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デザインめっちゃカッコ良くて好き。
あのゴーグルみたいな初期試作車の運転席パノラミックウィンドウが国鉄らしからぬイカしたデザインでした。
一度乗車してみたかった車輛です。。
キハ65はJRになってからも2000年代後半まで運用されてましたが...
前面デザインは、後退角が大きい三面折り妻で、急行形電車より天地寸法の大きなガラスを用いた事で出色の美人ちゃんでした。❤️運転最終日は別れがたまらなくなって中学校放課後、名鉄で新鵜沼へ行き鵜沼から「のりくら4号」に、車内を行き交うファンを怪訝に思った乗客から「コレは何ですか?」と質問されてしまいました。
他の方が指摘している通り、短命なのは、90番代の試作形式であることか理由で、性能うんぬんのもんだではない。フェイクはやめよ。
キハ181系もキハ91系をベースに作られた特急車両ですね。
しかも、ブレーキシステムがキハ91と全くおなじだったりします。6速までフルスロットルすれば120キロ運転が可能な上に、中央西線、奥羽線、山陰線、東北線という幹線ながら山岳向けということも相まって2011年まで運転できたと思います。キハ91は2枚折戸扉、キハ181は単枚折戸なのが違いですかね?
左の運転台窓下の出っ張りが特徴的でしたね
その運転台は、キハ181に受け継がれましたね。マスコンを中立にして、左に倒したら排気ブレーキモードになったと思います。キハ91も同じ構造かと思います。(そしてキハ391も理論上同じブレーキシステムかと。)
リニア・鉄道館で流れているキハ181系の映像で1両だけキハ91を組み込んだ列車の走行動画が流れている。営業運転なのか試運転なのかは不明。
鉄道ピクトリアルの最新号に答が書いてあるよ。
キハ65系はJR化後もジョイフルトレイン等で運用されてました。
キハ181の補給形がキハ65ですもんね。わたくしの勝手な想像ですが、キハ181とキハ65オンリーで10両編成で運転してみたり、キハ65が先頭でキハ181の車両が客車扱いの運用も用いて欲しいこともありますな。
急行かすがでもキハ65+58で走ってました。
@@国道まにあ さん、四国の快速サンポートでもキハ65と58のペア運用でした。キハ58と連結する場合は、キハ65がブースター役割になりますよね。
キハ91と試作番号が当てられているので、短命でしたが試作車としての寿命は全うしたと言えるでしょう。
キハ55は急行と言うよりは準急用だった
当時の国鉄の現場では新技術を拒否する雰囲気もあったようだから、いつまでたってもDMH17頼りだったのがね。この動画には出てこないが、運転台窓が垂れ目になってたキハ91 9が可愛い。
性能面で従来型から飛躍した画期的な車両と云える.キハ91系は無縁だったがキハ181系[やくも🍴☕]は乗車出来た.
残念ながら高山本線側としては「中央本線から押し付けられた【いらないコ】」扱いだった😮💨動画でも触れられているように【オーバーヒート】によるトラブル多発は深刻で、乗務員も乗客も乗りたがらないという事態に😩そもそも高速運転を前提に設計された車輌なのに、急行のような中低速が主体となる運転を強いられる…という事が間違っていたのだが、当時は組織の【労使間の分断が酷く】根治対策は行われなかった😓それでも【なんとか使おう】という気概はあったようで、ラジエーターの周囲に【お手製の外部ファン】を外付けしたりの工夫は見られたが、所詮は【素人の考え】で能力的にも焼け石に水だったし、そもそもが屋外での使用や経年劣化への配慮は全くない代物だった😵
キハ91系最初の配置が国鉄千葉気動車区と聞いてなぜ?と思いましたが、東京の国鉄本社に近くてお偉方の視察も容易で、当時の千葉以東は非電化かつ平坦線ばかりで、一部区間を除いて海岸線をあまり走らずに塩害をあまり気にしないで済む地理条件が幸いしたのでしょうね。そういえば千葉気動車区の主といえばキハ23系(両運転台)キハ45系(片運転台)の腰が絞れていない四角い全面の気動車とか、キハ35 900番台のジュラルミン車体とかが居ましたね。後に国鉄時代の久留里線の主となるキハ37系も含めると、房総半島を走る気動車は変わり者揃いだった事を思い出します。キハ91系はその中核を担った車両との思いがいたします。
「急行きそ」って瑞浪に停車してたのか、土岐市は通過なのに。
キハ65はJR化後も2000年代まで運用されてますよ。
キハ91とキハ181は屋根上にラジエーターがありどちらも中央西線で運用実績があることからキハ91はキハ181の基盤を築いています。
そりゃJR東日本の初代社長が「なんで戦前のエンジン使ってるんだ」と愕然とするわけだわな
お疲れ様です。1976年運営終了とのことですがのりくらはこの当時結構乗車したことがあったのに91系見たことがなかったなあ。見ることが出来なくて今となっては残念です。
急行奥久慈で平坦な常磐線だったら120キロで走れたろうに勿体無い
キハ91はキハ65に、キサロ90はキロ28に、それぞれ組み込まれる案があったと聞いた事があるんですがどうなんですかね?
キハ91系はキハ65系量産車試験車だった
ベースになったディーゼルエンジンが予燃焼室式で効率悪いだけに日本の技術力不足が悔やまれるところです…
顔つきが電車っぽかったですね...
一度、酷徹廣嶋で新造改造魔改造無許可営業された鬱之宮で轢死されたかった。車輌の一つです。
デザインめっちゃカッコ良くて好き。
あのゴーグルみたいな初期試作車の運転席パノラミックウィンドウが国鉄らしからぬイカしたデザインでした。
一度乗車してみたかった車輛です。。
キハ65はJRになってからも2000年代後半まで運用されてましたが...
前面デザインは、後退角が大きい三面折り妻で、急行形電車より天地寸法の大きなガラスを用いた事で出色の美人ちゃんでした。❤️
運転最終日は別れがたまらなくなって中学校放課後、名鉄で新鵜沼へ行き鵜沼から「のりくら4号」に、車内を行き交うファンを怪訝に思った乗客から「コレは何ですか?」と質問されてしまいました。
他の方が指摘している通り、短命なのは、90番代の試作形式であることか理由で、性能うんぬんのもんだではない。フェイクはやめよ。
キハ181系もキハ91系をベースに作られた特急車両ですね。
しかも、ブレーキシステムがキハ91と全くおなじだったりします。6速までフルスロットルすれば120キロ運転が可能な上に、中央西線、奥羽線、山陰線、東北線という幹線ながら山岳向けということも相まって2011年まで運転できたと思います。
キハ91は2枚折戸扉、キハ181は単枚折戸なのが違いですかね?
左の運転台窓下の出っ張りが特徴的でしたね
その運転台は、キハ181に受け継がれましたね。マスコンを中立にして、左に倒したら排気ブレーキモードになったと思います。キハ91も同じ構造かと思います。(そしてキハ391も理論上同じブレーキシステムかと。)
リニア・鉄道館で流れているキハ181系の映像で1両だけキハ91を組み込んだ列車の走行動画が流れている。
営業運転なのか試運転なのかは不明。
鉄道ピクトリアルの最新号に答が書いてあるよ。
キハ65系はJR化後もジョイフルトレイン等で運用されてました。
キハ181の補給形がキハ65ですもんね。わたくしの勝手な想像ですが、キハ181とキハ65オンリーで10両編成で運転してみたり、キハ65が先頭でキハ181の車両が客車扱いの運用も用いて欲しいこともありますな。
急行かすがでもキハ65+58で走ってました。
@@国道まにあ さん、四国の快速サンポートでもキハ65と58のペア運用でした。キハ58と連結する場合は、キハ65がブースター役割になりますよね。
キハ91と試作番号が当てられているので、短命でしたが試作車としての寿命は全うしたと言えるでしょう。
キハ55は急行と言うよりは準急用だった
当時の国鉄の現場では新技術を拒否する雰囲気もあったようだから、いつまでたってもDMH17頼りだったのがね。
この動画には出てこないが、運転台窓が垂れ目になってたキハ91 9が可愛い。
性能面で従来型から飛躍した画期的な車両と云える.キハ91系は無縁だったがキハ181系[やくも🍴☕]は乗車出来た.
残念ながら高山本線側としては「中央本線から押し付けられた【いらないコ】」扱いだった😮💨
動画でも触れられているように【オーバーヒート】によるトラブル多発は深刻で、乗務員も乗客も乗りたがらないという事態に😩
そもそも高速運転を前提に設計された車輌なのに、急行のような中低速が主体となる運転を強いられる…という事が間違っていたのだが、当時は組織の【労使間の分断が酷く】根治対策は行われなかった😓
それでも【なんとか使おう】という気概はあったようで、ラジエーターの周囲に【お手製の外部ファン】を外付けしたりの工夫は見られたが、所詮は【素人の考え】で能力的にも焼け石に水だったし、そもそもが屋外での使用や経年劣化への配慮は全くない代物だった😵
キハ91系最初の配置が国鉄千葉気動車区と聞いてなぜ?と思いましたが、東京の国鉄本社に近くてお偉方の視察も容易で、当時の千葉以東は非電化かつ平坦線ばかりで、一部区間を除いて海岸線をあまり走らずに塩害をあまり気にしないで済む地理条件が幸いしたのでしょうね。
そういえば千葉気動車区の主といえばキハ23系(両運転台)キハ45系(片運転台)の腰が絞れていない四角い全面の気動車とか、キハ35 900番台のジュラルミン車体とかが居ましたね。後に国鉄時代の久留里線の主となるキハ37系も含めると、房総半島を走る気動車は変わり者揃いだった事を思い出します。キハ91系はその中核を担った車両との思いがいたします。
「急行きそ」って瑞浪に停車してたのか、土岐市は通過なのに。
キハ65はJR化後も2000年代まで運用されてますよ。
キハ91とキハ181は屋根上にラジエーターがありどちらも中央西線で運用実績があることからキハ91はキハ181の基盤を築いています。
そりゃJR東日本の初代社長が「なんで戦前のエンジン使ってるんだ」と愕然とするわけだわな
お疲れ様です。1976年運営終了とのことですがのりくらはこの当時結構乗車したことがあったのに91系見たことがなかったなあ。見ることが出来なくて今となっては残念です。
急行奥久慈で平坦な常磐線だったら120キロで走れたろうに勿体無い
キハ91はキハ65に、キサロ90はキロ28に、
それぞれ組み込まれる案があったと聞いた事があるんですがどうなんですかね?
キハ91系はキハ65系量産車試験車だった
ベースになったディーゼルエンジンが予燃焼室式で効率悪いだけに日本の技術力不足が悔やまれるところです…
顔つきが電車っぽかったですね...
一度、酷徹廣嶋で新造改造魔改造無許可営業された鬱之宮で轢死されたかった。車輌の一つです。