ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
いつもながらに、あなたの動画には癒されます。お声も優しく穏やかで、国営放送の「それ」を見ているようです。北海道の鉄道ファンなら誰もが感動する動画です。
ありがとうございます。昔の画質の悪いでかい機材で撮影したのですが、このキハ82が、特急らしい姿で走っているのは、この当時北海道くらいになってしまったのです。それで、何とかキハ82を記録しておきたいと思い、撮影しました。感動していただいて嬉しいです。
貴殿の動画には優しさを感じます。時の流れのもの悲しさもありとても和みました。ありがとうございました。
メッセージありがとうございます。青春時代に熱くなっていた列車の記録なのです。まだ、この当時に撮影したキハ183系もあるのですが、なかなかアップするところまでいかないのです。
The flow of time is fast even if it does not seem that way at the time.
先日模型の動画にお邪魔したものです。こちらも貴重かつ懐かしい動画です。1985年の1月というと、私も撮り鉄で北海道に居りました。当時これだけ貴重な動画を撮影されて素晴らしいです。ちょうど今KATO(16番)キハ82系「北海」編成をいじっていて、キロの乗務員窓の小窓改造など参考になりました。青函無線アンテナは良く見えませんでした。当時比羅夫にも閉塞があったのが意外で、ニセコから倶知安まで1閉塞区間だと思っていました。洞爺のシーンでは、キロではなくキシに増設された乗務員窓から車掌さんが顔を出しているのも確認できましたし、ホームでの見送り風景も懐かしく感じます。今見ているのは2023年ですが、すでに2014年当時の「北斗星」「トワイライト」ですら過去の映像となっていることに時の流れを感じます。素晴らしい動画ありがとうございました。
いいえ、どういたしまして。私はキハ82型が大好きで、何とか記録に残しておきたいと必死で撮影していました。今から思えば、廃止になるローカル線はほとんど撮影しておらず、それが悔やんでいます。
いいですね、キハ82!この頃の特急って、北海道の特急のみならず、「かもめ」や「まつかぜ」などは、現代の特急と比べて格段に車両の設備もスピードも貧弱だったのになぜか他を圧するような品格というか格式があって、まさに「特別急行」といった雰囲気をぷんぷんさせていましたね。なつかしく、貴重な動画をありがとうございました。
メッセージありがとうございます。まったく、その通りですね。やっぱり、国鉄と私鉄の違いなのかも知れません。カラーも特急ごだまに始まった、クリームと赤のキハ82の配色は、緑の夏にも真っ白な雪国にも日本の風土に、よく映える配色だったと思います。 そういう点から見ても、今の特急は、配色面から見ても特別急行らしい風格が少し失われている要因かも知れませんね。特急こだまにしても、長距離特急を電車で走らせる??????これを提案した人は、最初は頭がおかしいのか?って言われたほどなんですってね。長距離列車は、機関車牽引の客車に決まっているだろ!って上司から言われたらしいですよ。そんな、この当時は、電車は、とっても乗り心地が悪く、通勤型しか無かった時代、そんな時代に取り組んだ車両なので、すっごく気合が入っていたそうです。何しろ、東海道本線を1067ミリゲージの線路を160km/hで走らせる計画で作ったらしいのですから。 キハ82は、キハ81を慌てて作って、トラブル続きだったので、これまたリベンジと言う事で気合入れて作ったみたいなのです。ですから、それだけ特別な急行と言う雰囲気がしたのでしょうね。
貴重な動画、ありがとうございます。懐かしくて、懐かしくて・・・。
メッセージありがとうございます。年月の流れるのは速いものですね。この映像も、皆さん懐かしいって言ってくれます。
久しぶり見ます。82、イイフェイスしてますよね。宮崎には「おおよど」が確か当てられてました。
そうですね。この車両は九州から北海道まで活躍してましたね。「おおよど」は、まだビデオを持たないときに見たので、写真のみ持っています。
キハ82、懐かしいですね。子供の頃の憧れの列車でした。地上時代の札幌駅も懐かしい。おおとり、おおぞらの給水作業は札幌駅名物でした。キハ82・6両編成丸ごと、旧三笠駅跡のクロフォード公園に静態保存されていますが、久々に見に行きたくなりました。これまた素晴らしい動画、ありがとうございます。
メッセージありがとうございます。2014年の2月に北海道へ行きました。走る列車も駅も、線路も昔の面影は無く、様変わりしていました。給水作業が札幌名物だったのですか?とは知らず、撮影していました。・・・・・でも、撮影している時に限ってNG出すんだものね。ホースが外れて(笑)旧三笠駅跡に静態保存されているのですか?見てみたいですね。乗れるのかな?でも6輌丸ごとって言うのが、やっぱり広い大地北海道ですね。私の地元石川県にクハ489のボンネットが生態保存されているのですが、1両だけで、もう公園に一杯なんです(笑)
私は昭和生まれの一人で当時の地平線時代の駅も知っていますし、客車列車にも乗ってましたョ!客車列車には手稲や江別の親戚ヘ行くのに、祖父母のいる砂川ヘ行くのにも後、やはり旭川の親戚に住んでいて各駅停車だったのを覚えています!あとは特急の北海や特急北斗にも乗りましたね!✌️😭
北海道にあ住まいなのですね。羨ましい、本州の人、特に都会の人も含め、北海道には憧れますね。私は、北海道の冬の厳しさを体感したくて、時々、冬に北海道へ行きます。そう言えば、冬以外の北海道は知らないので、冬以外も行ってみたいですね。
懐かしい映像と共に、「語り」の方の口調とお声が冬の北海道を駆けるキハ80と実にマッチした素晴らしい「作品」に仕上がっています。バックの音楽がどこか淋しげで郷愁を感じます。北海道と言えば気動車。エンジン音がたまらないですよね。キハ80が駆け抜けた北の大地を、今は振り子の気動車が走り、時代の移ろいを目の当たりに…。しかし、キハ40や52の北海道のロ―カル気動車はまだ現役で、宗谷本線。根室本線等で頑張っているのが嬉しいです。昨年の冬、旭川から稚内まで、キハ40と52を乗り継いで宗谷本線各駅停車の旅をしてきました。いつ廃線となるか不透明な北海道の鉄道の路線と駅を、この目に焼き付けたい一心で、今年の冬は釧網線と花咲線の旅を楽しみたいと思っています。貴重な映像をありがとうございました
やはり、冬なんですね。釧網線、花咲線、いいですね。私も、行ってみたいです。青春18の時期だと乗り放題なんですけどね。
風雪に耐え抜いて走るキハ82は本当に風格がありました。入線時にカランカランと鳴るアイドリング音、駅放送の「特別急行」、全てが懐かしいです。小さい頃におおとりだけでなくおおぞらの旭川編成にも乗ることができたのは本当に良い思い出です。キハ82の後進キハ183も終焉を迎えつつあり、2014年の寝台特急も今はもう… このような動画で残してくださったことに心から感謝申し上げます。
メッセージありがとうございます。私も、北海道に住んでいたらもっと撮影出来たのですが、とにかくキハ82が、大好きで、本州でどんどん少なくなっていく中、食堂車を連結して走る北海道のキハ82は、子どもの頃の憧れの車両だったのです。なんとかこれだけ撮影出来たのですが、喜んでいただいた嬉しいです。
懐かしい画像よかったです。85年当時の画像と最後の2014年の画像との対比が素晴らしかったです。また、国鉄時代の鉄道ファンさんのほかの画像いろいろ見てみます。ありがとうございました。
ありがとうございます。
85年から30年後の2014年変わりましたね2014年から30年後の2045年はどうなってるのかな?北斗も消えてローカル線として数輌編成の車輌が走ってるのかな?
こんにちは。 昭和の懐かしの動画を数々ご提供いただき感謝申し上げます。 北海道のファンでも冬場の撮影は厳しく、平成の30歳過ぎまで運転免許も映写機もなかった小生には無理だったもので大変有り難く思います。カメラワークもブレや急なズーム操作もなく素晴らしいです。北斗星、トワイライトが消え、2022年度末に全北斗261系化で281系の終焉も予想される中、たいへん貴重な映像です。比羅夫駅は駅舎側ホームが上り函館方面だったので北海2号と3号の説明が逆ですね。小生がファンになったのは1967年3月、80系(81系26両を含む384両)最後の新製配備9両(最後のキシ80-37だけ窓が大きい)で地元「山線」に「北海(7両、旭川日帰り1往復)」が誕生した時の感激が始まりです。当時の函館運転所(現運輸所)の80系は、新製配備80両と’62年「平和(阪-広)」電化移籍6両(旭川行おおぞらの釧路延長用)の布陣でした。 翌’68年(S43-10改正)から勾配線向けキハ181系が登場、以後の北海道の増発・増結は183系誕生まで他区80系の捻出待ちに。 真っ先に「はつかり」583系化(’68.9)による81系キサシ80-1が「やまばと485系化」82系と共に函館移籍、増発北斗(札幌行)9両の中間電源車として活躍(両端が82形の唯一のケースも翌年キシ80-903に改造)した函館は最多時('70.10)に123両に達しました。 ’72年3月(新幹線岡山開業)から配置の札幌運転区(現・運転所、最多時57両)は当然全て中古移籍車。中でも’72.10いなほ電化による81系最後の転籍の結果、北海道は和歌山(くろしお)と同じ10両(函4,札6)が在籍、セコハン特急の代表ながら一部は82系を上回る長期活躍をみせました。北海2,3号は、’81.10に急行宗谷の札幌以南が昇格したもので、従来の1,4号筋も札幌止まりに(夏季の網走延長も廃止)。 宗谷時代は周遊券旅行者や特急敬遠客で混雑していましたが、この昇格で山線は終わりだと感じました。急行が客車ニセコ1本になり、北海道周遊券が特急自由席も開放、青函航路衰退で接続が海線北斗系の1列車だけで収容可能になると遅い山線は敬遠され、末期は自由席2両以外空気を運んでいました。’86.11で北海道の80系定期運用及び山線の定期優等列車は消滅し、比羅夫駅下りホームも廃止されました。ご指摘のとおり現在長万部の下りは両線共普通4本のみ、かつての廃止ローカル線(7往復程度)よりもひどい状態です。‘70年代函館駅の長編成3連続発車=4:45おおぞら13両、4:50北海10両、5:05ニセコ8両、11:40おおぞら10両、11:45おおとり7両、11:50宗谷8(夏10)両が今となっては夢のようです。長々と申し訳ありません。
すごいですね、詳しい説明ありがとうございます。北海道のファンと言いう事でさすがに、経過も熟知されてて、羨ましいです。私は、特急くろしおに、小学校5年の時家族で乗ったのですが、その時キハ82901か902が繋がっていました。その車両も、北海道へ行ったのでしょうね。70年代の函館駅の長距離列車でニセコ8両って、意外と少なかったのですね。この当時はC62が牽引していたのではないでしょうか。
ご返信ありがとうございます。 この時の青函深夜便接続のニセコ1,4号はキハ56系です。 同じ山線(自動信号の海線と違い5分間隔では走れない)の北海の補完の割には特急敬遠客で昔は賑わっていました。 上り4号(上り偶数化前は3号)は、’68.10から根室発で800km超え(気動車急行の国内最長)でしたが、’78.10に札幌まで狩勝に分割。 青函航路衰退でニセコ1,4号は’80.10に廃止、同時に11:40おおぞら5号と4号の札幌以南廃止で3連続発車は終わりました。 おおとりが11:40発になり北見回転車3両増結の10両、翌’81.10宗谷の北海3号化(183系10両)で9両が所定に(冬期減車8両では電源82形が3両必要なので8号車(ハ80)が欠)。 ニセコの停車駅カバーのため、北海が森・黒松内・ニセコに、おおぞら1,6号が八雲と長万部に新たに停車に(おおとりの長万部停車は’78年頃と記憶)。 1,6号は翌年の石勝線開通で北斗に分断(栄光の列車番号1Dがダイヤから消える)されますが、おおぞらの八雲停車は最後の直通1往復に継承されました。 貴殿がくろしおで乗った81系は、’70.9に和歌山に1両だけ配置されたキロ80-5改造のキハ82-902です。 ’72.3に「いなほ」の増結(7→9両)が計画されますが、秋田の先頭車が81形(全6両)のみであり、はつかり後の81系「つばさ・いなほ」は7両1往復限定運用で中間電源だったキサシ80-2,3はキシ80-901,902に改造済みだったため、 中間電源82形が求められ、向日町の82-901(ロ80-1改)と共に秋田へ移籍、同年10月の485系化で2両共札幌運転区配属となります。 同区の北斗・オホーツクはこの2両を先頭にハ車全てを81系にすることもできました。 この時10両の81系が秋田から和歌山に転じますが、当時「くろしお」の常用車は、基本7両(ロ2,シ1含)が8編成と増結用3両が5編成の大所帯であり、81形は2編成(上下片道1往復のみ)の先頭に連結で2両は予備車、残りのハ80-11,12とロ80-3,4の4両は見つけられたらラッキーという感じ、’76.10で81-3,5(2編成の片側だけになって78.10で引退)を残して廃車。 くろしおについては実質82系列車だったと思っています。 鹿児島のハ80-901(ロ80-2改)と向日町・函館の元キサシ3両も70年代で引退しますが、残りの12両(札6,函3,向3)が80年代も活躍を続け、札幌と向日町の車輌は’81.10の183系量産型誕生で初期(61-63年製)82系がほぼ淘汰される中を生き延びました(北海道の環境では新製配備車の方が腐食・劣化が早い)。 81系は、関係者・ファンから元祖DC特急(スタイル・アコモはその後のプロトタイプに)として、全国特急網を築いた80系の元祖として、加えて元祖DMH17H(急行型含む1800余両で国鉄DCの大勢力に発展)の3つのパイオニアとしての功績に加え、82系が概ね20年前後の活躍(名古屋区の特別延命施工車やジョイフル改造車を除く)だったのに対し、22~23年も車籍を維持したことも特筆に値するとして後年は称賛されていたのに、マスコミ等の影響により「くろしお」381系化で1978年までに引退したダメ車輌と誤解されている方が多いのが残念です。 最高齢だったキハ80-10(1983.6.3廃)は、’82.10札幌区のオホーツク全183系化(9両2編成2往復)による同区の80系撤退まで活躍しました。 ハ82-902も、’82.6.11のオホーツク脱線事故(駅員が枕木交換現場に特急の遅れを伝え忘れた)で同系ハ80-9と共に現場解体の運命でしたが立派に使命を果たしたと思います。 ハ82-1(小樽展示)と82-901は’81.10で引退しました。 北海道では81形以外の全80系形式の1号が活躍(新製配備はキシ80のみ)。 ちなみに、貴殿が公開しているオホーツク2号と5号は、’85.3で急行大雪から昇格したもので、ご承知のとおり、函館所属のおおとり基本編成を2日から3日運用にしたもので(このとき、札幌の183系2往復も7両に減車)、この3日分3編成(+予備)が在来線昼行最後の食堂車となりました(’86.11迄)。 函館の食堂クルーが運用に合わせて3日連続同じキシ80に10時間以上乗務して支えていました。 また長くなってしまいました。失礼します。
詳しい説明ありがとうございます。私が乗ったくろしおは、902だったのですね。また、ゆっくりと読み直して、情報を整理してみたいと思います。ありがとうございます。今は、この大好きなキハ80系82型を13mmゲージの模型を作って、楽しんでいます。
懐かしい!キハ82系列のディーゼル特急列車。高校時代、修学旅行で乗りましたよ!中々良かったですよねぇ!👋🤓
修学旅行でこの車両に乗れたと言う事は、それも良い青春の思い出ですね。私は、中学校時代は0系新幹線、高校時代は船でした。
貴重な映像資料を楽しんで拝見しました!私はおおとりの停車駅(ナレーションでチラッと出たところ)出身で、札幌に行く特はオホーツクかおおとりに乗っていたので懐かしいですね~。パンタグラフがない汽車が北の大地を雪にまみれて走る姿は、なぜか胸が熱くなり、郷愁を誘います。後世に引き継いでほしい映像遺産だと思います。
この頃のキハ82系のディーゼルエンジン音が好きでした。
初期のころのエンジンですね。キハ56なども同じですね。
主さんの80系82形の改軌16.5ミリから13ミリへの改軌につられて自分も改軌に挑戦させていただきました!無事に北斗10両編成の改軌に成功しエンドレスで楽しんでいます。
13mmの線路もそろっているのですね。やっぱり見た感じ良い感じでしょ?
昔は網走から函館行きなんて有ったんですね。私が中学生だった頃、毎朝通学途中で、小樽市内を走行するキハ82特急北海を見ていました。
メッセージありがとうございます今はほとんどが札幌を起点とする特急列車になっているみたいですが、昔は函館と網走、函館と釧路を結ぶ列車が走っていました。キハ82の特急北海は、当時は食堂車が連結されていて、いかにも特別急行って言う風格があったのではないでしょうか。
苗穂機関区にいつも待機していたが画板持って写生に行ったいつかきっとあこがれだった
メッセージありがとうございます苗穂機関区の近くの方なんですね。いつも、見る事が出来た車両が、もう見る事が出来ない。時の流れって早いものですね。今は、前が青くて、横が銀色の特急かな?
キハ80系は他の特急形式にはない特別急行の威風堂々とした風格がありますね。北斗星デビュー時に東室蘭駅に行きましたが、偶然キハ80系北斗の臨時列車を見ました。当時小学校4年でしたが、たとえ体がボロボロでも、普通車4両の短い編成の80系の姿を見て感動したのを覚えています。
普通車4両でも感動するのは、やはり魅力的なデザインなのでしょうね。キハ183と一緒に走っていた当時は、食堂車も連結されていて、国鉄の特急と言う感じでした。
長年、鉄道をいろんな角度から、広く浅く趣味としています。そのうえで、一番好きな車両が国鉄色のキハ82です。あの先頭車は、どの角度から見ても、本当に惚れ惚れします。ロケーションが、北の大地なのもピッタリです。今思えば、もっと触れておけばよかったと後悔しておりますが、この様な映像を見せて頂ける事で、薄れさせてもらっています。
そうですか。それは、私と同じですね。私も広く浅く趣味としています。でも、このキハ80系82型は、子どものころからの憧れの車両で、思い出が深く、またおっしゃる通り、どの角度から見ても、惚れ惚れするデザインですね。今は、客室から前面が見れる特急の車両もあって、それはそれでいいのですが、今度高山本線を走りだしたハイブリッドの電車は、貫通扉が観音開きで、私が思うには、みっともないデザインとしか思えないのです。また、前面も、あのデザインでは、台無しで、走行性能の技術は良いとしても、デザインが最低だと思います。 走行性能を言えば、架線のある線路は、架線の電気を使って走るようにできないのか!と素人なりに思いました。
@@HobbyVideos 個人的に、JR移行後の車両で、国鉄車両を越えたデザインにお目にかかっていません。何故ですかね?アナログからデジタルへ、時代の流れでしょうか!?反対に、国鉄色が復活したりはしていますが(ちぐはぐですが・・・。)数カ月前に、82や181が見たく、京都からリニア鉄道館に行って来ました。現役時代には、真下から見るアングルはなかったので、それはそれでまた何とも言えない気持ちになりました。私鉄では、地元な事もあり、京阪の旧3000系がピカイチ好きで、くずはモールへたまに見に行きますが、名古屋となると、なかなか行けないのが残念です。新型ひだ号は、車いえば日産方式ですね。先日、JRの高架下で休憩していたところ、たまたま新型が通って行きました。ディーゼル音が軽やかでしたが、外見は普通のキハですね(笑)峠越えが始まり、エンジン音が唸れば楽しいですが。
>JR移行後の車両で、国鉄車両を越えたデザインにお目にかかっていません個人的にと言われてますが、私もそう思います。でも、これは国鉄型を見て、知っているから比較ができてそう思うのかもしれないですね。国鉄型を知らない人は、今のデザインが標準のデザインだと頭の中に叩き込んでしまっているかも。>反対に、国鉄色が復活したりはしていますがこれも、不思議と言えば不思議ですね。まあ、一言で言ってしまえば、「JR色よりも、やっぱり国鉄色の方が、良い」と言う事になるのかもしれないですね。京阪の旧3000系と言うと、特急の車両ですね。もしかして富山で走っている車両かな?ただ、色は赤の部分が緑に塗り変えられています。京阪沿線が地元なんですね。私は昔の京阪の色が好きでした。 私は、中学高校時代は、近鉄沿線に居たのです。それで、好きな車両は2200型なのです。今、1/80の模型を作ろうと思っています。
@@HobbyVideos今の京都駅が、個人的に馴染めないけれど、平成生まれの人からしたらスタンダードなんと同じですね。富山の3000系が、オリジナルならとっくに乗りに行っているのですが、残念な事に、一番魅了する乗り心地が、台車が違う為味わえないんですよね。おっしゃる通り、京阪色は、あの旧色でこそ京阪なのです。近鉄の特急色も、オレンジと紺の旧色が、とてつもなく格好良かった。変えない事は、変える事より難しい。重い言葉です。幼い頃、初めてときめいた車両は、近鉄10100系の貫通車両側です。左右大きさが違う前面に、ぞくぞくしました。津の叔母の家に行く時は、近鉄特急に乗れるのが嬉しくて嬉しくて。乗車すると、独特のにおいがするんですよね 特急は。2200型は、参急の?グリーン色を見て、なんだこの格好良さは!と唸ったのが、大人になってからです。どうやら、基本箱型が好きな様です(583系も初めて見た時は、センセーショナルでしたが)長々とすみません。広い鉄道趣味の世界の中でも、よく似た?拘りの方とはなかなか巡り合わないもので、つい長居をしてしまいました。
素晴らしい映像ありがとうございます‼懐かしい札幌駅、比羅夫駅、思いではつきません‼80系、183系、は廃車ですね最後の映像は北斗星D D 51重連総括ですね❗DD 51もほとんど走ってないですね❗いつも見てると若さが戻っ来ます❗でもその後しばらくすると夢に昔の乗務の事が出て来ます、ブレーキハンドル、運行ダイヤを忘れた夢です😂昔の老いぼれ機関士、運転士‼
え~!ブレーキハンドル忘れて、どうやって運転するの?でも、夢で良かったですね。夢って本当にヤバイ夢を時々見ますね。・・・・・でそのブレーキハンドルを忘れた夢の続きはどうなったのでしょうか?
目が覚めました‼😂
良くある話で、目が覚めて、ほっと安心と言うとこですね。
ちなみに、その〝北斗星〟の補完列車『エルム』もまた、西日本地域の『なは』と同じキハ82型ディーゼル特急列車の出身だったことご存知でしょうか?昭和42年に『北海』とともに誕生した『北斗』の一族で両方とも函館から札幌を経由して旭川を結んだ列車(〝北斗〟は室蘭本線/千歳線を(札幌到着時は逆編成(〝おおぞら・おおとり〟も同様)、)〝北海〟は函館本線を走行)だった中で、『エルム』は函館本線の旭川ルートを省いて札幌と函館を千歳線・室蘭本線経由で結んだ多客期対応の臨時列車だったため、ファンには知られてなかったのかも知れませんでした。
キハ80系いいですね🎵現在の特急の基礎を造り上げた形式、素晴らしいと思いました。今の特急車両から見ると、貧相な車内ですが、外観は特別急行の風格があります。四国を除き全国で走りましたが、北海道のキハ80系は厳しい環境で体がボロボロになりながらも北海道の人の暮らしを支えてくれました。感謝に値するキハ80系と感じました。
そういえば、四国は特急が走っていなかった時代があったのですね。キハ58に特急みたいなひげの塗装がされていた記憶があります。貧祖な車内、でも、急行や普通は、直角の椅子でしたから、この当時としては、特急らしい車内だったのでしょうね。
いつも、酒を飲みながら拝見しているのですが、素晴らしいです。やっぱり列車は写真、音源も良いですが、画像で動いている姿があってこそ音やら雰囲気が生きてきますね。撮影する場合は景色および背景はとても大事と感じました。自分も参考にして大事に撮影していこうと思いました。YouTudeでも意外とキハ82系の動いている姿は貴重なので、これからのUPを楽しみにしてます。
メッセージありがとうございます。私は、ビデオを買う前は、写真をやっていました。今でも写真も写しますが、昔は、どうしても音が記録したくて、カセットデンスケを持って、写真と音を撮ったりしていました。山陰本線の音なんかもその1つなのです。音は、まだまだ、大糸線や飯田線の吊り掛けの音、北陸本線の旧客の音があるのですが、今一、山陰の旧客の音が、人気がないようなので、今は、アップを控えています。やっぱ、この時代、音だけって言うのは駄目なんでしょうね。
特急おおぞらの映像はなかなか見当たらないですね。大学の時に、札幌-釧路間で乗っていました。
私が、北海道に行った時は、おおぞらは、183系になっていたので、あまり撮影しなかったのです。でも、全然撮影していないわけではなく、苫小牧と函館間では、キハ80系を撮影すると同時におおぞらも撮影していました。ただ、函館発のおおぞらは、本数が少なかったかもしれませんね。
線路も、車両も、山の形さえも変わってしまった有珠。試練の多い北海道ですが、架線も灯りもない原野を走る彼らの映像に、振子車の走る現在でも「旅」の途中であることを感じさせてくれます。先人の切り開いた線路を何とか残してほしいです。映像投稿ありがとうございました。
メッセージありがとうございます有珠の駅の近くに高架道路が出来ていましたね。私もこの当時の思い出を頼りにトワイライトエクスプレスを撮影しに行ったのですが、ちょっと戸惑ってしまいました。
昔、長和駅から駅近くの志村化工の工場まで専用線が伸びていました。この時代にはまだあったんじゃないかな?それにしてもキハ82はおろか、24系寝台特急も記憶の彼方に走り去ってしまいました。寂しいものですね。
長和駅からそんな専用線が伸びていたのですが?長和駅付近は、大きなSカーブで撮影するのに、色々と走り回ったのですが、気が付きませんでした。駅より、苫小牧方向へ延びていたのなら、解らなかったですね。そちら方向へは行かなかったので。
北の大地走るキハ82は、燻し銀ですね。昔、小学生の頃祖母と函館迄乗りました。ラストは、くろしおでした。模型では、細かく作りこんで走らせてます。
やはり、模型はこだわりがあるのですね。私も、こだわる所はこだわるのですが、そうでない所は手抜きしたりしています。
キハ82当方山陰地方在住。「やくも」「まつかぜ」「おき」が走ってました。「やくも」は電車となりましたが、「まつかぜ」と「おき」は187系となり、現役です。キハ80系、懐かしいです。
ご視聴ありがとうございます。私は、幼稚園から小学校1年まで鳥取に住んでいました。当時は、特急まつかぜが1日に1往復。普通列車は、DF50牽引の客車。急行は、キハ58系が新車で走り始めた頃でキハ55系が主流でした。そんな中で、キハ80系の1日に1往復の食堂車連結のまつかぜは、輝いて見えました。
たいへん懐かしい映像、ありがとうございます。
いいえ、どういたしまして。懐かしく想いながら見ていただきありがとうございます。
「くろしお」など、銘機が多く、機動車ファンには憧れの土地ですね。釧路湿原など夜行をご利用された方には、大切な旅情かと思われます。
そうですね、本州の電車を含めて、特急から食堂車が無くなりつつある時代に、北海道では、まだ当たり前のように食堂車を連結した80系の特急が走っていましたからね。
この肌色がいいんですよね!今の列車は、ステンレスだから冷たい感じがして、味気ないんですよ!昔の列車は、いいなぁ!
国鉄色って良く考えられていると思います。この色も、雪の中、緑の中、とっても良く映えるのですね。
16番キハ80系で「北斗」再現してフル編成で走らせています。
いいですね。フル編成と言うと豪華ですね。「おおとり」は、さすがに長時間になるから出来ないですよね。昔、友達のKATOのキハ827両編成で、大阪発稚内行と言う架空の列車をやったっとがあります。スターフ造りから大変でした。
「おおとり」は道内最長区間を走った特急の一つ。札幌車掌区受け持ちだった。《1986年の乗務行路》1日目:3027Dで札幌→網走2日目:3028Dで網走→函館3日目:3027Dで函館→札幌(昔は15D、16Dの時代も有った)冬、大雪で網走到着が遅れ、2時間弱の仮眠で乗務につき、途中からは乗務員室の窓を全開にして睡魔と闘い、函館まで乗務した話を聞いたことが有ります。車掌にしても乗務が誇らしかった名列車、特別急行列車「おおとり」でした!
メッセージありがとうございます。と言う事は、札幌で乗務が交代なのですね。私は、最初は函館から旭川まで乗ったのですが、その時感じたのは、運転の仕方が、札幌から変わった事です。多分運転手が違う人になったのだろうなって思いました。車掌さんも交代だったのですね。運転手も2時間弱の仮眠で運転席の窓全開で運転してたのかな?
かつて北海道は80系特急が主役だったようですね。北海道の気動車特急と言えば183系の印象が強いですが、やはり食堂車を付けていた80系の時代が羨ましい。食堂車でコーヒカップを傾けながら北の大地の車窓を楽しんでみたかった。青函トンネルが開通してからは本州からの寝台特急が続々やって来て、キハ80系が居なくなった北海道が再び賑わうのですがそれもまた過去のものに。
そうですね。80系が無くなって、北斗星などが走るようになり、それが今は無くなってしまいましたね。新幹線と引き換えに。
このディーゼルエンジン音が堪りませんね。この、おおとりの編成が10両ですか。今のJR北海道の編成ではあり得ないですね。今の宗谷もオホーツクも4両。なんか寂しいですね。それより、貴方様の動画は、ホントに優しくていいです。語りの声も聴き取りやすく、優しい。音楽もいいです。旅情を掻き立てられます。
そう言っていただくと、うれしいです。おおとりは、増結の2輌が3輌になって10輌、普段と言うか通常は9輌、増結が1輌で8輌で運転していた時もあります。まあ、特急は、国鉄時代は12輌が当たり前のような感じだったですね。それから見ると、今は特急らしくないと言ってしまえばそれまでです。 余談ですが、昔、近鉄の特急は、2輌で走っている事が多かったです。ただ、大阪線の名阪特急は、6輌位つないでいましたが、それはやはり私鉄なんでしょうね。でも名阪特急でもノンストップ特急と言う列車がありまして、2輌で大阪の鶴橋駅を発車したら、名古屋まで止まらない特急がありました。とにかく、大阪から名古屋に行く人しか乗せない。名古屋から鶴橋と上本町に行く人しか乗せないという特急なのです。このノンストップなんですが、全く止まらなかったそうです。運転士の運転時間の関係で、途中で運転士が交代しなければいけないのですが、走りながら交代していたそうで、それがダメと言う事で、ノンストップ特急は、無くなってしまったそうです。運転停車もせず、意地でも止まらなかったらしいですね。(笑)
@@HobbyVideos 近鉄特急の2輌編成は、今でもあります。阿倍野橋=吉野間を走る南大阪線の特急は、殆どが2輌ですね。桜の季節に走るさくらライナーは増結されますが…。私は大阪生まれの大阪育ちですので、近鉄には馴染があります。鉄道に興味を持ったきっかけは近鉄です。しかし、大人になってからは北海道の鉄道です。国鉄からJRへと変わりましたが、厳寒の北の大地を駆けめぐる気動車を見るだけで涙💧今は無き羽幌線の冬は過酷でしたね。深名線もそうでした。懐かしいです。
吉野線は、ほとんど2輌ですか。私は、子どもの頃は西大寺に住んでいました。その時、特急は2輌、通期鋳型は通常4輌で朝は6輌でした。今は、利用者も増え、長編成の特急や通勤型も走っていますね。大阪線の特急は、ノンストップ以外は6輌位で走っていなかったかな?そのころ、私は特急も好き出来たが、急行の2200型が大好きなんです。いまでも、その模型を作っています。
キハ82 北の大地を走る №2の映像ですね、上手に撮影されておりますよ、国鉄時代の鉄道ファンさん、気に入りました、お見事です。
メッセージありがとうございます。この当時は、まだビデオを買ってうまく写せなかった時代で、今から思えば、めんどくさくっても3脚を使って撮るべきだったと思っています。そんな映像なんですが、気に入ってくれてありがとうございます。
北海道の冬はディーゼルですね😊
そうですか!でも、だんだんと、新しいハイブリッド車に変わりつつあるみたいですね。と言うか、ほとんど変わってしまったのかな?
現在の「特急」より性能悪かったのでしょうが、何より重厚で貫禄があり、停車駅を選りすぐっていました。まさに「特別急行」。自分にとって80系は上野~富山まで乗車した「はくたか」、そして函館から札幌まで乗った「北海」です(黒松内あたりはもう廃線ですか?寂しい)。また、真夏に雪の動画を見るのは涼しくて癒されます。ありがとうございました。
そうですね。パワー不足だったらしく、でもとりあえず、これまでの実績のあるエンジンでギヤー比を変えて、特急用に車両にしたらしいです。この後、本州では、キハ181,北海道はキハ183が作られ、ハイパワーエンジンの車両に代わりました。でも、どういうわけかキハ181は、故障が多かったらしいです。ですから、山陰本線で大阪と博多を結ぶ長距離特急は80系で走っていて、大阪と米子を結ぶ特急がキハ181だったのだと、聞きました。そんなことを聞くと、80系の素晴らしさが伝わってきます。
嗚呼キハ80,DMH17Mのカラカラカラ…と言いながら入線してくる姿がいかにもっていう感じがあったんですね…
そうですね。いかにもっていう感じです。
僕が子供の頃、80系82型車は北海道の唯一の特急車両(当時は北海道にはまだ電車や客車の特急は無かった)として君臨していたのですが、あまり詳しくは無いのですが元は東北や北陸などの電化に伴い余剰になった気動車がその起源だったと思います。他の方もコメントされていますが、昭和40年代後半か50年代前半頃から、北海道の80系82型車は車輪の剥離現象(他の方は「トハク」と言われていますが、そちらの方が正しいのかもしれません。走行中に車輪表面が欠ける現象を意味する点では同じだと思います)やその他の故障に悩まされることになり、当時の北海道のマスコミはこぞって80系82型を内地(本州)のお下がり車両であること(急行や普通の電車・気動車車両は北海道独自の車両でした)から「セコハン特急」と揶揄しました。道内向けに設計された183系車両が出てくるのはそれから5年くらい後のことですが、80系82型にとって、北海道は大変厳しい所だったに違いありません。その後、同じ「セコハン特急」として渡道してきた485系電車もトラブルに泣かされることになります。JR西日本のような「セコハン」が通用しない北海道の事情は現在のJR北海道の窮状に繋がっています。
当時は、気動車の特急は、キハ81とキハ82型しかなかったのです。ですから、北海道も新車でキハ82が、導入されたのだと思います。その後、北海道では走ることが無かったキハ181系が本州で走り始め、その後北海道専用のキハ183系が作られたのだと思います。485系は、鉄道雑誌で読んだのですが、781系の交流専用の特急電車を開発するのに時間がかかるため、781系が完成するまでは、485系を耐雪対策を強化して、北海道で使い、最終的には大阪と青森間の「白鳥」に使用する予定で485系1500番台を作ると、いうような記事を見た事があります。ですから、どちらも、「セコハン」ではなく、新車で導入されたのだと思います。
コメント有難うございます。Wikiとかも見てみましたが、確かに、北海道の80系82型はそのほとんどが新造車だったようですね。80系82型の車輪の剥離現象のニュースは当時小学生だった僕が「セコハン」という言葉の意味を知ることになったニュースでしたが、だったら北海道のマスコミ(主にNHK)はなぜ80系82型を「セコハン特急」などと呼んだんでしょうね?
特急 おおとり さっぽろ駅を出発する場面で こせんきょう が見えるので 小樽周りですね
メッセージありがとうございますいえいえ、札幌折り返しの室蘭線経由の千歳、苫小牧周りです。おおとりの撮影は、札幌駅のホームの旭川よりで撮影してました。
初めましてオープニングの夜の特急走行シーン…何故か気に入りましたBGMもいいですね… こういう特急走行シーンメインのpvとか…是非とも…
PVってプロモーションビデオの事かな?音楽のビデオは、著作権のからみが、難しくて、自分で楽しむのは、一杯作っていますが、なかなかインターネットには、アップ出来ないのです。水森かおりさんの歌は著作権は、さほど問題にならないみたいなのですが、中島みゆきさんは、もうアップするなり、ブロックされました。と出たりします。また、少しづつでも、著作権の問題にならない曲を見つけて少しづつでもアップしたいと思います。
初めまして。北海道に移住して20年になるものです。特に鉄道にも興味がなかったのですが、たまに仕事の都合でローカル線に乗る事があります。黒松内付近とかこのような撮影は一度下車して撮影ポイントまでどのように移動されるのでしょうか?函館本線は2回だけ乗った事がありますが非常に本数が少ないので一度下車すると次に乗るのは大変だったと思います。とても全体に渡り丁寧に字幕とナレーションが入っっておりとても素敵な作品でした。
メッセージありがとうございます。このような、撮影は、ほとんどマイカーでの移動になります。列車本数が少ない事もありますが、この当時のビデオは、デッキとカメラが別々になっていて、そのバッテリーも常温でやく20分しか持たないのです。そのバッテリーの充電や、機材などを考えると、マイカーでないと、撮影は無理でした。今は、スマホでもハイビジョン撮影が出来る時代でこんな昔の苦労から考えると、今はバカみたいな時代ですね。
現役のキハ82は結局一度も乗れなかったのが残念です先頭車のやさしい顔つきはキハ183より好きでした
北海道のかたですか?本州では、キハ181と言う車種が、キハ82とよく似た顔で走っていました。北海道は、特別な寒さ対策のため、キハ183が設計されたのでしょうね。でも、今までの鉄道車両の形の移り変わりを見ていると、とかくデザインにこだわっているように、思います。このキハ82も、デザインにこだわった車両だったのでしょう。しかし、このデザインが良いデザインなら、同じデザインで、新性能のキハ183を作ればいいのにと思うのです。国鉄の設計者は、キハ82のデザインは、ダメ。だから新しいデザインでキハ183を作ったのでしょうか?日本人は、とかくデザイン重視の人種と言う事です。新型車両には、新しいデザインにしなければ気が済まないのかもしれませんね。
最初に北海道へ行ったのは1975.03.151Mはつかり5号-連絡船1便-1Dおおぞら1号を乗り継いで行きました。 噴火湾沿いで夜明けを迎え朝日がとても眩しかった思い出が。。。あぁ懐かしい
メッセージありがとうございます。1975年と言うと、まだキハ82しか走っていなかった時代だったのではないでしょうか?はつかり、おおぞら、どれももう乗ることはできない列車ですね。3月の北海道はどんな感じだったのでしょうか?私は冬しか行ったことがないのですが、北海道の夜明けは少し早いですよね。当時のおおぞらは、札幌から今のルートはなかったのではないでしょうか。
当時、北海道周遊券が学割+冬季割引で¥8,320 有効期間14日であったと記憶しています。食費と宿泊費を節約しながらの旅でした。食事はもっぱらえきの立ち食いそば、かけ¥120。 宿泊は札幌から放射状に出ていた夜行列車を利用しての移動の繰り返しで、宿(YH)に泊まったのは3泊だけ。今やれと言われてもとても無理ですね。3月の北海道はまだ雪解け前ですごく寒かったなぁ~。 当時のおおぞら1号は、網走行きのおおとりと同様のルートで滝川まで。滝川からは根室本線に入り、帯広経由で釧路まで足を伸ばしていました。函館からの所要時間は約10時間の長丁場です。
denair95316 さんメッセージありがとうございます。なるほど、私は、学生時代は、北海道には全く興味がなく、東北ばかり旅をしていました。なんでも、奥羽本線の電化で181系ディーゼル特急つばさがなくなると言うので、東北ばかり追っかけていました。もちろん、学生時代にビデオなんてなく、もっぱら写真と生録をしていました。でも、やってた事は、全く同じで、笑っちゃいました。東北ワイド周遊券で、食事はもっぱら駅の立ち食いそば。たまには仙台の中華料理店で中華丼などを食べて、後は、急行八甲田、津軽などの急行に寝泊り。津軽に乗ろうと思って朝まで待合室で寝てしまった事もありました。青春じだいって、本当にむちゃくちゃな事をしていたみたいですね。でも、今やれと言われたら、もう一度やってみたいと思います。今度は、北海道で。でも、もう寝泊りする夜行の急行や普通列車はないみたいですね。やる気があっても、できないのが現状かもしれません。もう一つ、今のカメラは、バッテリーの充電をしないといけないのが課題ですね。昔のカメラは、露出計の電池だけで、後はシャッターを切るのも電気は全く使わなかったから、こんな旅が出来たのかもしれません。おおぞらは、やっぱり滝川から根室本線に入って帯広、釧路へと行っていたのですね。そんな時代、もう今は想像もできません。ただ、石勝線がやはりなんとなく、新しい線路って言うのが感じられますね。ああぞらも、おおとりと並ぶ長距離列車だったのですね。
いいですねっいいですねっ(^o^)
私は、この80系が大好きなのです。模型も作りました。
こんにちは。親は石川県小松市出身なので、北陸線を懐かしく拝見させて頂いています。全然前置きと異なるのですが、映像の時代でも北海道は事故や脱線が多かったのですか?それともJRになってから事故等が多くなったのですか?
メッセージありがとうございます。こんにちは。小松市だと、私の住んでいる所から近いですね。小松の駅も高架の駅になり、ずいぶん変わりました。駅の横にあった小松製作所の工場もすっかり無くなってしまって、博物館のような物ができたりしています。映像の時代は、そんなに事故や脱線は無かったと思います。ただ、おおとりの撮影で、踏切で自動車との衝突事故があって、運休になった事がありました。でも、それは、国鉄がミスしたわけではないので、ここ最近の脱線事故などとは、違うと思います。
「北海」、「おおとり」に乗務していた旭川機関区の現役運転士さんと話をしたことがありました。80系にはトハク現象という致命的な問題がありました。車輪表面がボロボロになる現象で北海道の80系に頻発しました。原因不明のままでしたが、道東の線路状況の悪さが原因ではないかと現場では見ていたようです。根室本線大楽毛で「おおぞら」がトハク現象で脱線し一部は横転した事故を起こしています。配電盤のブレーカーが作動することが多くて、運転士は割り箸をブレーカーに挟んで作動することを防ぎながら、騙し騙し運転したそうです。あってはならないことですが、これをしないと実際運転は出来なかったそうです。国鉄型なので基本的には頑丈ですが、70年代後半には満身創痍な状況でエンジンカットも頻発し、中間地点の札幌駅には修理パーツを用意した修理担当者が常駐していました。80系はエンジン周辺から小規模な出火が多くて、それに対応できてはじめて一人前の運転士と呼ばれたそうです。
川田洋一 さんメッセージありがとうございます。車輪表面がボロボロになる現象は、鉄道ジャーナルの雑誌でも読んだことがあります。トハク現象って言うのですか?子どもの頃、近鉄の西大寺の車庫に見学に行った時、近鉄の人がこんな事を言ってました。「特急の車両のブレーキは、モーターの付いていない車両が、ディスクブレーキになっているのです。でも、車輪の踏面を適度にこすって焼いていないと、良くないために、小さな踏面をこするブレーキが付いています。」って言ってその小さなブレーキを教えてくれました。なんか、この事が頭の中に思い浮かぶのです。キハ80系のブレーキは、車輪がディスクのようになっていて、踏面を摩擦するのではなく、車輪の側面を摩擦してブレーキをかけていたので、踏面は、こすられることがなく、ゴミや鉄粉などが車輪に付いてそれが走っているうちにだんだん拡大し、冬の雪や寒さとも関連してボロボロになるのではないかと思ったりします。配電盤のブレーカーや、その他色々と問題があったようですが、新しい頃は、そうでもなかったのでしょうね。やはり、古くなってきてこのようなトラブルが発生していたのでは、ないでしょうか? 実は、比羅夫駅通過でエンジンが1機停止している状態で通過していく特急北海を撮影した映像があります。それと、折り返し地点で、冬は逆転機がギア鳴りをしてなかなか入らない現象もあったと思います。色々と、貴重なお話ありがとうございます。
@@HobbyVideos 様、横から失礼いたします。「トハク現象」ですが、冬季は車輪踏面に雪が付着するのを防ぐために踏面式ブレーキシューを常時軽く押し当てる「耐雪ブレーキ」という操作をしていた、と専門誌に出ていました。ディスクブレーキであるキハ82系や電車のトレーラーはどうだったかわかりませんが、181系「とき」はこの耐雪ブレーキの多用でタイヤフラットが酷く運休となったと聞いていますから、北海道のキハ82系にも同様なトラブルがあったのかもしれませんね。
こんばんは北海道の広い大地を駆け抜ける82系カッコイイですね?昼間特急の食堂車が廃止されていった年だと思いますが北海道の82系特急は全営業運用されてますね?昔まつかぜ4号米子 大阪利用で食堂車入りましたよ
まつかぜ4号は、キハ181系だったのかな?キハ80系だったのかな?「食堂車に入りましたよ」と言う言葉からは、営業されていなかった食堂車に入っただけだったのかな?それとも、営業中で何か食べたのかな?
82系ですね1982年頃ですから181には置き換わってません営業中の食堂車です。大山おこわ定食なるものを食べました。
映像は素晴らしいんですが、BGMが暗過ぎるんだよねえ。
そうですか!BGMって難しいですね。その人のセンスがみんな違っていて。BGMなしで、現場音だけで良いと言う人も居るし。最近は、走行シーンはあまりBGMやナレーションを入れないようにしています。この動画は、初期の頃に作ったものです。
横から水を差すようでごめんなさい、音楽は情緒が伝わり私は大好きです
洞爺でお見送りの兄さん寒そう
たしかに。とにかく、北海道は夜になるとぐっと冷えて寒かったです。
加速は悪い100km/h出るのかやっとカラカラ音だがそれが良い❤
加速は悪いですか?今の気動車は、知りませんが、この当時としては、加速が良かったらしいです。私は、実際に乗っていて、留辺蘂発車の時にいきなりエンジン全開だったみたいで、え~~~~~!こんなに加速良いの?って感じた事がありました。
カラカラカラカラ……
エンジン音?
いつもながらに、あなたの動画には癒されます。
お声も優しく穏やかで、国営放送の「それ」を見ているようです。
北海道の鉄道ファンなら誰もが感動する動画です。
ありがとうございます。
昔の画質の悪いでかい機材で撮影したのですが、このキハ82が、特急らしい姿で走っているのは、この当時北海道くらいになってしまったのです。それで、何とかキハ82を記録しておきたいと思い、撮影しました。
感動していただいて嬉しいです。
貴殿の動画には優しさを感じます。
時の流れのもの悲しさもありとても和みました。
ありがとうございました。
メッセージありがとうございます。
青春時代に熱くなっていた列車の記録なのです。
まだ、この当時に撮影したキハ183系もあるのですが、なかなかアップするところまでいかないのです。
The flow of time is fast
even if it does not seem that way
at the time.
先日模型の動画にお邪魔したものです。こちらも貴重かつ懐かしい動画です。1985年の1月というと、私も撮り鉄で北海道に居りました。当時これだけ貴重な動画を撮影されて素晴らしいです。ちょうど今KATO(16番)キハ82系「北海」編成をいじっていて、キロの乗務員窓の小窓改造など参考になりました。青函無線アンテナは良く見えませんでした。当時比羅夫にも閉塞があったのが意外で、ニセコから倶知安まで1閉塞区間だと思っていました。洞爺のシーンでは、キロではなくキシに増設された乗務員窓から車掌さんが顔を出しているのも確認できましたし、ホームでの見送り風景も懐かしく感じます。今見ているのは2023年ですが、すでに2014年当時の「北斗星」「トワイライト」ですら過去の映像となっていることに時の流れを感じます。素晴らしい動画ありがとうございました。
いいえ、どういたしまして。私はキハ82型が大好きで、何とか記録に残しておきたいと必死で撮影していました。
今から思えば、廃止になるローカル線はほとんど撮影しておらず、それが悔やんでいます。
いいですね、キハ82!
この頃の特急って、北海道の特急のみならず、「かもめ」や「まつかぜ」などは、現代の特急と比べて格段に車両の設備もスピードも貧弱だったのになぜか他を圧するような品格というか格式があって、まさに「特別急行」といった雰囲気をぷんぷんさせていましたね。なつかしく、貴重な動画をありがとうございました。
メッセージありがとうございます。
まったく、その通りですね。
やっぱり、国鉄と私鉄の違いなのかも知れません。
カラーも特急ごだまに始まった、クリームと赤のキハ82の配色は、緑の夏にも真っ白な雪国にも日本の風土に、よく映える配色だったと思います。
そういう点から見ても、今の特急は、配色面から見ても特別急行らしい風格が少し失われている要因かも知れませんね。
特急こだまにしても、長距離特急を電車で走らせる??????
これを提案した人は、最初は頭がおかしいのか?
って言われたほどなんですってね。
長距離列車は、機関車牽引の客車に決まっているだろ!
って上司から言われたらしいですよ。
そんな、この当時は、電車は、とっても乗り心地が悪く、通勤型しか無かった時代、そんな時代に取り組んだ車両なので、すっごく気合が入っていたそうです。
何しろ、東海道本線を1067ミリゲージの線路を160km/hで走らせる計画で作ったらしいのですから。
キハ82は、キハ81を慌てて作って、トラブル続きだったので、これまたリベンジと言う事で気合入れて作ったみたいなのです。
ですから、それだけ特別な急行と言う雰囲気がしたのでしょうね。
貴重な動画、ありがとうございます。懐かしくて、懐かしくて・・・。
メッセージありがとうございます。
年月の流れるのは速いものですね。この映像も、皆さん懐かしいって言ってくれます。
久しぶり見ます。82、イイフェイスしてますよね。宮崎には「おおよど」が確か当てられてました。
そうですね。この車両は九州から北海道まで活躍してましたね。
「おおよど」は、まだビデオを持たないときに見たので、写真のみ持っています。
キハ82、懐かしいですね。子供の頃の憧れの列車でした。
地上時代の札幌駅も懐かしい。おおとり、おおぞらの給水作業は札幌駅名物でした。
キハ82・6両編成丸ごと、旧三笠駅跡のクロフォード公園に静態保存されていますが、久々に見に行きたくなりました。
これまた素晴らしい動画、ありがとうございます。
メッセージありがとうございます。
2014年の2月に北海道へ行きました。
走る列車も駅も、線路も昔の面影は無く、様変わりしていました。
給水作業が札幌名物だったのですか?
とは知らず、撮影していました。
・・・・・でも、撮影している時に限ってNG出すんだものね。ホースが外れて(笑)
旧三笠駅跡に静態保存されているのですか?
見てみたいですね。
乗れるのかな?でも6輌丸ごとって言うのが、やっぱり広い大地北海道ですね。
私の地元石川県にクハ489のボンネットが生態保存されているのですが、1両だけで、もう公園に一杯なんです(笑)
私は昭和生まれの一人で当時の地平線時代の駅も知っていますし、客車列車にも乗ってましたョ!客車列車には手稲や江別の親戚ヘ行くのに、祖父母のいる砂川ヘ行くのにも後、やはり旭川の親戚に住んでいて各駅停車だったのを覚えています!あとは特急の北海や特急北斗にも乗りましたね!✌️😭
北海道にあ住まいなのですね。
羨ましい、本州の人、特に都会の人も含め、北海道には憧れますね。
私は、北海道の冬の厳しさを体感したくて、時々、冬に北海道へ行きます。
そう言えば、冬以外の北海道は知らないので、冬以外も行ってみたいですね。
懐かしい映像と共に、「語り」の方の口調とお声が冬の北海道を駆けるキハ80と実にマッチした素晴らしい「作品」に仕上がっています。バックの音楽がどこか淋しげで郷愁を感じます。北海道と言えば気動車。エンジン音がたまらないですよね。キハ80が駆け抜けた北の大地を、今は振り子の気動車が走り、時代の移ろいを目の当たりに…。しかし、キハ40や52の北海道のロ―カル気動車はまだ現役で、宗谷本線。根室本線等で頑張っているのが嬉しいです。昨年の冬、旭川から稚内まで、キハ40と52を乗り継いで宗谷本線各駅停車の旅をしてきました。いつ廃線となるか不透明な北海道の鉄道の路線と駅を、この目に焼き付けたい一心で、今年の冬は釧網線と花咲線の旅を楽しみたいと思っています。貴重な映像をありがとうございました
やはり、冬なんですね。釧網線、花咲線、いいですね。
私も、行ってみたいです。青春18の時期だと乗り放題なんですけどね。
風雪に耐え抜いて走るキハ82は本当に風格がありました。入線時にカランカランと鳴るアイドリング音、駅放送の「特別急行」、全てが懐かしいです。小さい頃におおとりだけでなくおおぞらの旭川編成にも乗ることができたのは本当に良い思い出です。
キハ82の後進キハ183も終焉を迎えつつあり、2014年の寝台特急も今はもう… このような動画で残してくださったことに心から感謝申し上げます。
メッセージありがとうございます。
私も、北海道に住んでいたらもっと撮影出来たのですが、とにかくキハ82が、大好きで、本州でどんどん少なくなっていく中、食堂車を連結して走る北海道のキハ82は、子どもの頃の憧れの車両だったのです。なんとかこれだけ撮影出来たのですが、喜んでいただいた嬉しいです。
懐かしい画像よかったです。85年当時の画像と最後の2014年の画像との対比が素晴らしかったです。また、国鉄時代の鉄道ファンさんのほかの画像いろいろ見てみます。ありがとうございました。
ありがとうございます。
85年から30年後の2014年
変わりましたね
2014年から30年後の2045年はどうなってるのかな?
北斗も消えてローカル線として数輌編成の車輌が走ってるのかな?
こんにちは。 昭和の懐かしの動画を数々ご提供いただき感謝申し上げます。 北海道のファンでも冬場の撮影は厳しく、平成の30歳過ぎまで運転免許も映写機もなかった小生には無理だったもので大変有り難く思います。カメラワークもブレや急なズーム操作もなく素晴らしいです。北斗星、トワイライトが消え、2022年度末に全北斗261系化で281系の終焉も予想される中、たいへん貴重な映像です。比羅夫駅は駅舎側ホームが上り函館方面だったので北海2号と3号の説明が逆ですね。小生がファンになったのは1967年3月、80系(81系26両を含む384両)最後の新製配備9両(最後のキシ80-37だけ窓が大きい)で地元「山線」に「北海(7両、旭川日帰り1往復)」が誕生した時の感激が始まりです。当時の函館運転所(現運輸所)の80系は、新製配備80両と’62年「平和(阪-広)」電化移籍6両(旭川行おおぞらの釧路延長用)の布陣でした。 翌’68年(S43-10改正)から勾配線向けキハ181系が登場、以後の北海道の増発・増結は183系誕生まで他区80系の捻出待ちに。 真っ先に「はつかり」583系化(’68.9)による81系キサシ80-1が「やまばと485系化」82系と共に函館移籍、増発北斗(札幌行)9両の中間電源車として活躍(両端が82形の唯一のケースも翌年キシ80-903に改造)した函館は最多時('70.10)に123両に達しました。 ’72年3月(新幹線岡山開業)から配置の札幌運転区(現・運転所、最多時57両)は当然全て中古移籍車。中でも’72.10いなほ電化による81系最後の転籍の結果、北海道は和歌山(くろしお)と同じ10両(函4,札6)が在籍、セコハン特急の代表ながら一部は82系を上回る長期活躍をみせました。北海2,3号は、’81.10に急行宗谷の札幌以南が昇格したもので、従来の1,4号筋も札幌止まりに(夏季の網走延長も廃止)。 宗谷時代は周遊券旅行者や特急敬遠客で混雑していましたが、この昇格で山線は終わりだと感じました。
急行が客車ニセコ1本になり、北海道周遊券が特急自由席も開放、青函航路衰退で接続が海線北斗系の1列車だけで収容可能になると遅い山線は敬遠され、末期は自由席2両以外空気を運んでいました。’86.11で北海道の80系定期運用及び山線の定期優等列車は消滅し、比羅夫駅下りホームも廃止されました。ご指摘のとおり現在長万部の下りは両線共普通4本のみ、かつての廃止ローカル線(7往復程度)よりもひどい状態です。
‘70年代函館駅の長編成3連続発車=4:45おおぞら13両、4:50北海10両、5:05ニセコ8両、11:40おおぞら10両、11:45おおとり7両、11:50宗谷8(夏10)両が今となっては夢のようです。長々と申し訳ありません。
すごいですね、詳しい説明ありがとうございます。
北海道のファンと言いう事でさすがに、経過も熟知されてて、羨ましいです。
私は、特急くろしおに、小学校5年の時家族で乗ったのですが、その時キハ82901か902が繋がっていました。
その車両も、北海道へ行ったのでしょうね。
70年代の函館駅の長距離列車でニセコ8両って、意外と少なかったのですね。この当時はC62が牽引していたのではないでしょうか。
ご返信ありがとうございます。 この時の青函深夜便接続のニセコ1,4号はキハ56系です。 同じ山線(自動信号の海線と違い5分間隔では走れない)の北海の補完の割には特急敬遠客で昔は賑わっていました。 上り4号(上り偶数化前は3号)は、’68.10から根室発で800km超え(気動車急行の国内最長)でしたが、’78.10に札幌まで狩勝に分割。 青函航路衰退でニセコ1,4号は’80.10に廃止、同時に11:40おおぞら5号と4号の札幌以南廃止で3連続発車は終わりました。 おおとりが11:40発になり北見回転車3両増結の10両、翌’81.10宗谷の北海3号化(183系10両)で9両が所定に(冬期減車8両では電源82形が3両必要なので8号車(ハ80)が欠)。
ニセコの停車駅カバーのため、北海が森・黒松内・ニセコに、おおぞら1,6号が八雲と長万部に新たに停車に(おおとりの長万部停車は’78年頃と記憶)。 1,6号は翌年の石勝線開通で北斗に分断(栄光の列車番号1Dがダイヤから消える)されますが、おおぞらの八雲停車は最後の直通1往復に継承されました。
貴殿がくろしおで乗った81系は、’70.9に和歌山に1両だけ配置されたキロ80-5改造のキハ82-902です。 ’72.3に「いなほ」の増結(7→9両)が計画されますが、秋田の先頭車が81形(全6両)のみであり、はつかり後の81系「つばさ・いなほ」は7両1往復限定運用で中間電源だったキサシ80-2,3はキシ80-901,902に改造済みだったため、 中間電源82形が求められ、向日町の82-901(ロ80-1改)と共に秋田へ移籍、同年10月の485系化で2両共札幌運転区配属となります。 同区の北斗・オホーツクはこの2両を先頭にハ車全てを81系にすることもできました。
この時10両の81系が秋田から和歌山に転じますが、当時「くろしお」の常用車は、基本7両(ロ2,シ1含)が8編成と増結用3両が5編成の大所帯であり、81形は2編成(上下片道1往復のみ)の先頭に連結で2両は予備車、残りのハ80-11,12とロ80-3,4の4両は見つけられたらラッキーという感じ、’76.10で81-3,5(2編成の片側だけになって78.10で引退)を残して廃車。 くろしおについては実質82系列車だったと思っています。
鹿児島のハ80-901(ロ80-2改)と向日町・函館の元キサシ3両も70年代で引退しますが、残りの12両(札6,函3,向3)が80年代も活躍を続け、札幌と向日町の車輌は’81.10の183系量産型誕生で初期(61-63年製)82系がほぼ淘汰される中を生き延びました(北海道の環境では新製配備車の方が腐食・劣化が早い)。
81系は、関係者・ファンから元祖DC特急(スタイル・アコモはその後のプロトタイプに)として、全国特急網を築いた80系の元祖として、加えて元祖DMH17H(急行型含む1800余両で国鉄DCの大勢力に発展)の3つのパイオニアとしての功績に加え、82系が概ね20年前後の活躍(名古屋区の特別延命施工車やジョイフル改造車を除く)だったのに対し、22~23年も車籍を維持したことも特筆に値するとして後年は称賛されていたのに、マスコミ等の影響により「くろしお」381系化で1978年までに引退したダメ車輌と誤解されている方が多いのが残念です。
最高齢だったキハ80-10(1983.6.3廃)は、’82.10札幌区のオホーツク全183系化(9両2編成2往復)による同区の80系撤退まで活躍しました。 ハ82-902も、’82.6.11のオホーツク脱線事故(駅員が枕木交換現場に特急の遅れを伝え忘れた)で同系ハ80-9と共に現場解体の運命でしたが立派に使命を果たしたと思います。 ハ82-1(小樽展示)と82-901は’81.10で引退しました。 北海道では81形以外の全80系形式の1号が活躍(新製配備はキシ80のみ)。
ちなみに、貴殿が公開しているオホーツク2号と5号は、’85.3で急行大雪から昇格したもので、ご承知のとおり、函館所属のおおとり基本編成を2日から3日運用にしたもので(このとき、札幌の183系2往復も7両に減車)、この3日分3編成(+予備)が在来線昼行最後の食堂車となりました(’86.11迄)。 函館の食堂クルーが運用に合わせて3日連続同じキシ80に10時間以上乗務して支えていました。 また長くなってしまいました。失礼します。
詳しい説明ありがとうございます。
私が乗ったくろしおは、902だったのですね。
また、ゆっくりと読み直して、情報を整理してみたいと思います。ありがとうございます。
今は、この大好きなキハ80系82型を13mmゲージの模型を作って、楽しんでいます。
懐かしい!キハ82系列のディーゼル特急列車。高校時代、修学旅行で乗りましたよ!
中々良かったですよねぇ!👋🤓
修学旅行でこの車両に乗れたと言う事は、それも良い青春の思い出ですね。
私は、中学校時代は0系新幹線、高校時代は船でした。
貴重な映像資料を楽しんで拝見しました!私はおおとりの停車駅(ナレーションでチラッと出たところ)出身で、札幌に行く特はオホーツクかおおとりに乗っていたので懐かしいですね~。パンタグラフがない汽車が北の大地を雪にまみれて走る姿は、なぜか胸が熱くなり、郷愁を誘います。後世に引き継いでほしい映像遺産だと思います。
この頃のキハ82系のディーゼルエンジン音が好きでした。
初期のころのエンジンですね。キハ56なども同じですね。
主さんの80系82形の改軌16.5ミリから13ミリへの改軌につられて自分も改軌に挑戦させていただきました!無事に北斗10両編成の改軌に成功しエンドレスで楽しんでいます。
13mmの線路もそろっているのですね。
やっぱり見た感じ良い感じでしょ?
昔は網走から函館行きなんて有ったんですね。
私が中学生だった頃、毎朝通学途中で、小樽市内を走行するキハ82特急北海を見ていました。
メッセージありがとうございます
今はほとんどが札幌を起点とする特急列車になっているみたいですが、昔は函館と網走、函館と釧路を結ぶ列車が走っていました。
キハ82の特急北海は、当時は食堂車が連結されていて、いかにも特別急行って言う風格があったのではないでしょうか。
苗穂機関区にいつも待機していたが画板持って写生に行ったいつかきっとあこがれだった
メッセージありがとうございます
苗穂機関区の近くの方なんですね。
いつも、見る事が出来た車両が、もう見る事が出来ない。時の流れって早いものですね。
今は、前が青くて、横が銀色の特急かな?
キハ80系は他の特急形式にはない特別急行の威風堂々とした風格がありますね。北斗星デビュー時に東室蘭駅に行きましたが、偶然キハ80系北斗の臨時列車を見ました。当時小学校4年でしたが、たとえ体がボロボロでも、普通車4両の短い編成の80系の姿を見て感動したのを覚えています。
普通車4両でも感動するのは、やはり魅力的なデザインなのでしょうね。
キハ183と一緒に走っていた当時は、食堂車も連結されていて、国鉄の特急と言う感じでした。
長年、鉄道をいろんな角度から、広く浅く趣味としています。
そのうえで、一番好きな車両が国鉄色のキハ82です。
あの先頭車は、どの角度から見ても、本当に惚れ惚れします。
ロケーションが、北の大地なのもピッタリです。
今思えば、もっと触れておけばよかったと後悔しておりますが、
この様な映像を見せて頂ける事で、薄れさせてもらっています。
そうですか。それは、私と同じですね。私も広く浅く趣味としています。
でも、このキハ80系82型は、子どものころからの憧れの車両で、思い出が深く、またおっしゃる通り、どの角度から見ても、惚れ惚れするデザインですね。
今は、客室から前面が見れる特急の車両もあって、それはそれでいいのですが、今度高山本線を走りだしたハイブリッドの電車は、貫通扉が観音開きで、私が思うには、みっともないデザインとしか思えないのです。
また、前面も、あのデザインでは、台無しで、走行性能の技術は良いとしても、デザインが最低だと思います。
走行性能を言えば、架線のある線路は、架線の電気を使って走るようにできないのか!
と素人なりに思いました。
@@HobbyVideos
個人的に、JR移行後の車両で、国鉄車両を越えたデザインにお目にかかっていません。
何故ですかね?アナログからデジタルへ、時代の流れでしょうか!?
反対に、国鉄色が復活したりはしていますが(ちぐはぐですが・・・。)
数カ月前に、82や181が見たく、京都からリニア鉄道館に行って来ました。
現役時代には、真下から見るアングルはなかったので、それはそれでまた何とも言えない気持ちになりました。
私鉄では、地元な事もあり、京阪の旧3000系がピカイチ好きで、くずはモールへたまに見に行きますが、
名古屋となると、なかなか行けないのが残念です。
新型ひだ号は、車いえば日産方式ですね。
先日、JRの高架下で休憩していたところ、たまたま新型が通って行きました。
ディーゼル音が軽やかでしたが、外見は普通のキハですね(笑)
峠越えが始まり、エンジン音が唸れば楽しいですが。
>JR移行後の車両で、国鉄車両を越えたデザインにお目にかかっていません
個人的にと言われてますが、私もそう思います。
でも、これは国鉄型を見て、知っているから比較ができてそう思うのかもしれないですね。
国鉄型を知らない人は、今のデザインが標準のデザインだと頭の中に叩き込んでしまっているかも。
>反対に、国鉄色が復活したりはしていますが
これも、不思議と言えば不思議ですね。
まあ、一言で言ってしまえば、
「JR色よりも、やっぱり国鉄色の方が、良い」
と言う事になるのかもしれないですね。
京阪の旧3000系と言うと、特急の車両ですね。もしかして富山で走っている車両かな?
ただ、色は赤の部分が緑に塗り変えられています。
京阪沿線が地元なんですね。私は昔の京阪の色が好きでした。
私は、中学高校時代は、近鉄沿線に居たのです。それで、好きな車両は2200型なのです。
今、1/80の模型を作ろうと思っています。
@@HobbyVideos
今の京都駅が、個人的に馴染めないけれど、平成生まれの人からしたらスタンダードなんと同じですね。
富山の3000系が、オリジナルならとっくに乗りに行っているのですが、
残念な事に、一番魅了する乗り心地が、台車が違う為味わえないんですよね。
おっしゃる通り、京阪色は、あの旧色でこそ京阪なのです。
近鉄の特急色も、オレンジと紺の旧色が、とてつもなく格好良かった。
変えない事は、変える事より難しい。重い言葉です。
幼い頃、初めてときめいた車両は、近鉄10100系の貫通車両側です。
左右大きさが違う前面に、ぞくぞくしました。
津の叔母の家に行く時は、近鉄特急に乗れるのが嬉しくて嬉しくて。
乗車すると、独特のにおいがするんですよね 特急は。
2200型は、参急の?グリーン色を見て、なんだこの格好良さは!と唸ったのが、大人になってからです。
どうやら、基本箱型が好きな様です(583系も初めて見た時は、センセーショナルでしたが)
長々とすみません。広い鉄道趣味の世界の中でも、よく似た?拘りの方とはなかなか巡り合わないもので、
つい長居をしてしまいました。
素晴らしい映像ありがとうございます‼懐かしい札幌駅、比羅夫駅、思いではつきません‼80系、183系、は廃車ですね最後の映像は北斗星D D 51重連総括ですね❗DD 51もほとんど走ってないですね❗いつも見てると若さが戻っ来ます❗でもその後しばらくすると夢に昔の乗務の事が出て来ます、ブレーキハンドル、運行ダイヤを忘れた夢です😂昔の老いぼれ機関士、運転士‼
え~!
ブレーキハンドル忘れて、どうやって運転するの?
でも、夢で良かったですね。
夢って本当にヤバイ夢を時々見ますね。
・・・・・でそのブレーキハンドルを忘れた夢の続きはどうなったのでしょうか?
目が覚めました‼😂
良くある話で、目が覚めて、ほっと安心と言うとこですね。
ちなみに、その〝北斗星〟の補完列車『エルム』もまた、西日本地域の『なは』と同じキハ82型ディーゼル特急列車の出身だったことご存知でしょうか?
昭和42年に『北海』とともに誕生した『北斗』の一族で両方とも函館から札幌を経由して旭川を結んだ列車(〝北斗〟は室蘭本線/千歳線を(札幌到着時は逆編成(〝おおぞら・おおとり〟も同様)、)〝北海〟は函館本線を走行)だった中で、『エルム』は函館本線の旭川ルートを省いて札幌と函館を千歳線・室蘭本線経由で結んだ多客期対応の臨時列車だったため、ファンには知られてなかったのかも知れませんでした。
キハ80系いいですね🎵現在の特急の基礎を造り上げた形式、素晴らしいと思いました。今の特急車両から見ると、貧相な車内ですが、外観は特別急行の風格があります。四国を除き全国で走りましたが、北海道のキハ80系は厳しい環境で体がボロボロになりながらも北海道の人の暮らしを支えてくれました。感謝に値するキハ80系と感じました。
そういえば、四国は特急が走っていなかった時代があったのですね。
キハ58に特急みたいなひげの塗装がされていた記憶があります。
貧祖な車内、でも、急行や普通は、直角の椅子でしたから、この当時としては、特急らしい車内だったのでしょうね。
いつも、酒を飲みながら拝見しているのですが、素晴らしいです。
やっぱり列車は写真、音源も良いですが、画像で動いている姿があってこそ音やら雰囲気が生きてきますね。撮影する場合は景色および背景はとても大事と感じました。
自分も参考にして大事に撮影していこうと思いました。
YouTudeでも意外とキハ82系の動いている姿は貴重なので、これからのUPを楽しみにしてます。
メッセージありがとうございます。
私は、ビデオを買う前は、写真をやっていました。今でも写真も写しますが、昔は、どうしても音が記録したくて、カセットデンスケを持って、写真と音を撮ったりしていました。
山陰本線の音なんかもその1つなのです。
音は、まだまだ、大糸線や飯田線の吊り掛けの音、北陸本線の旧客の音があるのですが、今一、山陰の旧客の音が、人気がないようなので、今は、アップを控えています。
やっぱ、この時代、音だけって言うのは駄目なんでしょうね。
特急おおぞらの映像はなかなか見当たらないですね。大学の時に、札幌-釧路間で乗っていました。
私が、北海道に行った時は、おおぞらは、183系になっていたので、あまり撮影しなかったのです。
でも、全然撮影していないわけではなく、苫小牧と函館間では、キハ80系を撮影すると同時におおぞらも撮影していました。
ただ、函館発のおおぞらは、本数が少なかったかもしれませんね。
線路も、車両も、山の形さえも変わってしまった有珠。試練の多い北海道ですが、架線も灯りもない原野を走る彼らの映像に、振子車の走る現在でも「旅」の途中であることを感じさせてくれます。先人の切り開いた線路を何とか残してほしいです。映像投稿ありがとうございました。
メッセージありがとうございます
有珠の駅の近くに高架道路が出来ていましたね。
私もこの当時の思い出を頼りにトワイライトエクスプレスを撮影しに行ったのですが、ちょっと戸惑ってしまいました。
昔、長和駅から駅近くの志村化工の工場まで専用線が伸びていました。この時代にはまだあったんじゃないかな?それにしてもキハ82はおろか、24系寝台特急も記憶の彼方に走り去ってしまいました。寂しいものですね。
長和駅からそんな専用線が伸びていたのですが?
長和駅付近は、大きなSカーブで撮影するのに、色々と走り回ったのですが、気が付きませんでした。
駅より、苫小牧方向へ延びていたのなら、解らなかったですね。そちら方向へは行かなかったので。
北の大地走るキハ82は、燻し銀ですね。昔、小学生の頃祖母と函館迄乗りました。ラストは、くろしおでした。模型では、細かく作りこんで走らせてます。
やはり、模型はこだわりがあるのですね。私も、こだわる所はこだわるのですが、そうでない所は手抜きしたりしています。
キハ82
当方山陰地方在住。
「やくも」「まつかぜ」「おき」が走ってました。
「やくも」は電車となりましたが、「まつかぜ」と「おき」は187系となり、現役です。
キハ80系、懐かしいです。
ご視聴ありがとうございます。
私は、幼稚園から小学校1年まで鳥取に住んでいました。
当時は、特急まつかぜが1日に1往復。
普通列車は、DF50牽引の客車。急行は、キハ58系が新車で走り始めた頃でキハ55系が主流でした。
そんな中で、キハ80系の1日に1往復の食堂車連結のまつかぜは、輝いて見えました。
たいへん懐かしい映像、ありがとうございます。
いいえ、どういたしまして。
懐かしく想いながら見ていただきありがとうございます。
「くろしお」など、銘機が多く、機動車ファンには憧れの土地ですね。釧路湿原など夜行をご利用された方には、大切な旅情かと思われます。
そうですね、本州の電車を含めて、特急から食堂車が無くなりつつある時代に、北海道では、まだ当たり前のように食堂車を連結した80系の特急が走っていましたからね。
この肌色がいいんですよね!今の列車は、ステンレスだから冷たい感じがして、味気ないんですよ!昔の列車は、いいなぁ!
国鉄色って良く考えられていると思います。
この色も、雪の中、緑の中、とっても良く映えるのですね。
16番キハ80系で「北斗」再現してフル編成で走らせています。
いいですね。フル編成と言うと豪華ですね。
「おおとり」は、さすがに長時間になるから出来ないですよね。
昔、友達のKATOのキハ827両編成で、大阪発稚内行と言う架空の列車をやったっとがあります。
スターフ造りから大変でした。
「おおとり」は道内最長区間を走った特急の一つ。札幌車掌区受け持ちだった。
《1986年の乗務行路》
1日目:3027Dで札幌→網走
2日目:3028Dで網走→函館
3日目:3027Dで函館→札幌
(昔は15D、16Dの時代も有った)
冬、大雪で網走到着が遅れ、2時間弱の仮眠で乗務につき、途中からは乗務員室の窓を全開にして睡魔と闘い、函館まで乗務した話を聞いたことが有ります。
車掌にしても乗務が誇らしかった名列車、特別急行列車「おおとり」でした!
メッセージありがとうございます。
と言う事は、札幌で乗務が交代なのですね。
私は、最初は函館から旭川まで乗ったのですが、その時感じたのは、運転の仕方が、札幌から変わった事です。
多分運転手が違う人になったのだろうなって思いました。
車掌さんも交代だったのですね。
運転手も2時間弱の仮眠で運転席の窓全開で運転してたのかな?
かつて北海道は80系特急が主役だったようですね。
北海道の気動車特急と言えば183系の印象が強いですが、やはり食堂車を付けていた80系の時代が羨ましい。
食堂車でコーヒカップを傾けながら北の大地の車窓を楽しんでみたかった。
青函トンネルが開通してからは本州からの寝台特急が続々やって来て、キハ80系が居なくなった北海道が再び賑わうのですがそれもまた過去のものに。
そうですね。
80系が無くなって、北斗星などが走るようになり、それが今は無くなってしまいましたね。
新幹線と引き換えに。
このディーゼルエンジン音が堪りませんね。
この、おおとりの編成が10両ですか。
今のJR北海道の編成ではあり得ないですね。
今の宗谷もオホーツクも4両。
なんか寂しいですね。
それより、貴方様の動画は、ホントに優しくていいです。
語りの声も聴き取りやすく、優しい。
音楽もいいです。
旅情を掻き立てられます。
そう言っていただくと、うれしいです。
おおとりは、増結の2輌が3輌になって10輌、普段と言うか通常は9輌、増結が1輌で8輌で運転していた時もあります。
まあ、特急は、国鉄時代は12輌が当たり前のような感じだったですね。
それから見ると、今は特急らしくないと言ってしまえばそれまでです。
余談ですが、昔、近鉄の特急は、2輌で走っている事が多かったです。
ただ、大阪線の名阪特急は、6輌位つないでいましたが、それはやはり私鉄なんでしょうね。
でも名阪特急でもノンストップ特急と言う列車がありまして、
2輌で大阪の鶴橋駅を発車したら、名古屋まで止まらない特急がありました。
とにかく、大阪から名古屋に行く人しか乗せない。
名古屋から鶴橋と上本町に行く人しか乗せないという特急なのです。
このノンストップなんですが、全く止まらなかったそうです。
運転士の運転時間の関係で、途中で運転士が交代しなければいけないのですが、
走りながら交代していたそうで、それがダメと言う事で、ノンストップ特急は、無くなってしまったそうです。
運転停車もせず、意地でも止まらなかったらしいですね。(笑)
@@HobbyVideos 近鉄特急の2輌編成は、今でもあります。
阿倍野橋=吉野間を走る南大阪線の特急は、殆どが2輌ですね。
桜の季節に走るさくらライナーは増結されますが…。
私は大阪生まれの大阪育ちですので、近鉄には馴染があります。
鉄道に興味を持ったきっかけは近鉄です。
しかし、大人になってからは北海道の鉄道です。国鉄からJRへと変わりましたが、厳寒の北の大地を駆けめぐる気動車を見るだけで涙💧
今は無き羽幌線の冬は過酷でしたね。
深名線もそうでした。
懐かしいです。
吉野線は、ほとんど2輌ですか。私は、子どもの頃は西大寺に住んでいました。
その時、特急は2輌、通期鋳型は通常4輌で朝は6輌でした。
今は、利用者も増え、長編成の特急や通勤型も走っていますね。
大阪線の特急は、ノンストップ以外は6輌位で走っていなかったかな?
そのころ、私は特急も好き出来たが、急行の2200型が大好きなんです。
いまでも、その模型を作っています。
キハ82 北の大地を走る №2の映像ですね、上手に撮影されておりますよ、国鉄時代の鉄道ファンさん、気に入りました、お見事です。
メッセージありがとうございます。
この当時は、まだビデオを買ってうまく写せなかった時代で、今から思えば、めんどくさくっても3脚を使って撮るべきだったと思っています。そんな映像なんですが、気に入ってくれてありがとうございます。
北海道の冬はディーゼルですね😊
そうですか!でも、だんだんと、新しいハイブリッド車に変わりつつあるみたいですね。
と言うか、ほとんど変わってしまったのかな?
現在の「特急」より性能悪かったのでしょうが、何より重厚で貫禄があり、停車駅を選りすぐっていました。まさに「特別急行」。自分にとって80系は上野~富山まで乗車した「はくたか」、そして函館から札幌まで乗った「北海」です(黒松内あたりはもう廃線ですか?寂しい)。また、真夏に雪の動画を見るのは涼しくて癒されます。ありがとうございました。
そうですね。パワー不足だったらしく、でもとりあえず、これまでの実績のあるエンジンでギヤー比を変えて、特急用に車両にしたらしいです。
この後、本州では、キハ181,北海道はキハ183が作られ、ハイパワーエンジンの車両に代わりました。
でも、どういうわけかキハ181は、故障が多かったらしいです。ですから、山陰本線で大阪と博多を結ぶ長距離特急は80系で走っていて、大阪と米子を結ぶ特急がキハ181だったのだと、聞きました。
そんなことを聞くと、80系の素晴らしさが伝わってきます。
嗚呼キハ80,DMH17Mのカラカラカラ…と言いながら入線してくる姿がいかにもっていう感じがあったんですね…
そうですね。いかにもっていう感じです。
僕が子供の頃、80系82型車は北海道の唯一の特急車両(当時は北海道にはまだ電車や客車の特急は無かった)として君臨していたのですが、あまり詳しくは無いのですが元は東北や北陸などの電化に伴い余剰になった気動車がその起源だったと思います。他の方もコメントされていますが、昭和40年代後半か50年代前半頃から、北海道の80系82型車は車輪の剥離現象(他の方は「トハク」と言われていますが、そちらの方が正しいのかもしれません。走行中に車輪表面が欠ける現象を意味する点では同じだと思います)やその他の故障に悩まされることになり、当時の北海道のマスコミはこぞって80系82型を内地(本州)のお下がり車両であること(急行や普通の電車・気動車車両は北海道独自の車両でした)から「セコハン特急」と揶揄しました。道内向けに設計された183系車両が出てくるのはそれから5年くらい後のことですが、80系82型にとって、北海道は大変厳しい所だったに違いありません。その後、同じ「セコハン特急」として渡道してきた485系電車もトラブルに泣かされることになります。JR西日本のような「セコハン」が通用しない北海道の事情は現在のJR北海道の窮状に繋がっています。
当時は、気動車の特急は、キハ81とキハ82型しかなかったのです。
ですから、北海道も新車でキハ82が、導入されたのだと思います。
その後、北海道では走ることが無かったキハ181系が本州で走り始め、その後北海道専用のキハ183系が作られたのだと思います。
485系は、鉄道雑誌で読んだのですが、781系の交流専用の特急電車を開発するのに時間がかかるため、781系が完成するまでは、485系を耐雪対策を強化して、北海道で使い、最終的には大阪と青森間の「白鳥」に使用する予定で485系1500番台を作ると、いうような記事を見た事があります。
ですから、どちらも、「セコハン」ではなく、新車で導入されたのだと思います。
コメント有難うございます。Wikiとかも見てみましたが、確かに、北海道の80系82型はそのほとんどが新造車だったようですね。80系82型の車輪の剥離現象のニュースは当時小学生だった僕が「セコハン」という言葉の意味を知ることになったニュースでしたが、だったら北海道のマスコミ(主にNHK)はなぜ80系82型を「セコハン特急」などと呼んだんでしょうね?
特急 おおとり さっぽろ駅を出発する場面で こせんきょう が見える
ので 小樽周りですね
メッセージありがとうございます
いえいえ、札幌折り返しの室蘭線経由の千歳、苫小牧周りです。
おおとりの撮影は、札幌駅のホームの旭川よりで撮影してました。
初めまして
オープニングの夜の特急走行シーン…何故か気に入りました
BGMもいいですね…
こういう特急走行シーンメインのpvとか…
是非とも…
PVってプロモーションビデオの事かな?
音楽のビデオは、著作権のからみが、難しくて、自分で楽しむのは、一杯作っていますが、なかなかインターネットには、アップ出来ないのです。
水森かおりさんの歌は著作権は、さほど問題にならないみたいなのですが、中島みゆきさんは、もうアップするなり、ブロックされました。と出たりします。
また、少しづつでも、著作権の問題にならない曲を見つけて少しづつでもアップしたいと思います。
初めまして。北海道に移住して20年になるものです。特に鉄道にも興味がなかったのですが、たまに仕事の都合でローカル線に乗る事があります。黒松内付近とかこのような撮影は一度下車して撮影ポイントまでどのように移動されるのでしょうか?
函館本線は2回だけ乗った事がありますが非常に本数が少ないので一度下車すると次に乗るのは大変だったと思います。とても全体に渡り
丁寧に字幕とナレーションが入っっておりとても素敵な作品でした。
メッセージありがとうございます。
このような、撮影は、ほとんどマイカーでの移動になります。
列車本数が少ない事もありますが、この当時のビデオは、デッキとカメラが別々になっていて、そのバッテリーも常温でやく20分しか持たないのです。そのバッテリーの充電や、機材などを考えると、マイカーでないと、撮影は無理でした。
今は、スマホでもハイビジョン撮影が出来る時代でこんな昔の苦労から考えると、今はバカみたいな時代ですね。
現役のキハ82は結局一度も乗れなかったのが残念です
先頭車のやさしい顔つきはキハ183より好きでした
北海道のかたですか?
本州では、キハ181と言う車種が、キハ82とよく似た顔で走っていました。
北海道は、特別な寒さ対策のため、キハ183が設計されたのでしょうね。
でも、今までの鉄道車両の形の移り変わりを見ていると、とかくデザインにこだわっているように、思います。
このキハ82も、デザインにこだわった車両だったのでしょう。
しかし、このデザインが良いデザインなら、同じデザインで、新性能のキハ183を作ればいいのにと思うのです。
国鉄の設計者は、キハ82のデザインは、ダメ。だから新しいデザインでキハ183を作ったのでしょうか?
日本人は、とかくデザイン重視の人種と言う事です。
新型車両には、新しいデザインにしなければ気が済まないのかもしれませんね。
最初に北海道へ行ったのは1975.03.15
1Mはつかり5号-連絡船1便-1Dおおぞら1号を
乗り継いで行きました。 噴火湾沿いで夜明けを迎え
朝日がとても眩しかった思い出が。。。
あぁ懐かしい
メッセージありがとうございます。
1975年と言うと、まだキハ82しか走っていなかった時代だったのではないでしょうか?
はつかり、おおぞら、どれももう乗ることはできない列車ですね。
3月の北海道はどんな感じだったのでしょうか?
私は冬しか行ったことがないのですが、北海道の夜明けは少し早いですよね。
当時のおおぞらは、札幌から今のルートはなかったのではないでしょうか。
当時、北海道周遊券が学割+冬季割引で¥8,320 有効期間14日で
あったと記憶しています。食費と宿泊費を節約しながらの旅でした。
食事はもっぱらえきの立ち食いそば、かけ¥120。 宿泊は札幌から
放射状に出ていた夜行列車を利用しての移動の繰り返しで、宿(YH)に
泊まったのは3泊だけ。今やれと言われてもとても無理ですね。
3月の北海道はまだ雪解け前ですごく寒かったなぁ~。
当時のおおぞら1号は、網走行きのおおとりと同様のルートで滝川まで。
滝川からは根室本線に入り、帯広経由で釧路まで足を伸ばしていました。
函館からの所要時間は約10時間の長丁場です。
denair95316 さんメッセージありがとうございます。
なるほど、私は、学生時代は、北海道には全く興味がなく、東北ばかり旅をしていました。なんでも、奥羽本線の電化で181系ディーゼル特急つばさがなくなると言うので、東北ばかり追っかけていました。もちろん、学生時代にビデオなんてなく、もっぱら写真と生録をしていました。
でも、やってた事は、全く同じで、笑っちゃいました。
東北ワイド周遊券で、食事はもっぱら駅の立ち食いそば。たまには仙台の中華料理店で中華丼などを食べて、後は、急行八甲田、津軽などの急行に寝泊り。
津軽に乗ろうと思って朝まで待合室で寝てしまった事もありました。
青春じだいって、本当にむちゃくちゃな事をしていたみたいですね。
でも、今やれと言われたら、もう一度やってみたいと思います。
今度は、北海道で。
でも、もう寝泊りする夜行の急行や普通列車はないみたいですね。
やる気があっても、できないのが現状かもしれません。
もう一つ、今のカメラは、バッテリーの充電をしないといけないのが課題ですね。
昔のカメラは、露出計の電池だけで、後はシャッターを切るのも電気は全く使わなかったから、こんな旅が出来たのかもしれません。
おおぞらは、やっぱり滝川から根室本線に入って帯広、釧路へと行っていたのですね。そんな時代、もう今は想像もできません。
ただ、石勝線がやはりなんとなく、新しい線路って言うのが感じられますね。
ああぞらも、おおとりと並ぶ長距離列車だったのですね。
いいですねっいいですねっ(^o^)
私は、この80系が大好きなのです。
模型も作りました。
こんにちは。
親は石川県小松市出身なので、北陸線を懐かしく拝見させて頂いています。
全然前置きと異なるのですが、映像の時代でも北海道は事故や脱線が多かったのですか?それともJRになってから事故等が多くなったのですか?
メッセージありがとうございます。
こんにちは。
小松市だと、私の住んでいる所から近いですね。
小松の駅も高架の駅になり、ずいぶん変わりました。
駅の横にあった小松製作所の工場もすっかり無くなってしまって、博物館のような物ができたりしています。
映像の時代は、そんなに事故や脱線は無かったと思います。
ただ、おおとりの撮影で、踏切で自動車との衝突事故があって、運休になった事がありました。
でも、それは、国鉄がミスしたわけではないので、ここ最近の脱線事故などとは、違うと思います。
「北海」、「おおとり」に乗務していた旭川機関区の現役運転士さんと話をしたことがありました。80系にはトハク現象という致命的な問題がありました。車輪表面がボロボロになる現象で北海道の80系に頻発しました。原因不明のままでしたが、道東の線路状況の悪さが原因ではないかと現場では見ていたようです。根室本線大楽毛で「おおぞら」がトハク現象で脱線し一部は横転した事故を起こしています。配電盤のブレーカーが作動することが多くて、運転士は割り箸をブレーカーに挟んで作動することを防ぎながら、騙し騙し運転したそうです。あってはならないことですが、これをしないと実際運転は出来なかったそうです。国鉄型なので基本的には頑丈ですが、70年代後半には満身創痍な状況でエンジンカットも頻発し、中間地点の札幌駅には修理パーツを用意した修理担当者が常駐していました。80系はエンジン周辺から小規模な出火が多くて、それに対応できてはじめて一人前の運転士と呼ばれたそうです。
川田洋一 さんメッセージありがとうございます。
車輪表面がボロボロになる現象は、鉄道ジャーナルの雑誌でも読んだことがあります。
トハク現象って言うのですか?
子どもの頃、近鉄の西大寺の車庫に見学に行った時、近鉄の人がこんな事を言ってました。
「特急の車両のブレーキは、モーターの付いていない車両が、ディスクブレーキになっているのです。でも、車輪の踏面を適度にこすって焼いていないと、良くないために、小さな踏面をこするブレーキが付いています。」
って言ってその小さなブレーキを教えてくれました。
なんか、この事が頭の中に思い浮かぶのです。
キハ80系のブレーキは、車輪がディスクのようになっていて、踏面を摩擦するのではなく、車輪の側面を摩擦してブレーキをかけていたので、踏面は、こすられることがなく、ゴミや鉄粉などが車輪に付いてそれが走っているうちにだんだん拡大し、冬の雪や寒さとも関連してボロボロになるのではないかと思ったりします。
配電盤のブレーカーや、その他色々と問題があったようですが、新しい頃は、そうでもなかったのでしょうね。
やはり、古くなってきてこのようなトラブルが発生していたのでは、ないでしょうか?
実は、比羅夫駅通過でエンジンが1機停止している状態で通過していく特急北海を撮影した映像があります。
それと、折り返し地点で、冬は逆転機がギア鳴りをしてなかなか入らない現象もあったと思います。
色々と、貴重なお話ありがとうございます。
@@HobbyVideos 様、横から失礼いたします。「トハク現象」ですが、冬季は車輪踏面に雪が付着するのを防ぐために踏面式ブレーキシューを常時軽く押し当てる「耐雪ブレーキ」という操作をしていた、と専門誌に出ていました。ディスクブレーキであるキハ82系や電車のトレーラーはどうだったかわかりませんが、181系「とき」はこの耐雪ブレーキの多用でタイヤフラットが酷く運休となったと聞いていますから、北海道のキハ82系にも同様なトラブルがあったのかもしれませんね。
こんばんは
北海道の広い大地を
駆け抜ける82系
カッコイイですね?
昼間特急の食堂車が
廃止されていった
年だと思いますが
北海道の82系特急は
全営業運用されてますね?
昔まつかぜ4号
米子 大阪利用で
食堂車入りましたよ
まつかぜ4号は、キハ181系だったのかな?キハ80系だったのかな?
「食堂車に入りましたよ」
と言う言葉からは、営業されていなかった食堂車に入っただけだったのかな?
それとも、営業中で何か食べたのかな?
82系ですね
1982年頃ですから
181には置き換わって
ません
営業中の食堂車です。
大山おこわ定食なるもの
を食べました。
映像は素晴らしいんですが、BGMが暗過ぎるんだよねえ。
そうですか!
BGMって難しいですね。
その人のセンスがみんな違っていて。
BGMなしで、現場音だけで良いと言う人も居るし。
最近は、走行シーンはあまりBGMやナレーションを入れないようにしています。
この動画は、初期の頃に作ったものです。
横から水を差すようでごめんなさい、音楽は情緒が伝わり私は大好きです
洞爺でお見送りの兄さん寒そう
たしかに。とにかく、北海道は夜になるとぐっと冷えて寒かったです。
加速は悪い
100km/h出るのかやっと
カラカラ音
だが
それが良い❤
加速は悪いですか?
今の気動車は、知りませんが、この当時としては、加速が良かったらしいです。
私は、実際に乗っていて、留辺蘂発車の時にいきなりエンジン全開だったみたいで、
え~~~~~!こんなに加速良いの?って感じた事がありました。
カラカラカラカラ……
エンジン音?