キハ91系は前面が2通りありましたね。今回の動画ではでてこなかったけれど、曲面が多くすごく個性的だったように思います。
キハ91-1と元キハ90のエンジン換装車であるキハ91-9の事ですね。量産車2〜8より15ヶ月程前に登場していました、タレ目とかゴーグルなどと言われますが。
キハ91は急行のりくらや、きそで幼い頃名古屋駅にて見た記憶があります😌
キハ91系かっこいいな!客車の14系に似てる!
当時の国鉄の現場では新技術を拒否する雰囲気もあったようだから、いつまでたってもDMH17頼りだったのがね。この動画には出てこないが、運転台窓が垂れ目になってたキハ91 9が可愛い。
元キハ90ですね。見たかった!
リニア・鉄道館で流れているキハ181系の映像で1両だけキハ91を組み込んだ列車の走行動画が流れている。営業運転なのか試運転なのかは不明。
鉄道ピクトリアルの最新号に答が書いてあるよ。
キハ91もキハ181も、パワーとしては十分だったのだが、いかんせん中央西線や奥羽本線は勾配やカーブがきつく、速度が出せなかったため、いわゆるローギアで延々ふかしすぎたのがオーバーヒートの原因という見方もあります。どちらかというと直線番長みたいな車両。結果、最も最適だったのが山陰本線近畿地区と播但線系統、いわゆるはまかぜ・あさしお系統だそうで、キハ181といえばいまだに両列車のイメージです。
板谷は東北一の酷暑地域ですからね、乗用車エンジンでさえインタークーラーが実用化されてない時代に直付けターボのエンジンで越えるには無謀でした。
キハ91と試作番号が当てられているので、短命でしたが試作車としての寿命は全うしたと言えるでしょう。
キハ91は試作車としての役割をきちんと果たして、その成果をキハ181系やキハ65に活かして予定通り廃車になっただけ。タイトルのように、長く使うつもりなのにダメだったから即廃車になったわけでは全くない。
国鉄の気動車エンジンって0から作らなくても信頼性のあるベースエンジンは当時でもあった筈なんですよね、例えば漁船用とか大体今もベースはそれですし、輸出用なんて現行の型とは違うカミンズが粗搭載されていたし、今で言うならH100 型なんかに乗ってるのも恐らくコマツの汎用エンジンのそれだろうし、国鉄とか規格を厳密に決め過ぎちゃうと何かと問題が多くなるのかなって奴ですね。
お疲れ様です。1976年運営終了とのことですがのりくらはこの当時結構乗車したことがあったのに91系見たことがなかったなあ。見ることが出来なくて今となっては残念です。
性能面で従来型から飛躍した画期的な車両と云える.キハ91系は無縁だったがキハ181系[やくも🍴☕]は乗車出来た.
急行奥久慈で平坦な常磐線だったら120キロで走れたろうに勿体無い
キハ91に、乗車経験有り、ただ、飛騨金山から、美濃太田だったから、残念ながら、ほぼ下り坂、エンジン音やら力強い性能を、体感は、無かった、車内は、電車急行165系そのもの、クーラーは、直ぐ取り付け出来るように成っていた、乗車口が、独特で良いが、締まりの悪い車体もあった。キハ91 1 キハ91 9は、また、違うデザインの顔してる。、コレもいい。グリーン車は、走行エンジンが無いから、静かだった記憶しております。多治見駅に、放置されていたから、見に行った時も記憶しております。
キハ65はJR化後も2000年代まで運用されてますよ。
昭和48年7月中央西線・篠ノ井線電化ダイヤ改正では特急しなのや、急行ちくまときそそれに季節列車のつがいけ下り2号と上り1号には気動車が使用されていて全面電車化にはいだっていない。しなのが全面電車化されなかったのは1往復あった東海道本線大阪乗入れのさいの振り子装置がネックになっていたらしい。そのおかげで181系気動車のしなのは大阪乗入れ列車とこの折返し運用で食堂車がしばらく営業していた。
@@もりわききくお 名古屋〜大阪は振り子を止めて走ってた。
@山坂沙武朗 それは当分様子見で振り子装置を切り忘れた場合を考えて結局ゴウマルサンダイヤ改正直前まで181系気動車で運行された。何しろ初めて実用化された電車であったため国鉄としても慎重だったはず!
キハ91とキハ181は屋根上にラジエーターがありどちらも中央西線で運用実績があることからキハ91はキハ181の基盤を築いています。
内房線でシェイクダウンしていたとは…(・o・)(私が生まれる前ですが…😅)姉ヶ崎民としては、なんか悔しいっす…その後のキハ181キハ65などの為に大きくデータ収集できた筈
マイクロはこういう試作形よく販売しますが、よくKATO(関水金属)がこのキハ91を製品化したなぁと思います。
初代快速みえはキハ65を使ってた。後継がキハ75。カミンズエンジンを二基。
廃車になっても解体されず留置されてるのは減価償却など会計処理の理由もあるのだね。
「急行きそ」って瑞浪に停車してたのか、土岐市は通過なのに。
キハ91系の運転台はワンハンドルではなく従来型気動車と違って横軸式のハンドルですが、左手力行、右手ブレーキの2ハンドルです。これは後継のキハ181系も同様です。
JR西日本の「エーデル」シリーズは全車キハ65改造ですし、名古屋以西ではJR化後も急行運用が有りましたが…
キハ91系最初の配置が国鉄千葉気動車区と聞いてなぜ?と思いましたが、東京の国鉄本社に近くてお偉方の視察も容易で、当時の千葉以東は非電化かつ平坦線ばかりで、一部区間を除いて海岸線をあまり走らずに塩害をあまり気にしないで済む地理条件が幸いしたのでしょうね。そういえば千葉気動車区の主といえばキハ23系(両運転台)キハ45系(片運転台)の腰が絞れていない四角い全面の気動車とか、キハ35 900番台のオールステンレスの車体とかが居ましたね。後に国鉄時代の久留里線の主となるキハ37系も含めると、房総半島を走る気動車は変わり者揃いだった事を思い出します。キハ91系はその中核を担った車両との思いがいたします。
キハ35 900番台はジュラルミンというよりオールステンレス。この他、レールバスことキハ10000形(キハ01)も千葉鉄道管理局の所属でしたね。房総各線は電化後は真逆に、東京近郊で酷使された電車のセカンドキャリア的な立場になってしまった……
@@hisakounosuke2474 さまご指摘ありがとうございます。オールステンレスの車両でしたね。さっそく訂正いたします。
@@hisakounosuke2474 とはいうものの113系1000番台は昭和44年新製配置で投入されてるんだよなぁ。しかし老朽化と非冷房なのが問題だから1976年辺りに作られた0’番台を房総地区に持ってきて置き換え、E217系による置き換えで余った地下直1000’番台が本格投入されてからはセカンドキャリアになったと思われるなぁ。
互換性がないと他車と連結できない。エンジンのメンテナンスも簡素化しないと難しい。
キハ65はJR化後も急行かすがや快速みえで使用されてたけど
キハ91系はキハ65系量産車試験車だった
ベースになったディーゼルエンジンが予燃焼室式で効率悪いだけに日本の技術力不足が悔やまれるところです…
土讃線で乗った気がする
鉄道ピクトリアル 24年12月号にも詳しく記載ありますねしかし カミンズ製エンジン(335hp)を搭載した台湾向けの東急車両DR2500はすでに1950年代後半から実績があったのに なぜそれを検討しなかったのかねそこが国鉄なんだよな 国産に拘る、国会でなぜ国鉄なのに国産使わないのか?と問題にされる などいろいろありそうですねキハ91も手間がかかるエンジンなので労組が反対したとか 同じエンジンのキハ181は高山本線や紀勢線特急には使わなかった そういう取引材料にされてしまったようです
@@asaichban9842 国産品を使うことで、国産品の性能や品質の向上と日本人技術者の育成も考えたかもしれない。ただ、トラブル続きのキハ181系の改善が進まないのでキハ91から設計開発を担当してた人を外して苗穂工場にいた技術者に改善を担当させたことやその苗穂工場から来た技術者が、電気車と比べて内燃車は予算が少ないと言ってたので国鉄本社の思惑通りにはいかなかったのでしょう。
@@asaichban9842 50、60年代は国内における技術力向上と技術者育成の一端を担うようにを内々に国から求められてたんじゃないか?だから国鉄の技術で設計開発する一方で、輸出する車両は海外で実績も知名度もあるカミンズのエンジンを採用したということだろう。結局ディーゼルエンジンに関しては国鉄は全然ダメだった一方で、それ以外の産業用エンジンはちゃんと進化している。
顔つきが電車っぽかったですね...
キハ55は急行と言うよりは準急用だった
キハ91はキハ65に、キサロ90はキロ28に、それぞれ組み込まれる案があったと聞いた事があるんですがどうなんですかね?
ボツになったと思う。車体は急行型だけど機器類はキハ181系なので大きな改造が必要。キハ91をキハ65に改造するよりもキハ65の車体を作ってエンジンや台車などの部品をキハ91から移植した方が手間がかからない。
@@山坂沙武朗 やっぱそうですよね〜まぁ、でも10年ちょっとで廃車はやっぱ勿体無いし会計監査院にツッこまれますわね
@@TatsunaIikase で、キサロ90の方はというと、キロ28にするのではなくてキハ65と同じエンジン、変速機、冷房電源を載せてキロ65にすればいいと思うんだけど。
@@山坂沙武朗 エンジン騒音大丈夫っすかね?
@@TatsunaIikase 音量が1両分上乗せされるわけではないけど音響は広がるかもしれないですね。
高性能で 即 といっても10年近くは活躍したわけでしょ、デビューすら叶わなかったキハ285に比べれば…
あれ?JR後の採用でキハ65の整備したことあるんだが…色々もう少しちゃんと調べた方がいいですよ
他の方が指摘している通り、短命なのは、90番代の試作形式であることか理由で、性能うんぬんのもんだではない。フェイクはやめよ。
残念ながら高山本線側としては「中央本線から押し付けられた【いらないコ】」扱いだった😮💨動画でも触れられているように【オーバーヒート】によるトラブル多発は深刻で、乗務員も乗客も乗りたがらないという事態に😩そもそも高速運転を前提に設計された車輌なのに、急行のような中低速が主体となる運転を強いられる…という事が間違っていたのだが、当時は組織の【労使間の分断が酷く】根治対策は行われなかった😓それでも【なんとか使おう】という気概はあったようで、ラジエーターの周囲に【お手製の外部ファン】を外付けしたりの工夫は見られたが、所詮は【素人の考え】で能力的にも焼け石に水だったし、そもそもが屋外での使用や経年劣化への配慮は全くない代物だった😵
関係ない話115系1000番台とか113系2000番台とか115系や113系じゃないほどリニューアルされてるのに労使間のせいで既存形式に編入された事例を見ると、当時の国鉄の闇を感じてしまうのはどうしてでしょうか?
鉄道雑誌に待望の新車として載っていたのだが、夏休みの臨時列車で乗車すると『非冷房』であるのにがっかりした。
タレ目ちゃん
その後、気動車による時速120キロ運転はキハ85系で確立する。
一度、酷徹廣嶋で新造改造魔改造無許可営業された鬱之宮で轢死されたかった。車輌の一つです。
デザインめっちゃカッコ良くて好き。
あのゴーグルみたいな初期試作車の運転席パノラミックウィンドウが国鉄らしからぬイカしたデザインでした。
113系同様、前面窓と貫通扉幅が黄金比で、飽きの来にくいデザインですね。
一度乗車してみたかった車輛です。。
キハ181系もキハ91系をベースに作られた特急車両ですね。
2:22 キハ91系の前面、前面窓と貫通扉幅が115系みたいな雰囲気ですね。こんな気動車が嘗て存在したことをたった今知りました!
筑豊本線沿線住まいでした。キハ66.67はしょっちゅう乗っていました。6両編成なども有りました。子供の頃は謎のキハ91系も実物を見たくて、種々雑多なディーゼルカーが走る筑豊本線沿線ならいつか走るんじゃないかと目を凝らしてみていた記憶があります。
キハ65は高出力エンジン1基搭載のため、キハ58系の冷房用電源を確保すると同時に編成出力を下げることもなかったため、中間にキハ28でなくキハ65を挟み、両端をキハ58で固める運用も九州ではありました
左の運転台窓下の出っ張りが特徴的でしたね
初期のキハ91系車両は、車両前面には、他系列との混結を可能とする「制御装置(信号読替装置)が入った箱」が付いていて、実際に、急行きそ(キハ91系)と急行天竜(キハ57・58系)の二階建て列車が走っていたようです。
エンジン同系列なら、キハ181系しなのに初期トラブルが多発していた頃に、代車としてキハ91を混結した話が有名ですね。
キハ65はJRになってからも2000年代後半まで運用されてましたが...
キハ91系とキハ65型の一番大きな違いは他の気動車と連結できるかどうかで、キハ91系は単独運行せざるを得なかった。ただキハ65型も1形式のみてありグリーン車は作られなかった。また寒冷地仕様の500番台も東北地区には配備されず東北地区の気動車の冷房化が遅れ、かせんか
「後継」のキハ65は長年活躍しましたが・・・。悲運の名車でしたね。東日本在住の私は1度も生では見れませんでした。
試作要素が強い形式でしたね。
構造・車体強度上、側扉に従来の引戸が採用できず、3枚折戸という他にはない独特の扉を採用したのが、特徴でした。
前面デザインは、キハ65に比べ後退角が大きい三面折り妻で、急行形電車より天地寸法の大きな窓ガラスを用いた事で出色の美人ちゃんでしたね。❤️
運転最終日は別れがたまらなくなって中学校放課後、名鉄で新鵜沼へ行き鵜沼から「のりくら4号」に、車内を行き交うファンを怪訝に思った乗客から「コレは何ですか?」と質問されてしまいました。
キハ65系はJR化後もジョイフルトレイン等で運用されてました。
急行かすがでもキハ65+58で走ってました。
ジョイフルトレインの種車以外にもあちこちで走ってたし、90年代頃までは特に珍しい車両ではなかったね。
昭和48年、松本駅で見かけました。独特の形をしてましたね。一度乗りたかったです。新型の300馬力のは12系客車の冷房用電源発電用エンジンとして使われたと聞いてます。
キハ181形のサービス電源用にも搭載されていましたよ。
キハ90のエンジンを電源用に、キハ91のエンジンを走行用にもらい、90+91=181なんて計算も成り立ってしまいます。
そりゃJR東日本の初代社長が「なんで戦前のエンジン使ってるんだ」と愕然とするわけだわな
早くにカミンズエンジンを投入するように日本国有鉄道が海外の協力を仰いだらそうでもなかったんでしょうが、如何せんまともな電車でさえ同じ形式を20年も作る会社だったので無理もないと思われます。
@@asokai2346
国鉄の制式エンジンを製造していたメーカーも
鉄道用以外では自社設計で高性能のエンジンを製造している。
メーカー設計のエンジンの採用をほとんどアピールしなかったのは、国鉄車両で使っているエンジンは国鉄で分解整備するという規約があって、
それによってメーカー独自の技術が国鉄や他メーカーに流出するのを嫌がったというのもあると思う。
キハ91系は前面が2通りありましたね。今回の動画ではでてこなかったけれど、曲面が多くすごく個性的だったように思います。
キハ91-1と元キハ90のエンジン換装車であるキハ91-9の事ですね。
量産車2〜8より15ヶ月程前に登場していました、タレ目とかゴーグルなどと言われますが。
キハ91は急行のりくらや、きそで幼い頃名古屋駅にて見た記憶があります😌
キハ91系かっこいいな!
客車の14系に似てる!
当時の国鉄の現場では新技術を拒否する雰囲気もあったようだから、いつまでたってもDMH17頼りだったのがね。
この動画には出てこないが、運転台窓が垂れ目になってたキハ91 9が可愛い。
元キハ90ですね。見たかった!
リニア・鉄道館で流れているキハ181系の映像で1両だけキハ91を組み込んだ列車の走行動画が流れている。
営業運転なのか試運転なのかは不明。
鉄道ピクトリアルの最新号に答が書いてあるよ。
キハ91もキハ181も、パワーとしては十分だったのだが、いかんせん中央西線や奥羽本線は勾配やカーブがきつく、速度が出せなかったため、いわゆるローギアで延々ふかしすぎたのがオーバーヒートの原因という見方もあります。どちらかというと直線番長みたいな車両。
結果、最も最適だったのが山陰本線近畿地区と播但線系統、いわゆるはまかぜ・あさしお系統だそうで、キハ181といえばいまだに両列車のイメージです。
板谷は東北一の酷暑地域ですからね、乗用車エンジンでさえインタークーラーが実用化されてない時代に直付けターボのエンジンで越えるには無謀でした。
キハ91と試作番号が当てられているので、短命でしたが試作車としての寿命は全うしたと言えるでしょう。
キハ91は試作車としての役割をきちんと果たして、その成果をキハ181系やキハ65に活かして予定通り廃車になっただけ。タイトルのように、長く使うつもりなのにダメだったから即廃車になったわけでは全くない。
国鉄の気動車エンジンって0から作らなくても信頼性のあるベースエンジンは当時でもあった筈なんですよね、例えば漁船用とか大体今もベースはそれですし、
輸出用なんて現行の型とは違うカミンズが粗搭載されていたし、今で言うならH100 型なんかに乗ってるのも恐らくコマツの汎用エンジンのそれだろうし、
国鉄とか規格を厳密に決め過ぎちゃうと何かと問題が多くなるのかなって奴ですね。
お疲れ様です。1976年運営終了とのことですがのりくらはこの当時結構乗車したことがあったのに91系見たことがなかったなあ。見ることが出来なくて今となっては残念です。
性能面で従来型から飛躍した画期的な車両と云える.キハ91系は無縁だったがキハ181系[やくも🍴☕]は乗車出来た.
急行奥久慈で平坦な常磐線だったら120キロで走れたろうに勿体無い
キハ91に、乗車経験有り、ただ、飛騨金山から、美濃太田だったから、残念ながら、ほぼ下り坂、エンジン音やら力強い性能を、体感は、無かった、車内は、電車急行165系そのもの、クーラーは、直ぐ取り付け出来るように成っていた、乗車口が、独特で良いが、締まりの悪い車体もあった。
キハ91 1 キハ91 9は、また、違うデザインの顔してる。、コレもいい。
グリーン車は、走行エンジンが無いから、静かだった
記憶しております。
多治見駅に、放置されていたから、見に行った時も記憶しております。
キハ65はJR化後も2000年代まで運用されてますよ。
昭和48年7月中央西線・篠ノ井線電化ダイヤ改正では特急しなのや、急行ちくまときそそれに季節列車のつがいけ下り2号と上り1号には気動車が使用されていて全面電車化にはいだっていない。しなのが全面電車化されなかったのは1往復あった東海道本線大阪乗入れのさいの振り子装置がネックになっていたらしい。そのおかげで181系気動車のしなのは大阪乗入れ列車とこの折返し運用で食堂車がしばらく営業していた。
@@もりわききくお
名古屋〜大阪は振り子を止めて走ってた。
@山坂沙武朗 それは当分様子見で振り子装置を切り忘れた場合を考えて結局ゴウマルサンダイヤ改正直前まで181系気動車で運行された。何しろ初めて実用化された電車であったため国鉄としても慎重だったはず!
キハ91とキハ181は屋根上にラジエーターがありどちらも中央西線で運用実績があることからキハ91はキハ181の基盤を築いています。
内房線でシェイクダウンしていたとは…(・o・)
(私が生まれる前ですが…😅)姉ヶ崎民としては、なんか悔しいっす…
その後のキハ181キハ65などの為に大きくデータ収集できた筈
マイクロはこういう試作形よく販売しますが、よくKATO(関水金属)がこのキハ91を製品化したなぁと思います。
初代快速みえはキハ65を使ってた。後継がキハ75。カミンズエンジンを二基。
廃車になっても解体されず留置されてるのは減価償却など会計処理の理由もあるのだね。
「急行きそ」って瑞浪に停車してたのか、土岐市は通過なのに。
キハ91系の運転台はワンハンドルではなく従来型気動車と違って横軸式のハンドルですが、左手力行、右手ブレーキの2ハンドルです。これは後継のキハ181系も同様です。
JR西日本の「エーデル」シリーズは全車キハ65改造ですし、名古屋以西ではJR化後も急行運用が有りましたが…
キハ91系最初の配置が国鉄千葉気動車区と聞いてなぜ?と思いましたが、東京の国鉄本社に近くてお偉方の視察も容易で、当時の千葉以東は非電化かつ平坦線ばかりで、一部区間を除いて海岸線をあまり走らずに塩害をあまり気にしないで済む地理条件が幸いしたのでしょうね。
そういえば千葉気動車区の主といえばキハ23系(両運転台)キハ45系(片運転台)の腰が絞れていない四角い全面の気動車とか、キハ35 900番台のオールステンレスの車体とかが居ましたね。後に国鉄時代の久留里線の主となるキハ37系も含めると、房総半島を走る気動車は変わり者揃いだった事を思い出します。キハ91系はその中核を担った車両との思いがいたします。
キハ35 900番台はジュラルミンというよりオールステンレス。
この他、レールバスことキハ10000形(キハ01)も千葉鉄道管理局の所属でしたね。
房総各線は電化後は真逆に、東京近郊で酷使された電車のセカンドキャリア的な立場になってしまった……
@@hisakounosuke2474 さま
ご指摘ありがとうございます。オールステンレスの車両でしたね。さっそく訂正いたします。
@@hisakounosuke2474 とはいうものの113系1000番台は昭和44年新製配置で投入されてるんだよなぁ。しかし老朽化と非冷房なのが問題だから1976年辺りに作られた0’番台を房総地区に持ってきて置き換え、E217系による置き換えで余った地下直1000’番台が本格投入されてからはセカンドキャリアになったと思われるなぁ。
互換性がないと他車と連結できない。エンジンのメンテナンスも簡素化しないと難しい。
キハ65はJR化後も急行かすがや快速みえで使用されてたけど
キハ91系はキハ65系量産車試験車だった
ベースになったディーゼルエンジンが予燃焼室式で効率悪いだけに日本の技術力不足が悔やまれるところです…
土讃線で乗った気がする
鉄道ピクトリアル 24年12月号にも詳しく記載ありますね
しかし カミンズ製エンジン(335hp)を搭載した台湾向けの東急車両DR2500はすでに1950年代後半から実績があったのに なぜそれを検討しなかったのかね
そこが国鉄なんだよな 国産に拘る、国会でなぜ国鉄なのに国産使わないのか?と問題にされる などいろいろありそうですね
キハ91も手間がかかるエンジンなので労組が反対したとか 同じエンジンのキハ181は高山本線や紀勢線特急には使わなかった そういう取引材料にされてしまったようです
@@asaichban9842
国産品を使うことで、国産品の性能や品質の向上と日本人技術者の育成も考えたかもしれない。
ただ、トラブル続きのキハ181系の改善が進まないのでキハ91から設計開発を担当してた人を外して苗穂工場にいた技術者に改善を担当させたことや
その苗穂工場から来た技術者が、電気車と比べて内燃車は予算が少ないと言ってたので
国鉄本社の思惑通りにはいかなかったのでしょう。
@@asaichban9842
50、60年代は国内における技術力向上と技術者育成の一端を担うようにを内々に国から求められてたんじゃないか?
だから国鉄の技術で設計開発する一方で、輸出する車両は海外で実績も知名度もあるカミンズのエンジンを採用したということだろう。
結局ディーゼルエンジンに関しては国鉄は全然ダメだった一方で、それ以外の産業用エンジンはちゃんと進化している。
顔つきが電車っぽかったですね...
キハ55は急行と言うよりは準急用だった
キハ91はキハ65に、キサロ90はキロ28に、
それぞれ組み込まれる案があったと聞いた事があるんですがどうなんですかね?
ボツになったと思う。
車体は急行型だけど機器類はキハ181系なので大きな改造が必要。
キハ91をキハ65に改造するよりも
キハ65の車体を作ってエンジンや台車などの部品をキハ91から移植した方が手間がかからない。
@@山坂沙武朗 やっぱそうですよね〜
まぁ、でも10年ちょっとで廃車はやっぱ勿体無いし会計監査院にツッこまれますわね
@@TatsunaIikase
で、キサロ90の方はというと、キロ28にするのではなくて
キハ65と同じエンジン、変速機、冷房電源を載せてキロ65にすればいいと思うんだけど。
@@山坂沙武朗 エンジン騒音大丈夫っすかね?
@@TatsunaIikase
音量が1両分上乗せされるわけではないけど
音響は広がるかもしれないですね。
高性能で 即 といっても10年近くは活躍したわけでしょ、デビューすら叶わなかったキハ285に比べれば…
あれ?JR後の採用でキハ65の整備したことあるんだが…
色々もう少しちゃんと調べた方がいいですよ
他の方が指摘している通り、短命なのは、90番代の試作形式であることか理由で、性能うんぬんのもんだではない。フェイクはやめよ。
残念ながら高山本線側としては「中央本線から押し付けられた【いらないコ】」扱いだった😮💨
動画でも触れられているように【オーバーヒート】によるトラブル多発は深刻で、乗務員も乗客も乗りたがらないという事態に😩
そもそも高速運転を前提に設計された車輌なのに、急行のような中低速が主体となる運転を強いられる…という事が間違っていたのだが、当時は組織の【労使間の分断が酷く】根治対策は行われなかった😓
それでも【なんとか使おう】という気概はあったようで、ラジエーターの周囲に【お手製の外部ファン】を外付けしたりの工夫は見られたが、所詮は【素人の考え】で能力的にも焼け石に水だったし、そもそもが屋外での使用や経年劣化への配慮は全くない代物だった😵
関係ない話115系1000番台とか113系2000番台とか115系や113系じゃないほどリニューアルされてるのに労使間のせいで既存形式に編入された事例を見ると、当時の国鉄の闇を感じてしまうのはどうしてでしょうか?
鉄道雑誌に待望の新車として載っていたのだが、夏休みの臨時列車で乗車すると『非冷房』であるのにがっかりした。
タレ目ちゃん
その後、気動車による時速120キロ運転はキハ85系で確立する。
一度、酷徹廣嶋で新造改造魔改造無許可営業された鬱之宮で轢死されたかった。車輌の一つです。