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懐かしい写真をありがとうございます。昭和40年頃、叔父に連れられて山陰線に乗りました。行きは京都からです。急行に乗ったのか、記憶がありません。旅客列車はDF50が牽引していたようです。帰りの列車は混雑していて、増結していた記憶があります。昭和40年なら、もしかしたらC51をどこかの駅で見ていたのかもしれません。集煙装置は鷹取式が、C57、D51に似合いますね!
ゼンジロウさん、コメントありがとうございます。山陰本線ではDF50が大活躍していましたね。温和な顔つきのいい機関車でした。C51は見たことがないですが、C57が入るまで京都-園部間で区間列車を牽引していたと聞きました。
1:04で一畑電鉄の当時の古い電車が・・・いい光景、昔はよかった。1984年1985年に山陰本線のDD51牽引の1970年頃と同じ茶色の旧型客車に乗りましたが、最初のうちは乗り心地よかったのですが長時間乗ってて腰が痛くなりました。座席が硬くて・・・平成になってからは近鉄アーバンライナーの座席の硬さにまいりました。近鉄も令和の時代は座席のやわらかいひのとりです。でも今思うと座席の硬かった昔の方が汽車や電車に乗ってるなと感じたように思います。
5126 fogetさん、コメントありがとうございます。私も若いうちは硬いボックスシートに何時間でも座っていられましたが、先日ぷらっとこだまで東京から帰ってきましたが、4時間がえらくしんどかったです。ひのとりは快適ですね。
日本交通公社1964年9月号時刻表復刻版で山陰本線京都口の時刻を見たら、京都09:38発門司行普通811列車(門司着は翌日の05:11)と京都22:05発下関行普通817列車(下関着は翌日の16:27)が設定されていて、1等座席車が連結されていた。後に、この817列車が1等座席車から2等寝台車に連結車両を変更し、運転区間を出雲市までに短縮したんじゃないかと思います。国鉄末期に、沿線停車駅で手作業で寝台券を販売していたのをマルスでオンライン販売に対応する為に「山陰」、「ながさき」、「南紀」、「からまつ」と名前をつけました。名鉄の「北アルプス」もマルスでオンライン販売になりました。「北アルプス」の手売り時代に乗車した事がありました。
鵺屋敷の管理人鵺太郎さん、コメントありがとうございます。京都発の山陰本線普通列車、大阪発の福知山線普通列車、いずれも軽く200kmを越える運行区間で、途中停車時間も長くのんびりした列車でしたね。南紀はのちに「はやたま」と改名されてB寝台も残りましたが、電化とともに165系座席車オンリーになりました。山陰線も紀勢線も海が美しい路線でした。
この年は中学生でした、均一周遊券を使って浜田機関区から梅ヶ峠辺りに行った記憶があり懐かしく非常に嬉しいのですが、ごめんなさい。BGMがうるさくて声が聞き取りにくく、せっかくの作品が台無しだと感じました。
おっさん28号さん、コメントありがとうございます。ご指摘いただいたBGM、カシャヤカシャとうるさいですね。次回からはもう少し音量を下げるとかして改善します。貴重なご意見を頂き、ありがとうございました。
懐かしい写真をありがとうございます。
昭和40年頃、叔父に連れられて山陰線に乗りました。行きは京都からです。急行に乗ったのか、記憶がありません。
旅客列車はDF50が牽引していたようです。帰りの列車は混雑していて、増結していた記憶があります。
昭和40年なら、もしかしたらC51をどこかの駅で見ていたのかもしれません。
集煙装置は鷹取式が、C57、D51に似合いますね!
ゼンジロウさん、コメントありがとうございます。
山陰本線ではDF50が大活躍していましたね。温和な顔つきのいい機関車でした。C51は見たことがないですが、C57が入るまで京都-園部間で区間列車を牽引していたと聞きました。
1:04で一畑電鉄の当時の古い電車が・・・いい光景、昔はよかった。1984年1985年に山陰本線のDD51牽引の1970年頃と同じ茶色の旧型客車に乗りましたが、最初のうちは乗り心地よかったのですが長時間乗ってて腰が痛くなりました。座席が硬くて・・・平成になってからは近鉄アーバンライナーの座席の硬さにまいりました。近鉄も令和の時代は座席のやわらかいひのとりです。でも今思うと座席の硬かった昔の方が汽車や電車に乗ってるなと感じたように思います。
5126 fogetさん、コメントありがとうございます。
私も若いうちは硬いボックスシートに何時間でも座っていられましたが、先日ぷらっとこだまで東京から帰ってきましたが、4時間がえらくしんどかったです。
ひのとりは快適ですね。
日本交通公社1964年9月号時刻表復刻版で山陰本線京都口の時刻を見たら、京都09:38発門司行普通811列車(門司着は翌日の05:11)と京都22:05発下関行普通817列車(下関着は翌日の16:27)が設定されていて、1等座席車が連結されていた。
後に、この817列車が1等座席車から2等寝台車に連結車両を変更し、運転区間を出雲市までに短縮したんじゃないかと思います。
国鉄末期に、沿線停車駅で手作業で寝台券を販売していたのをマルスでオンライン販売に対応する為に「山陰」、「ながさき」、「南紀」、「からまつ」と名前をつけました。
名鉄の「北アルプス」もマルスでオンライン販売になりました。
「北アルプス」の手売り時代に乗車した事がありました。
鵺屋敷の管理人鵺太郎さん、コメントありがとうございます。
京都発の山陰本線普通列車、大阪発の福知山線普通列車、いずれも軽く200kmを越える運行区間で、途中停車時間も長くのんびりした列車でしたね。南紀はのちに「はやたま」と改名されてB寝台も残りましたが、電化とともに165系座席車オンリーになりました。山陰線も紀勢線も海が美しい路線でした。
この年は中学生でした、均一周遊券を使って浜田機関区から梅ヶ峠辺りに行った記憶があり懐かしく非常に嬉しいのですが、ごめんなさい。
BGMがうるさくて声が聞き取りにくく、せっかくの作品が台無しだと感じました。
おっさん28号さん、コメントありがとうございます。
ご指摘いただいたBGM、カシャヤカシャとうるさいですね。次回からはもう少し音量を下げるとかして改善します。貴重なご意見を頂き、ありがとうございました。