1984(昭和59)年秋 青森駅 青函連絡船 津軽線
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- เผยแพร่เมื่อ 28 ก.ย. 2024
- 1984(昭和59)年11月10日(土)22時よりTBS系「日立テレビシティ」で「終着駅・津軽下北秋模様」と題して放送されたものより国鉄青森駅、津軽線の部分を抜粋しました。青森駅の発着シーンでは、はくつる、はつかり、ゆうづる、白鳥、八甲田等の廃止された列車や青函連絡船が映っています。7分22秒頃から♪はつかり、白鳥~で始まる「青森駅・駅歌」が流れます。
- ยานยนต์และพาหนะ
今思えば、ほんとうに懐かしい。
携帯電話が無い時代
特急の車内にある公衆電話で
時刻表の広告を見ながら
宿の予約をしていました。
連絡線
鈍行夜行
旧型客車
少年の頃の思い出
この動画であの頃を思い出します。
こんな鉄道ドキュメント、最近では滅多にお目にかかれなくなった。画面の中ではしゃぐ芸人や鉄子なんかホントいらない。もっと哀愁を感じさせる、こんな玄人感が欲しい。
kitaca kaffe ほんとうにそうですね。
吉本とか大手事務所が制作に干渉するようになって民放ドキュメント番組が隅に追いやられるか、または3流芸人がバラエティ番組のノリでレポートするような俗悪なのばかりになってしまいましたね……
年取って分かりました。
最近のテレビはエセ関西弁や、過剰な放送とかもう観るに堪えれません。
ドキュメンタリー番組とかを増やしてほしい
ジャニタレやクサレ芸人、なんちゃって知識人はもう出ないで下さい
激しく同意(👍 ̄▽ ̄)👍
太宰治の一節が紹介されるとか味があるなぁ。
三厩や竜飛岬、青森駅に行ったのは30年以上前、その頃の風景が脳裏からよみがえりました!
はくつる ゆうづる はつかり 白鳥
何もかも懐かしい…みんな思い出の彼方に行ってしまった。
東北新幹線も夕方5時頃から「ゆうずる1号」とか名前を変更しても良いかと^_^
@@maochanhappy 到着が翌朝になるけど…😉
@@maochanhappyゆうずるって何?(草)
青函トンネル開通の年に生まれたので、青函連絡船が行き来する光景、客車列車、急行八甲田等がとても新鮮に思えます。
それにゆうづる、はくつる、はつかり、白鳥…乗る前に廃止されてしまいとても悔しい思いをした列車がどんどん出てきていいなぁ…なんて。
この時は車窓見てる人も多かっただろうから地理に詳しい人多かったろうな。今より旅情や黄昏を理解出来る人が多そうだ。
活気があって風情があって夜行や長距離特急もあって良いですね。
思わず29歳当時の自分が映像に映ってはしまいかと見てしまった。当然映ってるはずもないのだが、人生も終盤にさしかかり昔が偲ばれる映像は好きだ。あの行商のおばちゃんと同い年だが、妙におばちゃんが年寄りに見えてしまう。
ホームに、汽車が到着したときのアナウンス思い出す
あお~もり~・あお~もり~ って
こういう鉄道の旅も味があって良いね。
まさにこの頃、20台の私はここを通り青函連絡船に乗って横浜から北海道に行ってました。
懐かしすぎます。
行商さんも昭和でぱったりと見なくなってしまいました。気の利いた品揃えが良かったです。
家🏠️の近所では平成後期までいたよ@東京23区😉
NHKのドキュメント72っていう番組があるんだけど、この時代の青森駅を特集して欲しかった
今の青森駅がこんなに賑やかだったとは…
当時の東北線の青森口、普通列車の運転本数は9本(往復で18本)で優等列車の運転本数の方が遥かに多かった。但し運転区間はかなり長い列車が多かった(最南端は原ノ町(常磐線)だったり) 今のような『系統分離』が当たり前のぶつ切り列車は皆無でした(最も電車の普通列車は無く、客車列車やディーゼルカーの普通列車・所謂『架線下DC』だった)。
夜行の青函連絡船。
懐かしのホームと跨線橋。
白鳥に乗ったこと思い出します。
みうまやだ!三厩をみうまやと表示されている!懐かしい!今は、みんまやと読む。
寝台車の同時代に生きていながら特別の思いを持って映像を見ました。はつかりとか名前は聞くけど実物を初めて見る事が出来て感動しました。
全然寝れないじゃないですか
寝る間もない
本当にお疲れ様です。
♪ああ~津軽海峡冬景色~
新幹線がある今勢力は衰えてますがフェリーはまだまだ現役です。
懐かしいですね。
90年代は中国大陸で寝台列車を満喫しました。
行商のおばちゃんなんてもうほとんど見なくなっちゃったなぁ
盛岡発って言ってるから、もう新幹線できてるね。それでも、485も583も連絡船も、JNRマーク付けてるのが懐かしいですね。この頃は青森、北海道けっこう行ってたけど、車だからフェリーばかり乗って、連絡船はは使ったことなかった。渡島福島から三厩までのフェリーもありました。みんまやって言いますよね。連絡船の待合室は覚えてます。こういう映像をみてると、昔はよかったっていうことになるけど、今が味気のない世の中になったからなのかもしれませんね。
乗ってみたかったです。石川さゆりさんの津軽海峡冬景色を聴きながら
修学旅行で連絡船で北海道へ行きましたよ。昔はローカルながら人々は一生懸命でしたね。
映っている行商の女性の年齢を見てビックリ‼️70歳以上に見えますね😅
最近の女性は若々しいのがよくわかります。
東北本線のはくつるこんな時間に出ていたの?今回2018年夏青森駅5ー6番ホームで青函連絡船最後の名残を見つけました。連絡船と言う矢印が残っています!驚きでした。知っていた。
2031年には札幌から鹿児島まで新幹線で行けるようになるが、何でも『速達』で良いのか?ゆっくり夜行鈍行で行きたい人もいるはず。俺は夜行バスでは寝られない。1988年の冬休みに連絡船廃止直前にお年玉を使って、函館まで連絡船往復乗車したが、朝4時半頃に青森に入港する直前の青森港の景色が今でも忘れられない。
昨今の速達化・高級化路線に違和感。
あなたいい事おっしゃる。ほんとその通りです。
そんなあなたに長距離フェリー。
鉄路と違って航路は未だ昭和の雰囲気が残ってるところが多い。
しかし、ここ数年船舶更新で新しい船になってきており、昔の連絡船体としたフェリーも減りつつある。
自分も子供の頃、上野から青森まで特急で行き青函連絡船に乗って函館の親戚の家までよく行ってました。この船だけでも何時間かかかったのを思い出します。
余談ですが北海道新幹線の話は田中角栄元首相の日本列島改造論に既に組まれてた事で当時の人も話としては知っていましたね。
そうです、ボックスシートでした。
車内が妙にイカ(乾物)臭かった記憶がありますね。
味わい深い映像有難う剛。
松本清張の小説を思うのは私だけだろうか。。
そう言えばこの時代、鉄道公安職員がまだいましたね😃俺ももう少し早く生まれていれば、絶対なってたなぁー😉
国鉄の管理敷地内での司法警察権を持っていました。
新宿などの大規模な駅には、鉄道公安機動隊もありました。
@@LoovesJf. ひょっとしてあなたも公安職員になりたかったか元公安だったとか?
尚、権限は持っていたものの、現行犯人逮捕、令状請求による逮捕の際は、その後速やかに検察官、一般司法警察職員(警察官)に引致する事が義務付けられていて、所謂留置施設は有りませんでした。
警察との関係は非常に良好で、常に協力態勢が取られていました。
まさに、古き良き時代の風景ですね。青函トンネルもまだ工事中の頃、線路は連絡船に向かう貨物列車用のレール以外は全部終わりだから、誰もがホームに降りて賑わったんですね。
近頃の鉄道は直通運転がやたらと目立ち、他社の列車が走る様子に興奮する撮り鉄の気持ちもわからなくはないですが、乗換の醍醐味が大量に失われて少々残念な感じもします。
普通列車は逆に乗り継ぎだらけだけど…😉
津軽津軽線の客車もやディーゼルカーも9年後には701系に
もしくは
40か48
新幹線の開業で、青森はターミナル駅 から 中間駅に変わったことが、大きな変化だと思います。
三厩の読み方が、「みうまや」だ。
みんまや じゃなかったのか?
JR化後、数年までは「みうまや」だったそうです(^o^)
9:22-9:23あたりで、三厩駅の周辺地図がアップになるところがありますが、
駅名は「みうまや」で、地名(村名)は「みんまや」とふりがながふられています。
あくまで個人的な予想ですが「厩」という字は「うまや」とも読みますから、
旧駅名は標準語基準、新駅名はこのあたりの方言である津軽弁基準なのではないかと思います。
これも個人的な予想ですが、国鉄時代(・・・と言っても差し支えないと思います)は、
駅名は「みうまや」であっても、地元の人たちは「みんまや」と呼んでいたのではないでしょうか・・・?
そこでJR体制になった際に、一般的に呼ばれている名前であり、村名である現在の駅名に
変わったのではないか・・・?
・・・なんて思っております。Wikipediaをみても、駅名変更の理由については、触れられていませんでした・・・。
自分が生まれる前やけど、この時代なんかいいなと思う。
スマホ📱ないよ😉
今の人間は、行商というものの想像がつかない。俺もいまいちピンとこない。
大学生で周遊券使って北海道旅した頃だ。あちこちで一期一会があったな。
函館の最終の青函連絡船に乗って青森始発の白鳥にはよく乗っていたなあ。
やっぱ新幹線と青函トンネルスゲー
これ書いたの5年前かヤバ
思い切って青森県は昭和に全て戻れば良いのに、、観光客・移住者殺到の気がする、友人を見てもその気質が感じられる。。
ケータイもネットもない時代に戻れと?
青森県だけ?差別でしょそれ
青森弁はわからない\(^o^)/でもいいね風情があって 青森行きたくなった
えー深夜発の東京行きが始発かぁ?終発駅は始発駅は本当なんだ!!行きたいなあ青森、乗りたかったなぁ青函連絡船・・1番遠い九州より
この時代の青森駅長は青森市長や青森市議会議員みたいな地位に近かったんじゃないかな?
階段にエスカレーターがない!
国鉄からこんなに働いたんだなー。
06:52 しれっと「衝突」って言ってる気が
津軽線の始発でこんなにも車両を繋いでいるとは、w
感動的です😌だけどやはり国鉄は経営の話のトコで厳しかったのだなあと😢
新幹線やリニアにばかり活路を求める人々は、こういうのどかで人間同士のあたたかみを感じる世界を知らないまま大人になってしまったのかなと、哀しくなります。
2015年3月14日、北陸新幹線開業、寝台特急はサンライズ瀬戸・出雲と臨時の日本海以外は完全に無くなってしまいました。建前上は寝台客車の老朽化ですが、青函トンネルが北海道新幹線専用の電圧に昇圧し、これに寝台車を引く機関車が耐えられないからだそうです…>_
00Tohkichiro00 機関車牽引列車であるカシオペアとはまなすは、まだ走っていますが・・・。
その、はまなすとカシオペアも2016年3月26日付けで廃止された、これで、上野発着の定期運行の夜行列車は全て廃止された。さらに、本州⇔北海道間を夜行で移動するには、民間フェリーか「夜行バス+新幹線」でないと行けなくなった。
ますます、旅に出ようという気がしなくなるね。
00Tohkichiro00
人のふれあいもさる事ながら
電車もユニークで色ぽい
津軽線の列車の中で、普通にタバコを吸っている乗客がいましたね。今では考えられないです。
その4年後に廃止となります。by酒向正也
糞尿線路にばら撒いてた事以外は昔の鉄道最高。
カッコイイ!カッコイイ!を連発する昨今の鉄道バラエティーに辟易する。
批判覚悟で言うが、そんなに水〇岡鋭〇デザインって言うほどカッコイイかぁ?
キンキラキンで下品な成金趣味にしか見えないのだがね。
ヤンキーが乗る15年落ちの〇ルシオにも見える。
車両もドキュメンタリー作品もこういう落ち着いた感じのがほしい。
星氏、黒岩氏らの国鉄型列車のデザインが鉄道車両のデザインとして刷り込まれいてる1960年代生まれの自分には水戸岡氏や奥山氏による列車のデザインが全く受け入れることができないでいます。
青森駅が輝いていた最後の方の映像だね。
こんなにも青森駅が賑わっていた時代があったなんて信じられない。
みんな飛行機、新幹線、高速バス、自家用車に移っちゃった。
はやぶさ「呼んだ?」
新青森駅に続き新函館北斗駅開業で、青森駅の存在感が益々薄くなる。
時代の流れってやつですね
現在の青森駅と比べて活気があったな
新幹線が通った今よりこの頃の方が活気があるように見えるのは気のせいでしょうか。
そりゃそうでしょう
今は新幹線だけでなく飛行機や自動車網が発達したから
早すぎて旅情がない。行くぞ!の気合が違うのかも・・・
懐かしく拝見させていただきました。
あのころちょうど青森駅へ勤務し始めた頃でした。
当時の駅長さん、助役さんを見て思い出しました。
特急も鈍行もすべての車両に味がありますな・・・( ;∀;)
乗客が車内でタバコ吸っているところに時代を感じた
近鉄は去年まで吸えたけどね
fal5110 ええ〜ほんと。
この時代は煙草が悪者にされていなかったから、国鉄は都市部の通勤路線を除いて普通列車でも灰皿が付いているのが当たり前。
車内のシーンで窓の下にある四角のやつ。
最近まで東海道新幹線700系と近鉄特急には喫煙車がありました。
健康増進法というやり過ぎ法で消されました。
嫌煙者と完全に分けるなら、吸いたい人には吸わせときゃいいのに。
それだけ鉄道の社会的存在が重要な証拠。鉄道だと今の新幹線🚅の喫煙室🚬にも文句言う奴がいるが、長距離フェリー🚢にも喫煙室🚬あるけど文句聞いた事ないよ😉
あと、この動画の頃は東武鉄道の伊勢崎線系統の普通・準急・快速は禁煙区間:浅草~館林・新栃木、亀戸線、大師線、野田線だった😉
懐かしすぎる(泣)
何度連絡船を使って往復したことか。
連絡船に接続する優等列車は青森到着前に「連絡船ご乗船のお客様は連絡船名簿に必要事項をご記入の上、乗船の際に係員にお渡しください」的なアナウンスがあって車掌さんが名簿の用紙を配ってくれましたね。このアナウンスを聞くといよいよ北海道だなぁ、という思いを抱いたものですが・・・1960年代生まれの独り言でした。
国鉄時代の電車でなんでこんなにカッコいいんだろか
戻りたいね。昭和に戻りたいよ。寝台車が普通に走っていた時代に・・・
別室調査 想い同じく。自分の最後の寝台は大阪発の急行きたぐにでした。
寝台急行ですかぁ…
その通り。あの頃はまだ旅情があった。
神茂樹 今や鉄道は移動の手段でしか無くなりましたね。嫁に汽車旅の魅力を伝えても「交通手段が目的になってる。あり得ない」と全否定されます。風流を解さない人は味気ない人が多いですね。
ペラペラPV 旅情を求めるのなんか一部の鉄オタとジジイだけで普通の利用者は速さと快適性を求めるんだよ、気に入らないならバス使って北海道行けよ笑
青函連絡船は天候の影響を受けるから、さぞ大変だったはず。駅に着いて初めて欠航を知ることもあったんだろうなぁ。
すっごくいいです!僕は糸魚川からはくちょうを大阪まで、よく利用していたので感動しました。この頃は青森も元気でよかったですね~。貴重な映像ありがとう!!
凄くいい動画ですね!昭和のころの元気な姿が伝わる貴重な青森の姿ですね!
子供達にも見せたいと思いました。
この時代きたぐには既に新潟止まりになっていたが、急行も津軽八甲田十和田とあったんだな。
まだ青函トンネルが開通する前か…(生まれる数日前に放送された番組です)。
来年北海道新幹線が開通しても津軽線はまだまだ生き残ります
津軽線はJR東の範囲内ということで青函トンネル開通や北海道新幹線開業でもしぶとく生き残ったそうで......
以前コメしたと思ったら初コメなので。
懐かしい特急に連絡船ばかり、特に、はつかり号と八甲田号
は、乗った連絡船は夜便ばかり乗船したものだ。
当時東京で学生生活を送り
北海道周遊券で帰省していた
青森駅のKIOSKのお嬢さんが鄙にもまれなべっぴんさんだったなぁ
はまなすや八甲田お世話になりました
昼行(?)特急での青森から大阪行き…今では考えられないくらいの距離だ…
ネットオークションで昔の時刻表を買ったが、急行「きたぐに」は、運行末期は「大阪~新潟」でしたが、かつては、何と青森発着で運行されていました。ただし、新潟以北は、寝台車両は切り離しされてました。日本交通公社(現:JTB)発行1982年9月号時刻表によると、特急『白鳥』が青森4時50分発大阪18時25分着(所要13時間35分)、急行『きたぐに』が青森12時55分発大阪翌日8時27分着(所要時間19時間32分)でした。
乗り通したことあるけどマジでしんどかった。半分闇夜を走るだけだし。
オイラも乗った経験ありますが、疲れました。しか覚えていません。
急行八甲田か懐しいな。下り青森行には結構乗ったなぁ。青森に着く頃には尻が痛く成った。
急行八甲田、当方は帰省Uターンで、上野行臨時の八甲田に乗ったが、あの席ではなかなか寝られなかったね。
当時の主要駅はこんな感じが多かった。今見ると古臭いですが、お客さんも多く、活気はありましたね。
こういう人たちはどこへ消えたのか………
まだHQ方式のVHSビデオを導入する前でしたので、画像がイマイチなのが残念です。
こういうドキュメンタリーを再放送してくれるとありがたいのですが…。
感謝!!!
こんな素晴らしい動画を令和の時代に見れるとは・・・・旧客列車が津軽線の定期列車として走っていたシーン(5:20ごろ)も実に興味深い。
画像に出てくる津軽線の列車、青森5時13分発で、途中は奥内・蓬田のみ停車し、蟹田5時49分着の休日運休列車です。数日前に、ヤフオクで買った日本交通公社発行1984年9月号大型時刻表の津軽線のページから。
583系、485系、12系・・・
国鉄のの近代化に貢献した車両が特急や急行で幅を利かせていた時代ですね。
その一方で地方路線の各停にはまだ旧客が残っているのも興味深い
当時の人が北海道新幹線の開業をきいたらどう思うだろうか
国鉄時代は数年しか記憶にないけど
確かにこんな感じだったな
東北新幹線が初めて開通(最初は、大宮盛岡間)して約1年後の青森駅ですね。盛岡から乗り換えの「はつかり」が増発され、青森と東京の所要時間が大分短縮されたとはいえ、青森から首都圏までは当時、まだまだ遠かった。
5:35 津軽線の車両は旧客(いわゆるレトロ風)だったんだね…😯
今は🚋701系(青森~蟹田)と🚞キハ40系&キハ48系(蟹田~三厩)だけど😌
懐かしいです。
青森駅の連絡船待合室。涙ものですね。
0時くらいの連絡船に函館で乗船し大阪行き白鳥をよく利用しました。
八甲田も懐かしい。
懐かしい
今ではこのような光景は見れないからこのような貴重な映像は永遠に残すべき
青森駅は改築しているがため今はこの駅は見れない。
当時は賑わいがあり活気もありよかった。
当時の演歌などの歌謡曲で
こういった光景をモチーフに
曲が作られるのも、これを見れば納得。
鉄道員も旅客も街の人達も
みんなが主役。
歌います
個人的に思い入れが深いのは、急行八甲田&津軽ですね。関東出身の某大学生の、貴重な帰省列車でした。新幹線?まだ実感わかないなぁ。時代の流れ、ですか・・・
この放送から数年後に、親の転勤で青森に住んでいた事があり、
青森に関わる全ての、夜行急行、特急、寝台特急に乗れました。非常に幸運で幸せでした。
駅に到着した時の、駅名のアナウンス、切符の鋏の音が懐かしい。
当時は無かった青森中央大橋あたりの、信号所でずっと車両を眺めていた。あの時が蘇る・・・
😊 媠ロルラ蠡ららララら
北海道新幹線はJR北海道、津軽線はJR東日本という訳で並行在来線にはならず、今のところ廃止の予定は無いようです。
昭和51年3月、当時高校生だった私は、大阪行白鳥の窓から上野行はつかり1号を見ていたことを思い出しました。急行十和田で渡道、ニセコ、からまつ、オロハネ10連結の利尻、大雪なども乗れたのが想い出です。
私の伯父が長年青森駅に勤めておりました。定年退職後は第三セクターの青い森鉄道に出向しているようですが、現在も青森駅に勤務しております。
国鉄時代の話を聞く機会があれば一度この映像の頃のことを聞いてみたいものです。
良い出向ですね?わたしは、行きたくない出向で、辞めたい!
@@佐藤久雄-r8rさん頑張ってください
仕事をやりぬいてください
小野寺ふみさんご存命であれば今年で95歳・・・
外国に、引き取られた、連絡船は、お元気ですか?船内や、電車、バス、飛行機も、感覚開けて乗るのは、虚しいです。マスク装着しないと、乗船、乗車出来ないのは、きついと、思う。戦後のDDP噴射の時代だよ〜。
青函連絡船が青森に到着して間もなくの発車ということで、随分と賑わっていた記憶があります。
賑やかだな。青森は今みたいに寂れていないんだろうな
この時代の時間軸の中で生きてみたいなぁ
一度、テレビで見た記憶があります。それと、急行 八甲田号 終点の青森まで乗りましたけど、座席だと流石に疲れましたね。懐かしい思い出です。
青森や北海道へ寝台特急、寝台急行、MOTO TRAIN、利用して行きましたね。
八戸手前で夜が明けてきて八甲田山?を見ながらデッキでタバコ吸っていた良き時代だった。
当直の助役さん、地道な安全作業お疲れさまです。
津軽海峡・冬景色の歌が非常に似合う動画( ´_ゝ`)
💯💯💯❤❤❤👍👍👍