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北海道根室で「鹿児島」と筆で書く。こんなのに感動してるのは俺だけなのかな。
墨?雨で見えなくなるのでは?
今も物理的にも心理的にも凄く遠いですな
「車票」に書かれている「鹿児島」は到着貨物駅の名前です。今でも「汐留」「隅田」「沼垂」などを思い出します。
@@ruma4094 墨は耐水性抜群ですよ。筆を使えば大きく太く描けますし、この用途だとスタンプ以外では適任だと思います。
3:00 根室の女の子が持ってたホタテの貝殻が 31:48 鹿児島の係員さんにとどいたと
郵便も鉄道で運ばれていた時代、北海道から一週間以上は、余裕でかかって帰宅してから届いたハガキ😅腹は、立てなかった。
鼻血がでそうな位働いてるのに当たり前のようにしてる。この時代のとーちゃん、半端ない。
当時15kg詰だったミカン箱を肩に重ねて2個担いでいる。腹に抱える場合も2個、、。日通の正規職員なのだろうか?ああいう担ぎ方ができる先輩に人生で1人だけ出会った。即日払いの日雇が「人夫出し」業者から派遣されていたはずです。
母ちゃんも子供おぶって洗濯、買物など頑張ったなー😊
この7年後の1975年11月、国労動労その他が全国の生鮮食品ほかの物流を質に取った「スト権スト」を実行。荷主に「二度と鉄道輸送は使わない」と言わしめた。そして鉄道貨物は衰退した。鉄道輸送が一番エコなのに。合掌!
そして、国鉄民営化の際、JR東海は空いたスジを活用して、旅客列車を「長大編成の小頻度運行」から、「短編成の多頻度運行」に切り替えました。10両近くある東海道線が3-4両になったときはびっくりしたものです。
今は亡き有蓋車、無蓋車、荷物車、冷蔵車などで編成された貨物列車懐かしい限りです。国鉄時代に地方に存在していた貨物ヤードでの編成組み換えを見学している時には時間が経つのも忘れて見入ったものでした。又、電化される前、蒸気機関車の煙の臭いが好きでした。アナログの代表ともいえる人々の汗臭さが感じられ懐かしかったです。ありがとうございました。
そうそう、「国鉄コンテナ戸口から戸口へ」て書いてあったよね。
見応えある映像でした。貨物列車が日本の物資輸送の華型だった頃の貴重な映像ですね!長編成の貨物列車、大好物です♪
ご当地の農作物っぽいものが色々出てきますね。貴重な映像ですね。アップしていただき感謝にたえませんね。
冷凍車レサ、レキとレムフか・・・有蓋車のワムやワラなど当時夏場のアブラゼミやニイニイゼミ並みにいたもんだ。もう今では貨物など鉄道模型のおもちゃでしか見ることが出来ない。JNRのロゴも今となっては懐かしい。
ワムワラトラトムはさすがに当たり前にいたけど、レムはたまに見かけたよなぁ~(;´д`)正に一寸の虫にも五分の魂(^-^)小さいからといって・・・というかたかが二軸貨車だと思ったら馬鹿には出来ないだろうなぁ~( ̄~ ̄;)
冷凍貨車って断熱構造だけなんですね。氷冷却に見えます。現在の海上コンテナにはリーファと呼ばれる断熱構造に冷凍機付きのコンテナがあり、220Vや440V等の電源で稼働していますから、-30℃での輸送も可能です。低温輸送の進歩が現在の流通を支えているのが分かります。
福岡ボートの横通って踏切で渡って長浜まで来よったっちゃねー信じられん
初期の寅さん映画にも出てくるような、古きよき日本の姿に癒されました。青函連絡船に貨車を積み込むところで、牛や馬も出てきます。面白いです
みんな鉄道模型で見る車両ばかり。ヤードパス列車が今の『佐川レールカーゴ』や『トヨタロングパス』に受け継がれているんだろうなぁ。貨物列車ほど見飽きない列車は無いなぁ。
この当時から直行輸送への転換やコンテナ輸送の推進に加えて、鉄道コンテナ用荷役クレーンが実用化といった感じで正しい方向へ合理化が進められていたなら、今の悲惨な状況にはならなかったのでしょうかね
蒸気機関車、ヤード輸送方式、貨物はワムにバラ積み。非効率極まりない。しかしワイはその非効率さが残る昭和40年代50年代に行って全国の小規模な専用線引込線を巡りたいのだ…
9:48 保線員がリンゴを食う演出もいいが、旨くて思わず2口目を食べるのは素だろうw
おそらく複線化工事の作業員さん達に地元のリンゴ農家から差し入れがあったんでしょうね~。のどかで良い時代です。
今なら、作業員が仕事中に飲食している!と匿名のクレーム電話が入るでしょうね(笑)
@@EE-zc8tz 日本だけらしいね働きながら食うなって
@@EE-zc8tz世知辛い時代になりましたねw
これがたった50年前か・・・
自分が産まれた年のこんな綺麗な映像を見ることができて感謝です。この当時、まだ蒸気機関車は現役だったんですね。
カラーで見ると50年以上前のほうが活気がものすごく伝わってくる
今の日本は衰退してるのかもね
か
貨物輸送からトラック輸送へ、そして令和はトラック輸送から再び貨物輸送へ世の中なにが起こるか分からない
2024年物流問題の話だと思うけど、JR貨物はあくまでもJR旅客会社から安い使用料で線路を使わせてもらえてる立場。旅客会社の運行ダイヤが何よりも最優先で、トラックからシフトしようと貨物列車をやたらめったら増発するのは困難だぞ。
時間がかかるヤード方式や国鉄のスト、高速道路の整備等で貨物輸送はトラックが主流になりましたが、運転手不足や環境問題で再び鉄道貨物が見直されてきています。この当時では考えられなかったISO規格の大型コンテナを積んだ貨車が幹線を行き交っている姿を見ると、時代の変化は凄いと思います。
福山通運が仙台<=>青森間を5tコンテナを使ってますが、トラック便のみの東京<=>青森間より2日余計にかかったことがあった。行方不明事故だと思った。
必死にお願いする昆布業者がタバコを吸っているのに時代を感じる。今だったら、屋内での喫煙なんて論外だよなあ。
昔は昆布輸送の時は、分からないからと荷扱い係が昆布を抜き取って、連中のその晩飯は湯豆腐がおかずだったと古参の通運運転手に聞いたものだ。
考えたらもうこの頃には、動労がスト権ストを始めて順法闘争をしてた頃ですよね。貨物がまともな時間に届かなくなり、売物にならなくなり痺れを切らした荷主側がトラック輸送に切り替えて貨物列車が衰退する結果になりましたね
悲しいかな、その通りです
@@Mr583HATSUKARIその動労は「貨物輸送安定宣言」を決定し、貨物をストの対象から外した歴史的経緯がある。
バスドライバーも、トラックドライバーも今は不足している。だからこそ!列車の貨物輸送を見直す時期。
ヴァカが喚く“使いたい時間に列車が無いとは何事”って(草)
フィルム退色も無くて綺麗だなー
デジタルリマスターってのがあってだな
気品を感じる映像リラックスして眠くなっちゃった
当時のベテランが運転する蒸気機関車ってやっぱり殆ど白い蒸気しか出てないな。これが蒸気機関車の真の姿
あとは石炭の品質もありますね。戦時中から戦後の混乱期、良い石炭は産業用に回され、鉄道は量こそ確保したものの、粗悪な石炭が多かったとか。
林檎食べる演出絶対いらんかったやろ!
うまいところ目に付きましたね。ツッコミしたくなりますよね。
やっぱり演出か。東北だからな。
でも美味そうだなぁ…
歯が悪いのにねww
「今日は撮影だから、出荷用の綺麗なリンゴ🍎がおやつだ。そこの、傷物のリンゴは隠しておいてくれ」
貴重な動画ですね!昭和四十三年😅北海道から鹿児島県に届くって当たり前かも知れないけど感動です😉国鉄職員の皆様ご苦労様です!
結局、国労が全て台無しにしてしまうんだけどね。
👹の動労もね 怒💢😠😡
@@user-japan-mk.0114 その通りですね。組合、あと無能だった当時の経営陣も。
8:25美しい画(え)だな。原風景的感覚を覚える人は多いだろう。
この時代に生きていないのに何故か懐かしさを感じる...
これぐらい盛況してればJR貨物も十分に黒字化出来るのに
昭和四十三年のうなぎさんも大変やなぁ…と思いました
22:35 運転上手い
早くもヤードの問題が指摘されている。すでにこの時点で、16年後の84年2月改正を予見していたように思える。にしても、Nゲージでしか見たことない貨車の数々がカラーで見られる貴重な映像だ。
函館港の貨物線と青函連絡船にダメ押しの夕焼けバックに泣いた。
コンテナ輸送が主流の現在ですが、自分が小学低学年時代は色んな種類の混在貨物列車が走っていて、見ていても楽しかった事を思い出しました。ただどんな荷物が入っているなんて考えもしていませんでしたが、特にヨが大好きで羽越線の駅にはヤードと思しき姿がまだ残っている駅もあります。貴重な映像有難う御座います
私も貨車が好きでした。確かに今はコンテナ車が主流で、あとはタンク車くらいですかね。でも、コンテナも今は私有コンテナが多いのかいろいろデザインがあって楽しいものですよ。ちなみに「ヨ」は車掌車ですね😊
実はこの映像に出てる機関車の中には保存され現在も残っている車両もいます。11:07 C56 149…1973年に木曽福島に転属後、同年廃車。廃車後は中込機関区に移された後、1974年より山梨県高根町(現・北杜市)内の施設で静態保存。が、保存状態が悪く車両荒廃が激しかったため2009年に修繕。その後清里駅前に移転保存され現在に至る。19:21 D51 822…この映像の翌年1969年に福井区に転属後、1970年に廃車。同年より松任駅前で静態保存されている。
この翌年の1969年に東名高速が全線開通し、東京―名古屋―大阪間が高速道路で結ばれるようになった。以後も着々と高速道路の建設が続いていく。振り返れば、この頃が鉄道貨物のピークだったのだろう。この映像の7年後、1975年の晩秋に公労協が大規模ストライキを実施した際「貨物物流を止める訳にいかないから、当局側は早々に妥協するだろう」と読んでいたが、当局は対決姿勢を解かずトラック業界にフル動員を働きかけた結果、ストの影響を最小限に抑える事に成功、ストは組合側の敗北で終わった。70年代に入り鉄道貨物の輸送量は減少しつつあったが、この事は鉄道貨物は国内物流の主役から陥落した事を名実ともに裏付ける結果に。1978年にはそれまで維持されてきた貨物列車の大幅削減を実施。以後鉄道貨物輸送は縮小の一途を辿り、民営化直前には小荷物・郵便輸送を廃止するなど出来る限りの削減を施した上で、JR貨物に引き継がれた。一方、貨物列車が大幅に削減された事で特に東海道、山陽本線の運行に余裕が生まれ、80年代中盤からは短距離列車の増発が可能となり、民鉄に対抗していく基盤に。
一長一短があるね?
katsmiz へ読売新聞の記者?朝日新聞?日経?分かった。地方紙だろ。
小荷物📦️・郵便📮は国鉄の分類では貨物ではなく旅客輸送の一部だけどね😉
@@psychedelicraspberry517 荷物専用列車の時刻が「交通公社の時刻表」に載っていました。荷主の便を図るためでした。
あまりに画質が良く、半世紀以上昔なのに、つい最近の事みたいですね。まだ未来に希望があった時代。翻って今は安全性や効率は格段に良くなりましたが、大切なものを置き去りにしてしまったように思います。
古い映画を通して見ても、それらのリンゴは美味しそうです.
この時代、大変でしたが、今より良かった気がします
今とは比べようもなく多くの人の手で回していた当時の経済。人手不足を言い訳に足踏みしている現代は何かが圧倒的に不足している。
昭和40年の前半にはまだSLが結構走ってたんだよと、父に聞いてはいましたが、本当に走ってたんですね。貴重な動画をありがとうございました。
私の地元、名古屋機関区でも廃止は昭和49年ですからね。まだ廃止から50年経ってないんですよね。
これはまさに、貴重な映像ですね。この当時は、何から何まであらゆる物資を、貨物列車だけで運んでいたという事が、よく分かります。しかしながら、当時は途中駅の操車場で、貨車をバラして行き先別に仕訳していたそうです。しかし、それでも北海道始発→鹿児島に、定刻到着というのは素晴らしいですね‼️
リンゴ食ってる保線工のおっちゃん達可愛すぎる笑
さりげなく青森特産アピール最高
ヤラセ感にじみ出てて大嫌い。
リンゴをかじると歯ぐきから血が出ませんか?th-cam.com/video/urgO52x9o48/w-d-xo.html
ベタな演出w
割とわかりやすかったですね🍎🍏
今だと、根室の昆布が鹿児島に到着するのは最短で翌々日の午前中らしい。一つの貨車が陸路をひたすら走り、ヤードに着くたびに振り分けられる昔と比べたら、恐ろしいくらいの進化だ。今は小口宅配でも積極的に飛行機✈を利用するから、色んなルートが存在する。先日、宅配便の荷物追跡をしていたら、釧路から別口で送った荷物が関空(ピーチ)と羽田(ANA?)の二手に分かれて運ばれていたので、面白かった🤭
「7日間走りに走って、定時到着」素晴らしい。日本!素晴らしい。
それを実現しているのはブラック職場における現代奴隷です。多少遅れても気にしない、そのような心のゆとりは現代人の忘れ物です。ラテン系の国々とか沖縄などでは比較的それがまだ忘れられてないので羨ましいです。
複線化工事とみせかけたリンゴのステルスマーケティングがここ(09:50)です
2:45 筆でこんなに綺麗に早く書けん
しかも“行”をつぶさないように一瞬見せる職人技
鹿児島達筆定期w
動輪のメカニカルでダイナミックな働きとは裏腹に、現在の電機やディーゼル機と比べると全く持って非力な蒸気機関車が物流の主役であり、蒸気力を生かすも殺すもすべてが機関士の腕ひとつに委ねられていた時代を思うと、複雑な心境がしますね。
この動画はEF65500番代のF形が重連総括で運転されていた記録として有名ですね。ちらっとしか映りませんが貴重なシーンです。
函館港貨車積込シーンでレム5000の隣に保温性能劣悪で不評だったレム400が映ってるし連絡船にも前世代の4本煙突貨物船も映ってて感動
それ、〝保冷〟なんですが、何か?
レム400は波動輸送用の中途半端な性能で短命に終わった車両だったのですね。築地市場の国鉄貨車取り扱いは国鉄側の一方的なコンテナ化が失敗して終わったと覚えているけど貨車の大型化の時は不都合なかったのかな。国鉄末期はセメント超大手の輸送を貨物料金区分の廃止で失うなど自死的政策が多かったな。
縄で縛られただけで梱包もされていない昆布が積まれているのは今では考えられないね。
お前の言いたい事は“衛生面ガー”だな🤣
鹿児島に運ばれてきた昆布のところにホタテの貝殻が刺さっていたのは、遊び心(?)がありますね。31:45
今荷物の行先はITシステムで分かるようになってるから荷票なんかも見ないよなぁ…
スーツ氏が自転車を貨物で送った時、コンテナの荷票受けに自分で書いた紙を入れていましたね。(JR貨物では使わないので)
1968年の記録です。貨物輸送が止まれば日本の血流は停止する。涙が出るほど感動しました。Up頂きまして感謝に堪えません。ありがとうございます。
今も、昔も、日本の貨物輸送は偉大ですね。👍
それが1975年にはスト権ストで貨物止めて、腐った貨物の補償無し😭
@@psychedelicraspberry517 順法闘争だからセーーフ
@@wayousettyu 日本🇯🇵では公務員の団体行動権(争議権・ストライキ権ないよ!)😡⚡
14:13 「静岡はもちろんのこと、和歌山、九州からのみかん」いや愛媛やん!
この頃の『愛媛みかん』の段ボールには『ポンジュース』のロゴがないのもまた秀逸(^-^)
まぁ各地のみかんは運んでいたんでしょうね^ ^🍊
静岡と和歌山はちゃんと言えるのに、九州だけなんでどこの県なのか言えないのか。
18:29 車扱い輸送がまだまだ主流で流体はタキ、粉体バルクはホキが普通の時代に、多分ISO規格ではないにせよタンクコンテナがあったのが驚き。
22:50辺りに出てくる高架橋の上を走る客レは"大和"でしょうかね?それともただの回送列車かな?
コンテナの中はどうなっているのかとずっと思っていましたが様々な物が運ばれるのですね🎵貨物列車が沢山のコンテナを引っ張って走って行く。いつも健気だなぁと思ってしまいます🎶
1968年で果物の選別がこんなに機械化されてたり、農作業が近代化されてたのか.....。もはやこのとき、技術は最高峰か
この時期の食料自給率は73〜74%(総人口9800万人)で食料生産量は7300万人分くらい今の食料自給率は38%(総人口1億2000万人)で食料生産量は4500万人分くらい
すばらしい映像ありがとうです。まさにこの年、国鉄は旅客、貨物輸送を含め大きく大変貌を遂げた年でもありました。いわゆる【ヨンサントオ】!! 昭和43年10月の白紙ダイヤ!! それで新たに新型特急、急行の登場、非電化区間の電化複線化などこれまでにない莫大な予算を投じ輸送力の向上を成し遂げ今に至っています。まさにセンセーショナルなダイヤ改正w
実は、この作品がヨンサントォ改正前に発表されていた件。東北本線が全線電化複線化したのはヨンサントォ改正ん時だからね
33:35撮影助手さんの名字が珍しい!
鉄砲と矢が並んでいるのが面白い☺
配信有難うございます。ビデオでよくみてました。貨物全盛期がよくわかる内容でしたね。個人的にはEF70の動画にはビックリしました。
映像に出てくるEF70は昭和39年から増備された後期形で当時は新製から4年前後って所ですね471系・481系と並ぶ北陸路の新鋭
半世紀以上も前の「生活輸送」。どれだけの人々が、50年後の「生活輸送」を思い描いていたことか
模型をウェザリングするとき参考になる
F形が高速貨物を重連で牽引した映像は貴重だと思う。10000系コンテナ車と連結して高速走行できるように設計されたので、本来の役目を果たしたのもこの時だけだと思う。
EF66に置き換えられる直前の貴重な映像ですね。なんか、あの両数だとF形単機でも持て余しそうなのに重連とは不経済極まりないですよねw
今はコンテナ貨物が主流ですね🎵
レムフ10000が逆につながれてるので下り列車ですね。 中は空です。 この画像の18年後昭和61年秋に香椎でレサ10000とレムフ10000が解体されてました。 酷使されてました。
@@buchigirepanda287電気指令弁付き自動密着連結器で最高速度100㎞/h運転やってたのはレサ輸送だけじゃないからな。
@@埠頭半田 10000系列はコキやワキの長編成もあるから運用上仕方がないけど…
昔の人って字が上手い
7:23ほうぽーぽ、ぽーぽーぽー(空耳)
りんごが段ボールなのに驚いた。昭和40年代のりんご箱は木箱と思ってた。
まだまだトラック輸送があまりなかった頃の映像。素晴らしい。
蒸気機関車が多々出てきますねー。
宅急便がなかったからな
当時のトラックはこれだけ走るとぶっ壊れちゃう気が
いい時代だったのかも知れませんね?決して便利では無かったかもですが、だからこそモノのありがたみや大切にする気持ちがあった様に思います。この頃長い貨物列車を眺めて居た記憶があります😅
常磐線でもそういう貨物列車、走っていましたね。もう昔話ですが……。
昭和の時代国鉄の貨物の荷扱は雑でしたよ。駅で荷物投げてました。それ言う前提で厳重な梱包必須。それに駅から荷物出してもいつ着くかその時の状態次第で半分わかんない状態。
時折見えたレサの貨物がEF65F重連だったのを見て、これであのEF66の登場が嘱望されたのですね。そして蒸機が普通に現役で、その一方新幹線もあり、国鉄路線も最大版図を築いていて、最後の黄金時代の感触を見て取れました。
ナレーションが某国営放送の新日本紀行みたいだぁ~😆懐かしいわ〜😄
昨今の物流に於ける礎を築いた形だね
この頃になると、国鉄が赤字経営に陥り、累積債務、労使関係の悪化が問題になり出した。貨物も大ヤードでの貨物列車の解結に時間を取られて、何時、貨物が相手に届くのか分からないと言う問題を解決する為にYACSと言う大型電子計算機を導入してヤードの解結作業を効率化する事を実験的に行っていた。然し、スト多発で荷主に逃げられ、競争相手の陸運業者や内国海運業者に仕事を取られ衰退化。然し、今は逆にトラックドライバー不足で、陸運業者は青息吐息。鉄道貨物復権だが、国鉄分割民営化でヤードは資本に奪われ無くなりました。どうなるのだろう?
現在の長距離貨物列車は札幌貨物T~福岡貨物Tですね🎵高速コンテナ貨物
このような動画を待ってましたgood
枕崎からも鰹節が出荷され、京都で根室の昆布と出会って料理ができる、という物語でも良かった。
鉄道貨物に頼らなくなった理由に、小口輸送化が進展していて、物流体系が鉄道輸送に合わなくなってきたというのもありそうですね、メーカー工場から倉庫、倉庫で発注に応じた仕分けをして小売り、圧倒的にトラック輸送の方が便利になってしまう。海外では貨物輸送が主体になっていくけど日本は逆行ってるという。生産が無くなってそうした場所から物も人も輸送する事が無くなる、
トンベースじゃ船舶が圧倒的なんですよね。大陸国家なら鉄道がその地位なんでしょうけど。日本の鉄道は人の輸送に特化してますからね
昭和48年製作ということは戦後28年目····終戦時20歳位の方が40歳代と云う、社会の中堅中枢的な存在だった時代ですそう云った角度で見ると、やはり戦前の敎育を受けられた方達の「キチッとされている感」が、戦後の「民主」敎育を受けてしまった世代と違い、とても美しく、気高く見えます
昭和43年ですよ国鉄では俗に言う「ヨンサントウ」のダイヤ改正があった年です
画質いいなあ
26:09の併走は、東海道線の新子安から平塚までのどこかかな?京阪神だと、貨物列車は外側線を、普通列車は内側線を使っていた。
国鉄民営化直前まで、新快速すら外側線を走れず内側線に閉じ込められていたという貨物を内側から追い抜くのは日常茶飯事だったんだろうなあ
27:05 あたりで、背景の建物に「福岡マツダ北九州整備センター」と書いてありますね。なので、北九州の複々線区間と思われます。
@@ichi737 ここでいつの間にやら九州に入ってた訳ね(^-^)
過去の吹田操車場は今は吹田貨物Tに転生しましたね🎵
56年前の映像なのに高画質で素晴らしいです。
今の貨物列車はコンテナと油輸送のタンカー列車だけですね❗😢
石灰石なんかもあるけど😁
貨車の形式で言えばコキ・タキ・ホキぐらいですね
3:56 タイトル文字に出発進行の掛け声、BGMのノリ、日本縦断など東映のトラック野郎のノリと被る部分が多々・・働けば働いただけ金になり、ブラックなんて言葉はなく、それが認められていた豊かな日本だった頃。
経済成長時期の日本の力強さを感じさせるドキュメンタリーです。オジンにとっては、あの頃は良かったの感慨も・・・。
1:30 馬も主力
今でも、貨物列車が走っています。全部コンテナだけどね。
北海道からは石油貨物列車を最後に車扱い列車が無くなりました(^-^)
生まれた年だ!( ̄∇ ̄*)ゞ
蒸気機関車と貨車にはすごい時代を感じるのに、電気自動車が出てきた途端あんまり今と変わらない見た目になるw
電気⚡️機関車ね(^^)
12:23 九州から「わずか」36時間で東京汐留まで・・・いまは新幹線なら鹿児島中央から東京まで6時間半、鉄道でこんなに早く行けるようになるとは思ってもいなかったでしょうね
白紙ダイヤ改正の時、真っ白なケント紙に最初にスジが引かれるのが特急(L特急以前のガチ特急)と鮮魚列車でした。当時の大衆速達列車の急行はその後です。
産まれた年なので記憶は無いけど物心ついた4歳位の頃はカラーTVでした。退役寸前で白黒も1台ありました。親父が産まれた日の新聞を保存しててくれてて読んだら過激派による爆弾テロもこの頃はありました。母は蒸気機関車乗っててトンネルん中でオニギリなんて食べてたらまっ黒になったと聞かされましたね。(そこまで黒くはならんと思うけど)
NHK教育TVではまだ白黒放送も若干、残っていた頃と記憶していますね。
今では珍しい 家畜貨物車も出てましたね🎵
馬が乗っていましたねー。
そういえば小さい頃、ほんまに見たことようありました。
家畜車が足りないというよりも将来の撤廃見越して減少していたのかワム代用で牛や馬が載せられ通風のために引戸は開放していた
6:30頃のイケメンのお兄さんも今では80歳位かな
定時に着いてこれでみんなもよろ‘こんぶ’。
7:11 荷票の貨車番号と違うけど
形式がワラ1で西部の大草原(^-^)
門 香椎駅常備 のレサで組成された列車は、運転中東京で隅田川に行くか汐留に行くか、ぎりぎりまで決まらなかったらしいですね。荷主さんが魚が高く売れる市場を見極めるから。ダイナミックすぎる
北海道根室で「鹿児島」と筆で書く。
こんなのに感動してるのは俺だけなのかな。
墨?雨で見えなくなるのでは?
今も物理的にも心理的にも凄く遠いですな
「車票」に書かれている「鹿児島」は到着貨物駅の名前です。今でも「汐留」「隅田」「沼垂」などを思い出します。
@@ruma4094 墨は耐水性抜群ですよ。筆を使えば大きく太く描けますし、この用途だとスタンプ以外では適任だと思います。
3:00 根室の女の子が持ってたホタテの貝殻が 31:48 鹿児島の係員さんにとどいたと
郵便も鉄道で運ばれていた
時代、北海道から一週間以上は、余裕でかかって帰宅してから届いたハガキ😅
腹は、立てなかった。
鼻血がでそうな位働いてるのに当たり前のようにしてる。この時代のとーちゃん、半端ない。
当時15kg詰だったミカン箱を肩に重ねて2個担いでいる。腹に抱える場合も2個、、。日通の正規職員なのだろうか?ああいう担ぎ方ができる先輩に人生で1人だけ出会った。即日払いの日雇が「人夫出し」業者から派遣されていたはずです。
母ちゃんも子供おぶって洗濯、買物など頑張ったなー😊
この7年後の1975年11月、国労動労その他が全国の生鮮食品ほかの物流を質に取った「スト権スト」を実行。荷主に「二度と鉄道輸送は使わない」と言わしめた。そして鉄道貨物は衰退した。鉄道輸送が一番エコなのに。合掌!
そして、国鉄民営化の際、JR東海は空いたスジを活用して、旅客列車を「長大編成の小頻度運行」から、「短編成の多頻度運行」に切り替えました。10両近くある東海道線が3-4両になったときはびっくりしたものです。
今は亡き有蓋車、無蓋車、荷物車、冷蔵車などで編成された貨物列車懐かしい限りです。国鉄時代に地方に存在していた貨物ヤードでの編成組み換えを見学している時には時間が経つのも忘れて見入ったものでした。又、電化される前、蒸気機関車の煙の臭いが好きでした。アナログの代表ともいえる人々の汗臭さが感じられ懐かしかったです。ありがとうございました。
そうそう、「国鉄コンテナ戸口から戸口へ」て書いてあったよね。
見応えある映像でした。貨物列車が日本の物資輸送の華型だった頃の貴重な映像ですね!長編成の貨物列車、大好物です♪
ご当地の農作物っぽいものが色々出てきますね。貴重な映像ですね。アップしていただき感謝にたえませんね。
冷凍車レサ、レキとレムフか・・・
有蓋車のワムやワラなど当時夏場のアブラゼミやニイニイゼミ並みにいたもんだ。
もう今では貨物など鉄道模型のおもちゃでしか見ることが出来ない。
JNRのロゴも今となっては懐かしい。
ワムワラトラトムはさすがに当たり前にいたけど、レムはたまに見かけたよなぁ~(;´д`)
正に一寸の虫にも五分の魂(^-^)
小さいからといって・・・というかたかが二軸貨車だと思ったら馬鹿には出来ないだろうなぁ~( ̄~ ̄;)
冷凍貨車って断熱構造だけなんですね。氷冷却に見えます。現在の海上コンテナにはリーファと呼ばれる断熱構造に冷凍機付きのコンテナがあり、220Vや440V等の電源で稼働していますから、-30℃での輸送も可能です。低温輸送の進歩が現在の流通を支えているのが分かります。
福岡ボートの横通って踏切で渡って長浜まで来よったっちゃねー信じられん
初期の寅さん映画にも出てくるような、古きよき日本の姿に癒されました。青函連絡船に貨車を積み込むところで、牛や馬も出てきます。面白いです
みんな鉄道模型で見る車両ばかり。
ヤードパス列車が今の『佐川レールカーゴ』や『トヨタロングパス』に受け継がれているんだろうなぁ。貨物列車ほど見飽きない列車は無いなぁ。
この当時から直行輸送への転換やコンテナ輸送の推進に加えて、鉄道コンテナ用荷役クレーンが実用化といった感じで正しい方向へ合理化が進められていたなら、今の悲惨な状況にはならなかったのでしょうかね
蒸気機関車、ヤード輸送方式、貨物はワムにバラ積み。非効率極まりない。しかしワイはその非効率さが残る昭和40年代50年代に行って全国の小規模な専用線引込線を巡りたいのだ…
9:48 保線員がリンゴを食う演出もいいが、旨くて思わず2口目を食べるのは素だろうw
おそらく複線化工事の作業員さん達に地元のリンゴ農家から差し入れがあったんでしょうね~。
のどかで良い時代です。
今なら、作業員が仕事中に飲食している!と匿名のクレーム電話が入るでしょうね(笑)
@@EE-zc8tz 日本だけらしいね
働きながら食うなって
@@EE-zc8tz世知辛い時代になりましたねw
これがたった50年前か・・・
自分が産まれた年のこんな綺麗な映像を見ることができて感謝です。
この当時、まだ蒸気機関車は現役だったんですね。
カラーで見ると50年以上前のほうが活気がものすごく伝わってくる
今の日本は衰退してるのかもね
か
か
貨物輸送からトラック輸送へ、そして令和はトラック輸送から再び貨物輸送へ
世の中なにが起こるか分からない
2024年物流問題の話だと思うけど、JR貨物はあくまでもJR旅客会社から安い使用料で線路を使わせてもらえてる立場。
旅客会社の運行ダイヤが何よりも最優先で、トラックからシフトしようと貨物列車をやたらめったら増発するのは困難だぞ。
時間がかかるヤード方式や国鉄のスト、高速道路の整備等で貨物輸送はトラックが主流になりましたが、運転手不足や環境問題で再び鉄道貨物が見直されてきています。
この当時では考えられなかったISO規格の大型コンテナを積んだ貨車が幹線を行き交っている姿を見ると、時代の変化は凄いと思います。
福山通運が仙台<=>青森間を5tコンテナを使ってますが、トラック便のみの東京<=>青森間より2日余計にかかったことがあった。行方不明事故だと思った。
必死にお願いする昆布業者がタバコを吸っているのに時代を感じる。今だったら、屋内での喫煙なんて論外だよなあ。
昔は昆布輸送の時は、分からないからと荷扱い係が昆布を抜き取って、連中のその晩飯は湯豆腐がおかずだったと古参の通運運転手に聞いたものだ。
考えたらもうこの頃には、動労がスト権ストを始めて順法闘争をしてた頃ですよね。
貨物がまともな時間に届かなくなり、売物にならなくなり痺れを切らした荷主側が
トラック輸送に切り替えて貨物列車が衰退する結果になりましたね
悲しいかな、その通りです
@@Mr583HATSUKARIその動労は「貨物輸送安定宣言」を決定し、貨物をストの対象から外した歴史的経緯がある。
バスドライバーも、トラックドライバーも今は不足している。
だからこそ!列車の貨物輸送を見直す時期。
ヴァカが喚く
“使いたい時間に列車が無いとは何事”って(草)
フィルム退色も無くて綺麗だなー
デジタルリマスターってのがあってだな
気品を感じる映像
リラックスして眠くなっちゃった
当時のベテランが運転する蒸気機関車ってやっぱり殆ど白い蒸気しか出てないな。これが蒸気機関車の真の姿
あとは石炭の品質もありますね。
戦時中から戦後の混乱期、良い石炭は産業用に回され、鉄道は量こそ確保したものの、粗悪な石炭が多かったとか。
林檎食べる演出絶対いらんかったやろ!
うまいところ目に付きましたね。
ツッコミしたくなりますよね。
やっぱり演出か。東北だからな。
でも美味そうだなぁ…
歯が悪いのにねww
「今日は撮影だから、出荷用の綺麗なリンゴ🍎がおやつだ。そこの、傷物のリンゴは隠しておいてくれ」
貴重な動画ですね!昭和四十三年😅北海道から鹿児島県に届くって当たり前かも知れないけど感動です😉国鉄職員の皆様ご苦労様です!
結局、国労が全て台無しにしてしまうんだけどね。
👹の動労もね 怒💢😠😡
@@user-japan-mk.0114 その通りですね。組合、あと無能だった当時の経営陣も。
8:25美しい画(え)だな。原風景的感覚を覚える人は多いだろう。
この時代に生きていないのに何故か懐かしさを感じる...
これぐらい盛況してればJR貨物も十分に黒字化出来るのに
昭和四十三年のうなぎさんも大変やなぁ…と思いました
22:35 運転上手い
早くもヤードの問題が指摘されている。すでにこの時点で、16年後の84年2月改正を予見していたように思える。
にしても、Nゲージでしか見たことない貨車の数々がカラーで見られる貴重な映像だ。
函館港の貨物線と青函連絡船にダメ押しの夕焼けバックに泣いた。
コンテナ輸送が主流の現在ですが、自分が小学低学年時代は色んな種類の混在貨物列車が走っていて、見ていても楽しかった事を思い出しました。ただどんな荷物が入っているなんて考えもしていませんでしたが、特にヨが大好きで
羽越線の駅にはヤードと思しき姿がまだ残っている駅もあります。貴重な映像有難う御座います
私も貨車が好きでした。
確かに今はコンテナ車が主流で、あとはタンク車くらいですかね。
でも、コンテナも今は私有コンテナが多いのかいろいろデザインがあって楽しいものですよ。
ちなみに「ヨ」は車掌車ですね😊
実はこの映像に出てる機関車の中には保存され現在も残っている車両もいます。
11:07 C56 149…1973年に木曽福島に転属後、同年廃車。廃車後は中込機関区に移された後、1974年より山梨県高根町(現・北杜市)内の施設で静態保存。が、保存状態が悪く車両荒廃が激しかったため2009年に修繕。その後清里駅前に移転保存され現在に至る。
19:21 D51 822…この映像の翌年1969年に福井区に転属後、1970年に廃車。同年より松任駅前で静態保存されている。
この翌年の1969年に東名高速が全線開通し、東京―名古屋―大阪間が高速道路で結ばれるようになった。
以後も着々と高速道路の建設が続いていく。
振り返れば、この頃が鉄道貨物のピークだったのだろう。
この映像の7年後、1975年の晩秋に公労協が大規模ストライキを実施した際「貨物物流を止める訳にいかないから、当局側は早々に妥協するだろう」と読んでいたが、当局は対決姿勢を解かずトラック業界にフル動員を働きかけた結果、ストの影響を最小限に抑える事に成功、ストは組合側の敗北で終わった。
70年代に入り鉄道貨物の輸送量は減少しつつあったが、この事は鉄道貨物は国内物流の主役から陥落した事を名実ともに裏付ける結果に。
1978年にはそれまで維持されてきた貨物列車の大幅削減を実施。以後鉄道貨物輸送は縮小の一途を辿り、民営化直前には小荷物・郵便輸送を廃止するなど出来る限りの削減を施した上で、JR貨物に引き継がれた。
一方、貨物列車が大幅に削減された事で特に東海道、山陽本線の運行に余裕が生まれ、80年代中盤からは短距離列車の増発が可能となり、民鉄に対抗していく基盤に。
一長一短があるね?
katsmiz へ
読売新聞の記者?朝日新聞?日経?
分かった。地方紙だろ。
小荷物📦️・郵便📮は国鉄の分類では貨物ではなく旅客輸送の一部だけどね😉
@@psychedelicraspberry517
荷物専用列車の時刻が「交通公社の時刻表」に載っていました。
荷主の便を図るためでした。
あまりに画質が良く、半世紀以上昔なのに、つい最近の事みたいですね。
まだ未来に希望があった時代。翻って今は安全性や効率は格段に良くなりましたが、大切なものを置き去りにしてしまったように思います。
古い映画を通して見ても、それらのリンゴは美味しそうです.
この時代、大変でしたが、今より良かった気がします
今とは比べようもなく多くの人の手で回していた当時の経済。
人手不足を言い訳に足踏みしている現代は何かが圧倒的に不足している。
昭和40年の前半にはまだSLが結構走ってたんだよと、父に聞いてはいましたが、本当に走ってたんですね。貴重な動画をありがとうございました。
私の地元、名古屋機関区でも廃止は昭和49年ですからね。まだ廃止から50年経ってないんですよね。
これはまさに、貴重な映像ですね。この当時は、何から何まであらゆる物資を、貨物列車だけで運んでいたという事が、よく分かります。しかしながら、当時は途中駅の操車場で、貨車をバラして行き先別に仕訳していたそうです。しかし、それでも北海道始発→鹿児島に、定刻到着というのは素晴らしいですね‼️
リンゴ食ってる保線工のおっちゃん達可愛すぎる笑
さりげなく青森特産アピール最高
ヤラセ感にじみ出てて大嫌い。
リンゴをかじると歯ぐきから血が出ませんか?
th-cam.com/video/urgO52x9o48/w-d-xo.html
ベタな演出w
割とわかりやすかったですね🍎🍏
今だと、根室の昆布が鹿児島に到着するのは最短で翌々日の午前中らしい。
一つの貨車が陸路をひたすら走り、ヤードに着くたびに振り分けられる昔と比べたら、恐ろしいくらいの進化だ。
今は小口宅配でも積極的に飛行機✈を利用するから、色んなルートが存在する。先日、宅配便の荷物追跡をしていたら、釧路から別口で送った荷物が関空(ピーチ)と羽田(ANA?)の二手に分かれて運ばれていたので、面白かった🤭
「7日間走りに走って、定時到着」素晴らしい。日本!素晴らしい。
それを実現しているのはブラック職場における現代奴隷です。
多少遅れても気にしない、そのような心のゆとりは現代人の忘れ物です。
ラテン系の国々とか沖縄などでは比較的それがまだ忘れられてないので羨ましいです。
複線化工事とみせかけたリンゴのステルスマーケティングがここ(09:50)です
2:45 筆でこんなに綺麗に早く書けん
しかも“行”をつぶさないように一瞬見せる職人技
鹿児島達筆定期w
動輪のメカニカルでダイナミックな働きとは裏腹に、現在の電機やディーゼル機と比べると全く持って非力な蒸気機関車が物流の主役であり、蒸気力を生かすも殺すもすべてが機関士の腕ひとつに委ねられていた時代を思うと、複雑な心境がしますね。
この動画はEF65500番代のF形が重連総括で運転されていた記録として有名ですね。ちらっとしか映りませんが貴重なシーンです。
函館港貨車積込シーンでレム5000の隣に保温性能劣悪で不評だったレム400が映ってるし連絡船にも前世代の4本煙突貨物船も映ってて感動
それ、〝保冷〟なんですが、何か?
レム400は波動輸送用の中途半端な性能で短命に終わった車両だったのですね。築地市場の国鉄貨車取り扱いは国鉄側の一方的なコンテナ化が失敗して終わったと覚えているけど貨車の大型化の時は不都合なかったのかな。国鉄末期はセメント超大手の輸送を貨物料金区分の廃止で失うなど自死的政策が多かったな。
縄で縛られただけで梱包もされていない昆布が積まれているのは今では考えられないね。
お前の言いたい事は“衛生面ガー”だな🤣
鹿児島に運ばれてきた昆布のところにホタテの貝殻が刺さっていたのは、遊び心(?)がありますね。31:45
今荷物の行先はITシステムで分かるようになってるから荷票なんかも見ないよなぁ…
スーツ氏が自転車を貨物で送った時、コンテナの荷票受けに自分で書いた紙を入れていましたね。(JR貨物では使わないので)
1968年の記録です。貨物輸送が止まれば日本の血流は停止する。涙が出るほど感動しました。Up頂きまして感謝に堪えません。ありがとうございます。
か
今も、昔も、日本の貨物輸送は偉大ですね。👍
それが1975年にはスト権ストで貨物止めて、腐った貨物の補償無し😭
@@psychedelicraspberry517 順法闘争だからセーーフ
@@wayousettyu 日本🇯🇵では公務員の団体行動権(争議権・ストライキ権ないよ!)😡⚡
14:13 「静岡はもちろんのこと、和歌山、九州からのみかん」
いや愛媛やん!
この頃の『愛媛みかん』の段ボールには『ポンジュース』のロゴがないのもまた秀逸(^-^)
まぁ各地のみかんは運んでいたんでしょうね^ ^🍊
静岡と和歌山はちゃんと言えるのに、九州だけなんでどこの県なのか言えないのか。
18:29 車扱い輸送がまだまだ主流で流体はタキ、粉体バルクはホキが普通の時代に、多分ISO規格ではないにせよタンクコンテナがあったのが驚き。
22:50辺りに出てくる高架橋の上を走る客レは"大和"でしょうかね?それともただの回送列車かな?
コンテナの中はどうなっているのかとずっと思っていましたが様々な物が運ばれるのですね🎵
貨物列車が沢山のコンテナを引っ張って走って行く。いつも健気だなぁと思ってしまいます🎶
1968年で果物の選別がこんなに機械化されてたり、農作業が近代化されてたのか.....。
もはやこのとき、技術は最高峰か
この時期の食料自給率は73〜74%(総人口9800万人)で食料生産量は7300万人分くらい
今の食料自給率は38%(総人口1億2000万人)で食料生産量は4500万人分くらい
すばらしい映像ありがとうです。まさにこの年、国鉄は旅客、貨物輸送を含め大きく大変貌を遂げた年でもありました。いわゆる【ヨンサントオ】!! 昭和43年10月の白紙ダイヤ!! それで新たに新型特急、急行の登場、非電化区間の電化複線化などこれまでにない莫大な予算を投じ輸送力の向上を成し遂げ今に至っています。まさにセンセーショナルなダイヤ改正w
実は、この作品がヨンサントォ改正前に発表されていた件。
東北本線が全線電化複線化したのはヨンサントォ改正ん時だからね
33:35撮影助手さんの名字が珍しい!
鉄砲と矢が並んでいるのが面白い☺
配信有難うございます。ビデオでよくみてました。貨物全盛期がよくわかる内容でしたね。個人的にはEF70の動画にはビックリしました。
映像に出てくるEF70は昭和39年から増備された後期形で当時は新製から4年前後って所ですね
471系・481系と並ぶ北陸路の新鋭
半世紀以上も前の「生活輸送」。
どれだけの人々が、50年後の「生活輸送」を思い描いていたことか
模型をウェザリングするとき参考になる
F形が高速貨物を重連で牽引した映像は貴重だと思う。
10000系コンテナ車と連結して高速走行できるように設計されたので、本来の役目を果たしたのもこの時だけだと思う。
EF66に置き換えられる直前の貴重な映像ですね。
なんか、あの両数だとF形単機でも持て余しそうなのに重連とは不経済極まりないですよねw
今はコンテナ貨物が主流ですね🎵
レムフ10000が逆につながれてるので下り列車ですね。 中は空です。 この画像の18年後昭和61年秋に香椎でレサ10000とレムフ10000が解体されてました。 酷使されてました。
@@buchigirepanda287
電気指令弁付き自動密着連結器で最高速度100㎞/h運転やってたのはレサ輸送だけじゃないからな。
@@埠頭半田
10000系列はコキやワキの長編成もあるから運用上仕方がないけど…
昔の人って字が上手い
7:23ほうぽーぽ、ぽーぽーぽー(空耳)
りんごが段ボールなのに驚いた。昭和40年代のりんご箱は木箱と思ってた。
まだまだトラック輸送があまりなかった頃の映像。素晴らしい。
蒸気機関車が多々出てきますねー。
宅急便がなかったからな
当時のトラックはこれだけ走るとぶっ壊れちゃう気が
いい時代だったのかも知れませんね?
決して便利では無かったかもですが、だからこそモノのありがたみや大切にする気持ちがあった様に思います。
この頃長い貨物列車を眺めて居た記憶があります😅
常磐線でもそういう貨物列車、走っていましたね。もう昔話ですが……。
昭和の時代国鉄の貨物の荷扱は雑でしたよ。駅で荷物投げてました。それ言う前提で厳重な梱包必須。それに駅から荷物出してもいつ着くかその時の状態次第で半分わかんない状態。
時折見えたレサの貨物がEF65F重連だったのを見て、これであのEF66の登場が嘱望されたのですね。
そして蒸機が普通に現役で、その一方新幹線もあり、国鉄路線も最大版図を築いていて、
最後の黄金時代の感触を見て取れました。
ナレーションが某国営放送の新日本紀行みたいだぁ~😆
懐かしいわ〜😄
昨今の物流に於ける礎を築いた形だね
この頃になると、国鉄が赤字経営に陥り、累積債務、労使関係の悪化が問題になり出した。貨物も大ヤードでの貨物列車の解結に時間を取られて、何時、貨物が相手に届くのか分からないと言う問題を解決する為にYACSと言う大型電子計算機を導入してヤードの解結作業を効率化する事を実験的に行っていた。然し、スト多発で荷主に逃げられ、競争相手の陸運業者や内国海運業者に仕事を取られ衰退化。然し、今は逆にトラックドライバー不足で、陸運業者は青息吐息。鉄道貨物復権だが、国鉄分割民営化でヤードは資本に奪われ無くなりました。どうなるのだろう?
現在の長距離貨物列車は札幌貨物T~福岡貨物Tですね🎵高速コンテナ貨物
このような動画を待ってましたgood
枕崎からも鰹節が出荷され、京都で根室の昆布と出会って料理ができる、という物語でも良かった。
鉄道貨物に頼らなくなった理由に、小口輸送化が進展していて、物流体系が鉄道輸送に合わなくなってきたというのもありそうですね、
メーカー工場から倉庫、倉庫で発注に応じた仕分けをして小売り、圧倒的にトラック輸送の方が便利になってしまう。
海外では貨物輸送が主体になっていくけど日本は逆行ってるという。生産が無くなってそうした場所から物も人も輸送する事が無くなる、
トンベースじゃ船舶が圧倒的なんですよね。大陸国家なら鉄道がその地位なんでしょうけど。日本の鉄道は人の輸送に特化してますからね
昭和48年製作ということは戦後28年目····
終戦時20歳位の方が40歳代と云う、社会の中堅中枢的な存在だった時代です
そう云った角度で見ると、やはり戦前の敎育を受けられた方達の「キチッとされている感」が、戦後の「民主」敎育を受けてしまった世代
と違い、とても美しく、気高く見えます
昭和43年ですよ
国鉄では俗に言う「ヨンサントウ」のダイヤ改正があった年です
画質いいなあ
26:09の併走は、東海道線の新子安から平塚までのどこかかな?
京阪神だと、貨物列車は外側線を、普通列車は内側線を使っていた。
国鉄民営化直前まで、新快速すら外側線を走れず内側線に閉じ込められていたという
貨物を内側から追い抜くのは日常茶飯事だったんだろうなあ
27:05 あたりで、背景の建物に「福岡マツダ北九州整備センター」と書いてありますね。なので、北九州の複々線区間と思われます。
@@ichi737 ここでいつの間にやら九州に入ってた訳ね(^-^)
過去の吹田操車場は今は吹田貨物Tに転生しましたね🎵
56年前の映像なのに高画質で素晴らしいです。
今の貨物列車はコンテナと油輸送のタンカー列車だけですね❗😢
石灰石なんかもあるけど😁
貨車の形式で言えばコキ・タキ・ホキぐらいですね
3:56 タイトル文字に出発進行の掛け声、BGMのノリ、日本縦断など東映のトラック野郎のノリと被る部分が多々・・働けば働いただけ金になり、ブラックなんて言葉はなく、それが認められていた豊かな日本だった頃。
経済成長時期の日本の力強さを感じさせるドキュメンタリーです。オジンにとっては、あの頃は良かったの感慨も・・・。
1:30 馬も主力
今でも、貨物列車が走っています。全部コンテナだけどね。
北海道からは石油貨物列車を最後に車扱い列車が無くなりました(^-^)
生まれた年だ!( ̄∇ ̄*)ゞ
蒸気機関車と貨車にはすごい時代を感じるのに、電気自動車が出てきた途端あんまり今と変わらない見た目になるw
電気⚡️機関車ね(^^)
12:23 九州から「わずか」36時間で東京汐留まで・・・
いまは新幹線なら鹿児島中央から東京まで6時間半、鉄道でこんなに早く行けるようになるとは思ってもいなかったでしょうね
白紙ダイヤ改正の時、真っ白なケント紙に最初にスジが引かれるのが特急(L特急以前のガチ特急)と鮮魚列車でした。
当時の大衆速達列車の急行はその後です。
産まれた年なので記憶は無いけど
物心ついた4歳位の頃はカラーTVでした。
退役寸前で白黒も1台ありました。
親父が産まれた日の新聞を保存しててくれてて読んだら
過激派による爆弾テロもこの頃はありました。
母は蒸気機関車乗っててトンネルん中でオニギリなんて食べてたら
まっ黒になったと聞かされましたね。(そこまで黒くはならんと思うけど)
NHK教育TVではまだ白黒放送も若干、残っていた頃と記憶していますね。
今では珍しい 家畜貨物車も出てましたね🎵
馬が乗っていましたねー。
そういえば小さい頃、ほんまに見たことようありました。
家畜車が足りない
というよりも
将来の撤廃見越して
減少していたのか
ワム代用で牛や馬が載せられ
通風のために
引戸は開放していた
6:30頃のイケメンのお兄さんも今では80歳位かな
定時に着いてこれでみんなもよろ‘こんぶ’。
7:11 荷票の貨車番号と違うけど
形式がワラ1で西部の大草原(^-^)
門 香椎駅常備 のレサで組成された列車は、運転中東京で隅田川に行くか汐留に行くか、ぎりぎりまで決まらなかったらしいですね。荷主さんが魚が高く売れる市場を見極めるから。
ダイナミックすぎる