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先日コメントで質問を差し上げたものです。英語、ドイツ語、イタリア語まであげて、大変詳しく分かりやすい説明をしてくださりどうもありがとうございました。以前少しだけ少しだけですがバイオリンを習ったことがあり、高校時代もブラスバンドでクラリネットを吹いたことがあるので、タンギングやポルタメントという言葉もよく理解できました。そしてまた時代様式あるいは作曲家によって記号の意味も異なるということも勉強になりました。文学と同じように作者あるいは作曲者の意図を読み取るということが大切なのですね。また次回の動画を楽しみにしております😊
旨そうなポップコーンですね、食べ方はスタッカートでしたね。これをスラーで食べると、口の中で柔らかくなるまで湿らせて、ゆっくり飲み込む、、、旨そうな食べ方じゃありませんね。 お餅だったら、スラーですね。 今日も車田さんの解説は良く分かりました、何回かそんな演奏を聴いたことあります。音の繋ぎが自分の感情と合わない演奏は、残念な気持ちになります。 2年前にブラームスの4番をある指揮者で聴いた時、第1楽章の冒頭で感情をこめて切々と訴える様な表現が欲しいのに、あっさり演奏されてしまって、最後まで事務的な演奏だなと感じていました。 一応拍手はしましたけど・・・・
楽譜と云うのは、国や時代を超えて私達に届く作曲家からのお手紙。誰かからのお手紙をもらえば、私達はあらん限りの想像力をはたらかせて、その感情や意図を汲み取ろうとしますよね。それと同じですね。『つまらない演奏』にしないためにも、私達は常日頃から、想像力をよくはたらかせ、豊かな感情・幅広い知識・数多くの人生経験……そういったものを積み重ねていくことが大切なのですね。クラシック音楽の作曲家達そのものが、そう云う類いの人達だったのでしょうから。😊😊
こちらは先生のお話だけでなく、賢い皆さんのコメントも勉強になります。私は家事をしながらCDラジカセでクラシックを聴いている、音楽の知識のないオバちゃん主婦です。ですから何も専門的な事は書けませんので、ポップコーンの感想を書きます。添加物まみれの日本の製菓会社も極力余計なものを加えないで、美味しいお菓子を製造して欲しいな・・と思いました。場違いなコメントですみません。
なるほど!よくわかります。記号ありき、でなく、作曲者の意図を読み取ろうとすると、演奏するのも聞くのも面白くなりそうです。ど素人のピアノ勉強にしても、時々、先生から休符の意味などなど教えられます。「ショパンとお話しながら弾いてください」などとも言われます。たどたどしくても、そんな学びが楽しいです。車田先生の講座は考えさせられるものが多いです。有難うございます😊
クラッシック🔰ですが、先生のこの動画を観て音楽の聴き方が毎回楽しくなり、ついに本日初めて楽譜を購入しました😍楽譜にある記号はもちろん、作曲者,その時代背景などを調べるとこんなにもクラッシック音楽が楽しくなるとは大発見です😊この動画が宝箱になっています🙇♀️
🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉おめでとうございます‼︎ 音楽と共にある、豊かな人生の始まり、はじまり〜♪ 私は、子育て中は、趣味の音楽は殆ど封印状態、今は子供も独立、両親はあの世へ……再び音楽人生、爆発💥‼︎やはり音楽は、人生を豊かにするものなのだなぁ、と実感する今日この頃です😊❤😊
実験した。車田さんのビデオを0.75の速度にまで落とし、少し聞いてみた。見事に発音と発音の間に、うっすらと間断なく息がしっかりと流れている。そのために発音が明瞭であってもぶつぶつ切れて響くのではなく、なめらかで気持ちのいい発音、響きのある話法となっている。普段の話し方がこうなのだから、歌ったら、息やブレスの抑制がとても効果的な方なのだと、すぐにわかる。ドイツ語の単語などをぶつぶつ切って発音するのではなく、子音をしっかりと明瞭に響かせつつも、全体がレガートに流れる、そういう発音のできる方だとわかる。
スラー・スタッカート・アクセントだけでも、これだけの感情の深い意味があることがあることが判り驚きました。確かに記号は機械的な意味合い程度しか認識していませんでした。スコアリーディングする時はこの感情についても意識して音楽を聴く事を心がけたいものですね。
車田先生、本当に素晴らしいお話ありがとうございます。ここ数年、一般的な記号の捉え方に対して違和感を感じて、自分なりにアプローチの方法を考えていました。そこで辿り着いたのが、言語としての記号に対するアプローチです。先生も仰っていたように、staccatoというイタリア語に「短く」という意味はありません。「切り離された」というのが本来の意味です。ですが、日本の楽典では「短く」や「半分の長さで」など、よくわからない解説が掲載されています。遅いテンポで「ゆるやかに」という意味で使われるLargoなども、「幅広く」「ゆったりと」という意味はたしかにあるものの、イタリア語としては「ブカブカな」というルーズなイメージのある単語です。恐らく日本では速度記号をメトロノームで♩=○○○くらいのテンポ。という捉え方をすることが多いと思いますが、単語の意味からアプローチすれば、Largoを遅いながらもきっちり演奏してしまっては「ブカブカな」イメージは損なわれてしまうでしょう。そういった記号の意味や感情の動きに注目しながら演奏することで、未熟ながらも面白い演奏ができればと思います。
jazzなどのクラシック以外の音楽分野では、楽譜に記述していないことを敢えて演奏することがありますが、クラシック音楽でも作曲者の意図を読み取った演奏が必要なのですね。だから同じ曲なのに惹かれる演奏と退屈な演奏があるのですね。指摘されれば当然なのですが、改めて腑に落ちました。ボカロやデスクトップオーケストラが最初は面白いのですが、間もなく飽きてしまう理由も分かったように思います。
大変分かりやすい解説、ありがとうございました。古楽演奏習慣を学び初めてから気がついた事と通じることがたくさんありました。
芥川也寸志さんによると、かつて強弱記号に数字をつけた作曲家がいて、その方が、繊細な表現が可能になる、と。しかし、楽譜の記号というのはそういうコンピュータに打ち込む数字のようなものではない,ということで一般化はしなかったそうです。AIがどんなに進歩しても、作曲家の感情は理解できませんものね。それが理解でき,演奏に反映させられるのは人間だけですね。クラシックはだからこそ面白い!
聴いていて、心地よいかそうでないか。オンチかそうでないか。歌う心の表現、その歌い手や奏者の表現の自由の幅広さなのだと思います。記号の従いとは別の世界。場合により、その時々の社会情勢とも絡むかもしれません。聞き手は何を求めているのか、状況に応じ、聞き手の欲求を叶えるのは奏者のプロフェッショナルの腕次第です。その時に楽譜上の記号は邪魔になるのかも。自己中な表現はその人らしさなのか、芸術なのか、その時々の社会への抗いなのか。単なるアマチュアのカタルシスなのか。奥深いですね。
音楽記号は、まさにプログラミング言語だと思っていました。すなわち、個々の記号には一義的に定義か定まっており、それを忠実に再現することが演奏だと思っていました😅音楽記号は、単なる指示書のようなものではなく、時代や作曲家の表現したい感情など色々なものが込められたものなんですね✨音楽って深いですね😃
ん~ おもしろかったです。コンピューターのプログラミングという表現は、「まさにそれ、それ」 ノンミスでパーフェクトに演奏する上手な方たちの演奏より、拙いけど思いをぶつける幼稚園児の演奏のほうが、心動かされるのと、少し通じるところがあるかも。
いつも楽しみに拝見しています。先日亡くなられましたが、ポリーニが何故、世界最高峰のピアニストの1人であり続けたのかを取り上げていただきたいです。若い頃は物凄い評価されていたようですが、正直、お年を召されてからは賛否両論が常であったように思います。
初めて動画を見ましたが、とてもわかりやすく、素晴らしい解説でした。ありがとうございました。 基本はレガートで演奏するというのは目から鱗でした。 楽譜の読み方も時代や作者で変わるというのも知りませんでした。 今はギターとピアノしか弾けませんが、とても参考になるお話でした。音楽は言語と言われる理由もわかりました。楽譜を小説と捉えれば、作者の意図を読み取ることなく演奏するというのは、朗読を感情を込めずに棒読みで音読するようなものなのかもしれませんね。
なるほどですね。楽譜に書いてある通りに演奏するのが基本ですが、演奏家によっては、こういう演奏をした方が良いのではないかという考えが出てきてもおかしくないですね。音楽記号は、その曲が何が一番いいたいかがわかるものでもあるような気がしますね。お菓子、美味しそうですね。
たまたまおすすめにあがってきました。大変興味あるお話でした。
日頃感じていること、考えていることを、深く掘り下げてくださり、ありがとうございます・・・所謂コンクールバンドに所属していた頃、有力校出身者のほとんどが、正にソレでした。
四角四面な日本人は記号として捉えるから豊かな表現ができないのですね。言葉として捉えるとよーくわかります。車田先生のスタカートの説明とても良かったです。やはり多少イタリア語やドイツ語を理解することが肝要ですね。
ベートーベンの交響曲第6番の第一楽章96と103小節目の4分休符の長さは指揮者によっても感じが異なってます。名曲なので名演も多いのですが、誰もが名演奏というワルター指揮コロンビア交響楽団のものは他の指揮者よりも休符のとり方が長いように思えますが、私はこの間がなんとも心地よく感じます。
今回の先生のお話を伺って、改めてクライバーがVPOを振ったモーツァルトの「リンツ」をスコアを眺めながら聴いたのですが、クライバーが如何に「記号」に敏感に反応しているかが分かりました。特に第一楽章の94小節から106小節までのスラー、スタッカート、四分休符の振り分けは流石クライバーだけのことはあると再確認しました。
大変勉強になりました。ありがとうございます!肝に銘じて演奏したいと思います。
興味深い問題提起をありがとうございます。音楽記号のコマンドに囚われ過ぎるるのではなく、もう少し知覚的で良いのかなあと思います。まず最初に歌詞を読み、「その単語の発音が物理的にどうなのか」「その単語の意味はどうなのか」「文節の繋がりはどうなのか」などのサーチから音楽に向かうのが最初に行われるべきことかとでしょう。これは、歌詞のない弦楽器などの器楽曲であっても同じで、文節(フレーズ)によって生成される息使いの途切れがなければならない理由は、音楽は全て人間の息遣い(プシュケー)に依存する「歌」であるはずであるからです。また、全ての音楽は、人それぞれの内側に注ぎ込まれたプシュケー、またはルーアハの上に成り立つものであり、作曲者を含む他者からの命令で成り立つものではありません。よって、これらの事を知覚的に掘り下げた結果、作曲家が何故ここにこのような音楽記号を付したくなった訳を汲み取ることができるようになるでしょう。
書き忘れましたことがありました。演奏に取り組む前に何故「歌詞」の精査が第一なのかと言いますと、どんなに綺麗なメロディーであっても、その歌詞がとても有害なものであることが稀にあるからです。また、それは、表面的に現れる詩やメロディーのみならず、作曲家がどのような動機で世に発信したものなのかも洞察力を働かせて精査する必要があり、この点で稀に大きな危険が秘められていることもあるからです。この題材(楽曲)は、自分自身の内にある子供のような純真な衝動と共になって、愛、平和、喜びの懐に無心に飛び込むに相応しいものであるかどうかと言うことです。
☺️☺️
とても勉強になります。それにしてもレガートは難しい😓永遠の課題です。
スタカートはただ「・」を書くだけなので、その長さとか短さ?を区別するために何種類か記号があったら便利かな?と思ったことがあります。アクセントも然り。なんて事を考えてしまうのが「日本人」なんでしょうか笑。「短くするのではなく、笑いを表現できているかだ」というお話、たいへん有意義だと思いました。ありがとうございます😊
いつも目からうろこのお話をありがとうございます。クラリネットを演奏していてどのように演奏するか、楽譜の記号をどう深く理解するか、壁にぶち当たっていたところでした。
大変ありがとうございます。もの凄く勉強ぬりました。
歌を耳コピで採譜した時に世界が変わった経験があります。楽譜に書き表せる情報量なんて、本当に微々たるものです。
ポリーニが亡くなりネット上でも昔の演奏がクローズアップされていて、ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番2楽章を聴く機会がありました。これまで接したことがないような深く長いスラーによる演奏に感動していたのですが、こちらの動画を拝見して、たとえばひと言でスラーと言っても解釈や表現方法は様々であるということ、そしてポリーニは(もともと好きでしたが)やはり偉大なピアニストだったのだなということを認識できた気がします。
楽譜だけではありません。文学や実務書でも言語として読めるのと理解するのは別物です。知識、経験、感性などの違いで、人にはそれぞれ異なる世界が広がっているのかもしれません。
全くその通りだと思います。特に、外国語で書かれた書物を読んで理解する時。それから、自分の考えや気持ちを外国語で表現する時。音楽でも言語でも、完全に理解する・してもらう、と云うのはかなり難しいことだと思います。でも、それに少しでも近付こうとするのが人間であることの醍醐味であり、音楽の魅力なのだと思います。音楽も言語も、コミュニケーション、ということなんでしょうね😊😊
自身で作曲してみれば全て自然に理解できるものと感じます。巨匠と言われる演奏家はみんな作曲技術を学んだり(発表したかどうかはともかく習作など)自作品を作っているはず。日本の場合は特に軍事教練を目的として西洋音楽教育を位置づけてきたのでそのような誤解があるのでしょう。日本の伝統芸能から学ぶべきところ大。だと思います。
この動画を見てすぐに連想したのが、グールドの弾く平均律1巻24番プレリュードの左手でした。8分音符の羅列のはずなのにとても音楽的。まるで弦楽器のボーイングのように。他に思い出したのが、昔チェンバロを習っていた時に先生が(強弱付けられない楽器で)上昇する16分音符でクレシェンドを表現する話。チェンバロの場合そんな時に大切なのが頂点に向かって音価を短くしていくこと。たまに子ども弾く楽器演奏で、すごい技術力なのに心に響かないのはその平坦さにあるのかなと感じることがあります。でも見ているものは同じ(楽譜)なのに、演奏者によってその解釈が異なり、リスナーはそれを楽しめる・・・・クラシック音楽の楽しみ方ってそういうところにもあるのが楽しいですね。
コンサート会場に足を運ぶ様になり、素人なりに楽しんでいますが、先生の解説でより興味が深くなりました。TH-camのBGMチャンネルで作られた音が楽譜通りに演奏されているのに違和感を感じていました。やっぱり人の演奏は違いますね。
弦楽器のスラーは弓を返さないという意味があって、アップとダウンの音色の違いも指示されているのかなあと考えます。
アップ・ダウンを逆にすると全く曲想が変わってしまって、「一拍目=ダウン」という定型が決まっていなかった時代の曲なんかは「実は逆のほうが自然だった」みたいな新説が出てきたりと議論百出ですね笑
この例が1番わかりやすいのがアマチュアオケのプログラムで前プロか中プロがモーツァルトでメインがベートーヴェンの演奏会に行くとよくわかります。アマチュア奏者の最初の難関というかあるあるですがモーツァルトとベートーヴェンを並べた時にこの二つの楽譜の読み方の切り替えができるかどうかはそのオケの力量がでますね
ぜひスフォルツァンドのかいせつやってほしいですね、これほど時代と作曲家によって解釈が違う記号はないと思うので
歌の上手な演歌歌手が歌ってもカラオケの点数があまり高くないこともありますね。それは表現重視の結果ですね。きっと。
今日の車田さんのお話は、日本の音楽教育について触れていらしゃいますが、外国語教育にも同じようなことが言えるのではないかと思いました。音楽は作曲者の感情が譜面に記してあり、それをいかにくみ取って演奏に反映するかが演奏者に与えられた課題です。外国語で英語という言葉を使うのは、自分の感情表現のために英語を道具として使うので、自分の感じたままを言葉にすれば良く、その表現方法、答えは決して一つではない。音楽も言葉もテンプレートのような対応しかできないと、人間としての感情が欠落してしまうように思います。
音楽は、感情にアプローチする。なぜ?と思ったが、中学校の音楽の授業が、初心者用にしか教えられないから?そして「音楽」なんて中学程度のレベルで音楽の勉強が終わる人が大半で、車田先生みたいに、音楽記号が感情の表現の1つとは、吹奏楽部でも入らないと教えてもらえない。と思います。
演奏者は、自らアーティキュレーションしっかり書いた作曲をして、そしてそれを他の人に演奏してもらう体験を経るのが良いのではないかと思っております
これまで車田さんが語られてきた事の思いが、そういう事かと納得できました。演奏は出来ませんが。 ありがとうございます。
ドイツクウォリティの袋の結び方🤣、、、😃🎵たのしいですね
記号を誤解して覚えていることについてすごく共感いたしました。そこで疑問なのですが、外国ではどのように教育(小学校、中学校の音楽の授業)しているのでしょうか?
素晴らしいお話をありがとうございました^^自分自身の歌のつまらなさをそういう意味からも考えてみようと思います。結び方の硬さにはその感情がwww
なるほど!!! なるほど!!!
私は、日本の教育が受験の点数のために、一番大切な学ぶ喜びや楽しさを奪っているのではないかと思っていました。正しさよりも楽しみや驚きこそが生きることにつながるのでは。
ポルタメント、カルメンのハバネラで有名
それを知ったら面白いでしょうね!
日本は歌に点数を付けるカラオケを受け入れている国ですからね。真の音楽家が育たないのは当然です。音楽には正解がありその通り正確に演奏する者が優れていると多くの人が信じているのでしょう。いかに人と違うことをする(オリジナルを創り出す)のではなく、いかに同じことをする(コピーする)かに価値を求めているのでしょう。オーディション文化がないことも一因でしょう。規格化された演奏家が大量生産されています。まずは歌のお姉さんお兄さんを駆逐するところから始めないと。
私は弦楽器奏者ですが 弦楽器奏者がよく使う 「デタッシェ」は管楽器奏者には通じません。だから 「タンキング」と言いなおします。
楽譜は感情表現なんですね
適切に教えてる方もいますし、適切に教えられた方もいますので。
先日コメントで質問を差し上げたものです。英語、ドイツ語、イタリア語まであげて、大変詳しく分かりやすい説明をしてくださりどうもありがとうございました。
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そしてまた時代様式あるいは作曲家によって記号の意味も異なるということも勉強になりました。
文学と同じように作者あるいは作曲者の意図を読み取るということが大切なのですね。
また次回の動画を楽しみにしております😊
旨そうなポップコーンですね、食べ方はスタッカートでしたね。これをスラーで食べると、口の中で柔らかくなるまで湿らせて、ゆっくり飲み込む、、、旨そうな食べ方じゃありませんね。 お餅だったら、スラーですね。 今日も車田さんの解説は良く分かりました、何回かそんな演奏を聴いたことあります。音の繋ぎが自分の感情と合わない演奏は、残念な気持ちになります。 2年前にブラームスの4番をある指揮者で聴いた時、第1楽章の冒頭で感情をこめて切々と訴える様な表現が欲しいのに、あっさり演奏されてしまって、最後まで事務的な演奏だなと感じていました。 一応拍手はしましたけど・・・・
楽譜と云うのは、国や時代を超えて私達に届く作曲家からのお手紙。誰かからのお手紙をもらえば、私達はあらん限りの想像力をはたらかせて、その感情や意図を汲み取ろうとしますよね。それと同じですね。
『つまらない演奏』にしないためにも、私達は常日頃から、想像力をよくはたらかせ、豊かな感情・幅広い知識・数多くの人生経験……そういったものを積み重ねていくことが大切なのですね。クラシック音楽の作曲家達そのものが、そう云う類いの人達だったのでしょうから。😊😊
こちらは先生のお話だけでなく、賢い皆さんのコメントも勉強になります。私は家事をしながらCDラジカセでクラシックを
聴いている、音楽の知識のないオバちゃん主婦です。ですから何も専門的な事は書けませんので、ポップコーンの感想を
書きます。添加物まみれの日本の製菓会社も極力余計なものを加えないで、美味しいお菓子を製造して欲しいな・・と
思いました。場違いなコメントですみません。
なるほど!よくわかります。記号ありき、でなく、作曲者の意図を読み取ろうとすると、演奏するのも聞くのも面白くなりそうです。
ど素人のピアノ勉強にしても、時々、先生から
休符の意味などなど教えられます。「ショパンとお話しながら弾いてください」などとも言われます。たどたどしくても、そんな学びが楽しいです。
車田先生の講座は考えさせられるものが多いです。有難うございます😊
クラッシック🔰ですが、先生のこの動画を観て音楽の聴き方が毎回楽しくなり、ついに本日初めて楽譜を購入しました😍楽譜にある記号はもちろん、作曲者,その時代背景などを調べるとこんなにもクラッシック音楽が楽しくなるとは大発見です😊
この動画が宝箱になっています🙇♀️
🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉🎉
おめでとうございます‼︎ 音楽と共にある、豊かな人生の始まり、はじまり〜♪ 私は、子育て中は、趣味の音楽は殆ど封印状態、今は子供も独立、両親はあの世へ……再び音楽人生、爆発💥‼︎
やはり音楽は、人生を豊かにするものなのだなぁ、と実感する今日この頃です😊❤😊
実験した。車田さんのビデオを0.75の速度にまで落とし、少し聞いてみた。見事に発音と発音の間に、うっすらと間断なく息がしっかりと流れている。そのために発音が明瞭であってもぶつぶつ切れて響くのではなく、なめらかで気持ちのいい発音、響きのある話法となっている。普段の話し方がこうなのだから、歌ったら、息やブレスの抑制がとても効果的な方なのだと、すぐにわかる。ドイツ語の単語などをぶつぶつ切って発音するのではなく、子音をしっかりと明瞭に響かせつつも、全体がレガートに流れる、そういう発音のできる方だとわかる。
スラー・スタッカート・アクセントだけでも、これだけの感情の深い意味があることがあることが判り驚きました。
確かに記号は機械的な意味合い程度しか認識していませんでした。スコアリーディングする時はこの感情についても意識して音楽を聴く事を心がけたいものですね。
車田先生、本当に素晴らしいお話ありがとうございます。
ここ数年、一般的な記号の捉え方に対して違和感を感じて、自分なりにアプローチの方法を考えていました。
そこで辿り着いたのが、言語としての記号に対するアプローチです。
先生も仰っていたように、staccatoというイタリア語に「短く」という意味はありません。
「切り離された」というのが本来の意味です。
ですが、日本の楽典では「短く」や「半分の長さで」など、よくわからない解説が掲載されています。
遅いテンポで「ゆるやかに」という意味で使われるLargoなども、「幅広く」「ゆったりと」という意味はたしかにあるものの、イタリア語としては「ブカブカな」というルーズなイメージのある単語です。
恐らく日本では速度記号をメトロノームで♩=○○○くらいのテンポ。という捉え方をすることが多いと思いますが、単語の意味からアプローチすれば、Largoを遅いながらもきっちり演奏してしまっては「ブカブカな」イメージは損なわれてしまうでしょう。
そういった記号の意味や感情の動きに注目しながら演奏することで、未熟ながらも面白い演奏ができればと思います。
jazzなどのクラシック以外の音楽分野では、楽譜に記述していないことを敢えて演奏することがありますが、クラシック音楽でも作曲者の意図を読み取った演奏が必要なのですね。だから同じ曲なのに惹かれる演奏と退屈な演奏があるのですね。
指摘されれば当然なのですが、改めて腑に落ちました。ボカロやデスクトップオーケストラが最初は面白いのですが、間もなく飽きてしまう理由も分かったように思います。
大変分かりやすい解説、ありがとうございました。古楽演奏習慣を学び初めてから気がついた事と通じることがたくさんありました。
芥川也寸志さんによると、かつて強弱記号に数字をつけた作曲家がいて、その方が、繊細な表現が可能になる、と。しかし、楽譜の記号というのはそういうコンピュータに打ち込む数字のようなものではない,ということで一般化はしなかったそうです。
AIがどんなに進歩しても、作曲家の感情は理解できませんものね。それが理解でき,演奏に反映させられるのは人間だけですね。クラシックはだからこそ面白い!
聴いていて、心地よいかそうでないか。オンチかそうでないか。
歌う心の表現、その歌い手や奏者の表現の自由の幅広さなのだと思います。
記号の従いとは別の世界。
場合により、その時々の社会情勢とも絡むかもしれません。聞き手は何を求めているのか、状況に応じ、聞き手の欲求を叶えるのは奏者のプロフェッショナルの腕次第です。その時に楽譜上の記号は邪魔になるのかも。
自己中な表現はその人らしさなのか、芸術なのか、その時々の社会への抗いなのか。単なるアマチュアのカタルシスなのか。
奥深いですね。
音楽記号は、まさにプログラミング言語だと思っていました。
すなわち、個々の記号には一義的に定義か定まっており、それを忠実に再現することが演奏だと思っていました😅
音楽記号は、単なる指示書のようなものではなく、時代や作曲家の表現したい感情など色々なものが込められたものなんですね✨
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ん~ おもしろかったです。コンピューターのプログラミングという表現は、「まさにそれ、それ」 ノンミスでパーフェクトに演奏する上手な方たちの演奏より、拙いけど思いをぶつける幼稚園児の演奏のほうが、心動かされるのと、少し通じるところがあるかも。
いつも楽しみに拝見しています。先日亡くなられましたが、ポリーニが何故、世界最高峰のピアニストの1人であり続けたのかを取り上げていただきたいです。若い頃は物凄い評価されていたようですが、正直、お年を召されてからは賛否両論が常であったように思います。
初めて動画を見ましたが、とてもわかりやすく、素晴らしい解説でした。ありがとうございました。
基本はレガートで演奏するというのは目から鱗でした。
楽譜の読み方も時代や作者で変わるというのも知りませんでした。
今はギターとピアノしか弾けませんが、とても参考になるお話でした。
音楽は言語と言われる理由もわかりました。
楽譜を小説と捉えれば、作者の意図を読み取ることなく演奏するというのは、朗読を感情を込めずに棒読みで音読するようなものなのかもしれませんね。
なるほどですね。楽譜に書いてある通りに演奏するのが基本ですが、演奏家によっては、こういう演奏をした方が良いのではないかという考えが出てきてもおかしくないですね。音楽記号は、その曲が何が一番いいたいかがわかるものでもあるような気がしますね。お菓子、美味しそうですね。
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日頃感じていること、考えていることを、深く掘り下げてくださり、ありがとうございます・・・所謂コンクールバンドに所属していた頃、有力校出身者のほとんどが、正にソレでした。
四角四面な日本人は記号として捉えるから豊かな表現ができないのですね。言葉として捉えるとよーくわかります。車田先生のスタカートの説明とても良かったです。やはり多少イタリア語やドイツ語を理解することが肝要ですね。
ベートーベンの交響曲第6番の第一楽章96と103小節目の4分休符の長さは指揮者によっても感じが異なってます。名曲なので名演も多いのですが、誰もが名演奏というワルター指揮コロンビア交響楽団のものは他の指揮者よりも休符のとり方が長いように思えますが、私はこの間がなんとも心地よく感じます。
今回の先生のお話を伺って、改めてクライバーがVPOを振ったモーツァルトの「リンツ」をスコアを眺めながら聴いたのですが、クライバーが如何に「記号」に敏感に反応しているかが分かりました。
特に第一楽章の94小節から106小節までのスラー、スタッカート、四分休符の振り分けは流石クライバーだけのことはあると再確認しました。
大変勉強になりました。ありがとうございます!肝に銘じて演奏したいと思います。
興味深い問題提起をありがとうございます。
音楽記号のコマンドに囚われ過ぎるるのではなく、もう少し知覚的で良いのかなあと思います。
まず最初に歌詞を読み、「その単語の発音が物理的にどうなのか」「その単語の意味はどうなのか」「文節の繋がりはどうなのか」などのサーチから音楽に向かうのが最初に行われるべきことかとでしょう。
これは、歌詞のない弦楽器などの器楽曲であっても同じで、文節(フレーズ)によって生成される息使いの途切れがなければならない理由は、音楽は全て人間の息遣い(プシュケー)に依存する「歌」であるはずであるからです。
また、全ての音楽は、人それぞれの内側に注ぎ込まれたプシュケー、またはルーアハの上に成り立つものであり、作曲者を含む他者からの命令で成り立つものではありません。
よって、これらの事を知覚的に掘り下げた結果、作曲家が何故ここにこのような音楽記号を付したくなった訳を汲み取ることができるようになるでしょう。
書き忘れましたことがありました。
演奏に取り組む前に何故「歌詞」の精査が第一なのかと言いますと、どんなに綺麗なメロディーであっても、その歌詞がとても有害なものであることが稀にあるからです。
また、それは、表面的に現れる詩やメロディーのみならず、作曲家がどのような動機で世に発信したものなのかも洞察力を働かせて精査する必要があり、この点で稀に大きな危険が秘められていることもあるからです。
この題材(楽曲)は、自分自身の内にある子供のような純真な衝動と共になって、愛、平和、喜びの懐に無心
に飛び込むに相応しいものであるかどうかと言うことです。
☺️☺️
とても勉強になります。それにしてもレガートは難しい😓永遠の課題です。
スタカートはただ「・」を書くだけなので、その長さとか短さ?を区別するために何種類か記号があったら便利かな?と思ったことがあります。
アクセントも然り。
なんて事を考えてしまうのが「日本人」なんでしょうか笑。
「短くするのではなく、笑いを表現できているかだ」というお話、たいへん有意義だと思いました。ありがとうございます😊
いつも目からうろこのお話をありがとうございます。クラリネットを演奏していてどのように演奏するか、楽譜の記号をどう深く理解するか、壁にぶち当たっていたところでした。
大変ありがとうございます。もの凄く勉強ぬりました。
歌を耳コピで採譜した時に世界が変わった経験があります。楽譜に書き表せる情報量なんて、本当に微々たるものです。
ポリーニが亡くなりネット上でも昔の演奏がクローズアップされていて、ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番2楽章を聴く機会がありました。これまで接したことがないような深く長いスラーによる演奏に感動していたのですが、こちらの動画を拝見して、たとえばひと言でスラーと言っても解釈や表現方法は様々であるということ、そしてポリーニは(もともと好きでしたが)やはり偉大なピアニストだったのだなということを認識できた気がします。
楽譜だけではありません。文学や実務書でも言語として読めるのと理解するのは別物です。知識、経験、感性などの違いで、人にはそれぞれ異なる世界が広がっているのかもしれません。
全くその通りだと思います。特に、外国語で書かれた書物を読んで理解する時。それから、自分の考えや気持ちを外国語で表現する時。音楽でも言語でも、完全に理解する・してもらう、と云うのはかなり難しいことだと思います。でも、それに少しでも近付こうとするのが人間であることの醍醐味であり、音楽の魅力なのだと思います。音楽も言語も、コミュニケーション、ということなんでしょうね😊😊
自身で作曲してみれば全て自然に理解できるものと感じます。巨匠と言われる演奏家はみんな作曲技術を学んだり(発表したかどうかはともかく習作など)自作品を作っているはず。
日本の場合は特に軍事教練を目的として西洋音楽教育を位置づけてきたのでそのような誤解があるのでしょう。日本の伝統芸能から学ぶべきところ大。だと思います。
この動画を見てすぐに連想したのが、グールドの弾く平均律1巻24番プレリュードの左手でした。8分音符の羅列のはずなのにとても音楽的。まるで弦楽器のボーイングのように。他に思い出したのが、昔チェンバロを習っていた時に先生が(強弱付けられない楽器で)上昇する16分音符でクレシェンドを表現する話。チェンバロの場合そんな時に大切なのが頂点に向かって音価を短くしていくこと。たまに子ども弾く楽器演奏で、すごい技術力なのに心に響かないのはその平坦さにあるのかなと感じることがあります。でも見ているものは同じ(楽譜)なのに、演奏者によってその解釈が異なり、リスナーはそれを楽しめる・・・・クラシック音楽の楽しみ方ってそういうところにもあるのが楽しいですね。
コンサート会場に足を運ぶ様になり、素人なりに楽しんでいますが、先生の解説でより興味が深くなりました。TH-camのBGMチャンネルで作られた音が楽譜通りに演奏されているのに違和感を感じていました。やっぱり人の演奏は違いますね。
☺️☺️
弦楽器のスラーは弓を返さないという意味があって、アップとダウンの音色の違いも指示されているのかなあと考えます。
アップ・ダウンを逆にすると全く曲想が変わってしまって、「一拍目=ダウン」という定型が決まっていなかった時代の曲なんかは「実は逆のほうが自然だった」みたいな新説が出てきたりと議論百出ですね笑
この例が1番わかりやすいのがアマチュアオケのプログラムで前プロか中プロがモーツァルトでメインがベートーヴェンの演奏会に行くとよくわかります。アマチュア奏者の最初の難関というかあるあるですがモーツァルトとベートーヴェンを並べた時にこの二つの楽譜の読み方の切り替えができるかどうかはそのオケの力量がでますね
ぜひスフォルツァンドのかいせつやってほしいですね、これほど時代と作曲家によって解釈が違う記号はないと思うので
歌の上手な演歌歌手が歌ってもカラオケの点数があまり高くないこともありますね。それは表現重視の結果ですね。きっと。
今日の車田さんのお話は、日本の音楽教育について触れていらしゃいますが、外国語教育にも同じようなことが言えるのではないかと思いました。
音楽は作曲者の感情が譜面に記してあり、それをいかにくみ取って演奏に反映するかが演奏者に与えられた課題です。
外国語で英語という言葉を使うのは、自分の感情表現のために英語を道具として使うので、自分の感じたままを言葉にすれば良く、その表現方法、
答えは決して一つではない。
音楽も言葉もテンプレートのような対応しかできないと、人間としての感情が欠落してしまうように思います。
音楽は、感情にアプローチする。なぜ?と思ったが、中学校の音楽の授業が、初心者用にしか教えられないから?そして「音楽」なんて中学程度のレベルで音楽の勉強が終わる人が大半で、車田先生みたいに、音楽記号が感情の表現の1つとは、吹奏楽部でも入らないと教えてもらえない。と思います。
演奏者は、自らアーティキュレーションしっかり書いた作曲をして、そしてそれを他の人に演奏してもらう体験を経るのが良いのではないかと思っております
これまで車田さんが語られてきた事の思いが、そういう事かと納得できました。
演奏は出来ませんが。 ありがとうございます。
ドイツクウォリティの袋の結び方🤣、、、😃🎵たのしいですね
記号を誤解して覚えていることについてすごく共感いたしました。
そこで疑問なのですが、外国ではどのように教育(小学校、中学校の音楽の授業)しているのでしょうか?
素晴らしいお話をありがとうございました^^
自分自身の歌のつまらなさをそういう意味からも考えてみようと思います。
結び方の硬さにはその感情がwww
なるほど!!! なるほど!!!
私は、日本の教育が受験の点数のために、一番大切な学ぶ喜びや楽しさを奪っているのではないかと思っていました。正しさよりも楽しみや驚きこそが生きることにつながるのでは。
ポルタメント、カルメンのハバネラで有名
それを知ったら面白いでしょうね!
日本は歌に点数を付けるカラオケを受け入れている国ですからね。真の音楽家が育たないのは当然です。音楽には正解がありその通り正確に演奏する者が優れていると多くの人が信じているのでしょう。いかに人と違うことをする(オリジナルを創り出す)のではなく、いかに同じことをする(コピーする)かに価値を求めているのでしょう。
オーディション文化がないことも一因でしょう。規格化された演奏家が大量生産されています。まずは歌のお姉さんお兄さんを駆逐するところから始めないと。
私は弦楽器奏者ですが 弦楽器奏者がよく使う 「デタッシェ」は管楽器奏者には通じません。だから 「タンキング」と言いなおします。
楽譜は感情表現なんですね
適切に教えてる方もいますし、適切に教えられた方もいますので。