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昔から自分の中に「個人利益と全体損失」っていう概念があったんだけど、まさにこのことだったんだな。自分だけがいい思いをしたいって人が集まれば結果的に皆が大損してしまう。
今年の診断士の試験にゲーム理論が出たのですが、先生の動画のおかげで正解できました🙌他の動画もかなり参考になりました。このタイミングでTH-camにあげてくださったことに感謝します。本当にありがとうございました。
試験お疲れ様でした。このような形でご報告いただきとてもうれしく思います。経済学・経済政策に科目合格されたら、次に経済学を学びたいと思われるのはかなり先になるかもしれませんが、その際にまた戻ってきていただけるよう、良い授業を少しずつ追加していきたいと思います。
私が思う囚人のジレンマの例は魚の取りすぎについてである。どの漁師も魚を捕れるだけ取ってしまうと魚が少なくなってしまい翌年以降の漁獲量が減ってしまう。みんなが魚を捕る量をセーブすれば、翌年以降にも魚が残る。しかし、自分の利益を上げようとほかの人がたくさん捕ってしまうと自分は損をしてしまう。みんなでセーブすれば翌年以降も魚が捕れてよいのにみんなが自分の利益だけを考えるとたくさん捕ってしまう。それがナッシュ均衡の状態であり、囚人のジレンマに陥ってしまう。
「みんなの囚人のジレンマ」にご参加いただきありがとうございます。囚人のジレンマの良い例になっているかと思います。少し文面を修正して、授業ホームページ上に掲載させていただきます。
とてもすばらしい!いろいろ勉強しました!ありがとうございます!シェアします!
めちゃくちゃわかりやすくて助かりました
私が思う日常的な囚人のジレンマの例は、修学旅行の夜の部屋での恋話である。二人で同時に好きな人を言おう、となった時一方の人だけが言えばもう一方は裏切ったことになり得をする。またお互いが言えばお互い得をする。だが信用がなければお互い言わないような状況になる。
初めての「みんなの囚人のジレンマ」にご参加いただきありがとうございます。甘酸っぱいですが良い例ですね。少し修正を加えた上で、授業ホームページに掲載させていただきました。
これは私の中学・高校時代の経験ですが、私は友達と協力して宿題をするときに囚人のジレンマに陥ることがあると思います。どちらも協力的に宿題をすれば早く終わるにも関わらず、自分だけ楽して相手に任せてしまいたいと考えてしまうことがあると思います。結果的にどちらも楽をしてしまい宿題が終わらなくなってしまうことがあり、これは囚人のジレンマに陥っていることだと思います。
「みんなの囚人のジレンマ」にご参加いただきありがとうございます。確かに囚人のジレンマですね。面白い例だと思います。私も昔を思い出すと、そんなことがあったような気がします。昔のことでなくても、仕事をしていても誰かとある作業を共同で行う際に陥りがちなことではないのかなと思いました。少し補足ですが、友達と協力して宿題をすることは、良いことではないと思います。(もちろん、単に教え合うということなら良いと思います)通常であれば、宿題を写し合うようなことをしてはいけない!と一蹴されるかもしれませんが、経済学では少し考え方が違います。経済学では、学生同士が宿題を写させ合い、楽ができるような状況を作り出せてしまうルール自体に原因があるのではないかと考えます。「じゃあ、宿題のルールをどう変更すればいいんだ!?」と言う人もいるかもしれませんが、それはご自身で考えること。解決策はないかもしれませんし、あるかもしれません。ちなみに、このように宿題を写し合えてしまうという抜け道があるルールのもとで、学生同士が宿題を写し合っている状況は「モラルハザード」が生じていると言います。
@@hajimeyou-keizaigaku なぜ友達と協力して宿題をすることは良い事でないと考えるのですか?ちなみに私も直感的に同意見ですが、説明できません
ご質問ありがとうございます。> なぜ友達と協力して宿題をすることは良い事ではないと考えるのですが?これは投稿していただいた方の文章から、「友達同士で宿題を解いてきたものをお互いに写し合っているような状況」を連想できたからです。もちろん、宿題を共に教え合いながらという意味での協力は良いと思いますよ。この例が囚人のジレンマである理由は、相手が宿題を解いてきても解いてこなくても、自分は宿題を解かないということが、(何人でもいいですが)2人にとって最適反応になっていると考えているからです。少し補足ですが、相手が宿題を解いてきているのに、自分が宿題を解かないのは悪いなぁと強く感じる人がいるのであれば、囚人のジレンマにはなりません。つまり、その人にとっては、相手が宿題と解いてくれた場合には、自分も「宿題を解く」というのが最適反応になるのです。この宿題の協力という状況において、囚人のジレンマとなることのまとめは「はじめよう経済学」のHPの以下のページの「みんなの囚人のジレンマ」という箇所に記載してありますので、よろしければ参考にしてみてください。introduction-to-economics.jp/game-theory/
とても分かりやすいですありがとうございます。:)
讲的实在是太好了!非常感谢!
ライアーゲームに登場する、エデンの園ゲームと同じような仕組みですね!
コメントいただきありがとうございました。このコメントをいただいた時点では、その作品を観ておりませんでしたがようやく観ることができましたので、お返事させていただきます。『ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ』(2010年)に登場する「エデンの園ゲーム」ですね。大変おもしろい内容でした。シンプルなルールだと思いきや、各人の焼き印を集めたり、りんごを焼却できたりと、自由度の高いルールでしたので、ゲーム理論を使って理論的に分析するには極めて難解だと感じました。ただゲームの途中にもあったような、グループを作って多数派を作るといったことは、ゲーム理論の「協力ゲーム」という分野の話になるので、ルールをもう少し簡単化すれば、ゲーム理論を使って何らかの分析が出来るのではないかと思えました。また、「エデンの園ゲーム」はルールは複雑ですが、大枠は囚人のジレンマの例だといっていいと思います。要は、「金か銀のりんごを選ぶ」が裏切るに相当し、「赤いりんごを選ぶ」が裏切らない(黙秘)に相当すると考えれば、ゲームの構造自体は囚人のジレンマに陥るようになっています。ところで、映画の中での第13回戦(最終戦)において、みんなが赤りんごを選び(裏切らなかった)ゲームは終了となりましたが、これはゲーム理論という理論の中ではありえないと感じました。ゲーム理論の中で「有限回繰り返しゲーム」という分野がありますが、特に最終ステージでは皆が裏切ることが知られています。そのため理論的には、第13回戦ではみんなが銀のりんごを選ぶはずなのです。(ただし、ヨコヤに関する50億円の分配について、事前に参加者が知っていれば、もしかすると皆が赤いりんごを選ぶのかもしれません)ともあれ、「エデンの園ゲーム」は理論的には囚人のジレンマに陥るゲームだと言ってよいと感じました。
@@hajimeyou-keizaigaku とても分かりやすい分析ありがとうございます!囚人のジレンマに陥ると予想されるからこそ、主催者全員が赤リンゴが揃わないと予想して破産したんでしょうね...
まさにそういうことでしょうね!こちらこそとても勉強になりました。どうもありがとうございます!また、何かお気づきのことがありましたら、お気軽にコメントいただければうれしいです。
私が中学生の時、部活動での球拾いで囚人のジレンマのようなことが起こりました。1年生全員で球拾いをしていたのですが、誰かひとりが球拾いをさぼりだすと、そのしわ寄せがほかの部員に行くため、だんだんみんな真面目に球拾いをすることをやめるようになりました。しかし、その状況をみかねた顧問の先生が、時間制限を設けて、時間超過した場合はチーム全体に罰走を課したことで、囚人のジレンマは防がれました。
「みんなの囚人のジレンマ」にご参加いただきありがとうございます。ご提示いただいた例は、囚人のジレンマに陥った例と見なしてよいかと思います。ただし、状況によっては囚人のジレンマに陥らないこともあるのではないかと思いました。例えば、部員が20人いて、19人が「真面目に球拾いをする」を選んだ状況のもとで、残りの1人が「真面目に球拾いをする」と「球拾いをサボる」のどちらかを選ぶ際に、その1人にとって「球拾いをサボる」が常に最適反応になるとは限らないと思うからです。なぜなら、1人だけサボれば、19人からの視線が痛いでしょうから、その1人にとっての最適反応は「真面目に球拾いをする」になる可能性も高いのではないかと思うのです。しかし、人は楽な方に流れがちですので、みんながサボるようになることでチームが強くならないといった悪い状況(囚人のジレンマ)に陥ることは一種の普遍的な事柄であるとも思いました。
表を見てナッシュ均衡点の組とパレート最適の組の求め方を説明している動画はありますか?
ご質問いただきありがとうございます。ナッシュ均衡の求め方はこの動画で説明している通りですが、パレート最適については動画では説明していません。代わりに、授業ホームページからダウンロードできる問題集の第15講pp.6-7で説明をしていますので、そちらをご覧ください。
@@hajimeyou-keizaigaku それの見方がわかりません、、
以下のURL(授業ホームページ)から第15講の問題集を確認してみてください。introduction-to-economics.jp/main-content/また、この問題集のp.6とp.7でパレート最適の説明をしていますが、p.7は少し難しいので、まずはp.6の一番下の最後の段落を理解してみてください。この箇所を読んで分からないことがあれば、具体的に「○○のところが分からない」とお書きください。
@@hajimeyou-keizaigaku p6のところは利得表がのっててナッシュ均衡の説明がされてないですか?
p.6のパレート最適の説明は、p.6の上から2つ目の利得表に基づいて説明をしていますよ。ナッシュ均衡の説明はp.5にありますが、説明自体はこの動画で説明していることと同様ですよ。
アイドルのコンサートがあるとして、チケットを買いたい人が買えて、転売するような人が手に入らないのが1番良いが、そのようにはいかないので、チケットが欲しかった人が手に入らなかったから転売されているものを買ってしまう。このような囚人のジレンマは、人気のあるアイドルであればあるほど多発することであると言える。
「みんなの囚人のジレンマ」にご参加いただきありがとうございます。とても面白い例だと思いました。ご提示いただいた内容だと、どういった状況が囚人のジレンマに陥った状況で、プレイヤーを誰と捉えるべきなどの状況設定が曖昧ですので、加筆修正させていただいた上で授業ホームページに載せさせていただきたいと思います。
講演や説明の最後に設けられる質疑応答の時間に、囚人のジレンマに陥ることがあると私は考える。 一人の参加者が登壇者に質問した。それにより、その参加者は、講演の内容を大幅に誤って解釈していたことを、登壇者や他の参加者に知られた。質問をした参加者は、自分の間違いを知ることができたが、非常に恥ずかしい思いをした。一方、質問をしなかった参加者は、自分は注目を集めることも恥をかくこともなく、内容に対する理解を深めることができた。 両者が質問する場合、他者に自分の間違いを知られてしまうものの、お互いが内容に対する理解をより深めることができる。反対に、両者ともに質問しない場合、間違いが他者に明るみになり、恥をかくことはない。
「みんなの囚人のジレンマ」にご参加ありがとうございます。まさに囚人のジレンマの例ですね。授業HPに掲載させていただきました。
冷戦時代にも当てはまるような気がしますアメリカとソ連を例に挙げると、どちらか一国が攻撃を仕掛けると(核で一瞬で国を滅ぼしたとして)、他の同盟国から報復を受けますし、両方が攻撃を仕掛けたとして(こちらも一撃で相手国を壊滅させる威力を持つもの)、国にとって全くメリットがありませんなので結果として睨み合いになります、その為に冷戦と名付けられた訳ですが。(アメリカが勘違いで核ボタンを押しかけたことは何回かありましたけど。)
「みんなの囚人のジレンマ」にご参加いただきありがとうございます。興味深い例ではあるのですが、残念ながら囚人のジレンマの例にはなっていないように思いました。冷戦時代のアメリカとソ連の軍拡競争は、囚人のジレンマの例として挙げられることが多いです。(アメリカもソ連も核弾頭の保有数を増やしていくという結末が囚人のジレンマの例としてよく挙がります)しかし、核のボタンを「押す」か「押さない」かに関して、囚人のジレンマに陥っていると解釈するのは難しいのではないでしょうか。書かれた文章を読ませていただくと、結局、両国とも核のボタンを「押さない」という戦略をとるわけですので、むしろ最悪の状況を回避することができています。両国が最適反応の結果、核のボタンを「押す」という結末になるのであれば囚人のジレンマに陥っていると言えますが、歴史を見ても実際にはそうなっていないですので、核のボタンを「押す」か「押さない」かに関しては、むしろ囚人のジレンマを回避できたと言えるのではないでしょうか。
説明が長すぎ
昔から自分の中に「個人利益と全体損失」っていう概念があったんだけど、まさにこのことだったんだな。
自分だけがいい思いをしたいって人が集まれば結果的に皆が大損してしまう。
今年の診断士の試験にゲーム理論が出たのですが、先生の動画のおかげで正解できました🙌他の動画もかなり参考になりました。このタイミングでTH-camにあげてくださったことに感謝します。本当にありがとうございました。
試験お疲れ様でした。
このような形でご報告いただきとてもうれしく思います。
経済学・経済政策に科目合格されたら、次に経済学を学びたいと思われるのはかなり先になるかもしれませんが、その際にまた戻ってきていただけるよう、良い授業を少しずつ追加していきたいと思います。
私が思う囚人のジレンマの例は魚の取りすぎについてである。どの漁師も魚を捕れるだけ取ってしまうと魚が少なくなってしまい翌年以降の漁獲量が減ってしまう。みんなが魚を捕る量をセーブすれば、翌年以降にも魚が残る。しかし、自分の利益を上げようとほかの人がたくさん捕ってしまうと自分は損をしてしまう。みんなでセーブすれば翌年以降も魚が捕れてよいのにみんなが自分の利益だけを考えるとたくさん捕ってしまう。それがナッシュ均衡の状態であり、囚人のジレンマに陥ってしまう。
「みんなの囚人のジレンマ」にご参加いただきありがとうございます。
囚人のジレンマの良い例になっているかと思います。
少し文面を修正して、授業ホームページ上に掲載させていただきます。
とてもすばらしい!いろいろ勉強しました!ありがとうございます!シェアします!
めちゃくちゃわかりやすくて助かりました
私が思う日常的な囚人のジレンマの例は、修学旅行の夜の部屋での恋話である。二人で同時に好きな人を言おう、となった時一方の人だけが言えばもう一方は裏切ったことになり得をする。またお互いが言えばお互い得をする。だが信用がなければお互い言わないような状況になる。
初めての「みんなの囚人のジレンマ」にご参加いただきありがとうございます。甘酸っぱいですが良い例ですね。少し修正を加えた上で、授業ホームページに掲載させていただきました。
これは私の中学・高校時代の経験ですが、私は友達と協力して宿題をするときに囚人のジレンマに陥ることがあると思います。
どちらも協力的に宿題をすれば早く終わるにも関わらず、自分だけ楽して相手に任せてしまいたいと考えてしまうことがあると思います。結果的にどちらも楽をしてしまい宿題が終わらなくなってしまうことがあり、これは囚人のジレンマに陥っていることだと思います。
「みんなの囚人のジレンマ」にご参加いただきありがとうございます。
確かに囚人のジレンマですね。面白い例だと思います。私も昔を思い出すと、そんなことがあったような気がします。
昔のことでなくても、仕事をしていても誰かとある作業を共同で行う際に陥りがちなことではないのかなと思いました。
少し補足ですが、
友達と協力して宿題をすることは、良いことではないと思います。(もちろん、単に教え合うということなら良いと思います)
通常であれば、宿題を写し合うようなことをしてはいけない!と一蹴されるかもしれませんが、経済学では少し考え方が違います。
経済学では、学生同士が宿題を写させ合い、楽ができるような状況を作り出せてしまうルール自体に原因があるのではないかと考えます。「じゃあ、宿題のルールをどう変更すればいいんだ!?」と言う人もいるかもしれませんが、それはご自身で考えること。解決策はないかもしれませんし、あるかもしれません。
ちなみに、このように宿題を写し合えてしまうという抜け道があるルールのもとで、学生同士が宿題を写し合っている状況は「モラルハザード」が生じていると言います。
@@hajimeyou-keizaigaku なぜ友達と協力して宿題をすることは良い事でないと考えるのですか?
ちなみに私も直感的に同意見ですが、説明できません
ご質問ありがとうございます。
> なぜ友達と協力して宿題をすることは良い事ではないと考えるのですが?
これは投稿していただいた方の文章から、「友達同士で宿題を解いてきたものをお互いに写し合っているような状況」を連想できたからです。もちろん、宿題を共に教え合いながらという意味での協力は良いと思いますよ。
この例が囚人のジレンマである理由は、相手が宿題を解いてきても解いてこなくても、自分は宿題を解かないということが、(何人でもいいですが)2人にとって最適反応になっていると考えているからです。
少し補足ですが、相手が宿題を解いてきているのに、自分が宿題を解かないのは悪いなぁと強く感じる人がいるのであれば、囚人のジレンマにはなりません。つまり、その人にとっては、相手が宿題と解いてくれた場合には、自分も「宿題を解く」というのが最適反応になるのです。
この宿題の協力という状況において、囚人のジレンマとなることのまとめは「はじめよう経済学」のHPの以下のページの「みんなの囚人のジレンマ」という箇所に記載してありますので、よろしければ参考にしてみてください。
introduction-to-economics.jp/game-theory/
とても分かりやすいです
ありがとうございます。:)
讲的实在是太好了!非常感谢!
ライアーゲームに登場する、エデンの園ゲームと同じような仕組みですね!
コメントいただきありがとうございました。
このコメントをいただいた時点では、その作品を観ておりませんでしたがようやく観ることができましたので、お返事させていただきます。
『ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ』(2010年)に登場する「エデンの園ゲーム」ですね。大変おもしろい内容でした。
シンプルなルールだと思いきや、各人の焼き印を集めたり、りんごを焼却できたりと、自由度の高いルールでしたので、ゲーム理論を使って理論的に分析するには極めて難解だと感じました。
ただゲームの途中にもあったような、グループを作って多数派を作るといったことは、ゲーム理論の「協力ゲーム」という分野の話になるので、ルールをもう少し簡単化すれば、ゲーム理論を使って何らかの分析が出来るのではないかと思えました。
また、「エデンの園ゲーム」はルールは複雑ですが、大枠は囚人のジレンマの例だといっていいと思います。
要は、「金か銀のりんごを選ぶ」が裏切るに相当し、「赤いりんごを選ぶ」が裏切らない(黙秘)に相当すると考えれば、ゲームの構造自体は囚人のジレンマに陥るようになっています。
ところで、映画の中での第13回戦(最終戦)において、みんなが赤りんごを選び(裏切らなかった)ゲームは終了となりましたが、これはゲーム理論という理論の中ではありえないと感じました。
ゲーム理論の中で「有限回繰り返しゲーム」という分野がありますが、特に最終ステージでは皆が裏切ることが知られています。
そのため理論的には、第13回戦ではみんなが銀のりんごを選ぶはずなのです。
(ただし、ヨコヤに関する50億円の分配について、事前に参加者が知っていれば、もしかすると皆が赤いりんごを選ぶのかもしれません)
ともあれ、「エデンの園ゲーム」は理論的には囚人のジレンマに陥るゲームだと言ってよいと感じました。
@@hajimeyou-keizaigaku とても分かりやすい分析ありがとうございます!囚人のジレンマに陥ると予想されるからこそ、主催者全員が赤リンゴが揃わないと予想して破産したんでしょうね...
まさにそういうことでしょうね!
こちらこそとても勉強になりました。
どうもありがとうございます!また、何かお気づきのことがありましたら、お気軽にコメントいただければうれしいです。
私が中学生の時、部活動での球拾いで囚人のジレンマのようなことが起こりました。1年生全員で球拾いをしていたのですが、誰かひとりが球拾いをさぼりだすと、そのしわ寄せがほかの部員に行くため、だんだんみんな真面目に球拾いをすることをやめるようになりました。しかし、その状況をみかねた顧問の先生が、時間制限を設けて、時間超過した場合はチーム全体に罰走を課したことで、囚人のジレンマは防がれました。
「みんなの囚人のジレンマ」にご参加いただきありがとうございます。
ご提示いただいた例は、囚人のジレンマに陥った例と見なしてよいかと思います。
ただし、状況によっては囚人のジレンマに陥らないこともあるのではないかと思いました。
例えば、部員が20人いて、19人が「真面目に球拾いをする」を選んだ状況のもとで、残りの1人が「真面目に球拾いをする」と「球拾いをサボる」のどちらかを選ぶ際に、その1人にとって「球拾いをサボる」が常に最適反応になるとは限らないと思うからです。
なぜなら、1人だけサボれば、19人からの視線が痛いでしょうから、その1人にとっての最適反応は「真面目に球拾いをする」になる可能性も高いのではないかと思うのです。
しかし、人は楽な方に流れがちですので、みんながサボるようになることでチームが強くならないといった悪い状況(囚人のジレンマ)に陥ることは一種の普遍的な事柄であるとも思いました。
表を見てナッシュ均衡点の組とパレート最適の組の求め方を説明している動画はありますか?
ご質問いただきありがとうございます。
ナッシュ均衡の求め方はこの動画で説明している通りですが、パレート最適については動画では説明していません。
代わりに、授業ホームページからダウンロードできる問題集の第15講pp.6-7で説明をしていますので、そちらをご覧ください。
@@hajimeyou-keizaigaku それの見方がわかりません、、
以下のURL(授業ホームページ)から第15講の問題集を確認してみてください。
introduction-to-economics.jp/main-content/
また、この問題集のp.6とp.7でパレート最適の説明をしていますが、p.7は少し難しいので、まずはp.6の一番下の最後の段落を理解してみてください。
この箇所を読んで分からないことがあれば、具体的に「○○のところが分からない」とお書きください。
@@hajimeyou-keizaigaku p6のところは利得表がのっててナッシュ均衡の説明がされてないですか?
p.6のパレート最適の説明は、p.6の上から2つ目の利得表に基づいて説明をしていますよ。
ナッシュ均衡の説明はp.5にありますが、説明自体はこの動画で説明していることと同様ですよ。
アイドルのコンサートがあるとして、チケットを買いたい人が買えて、転売するような人が手に入らないのが1番良いが、そのようにはいかないので、チケットが欲しかった人が手に入らなかったから転売されているものを買ってしまう。このような囚人のジレンマは、人気のあるアイドルであればあるほど多発することであると言える。
「みんなの囚人のジレンマ」にご参加いただきありがとうございます。
とても面白い例だと思いました。
ご提示いただいた内容だと、どういった状況が囚人のジレンマに陥った状況で、プレイヤーを誰と捉えるべきなどの状況設定が曖昧ですので、加筆修正させていただいた上で授業ホームページに載せさせていただきたいと思います。
講演や説明の最後に設けられる質疑応答の時間に、囚人のジレンマに陥ることがあると私は考える。
一人の参加者が登壇者に質問した。それにより、その参加者は、講演の内容を大幅に誤って解釈していたことを、登壇者や他の参加者に知られた。質問をした参加者は、自分の間違いを知ることができたが、非常に恥ずかしい思いをした。一方、質問をしなかった参加者は、自分は注目を集めることも恥をかくこともなく、内容に対する理解を深めることができた。
両者が質問する場合、他者に自分の間違いを知られてしまうものの、お互いが内容に対する理解をより深めることができる。反対に、両者ともに質問しない場合、間違いが他者に明るみになり、恥をかくことはない。
「みんなの囚人のジレンマ」にご参加ありがとうございます。まさに囚人のジレンマの例ですね。授業HPに掲載させていただきました。
冷戦時代にも当てはまるような気がします
アメリカとソ連を例に挙げると、どちらか一国が攻撃を仕掛けると(核で一瞬で国を滅ぼしたとして)、他の同盟国から報復を受けますし、両方が攻撃を仕掛けたとして(こちらも一撃で相手国を壊滅させる威力を持つもの)、国にとって全くメリットがありません
なので結果として睨み合いになります、その為に冷戦と名付けられた訳ですが。(アメリカが勘違いで核ボタンを押しかけたことは何回かありましたけど。)
「みんなの囚人のジレンマ」にご参加いただきありがとうございます。
興味深い例ではあるのですが、残念ながら囚人のジレンマの例にはなっていないように思いました。
冷戦時代のアメリカとソ連の軍拡競争は、囚人のジレンマの例として挙げられることが多いです。(アメリカもソ連も核弾頭の保有数を増やしていくという結末が囚人のジレンマの例としてよく挙がります)
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書かれた文章を読ませていただくと、結局、両国とも核のボタンを「押さない」という戦略をとるわけですので、むしろ最悪の状況を回避することができています。
両国が最適反応の結果、核のボタンを「押す」という結末になるのであれば囚人のジレンマに陥っていると言えますが、歴史を見ても実際にはそうなっていないですので、核のボタンを「押す」か「押さない」かに関しては、むしろ囚人のジレンマを回避できたと言えるのではないでしょうか。
説明が長すぎ