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東京都庁の上層階のピアノもストリートピアノというのでしょうか(ストリートではないけど)。たまたま私が聞いたときはTH-camで見かける演奏者たちが順番に弾いていましたが、速弾きで鍵盤をたたきつけるような演奏が多く、ひたすら騒々しいものでした。ようするに目立ちたがりの腕自慢なのでしょうね。そういうのは勘弁してほしいものです。
海外に住んでいるので日本のストピ状況は把握していませんが、ピアノ設置者も演奏者も常識的な配慮があれば素敵なことだと思います。適切に管理されていなければ廃れて撤去されるし、地元に愛されていれば継続できるし、今後、自然淘汰されると思います。良くないのは、批判されるのを恐れて、無条件に日本中で撤去のブームが起こることかな。無条件に設置するのも、無条件に撤去するのも、なんとなくブームに乗ってるだけという意味では同じ現象だと思います。日本でごく短期間にこれだけ広まったのは、さすが日本だなと思います。もちろん流行に飛びついているだけですが、それだけ無駄にできるピアノが日本中に溢れているというのは、日本にピアノという楽器が浸透している証拠にも思います。それは何十年にもわたって日本のピアノメーカーがピアノという楽器を各家庭に浸透させた貢献があってこそだと思います。それは決して悪いことではないと思います。日本は音楽の理解が遅れてる、生活に浸透していない、という考えを持つ人もいますが、こんなにクラシック音楽を愛する人が多い国も珍しいと思います。車田先生の高尚なTH-camチャネルがこれだけ愛され親しまれるのは、日本人のクラシック音楽への深い理解があってこそだと思いますし。学校の音楽教育も何十年も同じでしょうが、アメリカの音楽教育に比べればはるかにレベルが高いと思います。日本人なら学校教育を通して誰もが聴いたことがあるクラシック音楽を、アメリカでは人生で一度も聴いたことがないという子供だらけです。バッハやベートーベンの肖像画を見たことのない子供は日本にはいないと思いますが、アメリカにはそういう子供だらけです。そう考えると、何十年も同じ授業内容ですら、無いよりは遥かにマシというか、充分意義深く思えます。弾いてみた系のTH-cam動画も見飽きた感があるので、そういう動画のブームもそろそろ終わりかなと個人的には思います。
ピアノを愛する人間からしてみると、あんな埃だらけで湿度も管理出来ない所にピアノを置くのは反対です。ピアノをあんな場所に置くなんて、ピアノを消耗品としか思ってない様な、ピアノが可哀想になります。
私はピアノが大好きです。ピアノを見ると、ふらふら~と寄っていってピアノに触りたくなる病を持っています。時々、そっと弾かせて頂いています。(笑)加古川の件があってから、ストリートピアノについて、考えてきたのですが、やはり私も、トリャーとばかりに猛烈な勢いで叩いている演奏を聞くのは苦手です。そういう奏法もあるのかもしれませんが、私の中では、ピアノってそういう楽器じゃないし〜という思いが強いです。また、長時間明らかに練習しちゃってるのも良くないように思います。(気持ちはわかります。家では電子ピアノをヘッドホン付けて練習していて、生のピアノで練習したい!という気持ち。)でも、そこは公共の場なので。反面、たぶん発表会が近いであろう人が、長い期間練習してきたであろう曲を愛しそうに丁寧に弾いてる姿を見ると、ピアノ愛が感じられて、レベルに関係なく応援したくなります。要するに、やっぱりピアノに愛を持っていて、節度を持って10分程度弾くのは、問題ないと思うのですが、どうでしょう?
とてもよい話をありがとうございます。先生のおっしゃる通りです。プラハのマサリクST.の駅ピアノは素晴らしかったですが、プラハの街と歴史と音楽の関わりが日本とは違うんだと思いました.これからも音楽の素敵な話を楽しみにしています😊
私は音楽大好き派なのでストリートピアノの設置大歓迎です。でもこの動画を拝見して、中には音楽聴きたくない派の方もいるので自室のオーディオの音量には気をつけようと反省した次第です。ためになる動画ありがとうございます。
先生、さりげなくジャイアンを出すところが最高です!😆 ストリートピアノについて、いろいろな考え方がありますね。先生の考察は、いつも深くて、目から鱗が落ちる事ばかり。私も、たまーに街へ出て、買い物ついでにストリートピアノを弾く事があります。弾きたいな~、と思っても、ずーーーっと占領している人がいたりします(なぜか男性ばかり)。そのピアノは、店舗の前に、野ざらしで置かれています。鍵盤が砂にまみれてザラザラだった事もあります。可哀そうなピアノさんです…。主催者が、ストリートピアノを、【ただの流行りモノとして扱っている】と言う、何よりの証拠だと思います。
関西地方のあるH県K市の駅設置ストリートピアノが撤去された件をマスコミが異常に大きく取り上げたのが残念で仕方がない。マナーとか騒音とか言われますがそれはどこのストリートピアノでもありえることです。固有の場所特有の事情があったりするのです。地元民なので現地の方に色々伺ったのですが、真相として、どうやらなんらかの障害をお持ちの方が頻繁に無意味な?音を鳴らし続けたのがクレームの要因になったようです。マスコミは当初不快な演奏という表現をしていたのですが、個人が特定されるされるのを防ぐためか、マナー違反という言い方にしてお茶を濁した感じです。これは大変難しい問題で、一般の人からは音楽に聞こえなくても、そのご本人にとってはそれが演奏できる唯一の音楽かも知れず、すべての人が平等に弾いて良いというストリートピアノの建前から言ってその方の演奏?をお断りする訳にもいかず『苦渋の決断として』撤去に踏み切ったようです。この話を聞いて私も撤去に納得したのです。騒音ならともかく、時間オーバーや弾き歌いが原因で撤去なら見せしめ的な措置でしかないですからね。要は撤去と言ってもそれぞれの場所で諸般の事情があるということです。
当初は旅人が待合スペースの誰も見向きもしないピアノでさらっと弾くイメージ。最近はカメラ持って三脚持って行列作って。ピアノはひたすら鳴っている。 恩着せがましい押し付けがましいと思う人もいる。 聴かなければ良いではなくて、その場で時間を過ごさなければならないから厄介なのね。
ストリートピアノではありませんが、ある若い男性が自分のベランダで大正琴を弾いて、終わると演奏者も近所の人たちも「ありがとう」と言ってるのを見たのを思い出しました。これが本当の地域とのコミュニケーションですね。演奏家も近所の人のお世話になっているので恩返しだとか話してました。
いつものように鋭い洞察ですね!全く同感です。ストピが出始めの頃は面白くみていまし
ご意見に賛同です。ピアノを弾いて楽しむことよりも、最初から演奏動画の投稿ありき、で弾くことはストリートピアノの設置の意味とはまったく異なり本末転倒。有名TH-camRの強く大きな音の弾き方をまねてしろうとが演奏することも、騒音の大きな原因。動画投稿は二の次のはずなのに、動画サイトの再生回数稼ぎや売名をメインとするTH-camRは演奏しないでほしい。さらに日本ではストリートピアノの台数が多すぎです。なぜピアノが静かな空間にまで設置されるのか。。。を改めて考えることは必要と考えます。
近所のモールにもストピありますが演奏できる時間も決められてますし、子どもから大人まで比較的平和に運用されているので今回のお話は新鮮に感じました。最近は子どもの声やボール遊びの音がうるさいと苦情が寄せられ、公園遊びが制限されたり閉鎖される事態も起きています。周囲の人が映り込むのもお構いなしに撮影するTH-camrはもってのほかですが、余程聞くに堪えない騒音でない限りストピの音くらい寛容な社会であって欲しい気もします。
先生の動画を見ると、頭がスッキリします😊SNS全般に言えると思いますが、自己表現、承認欲求を満たす場がここ数年で広がり、時にその表現が過剰になっているな、、と思います。 個性、個人を主張しているつもりが、なんだか、皆んな同じ様に、見えてしまいます。あと、「天才〇〇」という言葉が溢れかえってますね。。中には本当に素晴らしい方もいますが。。。
分かります。天才𓏸𓏸というのをみると、そういうものを売りにして人に注目を集められるのは本当にいいことなのだろうかと常に疑問に思います
初めてコメントを書かせていただきます。車田さんのこの動画を拝見する前、私はストリートピアノの設置は日常生活の中に音楽をより近くで感じられそうで、良い考えだと思っていました。しかし、動画で話されたお考えに全く同感します。(具体的に書くとネタバレ(?)のようになってしまうので、避けます。)私はずっと音楽が好きだったのですが、数年前にいろいろあって鬱病になり、その頃は音楽どころか音という音、人の話し声ですら聞くのが辛く、電車での他の人のひそひそとした話し声にすら涙を流していました。そのとき、音楽は人の状況により騒音にもなりうるのであり、聞き手が耳を傾けていくものなのだな、、と感じていたことを、痛切に思い出しました。今、私は全く元気になり、社会復帰もし、また音楽を楽しめています。これまでときどき車田さんの動画を拝見し、本当に興味深く、本質的な部分で勉強になっています。また、話されるお声に深みがあって、声楽をされる方のお声って素敵だなと思うのと、また最後のティータイムも楽しく拝見しています。これからもお元気でご活躍されることをお祈りしております。動画も楽しみにしております!
いつも拝見させていただいています。 音楽と真摯に向き合っている車田さんらしい観点で共感しました。 時に素敵な演奏を聴くこともありますが、ストリートピアノを使ったTH-cam系の中には、わざわざお年寄りや、作業員などの衣装で技巧に走る演奏を早引きして”どっきり”、”びっくり”している人の様子を映し出す悪ふざけドッキリカメラ系のものも増えてきていて、差別的だったり、音楽への愛情も感じられないものがあり、残念な感じがします。 おっしゃる通り、公共の場でのあり方を見直さないと、ドッキリ系Youtberの個人利用になりつつあるように思います。
日本では先日、パイの実の抹茶クリームバージョンが売っていましたよ☺️美味しそうでした。 ヌテラのパイの実も、しっとりと美味しそうですね🍀 😋私はストリートピアノが日本に出現し始めた頃から本格的寝たきり生活になってしまったので、ストリートピアノの現場に居合わせた事はないのですが、以前に桜木町駅前が音楽の無法地帯になっていた時期が一時あって、私は大概の音楽は好きで、良い演奏には思わず声をかけてしまう事もあるほうだったのですが、その時には唖然とするほどの無法地帯(音楽の部活のパート別の練習中みたいな纏まりのなさとか、年末の会社の二次会のカラオケが沢山いるみたいな感じ。。)だったので、さすがに辟易した事が。。確か当時、そこでの演奏には許可が必要だったかと思うのですが、勝手に無断で参加してしまっていたり、もしかしたら何にでも許可を出す状態だった可能性も。。?ある程度の環境が必要というのは、確かにそのほうが、せっかくの音を、いろんな意味でだめにしなくていいのではないかとも思えます。。いつも興味深く良い発信をありがとうございます😺
はじめてコメントさせて頂きます。ストリートピアノって、すごいシビアな環境に置かれていて、あまり大切に扱われていないみたいで、素人の自分が聴いても調律がされてなくて聴きにくいと思います。なのでピアノが上手く、ピアノという楽器を愛している人は、その響きや状態に我慢できない!と思わないのかなと思ってました😅今回のお話で大道芸的な側面から納得できたかもしれません。ありがとうございました!
今回もとても考えさせられるお話をいただき、ありがとうございます。たしかに日本ではどこでも音楽が流れていますね。チェーンのお弁当屋さんでクラシックがよく流れていて「この曲なんだっけ?」と思い出せずにストレスを感じたことがあります。私の会社ではカフェスペースがあって、空いている席に座って仕事をできるのですが、ベートーヴェンの三大ピアノソナタがかかっていて閉口したことがあります。私はベートーヴェンは大好きですが、仕事のBGMで聴く音楽ではないと思っています。正直「どんなセンスなんだ?」と思いました。リクエストできるなら、静かなジャズをかけて欲しいなと思いました。
ストリートピアノについてのもやもや感がすっきりしました。本題とまったく離れますが、車田先生がおっしゃっている「音楽は聴かれるために書かれている」(19:43)についてちょっと考えてしまいました。私は60歳からピアノを始めましたが、他人に聴いてもらえるレベルになることは最初から目指していません。むしろ演奏そのもの、演奏が練習によって上達していくこと自体が目的です。音楽性という観点からは、ちゃんとした音楽家にとっては騒音以外の何ものでもないでしょう。モーツアルトは自分の曲が、『人に聴かれるために』ではなく、こんな目的で演奏されることをどう思っているのかと、ちょっと気になりました。
仕事帰りにちょっと飲んで帰るように、ちょっと弾くのがストリートピアノなのに、というのが私の見解。音楽に関して日本人は成熟してないのかな、と思う。
私はTH-camrの影響はあるなと思っています。彼らが難しい曲や難しいアレンジで弾いてしまうので、あのレベルでないと公共の場で弾いてはいけないんだと思ってしまい、ねこふんじゃったレベルの私は心から弾きたいのに気が引けてしまいます。日本人は下手でも心から楽しんでる演奏よりただ上手い演奏に好意を抱きます。レベル至上主義がなくなってほしいと思います。もっと日本人に音楽を字のごとく楽しむ気持ちが芽生えれば、きっとストピも意味を為しますよ😊
知り合いの視覚障害がある方が、駅でピアノを大音量で演奏されると周囲の音が聞こえなくなってとても困る、と言っていました。
😢
音楽の本場ドイツから発信いつも楽しく見ています。私は通勤で「音楽の街」の駅を通過します、疲れて帰る時、複数の音楽が大音量が一斉に耳に飛び込むのは騒音でしかありません。大きな音のスピーカー勝負になっています。電子機器の力を借りないで人々に評価されてきたものが時を超えて継承されていくものになるのでしょうね。
幸か不幸か私の生活圏内にストリートピアノが存在しないため、ピンときませんが・・ただ、よく利用する駅にたまに津軽三味線奏者が出てくるんですが、これは嬉しくなります。仕事帰りの夕暮れ、『べべベン』と聞こえると、疲れた心に寄り添われたような気持ちになるからです。でもこれも『ストリート三味線。ご自由にお弾きください』なんて駅に設置され、自己顕示欲満載な奏者が常に弾いてたら、嫌だろうな~と想像してしまいました。
自分が一番耐えられないのは、汚い手で雑に楽器を扱われるのを見るのが一番辛い。だからストリートピアノは無くていい思っている。
ストリートピアノが珍しかった頃は、いいなと思っていました。でも今は、TH-camで、ラ・カンパネッラを弾いてみたと言うタイトル等をよく見かけますが、私はこれらの動画には下心を感じるので見た事ありません。街を歩いてて偶然ストリート音楽に出会った時、立ち止まって聞くことはあります、拍手する時もあります。でもほとんどは通過するだけですけどね。楽しくなるようなストリートピアノに出会いたいですね。
自分が初めてストピを触ったのは海外で、その街の初めてのPlay me,I'm yoursの企画のものでした。旅先の他の都市でも触ったこともありましたが、どこもピアノは屋外に置いてあって。期間も短い間で、寄付されたピアノは設置期間終了後は希望するところへ贈呈されることになっていました。今は多少変わったのかもしれませんが、ストピの原点のPlay me,I'm yoursのピアノは屋外だったから、聞きたくない人は離れたらいいし、使われなくなったピアノをまた活かそう、という意図もあったはず。(なので、ピアノの状態はおして知るべし…)日本のストピは屋内がほとんどですよね。まぁ、ピアノのためにはその方が良いですが。音楽は演奏する人と聴く人と共有されてこそ、ですね🎵
音楽ふれあい広場…あったら、素敵ですね。
『世界の美しい駅』に選ばれている茨城県の日立駅にもピアノが設置されています。(数年前) 訪れた時には若い女性がおそるおそる触れていただけでしたが、朝の通勤時間にガンガン弾かれたら嫌かも。でもラッシュの時以外なら海に面した全面ガラス張りの結構広めのスペースでピアノの音を楽しむのはアリだと思いました。時と場合、そして場所の問題でしょうね。
ストリートピアノをときどき弾いています。周囲の状況を見て、弾かないで帰ることもあります。リラックスできる音楽を目指しています。いろいろな反応、感想がきて、次の練習につなげています。
都庁ピアノの動画を観ると、きちんと管理(見張り?)している人が居ますよね。それ位しないと駄目だろうな~って思います。一度は弾きに行ってみたいです。
ストリートピアノが出てきた頃はみんなで分けあいあいと触れることを楽しみにする流れだったのに、TH-camrが出てきてから、ある程度のレベルがないと触れてはいけないという流れになりましたね。それが良いか悪いかは答えは様々ですが、通勤時間帯にストリートピアノでガンガン演奏する音色を聞くとうるさいと思ってしまう方はいると思います。ただ黙っているだけかもしれません。難しい話ですが、どんなにレベルが高くても、時間帯や人々の流れに応じた雰囲気のある曲を選んで欲しいです。
今回も考えさせられる内容でした。音は人を癒やし慰めを与え勇気と励ましによって躍動感を与えてくれますが、場合によっては人を悪い方向へ扇動し不快な気分を掻き立てるものとなるので取り扱い注意案件とも言えます。ですから時、場所、状況所謂TPOに合わせてストリートピアノを設置や弾き手もその辺ことを鑑み地域の人たちと良好な関係を築くことが必要だと思います。又日本と欧米諸国の場合音楽や楽器の形態や歴史から見ても違いがあると私個人的にあるのではないかと思います。日本はどちらかといえば笛太鼓等の祭りや三味線箏等のお座敷音楽としてずっと続いていて明治維新後西洋音楽が入ってきて現在至って歴史が浅いのに対しクラシック音楽の本場欧州は教会でのアカペラから始まりその後パイプオルガンやチェンバロを経てフォルテ・ピアノ ピアノへと打弦楽器が出てきた文化ですので楽器そのものに歴史の違いがあるのではないかと感じました。いずれにしてもストリートピアノに関する論争は私達自身に一石を投じるものであることだとしみじみ感じました 長文 失礼いたしました。
設置され始めた背景含め、そんな深い意味があったのか!と少々ショックを受けたお話でした。出張で出かけた先にストリートピアノを見かけることがあり、それをふらりと弾いて去るために「暗譜」をし、弾いている時はタッチの状況、打鍵の反応、ペダルの反応などを感じながら「初めての楽器に慣れる」努力をし、最後、周辺の人々がどれくらい耳を傾けてくれたかを見てうまく表現できたかどうかわかる…という数々の下心を持ってできる限り弾いて帰ってきます。音楽を広めたい、とはみじんも思っていない(つまり自分の最終確認のためだけに弾いている)ので、自宅練習で完成したと思えるものしか弾きません。そういう「他人にどう聞こえるか」チェックしたいとか、人前で弾く度胸をつけたいとか、そういう理由でストリートピアノすごく活用させていただいてます。本来の目的とはだいぶずれているようで、申し訳ないです。ただ、どなたかも書いてましたが、ひどい環境に置かれて手入れもされていないピアノも多いですね。ただそこにピアノを置くんじゃなく、いい音で演奏できるような管理をしていただきたいとは常々思います。
ストリートピアノ、聴いたことありませんが、、もしその場にふさわしい音色、曲だったらOKなのでは、と思います。でもー、TH-camによくある『弾いたらこんなに集まったよ』的なパフォーマンスだっだら悲しい😭😅。単に(うるさいなぁ)と思って、冷ややかに見ているだけかもしれないし。でも、本当にその場に合った、あくまで日常の生活の邪魔をしない演奏だったら聴いてみたいかもー。そこには上手下手は関係なく❤。
調べてみたら、白いパイの実ありました!「北海道産生乳から作られた全粉乳を贅沢に使用したホワイトチョコに、生クリームを練りこむことで濃厚なミルク感を実現」HPよりなんか無性に食べたくなってきました。そして長い話お疲れ様でした!
もし「ストリート(空港・駅・街角)“カラオケ”」だったら、もっと興ざめですね。湿気の多い日本では、ピアノもかわいそうですね!
同じことは街に溢れかえっているJ-POPやJ-ROCKにも言えると思いますが、この種の音楽が好きな人が多数派なので問題にならないんですよね。。。ストリートピアノのyoutubeを見ていると確かに音楽というよりスポーツになってしまっている人が少なくないですが、あれだけ弾けるだけでも十分羨ましいとも思います。時代の流れの中で残るものは残り、廃れるものは自然に淘汰されていくと思うので、個人的にはそこまで気にしていません。
貴重なお話ありがとうございました。今回のお話に関係するかどうかは微妙ですが、音楽とアニメ、漫画、映画、ドラマとの親和性についてのお話も聞いてみたいです!私はアニメからクラシックを聴き始めたのですが、それについてのご意見など聞けたら嬉しいと思っております!😊
私は車田さんの考え方に賛成します。私はピアノを弾けません。だから弾ける方に少なからず羨ましさを持っています。とはいえその演奏が奏者の自己満足のようなものであるならば、りやはり演奏の「場所」は選ぶべきであろうと思います。それはピアノ以外の楽器でもいえることだとおもいますが、ピアノだけは特別なのでしょうか?とはいえTV(NHK)でも取り上げられて所謂「市民権」を得ているようですが、こういった事象を取り上げられた車田さんの姿勢に敬意を評したいと思います。
すごく論理的で分かりやすいです。音楽ってピアノであれ、なんであれTPOが必要ですよね。作曲者が演奏者と別なら、その作曲家の意図をしっかり汲む必要があると思います。音楽ってすごい力がある反面、宗教で音楽は外せないですし、宮廷、軍楽隊など場所、役割があった。クラシックをキチンと伝えたいのか?素晴らしいクラシックのメロディーを使ってアレンジしたものを表現したいのか?子供達に聞いてもらいたいのか?ご年配の方を対象にしているのか?意図が必要ですよね?
聴覚過敏があり、上手下手関係なく、ピアノを音楽ホールじゃないところこ変な反響で聴くのがとても苦痛です、、、。弾いてる人がいると、耳を塞いでも頭に響いて痛くなります。
某TH-camrがストリートピアノで「ラ・カンパネッラ」を弾くのを見たことがあります。いかにも「これ見よがし」な演奏で余計なアレンジまで加えて空虚さだけが残りました。逆にリストの音楽の胡散臭さがよく出ていたと思います。
今回の話は『至極ごもっとも』ですね。このチャンネルをストリートピアノを設置した各自治体や企業や団体に是非見てもらい改めて是非や改善案を問うて頂きたいものです。確かに一時的話題性や流行で安易に場所や後先の問題も考えず設置した側にも責任はあると思います。また利用する側にも事前にルールやモラルを守る事やそこで演奏する趣旨や意義を踏まえて公に聴いてもらう自己表現の場としてのメッセージ性や公共性が感じられるのであれば否定はしませんし突然の撤去騒動にはならないかと思いました。まあ確かに上手な人もいれば全く弾けなくてもピアノという楽器に触れてみたい、音を出してみたいとピュアな気持ちで向き合う人、様々かと思います。まずは置き場所からかな?またTH-camrの中にも売名目的や自分の公演への誘客、チケット販売、TH-camの売上目的の為に露骨に押し売り押し付けライブをゲリラ的に行ったりする興行目的やウケ狙いもストリートピアノとしての品位を下げるだけにしか感じませんし、その演奏には音楽性や芸術性は感じられません。TH-camrのチャンネルタイトルでも『何万人に何人しか弾けない』『不審者の怪しい演奏に驚嘆』『涙と感動の嵐』『素人も驚く超絶技巧』みたいなズレた発想で音楽とはこうだ!と断言する方々が増えてる現状には非常に残念としか言えません。全否定はしませんが肯定するのも厳しいかと感じました。リストやパガニーニなら凄いTH-camrになったのかもしれませんね(笑)
日本は形だけ海外のマネをして、その先の理念や影響を考えていない事が多いように思います。ストリートピアノにも少しそんな面があるように感じますね。
同感です。ストリートピアノは日本の文化的土壌に合わないかもしれない、と思うことさえあります。もっとも場所にも依るし、ストリートピアノでしかピアノに触れられない、という環境で暮している人にとっては、ストリートピアノは、唯一の逃れ場であったりすることもありますので、一概に言いきれませんが。。
辻音楽師ならぬ、辻TH-camrの奏でるノイズ。こうなってはもう。。。
全く大賛成です。音楽表現は、いつ誰がどこで何をどんな想いで演奏するのかと言うのが大前提だと思います。そのための場所と時間を自分で設定するのが第一歩でしょう。もし、ピアノを路上や好きな場所で演奏したいのであれば自分で運ぶのが良いでしょう。信じてもらえないかも知れませんが、ニューヨークのセントラルパークには自分で台車にのせたアップライトピアノを引っ張ってきて演奏していたピアニストもいました。ストリートピアノではなく、ピアノを置いたフリースペースを街が用意してそこに、音楽好きな人たちが集まる と言うのが良いのではないでしょうか。そしてそのまえに、本当にこの国で音楽と人間についての探求と教育を見直さなくてならないと思います。えらそうですがそう思います。
ピアノはストリートでも室内でもただただピアノでいるのに、かわいそうですね。
家には電子ピアノしかありません。音大を諦めた小母さんが、やっぱりピアノに触れたくてストピを弾いています。月に一度、少しだけ、お付き合いください…
偶然ですが、広い視野のお話を聞けてよかったです。
あまり考えたことがなかったので目からウロコでした。ありがとうございます。
数年前にBS番組を観てピアノを始めた50代男性です。仕事の合間に中年男性がふらっと来てピアノを弾く、仲の良い友人がピアノを囲んで合唱する。素敵じゃないですか。上手い下手も関係なく音楽を楽しんでいる様子をみて、欧米では音楽愛好家の層が厚いのだろうな。。と思っていたので、日本のストリートピアノがこれほど批判されるのは残念な気持ちです。街角でピアノを弾いている人をみて、迷惑だなーと思う人もいれば、私のように自分もやってみたいと思う人もいますので、音楽文化を広げる効果はあるのではないでしょうか。あまり詳しくはないのですが、日本以外の海外でストリートピアノを公共の場で設置する是非について議論はあるのでしょうか?3月にエディンバラ空港を訪れる機会があったのですが、小さめの待合スペースにグランドピアノがありました。大勢の人がいて、弾いている人も半分練習みたいな人もいましたが、下手なりに最後まで弾き切った人に対しては「ナイストライ」という感じで拍手が起こってました。日本でもこのような光景が観れたら良いなーと思っています。
海外に行くと、人通りの多い広場や商店街でバスキングしている人をよく見かけます。音大生がバイオリンを弾いていたり、ギターやハープなど楽器は様々ですからピアノがあってもいいと思います。(ただ、置いてあるピアノはたいてい古くて音質が悪く、調律もあまりされていないのですが。)けれども、youtubeなどにアップロードするのを目的に演奏するのはどうかと思いますし、迷惑にならない程度の音量であるべきです。私にとって音楽は言葉です。音楽が流れると、誰かに絶えず話しかけられているように聞こえます。それでも生の音はあまり気になりませんが、スピーカーから流れてくる音は不快です。特にポップスやロックは大嫌いなので、カフェに座っていても寛げないし、買い物は苦痛でしかありません。買い物自体は好きなのですが、どこに行っても不快な音が溢れていて神経がずたずたになります。自分の耳が特殊なのは解っているので文句を言う気はありませんが、聞きたくない音楽を聴かない自由はありますよね。
演奏家です。私も、公の場所での演奏は規制されても良いのでは?と考えています。音楽は適切な場所で奏される方が、奏者も観客も快適なはずですよね…個人的に最も苦痛なのは、自己顕示欲を芸術に持ち込んでいる点です。芸術を汚されている気がしてしまいます。自己満足のためだけに音楽を利用している人が増えたとて、クラシック音楽が世に広まるとは思えません。車谷さんと同じく、個人的には日常で音楽を聴きたくないので、ストリートピアノを弾いている人がいたら絶対に避けて通ってしまいます😢
確かに一部で抗議によって撤去したということはありますが、殆どの場合上手く行っています不快に感じる人がいるから無理があるんだとのことですが、世の中にはストリートピアノ以上に不快なものが溢れており枚挙に暇がありません私はよほどの演奏でないかぎりストリートピアノを足を停めて聴くということはありませんが、それが少々その時の気分に合わないからと言って目くじらを立てるような社会よりはストリートピアノを許容する社会の方が結局は居心地が良いと思いますね
この話は、以前から何処かで言いたかった事なので興味をもって聞かせて頂きました。おおむね同意です。NHKの駅ピアノ空港ピアノでも、演奏以外にどんな場所に設置されているかといった背景も考えて見ていました。ロビーのど真ん中なのか、通路の隅っこなのか、とか海外などでは、目立たない場所なら自宅にピアノが無いから練習場所として利用する事もある様で、それはそれでアリだと思ってます。東京都庁のピアノが成功例と言っていますが、その本意は理解しますが、どうしてもTH-camで見た人はそれが標準となってしまい、周辺の公共施設で演奏するレベルがこうあるべきとなっているのは違う気がします。近所に、家族連れ、あるいは友達を誘って楽しめる場所にピアノが設置されていますがそこに行って、戦争を連想させる様な曲を弾くには、さすがに躊躇しますねスチュエーションをこの動画で言いたかったのだと思って拝見させて頂きました。
行政(市)が設置場所と使用規則を考えた結果、ただ「置いてるだけ」のビアノになってしまい、誰も弾かない飾り物になっているのもどうかと思います。地域に受け入れられ、「静寂」も保たれる、地道な努力で音楽が親しまれる、そんな「ピアノの設置」がされるように望みます。先生のお話、とても勉強になりました。設置する側が、本当に音楽を愛していて、音楽に対するリスペクトと理解が有れば、理想に近いストリートピアノの設置が可能かもしれない、と思いました。
電気屋やスーパーのうるさい音楽は何とも思わないけれど、人が演奏しているのは耐えられない。つまり、その行為が許せない、という傾向があるんだと思います。私にとっては、スーパーの下品なエンドレスで流れている音楽のほうが耐え難いんですが、多くの日本人にとってはそうではないみたいです。ストリートならたいてい目的地ではなく、通りすがりの場所に置かれていると思うので、嫌なら離れればいいと思うのですが…。日本の駅が単に狭いのかな。後半の、ストリートピアノの理想的な在り方については納得しました。音楽家が純粋に弾きに来て、というのが自然ですね。配信のために演奏するのも、それを見て「得をしているのが許せない」という人も、どちらもいびつな日本人の形が表れていると思います。
家族でBSの海外空港駅ピアノを見るのが大好きです。ふらっと1曲家族、恋人と連弾したりしているの見たら何気にいい。ちょっと出張がてらにという日常生活に素晴らしい。けど、日本のYouちゅうばーピアノ弾きはくらっしくも雑いしジャズもどきが多いし聴いてられない。そら、Theシンニホールで毎年聴く及川さんのショパンは素晴らしし、実際コモドクラブで聴いた師匠のジャズピアノはジャズの本物を感じた。自身も音楽するもんですがなんか日本のゆうちゅうぶストリートピアノはどうもしっくりこない。
こんにちは。今回も深いお話をありがとうございました。ストリートピアノについて明快に説明してくださりなるほどと思いました。これからも先生の音楽のお話を楽しみにしています。
続きです。当初は珍しい事もあり面白く思っていましたが、その後はっきり言えば自分の為だけ適当に演奏している様な人も出てきたりで、すっかり興醒めしています。まして公共の場ではやめてほしいですね。
おっしゃることは一つ一つ、ごもっともです。聴きたくない時の音楽は騒音です。日本は音楽でコミュニケーションを取る、と言う歴史がないし、またピアノは、意識しないとお客が目に入らない構造ですからね。日本のピアノの歴史自体、部屋の中でお稽古事として一人で練習する、というものですから。音楽でどうコミュニケーションをとるか、わかってない・・・発表会以外、人前で弾いた経験のある人って少ないんじゃないかな。弾く人も置く人も、ストリートピアノと言うものがわかってないんじゃないでしょうか。まだ、歌とか、他の楽器の人がお客の方を向いて、お客ともピアニストともコミュニケーションを取りながらできたら、ストリートピアノの意義もあると思います。いや、ピアノだけでできればそれでもいいんですが、まだお客の顔を見てるだけ、コミュニケーションは意識するでしょう。TH-camにプロの歌手が乱入して?なじみの曲やポップスを歌ってるのはとてもいいと思うんですが。生で聴けた人はラッキー、TH-camで聴けるのも嬉しい。ただし演奏者が良識を持っていれば、です。長時間占拠するのはやめてほしいですね。ところで車田さん、お菓子を食べてる時はとても幸せそうですね!🥰🥰
利用する駅に設置されています。音に過敏なため体調を崩してしまいます。TH-camでの動画も好きでしたが、好きな時に好きな動画を見るという前提です。逆に興味のなかった曲を聴けた楽しみもあります。ただし、それを受け入れられる時に限ります。職業差別につながりかねないドッキリは、非常に悲しかったです。せめて、誰も傷つかないドッキリにしてほしかった。お話ありがとうございます。ストリートピアノが憎悪の対象になりつつあったのを少し考え直すきっかけになりました。
「隣の幼稚園で園児が遊ぶ声がうるさい」、酷いときには「田んぼの蛙の鳴き声がうるさい」と言って田んぼの所有者にクレームを入れるような寛容さのない世の中です。ピアノが常設されていて、いつでも誰でもどんな曲でも、時には曲じゃなくただジャンジャン掻き鳴らすような行為すら許されてしまっているのが問題なのかと思います。年に一度のストリートフェスの日に、デモ審査を経た上で街に音楽があふれる日を設ける程度ならそこまで迷惑にはならないのではないかと思います。駅など他の目的に利用される場所に常設していつでも誰でも弾けるというのは私も少し違うと感じています。
聞きたくない人にとっては耳拷問という視点大事ですね
全くおっしゃるとおりです。聴き手あっての音楽ですから聴く人の気持ちや意見を聞かなくてはなりませんね。そうでないとコミュニケーションとは言えない。問題になっているのは弾き手の一方通行的な弾き方ではと思います。
音楽は静かな場所で特にクラッシック。ストリートピアノは騒音あの鍵盤を叩き付ける音・音楽は・音が大切駅ピアノは、うるさいだけです!くまの出る山奥なら良いでしょう。騒音です!
車田先生今回も素晴らしいご発信ありがとうございます(*^_^*)本当に、こうやって説明出来たらどんなにいいだろうといつもいつも感服です!演奏技術もマナーもジャンルも勿論ですが私はピアニストですから楽器を大事に扱って欲しいのです。そんなところに置くのか とか。。。 心が痛いです。私も自分の練習やどうしても聴きたい物以外の時間は、静寂の中に極力いますが今の日本でそれはかなり難しい事で。。。現状は、いわゆる「マルチタスク」の考え方に近いのかなと考えます。一度に沢山の事を同時にしていると充実していると勘違いしているのでは?短い時間に沢山のタスクを詰め込もうとしているのと逆に静かだと緊張すると言う人もいるので驚きます。静寂に耐えられない人もいるのですね。どの店に入っても洪水の様に流れてくる音に利用できるお店は本当に少ないです。そして静かな店を好むので、そういうお店は潰れて?しまいなくなってしまいます。。。身近に広げる耳障りのいいこの言葉は危険ですね。。。これからもご発信を心待ちにしておりますm(_ _)m現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
現在、レストランピアニストをしており小さく控えめに音量に頼らず表現できると自負しております。ストリートピアノを演奏しに行きました。前から気になっていた場所でしたので、何度か訪れた事があります。演奏中他のBGMが鳴りだし、(ああ。こんな小さくても嫌がられるのかな?)と思っていた所、しばらくしてピタッ!とBGMが止まりました。こういう事、よくあって心で(一応プロなんで)と呟いてます😌ストリートピアノには音が出にくい様に何かしてあり、打鍵の感覚が変でした。ピアノが力を発揮できないよ。と悲しくもなりました。
ムードが大事!ムードが大切!
私見ですが、YAMAHAの強引とも言えるストピ設置プロモーションが一因ではないでしょうか。そして、今までいろいろなSNSや掲示板を覗いた感じでは、文句を言う人はどうやっても文句を言います。ある人が自分の嫌いなストピユーチューバーを数人挙げていたのですが全員がクラシックをメインに弾いて活動している人たちでしたw 要するにクラシックはその人の理解を超えるから嫌いなのです。 ストピ排除推進論者はジャンルを問わず静かなバラード以外は「ガチャ弾き」と称して一切認めようとしません。日本は欧州に比べてまだまだ音楽に対して狭量だなと思いました。ちなみに私は車田先生のご意見に全面的に賛成です。
日本にも「路上」文化はかつてはあったのですが・・・。今は全て行政と警察が決めてしまうので、何も出来なくなってしまいました。路上で音楽やるにも行政の許可が必要で、すぐ警察が来るところもあります。ストピはそれへのカウンター文化として、特に日本で広がりましたが、残念ながら行政や企業主導で、理念や文化理解ではなく、地域おこしの箱物なので、税金で買っといて速攻撤去とか平気でやってしまう。要は、演奏者に声かけして、粘り強く行き過ぎへの注意までケアする覚悟が設置者にあるかどうかですね。K市のケースは中々難しいわけですし。音楽もスケボもブレイクダンスも一方的に速攻禁止しといて、自分達は軽々に税金を使うわけです。児童公園も今や幼児とお母さん、高齢者だけしか遊べない。NHKBSで見る「世界の広場」は素晴らしいですね。「広場」で色んな人に交じって10歳ぐらいの少年二人が木管楽器で練習してて、その曲がマーラーw 多様な混沌の中で知ってる人知らない人に声をかけられたり、そうやって成長していくんですよね。ちなみに商店街や観光地の音楽は日本でもJASRACの影響で激減していますよ。
まるでエンタメ化した下品な演奏が注目を集めてしまうことは、ストリートピアノの功罪だと思います。タダで弾ける、タダで聞ける。結局敷居を下げた結果ピアノという楽器の品格は失われ、本当にいい音楽は更に聴かれなくなる。そしてまだ無名のアマチュア音楽家にとって厳しい世になってしまいます。
人前だと指が震えて そもそも思うような演奏出来ないけど、みんな凄いなあ。グランドピアノって音鳴らさなくても絵になるし、余裕を感じますよね。
誰も聴く人がいなければ、ストリートはやらないと思います。注目してほしいから弾いている人がほとんどではないでしょうか?ですから、迷惑だと思ったら、ピアノの置いてある場所には行かなければいいと思っています。あちこちにピアノがあるのは、いらなくなったピアノの活性化だと聞いたことがあります。多くの方が、すぐに飽きてしまって、自宅にはおきたくないんですね。
音楽を提供するにはそれ相応の環境が必要、というのはわたしも思います。そして、それに関連して、その環境になじむ音楽なのか?も大事だと思います。わたしは自分でもバイオリンでオケに参加するくらいのクラシック好きですが、駅のようなざわざわしたところでいきなりベートーヴェンやショパンが鳴り響いたらしょうじきイラっとします。その手の音楽は「ながら」で聴くものではない、それこそイズマイヲタダシテ集中して聴くもの、と思ってますので、話し声や雑踏の靴音やその他がちゃがちゃした音が混じっている中にベートーヴェンが流れたら、もうそれは音楽の破壊だとさえ思えます。また、そんなところでベートーヴェンやショパンを弾くひとには、「このひといったい何考えてるの?」と思ってしまいます。町中に音楽が流れることじたいはいいと思います。でもそこでベートヴェンやショパンはないでしょ、という気分です。もっとBGMとして馴染む、人の気持ちを和ませる音楽はたくさんある。町中に流れて違和感のない音楽をやってもらいたい。
同感です。ストリートピアノに限らず、路上や公園で音楽を演奏する人も迷惑です。仕事から疲れて帰って着いた駅前で、大音量で演奏しているバンドがあったり、静かに休みたくて公園に入ったら、大音量で管楽器を練習している人がいたりすると、迷惑でしかありません。素人の方が、スタジオを借りて練習するお金を浮かしたいのか、あるいは自己宣伝のためかわかりませんが。。
私は音楽が好きですが、不用意に聞こえる音は正直苦手です😅チンドン屋さんのけたたましい音に等しいのです。先生 ありがとうございました😊
20:55 自分用しおり
同感です!
ピアノ=騒音と考えて、逆上する人が多いからでしょうね。殺人事件までおきてしまうわが国にはなじまないんでしょうね、残念なことです。
深いですね!
思い出したことがあって、釣り仲間がバスの中でくさやを食べ出した。当然迷惑だからと注意した。反論は女の人だってあの香水つけてるじゃないかであった。無知な私はただバスに乗ってる方に謝っただけでした。
私の疑問は、ストリートの所有者は、だれになるのでしょうか。駅の所有になるのですか❓ピアノの持ち主さんから、不要ピアノを寄付された、という形になるのでしょうか。調律や拭き手入れは、どなたの責任になるのかなあ❓たくさん疑問があるのです。
私は所詮駅だのモールなんて通り過ぎる場所ですし、こういうところにピアノがあるのは豊かな文化だなと思います。そりゃ聞きたくない曲もありますよ。アニソンとか。ただ自分がSNSで目立って注目される為にドッカと居座って撮影のために他人を蹴散らす人達を防止する為に、SNSはこれらの動画を削除するかブロックするべきだと思います。
隣人が楽器や歌を練習するのはどこまで許せますか?ご自分の子供が習い事を始める時にどのくらい配慮が必要なのでしうか?似ている話題でお国柄も色々有りそうな話題として、ぜひ車田さんのお話を聞いてみたいです。
「ナルシシズムnarcissism」じゃないですけど僕は好きな音楽はヒトにやたら教えたくないんですよ(91歳de爆笑)セコイこと言いますが「なんだアイツも聴いてんのか」にならないように「ひとり」で聴いていたいです(爆笑)なので「ストリート音楽」はまだ聴いた事ないですね。youtubeでは見かけますがまだです。先生のお話の向きが僕と合い似通っていましたが秘密にしたいコメントです、言い方変ですが御免なさい(爆笑)
車田先生のおっしゃる通りだと思います。最初はストリートピアノが日本中の津々浦々に…と思っていたんですが、考え方が変わって来ました。日本のストリートピアノの現状は大雑把に3つに分けられるのではないかと思います。①バズり系ユーチューバーの真似で表面上盛り上がっている②設置者が定期的な弾き合い会を開催して需要喚起しても演奏者も聴衆も居ない③既にお忍びプロから楽譜が読めない方まで対等に楽しめる空間が成立している近未来的に①②は撤去されるでしょう。そして未来永劫に発展するのは③を満たす場所であり、地域であり、自治体ではないかと思います。そして①②のような地域や自治体は自滅するのではないかと思います。私はそれで良いと思っております。
先生が言われている事がほぼ本質じゃないかと思います。それから設置する側も日本らしいハーディング現象に呪われ続けていると思います。他にもあるのならば自分のところにも、みたいなこの安直さとトレンドが癒着している感じです。バズったものも見事に放物線を描く様に衰亡すると思います。先日ヘンテコな曲をガチャ弾きしていた人がいたのでパクりになってしまいますが先生の言った言葉でダメージ与えようと思ったのですが、演奏後近寄って、「あーーーうまい」と言ってしまいました。完全にミスりました !
車田先生、こんにちは。こんばんは?ありがとうございます。車田先生のお話は、奇をてらわない、まっすぐで真面目、素直なお話し、とても良いなぁと思っています。私は、北海道の某中核市に年1回、用事があり行っています。某中核市の駅にピアノが設置してあります。十年ぐらい前は、古い駅で地下にラーメン屋がありレトロな駅でした。今は線路が高架されて新しい駅です。そうですね。音楽を聴く環境には、ないですね。ピアノが弾ける人が、演奏していましたが、なにか雑音にしか聴こえませんでした。どうしてかなぁと思います。私も、用事を終えて帰りの列車だったので、時間はありました。ただ、私が動画や演奏会で知っているTH-camrではないピアニストやヴァイオリニストが演奏していたら足を止めていたと思います。不思議です。私は、外で演奏することは良いことだと思いますが、駅という環境は難しいのかなぁと感じます。公園とか、図書館、田舎にはビアガーデンはないけれど似たような所、とかで生演奏を聴きたいなぁとも思います。私の住んでいる街のお祭りだとかでは、やはり吹奏楽が合うかなぁとか考えます。地元の中学校の吹奏楽部とか、アマチュア市民吹奏楽団とか、または音大出もいる地方の自衛隊音楽隊とかの生演奏なんかは、あいますね。ビールを飲みながらですね。公園や図書館では、ピアノやヴァイオリン、声楽などとても良いです。演奏者と地域の人とのふれあいが、とても大事だと感じています。安定した職業を退職してストリートピアノを演奏してTH-camで活躍している人もいます。私なんか単純で上手いなぁ~と・・・。そのピアニストは、地道に演奏会も開いてTH-camでも活躍しているみたいです。今回は、私にとって難しいお話しでした。音楽を聴く環境に適した場所なら、ピアノや他の楽器などの演奏も良いと思います。演奏者にとって地道な活動になると思います。なおさらプロの演奏者ならば地道な活動が、音楽ホールの演奏会を開いて素晴らしい演奏をすることに繋がっていくのではと思います。まとまりのないコメントですみません。では失礼します。
日本は電車の発着に電子音の音楽を流しています。しかも駅ごとに、違う曲で。スーパーでも安っぽい電子音の音楽を流し続けています。クリニックで待合室にリラックス出来るような音楽をかけているのは理にかなっていると思いますが、駅やスーパーの安っぽい電子音メロディはうるさいです。そして日本の音楽の扱いが雑なだけでなく、公園で遊ぶ子どもの声さえ騒音だという神経質な人が増えています。働きすぎで、こうあるべきばかりに縛られている社会なので本来なら気分良くさせる音楽が駅のピアノで流れている、ストリートミュージシャンの演奏が聴こえるものさえ苦情が来るから撤去のようになっている気もします。社会保障も薄っぺらく成功しないと生きて行けない切迫感でどこの分野でも必死な競争社会になっているので、この仕組みや人生は楽しむものであるという事に気付かないと日本の殺伐さや安っぽさは解決出来ないように思います。ストピTH-camrも驚かせるようなタイトルで作っているものが流れてくるので、私はあまり見ませんが😅あっという間に増えてあっという間に撤去のような事になっている事は知りませんでした。お金は大事なものではありますが、目立つ事、成功することの為になんでもやって良いわけではないという事を学んで欲しいなと思いますね。
漢字の「音」と「心」を組み合わせると「意」になります。どちらが欠けても、聴衆に音楽的な「意味」は伝わらないでしょう。気軽に弾いて聴けるのは便利ですが、弾く側も聴く側も、心と耳を準備しやすい落ち着いた環境のほうが望ましいですね。ストリートピアノを置く意義や状況をよく考慮してほしいと思います。
ストリートオペラにも似た印象を持っています😅
山梨の外国人に有名なお寺の下でお店が南米音楽ガンガンかけていました。いやでした。
使途が決まっていない税金を有効的に使ったということでしょうか?役人は徴収した税金を残さないようしようとしますから。
16'20"くらいでおっしゃっているように、撮影する必要はない。しかし勉強のため自身の演奏を録音したい奏者もいるでしょう。「奏者以外の他人 観客などを撮影するな」とだけ触れを出しておけば良く、そうすれば撤去までする必要はなかったのではないでしょうか。ストピでなくても他人を勝手に撮影するのは良くないわけです。経済的事情で無料で弾ける場所で練習したい、という人の願いも満たすのは良いことです。しかし、欧州ではどこに設置しているのだろうか。果たして駅に設置しているのだろうか?
東京都庁の上層階のピアノもストリートピアノというのでしょうか(ストリートではないけど)。たまたま私が聞いたときはTH-camで見かける演奏者たちが順番に弾いていましたが、速弾きで鍵盤をたたきつけるような演奏が多く、ひたすら騒々しいものでした。ようするに目立ちたがりの腕自慢なのでしょうね。そういうのは勘弁してほしいものです。
海外に住んでいるので日本のストピ状況は把握していませんが、ピアノ設置者も演奏者も常識的な配慮があれば素敵なことだと思います。適切に管理されていなければ廃れて撤去されるし、地元に愛されていれば継続できるし、今後、自然淘汰されると思います。良くないのは、批判されるのを恐れて、無条件に日本中で撤去のブームが起こることかな。
無条件に設置するのも、無条件に撤去するのも、なんとなくブームに乗ってるだけという意味では同じ現象だと思います。
日本でごく短期間にこれだけ広まったのは、さすが日本だなと思います。もちろん流行に飛びついているだけですが、それだけ無駄にできるピアノが日本中に溢れているというのは、日本にピアノという楽器が浸透している証拠にも思います。それは何十年にもわたって日本のピアノメーカーがピアノという楽器を各家庭に浸透させた貢献があってこそだと思います。それは決して悪いことではないと思います。
日本は音楽の理解が遅れてる、生活に浸透していない、という考えを持つ人もいますが、こんなにクラシック音楽を愛する人が多い国も珍しいと思います。
車田先生の高尚なTH-camチャネルがこれだけ愛され親しまれるのは、日本人のクラシック音楽への深い理解があってこそだと思いますし。
学校の音楽教育も何十年も同じでしょうが、アメリカの音楽教育に比べればはるかにレベルが高いと思います。
日本人なら学校教育を通して誰もが聴いたことがあるクラシック音楽を、アメリカでは人生で一度も聴いたことがないという子供だらけです。バッハやベートーベンの肖像画を見たことのない子供は日本にはいないと思いますが、アメリカにはそういう子供だらけです。
そう考えると、何十年も同じ授業内容ですら、無いよりは遥かにマシというか、充分意義深く思えます。
弾いてみた系のTH-cam動画も見飽きた感があるので、そういう動画のブームもそろそろ終わりかなと個人的には思います。
ピアノを愛する人間からしてみると、あんな埃だらけで湿度も管理出来ない所にピアノを置くのは反対です。ピアノをあんな場所に置くなんて、ピアノを消耗品としか思ってない様な、ピアノが可哀想になります。
私はピアノが大好きです。
ピアノを見ると、ふらふら~と寄っていってピアノに触りたくなる病を持っています。時々、そっと弾かせて頂いています。(笑)
加古川の件があってから、ストリートピアノについて、考えてきたのですが、やはり私も、トリャーとばかりに猛烈な勢いで叩いている演奏を聞くのは苦手です。そういう奏法もあるのかもしれませんが、私の中では、ピアノってそういう楽器じゃないし〜という思いが強いです。
また、長時間明らかに練習しちゃってるのも良くないように思います。(気持ちはわかります。家では電子ピアノをヘッドホン付けて練習していて、生のピアノで練習したい!という気持ち。)でも、そこは公共の場なので。
反面、たぶん発表会が近いであろう人が、長い期間練習してきたであろう曲を愛しそうに丁寧に弾いてる姿を見ると、ピアノ愛が感じられて、レベルに関係なく応援したくなります。
要するに、やっぱりピアノに愛を持っていて、節度を持って10分程度弾くのは、問題ないと思うのですが、どうでしょう?
とてもよい話をありがとうございます。先生のおっしゃる通りです。
プラハのマサリクST.の駅ピアノは素晴らしかったですが、プラハの街と歴史と音楽の関わりが
日本とは違うんだと思いました.
これからも音楽の素敵な話を楽しみにしています😊
私は音楽大好き派なのでストリートピアノの設置大歓迎です。でもこの動画を拝見して、中には音楽聴きたくない派の方もいるので自室のオーディオの音量には気をつけようと反省した次第です。ためになる動画ありがとうございます。
先生、さりげなくジャイアンを出すところが最高です!😆 ストリートピアノについて、いろいろな考え方がありますね。先生の考察は、いつも深くて、目から鱗が落ちる事ばかり。
私も、たまーに街へ出て、買い物ついでにストリートピアノを弾く事があります。弾きたいな~、と思っても、ずーーーっと占領している人がいたりします(なぜか男性ばかり)。そのピアノは、店舗の前に、野ざらしで置かれています。鍵盤が砂にまみれてザラザラだった事もあります。可哀そうなピアノさんです…。主催者が、ストリートピアノを、【ただの流行りモノとして扱っている】と言う、何よりの証拠だと思います。
関西地方のあるH県K市の駅設置ストリートピアノが撤去された件をマスコミが異常に大きく取り上げたのが残念で仕方がない。マナーとか騒音とか言われますがそれはどこのストリートピアノでもありえることです。固有の場所特有の事情があったりするのです。
地元民なので現地の方に色々伺ったのですが、真相として、どうやらなんらかの障害をお持ちの方が頻繁に無意味な?音を鳴らし続けたのがクレームの要因になったようです。マスコミは当初不快な演奏という表現をしていたのですが、個人が特定されるされるのを防ぐためか、マナー違反という言い方にしてお茶を濁した感じです。
これは大変難しい問題で、一般の人からは音楽に聞こえなくても、そのご本人にとってはそれが演奏できる唯一の音楽かも知れず、すべての人が平等に弾いて良いというストリートピアノの建前から言ってその方の演奏?をお断りする訳にもいかず『苦渋の決断として』撤去に踏み切ったようです。
この話を聞いて私も撤去に納得したのです。騒音ならともかく、時間オーバーや弾き歌いが原因で撤去なら見せしめ的な措置でしかないですからね。要は撤去と言ってもそれぞれの場所で諸般の事情があるということです。
当初は旅人が待合スペースの誰も見向きもしないピアノでさらっと弾くイメージ。最近はカメラ持って三脚持って行列作って。ピアノはひたすら鳴っている。 恩着せがましい押し付けがましいと思う人もいる。 聴かなければ良いではなくて、その場で時間を過ごさなければならないから厄介なのね。
ストリートピアノではありませんが、ある若い男性が自分のベランダで大正琴を弾いて、終わると演奏者も近所の人たちも「ありがとう」と言ってるのを見たのを思い出しました。これが本当の地域とのコミュニケーションですね。演奏家も近所の人のお世話になっているので恩返しだとか話してました。
いつものように鋭い洞察ですね!全く同感です。ストピが出始めの頃は面白くみていまし
ご意見に賛同です。
ピアノを弾いて楽しむことよりも、最初から演奏動画の
投稿ありき、で弾くことはストリートピアノの設置の意味とは
まったく異なり本末転倒。有名TH-camRの強く大きな音の弾き方をまねて
しろうとが演奏することも、騒音の大きな原因。
動画投稿は二の次のはずなのに、動画サイトの再生回数稼ぎや売名をメイン
とするTH-camRは演奏しないでほしい。
さらに日本ではストリートピアノの台数が多すぎです。なぜピアノが静かな
空間にまで設置されるのか。。。を改めて考えることは必要と考えます。
近所のモールにもストピありますが演奏できる時間も決められてますし、子どもから大人まで比較的平和に運用されているので今回のお話は新鮮に感じました。
最近は子どもの声やボール遊びの音がうるさいと苦情が寄せられ、公園遊びが制限されたり閉鎖される事態も起きています。周囲の人が映り込むのもお構いなしに撮影するTH-camrはもってのほかですが、余程聞くに堪えない騒音でない限りストピの音くらい寛容な社会であって欲しい気もします。
先生の動画を見ると、頭がスッキリします😊
SNS全般に言えると思いますが、自己表現、承認欲求を満たす場がここ数年で広がり、時にその表現が過剰になっているな、、と思います。
個性、個人を主張しているつもりが、なんだか、皆んな同じ様に、見えてしまいます。
あと、「天才〇〇」という言葉が溢れかえってますね。。
中には本当に素晴らしい方もいますが。。。
分かります。
天才𓏸𓏸というのをみると、そういうものを売りにして人に注目を集められるのは本当にいいことなのだろうかと常に疑問に思います
初めてコメントを書かせていただきます。
車田さんのこの動画を拝見する前、私はストリートピアノの設置は日常生活の中に音楽をより近くで感じられそうで、良い考えだと思っていました。しかし、動画で話されたお考えに全く同感します。(具体的に書くとネタバレ(?)のようになってしまうので、避けます。)
私はずっと音楽が好きだったのですが、数年前にいろいろあって鬱病になり、その頃は音楽どころか音という音、人の話し声ですら聞くのが辛く、電車での他の人のひそひそとした話し声にすら涙を流していました。そのとき、音楽は人の状況により騒音にもなりうるのであり、聞き手が耳を傾けていくものなのだな、、と感じていたことを、痛切に思い出しました。
今、私は全く元気になり、社会復帰もし、また音楽を楽しめています。
これまでときどき車田さんの動画を拝見し、本当に興味深く、本質的な部分で勉強になっています。また、話されるお声に深みがあって、声楽をされる方のお声って素敵だなと思うのと、また最後のティータイムも楽しく拝見しています。
これからもお元気でご活躍されることをお祈りしております。
動画も楽しみにしております!
いつも拝見させていただいています。 音楽と真摯に向き合っている車田さんらしい観点で共感しました。 時に素敵な演奏を聴くこともありますが、ストリートピアノを使ったTH-cam系の中には、わざわざお年寄りや、作業員などの衣装で技巧に走る演奏を早引きして”どっきり”、”びっくり”している人の様子を映し出す悪ふざけドッキリカメラ系のものも増えてきていて、差別的だったり、音楽への愛情も感じられないものがあり、残念な感じがします。 おっしゃる通り、公共の場でのあり方を見直さないと、ドッキリ系Youtberの個人利用になりつつあるように思います。
日本では先日、パイの実の抹茶クリームバージョンが売っていましたよ☺️美味しそうでした。 ヌテラのパイの実も、しっとりと美味しそうですね🍀 😋
私はストリートピアノが日本に出現し始めた頃から本格的寝たきり生活になってしまったので、ストリートピアノの現場に居合わせた事はないのですが、
以前に桜木町駅前が音楽の無法地帯になっていた時期が一時あって、
私は大概の音楽は好きで、良い演奏には思わず声をかけてしまう事もあるほうだったのですが、その時には唖然とするほどの無法地帯(音楽の部活のパート別の練習中みたいな纏まりのなさとか、年末の会社の二次会のカラオケが沢山いるみたいな感じ。。)だったので、さすがに辟易した事が。。
確か当時、そこでの演奏には許可が必要だったかと思うのですが、勝手に無断で参加してしまっていたり、もしかしたら何にでも許可を出す状態だった可能性も。。?
ある程度の環境が必要というのは、確かにそのほうが、せっかくの音を、いろんな意味でだめにしなくていいのではないかとも思えます。。
いつも興味深く良い発信をありがとうございます😺
はじめてコメントさせて頂きます。
ストリートピアノって、すごいシビアな環境に置かれていて、あまり大切に扱われていないみたいで、素人の自分が聴いても調律がされてなくて聴きにくいと思います。なのでピアノが上手く、ピアノという楽器を愛している人は、その響きや状態に我慢できない!と思わないのかなと思ってました😅
今回のお話で大道芸的な側面から納得できたかもしれません。ありがとうございました!
今回もとても考えさせられるお話をいただき、ありがとうございます。
たしかに日本ではどこでも音楽が流れていますね。チェーンのお弁当屋さんでクラシックがよく流れていて「この曲なんだっけ?」と思い出せずにストレスを感じたことがあります。
私の会社ではカフェスペースがあって、空いている席に座って仕事をできるのですが、ベートーヴェンの三大ピアノソナタがかかっていて閉口したことがあります。私はベートーヴェンは大好きですが、仕事のBGMで聴く音楽ではないと思っています。正直「どんなセンスなんだ?」と思いました。リクエストできるなら、静かなジャズをかけて欲しいなと思いました。
ストリートピアノについてのもやもや感がすっきりしました。
本題とまったく離れますが、車田先生がおっしゃっている「音楽は聴かれるために書かれている」(19:43)についてちょっと考えてしまいました。私は60歳からピアノを始めましたが、他人に聴いてもらえるレベルになることは最初から目指していません。むしろ演奏そのもの、演奏が練習によって上達していくこと自体が目的です。音楽性という観点からは、ちゃんとした音楽家にとっては騒音以外の何ものでもないでしょう。モーツアルトは自分の曲が、『人に聴かれるために』ではなく、こんな目的で演奏されることをどう思っているのかと、ちょっと気になりました。
仕事帰りにちょっと飲んで帰るように、ちょっと弾くのがストリートピアノなのに、というのが私の見解。音楽に関して日本人は成熟してないのかな、と思う。
私はTH-camrの影響はあるなと思っています。彼らが難しい曲や難しいアレンジで弾いてしまうので、あのレベルでないと公共の場で弾いてはいけないんだと思ってしまい、ねこふんじゃったレベルの私は心から弾きたいのに気が引けてしまいます。日本人は下手でも心から楽しんでる演奏よりただ上手い演奏に好意を抱きます。レベル至上主義がなくなってほしいと思います。
もっと日本人に音楽を字のごとく楽しむ気持ちが芽生えれば、きっとストピも意味を為しますよ😊
知り合いの視覚障害がある方が、駅でピアノを大音量で演奏されると周囲の音が聞こえなくなってとても困る、と言っていました。
😢
音楽の本場ドイツから発信いつも楽しく見ています。私は通勤で「音楽の街」の駅を通過します、疲れて帰る時、複数の音楽が大音量が一斉に耳に飛び込むのは騒音でしかありません。大きな音のスピーカー勝負になっています。電子機器の力を借りないで人々に評価されてきたものが時を超えて継承されていくものになるのでしょうね。
幸か不幸か私の生活圏内にストリートピアノが存在しないため、ピンときませんが・・ただ、よく利用する駅にたまに津軽三味線奏者が出てくるんですが、これは嬉しくなります。
仕事帰りの夕暮れ、『べべベン』と聞こえると、疲れた心に寄り添われたような気持ちになるからです。
でもこれも『ストリート三味線。ご自由にお弾きください』なんて駅に設置され、自己顕示欲満載な奏者が常に弾いてたら、嫌だろうな~と想像してしまいました。
自分が一番耐えられないのは、汚い手で雑に楽器を扱われるのを見るのが一番辛い。だからストリートピアノは無くていい思っている。
ストリートピアノが珍しかった頃は、いいなと思っていました。でも今は、TH-camで、ラ・カンパネッラを弾いてみたと言うタイトル等をよく見かけますが、私はこれらの動画には下心を感じるので見た事ありません。街を歩いてて偶然ストリート音楽に出会った時、立ち止まって聞くことはあります、拍手する時もあります。でもほとんどは通過するだけですけどね。
楽しくなるようなストリートピアノに出会いたいですね。
自分が初めてストピを触ったのは海外で、その街の初めてのPlay me,I'm yoursの企画のものでした。
旅先の他の都市でも触ったこともありましたが、どこもピアノは屋外に置いてあって。期間も短い間で、寄付されたピアノは設置期間終了後は希望するところへ贈呈されることになっていました。
今は多少変わったのかもしれませんが、ストピの原点のPlay me,I'm yoursのピアノは屋外だったから、聞きたくない人は離れたらいいし、使われなくなったピアノをまた活かそう、という意図もあったはず。
(なので、ピアノの状態はおして知るべし…)
日本のストピは屋内がほとんどですよね。まぁ、ピアノのためにはその方が良いですが。
音楽は演奏する人と聴く人と共有されてこそ、ですね🎵
音楽ふれあい広場…あったら、素敵ですね。
『世界の美しい駅』に選ばれている茨城県の日立駅にもピアノが設置されています。(数年前) 訪れた時には若い女性がおそるおそる触れていただけでしたが、朝の通勤時間にガンガン弾かれたら嫌かも。でもラッシュの時以外なら海に面した全面ガラス張りの結構広めのスペースでピアノの音を楽しむのはアリだと思いました。時と場合、そして場所の問題でしょうね。
ストリートピアノをときどき弾いています。周囲の状況を見て、弾かないで帰ることもあります。リラックスできる音楽を目指しています。いろいろな反応、感想がきて、次の練習につなげています。
都庁ピアノの動画を観ると、きちんと管理(見張り?)している人が居ますよね。
それ位しないと駄目だろうな~って思います。
一度は弾きに行ってみたいです。
ストリートピアノが出てきた頃はみんなで分けあいあいと触れることを楽しみにする流れだったのに、TH-camrが出てきてから、ある程度のレベルがないと触れてはいけないという流れになりましたね。
それが良いか悪いかは答えは様々ですが、通勤時間帯にストリートピアノでガンガン演奏する音色を聞くとうるさいと思ってしまう方はいると思います。
ただ黙っているだけかもしれません。
難しい話ですが、どんなにレベルが高くても、時間帯や人々の流れに応じた雰囲気のある曲を選んで欲しいです。
今回も考えさせられる内容でした。音は人を癒やし慰めを与え勇気と励ましによって躍動感を与えてくれますが、場合によっては人を悪い方向へ扇動し不快な気分を掻き立てるものとなるので取り扱い注意案件とも言えます。ですから時、場所、状況所謂TPOに合わせてストリートピアノを設置や弾き手もその辺ことを鑑み地域の人たちと良好な関係を築くことが必要だと思います。
又日本と欧米諸国の場合音楽や楽器の形態や歴史から見ても違いがあると私個人的にあるのではないかと思います。日本はどちらかといえば笛太鼓等の祭りや三味線箏等のお座敷音楽としてずっと続いていて明治維新後西洋音楽が入ってきて現在至って歴史が浅いのに対しクラシック音楽の本場欧州は教会でのアカペラから始まりその後パイプオルガンやチェンバロを経てフォルテ・ピアノ ピアノへと打弦楽器が出てきた文化ですので楽器そのものに歴史の違いがあるのではないかと感じました。
いずれにしてもストリートピアノに関する論争は私達自身に一石を投じるものであることだとしみじみ感じました
長文 失礼いたしました。
設置され始めた背景含め、そんな深い意味があったのか!と少々ショックを受けたお話でした。出張で出かけた先にストリートピアノを見かけることがあり、それをふらりと弾いて去るために「暗譜」をし、弾いている時はタッチの状況、打鍵の反応、ペダルの反応などを感じながら「初めての楽器に慣れる」努力をし、最後、周辺の人々がどれくらい耳を傾けてくれたかを見てうまく表現できたかどうかわかる…という数々の下心を持ってできる限り弾いて帰ってきます。音楽を広めたい、とはみじんも思っていない(つまり自分の最終確認のためだけに弾いている)ので、自宅練習で完成したと思えるものしか弾きません。そういう「他人にどう聞こえるか」チェックしたいとか、人前で弾く度胸をつけたいとか、そういう理由でストリートピアノすごく活用させていただいてます。本来の目的とはだいぶずれているようで、申し訳ないです。
ただ、どなたかも書いてましたが、ひどい環境に置かれて手入れもされていないピアノも多いですね。ただそこにピアノを置くんじゃなく、いい音で演奏できるような管理をしていただきたいとは常々思います。
ストリートピアノ、聴いたことありませんが、、もしその場にふさわしい音色、曲だったらOKなのでは、と思います。
でもー、TH-camによくある『弾いたらこんなに集まったよ』的なパフォーマンスだっだら悲しい😭😅。
単に(うるさいなぁ)と思って、冷ややかに見ているだけかもしれないし。
でも、本当にその場に合った、あくまで日常の生活の邪魔をしない演奏だったら聴いてみたいかもー。
そこには上手下手は関係なく❤。
調べてみたら、白いパイの実ありました!
「北海道産生乳から作られた全粉乳を贅沢に使用したホワイトチョコに、生クリームを練りこむことで濃厚なミルク感を実現」HPより
なんか無性に食べたくなってきました。そして長い話お疲れ様でした!
もし「ストリート(空港・駅・街角)“カラオケ”」だったら、もっと興ざめですね。湿気の多い日本では、ピアノもかわいそうですね!
同じことは街に溢れかえっているJ-POPやJ-ROCKにも言えると思いますが、この種の音楽が好きな人が多数派なので問題にならないんですよね。。。
ストリートピアノのyoutubeを見ていると確かに音楽というよりスポーツになってしまっている人が少なくないですが、あれだけ弾けるだけでも十分羨ましいとも思います。時代の流れの中で残るものは残り、廃れるものは自然に淘汰されていくと思うので、個人的にはそこまで気にしていません。
貴重なお話ありがとうございました。今回のお話に関係するかどうかは微妙ですが、音楽とアニメ、漫画、映画、ドラマとの親和性についてのお話も聞いてみたいです!
私はアニメからクラシックを聴き始めたのですが、それについてのご意見など聞けたら嬉しいと思っております!😊
私は車田さんの考え方に賛成します。
私はピアノを弾けません。だから弾ける方に少なからず羨ましさを持っています。とはいえその演奏が奏者の自己満足のようなものであるならば、りやはり演奏の「場所」は選ぶべきであろうと思います。
それはピアノ以外の楽器でもいえることだとおもいますが、ピアノだけは特別なのでしょうか?
とはいえTV(NHK)でも取り上げられて所謂「市民権」を得ているようですが、こういった事象を取り上げられた車田さんの姿勢に敬意を評したいと思います。
すごく論理的で分かりやすいです。音楽ってピアノであれ、なんであれTPOが必要ですよね。作曲者が演奏者と別なら、その作曲家の意図をしっかり汲む必要があると思います。音楽ってすごい力がある反面、宗教で音楽は外せないですし、宮廷、軍楽隊など場所、役割があった。クラシックをキチンと伝えたいのか?素晴らしいクラシックのメロディーを使ってアレンジしたものを表現したいのか?子供達に聞いてもらいたいのか?ご年配の方を対象にしているのか?
意図が必要ですよね?
聴覚過敏があり、上手下手関係なく、ピアノを音楽ホールじゃないところこ変な反響で聴くのがとても苦痛です、、、。弾いてる人がいると、耳を塞いでも頭に響いて痛くなります。
😢
某TH-camrがストリートピアノで「ラ・カンパネッラ」を弾くのを見たことがあります。
いかにも「これ見よがし」な演奏で余計なアレンジまで加えて空虚さだけが残りました。
逆にリストの音楽の胡散臭さがよく出ていたと思います。
今回の話は『至極ごもっとも』ですね。このチャンネルをストリートピアノを設置した各自治体や企業や団体に是非見てもらい改めて是非や改善案を問うて頂きたいものです。
確かに一時的話題性や流行で安易に場所や後先の問題も考えず設置した側にも責任はあると思います。また利用する側にも事前にルールやモラルを守る事やそこで演奏する趣旨や意義を踏まえて公に聴いてもらう自己表現の場としてのメッセージ性や公共性が感じられるのであれば否定はしませんし突然の撤去騒動にはならないかと思いました。まあ確かに上手な人もいれば全く弾けなくてもピアノという楽器に触れてみたい、音を出してみたいとピュアな気持ちで向き合う人、様々かと思います。まずは置き場所からかな?
またTH-camrの中にも売名目的や自分の公演への誘客、チケット販売、TH-camの売上目的の為に露骨に押し売り押し付けライブをゲリラ的に行ったりする興行目的やウケ狙いもストリートピアノとしての品位を下げるだけにしか感じませんし、その演奏には音楽性や芸術性は感じられません。TH-camrのチャンネルタイトルでも『何万人に何人しか弾けない』『不審者の怪しい演奏に驚嘆』『涙と感動の嵐』『素人も驚く超絶技巧』みたいなズレた発想で音楽とはこうだ!と断言する方々が増えてる現状には非常に残念としか言えません。全否定はしませんが肯定するのも厳しいかと感じました。リストやパガニーニなら凄いTH-camrになったのかもしれませんね(笑)
日本は形だけ海外のマネをして、その先の理念や影響を考えていない事が多いように思います。
ストリートピアノにも少しそんな面があるように感じますね。
同感です。ストリートピアノは日本の文化的土壌に合わないかもしれない、と思うことさえあります。
もっとも場所にも依るし、ストリートピアノでしかピアノに触れられない、という環境で暮している人にとっては、ストリートピアノは、唯一の逃れ場であったりすることもありますので、一概に言いきれませんが。。
辻音楽師ならぬ、
辻TH-camrの奏でるノイズ。
こうなってはもう。。。
全く大賛成です。
音楽表現は、いつ誰がどこで何をどんな想いで演奏するのかと言うのが大前提だと思います。そのための場所と時間を自分で設定するのが第一歩でしょう。
もし、ピアノを路上や好きな場所で演奏したいのであれば自分で運ぶのが良いでしょう。
信じてもらえないかも知れませんが、ニューヨークのセントラルパークには自分で台車にのせたアップライトピアノを引っ張ってきて演奏していたピアニストもいました。
ストリートピアノではなく、ピアノを置いたフリースペースを街が用意してそこに、音楽好きな人たちが集まる と言うのが良いのではないでしょうか。
そしてそのまえに、本当にこの国で音楽と人間についての探求と教育を見直さなくてならないと思います。
えらそうですがそう思います。
ピアノはストリートでも室内でもただただピアノでいるのに、かわいそうですね。
家には電子ピアノしかありません。
音大を諦めた小母さんが、やっぱりピアノに触れたくてストピを弾いています。
月に一度、少しだけ、お付き合いください…
偶然ですが、広い視野のお話を聞けてよかったです。
あまり考えたことがなかったので目からウロコでした。ありがとうございます。
数年前にBS番組を観てピアノを始めた50代男性です。仕事の合間に中年男性がふらっと来てピアノを弾く、仲の良い友人がピアノを囲んで合唱する。素敵じゃないですか。上手い下手も関係なく音楽を楽しんでいる様子をみて、欧米では音楽愛好家の層が厚いのだろうな。。と思っていたので、日本のストリートピアノがこれほど批判されるのは残念な気持ちです。街角でピアノを弾いている人をみて、迷惑だなーと思う人もいれば、私のように自分もやってみたいと思う人もいますので、音楽文化を広げる効果はあるのではないでしょうか。あまり詳しくはないのですが、日本以外の海外でストリートピアノを公共の場で設置する是非について議論はあるのでしょうか?3月にエディンバラ空港を訪れる機会があったのですが、小さめの待合スペースにグランドピアノがありました。大勢の人がいて、弾いている人も半分練習みたいな人もいましたが、下手なりに最後まで弾き切った人に対しては「ナイストライ」という感じで拍手が起こってました。日本でもこのような光景が観れたら良いなーと思っています。
海外に行くと、人通りの多い広場や商店街でバスキングしている人をよく見かけます。音大生がバイオリンを弾いていたり、ギターやハープなど楽器は様々ですからピアノがあってもいいと思います。(ただ、置いてあるピアノはたいてい古くて音質が悪く、調律もあまりされていないのですが。)けれども、youtubeなどにアップロードするのを目的に演奏するのはどうかと思いますし、迷惑にならない程度の音量であるべきです。私にとって音楽は言葉です。音楽が流れると、誰かに絶えず話しかけられているように聞こえます。それでも生の音はあまり気になりませんが、スピーカーから流れてくる音は不快です。特にポップスやロックは大嫌いなので、カフェに座っていても寛げないし、買い物は苦痛でしかありません。買い物自体は好きなのですが、どこに行っても不快な音が溢れていて神経がずたずたになります。自分の耳が特殊なのは解っているので文句を言う気はありませんが、聞きたくない音楽を聴かない自由はありますよね。
演奏家です。
私も、公の場所での演奏は規制されても良いのでは?と考えています。
音楽は適切な場所で奏される方が、奏者も観客も快適なはずですよね…
個人的に最も苦痛なのは、自己顕示欲を芸術に持ち込んでいる点です。芸術を汚されている気がしてしまいます。
自己満足のためだけに音楽を利用している人が増えたとて、クラシック音楽が世に広まるとは思えません。
車谷さんと同じく、個人的には日常で音楽を聴きたくないので、ストリートピアノを弾いている人がいたら絶対に避けて通ってしまいます😢
確かに一部で抗議によって撤去したということはありますが、殆どの場合上手く行っています
不快に感じる人がいるから無理があるんだとのことですが、世の中にはストリートピアノ以上に不快なものが溢れており枚挙に暇がありません
私はよほどの演奏でないかぎりストリートピアノを足を停めて聴くということはありませんが、それが少々その時の気分に合わないからと言って目くじらを立てるような社会よりはストリートピアノを許容する社会の方が結局は居心地が良いと思いますね
この話は、以前から何処かで言いたかった事なので興味をもって聞かせて頂きました。
おおむね同意です。
NHKの駅ピアノ空港ピアノでも、演奏以外にどんな場所に設置されているかといった
背景も考えて見ていました。
ロビーのど真ん中なのか、通路の隅っこなのか、とか
海外などでは、目立たない場所なら自宅にピアノが無いから練習場所として利用する事も
ある様で、それはそれでアリだと思ってます。
東京都庁のピアノが成功例と言っていますが、その本意は理解しますが、どうしても
TH-camで見た人はそれが標準となってしまい、周辺の公共施設で演奏するレベルが
こうあるべきとなっているのは違う気がします。
近所に、家族連れ、あるいは友達を誘って楽しめる場所にピアノが設置されていますが
そこに行って、戦争を連想させる様な曲を弾くには、さすがに躊躇しますね
スチュエーションをこの動画で言いたかったのだと思って拝見させて頂きました。
行政(市)が設置場所と使用規則を考えた結果、ただ「置いてるだけ」のビアノになってしまい、誰も弾かない飾り物になっているのもどうかと思います。地域に受け入れられ、「静寂」も保たれる、地道な努力で音楽が親しまれる、そんな「ピアノの設置」がされるように望みます。先生のお話、とても勉強になりました。設置する側が、本当に音楽を愛していて、音楽に対するリスペクトと理解が有れば、理想に近いストリートピアノの設置が可能かもしれない、と思いました。
電気屋やスーパーのうるさい音楽は何とも思わないけれど、
人が演奏しているのは耐えられない。
つまり、その行為が許せない、という傾向があるんだと思います。
私にとっては、スーパーの下品なエンドレスで流れている音楽のほうが耐え難いんですが、
多くの日本人にとってはそうではないみたいです。
ストリートならたいてい目的地ではなく、通りすがりの場所に置かれていると思うので、
嫌なら離れればいいと思うのですが…。
日本の駅が単に狭いのかな。
後半の、ストリートピアノの理想的な在り方については納得しました。
音楽家が純粋に弾きに来て、というのが自然ですね。
配信のために演奏するのも、それを見て「得をしているのが許せない」という人も、
どちらもいびつな日本人の形が表れていると思います。
家族でBSの海外空港駅ピアノを見るのが大好きです。ふらっと1曲家族、恋人と連弾したりしているの見たら何気にいい。ちょっと出張がてらにという日常生活に素晴らしい。けど、日本のYouちゅうばーピアノ弾きはくらっしくも雑いしジャズもどきが多いし聴いてられない。そら、Theシンニホールで毎年聴く及川さんのショパンは素晴らしし、実際コモドクラブで聴いた師匠のジャズピアノはジャズの本物を感じた。自身も音楽するもんですがなんか日本のゆうちゅうぶストリートピアノはどうもしっくりこない。
こんにちは。今回も深いお話をありがとうございました。
ストリートピアノについて明快に説明してくださりなるほどと思いました。
これからも先生の音楽のお話を楽しみにしています。
続きです。当初は珍しい事もあり面白く思っていましたが、その後はっきり言えば自分の為だけ適当に演奏している様な人も出てきたりで、すっかり興醒めしています。まして公共の場ではやめてほしいですね。
おっしゃることは一つ一つ、ごもっともです。聴きたくない時の音楽は騒音です。
日本は音楽でコミュニケーションを取る、と言う歴史がないし、またピアノは、意識しないとお客が目に入らない構造ですからね。日本のピアノの歴史自体、部屋の中でお稽古事として一人で練習する、というものですから。
音楽でどうコミュニケーションをとるか、わかってない・・・
発表会以外、人前で弾いた経験のある人って少ないんじゃないかな。
弾く人も置く人も、ストリートピアノと言うものがわかってないんじゃないでしょうか。
まだ、歌とか、他の楽器の人がお客の方を向いて、お客ともピアニストともコミュニケーションを取りながらできたら、ストリートピアノの意義もあると思います。いや、ピアノだけでできればそれでもいいんですが、まだお客の顔を見てるだけ、コミュニケーションは意識するでしょう。
TH-camにプロの歌手が乱入して?なじみの曲やポップスを歌ってるのはとてもいいと思うんですが。
生で聴けた人はラッキー、TH-camで聴けるのも嬉しい。ただし演奏者が良識を持っていれば、です。
長時間占拠するのはやめてほしいですね。
ところで車田さん、お菓子を食べてる時はとても幸せそうですね!🥰🥰
利用する駅に設置されています。音に過敏なため体調を崩してしまいます。
TH-camでの動画も好きでしたが、好きな時に好きな動画を見るという前提です。
逆に興味のなかった曲を聴けた楽しみもあります。ただし、それを受け入れられる時に限ります。
職業差別につながりかねないドッキリは、非常に悲しかったです。せめて、誰も傷つかないドッキリにしてほしかった。
お話ありがとうございます。ストリートピアノが憎悪の対象になりつつあったのを少し考え直すきっかけになりました。
「隣の幼稚園で園児が遊ぶ声がうるさい」、酷いときには「田んぼの蛙の鳴き声がうるさい」と言って田んぼの所有者にクレームを入れるような寛容さのない世の中です。
ピアノが常設されていて、いつでも誰でもどんな曲でも、時には曲じゃなくただジャンジャン掻き鳴らすような行為すら許されてしまっているのが問題なのかと思います。
年に一度のストリートフェスの日に、デモ審査を経た上で街に音楽があふれる日を設ける程度ならそこまで迷惑にはならないのではないかと思います。
駅など他の目的に利用される場所に常設していつでも誰でも弾けるというのは私も少し違うと感じています。
聞きたくない人にとっては耳拷問という視点大事ですね
全くおっしゃるとおりです。聴き手あっての音楽ですから聴く人の気持ちや意見を聞かなくてはなりませんね。
そうでないとコミュニケーションとは言えない。問題になっているのは弾き手の一方通行的な弾き方ではと思います。
音楽は静かな場所で特にクラッシック。ストリートピアノは騒音あの鍵盤を叩き付ける音・音楽は・音が大切駅ピアノは、うるさいだけです!くまの出る山奥なら良いでしょう。騒音です!
車田先生
今回も素晴らしいご発信ありがとうございます(*^_^*)
本当に、こうやって説明出来たらどんなにいいだろうといつもいつも感服です!
演奏技術もマナーもジャンルも勿論ですが
私はピアニストですから
楽器を大事に扱って欲しいのです。
そんなところに置くのか とか。。。 心が痛いです。
私も自分の練習やどうしても聴きたい物以外の時間は、静寂の中に極力いますが
今の日本でそれはかなり難しい事で。。。
現状は、いわゆる「マルチタスク」の考え方に近いのかなと考えます。
一度に沢山の事を同時にしていると充実していると勘違いしているのでは?
短い時間に沢山のタスクを詰め込もうとしているのと
逆に静かだと緊張すると言う人もいるので驚きます。
静寂に耐えられない人もいるのですね。
どの店に入っても洪水の様に流れてくる音に
利用できるお店は本当に少ないです。
そして
静かな店を好むので、そういうお店は潰れて?しまいなくなってしまいます。。。
身近に
広げる
耳障りのいいこの言葉は危険ですね。。。
これからもご発信を心待ちにしておりますm(_ _)m
現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
現在、レストランピアニストをしており小さく控えめに音量に頼らず表現できると自負しております。ストリートピアノを演奏しに行きました。
前から気になっていた場所でしたので、何度か訪れた事があります。演奏中他のBGMが鳴りだし、(ああ。こんな小さくても嫌がられるのかな?)と思っていた所、しばらくしてピタッ!とBGMが止まりました。
こういう事、よくあって心で(一応プロなんで)と呟いてます😌
ストリートピアノには音が出にくい様に何かしてあり、打鍵の感覚が変でした。
ピアノが力を発揮できないよ。と悲しくもなりました。
ムードが大事!ムードが大切!
私見ですが、YAMAHAの強引とも言えるストピ設置プロモーションが一因ではないでしょうか。そして、今までいろいろなSNSや掲示板を覗いた感じでは、文句を言う人はどうやっても文句を言います。ある人が自分の嫌いなストピユーチューバーを数人挙げていたのですが全員がクラシックをメインに弾いて活動している人たちでしたw 要するにクラシックはその人の理解を超えるから嫌いなのです。 ストピ排除推進論者はジャンルを問わず静かなバラード以外は「ガチャ弾き」と称して一切認めようとしません。日本は欧州に比べてまだまだ音楽に対して狭量だなと思いました。ちなみに私は車田先生のご意見に全面的に賛成です。
日本にも「路上」文化はかつてはあったのですが・・・。今は全て行政と警察が決めてしまうので、何も出来なくなってしまいました。路上で音楽やるにも行政の許可が必要で、すぐ警察が来るところもあります。ストピはそれへのカウンター文化として、特に日本で広がりましたが、残念ながら行政や企業主導で、理念や文化理解ではなく、地域おこしの箱物なので、税金で買っといて速攻撤去とか平気でやってしまう。要は、演奏者に声かけして、粘り強く行き過ぎへの注意までケアする覚悟が設置者にあるかどうかですね。K市のケースは中々難しいわけですし。音楽もスケボもブレイクダンスも一方的に速攻禁止しといて、自分達は軽々に税金を使うわけです。児童公園も今や幼児とお母さん、高齢者だけしか遊べない。
NHKBSで見る「世界の広場」は素晴らしいですね。「広場」で色んな人に交じって10歳ぐらいの少年二人が木管楽器で練習してて、その曲がマーラーw 多様な混沌の中で知ってる人知らない人に声をかけられたり、そうやって成長していくんですよね。ちなみに商店街や観光地の音楽は日本でもJASRACの影響で激減していますよ。
まるでエンタメ化した下品な演奏が注目を集めてしまうことは、ストリートピアノの功罪だと思います。
タダで弾ける、タダで聞ける。
結局敷居を下げた結果ピアノという楽器の品格は失われ、本当にいい音楽は更に聴かれなくなる。
そしてまだ無名のアマチュア音楽家にとって厳しい世になってしまいます。
人前だと指が震えて そもそも思うような演奏出来ないけど、みんな凄いなあ。グランドピアノって音鳴らさなくても絵になるし、余裕を感じますよね。
誰も聴く人がいなければ、ストリートはやらないと思います。注目してほしいから弾いている人がほとんどではないでしょうか?ですから、迷惑だと思ったら、ピアノの置いてある場所には行かなければいいと思っています。
あちこちにピアノがあるのは、いらなくなったピアノの活性化だと聞いたことがあります。多くの方が、すぐに飽きてしまって、自宅にはおきたくないんですね。
音楽を提供するにはそれ相応の環境が必要、というのはわたしも思います。
そして、それに関連して、その環境になじむ音楽なのか?も大事だと思います。
わたしは自分でもバイオリンでオケに参加するくらいのクラシック好きですが、駅のようなざわざわしたところでいきなりベートーヴェンやショパンが鳴り響いたらしょうじきイラっとします。その手の音楽は「ながら」で聴くものではない、それこそイズマイヲタダシテ集中して聴くもの、と思ってますので、話し声や雑踏の靴音やその他がちゃがちゃした音が混じっている中にベートーヴェンが流れたら、もうそれは音楽の破壊だとさえ思えます。また、そんなところでベートーヴェンやショパンを弾くひとには、「このひといったい何考えてるの?」と思ってしまいます。
町中に音楽が流れることじたいはいいと思います。でもそこでベートヴェンやショパンはないでしょ、という気分です。
もっとBGMとして馴染む、人の気持ちを和ませる音楽はたくさんある。町中に流れて違和感のない音楽をやってもらいたい。
同感です。ストリートピアノに限らず、路上や公園で音楽を演奏する人も迷惑です。仕事から疲れて帰って着いた駅前で、大音量で演奏しているバンドがあったり、静かに休みたくて公園に入ったら、大音量で管楽器を練習している人がいたりすると、迷惑でしかありません。素人の方が、スタジオを借りて練習するお金を浮かしたいのか、あるいは自己宣伝のためかわかりませんが。。
私は音楽が好きですが、不用意に聞こえる音は正直苦手です😅
チンドン屋さんのけたたましい音に等しいのです。
先生 ありがとうございました😊
20:55 自分用しおり
同感です!
ピアノ=騒音と考えて、逆上する人が多いからでしょうね。殺人事件までおきてしまうわが国にはなじまないんでしょうね、残念なことです。
😢
深いですね!
思い出したことがあって、釣り仲間がバスの中でくさやを食べ出した。当然迷惑だからと注意した。
反論は女の人だってあの香水つけてるじゃないかであった。無知な私はただバスに乗ってる方に謝っただけでした。
私の疑問は、ストリートの所有者は、だれになるのでしょうか。駅の所有になるのですか❓
ピアノの持ち主さんから、不要ピアノを寄付された、という形になるのでしょうか。
調律や拭き手入れは、どなたの責任になるのかなあ❓たくさん疑問があるのです。
私は所詮駅だのモールなんて通り過ぎる場所ですし、こういうところにピアノがあるのは豊かな文化だなと思います。そりゃ聞きたくない曲もありますよ。アニソンとか。
ただ自分がSNSで目立って注目される為にドッカと居座って撮影のために他人を蹴散らす人達を防止する為に、SNSはこれらの動画を削除するかブロックするべきだと思います。
隣人が楽器や歌を練習するのはどこまで許せますか?ご自分の子供が習い事を始める時にどのくらい配慮が必要なのでしうか?似ている話題でお国柄も色々有りそうな話題として、ぜひ車田さんのお話を聞いてみたいです。
「ナルシシズムnarcissism」じゃないですけど僕は好きな音楽はヒトにやたら教えたくないんですよ(91歳de爆笑)
セコイこと言いますが「なんだアイツも聴いてんのか」にならないように「ひとり」で聴いていたいです(爆笑)なので「ストリート音楽」はまだ聴いた事ないですね。youtubeでは見かけますがまだです。先生のお話の向きが僕と合い似通っていましたが秘密にしたいコメントです、言い方変ですが御免なさい(爆笑)
車田先生のおっしゃる通りだと思います。
最初はストリートピアノが日本中の津々浦々に…と思っていたんですが、考え方が変わって来ました。日本のストリートピアノの現状は大雑把に3つに分けられるのではないかと思います。
①バズり系ユーチューバーの真似で表面上盛り上がっている
②設置者が定期的な弾き合い会を開催して需要喚起しても演奏者も聴衆も居ない
③既にお忍びプロから楽譜が読めない方まで対等に楽しめる空間が成立している
近未来的に①②は撤去されるでしょう。そして未来永劫に発展するのは③を満たす場所であり、地域であり、自治体ではないかと思います。
そして①②のような地域や自治体は自滅するのではないかと思います。私はそれで良いと思っております。
先生が言われている事がほぼ本質じゃないかと思います。
それから設置する側も日本らしいハーディング現象に呪われ続けていると思います。
他にもあるのならば自分のところにも、みたいな
この安直さとトレンドが癒着している感じです。バズったものも見事に放物線を描く様に衰亡すると思います。
先日ヘンテコな曲をガチャ弾きしていた人がいたので
パクりになってしまいますが先生の言った言葉でダメージ与えようと思ったのですが、
演奏後近寄って、「あーーーうまい」と言ってしまいました。
完全にミスりました !
車田先生、こんにちは。こんばんは?ありがとうございます。
車田先生のお話は、奇をてらわない、まっすぐで真面目、素直なお話し、とても良いなぁと思っています。
私は、北海道の某中核市に年1回、用事があり行っています。
某中核市の駅にピアノが設置してあります。十年ぐらい前は、古い駅で地下にラーメン屋がありレトロな駅でした。
今は線路が高架されて新しい駅です。
そうですね。音楽を聴く環境には、ないですね。ピアノが弾ける人が、演奏していましたが、なにか雑音にしか聴こえませんでした。どうしてかなぁと思います。私も、用事を終えて帰りの列車だったので、時間はありました。
ただ、私が動画や演奏会で知っているTH-camrではないピアニストやヴァイオリニストが演奏していたら足を止めていたと思います。不思議です。
私は、外で演奏することは良いことだと思いますが、駅という環境は難しいのかなぁと感じます。
公園とか、図書館、田舎にはビアガーデンはないけれど似たような所、とかで生演奏を聴きたいなぁとも思います。
私の住んでいる街のお祭りだとかでは、やはり吹奏楽が合うかなぁとか考えます。
地元の中学校の吹奏楽部とか、アマチュア市民吹奏楽団とか、または音大出もいる地方の自衛隊音楽隊とかの生演奏なんかは、あいますね。ビールを飲みながらですね。
公園や図書館では、ピアノやヴァイオリン、声楽などとても良いです。
演奏者と地域の人とのふれあいが、とても大事だと感じています。
安定した職業を退職してストリートピアノを演奏してTH-camで活躍している人もいます。私なんか単純で上手いなぁ~と・・・。そのピアニストは、地道に演奏会も開いてTH-camでも活躍しているみたいです。
今回は、私にとって難しいお話しでした。
音楽を聴く環境に適した場所なら、ピアノや他の楽器などの演奏も良いと思います。演奏者にとって地道な活動になると思います。なおさらプロの演奏者ならば地道な活動が、音楽ホールの演奏会を開いて素晴らしい演奏をすることに繋がっていくのではと思います。
まとまりのないコメントですみません。では失礼します。
日本は電車の発着に電子音の音楽を流しています。しかも駅ごとに、違う曲で。
スーパーでも安っぽい電子音の音楽を流し続けています。
クリニックで待合室にリラックス出来るような音楽をかけているのは理にかなっていると思いますが、駅やスーパーの安っぽい電子音メロディはうるさいです。
そして日本の音楽の扱いが雑なだけでなく、公園で遊ぶ子どもの声さえ騒音だという神経質な人が増えています。
働きすぎで、こうあるべきばかりに縛られている社会なので本来なら気分良くさせる音楽が駅のピアノで流れている、
ストリートミュージシャンの演奏が聴こえるものさえ苦情が来るから撤去のようになっている気もします。
社会保障も薄っぺらく成功しないと生きて行けない切迫感でどこの分野でも必死な競争社会になっているので、この仕組みや人生は楽しむものであるという事に気付かないと日本の殺伐さや安っぽさは解決出来ないように思います。
ストピTH-camrも驚かせるようなタイトルで作っているものが流れてくるので、私はあまり見ませんが😅
あっという間に増えてあっという間に撤去のような事になっている事は知りませんでした。
お金は大事なものではありますが、目立つ事、成功することの為になんでもやって良いわけではないという事を学んで欲しいなと思いますね。
漢字の「音」と「心」を組み合わせると「意」になります。どちらが欠けても、聴衆に音楽的な「意味」は伝わらないでしょう。気軽に弾いて聴けるのは便利ですが、弾く側も聴く側も、心と耳を準備しやすい落ち着いた環境のほうが望ましいですね。ストリートピアノを置く意義や状況をよく考慮してほしいと思います。
ストリートオペラにも似た印象を持っています😅
山梨の外国人に有名なお寺の下でお店が南米音楽ガンガンかけていました。いやでした。
使途が決まっていない税金を有効的に使ったということでしょうか?役人は徴収した税金を残さないようしようとしますから。
16'20"くらいでおっしゃっているように、撮影する必要はない。
しかし勉強のため自身の演奏を録音したい奏者もいるでしょう。
「奏者以外の他人 観客などを撮影するな」とだけ触れを出しておけば良く、
そうすれば撤去までする必要はなかったのではないでしょうか。
ストピでなくても他人を勝手に撮影するのは良くないわけです。
経済的事情で無料で弾ける場所で練習したい、という人の願いも満たすのは良いことです。
しかし、欧州ではどこに設置しているのだろうか。果たして駅に設置しているのだろうか?