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動画内の給与表の昭和初期の物価に誤りがありました。米60キロ60銭とありますが正しくは10円前後(豊作時)となります。お詫びして訂正致します
1932年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを取った西竹一中尉(バロン西)は特別だったんですよね。父親が明治期の外交官で中国茶の専売で巨額の資産を築いたそうです。若くして男爵家を継いだ時に東京に貸家だけで100件近く所有していました。軍服は銀座の一流テーラーで仕立て、愛馬ウラヌスも自費で購入(当時の価格で千円位)エルメス製の乗馬ブーツを愛用していたそうです。そんな彼も硫黄島で戦死されました。おそらく軍人の将官より財閥系商社の海外支社長の方が給与は高かったのではと。
バロン西って久しぶりに話題になりましたよねなんだかんだ言われた今回のパリ五輪で数少ないいい話(馬術のいわゆる初老ジャパンがメダル取ったことで)でしたけど……。
8:43 いや、制度のモデルにしたドイツ(特にプロイセン)の陸軍でも同じ話し聞いた事がある。確か、ドイツ統一で功績を上げたモルトケでさえ、尉官の時に食べれないからか翻訳仕事を掛け持ちして、結婚は佐官になってからだったはず。
お久しぶりです!UPありがとうございます✨
陸海軍の将校さんは、軍服等の装備品(軍刀や議場用のサーベルなど)全て自前でしたから、給料日に成ると洋服屋の集金が「鬼より怖い!」と言う話もあったみたいですね?
あまつさえ皇族御用達麹町太田屋で大礼服なんか仕立てたら青天井だったでしょう。
@@西村和夫-p3c 海軍兵曹長になり、私服も含めて一式揃えたら1500円かかり、支度金は300円くらいだったので、凄く大変だったそうです😨まさに亭主元気で留守がいい・・
@@西村和夫-p3c いまのウクライナ・ロシア戦争で、徴兵されたロシアの兵士は軍服、軍靴、ヘルメット、防弾ジャケットなど全部自費で用意しなければならない話を思い出した。
まともに貰えるのは少佐からかそして容赦ないリストラでその特殊性により民間では使いづらい東大京大に入る位の狭き門をくぐってこれじゃあ割に合わんような
ちなみに戦後GHQが東条英機大将の財産調査をしたところ自宅以外にめぼしい財産がない上にその他の軍関係の戦犯たちも殆ど資産を有していないことに愕然としたというエピソードがあるとのこと…
ナチスの戦犯にはゲーリングみたいに宮殿を建ててた人物もいたのとは対照的日本はその意味でも貧しかったとしか
2.26の青年将校と同じように給料のほとんどを下の者にあげてたとかかな?
田沼意次が失脚したときに、幕府役人が意気揚々と城に乗り込んで財産没収しようとしたら金蔵とか全部からっぽで「賄賂でぼろ儲けしてたんじゃなかったのか?」と驚かれたエピソードを思い出した
@@あぼぼです まあワイロもらってたとしても田沼の所領は6万石ちょいだったから所領からの年貢収納分だけでは老中としての活動費が賄えなかったのでその足しにしてたんでしょうから城の金蔵がスッカラカンになってもしょうがないですよね……。そこんところの話は大江戸(姉妹チャンネル)でもやってたと思いますが……。
会食料亭にいかないといけないし今と違って上司の誘いは絶対なので手持ちなくていけないなんて言えない部下にたいしても土産や奢り代もあるしつらいよな
お待ちしておりました♪ちなみに…予備役…ヨビヤク❌ ヨビエキ⭕️
収入は確かに恵まれなかったかもしれないけど、20歳くらいで高等官八等になって、警察署長や小学校校長と同じランクになれるのは紛れもなくエリートだよね。
一応、独身者は官舎での生活が基本で、衣食住は支給になるので俸給はこれで生活しなければならない給料という訳ではないしね・・・ ただし士官になると制服などの仕立ても兵士と異なり自腹になるので、新米士官で安い俸給の間はキツイかもしれないね
よく調べていただき、分かりやすい説明でした。ありがとうございます😊今の自衛隊と同じような問題、戦前からあったのですね。今の方が厳しい環境ではありますが…。徴兵制は無いし、少子化だし。
待ってました!!!
一般人の収入に関して不備があります。職工の月収は30円ほどでした。また市役所吏員は旧制中学卒が普通で初任給は40円いくかどうかでした。帝大出で財閥系銀行・企業に就職した場合でも初任給は70円でした。したがって少尉の俸給は決して見劣りするものではありませんでした。官費でなれたことを考えれば充分過ぎる待遇でした。
お世話になった教授が東大工学部にいた頃、志願して海軍依託学生になりました。「技術大佐になれるというので志願したが、お陰で戦後は公職追放になった」。こうしてみると月給300円超の魅力は大したもののようです。
@@むかし懐かしタイランド うん、金だよね!
でも、士官の対面を保つため、汽車に乗車するときは2等車(グリーン車)に乗れ、士官たるものは、変な場所で飲食するなと、色々と喧しかったそうですよ。
@@西村和夫-p3c それは普通の帝大出の大手民間企業勤務者も同じこと。さすがに三等車には乗れないでしょう。戦前の本当にエリートだった帝大出本社採用組と現在の大手企業勤務者と一緒にしてはいけません。
@@西村和夫-p3c 鉄道は軍人割引がありました、確か5割引きだったような今の台湾でも軍人割引ありますね 台鐵はもちろん映画館まで
お久しぶりです。想像以上に給料かなり少ない。昇進もかなり大変そうやし。
ですから、空自のパイロットなんかは、給料の高い民間航空会社へのパイロットに転向したがるんですね。空自の方も、多くの費用を掛けて育成したパイロットをホイホイと民間に行かれたらたまりませんから、一定の縛りを掛けているみたいですがね?
そうですね、将官にまで昇進できるのは、仮に陸士、海兵の卒業生がそれぞれ100名だったとすると、将官にまでたどり着けるのは多くて20名前後でしょうからね?陸軍なら、少佐か中佐クラスで首切りが待っています。海軍でも名誉大佐でクビになる人が大部分でしょうね!
今は2佐(中佐)が本省補佐級で警察だと警視相当ですから、昔は中尉が警視相当ということを考えると、だいぶ警察の地位が相対的に低かったんですね
内務省の一部局にすぎなかったからなー昔の警察
戦前の警察は捜査権を持たず、検事の助手的立場だから社会的地位は低い。
昇進や給金で軍に入ろうという人間は少なかったろうね。戦前は軍に入れば飯を毎日食えるという理由で入ってる人の方が多かったというし戦前の軍で兵士が食べた量の何百倍も毎日捨ててるほど豊かな現代日本では無い感覚だけど
白米の脚気問題出たときも白米食えると聞いたのに玄米麦飯では約束が違うとなかなか変えられなかったと言いますよね
なお現代、ご飯の量が少なすぎて不正におかわりをして処罰される有様
軍隊に入れば白米云々の話は兵隊の話。今回のテーマである将校とは全く世界が違います。
映画の話だけど「拝啓天皇陛下様」で渥美清が演じる兵士が「三度の飯が食えて風呂にも入れて小遣いもくれる軍隊は天国」というセリフがあったな。
大神少尉の生活も決して楽ではなかったんだな・・・。
チケットちぎって風呂覗くだけの仕事
大神少尉の場合衣食住の保証はされているから結構生活は楽な方だと思います
裏の顔は化け物相手に命懸けだけどね
予備役の軍人が将校の軍服を着て保険の営業に家庭に来る事があったと本で読みましたよ。
富国徴兵保険ですね 当時、保険の外交員は職業とすれば格下であった佐官までやった人が そんな保険の外交員を・・・・ プライドの高かった青年将校がクーデターを起こした要因とも
@@asaichban9842 このような退役軍人の存在は評論家山本七平氏の著作で知りました。軍備ではなく国内産業に目を向けて経済を廻して国を富ませたら国内の不満もなくなり、大陸への進出もなく日本の歴史も大きく変わったのにな、と常々思います。
太平洋戦末期には将官の不足も顕著となり、少将クラスなら陸士卒だけで昇任できた例も少なくない。
帝都物語の加藤も薄給だったのね😢
明治40年に出た夏目漱石の坊ちゃんでは中学校の先生が月給40円、街鉄の技手(運転士)が25円と書いていますこれからすると、軍人の給与は少ない気もしますが、軍隊生活では支出が多いとも思えないので妥当かも知れない
権力の中枢から遠い個々人に対してひたすら過酷な扱いをする点は、昔も今も同じである
招集された兵にも格差があった、自営業、農業、中小零細企業の工員・事務職などにはなんら保証も無かったが中堅・大企業だと 企業から 兵役中に 留守宅に手当が出ていた 財閥系は手当てが良く7割とか出てたとか 少ないところでも半分程度 だから 大学などを出て入社を決めてから 兵役に就くなんていうことも日中戦争が長引くと その負担に企業も耐えきれなく 徐々に手当を少なくしようとしたが 軍側がそれじゃ士気が下がるということで反対してましたね
リクエストがあります。現在の自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣ですが、戦前のそれは文民統制が成立しておらず、しかも指揮権が分散されているように見えて、歴史を学ぶ視点からは難解です。軍人が政治的思想を持って派閥を形成し、これを実行に移すことが出来た。統帥権を持つ天皇も悩んでいた。この辺りを分かり易くご説明頂ければと思います。
勉強なります祖父は終戦時海軍大尉でしたが思ったより少なかったこれは…後妻に入った祖母もやりくり大変だっただろうなあーーー
自分の父は海軍の飛行機搭乗員でしたので、平時でも「飛行手当が付き」本俸(基本給)同額の手当が付きましたし、それプラス飛行手当があり、戦地勤務すればそれこそ、財布の中は「イノシシ(十円札)現代の価値だと一万円札ですかね、ギッシリと言う感じだったそうです。ですから、然るべきところへ行けばモテモテで他科の兵隊さんの嫉妬の的になったみたいです。よく飛行科の若い下士官兵何が他科の古い下士官兵に、外出先で何かとイチャモンを付けられてぶん殴られって話が多く会ったそうです。
@@西村和夫-p3c あーモテる話は聞きますね祖父は戦前は戦艦山城に乗ってアジアを回ったらしく行く先々でモテモテだったようだと祖母が言っておりました(笑)航空機搭乗員の手当てはエグいのですねとはいえ大半の方が戦死された世界ですので厳しいですよね私の祖父は艦船と地上勤務を繰り返してトラック島で終戦したそうですが祖父が居た山城は爆沈、途中で赴任していたサイパンも玉砕してしまい多くの部下や知己を失ったそうです祖父は運よく復員して戦後は技術教育の学校を作ったそうです。今でも専門学校として存続して居たりします
明治初期に定めた俸給表をインフレに合わせて改正しなかったことが軍人の困窮原因だったのしょうが、翻って、デフレ時代の平成を自衛官であった身としては、まだマシだったのかもしれないなぁ〜と感じているところです。私が経験した自衛隊は、薄給かつ定額働かせ放題も可能なブラック公務員でしたが、そこは親方日の丸。ささやかではありますが毎年定期昇給したためデフレという環境も相まって浪費しない限り生活の安定を図れたものです。生活に余裕ができたことから、デフレで割安に放置されていた株や不動産、ゴールドをせっせと買い集めることもできました。現在、50歳ですが、すでにブラック労働からも解放されて悠々自適に過ごせております。ただ、これからのインフレ時代の若い人達は大変でしょうね。より一層、早い時期から投資することをお勧めします。
うおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!待ってましたああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!これから見ます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
海軍は違うのかな?横須賀の通称パインと呼ばれた料亭に若いうちから出入りしてたようだけど航海手当があったので料亭に行けたのかな?
昔の軍隊然り今の自衛隊も役割の割に給料はかなり少ないと思いますね。自衛隊が多少給料良かったとてスパルタ教育が廃れた現代では志願者は減少の一途を辿るとは思いますが...
ある海軍兵曹の飛行機搭乗員が、中国戦線に行ったら給料が倍になり、しかも使うところもなかったので、トランク一杯の猪🐗(10円札)を日本に持ち帰ったという話を聞いたことがあります😁
この、将校の待遇と政治的暴走に関しては、多くの方が指摘されてますね………
日本フォードの社長秘書は女性でありながら当時の東京都知事より高い給料をもらっていて、日本一の高収入の女性として新聞にも紹介され話題になった
良い動画で感動しています。226事件の奴らも所詮は金ですよ。
満州事変に突き進んだ背景には、陸軍の不満があったのかも。
今の幹部自衛官もここまでではないけど人気は低迷してますよね。
今の若者は出世=罰ゲームだと思ってるから実際そうなんだけどね
実際若手幹部は罰ゲームやし、何なら潰しの効かない中堅幹部も非戦闘損耗前提の勤務してるんや…。高級幹部はマシかと言われたら部隊によっては日付変わるまで連隊長室の灯りが消えなかったり…その灯りが消えるまで若手幹部が帰れないみたいなこともザラにあったり…。
自衛隊の低充足がよくニュースになりますが、幹部や曹の充足率は問題になっていません。問題になっているのは任期制隊員と呼ばれる士、昔で言うところの兵隊だけです。幹部自衛官は激務で大企業と比べれば負けますが、中小企業よりはマシと志願する若者は少なくないんです。
@@fep2901 いや幹部自衛官の大半の部内幹部自衛官は不足していてかなりまずい状況です。一般幹部候補生の倍率も半分以下にになりました。このままだと充足できなくなる可能性があります。
@@fep2901 深刻なのは末端ですけど幹部も普通に足りてません。というか充足率を満たせたとしても仕事量に対して幹部が足りてません。何なら最近は曹すら減ってきてます。
上が貰いすぎて今も変わらんぞ
少尉で当時の帝大新卒くらいの収入だったハズだがこれで貧乏少尉と言うなら新人なんだからしょうがない
師範学校をお願いします🙏
当時の大企業の月給を追記します。日本鋼管(現 JFE)の記念館に戦前の給与に関する記載がありました。課長(当時の課長は現在の部長に相当)で200円、技師長で300円でした。軍人で該当するのを探すと、陸士を出たら誰もがなれたという少佐194円、海兵を出たら皆がなれたという大佐345円に相当します。一般工員の給与が30~40円の時代でもあり、これは立派なものです。思わずため息が出ます。ちなみに当時の課長・月給200円は家には女中を置いていました。
ちなみに私の曾祖父の弟は在学中に高等文官試験の司法科に合格して昭和10年に中央大学を卒業して司法官試補(当時22歳)になっていますがその際の初任給が75円だったとのこと…当時としては結構な高給取りに属する部類だったそうですが『働きの割に給与が安い』と文句ばかり言っていたそうで試補の期間が終わるとすぐに弁護士に転向しています…弁護士になってからは保険会社の顧問弁護士をしながら国選を中心に刑事事件をいっぱい引き受けていたそうですがそれでも月に500円くらい稼いでいたとのこと…やはりいつの時代も弁護士はもうかる商売だったみたいです。
戦前の判事・検事など司法を司る官職の給与は安かったようですしたがって帝大生には人気が無く 他の官僚と違い 中央、明治、日大などの私学出身者が多かったとか
更新を楽しみにしていて今回もとても興味深い内容でした…ありがとうございます(((o(*゚▽゚*)o)))
若い少尉さんにゃ金がない〜♪ 女泣かせの中尉殿〜♪
自衛隊隊員の、将官の年俸は、幾らだろうな?、物価も有るだろうし、今も少しは、似たような所は無きしもですよね。基本給の減額とあらば、その他の要素が有ったにせよ、クーデターが、相次いだのも納得な面も伺えるわ、
「自衛官俸給表」で検索すると防衛省のホームページで防衛省職員給与法の俸給表が出てきますよ。結論から言うと、指定職でない将補で50万〜59万、指定職の将官で70万〜117万です。
狡兎死して良狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る。 4000年の大昔からの大問題ですなぁ~。 かといって攻められてから慌てて訓練しててもまにあいませんし、、、 今の自衛隊殿が役務に必要な資格を取ったり、再就職に注力なさっているんもよ~わかりますわ。うぽつです。いつもありがとうございます。
小学校の頃は徴兵や招集による兵役は国民の義務だから無給だと思ってました。
少尉でも将校なら決して待遇は悪くないけど問題は軍服などが自前であること。なんでそうなってるの?あと退役後。軍の常識=世の非常識だから再就職は楽じゃなかったはず。
徴兵保険の外交員など 戦前であれば軍服を着た将校(予備役で軍服着ても問題はない)であれば一定程度の敬意は払うので 玄関先で追い払われることはなくちゃんと玄関まで入れてくれる、そこでおもむろに保険のパンプレットを出し契約を取る自衛隊も同じで 大隊長やってた人が定年で 協栄生命(今はジブラルタル生命)とかの外交員やってたりして後輩の隊員に保険を勧めたりしてた
「陸軍将校の敎育社会敎育社会史ー立身出世と天皇制(上・下)」(広田照幸)(ちくま学芸文庫)に陸軍将校の実態がよく述べられている。このシリーズの「陸軍幼年学校と陸軍士官学校」をさっき見てそこにもコメントしましたが、陸士出た亡き父が生前よく言っていたこと思いだしてコメントします。 概して、軍人は貧乏人がいく学校で割りに合わないという意識が世間、特に都会では強くそれは現代まで続いている。防衛大学は陸士、海兵時代に比べて難易度が低い(大体、地方国立かマーチぐらい。ただし、防衛医大医学科は別)こともあるが、任官拒否も多い。 だが、九州など地方では評価が高いとか。また、自衛隊という閉塞社会では階級が全てで、一尉以上の幹部は一般隊員からみると神様扱いである。(これは警察や旧国鉄や一部大手私鉄など現業が多い制服組織に見られる。会社の自衛隊体験で見た光景では一部の一般隊員は幹部の制服にさえ畏敬を込めていた)一方で自衛隊は定年が早い。防衛大出た幹部でも多くはニ佐くらいで終わり、再就職先は自動車ディーラーぐらいとか。そのギャップが大きい。(自分の会社の運送系子会社に陸自二佐の人が部下なし付部長でいたが、現役時は部下が全部してくれてただ号令するだけだったのに、今は一人でセールスしていると嘆いていた) その点は、前記の本に書かれている旧軍時代の将校の生活観、行く末と同じである。しかも、戦前の高級軍人は陸軍省課長は大佐だが、今は防衛省本庁課長は事務官僚の世界で微妙に差別されている まあ、戦前でも本省や参謀本部は陸大卒が主流なので、難易度的には現代の国家公務員総合職(昔の高等文官、旧国家公務員上級職甲)と相当と考えれば、陸大=国公総合職、陸士=隊付将校と考えればいいのかもしれない。(もっとも、ランク的には 陸士>防衛大、陸軍省(一流)>防衛省(二流)なので軍人は自衛官より世評は圧倒的に高い。防衛省事務高級官僚が昔の真の高級軍人の地位にあたるのだろうがインパクトは弱い) 俸給的には、今と昔では物価以上に給金価値、社会敎育文化度が違うので単純比較はできないとも思います。昔は多くの国民が衣食住だけあれば良い世界。高等教育行く人も多くないし、文化サービス業も発達しない中後進国家(今のロシアぐらいのイメージ?)。だから多くの国民は農商工の現業従事で貧しくともそれなり生活に甘んじていたのではなかろうか。だから、官庁や財閥や一部基幹産業従事の高等職員以外の現業従事職員の給与が相対的に低く出るのは仕方ないとも思う。 旧軍の問題はやはり陸士の表向きの評価の異常な高さと、しかし陸大出以外の隊付大勢組の受ける処遇のギャップだっただろう。前記の本にも書かれていたが、陸士生徒は折々に触れて天皇のお目通りができるチャンスに恵まれており意図的に天皇親衛というエリート意識が植え付けられている。それなのに、平時では早々に予備に回され、不況時には学校小使やセールスマンなど意図しない境遇の者もいたらしい。その点は、現代はいくら高級自衛官の給料が本省幹部に見劣りするといってもそれほどの差はないだろう。
火垂るの墓の節子と清太の父親は海軍大尉だけど、こう見ると別に金持ちのボンボン生活を送れるって訳でもなさそうだなぁ。まぁ、海軍だから色々他にも手当あるだろうけどさ。
すえは博士か大臣かって俸給によるものをイメージしません。自分は、年よりや親より受けたこの言葉の意味は、当時より名誉を重んじた、言葉だと思うのですが?
明治維新後の我が一族は地主階級だった。地主として安穏とした生活が約束されていたが、かつて後鳥羽上皇や織田信長に仕えていたころの家名再興の夢を捨てきれず、祖父は陸軍士官学校に進学したと聞く。
今も昔も仕事をしない国会議員は高級取り国のために戦場で戦う徴兵の兵隊さんは一銭5りん
米60kgの価格が安すぎる。地下鉄の初乗り運賃が米10kgと一緒なんて今の米不足から考えれば隔世の感。
大変申し訳ございません。動画内の表記ミスで正しくは昭和初期の米価は60キロ10円前後となります。訂正してお詫びします
父方の祖父の叔父が職業軍人で開戦時に中佐で現在の換算で53万円か。最終的には少将になったみたいだけど、東日本大震災で母方の親戚(従軍経験者)の人が避難してた頃に父方の祖父の叔父を実際に閣下と呼んでたから、本当に閣下だったんだなぁと思いました(小並感
おれポンコツ平社員だけど少佐ぐらい給料貰ってるけど、会社の為に頑張った方がいいのかな?
やるせない現実
将校の制服が実費と言うのはヨーロッパの文化です。ヨーロッパでは貴族や領主(騎士や大地主)が王から官位をもらっており自前で軍服を仕立ててました。戦争が始まったら兵隊として領内の若い男を一時的に集めて戦争が終わったらそれぞれの仕事に戻っていました。これを近代国家は徴兵による一律化により職業軍人の将校、任期制の兵、間が広がるので兵から昇任させた下士官の大きく3階層に分かれますが、職業軍人の将校は実費調達のままでした。
それは日本も同じですよ。武士(士官)は鎧兜、槍、刀は自前でお上(殿様)が支給して呉れませんからね!
@@西村和夫-p3c あっ、確かに❗️
ん、今の北朝鮮とか軍人じゃなきゃ高給のエリートになれたりはしないよな😂
ま、色々と大変だったろうけど2回もクーデター起こした連中なのは覚えておかないと
これは兵曹長に任じられた方の話ですが、通常軍装から礼装だけで千円、さらに私服の洋服や袴付きの和服(海軍士官には私服でもそれなりの格好が求められた)を揃えるのにさらに五百円かかったと言う話ですから、新米士官はかなり苦しかったと思います。
バブル期に公務員になった人と同様に大正期に士官学校行った人は太平洋戦争では良い思いできただろうな
文官高等試験、な。
やりくり注意。
この当時、帝国官吏としてエリートだったんだよ。将校はね。
戦地からの収奪品や軍需物資の横流しがメイン収入じゃないかな
国府軍か八路軍くらいやな😂😂😂
想像で誹謗中傷しないように
動画内の給与表の昭和初期の物価に誤りがありました。米60キロ60銭とありますが正しくは10円前後(豊作時)となります。お詫びして訂正致します
1932年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを取った西竹一中尉(バロン西)は特別だったんですよね。
父親が明治期の外交官で中国茶の専売で巨額の資産を築いたそうです。
若くして男爵家を継いだ時に東京に貸家だけで100件近く所有していました。
軍服は銀座の一流テーラーで仕立て、愛馬ウラヌスも自費で購入(当時の価格で千円位)
エルメス製の乗馬ブーツを愛用していたそうです。そんな彼も硫黄島で戦死されました。
おそらく軍人の将官より財閥系商社の海外支社長の方が給与は高かったのではと。
バロン西って久しぶりに話題になりましたよね
なんだかんだ言われた今回のパリ五輪で数少ないいい話(馬術のいわゆる初老ジャパンがメダル取ったことで)でしたけど……。
8:43 いや、制度のモデルにしたドイツ(特にプロイセン)の陸軍でも同じ話し聞いた事がある。
確か、ドイツ統一で功績を上げたモルトケでさえ、尉官の時に食べれないからか翻訳仕事を掛け持ちして、結婚は佐官になってからだったはず。
お久しぶりです!
UPありがとうございます✨
陸海軍の将校さんは、軍服等の装備品(軍刀や議場用のサーベルなど)全て自前でしたから、給料日に成ると洋服屋の集金が「鬼より怖い!」と言う話もあったみたいですね?
あまつさえ皇族御用達麹町太田屋で大礼服なんか仕立てたら青天井だったでしょう。
@@西村和夫-p3c
海軍兵曹長になり、私服も含めて一式揃えたら1500円かかり、支度金は300円くらいだったので、凄く大変だったそうです😨
まさに亭主元気で留守がいい・・
@@西村和夫-p3c
いまのウクライナ・ロシア戦争で、徴兵されたロシアの兵士は軍服、軍靴、ヘルメット、防弾ジャケットなど全部自費で用意しなければならない話を思い出した。
まともに貰えるのは少佐からか
そして容赦ないリストラでその特殊性により民間では使いづらい
東大京大に入る位の狭き門をくぐってこれじゃあ割に合わんような
ちなみに戦後GHQが東条英機大将の財産調査をしたところ自宅以外にめぼしい財産がない上にその他の軍関係の戦犯たちも殆ど資産を有していないことに愕然としたというエピソードがあるとのこと…
ナチスの戦犯にはゲーリングみたいに宮殿を建ててた人物もいたのとは対照的
日本はその意味でも貧しかったとしか
2.26の青年将校と同じように給料のほとんどを下の者にあげてたとかかな?
田沼意次が失脚したときに、幕府役人が意気揚々と城に乗り込んで財産没収しようとしたら
金蔵とか全部からっぽで「賄賂でぼろ儲けしてたんじゃなかったのか?」と驚かれたエピソードを思い出した
@@あぼぼです
まあワイロもらってたとしても田沼の所領は6万石ちょいだったから所領からの年貢収納分だけでは老中としての活動費が賄えなかったのでその足しにしてたんでしょうから城の金蔵がスッカラカンになってもしょうがないですよね……。
そこんところの話は大江戸(姉妹チャンネル)でもやってたと思いますが……。
会食料亭にいかないといけないし今と違って上司の誘いは絶対なので手持ちなくていけないなんて言えない
部下にたいしても土産や奢り代もあるしつらいよな
お待ちしておりました♪
ちなみに…
予備役…ヨビヤク❌
ヨビエキ⭕️
収入は確かに恵まれなかったかもしれないけど、20歳くらいで高等官八等になって、警察署長や小学校校長と同じランクになれるのは紛れもなくエリートだよね。
一応、独身者は官舎での生活が基本で、衣食住は支給になるので俸給はこれで生活しなければならない給料という訳ではないしね・・・ ただし士官になると制服などの仕立ても兵士と異なり自腹になるので、新米士官で安い俸給の間はキツイかもしれないね
よく調べていただき、分かりやすい説明でした。ありがとうございます😊
今の自衛隊と同じような問題、戦前からあったのですね。今の方が厳しい環境ではありますが…。徴兵制は無いし、少子化だし。
待ってました!!!
一般人の収入に関して不備があります。職工の月収は30円ほどでした。また市役所吏員は旧制中学卒が普通で初任給は40円いくかどうかでした。帝大出で財閥系銀行・企業に就職した場合でも初任給は70円でした。したがって少尉の俸給は決して見劣りするものではありませんでした。官費でなれたことを考えれば充分過ぎる待遇でした。
お世話になった教授が東大工学部にいた頃、志願して海軍依託学生になりました。「技術大佐になれるというので志願したが、お陰で戦後は公職追放になった」。こうしてみると月給300円超の魅力は大したもののようです。
@@むかし懐かしタイランド うん、金だよね!
でも、士官の対面を保つため、汽車に乗車するときは2等車(グリーン車)に乗れ、士官たるものは、変な場所で飲食するなと、色々と喧しかったそうですよ。
@@西村和夫-p3c それは普通の帝大出の大手民間企業勤務者も同じこと。さすがに三等車には乗れないでしょう。戦前の本当にエリートだった帝大出本社採用組と現在の大手企業勤務者と一緒にしてはいけません。
@@西村和夫-p3c
鉄道は軍人割引がありました、確か5割引きだったような
今の台湾でも軍人割引ありますね 台鐵はもちろん映画館まで
お久しぶりです。
想像以上に給料かなり少ない。
昇進もかなり大変そうやし。
ですから、空自のパイロットなんかは、給料の高い民間航空会社へのパイロットに転向したがるんですね。空自の方も、多くの費用を掛けて育成したパイロットをホイホイと民間に行かれたらたまりませんから、一定の縛りを掛けているみたいですがね?
そうですね、将官にまで昇進できるのは、仮に陸士、海兵の卒業生がそれぞれ100名だったとすると、将官にまでたどり着けるのは多くて20名前後でしょうからね?
陸軍なら、少佐か中佐クラスで首切りが待っています。海軍でも名誉大佐でクビになる人が大部分でしょうね!
今は2佐(中佐)が本省補佐級で警察だと警視相当ですから、昔は中尉が警視相当ということを考えると、だいぶ警察の地位が相対的に低かったんですね
内務省の一部局にすぎなかったからなー昔の警察
戦前の警察は捜査権を持たず、検事の助手的立場だから社会的地位は低い。
昇進や給金で軍に入ろうという人間は少なかったろうね。戦前は軍に入れば飯を毎日食えるという理由で入ってる人の方が多かったというし
戦前の軍で兵士が食べた量の何百倍も毎日捨ててるほど豊かな現代日本では無い感覚だけど
白米の脚気問題出たときも白米食えると聞いたのに玄米麦飯では約束が違うとなかなか変えられなかったと言いますよね
なお現代、ご飯の量が少なすぎて不正におかわりをして処罰される有様
軍隊に入れば白米云々の話は兵隊の話。
今回のテーマである将校とは全く世界が違います。
映画の話だけど「拝啓天皇陛下様」で渥美清が演じる兵士が「三度の飯が食えて風呂にも入れて小遣いもくれる軍隊は天国」というセリフがあったな。
大神少尉の生活も決して楽ではなかったんだな・・・。
チケットちぎって風呂覗くだけの仕事
大神少尉の場合衣食住の保証はされているから結構生活は楽な方だと思います
裏の顔は化け物相手に命懸けだけどね
予備役の軍人が将校の軍服を着て保険の営業に家庭に来る事があったと本で読みましたよ。
富国徴兵保険ですね 当時、保険の外交員は職業とすれば格下であった
佐官までやった人が そんな保険の外交員を・・・・ プライドの高かった青年将校がクーデターを起こした要因とも
@@asaichban9842
このような退役軍人の存在は評論家山本七平氏の著作で知りました。軍備ではなく国内産業に目を向けて経済を廻して国を富ませたら国内の不満もなくなり、大陸への進出もなく日本の歴史も大きく変わったのにな、と常々思います。
太平洋戦末期には将官の不足も顕著となり、少将クラスなら陸士卒だけで昇任できた例も少なくない。
帝都物語の加藤も薄給だったのね😢
明治40年に出た夏目漱石の坊ちゃんでは中学校の先生が月給40円、街鉄の技手(運転士)が25円と書いています
これからすると、軍人の給与は少ない気もしますが、軍隊生活では支出が多いとも思えないので妥当かも知れない
権力の中枢から遠い個々人に対してひたすら過酷な扱いをする点は、昔も今も同じである
招集された兵にも格差があった、自営業、農業、中小零細企業の工員・事務職などにはなんら保証も無かったが
中堅・大企業だと 企業から 兵役中に 留守宅に手当が出ていた 財閥系は手当てが良く7割とか出てたとか 少ないところでも半分程度
だから 大学などを出て入社を決めてから 兵役に就くなんていうことも
日中戦争が長引くと その負担に企業も耐えきれなく 徐々に手当を少なくしようとしたが 軍側がそれじゃ士気が下がるということで反対してましたね
リクエストがあります。現在の自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣ですが、戦前のそれは文民統制が成立しておらず、しかも指揮権が分散されているように見えて、歴史を学ぶ視点からは難解です。
軍人が政治的思想を持って派閥を形成し、これを実行に移すことが出来た。統帥権を持つ天皇も悩んでいた。
この辺りを分かり易くご説明頂ければと思います。
勉強なります
祖父は終戦時海軍大尉でしたが思ったより少なかった
これは…後妻に入った祖母もやりくり大変だっただろうなあーーー
自分の父は海軍の飛行機搭乗員でしたので、平時でも「飛行手当が付き」本俸(基本給)同額の手当が付きましたし、それプラス飛行手当があり、戦地勤務すればそれこそ、
財布の中は「イノシシ(十円札)現代の価値だと一万円札ですかね、ギッシリと言う感じだったそうです。ですから、然るべきところへ行けばモテモテで他科の兵隊さんの
嫉妬の的になったみたいです。よく飛行科の若い下士官兵何が他科の古い下士官兵に、外出先で何かとイチャモンを付けられてぶん殴られって話が多く会ったそうです。
@@西村和夫-p3c
あーモテる話は聞きますね
祖父は戦前は戦艦山城に乗ってアジアを回ったらしく
行く先々でモテモテだったようだと
祖母が言っておりました(笑)
航空機搭乗員の手当てはエグいのですね
とはいえ大半の方が戦死された世界ですので厳しいですよね
私の祖父は艦船と地上勤務を繰り返して
トラック島で終戦したそうですが
祖父が居た山城は爆沈、途中で赴任していたサイパンも玉砕してしまい
多くの部下や知己を失ったそうです
祖父は運よく復員して戦後は技術教育の学校を作ったそうです。
今でも専門学校として存続して居たりします
明治初期に定めた俸給表をインフレに合わせて改正しなかったことが軍人の困窮原因だったのしょうが、翻って、デフレ時代の平成を自衛官であった身としては、まだマシだったのかもしれないなぁ〜と感じているところです。
私が経験した自衛隊は、薄給かつ定額働かせ放題も可能なブラック公務員でしたが、そこは親方日の丸。ささやかではありますが毎年定期昇給したためデフレという環境も相まって浪費しない限り生活の安定を図れたものです。
生活に余裕ができたことから、デフレで割安に放置されていた株や不動産、ゴールドをせっせと買い集めることもできました。
現在、50歳ですが、すでにブラック労働からも解放されて悠々自適に過ごせております。
ただ、これからのインフレ時代の若い人達は大変でしょうね。より一層、早い時期から投資することをお勧めします。
うおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!待ってましたああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!これから見ます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
海軍は違うのかな?
横須賀の通称パインと呼ばれた料亭に若いうちから出入りしてたようだけど
航海手当があったので料亭に行けたのかな?
昔の軍隊然り今の自衛隊も役割の割に給料はかなり少ないと思いますね。
自衛隊が多少給料良かったとてスパルタ教育が廃れた現代では志願者は減少の一途を辿るとは思いますが...
ある海軍兵曹の飛行機搭乗員が、中国戦線に行ったら給料が倍になり、しかも使うところもなかったので、トランク一杯の猪🐗(10円札)を日本に持ち帰ったという話を聞いたことがあります😁
この、将校の待遇と政治的暴走に関しては、多くの方が指摘されてますね………
日本フォードの社長秘書は女性でありながら当時の東京都知事より高い給料をもらっていて、日本一の高収入の女性として新聞にも紹介され話題になった
良い動画で感動しています。226事件の奴らも所詮は金ですよ。
満州事変に突き進んだ背景には、陸軍の不満があったのかも。
今の幹部自衛官もここまでではないけど人気は低迷してますよね。
今の若者は出世=罰ゲームだと思ってるから
実際そうなんだけどね
実際若手幹部は罰ゲームやし、何なら潰しの効かない中堅幹部も非戦闘損耗前提の勤務してるんや…。高級幹部はマシかと言われたら部隊によっては日付変わるまで連隊長室の灯りが消えなかったり…その灯りが消えるまで若手幹部が帰れないみたいなこともザラにあったり…。
自衛隊の低充足がよくニュースになりますが、幹部や曹の充足率は問題になっていません。
問題になっているのは任期制隊員と呼ばれる士、昔で言うところの兵隊だけです。
幹部自衛官は激務で大企業と比べれば負けますが、中小企業よりはマシと志願する若者は少なくないんです。
@@fep2901
いや幹部自衛官の大半の部内幹部自衛官は不足していてかなりまずい状況です。一般幹部候補生の倍率も半分以下にになりました。このままだと充足できなくなる可能性があります。
@@fep2901 深刻なのは末端ですけど幹部も普通に足りてません。というか充足率を満たせたとしても仕事量に対して幹部が足りてません。何なら最近は曹すら減ってきてます。
上が貰いすぎて
今も変わらんぞ
少尉で当時の帝大新卒くらいの収入だったハズだがこれで貧乏少尉と言うなら新人なんだからしょうがない
師範学校をお願いします🙏
当時の大企業の月給を追記します。日本鋼管(現 JFE)の記念館に戦前の給与に関する記載がありました。課長(当時の課長は現在の部長に相当)で200円、技師長で300円でした。軍人で該当するのを探すと、陸士を出たら誰もがなれたという少佐194円、海兵を出たら皆がなれたという大佐345円に相当します。一般工員の給与が30~40円の時代でもあり、これは立派なものです。思わずため息が出ます。ちなみに当時の課長・月給200円は家には女中を置いていました。
ちなみに私の曾祖父の弟は在学中に高等文官試験の司法科に合格して昭和10年に中央大学を卒業して司法官試補(当時22歳)になっていますがその際の初任給が75円だったとのこと…当時としては結構な高給取りに属する部類だったそうですが『働きの割に給与が安い』と文句ばかり言っていたそうで試補の期間が終わるとすぐに弁護士に転向しています…弁護士になってからは保険会社の顧問弁護士をしながら国選を中心に刑事事件をいっぱい引き受けていたそうですがそれでも月に500円くらい稼いでいたとのこと…やはりいつの時代も弁護士はもうかる商売だったみたいです。
戦前の判事・検事など司法を司る官職の給与は安かったようです
したがって帝大生には人気が無く 他の官僚と違い 中央、明治、日大などの私学出身者が多かったとか
更新を楽しみにしていて今回もとても興味深い内容でした…ありがとうございます(((o(*゚▽゚*)o)))
若い少尉さんにゃ金がない〜♪ 女泣かせの中尉殿〜♪
自衛隊隊員の、将官の年俸は、幾らだろうな?、物価も有るだろうし、今も少しは、似たような所は無きしもですよね。基本給の減額とあらば、その他の要素が有ったにせよ、クーデターが、相次いだのも納得な面も伺えるわ、
「自衛官俸給表」で検索すると防衛省のホームページで防衛省職員給与法の俸給表が出てきますよ。
結論から言うと、指定職でない将補で50万〜59万、指定職の将官で70万〜117万です。
狡兎死して良狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る。 4000年の大昔からの大問題ですなぁ~。 かといって攻められてから慌てて訓練しててもまにあいませんし、、、 今の自衛隊殿が役務に必要な資格を取ったり、再就職に注力なさっているんもよ~わかりますわ。
うぽつです。いつもありがとうございます。
小学校の頃は徴兵や招集による兵役は国民の義務だから無給だと思ってました。
少尉でも将校なら決して待遇は悪くないけど問題は軍服などが自前であること。なんでそうなってるの?
あと退役後。軍の常識=世の非常識だから再就職は楽じゃなかったはず。
徴兵保険の外交員など 戦前であれば軍服を着た将校(予備役で軍服着ても問題はない)であれば一定程度の敬意は払うので 玄関先で追い払われることはなく
ちゃんと玄関まで入れてくれる、そこでおもむろに保険のパンプレットを出し契約を取る
自衛隊も同じで 大隊長やってた人が定年で 協栄生命(今はジブラルタル生命)とかの外交員やってたりして後輩の隊員に保険を勧めたりしてた
「陸軍将校の敎育社会敎育社会史ー立身出世と天皇制(上・下)」(広田照幸)(ちくま学芸文庫)に陸軍将校の実態がよく述べられている。このシリーズの「陸軍幼年学校と陸軍士官学校」をさっき見てそこにもコメントしましたが、陸士出た亡き父が生前よく言っていたこと思いだしてコメントします。
概して、軍人は貧乏人がいく学校で割りに合わないという意識が世間、特に都会では強くそれは現代まで続いている。防衛大学は陸士、海兵時代に比べて難易度が低い(大体、地方国立かマーチぐらい。ただし、防衛医大医学科は別)こともあるが、任官拒否も多い。
だが、九州など地方では評価が高いとか。また、自衛隊という閉塞社会では階級が全てで、一尉以上の幹部は一般隊員からみると神様扱いである。(これは警察や旧国鉄や一部大手私鉄など現業が多い制服組織に見られる。会社の自衛隊体験で見た光景では一部の一般隊員は幹部の制服にさえ畏敬を込めていた)
一方で自衛隊は定年が早い。防衛大出た幹部でも多くはニ佐くらいで終わり、再就職先は自動車ディーラーぐらいとか。そのギャップが大きい。(自分の会社の運送系子会社に陸自二佐の人が部下なし付部長でいたが、現役時は部下が全部してくれてただ号令するだけだったのに、今は一人でセールスしていると嘆いていた)
その点は、前記の本に書かれている旧軍時代の将校の生活観、行く末と同じである。しかも、戦前の高級軍人は陸軍省課長は大佐だが、今は防衛省本庁課長は事務官僚の世界で微妙に差別されている
まあ、戦前でも本省や参謀本部は陸大卒が主流なので、難易度的には現代の国家公務員総合職(昔の高等文官、旧国家公務員上級職甲)と相当と考えれば、陸大=国公総合職、陸士=隊付将校と考えればいいのかもしれない。(もっとも、ランク的には 陸士>防衛大、陸軍省(一流)>防衛省(二流)なので軍人は自衛官より世評は圧倒的に高い。防衛省事務高級官僚が昔の真の高級軍人の地位にあたるのだろうがインパクトは弱い)
俸給的には、今と昔では物価以上に給金価値、社会敎育文化度が違うので単純比較はできないとも思います。昔は多くの国民が衣食住だけあれば良い世界。高等教育行く人も多くないし、文化サービス業も発達しない中後進国家(今のロシアぐらいのイメージ?)。だから多くの国民は農商工の現業従事で貧しくともそれなり生活に甘んじていたのではなかろうか。だから、官庁や財閥や一部基幹産業従事の高等職員以外の現業従事職員の給与が相対的に低く出るのは仕方ないとも思う。
旧軍の問題はやはり陸士の表向きの評価の異常な高さと、しかし陸大出以外の隊付大勢組の受ける処遇のギャップだっただろう。前記の本にも書かれていたが、陸士生徒は折々に触れて天皇のお目通りができるチャンスに恵まれており意図的に天皇親衛というエリート意識が植え付けられている。それなのに、平時では早々に予備に回され、不況時には学校小使やセールスマンなど意図しない境遇の者もいたらしい。その点は、現代はいくら高級自衛官の給料が本省幹部に見劣りするといってもそれほどの差はないだろう。
火垂るの墓の節子と清太の父親は海軍大尉だけど、こう見ると別に金持ちのボンボン生活を送れるって訳でもなさそうだなぁ。まぁ、海軍だから色々他にも手当あるだろうけどさ。
すえは博士か大臣か
って俸給によるものをイメージしません。
自分は、
年よりや親より受けたこの言葉の意味は、
当時より名誉を重んじた、
言葉だと思うのですが?
明治維新後の我が一族は地主階級だった。地主として安穏とした生活が約束されていたが、かつて後鳥羽上皇や織田信長に仕えていたころの家名再興の夢を捨てきれず、祖父は陸軍士官学校に進学したと聞く。
今も昔も仕事をしない国会議員は高級取り
国のために戦場で戦う徴兵の兵隊さんは一銭5りん
米60kgの価格が安すぎる。地下鉄の初乗り運賃が米10kgと一緒なんて今の米不足から考えれば隔世の感。
大変申し訳ございません。動画内の表記ミスで正しくは昭和初期の米価は60キロ10円前後となります。訂正してお詫びします
父方の祖父の叔父が職業軍人で開戦時に中佐で現在の換算で53万円か。最終的には少将になったみたいだけど、東日本大震災で母方の親戚(従軍経験者)の人が避難してた頃に父方の祖父の叔父を実際に閣下と呼んでたから、本当に閣下だったんだなぁと思いました(小並感
おれポンコツ平社員だけど少佐ぐらい給料貰ってるけど、会社の為に頑張った方がいいのかな?
やるせない現実
将校の制服が実費と言うのはヨーロッパの文化です。
ヨーロッパでは貴族や領主(騎士や大地主)が王から官位をもらっており自前で軍服を仕立ててました。
戦争が始まったら兵隊として領内の若い男を一時的に集めて戦争が終わったらそれぞれの仕事に戻っていました。
これを近代国家は徴兵による一律化により職業軍人の将校、任期制の兵、間が広がるので兵から昇任させた下士官の大きく3階層に分かれますが、職業軍人の将校は実費調達のままでした。
それは日本も同じですよ。武士(士官)は鎧兜、槍、刀は自前でお上(殿様)が支給して呉れませんからね!
@@西村和夫-p3c あっ、確かに❗️
ん、今の北朝鮮とか軍人じゃなきゃ高給のエリートになれたりはしないよな😂
ま、色々と大変だったろうけど2回もクーデター起こした連中なのは覚えておかないと
これは兵曹長に任じられた方の話ですが、通常軍装から礼装だけで千円、さらに私服の洋服や袴付きの和服(海軍士官には私服でもそれなりの格好が求められた)を揃えるのにさらに五百円かかったと言う話ですから、新米士官はかなり苦しかったと思います。
バブル期に公務員になった人と同様に大正期に士官学校行った人は太平洋戦争では良い思いできただろうな
文官高等試験、な。
やりくり注意。
この当時、帝国官吏としてエリートだったんだよ。将校はね。
戦地からの収奪品や軍需物資の横流しがメイン収入じゃないかな
国府軍か八路軍くらいやな😂😂😂
想像で誹謗中傷しないように