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1時間超えの大作お疲れ様でした。私は中国ドラマのスリキンも司馬懿も何度も視聴するぐらいハマってますが、こういう解説動画も参考にしながらだとまた色んな視点で楽しめますね。
軍師連盟の怒涛のラストはマジで最高でした🎉
動画更新おつですまさか本当に約100年分を一時間ちょいで解説するとは…恐れ入りました
ありがとうございます😭なかなかに大変で、至らない点も多々あったかとは思いますが、そう言っていただけると嬉しいです🐎
著名な方々が三国志という作品を世に送り出しましたが吉川英治の三国志を読んでから横山光輝の漫画を読み壮大なストーリーに夢中になりました。
素晴らしい大作です。正史は列伝形式なのでその人物の経歴は細かく見れても、国全体の動きはただ読んでるだけでは辛いのが難易度を上げているのだと思います。
演義を一部正史扱いしてる解説に飽き飽きしていたのですごく良い試みだと思いました歴史を知りたいときは演義が邪魔になるという
正しく区別するのがすごく難しいのよね、ホントに(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 氏それでも『演義』や『横山三国志』は『正史』入門の教科書と言えると思う。
演義は演義で好きなのですが語るときは分けないとややこしくなりがちですよね
理解できたかわからないけど、とてもわかりやすく面白かったです。三國無双が好きでよく遊んでましたが、結局三國は滅んで普が統一したのかー🤔いま思うと三國無双は演義に寄ったゲームなのですかね。これって仮に「天下統一したのは誰?」という質問があったとしたら、答えは"司馬炎"ということになるのでしょうか?
某ゲームでの知識とイメージしかありませんでしたがとても楽しめました。三国それぞれの滅亡理由も「これ、職場の崩壊と同じ…?」と身近に感じられました(笑)
やはり三国志は面白いですね。僕は横山三国志から入ったのですが、特に張飛と呂布のビジュアルがよく見られるイメージとかけ離れているので、どうして横山先生は呂布をゴリゴリ無骨な男にしたのか、張飛の髭を長くしたのか、ずっと気になっています笑
あと何故か細身の董卓(笑)
横山先生は資料を重視する人だったそうなのですが、横山三国志連載開始当初は中国との国交が回復しておらず中国の資料がなかなか手に入らなかったそうで、しかたなく想像で書いていたそうです。その後は中国旅行もできるほどになり、先生本人が直接中国に行って取材したりして、最初はメチャクチャだけど途中からちゃんとしてきた、と中国人も褒めてたくらいになっています。たとえば劇中に出てくる張魯の鎧姿とか中国の絵そのまんまです(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA そうそう。あの漫画では太い武将はほとんど存在せず。
色んな人が言及してるけど、正史は人物単位の伝記だから時系列で紹介しようとすると誰がどの出来事に関わっていたかをその都度全部照合しないといけないから超絶面倒なんですよね。(しかも司馬懿一族に至っては正史三国志に個人の伝が無いから尚更)大作お疲れ様でした。
後期になるにつれ、三国それぞれの見方の違いとか出てくるから更に厄介(笑)
演義の方は誇張されていたりして、エンタメとして楽しめる。正史三国志ってもっと難しいと思ってはいたけれど、久保さんの今までの動画や、今回の動画で色々と知ることが出来ました。そして、思ってたよりも「楽しめる歴史書」なんだな、と思いました。これからも楽しく学べる三国志(とその近辺の物語)の動画、楽しみにしています!
これからもどうぞご贔屓に!(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA ヽ( ´ ▽ ` )ノ ハーイ
横山三国志ももちろん演義ベースですが、曹操が妙にかっこよかったりしますね。初登場シーンとか、董卓に叛くくだりとか。
初期の巻が吉川英治のコピーだからそうなだけ。吉川の作風そのままになっているに過ぎない。なぜか官渡の戦いをスルーして袁紹をナレ死状態にした後、劉備と曹操が最早別人のレベルに絵が変わり、キャラ付けも吉川のコピーから横山独自のものに変わった印象だ。
日本だと元禄赤穂事件がお芝居の忠臣蔵に上書きされているし、エンタメ重要
あなた達本当にすごい素晴らしい感謝します勉強になりましたありがとうございます‼️
横山三国志の1巻だったかな、夜空に凶星が輝いて世の中荒れるぞ…みたいなシーンがあったような気がするんですが実は西暦185年に地球近傍で「超新星爆発」が起き、夜空に満月以上のレベルの明るさの天体が出現したという話が!演技の創作だとか漫画特有の脚色じゃなく、まさに黄巾の乱の最中に本当にこんな事が起きてるなんて…と驚愕しましたw当時の何も知らない人からしてみたらさぞ不気味で、なにかの兆候だと考えたりしたのは自然なことだったでしょうね。※超新星爆発の残骸はあまりにも明るいため、約一ヶ月間昼間でも肉眼で見えるレベルだそうです。
自分は北方謙三の三国志から入ったのですが、友人と三国志の話で盛り上がる時、友人は井波律子の三国志演義をベースにしているので微妙に話が噛み合いませんwが、それでもやはり三国志談義は楽しいものです。
投稿お疲れ様です。やはり曹操と張遼が正史を見ると、超人過ぎると思いますね。
三國無双を実現させる超人
武勇がその張遼以上と評された曹仁(正史曹仁伝注『傅子』)は神レベル😗
演義と正史では、演義は真実7割、架空3割となってるんよ!だけど、これが絶妙な割合で凄く面白いので、歴史小説のお手本として、後々歴史小説が同じ割合で書いてるんよ!
初めてこのチャンネルを見ました。詳しい地図が出て三国志動画の中で一番分かりやすかったです。説明も分かりやすかったです。チャンネル登録させていただきます。
ありがとうございます!
小説が上手く纏まりすぎて、正史がマイナーになっちゃったのが三国志だからなぁ。つらたん🥺
裴松之さんが注釈加えるまでは、簡素すぎてつまらんみたいに言われてた正史(๑´•.̫ • `๑)
そもそも正史はあくまでも歴史書に近い側面を持つからしゃーないしかも正史は曹丕主体で作られてるからより魏寄りになってる部分もある
演義で上方修正された劉備よりも正史の劉備の方が偉大に見えるのは私の中ではジレンマですw扱いの難しい関羽、張飛を手足のように使うのはちょっとした英雄では絶対ムリですよね。羽、剛にして自らほこり、飛、暴にして恩なく、短を以って敗を取るは、理数の常なりとあるように、関羽、張飛の扱い辛さは格別ですね。
唯才主義の曹操よりもよっぽど、劉備のほうが癖のある才能を使いこなしてるというね(笑)
演戯は・・なんか茶番の演出が多いとこある平民から同士を得て族を立ち上げて名をあげ、辺境と言えど国を奪って王朝を名乗るほど成り上がった天才、劉備野盗あがりで腕が立つが、なんか鼻について偉そうな自信家の関羽を賢く強い武人と宣伝し、酒飲んでは暴れるゴロツキのほうは武に並ぶものなしと扱った劉備とは国を盗んだ大泥棒。異論は認める
一方、孔明にその度量はなかった。演義には関羽と比較して廖化の気の利かなさをなげく描写があるが、本当にそのように思っていたかは疑わしい。特に関羽は治外法権的に勝手な行動をする関羽がいなくなって主君の出前、そんなことは口が裂けても言えないが内心ほっとした面はあったのではないか?魏延はともかく、趙雲、馬岱と比較的に命令を忠実に守ってくれる将軍が生き残ったからね。
面白い企画ですねw ฅ^•ω•^ฅ 勉強になります☆彡
楽しすぎて時間を忘れて一気に見ちゃった
嬉しい( ;∀;)
劉備が皇帝になってからの落差が凄い。
三国の次の時代の話になるけど、晋にトドメを指したのが劉禅の後継者(自称)だったり、その滅ぼされた晋が最後に頼ったのが呉の豪族達だったりするのも運命的なものを感じて面白いのよな
演義は網羅してましたが諸葛亮が表舞台に立ったのが劉備没後かなり経ってからだったとは…
劉備と関係がある人物は演義では善人扱いされがち。公孫瓚、陶謙、馬超がいい例。特に正史の馬超は呂布もビックリする程の節操なし。
まぁ、異民族側の立場になれば、馬超の行動も理解できるんですよね。蜂起の理由が演義とはだいぶ違うから、ヤバい人に見えがちですが(笑)
公孫瓚は自分より上手く異民族を統治した劉虞を逆恨み。陶謙は闕宣と連合して曹操を襲撃して返り討ちにされた。馬超は曹操の漢中侵攻の気配に過剰に反応して親父と弟を見捨てる。そのうえで楊阜を放置して妻子まで見捨てるという。
三国志演義というのは そもそも 劉備を主人公とした物語 ですよね。ですから 劉備に近い人ほどよく書かれるのは物語としてして当然でしょう。そもそも 劉備は、実際には違いますが 、三国志演義の中では 仁義を重んじる 素晴らしい人物 どういう設定ですからね。そんな主人公の周りにいる人が悪人だったらダメでしょ。それではそれとして バックが何もない 1人の人間が仲間を 集めて蜀という国のトップになるわけですからものすごい人物だったのは間違いないでしょう。
一時間の大作、楽しませていただきました。正史と演義の違いと言えば他にも、正史は人物ごとの伝になっていることですね。正史三国志を読み込んでいくと、有名な事件でも一見関係の無さそうな人物の伝に記述を見つけたりして、事件や人物の通説とは違う意外な一面を知ったり。これも正史の面白さだと思います。夷陵の戦いで劉備が孫権を攻めた理由は色々言われていますが、そもそも形だけとはいえ孫権が魏に降伏していて益州へ野心を見せている状態を放置して北上なんて無理ですよね。東征が正しいかはともかく、孫権となんらかの形で決着をつける必要はあったと思います。因みに自分は劉備が荊州南部を得てから夷陵の戦い後、蜀漢と呉が関係を修復するまでの三つ巴状態の数年間が三国志で一番面白いと思っています。
諸葛亮の大英雄ムーブの時期ですね🎉
すごくおもしろかったです!ありがとうございます😊
こちらこそありがとうございます!
約百年、数千万人の生き死にも、語ればたったの1時間。歴史って奥が深い。
正史『三國志』の著者「陳寿」は蜀漢の出身で西晋の文官であることの説明が必要では。 後漢 → 魏 → 晋 と晋の政権が正統であると主張するためには魏王曹操 (武帝) が主役になるのは当然であった。
歴史書はそれを書かせた王朝の政治的な意図がどうしても含まれてきますものね。
この動画のおかげで三国無双の新作を100倍くらい楽しめています。投稿ありがとうございました!
めちゃくちゃ嬉しいです(´;ω;`)!
いつも楽しく聞いてます😊
良い動画でした。今の日本にもこのような政治家が本当にいないことや
横山三国志と無双で育ったのでこちらの話は新鮮で面白かったです!
政史と演義どちらも踏まえてうえで三国志大好きです。
昔読んだマイナーな「反三国志」(今時検索すると出てくるものとは別物)では、筆者の体験と考察から「赤壁の戦い」は無かったのではないかと主張していました。筆者は中国との戦争中に現地で軍務に就いており、その時に資料作成として大陸の疫病等の発生地域を地図に塗り分けしていこうとしたら、赤壁周辺の長江流域が全部重なって真っ黒になったと記述していました。ずっと北方で生活し、南方の環境に慣れていなかった曹操軍の兵士に、遠征で消耗したところで疫病が大流行し、準備していた大量の船舶が鹵獲されないよう、撤退時に焼き払っただけでまともな戦闘は無かったが、それを見た人たちから赤壁の戦いが作られていったのではないかということでした。まあ火のない所に煙は立たないとも言うので、演義で描かれたほどの規模にはならず、部分的な撤退戦が繰り広げられて、あとは筆者の主張通りだったのではないかと自分は思いましたけどねw今なら結果的にコロナのグラウンド・ゼロでもある武漢も含まれますので、どれだけヤバい地域かと改めて考えさせられました
三国志演義が正史7割 創作3割に対してキングダムは、正史1割 創作9割と言われています。袁紹さんの様に、臣下の権力を削ぎまくっても滅んでしまうし、魏の様に、身内ではない臣下に権力を持たせても滅んでしまう...(2勢力は政治体制が違いますが)組織のトップを維持し続けるのは、難しいですね。
正解のない世界をどう歩むか、ですね。
「龍狼伝」は、正史0.5割:創作9.5割…w
某無双で気になってたから助かる
57:15 銀河英雄伝説の同盟が亡ぶ瞬間はまさにこれですね…
演義は周瑜とかいう曹操や諸葛亮にも張り合える寿命以外弱点の無い正史の完璧超人も噛ませ犬にされるだけでなく人間性まで捏造されるっていうね
周瑜代表と魯粛副代表
俺の推しの、司馬懿からの侵攻を防いだ、史跡まで残っている呉の名将朱然をしれっと趙雲に討たれたことにする羅貫中とかいう無能作家は三国志の二次創作するの本当やめて欲しい(暴論)
@@shirauutigawa7139 朱然は呂蒙にも後継に推薦された上にガチで陸遜と二枚看板だった呉の名将中の名将だからねえあの曹真が魏のオールスター使っても倒しきれない程の逸材なのに演義は名将にリスペクトが足りないよね
諸葛亮は北伐に向かったけど更に南に領土を拡げていたらどーだったんだろ?
魯粛も正史では関羽との対談でやり込めたのに演技では逆でしたよね。曹操の武将李典もかなりの名将なのに情けない副官でしたし曹真も司馬懿より下でしたね。
横山三國志をベースに蒼天航路で味付けした程度の知識なので勉強になりました。
三國志は、漫画やアニメ(女子高生)でしか知識が無く、面白そうだが入れ替わりも激しく、ちゃんと理解出来ていなかったので、解説が解り易く有難いです。
正史はまだ曹魏の圧力があった時代だから曹魏より、演義は民衆受けで作られた蜀漢の作品って聞いたことがあります。孫呉は、えーっと、、蜀漢→曹魏→孫呉からの司馬一族の滅亡を知るのが三国志マニアですかね!
正史の主人公は諸葛亮(陳寿諸葛亮好きすぎる臣下部門でナンバーワンの文章量)で、あと忘れられがちだけど益州を実質統一する別動隊軍の司令官(部下に張飛、趙雲)魏の問題は二代続けて皇帝の早世だろうなぁ。二代続くと国は一気に傾く。どもならん。曹丕か曹叡が10年ほど長生きできてたら司馬懿も名臣で終われただろうなぁ
三国志を詳しく知りたかったから助かる
後漢末の黄巾の乱~晋による統一だもんな。かなり濃く長い(約100年か)時代・・・ありがとうございました
その後唐の時代までの約400年間、異民族乱れるカオスの布石だったんだよな、、
寒冷化による不作だけでなくサバクトビバッタの大発生による”蝗害”も飢饉の要因だった。
初めて三国志を知ったとき三国のこころざしって意味かな?と超かっこいーとドキがムネムネしたのを覚えています☺️
わたしの記憶が確かなら・・ 正史の三国「史」は存在せず、あるのは魏史・蜀史・呉史。いわゆる「正史三国志」はそういう名前の創作物。って岩波文庫の三国志の解説で読んだ記憶がある。
正史とはいわば、国家の正当性を示す歴史書。魏呉蜀のいずれも天下を取っていないため、正当性を示す「史」ではなく、本紀の付属の記録であるという意味の「志」を用いた、という感じになっています。おそらく晋書の付属になる予定だったんでしょうけど、西晋があんな感じでぐちゃぐちゃになってしまったので、より正確で成立年代も近い三国志の重要性が増し、正史の流れを汲むことになったという感じ、みたいな(๑´•.̫ • `๑)
諸葛亮が国力の強化と守成に徹してたほうが勝手に魏が内ゲバで弱体化してくれたんじゃないか北伐が蜀の国力も諸葛亮の寿命も削ってしまった感がする
守成に徹すると、権力というか勢いが国内に集中し、派閥闘争が激化、往々にして内部に綻びが生じやすくなるという点もあるので、そこも考えないといけないのが何とも。例えば蜀漢滅亡後に同じ益州に成立した成漢王朝は、守りに徹した王朝でしたが国内のゴタゴタの末に滅びています。そして存続していた期間もほぼ蜀漢と同じ。だから諸葛亮の言う通り「戦って勝つ」以外に活路は無かったんじゃないかなぁ、なんて。
曹操ほんとカッコいいめっちゃ好き
正史三国志最大の特徴は「呉志」、「蜀志」を立てて呉や蜀について独立した扱いをしていること。他の歴史書では「正統」とする国以外はまとめて列伝に入れられ、国ごとに独立した扱いはされていない。
正史が成立したのは晋が天下統一をした頃ですし、魏呉蜀の正当性をそこまで意識しなくても良かったんでしょうね
03:25 正史は思っている程、歴史に忠実な訳ではない。 魏志倭人伝の内容もしかり。 みんな「諸説あり」の域から出ることは無い。 その「諸説」もあやしい。
素晴らしいまとめ。倍速で一気見しました。1800年以上前にこんな人達が蠢いていたなんて、堪らんですね。
漫画やゲームも、大抵は演義ベースなんですよね…。桃園の誓いや諸葛亮の神懸った軍師像はエンタメとして使いやすいもんなぁ。おかげで演義被害者の会なんて言葉が出来る始末。
逆に張遼はどこまで史実に近づければいいのか手探りな感じがある(笑)
正史な触れる動画は少ないので楽しませて貰いました。ただ、晋と呉の2国になってからの説明が寂しかったかも。20年はあるのでそこそこエピソードはありますよね? 例えば羊祜と陸抗とかです。また、統一後のエピソードに触れるなら司馬炎の大ハーレムにも触れて欲しかったかも。年頃の生娘の美少女を囲うために国民に結婚を禁止する……とかフィクションの暴君でも滅多に見ないですよ。若くして亡くなった原因も荒淫が原因と言われてます。司馬炎が女色に溺れずにちゃんと新たな秩序を立てたら八王の乱も防げたはず。
西晋は名門の儒学者官僚らによって支持され成立した王朝であり、皇族の司馬氏もまた、かつてはその儒者官僚の代表者に過ぎませんでした。そのため支持者をそれなりに優遇して、政権を維持する必要があったと考えられます。こうした背景を踏まえると、もしかすると司馬炎のハーレムもその実態は、数多の有力者達と縁戚関係を結ばないといけないという大規模政略婚だったんじゃないか、なんて思ったり…(笑)名門官僚と政略結婚は切っても切れない関係ですし。まぁ、司馬炎がそれに溺れてしまったというのもまた確かなんでしょうけど。ちょっと気の毒にも思ったり('ω')
@@KOUMEI_NO_WANADA 大規模な政略結婚と考えるには桁が2桁は多いと思いです。さすがに10000人以上じゃ擁護出来ない😅父の喪が明けて数年で5000人以上の女の子を集めています。対象は容姿端麗な美少女で生娘限定。その結果、都からは年頃の美少女が消滅したと言われました。また、美少女を独占した結果、結婚ができない男性が増えて社会問題にもなってます。天下統一の後には10000人を超える巨大ハーレムに拡大。これだけの美少女を独占して、全員に手を出した……ならある意味ではスゴいですが、司馬炎が亡くなってハーレムから開放された際には半数以上が生娘だったそうです……なんのために美少女狩りをしたのか意味不明です😓父の司馬昭が生きていた頃は酷い噂は無いので、おっかない親父という重石が無くなった途端に欲望を開放しただけに見えます。
司馬炎の重石となっていたであろう人物の解説については、おそらく明日、アップしようかと思ってます。よろしければ是非…(笑)
やっぱり諸葛亮が常勝不敗の軍師となった「演義」ってスゴい。
正史の三国志でも十分に面白いんだよなあ春秋戦国時代もそうだけど、紀伝体の方が歴史が生き生きと描かれるような気がする。そう考えると司馬遷は偉大だな
三国志をテーマにしたアニメは大抵は赤壁の戦いで終わってしまうのが残念昔あった最強武将伝三国志演義は、駆け足であったけど統一まで描いてくれた作品になっているなんだか諸葛亮の死後の話も重要なのに、演義ではおまけみたいな扱いになってしまう
諸葛亮死後の時代の主役を、誰にするかですよねぇ🤔
諸葛亮はビーム撃たないんですね!😳
地面に豆を植えて兵士を生み出すこともしません!(笑)
@ え!?いやー勉強になりますねぇ笑
始めて三國志を知ったときに「三つの国の志し」だと思って超かっこいいと思った❗実際は「三つの国の歴史」なんですよね?たぶん😮
王朝の正当性を示すとされる歴史書は「史」や「書」でくくられます(「宋史、明史」「漢書、後漢書」など)。そして「志」は「こころざし」の他に「書き記す(メモ書きみたいな)」という意味もあり、基本的に「書」の記録の中に「志」の項目があるという感じになります。詳しくは「紀伝体」で検索!なので三国志も本来は、三国を統一した「晋王朝」の正史「晋書」の補足みたいな形でくくられる予定であったと考えられ、そのせいもあって「陳寿の三国志は事実の羅列で面白みに欠ける」なんて言われたりしています。あくまで補足の歴史なので当たり前の話ではありますが(笑)しかし晋王朝は長く続かず、五胡十六国時代という異民族も入り乱れる最悪の戦国乱世へと発展。そのせいで晋書も三国時代から三百年以上も後になって編纂される形となり、その正確性も疑わしい点が多々あるとか。そんな中、陳寿が編纂し、裴松之が注釈を加えた「三国志」の完成度が非常に高かったこともあって「志」という分類でありながらも独立して「正史 二十四史」に数えられるようになったのだとか。
三国志を1ミリしか知らない俺でも曹操、劉備、孫権は知ってた。この3人の誰かが勝ったんだと思ってた。でも最後は司馬炎が晋を建国して統一と言われて、『お前誰だよ』ってなった。
結果だけ見てると孫呉はメチャクチャ強いんだよね赤壁で魏を破りその後南郡まで奪取九江で曹操の侵攻を何度も抑える関羽の隙をついて荊南を奪い数年後には同じように南郡奪って関羽を打ち取る劉備の南郡侵攻に大勝曹丕の多方面侵攻に全勝ほとんど兵力に劣っていたのに勝っているコレで地味なんだから物語の効果は絶大だよ
最終的に晋も永華の乱で中原を失うと、孫呉が基盤を築いた南方に亡命政権を作り、土着の名士や豪族が権限を握ってるあたり、最終的な勝者は孫呉だったのかもしれない、とも思えますね。
高校一年生の時にコツコツ一年かけて北方謙三の三国志読んだな。20年以上前の思い出。あの時だけ不思議なくらいのめり込んでた。
こういうのめっちゃ好き😃
僕もゆっくり解説見るときは 1.25 or 1.5 倍速で見る(*'▽')(笑)
全く興味が無かったのですが、とある事で三国志を知らないといけなくなり、とりあえず視聴してみたのですが、かなり魅力がありますね。。もっと知りたくなってしまった。
嬉しい限りです!分かりづらい話などあれば、何でもご質問くださいな!
「官渡の戦い」で曹操が勝ったことは、現在開催中のW杯で日本がドイツに勝ったことどころではなかったであろう。さて、『正史』と『演義』にはもう一つ大きな違いがある。例えば「赤壁の戦い」で活躍する周瑜は、『演義』では諸葛亮のかませ犬で、魯粛は『正史』では荊州を巡る争いで関羽を責め立てているが、『演義』では逆に関羽に良いように振り回されている。これらのことから、『演義』では周瑜が会長、魯粛が副会長を務める『演義被害者の会』があるくらいだ(もちろん冗談である。真に受けないように)。冗談はさておき、私は『横山三国志』がきっかけで大学で東洋史を専攻し、卒論のテーマは姜維の北伐にした。残念ながら、職業は歴史学と無関係だが、三国志は私の人生に大きく影響を及ぼしているのだ。
関羽&諸葛亮と敵対すると、もれなく下方修正される演義(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA すごく極端な言い方をすると、三国志演義の登場人物全員が諸葛亮の引き立て役と言えますね。劉備や関羽、鄧艾ですら例外ではないという。
55:45〜😭
@@ひょうべえ 引き立て役ではあるけど、見せ場もらい格も上げられた徐庶という男
@@nomoney8296 諸葛亮の友人というポジションで退場が早いのが幸いしたかも。もし長く諸葛亮と一緒にいたら、演義の魯粛みたいなキャラにされそうな気がします。
殆どの人は、演義が本当と思っとるし、中国では、正史と演義をちゃんと分けて呼んでるにも関わらず、本当と思ってる奴も多い!演義は、事実7割、架空3割になってる。余りにも面白いので、その後の小説のモデルになったんだよね~演義の場合、劉備に関する逸話が、殆ど架空!最初の桃園の誓いからして架空!しかも、三国志演義最大の見所、赤壁の戦いが、あったにはあったが話しが全然違う!撤退はしたが、それは北の出身の兵士が多くて、気候の違いから疫病が蔓延したから、仕方無く港と船を焼いて撤退したら、周瑜が勝った勝ったと言って回ったから、曹操が抗議の手紙を出してるのが残ってるらしいしね!
五胡十六国時代も漢の後継国家を自称した王から始まり、奴隷から成り上がった者、民族の統一を夢見た者、呂布の様に強く、そして大きな恨みを持つ者など魅力的な人物が多い。
歴史の授業だと一瞬で通り過ぎる時代だから三国志が好きな人程授業でガッカリしてたな
まだ始まって数分ですが孫氏の兵法書になぞらえて13編で解説っ!子憎たらしい演出だぜっ‼︎‼︎いつもお疲れ様ですm(_ _)m
三国の鼎立魏:220年漢(蜀):221年呉:229年
大作お疲れ様でした。どの箇所を重視するか、久保さんの好みが出てて楽しめました。横山三国志が入口だと袁紹の説明入れたくなりますよね(笑)ただ異民族関係でわりと大きいというか致命的な勘違いがあるので、そのうち説明しますね。
うひー(๑´•.̫ • `๑)
孫権が江東の有力者を重んじた・・・のかなぁ? 「天の時を得し曹操、地の利を得し劉備、人の和を得し孫権」とはいうけど、その割に孫権は激情に駆られてやらかしてるイメージが強いんだよなぁ。
劉備と孫権が逆じゃね?
NHKのドキュメンタリー(歴史は動いた等)やゆっくり動画でも、赤壁の孔明の魔術をどうしても正史に入れたがる気がする。気のせいか混ざっているような。漫画はしょうがない。漫画は別にノンフィクションじゃないから。
正史でも演義でもだいたい大まかな流れは同じ 演義がいくら劉備ひいきでも天下統一はしない
曹昂、、続き待ってます|´-`)チラッ
明日更新します…(笑)
袁紹は劉備と曹操が争っている時に曹操を攻撃せずに袁術や劉備を見捨てて信望を失い、田豊や郭図といった名士(知識人)を重用していたが、許攸に裏切られ補給庫を奪われた。一族に恵まれていなかった事もあるが、優柔不断で頼りない性格が滅亡の原因ともなった。
劉備の徐州反乱は、完全に曹操の軍才が爆発しており、劉備が耐えるならまだしも即壊滅しているので、動くに動けなかったという面がありますね。おまけに袁紹は動かずとも勝てるほどの大軍勢なので、下手に軍を動かす必要性も低い。また実権を完全に冀州出身名士に握られていた袁紹は、君主権力を確立するためにも冀州名士を冷遇する必要があった。曹操を倒してからじゃ遅いと判断して沮授や田豊の実権を削ぐも、激ヤバ将軍の曹操に破れたことで政権はガタガタ。袁紹は明らかな間違いを選んでいないにも関わらず滅びるという。もう全部、曹操がヤバい(笑)このあたりはぜひ、袁紹の解説動画にて!
鄴攻略戦で公孫瓚の弟ハメ殺して不倶戴天の敵を後方に置くことになったから気軽に動かせないだろ
曹操主人公にしにくいのも、チートすぎて物語にはしにくい。文才はある。人物見極めできるからよい部下。血筋もよい。実家も裕福。後継者の息子教育も成功。運もある。曹操の敵対者がかわいそうになりぐらい曹操はチートすぎる。軍才と内政と文才と人物の見極めできて、人材収集に怠りなく、実家も裕福で、親戚も能力磨けて才能ある奴多い。運もある。後継者教育も成功して、曹仁までは皇帝として有能。物語の英雄みたいなのが曹操だからな。
@@カイトウ-s4h曹仁を皇帝にしてしまうの・・・??
こう見ると劉備と曹操が改めて英雄なんだなと思う。
理想に向かって突き進む劉備と曹操という二人の英雄、そして現実的な思考で強かに最後まで生き残った孫権。ほんま面白い歴史やで!
高評価を押す音ぉぉぉぉぉぉ
wo longやるので勉強しに来ました!
僕もやります!楽しみ!!(笑)
劉協でなく劉虞が皇帝に即位したら蒼天は死ななかったと思います。
楽しく拝見しました。分かりやすい説明だと思いました。何点か誤解というか、解釈違いがあるようですが、一点大きな点だけ。赤壁の後に江陵と荊南を落としたのは周瑜です。演義では荊南は劉備軍が落とした事になっていますが、正史ではこの際に劉備軍は荊州の何処も落としていません。演義では荊州の領有権が曹操を追い払った孫呉と劉奇から荊州を託された劉備のどちらにあるか、としていますが、正史では周瑜が急死した為に周瑜が落とした江陵、荊南四郡まるごとを孫権が劉備に貸した、という点が演義と正史での最大の違いです。周瑜の遺産である荊州に駐留する関羽のふるまい(子供の縁組はもちろん、同盟をかさにして孫呉の兵糧を勝手に借りていく、というか略奪していく)に業を煮やして孫権は実力行使に出るわけです。荊南四郡のエピソードは孔明、関羽、張飛、趙雲に見せ場の多い場面ですが、城攻めは演義のフィクションです。孫権陣営が荊州にこだわる理由が演義視点だと理解できないところですが、実際に曹操陣営から奪ったのは周瑜であれば孫権軍も簡単には譲れない心情もわかります。(五虎将任命時に関羽が黄忠と同列になるのを嫌がるだろうと孔明が危惧するのも長沙攻めが劉備軍でなく、関羽と黄忠の一騎打ちもフィクションである事の裏付けになってます)
確かに城攻めの様子は演義の脚色が多分に含まれます。ただ正史では、劉備が関羽・張飛の部隊を周瑜に貸し、周瑜が二千の兵を劉備に貸すという形で、劉備は赤壁の後の荊南四郡(長沙・零陵・武陵・桂陽)を奪取。そして周瑜は曹仁を降して江陵(荊州南郡)を奪取した、とあります。例えば、一度曹操に降り、荊州南部を味方に引き入れるよう説得の使者として派遣された劉巴は、赤壁の戦いの後、劉備から逃げるように荊南から交州に逃げたという話があります。また、長沙太守であった「韓玄」も「劉備に降伏した」とありますし、韓玄指揮下にあった黄忠も劉備軍に属しました。もし周瑜が荊南四郡をもその手で勝ち取ったのなら、ここは「劉備」ではなく「周瑜から逃げた、周瑜に降伏した」となり、黄忠も孫権軍に加わることになるかと。その後、周瑜が没し、親劉備派の魯粛が戦略を定めたことで、江陵が劉備に引き渡され、劉備は孫権の弟分として同盟が成立します。荊州問題がややこしいのは、この辺りにあるのですが、そこに詳しく触れた解説があるのでそちらを是非!【三国志】「関羽」は「蜀漢滅亡」の原因なのか徹底解説!!【ゆっくり歴史解説】th-cam.com/video/PUtUNaWSdPo/w-d-xo.html
@@KOUMEI_NO_WANADA 関羽の動画楽しかったです。孫呉が関羽の兵站妨害してたかもというのはありそうです。周瑜伝に記述があったかと思いましたが、私の記憶違いだったようです。ちょっと長くなりますが、記憶が錯綜した経緯というか推論を書いておきます。ここに書く点以外にも見落としはあるかと思いますが・・・。正直、先主伝の記述はあっけなさ過ぎて忘れてました(笑)詳細が書かかないのは歴史の勝者の特権ですので。①正史赤壁の戦い呉志周瑜伝→赤壁にて曹操破り、劉備と共に曹操を追い、江陵の曹仁を攻めるとの記述あり魏志武帝紀→劉備は夏口に逃げ、曹操は江陵に進み、文聘を江夏太守に任じ、赤壁で劉備に負け、荊南を劉備が有するとの記述あり蜀志先主伝→江陵を目指すも長坂にて追いつかれ、江夏太守の劉埼と合流して夏口に至り、孫権と同盟し、赤壁にて曹操を破り、呉と水陸合わせて進み、南郡に至る、との記述あり⇒この時点で魏志全般で赤壁の戦いでの曹操の敗戦をうやむやにする正史と演義の食い違いの罠にはまります(苦笑)他の伝を見る限り実際は劉備ではなく周瑜に負けたが、陳寿が晋の歴史の正統性を保つ為に魏、蜀、呉の序列なので呉の家来である周瑜ではなく劉備に負けた事にし、周瑜の軍功はスルーしていますが、私もココではスルーします(苦笑)ココで気になる点は赤壁開戦時に劉備軍は夏口に駐屯していて、開戦後には水陸併進して南郡に至るという事です。開戦前には劉備軍が駐屯していた夏口は長江の北岸側で、長江を挟んだ赤壁の南側は既に孫呉の領地です。赤壁から曹操を追撃するなら劉備軍が陸路で孫呉が水路だと思います。この際に劉備軍は劉埼の本領である江夏辺りは押さえたと思いますが、それでも劉備軍はまだ長江北岸です。長沙の長江沿いのエリアは既に孫呉の領地になっていたと思われます。いくら同盟を結んだとはいえ、長江の南側から江陵を攻めている孫呉が自軍の背後を通過させ、劉備軍の荊南進出への渡河を見逃し、劉備軍としてもお互いの軍を長江を挟んで入れ替えて進軍するとは思えません。兵の貸し借りがあったとしても長江北岸での出来事で劉備軍が渡河して荊南を攻める事は出来無いかと思います。長江と黄河の渡河作戦は一大軍事作戦なので実際に劉備軍が渡河して荊南四郡に攻め込んだのならばその旨の記述があってもいいはずです。赤壁の後に周瑜は軍を夷陵まで進めますが、この際も北岸の江陵を攻めている最中であり、南岸の武陵を攻めとらない理由がありません。(この時点で荊南四郡少なくとも武陵は周瑜によって押さえられていないと夷陵までは進軍出来ないのでは?、と思います。)この時点で劉備は劉埼を荊州刺史に推挙し、名目でも得ないと渡河出来ない状況であったとも考えられます。江陵を落とした後に劉備に公安を与えた旨の記述がありますが、劉備軍が未だに夏口から江夏に駐屯していたのならば、劉備軍を長江の北岸と南岸に分断し、間の江陵を周瑜が治める事となり、劉備を呉にとどめ、関羽、張飛を周瑜の配下とするという策も現実味が出てくると思います。周瑜の存命中に公安以外を劉備に割譲する理由もありませんから、孫権が変換要求をする長沙、零陵、桂陽の三郡は周瑜の死後に割譲されたものかと思います。周瑜の死後に跡を継いだ魯粛は周瑜と異なり蜀への遠征は考えていなかったようなので、蜀の入り口である公安と対曹操の前線である江陵は劉備に完全に譲渡するとしても、他の三郡まで完全に譲渡するのは孫呉にとってもメリットがないのでこの三郡だけは入蜀までの条件付きだったのではないでしょうか。なので入蜀後の領土返還交渉の際にこの三郡を要求されたとしてもなんら不思議では無いです。(演義ではこの際に零陵の代りに江夏があてがわれていますが、正史で孫呉の領有になった時期はこちらも不明ですが、劉備軍側が支配権に固執していないのでこちらは平和裏に事が進んだと考えています。)また、劉備が対象の三郡を領有した際には諸葛亮に政務を任せた、との記述がありますが、公安についてはそういった記述も無かったと思います。公安と三郡の領有にタイムラグがあったのでこういう記述になったのではないかと考えられます。孫権というか孫呉が零陵にこだわったのも大陸南端の交州と接する土地(呉では南側には海しか無いとの恐れもあったのだと思いますが)だったので他の内地側の領地よりもこだわっていたと考えるくらいしか荊南への妄執(苦笑)の理由が見つかりません。また、蜀側でも周瑜が死んだ為に流れてきた龐統の士官のくだりの記述が少なすぎます。赤壁から劉備入蜀あたりの大きな流れの中で周瑜の存在は呉以外のメリットが無いです。(身も蓋も無い言い方ですが。)晋魏、蜀からすればおおっぴらには名前を出したくない存在だったのかもしれません。劉備軍が支配権を主張出来るだけの軍事行為の実績があれば陳寿も詳細を記述したと思います。荊南四郡だけでもかなりの広さになり、ましてや劉備が曹操から奪った割には記述が少なすぎるので、邪推したくもなります(苦笑)特に孫呉や周瑜が好きなわけではありませんが、子供の頃に見たアニメ三国志(伝説の女武将が登場するヤツです。)を見て以来孫権の荊州侵攻だけはホントに意味が分かりません。その後に演義を読んでも相変わらずで意味不明でしたが、どこかで読んだ周瑜無双な説が唯一納得出来た回答だったので、先主伝のそっけない記述なんかすっかり忘れていました。
凄くわかりやすいです✨(◍´ꇴ`◍)🎵
嬉しいです!(*'ω'*)
序盤は三国志といいつつも主人公は董卓、袁紹、曹操なんよねーとか思ってる袁紹ファン
序盤の袁紹の圧倒的主人公ムーブ好き
@@KOUMEI_NO_WANADA 序盤の終盤(※)の話の中心『袁術派と袁紹派を知ろう😃』が三国志初心者脱出の肝ですよね・・・ってこれ昔コメしたな🙃
十八史略の三国時代を読むのがよい。 陳舜臣の十八史略が読みやすい。
見ごたえありもしたわー
おつかれさまでした\( 'ω')/ちなみに『正史』と『演義』ですが正史の方は『志(こころざし)』となっているのでなにやら意味深げですが(また音的に「三国”史”」と勘違いする人も多い)この『志』は『誌』のことでつまり「書きつけたモノ」程度の意味だそうです(^_^;)
これは勉強になる🐎🐎🐎
吉川英治の三国志と横山光輝の三国志が入口としては良いと思います。私はそこから入ってコーエーのゲームの三国志にハマりました。大学の時には酒飲みながらゲームしていて起きたらマウス握って寝てたこともあります。正史は読みにくいですよね。ロマンがないので進まない。
黄巾の乱から隋の成立までずっと争い続けることが出来ましたとさ、めでたしめでたし
その後に国家統一するんだろうなぁと学生時代は思ったけど結局また振り出しに戻る
真っ先に滅びる国にいい武将が集まってるの無理がある正史の天下の情勢に関わる戦いの、戦術、関係者の心動き、人間関係、戦略、あたりがもっと見たいわ
いつも楽しく拝見しています^ ^今回の動画もとても面白かったです(*゚▽゚*)b友人を三国志沼に突き落とす際に、見せようと思います笑
ありがとうございます!良き三国志ライフを!(笑)
アーサー王伝説界におけるマロリー『アーサー王の死』、ファウスト伝説界におけるゲーテ『ファウスト』、そして三国志界における羅貫中『三国志演義』。ゲーテの『ファウスト』の成り立ちって、意外と『三国志演義』に近いようですね。少年時代のゲーテが観たファウスト伝説の人形劇か何かが原点だったらしいです。
あの時に、破竹の勢いの逸話があるんだよね~
杜預ですね
紀伝体の正史と編年体の三国演義を比べて主役がどうかもないと思いますので、まずはちくま文芸の史治通鑑の話から初めてみてはいかがでしょうか。それと演義否定派が多すぎるので渡邊義弘先生の演義できるまでの解説本の説明もお願いします。演義の進化の話をしないといきなり演義があれでできたと思う人も多くいるでしょう。正史と演義の二元論でなく平話と演義のバージョン違いと正史と史実の違いまでやっていただけることを期待しています。
大学教授レベルの話を…(笑)
演義は演義で、名作ですね。ただ、実際どうだったのかを知りたがると正史に傾倒する。それを乗り越えて、史実と物語を並立させれば、より奥が深くなりますね。史実で言えば、諸葛亮は専門外の軍事まで統括する苦労や、遺志だけで無茶をし派閥からも孤立する姜維。演義ならではの、神か魔かの諸葛亮や、インフレ頂点の呂布・関羽。どちらも楽しい。
最初のBGMってガイラルディアかな?
マジかよ。三国志って司馬懿を倒したらこの話はおしばいだーーって思ってたし、爆乳女子高生がいつ出てくるのか楽しみにしてたら1時間たってました。
「別な意見」を述べさせて頂きます。3:26で「正史は忠実に歴史で起こった出来事を記した書物で」というところで、我慢できずに最後の方にジャンプしてしまったので、どこかで言及されていたらスミマセン。謝ります。三国志に「演義」と「正史」の違いがあることを知るのは当然の教養ですが、もう一つ、「正史」が当時(陳寿からすれば自分が生まれるより前)の実際のできごとをどの程度フェアに採録したのかという視点が重要です。ご存じだと思いますが、チャイナの「正史」は、次代の王朝が自分の滅ぼした先代の王朝の記録を編纂します。これを以て、権力者が自分たちの歴史をまとめたら都合のよいものになるので、公正に次代に製作するのですと発言した日本の歴史家がいましたが、ちゃんちゃらおかしいですね。もちろん自分たちの権力が正当であることを示すために、前の政権を貶める(ように編纂者に命じる)のです。「歴史」という言葉は日本人の造語ですが、現代でもチャイナの歴史学科が政治学部の中にあるようにチャイナで言うところの「歴史」は、とても恣意的なものですよ。決して当時起こった事象を公平な立場で綴ったものではありません。ですから、チャイナ現政権の中華人民共和国は、その前の日本や中華民国を口をきわめてののしり、あることないことを吹聴するのです。このような考え方は儒教国家にありがちで、ある意味でチャイナ以上に儒教的だったコリアの現政権の韓国で、大統領が交代する度に現政権が前政権を口汚くののしり、逮捕だなんだと攻撃することに通じています。ですから、いつの日がチャイナの共産党政権が潰れれば、南京虐殺だ、靖国参拝だ、教科書問題だ、なんて諸問題はきれいさっぱりなくなることでしょうw鼻息荒く、現代のことまで書いてしまいましたが、正史の三国志に戻ると、西晋の史官だった陳寿が三国志を編纂しているわけですから、晋の王族だった司馬氏を悪く書かないのは当然として、出身地であった蜀には同情的だったとされています。だから後の「演義」でそのあたりが増幅されて、曹操は悪、劉備は善になったのでしょうね。エンタメとしてチャイナ史を楽しむのは面白いですが、チャイナの云う“史実”にそれホント?と構える視点をどうか大事にしてください。
政治と歴史を別のものと考えるのは"大前提"として、正史(今回の場合は三国志)の改竄や偏向を裏付ける資料が無い限り、現状の手札で語るしかないというのが歴史学だと私は思っています。故に演義と比較し、正史は歴史を記す書物として、今回のような表現を用いさせていただきました。決して「全てが正しい」と言いたかったわけではないので、その点を踏まえていただけますと幸いです。確かに陳寿は西晋の臣下であり、司馬政権への忖度は大いに含まれているとは思いますが、今回の動画のメインのターゲットは冒頭でも述べた通り「三国志を知らない人」となります。初心者にいきなり難しい話をしてもハードルが高くなると思い、今回は本題と異なる話を省略し、分かりやすい表現を用いました。偏向や忖度など、その辺りの話については「陳寿」の解説動画で触れていますので是非。
昔から思うが、焼き討ちと言っても食料て簡単に燃えないだろ。どうやって燃やしたんだろ
火薬の登場はまだ先ですから、油や枯れ草を燃料にするという感じだったのかなぁ、なんて
キ州あたりだと主食は麦だから燃えるんじゃね 騎馬を養うにも飼い葉は必須だし
1時間超えの大作お疲れ様でした。
私は中国ドラマのスリキンも司馬懿も何度も視聴するぐらいハマってますが、こういう解説動画も参考にしながらだとまた色んな視点で楽しめますね。
軍師連盟の怒涛のラストはマジで最高でした🎉
動画更新おつです
まさか本当に約100年分を一時間ちょいで解説するとは…恐れ入りました
ありがとうございます😭
なかなかに大変で、至らない点も多々あったかとは思いますが、そう言っていただけると嬉しいです🐎
著名な方々が三国志という作品を世に送り出しましたが吉川英治の三国志を読んでから横山光輝の漫画を読み壮大なストーリーに夢中になりました。
素晴らしい大作です。
正史は列伝形式なのでその人物の経歴は細かく見れても、国全体の動きはただ読んでるだけでは辛いのが難易度を上げているのだと思います。
演義を一部正史扱いしてる解説に飽き飽きしていたのですごく良い試みだと思いました
歴史を知りたいときは演義が邪魔になるという
正しく区別するのがすごく難しいのよね、ホントに(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 氏
それでも『演義』や『横山三国志』は『正史』入門の教科書と言えると思う。
演義は演義で好きなのですが語るときは分けないとややこしくなりがちですよね
理解できたかわからないけど、とてもわかりやすく面白かったです。
三國無双が好きでよく遊んでましたが、結局三國は滅んで普が統一したのかー🤔
いま思うと三國無双は演義に寄ったゲームなのですかね。
これって仮に「天下統一したのは誰?」という質問があったとしたら、答えは"司馬炎"ということになるのでしょうか?
某ゲームでの知識とイメージしかありませんでしたがとても楽しめました。三国それぞれの滅亡理由も「これ、職場の崩壊と同じ…?」と身近に感じられました(笑)
やはり三国志は面白いですね。
僕は横山三国志から入ったのですが、特に張飛と呂布のビジュアルがよく見られるイメージとかけ離れているので、どうして横山先生は呂布をゴリゴリ無骨な男にしたのか、張飛の髭を長くしたのか、ずっと気になっています笑
あと何故か細身の董卓(笑)
横山先生は資料を重視する人だったそうなのですが、横山三国志連載開始当初は中国との国交が回復しておらず中国の資料がなかなか手に入らなかったそうで、しかたなく想像で書いていたそうです。
その後は中国旅行もできるほどになり、先生本人が直接中国に行って取材したりして、最初はメチャクチャだけど途中からちゃんとしてきた、と中国人も褒めてたくらいになっています。
たとえば劇中に出てくる張魯の鎧姿とか中国の絵そのまんまです(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA そうそう。あの漫画では太い武将はほとんど存在せず。
色んな人が言及してるけど、正史は人物単位の伝記だから時系列で紹介しようとすると誰がどの出来事に関わっていたかをその都度全部照合しないといけないから超絶面倒なんですよね。
(しかも司馬懿一族に至っては正史三国志に個人の伝が無いから尚更)
大作お疲れ様でした。
後期になるにつれ、三国それぞれの見方の違いとか出てくるから更に厄介(笑)
演義の方は誇張されていたりして、エンタメとして楽しめる。
正史三国志ってもっと難しいと思ってはいたけれど、久保さんの今までの動画や、今回の動画で色々と知ることが出来ました。
そして、思ってたよりも「楽しめる歴史書」なんだな、と思いました。
これからも楽しく学べる三国志(とその近辺の物語)の動画、楽しみにしています!
これからもどうぞご贔屓に!(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA
ヽ( ´ ▽ ` )ノ ハーイ
横山三国志ももちろん演義ベースですが、曹操が妙にかっこよかったりしますね。初登場シーンとか、董卓に叛くくだりとか。
初期の巻が吉川英治のコピーだからそうなだけ。
吉川の作風そのままになっているに過ぎない。
なぜか官渡の戦いをスルーして袁紹をナレ死状態にした後、劉備と曹操が最早別人のレベルに絵が変わり、キャラ付けも吉川のコピーから横山独自のものに変わった印象だ。
日本だと元禄赤穂事件がお芝居の忠臣蔵に上書きされているし、エンタメ重要
あなた達本当にすごい素晴らしい感謝します勉強になりましたありがとうございます‼️
横山三国志の1巻だったかな、夜空に凶星が輝いて世の中荒れるぞ…みたいなシーンがあったような気がするんですが
実は西暦185年に地球近傍で「超新星爆発」が起き、夜空に満月以上のレベルの明るさの天体が出現したという話が!
演技の創作だとか漫画特有の脚色じゃなく、まさに黄巾の乱の最中に本当にこんな事が起きてるなんて…と驚愕しましたw
当時の何も知らない人からしてみたらさぞ不気味で、なにかの兆候だと考えたりしたのは自然なことだったでしょうね。
※超新星爆発の残骸はあまりにも明るいため、約一ヶ月間昼間でも肉眼で見えるレベルだそうです。
自分は北方謙三の三国志から入ったのですが、友人と三国志の話で盛り上がる時、
友人は井波律子の三国志演義をベースにしているので微妙に話が噛み合いませんw
が、それでもやはり三国志談義は楽しいものです。
投稿お疲れ様です。
やはり曹操と張遼が正史を見ると、超人過ぎると思いますね。
三國無双を実現させる超人
武勇がその張遼以上と評された曹仁(正史曹仁伝注『傅子』)は神レベル😗
演義と正史では、演義は真実7割、架空3割となってるんよ!
だけど、これが絶妙な割合で凄く面白いので、歴史小説のお手本として、後々歴史小説が同じ割合で書いてるんよ!
初めてこのチャンネルを見ました。
詳しい地図が出て三国志動画の中で一番分かりやすかったです。
説明も分かりやすかったです。
チャンネル登録させていただきます。
ありがとうございます!
小説が上手く纏まりすぎて、正史がマイナーになっちゃったのが三国志だからなぁ。
つらたん🥺
裴松之さんが注釈加えるまでは、簡素すぎてつまらんみたいに言われてた正史(๑´•.̫ • `๑)
そもそも正史はあくまでも歴史書に近い側面を持つからしゃーない
しかも正史は曹丕主体で作られてるからより魏寄りになってる部分もある
演義で上方修正された劉備よりも正史の劉備の方が偉大に見えるのは私の中ではジレンマですw
扱いの難しい関羽、張飛を手足のように使うのはちょっとした英雄では絶対ムリですよね。
羽、剛にして自らほこり、飛、暴にして恩なく、短を以って敗を取るは、理数の常なり
とあるように、関羽、張飛の扱い辛さは格別ですね。
唯才主義の曹操よりもよっぽど、劉備のほうが癖のある才能を使いこなしてるというね(笑)
演戯は・・なんか茶番の演出が多いとこある
平民から同士を得て族を立ち上げて名をあげ、辺境と言えど国を奪って王朝を名乗るほど成り上がった天才、劉備
野盗あがりで腕が立つが、なんか鼻について偉そうな自信家の関羽を賢く強い武人と宣伝し、酒飲んでは暴れるゴロツキのほうは武に並ぶものなしと扱った
劉備とは国を盗んだ大泥棒。異論は認める
一方、孔明にその度量はなかった。
演義には関羽と比較して廖化の気の利かなさをなげく描写があるが、本当にそのように思っていたかは疑わしい。
特に関羽は治外法権的に勝手な行動をする関羽がいなくなって主君の出前、そんなことは口が裂けても言えないが内心ほっとした面はあったのではないか?
魏延はともかく、趙雲、馬岱と比較的に命令を忠実に守ってくれる将軍が生き残ったからね。
面白い企画ですねw ฅ^•ω•^ฅ 勉強になります☆彡
楽しすぎて時間を忘れて一気に見ちゃった
嬉しい( ;∀;)
劉備が皇帝になってからの落差が凄い。
三国の次の時代の話になるけど、晋にトドメを指したのが劉禅の後継者(自称)だったり、その滅ぼされた晋が最後に頼ったのが呉の豪族達だったりするのも運命的なものを感じて面白いのよな
演義は網羅してましたが諸葛亮が表舞台に立ったのが劉備没後かなり経ってからだったとは…
劉備と関係がある人物は演義では善人扱いされがち。公孫瓚、陶謙、馬超がいい例。特に正史の馬超は呂布もビックリする程の節操なし。
まぁ、異民族側の立場になれば、馬超の行動も理解できるんですよね。蜂起の理由が演義とはだいぶ違うから、ヤバい人に見えがちですが(笑)
公孫瓚は自分より上手く異民族を統治した劉虞を逆恨み。
陶謙は闕宣と連合して曹操を襲撃して返り討ちにされた。
馬超は曹操の漢中侵攻の気配に過剰に反応して親父と弟を見捨てる。そのうえで楊阜を放置して妻子まで見捨てるという。
三国志演義というのは そもそも 劉備を主人公とした物語 ですよね。ですから 劉備に近い人ほどよく書かれるのは物語としてして当然でしょう。そもそも 劉備は、実際には違いますが 、三国志演義の中では 仁義を重んじる 素晴らしい人物 どういう設定ですからね。そんな主人公の周りにいる人が悪人だったらダメでしょ。
それではそれとして バックが何もない 1人の人間が仲間を 集めて蜀という国のトップになるわけですからものすごい人物だったのは間違いないでしょう。
一時間の大作、楽しませていただきました。正史と演義の違いと言えば他にも、正史は人物ごとの伝になっていることですね。正史三国志を読み込んでいくと、有名な事件でも一見関係の無さそうな人物の伝に記述を見つけたりして、事件や人物の通説とは違う意外な一面を知ったり。これも正史の面白さだと思います。
夷陵の戦いで劉備が孫権を攻めた理由は色々言われていますが、そもそも形だけとはいえ孫権が魏に降伏していて益州へ野心を見せている状態を放置して北上なんて無理ですよね。東征が正しいかはともかく、孫権となんらかの形で決着をつける必要はあったと思います。因みに自分は劉備が荊州南部を得てから夷陵の戦い後、蜀漢と呉が関係を修復するまでの三つ巴状態の数年間が三国志で一番面白いと思っています。
諸葛亮の大英雄ムーブの時期ですね🎉
すごくおもしろかったです!
ありがとうございます😊
こちらこそありがとうございます!
約百年、数千万人の生き死にも、語ればたったの1時間。歴史って奥が深い。
正史『三國志』の著者「陳寿」は蜀漢の出身で西晋の文官であることの説明が必要では。
後漢 → 魏 → 晋
と晋の政権が正統であると主張するためには魏王曹操 (武帝) が主役になるのは当然であった。
歴史書はそれを書かせた王朝の政治的な意図がどうしても含まれてきますものね。
この動画のおかげで三国無双の新作を100倍くらい楽しめています。投稿ありがとうございました!
めちゃくちゃ嬉しいです(´;ω;`)!
いつも楽しく聞いてます😊
ありがとうございます!
良い動画でした。今の日本にもこのような政治家が本当にいないことや
横山三国志と無双で育ったのでこちらの話は新鮮で面白かったです!
政史と演義どちらも踏まえてうえで三国志大好きです。
昔読んだマイナーな「反三国志」(今時検索すると出てくるものとは別物)では、筆者の体験と考察から「赤壁の戦い」は無かったのではないかと主張していました。
筆者は中国との戦争中に現地で軍務に就いており、その時に資料作成として大陸の疫病等の発生地域を地図に塗り分けしていこうとしたら、赤壁周辺の長江流域が全部重なって真っ黒になったと記述していました。
ずっと北方で生活し、南方の環境に慣れていなかった曹操軍の兵士に、遠征で消耗したところで疫病が大流行し、準備していた大量の船舶が鹵獲されないよう、撤退時に焼き払っただけでまともな戦闘は無かったが、それを見た人たちから赤壁の戦いが作られていったのではないかということでした。
まあ火のない所に煙は立たないとも言うので、演義で描かれたほどの規模にはならず、部分的な撤退戦が繰り広げられて、あとは筆者の主張通りだったのではないかと自分は思いましたけどねw
今なら結果的にコロナのグラウンド・ゼロでもある武漢も含まれますので、どれだけヤバい地域かと改めて考えさせられました
三国志演義が正史7割 創作3割に対して
キングダムは、正史1割 創作9割と言われています。
袁紹さんの様に、臣下の権力を削ぎまくっても滅んでしまうし、魏の様に、身内ではない臣下に権力を持たせても滅んでしまう...(2勢力は政治体制が違いますが)組織のトップを維持し続けるのは、難しいですね。
正解のない世界をどう歩むか、ですね。
「龍狼伝」は、正史0.5割:創作9.5割…w
某無双で気になってたから助かる
57:15 銀河英雄伝説の同盟が亡ぶ瞬間はまさにこれですね…
演義は周瑜とかいう曹操や諸葛亮にも張り合える寿命以外弱点の無い正史の完璧超人も噛ませ犬にされるだけでなく人間性まで捏造されるっていうね
周瑜代表と魯粛副代表
俺の推しの、司馬懿からの侵攻を防いだ、史跡まで残っている呉の名将朱然をしれっと趙雲に討たれたことにする羅貫中とかいう無能作家は三国志の二次創作するの本当やめて欲しい(暴論)
@@shirauutigawa7139
朱然は呂蒙にも後継に推薦された上にガチで陸遜と二枚看板だった呉の名将中の名将だからねえ
あの曹真が魏のオールスター使っても倒しきれない程の逸材なのに演義は名将にリスペクトが足りないよね
諸葛亮は北伐に向かったけど更に南に領土を拡げていたらどーだったんだろ?
魯粛も正史では関羽との対談でやり込めたのに演技では逆でしたよね。曹操の武将李典もかなりの名将なのに情けない副官でしたし曹真も司馬懿より下でしたね。
横山三國志をベースに蒼天航路で味付けした程度の知識なので勉強になりました。
三國志は、漫画やアニメ(女子高生)でしか知識が無く、面白そうだが入れ替わりも激しく、ちゃんと理解出来ていなかったので、解説が解り易く有難いです。
正史はまだ曹魏の圧力があった時代だから曹魏より、演義は民衆受けで作られた蜀漢の作品って聞いたことがあります。
孫呉は、えーっと、、
蜀漢→曹魏→孫呉からの司馬一族の滅亡を知るのが三国志マニアですかね!
正史の主人公は諸葛亮(陳寿諸葛亮好きすぎる臣下部門でナンバーワンの文章量)で、あと忘れられがちだけど益州を実質統一する別動隊軍の司令官(部下に張飛、趙雲)
魏の問題は二代続けて皇帝の早世だろうなぁ。二代続くと国は一気に傾く。どもならん。曹丕か曹叡が10年ほど長生きできてたら司馬懿も名臣で終われただろうなぁ
三国志を詳しく知りたかったから助かる
後漢末の黄巾の乱~晋による統一だもんな。かなり濃く長い(約100年か)時代・・・
ありがとうございました
その後唐の時代までの約400年間、異民族乱れるカオスの布石だったんだよな、、
寒冷化による不作だけでなくサバクトビバッタの大発生による”蝗害”も飢饉の要因だった。
初めて三国志を知ったとき三国のこころざしって意味かな?と超かっこいーとドキがムネムネしたのを覚えています☺️
わたしの記憶が確かなら・・ 正史の三国「史」は存在せず、あるのは魏史・蜀史・呉史。
いわゆる「正史三国志」はそういう名前の創作物。って岩波文庫の三国志の解説で読んだ記憶がある。
正史とはいわば、国家の正当性を示す歴史書。魏呉蜀のいずれも天下を取っていないため、正当性を示す「史」ではなく、本紀の付属の記録であるという意味の「志」を用いた、という感じになっています。おそらく晋書の付属になる予定だったんでしょうけど、西晋があんな感じでぐちゃぐちゃになってしまったので、より正確で成立年代も近い三国志の重要性が増し、正史の流れを汲むことになったという感じ、みたいな(๑´•.̫ • `๑)
諸葛亮が国力の強化と守成に徹してたほうが勝手に魏が内ゲバで弱体化してくれたんじゃないか
北伐が蜀の国力も諸葛亮の寿命も削ってしまった感がする
守成に徹すると、権力というか勢いが国内に集中し、派閥闘争が激化、往々にして内部に綻びが生じやすくなるという点もあるので、そこも考えないといけないのが何とも。
例えば蜀漢滅亡後に同じ益州に成立した成漢王朝は、守りに徹した王朝でしたが国内のゴタゴタの末に滅びています。そして存続していた期間もほぼ蜀漢と同じ。
だから諸葛亮の言う通り「戦って勝つ」以外に活路は無かったんじゃないかなぁ、なんて。
曹操ほんとカッコいい
めっちゃ好き
正史三国志最大の特徴は「呉志」、「蜀志」を立てて呉や蜀について独立した扱いをしていること。他の歴史書では「正統」とする国以外はまとめて列伝に入れられ、国ごとに独立した扱いはされていない。
正史が成立したのは晋が天下統一をした頃ですし、魏呉蜀の正当性をそこまで意識しなくても良かったんでしょうね
03:25 正史は思っている程、歴史に忠実な訳ではない。
魏志倭人伝の内容もしかり。
みんな「諸説あり」の域から出ることは無い。
その「諸説」もあやしい。
素晴らしいまとめ。
倍速で一気見しました。
1800年以上前にこんな人達が蠢いていたなんて、堪らんですね。
漫画やゲームも、大抵は演義ベースなんですよね…。
桃園の誓いや諸葛亮の神懸った軍師像はエンタメとして使いやすいもんなぁ。
おかげで演義被害者の会なんて言葉が出来る始末。
逆に張遼はどこまで史実に近づければいいのか手探りな感じがある(笑)
正史な触れる動画は少ないので楽しませて貰いました。
ただ、晋と呉の2国になってからの説明が寂しかったかも。
20年はあるのでそこそこエピソードはありますよね? 例えば羊祜と陸抗とかです。
また、統一後のエピソードに触れるなら司馬炎の大ハーレムにも触れて欲しかったかも。
年頃の生娘の美少女を囲うために国民に結婚を禁止する……とかフィクションの暴君でも滅多に見ないですよ。
若くして亡くなった原因も荒淫が原因と言われてます。
司馬炎が女色に溺れずにちゃんと新たな秩序を立てたら八王の乱も防げたはず。
西晋は名門の儒学者官僚らによって支持され成立した王朝であり、皇族の司馬氏もまた、かつてはその儒者官僚の代表者に過ぎませんでした。
そのため支持者をそれなりに優遇して、政権を維持する必要があったと考えられます。
こうした背景を踏まえると、もしかすると司馬炎のハーレムもその実態は、数多の有力者達と縁戚関係を結ばないといけないという大規模政略婚だったんじゃないか、なんて思ったり…(笑)
名門官僚と政略結婚は切っても切れない関係ですし。まぁ、司馬炎がそれに溺れてしまったというのもまた確かなんでしょうけど。ちょっと気の毒にも思ったり('ω')
@@KOUMEI_NO_WANADA
大規模な政略結婚と考えるには桁が2桁は多いと思いです。
さすがに10000人以上じゃ擁護出来ない😅
父の喪が明けて数年で5000人以上の女の子を集めています。対象は容姿端麗な美少女で生娘限定。その結果、都からは年頃の美少女が消滅したと言われました。また、美少女を独占した結果、結婚ができない男性が増えて社会問題にもなってます。
天下統一の後には10000人を超える巨大ハーレムに拡大。
これだけの美少女を独占して、全員に手を出した……ならある意味ではスゴいですが、司馬炎が亡くなってハーレムから開放された際には半数以上が生娘だったそうです……なんのために美少女狩りをしたのか意味不明です😓
父の司馬昭が生きていた頃は酷い噂は無いので、おっかない親父という重石が無くなった途端に欲望を開放しただけに見えます。
司馬炎の重石となっていたであろう人物の解説については、おそらく明日、アップしようかと思ってます。よろしければ是非…(笑)
やっぱり諸葛亮が常勝不敗の軍師となった「演義」ってスゴい。
正史の三国志でも十分に面白いんだよなあ
春秋戦国時代もそうだけど、紀伝体の方が歴史が生き生きと描かれるような気がする。
そう考えると司馬遷は偉大だな
三国志をテーマにしたアニメは大抵は赤壁の戦いで終わってしまうのが残念
昔あった最強武将伝三国志演義は、駆け足であったけど統一まで描いてくれた作品になっている
なんだか諸葛亮の死後の話も重要なのに、演義ではおまけみたいな扱いになってしまう
諸葛亮死後の時代の主役を、誰にするかですよねぇ🤔
諸葛亮はビーム撃たないんですね!😳
地面に豆を植えて兵士を生み出すこともしません!(笑)
@ え!?いやー勉強になりますねぇ笑
始めて三國志を知ったときに「三つの国の志し」だと思って超かっこいいと思った❗
実際は「三つの国の歴史」なんですよね?たぶん😮
王朝の正当性を示すとされる歴史書は「史」や「書」でくくられます(「宋史、明史」「漢書、後漢書」など)。
そして「志」は「こころざし」の他に「書き記す(メモ書きみたいな)」という意味もあり、基本的に「書」の記録の中に「志」の項目があるという感じになります。詳しくは「紀伝体」で検索!
なので三国志も本来は、三国を統一した「晋王朝」の正史「晋書」の補足みたいな形でくくられる予定であったと考えられ、そのせいもあって「陳寿の三国志は事実の羅列で面白みに欠ける」なんて言われたりしています。あくまで補足の歴史なので当たり前の話ではありますが(笑)
しかし晋王朝は長く続かず、五胡十六国時代という異民族も入り乱れる最悪の戦国乱世へと発展。そのせいで晋書も三国時代から三百年以上も後になって編纂される形となり、その正確性も疑わしい点が多々あるとか。
そんな中、陳寿が編纂し、裴松之が注釈を加えた「三国志」の完成度が非常に高かったこともあって「志」という分類でありながらも独立して「正史 二十四史」に数えられるようになったのだとか。
三国志を1ミリしか知らない俺でも曹操、劉備、孫権は知ってた。この3人の誰かが勝ったんだと思ってた。
でも最後は司馬炎が晋を建国して統一と言われて、『お前誰だよ』ってなった。
結果だけ見てると孫呉はメチャクチャ強いんだよね
赤壁で魏を破りその後南郡まで奪取
九江で曹操の侵攻を何度も抑える
関羽の隙をついて荊南を奪い数年後には同じように南郡奪って関羽を打ち取る
劉備の南郡侵攻に大勝
曹丕の多方面侵攻に全勝
ほとんど兵力に劣っていたのに勝っている
コレで地味なんだから物語の効果は絶大だよ
最終的に晋も永華の乱で中原を失うと、孫呉が基盤を築いた南方に亡命政権を作り、土着の名士や豪族が権限を握ってるあたり、最終的な勝者は孫呉だったのかもしれない、とも思えますね。
高校一年生の時にコツコツ一年かけて北方謙三の三国志読んだな。20年以上前の思い出。あの時だけ不思議なくらいのめり込んでた。
こういうのめっちゃ好き😃
僕もゆっくり解説見るときは 1.25 or 1.5 倍速で見る(*'▽')(笑)
全く興味が無かったのですが、
とある事で三国志を知らないといけなくなり、とりあえず視聴してみたのですが、
かなり魅力がありますね。。もっと知りたくなってしまった。
嬉しい限りです!
分かりづらい話などあれば、何でもご質問くださいな!
「官渡の戦い」で曹操が勝ったことは、現在開催中のW杯で日本がドイツに勝ったことどころではなかったであろう。さて、『正史』と『演義』にはもう一つ大きな違いがある。例えば「赤壁の戦い」で活躍する周瑜は、『演義』では諸葛亮のかませ犬で、魯粛は『正史』では荊州を巡る争いで関羽を責め立てているが、『演義』では逆に関羽に良いように振り回されている。これらのことから、『演義』では周瑜が会長、魯粛が副会長を務める『演義被害者の会』があるくらいだ(もちろん冗談である。真に受けないように)。冗談はさておき、私は『横山三国志』がきっかけで大学で東洋史を専攻し、卒論のテーマは姜維の北伐にした。残念ながら、職業は歴史学と無関係だが、三国志は私の人生に大きく影響を及ぼしているのだ。
関羽&諸葛亮と敵対すると、もれなく下方修正される演義(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA すごく極端な言い方をすると、三国志演義の登場人物全員が諸葛亮の引き立て役と言えますね。劉備や関羽、鄧艾ですら例外ではないという。
55:45〜😭
@@ひょうべえ
引き立て役ではあるけど、見せ場もらい格も上げられた徐庶という男
@@nomoney8296 諸葛亮の友人というポジションで退場が早いのが幸いしたかも。もし長く諸葛亮と一緒にいたら、演義の魯粛みたいなキャラにされそうな気がします。
殆どの人は、演義が本当と思っとるし、中国では、正史と演義をちゃんと分けて呼んでるにも関わらず、本当と思ってる奴も多い!
演義は、事実7割、架空3割になってる。
余りにも面白いので、その後の小説のモデルになったんだよね~
演義の場合、劉備に関する逸話が、殆ど架空!
最初の桃園の誓いからして架空!
しかも、三国志演義最大の見所、赤壁の戦いが、あったにはあったが話しが全然違う!
撤退はしたが、それは北の出身の兵士が多くて、気候の違いから疫病が蔓延したから、仕方無く港と船を焼いて撤退したら、周瑜が
勝った勝った
と言って回ったから、曹操が抗議の手紙を出してるのが残ってるらしいしね!
五胡十六国時代も漢の後継国家を自称した王から始まり、奴隷から成り上がった者、民族の統一を夢見た者、呂布の様に強く、そして大きな恨みを持つ者など魅力的な人物が多い。
歴史の授業だと一瞬で通り過ぎる時代だから
三国志が好きな人程授業でガッカリしてたな
まだ始まって数分ですが
孫氏の兵法書になぞらえて13編で解説っ!
子憎たらしい演出だぜっ‼︎‼︎
いつもお疲れ様ですm(_ _)m
三国の鼎立
魏:220年
漢(蜀):221年
呉:229年
大作お疲れ様でした。どの箇所を重視するか、久保さんの好みが出てて楽しめました。横山三国志が入口だと袁紹の説明入れたくなりますよね(笑)
ただ異民族関係でわりと大きいというか致命的な勘違いがあるので、そのうち説明しますね。
うひー(๑´•.̫ • `๑)
孫権が江東の有力者を重んじた・・・のかなぁ? 「天の時を得し曹操、地の利を得し劉備、人の和を得し孫権」とはいうけど、その割に孫権は激情に駆られてやらかしてるイメージが強いんだよなぁ。
劉備と孫権が逆じゃね?
NHKのドキュメンタリー(歴史は動いた等)やゆっくり動画でも、赤壁の孔明の魔術をどうしても正史に入れたがる気がする。気のせいか混ざっているような。漫画はしょうがない。漫画は別にノンフィクションじゃないから。
正史でも演義でもだいたい大まかな流れは同じ 演義がいくら劉備ひいきでも天下統一はしない
曹昂、、続き待ってます|´-`)チラッ
明日更新します…(笑)
袁紹は劉備と曹操が争っている時に曹操を攻撃せずに袁術や劉備を見捨てて信望を失い、田豊や郭図といった名士(知識人)を重用していたが、許攸に裏切られ補給庫を奪われた。一族に恵まれていなかった事もあるが、優柔不断で頼りない性格が滅亡の原因ともなった。
劉備の徐州反乱は、完全に曹操の軍才が爆発しており、劉備が耐えるならまだしも即壊滅しているので、動くに動けなかったという面がありますね。おまけに袁紹は動かずとも勝てるほどの大軍勢なので、下手に軍を動かす必要性も低い。
また実権を完全に冀州出身名士に握られていた袁紹は、君主権力を確立するためにも冀州名士を冷遇する必要があった。
曹操を倒してからじゃ遅いと判断して沮授や田豊の実権を削ぐも、激ヤバ将軍の曹操に破れたことで政権はガタガタ。
袁紹は明らかな間違いを選んでいないにも関わらず滅びるという。もう全部、曹操がヤバい(笑)
このあたりはぜひ、袁紹の解説動画にて!
鄴攻略戦で公孫瓚の弟ハメ殺して不倶戴天の敵を後方に置くことになったから気軽に動かせないだろ
曹操主人公にしにくいのも、チートすぎて物語にはしにくい。文才はある。人物見極めできるからよい部下。血筋もよい。実家も裕福。後継者の息子教育も成功。運もある。
曹操の敵対者がかわいそうになりぐらい曹操はチートすぎる。
軍才と内政と文才と人物の見極めできて、人材収集に怠りなく、実家も裕福で、親戚も能力磨けて才能ある奴多い。運もある。後継者教育も成功して、曹仁までは皇帝として有能。物語の英雄みたいなのが曹操だからな。
@@カイトウ-s4h曹仁を皇帝にしてしまうの・・・??
こう見ると劉備と曹操が改めて英雄なんだなと思う。
理想に向かって突き進む劉備と曹操という二人の英雄、そして現実的な思考で強かに最後まで生き残った孫権。ほんま面白い歴史やで!
高評価を押す音ぉぉぉぉぉぉ
wo longやるので勉強しに来ました!
僕もやります!楽しみ!!(笑)
劉協でなく劉虞が皇帝に即位したら蒼天は死ななかったと思います。
楽しく拝見しました。
分かりやすい説明だと思いました。
何点か誤解というか、解釈違いがあるようですが、一点大きな点だけ。
赤壁の後に江陵と荊南を落としたのは周瑜です。
演義では荊南は劉備軍が落とした事になっていますが、正史ではこの際に劉備軍は荊州の何処も落としていません。
演義では荊州の領有権が曹操を追い払った孫呉と劉奇から荊州を託された劉備のどちらにあるか、としていますが、
正史では周瑜が急死した為に周瑜が落とした江陵、荊南四郡まるごとを孫権が劉備に貸した、という点が演義と正史での最大の違いです。
周瑜の遺産である荊州に駐留する関羽のふるまい(子供の縁組はもちろん、同盟をかさにして孫呉の兵糧を勝手に借りていく、というか略奪していく)に業を煮やして孫権は実力行使に出るわけです。
荊南四郡のエピソードは孔明、関羽、張飛、趙雲に見せ場の多い場面ですが、城攻めは演義のフィクションです。
孫権陣営が荊州にこだわる理由が演義視点だと理解できないところですが、実際に曹操陣営から奪ったのは周瑜であれば孫権軍も簡単には譲れない心情もわかります。
(五虎将任命時に関羽が黄忠と同列になるのを嫌がるだろうと孔明が危惧するのも長沙攻めが劉備軍でなく、関羽と黄忠の一騎打ちもフィクションである事の裏付けになってます)
確かに城攻めの様子は演義の脚色が多分に含まれます。
ただ正史では、劉備が関羽・張飛の部隊を周瑜に貸し、周瑜が二千の兵を劉備に貸すという形で、劉備は赤壁の後の荊南四郡(長沙・零陵・武陵・桂陽)を奪取。そして周瑜は曹仁を降して江陵(荊州南郡)を奪取した、とあります。
例えば、一度曹操に降り、荊州南部を味方に引き入れるよう説得の使者として派遣された劉巴は、赤壁の戦いの後、劉備から逃げるように荊南から交州に逃げたという話があります。
また、長沙太守であった「韓玄」も「劉備に降伏した」とありますし、韓玄指揮下にあった黄忠も劉備軍に属しました。
もし周瑜が荊南四郡をもその手で勝ち取ったのなら、ここは「劉備」ではなく「周瑜から逃げた、周瑜に降伏した」となり、黄忠も孫権軍に加わることになるかと。
その後、周瑜が没し、親劉備派の魯粛が戦略を定めたことで、江陵が劉備に引き渡され、劉備は孫権の弟分として同盟が成立します。
荊州問題がややこしいのは、この辺りにあるのですが、そこに詳しく触れた解説があるのでそちらを是非!
【三国志】「関羽」は「蜀漢滅亡」の原因なのか徹底解説!!【ゆっくり歴史解説】
th-cam.com/video/PUtUNaWSdPo/w-d-xo.html
@@KOUMEI_NO_WANADA 関羽の動画楽しかったです。孫呉が関羽の兵站妨害してたかもというのはありそうです。
周瑜伝に記述があったかと思いましたが、私の記憶違いだったようです。
ちょっと長くなりますが、記憶が錯綜した経緯というか推論を書いておきます。
ここに書く点以外にも見落としはあるかと思いますが・・・。
正直、先主伝の記述はあっけなさ過ぎて忘れてました(笑)
詳細が書かかないのは歴史の勝者の特権ですので。
①正史赤壁の戦い
呉志周瑜伝→赤壁にて曹操破り、劉備と共に曹操を追い、江陵の曹仁を攻めるとの記述あり
魏志武帝紀→劉備は夏口に逃げ、曹操は江陵に進み、文聘を江夏太守に任じ、赤壁で劉備に負け、荊南を劉備が有するとの記述あり
蜀志先主伝→江陵を目指すも長坂にて追いつかれ、江夏太守の劉埼と合流して夏口に至り、孫権と同盟し、赤壁にて曹操を破り、呉と水陸合わせて進み、南郡に至る、との記述あり
⇒この時点で魏志全般で赤壁の戦いでの曹操の敗戦をうやむやにする正史と演義の食い違いの罠にはまります(苦笑)
他の伝を見る限り実際は劉備ではなく周瑜に負けたが、陳寿が晋の歴史の正統性を保つ為に魏、蜀、呉の序列なので呉の家来である周瑜ではなく劉備に負けた事にし、周瑜の軍功はスルーしていますが、私もココではスルーします(苦笑)
ココで気になる点は赤壁開戦時に劉備軍は夏口に駐屯していて、開戦後には水陸併進して南郡に至るという事です。
開戦前には劉備軍が駐屯していた夏口は長江の北岸側で、長江を挟んだ赤壁の南側は既に孫呉の領地です。
赤壁から曹操を追撃するなら劉備軍が陸路で孫呉が水路だと思います。
この際に劉備軍は劉埼の本領である江夏辺りは押さえたと思いますが、それでも劉備軍はまだ長江北岸です。
長沙の長江沿いのエリアは既に孫呉の領地になっていたと思われます。
いくら同盟を結んだとはいえ、長江の南側から江陵を攻めている孫呉が自軍の背後を通過させ、劉備軍の荊南進出への渡河を見逃し、劉備軍としてもお互いの軍を長江を挟んで入れ替えて進軍するとは思えません。
兵の貸し借りがあったとしても長江北岸での出来事で劉備軍が渡河して荊南を攻める事は出来無いかと思います。
長江と黄河の渡河作戦は一大軍事作戦なので実際に劉備軍が渡河して荊南四郡に攻め込んだのならばその旨の記述があってもいいはずです。
赤壁の後に周瑜は軍を夷陵まで進めますが、この際も北岸の江陵を攻めている最中であり、南岸の武陵を攻めとらない理由がありません。(この時点で荊南四郡少なくとも武陵は周瑜によって押さえられていないと夷陵までは進軍出来ないのでは?、と思います。)
この時点で劉備は劉埼を荊州刺史に推挙し、名目でも得ないと渡河出来ない状況であったとも考えられます。
江陵を落とした後に劉備に公安を与えた旨の記述がありますが、劉備軍が未だに夏口から江夏に駐屯していたのならば、劉備軍を長江の北岸と南岸に分断し、間の江陵を周瑜が治める事となり、劉備を呉にとどめ、関羽、張飛を周瑜の配下とするという策も現実味が出てくると思います。
周瑜の存命中に公安以外を劉備に割譲する理由もありませんから、孫権が変換要求をする長沙、零陵、桂陽の三郡は周瑜の死後に割譲されたものかと思います。
周瑜の死後に跡を継いだ魯粛は周瑜と異なり蜀への遠征は考えていなかったようなので、蜀の入り口である公安と対曹操の前線である江陵は劉備に完全に譲渡するとしても、他の三郡まで完全に譲渡するのは孫呉にとってもメリットがないのでこの三郡だけは入蜀までの条件付きだったのではないでしょうか。
なので入蜀後の領土返還交渉の際にこの三郡を要求されたとしてもなんら不思議では無いです。
(演義ではこの際に零陵の代りに江夏があてがわれていますが、正史で孫呉の領有になった時期はこちらも不明ですが、劉備軍側が支配権に固執していないのでこちらは平和裏に事が進んだと考えています。)
また、劉備が対象の三郡を領有した際には諸葛亮に政務を任せた、との記述がありますが、公安についてはそういった記述も無かったと思います。
公安と三郡の領有にタイムラグがあったのでこういう記述になったのではないかと考えられます。
孫権というか孫呉が零陵にこだわったのも大陸南端の交州と接する土地(呉では南側には海しか無いとの恐れもあったのだと思いますが)だったので他の内地側の領地よりもこだわっていたと考えるくらいしか荊南への妄執(苦笑)の理由が見つかりません。
また、蜀側でも周瑜が死んだ為に流れてきた龐統の士官のくだりの記述が少なすぎます。
赤壁から劉備入蜀あたりの大きな流れの中で周瑜の存在は呉以外のメリットが無いです。(身も蓋も無い言い方ですが。)
晋魏、蜀からすればおおっぴらには名前を出したくない存在だったのかもしれません。
劉備軍が支配権を主張出来るだけの軍事行為の実績があれば陳寿も詳細を記述したと思います。
荊南四郡だけでもかなりの広さになり、ましてや劉備が曹操から奪った割には記述が少なすぎるので、邪推したくもなります(苦笑)
特に孫呉や周瑜が好きなわけではありませんが、子供の頃に見たアニメ三国志(伝説の女武将が登場するヤツです。)を見て以来孫権の荊州侵攻だけはホントに意味が分かりません。
その後に演義を読んでも相変わらずで意味不明でしたが、どこかで読んだ周瑜無双な説が唯一納得出来た回答だったので、先主伝のそっけない記述なんかすっかり忘れていました。
凄くわかりやすいです✨(◍´ꇴ`◍)🎵
嬉しいです!(*'ω'*)
序盤は三国志といいつつも主人公は董卓、袁紹、曹操なんよねーとか思ってる袁紹ファン
序盤の袁紹の圧倒的主人公ムーブ好き
@@KOUMEI_NO_WANADA 序盤の終盤(※)の話の中心『袁術派と袁紹派を知ろう😃』が三国志初心者脱出の肝ですよね・・・ってこれ昔コメしたな🙃
十八史略の三国時代を読むのがよい。 陳舜臣の十八史略が読みやすい。
見ごたえありもしたわー
おつかれさまでした\( 'ω')/
ちなみに『正史』と『演義』ですが正史の方は『志(こころざし)』となっているのでなにやら意味深げですが(また音的に「三国”史”」と勘違いする人も多い)この『志』は『誌』のことでつまり「書きつけたモノ」程度の意味だそうです(^_^;)
これは勉強になる🐎🐎🐎
吉川英治の三国志と横山光輝の三国志が入口としては良いと思います。私はそこから入ってコーエーのゲームの三国志にハマりました。大学の時には酒飲みながらゲームしていて起きたらマウス握って寝てたこともあります。正史は読みにくいですよね。ロマンがないので進まない。
黄巾の乱から隋の成立までずっと争い続けることが出来ましたとさ、めでたしめでたし
その後に国家統一するんだろうなぁと学生時代は思ったけど結局また振り出しに戻る
真っ先に滅びる国にいい武将が集まってるの無理がある
正史の天下の情勢に関わる戦いの、戦術、関係者の心動き、人間関係、戦略、あたりがもっと見たいわ
いつも楽しく拝見しています^ ^
今回の動画もとても面白かったです(*゚▽゚*)b
友人を三国志沼に突き落とす際に、見せようと思います笑
ありがとうございます!
良き三国志ライフを!(笑)
アーサー王伝説界におけるマロリー『アーサー王の死』、ファウスト伝説界におけるゲーテ『ファウスト』、そして三国志界における羅貫中『三国志演義』。ゲーテの『ファウスト』の成り立ちって、意外と『三国志演義』に近いようですね。少年時代のゲーテが観たファウスト伝説の人形劇か何かが原点だったらしいです。
あの時に、破竹の勢いの逸話があるんだよね~
杜預ですね
紀伝体の正史と編年体の三国演義を比べて主役がどうかもないと思いますので、まずはちくま文芸の史治通鑑の話から初めてみてはいかがでしょうか。それと演義否定派が多すぎるので渡邊義弘先生の演義できるまでの解説本の説明もお願いします。演義の進化の話をしないといきなり演義があれでできたと思う人も多くいるでしょう。正史と演義の二元論でなく平話と演義のバージョン違いと正史と史実の違いまでやっていただけることを期待しています。
大学教授レベルの話を…(笑)
演義は演義で、名作ですね。ただ、実際どうだったのかを知りたがると正史に傾倒する。
それを乗り越えて、史実と物語を並立させれば、より奥が深くなりますね。
史実で言えば、諸葛亮は専門外の軍事まで統括する苦労や、遺志だけで無茶をし派閥からも孤立する姜維。
演義ならではの、神か魔かの諸葛亮や、インフレ頂点の呂布・関羽。
どちらも楽しい。
最初のBGMってガイラルディアかな?
マジかよ。
三国志って司馬懿を倒したらこの話はおしばいだーーって思ってたし、爆乳女子高生がいつ出てくるのか楽しみにしてたら1時間たってました。
「別な意見」を述べさせて頂きます。
3:26で「正史は忠実に歴史で起こった出来事を記した書物で」というところで、我慢できずに最後の方にジャンプしてしまったので、
どこかで言及されていたらスミマセン。謝ります。
三国志に「演義」と「正史」の違いがあることを知るのは当然の教養ですが、
もう一つ、「正史」が当時(陳寿からすれば自分が生まれるより前)の実際のできごとをどの程度フェアに採録したのかという視点が重要です。
ご存じだと思いますが、チャイナの「正史」は、次代の王朝が自分の滅ぼした先代の王朝の記録を編纂します。
これを以て、権力者が自分たちの歴史をまとめたら都合のよいものになるので、公正に次代に製作するのです
と発言した日本の歴史家がいましたが、ちゃんちゃらおかしいですね。
もちろん自分たちの権力が正当であることを示すために、前の政権を貶める(ように編纂者に命じる)のです。
「歴史」という言葉は日本人の造語ですが、現代でもチャイナの歴史学科が政治学部の中にあるように
チャイナで言うところの「歴史」は、とても恣意的なものですよ。
決して当時起こった事象を公平な立場で綴ったものではありません。
ですから、チャイナ現政権の中華人民共和国は、その前の日本や中華民国を口をきわめてののしり、
あることないことを吹聴するのです。
このような考え方は儒教国家にありがちで、ある意味でチャイナ以上に儒教的だったコリアの現政権の韓国で、
大統領が交代する度に現政権が前政権を口汚くののしり、逮捕だなんだと攻撃することに通じています。
ですから、いつの日がチャイナの共産党政権が潰れれば、
南京虐殺だ、靖国参拝だ、教科書問題だ、なんて諸問題はきれいさっぱりなくなることでしょうw
鼻息荒く、現代のことまで書いてしまいましたが、
正史の三国志に戻ると、西晋の史官だった陳寿が三国志を編纂しているわけですから、
晋の王族だった司馬氏を悪く書かないのは当然として、出身地であった蜀には同情的だったとされています。
だから後の「演義」でそのあたりが増幅されて、曹操は悪、劉備は善になったのでしょうね。
エンタメとしてチャイナ史を楽しむのは面白いですが、チャイナの云う“史実”にそれホント?と構える視点をどうか大事にしてください。
政治と歴史を別のものと考えるのは"大前提"として、正史(今回の場合は三国志)の改竄や偏向を裏付ける資料が無い限り、現状の手札で語るしかないというのが歴史学だと私は思っています。
故に演義と比較し、正史は歴史を記す書物として、今回のような表現を用いさせていただきました。決して「全てが正しい」と言いたかったわけではないので、その点を踏まえていただけますと幸いです。
確かに陳寿は西晋の臣下であり、司馬政権への忖度は大いに含まれているとは思いますが、今回の動画のメインのターゲットは冒頭でも述べた通り「三国志を知らない人」となります。初心者にいきなり難しい話をしてもハードルが高くなると思い、今回は本題と異なる話を省略し、分かりやすい表現を用いました。
偏向や忖度など、その辺りの話については「陳寿」の解説動画で触れていますので是非。
昔から思うが、焼き討ちと言っても食料て簡単に燃えないだろ。どうやって燃やしたんだろ
火薬の登場はまだ先ですから、油や枯れ草を燃料にするという感じだったのかなぁ、なんて
キ州あたりだと主食は麦だから燃えるんじゃね 騎馬を養うにも飼い葉は必須だし