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20:43隆元公の柔和で誠実な人柄と教養の深さ、器量は大内義隆をはじめのちに舅となる内藤興盛のような重臣や他の大内家臣からも高く評価されてたんですよね。「毛利隆元公山口逗留日記」やその他様々な記録、逸話には当時栄華を極めた山口でいかに濃密な時間を過ごしたかよく分かります。7カ国の守護大名で、従二位まで上り詰めた身分の人がいつも自分に便宜を図ってくれるのはもちろん、細かいところでは見送りの際もわざわざ部屋の外まで本人が来たという話も…これに加えて筆頭家臣の守護代、内藤家の娘を養女として嫁がせてくれた。(もちろん大内義隆が養女として嫁がせたのは尾崎局ただ1人)これは有能な毛利元就の嫡男だから囲い込もうという思惑なんですが「無能な人物を扱い易い傀儡として」ではなく「人格・器量とも備わった人物を骨の髄まで大内家の身内として」取り込もうとしたのではないかと思います。いくら元就公の息子で大内義隆公の鶴の一声だからとはいえこれだけ身分違いで例外中の例外の婚姻にも関わらず、当然ながら派閥のような関係とあった大内家中で誰からも反対の声がなかったのはやはり異例ですね。隆元公の人柄からすれば、これに恩義を感じない訳がありません。その一方、元就公からは駆け引きをしろ!遊興にふけるな!もっと武将らしくあれ!と指摘され、2人の超がつくほど優秀な弟たちからはなんとなくナメられる始末…「評価する側次第でモノは言いよう」なんでしょうか…隆元公本人は謙虚さが仇になり、まるで現代人のように自身の才覚に疑問を覚えたり不安を感じたり苦労しています。実際は陶晴賢との対峙における決断力や大友家との合戦で当主・武将としての資質を十分に発揮してるんですが多分本人は亡くなるまで1ミリもそんな風に感じておられなかったでしょう。ということで大分脱線しましたが、思い入れある大内家と義隆公に仇をなした陶晴賢公に対して義憤に駆られたのは必然といえます。隆元公と陶晴賢公も山口館で親交が深かったはずですから、今風にいえば隆元公は陶晴賢公に対して「どうして」「もっと違うやり方があったはずだ」くらいには思ってたんじゃないでしょうか。
晴賢が当主すげ替えどころか父子共々討ち果たして命を奪ったと知ると、隆元は後にも先にも使わない強い言葉で晴賢を非難したのはその心情が見えてアツいよね。一方で元就は終始白々しい。
近い間柄だった義隆、晴賢、隆元。特に大内義隆と大内家との関係は元就と隆元では全く違いますよね。大寧寺の変に向かう三者の思惑や感情について思いを馳せつつコメント読ませて頂きました。ある意味では今川義元と松平元康に近い印象もありますね義隆と隆元は、身内化という信頼を勝ち取った人質の立場の国衆の嫡男として。
@@シュレピッピ さん虎狼の心、ですね。隆元公は家臣らに説得する際、天罰が下るような謀反人(晴賢公)に与すると毛利にも害が及ぶ、等々述べてますので この時は元就公の石見出陣がかかってたとはいえ、一貫して陶に与同したくなかったのでしょう。信心深かった隆元公の放つ「天罰」の二文字は重いです。
@@丸山康平-l2f さん仰る通りだと思います。同じ家、親子でも立場が大きく違うのは面白いところです。しかかくさんの手前、あまり長々と語るのも失礼ではありますが(しかかくさんごめんなさい)元就公はご存知の通り毛利家を守るためいかに上手く立ち回るかという感じですよね。常に存亡をかけた修羅場に身をおかれていたので、全ての行動の起点が情や信念より利益・損得優先なのでしょう。調略も敵どころか味方まで欺くようなスタイルだったかもしれませんね。窮地に立たされてもとことん冷静ですしね。大寧寺の変に便乗してガッツリ勢力拡大したかと思えばちょうどいいタイミングで陶晴賢公と袂を分かって、「隆元も度々断交せえ言うとるしなぁ…せや!」みたいなノリで「あいつ上様(義隆公)の仇やから成敗しますわ」とか平気な顔して言ってますもん…隆元公の場合は若年の成長過程で過ごした山口で、ご本人の元来の性格と大内家の家風、当時の山口の文化・土地柄や思考がハマり「感化」されたのでは、と思います。元就公が気にしていたという隆元公の「山口がかり」ですね。隆元公は義隆公をはじめ尾崎局の父である内藤興盛公らとの信頼が見える逸話も多々ありますし。大内家にとって有力な国衆の頭領で一筋縄では行かないあの毛利元就の嫡男でありながら、素直で性格が良く自分たちの文化に馴染んでいた隆元公が信頼を勝ち得たのは必然な気がします。元就公からすれば大内家は利用できる強大な後ろ盾ぐらいにしか思ってなかったでしょうけど、隆元公は単純に義隆公とも多くの時間を共にしてましたし、他の家臣らをはじめ文字通り内側から大内家を見ていた人物という点でも元就公とは立場が違いますね。徳川家康公も似たような境遇でしたが、厚遇され身分違いの一門の美人を正室にもらっても桶狭間以降はとっとと独立して元康の「元」を捨てたり、なんなら正室もバッサリしてしまいましたし…隆元公は周知の通り正室はもちろん正室の父、とまで関係性もよく(元就公その子供たち世代もなので家風かも)建前であっても義隆公が亡くなってからも義理立てしていた隆元公が普通じゃないというかやっぱりそういう性格なんだしょうね。(ちなみに輝元公もそういう人間性というか律儀なところがあります)もし大内家が内部分裂せず、上手く続いていたら稀に見る良好な主従関係だったかもしれませんね。淡々と事実を調べるのも大切ですが、こうやって感情や思考に焦点を当てて歴史を見るのも楽しいですね。ありがとうございました!
4:53「陶が始めた物語」という言い回し大好き
隆元の不安と覚悟が手紙からはっきり伝わってきて、毛利家がついに大博打に出たんだなと実感させられました。防芸引分の経緯は、軍記物での脚色がいらないくらい、一次史料から見える展開がすでにドラマの脚本みたいで、熱いものを感じますね。今回も楽しかったです。
大内義隆に近く古くから仕えてきた守護代衆が1番大内宗家の価値や重みを理解して無かったのが悲しいなぁ
@@亜脱臼 さんトップをすげ替えても変わらない、あるいは、酷くなる国は、トップを動かしている人に問題があるのは、古今東西変わりないですね。
隆元は自身を卑下していたけど隆元が早逝したのは毛利家にとって大打撃だったんですよねぇ
なるほどあの有名な隆元のネガティブ長文手紙は、不安のあまりパニックのなかで書かれたものなのですね。資料を読む際に大事なのは、それを書いた人のその時の精神状態や、読み手の人生経験も重要そうですね。
戦国武将も人の子だったんですね
「右内心之儀ハ、奥意納之覚悟ニテ候」ここに隆元という人物の真価があると思った
やっぱり晴賢の動きひどすぎて笑えないただでさえ主君弑逆しているのに自分の利益を優先して他の守護代を粛清したり各国の有力者を敵に回すのは非常にまずい対外的な立場も義隆を殺さない方が絶対によかったやんて結果になっている(無理な部分を妥協してでも義尊を生かして傀儡の当主にしておけば話は違ったんだろうけど…)晴賢って統治者にとって大切な最悪を見据えて行動するって考えが出来ていないように見えるのよね…失敗の仕方も論外だしその後のリカバリーも出来ていない…
主君殺しだけでなく、前関白など、朝廷のお偉い様を、略奪した上で殺害しているので、本来ならば、陶隆房のやらかした事は、朝敵認定されても文句言えないものでした。明智光秀ほど孤立せず、陶に賛同する大内家臣団がいたのが逆に驚きです。余程、怖かったんだろうなぁ。元就も、なかなか全面対決するには決意が至らなかったのがわかります。
毛利家中と、安芸国人衆は、この時点では国人一揆の発展型に過ぎない集合体なので、本音は如何であれ、大内新体制に対して、表立って敵対行動は取れないので、陶からの協力要請を黙殺し、水面下で毛利派の拡大と結束を固めるしかなかったと思われますね。元就と陶には共通の敵がいたので、表面上は協力し合っている形にはなっていましたが、陶晴賢が毛利に不信感を強めるのは時間の問題ではありました。陶の想定外に、毛利派の国衆の結束が強かった。否、陶の謀反による国力低下と、毛利の地固めで、逆転がいつの間にか出来ていたともいう。隆元が、真っ直ぐで欲が無いだけでなく、賢かったのが良かったですね。
@@鬼美濃-w5s さん陶と同罪にして、意味不明なくらい異常なのは、そこに養子として弟を送り込んだ大友宗麟。体良く家督争いを片付けたつもりか。その代償に、龍造寺など、大内温故の九州の諸将が反大内、反大友になったという皮肉。しかも、そいつらに勝てないw
こういうのを見ると謀反や下克上がいかに難しいかがわかるな。事前に談合すれば情報が漏れるしいきなりやったら国人が分裂するし。
隆元お兄ちゃんは根はネガティブだけどスイッチが入るとイケイケになるのがとてもいい
しかも元就や弟たちが絶対に真似できないスキルも持っていた。
陶が死んだ後に大内がやけに早く解体されたのって既にこれだけ領内が火だるまな状態なら納得。
隆元長生きしてればネガティブお手紙がもっと有名になってたんやろなぁ
父と毛利家中っていう過度のストレスを抱えた環境でどっちにしても長生き出来そうもない感じがしてしまいますが。
@@コミコミ-p5x 真田の某殿は90台まで頑張っておられる、まあサイズと責任感は段違いだと思うけどね!
西国一の侍大将と言ってもただの武辺に過ぎなかったのですね。養父の陶興房とは月とスッポンだったのか。
クーデターで成り上がった政権は身内で周り固めるし旧政権と仲の良かった派閥は遠ざける下がってしまった求心力も大勝利があれば取り戻せると想定しての厳島って流れだろうな
陶晴賢は山口の商圏破壊しちゃったからねえ…
内藤興盛はどのような思いで最期を迎えたのだろうか。自分たちのしでかした所業の末が少しずつ明確になってきている恐怖か、逃げ切れたと思った安堵か。コンラン先生もおっしゃっていたが、陶より内藤の動きをもっと知るべきなのかもしれない
大河ドラマでも一応陶に味方したけどその後隠居してどーでもええわ状態になってたな。それでも娘が隆元に嫁いでいた事にはホッとしているように見えました。
手紙が長いとこが父子一緒ってのが切なくも笑える🤣
@@梅-j6q さん仕方ありません。鎌倉幕府、公文所の大江広元の子孫ですから。文章書くのが好きなんです。脳筋と思われがちな吉川元春ですら、文字書くの好きだった事が後に判明します。陣中で暇だからって歴史書書くか?
実際に厳島の戦いで打ち取った陶の首を「主君を自身の欲のために殺した反逆者だ」と元就が複数回鞭で打った、という逸話があるからな。まぁ、自分も後に大内家や尼子家といったかつて多少なりとも世話になった家を滅ぼしているから、自分の正当性を示すためのパフォーマンスでもあったのだろうが。
家臣は元就がボロクソに自分たちのこと叩いていたの知っていたのか気になる
優しい心を持ちながら深い怒りによって目覚めたスーパー隆元。
@@YY-rj4up 陶晴賢「な…な…なにものだ」毛利隆元「俺は貴様を倒すためにやって来た、俺はスーパー安芸国人 毛利隆元だ!!」ということですね。
陶は疑心暗鬼になってたんだろうけどもやってきたことが毛利家安芸国衆を逆撫ですることだったからなぁ何のために安芸武田や厳島神主の友田とバチボコにやり合ってたのか忘れたわけじゃあるまいにな?それが無ければ毛利も陶に良い印象は抱かずとも離反とまではいかなかったと思うわな。
これを見ると陶は大内家をどうしようとして大寧寺の乱を起こしたのか、ビジョンがなさすぎてガッカリする。対外的に見たら大内義隆ってけっこういい領主だと思う。
外海から大陸にまで繋がる大内世界を滅ぼして何を得たのか?明智光秀より陶晴賢の方が謎や闇が深いと思います。
単に、陶をはじめとした各守護代や領民が疲弊していたのかな?大内義隆が、対外的に優良な殿様なのはそうだと思うけど、当然その分家臣の負担は重くなる訳だし。現代でも、優良ホワイト大企業の下請けは、どいつもこいつも"クソブラック企業"なんてのは、珍しく無い。
元就さんは名将であっても名監督、名伯楽ではなかったんだろうなあ。息子の隆元さんですら物足りないと思ってたんだろうし。隆元さん自身が自分より親父を長生きさせてくださいって言って結果的に先立ったことも隆元さん本人は本望だったのかもしれないですね。
ゴルゴ13のあるエピソードで、「チェスで勝ち急ぐと逆転を食らう」みたいなセリフがありましたが、陶も勝ちを急ぐあまり露骨に攻めすぎた気もします。もちろん、最悪刃を交えても勝てる自信はあったのでしょうが、足元が固まらぬうちに外に出すぎたのかもしれませんね。
毛利三兄弟、それぞれ個性があって好きなのですが、隆元さんの人間味本当にいいですね。あの手紙WW(さん なんてつけたくなるような)大河ドラマ毛利元就での上川さんの演技も秀逸でした。松重さんの元春といい本当に素晴らしかった。いよいよ厳島合戦。逸話どおりではないにしても、工夫は興味深い戦いです。(そういえば大河ドラマでは厳島宮尾城の背後から陶勢が石を落としていたけど、跡地いったらそんな山なかったぞい。)
13:20 「うっせえわ」口羽通良
ありがとうございます!
更新お疲れ様です、隆元は自分を卑下してますが彼がいなかったら陶と戦う決断が出来たかどうか・・いよいよ厳島の戦いですね次回も楽しみです。
自分にとって重大な悩みを持っていたのですが、毛利元就&毛利隆元の苦悩を知ってから、大したことないなと思うようになりました。ありがとうございます。
コーエーでの毛利家家臣団は一応史実での功績基準でステが決まってるっぽいですが、元就目線での評価だとどうなるか気になりますね(パーフェクト爺だけ80代で他は50〜60以下になりそう)
10年後信長の野望の陶晴賢のステが気になりますねえ
ちやりちゃん口調の江良房栄を見るとなんか安心する。
この動画では毛利家の目線から陶晴賢とそれにまつわるゴタゴタを見ていた訳だけど、尼子家からの目線、ひいては尼子晴久の目には、陶晴賢のやりようとその結果に対してはどのように映っていたのだろうか?気になります。
元就···優秀過ぎる人ってそれ自体が欠点ですよね···。元就がいなければ隆元や五奉行だってもっと力を発揮できたのでは···。今回の隆元を見ると思いますねぇ。でも元就でなければこの時代をのりきれなかったでしょうし。難しい···。
毛利家推しでなおかつ東方神霊廟(神子さま)推しとしては最高すぎる動画をありがとうございます😭隆元は知れば知るほど人間味あふれる魅力的な人物でますます好きになってしまいますねw毛利家3兄弟それぞれ個性が輝いていて面白い!
現毛利家当主の方に話を聞いたら、毛利家が陶を倒すきっかけは吉見正頼の抵抗、だそうです。
いよいよですね!結果を知ってるだけにワクワクします
隆元、立派になりましたねぇ元就は能力査定を自分・じーじを基準にしてるから凄い迷惑wワイが家臣なら隆元はオアシスに見えると思う
大大内家中と分国を切り回せる器では無かったか陶…
元就の場合若い頃から大内家の運営機構のダイナミズムを見てきた(自身もその一員だった)せいで大名を支える家臣とはかくあるべき、という人材に求めるハードルが異常に高くなってしまっているのかも…
その派閥の長が西の大内義興に東の尼子経久だからなあ・・・これ等のバケモノ級の人物と比べられたらたまったものではない。
冷泉隆豊に検非違使はぴったりですね。
いよいよ次は折敷畑の戦い・・・ここまで来ましたね!
陶晴賢のやらかしぶりが酷いなぁ改めて安芸国内の毛利勢力を図で見ると、陶晴賢が警戒するのも納得次回も楽しみにしております
検非違使… 戦国時代に聞く官職とは思わなかった…
元忠さんに対する才覚なく、正路人って奇抜なアイデアとかは出せないが奉行と言う仕事で言えばくそ真面目で融通が利かないような部分に適性があるという感じですかねぇ
毛利隆元が生きてたら、足利義昭も来れなかったか追放してたと思う毛利輝元「親父が早死しちゃったから、信長とやり合うことになっちゃったじゃないか!」
ほんとこの時代、健康長生きってそれだけで才能であり、武器ですよねえ。隆元は長生きしてればもっと名を残したでしょうし、輝元もじっくり当主として勉強できたでしょうに。惜しい!
@@梅-j6q 秀吉の中国攻めも全然進捗しないし宇喜多も織田側に寝返る事も無かったかもしれない。精々播磨まで行けたらいい所だったのでは。
綸旨ということは本物があり、その書状の写しみたいなものなんでしょうかね?おそらく、後世の物のような感じの。
最後に爆弾/ロマンが仕掛けられてて少し驚きました。
格上の強国とはいえ、家中に内紛を抱えた形で毛利家と敵対している大内家はこの時点で以前のような強さはなかったのかも知れないですね。
そうは言っても、外から理解しやすいのは大内家の領地の大小や兵力の多寡なのだから、よくこのタイミングで決断したと思うよ。
@@SAKURANOODLE それはもう仰る通りです...!胸中に不安を抱きながら大内との開戦に踏み切った毛利隆元の決断は壮絶ですね。
ここまで陶晴賢が酷いとは😅。よく大河ドラマなどで尼子晴久や武田勝頼が過小評価されるけど、晴賢は逆に過大評価されてる感じですかね。
大内氏の資金源であった銀山を手に入れたり/関係のある寺社の当主を血縁者にしたり、って毛利家の井上衆と似たような動きをしているな。井上衆の場合は(一応の)主君である毛利家が一国人に過ぎず いつ尼子や大内に滅ぼされるか分からなかったから大きく動かなかった可能性もあるが、そうじゃなかったら同様に毛利家を内から侵食していたかもしれなかった訳か。・元就さんと同じく、義隆さんが”大寧寺の変”直前の相良武任 襲撃事件の時に討たなかったのが悔やまれますね。陶隆房(晴賢)さんとしては大内家の重臣;陶家の血筋ではなかったことを気にして、自分の立場をしっかりとしたものにしたかったのかもしれないが、、、。
この時代の戦争も突然始めるんじゃなく、やっぱり大義名分は必要だったんだな。現代でも戦争を始める時、仕掛けた側は一応大義名分の元にやってるもんな。
毛利の長男が当主になっても元就が健在だったのは大きいね。
元就と隆元の石見出陣討議も「まるでシナリオ通りの茶番」かもしれない!というのは妄想と言われても仕方ないですが、時間を稼ぐことによって大内・陶の本音を引き出すことになって決別の覚悟をする羽目(笑)になったことは事実でしょう。
問田のバカ弟のせいで大内家が崩れた
血生臭い話の中でちゆりやネムノ口調が落ち着きます……毛利とは逸れますが、龍造寺鑑兼は近年隆信ではなく、彼が剛忠の正統な後継者だったのではとも言われていますので、この点も今後気になるところですね
隆元の判断だとしても、生き残る可能性が無ければ元就が断固反対していたはず元就としては博打であっても勝つ為の算段はあったのでしょう村上水軍が陶から冷遇されはじめた事も当然知っていたはず仕方ないとはいえ陶は一度に敵を作り過ぎましたね
毛利と大内、同じく家中を粛清しても結果がこれだけ違う
隆元さんの背景の肖像が心持ち薄い..(笑)
従二位下って?
20:43
隆元公の柔和で誠実な人柄と教養の深さ、器量は大内義隆をはじめのちに舅となる内藤興盛のような重臣や他の大内家臣からも高く評価されてたんですよね。
「毛利隆元公山口逗留日記」やその他様々な記録、逸話には当時栄華を極めた山口でいかに濃密な時間を過ごしたかよく分かります。
7カ国の守護大名で、従二位まで上り詰めた身分の人がいつも自分に便宜を図ってくれるのはもちろん、細かいところでは見送りの際もわざわざ部屋の外まで本人が来たという話も…これに加えて筆頭家臣の守護代、内藤家の娘を養女として嫁がせてくれた。(もちろん大内義隆が養女として嫁がせたのは尾崎局ただ1人)
これは有能な毛利元就の嫡男だから囲い込もうという思惑なんですが「無能な人物を扱い易い傀儡として」ではなく「人格・器量とも備わった人物を骨の髄まで大内家の身内として」取り込もうとしたのではないかと思います。
いくら元就公の息子で大内義隆公の鶴の一声だからとはいえこれだけ身分違いで例外中の例外の婚姻にも関わらず、当然ながら派閥のような関係とあった大内家中で誰からも反対の声がなかったのはやはり異例ですね。
隆元公の人柄からすれば、これに恩義を感じない訳がありません。
その一方、元就公からは駆け引きをしろ!遊興にふけるな!もっと武将らしくあれ!と指摘され、2人の超がつくほど優秀な弟たちからはなんとなくナメられる始末…「評価する側次第でモノは言いよう」なんでしょうか…
隆元公本人は謙虚さが仇になり、まるで現代人のように自身の才覚に疑問を覚えたり不安を感じたり苦労しています。実際は陶晴賢との対峙における決断力や大友家との合戦で当主・武将としての資質を十分に発揮してるんですが多分本人は亡くなるまで1ミリもそんな風に感じておられなかったでしょう。
ということで大分脱線しましたが、思い入れある大内家と義隆公に仇をなした陶晴賢公に対して義憤に駆られたのは必然といえます。隆元公と陶晴賢公も山口館で親交が深かったはずですから、今風にいえば隆元公は陶晴賢公に対して「どうして」「もっと違うやり方があったはずだ」くらいには思ってたんじゃないでしょうか。
晴賢が当主すげ替えどころか父子共々討ち果たして命を奪ったと知ると、隆元は後にも先にも使わない強い言葉で晴賢を非難したのはその心情が見えてアツいよね。一方で元就は終始白々しい。
近い間柄だった義隆、晴賢、隆元。
特に大内義隆と大内家との関係は
元就と隆元では全く違いますよね。
大寧寺の変に向かう三者の思惑や
感情について思いを馳せつつコメント読ませて頂きました。ある意味では今川義元と松平元康に近い印象も
ありますね義隆と隆元は、身内化という信頼を勝ち取った人質の立場の国衆の嫡男として。
@@シュレピッピ さん
虎狼の心、ですね。
隆元公は家臣らに説得する際、天罰が下るような謀反人(晴賢公)に与すると毛利にも害が及ぶ、等々述べてますので この時は元就公の石見出陣がかかってたとはいえ、一貫して陶に与同したくなかったのでしょう。
信心深かった隆元公の放つ「天罰」の二文字は重いです。
@@丸山康平-l2f さん
仰る通りだと思います。
同じ家、親子でも立場が大きく違うのは面白いところです。
しかかくさんの手前、あまり長々と語るのも失礼ではありますが(しかかくさんごめんなさい)
元就公はご存知の通り毛利家を守るためいかに上手く立ち回るかという感じですよね。常に存亡をかけた修羅場に身をおかれていたので、全ての行動の起点が情や信念より利益・損得優先なのでしょう。調略も敵どころか味方まで欺くようなスタイルだったかもしれませんね。窮地に立たされてもとことん冷静ですしね。
大寧寺の変に便乗してガッツリ勢力拡大したかと思えばちょうどいいタイミングで陶晴賢公と袂を分かって、「隆元も度々断交せえ言うとるしなぁ…せや!」みたいなノリで「あいつ上様(義隆公)の仇やから成敗しますわ」とか平気な顔して言ってますもん…
隆元公の場合は若年の成長過程で
過ごした山口で、ご本人の元来の性格と大内家の家風、当時の山口の文化・土地柄や思考がハマり
「感化」されたのでは、と思います。元就公が気にしていたという隆元公の「山口がかり」ですね。
隆元公は義隆公をはじめ尾崎局の父である内藤興盛公らとの信頼が見える逸話も多々ありますし。
大内家にとって有力な国衆の頭領で一筋縄では行かないあの毛利元就の嫡男でありながら、素直で性格が良く自分たちの文化に馴染んでいた隆元公が信頼を勝ち得たのは必然な気がします。
元就公からすれば大内家は利用できる強大な後ろ盾ぐらいにしか思ってなかったでしょうけど、隆元公は単純に義隆公とも多くの時間を共にしてましたし、他の家臣らをはじめ文字通り内側から大内家を見ていた人物という点でも元就公とは立場が違いますね。
徳川家康公も似たような境遇でしたが、厚遇され身分違いの一門の美人を正室にもらっても桶狭間以降はとっとと独立して元康の「元」を捨てたり、なんなら正室もバッサリしてしまいましたし…
隆元公は周知の通り正室はもちろん正室の父、とまで関係性もよく(元就公その子供たち世代もなので家風かも)
建前であっても義隆公が亡くなってからも義理立てしていた隆元公が普通じゃないというかやっぱりそういう性格なんだしょうね。(ちなみに輝元公もそういう人間性というか律儀なところがあります)
もし大内家が内部分裂せず、上手く続いていたら稀に見る良好な主従関係だったかもしれませんね。
淡々と事実を調べるのも大切ですが、こうやって感情や思考に焦点を当てて歴史を見るのも楽しいですね。ありがとうございました!
4:53「陶が始めた物語」という言い回し大好き
隆元の不安と覚悟が手紙からはっきり伝わってきて、毛利家がついに大博打に出たんだなと実感させられました。
防芸引分の経緯は、軍記物での脚色がいらないくらい、一次史料から見える展開がすでにドラマの脚本みたいで、熱いものを感じますね。今回も楽しかったです。
大内義隆に近く古くから仕えてきた守護代衆が1番大内宗家の価値や重みを理解して無かったのが悲しいなぁ
@@亜脱臼 さん
トップをすげ替えても変わらない、あるいは、酷くなる国は、トップを動かしている人に問題があるのは、古今東西変わりないですね。
隆元は自身を卑下していたけど隆元が早逝したのは毛利家にとって大打撃だったんですよねぇ
なるほどあの有名な隆元のネガティブ長文手紙は、不安のあまりパニックのなかで書かれたものなのですね。
資料を読む際に大事なのは、それを書いた人のその時の精神状態や、読み手の人生経験も重要そうですね。
戦国武将も人の子だったんですね
「右内心之儀ハ、奥意納之覚悟ニテ候」
ここに隆元という人物の真価があると思った
やっぱり晴賢の動きひどすぎて笑えない
ただでさえ主君弑逆しているのに自分の利益を優先して他の守護代を粛清したり各国の有力者を敵に回すのは非常にまずい
対外的な立場も義隆を殺さない方が絶対によかったやんて結果になっている(無理な部分を妥協してでも義尊を生かして傀儡の当主にしておけば話は違ったんだろうけど…)
晴賢って統治者にとって大切な最悪を見据えて行動するって考えが出来ていないように見えるのよね…
失敗の仕方も論外だしその後のリカバリーも出来ていない…
主君殺しだけでなく、前関白など、朝廷のお偉い様を、略奪した上で殺害しているので、本来ならば、陶隆房のやらかした事は、朝敵認定されても文句言えないものでした。
明智光秀ほど孤立せず、陶に賛同する大内家臣団がいたのが逆に驚きです。
余程、怖かったんだろうなぁ。
元就も、なかなか全面対決するには決意が至らなかったのがわかります。
毛利家中と、安芸国人衆は、この時点では国人一揆の発展型に過ぎない集合体なので、本音は如何であれ、
大内新体制に対して、表立って敵対行動は取れないので、
陶からの協力要請を黙殺し、水面下で毛利派の拡大と結束を固めるしかなかったと思われますね。
元就と陶には共通の敵がいたので、表面上は協力し合っている形にはなっていましたが、
陶晴賢が毛利に不信感を強めるのは時間の問題ではありました。
陶の想定外に、毛利派の国衆の結束が強かった。否、陶の謀反による国力低下と、毛利の地固めで、逆転がいつの間にか出来ていたともいう。
隆元が、真っ直ぐで欲が無いだけでなく、賢かったのが良かったですね。
@@鬼美濃-w5s さん
陶と同罪にして、意味不明なくらい異常なのは、
そこに養子として弟を送り込んだ大友宗麟。
体良く家督争いを片付けたつもりか。
その代償に、龍造寺など、大内温故の九州の諸将が反大内、反大友になったという皮肉。
しかも、そいつらに勝てないw
こういうのを見ると謀反や下克上がいかに難しいかがわかるな。事前に談合すれば情報が漏れるしいきなりやったら国人が分裂するし。
隆元お兄ちゃんは根はネガティブだけどスイッチが入るとイケイケになるのがとてもいい
しかも元就や弟たちが絶対に真似できないスキルも持っていた。
陶が死んだ後に大内がやけに早く解体されたのって既にこれだけ領内が火だるまな状態なら納得。
隆元長生きしてればネガティブお手紙がもっと有名になってたんやろなぁ
父と毛利家中っていう過度のストレスを抱えた環境でどっちにしても長生き出来そうもない感じがしてしまいますが。
@@コミコミ-p5x 真田の某殿は90台まで頑張っておられる、まあサイズと責任感は段違いだと思うけどね!
西国一の侍大将と言ってもただの武辺に過ぎなかったのですね。
養父の陶興房とは月とスッポンだったのか。
クーデターで成り上がった政権は身内で周り固めるし旧政権と仲の良かった派閥は遠ざける
下がってしまった求心力も大勝利があれば取り戻せると想定しての厳島って流れだろうな
陶晴賢は山口の商圏破壊しちゃったからねえ…
内藤興盛はどのような思いで最期を迎えたのだろうか。自分たちのしでかした所業の末が少しずつ明確になってきている恐怖か、逃げ切れたと思った安堵か。コンラン先生もおっしゃっていたが、陶より内藤の動きをもっと知るべきなのかもしれない
大河ドラマでも一応陶に味方したけどその後隠居してどーでもええわ状態になってたな。
それでも娘が隆元に嫁いでいた事にはホッとしているように見えました。
手紙が長いとこが父子一緒ってのが切なくも笑える🤣
@@梅-j6q さん
仕方ありません。鎌倉幕府、公文所の大江広元の子孫ですから。文章書くのが好きなんです。
脳筋と思われがちな吉川元春ですら、文字書くの好きだった事が後に判明します。
陣中で暇だからって歴史書書くか?
実際に厳島の戦いで打ち取った陶の首を「主君を自身の欲のために殺した反逆者だ」と元就が複数回鞭で打った、という逸話があるからな。
まぁ、自分も後に大内家や尼子家といったかつて多少なりとも世話になった家を滅ぼしているから、自分の正当性を示すためのパフォーマンスでもあったのだろうが。
家臣は元就がボロクソに自分たち
のこと叩いていたの知っていた
のか気になる
優しい心を持ちながら深い怒りによって目覚めたスーパー隆元。
@@YY-rj4up
陶晴賢「な…な…なにものだ」
毛利隆元「俺は貴様を倒すためにやって来た、俺はスーパー安芸国人 毛利隆元だ!!」ということですね。
陶は疑心暗鬼になってたんだろうけどもやってきたことが毛利家安芸国衆を逆撫ですることだったからなぁ
何のために安芸武田や厳島神主の友田とバチボコにやり合ってたのか忘れたわけじゃあるまいにな?
それが無ければ毛利も陶に良い印象は抱かずとも離反とまではいかなかったと思うわな。
これを見ると陶は大内家をどうしようとして大寧寺の乱を起こしたのか、ビジョンがなさすぎてガッカリする。
対外的に見たら大内義隆ってけっこういい領主だと思う。
外海から大陸にまで繋がる
大内世界を滅ぼして何を得たのか?
明智光秀より陶晴賢の方が謎や闇が
深いと思います。
単に、陶をはじめとした各守護代や領民が疲弊していたのかな?
大内義隆が、対外的に優良な殿様なのはそうだと思うけど、当然その分家臣の負担は重くなる訳だし。
現代でも、優良ホワイト大企業の下請けは、どいつもこいつも"クソブラック企業"なんてのは、珍しく無い。
元就さんは名将であっても名監督、名伯楽ではなかったんだろうなあ。息子の隆元さんですら物足りないと思ってたんだろうし。隆元さん自身が自分より親父を長生きさせてくださいって言って結果的に先立ったことも隆元さん本人は本望だったのかもしれないですね。
ゴルゴ13のあるエピソードで、「チェスで勝ち急ぐと逆転を食らう」みたいなセリフがありましたが、陶も勝ちを急ぐあまり露骨に攻めすぎた気もします。もちろん、最悪刃を交えても勝てる自信はあったのでしょうが、足元が固まらぬうちに外に出すぎたのかもしれませんね。
毛利三兄弟、それぞれ個性があって好きなのですが、隆元さんの人間味本当にいいですね。あの手紙WW(さん なんてつけたくなるような)大河ドラマ毛利元就での上川さんの演技も秀逸でした。松重さんの元春といい本当に素晴らしかった。
いよいよ厳島合戦。逸話どおりではないにしても、工夫は興味深い戦いです。
(そういえば大河ドラマでは厳島宮尾城の背後から陶勢が石を落としていたけど、跡地いったらそんな山なかったぞい。)
13:20 「うっせえわ」口羽通良
ありがとうございます!
更新お疲れ様です、隆元は自分を卑下してますが彼がいなかったら陶と戦う決断が出来たかどうか・・
いよいよ厳島の戦いですね次回も楽しみです。
自分にとって重大な悩みを持っていたのですが、毛利元就&毛利隆元の苦悩を知ってから、大したことないなと思うようになりました。ありがとうございます。
コーエーでの毛利家家臣団は一応史実での功績基準でステが決まってるっぽいですが、元就目線での評価だとどうなるか気になりますね(パーフェクト爺だけ80代で他は50〜60以下になりそう)
10年後信長の野望の陶晴賢のステが気になりますねえ
ちやりちゃん口調の江良房栄を見るとなんか安心する。
この動画では毛利家の目線から陶晴賢とそれにまつわるゴタゴタを見ていた訳だけど、
尼子家からの目線、ひいては尼子晴久の目には、陶晴賢のやりようとその結果に対してはどのように映っていたのだろうか?気になります。
元就···優秀過ぎる人ってそれ自体が欠点ですよね···。元就がいなければ隆元や五奉行だってもっと力を発揮できたのでは···。今回の隆元を見ると思いますねぇ。でも元就でなければこの時代をのりきれなかったでしょうし。難しい···。
毛利家推しでなおかつ東方神霊廟(神子さま)推しとしては最高すぎる動画をありがとうございます😭
隆元は知れば知るほど人間味あふれる魅力的な人物でますます好きになってしまいますねw
毛利家3兄弟それぞれ個性が輝いていて面白い!
現毛利家当主の方に話を聞いたら、毛利家が陶を倒すきっかけは吉見正頼の抵抗、だそうです。
いよいよですね!結果を知ってるだけにワクワクします
隆元、立派になりましたねぇ
元就は能力査定を自分・じーじを基準にしてるから凄い迷惑w
ワイが家臣なら隆元はオアシスに見えると思う
大大内家中と分国を切り回せる器では無かったか陶…
元就の場合若い頃から大内家の運営機構のダイナミズムを見てきた(自身もその一員だった)せいで
大名を支える家臣とはかくあるべき、という人材に求めるハードルが異常に高くなってしまっているのかも…
その派閥の長が西の大内義興に東の尼子経久だからなあ・・・
これ等のバケモノ級の人物と比べられたらたまったものではない。
冷泉隆豊に検非違使はぴったりですね。
いよいよ次は折敷畑の戦い・・・ここまで来ましたね!
陶晴賢のやらかしぶりが酷いなぁ
改めて安芸国内の毛利勢力を図で見ると、陶晴賢が警戒するのも納得
次回も楽しみにしております
検非違使… 戦国時代に聞く官職とは思わなかった…
元忠さんに対する才覚なく、正路人って奇抜なアイデアとかは出せないが奉行と言う仕事で言えば
くそ真面目で融通が利かないような部分に適性があるという感じですかねぇ
毛利隆元が生きてたら、足利義昭も来れなかったか追放してたと思う
毛利輝元「親父が早死しちゃったから、信長とやり合うことになっちゃったじゃないか!」
ほんとこの時代、健康長生きってそれだけで才能であり、武器ですよねえ。隆元は長生きしてればもっと名を残したでしょうし、輝元もじっくり当主として勉強できたでしょうに。惜しい!
@@梅-j6q 秀吉の中国攻めも全然進捗しないし宇喜多も織田側に寝返る事も無かったかもしれない。
精々播磨まで行けたらいい所だったのでは。
綸旨ということは本物があり、その書状の写しみたいなものなんでしょうかね?おそらく、後世の物のような感じの。
最後に爆弾/ロマンが仕掛けられてて
少し驚きました。
格上の強国とはいえ、家中に内紛を抱えた形で毛利家と敵対している大内家はこの時点で以前のような強さはなかったのかも知れないですね。
そうは言っても、外から理解しやすいのは大内家の領地の大小や兵力の多寡なのだから、よくこのタイミングで決断したと思うよ。
@@SAKURANOODLE それはもう仰る通りです...!胸中に不安を抱きながら大内との開戦に踏み切った毛利隆元の決断は壮絶ですね。
ここまで陶晴賢が酷いとは😅。
よく大河ドラマなどで尼子晴久や武田勝頼が過小評価されるけど、晴賢は逆に過大評価されてる
感じですかね。
大内氏の資金源であった銀山を手に入れたり/関係のある寺社の当主を血縁者にしたり、って毛利家の井上衆と似たような動きをしているな。
井上衆の場合は(一応の)主君である毛利家が一国人に過ぎず いつ尼子や大内に滅ぼされるか分からなかったから大きく動かなかった可能性もあるが、そうじゃなかったら同様に毛利家を内から侵食していたかもしれなかった訳か。
・元就さんと同じく、義隆さんが”大寧寺の変”直前の相良武任 襲撃事件の時に討たなかったのが悔やまれますね。
陶隆房(晴賢)さんとしては大内家の重臣;陶家の血筋ではなかったことを気にして、自分の立場をしっかりとしたものにしたかったのかもしれないが、、、。
この時代の戦争も突然始めるんじゃなく、やっぱり大義名分は必要だったんだな。
現代でも戦争を始める時、仕掛けた側は一応大義名分の元にやってるもんな。
毛利の長男が当主になっても元就が健在だったのは大きいね。
元就と隆元の石見出陣討議も「まるでシナリオ通りの茶番」かもしれない!
というのは妄想と言われても仕方ないですが、時間を稼ぐことによって
大内・陶の本音を引き出すことになって決別の覚悟をする羽目(笑)になったことは事実でしょう。
問田のバカ弟のせいで大内家が崩れた
血生臭い話の中でちゆりやネムノ口調が落ち着きます……
毛利とは逸れますが、龍造寺鑑兼は近年隆信ではなく、彼が剛忠の正統な後継者だったのではとも言われていますので、この点も今後気になるところですね
隆元の判断だとしても、生き残る可能性が無ければ元就が断固反対していたはず
元就としては博打であっても勝つ為の算段はあったのでしょう
村上水軍が陶から冷遇されはじめた事も当然知っていたはず
仕方ないとはいえ陶は一度に敵を作り過ぎましたね
毛利と大内、同じく家中を粛清しても結果がこれだけ違う
隆元さんの背景の肖像が心持ち薄い..(笑)
従二位下って?