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他の方も言ってますが、写真はMX-6ではなく前代カペラクーペですね。(MX-6は後半ドイツのミュージアムの左の赤いクーペ)けどこのカペラはクーペも5ドアハッチバックもかっこよくて好きだったんだよな。それで、クロノスのデザインを見てズッコケた記憶がある。
18の時、vipカーブームで回りはセドグロ、シーマ、セルシオ、マジェスタ、クラウンだらけだったけど、初代センティア買いました。他には無い流線型の美しい車体が納車された時、涙が出る程カッコいいと思った本当に美しい車の多いメーカーだったな
当時勤務先の社用車がセンティアでエンジンのトルクも良く出ていいクルマだったけど4WSがすぐに壊れたりワイパーが何回修理しても異音出したり、大小トラブル続出で「詰め」の甘いクルマだな~と。飛燕が美しい飛行機だったけど故障だらけで活躍できなかったのを思い出しました。
ユーノス800/ミレーニアは流麗なフォルムで素晴らしい車でした。ミラーサイクルエンジンは究極のエンジン!のはずでした。センティアもですが、ヌメヌメした曲面美はマツダの板金プレス技術の結晶で他社が真似できない優位技術のアピールポイントでした。ほんと昔からマニアックなところが多いメーカーです。
そういえばトヨタが一時期曲面多用した時期がありましたが(セラとか40系タコ2とか30ソアラとか)、あれってマツダに張り合った結果だったんだろうか?ソアラはまぁ…って感じもするけど、セラとかはドアが普通だったらユーノス・プレッソの方が魅力的な位なので、やっぱりマツダの曲面デザインは頭ひとつ抜きん出てる気がしますね。
@@kuplaskivladimir5295 あれ当時の北米トレンドがいわゆるラウンドボディだったんですよ。スライムみたいなボテッというかデローンとした感じの。当時のマスタングやトーラスなんかモロにそう。波及で世界的なトレンドでした。日産も北米デザインスタジオにデザインさせたレパードJフェリーやU13ブルはヌメッとした尻下がりの妙ちきりんな物になって日本市場では大不評、えらいことになりましたw
ワシは広島市に住んどりますが広島県内ではマツダのお膝元っこともありブランドイメージはトヨタ車並みです。そのせいで、ホンダと日産車は販売店も少ないしあんまり走ってないです。あと、広島のエリートサラリーマンといえば、もちろんマツダ社員です。マツダの新車が出る度に、地元TV局のニュースで放送されます。
デミオは初代から乗り換え続け、今も最後のデミオを社用車として使ってる。初代、マイナーチェンジ後のDY3Wが一番良かった。何しろ荷室が広いし使い易い。燃費は12km/L程度だったかな。その次から丸くなって狭くて使い勝手悪くなったけど、安全性が飛躍的に上昇したしね。今のマツダ2も含め良い車だよ。
10年基準のキャッチコピーを背負って投入されたユーノス500は、大型化に走り出していた当時のMAZDAの中にあって、5ナンバー枠に収めた美しいフォルムに仕立てられていて大好きな車でした。
「10年基準」ってミラーサイクルエンジンのユーノス800じゃなかったっけ?
当時マツダディーラー内では、クロノスは“苦労の巣”と言ってました。
メチャクチャ面白かったです。販売チャンネルの話は詳しくないので非常に勉強になりました。この5チャンネル化を提唱した人物のその後の顛末を知りたい…生きた心地しなかったろうな。
広島県の会社やタクシーがこぞって、マツダを倒産させるなと、どんどん買い替えしていたのを思い出す。広島県人の郷土愛はすごいですよ。
そう? 数年前に広島旅行したけど、トヨタ車のほうが目立ってて言うほどマツダ車は多くなかったぞ
@@servo6705 ここ十年はそんな感じですよ。いまはマツダの業績は良いらしいですから。マツダの消滅危機の時の話ですよ。今はカスタムキャブ(タクシー)なんて絶滅危惧種ですしね。デミオ以外の乗用車なんて高くて買えませんわ。
いやいや、昔からマツダは地元で嫌われてたよ。特に年齢層が高いほどなんせ社員がマツダ車買わないんだもの
@@さんさん-r9g そうなの?まあ、私がマツダの関係者でも買わないしね。60歳以上がマツダを嫌うのは、ロータリーの極悪燃費を実際に知っているからかな。RX3やルーチェでも3km/lいかなかったから、普通の運転でも、2年も乗ると車両価格を燃料代が上回るという悲劇に。マツダは三輪だけ作っておけばいいのにってなるよね。
@@servo6705 倒産しかけてた時期からずいぶん立ってるし今は違うってだけじゃないの?
クロノスの悲劇があったから今のマツダが有ります。売れなかったけど、ユーノス500、ユーノス800、ユーノスコスモは今の時代でも通用しそうな素晴らしいデザインだと思いますね。
ユーノスのイタリア車に通ずるデザインセンスは国産車随一で秀逸だと思う
ユーノス500かプリメーラか悩んで、プリメーラ買って大正解でした。でもユーノス500のV6 2000ccは贅沢の極みでしたね。
ユーノス500は最高にイカしたデザインだった。ジウジアーローがそのデザインに卒倒して、研究用に何台か購入した。かなり後になって、アルファ156とか、アコードCL7とか、ギャランフォルティスなんか、ちょっとユーノス500に似た雰囲気だった気がする。クロノス問題より、アマティブランドを立ち上げてたら、どうなってたか・・。
黒いユーノスコスモのリア周りは今でも通用する美しさだと思う。
平成3年頃マツダと何の縁も無いのに、我が家には20Bコスモとユーノス100がありましたコスモやペルソナの「滑らかで止まらない面」で構成された内装も独特な魅力がありました(笑)
何とも懐かしいお話し、ありがとうございます、当時マツダディーラーの中古車販売店に勤務しておりました、ラテンの旋律はランティスクーペだったようなMX-6だったような、良く覚えておりません。ランティスまで加えるともっとややこしくなりそうです、クロノスファミリーは基本V6エンジンで後期のユーノス500、ランティスにだけ4気筒のツインカムを搭載してボディも5ナンバーサイズでしたね、関係者でも訳分からん位兄弟親戚の多い車種でした、また面白そうなマイナーネタお願い致します。
販売網の5チャンネル化はメインバンクから迎えた役員の発案だったそうです。
それしか考えられないよね融資するからと…
オイルショックで経営傾いて銀行から役員受け入れたのですが、バブル期にその銀行から来た役員に今度は経営傾けられてしまったのですね。結果的にはフォードから社長が来て経営建て直した筈です。
@@jt521bc7さん。金井誠太氏が講演会にて「フォード出身の経営陣からはブランディングを基礎から学ばせてもらった」という主旨の発言をしておられました。
@@jt521bc7 レースでは787にフォードエンジン(DFVorHB)を積んだオートラマスペシャルなるマシンがありました。
初めて乗ったMAZDA車がユーノス800でした。v6 2.5で4wsやソーラーベンチレーションなどあった贅沢な装備、そして運転が楽しい1台だったなと懐かしく思い出されます。ユーノス800からMAZDAを乗り継いでますが、仮にもこのデザインが復活したら欲しくなりそうです。
matuda地獄は1970年代かありましたよ、ロータリー以外は他車乗り換え時はびっくりするほど下取り価格が安かったですよ、大ヒットしたファミリアでさえ2年落ちの下取りが25万ぐらいで空安すぎやろ、と突っ込み入れたらお前買うかと言われ25万でも買わないと言ったら営業にほな25万でも高いやんけ、と言われた。わつぃの叔父がカペラロータリーに乗ていまして、当時6年目の車検の時の足回りのボールジョイントすべてがたがたで変えた記憶があります、しかしロータリーエンジンはオイルに水が混じっていたのでマツダに相談するとなんとメーカークレームでエンジンO/Hしてくれました。S51年ごろだったと思います。
免許取りたてで54年式SA22Cを57年に3年落ちで買いましたが、当時のロータリーエンジンは永久保証で私のRX-7も購入から3年後にカーボンロックで不動からのフルOHでしたダンドラのウェーバーが付いていてもディーラー対応してくれた良い時代でしたね(笑)
@@中川美枝子-j3g系列店ならマフラー交換でも入庫ok
マツダの営業でも、他のチャンネルで売られているクロノスの区別がつかんかった。もうカオスそのものでした!
しっかし、この時代のマツダのデザイン、極端な名作と駄作が入り混じっててカオスだったな
社内の争いがひどく、RX-7デザインを手がけた人は酷いやっかみでデザイン部門から引き摺り下ろされたらしいよ。
@@うんちくん-v4f BMWから移籍して来て北米スタジオでNAロードスターのベースデザインをやった人も確か広島と揉めてたみたいだし、初代センティアのデザイナーさんはいつの間にか鈴木の二輪のデザイン部門に移籍してたし、ゴタゴタしてたんですかねぇ
@@TheKaerupyokopyoko 岡山とか広島の人達、気性が相当荒いらしいからね。そういうのもあって会社とかややこしいとこあるのかもね。マツダだけやなく、広島の会社全部w
@@うんちくん-v4f あの時代のマツダだと特に、メインラインの車種を担当した人に対して、5チャンネル化の数合わせみたいな車種を担当させられた人の嫉みみたいなのもあったんでしょうね
『クロノスの悲劇』って言葉自体はかっこいい(笑)
何かのロールプレイングゲームみたい😁🚬 (苦笑)
カノッサの屈辱みたいな感じかな?
我が家では、隣のおじさんがマツダに勤めていた縁で数少ないテルスターに乗っていました😊今回の動画の型ではなくクロノスとほぼ同型でしたが約25万キロ走ったみたいです。僕は隣のおじさんに「おっちゃん、なんでカペラ無くなったん⁉️」とか無神経な質問をしていました。数年後カペラは本当に復活し、親父もカペラに乗り換えていました😅
MAZDAは嫌いじゃないですよ。ファミリアハッチバック乗ってたけど1気筒プラグコードが破損し、ゆっくり走行で3気筒のまま浜松〜千葉まで帰れたし。マツダスピードもあったから、パーツつけたりしてたね。会社として迷走する事も多いけど、他社が見習うデザインは多いと思いますね。
私も馬力出ないな程度の感じで、点検に持って行ったら、6気筒の内2気筒が死んでたことありました。(修理してもらったら元通り力強く走るようになりました。)
@@TH-uj7dx さん 2/6 が死んでるって初めて訊きました。 ワシも軽箱で1気筒が死亡したことが2回もあって、自転車並みしか走れないかったの思い出します。(イグニションコイル破損)
@@石田玲-v3g 私の場合は、プラグがイカれてたとのことで、原因はハイオク専用なのに、レギュラーが混じっていたらしく、オーバーホールになってしまいました。店員の居るところでしか入れたことないので、店員が間違えたと思われます。
NEOという珍車やあのシビックですら売れてなかったのにそれを真似たデザインのファミリアを出したりこの会社の新車開発のGOサイン出す人はいるのか?と思ってた。これ売れる?って誰も思わなかったのか不思議です。今も昔も8割がたデザインで決めると思います。メーカーは思想やデザイナーの自己満足を押し付けたらダメ。もっとユーザーの声を聴くべき。
映像のMX-6はカペラC2ですね。MX-6はもっと尖っていてコスモスポーツみたいなデザインです。因みに自分の親父がC2の4WSに乗ってました!乗らせてもらったら レーンチェンジの安定感が凄かった😁
厳密に言うと、MX-6で合ってます。よく見ると左ハンドルなので、カペラC2のアメリカ仕様、初代MX-6です。でも、クロノス兄弟となると…2代目MX-6(日本でもこのネーミングになりました)の写真を使うべきでしたね。
@@名前考え中-u2h ですね!
マツダ地獄はもっと昔からですよ
ユーノスだったらまず名前を出すならロードスターでしょマツダ地獄という言葉は昭和から既に有るこの頃生まれたものではない
クロノスは会社の営業車でした。丁度、バブルが弾けた頃で三菱では大ヒットした直4ギャランからV6ギャランに変わった頃で雑誌では「車の開発って4年程必要だと痛感した」と嘆きの記事もあった。RX-7もFC型はサバンナRX-7だがFD型はアンフィニRX-7でクレフとかMX-6とかクロノス兄弟車が一杯でした。その全ては中型車枠の3ナンバー。税額も見直されたがバブル時代の豪華から急にバブルが弾けて質素が好まれた。この車が売れないと判断したマツダはカペラを復活させた。廃盤になったカペラのシルエットはクロノス同様にスラントノーズだが復活カペラはBMW風の逆スラントノーズで現行のクラウン似だ。
最近マツダが2とか3とか6という名前を採用してるの見てると、どう考えてもこの一件を思い出してしまう。絶対にこの命名戦略は定着しないな。
5チャンネル化云々よりも、当時の経営陣にかなり問題が有ったし、何より地元で売れない嫌われて、地元で買うより関東で買う方が安いとか、販売会社自体おかしな状態でしたね。フォード傘下に入ってしがらみが無くなったのが良かった感じです。デミオもですが、2代目MPVでかなり持ち直した感じです
なんで地元に嫌われたの??
バブル跳ねてから日産も終わってたな。
マツダ5ch時代だと、フォードの「フェスティバ」(後のデミオ?)にうちの母親が実際に乗ってました。可もなく不可もなく、ソレで居て耐久性だけはやたらと有ったので、事故らなければ10年以上乗ってたと思います。(事故で廃車となったのだ) あの時代のコンパクト車にしては珍しく天井が高めな「ハイト系コンパクト」だったので、背が高い私でも楽に乗降できました。
フェスティバ、好きでした。当時はあまりないハイトですが洗練されたデザインだったと思います。 ただ、当時のコンパクトクラスは軽に毛の生えた程度の安全性で事故でグッシャリ潰れた車体が運ばれてるのを見ると悲しくなったのを思い出します。(どこのメーカーも似たり寄ったりですが…。)
銀行出向役員が経営を握っていた時代の黒歴史ですな。
アンフィニMS-6は当時勤務していた会社の営業車でした。当時はまだ今ほど3ナンバー車のインフラが整っていなくて、タワーパーキングに入庫出来ないなど苦労も多かったのも懐かしいです。
プローブとテルスターも兄弟だったとは....あの頃のマツダは本当に訳がわかりませんでした。
プローブとテルスターは違うと思います。初代プローブは、カペラC2の姉妹車と思います。2代目プローブはクロノスファミリーですね。
動画の内容から兄弟なの?って思ったんですが...本当に訳がわかりません(笑)
@@平田祥一郎-b8c 2ドアと4ドア/5ドアを別物と考えればそうなりますが、初代プローブは5代目カペラ派生車で2代目テルスターも5代目カペラのOEMでしたから姉妹車と言えなくはないでしょう。
MX-6の画像がカペラC2ですよ。当時の金太郎飴な車作りは新車の時から「中古でも値段がつかないな」と思わせる要素がいっぱいで、ロードスターのヒットがなけりゃ完封負けでしたね。せめてどの車種にもエンジンファスターなグレードがあれば残った車もあったかもしれませんが。今ならユーノス500がほしいところ。クロノスが消えた後にカペラが復活したけどこれまた凡庸な車でした。
実は、これが初代MX-6なんですよ。よく見ると左ハンドルでしょ? カペラC2なら右ハンドルですからね。そのアメリカ仕様、MX-6です。でも、クロノス兄弟についての動画なので、取り上げるなら2代目MX-6(日本でもこのネーミングになりました)の写真を使うべきでしたね。
アンフィニーはバブル崩壊で影も形も消える。一時期フォード傘下で生き延びたMAZDA
クロノスに乗ってました。子供二人目が生まれてホンダプレリュードから乗り換え。1.8L-V6の総額200万円で買えるお買い得バージョンだったんだけどいい車だったよ。
クロノス。久々に聞きましたね。亡き親父が乗っていたがメンテを怠り、極上車を廃車にテルスター。自動車学校の教習車でした。高速教習はかなり快適でした。卒業直後にBMW3シリーズに入れ替え、乗せろとゴネマシタ。無理でした(笑)
当時の住友銀行出身の和田社長があまりにもスカポンタン過ぎるから倒産寸前に追い込まれた😢
昔のマツダ見てると、魔法騎士レイアース思い出す。
まさにレイアースの呪い(笑)今も生産されているのはエスクードくらいでは。
販売店には悪夢だったでしょうが、普通ならモーターショーの試作レベルも世にでることになってクルマ好きには楽しい時期でした。
私はユーノスプレッソを買いました。ユーノスといえば、あの当時はヤッパリロードスターがメジャーで、ユーノスに乗っているというとほぼほぼロードスターか?って言われて、プレッソと言うと、コーヒー?って返されて悲しい思いをしてました。私には、フェラーリやポルシェやメルセデスよりもお気に入りの車でした。1800ccなのにV6エンジンでアルミ製、ルマンを総合優勝したときの技術が導入されているとか、車のサイズは1500ccサイズで、上から見ても橫から見ても、前後から見ても流線形で、まさに私の好みをそのまま形にしたような姿でした。積載量もクーペなのに2m越えた長さの棚板も自転車も積めてちゃんとドアも閉めて普通に運転出きる程の容量もある私にとっていい車でした。後に1500ccバージョン(直列4気筒)も出たが、ほぼ変わらない内容でAZ3という名前でマツダとして出したり(違いは、ユーノスだと扉が、補強のビームが入って重いくらいだったと思う)、確かに迷走してたような気がします。全体的に変わったデザインは、ユーノスから出ていたと思います。
私も姉から貰った黒のV6が初めての愛車でした。マウンテンバイク積んで山やスキー場行ってました。クシュクシュクシュズモーンって感じのイグニッション音がイケてました。
クロノスのオートラマOEM車のフォードテルスターに乗ってました。V6エンジンを高回転で回すとキューインととても良い音がしました。車格を3ナンバーボディにしてエンジンも奢ったのに内装がしょぼくて結局マツダがマークⅡやローレルに対抗できる車にしたかったといっても結局大衆車の域を越えることが出来なかったという感じでしたね。4670の車長に1770の当時の国産車としては最大クラスの車幅で何かなまずのようなエクステリアとなってしまい横からみるとシャープなのに見る角度ではとてもかっこ悪いのも残念でした。最初から5ナンバーボディで出していたらもっとかっこ良かったかもしれません。後からでてきたランティスのセダンが垢抜けてかっこ良かったのでこれを買えばよかったと後悔しました。
ユーノス500は、結構良かったと思うんだけどなぁ。
ボンゴフレンディの後継車、出してくれないかなぁ…売りのAFTだけじゃなく新開発の2.5L12バルブターボディーゼルもパワフルでよく走った名車だったと思います。現行のディーゼルもそうですが、実は地味~に素晴らしい乗用ディーゼルエンジンを出してくれるので、マツダディーゼルの特集なんてやってくれると嬉しいです。カペラカーゴに載ってたPSWスーパーチャージャーディーゼルも当時の他社乗用ディーゼルエンジンを完全に凌駕する傑作でした。
子供の頃いろいろ謎でした。急に近所のマツダがアンフィニとか名乗りだして、オートザムとかいう謎のメーカーの広告を目にしたり、ユーノスって何?外車の店?? って感じ。その上、どこのメーカーか分からん謎の車を目にするようになり… あれらのカオスは全部マツダの仕業だったのですねww 恥ずかしながら初めて知りました。
1980年代中盤から後半は円高による内需拡大政策ってやつで量から質への転換が流行っていたんですよ。多品種少量生産体制で購買層の多様化したニーズに応えるという広告代理店やシンクタンクの売り込みだね。ただクロノス兄弟が発売になった頃にはすでにバブルが弾けていて多品種少量生産体制を敷いても多様化の時代は来なかった。というかそういうニーズが外車やロードスターに流れちゃってたんだ。よく考えたらカペラレベルの庶民ユーザーにとってバブルなんて縁遠い話だった。なので高級志向のセルシオは当たった。バブルで大儲けしてカペラ?そんな夢のない話はないんですよマツダさん!遊び車のロードスターはあってもクロノスはない、そこ気づかなかったのが失敗の本質だね。なんでも時代のせいにして反省がなかった日本企業が失われた20年、いや30年を生んだ。
ユーノス500・800・センティアだけ売っときゃ良かったのになぁ、でも欲しかったのはクロノス2000VG-X 5MT。 後年GFEPカペラZi-R 5MT買ったけど。
マツダ地獄はもっと昔からですよw
60~70年代からマツダ地獄ってあったもんなぁ🎵(笑)
@@五十嵐真一-h6v クボキヨ、オイルショック
このお話しの当時、Fordのディーラーに勤務してました。Fordのエンブレムのデザインの良さだけでマツダ製Ford車を購入されていかれたお客様も多かったですよ…(笑)
フェスティバとレビューが無かったらデミオも無かったですね。
クレフはもうコケる要素しかなかった、ただのでかいレビューだからなw
BTCCに出ていたユーノス500(クセドス6)今でもカッコいいと思います。
5チャンネル化がもし成功していてアマティ1000が発売されていれば日本の高級車に新たなページが刻まれていたかもしれませんね...。クロノスという全宇宙を統べた二番目の神々の王の名前を冠してこの大失敗は外から見れば喜劇ですが当事者には悲劇でしかなかったでしょうね
統一性と言えば聞こえは良いが、車格は違えど見た目がどれも大差が無くそれぞれの個性が薄いのに名前まで無いと本当に区別がつかない(特に顔が全て同じに見える)。それぞれに乗り味は違うかも知れないが、街中で走っていても遠目ではCX-5とCX-8は区別がつかず、車に詳しくない人には名前が無いと分かり辛いから購入対象になりにくい。BMWやベンツは高級車としての認知があり、車に疎い人でも知らない人はいないからペットネームが無くてもやっていけるが、MAZDAでそれは難しいのではないだろうか。ロードスターは分かりやすくしっかりとした個性があり、ターゲットも明確にしてるから良いと思う。
デミオが出なかったらマツダを完全に見捨てていた
うぷ主が意図したかどうか分かりませんが動画を見ての通りクロノスの悲劇とは言ってもその先代のカペラの時からセダン、5ドアのCG、クーペのC2、プレミアムなペルソナと派生車種は多かったんですよ。だけどやっぱり多チャンネル化と車名変更で顧客が混乱したので販売不振につながったのかもしれませんね。
あの当時、3ナンバー税制が変わった直後に3ナンバー化されたミドルクラス(マツダのクロノス兄弟・ホンダのアコード/ビガー・三菱ギャラン/エテルナ)は皆コケたという事実があります・・・理由は「車庫スペース事情」と「根強い『3ナンバーは贅沢だ』思考」なんです。それがあったのか?トヨタ(コロナ/カリーナ・カムリ/ビスタ)と日産(ブルーバード・プリメーラ)は5ナンバーのままだったので「尻下がりデザインでコケた」U13ブルーバード以外は普通に売れていましたね。
その’90s当時10代~20代だった者は「車庫スペース事情」と「根強い『3ナンバーは贅沢だ』思考」という風潮に背を向け、反旗を翻してたで、'90s後半から2000年代以降からミッドクラスはおろか小型車まで3ナンバー化が進行したわけ。
ウチの親父がクロノス乗ってました。本人的には大満足だったみたいですが、その後はいすゞのビークロスへ乗り換えました笑笑
個人的にユーノス800も好き
まるでホンダがコンチェルトに全社運を懸けるような暴挙で草w
ホンダは損切りが早いから
@@mpmpmppp ドマーニも❗、同じく!?
コンチェルト、欲しかった
このメーカーはいっつも自分のやってきた事全否定してんな
クロノスの前身のカペラって、ヨーロッパで賞取った位の名車だったのにあえてその名前を捨てる意味が当時分からなかった思い出があります。今もロードスターは好きですが、オーナーには申し訳無いですが、他のSUV群は大きさ以外に何が違うの?って思ってしまいます。まあ自分がクロカンは好きだけどSUVは関心が無いというのも原因だと思いますが。
ランチャデルタもマツダで売ってたよね
シトロエンも
今のどれも同じようなデザインのマツダ車に当時みたいな薄ら寒い危機的を抱く私は、社会人生活とともにマツダのサバンナからずーっと経緯を見ていました。ユーノスロードスター新車からずっと大切に乗ってます、頑張れマツダ!
クロノスってメッチャ良かったよ、特にV6エンジン
1.8Lとか2LのV6、なんて贅沢な時代だったんだ。ぜひ乗ってみたかった。この時代の中古車買うならランティスタイプRほしい。
このクロノス兄弟が全滅してカペラに戻ってアテンザに発展していったんですよね。
初代マツダデミオですね。懐かしいですね。マツダデミオのデザインやアテンザやCX-5のデザインが大好きです。
マツダは今クリーンエンジンでウハウハですけどあの頃はマツダが倒産しそうでヤバかったね。クロノスの悲劇を乗り越えてよく頑張ってますね。
フォード プローブの美しい流麗なデザインが好きだった
1992年当時、勤務先の客の娘さん(超絶美人)が、MX-6に乗ってた。当時の私は、HNR-32スカイラインGTS-4に乗ってた。R32は、性能、デザインともに申し分ない車だが、それと比べてもMX-6は、一歩も引けを取らない、美しいデザインの車だと思う。
M2ビルでは、実際に開発チームが働いていて、計画中のプロジェクトを一般客に見せて意見をつのるみたいなこともやっていた。コードネームで「 M2-01 」みたいな名前がつけられていた。ロードスターのクローズドクーペの試作なんかも見せてくれて面白かった。そしてM2-024だったと思うが、今にして思うと、それがのちのデミオとなるコンセプトがあった。 このころM2内部では、スズキワゴンR(初代)のパッケージの評価がとても高く、スズキからワゴンR一台借りてM2ビルに展示したほど。 その流れから出てきたんじゃないかな。
おっさんとしては今でもユーノスロードスターだアルファロメオはユーノス500の影響大ですね。
売れなかったけどバブル期のアンフィニ・ユーノスのデザインは、とても国産車とは思えない素晴らしい車が多かった。それに引き換え、レクサス日本上陸初期は、ろくな車種がなかったな。
私はCX-30が気に入って買いました♫他メーカーはハイブリッドに力を入れ、ディーゼルはほぼ絶滅しているのに直6ディーゼル、マイルドハイブリッドで勝負してて大丈夫なのか心配です💦
ディーゼルねぇ。。。なにが嬉しくて手を出しだんだろうね。ニッチなディーゼル好きを全部欲しかったのかな?真っ向から他者と戦うのが怖いのかな?
マツダがフォード傘下の時マツダ自体は銀行屋よりはまだマシって発言してたな
カリーナEDみたいなペルソナは、気合い入り過ぎていて凄かったですね。
アンフィニとユーノスはどっちかにしてレクサス的にして、オートザムは販売店ではなくコンパクトカーのブランド名だけとしてマツダ店で売って、日本フォードは欧州や米国のフォード車売るディーラーにして3チャンネルくらいにしとけば・・・
MAZDAへの愛が止まらないゆっくりモータリング(笑)
海外、ドイツやアメリカではちゃんと売れたらしいんですがね。徳大寺御大は「MX-6はデザインのポイントが前に来すぎて間延びしてる」「カペラが月販7000台、クロノス兄弟が全体でそこまで行かない」「マツダの技術陣は血を吐くような努力をしたと思う。しかし、送り出したクルマは枕を並べて討ち死にだ」…合掌。
徳さんユーロカー贔屓だもんな
高3のとき行ってた自動車学校の教習車がカペラでしたね。卒業後に就職してバブル真っ盛りでしたが、庶民にはあまり関係ない話で・・・。カペラは結構評判良く、会社の後輩はカペラカーゴに乗ってましたね。どう見ても会社の規模に対し身の丈に合ってない高級路線と多販売網は、ボンクラの俺でも「無理じゃね??」と当時思った。俺だけじゃなくて会社の若手全員レベルでw
カペラカーゴが結構売れたのにそのカペラをクロノスの名前に変えて失敗したで思ったけど今の新型クラウンはズッコケそうな予感クルマ自体は悪くないけどクラウンの名前で売るには違和感がありすぎるソアラ復活のほうが良かったように思う
新型クラウン、「これがクラウン👑かよ~??」って思ってしまう。 いかにもSUV然として個人的には魅力を感じません。
@@石田玲-v3g さんですよねクラウンはやっぱりセダンの王道をいってほしかったです中小企業の社長の憧れ、ケバいロイヤルサルーンこそクラウンだと思ってます
@@安達達也 さん 👑今日たまたま、走ってる姿見ました。 (先に)公告で見た印象より実物はブサイクで悲しくなりました。 こんなん誰が買うんでしょうか? 「クラウソ」と呼ぶのも憚られる…。
@@石田玲-v3g さんまったくですいままでのクラウンオーナーを無視したようなデザインですセドグロを捨てた日産とデジャブです
@@安達達也 中小企業馬鹿にしてる??
カペラの終わりの頃に出た、ハッチバックのカペラは結構好きだったな、、
素人から見ても売れる気がしない車ばかり…。マークII三兄弟やセドグロを差し置いてまで選ぶ意味が全くない。
初代デミオは大失敗したレビューのシャーシを流用して作ったじゃなかったけ?
近所にあったオートザム店は店員もやる気なくてホントにクソといえるようなディーラーでしたw案の定速攻で潰れてましたww
「クロノスの悲劇」言いだしっぺは自動車評論家の故徳大寺有恒氏では?
マツダは昔からヒット作で得た利益を駄作に全部つぎ込んで大コケするのを繰り返してるからなぁw今の魂動デザインもだんだん飽きられてきて初代CX-5の頃のような販売台数は売れてないし未だにSKY-Dに偏りすぎてハイブリッド化や電動化の波には全く乗れてないし新型車も軽以外はSUVばかりで他メーカーと違ってジャンルを特化しすぎているからもしSUVブームが去ったとしたら今度こそ売る物がなくてジエンドになるかもしれない
クロノス兄弟より開発費500億円掛けても8000台しか売れなかったユーノスコスモが一番の原因では?お陰で今では新車価格並み。
今晩は😆クイズの答えですトヨタBbオープンデッキです😆🎵🎵
クロノスは登場時のCMソングもまずかった。ホームレスの哀歌をCMソングって。。。。これはセンティアも同様でなんでフラッグシップモデルに都落ちの歌をCMソングにしたんだと。
デザインにコストをかけた分損失も大きかったのだろう。カペラにはあったステーションワゴン車型がない。バブル崩壊後のRVブームをハズしてるな。
最終型カペラもダメダメでしたね。通称萩原課長のカペラ😄ショーケンこと萩原健一さんをキャラクターにしたものの、味もそっ毛もない、地味なセダン。キャラクターがアランドロンの時と比べると、雲泥の差。CMで「とってもセダン」なんてショーケンに言わせても、後の祭り。
いやーファミリアは地味ではないぞ。第一回日本カー・オブ・ザ・イヤー取ってるし、陸サーファー文化といえばファミリアだから
MS-8が欲しかったけどお金(今では高価な180SX下取り価格)が足りなくてMS-6を購入しました。2000cc 6気筒 中々でしたよ!
プレマシーヒットしたのにビアンテで大コケするのがマツダ… プレマシーも5ナンバーだからよかったのに肥大化
昔、ディーラーにアテンザを見に行ったら「片手引けます」と言われた。いやいや、クルマ屋にそんな隠語があったのか。w定価を高めに設定して値引き幅で売ってたというのがマツダ地獄の正体。マツダの方針だったのかディーラーの判断だったのか知らんが、商売のやり方がおかしかったんだな。
うーん、会社でボンゴを2台買うと1台おまけにくれたり、タイタンを3台買うと2台をおまけにくれたり、いろい助かったことも多いと思います。
6:17 初代MX-6もクロノス兄弟なの?追記:他の方も指摘してましたね。9:38 のプローブとテルスターもクロノスとは関係ないモデルですね。車種名だけで写真検索して世代のことは考えなかったのかも。写真の初代プローブは日本人デザイン、線を強調。クロノスベースの二代目はオランダ生まれの女性デザイナー、ミミ・ヴァンダモーレンによる曲面を生かしたデザイン。なるほど、作家(台本)と動画製作者が違うとお互いの認識が違うから台詞と画像が合わなくなっちゃうんですね。
当時実家の車がアンフィニMS-6でした。5ドアで荷物も積めてとても便利な車でした。父もお気に入りで本当に色々なところに連れて行ってもらい、私にとっても思い出の1台です。ただ当時でも走ってるのを見かけない不人気車でしたが…
あの時代のクルマは(特に人気車でもない限り)今はどんどん廃車にしてしまう流れのようです。 ご多分に漏れず色々あったマツダ車もその波に呑まれ、中古車市場には多くが残っていない有り様です。 車体そのものには重大な欠陥があるでもないのに潰してしまうのは「勿体ない」の精神に反していて、まるでエコではないですね。 何がSDGsなのかよく分からんよ。 旧い年式のクルマが環境によろしくないのならば、排ガス対策の改良だけでも施して活かせられんもんだろうか? 費用対効果に問題かな。 古くなると課税が上がる税制が理解出来ません!
MX-6とプローブとテルスターの画像間違えてますよー! ここに載っているのはカペラがベースの先代モデルで、クロノスがベースの5チャンネル時代のモデルではありません。
クロノスは悪くない、質感高く寧ろいい車だった。悪いのは住友銀行から天下ってきた当時のマツダの社長が丁度バブル期で勘違いをしてマツダの名を隠して複数の乱発ブランドにして車を売りまくろうとしたのが失敗だっただけで(笑)これでマツダを瀕死の状態にさせて、マツダがフォードの傘下みたいになったおかげでマツダと住友の関係が悪化してしまったと言う(笑)その後リーマンショックで今度は親会社のフォードが潰れそうになってマツダの株を手放してくれたおかげでデザインも質感も中途半端な車しか作れなかったフォードの呪縛から逃れられたマツダはラッキーだったけど。今のマツダは住友からの天下りは一切受け入れていません。住友も三井と合併してマツダに単独で融資出来なくなったのもありますが。
一時期の住友銀行は、責任を取るためか?運転手付きの支店長車が黒いクロノスだらけの時期が有りましたね。
@@akirayuuki9100 確かに三井との合併前までは住友の社用車はマツダ車が多かったですね。ファミリアバンやらボンゴやら、セダンは書かれている通りクロノスやら重役はルーチェからセンティアまでと。多チャンネル時代のマツダは私もどこで何の車種を売っているのか訳が分かりませんでした。ユーノスは高級かな?という程度でした。センティアよりも上級車として開発途中のまま幻で終わったアマティ1000も見てみたかったです。2代目センティアがアマティを手直ししたデザインだったみたいですけど、これも不人気でした。マツダを救ったのは初代デミオだったみたいですね。
いつもためになる解説どうもありがとうございます。車名当てクイズの答えは bBオープンデッキです。今でもそうですが広島県や広島市ではbayマツダでマツダ車を買うケースがあります。
bB オープンデッキいつも楽しい動画、ありがとう!
他の方も言ってますが、写真はMX-6ではなく前代カペラクーペですね。(MX-6は後半ドイツのミュージアムの左の赤いクーペ)けどこのカペラはクーペも5ドアハッチバックもかっこよくて好きだったんだよな。それで、クロノスのデザインを見てズッコケた記憶がある。
18の時、vipカーブームで回りはセドグロ、シーマ、セルシオ、マジェスタ、クラウンだらけだったけど、初代センティア買いました。
他には無い流線型の美しい車体が納車された時、涙が出る程カッコいいと思った
本当に美しい車の多いメーカーだったな
当時勤務先の社用車がセンティアでエンジンのトルクも良く出ていいクルマだったけど4WSがすぐに壊れたりワイパーが何回修理しても異音出したり、大小トラブル続出で「詰め」の甘いクルマだな~と。
飛燕が美しい飛行機だったけど故障だらけで活躍できなかったのを思い出しました。
ユーノス800/ミレーニアは流麗なフォルムで素晴らしい車でした。
ミラーサイクルエンジンは究極のエンジン!のはずでした。
センティアもですが、ヌメヌメした曲面美はマツダの板金プレス技術の結晶で他社が真似できない優位技術のアピールポイントでした。
ほんと昔からマニアックなところが多いメーカーです。
そういえばトヨタが一時期曲面多用した時期がありましたが(セラとか40系タコ2とか30ソアラとか)、あれってマツダに張り合った結果だったんだろうか?
ソアラはまぁ…って感じもするけど、セラとかはドアが普通だったらユーノス・プレッソの方が魅力的な位なので、やっぱりマツダの曲面デザインは頭ひとつ抜きん出てる気がしますね。
@@kuplaskivladimir5295
あれ当時の北米トレンドがいわゆるラウンドボディだったんですよ。
スライムみたいなボテッというかデローンとした感じの。
当時のマスタングやトーラスなんかモロにそう。
波及で世界的なトレンドでした。
日産も北米デザインスタジオにデザインさせたレパードJフェリーやU13ブルはヌメッとした尻下がりの妙ちきりんな物になって日本市場では大不評、えらいことになりましたw
ワシは広島市に住んどりますが
広島県内ではマツダのお膝元っこともあり
ブランドイメージはトヨタ車並みです。
そのせいで、ホンダと日産車は販売店も少ないしあんまり走ってないです。
あと、広島のエリートサラリーマンといえば、もちろんマツダ社員です。
マツダの新車が出る度に、地元TV局のニュースで放送されます。
デミオは初代から乗り換え続け、今も最後のデミオを社用車として使ってる。初代、マイナーチェンジ後のDY3Wが一番良かった。何しろ荷室が広いし使い易い。燃費は12km/L程度だったかな。
その次から丸くなって狭くて使い勝手悪くなったけど、安全性が飛躍的に上昇したしね。
今のマツダ2も含め良い車だよ。
10年基準のキャッチコピーを背負って投入されたユーノス500は、大型化に走り出していた当時のMAZDAの中にあって、5ナンバー枠に収めた美しいフォルムに仕立てられていて大好きな車でした。
「10年基準」ってミラーサイクルエンジンの
ユーノス800じゃなかったっけ?
当時マツダディーラー内では、クロノスは“苦労の巣”と言ってました。
メチャクチャ面白かったです。
販売チャンネルの話は詳しくないので非常に勉強になりました。
この5チャンネル化を提唱した人物のその後の顛末を知りたい…
生きた心地しなかったろうな。
広島県の会社やタクシーがこぞって、マツダを倒産させるなと、どんどん買い替えしていたのを思い出す。
広島県人の郷土愛はすごいですよ。
そう? 数年前に広島旅行したけど、トヨタ車のほうが目立ってて言うほどマツダ車は多くなかったぞ
@@servo6705
ここ十年はそんな感じですよ。いまはマツダの業績は良いらしいですから。
マツダの消滅危機の時の話ですよ。
今はカスタムキャブ(タクシー)なんて絶滅危惧種ですしね。
デミオ以外の乗用車なんて高くて買えませんわ。
いやいや、昔からマツダは地元で嫌われてたよ。特に年齢層が高いほど
なんせ社員がマツダ車買わないんだもの
@@さんさん-r9g
そうなの?
まあ、私がマツダの関係者でも買わないしね。
60歳以上がマツダを嫌うのは、ロータリーの極悪燃費を実際に知っているからかな。
RX3やルーチェでも3km/lいかなかったから、普通の運転でも、2年も乗ると車両価格を燃料代が上回るという悲劇に。
マツダは三輪だけ作っておけばいいのにってなるよね。
@@servo6705 倒産しかけてた時期からずいぶん立ってるし今は違うってだけじゃないの?
クロノスの悲劇があったから今のマツダが有ります。
売れなかったけど、ユーノス500、ユーノス800、ユーノスコスモは今の時代でも通用しそうな素晴らしいデザインだと思いますね。
ユーノスのイタリア車に通ずるデザインセンスは国産車随一で秀逸だと思う
ユーノス500かプリメーラか悩んで、プリメーラ買って大正解でした。
でもユーノス500のV6 2000ccは贅沢の極みでしたね。
ユーノス500は最高にイカしたデザインだった。ジウジアーローがそのデザインに卒倒して、研究用に何台か購入した。かなり後になって、アルファ156とか、アコードCL7とか、ギャランフォルティスなんか、ちょっとユーノス500に似た雰囲気だった気がする。クロノス問題より、アマティブランドを立ち上げてたら、どうなってたか・・。
黒いユーノスコスモのリア周りは今でも通用する美しさだと思う。
平成3年頃
マツダと何の縁も無いのに、我が家には20Bコスモとユーノス100がありました
コスモやペルソナの「滑らかで止まらない面」で構成された内装も独特な魅力がありました(笑)
何とも懐かしいお話し、ありがとうございます、当時マツダディーラーの中古車販売店に勤務しておりました、ラテンの旋律はランティスクーペだったようなMX-6だったような、良く覚えておりません。ランティスまで加えるともっとややこしくなりそうです、クロノスファミリーは基本V6エンジンで後期のユーノス500、ランティスにだけ4気筒のツインカムを搭載してボディも5ナンバーサイズでしたね、関係者でも訳分からん位兄弟親戚の多い車種でした、また面白そうなマイナーネタお願い致します。
販売網の5チャンネル化はメインバンクから
迎えた役員の発案だったそうです。
それしか考えられないよね
融資するからと…
オイルショックで経営傾いて銀行から役員受け入れたのですが、バブル期にその銀行から来た役員に今度は経営傾けられてしまったのですね。
結果的にはフォードから社長が来て経営建て直した筈です。
@@jt521bc7さん。
金井誠太氏が講演会にて「フォード出身の経営陣からは
ブランディングを基礎から学ばせてもらった」という主旨の
発言をしておられました。
@@jt521bc7
レースでは787にフォードエンジン(DFVorHB)を積んだオートラマスペシャルなるマシンがありました。
初めて乗ったMAZDA車がユーノス800でした。
v6 2.5で4wsやソーラーベンチレーションなどあった贅沢な装備、そして運転が楽しい1台だったなと懐かしく思い出されます。
ユーノス800からMAZDAを乗り継いでますが、仮にもこのデザインが復活したら欲しくなりそうです。
matuda地獄は1970年代かありましたよ、ロータリー以外は他車乗り換え時はびっくりするほど下取り価格が安かったですよ、大ヒットしたファミリアでさえ2年落ちの下取りが25万ぐらいで空安すぎやろ、と突っ込み入れたらお前買うかと言われ25万でも買わないと言ったら営業にほな25万でも高いやんけ、と言われた。
わつぃの叔父がカペラロータリーに乗ていまして、当時6年目の車検の時の足回りのボールジョイントすべてがたがたで変えた記憶があります、しかしロータリーエンジンはオイルに水が混じっていたのでマツダに相談するとなんとメーカークレームでエンジンO/Hしてくれました。S51年ごろだったと思います。
免許取りたてで54年式SA22Cを57年に3年落ちで買いましたが、当時のロータリーエンジンは永久保証で私のRX-7も購入から3年後にカーボンロックで不動からのフルOHでした
ダンドラのウェーバーが付いていてもディーラー対応してくれた良い時代でしたね(笑)
@@中川美枝子-j3g系列店ならマフラー交換でも入庫ok
マツダの営業でも、他のチャンネルで売られているクロノスの区別がつかんかった。
もうカオスそのものでした!
しっかし、この時代のマツダのデザイン、極端な名作と駄作が入り混じっててカオスだったな
社内の争いがひどく、RX-7デザインを手がけた人は酷いやっかみでデザイン部門から引き摺り下ろされたらしいよ。
@@うんちくん-v4f BMWから移籍して来て北米スタジオでNAロードスターのベースデザインをやった人も確か広島と揉めてたみたいだし、初代センティアのデザイナーさんはいつの間にか鈴木の二輪のデザイン部門に移籍してたし、ゴタゴタしてたんですかねぇ
@@TheKaerupyokopyoko 岡山とか広島の人達、気性が相当荒いらしいからね。そういうのもあって会社とかややこしいとこあるのかもね。マツダだけやなく、広島の会社全部w
@@うんちくん-v4f あの時代のマツダだと特に、メインラインの車種を担当した人に対して、5チャンネル化の数合わせみたいな車種を担当させられた人の嫉みみたいなのもあったんでしょうね
『クロノスの悲劇』って言葉自体はかっこいい(笑)
何かのロールプレイングゲームみたい😁🚬
(苦笑)
カノッサの屈辱みたいな感じかな?
我が家では、隣のおじさんがマツダに勤めていた縁で数少ないテルスターに乗っていました😊今回の動画の型ではなくクロノスとほぼ同型でしたが約25万キロ走ったみたいです。僕は隣のおじさんに「おっちゃん、なんでカペラ無くなったん⁉️」とか無神経な質問をしていました。数年後カペラは本当に復活し、親父もカペラに乗り換えていました😅
MAZDAは嫌いじゃないですよ。
ファミリアハッチバック乗ってたけど
1気筒プラグコードが破損し、ゆっくり走行で3気筒のまま浜松〜千葉まで帰れたし。
マツダスピードもあったから、パーツつけたりしてたね。
会社として迷走する事も多いけど、他社が見習うデザインは多いと思いますね。
私も馬力出ないな程度の感じで、点検に持って行ったら、6気筒の内2気筒が死んでたことありました。
(修理してもらったら元通り力強く走るようになりました。)
@@TH-uj7dx さん
2/6 が死んでるって初めて訊きました。
ワシも軽箱で1気筒が死亡したことが2回もあって、自転車並みしか走れないかったの思い出します。(イグニションコイル破損)
@@石田玲-v3g 私の場合は、プラグがイカれてたとのことで、原因はハイオク専用なのに、レギュラーが混じっていたらしく、オーバーホールになってしまいました。店員の居るところでしか入れたことないので、店員が間違えたと思われます。
NEOという珍車やあのシビックですら売れてなかったのにそれを真似た
デザインのファミリアを出したりこの会社の新車開発のGOサイン出す人は
いるのか?と思ってた。これ売れる?って誰も思わなかったのか不思議です。
今も昔も8割がたデザインで決めると思います。
メーカーは思想やデザイナーの自己満足を押し付けたらダメ。
もっとユーザーの声を聴くべき。
映像のMX-6はカペラC2ですね。
MX-6はもっと尖っていてコスモスポーツみたいなデザインです。
因みに自分の親父がC2の4WSに乗ってました!
乗らせてもらったら レーンチェンジの安定感が凄かった😁
厳密に言うと、MX-6で合ってます。よく見ると左ハンドルなので、カペラC2のアメリカ仕様、初代MX-6です。
でも、クロノス兄弟となると…2代目MX-6(日本でもこのネーミングになりました)の写真を使うべきでしたね。
@@名前考え中-u2h ですね!
マツダ地獄はもっと昔からですよ
ユーノスだったらまず名前を出すならロードスターでしょ
マツダ地獄という言葉は昭和から既に有る
この頃生まれたものではない
クロノスは会社の営業車でした。丁度、バブルが弾けた頃で三菱では大ヒットした直4ギャランからV6ギャランに変わった頃で雑誌では「車の開発って4年程必要だと痛感した」と嘆きの記事もあった。RX-7もFC型はサバンナRX-7だがFD型はアンフィニRX-7でクレフとかMX-6とかクロノス兄弟車が一杯でした。その全ては中型車枠の3ナンバー。税額も見直されたがバブル時代の豪華から急にバブルが弾けて質素が好まれた。この車が売れないと判断したマツダはカペラを復活させた。廃盤になったカペラのシルエットはクロノス同様にスラントノーズだが復活カペラはBMW風の逆スラントノーズで現行のクラウン似だ。
最近マツダが2とか3とか6という名前を採用してるの見てると、どう考えてもこの一件を思い出してしまう。
絶対にこの命名戦略は定着しないな。
5チャンネル化云々よりも、当時の経営陣にかなり問題が有ったし、何より地元で売れない嫌われて、地元で買うより関東で買う方が安いとか、販売会社自体おかしな状態でしたね。フォード傘下に入ってしがらみが無くなったのが良かった感じです。
デミオもですが、2代目MPVでかなり持ち直した感じです
なんで地元に嫌われたの??
バブル跳ねてから日産も終わってたな。
マツダ5ch時代だと、フォードの「フェスティバ」(後のデミオ?)にうちの母親が実際に乗ってました。
可もなく不可もなく、ソレで居て耐久性だけはやたらと有ったので、事故らなければ10年以上乗ってたと思います。(事故で廃車となったのだ)
あの時代のコンパクト車にしては珍しく天井が高めな「ハイト系コンパクト」だったので、背が高い私でも楽に乗降できました。
フェスティバ、好きでした。当時はあまりないハイトですが洗練されたデザインだったと思います。
ただ、当時のコンパクトクラスは軽に毛の生えた程度の安全性で事故でグッシャリ潰れた車体が運ばれてるのを見ると悲しくなったのを思い出します。(どこのメーカーも似たり寄ったりですが…。)
銀行出向役員が経営を握っていた時代の黒歴史ですな。
アンフィニMS-6は当時勤務していた会社の営業車でした。
当時はまだ今ほど3ナンバー車のインフラが整っていなくて、タワーパーキングに入庫出来ないなど苦労も多かったのも懐かしいです。
プローブとテルスターも兄弟だったとは....あの頃のマツダは本当に訳がわかりませんでした。
プローブとテルスターは違うと思います。初代プローブは、カペラC2の姉妹車と思います。2代目プローブはクロノスファミリーですね。
動画の内容から兄弟なの?って思ったんですが...本当に訳がわかりません(笑)
@@平田祥一郎-b8c
2ドアと4ドア/5ドアを別物と考えればそうなりますが、初代プローブは5代目カペラ派生車で2代目テルスターも5代目カペラのOEMでしたから姉妹車と言えなくはないでしょう。
MX-6の画像がカペラC2ですよ。当時の金太郎飴な車作りは新車の時から「中古でも値段がつかないな」と
思わせる要素がいっぱいで、ロードスターのヒットがなけりゃ完封負けでしたね。
せめてどの車種にもエンジンファスターなグレードがあれば残った車もあったかもしれませんが。
今ならユーノス500がほしいところ。クロノスが消えた後にカペラが復活したけどこれまた凡庸な車でした。
実は、これが初代MX-6なんですよ。よく見ると左ハンドルでしょ? カペラC2なら右ハンドルですからね。そのアメリカ仕様、MX-6です。
でも、クロノス兄弟についての動画なので、取り上げるなら2代目MX-6(日本でもこのネーミングになりました)の写真を使うべきでしたね。
アンフィニーはバブル崩壊で影も形も消える。一時期フォード傘下で生き延びたMAZDA
クロノスに乗ってました。子供二人目が生まれてホンダプレリュードから乗り換え。1.8L-V6の総額200万円で買えるお買い得バージョンだったんだけどいい車だったよ。
クロノス。久々に聞きましたね。
亡き親父が乗っていたが
メンテを怠り、極上車を廃車に
テルスター。自動車学校の教習車でした。高速教習はかなり快適でした。卒業直後にBMW3シリーズに入れ替え、乗せろとゴネマシタ。無理でした(笑)
当時の住友銀行出身の和田社長があまりにもスカポンタン過ぎるから倒産寸前に追い込まれた😢
昔のマツダ見てると、魔法騎士レイアース思い出す。
まさにレイアースの呪い(笑)
今も生産されているのはエスクードくらいでは。
販売店には悪夢だったでしょうが、普通ならモーターショーの試作レベルも世にでることになってクルマ好きには楽しい時期でした。
私はユーノスプレッソを買いました。ユーノスといえば、あの当時はヤッパリロードスターがメジャーで、ユーノスに乗っているというとほぼほぼロードスターか?って言われて、プレッソと言うと、コーヒー?って返されて悲しい思いをしてました。私には、フェラーリやポルシェやメルセデスよりもお気に入りの車でした。
1800ccなのにV6エンジンでアルミ製、ルマンを総合優勝したときの技術が導入されているとか、車のサイズは1500ccサイズで、上から見ても橫から見ても、前後から見ても流線形で、まさに私の好みをそのまま形にしたような姿でした。
積載量もクーペなのに2m越えた長さの棚板も自転車も積めてちゃんとドアも閉めて普通に運転出きる程の容量もある私にとっていい車でした。
後に1500ccバージョン(直列4気筒)も出たが、ほぼ変わらない内容でAZ3という名前でマツダとして出したり(違いは、ユーノスだと扉が、補強のビームが入って重いくらいだったと思う)、確かに迷走してたような気がします。
全体的に変わったデザインは、ユーノスから出ていたと思います。
私も姉から貰った黒のV6が初めての愛車でした。マウンテンバイク積んで山やスキー場行ってました。クシュクシュクシュズモーンって感じのイグニッション音がイケてました。
クロノスのオートラマOEM車のフォードテルスターに乗ってました。V6エンジンを高回転で回すとキューインととても良い音がしました。車格を3ナンバーボディにしてエンジンも奢ったのに内装がしょぼくて結局マツダがマークⅡやローレルに対抗できる車にしたかったといっても結局大衆車の域を越えることが出来なかったという感じでしたね。
4670の車長に1770の当時の国産車としては最大クラスの車幅で何かなまずのようなエクステリアとなってしまい横からみるとシャープなのに見る角度ではとてもかっこ悪いのも残念でした。最初から5ナンバーボディで出していたらもっとかっこ良かったかもしれません。後からでてきたランティスのセダンが垢抜けてかっこ良かったのでこれを買えばよかったと後悔しました。
ユーノス500は、結構良かったと思うんだけどなぁ。
ボンゴフレンディの後継車、出してくれないかなぁ…売りのAFTだけじゃなく新開発の2.5L12バルブターボディーゼルもパワフルでよく走った名車だったと思います。現行のディーゼルもそうですが、実は地味~に素晴らしい乗用ディーゼルエンジンを出してくれるので、マツダディーゼルの特集なんてやってくれると嬉しいです。カペラカーゴに載ってたPSWスーパーチャージャーディーゼルも当時の他社乗用ディーゼルエンジンを完全に凌駕する傑作でした。
子供の頃いろいろ謎でした。急に近所のマツダがアンフィニとか名乗りだして、オートザムとかいう謎のメーカーの広告を目にしたり、ユーノスって何?外車の店?? って感じ。その上、どこのメーカーか分からん謎の車を目にするようになり… あれらのカオスは全部マツダの仕業だったのですねww 恥ずかしながら初めて知りました。
1980年代中盤から後半は円高による内需拡大政策ってやつで量から質への転換が流行っていたんですよ。多品種少量生産体制で購買層の多様化したニーズに応えるという広告代理店やシンクタンクの売り込みだね。
ただクロノス兄弟が発売になった頃にはすでにバブルが弾けていて多品種少量生産体制を敷いても多様化の時代は来なかった。というかそういうニーズが外車やロードスターに流れちゃってたんだ。よく考えたらカペラレベルの庶民ユーザーにとってバブルなんて縁遠い話だった。
なので高級志向のセルシオは当たった。バブルで大儲けしてカペラ?そんな夢のない話はないんですよマツダさん!遊び車のロードスターはあってもクロノスはない、そこ気づかなかったのが失敗の本質だね。
なんでも時代のせいにして反省がなかった日本企業が失われた20年、いや30年を生んだ。
ユーノス500・800・センティアだけ売っときゃ良かったのになぁ、でも欲しかったのはクロノス2000VG-X 5MT。
後年GFEPカペラZi-R 5MT買ったけど。
マツダ地獄はもっと昔からですよw
60~70年代からマツダ地獄ってあったもんなぁ🎵(笑)
@@五十嵐真一-h6v
クボキヨ、オイルショック
このお話しの当時、Fordのディーラーに勤務してました。Fordのエンブレムのデザインの良さだけでマツダ製Ford車を購入されていかれたお客様も多かったですよ…(笑)
フェスティバとレビューが無かったらデミオも無かったですね。
クレフはもうコケる要素しかなかった、ただのでかいレビューだからなw
BTCCに出ていたユーノス500(クセドス6)今でもカッコいいと思います。
5チャンネル化がもし成功していてアマティ1000が発売されていれば日本の高級車に新たなページが刻まれていたかもしれませんね...。
クロノスという全宇宙を統べた二番目の神々の王の名前を冠してこの大失敗は外から見れば喜劇ですが当事者には悲劇でしかなかったでしょうね
統一性と言えば聞こえは良いが、車格は違えど見た目がどれも大差が無くそれぞれの個性が薄いのに名前まで無いと本当に区別がつかない(特に顔が全て同じに見える)。
それぞれに乗り味は違うかも知れないが、街中で走っていても遠目ではCX-5とCX-8は区別がつかず、車に詳しくない人には名前が無いと分かり辛いから購入対象になりにくい。
BMWやベンツは高級車としての認知があり、車に疎い人でも知らない人はいないからペットネームが無くてもやっていけるが、MAZDAでそれは難しいのではないだろうか。
ロードスターは分かりやすくしっかりとした個性があり、ターゲットも明確にしてるから良いと思う。
デミオが出なかったらマツダを完全に見捨てていた
うぷ主が意図したかどうか分かりませんが動画を見ての通りクロノスの悲劇とは言ってもその先代のカペラの時からセダン、5ドアのCG、クーペのC2、プレミアムなペルソナと派生車種は多かったんですよ。だけどやっぱり多チャンネル化と車名変更で顧客が混乱したので販売不振につながったのかもしれませんね。
あの当時、3ナンバー税制が変わった直後に3ナンバー化されたミドルクラス(マツダのクロノス兄弟・ホンダのアコード/ビガー・三菱ギャラン/エテルナ)は皆コケたという事実があります・・・理由は「車庫スペース事情」と「根強い『3ナンバーは贅沢だ』思考」なんです。それがあったのか?トヨタ(コロナ/カリーナ・カムリ/ビスタ)と日産(ブルーバード・プリメーラ)は5ナンバーのままだったので「尻下がりデザインでコケた」U13ブルーバード以外は普通に売れていましたね。
その’90s当時10代~20代だった者は「車庫スペース事情」と「根強い『3ナンバーは贅沢だ』思考」という風潮に背を向け、反旗を翻してた
で、'90s後半から2000年代以降からミッドクラスはおろか小型車まで3ナンバー化が進行したわけ。
ウチの親父がクロノス乗ってました。
本人的には大満足だったみたいですが、
その後はいすゞのビークロスへ乗り換えました笑笑
個人的にユーノス800も好き
まるでホンダがコンチェルトに全社運を懸けるような暴挙で草w
ホンダは損切りが早いから
@@mpmpmppp ドマーニも❗、同じく!?
コンチェルト、欲しかった
このメーカーはいっつも自分のやってきた事全否定してんな
クロノスの前身のカペラって、ヨーロッパで賞取った位の名車だったのにあえてその名前を捨てる意味が当時分からなかった思い出があります。今もロードスターは好きですが、オーナーには申し訳無いですが、他のSUV群は大きさ以外に何が違うの?って思ってしまいます。まあ自分がクロカンは好きだけどSUVは関心が無いというのも原因だと思いますが。
ランチャデルタもマツダで売ってたよね
シトロエンも
今のどれも同じようなデザインのマツダ車に当時みたいな薄ら寒い危機的を抱く私は、社会人生活とともにマツダのサバンナからずーっと経緯を見ていました。ユーノスロードスター新車からずっと大切に乗ってます、頑張れマツダ!
クロノスってメッチャ良かったよ、特にV6エンジン
1.8Lとか2LのV6、なんて贅沢な時代だったんだ。ぜひ乗ってみたかった。
この時代の中古車買うならランティスタイプRほしい。
このクロノス兄弟が全滅してカペラに戻ってアテンザに発展していったんですよね。
初代マツダデミオですね。懐かしいですね。マツダデミオのデザインやアテンザやCX-5のデザインが大好きです。
マツダは今クリーンエンジンでウハウハですけどあの頃はマツダが倒産しそうでヤバかったね。クロノスの悲劇を乗り越えてよく頑張ってますね。
フォード プローブの美しい流麗なデザインが好きだった
1992年当時、勤務先の客の娘さん(超絶美人)が、MX-6に乗ってた。当時の私は、HNR-32スカイラインGTS-4に乗ってた。R32は、性能、デザインともに申し分ない車だが、それと比べてもMX-6は、一歩も引けを取らない、美しいデザインの車だと思う。
M2ビルでは、実際に開発チームが働いていて、計画中のプロジェクトを一般客に見せて意見をつのるみたいなこともやっていた。コードネームで「 M2-01 」みたいな名前がつけられていた。ロードスターのクローズドクーペの試作なんかも見せてくれて面白かった。
そしてM2-024だったと思うが、今にして思うと、それがのちのデミオとなるコンセプトがあった。 このころM2内部では、スズキワゴンR(初代)のパッケージの評価がとても高く、スズキからワゴンR一台借りてM2ビルに展示したほど。 その流れから出てきたんじゃないかな。
おっさんとしては今でもユーノスロードスターだ
アルファロメオはユーノス500の影響大ですね。
売れなかったけどバブル期のアンフィニ・ユーノスのデザインは、とても国産車とは思えない
素晴らしい車が多かった。
それに引き換え、レクサス日本上陸初期は、ろくな車種がなかったな。
私はCX-30が気に入って買いました♫他メーカーはハイブリッドに力を入れ、ディーゼルはほぼ絶滅しているのに直6ディーゼル、マイルドハイブリッドで勝負してて大丈夫なのか心配です💦
ディーゼルねぇ。。。
なにが嬉しくて手を出しだんだろうね。ニッチなディーゼル好きを全部欲しかったのかな?
真っ向から他者と戦うのが怖いのかな?
マツダがフォード傘下の時マツダ自体は銀行屋よりはまだマシって発言してたな
カリーナEDみたいなペルソナは、気合い入り過ぎていて凄かったですね。
アンフィニとユーノスはどっちかにしてレクサス的にして、オートザムは販売店ではなくコンパクトカーのブランド名だけとしてマツダ店で売って、日本フォードは欧州や米国のフォード車売るディーラーにして3チャンネルくらいにしとけば・・・
MAZDAへの愛が止まらないゆっくりモータリング(笑)
海外、ドイツやアメリカではちゃんと売れたらしいんですがね。
徳大寺御大は「MX-6はデザインのポイントが前に来すぎて間延びしてる」「カペラが月販7000台、クロノス兄弟が全体でそこまで行かない」「マツダの技術陣は血を吐くような努力をしたと思う。しかし、送り出したクルマは枕を並べて討ち死にだ」…
合掌。
徳さんユーロカー贔屓だもんな
高3のとき行ってた自動車学校の教習車がカペラでしたね。卒業後に就職してバブル真っ盛りでしたが、庶民にはあまり関係ない話で・・・。カペラは結構評判良く、会社の後輩はカペラカーゴに乗ってましたね。
どう見ても会社の規模に対し身の丈に合ってない高級路線と多販売網は、ボンクラの俺でも「無理じゃね??」と当時思った。俺だけじゃなくて会社の若手全員レベルでw
カペラカーゴが結構売れたのに
そのカペラをクロノスの名前に変えて失敗したで思ったけど
今の新型クラウンはズッコケそうな予感
クルマ自体は悪くないけどクラウンの名前で売るには違和感がありすぎる
ソアラ復活のほうが良かったように思う
新型クラウン、「これがクラウン👑かよ~??」って思ってしまう。
いかにもSUV然として個人的には魅力を感じません。
@@石田玲-v3g さん
ですよね
クラウンはやっぱりセダンの王道をいってほしかったです
中小企業の社長の憧れ、ケバいロイヤルサルーンこそクラウンだと思ってます
@@安達達也 さん
👑今日たまたま、走ってる姿見ました。
(先に)公告で見た印象より実物はブサイクで悲しくなりました。
こんなん誰が買うんでしょうか?
「クラウソ」と呼ぶのも憚られる…。
@@石田玲-v3g さん
まったくです
いままでのクラウンオーナーを無視したようなデザインです
セドグロを捨てた日産とデジャブです
@@安達達也 中小企業馬鹿にしてる??
カペラの終わりの頃に出た、ハッチバックのカペラは結構好きだったな、、
素人から見ても売れる気がしない車ばかり…。マークII三兄弟やセドグロを差し置いてまで選ぶ意味が全くない。
初代デミオは大失敗したレビューのシャーシを流用して作ったじゃなかったけ?
近所にあったオートザム店は店員もやる気なくてホントにクソといえるようなディーラーでしたw
案の定速攻で潰れてましたww
「クロノスの悲劇」
言いだしっぺは自動車評論家の
故徳大寺有恒氏では?
マツダは昔からヒット作で得た利益を駄作に全部つぎ込んで大コケするのを繰り返してるからなぁw
今の魂動デザインもだんだん飽きられてきて初代CX-5の頃のような販売台数は売れてないし
未だにSKY-Dに偏りすぎてハイブリッド化や電動化の波には全く乗れてないし
新型車も軽以外はSUVばかりで他メーカーと違ってジャンルを特化しすぎているから
もしSUVブームが去ったとしたら今度こそ売る物がなくてジエンドになるかもしれない
クロノス兄弟より開発費500億円掛けても8000台しか売れなかったユーノスコスモが一番の原因では?お陰で今では新車価格並み。
今晩は😆
クイズの答えです
トヨタBbオープンデッキです😆🎵🎵
クロノスは登場時のCMソングもまずかった。
ホームレスの哀歌をCMソングって。。。。これはセンティアも同様でなんでフラッグシップモデルに都落ちの歌をCMソングにしたんだと。
デザインにコストをかけた分損失も大きかったのだろう。
カペラにはあったステーションワゴン車型がない。バブル崩壊後のRVブームをハズしてるな。
最終型カペラもダメダメでしたね。通称萩原課長のカペラ😄ショーケンこと萩原健一さんをキャラクターにしたものの、味もそっ毛もない、地味なセダン。キャラクターがアランドロンの時と比べると、雲泥の差。CMで「とってもセダン」なんてショーケンに言わせても、後の祭り。
いやーファミリアは地味ではないぞ。
第一回日本カー・オブ・ザ・イヤー取ってるし、陸サーファー文化といえばファミリアだから
MS-8が欲しかったけどお金(今では高価な180SX下取り価格)が足りなくてMS-6を購入しました。
2000cc 6気筒 中々でしたよ!
プレマシーヒットしたのにビアンテで大コケするのがマツダ… プレマシーも5ナンバーだからよかったのに肥大化
昔、ディーラーにアテンザを見に行ったら「片手引けます」と言われた。
いやいや、クルマ屋にそんな隠語があったのか。w
定価を高めに設定して値引き幅で売ってたというのがマツダ地獄の正体。
マツダの方針だったのかディーラーの判断だったのか知らんが、商売のやり方がおかしかったんだな。
うーん、会社でボンゴを2台買うと1台おまけにくれたり、タイタンを3台買うと2台をおまけにくれたり、
いろい助かったことも多いと思います。
6:17 初代MX-6もクロノス兄弟なの?
追記:他の方も指摘してましたね。9:38 のプローブとテルスターもクロノスとは関係ないモデルですね。車種名だけで写真検索して世代のことは考えなかったのかも。
写真の初代プローブは日本人デザイン、線を強調。クロノスベースの二代目はオランダ生まれの女性デザイナー、ミミ・ヴァンダモーレンによる曲面を生かしたデザイン。
なるほど、作家(台本)と動画製作者が違うとお互いの認識が違うから台詞と画像が合わなくなっちゃうんですね。
当時実家の車がアンフィニMS-6でした。5ドアで荷物も積めてとても便利な車でした。父もお気に入りで本当に色々なところに連れて行ってもらい、私にとっても思い出の1台です。
ただ当時でも走ってるのを見かけない不人気車でしたが…
あの時代のクルマは(特に人気車でもない限り)今はどんどん廃車にしてしまう流れのようです。
ご多分に漏れず色々あったマツダ車もその波に呑まれ、中古車市場には多くが残っていない有り様です。
車体そのものには重大な欠陥があるでもないのに潰してしまうのは「勿体ない」の精神に反していて、まるでエコではないですね。
何がSDGsなのかよく分からんよ。
旧い年式のクルマが環境によろしくないのならば、排ガス対策の改良だけでも施して活かせられんもんだろうか? 費用対効果に問題かな。
古くなると課税が上がる税制が理解出来ません!
MX-6とプローブとテルスターの画像間違えてますよー! ここに載っているのはカペラがベースの先代モデルで、クロノスがベースの5チャンネル時代のモデルではありません。
クロノスは悪くない、質感高く寧ろいい車だった。
悪いのは住友銀行から天下ってきた当時のマツダの社長が丁度バブル期で勘違いをしてマツダの名を隠して複数の乱発ブランドにして車を売りまくろうとしたのが失敗だっただけで(笑)
これでマツダを瀕死の状態にさせて、マツダがフォードの傘下みたいになったおかげでマツダと住友の関係が悪化してしまったと言う(笑)
その後リーマンショックで今度は親会社のフォードが潰れそうになってマツダの株を手放してくれたおかげでデザインも質感も中途半端な車しか作れなかったフォードの呪縛から逃れられたマツダはラッキーだったけど。
今のマツダは住友からの天下りは一切受け入れていません。
住友も三井と合併してマツダに単独で融資出来なくなったのもありますが。
一時期の住友銀行は、責任を取るためか?運転手付きの支店長車が黒いクロノスだらけの時期が有りましたね。
@@akirayuuki9100
確かに三井との合併前までは住友の社用車はマツダ車が多かったですね。
ファミリアバンやらボンゴやら、セダンは書かれている通りクロノスやら重役はルーチェからセンティアまでと。
多チャンネル時代のマツダは私もどこで何の車種を売っているのか訳が分かりませんでした。
ユーノスは高級かな?という程度でした。
センティアよりも上級車として開発途中のまま幻で終わったアマティ1000も見てみたかったです。
2代目センティアがアマティを手直ししたデザインだったみたいですけど、これも不人気でした。
マツダを救ったのは初代デミオだったみたいですね。
いつもためになる解説どうもありがとうございます。
車名当てクイズの答えは bBオープンデッキです。
今でもそうですが広島県や広島市ではbayマツダでマツダ車を買うケースがあります。
bB オープンデッキ
いつも楽しい動画、ありがとう!