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えちぜん鉄道は松岡駅を筆頭に古い木造駅舎がたくさん残っていて今も魅力ある路線ですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。福井駅の駅舎が残らなかったのは立地やJRとの兼ね合いで仕方ありませんが、もっと小型の郊外の駅舎については動画に出てくる松岡駅や志比堺駅以外にも、古い木造駅舎が残っているのですね。別の動画で挙げてますが、富山地鉄における木造駅舎現存率も素晴らしいと思います。(まだ壊されていなければ良いのですが・・)
過去に福井には行きましたが、その時を含め、まだ京福電車に乗った事がなかったので、この動画を見て是非とも行きたくなりました🙇この動画に限らず、本当に細かく撮影しているな~と改めて思いました‼️これからも期待しています🙋
いつもご視聴、コメントありがとうございます。動画をお褒めいただき恐縮です。励みになります。東古市から勝山までは、私も当時乗っていないので、近い将来の北陸旅行の際に乗車したいと考えております。
今から50年前、私は京都市民です、初めて福井市に転勤した時に、街中に京福電車が走っていてびっくりしました、良く考えたら京都福井鉄道でした、同じ模様の京福電車が走ってました、初めは京都から福井県まで繋ぐ予定だったらしいでした、懐かしの街福井市、福井放送会館が有り、百貨店映画館福井放送でテレビ局が有りました、その三階に私の会社の事務所が有りました、最新のビルでした。懐かしの京福電鉄、京都の嵐電、叡電と同じ模様でした。
高架化区間は駅舎も車窓も変わってしまったので、以前の姿をとても懐かしい気持ちで拝見しました。逆に、それ以外の区間は現在とほぼ変わっていません。目まぐるしく変化する世の中で、古き良き風景が昔と同じ姿を保っていることは良いことだと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私はこの動画を制作する前に、現在の様子をちょっと見ておこうと他の方が上げた前面展望動画を拝見したのですが、まず高架化されていたことに驚きつつも、仰るようにあまり変わっていないところもあるのが判り、ホッとしたものです。
まだワンマン運転する前ですね。平地ホーム時代の福井駅も見れました。ありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時でも単行車はワンマン運転でしたが、その後2両編成までワンマンになったのですね。当時の福井駅の階段や待合室,改札口に代表される佇まいは、昭和中期に各地で見られたもので、当時を知る者からすると強烈な郷愁を覚えます。
今回,金津⇔東古市に路線が存在していた事実を初めて知りました。東古市駅舎設計者のセンスの良さに感動します。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。京福では他に丸岡線もありましたが、同様に半世紀以上前に廃止されています。ただ福井県の私鉄は福鉄も含めて、激減した石川県に比べればまだ存続している路線が多いかと思います。東古市駅は、この時代の駅舎建築の傑作ですね。
旅行で福井に行きましたが、三国方面の電車が中心でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。観光需要は、勝山方面より三国方面の方が多いのでしょうね。
前回の動画の時に、松岡の乗り換え案内が話題になりましたが、大学行きバスだったんですね!有名なお寺の永平寺に行く支線が、南部縦貫レベルの通過運転してるなんて…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この車掌さんの発音がかなり早口で不明瞭(失礼)でしたが、福井駅に掲げてあった路線図に松岡から「福井医大」まで線(バス路線)があったので、聞き取れました。当時はローカル私鉄では「通過運転」が珍しくなかったようで、今は無き新潟交通でも目撃しました。
モハ251は晩年のちっこいシールドビームよりも原型ヘッドライトの方がしっくりしますね。バス窓、湘南顔、どちらも昭和の傑作デザインだと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当初の埋め込み式ヘッドライトの方が断然イイですよね。この車輛に限らず、シールドビームに変えられてカッコ悪くならなかった例を私は一つも知りません(笑)。シールドビーム(及び筐体)は小さくても機能的にOKなのはその通りですが、デザインのバランス的にはぶち壊しになる例が多すぎて・・・。「湘南顔」以外に、仰るように「バス窓」も昭和のデザインアイテムですね。あと加えるなら、親しみ易い配色によるツートンカラー(&金太郎の腹掛け)もあると思います。
利用客のいない駅通過はかつて京都市電で晩年行なわれています。バスなら珍しくないのですがまさか鉄道線で行われていたとは。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。バスや路電ではよくあったと思いますが、鉄道線でも当時はありましたね。当チャンネルでは、「新潟交通」や「南部縦貫鉄道」の前面展望動画に出てきます。th-cam.com/video/90zWXoZuDfg/w-d-xo.htmlth-cam.com/video/7bKj-u3xLQ8/w-d-xo.html
三国芦原線・新田塚に住む叔母の1番目の息子は毎週土曜日も休まず(当時はまだ週休2日制が定着していなかったため)に、田原町で福鉄電車を乗り継ぎながら足羽高校最寄り駅の浅水まで週6日間フル通学していましたが、さぞかし元南海11001系(初代)のモハ3001形に運よく乗れた日は、転換クロスシート装備もさることながら贅沢な通学ができていたでしょう。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。転換クロスシートで通学できるのは、たしかにちょっと贅沢だったでしょうね。
2101形はえちぜん鉄道になっても残りましたが、現在は引退しました。車体は阪神ジェットカーですが、南海1201形の部品(元々は車体も使用)を組み合わせたものでした。同じ阪神で活躍した2201形も勝山永平寺線で使うことが多かったですが、三国芦原線にも入りました。これは101系の部品に交換されました。101系といえば愛環時代から使われたMC6001形もそうでした。しかしパワー不足なので113系・115系の部品に交換されました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。地方私鉄の車両更新において、大手私鉄ではなく旧国鉄車輛の機器を流用するというのは比較的珍しいことなのでしょうね。
たまらんね〜、これまた魂揺さぶるよ
いつもご視聴、コメントありがとうございます。映像もさることながら、音にも魂揺さぶられますよね!
揺さぶられまくりで嬉しいよ
京福電気鉄道福井部3001形は日本では2例目のカルダン駆動譲受車で、海水浴急行にも使われたことのあるエース者らしいです。2101形、この車両は身ぐるみはがされて転入しましたが、京阪の機器使ってるんですねこの2形式は19~20歳、比較的若くして転入していますね。2201形は福井支社初の冷房車、30歳で転入したようです。250形、松本や新潟交通にもいた日車標準車体。この250形新造後車両譲受に踏み切ったために結構な数年上を迎えることになるという地方私鉄にはよくありそうなことが起こってるはずです。京福も中々面白いですが、まさかあの会社が今VVVF車を保有しようとは…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。動画に登場する各車輛について補足説明いただき恐縮です。当時車輛に関する予備知識無しに訪問した際、250形はいかにも吊り掛け車に見えましたが、他の車輛は吊り掛けかと思ったらカルダン、及びその逆だったので、面白く感じたものです。
1:52 運転士さん、席離れたらアカンがな🤣昭和(と言っても1989年ならもう平成ですねw)の大らかなところでしょうか?しかし本当にATS皆無だったんですね...地上子が一つもない...😅
一瞬、助手の方がと思ったのですが、運転室はこの方1人…のどやかですなあ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。何気なく見逃してましたが、たしかに運転士さんが席を離れてますね・・
運転席の狭さ・・・もしかすると、本来は立ったまま運転、が前提の設計かも。勝山線はえち鉄移管後に乗りましたが、左右のレールの継ぎ目位置がバラバラで、何とも落ち着かない走行音でしたっけ。w
いつもご視聴、コメントありがとうございます。なるほど、立ったままの運転というと古い路面電車と同様ですね。左右でレールの継ぎ目が揃っていない路線があるんですね。どんなジョイント音なのか、ちょっと聞いてみたい気がします。
永平寺線は廃線後、線路跡を永平寺参ろ~どに名前が変わり自動運転の車が永平寺口駅から出ています。
京福の『福』の所の路線。モハ2101は 京阪ではなく『元 南海1201形』の足回りです。モハ2201形は タスキ(正確にはパンタのケーブル)のかかった顔が ジェットカーだった頃のまま。現在は『永平寺口』となった東古市駅は 永平寺の入口だけあって 踏切の音も 仏壇の『お鈴』のよう。その東古市からは この当時から永平寺行きの接続バスが出ていたので もう永平寺線の存在価値はだいぶ下がっていたようですね。他の方が 特急雷鳥の車窓動画を上げられていましたが 芦原温泉(旧金津)駅には 嘗ての永平寺線の面影は全くありませんでした。鉄道は『えち鉄』となりバスも直営ではなくなり 福井からは完全撤退した感がありますが 今でも福井駅前には『京福ホテル』はあるそうですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。モハ2101の件は私が参考文献を読み飛ばしたことによる誤りで、旧モハ2001の台車を使用した旨、ちゃんと書いてありました。東古市の警報機音、たしかに普通の電鈴とは違って聴こえますね。金津までの永平寺線が廃止されたのは昔過ぎて、まあ面影は全く残っていないのでしょうね。
永平寺からやってくるここの線路を、ブレーキが故障した電車が暴走してきたのですね。運転士の方は必死に停めようとあらゆる手段を講じられましたが叶わず殉職されたとか。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。運転士さんのことを考えると本当に心が痛みます。永平寺線の諏訪間駅から東古市駅に向かう際に、モハ251のブレーキロッドが破損して効かなくなり、そのまま東古市駅を通過して志比堺駅から向かって来たモハ1101と正面衝突したようです。
車掌さんの役目って、如何に駅名を分かりやすく放送するか(初乗車の人に分かる様に)ですね。たまにJRでもトンネル内で放送する車掌さんが居ますが、全く聞き取れない。それにしても、☔雨が似合う電車です🚃
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この路線に限らず、癖があって聞き取りにくい車掌さんのアナウンスが昔はよくありましたが、いつしか自動音声ばかりとなって、その「風情」も失われました。当時は雨に遭って大変残念な思いをしましたが、時が経ってみると、たしかにこの京福電車と雨、「風情」がありますね。
もし整備でブレーキロッドの金属疲労を見抜けていれば・・・
いつもご視聴、コメントありがとうございます。もしかすると、整備が厳格に実施されていなかったのかもしれませんね。
いまは、福井駅も高架になったな
いつもご視聴、コメントありがとうございます。本動画編集にあたり、現在の様子を他の方の動画で拝見したのですが、福井駅だけでなく、福井口の分岐の先まで高架化されていて驚きました。
このモハ251形って、日中は「速度計」付けずに運転してたという…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。「速度計」って車輛に付いたままなのかと思ってましたが・・・
@@昭和電車チャンネル 通学で京福乗ってたんですが朝の行違いでは速度計付いてるのは見てるんです。帰り同じ車両に乗った時ふと運転台見たらそこに付いてなかったんですよ。
昔、衝突事故がなかったっけ?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。京福の事故の件は、その後の影響も含めてかなり知られていますね。
短期間のうちに二度の衝突事故で京福電鉄は子会社のバス事業を残して電車は福井から撤退し、勝山線も三国線も廃線になりましたね。
@@fayama7191後に永平寺線や越前本線の勝山~京福大野間は廃止されました。特に、越前本線の下荒井トンネルは廃止区間唯一の遺構として残されています。
かつて、京福電鉄福井支社(言い換えたら、現在のえちぜん鉄道に相当)で運転されていたモハ3000系すなわち元.南海電鉄の11001系(厳密には南海電鉄11001系の前期車らしい)なんですが、1989年/平成元年の時点で、現役で活躍されていたのですね(南海電鉄では1973年/昭和48年から1974年/昭和49年あたりに電圧600V➡1500Vへ昇圧に伴い、廃車→京福電鉄福井支社へ譲渡かつ移籍)…。それを考えたら、反対に昇圧改造され、しかも、冷房改造され、形式変更された南海電鉄11001系後期車(昇圧改造後は南海電鉄1001系)は、南海電鉄に残留されなおかつ活躍されたものの、1985年/昭和60年以降に南海電鉄10000系“サザン”に主電動機提供(言い換えたら機器流用)の上で廃車された事を考えると、先に南海電鉄で廃車され、京福電鉄福井支社へ譲渡された11001系の前期車の方が長生きなされていたのは、皮肉としか言いようがありませんね…。和60年以降に、
いつもご視聴、コメントありがとうございます。動画に登場のモハ3003+3004は、'94年3末まで活躍したようです。南海11001系は前期型と後期型とで、かなり運命に差が生じていたのですね!
えちぜん鉄道は松岡駅を筆頭に古い木造駅舎がたくさん残っていて今も魅力ある路線ですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
福井駅の駅舎が残らなかったのは立地やJRとの兼ね合いで仕方ありませんが、もっと小型の郊外の駅舎については動画に出てくる松岡駅や志比堺駅以外にも、古い木造駅舎が残っているのですね。別の動画で挙げてますが、富山地鉄における木造駅舎現存率も素晴らしいと思います。(まだ壊されていなければ良いのですが・・)
過去に福井には行きましたが、その時を含め、まだ京福電車に乗った事がなかったので、この動画を見て是非とも行きたくなりました🙇
この動画に限らず、本当に細かく撮影しているな~と改めて思いました‼️
これからも期待しています🙋
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動画をお褒めいただき恐縮です。励みになります。東古市から勝山までは、私も当時乗っていないので、近い将来の北陸旅行の際に乗車したいと考えております。
今から50年前、私は京都市民です、初めて福井市に転勤した時に、街中に京福電車が走っていてびっくりしました、良く考えたら京都福井鉄道でした、同じ模様の京福電車が走ってました、初めは京都から福井県まで繋ぐ予定だったらしいでした、懐かしの街福井市、福井放送会館が有り、百貨店映画館福井放送でテレビ局が有りました、その三階に私の会社の事務所が有りました、最新のビルでした。懐かしの京福電鉄、京都の嵐電、叡電と同じ模様でした。
高架化区間は駅舎も車窓も変わってしまったので、以前の姿をとても懐かしい気持ちで拝見しました。
逆に、それ以外の区間は現在とほぼ変わっていません。目まぐるしく変化する世の中で、古き良き風景が昔と同じ姿を保っていることは良いことだと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私はこの動画を制作する前に、現在の様子をちょっと見ておこうと他の方が上げた前面展望動画を拝見したのですが、まず高架化されていたことに驚きつつも、仰るようにあまり変わっていないところもあるのが判り、ホッとしたものです。
まだワンマン運転する前ですね。平地ホーム時代の福井駅も見れました。ありがとうございました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時でも単行車はワンマン運転でしたが、その後2両編成までワンマンになったのですね。当時の福井駅の階段や待合室,改札口に代表される佇まいは、昭和中期に各地で見られたもので、当時を知る者からすると強烈な郷愁を覚えます。
今回,金津⇔東古市に路線が存在していた事実を初めて知りました。東古市駅舎設計者のセンスの良さに感動します。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
京福では他に丸岡線もありましたが、同様に半世紀以上前に廃止されています。ただ福井県の私鉄は福鉄も含めて、激減した石川県に比べればまだ存続している路線が多いかと思います。東古市駅は、この時代の駅舎建築の傑作ですね。
旅行で福井に行きましたが、三国方面の電車が中心でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
観光需要は、勝山方面より三国方面の方が多いのでしょうね。
前回の動画の時に、松岡の乗り換え案内が話題になりましたが、大学行きバスだったんですね!
有名なお寺の永平寺に行く支線が、南部縦貫レベルの通過運転してるなんて…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この車掌さんの発音がかなり早口で不明瞭(失礼)でしたが、福井駅に掲げてあった路線図に松岡から「福井医大」まで線(バス路線)があったので、聞き取れました。当時はローカル私鉄では「通過運転」が珍しくなかったようで、今は無き新潟交通でも目撃しました。
モハ251は晩年のちっこいシールドビームよりも原型ヘッドライトの方がしっくりしますね。バス窓、湘南顔、どちらも昭和の傑作デザインだと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当初の埋め込み式ヘッドライトの方が断然イイですよね。この車輛に限らず、シールドビームに変えられてカッコ悪くならなかった例を私は一つも知りません(笑)。シールドビーム(及び筐体)は小さくても機能的にOKなのはその通りですが、デザインのバランス的にはぶち壊しになる例が多すぎて・・・。「湘南顔」以外に、仰るように「バス窓」も昭和のデザインアイテムですね。あと加えるなら、親しみ易い配色によるツートンカラー(&金太郎の腹掛け)もあると思います。
利用客のいない駅通過はかつて京都市電で晩年行なわれています。バスなら珍しくないのですがまさか鉄道線で行われていたとは。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
バスや路電ではよくあったと思いますが、鉄道線でも当時はありましたね。当チャンネルでは、「新潟交通」や「南部縦貫鉄道」の前面展望動画に出てきます。
th-cam.com/video/90zWXoZuDfg/w-d-xo.html
th-cam.com/video/7bKj-u3xLQ8/w-d-xo.html
三国芦原線・新田塚に住む叔母の1番目の息子は毎週土曜日も休まず(当時はまだ週休2日制が定着していなかったため)に、田原町で福鉄電車を乗り継ぎながら足羽高校最寄り駅の浅水まで週6日間フル通学していましたが、さぞかし元南海11001系(初代)のモハ3001形に運よく乗れた日は、転換クロスシート装備もさることながら贅沢な通学ができていたでしょう。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
転換クロスシートで通学できるのは、たしかにちょっと贅沢だったでしょうね。
2101形はえちぜん鉄道になっても残りましたが、現在は引退しました。車体は阪神ジェットカーですが、南海1201形の部品(元々は車体も使用)を組み合わせたものでした。
同じ阪神で活躍した2201形も勝山永平寺線で使うことが多かったですが、三国芦原線にも入りました。これは101系の部品に交換されました。101系といえば愛環時代から使われたMC6001形もそうでした。しかしパワー不足なので113系・115系の部品に交換されました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
地方私鉄の車両更新において、大手私鉄ではなく旧国鉄車輛の機器を流用するというのは比較的珍しいことなのでしょうね。
たまらんね〜、これまた魂揺さぶるよ
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
映像もさることながら、音にも魂揺さぶられますよね!
揺さぶられまくりで嬉しいよ
京福電気鉄道福井部
3001形は日本では2例目のカルダン駆動譲受車で、海水浴急行にも使われたことのあるエース者らしいです。
2101形、この車両は身ぐるみはがされて転入しましたが、京阪の機器使ってるんですね
この2形式は19~20歳、比較的若くして転入していますね。
2201形は福井支社初の冷房車、30歳で転入したようです。
250形、松本や新潟交通にもいた日車標準車体。
この250形新造後車両譲受に踏み切ったために結構な数年上を迎えることになるという地方私鉄にはよくありそうなことが起こってるはずです。
京福も中々面白いですが、まさかあの会社が今VVVF車を保有しようとは…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動画に登場する各車輛について補足説明いただき恐縮です。当時車輛に関する予備知識無しに訪問した際、250形はいかにも吊り掛け車に見えましたが、他の車輛は吊り掛けかと思ったらカルダン、及びその逆だったので、面白く感じたものです。
1:52 運転士さん、席離れたらアカンがな🤣
昭和(と言っても1989年ならもう平成ですねw)の大らかなところでしょうか?
しかし本当にATS皆無だったんですね...地上子が一つもない...😅
一瞬、助手の方がと思ったのですが、運転室はこの方1人…のどやかですなあ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
何気なく見逃してましたが、たしかに運転士さんが席を離れてますね・・
運転席の狭さ・・・もしかすると、本来は立ったまま運転、が前提の設計かも。
勝山線はえち鉄移管後に乗りましたが、左右のレールの継ぎ目位置がバラバラで、何とも落ち着かない走行音でしたっけ。w
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
なるほど、立ったままの運転というと古い路面電車と同様ですね。左右でレールの継ぎ目が揃っていない路線があるんですね。どんなジョイント音なのか、ちょっと聞いてみたい気がします。
永平寺線は廃線後、線路跡を永平寺参ろ~どに名前が変わり自動運転の車が永平寺口駅から出ています。
京福の『福』の所の路線。
モハ2101は 京阪ではなく『元 南海1201形』の足回りです。
モハ2201形は タスキ(正確にはパンタのケーブル)のかかった顔が ジェットカーだった頃のまま。
現在は『永平寺口』となった東古市駅は 永平寺の入口だけあって 踏切の音も 仏壇の『お鈴』のよう。
その東古市からは この当時から永平寺行きの接続バスが出ていたので もう永平寺線の存在価値はだいぶ下がっていたようですね。
他の方が 特急雷鳥の車窓動画を上げられていましたが 芦原温泉(旧金津)駅には 嘗ての永平寺線の面影は全くありませんでした。
鉄道は『えち鉄』となりバスも直営ではなくなり 福井からは完全撤退した感がありますが 今でも福井駅前には『京福ホテル』はあるそうですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
モハ2101の件は私が参考文献を読み飛ばしたことによる誤りで、旧モハ2001の台車を使用した旨、ちゃんと書いてありました。東古市の警報機音、たしかに普通の電鈴とは違って聴こえますね。金津までの永平寺線が廃止されたのは昔過ぎて、まあ面影は全く残っていないのでしょうね。
永平寺からやってくるここの線路を、ブレーキが故障した電車が暴走してきたのですね。運転士の方は必死に停めようとあらゆる手段を講じられましたが叶わず殉職されたとか。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
運転士さんのことを考えると本当に心が痛みます。永平寺線の諏訪間駅から東古市駅に向かう際に、モハ251のブレーキロッドが破損して効かなくなり、そのまま東古市駅を通過して志比堺駅から向かって来たモハ1101と正面衝突したようです。
車掌さんの役目って、如何に駅名を分かりやすく放送するか(初乗車の人に分かる様に)ですね。
たまにJRでもトンネル内で放送する車掌さんが居ますが、全く聞き取れない。
それにしても、☔雨が似合う電車です🚃
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この路線に限らず、癖があって聞き取りにくい車掌さんのアナウンスが昔はよくありましたが、いつしか自動音声ばかりとなって、その「風情」も失われました。当時は雨に遭って大変残念な思いをしましたが、時が経ってみると、たしかにこの京福電車と雨、「風情」がありますね。
もし整備でブレーキロッドの金属疲労を見抜けていれば・・・
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
もしかすると、整備が厳格に実施されていなかったのかもしれませんね。
いまは、福井駅も高架になったな
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
本動画編集にあたり、現在の様子を他の方の動画で拝見したのですが、福井駅だけでなく、福井口の分岐の先まで高架化されていて驚きました。
このモハ251形って、日中は「速度計」付けずに運転してたという…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
「速度計」って車輛に付いたままなのかと思ってましたが・・・
@@昭和電車チャンネル 通学で京福乗ってたんですが朝の行違いでは速度計付いてるのは見てるんです。
帰り同じ車両に乗った時ふと運転台見たらそこに付いてなかったんですよ。
昔、衝突事故がなかったっけ?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
京福の事故の件は、その後の影響も含めてかなり知られていますね。
短期間のうちに二度の衝突事故で京福電鉄は子会社のバス事業を残して電車は福井から撤退し、
勝山線も三国線も廃線になりましたね。
@@fayama7191後に永平寺線や越前本線の勝山~京福大野間は廃止されました。
特に、越前本線の下荒井トンネルは廃止区間唯一の遺構として残されています。
かつて、京福電鉄福井支社
(言い換えたら、
現在のえちぜん鉄道に相当)
で運転されていたモハ3000系
すなわち
元.南海電鉄の11001系
(厳密には
南海電鉄11001系の
前期車らしい)
なんですが、
1989年/平成元年の時点で、
現役で活躍
されていたのですね
(南海電鉄では
1973年/昭和48年から
1974年/昭和49年あたりに
電圧600V➡1500Vへ昇圧
に伴い、
廃車→京福電鉄福井支社
へ譲渡かつ移籍)…。
それを考えたら、
反対に昇圧改造され、しかも、冷房改造され、形式変更された
南海電鉄11001系後期車
(昇圧改造後は
南海電鉄1001系)は、
南海電鉄に残留されなおかつ活躍されたものの、
1985年/昭和60年以降に
南海電鉄10000系“サザン”に
主電動機提供
(言い換えたら機器流用)の
上で廃車された事を考えると、
先に南海電鉄で廃車され、
京福電鉄福井支社へ
譲渡された
11001系の前期車の方が
長生きなされていたのは、
皮肉としか言いようが
ありませんね…。
和60
年以降に、
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動画に登場のモハ3003+3004は、'94年3末まで活躍したようです。南海11001系は前期型と後期型とで、かなり運命に差が生じていたのですね!