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D50は動輪軸重バランスの優れた特性を持つ機関車です、D51型にくらべ空転しずらく土壇場では頼りにされていました、敦賀機関区を始め山岳急勾配牽引定数一杯でネットダイヤと言った機関車乗務員泣かせの線区ではD51型の受領拒否が続き、D51型が集煙装置、ボイラ上重油タンク増設、軸重増加黙認、ボイラ増圧など戦後の豊かな時代になってから交代が容認された
筑豊本線での9600(キューロク)D60(デロクマル)と共に黙々と石炭輸送に従事していた姿は一生忘れないでしょう。旅客担当の門デフ装備のC55(シゴゴ)も格好良くて武骨と華麗さの対照的なコントラストを描いていました!
D50は京都と北海道にしか残っていない貴重な蒸気機関車です。京都は安心ですが、北海道は露天で保存されているので豪雪の時はビニールシートで守られているみたいです。
D60なら福岡と山口にあるんですけどねぇ。芦屋のD60は北部九州の保存SLを整備して回っているボランティア団体により整備されていて、梅小路並みに綺麗な状態になっています。その団体が整備したSLはリンゲルマン式煙色濃度計が標準装備なのがポイントと言うかコダワリ。
いつの間にTH-camに進出してたんだ。ニコニコでよく見てたので嬉しいです。
D50の就役により幹線の1000トン牽引が確立し東海道、山陽の近代化が促進され箱根越えが容易になった、箱根が丹那トンネル経由となり信越、中央、北陸など96で喘いでいた幹線の列車単位はD50の転属により飛躍的に向上、待避線の有効長など鉄道の基礎が確立した
3軸動輪ならC53、4軸動輪ならこのD50が一番好きですねスポーク動輪、デフ無し、円柱型ドームの機関車が美しいと思います
実際敦賀機関区ではD51の配備後にD51の酷い空転癖からこんな欠陥機よりD50の新車、若しくは9600を寄越せ!と散々な評価でした。
敦賀~今床間は、その時代の最新式の機関車の最優秀機が配備されていたのにそんなでしたか。
@@栄田正剛 そうです。実際初号機は2年弱で稲沢に放出されてます。
私の手に入れた鉄道趣味誌の写真を見ていると、戦後の輸送両が増加した 事によりD51三重連による1000tの貨物列車の運用が決められた時の物がありますが、今はトンレヌでが開通する前の慶造🎵
映像がありますが、明治時代の規格で造られているので貨物の1000t牽引などで乗務員が煙による窒息による重大事故が起きていたので戦後登場したD D50の重連、DF50が旅客列車や貨物列車の先頭に付けて運用していたのが分かります。ユーチューブで廃道を訪ね歩く人の映像を見ると、山中信号場跡を見ていると厳しい乗務を感じます。戦後でもD50に長野式集煙装置を着け、重油伴焼装置を付けた物が現場では望まれていたのを感じます。
遭難ですね空転しない!アメリカン。
面白かったっす! 世代的にD50には馴染みが薄かったんですが、一気に親しみが湧きました。ただ「みちゆか」はイカンですね^^
車で考えても、軽のような小さいエンジンで回転を上げながら走るより、ある程度排気量のある車で低回転を使いながら走る方がガソリン喰わないしなぁ。
警察日記という森繁久弥主演映画があるんだけど、D50が磐梯山を背景に疾走するラストシーンは必見。模型で再現出来たら…と夢が広がります。
隠れた名機!
小河原さんが国鉄に残っていたらD51もC53も名機だったのだろうか...本当に惜しい人財だったんだなぁ。
遭難ですね
D50が動態にして欲しいですね。 手に入れた38豪雪のときの事が書かれた鉄道趣味誌に書かれた、記録を思いだします。
個人的には同意ですが、何せ保存機が少なくD50型のみで2両(25と140号機)、D60型も4両(1と27と46と61)という状況でD60 27号機は見るも無残な状態になっている様です。
D50 25号は梅小路機関区に動態保存を決める時、140号するかで残されたD50ですね。D50は登場時先輪が脱線しやすかった弱点を克服した後、D51とともに山岳線で活躍していましたね。38豪雪のときの手記を書いた機関士の人は出勤したら、豪雪でD50乗務で牽引する列車が運休になり代わりに除雪列車に変更。途中、運転司令所からの指示で除雪列車の運用を中止して、先行列車が機関車の空転で運転出来なくなった列車の運用に変更。牽引機はD51で先輩が運転していたとのこと。D51はD50よりも粘着力がないとので、自分が乗務しているD50なので大丈夫だと思い牽引したとの事でした。
四国はC 58かは86 だけのイメージですよね。(´・ω・`)
保存機D51ばかりで見飽きたところもないことはないですね、、、正直古典のB6 D50 C55あたり復活してくれないかなぁ。
なんだろう…デゴイチと比べてどっしりという感じがしてすこ
D50良いな。
D50好きなんだよなぁ…
北海道の25号機と京都の140号機とD60を含めても6両しか保存されていないのが残念ですね。D60 27号機は見るも無残な状態みたいですし。
D60は改良型
@@野良の三毛猫-k8b 後ろの従輪?が1つ多いんでしたかね?
D60も好きです、昭和末期に祝日のNHKのテレビ放映で視聴した映画(裸の太陽、だったかな?)で、主人公の機関助手が「峠越えの途中で砂撒き管が詰まってしまい、前部デッキに腹這いになってレールに砂を撒く」シーンを憶えていますが、その時の機関車がD60でした
大馬力エンジンで軽負荷の方が燃費に有利ってのは良く分かる。欧米に追い付き追い越せの時代ならエネルギー効率向上は至上命題だよな。寸法が決められていたって辺りが良く分からんが、上司の後ろ向きな設計に付き合わされたって事かな?先台車と従台車を2軸にして燃焼室を採用すれば高性能な貨客両用機になったと思うんだけどな・・
D50 これも隠れた名機だと思います
D50はそのうち扱ってみたい素材ではありますが、いかんせん模型が手に入りませんある意味ネタの宝庫ですからな
マイクロのd50…欲しいですなぁ…
1998年発売の天賞堂Ð60門デフが3両あります。天賞堂Ð60は最近でも再発売されましたが、1990年代末の天賞堂蒸機は最高の出来でした。
うちにはマイクロエースのD50が2両と、D60があります。
D52プリーズ
アメリカンな機関車実はD51は焼き直し!
黒煙もくもく
鉄道省→国鉄は土木・保線閥が強かったと聞きましたが、災害大国でもありまだまだ貧しかった日本の鉄道としてはしょうがなかったのかもしれませんな。
6:30まともじゃねぇー奴らばっか尚、右上に空席あり
安定の年表の赤さ
D50は動輪軸重バランスの優れた特性を持つ機関車です、D51型にくらべ空転しずらく土壇場では頼りにされていました、敦賀機関区を始め山岳急勾配牽引定数一杯でネットダイヤと言った機関車乗務員泣かせの線区ではD51型の受領拒否が続き、D51型が集煙装置、ボイラ上重油タンク増設、軸重増加黙認、ボイラ増圧など戦後の豊かな時代になってから交代が容認された
筑豊本線での9600(キューロク)
D60(デロクマル)と共に黙々と
石炭輸送に従事していた姿
は一生忘れないでしょう。
旅客担当の門デフ装備の
C55(シゴゴ)も格好良くて
武骨と華麗さの対照的な
コントラストを描いていました!
D50は京都と北海道にしか残っていない貴重な蒸気機関車です。京都は安心ですが、北海道は露天で保存されているので豪雪の時はビニールシートで守られているみたいです。
D60なら福岡と山口にあるんですけどねぇ。
芦屋のD60は北部九州の保存SLを整備して回っているボランティア団体により整備されていて、梅小路並みに綺麗な状態になっています。
その団体が整備したSLはリンゲルマン式煙色濃度計が標準装備なのがポイントと言うかコダワリ。
いつの間にTH-camに進出してたんだ。
ニコニコでよく見てたので嬉しいです。
D50の就役により幹線の1000トン牽引が確立し東海道、山陽の近代化が促進され箱根越えが容易になった、箱根が丹那トンネル経由となり信越、中央、北陸など96で喘いでいた幹線の列車単位はD50の転属により飛躍的に向上、待避線の有効長など鉄道の基礎が確立した
3軸動輪ならC53、4軸動輪ならこのD50が一番好きですね
スポーク動輪、デフ無し、円柱型ドームの機関車が美しいと思います
実際敦賀機関区ではD51の配備後にD51の酷い空転癖から
こんな欠陥機よりD50の新車、若しくは9600を寄越せ!
と散々な評価でした。
敦賀~今床間は、その時代の最新式の機関車の最優秀機が配備されていたのにそんなでしたか。
@@栄田正剛
そうです。実際初号機は2年弱で稲沢に放出されてます。
私の手に入れた鉄道趣味誌の写真を見ていると、戦後の輸送両が増加した 事によりD51三重連による1000tの貨物列車の運用が決められた時の物がありますが、今はトンレヌでが開通する前の慶造🎵
映像がありますが、明治時代の規格で造られているので貨物の1000t牽引などで乗務員が煙による窒息による重大事故が起きていたので戦後登場したD D50の重連、DF50が旅客列車や貨物列車の先頭に付けて運用していたのが分かります。
ユーチューブで廃道を訪ね歩く人の映像を見ると、山中信号場跡を見ていると厳しい乗務を感じます。
戦後でもD50に長野式集煙装置を着け、重油伴焼装置を付けた物が現場では望まれていたのを感じます。
遭難ですね
空転しない!
アメリカン。
面白かったっす! 世代的にD50には馴染みが薄かったんですが、一気に親しみが湧きました。
ただ「みちゆか」はイカンですね^^
車で考えても、軽のような小さいエンジンで回転を上げながら走るより、ある程度排気量のある車で低回転を使いながら走る方がガソリン喰わないしなぁ。
警察日記という森繁久弥主演映画があるんだけど、D50が磐梯山を背景に疾走するラストシーンは必見。模型で再現出来たら…と夢が広がります。
隠れた
名機!
小河原さんが国鉄に残っていたらD51もC53も名機だったのだろうか...本当に惜しい人財だったんだなぁ。
遭難ですね
D50が動態にして欲しいですね。
手に入れた38豪雪のときの事が書かれた鉄道趣味誌に書かれた、記録を思いだします。
個人的には同意ですが、何せ保存機が少なくD50型のみで2両(25と140号機)、D60型も4両(1と27と46と61)という状況でD60 27号機は見るも無残な状態になっている様です。
D50 25号は梅小路機関区に動態保存を決める時、140号するかで残されたD50ですね。
D50は登場時先輪が脱線しやすかった弱点を克服した後、D51とともに山岳線で活躍していましたね。
38豪雪のときの手記を書いた機関士の人は出勤したら、豪雪でD50乗務で牽引する列車が運休になり代わりに除雪列車に変更。
途中、運転司令所からの指示で除雪列車の運用を中止して、先行列車が機関車の空転で運転出来なくなった列車の運用に変更。
牽引機はD51で先輩が運転していたとのこと。D51はD50よりも粘着力がないとので、自分が乗務しているD50なので大丈夫だと思い牽引したとの事でした。
四国はC 58かは86 だけのイメージですよね。(´・ω・`)
保存機D51ばかりで見飽きたところも
ないことはないですね、、、
正直古典のB6 D50 C55あたり復活してくれないかなぁ。
なんだろう…
デゴイチと比べてどっしりという感じがしてすこ
D50良いな。
D50好きなんだよなぁ…
北海道の25号機と京都の140号機とD60を含めても6両しか保存されていないのが残念ですね。D60 27号機は見るも無残な状態みたいですし。
D60は
改良型
@@野良の三毛猫-k8b 後ろの従輪?が1つ多いんでしたかね?
D60も好きです、昭和末期に祝日のNHKのテレビ放映で視聴した映画(裸の太陽、だったかな?)で、主人公の機関助手が「峠越えの途中で砂撒き管が詰まってしまい、前部デッキに腹這いになってレールに砂を撒く」シーンを憶えていますが、その時の機関車がD60でした
大馬力エンジンで軽負荷の方が燃費に有利ってのは良く分かる。欧米に追い付き追い越せの時代ならエネルギー効率向上は至上命題だよな。
寸法が決められていたって辺りが良く分からんが、上司の後ろ向きな設計に付き合わされたって事かな?
先台車と従台車を2軸にして燃焼室を採用すれば高性能な貨客両用機になったと思うんだけどな・・
D50 これも隠れた名機だと思います
D50はそのうち扱ってみたい素材ではありますが、いかんせん模型が手に入りません
ある意味ネタの宝庫ですからな
マイクロのd50…欲しいですなぁ…
1998年発売の天賞堂Ð60門デフが3両あります。天賞堂Ð60は最近でも再発売されましたが、1990年代末の天賞堂蒸機は最高の出来でした。
うちにはマイクロエースのD50が2両と、D60があります。
D52プリーズ
アメリカンな
機関車
実はD51は
焼き直し!
黒煙もくもく
鉄道省→国鉄は土木・保線閥が強かったと聞きましたが、災害大国でもありまだまだ貧しかった日本の鉄道としてはしょうがなかったのかもしれませんな。
6:30
まともじゃねぇー奴らばっか
尚、右上に空席あり
安定の年表の赤さ