カントの純粋理性批判を割と詳しめに解説【哲学】
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- เผยแพร่เมื่อ 8 ก.ค. 2024
- カントの純粋理性批判という本を解説した動画です。
カントの哲学は、「カント以前の哲学はすべてカントに流れ込み、カント以後の哲学はカントから流れ出る」といわれるほど影響力は絶大です。
【目次】
0:00 オープニング
1:24 純粋理性批判の要約
5:12 合理論VS経験論
8:45 アプリオリな総合判断はいかにして可能か
13:26 超越論的感性論
15:19 超越論的分析論
22:44 超越論的弁証論
今回登場した重要キーワードです。
純粋理性批判、実践理性批判、判断力批判、物自体、コペルニクス的転回、感性、悟性、理性、アプリオリ、アポステリオリ、分析判断、総合判断、合理論、経験論、直観、純粋悟性概念、カテゴリー、超越論的統覚、純粋理性概念、アンチノミー
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#哲学 #カント #純粋理性批判
カント研究してたものですが内容はもちろん選曲の良さに幸せになりました
別の動画で「知覚できないことは考えるだけ無駄だ」って説明されて納得してたけど、掘り下げると面白いっすね
分かりやすすぎる気がする
ドヤ顔で説明できる気がする
これと入門書往復してれば純粋理性批判読める気がする
いいコンテンツだなあ
最高です。解説ありがとうございます。
すごく、好き。
この動画。
カントさんが触れてきた合理論とその対立的な立場だった経験論についてどっちもなかなか納得出来る部分と疑問の残る部分があってそれらを色々と考察してみた結果出来上がったのが純粋理性批判なんですね…
哲学とかさっぱりわからなかったし批判とか付いてるから純粋理性論みたいなのが絶対視されててそれはおかしいんじゃないのかって言っただけかと思ってました。
これからカントって何した人?って聞かれた時に「んー、哲学をなんとかカントかした人だよ?」って話逸さずに説明できます!ありがとうございます!
何度も何度も暗記できるまで見たらやっと分かりそうですね。お疲れ様です。
とても分かりやすくて素晴らしい動画だと思います。ありがとう。
最近哲学に興味を持ち色々と漁るようになりました。
寝るときにラジオ感覚で聞いているので、聴覚のみで情報を得やすいチャンネルを優先して見ております。
今後の発展のご参考になればと思いコメントさせて頂きました。応援しております。
@@noizo.4959 難しいですよね。そして楽しい。
もちろん超凡人の私は哲学なんぞ何も分かりません。この先もずっと。
ロスチャイルドが見出した人類最大の発明を、思考において実践したら何が見えてくるとお考えでしょうか?
真理の探求こそ真理であるのではと思っています。
これからも私は不知を認識し、自らのテオリアを探求し、時には孤独を愛し、悩み、兼好法師の様に過去の友人たちへと想いを馳せながら、超人を目指します。
ルサンチマンにも負けずにね。
考えさせられるコメント、ありがとうございます🤲
@@yanaoka1986 ニヒリズムに陥ってるワイ「...」
すごすぎる。すごすぎるとしか言えない。
私は大学時代美学専攻で、判断力批判の原典購読する授業をメインに受講してました。けれど三大批判書の中でもメインとなる本書は学習する機会がなかったのでこの動画はありがたいです😁
AIのニューラルネットワークの考え方に近いと思いました。経験を通じて、より良い理論にする。経験と理性、どちらも重要。
再生数と内容の素晴らしさが比例してない…
ほんとそれなんすよね、編集といい質が非常に高い!
ほんまこれ
再生数が多い = 質の高い動画
ということではないという例になると思います。
言い換えれば、再生数の多い動画は大衆向けのコンテンツであると考えてられます。
日本語的に考えると
悟性 = 知性 と置き換えると飲み込みやすいですね。
2:43
物自体: 円柱
表象: 丸とか四角とか
認識: 見る角度(上から、とか横から、とか)
円柱は上から見れば丸い形で、
横から見れば四角い形。
人間は丸とか四角を見ることができるけど、
円柱自体は直接見れない
こんな感じだと思う
すばらしい動画でした。
数学がアプリオリな総合判断の帰結であることや物理学が感覚を観測機器よって延長し物自体へ近づくための取り組みであるといった
新たな描像を得ることができました。自然が数学で記述できることに対する疑問が昔からありましたがそれは対象が認識に従うといったことの帰結なんでしょうね。
ところで最近の物理学者は哲学者の助けを得たいようです。
その理由というのは前世紀は量子は波動と粒子の両方の性質を持っているという説明をしてきました。
その裏には真の実体があるのではないか?という隠れた変数理論や神はサイコロを振らないといったアインシュタインの信念がありました。
アインシュタインは量子力学を究極の心理とは考えていなかったのです。
そのため多くの思考実験を考案し量子力学に対してアンチテーゼを唱えたのですが
今世紀に入り(前かな)ことごとく否定され量子力学は究極の真理とみなされるようになってきています。
その中で波動粒子描像はオッカムのカミソリの観点から採択せず、量子とは情報であるという描像が正しいとされています。
究極の存在が情報であるということはどういうことなのか?
情報は存在するとか実在するとい言いえるものなのか?
なんか哲学者の出番なきがします。
純粋悟性概念の実在性や実体性といったものはこういう物理学の新たな描像において改定されてもよいのではないかとも思います。
カント哲学が観念論とはいえそれが他の学によって弁証法的発展を遂げないとは言い切れません。
などと思いました。
すげえええ、この動画が無料で見られる現代社会に感謝
今まさに「純粋理性批判」を読んでますが、この動画は解り易い!「カント!もちっと解り易く書けよテメー!」と思いながら読んでますが、この動画のお陰で考えが整理できました。岩波文庫版では「超越論的図式」のところが意味不明でしたが、この動画の説明でなんとなくですけど輪郭は掴めました。
哲学を理解する上で生物学や情報科学のような数理系自然科学系の理解も大事になってくるんだな
最近の物理は余りにも複雑になって、物理学者がどう理論と対面していいかわからなくなっているの。それで、哲学者に相談する、というパターンがでてきて、一周まわって新しい学問になる可能性が出てきている。超ひも理論なんて本当物理にマストな現実の観測が一切なく、事実上の哲学になっている。
全ては哲学から生まれたからなおそらく
哲学だけに限った話ではなくて、他の学問でも同じようなことが言えますよね
むしろ一つの学問を進めるにあたってその分野の範囲でしか考えないことが邪道すぎる
純粋理性批判を、ここまで分かりやすく詳しく解説できるとは
これは何回も聞かねば
もし次に哲学の世界で革命が起きるとすれば、矛盾を解消する方法が発見されることかな。
内容はとても分かりやすいですが、BGMの音量をもう少し小さくしてもらえたら聞きやすいです
つまり理屈はなんぼでもこねることができる神学や哲学の領域と、実験で正しいか間違っているか決着できる事象に集中する科学が分かれることが出来たのだと思いました。
この動画をみて、哲学を「理屈をなんぼでもこねることができる」ってラベリングするのはかなりエグいことでは無いですか?
数学はどうなるんだい
物自体をわかりやすくいうと、高等動物などに当てはめると「心」などの事で、無機物などに当てはめると、「性質や存在目的」などに当たるのかな。
カントもヒュームも当時の普通の人種差別感覚持ってたのでこいつら信用できねえなって漠然と思ってたけど、やっぱり才能ある部分はあるんだなって思いました。この動画見て各哲学者は何を言いたかったのか時間かけて一定の深さまで理解しないのなら「理性批判の人でしょ?」程度に知っててもほぼ無意味だとも思い知らされました。これまでの動画は面白いって感覚が強かったけどこれは断然主さんの知性を印象づけられました。
才能と人格は比例しないってのも釈然としない気もするし、天才でも性格悪い奴を見ると無能な側としては安心もさせられる。学者で人格者ってオイラーくらいしか知りません。哲学者繋がりでは拷問を禁止したフォイエルバッハ父も仕事の上では人徳者になるけど人当たりが良かった訳でもないらしいし。
カントの難解な書物を分かりやすく学べて、とてもありがたかったです。
そうなると、理性には純粋数学は扱えても形而上学は扱えないという話になるよな。
なんでこの違いが生まれるんだろう
人が万物を解明するには哲学が必要だったんだろうなと大陸合理論の講義を聴いた時に思った。
でも何に役立てたかったのだろう?とも思ったが考えを止めてしまった。
カントが永久平和について語った書籍によると、人間は愚かな生き物なのですぐに争いたがるとあり、この状態を如何に抑止するかが重要と紹介され、当時は今よりもずっと殺伐とした時代だったから道徳観念についての構築が社会に必要だったのかなと思った。だから哲学を探究する。
もしくは人間が進化の過程で得た複雑過ぎる感情がそうさせる暇つぶしみたいなものなのかも知れない。
教えて魔理沙ちゃん❣️
待って動画を閉じないで!ってタイミングが丁度閉じようとしたタイミングだった。
めちゃくちゃ分かりやすい!!これくらい詳しいのを色々作ってほしいです!カントのEthicsについての動画とかあります?
コンピューターで例えるとわかりやすいんじゃないかと思う。
例えばコンピューターのAIに猫の画像のデータを見せて、「これは猫の画像だ」とAIが答えてくれるプログラムがあったとする。
「物自体」とはこの猫の画像のデータそのものと考える。データは0と1のbit信号でしかないから、このままでは意味を読み取るのは人間には不可能だとわかる。「感性」は、この画像のデータの種類を分類して、画像データや音声データや動画データなどを見分けて、「画像」にしてくれる。「悟性」はこの画像を見て、「これは猫である」という判定を生み出すAIだと考えたらわかりやすい。純粋悟性概念(カテゴリー)はこのAIが判定を下すための論理の扱いを説明してる。これらの作業をオートでやってくれるコンピューター全体の機能のことを、カントは「構想力」と言ってて、ここでAIが出してくれた判定のことを「統覚」って言ってる。なんで急に「統覚」なんて言ってるかと言ったら、このAIが出した妥当な結論と、このPCを使ってる人が勝手に言い出したこととを区別したいから。
カントの純粋理性批判(以下、純理)の目的は、数学や物理学や(真っ当と考えてる)形而上学が妄想ではなくちゃんと正しいと示したいこと。でも人間は一方で誤ったことも言い出しうるから、人間にはこういうAIがのったコンピューターみたいなものが本当は備わってるはずで、そのAIが判定する限りには正しい学問(アプリオリな総合判断)は可能だと言ってる。だから、AIが下した判定のことを「統覚」といってて、このコンピューターの利用者である人間の側が勝手に言い出すこととは区別してる。「私がつくりました」っていう、産地明記みたいなもん。
そしてこのAIの言ったこととは別のことを言いだしかねないような、このAIの所有者のことを「純粋理性」ってカントは言ってる。神がどうだの魂がどうだのは、コンピューターは言ってないし知ったことでもなく、コンピューターを使ってる人間が勝手に言ってる。コンピューターには神やら魂やらの話は関係ないので、この議論におけるようなものとは分けた方がいいと考えてるわけ。
ただ純理の話からは外れるけど、カントは道徳律や自由や神というような感覚については道徳心や神の0と1のデータなども存在しないので、むしろ理性と名付けられた人間の側が感じ取るようになるものだとして実践理性批判では言ってる。
めちゃわかりやすい。ありがとうオリゴ糖。
僕はカントにも感動しましたが、ラ・ロシュフコーが僕の哲学の出発点です。ロシュフコーという名前だけで、感動してしまいます。
なんかよく理解できないんだけど、とりあえず自分が考えたことが自分の語性?真理?から来てるんだから人それぞれ考え方があって不思議じゃねえなと妙に納得しました。
カントという高い壁に挑戦したいですね。
純粋悟性って竜樹の空の思想っぽいな(高校倫理選択並感
この内容が25分に収まってるのが謎すぎる
やはり哲学初心者にはわかりにくいですね
カントってめちゃめちゃ仏陀と話が合いそう
いやバチバチに喧嘩するだろ😂
もしかしてカントもインベーダーキャップを被っていたんじゃ…
超越論的演繹について解説した本でおすすめのものはありますか?
今度からドヤ顔でこの動画紹介することにします!
原因性・因果性が人間に先天的に備わっているものだっていうのは目から鱗だったのですが,それによって動画で示されていたような経験論的立ち位置(22:15)を否定できる理由が分かりません。僕としては原因性・因果性を事象に対して判断する能力や基準は経験に由来するという主張が経験論だと思っていたのですが,これは誤解なのでしょうか?若しくはカントによってこれが経験によらないという論理展開が為されているのでしょうか?もしそうなら感極まってしまいそうなのですが,一体そこのところどうなっているのでしょう?
この解説はすごい。
10:20
E=mc^2では
悟性が物自体との矛盾からアンチノミーに陥るのでは無くて、アンチノミーはそもそも悟性が顧みざるを得ない場合の結果なんでしょうか。
こんなにわかりやすいカント動画があることに驚きました。
私がカント哲学で思っていた疑問を魔理沙がしっかりとなぞってくれたので痒い所に手が届きました。
うp主様に感謝します。
合理論の公理的な部分は経験論から導かれるから合理論も経験論なのでは
脳が行う思考活動のアルゴリズムか?Aiに応用できそう。
非常に勉強になる動画ありがとうございます。
th-cam.com/video/YE7d-fFT72c/w-d-xo.html
「アプリオリな総合判断はいかにして可能か」という問題意識はニュートン力学をどう哲学的に解釈するかというところから来ていると聞いたことがあります。
当時の西欧におけるニュートン力学の影響力を感じるエピソードであるように思います。
これほどまでにわかりやすい解説はなかなかないと思います!!カントの思想は「啓蒙とは何か」が、当時新聞のコラムに書いたような記事を集めたもののようなので大変わかりやすいですが、カント自身の言葉とは上かみ砕きすぎてカント哲学から少々距離があります。しかしこの解説のあとに読むと「カントってこういう風に者を考えた人なんだなぁ」という腑に落ちる感じになるかと思います☆
コメント欄のレベル高いなあ。哲学の入門書何冊か読んで大学でも一般教養の哲学の講義いくつか受けたけど、概念の分析論あたりで訳わからなくなる
勉強になります。ありがたいです(*ゝω・)ノ♥
超越論的って、何というのか、対象を認識する方法そのものを考察する、と言えばいいでしょうか。。
感じ、悟り、真理へと辿り着く。
「感じるのは経験と云えるのか?」てゆー問題点は、「見た事も経験って言っちゃうミラーニューロン的な事?」てゆー疑問?ね。
ミラーニューロンは疑似体験だから、体験ではないから…。とりあえず、この辺にしといてやろう(1回見ただけの記憶力の限界)
早いなと思ったら1.25やった。
とりあえずテスト前すごい助かります
5:16あたりからのbgmの名前を教えてください
カントの理論はひとつの孤立した脳の真実であり、これを次に進めるとすれば、複数の脳による循環機能(共有・伝達等)に焦点を充てることになるんですかね?
もしそうだとすると、人間同士の脳の循環には物質との関係、精神との関係、自然との関係があることが発見されるでしょう。
わかりやすい+教科書内容完全履修+見てて面白い
神かな?
F=ma の運動法則ってアプリオリですか?
なんか帰納的手続きのデータを方程式で纏めただけのような…
アプリオリならその方程式が成り立つ「原理」が分からなければならないが、三角形の定理とは違う性質のような…
ウィトゲンシュタインはカント哲学の手直しみたいな感想を持ちました。
9:36
「人間は哺乳類である」という判断は分析判断とは言えないのではないでしょうか?
人間が哺乳類かどうかの判断については、概念ではなく実際の人間を観察したり検証したりする必要がありますので、概念を分析しただけでは「哺乳類である」という判断は取り出せないと思います。
一番売れている商品が、自分にとって一番良い商品ではない様に
一番再生回数の多い動画が、自分にとって一番良い動画ではないという事を
改めて分からせてくれる素晴しい動画ですね。
所で「アポステリオリな分析判断は判断と認められない」のはなぜなのでしょうか?
分析判断とは経験に先立つ認識でなければいけないからでしょうか?
経験に基づく分析判断は存在しないのでしょうか?
4つの判断を「ためになる度合い」で見てみます。
基本的に、総合判断が真と知られると我々の認識は拡張しますので、ためになる判断です。
分析判断は「述語の内容が主語の中に含まれている」判断なので、我々の認識は総合判断に比べて拡張しません。
アプリオリな分析判断は、経験によらない普遍的な知を見つけるという意味で、我々の認識は拡張します。
アポステリオリな分析判断は、経験によって「述語の内容が主語の中に含まれている」判断をするので、あまり役に立たない判断なのです。
例:「カラスは黒い」は周知の事実としましょう。
黒いカラスを見つけるとかそんなことをせず、カラスのDNAを調べたりして、なぜカラスが黒くなるのかを科学的に説明できるようにするのが「アプリオリな(経験によらない)分析判断」です。
それに比べて、黒いカラスを見たという経験を踏まえて「カラスは黒い」と判断する。これはアポステリオリな分析判断ですが、
そんなこと言われても「お、おう、そうだね」という感じなので知が拡張する発言ではありません。
というわけで判断と認められないと言いました。
@@rerochefoucauld 返信ありがとうございます。アポステリオリな分析判断は(有益な)判断とは認められないという事だったんですね。
20:27
「このルールブックを人間みんな持っている」というのがカントの経験論でしかないやん。後期のヴィトゲンシュタインを見習うとかしてほしいです。
経験論だったら問題あるの?
この批判は半分正しくて半分正しくないと言える。カントによれば超越論的観念論は経験的実在論と両立しうるのだから、最初から(後期ウィトゲンシュタインとは異なった文脈で)独我論は論駁されている。ここが重要。
純粋数学がアプリオリな学問だと言っているけど、ユークリッド幾何学とか整数論とかの直感的に理解しやすい数学は公理が経験から生まれた物だからアポステリオリだと思うんだよな。ノイマンも作用素環に関する本の序説でそう言ってたし。
もちろん非ユークリッド幾何学とか代数幾何学とかは経験がちょっとしか含まれていないと思う。
もし算数を学んだことのない人間が1+2=3を理解できないとすればそれはアポステリオリな物と考えていいんじゃないか?
実際ピダハン族は算数を理解できなかったはずだし。
(サンデー哲学のオイラは)カントだけは
避けて通ろうと思っていましたが、この
チャンネルに出会ったおかげで、ようやく
その端緒に触れることができました。
「アプリオリな総合判断」しびれますねぇ。
これ、オイラの生き様だ (^^) \(^o^;
感謝・カンシャ 😀😆😊
う~ん?まったく分からないけど、動画の内容を誉めてる人が多いから、分かりやすくまとまっているのかな?理系の私には命題の基本をこねくり回してどうするの?としか言いようがなく、真か偽かだけ分かれば良いじゃん。としか思えないのです。スミマセン。
その真か偽かを確かめるために命題の基本をこねくり回してるんですよ。なんせカントが求めたい命題は命題の基本(の根幹)そのものなのですから。こねくり回さない訳にはいかないのです。
まあ着いて行くのが大変だったが面白かった!一気で説明ご苦労様!此の速さで聞くには此の音楽選択と音量は失敗よ 認識の邪魔になる故
ネットワークのプロトコル群の受信側だけver.的な感じか。
バックの音楽がちょっとうるさくて話に集中できないかな。音楽がなければ、もっと良かった。
Didnt understand (wtf is japanese)
21:51 進次郎構文は純粋理性批判を体現したものだった…?
カントの言うアンチノミー、二律背反って量子力学のコペンハーゲン解釈の先取りとも言えるし、コペンハーゲン解釈以降は二律背反そのものが矛盾するとも言えなくなってるから、再び超越的思考の範疇を再定義する必要があるのが現代なのでは?と個人的に思いました。これに近い思想ってなんですか?構造主義ですか?
【目次】
0:00 オープニング
1:24 純粋理性批判の要約
5:12 合理論VS経験論
8:45 アプリオリな総合判断はいかにして可能か
13:26 超越論的感性論
15:19 超越論的分析論
22:44 超越論的弁証論
大学で軽く解説を受けたので、「これ進研ゼミでやったところだ」現象になってる
あぁ…ダメだ初めて哲学系の動画見たけど最初の2分半でもう意味がわからないや…なんでコーヒーや電球を目で見てるのにそこにはコーヒーや電球が無いかもしれないんだ?表層?が目で見てる物でそれはコーヒーではない?コーヒーを見てるのにコーヒーを見てないってどうゆことだ?
コーヒーの像を頭の中で浮かべてるだけで、実際にそこにあるとは言えない、的な?
極端な話やが、人間の第5感とは違った感覚を持った宇宙人とかがコーヒーを見たときには、人間とは違ったように感じてると思うやん?つまり人間の見てるコーヒーは、コーヒーっていう「物自体」の一部分でしかない。的な感じでは?
「ハーマングリッド」で検索してみてください
格子点に存在しない黒いもやが浮かび上がってくるという錯視です
これが存在しない物を認識してしまう一例になると思います
我々の認識と物自体は違うことがある、ということが分かれば次に進んで大丈夫です!
見るというのは感覚的なこと。
ヒューム「100万回太陽が東から昇って西に沈んだつとしても明日東から昇るとは限らないんやで。原因性なんてそんなもんやで。」
カント「いやいや、たとえ明日太陽が西から昇ったとしてもワイらの原因性は失われたりせんせぇへん!原因性は俺たちの真理なんや!」
↑このやり取りでカントが言ってることが謎すぎる。自然法則〈太陽は東から昇って西に沈む〉が太陽が西から昇るっていう事例で反証されないって言い張ってるのだとしたら、単にカントは頭やばいヤツなのでは。なんて解釈するのがいいんだろう。
これは私の解釈ですが
まずカントにとって、「原因性(=因果)」とはすべての人の精神に備わっている概念なのでしょう。
言い換えれば、原因性とは人間が物事を認識するための土台、つまり純粋な思考形式(=カテゴリ)の一つなんですね。
たとえば、「○月☓日に、東から太陽が昇った」という現象を自然の中に観測することはできますが、「太陽は東から昇る」という法則は自然の中のどこにも書かれていないですよね。
つまり人間が自然の中から、本来は存在しないはずの自然“法則”を見出すことができるのは、「自然には法則(=原因)がある」という、いわば先入観のようなもの(→カテゴリ)を持っているからに他ならない、というのがカントの考えじゃないでしょうか。
よって仮に「西から太陽が昇る」という現象が起きたとして、「太陽は東から昇る」という自然法則は否定されてしまいますが、「自然には法則がある」という認識、つまり原因性そのものの否定には至らない、ということを言いたいのではないかと思います。
@@ulmtsbiiy3289 ありがとうございます!わかりやすいです!
@@ulmtsbiiy3289 「原因性は人間に備わっている」というのがカントの経験論でしかないというね。ヒュームの勝ち!笑
@@user-xq2jp8wh2x
※誤字脱字修正
カントも「人の認識の全ては経験とともにスタートする」と認めていますよ。
ただし経験と“ともに”始まるのであって、すべてが経験“から”始まる訳ではないという点がヒュームとの違いですね。
ヒュームの立場で考えるなら、経験は成立しても経験“論”は成立し得ないかもしれません。
だとするならこの点において純粋理性批判はヒュームの懐疑論を克服できていると言えるのではないでしょうか。
@@ulmtsbiiy3289 カントはダブスタってコト!?
アプリオリ→演繹的
アプステリオリ→帰納的
ってことでいいのかな?
アインシュタインの勝ち
ちなみにアインシュタインの愛読書はこのカントの「純粋理性批判」である
純粋理性批判カント「神は絶対にいないとは言えなくね?知らんけど」
コペルニクスに失礼です。
悟性の話、もはや現代人には当たり前の感覚な気がする。「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前の中ではな」的な。
ただ、そんなこと言ってもどうしようもなくないか?
e=mc2
大人のぴよぴーよ速報
なぜカントがこのような批判哲学を始めざるを得なかったのか、というやむにやまれぬ事情を最初に伝えてほしかった
そうでないと、初学者から単に思弁を弄んでるのでは?という誤解を受けるかも知れないからです
カントはイングリッシュでまんこ これ豆な
最低すぎて好き
普通の声にしてください。
音楽を消すボタンが欲しい
早く喋りすぎて
よう分からん
しゃべりが早すぎる。
勝つためじゃなくて納得出来るスピードを希望します
再生速度落とせやwww
変な髪型