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戦後15年しかたっていないのにここまで発展してたんですね
日本人は優秀ですからね
動画アップありがとうございます。鉄分あふれ過ぎです。ワム80001を初めて見ました!田端のパンプは凄かったです。自分達は、155系から新幹線になってしまいました。残念です。151系で大阪まで乗りたかったです。ずっと時代は下り、181系ときには乗れました。新幹線はモデル線時代の試運転当時、一般人乗車体験に乗せてもらい、子供でしたが、あまりの早さに言葉を失くしました。単線も多い時代で複線工事や電化工事をこれからする時代で、上越線も清水トンネルの単線時代が懐かしいです。国鉄時代の鉄道は面白い夢の世界になりました。昔々、こういう映画は、神田須田町の交通博物館の映画上映で見ることができまして、とても人気がありました。今は、無い交通博物館。子供時代の一日中いて楽しかった思い出です。
ちょんまげ切って明治維新から96年、敗戦から14年でここまでやってしまう日本のパワーに改めて感銘を受けた。まごうことなき世界最先端の鉄道技術。この頃の人達はパワーあるなあ。
ここに映っている大人たちが、殆ど戦争経験者と言うのが信じられない。
20系座席車の車内って写真自体少ないのにカラー映像は貴重すぎる
狭軌というハンデを背負いながらも160キロ出した技術力は素晴らしい。
戦争が終わって、まだ15年。この4年後には新幹線開通。何という時代!この国を本当に誇りに思う。
昭和35年でこの近代化。。凄いですね😮EF58、大好きだったなあ。。永久保存して欲しかった。。
既にモータリゼーションが謳われていたので、鉄道に高速化を求められた時代でもありました。蒸気列車の廃止と最高時速100㎞/h越えの列車の運行を求められた国鉄は欠かさず高性能車の開発を進め、それは客車気動車電車にも同じことを求められたので高速車両として開発された車両がほとんどです。
昭和35年、私の生まれ歳です。テレビがまだまだ白黒の時代に、多分劇場映画も、カラーフィルム!余力のある日本国有鉄道の凄さを感じます。北海道在住ですが、蒸気機関車、寝台客車が数多く北海道に流れて来ていたと記憶してます。青函連絡船に乗り、青森から、ゆうづるで上野、修学旅行に行った時、「電車寝台」に、感動したものです。
私も電車寝台に間に合った世代です。確かに異次元の体験は楽しかったですが、寝れなかったので退屈でもありました。新幹線はあっという間でしたね。
約60年前の映像だから、20代の人は現在80代、30代の人は90代なんですよね
昔の鉄道は夢を運んでいたような気がする。
いい言葉ですね…
日本の発展とともに国の隅々まで鉄道も伸長していた時代ですね。現在のように人口減少や過疎化で特に地方で廃線が進む時代に生きていると、ほんとにこの時代の鉄道が輝いて見えます。
そう、この頃は沢山人々が居て子供も沢山居て日本のどの地域も金が無くても助け合いの精神に溢れ明日がワクワク楽しく輝いて見えた時代だって叔母が言ってました😊
タイムマシンでこの時代に行って、全国鉄道旅行してみたい…
当時を知っている老人ですが、たぶんタバコの煙と不衛生なトイレ(というか便所)にウンザリする、と思います。
列車が到着すると、弁当売りの「弁当いらんかえ~」の声と共に行商売りが窓から荷物を積み込み乗車。列車のなかはタバコの煙でモクモク。座席の下は弁当の空き箱や塵が散らかり放題。隣の座席のオジサンからは痰を切る音 etc
絶対嫌や
4:35 117系より固くて窮屈そうな座席で一晩過ごすのかと思うと。しかもタバコ臭そうだし。「昔の旅行を体験したい」と仰る場合、大抵は最上級クラスを見て言うわけですが、個室どころかA寝台も高嶺の花でした。
もしもボックスでこの時代の車両で現代の路線を走りたい、なら分かる
貴重すぎる映像ばかりでとても見応えがありますね有難うございます
少し視点は違いますがここに映っていた方々が今の日本の繁栄の源を支えて下さったのですね。親御さんに手を引かれている子でさえ間もなく古希を迎える頃。貴重な鉄道映像とともに時代を生きた人々のことを偲んでいます。
新幹線開業直前が一番味のある時代だったかもしれない。
まだ、国労が暴れて居ない時代でしたね。
根府川の橋梁を走るEF58青大将と20系客車の映像を見て、なんだか涙が出てきた。この時代に生まれたかった。
全く同感です。言葉で言い表せないような、胸に熱くこみ上げてくる気持ちを抑えられないです。
旅情を感じます…ね。
さくら号でキリン・アサヒ・サッポロとビールが瓶で売っているのが、最高です。こんな列車で九州に行ったらいいな。
今や、一番速い飛行機が一番安くて、各駅停車の旅が一番贅沢になりましたね。
この時代に缶ビールは無いのですよ(笑)
昭和末期まで、窓際のテーブル縁に「センヌキ」があったな。使う機会はなかった。
@@shir7312昭和35年なら既に朝日麦酒から缶ビールが出てたはず
列車のネーミングを見ていると、この時代がいかに前を向いていたか伝わってきます。
少し後の1964年に登場する東海道新幹線のぞみはその代表例…
のぞみ??
@@ナオキ-r6o そうでしょ?東海道新幹線は昭和39年くらいだし…
かなり若い人なのかな?ちょっと軽く調べてみるといいかもw
@@ナオキ-r6oうん、東海道新幹線の開業は1964年(S39)なのは確かなはず…夢の超特急のぞみ号って…0系は長く製造された為、古い0系を新しい0系で置き換えたのも有名…
在来線で160km/hは技術力がホントにすごいと思います
貴重なカラー映像車体がピカピカ
テレタイプを初めて知りましたが、60年以上前に入力内容によって自動的にポイントが切り替わるシステムがあったことがただただ驚きです。
昔の鉄道を見れる時代になりましたね。
子供の頃ずっと見たいなーと思ってた昭和30年代の動画がオッサンになってから見れるとは思わなかった^ ^
食堂車とかある列車って良いですね
森繁久弥さんやフランキー堺さんの車掌シリーズの映画、、観直そう!!
渥美清さんもわすれないで!
白の詰襟の列車ボーイさん、かっこ良いですね😄
3:22 当時、製造されたばかりの151系つばめ号の美しいこと!
現役を知る世代ではないけど、20系客車は大好き。今の車両は実用一点張りか非現実的な豪華さの二択だけど、20系客車の場合はどちらも上手く両立している。
旧客置き換えに20系客車使えなかったものですかね。車両性能的に言えば100㎞/h以上の高速運行可能な客車であったことを考えると、地方線区の高速化に使える客車としてはピカイチだと思うんですよね。旧客は時速60㎞/h超えるとガタガタ揺れて乗り心地悪くなるし、エアサス台車の20系は旧客なんぞ敵ではない。
特急の冷水機が懐かしい食堂車ってついぞ使ったことなかったけど、一度くらい使ってみたかった
子供の頃、憧れだったものが全部映ってます。20系の寝台個室、食堂車、パーラーカー。グリーン車(当時は二等車?)の肘掛にラジオフォンが付いていたのは知りませんでした。興味深いのがパーラーカーの電話。よく写真で電話しているおじさんが映ってて、詳細を観たかったので感激です。周りの風景も懐かしい。
25:00みんな目が大きく丸いので並ぶとかわいい
153と155の対比が判りやすくて良いアングルですね。
2:28座席の空き状況の装置にはビックリ凄い技術ですね。調べてみたら『マルス』という装置だとわかりました。それとこの頃は黄害が深刻だったでしょう。
線路沿いの家では透明の波板を立てたりしていました。列車速度や風で予想以上の範囲に散らばる事があったらしいです。鉄道側もなるべく迷惑をかけない様に排出管を延長したり、排出口にゴム板を付けていたりしました。けど保線の人や車両保守の人も大変だったろうな。台車にトイレットペーパーのかけらがこびりついていたりしていたので。
@@takana4381 なるほど。まったく知りませんでした。色々と工夫していたのですね。国鉄のすべての車両のトイレにタンクを付けて、し尿処理には莫大な費用がかかりますものね。
華麗な151系もトイレは垂れ流し式1958年の登場時は足回りがグレーでしたが2年後のパーラーカーが登場する頃には黒に変更されてました足回りがグレーでは黄害による汚れが目立ったのでしょう
鉄ヲタじゃないけど見入ってしまった
181系ではなく、151系では・・・1960年なら。それにしてもパーラーカークロ151やパンタ付きのカニ22の勇姿が映像に残っているのは実際見ることが叶わなかったヨンサントウ世代の私にとってはまさに夢の世界ですね。
写ってる人はほぼこの世にいない 15年ん前戦争体験で苦労された 車両のデザインに品がある
当時の東京~九州は大旅行だったんですね それにしてもさくらのヘッドマークがカッコいい✨
私の鉄道への興味は緑一色の特急つばめでした!憧れではなく夢その物でした❗小学校低学年の男子でした❗父に連れられ東京駅の15番線は表現出来ない夢その物です❗
食堂車には一度乗ってみたかったなあ
まさに産まれた年😳この頃の鉄道って最高にかっこええですね🥰少年なった頃の南海こうや号や、近鉄特急、京成スカイライナー、東武きぬ、けごん、西武レッドアローとかも、大好きでした❤女性もこの頃は綺麗かった🥰今は男しか居らんから😓
高速試験列車の走行シーンは凄いですね。動画を早送りで見ているようです。 東海道新幹線が在来線の輸送需要の逼迫という切羽詰まった事情だったのに対して、それ以降の新幹線建設は、輸送力増強よりも速達性に主眼が置かれました。だから並行在来線の廃止という事態になっていくのですね。
9:12~映っている女性の方…。昔そこここに居た、上品できれいなお姉さんの代表例だったと思い出します。昭和は本当に好かったです。あの時代に生まれることができ、本当にツイてました…。あと思うのは、どんなに工業技術が進んでも、私にとってはあの時代の鉄道車両こそが、最高の産物であったと感じます!
Unfortunately I only understand very little Japanese, but even then these videos are amazing to watch! Japanese railways will always be the best!
3:00 理想「将来は切符の発行まで自動で行うことになるでしょう」現実「今の時代、切符の発行は乗客自らが行っています。駅員に出してもらうためには、長い列に並ばなくてはなりません」
これだけ綺麗なカラー映像!
将来は切符の発行まで自動的になるでしょう。当たってます!
それどころか切符も必要無くなりましたね...
食堂車🍴🚄は1回利用したかったですね😢あと、自分の席でタバコ🚬吸ってた映像今じゃ見れないですね
移動時に座りながらタバコを吸える交通手段って、自家用車しかないんじゃないかと思います。(自己所有または愛煙家所有)
平成生まれです。自分の席で景色を見ながらゆっくりタバコを吹かしてみたかったです。
3分辺りから電子計算機(コンピューター)による列車の切符発券のシーン。みどりの窓口の先駆けですが、手書きをしているところをみると当時はまだ完全な電子化では無かったようですね。
昔の電車は、旅をする人の夢も一緒に運び今は、移動手段のような気がします❗
旅行者のスケールが変わりましたからね。新幹線が3分おきに1300人ずつ運んでいる世の中、一人一人に旅情を与えるのは難しいのかも。
大戦直後は復興に百年かかるって言われてたらしい。これがたった15年でこれだもんなぁ。
もうあの手つきでスタンプ押せる駅員さんなんていないだろうなぁ
田町電車区での80系 151系 153系 155系 157系の並びですね。自分が生まれていない時代から活躍していたのですね。自分は153系・155系以外乗車したことありません。157系あまぎ号に乗りたかったなあ。素晴らしい映像です。
この時代に行ってみたい
ほんとそれな
僕もです
こだまの1等車に乗ってみたかった😭
食堂車やパーラーカーなどいまよりも豪華!!
貴重な素晴らしい映像ありがとうございました。
このあと5年くらいが「国鉄」栄華のピークだったんじゃないかな。40年代に入ると、赤字路線問題や労使間の問題などが噴出、国鉄解体・民営化への道を歩んでいく…。
更に、高速道路網の整備とモータリゼーション。
終戦後たったの十五年でこの日常だもんなぁ。やっぱり凄いぜ日本人。😁
160km/hの試験のときの踏切が「止まれ見よ」とは 👀
俺はこの時にはまだ生まれてなかったけど、昭和の時代の国鉄ってのはマジでひどかったぞ。駅員の態度は横柄、ホームにはガムの噛みカスや吸い殻が散乱、汚い音をたてて痰を吐くオヤジなんかもゴロゴロいた。あの時代に比べれば、日本人の民度は本当に向上したんだと実感する。
20系などの洗面所にはたんつぼがありましたよね。
駅のプラットフォームに痰壷あったよねぇ
東海道新幹線が昭和34年着工って、5年で作ったのか。
部分的なら、弾丸列車計画で戦時中から始まってます。半ば強引に土地を接収できたので、反民主的ですけどよかったのかもしれません。
@@bzq14555ify なるほど。今のリニアとかは建設以外にややこしいから時間がかかるんですね。
令和になってこの動画を見るとこんな時代もあったんだと懐かしく感じます
素晴らしいのは、当時最先端の電車特急つばめ号、今は保存車両もなく、写真でしか見たことのないクロ151(パーラーカー)の車内を紹介するカラー動画!?しかもこの時代に座席へ列車ボーイが電話機を持って来て、移動中の列車内から通話までできた!(通話範囲は東京〜大阪の沿線付近、しかも交換台の事前申し込みが必要、回線が通じたらボーイが運んできたらしい。)まさに、携帯電話の先祖というか、元祖。まだこの時代、携帯どころか固定電話が無い家が普通にありましたから。
固定電話も長距離通話は交換台への申込が必要でしたね。相手に繋がるまで1時間とかかかってました。
黒澤明の映画「天国と地獄」(昭和38年)で誘拐犯が身代金受け渡しの際に使用したのがこの列車電話でした。原作(エドマクベインの「キングの身代金」)では自動車電話だったのですが、日本になかったので特急こだま号の列車電話が使われました。ようやく特急列車の窓が開かない事は知られる様になりましたが、洗面所の窓が僅かに開くことが盲点だった様で密室の列車から身代金を受け渡すと言うシーンが見どころでもありました。
小学生の時、東京の親戚に会うため何度か、さくら号に乗りました。食堂車が付いており、珍しかった。ブルーの車体がカッコよかったのを覚えています。
実家が佐世保だったから特急さくら号は良く乗った、昭和44年高校卒業して上京したのもさくら号だった16時30分発―翌朝11時30分着、朝の7時に寝台をかたずけられる。晩年のさくらは博多から自由席になってトイレに行ってる間に自分の席がなくなって3人掛けの所に4人座ったことがあった。
この発展って奇跡だと思う。
子供の頃筑豊本線によく乗ってたけど、蒸気機関車が来たらガッカリしてた。ディーゼルだと嬉しかった。今なら絶対蒸気機関車がいいけどね🚂
DF50、今で言うハイブリッドですね‼️今日のハイブリッドカーの礎は、すでにこの頃に具現化されていたと言うのがオドロキです‼️
この時代は大馬力エンジンに対応できる変速機がまだ無かったから、ディーゼルで大出力のものを作るにはこれしか方法がなかった。この後DD51が出てきたのは、大馬力対応の液体変速機が実用化できたため。
未来が本当に輝いていた時代。紙テープの出力データは、ウルトラ警備隊の通信でも使われていた。自分が小学生の頃は、未だコピーは青焼きで、印刷もガリ版だった。
国電…今となっては懐かしい言葉。
E電ありますよ。
@@高橋邦彦-f3l E電って見掛けないのですが…あるところには有るのでしょうか。
@@くろぶん今日も街を走ルンです
戦後からわずか15年なのに、鉄道に限って言えば今よりうんと裕福に見えるよね…。ここにまだ開通してない新幹線も加わるんだぜ?凄いよ。
昭和35年制作と云う事は戦後15年····終戦時20歳前後の方が30〜40歳位の時代····その方々が社会の中堅中枢を担われていた時代もちろん「兵隊さん」の厳しい経験をされた方もおられる事でしょう戦前の敎育を受けられた方達の「キチッとされている感」!素晴らしく気高く見えます!!戦後の「民主」敎育を受けてしまった世代の人達と、同じ日本人とはとても思えません「感謝」の言葉しか思い浮かびません
外国ばかり目を向けるのもいいが、国内の良いところにも再び日本人が戻ってくれればいいのにな。こんな時期だから、国内の鉄道を盛り上げたいね~。
戦後15年で、有り得ない発展です。国債を大量に発行して、市中に潤沢に資金を投入した成果なのだと思います。それにしても、どれも恐ろしく貴重な映像ばかりです。アップありがとうございました。
喫煙席が当たり前の時代でしたね。
「嫌煙権訴訟」が起こされ、裁判中に国鉄は禁煙車を作りましたね。(禁煙車を作った点が評価されて、国鉄が勝訴しました。原告の市民団体は「裁判は敗訴したが禁煙車創設という点では勝った」そうで、控訴していません)
いい映像だね!昭和33年生まれです。
喫煙者に優しい時代w憧れるわ〜
今のJR東日本は完全分煙だよねw
喫煙者がだいたい20歳以上の7割超えてた時代ですからね。
丸いベンチレータがズラリと並ぶ通勤電車の屋根、美しいなぁ車内はさぞ灼熱地獄なんだろうけど
日本国有鉄道・・・・最高だった
Love from India to Japan
カラー映像は、貴重ですね
戦争を超えて我々の先祖は頑張った。今の礎を支えてるのは先人の努力。先祖に感謝ですわ。
食堂車は羨ましいな
ビュッフェでもよいので食べたいです。モハシ。
今と違ってこの頃は発展しつつ心のゆとりもありましたね。いい顔してますよね。
今とは全く逆の環境を思わせるクーラーなしの屋根。その代わり窓は開けられる。現在は冷暖房はあ足り前。逆に窓は全開できない。またははめ殺しの固定ガラス窓。
梅田の貨物駅のシーン、現役バリバリすぎで貨車や荷物、フォークリフトが映画のセットみたい。
永久保存お願いします。
懐かしいですね!昔の車両は。さくらとつばめは。私も乗ってみたかったデスネ!🤓
こだまの一等席の雰囲気が良いな。
まさに、当時のパーラーカーは庶民には全く無縁の富裕層のサロン空間で、現在の貨幣価値でいうと東京〜大阪間、カシオペアスイート貸切で片道10万円支払うような破格の旅行だったそうです。まだまだ貧乏な日本人。特急こだまどころか、準急ながら、東海の3等が普通。急行なにわ、銀河辺りで良い方だったのに。これから10年も経たずに新幹線の時代になるとは…。高度経済成長の凄さですね。
普通の一等席は今のグリーン車と同じ。これはそれより格上の席です。
当時はこだま号はエース的名称だったんだね。
通勤車両の基本的なコンセプトってこの時代にできたものなんだな。その後ほとんど変わってない
どんだけ新技術投入されたと思ってるんだ。変わってない訳ないだろ
厳密に言うと戦前です。工場通勤者の輸送のため通勤用電車が開発されました。20mの大型車に片側4枚扉、座席はオールロングシート。編成の両端に運転台。
外側と椅子だけだろ。これが基本的なコンセプトなのか?
@@user-big-motion 4扉両開きドアは既にこの頃にあったし、裾絞り電車も既にこの頃には既にあった。VVVFインバーター制御みたいな床下機器は除き、基本コンセプトはJRの車両は国鉄時代から変っていない。そんな機器類まで含めたら基本なんて変わって当然だよ。
この頃と圧倒的に違う所は、通勤型電車が裾絞りを使うようになったことかな。JRから
この頃から人工頭脳って有ったんだー!
4:20 まさかのカニパン列車。
いい時代ですね✨
この時代に生きた人が羨ましい
9:55 令和じゃ電車内でここまでガッツリと食事はしないよね、この時代ならでは
ピカピカの151こだまに20系さくら私が初めて20系寝台乗った1970年後半はすでに色褪せ幅52cmしかないB寝台車でした。ただ食堂車が連結されてましたので夜と朝に食事が出来たのが良かったですね
3:00将来は切符の発行まで自動的に行えるようになることになるでしょう!正にそうなりました!今やネットで買える時代です!
いえいえ。きっぷが無くなりました😊。普通列車は交通系ICカード、新幹線はEX予約。
みどりの券売機によって自動的に発行できますが時期により駅員が付き添っています。まだまだですね。
産まれた年です!びっくり❗
24:35これはダメ!映像の再生速度を上げて、走行速度のサバを読んでます。いくら国鉄でもイカサマ映像で騙したらあかんよ。最高速度163km/hの場合で45.3m/s、つまり1秒間で約45m進みます。一方、高速度試験車6輌編成の車両長さは約125m。つまり、163km/hで6輌編成が通過するのに本来かかる時間は【約2.75秒】です。にもかかわらず、24:35からの通過映像は約2秒で6輌編成が通過しており、これは計算上約225km/hの速度が出ていることになりますからね。国鉄も、速度感に慣れていない視聴者は見慣れない速さに気付かないだろうと思って、疾走感を誇張する目的で編集したんでしょうか?正当な速度の走行映像も中には確かにありますが、明らかに速度に違和感を覚えたので計算してみた結果がこれでした。
日本が一番元気だったころだなあ・・・今はなんなんだろうか。よく知らんけど
生まれていないので知らないが、地獄だったんやなぁ~
戦後15年しかたっていないのにここまで発展してたんですね
日本人は優秀ですからね
動画アップありがとうございます。鉄分あふれ過ぎです。
ワム80001を初めて見ました!
田端のパンプは凄かったです。
自分達は、155系から新幹線になってしまいました。残念です。151系で大阪まで乗りたかったです。ずっと時代は下り、
181系ときには乗れました。
新幹線はモデル線時代の試運転当時、一般人乗車体験に乗せてもらい、子供でしたが、あまりの早さに言葉を失くしました。
単線も多い時代で複線工事や電化工事をこれからする時代で、上越線も清水トンネルの単線時代が懐かしいです。
国鉄時代の鉄道は面白い夢の世界になりました。
昔々、こういう映画は、神田須田町の交通博物館の映画上映で見ることができまして、とても人気がありました。今は、無い交通博物館。子供時代の一日中いて楽しかった思い出です。
ちょんまげ切って明治維新から96年、敗戦から14年でここまでやってしまう日本のパワーに改めて感銘を受けた。まごうことなき世界最先端の鉄道技術。この頃の人達はパワーあるなあ。
ここに映っている大人たちが、殆ど戦争経験者と言うのが信じられない。
20系座席車の車内って写真自体少ないのにカラー映像は貴重すぎる
狭軌というハンデを背負いながらも160キロ出した技術力は素晴らしい。
戦争が終わって、まだ15年。この4年後には新幹線開通。何という時代!この国を本当に誇りに思う。
昭和35年でこの近代化。。凄いですね😮
EF58、大好きだったなあ。。永久保存して欲しかった。。
既にモータリゼーションが謳われていたので、鉄道に高速化を求められた時代でもありました。蒸気列車の廃止と最高時速100㎞/h越えの列車の運行を求められた国鉄は欠かさず高性能車の開発を進め、それは客車気動車電車にも同じことを求められたので高速車両として開発された車両がほとんどです。
昭和35年、私の生まれ歳です。テレビがまだまだ白黒の時代に、多分劇場映画も、カラーフィルム!余力のある日本国有鉄道の凄さを感じます。北海道在住ですが、蒸気機関車、寝台客車が数多く北海道に流れて来ていたと記憶してます。青函連絡船に乗り、青森から、ゆうづるで上野、修学旅行に行った時、「電車寝台」に、感動したものです。
私も電車寝台に間に合った世代です。確かに異次元の体験は楽しかったですが、寝れなかったので退屈でもありました。
新幹線はあっという間でしたね。
約60年前の映像だから、20代の人は現在80代、30代の人は90代なんですよね
昔の鉄道は夢を運んでいたような気がする。
いい言葉ですね…
日本の発展とともに国の隅々まで鉄道も伸長していた時代ですね。
現在のように人口減少や過疎化で特に地方で廃線が進む時代に生きていると、ほんとにこの時代の鉄道が輝いて見えます。
そう、この頃は沢山人々が居て子供も沢山居て日本のどの地域も金が無くても助け合いの精神に溢れ明日がワクワク楽しく輝いて見えた時代だって叔母が言ってました😊
タイムマシンでこの時代に行って、全国鉄道旅行してみたい…
当時を知っている老人ですが、たぶんタバコの煙と不衛生なトイレ(というか便所)にウンザリする、と思います。
列車が到着すると、弁当売りの「弁当いらんかえ~」の声と共に行商売りが窓から荷物を積み込み乗車。列車のなかはタバコの煙でモクモク。座席の下は弁当の空き箱や塵が散らかり放題。隣の座席のオジサンからは痰を切る音 etc
絶対嫌や
4:35 117系より固くて窮屈そうな座席で一晩過ごすのかと思うと。しかもタバコ臭そうだし。
「昔の旅行を体験したい」と仰る場合、大抵は最上級クラスを見て言うわけですが、個室どころかA寝台も高嶺の花でした。
もしもボックスでこの時代の車両で現代の路線を走りたい、なら分かる
貴重すぎる映像ばかりでとても見応えがありますね
有難うございます
少し視点は違いますがここに映っていた方々が今の日本の繁栄の源を支えて下さったのですね。
親御さんに手を引かれている子でさえ間もなく古希を迎える頃。
貴重な鉄道映像とともに時代を生きた人々のことを偲んでいます。
新幹線開業直前が一番味のある時代だったかもしれない。
まだ、国労が暴れて居ない時代でしたね。
根府川の橋梁を走るEF58青大将と20系客車の映像を見て、なんだか涙が出てきた。この時代に生まれたかった。
全く同感です。言葉で言い表せないような、胸に熱くこみ上げてくる気持ちを抑えられないです。
旅情を感じます…ね。
さくら号でキリン・アサヒ・サッポロとビールが瓶で売っているのが、最高です。こんな列車で九州に行ったらいいな。
今や、一番速い飛行機が一番安くて、各駅停車の旅が一番贅沢になりましたね。
この時代に缶ビールは無いのですよ(笑)
昭和末期まで、窓際のテーブル縁に「センヌキ」があったな。使う機会はなかった。
@@shir7312昭和35年なら既に朝日麦酒から缶ビールが出てたはず
列車のネーミングを見ていると、この時代がいかに前を向いていたか伝わってきます。
少し後の1964年に登場する東海道新幹線のぞみはその代表例…
のぞみ??
@@ナオキ-r6o そうでしょ?
東海道新幹線は昭和39年くらいだし…
かなり若い人なのかな?
ちょっと軽く調べてみるといいかもw
@@ナオキ-r6oうん、東海道新幹線の開業は1964年(S39)なのは確かなはず…
夢の超特急のぞみ号って…
0系は長く製造された為、古い0系を新しい0系で置き換えたのも有名…
在来線で160km/hは技術力がホントにすごいと思います
貴重なカラー映像
車体がピカピカ
テレタイプを初めて知りましたが、60年以上前に入力内容によって自動的にポイントが切り替わるシステムがあったことがただただ驚きです。
昔の鉄道を見れる時代になりましたね。
子供の頃ずっと見たいなーと思ってた昭和30年代の動画がオッサンになってから見れるとは思わなかった^ ^
食堂車とかある列車って良いですね
森繁久弥さんやフランキー堺さんの車掌シリーズの映画、、観直そう!!
渥美清さんもわすれないで!
白の詰襟の列車ボーイさん、かっこ良いですね😄
3:22 当時、製造されたばかりの151系つばめ号の美しいこと!
現役を知る世代ではないけど、
20系客車は大好き。
今の車両は実用一点張りか
非現実的な豪華さの二択だけど、
20系客車の場合は
どちらも上手く両立している。
旧客置き換えに20系客車使えなかったものですかね。車両性能的に言えば100㎞/h以上の高速運行可能な客車であったことを考えると、地方線区の高速化に使える客車としてはピカイチだと思うんですよね。旧客は時速60㎞/h超えるとガタガタ揺れて乗り心地悪くなるし、エアサス台車の20系は旧客なんぞ敵ではない。
特急の冷水機が懐かしい
食堂車ってついぞ使ったことなかったけど、一度くらい使ってみたかった
子供の頃、憧れだったものが全部映ってます。20系の寝台個室、食堂車、パーラーカー。グリーン車(当時は二等車?)の肘掛にラジオフォンが付いていたのは知りませんでした。興味深いのがパーラーカーの電話。よく写真で電話しているおじさんが映ってて、詳細を観たかったので感激です。周りの風景も懐かしい。
25:00
みんな目が大きく丸いので並ぶとかわいい
153と155の対比が判りやすくて良いアングルですね。
2:28座席の空き状況の装置にはビックリ凄い技術ですね。調べてみたら『マルス』という装置だとわかりました。それとこの頃は黄害が深刻だったでしょう。
線路沿いの家では透明の波板を立てたりしていました。列車速度や風で予想以上の範囲に散らばる事があったらしいです。鉄道側もなるべく迷惑をかけない様に排出管を延長したり、排出口にゴム板を付けていたりしました。けど保線の人や車両保守の人も大変だったろうな。台車にトイレットペーパーのかけらがこびりついていたりしていたので。
@@takana4381 なるほど。まったく知りませんでした。色々と工夫していたのですね。国鉄のすべての車両のトイレにタンクを付けて、し尿処理には莫大な費用がかかりますものね。
華麗な151系もトイレは垂れ流し式
1958年の登場時は足回りがグレーでしたが2年後のパーラーカーが登場する頃には黒に変更されてました
足回りがグレーでは黄害による汚れが目立ったのでしょう
鉄ヲタじゃないけど見入ってしまった
181系ではなく、151系では・・・1960年なら。
それにしてもパーラーカークロ151やパンタ付きのカニ22の勇姿が映像に残っているのは実際見ることが叶わなかったヨンサントウ世代の私にとってはまさに夢の世界ですね。
写ってる人はほぼこの世にいない 15年ん前戦争体験で苦労された 車両のデザインに品がある
当時の東京~九州は大旅行だったんですね それにしてもさくらのヘッドマークがカッコいい✨
私の鉄道への興味は緑一色の特急つばめでした!憧れではなく夢その物でした❗小学校低学年の男子でした❗父に連れられ東京駅の15番線は表現出来ない夢その物です❗
食堂車には一度乗ってみたかったなあ
まさに産まれた年😳この頃の鉄道って最高にかっこええですね🥰少年なった頃の南海こうや号や、近鉄特急、京成スカイライナー、東武きぬ、けごん、西武レッドアローとかも、大好きでした❤女性もこの頃は綺麗かった🥰今は男しか居らんから😓
高速試験列車の走行シーンは凄いですね。動画を早送りで見ているようです。 東海道新幹線が在来線の輸送需要の逼迫という切羽詰まった事情だったのに対して、それ以降の新幹線建設は、輸送力増強よりも速達性に主眼が置かれました。だから並行在来線の廃止という事態になっていくのですね。
9:12~映っている女性の方…。昔そこここに居た、上品できれいなお姉さんの代表例だったと思い出します。昭和は本当に好かったです。あの時代に生まれることができ、本当にツイてました…。あと思うのは、どんなに工業技術が進んでも、私にとってはあの時代の鉄道車両こそが、最高の産物であったと感じます!
Unfortunately I only understand very little Japanese, but even then these videos are amazing to watch! Japanese railways will always be the best!
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理想「将来は切符の発行まで自動で行うことになるでしょう」
現実「今の時代、切符の発行は乗客自らが行っています。駅員に出してもらうためには、長い列に並ばなくてはなりません」
これだけ綺麗なカラー映像!
将来は切符の発行まで自動的になるでしょう。当たってます!
それどころか切符も必要無くなりましたね...
食堂車🍴🚄は1回利用したかったですね😢
あと、自分の席でタバコ🚬吸ってた映像今じゃ見れないですね
移動時に座りながらタバコを吸える交通手段って、自家用車しかないんじゃないかと思います。
(自己所有または愛煙家所有)
平成生まれです。
自分の席で景色を見ながらゆっくりタバコを吹かしてみたかったです。
3分辺りから電子計算機(コンピューター)による列車の切符発券のシーン。みどりの窓口の先駆けですが、手書きをしているところをみると当時はまだ完全な電子化では無かったようですね。
昔の電車は、旅をする人の夢も一緒に運び
今は、移動手段のような気がします❗
旅行者のスケールが変わりましたからね。
新幹線が3分おきに1300人ずつ運んでいる世の中、一人一人に旅情を与えるのは難しいのかも。
大戦直後は復興に百年かかるって言われてたらしい。これがたった15年でこれだもんなぁ。
もうあの手つきでスタンプ押せる駅員さんなんていないだろうなぁ
田町電車区での80系 151系 153系 155系 157系の並びですね。
自分が生まれていない時代から活躍していたのですね。
自分は153系・155系以外乗車したことありません。157系あまぎ号に乗りたかったなあ。
素晴らしい映像です。
この時代に行ってみたい
ほんとそれな
僕もです
こだまの1等車に乗ってみたかった😭
食堂車やパーラーカーなどいまよりも豪華!!
貴重な素晴らしい映像ありがとうございました。
このあと5年くらいが「国鉄」栄華のピークだったんじゃないかな。
40年代に入ると、赤字路線問題や労使間の問題などが噴出、国鉄解体・民営化への道を歩んでいく…。
更に、高速道路網の整備とモータリゼーション。
終戦後たったの十五年でこの日常だもんなぁ。やっぱり凄いぜ日本人。😁
160km/hの試験のときの踏切が「止まれ見よ」とは 👀
俺はこの時にはまだ生まれてなかったけど、昭和の時代の国鉄ってのはマジでひどかったぞ。駅員の態度は横柄、ホームにはガムの噛みカスや吸い殻が散乱、汚い音をたてて痰を吐くオヤジなんかもゴロゴロいた。
あの時代に比べれば、日本人の民度は本当に向上したんだと実感する。
20系などの洗面所にはたんつぼがありましたよね。
駅のプラットフォームに痰壷あったよねぇ
東海道新幹線が昭和34年着工って、5年で作ったのか。
部分的なら、弾丸列車計画で戦時中から始まってます。
半ば強引に土地を接収できたので、反民主的ですけどよかったのかもしれません。
@@bzq14555ify なるほど。今のリニアとかは建設以外にややこしいから時間がかかるんですね。
令和になってこの動画を見るとこんな時代もあったんだと懐かしく感じます
素晴らしいのは、当時最先端の電車特急つばめ号、今は保存車両もなく、写真でしか見たことのないクロ151(パーラーカー)の車内を紹介するカラー動画!?しかもこの時代に座席へ列車ボーイが電話機を持って来て、移動中の列車内から通話までできた!(通話範囲は東京〜大阪の沿線付近、しかも交換台の事前申し込みが必要、回線が通じたらボーイが運んできたらしい。)まさに、携帯電話の先祖というか、元祖。
まだこの時代、携帯どころか固定電話が無い家が普通にありましたから。
固定電話も長距離通話は交換台への申込が必要でしたね。相手に繋がるまで1時間とかかかってました。
黒澤明の映画「天国と地獄」(昭和38年)で誘拐犯が身代金受け渡しの際に使用したのがこの列車電話でした。原作(エドマクベインの「キングの身代金」)では自動車電話だったのですが、日本になかったので特急こだま号の列車電話が使われました。
ようやく特急列車の窓が開かない事は知られる様になりましたが、洗面所の窓が僅かに開くことが盲点だった様で密室の列車から身代金を受け渡すと言うシーンが見どころでもありました。
小学生の時、東京の親戚に会うため何度か、さくら号に乗りました。
食堂車が付いており、珍しかった。ブルーの車体がカッコよかったのを覚えています。
実家が佐世保だったから特急さくら号は良く乗った、昭和44年高校卒業して上京したのもさくら号だった16時30分発―翌朝11時30分着、朝の7時に寝台をかたずけられる。晩年のさくらは博多から自由席になってトイレに行ってる間に自分の席がなくなって3人掛けの所に4人座ったことがあった。
この発展って奇跡だと思う。
子供の頃筑豊本線によく乗ってたけど、蒸気機関車が来たらガッカリしてた。ディーゼルだと嬉しかった。
今なら絶対蒸気機関車がいいけどね🚂
DF50、今で言うハイブリッドですね‼️
今日のハイブリッドカーの礎は、すでにこの頃に具現化されていたと言うのがオドロキです‼️
この時代は大馬力エンジンに対応できる変速機がまだ無かったから、ディーゼルで大出力のものを作るにはこれしか方法がなかった。この後DD51が出てきたのは、大馬力対応の液体変速機が実用化できたため。
未来が本当に輝いていた時代。
紙テープの出力データは、ウルトラ警備隊の通信でも使われていた。
自分が小学生の頃は、未だコピーは青焼きで、印刷もガリ版だった。
国電…今となっては懐かしい言葉。
E電ありますよ。
@@高橋邦彦-f3l E電って見掛けないのですが…あるところには有るのでしょうか。
@@くろぶん今日も街を走ルンです
戦後からわずか15年なのに、鉄道に限って言えば今よりうんと裕福に見えるよね…。ここにまだ開通してない新幹線も加わるんだぜ?凄いよ。
昭和35年制作と云う事は戦後15年····
終戦時20歳前後の方が30〜40歳位の時代····
その方々が社会の中堅中枢を担われていた時代
もちろん「兵隊さん」の厳しい経験をされた方もおられる事でしょう
戦前の敎育を受けられた方達の「キチッとされている感」!素晴らしく気高く見えます!!
戦後の「民主」敎育を受けてしまった世代の人達と、同じ日本人とはとても思えません
「感謝」の言葉しか思い浮かびません
外国ばかり目を向けるのもいいが、国内の良いところにも再び日本人が戻ってくれればいいのにな。こんな時期だから、国内の鉄道を盛り上げたいね~。
戦後15年で、有り得ない発展です。
国債を大量に発行して、市中に潤沢に資金を投入した成果なのだと思います。
それにしても、どれも恐ろしく貴重な映像ばかりです。
アップありがとうございました。
喫煙席が当たり前の時代でしたね。
「嫌煙権訴訟」が起こされ、裁判中に国鉄は禁煙車を作りましたね。
(禁煙車を作った点が評価されて、国鉄が勝訴しました。原告の市民団体は「裁判は敗訴したが禁煙車創設という点では勝った」そうで、控訴していません)
いい映像だね!昭和33年生まれです。
喫煙者に優しい時代w
憧れるわ〜
今のJR東日本は完全分煙だよねw
喫煙者がだいたい20歳以上の7割超えてた時代ですからね。
丸いベンチレータがズラリと並ぶ通勤電車の屋根、美しいなぁ
車内はさぞ灼熱地獄なんだろうけど
日本国有鉄道・・・・最高だった
Love from India to Japan
カラー映像は、貴重ですね
戦争を超えて我々の先祖は頑張った。今の礎を支えてるのは先人の努力。
先祖に感謝ですわ。
食堂車は羨ましいな
ビュッフェでもよいので食べたいです。モハシ。
今と違ってこの頃は発展しつつ心のゆとりもありましたね。いい顔してますよね。
今とは全く逆の環境を思わせるクーラーなしの屋根。その代わり窓は開けられる。
現在は冷暖房はあ足り前。逆に窓は全開できない。またははめ殺しの固定ガラス窓。
梅田の貨物駅のシーン、現役バリバリすぎで貨車や荷物、フォークリフトが映画のセットみたい。
永久保存お願いします。
懐かしいですね!昔の車両は。さくらとつばめは。私も乗ってみたかったデスネ!🤓
こだまの一等席の雰囲気が良いな。
まさに、当時のパーラーカーは庶民には全く無縁の富裕層のサロン空間で、現在の貨幣価値でいうと東京〜大阪間、カシオペアスイート貸切で片道10万円支払うような破格の旅行だったそうです。まだまだ貧乏な日本人。特急こだまどころか、準急ながら、東海の3等が普通。急行なにわ、銀河辺りで良い方だったのに。
これから10年も経たずに新幹線の時代になるとは…。高度経済成長の凄さですね。
普通の一等席は今のグリーン車と同じ。
これはそれより格上の席です。
当時はこだま号はエース的名称だったんだね。
通勤車両の基本的なコンセプトってこの時代にできたものなんだな。その後ほとんど変わってない
どんだけ新技術投入されたと思ってるんだ。変わってない訳ないだろ
厳密に言うと戦前です。工場通勤者の輸送のため通勤用電車が開発されました。
20mの大型車に片側4枚扉、座席はオールロングシート。編成の両端に運転台。
外側と椅子だけだろ。これが基本的なコンセプトなのか?
@@user-big-motion 4扉両開きドアは既にこの頃にあったし、裾絞り電車も既にこの頃には既にあった。VVVFインバーター制御みたいな床下機器は除き、基本コンセプトはJRの車両は国鉄時代から変っていない。そんな機器類まで含めたら基本なんて変わって当然だよ。
この頃と圧倒的に違う所は、通勤型電車が裾絞りを使うようになったことかな。JRから
この頃から人工頭脳って有ったんだー!
4:20 まさかのカニパン列車。
いい時代ですね✨
この時代に生きた人が羨ましい
9:55 令和じゃ電車内でここまでガッツリと食事はしないよね、この時代ならでは
ピカピカの151こだまに20系さくら
私が初めて20系寝台乗った1970年後半は
すでに色褪せ幅52cmしかないB寝台車でした。
ただ食堂車が連結されてましたので夜と朝に
食事が出来たのが良かったですね
3:00将来は切符の発行まで自動的に行えるようになることになるでしょう!
正にそうなりました!
今やネットで買える時代です!
いえいえ。きっぷが無くなりました😊。
普通列車は交通系ICカード、新幹線はEX予約。
みどりの券売機によって自動的に発行できますが時期により駅員が付き添っています。まだまだですね。
産まれた年です!びっくり❗
24:35
これはダメ!
映像の再生速度を上げて、走行速度のサバを読んでます。いくら国鉄でもイカサマ映像で騙したらあかんよ。
最高速度163km/hの場合で45.3m/s、つまり1秒間で約45m進みます。
一方、高速度試験車6輌編成の車両長さは約125m。
つまり、163km/hで6輌編成が通過するのに本来かかる時間は【約2.75秒】です。
にもかかわらず、24:35からの通過映像は約2秒で6輌編成が通過しており、これは計算上約225km/hの速度が出ていることになりますからね。
国鉄も、速度感に慣れていない視聴者は見慣れない速さに気付かないだろうと思って、疾走感を誇張する目的で編集したんでしょうか?
正当な速度の走行映像も中には確かにありますが、明らかに速度に違和感を覚えたので計算してみた結果がこれでした。
日本が一番元気だったころだなあ・・・今はなんなんだろうか。よく知らんけど
生まれていないので知らないが、地獄だったんやなぁ~