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先生のお話を聞いて、中学の国語の先生の言葉を思い出しました。「古典というのは古いものという意味ではない。昔から変わらずに愛されて現在まで残されてきたものだ」という言葉です。クラシック音楽も、長い間聴衆の心を動かし続けてきたという実証に裏打ちされた良作だということですね🎵過去のものでもあり、現在のものでもある。そして、未来にも残されていくであろうものなのでしょうね🎵
車田さんは、いつも音楽について話されておられますが、そのお話は音楽以外の分野においても普遍的な共通性について語られているように感じられ、自分もハット気が付かされる事があり、自分はまだまだだなあと自戒しております。今回のお話で、ショーペンハウエルの「本物は時代を越えて行く」という言葉を想い出しました。これは現代においていくら一世を風靡しようとも、本物でなければ五十年、百年と歳月が過ぎてしまうと、人々から完全に忘れ去られてしまう。バッハやモーツァルトの作品は、もう二百年以上の風雪を凌ぎ、人々の心に生き残こり、これからも忘れ去られぬ本物として生きながらえていくのでしょう。
「クラシック音楽はどれも素晴らしく、安心して積極的に聴いて良い」…とても暖かい気持ちになり、改めて好きになって良かったなぁ~と思えました😊♪「改善の余地が有った曲」という表現も、偉大な作曲家達への愛情と尊敬を感じましたし、研究、絵画等々の多くの専門分野にも共通する事だなと思いました。ある曲を好きな理由や、感情を揺さぶられる理由を探したい時に、どんなリズムなのか、メロディーやコードの流れ、形式や和声の美しさ、調性を考えて作曲された、時代背景、作曲家のその時の境遇…等を知らないよりは知っていた方がしっくりきたりする場合が有りますから、そういう意味では勉強もした方がプラスですね 。あと、強く思うのは、当時の時代の環境と境遇と物資の中で、曲を楽譜に残すという作業の大変さ、( 古、いにしえであれば有る程 )膨大な時間を費やしたであろうその苦労を想像してみると、尊敬という言葉では簡単には現せない程の気持ちになります。手書きや、現在では有難いソフトでの楽譜作成を経験していると、余計にそう思うのです。ましてや作曲だなんて本当にすごい事なのだと、もうもう、つくづく…です❗️
愛とリスペクトに溢れた、何て素敵なコメントなのでしょう‼︎ しかも、名曲の分析・考察の方法まで指南して下さっている。とても勉強になりました😊😊一日の終わりに、もう一度このコメント欄を読み返して本当に良かった。明日からの一週間を、前向きな気持ちで迎えられそうです。ありがとう、ありがとう‼︎ 😊❤😊❤😊
@@sH-cr5zc様返信をありがとうございます、何だか恐縮です💦まだまだ慣れず、出来るだけコンパクトに、誤解の無いように、車田さんのお話から逸れないように、知ったかぶりにならないように等と読み返し「良し」コメントをと思うのですが、いつもこうすれば良かったと、直したくなる所が見つかり「悪し」コメントに…💦お礼を頂戴するとは思いがけず、でも嬉しいです「ありがとう」のお言葉。どうぞ素敵な一週間になりますように🌠
改めて、プロの道で生きる人達の厳しさを感じました😥私はアマチュア音楽愛好家、且つ常に聴衆。クラシック音楽がいちばん好きですが、歌謡曲・民族音楽・その他いろいろ、来るもの拒まず何でも聴きます。むしろ何でも聴いてみよう、と思っている。正に『良し悪し』より『好き嫌い』ですね。これぞ、アマチュアならではの特権‼︎今日の解説は、これからプロの道に進む音楽家の卵達に、是非、聴いてほしい‼︎ といった内容でした。桜の花🌸も、日本列島を彩り始めました。音大に入学した人、卒業してプロとしての一歩を踏み出した人達……それぞれの春。皆様にエールを送ります。そして、車田先生の益々のご活躍をお祈り申し上げます🌸🌸🌸🌸🌸
車田先生のお話しで、音楽の知識、愛が深まり感謝しております。
どうもありがとうございます😊😊
私は今「音楽の好悪と良否は別もの」という車田先生の解説に深く頷いています。若かりしときに音学の評価について友人と口論になり、あたら良き友人を失ったことがあります。後年になって将に「音楽の好悪と良否」を混同した、浅はかで自前勝手な行為だったと悔やまれました。今回、今でも音楽に限らず日常生活の色々な局面で、家族や友人たちに同じような迷惑をかけているかもしれないと自省を促されました。
土台のしっかりしたスジの通った丁寧なお話、毎回感心しております。
初めてコメントさせていただきます。音楽の良し悪しを誰が判断するのかと言うことも大切ですね。作者、演者自身の作品を評価するのか。師弟関係にあり教える側が評価するのか。昨今のSNSを見ている限り慎重にしなければならないのは第三者による良し悪しの判断でしょう。言葉に出すべきか、あるいは心の中に収めておくべきなのかを慎重にすべきだと思います。
未熟な我々が良し悪しをジャッジしようとすると、楽曲の持つ感情や楽曲の素晴らしさを置き去りにしてしまいがちになりますね。最近、私はそんなことよりも曲の持つ感情やエネルギーに身を委ねることにしています。なんか良し悪しにこだわってしまうのも勿体無いような気がして…
同感です‼︎ その曲を聴く前と後での自分が変わっている!(良い意味で)……私にとっては、それが良い曲😊😊 技術的なことは全く分かりませんが🤭理想的なのは、『良い曲』と直観的に思ったものが、後で専門家が分析してみたら技巧的にも優れている、と判明することかな。アマチュアの私は、とにかく何より楽しみたいのです😊❤😊
「ピカソなんて落書きじゃん」みたいなもんですね良し悪しというか、規範的かそうじゃないか、規範的でないとすれば意図的かそうでないか、意図的だとすればその意図は実現されたか、あたりなのかなぁと思いますまず規範を知らないといけないし、どこまで規範から外せるのかも知らないといけないなんか歳食ってくると、若い頃はわからなかった色んなジャンルのモノが、あぁ、なるほどこれはいいモノだ、って思えるようになってきました
クラシックの作曲家たちには、やはり敬意を持っていくべきですよね。良し悪しがわかった気になることほど怖いことはありません。
いつも素晴らしい動画ありがとうございます。良し悪し、確かに私のような素人がジャッジする余地はないですね。先生の仰る通り、歴史が証明しています。そう考えると14世紀のマショーなども凄すぎます。私は単純に好きなジャンルはバロック、次いで古典派、初期ロマン派でしたが、素人ながら見聞を広めるつもりでブルックナーやマーラーも聞いています。この辺は年中聞くというわけではないですが、ブルックナーはとてもすきになりました。マーラーも1番や4番などライトな作品は心地よく聞ける程度にはなれました。重い作品としては例外的には何故か2番合唱もすきです。ロマン派も後期に近づくほど、つまみ食い向きではないのかもしれないですね。じっくり腰を据えて挑む必要がありそう。今の所1900年以降生まれの作曲家は手をつけられていませんが、今後の楽しみにとっておこうと思います。
時の審判を潜り抜けたクラッシック音楽を楽譜があるがゆえに再現できます。私たちは幸福な世代です。クラッシック音楽が存在しない時代に生きた多くの人々がいたわけですから。
今日も大変内容の深いお話でした。そして、車田先生のように、専門的に学ばれている方だからこそ、お話できるのだと思いました。私みたいに、趣味で音楽が好きだという人間が、話せるものではありませんし、また、評価できるものではないと思います。もちはもちやです。それは、ある意味わたくしはとても大切なことであると思います。
『多くの作曲家の学生時代の作品は、どちらかと言えば出来が悪い作品』と、この動画の中で先生は仰っていました。私がこの言葉で真っ先に思い浮かんだのは、ショパンのピアノ協奏曲です。今回ここで、このような質問をするべきか悩んだのですが、以前からずっと気になっていたので、書きます‼︎この曲は、今回の作曲技法など、専門的な見地から『良し悪し』をいう場合、どうなのでしょうか? 他の作曲家のピアノ協奏曲と聴き比べると、オーケストラの他の楽器との掛け合いが弱いし、みんなで曲を創り上げている、というよりは『ピアノと伴奏』という風に聴こえてしまう。ショパンって、意外とオレ様キャラ⁉︎……なんて思ってしまったりして😅このピアノ協奏曲は、正にショパンがパリで活躍する前の、本当に若い時の作品。私自身は、この作品、特に第2番は大好きです。ただ、今回のお話であったように、『好き嫌い』とか『人気がある』とは違った次元で評価した場合、ショパンの協奏曲ってどうなんだろう?……と。このチャンネルには、現役のプロの方や、知識や情報に長けた愛好家の方など、色々な方が集っているので、もし差し支えなかったら、ご意見を聴かせてください😊😊
本筋からずれているかも知れませんが、今回の先生のお話は、音楽のみならず人生そのものにも通じるお話だと思いました。人生の凡ゆる事象において「良し悪し」を的確に、自分の「好き嫌い」ではない基準で判断することは非常に重要なことなのかもしれませんね。
仰っているように、何を基準にするか、ということに尽きますね。クラシックの作曲技法のお話もありましたが、それはクラシックの世界の中での話であって、クラシック音楽以外を聴く人にとっては意味のない基準です。絶対的・本質的な音楽の良し悪しというのはあるのでしょうかね…私自身はクラシックは好きですし、今まで多くの人に愛されて残ったものは音楽であれ文学であれ素晴らしいのだろうと思っていますが、結局それは判断を人に委ねているわけですよね。
『絶対的・本質的な音楽の良し悪し』……魂を揺さぶるもの‼︎ と、私は思ってます😊❤😊
@@sH-cr5zc 返信ありがとうございます。私も自分の中での良し悪しはそれで完全に納得できるのですが、すると結局は人それぞれということになるような気がします。100人が魂を揺さぶられた!と感じても、そう感じない1人にそれを良い音楽であると言うことができるのかどうか…。
何か音楽だけではないように思えました。
ポッキーとコーヒーは鉄板!よくアウトドアでコーヒーを淹れるんですが、必ずポッキーも持っていきます。
「良し悪し」を語るのがセンシティブだというのは、もちろん「悪し」を指摘される個人の感情もあるでしょうが、絶対的な価値観は存在しないとする文化相対主義的な流れもあるのかなと思います。確かにベートーヴェンやバッハは時代を超越するだけの価値や理由があると思いますが、その価値や理由は西洋のクラシックという文化圏、つまり「良し悪し」の判断基準においてのものです。幕末の日本人にクラシック音楽の優位性を語っても、そう簡単には受け入れられませんでした。 だからこそ、「クラシック」=「伝統」が、どういった文脈での「伝統」なのかを客観的に知ることが重要なのかなと思います。クラシックのレッスンを受けながら、個人的な好き嫌いを持ち出して「良し悪し」をジャッジするのはそもそも筋違い、という事ですね。 これは個人的な価値観と、社会的な価値観(=道徳)の関係に似ているかもしれません。ある道徳に100%共感できずとも、その価値や理由を知ることは重要ですね。
なんかの本でこの世には良い音楽と悪い音楽があるのではなく、良い演奏と悪い演奏があるだけだ。ってのを見たことがあります。なんか腑に落ちないなぁと思ったのですが、この話でよく分かりました。今残っているのがすでに良い音楽なんですね。数多散っていった、数々の交響曲とかってあるんだろうな。。ちょっと興味が出てきました。
俯瞰されたお話とても素晴らしい
今のクラシックの作品はトップ中のトップだと車田先生の解説には驚きでしかありません。この年になって音大に行ってクラシックを勉強したくなりました。
私は、まず、聴いてみて、気に入れば、最後まで聴いて、更に気に入れば、何回か聴きますね。おっしゃる通り、作曲技術を自分のものにしている作曲家の作品は、良い作品が多いですね。しかし、ベートーヴェンの曲でも、駄作はありますね。仕方ないですね。また、一曲だけ、有名になった方もおられますね。バロック音楽、バッハ、ヴィヴァルディ、ヘンデル、ラモー、リュリ、ボッケリーニ、パーセル、マルチェロ、たくさんありますが、私は、バッハがたくさん優れた曲を作っているなぁと思います。でも、良い音楽に、時代は関係ないと思いますが、いかがでしょうか。ポッキー、美味しそうですね。
曲の良し悪しを決めるには、ヒット曲かどうかも判断基準の一つと思います。ビートルズにもヒット曲と駄作はあります。ショパンのノクターンでは、作品9-2が圧倒的な人気がありますが、より音楽性が高いノクターンも多いです。バラードでは、1番より4番が音楽性が高いと言われますが、1番のほうが心が躍動します。バッハにおいても、無伴奏バイオリンパルティータ3番より2番のほうが音楽性が高いです。しかし、仕事で疲れたときは3番のほうを聞きたくなります。音楽性の高さとヒット性を考えた時に、音楽の良し悪しの判断は単純ではないと私は思います。
素人の私には、やはり作品の好き嫌いはあっても、良し悪しというのは判断がつかず、かつイメージも湧かないですね。私のように趣味で聴くだけのものは、概念があるということだけを理解しておくぐらいで良いのでしょうか?
昔リムスキー=コルサコフの著作で「よい音かそうでない音しか存在しない」(記憶が薄れ表現のニュアンスがもう少し違った気がしますが)というのを見ました。その後フランクの逸話としてどこかで「注意深く書けば、技巧的でなくても洗練された音楽が書ける」というのをきいてから全く自分はいい音楽を書けてないと理解できました。
確かに絵画や文学のように音楽にも良し悪しはあるのでしょうね。ただ、音楽評論家の方々は好きにはなれませんが・・・
良し悪し、というと難しいです。ジャンルとしては今でもたまに聞く日本人の現代曲(妙に変拍子が多く主題がわからない曲)は私は分析できません。百年もたてば評価されるのかもしれません。この前フェラ-リの「マドンナの宝石」を聞きたくCDを買いましたが、他に「歌劇・愚かな女・序曲」という短曲が入っていました。あまり評価されなかった曲のようですが、聴きやすい曲でしたのではまっています🤣
長い時間の中で淘汰・陶冶されてきたクラシックの諸作品(これは美術でも、西洋以外の音楽でも、学術一般にも当てはまりますが)は、テキストとして対象を「然るべく読み解けているか」が判断の根底になろうかと思います。演奏の評価(その演奏家の力量)、作品の評価(作曲家の力量)というのは、そういう意味から考えると、印象批評として立派な批評をすることは、今日の斯界では、かなり難しいことになろうかと思います。一方で、何らかの契機で、埋もれていたものへの再評価・・・などというのは、歴史の塵や垢を払って、テキスト自体にバイアスをかけずに対峙した結果の判断である場合、それなりの新知見を世の中に放つという意味で有意義な思考の成果物かもしれません。我流で、ある作品・楽曲に対して「この和声の進行は何だろう・・・」「うわ、解決になってない!」などと分析をする、演奏・解釈の巧拙・趣味判断を取り沙汰するのは「知的な実験」としては面白いかもしれませんが、余程の度胸・検討した本人自身の力量がなければ、単なる好悪による雑評・・・として、歴史の塵芥となる運命を辿るのでしょう・・・・・
Laufeyさん、ややハスキーながらもストレスのない美しい歌声ですね。
日本で言うと「j-popは死んだ」というワードがありますね。理由は男女アイドル音楽と小室音楽とつんくと歌唱力ゼロのビジュアル歌手などが原因かと。私のようにクラシック、ジャズ、サウンドトラック、マリナ・デビャートバのような対象を一流芸術として聞く人にとってはどうでもいいですが。世の中には音楽に全く興味の無い人がいたり、歌唱力ゼロの悪ぶったラップ音楽を聴いて自分のファッションの一部としている人もいます。だから結論は人それぞれの感性と思います。クラシックで言うとおっしゃるとおり名曲扱いになったのとそうじゃない曲(凡作)の違いでしょうかね。クラシック音楽でも世の中は名曲扱いしている曲でも、いくつか自分では平凡曲でサッパリだと思うのも多々ありますし。という事は極論は個人の好みかな。
好悪と良し悪しとは違うというのはもっともな話ですし、先生のおっしゃることは分かるのですが、先生の言うところの「良し悪し」とは「優劣」と同義なのでしょうか?もし同義だとすれば、例えば、ブラームスの4つの交響曲のランクづけ(好悪ではない)が可能だということなのでしょうか(例えば1番は4番より優れているというような評価です)?
良し悪しの判断基準は多過ぎて一筋縄では行かないのでね 時代によっても移り変わったりする 私にとって悪い音楽の典型がホテルに滞在していて漏れ聴こえて来る酔っ払いのカラオケの歌声… 特にド演歌に至っては…… たった90年やそこらの歴史しか無いのに、何が日本人の心だ? 今の日本国より短い歴史しか無い大日本帝国を『日本』だと思ってるのと同じくらいに醜悪 でも、歌っている本人にとっては良い音楽の極地…
楽曲の良しあしはあります。モーツァルトが幼少の時に作った習作と、晩年の傑作はどちらが音楽的に優れているかというと後者ですよね。ベートーヴェンでも、お金のために作った民謡の編曲や戦争交響曲などの世俗的な雑多な作品群は他の傑作に比べたら音楽的価値が劣ると言わざるを得ないでしょう。楽曲の良しあしはあります。好き嫌いとは別です。
ゾロ目ですな!!!
一つ、気になった点は発表当時は酷評された曲が、後に、作曲家が大成したことで世に出されて、この作曲家の作品だから素晴らしいと評価していいのでしょうか?
お話お聞きして、そのようなことでしたら、善し悪しというより、完成度の高い低いということではないかな、と思いました。善悪という道徳的な観念とは異質な気がします。モーツァルトの「音楽の冗談」という曲を楽しめるのは、完成度の低さ・苦し紛れのつじつま合わせをネタにしているからでしょうし。別の意味で、「悪い音楽」「悪い演奏」というのはある気がします。邪悪な願望を掻き立てるような音楽、曲の世界観を侮蔑するかのような奇をてらった演奏、曲の神髄にアプローチしようせず奏者に注目をむけさせることだけを狙ったような演奏など。残念ながらそのような演奏に遭遇することがたまにあります。
音楽の良し悪し ですか? 演奏技術の良し悪しは素人の私にも分かりますが、作曲の良し悪しは、正直分かりません。そもそも楽譜読めませんから・・・ははは。 世の中の傾向として音楽に限らず、良し悪しを判断しない事は多くなっていますね、そこは車田さんの仰る通りだと思います。例えばTVで料理や食事の番組がありますが、「美味しい」「甘い」しか言わないですから、本当のことが分からないですね。ホントのことが言いにくい世の中になったと感じています。作曲の良し悪しって、素人の私が耳で聞いて、どう聞こえるんでしょうか? 聞き比べてみたいです。
先生のお話を聞いて、中学の国語の先生の言葉を思い出しました。
「古典というのは古いものという意味ではない。昔から変わらずに愛されて現在まで残されてきたものだ」という言葉です。
クラシック音楽も、長い間聴衆の心を動かし続けてきたという実証に裏打ちされた良作だということですね🎵
過去のものでもあり、現在のものでもある。
そして、未来にも残されていくであろうものなのでしょうね🎵
車田さんは、いつも音楽について話されておられますが、そのお話は音楽以外の分野においても普遍的な共通性について
語られているように感じられ、自分もハット気が付かされる事があり、自分はまだまだだなあと自戒しております。
今回のお話で、ショーペンハウエルの「本物は時代を越えて行く」という言葉を想い出しました。これは現代において
いくら一世を風靡しようとも、本物でなければ五十年、百年と歳月が過ぎてしまうと、人々から完全に忘れ去られてしまう。
バッハやモーツァルトの作品は、もう二百年以上の風雪を凌ぎ、人々の心に生き残こり、これからも忘れ去られぬ本物と
して生きながらえていくのでしょう。
「クラシック音楽はどれも素晴らしく、安心して積極的に聴いて良い」…とても暖かい気持ちになり、改めて好きになって良かったなぁ~と思えました😊♪
「改善の余地が有った曲」という表現も、偉大な作曲家達への愛情と尊敬を感じましたし、研究、絵画等々の多くの専門分野にも共通する事だなと思いました。
ある曲を好きな理由や、感情を揺さぶられる理由を探したい時に、どんなリズムなのか、メロディーやコードの流れ、形式や和声の美しさ、調性を考えて作曲された、時代背景、作曲家のその時の境遇…等を知らないよりは知っていた方がしっくりきたりする場合が有りますから、そういう意味では勉強もした方がプラスですね 。
あと、強く思うのは、当時の時代の環境と境遇と物資の中で、曲を楽譜に残すという作業の大変さ、( 古、いにしえであれば有る程 )膨大な時間を費やしたであろうその苦労を想像してみると、尊敬という言葉では簡単には現せない程の気持ちになります。
手書きや、現在では有難いソフトでの楽譜作成を経験していると、余計にそう思うのです。
ましてや作曲だなんて本当にすごい事なのだと、もうもう、つくづく…です❗️
愛とリスペクトに溢れた、何て素敵なコメントなのでしょう‼︎ しかも、名曲の分析・考察の方法まで指南して下さっている。とても勉強になりました😊😊
一日の終わりに、もう一度このコメント欄を読み返して本当に良かった。明日からの一週間を、前向きな気持ちで迎えられそうです。ありがとう、ありがとう‼︎
😊❤😊❤😊
@@sH-cr5zc様
返信をありがとうございます、何だか恐縮です💦
まだまだ慣れず、出来るだけコンパクトに、誤解の無いように、車田さんのお話から逸れないように、知ったかぶりにならないように等と読み返し「良し」コメントをと思うのですが、いつもこうすれば良かったと、直したくなる所が見つかり「悪し」コメントに…💦
お礼を頂戴するとは思いがけず、でも嬉しいです「ありがとう」のお言葉。
どうぞ素敵な一週間になりますように🌠
改めて、プロの道で生きる人達の厳しさを感じました😥
私はアマチュア音楽愛好家、且つ常に聴衆。クラシック音楽がいちばん好きですが、歌謡曲・民族音楽・その他いろいろ、来るもの拒まず何でも聴きます。むしろ何でも聴いてみよう、と思っている。正に『良し悪し』より『好き嫌い』ですね。これぞ、アマチュアならではの特権‼︎
今日の解説は、これからプロの道に進む音楽家の卵達に、是非、聴いてほしい‼︎ といった内容でした。桜の花🌸も、日本列島を彩り始めました。音大に入学した人、卒業してプロとしての一歩を踏み出した人達……それぞれの春。皆様にエールを送ります。そして、車田先生の益々のご活躍をお祈り申し上げます🌸🌸🌸🌸🌸
車田先生のお話しで、音楽の知識、愛が深まり感謝しております。
どうもありがとうございます😊😊
私は今「音楽の好悪と良否は別もの」という車田先生の解説に深く頷いています。
若かりしときに音学の評価について友人と口論になり、あたら良き友人を失ったことがあります。
後年になって将に「音楽の好悪と良否」を混同した、浅はかで自前勝手な行為だったと悔やまれました。
今回、今でも音楽に限らず日常生活の色々な局面で、家族や友人たちに同じような迷惑をかけているかもしれないと自省を促されました。
土台のしっかりしたスジの通った丁寧なお話、毎回感心しております。
初めてコメントさせていただきます。
音楽の良し悪しを誰が判断するのかと言うことも大切ですね。
作者、演者自身の作品を評価するのか。
師弟関係にあり教える側が評価するのか。
昨今のSNSを見ている限り慎重にしなければならないのは第三者による良し悪しの判断でしょう。言葉に出すべきか、あるいは心の中に収めておくべきなのかを慎重にすべきだと思います。
未熟な我々が良し悪しをジャッジしようとすると、楽曲の持つ感情や楽曲の素晴らしさを置き去りにしてしまいがちになりますね。
最近、私はそんなことよりも曲の持つ感情やエネルギーに身を委ねることにしています。
なんか良し悪しにこだわってしまうのも勿体無いような気がして…
同感です‼︎ その曲を聴く前と後での自分が変わっている!(良い意味で)……私にとっては、それが良い曲😊😊 技術的なことは全く分かりませんが🤭
理想的なのは、『良い曲』と直観的に思ったものが、後で専門家が分析してみたら技巧的にも優れている、と判明することかな。
アマチュアの私は、とにかく何より楽しみたいのです😊❤😊
「ピカソなんて落書きじゃん」みたいなもんですね
良し悪しというか、規範的かそうじゃないか、規範的でないとすれば意図的かそうでないか、意図的だとすればその意図は実現されたか、あたりなのかなぁと思います
まず規範を知らないといけないし、どこまで規範から外せるのかも知らないといけない
なんか歳食ってくると、若い頃はわからなかった色んなジャンルのモノが、あぁ、なるほどこれはいいモノだ、って思えるようになってきました
クラシックの作曲家たちには、やはり敬意を持っていくべきですよね。良し悪しがわかった気になることほど怖いことはありません。
いつも素晴らしい動画ありがとうございます。
良し悪し、確かに私のような素人がジャッジする余地はないですね。先生の仰る通り、歴史が証明しています。そう考えると14世紀のマショーなども凄すぎます。
私は単純に好きなジャンルはバロック、次いで古典派、初期ロマン派でしたが、素人ながら見聞を広めるつもりでブルックナーやマーラーも聞いています。この辺は年中聞くというわけではないですが、ブルックナーはとてもすきになりました。マーラーも1番や4番などライトな作品は心地よく聞ける程度にはなれました。重い作品としては例外的には何故か2番合唱もすきです。
ロマン派も後期に近づくほど、つまみ食い向きではないのかもしれないですね。じっくり腰を据えて挑む必要がありそう。
今の所1900年以降生まれの作曲家は手をつけられていませんが、今後の楽しみにとっておこうと思います。
時の審判を潜り抜けたクラッシック音楽を楽譜があるがゆえに再現できます。私たちは幸福な世代です。クラッシック音楽が存在しない時代に生きた多くの人々がいたわけですから。
今日も大変内容の深いお話でした。そして、車田先生のように、専門的に学ばれている方だからこそ、お話できるのだと思いました。私みたいに、趣味で音楽が好きだという人間が、話せるものではありませんし、また、評価できるものではないと思います。
もちはもちやです。それは、ある意味わたくしはとても大切なことであると思います。
『多くの作曲家の学生時代の作品は、どちらかと言えば出来が悪い作品』と、この動画の中で先生は仰っていました。私がこの言葉で真っ先に思い浮かんだのは、ショパンのピアノ協奏曲です。
今回ここで、このような質問をするべきか悩んだのですが、以前からずっと気になっていたので、書きます‼︎
この曲は、今回の作曲技法など、専門的な見地から『良し悪し』をいう場合、どうなのでしょうか? 他の作曲家のピアノ協奏曲と聴き比べると、オーケストラの他の楽器との掛け合いが弱いし、みんなで曲を創り上げている、というよりは『ピアノと伴奏』という風に聴こえてしまう。ショパンって、意外とオレ様キャラ⁉︎……なんて思ってしまったりして😅
このピアノ協奏曲は、正にショパンがパリで活躍する前の、本当に若い時の作品。私自身は、この作品、特に第2番は大好きです。ただ、今回のお話であったように、『好き嫌い』とか『人気がある』とは違った次元で評価した場合、ショパンの協奏曲ってどうなんだろう?……と。
このチャンネルには、現役のプロの方や、知識や情報に長けた愛好家の方など、色々な方が集っているので、もし差し支えなかったら、ご意見を聴かせてください😊😊
本筋からずれているかも知れませんが、今回の先生のお話は、音楽のみならず人生そのものにも通じるお話だと思いました。
人生の凡ゆる事象において「良し悪し」を的確に、自分の「好き嫌い」ではない基準で判断することは非常に重要なことなのかもしれませんね。
仰っているように、何を基準にするか、ということに尽きますね。クラシックの作曲技法のお話もありましたが、それはクラシックの世界の中での話であって、クラシック音楽以外を聴く人にとっては意味のない基準です。絶対的・本質的な音楽の良し悪しというのはあるのでしょうかね…
私自身はクラシックは好きですし、今まで多くの人に愛されて残ったものは音楽であれ文学であれ素晴らしいのだろうと思っていますが、結局それは判断を人に委ねているわけですよね。
『絶対的・本質的な音楽の良し悪し』……魂を揺さぶるもの‼︎ と、私は思ってます😊❤😊
@@sH-cr5zc 返信ありがとうございます。
私も自分の中での良し悪しはそれで完全に納得できるのですが、すると結局は人それぞれということになるような気がします。100人が魂を揺さぶられた!と感じても、そう感じない1人にそれを良い音楽であると言うことができるのかどうか…。
何か音楽だけではないように思えました。
ポッキーとコーヒーは鉄板!
よくアウトドアでコーヒーを淹れるんですが、必ずポッキーも持っていきます。
「良し悪し」を語るのがセンシティブだというのは、もちろん「悪し」を指摘される個人の感情もあるでしょうが、絶対的な価値観は存在しないとする文化相対主義的な流れもあるのかなと思います。確かにベートーヴェンやバッハは時代を超越するだけの価値や理由があると思いますが、その価値や理由は西洋のクラシックという文化圏、つまり「良し悪し」の判断基準においてのものです。幕末の日本人にクラシック音楽の優位性を語っても、そう簡単には受け入れられませんでした。
だからこそ、「クラシック」=「伝統」が、どういった文脈での「伝統」なのかを客観的に知ることが重要なのかなと思います。クラシックのレッスンを受けながら、個人的な好き嫌いを持ち出して「良し悪し」をジャッジするのはそもそも筋違い、という事ですね。
これは個人的な価値観と、社会的な価値観(=道徳)の関係に似ているかもしれません。ある道徳に100%共感できずとも、その価値や理由を知ることは重要ですね。
なんかの本でこの世には良い音楽と悪い音楽があるのではなく、良い演奏と悪い演奏があるだけだ。ってのを見たことがあります。
なんか腑に落ちないなぁと思ったのですが、この話でよく分かりました。今残っているのがすでに良い音楽なんですね。
数多散っていった、数々の交響曲とかってあるんだろうな。。ちょっと興味が出てきました。
俯瞰されたお話
とても素晴らしい
今のクラシックの作品はトップ中のトップだと車田先生の解説には驚きでしかありません。この年になって音大に行ってクラシックを勉強したくなりました。
私は、まず、聴いてみて、気に入れば、最後まで聴いて、更に気に入れば、何回か聴きますね。おっしゃる通り、作曲技術を自分のものにしている作曲家の作品は、良い作品が多いですね。しかし、ベートーヴェンの曲でも、駄作はありますね。仕方ないですね。また、一曲だけ、有名になった方もおられますね。バロック音楽、バッハ、ヴィヴァルディ、ヘンデル、ラモー、リュリ、ボッケリーニ、パーセル、マルチェロ、たくさんありますが、私は、バッハがたくさん優れた曲を作っているなぁと思います。でも、良い音楽に、時代は関係ないと思いますが、いかがでしょうか。ポッキー、美味しそうですね。
曲の良し悪しを決めるには、ヒット曲かどうかも判断基準の一つと思います。ビートルズにもヒット曲と駄作はあります。ショパンのノクターンでは、作品9-2が圧倒的な人気がありますが、より音楽性が高いノクターンも多いです。バラードでは、1番より4番が音楽性が高いと言われますが、1番のほうが心が躍動します。バッハにおいても、無伴奏バイオリンパルティータ3番より2番のほうが音楽性が高いです。しかし、仕事で疲れたときは3番のほうを聞きたくなります。音楽性の高さとヒット性を考えた時に、音楽の良し悪しの判断は単純ではないと私は思います。
素人の私には、やはり作品の好き嫌いはあっても、良し悪しというのは判断がつかず、かつイメージも湧かないですね。私のように趣味で聴くだけのものは、概念があるということだけを理解しておくぐらいで良いのでしょうか?
昔リムスキー=コルサコフの著作で「よい音かそうでない音しか存在しない」
(記憶が薄れ表現のニュアンスがもう少し違った気がしますが)というのを見ました。
その後フランクの逸話としてどこかで「注意深く書けば、技巧的でなくても洗練された
音楽が書ける」というのをきいてから全く自分はいい音楽を書けてないと理解できました。
確かに絵画や文学のように音楽にも良し悪しはあるのでしょうね。ただ、音楽評論家の方々は好きにはなれませんが・・・
良し悪し、というと難しいです。
ジャンルとしては今でもたまに聞く日本人の現代曲(妙に変拍子が多く主題がわからない曲)は私は分析できません。百年もたてば評価されるのかもしれません。
この前フェラ-リの「マドンナの宝石」を聞きたくCDを買いましたが、他に「歌劇・愚かな女・序曲」という短曲が入っていました。あまり評価されなかった曲のようですが、聴きやすい曲でしたのではまっています🤣
長い時間の中で淘汰・陶冶されてきたクラシックの諸作品(これは美術でも、西洋以外の音楽でも、学術一般にも当てはまりますが)は、テキストとして対象を「然るべく読み解けているか」が判断の根底になろうかと思います。
演奏の評価(その演奏家の力量)、作品の評価(作曲家の力量)というのは、そういう意味から考えると、印象批評として立派な批評をすることは、今日の斯界では、かなり難しいことになろうかと思います。
一方で、何らかの契機で、埋もれていたものへの再評価・・・などというのは、歴史の塵や垢を払って、テキスト自体にバイアスをかけずに対峙した結果の判断である場合、それなりの新知見を世の中に放つという意味で有意義な思考の成果物かもしれません。
我流で、ある作品・楽曲に対して「この和声の進行は何だろう・・・」「うわ、解決になってない!」などと分析をする、演奏・解釈の巧拙・趣味判断を取り沙汰するのは「知的な実験」としては面白いかもしれませんが、余程の度胸・検討した本人自身の力量がなければ、単なる好悪による雑評・・・として、歴史の塵芥となる運命を辿るのでしょう・・・・・
Laufeyさん、ややハスキーながらもストレスのない美しい歌声ですね。
日本で言うと「j-popは死んだ」というワードがありますね。理由は男女アイドル音楽と小室音楽とつんくと歌唱力ゼロのビジュアル歌手などが原因かと。
私のようにクラシック、ジャズ、サウンドトラック、マリナ・デビャートバのような対象を一流芸術として聞く人にとってはどうでもいいですが。
世の中には音楽に全く興味の無い人がいたり、歌唱力ゼロの悪ぶったラップ音楽を聴いて自分のファッションの一部としている人もいます。
だから結論は人それぞれの感性と思います。クラシックで言うとおっしゃるとおり名曲扱いになったのとそうじゃない曲(凡作)の違いでしょうかね。
クラシック音楽でも世の中は名曲扱いしている曲でも、いくつか自分では平凡曲でサッパリだと思うのも多々ありますし。という事は極論は個人の好みかな。
好悪と良し悪しとは違うというのはもっともな話ですし、先生のおっしゃることは分かるのですが、先生の言うところの「良し悪し」とは「優劣」と同義なのでしょうか?
もし同義だとすれば、例えば、ブラームスの4つの交響曲のランクづけ(好悪ではない)が可能だということなのでしょうか(例えば1番は4番より優れているというような評価です)?
良し悪しの判断基準は多過ぎて一筋縄では行かないのでね 時代によっても移り変わったりする 私にとって悪い音楽の典型がホテルに滞在していて漏れ聴こえて来る酔っ払いのカラオケの歌声… 特にド演歌に至っては…… たった90年やそこらの歴史しか無いのに、何が日本人の心だ? 今の日本国より短い歴史しか無い大日本帝国を『日本』だと思ってるのと同じくらいに醜悪 でも、歌っている本人にとっては良い音楽の極地…
楽曲の良しあしはあります。モーツァルトが幼少の時に作った習作と、晩年の傑作はどちらが音楽的に優れているかというと後者ですよね。
ベートーヴェンでも、お金のために作った民謡の編曲や戦争交響曲などの世俗的な雑多な作品群は他の傑作に比べたら音楽的価値が劣ると言わざるを得ないでしょう。
楽曲の良しあしはあります。好き嫌いとは別です。
ゾロ目ですな!!!
一つ、気になった点は発表当時は酷評された曲が、後に、作曲家が大成したことで世に出されて、この作曲家の作品だから素晴らしいと評価していいのでしょうか?
お話お聞きして、そのようなことでしたら、善し悪しというより、完成度の高い低いということではないかな、と思いました。善悪という道徳的な観念とは異質な気がします。モーツァルトの「音楽の冗談」という曲を楽しめるのは、完成度の低さ・苦し紛れのつじつま合わせをネタにしているからでしょうし。
別の意味で、「悪い音楽」「悪い演奏」というのはある気がします。邪悪な願望を掻き立てるような音楽、曲の世界観を侮蔑するかのような奇をてらった演奏、曲の神髄にアプローチしようせず奏者に注目をむけさせることだけを狙ったような演奏など。残念ながらそのような演奏に遭遇することがたまにあります。
音楽の良し悪し ですか? 演奏技術の良し悪しは素人の私にも分かりますが、作曲の良し悪しは、正直分かりません。そもそも楽譜読めませんから・・・ははは。 世の中の傾向として音楽に限らず、良し悪しを判断しない事は多くなっていますね、そこは車田さんの仰る通りだと思います。例えばTVで料理や食事の番組がありますが、「美味しい」「甘い」しか言わないですから、本当のことが分からないですね。ホントのことが言いにくい世の中になったと感じています。作曲の良し悪しって、素人の私が耳で聞いて、どう聞こえるんでしょうか? 聞き比べてみたいです。