#20 井戸のない江戸で幕府が考えたとんでもない解決策とは?【東京】【雑学】【江戸】【歴史】【玉川上水】【神田川】【徳川家康】【伊達政宗】【太宰治】【ブラタモリ】【解説動画】【おもしろ】【聞き流し】
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- เผยแพร่เมื่อ 15 ก.ค. 2022
- #NHK #タモリ #上水井戸
*動画内玉川上水の完成に約7ヶ月とありますが、この年は閏年の関係で6月が2回あり、約8ヶ月の方が正確といえます。
江戸時代の江戸では水を得るのが非常に難しいという事情がありました。
そこで江戸幕府はとんでもない方法を考案。それを実行に移すこととなりました。神田川。玉川上水の歴史と現状を探っていきたいと思います。
*内容に関しては資料を調べ裏付けを取ってからお話していますが、場合によっては事実と異なる可能性もあります。ご了承下さい。
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ブルドーザもパワーショベルも無い時代にこんな長い水路よく作れましたよね。凄い話です。
上方は、井戸の水が飲めなかったので、水売りがいました。ローマは、地震の無い国だから水道があっても驚かないけど、地震台風と自然災害の多い江戸で凄い!
しばし落語に水売りと水瓶が出てきますね~
実はローマ帝国もとい、イタリアと、取り巻く地域はかなり地震が多い地域だったりするのです。
なので、帝国もかなり苦労があったという記録がありますね~
江戸はおっしゃるとおり自然災害で苦労して、その度に大名や武士たちがかなり苦心して、インフラの補修を行っていたようなので、その努力には敬服しますね~
イタリアも火山が多くて地震大国です。25年おきくらいの間隔で死者1000人を越える大地震が発生してます。
そんな大地震でも壊れない火山灰を使ったコンクリート建築がすごいんです。
水を引くための工事は凄い設備投資だったでしょうね。
うまく行かなかったら、担当者は切腹ものでした。
江戸時代の技術凄かったんですね。解説も心地よい語りで、聞きやすいです。
すごいですよね~
いまから400年も前なのに。
それは本当に嬉しいお言葉です!
江戸時代の土木事業ってか、測量技術の凄さよ。外国から来て一番驚いたのがこのような上水施設と
江戸市中の人口と町中の奇麗さだったって言われてる。おまけに町人の子供達も寺子屋とかで勉強
してたってことで「とんでもない国です」って本国に書き送ったって記録が残ってる。
やっぱり家康は凄い人だったんだと、よく分かりました。
そうですね!
天下を取るだけありますね~
お茶の水から外堀を見下ろしたときに
その深さにびっくりする。これを仙台藩が掘ったのかと考えると
仙台出身者としては驚きとともに感慨深い気持ちになる
そうですよね~
あれは恐怖を感じるくらいに深いですから、やはり土木の天才伊達家だからできる素晴らしいものだと思いますよ!!
やっぱ声って重要👍
機械音声は疲れる
都市を形成するためのインフラ整備は昔からの大切な事業だったんですね。
先祖様をありがたく思います。
子供時代に玉川上水近くに住んでいました。
現在の水量からすると太宰治の行動は考えられませんが、以前は凄まじい水量で危険でした。
年少の頃に三鷹に住んでいたので玉川上水(当時はまだゴウゴウと流れていました)の話は懐かしくみさせていただきました
そうなんですね!
ごうごうと流れるのを実際に見ておられたのは大変貴重なご経験ですね!!
お役に立てたのであれば幸いです!
最近物忘れや反応が遅くなっている高齢単身女子です。
時間をかけ丁寧に調べ整理し、聞きやすい言葉での説明、感謝します。
繰り返し聞き、分からない部分を考えたりして脳の老化予防にさせて頂きます。
有り難う御座いました😅
この上水の事業を世代を継いで推進できたのがすごいことだ。利根川の上流から河川の流れを変えるのも、上水を整備するのも1代でできた仕事ではない。家康さんは、江戸、東京を作った偉人として称えたい。
重機なんかが全くない時代に、よくこれだけのものを作りましたよね。
ちょうど「家康、江戸を建てる」を読んだところだったので、大変興味深く視聴させていただきました。かつては湿地だった土地を埋め立て水を引くプロジェクト、凄いですね。
それはそれは、楽しんでいただけて光栄です!
そうですね~重機も何もない時代に考えることが本当に壮大ですよね!
日本人は頭が良かった
こんな事ができる先祖さんは素晴らしい尊敬します
江戸を町人街として成立させるために武士達に町に出て買い物しまくれ!って命令を出した所は後の公共事業に通ずる妙案を出してますからねぇ。今で言うMMTみたいなモンを今から400年以上前によく考え付いたもんだと思います。
小平市で上水沿いに住んでいて、玉川上水の事は割りと詳しいと思っていましたが地下水道で井戸になっていたのは初めて知り勉強になりました。
玉川兄弟案は2度失敗し頓挫したところ、工事の総奉行である老中松平信綱の命を受けて計画を見直した安松金右衛門案で完成に至った説がありますが、兄弟は姓を許されたり上水の管理を世襲で任されたり後世でも偉人扱いで真実はどうだったのか興味深いんですよね。
えっ…!?えぇ!?😮1年未満!?
ヤバイ普通に声出る程びっくりした💦現代でも驚かされること多々あるけど昔から土木凄かったんだな〜🤔
道端の何気ない置物にも歴史や意味もちゃんとあるんだなぁ
勉強になりました。
タモリ倶楽部がなくなってしまってなかなかこういった情報ってふれる機会がないですが、面白くみさせてもらいました。🙇
私もタモリ倶楽部のような番組が好きだったので、そのような動画を作っており、そう言っていただけると大変嬉しいです!!
ありがとうございます!
すごいですね。初めて見たのですが、Google earthだけで案内を完結できるんですね。もの凄くわかりやすかったです。ありがとうございました♪
お褒めいただきありがとうございます!!
わかりやすかったのであれば、本当に良かったです!!
このときは動画を撮る装備が乏しかったので、苦肉の策だったのですが、喜んでいただけたのであれば幸いです!
すばらしい解説です。命の元となる飲料水の歴史と現状をじつに詳しく知ることができますね。Google Earchの3D画像も見事に同期されていてわかりやすいです。
ナレーションも慣れておられ聴きやすいです。
なお、玉川上水に関しては劇画で、忍者系統の職人が綿のようなものを川底に埋めて漏水を防ぎ、高低差を詳しく調べて工事を完成させたという説がありました。
このコメントの評価が、もっと高くなっても良いと思います。
粘土敷いた上に蓙やら枯れ草やらで河床を防水しています
しかしながら江戸時代の土木技術すごいものありますね
高低差など素晴らしかったです秀吉に関東の海水が陸地に浸食した土地与えられ人々が住む所に整地して城も建設する原動力は子供の頃からの今川家からの人質生活で培った事などから、大坂に及ばないようにしたと考えられますが
都市に変えた思慮深い知恵が発揮されたと思います
為になる解説をありがとうございます。 さて、話は違いますが、東京都世田谷区二子玉川の辺り、多摩川の畔に「玉川村」という場所がありました。
その二子玉川から渋谷まで、路面電車が走っていて、「玉電」と呼ばれ親しまれていました。
その玉電の路線は、
昭和35年頃(もうチョイ後?まで)は、
多摩川を鉄橋で渡って、
南武線(国鉄)の武蔵溝の口駅まで
繋がってましたね。
その鉄橋を渡るのが不安ながら、
正月とお盆の年間2往復は、
密かに大好きでした。
面白かったです!
川の終わりに住んでた人が始まりの場所に移住したというところにロマンを感じました!
ありがとうございます!
そうですよね~私もこれにはロマンを感じます!
井戸ではなく引水だったとは驚き!!考えてみれば埋立地ですものね💦 目から鱗 勉強に成りました。
皆様のコメントも又そのリコメも勉強になりました!!
時代劇で長屋で井戸端会議してるような光景が自分たちが知ってるただ深く掘って地下水得たものじゃなく玉川上水なりで人工的に水を引っ張ってきて作ってたのは驚きですね。ローマ水道に匹敵するインフラ整備ですね。
歌舞伎でも出てきますけど長屋では年に一度井戸さらえをしてたようです。たいてい7月7日だったらしい。住民総出でお掃除day
コンクリートも無いのにどうやってこんな四角い石を作ったんだ?
@@user-tf6co8ct1s そりゃ「石から彫った」以外ないですよ
石の井桁は戦国時代にはもう存在していましたし(地中部は石積みでしたが)
@@user-lq7yz1mt2i 人力で掘るんだから凄いよ。わざと柔らかい石選んでるとは思うけど
そう考えるとローマ水道すごいな
今は住んでいませんが、実家が井の頭で、よく父母から、井の頭の名前の所縁(ゆかり)とお茶の水との関係を聞かされていました。そんなわけで、御茶ノ水の名前について聞けるかな、と期待していたのですがね。。 とにかくとても勉強になりましたよ。 感謝です。
実家が井の頭とは素晴らしいですね!!
時々吉祥寺に行きますが、自然と都会が融合する地域で住心地が良さそうですね~
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
何という美声!
格調高い日本語 !!
Google Earth を駆使しての御説明には 天の神様を感じました。
御発展をお祈りしております🎉
お褒めいただき大変うれしいです!
日本語は奥深く、まだまだ改善の余地があるかと存じますが、そう言っていただけると光栄です!
ご期待に添えるよう精進してまいります!
イケボでいらっしゃる^^
終始「へぇぇー😮」 となりながら聞きました。
コメント欄も含め、とても勉強になりました。(覚えていられるかは怪しいけど😅)
息子と一緒にもっぺん見ます。動画ありがとうございました。
お褒めいただき光栄です!
お役に立てると嬉しいですね~
ご子息様とも見ていただけるとは、動画を作った甲斐があります!
玉川上水の分水の更に分水のほとりに、生家がありました。玉川上水の詳しい歴史を知ることができて、幸せです。
そうなんですね!
それはお役に立てた嬉しいです!
玉川上水、神田川なんとも懐かしいお話ありがとうございました。俯瞰して説明をお聞きするとよくわかりますね。かつて上水を追って羽村から太宰発見された地まで何度も歩いて辿れないところもありいらつきましたが、それよりも武蔵野を彷彿とする木々の間を歩けるのが楽しかったです。
あの神田川の歌が流行った頃江戸川橋に住んでいて床上浸水に遭い、今から思えばいい思い出になりました。今は野火止用水の木々に安らぎをもらってます。
ご覧いただきありがとうございます!
素晴らしい経験をお持ちですね~
私は自転車で都心から遡ったことがありますが、久我山から三鷹にかけて未舗装の泥道が多くて、断念した経験がありますね笑
確かに、自然豊かな雰囲気はちょっとした山歩きのように楽しいですよね~
時代ごとに思い出があって非常によろしいかと思います!
いい声ですね。こういうことを教えてもらえる機会はありませんでした。早速登録しました。これから楽しみです。
お褒めいただきありがとうございます!
わかります。なかなか、教わる機会は少ない話題ですものね~
ご期待に添えるように頑張ります!
玉川上水の止水以降の環境悪化は甚だしく悪臭や害虫の大量発生等がありました。土地が高かった小平付近では非常に深い空堀のようになっていました。近くの野火止用水も含めて清流復活はとても嬉しかったのを思い出しました。
貴重なお話ありがとうございます!
水は流れているだけでなんだか豊かな気持ちになれますしいいものですよね~
@@TokyoTrivia 動画と内容は違いますが 江戸時代には料理えお作る際に調味料を計るのには何で計ったのでしょうか?
興味深い質問ですね!
調べてみると、計量して料理をすることは明治以降のごく近代に始まったもので、それより前の時代においては味を確かめながら目分量で投入していたようですね~
とても興味深く楽しい動画をありがとうございます。
勉強になります。
木樋の話とかそこからの変遷とか
水道に限っても話題に事欠きませんね。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
お役に立てて嬉しいです!
確かに技術の一つ一つに注目するとほんとにいろんなことがあって面白いですよね~
玉川上水も掘削失敗した区間が存在しますね。
試験通水して、水が全量吸い込まれてしまう事から水喰土と呼んで、別の場所に掘りなおしています。
場所はJR拝島駅の八高線と青梅線が分れているところに、水喰土公園と名付けられた公園があり、水路を掘った痕跡が残されています。
公園になったのは比較的最近なんですが、青梅線から掘削跡らしき痕跡が見えていましたから、「掘削跡発見」の新聞記事が出て、今まで気づかれなかったのは何故なんだろうって疑問でしたね。
地形から考えると、拝島駅構内まで掘削失敗した水路跡はあったのかも知れませんが、鉄道が敷設されて痕跡は存在しないようです。
初めて視聴しました
渋くて良いお声ですネ
ご覧いただきありがとうございます!
それは、恥ずかしくも大変うれしいお言葉です!
すごく良かったです😂
褒めていただけると大変うれしいです!!
ありがとうございます!
とてもやさしく解りやすく説明していただきました。利根川東遷についてもお願いします。
オススメに出てきたんでちらりと見たら、ええ声すぎたので登録します(笑)睡眠学習させてもらいます♡
褒めていただけるとは、恥ずかしくもありますが、大変うれしいです!
学習の一助になれば幸いです!
冒頭で江戸の水は? ンなもん誰でも知っとるヮ!! と思いつつ見て行くうちに、段々ほー、ほーってなってましたw
動画構成も素晴らしい編集でした。またウンチクも感心しきりでした。 どうも有難うございました。
楽しんでいただけたのであれば、大変うれしいです!!
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
江戸の命を支えた水の成り立ち、とても興味深かったです!
多摩地区在住なので、もう最初から玉川上水しか頭に浮かびませんでしたw
ちなみに西武線・多摩モノレールの玉川上水駅は玉川上水の真上に建てられてます。
神田川の話をするなら平川の話もしてほしかったですな。
神田上水開削以前に日比谷入江あたりに流れ込んでいた本来の神田川の流れね、まあ資料が少ないんで難しい話だと思うけど水歴史マニアににはとても興味のある話だと思うので。
東村山の小学校に通ってましたので
浄水場見学ありましたし
玉川兄弟も、たしか国語?で習ったような記憶が
懐かしい気持ちになりました👍
東村山市だと浄水場見学も有るのですね!!
私は違う地域に住んでいたので、社会科見学で高速バスに乗って羽村取水堰を訪れましたが、川だ!としか感想がなかったので・・・笑 浄水場のほうが楽しそうですね!
確かに、国語や社会で習いましたね~私も懐かしいです!
素晴らしい土木技術、徳川の時代からこれをやっていたんだからすごい。昔の人々の叡智とそれを利用する技術全く賞賛に値する。何と賢いことか😅😮。
この声安心する😊
羽村取水堰で取水された水の大半は、東京都羽村市羽東3-17付近から西に延びる地下導水管を通じて横田基地の地下を通り東京都武蔵村山市本町2-8付近まで流れ、さらに北東に進路を変えて多摩湖(村山貯水池)に注がれています。そこに貯水され、多摩湖自転車道の地下の送水管を通り東村山浄水場、境浄水場を経て、井の頭通りの地下を通って世田谷区の和田堀給水所にも送られているほか、朝霞浄水上などにも送水されます。また、羽村取水堰の上流の小作取水堰で取り込まれた水は、同様に地下の導水管を通って狭山湖(山口貯水池)に送られて貯水され、多摩湖の水と同様のルートで利用されています。多摩川から取水した水は東京都で使われる水道の2割弱を占めます。残りの大半は荒川、利根川から取水した水ですが、昭島市や東久留米市など一部地域では地下水を汲み上げて利用しています。南沢浄水所がある東久留米市の南沢付近は湧き水が豊富であり、落合川、黒目川、新河岸川を経て隅田川にも注いでいます。落合川の水は湧き水が主のため本当に綺麗で夏は子どもたちが水遊びをしています。
素晴らしい情報をありがとうございます!!
歴史を遡ると地名の由来も解明できる。面白いですね。
「家康、江戸を建てる」門井慶喜著の本に江戸に上水道を初めて設置した話があります。
その本を読んだ記憶を思い返して拝見しておりました。
記憶が曖昧なのか、合点のいかないところがありましたので、また読み返したいと思います。
実に興味深いお話をありがとうございます。
これからも歴史を掘り下げてください!
おっしゃるとおり、歴史を知ると、地名が何を意味するかわかり、その分その場所に対する見え方が変わりますよね~
おお!「家康、江戸を建てる」をお読みになったのですね!
視聴者の方からも、本であったり、NHKでの番組で見たなどコメントを頂きますので、かなり人気の作品になっているようですね~
こういった本が人気があると言うのは個人的には多くの人が歴史に関心を持っていると言うことで、非常にいいことだと思いますね~
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!!
これからも、ご期待に添えるように頑張ります!!
とても面白かったです。
以前、笹塚から幡ヶ谷近辺に住んでおり、玉川上水を散策した時に雰囲気がいいので興味を持ったことがあり、そのことを思い出しました。
ありがとうございました。
喜んでいただけて大変うれしいです!!
笹塚から幡ヶ谷あたりは幹線道路から少し外れると、非常に静かな住宅街が広がっていていいですよね~
初めて訪問しました。生粋の大阪人ですが、東京の土地の歴史、なかなか興味深いですね。
はじめまして!
関西は歴史が長くて熟成された文化があって、私は好きですね!
特に百貨店などは高島屋や阪急などの関西系のほうが私は好みです・・・笑
東京は歴史が長くない反面、細かいところまで目が行くのが個人的には好みです!
@@TokyoTrivia京都は、歴史が長すぎて、何が“眠っているか”解らない怖さがありますね(苦笑)10年ほど前、横井小楠殉難の地を訪れた時、近くの下御霊神社の辺りで、足首を捻って腱を切る大怪我をしたことがあります。何かの祟りだったかも?😅
JR大阪駅ビルに、「大阪三越伊勢丹」が入ったのですが、関西の水に合わなかったのか、潰れてしまいました。私も一度入ったことがありますが、店舗や商品の並びが、なんとはなしに「違う」気がした記憶があります。
素晴らしいと思いました💞丁寧に動画で解説ご紹介頂いて、感謝します。お水を大切にしたいと願った、先人の働きの[お陰]を再認識致しました💖
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
そうですね!大昔のことはなんとなく劣っていると思いがちですが、しっかり振り返ると現代に負けず劣らず素晴らしいと調べながら思いました~
すごい面白かった。
豊洲の裏路地で井戸を見つけて驚いた記憶があります。もう使われていない様子でしたが金属製の典型的なスタイルでキュコキュコするヤツです。場所は凄く曖昧で豊洲五丁目辺りだったかな~
確かにあのタイプの井戸ポンプは見つけるとワクワクしますよね~
しかも5丁目辺りだと今はビルが立ち並ぶエリア。突然のノスタルジックな光景に心ざわつきますね!
昭和の頃の下町では井戸はのむというより洗濯に使用していたようですが、全自動洗濯機が普及したこともあって、消火と園芸用くらいしか使わなくなっているみたいですね~
地盤沈下と、地下水汚染で飲用にしないようにと指導されています
ビジュアル的にも、年代順でも、簡潔で分かりやすく解説されていて、とても良かったです。
ただ、羽村から四谷大木戸までの工事は、8ヶ月かかったようです。それは、閏月があったからです。それでも、一日あたり、170mほど掘り進んだ計算になりますから、とても早いと思います。
多摩地区の尾根を東西に走る玉川上水は、多摩地区を南北に走る天然河川と立体交差して、水が交わらないようにしてるとこがすごいのよ。水路と水路を平面で立体交差させる技術がすでに江戸時代にはあったんだよね。
中村哲医師が、アフガニスタンで、水路を作り、緑豊かな、食糧が取れる土地に変えたのも、日本の水路のやり方を学ばれて、アフガニスタンの人でも直すことが出来るようされたそうです。
家康が作った水路が現在道路になっていると思うと家康ってすごいなと思ってしまいます。日本橋の上の高速を動かそうなんて話がありましたがどうなっているんでしょうかね。地下には地下鉄も下水管も色々埋め込まれているので何だかちょっと怖いです。地下の様子なんかもわかると面白いです。
高速道路の移設は現在進行中ですよ。😂
今度は地下を走るような形にする様です。
玉川と言えば、カルテットを真っ先に、思い出しました😅
おまえは〜あほか〜
毎日使う京王線に桜上水という駅があります。なんでも近くに玉川上水の名残があったことで、命名したとか。
四谷大木戸門ですね。会社が四谷4丁目なので、4丁目の交差点よく通ります。井戸の話とはずれますが、新宿伊勢丹の交差点(団子屋がある付近)は追分交差点と言われてますね。そこから分かれて甲州街道と青梅街道に分かれたためと言われています。内藤新宿と言われていた江戸時代ですね。深掘りありがとうございました。
ありがとうございます!
そのような情報は大変興味深く助かります!
とても便利な場所にお勤め先がありますね!
交番があるところですよね~
追分団子
私は学生時代よく夏にかき氷食べに行きましたね~笑
私は東京で育ちました。江戸の上水が玉川上水とは知っていました。
途中で横田基地のそばを流れていると聞いて「PFAS」が!!
と思ったけど東村山に横取りされているなら今は問題ないのかな。
江戸川橋、水道橋、吉祥寺の名前は知っていましたが由来話は知りませんでした。
なんで今まで疑問に思わなかったのだろう。
ナレーション上手いです。PROのようです。
東京都は同郷ですね!小学生のとき必ず習いますものね~
確かにPFASが今話題ですが、これは地下水ではないので特に関係ないかと思いますね~
地下水を使っている自治体は夏の渇水時に、ダム系の水道に比べかなり優位だったようですが、今となっては一長一短ですね・・・
確かに知ると、そう思いますよね~
ただ、世の中そのような地名に溢れていますからね。
なんで、高輪って、高い輪なの?とか、品川って、なんで品?とか、
もっというと、なんでひらがなの「お」には点がつくのとか、意識すると言葉には疑問が沢山ありますね~
そして、そんなことを含めて日本には言葉を研究する国立国語研究所なる機関もありますから、意外とかなり深い話なのです!!
お褒めいただきありがとうございます!
大変励みになります!
ラバーダックさんはプロでしょう。IDを秘匿してらっしゃいますが只者ではないでしょう😮
プロではないですよ・・・笑
でも、そう思っていだけたのであれば嬉しいです!
通りすがりの人に説明するのが好きな東京都民です・・・笑
新宿御苑に復元された玉川上水はあまりに小さい川です。小金井辺りでは幅10mくらいはある深い川なのに江戸に入ったら小さな小川になつたとはとても考えられない。もしかしたら小川を含めたあの散策路全体が川だったのでしょうか。
確かに、新宿御苑の玉川上水はすごく小さいのでにわかに信じられませんよね~
しかし、深さは昔のほうが断然深かったものの、幅に関しては基本的に復元された川より一回り大きいくらいだと思われます。
理由として、新宿の文化服装学院前の広場に、現在も地下を通る玉川上水の暗渠のレンガトンネルの、ほぼ原寸大模型があるのですが、それがあまり大きくはないのです。基本二人の人間が並んで手を広げると、お互いがぶつかる程度です。
そして、江戸時代の新宿御苑あたりの浮世絵を見ても、だいたい川はレンガトンネルの幅くらいしかありません。
では、なぜ上流で大きな川なのに、下流で小さくなっているかというと、玉川上水は上水なので、基本的に他の川と合流しません。しかし、途中で分岐はしています。いわゆる分水ですね。なので、水の量は徐々に減っていきます。
また、江戸中に水を行き渡らせるためには、相応の圧力が必要になりますから、江戸近辺では川幅を絞ることによって、水に勢いをつけているわけでなのです。
なので、現在の御苑ではチョロチョロと流れる水ですが、かつてはかなりの水量が細い川を怒涛の勢いで流れており、これが三鷹付近も同様で太宰治の命を奪う原因となったわけです。
面白かった。登録~
めちゃくちゃ、勉強になりました😊
色々行きたい場所が増えました‼️
ありがとうございました❤
それは私としても嬉しい限りです!
都内近い部分もありますので、暖かくなってきた今から観光には最適ですね~
こちらこそご覧いただきありがとうございます!
川シリーズで呑川をリクエストしたいです
どこから湧いて来てるのか謎です
名川柳「ありがたさ たまさか 井戸で鮎を汲み」
コメントを読んでいるとこうした事を知る機会がどんどん無くなっていってるんだなと痛感させられます。昔(と言っても30年以上前ですが)だと古典落語とかで知る切っ掛けになってたんですけど、今はもうそういうのをたしなむ人も少ないんでしょうかね?
確かに、娯楽が多様化した落語や講談など全盛期に比べると聴く方も少ないですからね~
私は六代目圓生や五代目 志ん生などの昭和の名人の枕をきいて、昭和の時代の世間について知る機会が多いですね~
ただこの件でいうと、知っていた人はあえて知っているとコメントはしないので、その存在が隠れてしまう、いわゆる認知バイアスの一種なのかと思いますね~
一応東京都の小学生は全員必須で玉川上水については学ぶので、知る機会はあるかと思いますが、小学生の頃なので忘れてしまうのです・・・笑
すごい学識ですね。浅学の私が僭越にも補足すると、お茶の水の絶壁は中国の赤壁をもじって小赤壁と呼ばれていたこと。水道橋には屋根がないが神田上水樋には屋根があったことくらいです。
とても嬉しいお言葉です!
それは、素晴らしい補足ですね!
そういう知識はとても好きです!
ありがとうございます!
浄水ができるまでは、水売りがいたようだ。毎日、桶一杯配達してくれる。
野火止用水の近くに東京と埼玉にまたがって米軍施設があります。
江戸時代にはすでに上下水が完備されていたと聞いていて不思議に思っていたので、大変勉強になりました。ありがとうございます。
東京の水害を防ぐために地下に大貯水槽を作っているという話とはつながらないのでしょうか? あの貯水槽は埼玉だった? 貯水槽にどこから水を取り込むのかと思って拝見していました。
⇒春日部でしたね:首都圏外郭放水路
確かに、もっと後の時代に普及しそうなものがすでにあるって不思議ですよね~
こちらこそ、楽しんでいただけて嬉しいです!
放水路は東京都民を守る砦ですからね~
素晴らしい施設だと思います!!
玉川上水の終点である四谷の交差点は恐らくあの岡田有希子さんの事件があった場所ですね。驚きました。
おっしゃるとおりです。
毎年ファンの方がいらっしゃいますね。
ありがとうございます。やはりそうでしたか。特にファンというわけでもなく事件で初めて彼女の事を知ったのですが、当時近くの会社に勤めており連日交差点に沢山のファンが来て悲しんでいたのが忘れられません。
めっちゃおもろし
ありがとうございます!
そう言っていただけると嬉しいです!
すごく勉強になりました。着工から完成まで7ヶ月というのは本当に驚きでした。また43キロでしたっけ?ほぼマラソンじゃんって思ってマラソン大会すれば良いのにと思ってたら、既にやってるんですね。なかなか為になる動画だと思いました。
こちらこそ、ご視聴いただきありがとうございます!!
マラソンをやっているのは存じ上げなかったので、面白い情報をありがとうございます!
お役立に立てたのでしたら、大変うれしい限りです!
情報量が多量ですね。✨💞どっから収集したのですか?😮
お褒めいただきありがとうございます!
現在国や省庁、大学、自治体、企業、博物館がデータベースを作っているので、そこから情報を探してくる感じですね~
@@TokyoTrivia調べるときの参考になります。ありがとう。勉強家ですね。 帰宅時四谷大木戸を通るのですが、なんだろうと思っていたので
謎がつながりました。いっそう街歩きが楽しくなります。ありがとうございます😄💓
いえいえ、趣味ですから笑
そうなのですね~
それは、私としても大変うれしいです!
ピラミッドの発掘されてる方でしょうか?声が似ています
芋は掘ったことありますが、プラミッドは掘ったことないですね~笑
もしかして河江肖剰さんのことでしょうか?
私は全く別人ではありますが、そのような方に似ているとおっしゃっていただけるのは、なんだか嬉しいですね!!
@@TokyoTrivia 様 はいそうです。良いお声とリズムが似ていると感じました。失礼致しました。
いえいえ、お褒めいただきありがとうございます!
ブラタモリてすがな。
江戸は台地と谷で出来ており 駿河台から渋谷に流せる
NHKドラマ「家康、江戸を建てる」を見ました。僅かの勾配に水道を引いてゆく苦心が描かれていました。大久保主水、菓子職人が水道を引く責任者に選ばれたいきさつがイマイチ分かりませんでしたが、大したものです。
地下に水道を引くという技術は、先行の例があったのであろうか。寡聞にして知らないが、当時としては凄い発想と技術ではなかったのではないか。知っている人がいたら教えていただきたい。
「家康、江戸を建てる」は書籍もドラマも人気のようですね~
私はドラマは見ておりませんので重複する説明かもしれませんが、大久保主水は武士で家康の小姓としてそばに居たようです。しかし戦で怪我をして以来、体の自由が効かず、代わりに大きな動きを必要とせずとも作れる菓子を作ることを生業にしたようです。家康とはもともと親しい間柄であり、小姓時代は有能であったようなので任命したようです。
確かに家康の水道技術は本当に驚きですよね~
ところが更に驚くべきことに、水道技術に関しては意外と古くから存在していて、今から5000年ほど前のインダス文明においてはすでに地下水道が作られ、その後紀元前2000年代のローマ帝国でも、上下水道とも基本的に地下を通っていました。
つまり、その頃からほしいときに水が出てくるような生活をする文明はあったようです。ちょうど漫画テルマエ・ロマエの時代ですね。
だた、その後の時代はヨーロッパにおいてキリスト教の台頭に伴い、キリスト教が技術的な進歩を良しとしなかったため、しばらく上下水道を含めた様々な技術というのは衰退していた時代が長く続きました。
近代においてヨーロッパでは18~19世紀頃に地下上下水道が整備され始めているので、家康の17世紀における地下上水道の整備はおっしゃる通り近代においてはかなり先進的と言えるでしょうね~
@@TokyoTrivia 詳しいお話ありがとうございます。とても参考になりました。
歴史を知ると不思議なことがとても多いと感じます。
戦国末期から江戸時代初期は大土木事業の時代だと、わたしは思っています。石垣を高く積み重ね、深い堀を掘り、そして大天守を築く、海も埋め立て土地を広げる。高松城、忍城の水攻め、その規模を考えるとよく作戦として実行したなと感心します。しかし、この知識と技術は一体どこからきたのでしょうか。知識と技術は長年の積み重ねがあってこその物です。だが大土木事業の時代は突然始まったように見えます。とても不思議です。
いえいえ、御役に立てて光栄です。
そうですね~土木の時代といえますね!
これは正確に検証しているわけではないので、参考程度にお聞きいただきたいのですが、基本的に土木技術は時代とともにちょっとずつ進化していたと思います。三内丸山遺跡を見ても、ある程度の技術を持って作られていますし、奈良時代の平城京や、その発展の平安京なども、簡易的で素朴な文明レベルでは成し遂げられない技術を持って作られています。
近年出雲大社で発見された巨大な柱から、平安時代にも高さ40m超えの巨大施設を建設できるほどの技術があったと考えられますし、東大寺のような現代においても、未だこれを上回る木造建築がない大きさの建物を立てられる技術がすでにあったわけです。
しかし、戦国において土木事業が突然始まった、つまり飛躍的に進化したと感じられるのは、権力の集積と、戦時であることに原因があると考えれます。
戦国以前の時代というのは、権力の集積があまり強くなく、どの豪族も一つの村や地方を掌握するレベルにあります。しかし、戦国になると複数の国を束ね、配下に前時代とは比べ物にならない人員を従える武将というのが出てきます。こうなりますと、単純に戦国より前の時代よりも土木工事に掛けられる人員が増えるので、完成物の規模も格段に巨大になります。
また、これはよく言われることですが、戦時においては技術の発達には凄まじいものがあります。
それは、ちょうど20世紀の前半後半と後半を比較すると、戦争が多かった前半の方が格段に技術の進歩が大きかったことが挙げられます。これは相手に勝つためには、常に技術の進歩が必要とされるからです。
例えば、飛行機ですが、1903年に発明されてからわずか半世紀ほどでジェット旅客機が世界を飛び回り、人類は月に到達する航空機(ロケット)を開発しています。しかし、その後の発展スピードは格段に落ち、現在の航空機は未だに1940年代と基本的な設計に変化はありませし、月以上に遠くまで人類を運ぶことはいまだできていません。
これから考えると戦国時代も同じで、相手に勝つために常に技術革新が必要とされるがゆえに、城郭を含めた土木技術が格段に進歩すると考えられるのです。
キリスト教による暗黒時代の話ですね
上下水道の整備はペストの後になっているのが重要だったりします
ファンタジーの中世なんて幻想で、当時の旅人なんて胡散臭いし
盗賊と同然視されていて、行商人と殉教の聖地巡りでないと警戒されてます
玉川上水が 四谷から先どうなったのかが気になる 昔はここから配管されていたそうですが 今はどう水が流れているのか
四谷から先は、現在は通常の街に合わせた水道管が通っている感じですね~
遺構は新宿駅の下あたりにはまだあって、時々雑誌やテレビが取材で入るみたいですね~
玉川上水は三鷹駅の真下を流れてるんですよね。武蔵野市と三鷹市の市境になってます。
そうなんですよね!!
前に、太宰治の縁の地として訪れた際、通常玉川上水は深い谷ですが、駅の直ぐ側に水辺まで降りれるところがあったのが印象的でした!!
葛飾区内の井戸は、普通に「真水」(^^)。23区内の風呂屋も基本「井戸」なんだが、立地次第なんだな。
生まれは吉祥寺で、先祖のお墓は江戸川橋の近くです。
ちなみに御先祖様は江戸城勤務の貧乏侍でした。
父方の曽祖父は淀の浄水場勤務と聞いています。
結婚してからは勤務先の関係で羽村の堰の近くに住んでいます。
嘘のように聞こえるかもしれませんが本当の話です。
自分の周囲の話ばかりで感慨深い内容でした。
それは、非常に興味深い縁がありますね!!
そのようなお話を聞けて大変うれしいです!
ご満足いただけたのであれば、動画制作の甲斐があります!
現在笹塚駅前の暗渠になっている辺りでよくザリガニとったなぁ。暗渠にならず残っている所は何故かあまり取れなかった。少し下ると取水される所があり空になっていた。
素晴らしい思い出をお持ちですね~
当時の思い出をお聞きできるのは大変うれしいです!
今は玉川上水に直接降りれる場所が全域を通して限られているので、そこで遊んだという思い出は非常に貴重ですね~
当時の上水道は消毒なしで使っていたのでしょうか。
非常に興味深い質問ですね!
基本、菌などが感染症を引き起こすというのがわかったのが、1800年代後半ですから、江戸時代においては水には何か加えたりはしないですね。
あと、何かを添加するにしても、水を消毒できるくらいの物質は、分量によっては毒になってしまいます。
現代でも、塩素が水道には含まれますが、あれも量を間違えれば人体には恐ろしく有害です。
なので、かなり正確な分量を水に混ぜる必要がありますが、当時は正確な流水量も分からず、それに適切な量の物質を混ぜる技術もないですから、
消毒はできないですね・・・
ただ、水が濁ったり、変な匂いだったら飲めないということはこの時代の人も理解しているので、川に人が立ち入るのを禁止したり、水の水質を監視する人を各所に配置するなどの対策は取られていましたね~
古を知るには古よりの文化を学べば宜しいかと。本格的な茶道では水瓶に水を汲み、上澄みを布で濾して溜め、沸かして茶にするわけです。生活が判りますね。
最近こちらの動画シリーズにハマって毎度勉強させていただいております🙇♂️
質問なのですが、動画では玉川上水第三水門のところで、小平監視所に続く玉川上水と、東村山浄水所に続く水道に分かれると説明されていると思うのですが(勘違いだったらすみません)、調べてみると、東村山浄水所へは小平監視所を経由してから水道が続いているみたいで、もう1つの方は村山・山口貯水池に続いているという記事が出てきたのですが、どれが正しいんでしょうか?
ご覧いただきありがとうございます!!
お役に立てているのであれば大変光栄です!
ご自身で興味を持たれた部分を調べてみるというのは大変素晴らしい姿勢ですね!
ご質問の件ですが、実はどれも正しいというのが答えです。
水道は重要インフラのため、ある場所への到達経路が一つということはなく、
バックアップや各施設の能力も加味して複数の到達方法が存在します。
第3水門から取水されなかった水は、上水をそのまま進み小平監視所を通じて東村山浄水場に到達しますが、
同時に取水された水も一旦村山・山口貯水池にて貯水後、需要などに合わせて必要分東村山浄水場に送られます。
何故、小平だけで全量を確保しないかについては、水道局の人間ではないので断言はできませんが、
上記のバックアップや施設能力の部分に加えて、
多摩川を流れる水は自然の水なので、季節によって一定ではないため、一旦貯水池で安定量を確保しておき、都の必要水量を確実に供給するのが狙いと考えられます。
@@TokyoTrivia ご返信いただきありがとうございます!!
なるほどそういうことだったのですね😳
とても納得しました!水を確実に確保し続けるために貯水池が使われているのですね。
確かに玉川の水をそのまま利用するだけじゃ、雨が降らない時期が続くなど会った時に使える水が無くなってしまいますもんね。
ありがとうございます!東京限定雑学さんのように僕も疑問に持つと調べてしまう性格なので、こういう動画は大変勉強になります🙇♂️
ここまでの知識を持ちながら表現力も豊かで分かりやすい解説ができるのは本当に凄いと思います!
これからも動画制作応援しております!!
いえいえ、こういった質問は大変興味深いので大好きです!
それは、いいですね~
同じような性格であれば、動画やブロクで調べたことをまとめるのも楽しいかもしれません!
褒めていただけて大変嬉しいです!
ご期待に添えるように頑張ります!
太宰治が入水自殺をされた当初は、玉川上水も新宿の淀橋浄水場まで全量が流れていたので、羽村で取り入れた水量がそのまま轟々と流れていたそうです。明大前駅近くでは、玉川上水が井の頭線を乗り越えるためのとても太い水道管が今も見ることができます。
ブラタモリとは大分趣きが違いますね!。
矢張りタモリは理系の感性。此の方は文系の感性で少しずっこける!。
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今の玉川の浄水場は玉川の上水が源流なんですか?。
其れとも、玉川はずっと上から流れて来て居るんですか?。
確かにタモリさんとは全然違う切り口ですね~
世田谷に有る玉川浄水場は多摩川の調布あたりで取水しているので、玉川上水ではなく多摩川が元になっていますね~
ただ、多摩川の中下流はそれほど水質が良いわけではないので、今は使っていないようですね~
下町は上水の恩恵などありません。だから水売りなんて商いが成り立っていたのですよ。
登録記念カキコ 2023/10/19 再生回数16万回 登録者数 1.67万人 知った理由 おススメに出ました。
赤穂藩でも同じく水道管を通していました。
浅野内匠頭刃傷事件を知らせる際に立ち寄った!息継ぎの井戸は有名です。
現代でも水道が非常に安い場所として有名のようですので、水道と深い歴史がありますね~
赤穂藩は城もかなり立派なイメージですね~
昭島駅の近くに水喰らいど公園ってのがあります。水の通り道を掘ったはいいけど水が染み込んでダメだったんでしょう、痕跡が見ることができます。
無茶ぶりな仕事に悩み宛のない旅で行きついたのがお茶の水、聖橋でした。橋から下をのぞき込むとなんで神田川ってこんなに直角に切り立っているんだ?という疑問が湧きググりました。仙台伊達藩が家康の命で造ったとわかり苦笑。嫌で嫌で飛び出してきた街が仙台なのに、伊達藩の功績の地に無意識で立つとは。仕事の悩みを解決する勇気をもらい、無茶ぶりした相手を理論武装ではじき返しました。
あ、水道博物館2Fの冷水器の水がとってもおいしかったですよ!
素晴らしい小説のようなお話ですね~
伊達家の江戸における功績は非常に大きいですから、大いに誇ってください!
一応、現在の汐留シオサイトも海だった場所を伊達家が造成てできた土地なので、よかったら訪れてみてください!
東京の水を褒めてくださりありがとうございます!
結構嫌いな方が多いのですが、私は普通に美味しいと思います!
@@TokyoTrivia さん
ご返信ありがとうございます
お恥ずかしい限り 行き当たりばったりの旅に変わりありません シオサイト是非尋ねてみます 家康が江戸に入ったとき菓子司の大久保主水が神田山や井の頭池から上水を引いた説があるみたいなのですがいかがでしょう? 敬意を表して台東区の瑞輪寺に墓参りした身としては気になっています
いえいえ、こちらこそコメントありがとうございます!
おっしゃるとおり、大久保主水と上水には関わりがあるようですが、いくつか説があり、彼が担当したのは、井の頭からの神田上水全域というより、御茶ノ水よりもう少し西側の目白付近を通る区間の工事だと言う説がよく聞かれるところですね~
@@TokyoTrivia さん
詳しいご説明ありがとうございます
大久保主水の功績の場所も尋ねてみたいのですが、諸説色々あるそうで悩み処ですね
43mで10cmの高低差、
40kmを何年がかりで工事したのかと思いきや7ヶ月って、すごい短期間
いやー、驚き!
現代でも難しそうですから、素晴らしい技術ですよね~
水道❤
懐かしい。この辺の話は動画で言われたように東京23区民は小学校の授業で習うのです。私の世代では社会科で「私たちの東京都」という本が配布された。それに神田上水はじめとする上水道の記述があったと記憶している。玉川、羽村も習ったな、と思い出しました。だからエセ東京23区生まれかどうか、この辺の話すると見破れる。
高低差少ない故の克服の難工事だった事も当時の授業を記憶しております。
あと話ずれるが、私が秋葉原そばの東京都民であった子供の時期は東部の区民用には、江戸川取水場(映画男はつらいよ、で有名)からも水作っていた。当時はほんと味の不味い水でしたw動画でもあった新宿の高層ビル街は昔は浄水場。これも23区民は学校で習う事。
あと羽村の近くで、動画でもグーグルで少しだけ映っていたが、埼玉の所沢の西武園。あそこに学校の遠足でいったけど、隣地の狭山湖も都民の為の水道用貯水池と先生から習った記憶が・・・。
このチャンネル、この作品が初めての視聴ですが、利根川の話はもうされてますか?あれも知らない人は超絶ビックリものです。今の利根川は玉川上水と同じ人造河川なのです。でも利根川は洪水対策と物流効果狙ったものですけどね。利根川下流域が昔香取の海という内海だったこと。それを新田に変えてきた事を聞いてこれたまビックリでした。
私たちの東京都懐かしいですね!!
私の世代の教科書はレインボーブリッジとかゆりかもめなど確か異様にお台場推ししていた記憶があります・・・笑
そして、遠足で科学未来館に行くのがセットでしたね・・・笑
江戸川取水場は「こち亀」で知りましたが、近くにあったお化け煙突の話は授業で出た気がしますね~
あまり美味しくなかったとは、非常に貴重なお話ありがとうございます!!
おっしゃるとおり狭山湖は玉川上水から取水した水の行先ですね!!
利根川東遷の話は時折動画ではするのですが、それだけ取り上げたのはまだないですね~
いつか動画にしたいとは計画しています!!
@@TokyoTrivia 丁重な返信ありがとうございます。私が学校に通っていた時はレインボーブリッジかなったので、私の世代の後の学生の学業が聞けたのは大変興味深かったです。今後の益々の動画作成楽しみにしております。私は大の地理好きなので。
こちらこそ、ご視聴いただきありがとうございます!
ご期待に添えるように精進してまいります!
ナレーションはクリスペプラー?
いえ、ただの素人です・・・笑
ただ、そのような有名人を引き合いに出していただけるとは大変嬉しいです!!
@@TokyoTrivia
いい声してますねぇ😊
発音、スピードなど、たいへん聴きやすい話し方で素晴らしいです。プロ並みですね👏👏👏
私は1963年三鷹市生まれで,子供のころ(60年代後半から70年代前半)に玉川上水でザリガニ釣りなどをした記憶がありますが,その水はどこから来ていたのでしょうか?
素晴らしい質問ありがとうございます!!
実は基本淀橋浄水場廃止後は使われていなかったのですが、一部区間においては別の上水へバイパスするために70年代前半まで水を流していたことがありました。
質問のどこから流れていたかと言う話については、三鷹駅~武蔵境駅の北側に境浄水場があり、そこから三田用水へバイパスしていた感じですね~
なので、武蔵境駅より西側にお住まいだったら、ザリガニ釣りができなかったでしょうし、境浄水場からも70年代前半で終わったので、素晴らしくピンポイントな時代と場所にお生まれになった感じですね~
誠実な返答に感謝します。@@TokyoTrivia
ありがとうございます
2023/10/30/mon. 19:33
from Yokohama City Japan
こちらこそご視聴いただきありがとうございます!