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このチャンネルの好きな所は、どんな武将も「魅力的」と言うのを大前提に解説してくれる所ですね
好きだからこその活動ですので!(笑)
素晴らしいわかりやすさです!
ありがとうございます!!( ;∀;)
こういう長時間の動画はあまり最後まで見ないのですが、元三国志ファンでもあったことや、地図での詳しい解説に見入って最後まで一気に見させてもらいました。「荊州を守っていられたら」「龐統が死ななかったら・・・」と、思いを巡らせずにはいられませんでした。ありがとうございます。
1時間超えの大作の作成お疲れ様です。 ラジオ感覚で聴いてたので40:59 のほぼオウム返しで会話するのが面白かったです笑
何を見ても思いますが、今回の動画を見てもやはり『人材』というのはとても大事なんだなと思いましたさらに、その人材を使う使い方も大事なんだなと感じました
41:05 大事なことなので2回配信かと思うような長時間動画お疲れ様です
編集苦手過ぎる、二重チェックしてこれは頭抱える…(笑)
1時間超えの動画お疲れ様です。諸葛亮一人で行っていたことがあまりにも多すぎるんですよねせめてもう少し蜀に人材がいたらとかはよく思いますあと北伐って5回行っていますけど秦嶺山脈越え5度も兵士にさせてるのに兵士の反乱が起きたなんて聞かないんで兵士からの信頼は相当厚かったんだと思います
トップが一番苦しい思いして働いてるっていうのが、みんな分かってたのかもなぁなんて。
待ってました!諸葛先生😊
いぇい!
1時間以上にわたるまとめお疲れさまでしたよく龐統や法正が生きていれば諸葛亮は長生きしたと言われてますがその二人が生きていたらそちらが重用されて諸葛亮は荊州の地方役人で終わっていた可能性もあったと考えると複雑なものがありますここでは紹介されてませんが織物で儲けたり鉄での兵装や貨幣を作って装備や経済を他国よりワンランクアップさせてる点も見逃せません魏延の戦略を取らなかった点や馬謖の何が悪かったかは別の方の動画で見た事ありますがまあ諸葛亮のせいではないと思う部分が多すぎます馬謖については本当に張コウが偉大過ぎた諸葛亮自体の失態と言う意味では郝昭の守備を抜けなかった点くらいですかね
龐統が死なずに単独で益州攻略に成功していたら、丞相が彼であったのはそうだろうが、諸葛亮が地方長官になるというのは正確でない。関羽に与えた治外法権を関羽でなく諸葛亮に与える訳で、諸葛亮の抜群の内政力を考えれば、かなり安全な北伐を諸葛亮主導で行うことができたはず。
長編動画作成ありがとうございます興味深く拝見させていただきました子供の頃は横山三国志の完璧超人な描写に そんなことができるのかと驚いていました多少知識がついた今の視点では 滅亡寸前の国家を短期間で建て直しただけにとどまらず大きな戦争を起こせるほどの兵力を用意し攻め込めるほどに国力を高めた手腕に子供時代とは別のベクトルでそんなことができるのかと驚愕しました見方は変わりましたが英雄という名にふさわしい人物だと思います
興味深く拝見させていただきました。数多くの三國志を読み、観ましたが、「公平無比な人物」だったって評価が、一番ピッタリだったと考えます。弱小蜀漢に十年近く軍事行動を挑み、不平不満の声が庶民から出なかったことが、諸葛亮の凡てを著していると考えます
3:28 保身もあり袁術に従っていたが、任地を追われた所で見切りをつけた…とも考えられる。水魚の交わり=新規・初回特典、乗り換え割引
諸葛亮でこの時間であれば、劉備、曹操、孫権は二時間ぐらいは余裕で越えそうです情勢が安定したら、成都の武候祠を見てみたいです
曹操の覇道を阻止するには劉備との出会いが5年は遅かったのでしょうね歴史を変えることは叶わずも、絶対的な運命に抗った結果誰よりも歴史に名を深く刻んだ偉人だと思っています
ついでに言えば劉備の年も50近くといつ寿命がきてもおかしくなかったので。
人には向き不向きがありますからね、武官なら劉備文官なら諸葛亮が抜擢が上手かったって事でしょう諸葛亮は天下の宰相たる能力に加えて将軍としての一線級の能力があるだけで傑出した人材で謀略や奇策を用いない正攻法が得意なだけでしょうそれを補う為の馬謖抜擢であって、周瑜なんかも正攻法で強くてそういった方面は呂蒙やホウ統を側に置いて重用してましたし二人みたいな清廉な人間は謀略を駆使する参謀向きではないというだけなのでしょう(周瑜まで巻き込んでいく
あの呂蒙の勝負強さも、凄いっすよねぇ…
謀略は張良よりも陳平のほうが得意であったらしいですからねぇ、役割分担がちゃんと出来るくらいの人材が揃っていれば…孔明もここまで苦労はしなかったでしょうに…
非常に解り易く素晴らしい動画なんだけど、BGMがもうちょっと抑えめだったら有り難かった流石に一時間以上「ばーばらばばーーばーばらばばーー」とこの音量で流れ続けるとものすごく疲れてしまってな
弥生時代の人達の名前が分かるだけで、もうすごいと思います。そして想像もつかない広大な土地を治めるんだから。
泣いて馬謖を切る。という物語😊はマジで深い。あの時代において、そういう思想があった事が凄い
演義では神算鬼謀の軍師として描かれ、正史では古の名宰相にも引けを取らないと言われる。描かれ方は正反対とも取れるけど、どっちもとんでもない大人物というのは変わらないのが本当に凄い。
しかも無類の忠臣。そりゃみんな好きになるわい\(^o^)/
昔の話では歴史に出てくる人になぞらえるってことは、現代で言えば特撮やアニメのヒーローと変わらないんだぞ?って位の言動だと思ってますが、有言実行したのは素直に凄い!と思ってます
@@KOUMEI_NO_WANADA 劉封を自害させるよう進言してるし、孔明は普通に怖いです。
世界史上稀に見るレベルの善良な独裁者というイメージ…何回かに分けて、ゆっくり見させていただきます😊
孔明は逸話も多いから纏めるの大変ですね。長いけども分かりやすくて非常に面白かったです。
ありがとうございます!(*´ω`*)
横山三国志から入ったから、劉備と諸葛亮の関係性に大きなギャップを感じた。個人的には法正も好きだから、もし病死していなければ諸葛亮は、、、と色々想像する。ただ歴史のifを考えるほど楽しいことはないと思う。今後も動画楽しみにしてます^ ^
若き日の諸葛亮は他の人よりも乱世を体感したからこそ「現実を見る」事を重視してそうですね〜同じ時期の学徒の皆は「出世するための学問」って学び方だったのかも…
荊州学が見事に合致してたんでしょうなぁ
小説の国語試験化と同じだと思います。作者は勢い・流れ・感情などで書いた場面を「この1行には、どのような意味を込めたのか?」作者「ほー、そんな意味が有ったのか? 初めて聴いたよ」…諸葛亮の見解は、古典の一字一句をそのまま再現するのではなく、大局・真理こそ得るべきものとして、それを応用する事こそ知識の活用というものですね。
内政での手腕はホント右に出る者は居ないと思う軍略にかけては郭嘉 司馬懿 陸遜辺りの方が上かも
短時間でも構いませんので「徐庶」解説回の作成をお願いします
リクエストは多いけど、正史の記録が少なくて取り上げづらい人物「徐庶」&「李儒」(笑)でも要望は多いので、そのうちしっかり解説します!
今持っている三国志のDVD32巻をもう一度見直して勉強します📺
オレが三国志Ⅱをやった時はいつも的確なアドバイスをくれてたぞ。ついでに言えば三国志マンガで1番素晴らしいのは片山まさゆきさんの「sweet三国志」
徐庶か龐統のどちらかがずっといればと思えてならない…天下三分までの期間が短すぎるのが、非常に優秀
徐庶が居れば、劉備・関羽・張飛と名士集団はもっとスムーズに連携できたかもしれないし、龐統が居れば、孫呉との外交はもっと上手くいっていたかもしれない。うーん、なんとも惜しい話ですね(๑´•.̫ • `๑)
@@KOUMEI_NO_WANADA亮は内政に専念できて、北伐は任せられたのが大きいかなと思っています内政力は異常値だと思うので、全てやらねばいけない状況が残念でならないのですあと、もう少し長く生きていれば勝機もあったかもなぁとかですかね過労は良くない(´∇`)
演技で酔狂の迷言かな。ホウトウに仮に才能があっても親の気持ちも理解できない徐庶がいてもきっと法正には及ばないでしょうね。
軍師というより、最高の政治家で発明家って感じかな。なにより私利私欲がなく、公平で死ぬまで国のために忠義を尽くした所が日本人にも共感を得てるんだと思います。
孔明って清廉で通ってるが、関羽死亡の問題を利用して後に起こる可能性のある後継者問題の種である劉封を殺害に積極的に賛成した人物。
それが国家であり、それが政治、ということなのかもですね。なんにせよ、生きてる時代が違い過ぎることを痛感させられます。劉封、もちろん好きだからこそ、やるせない…(๑´•.̫ • `๑)
荊州を制圧しかけていた関羽からの援軍要請を断り続けていたのは大問題かと(^_^;)上手くいけば荊州制圧。荊州を制圧出来ずに呉にやられてしまったとしても、荊州を制圧しかけて曹操を震えあげさせた関羽の生存、荊州一部の死守に成功・それに伴う蜀内の荊州派の立場をギリ守れる可能性があるので(´∀`; )孟達と対立し魏に走らせ、上庸も奪われてしまっているので、罪はかなり重い状況でしょ(^_^;)皇帝の義兄で、暗愚な義弟と違い勇猛。関羽と対立するような性分。孟達の軍楽隊を奪う勝手さ。荊州・上庸を失わせる戦犯となった過去。処刑されるとなり、孟達の言う事に従っておけば良かったと通しぬけない義理。不安要請がここまで積み上がった状況で、劉封を生かしておくのは厳しいものがあるでしょ(´∀`; )
武将や君主の夫人も取り上げてほしい
待ちに待った諸葛亮動画お疲れ様です!劉備軍は死んではならない人が死んでってしまったのが惜しまれますよね龐統、法正、関羽、夷陵の戦いみんな生きてれば諸葛亮はここまで有名になっていなかったかもしれませんが皆生きてれば…と言われてしまう人ばかりが…徐庶が居なくなってしまったあたりから始まっていたのかも…?
50:25 初戦なのかなあ・・・入蜀時の記述が先主伝で、諸葛亮・張飛・趙雲らは兵をひきいてさかのぼって白帝・江州・江陽を平定した、で諸葛亮伝で、諸葛亮は張飛・趙雲らとともに軍勢を率いて長江をさかのぼり手分けして郡県を平定し、で張飛伝で、張飛は諸葛亮とともにさかのぼって攻めて手分けして郡県を平定した、で趙雲伝で、諸葛亮は趙雲や張飛を率いてともに長江をさかのぼって西上し郡県を平定した、でどれも軍を率いて平定になっているから南蛮以前の入蜀時に指揮権のある軍事経験あるんじゃないのかなあ・・・
これは僕の言い方が悪かったですね(;'∀')確かに軍を率いるだけであればそうですが「自ら戦略を組み立て、主導するような形」での戦役であれば、初めてという形になるのではなあいかなぁーと。また劉備の性質上、基本的に関羽と張飛にしか一軍の指揮権を預けないタイプなので、益州平定の総仕上げである今回もまた、あくまで張飛に軍事権限を握らせるという指揮系統の下で進軍しているのではないか、と推測しています。記録を見てみても、張飛が主力軍を、趙雲が別動隊を指揮しているような感じに書かれていますし。ただそれだけと幕僚筆頭格である諸葛亮の顔が立たないので、名目上は諸葛亮の方が上にきているだけ、と勝手ながら推測しています。夷陵の戦いにおける黄権が、なんとなーく近いかなぁ。夷陵の戦いだってあくまで総指揮は劉備で黄権ではないということを考えて、今回のような表現になってしまいました(;'∀')
@@KOUMEI_NO_WANADA さん独自の軍権となると張飛はどうなのかちょっと疑問が…関羽の方は明らかに節と鉞を渡してるので自己の判断によってほとんど独自の判断で軍権をふるう権限が与えられているとは思うんですが、張飛については一個の軍事集団としての軍権の発動についてまでは与えられてないような感じが…(まあ部下の扱いがぞんざいな人間に孫子でいうところの国の大事である兵権への大幅な権限を与えるのはかなり冒険的な感じがしますので…)まあ諸葛亮については南蛮でいきなり万単位の軍事指揮をするのはいかに天下の奇才とはいえちょっと厳しいような気がするので入蜀時にある程度の軍事指揮は執っていたんじゃないのかなあと…
昨年10月に浙江省蘭渓市の諸葛村を旅行しました…祠や扁額は基本的に明清時代の文物で、皇帝の御書でもある。諸葛村内部の村民の民家については、西暦20 ~ 21世紀にリニューアルされたものがほとんどだ。村人は数百年来、諸葛亮の孫、晋の江州刺史諸葛京の末裔を自称してきたが、本当に考証できる祖先は実は唐末の軍閥である諸葛爽であり、北方南から江南に移った士人代表である。現地の総人口4000人、約2500人の姓は諸葛で、その他の基本は金姓と黄姓である。村全体で数百年来主に経営されているのは漢方薬で、村内には巨大な薬草園があり、華南農村で最も裕福な一類とされている。
一時間を超える動画の作成お疲れさまでした。とりあえず一つ、 41:00 の霊夢と魔理沙の台詞がかぶっています。三国時代を代表する大物だけに思うところも沢山ありますが一つだけ、第一次北伐で街亭の守将に馬謖を抜擢した理由はいろいろ言われていますが、個人的には「祁山攻撃の戦力を大きく落とせないから」と考えています。確かに魏延や呉懿ならより長い時間街亭を守れるでしょうが、逆に祁山攻略がより困難になってしまいます。そのジレンマを解消する策が馬謖に街亭で専守防衛させることではないでしょうか。
隴西が落ちるまでに魏軍と睨み合ってても良いわけですからねー
うわ、ホントだ。3回くらいチェックしたのに、マジでもう、編集苦手過ぎる……すいません(´;ω;`)戦力分散の危惧、確かになるほど。正直、ここまで広範囲に展開できるほど兵力が多くないんですよね、北伐軍は。考えられる不利な理由すべて含めた上での決断だったのかもしれないですね。
@@KOUMEI_NO_WANADA ドンマイです。「蜀漢滅亡の原因シリーズ第三段 馬謖」お待ちしております(冗談)。
@@matukawatositane 実は隴西に派遣した軍勢も遊楚に撃退され(張既伝)更には張郃だけでなく涼州からも援軍が(徐バク伝)。
@@ひょうべえ 諸葛亮視点では単車刺史の徐邈の巻き返しは予想外だったかもね
魏延の子牛谷の話は出鱈目という説もあったような気がする。東京から京都ぐらいの距離の険しい山道をフル装備の鎧武者が10日で走破するのは不可能に近いし、いくら長安の夏侯ボウが無能といっても、皇帝が直々に後詰を務めるような状況で逃亡なんてしたら間違いなく処刑されるに決まってるから、徹底抗戦するしかない。そんな状況で疲労困憊の魏延の部隊が勝てる道理もなく、果たして魏延が本当にこの献策をしたのか疑わしいという説。
でも魏延はその予行演習でもやるかのように、呉懿と共に西方の遠い僻地まで踏破し、迎撃に出てきた郭淮も破って堂々たる武威を示したなんて記録もあるので、この無理を押し通せそうな気もしなくもない…(笑)
孔明の話しを見た後だと、政治に軍事に秀でていた曹操ってやっぱり天才なんだなって思う
女癖の極悪さ以外は完璧ですからね
蒼天航路の曹操もヤバすぎでw
御しきれない法正が”病死”して後継に自分派閥劉巴→全権掌握。丞相は恐ろしい男やで
現場で叩き上げたおっさん劉備と天才で真面目だけどちょっとめんどくさい諸葛亮劉備が現場の人間(軍人)の、諸葛亮が裏方(官僚)の見る目がしっかりしていたというのは納得がいくなぁ
投稿お疲れ様です。久々の長尺動画嬉しい!
昔は三十分で長尺だと思ってたのになぁ…(笑)
マレーシアに住んでたとき、華人系の人とも知り合うことがたくさんありました。孔明のことを尋ねてみたら「He's great」と答えた青年がいたことが印象深いです。あの国の華人系は南部出身者の子孫が多く、三国志で言えば呉の地域からの人がほとんどです。そんな中で彼の評価が高いのは演義の影響も多分にあるかなと思います。
劉琮の生母が蔡氏(劉表の後妻)ってのは演義のみの設定だったのでは🙃?彼自身の蔡氏との関係は彼の妻も蔡氏出身であったとされています(後漢書劉表傳)つまり劉表と劉琮は親子二代にわたって荊州蔡氏から妻を娶ったという強力な婚姻関係を築いていたことになります(曹家が二代丁氏から娶ったヤツみたいですね😗)
あれ?そーでしたっけ?やば…擁立事情もあって、ずっと勘違いしてきた…
1時間以上の動画でしたが、面白くて最後まで夢中で見入ってしまいました^ ^孔明の人生を辿ると、三国志の歴史も再確認出来て、とても興味深かったです(*゚∀゚*)b
ありがとうございます( ;∀;)!
1時間超えの動画投稿お疲れ様です。やりたい様にやらせてくれた劉禅が君主でなければ権限を制限されて、ただの優秀な内政官としてしか語られず、今日の様な評価はされていなかったでしょうね。
法正の早世と、劉禅の全権委任。これがあったおかげで、諸葛亮は今の姿になった感じがありますね。
政治の派閥争いも含め、各方面での情実人事なんかは現代でも残る慣習ですが、当時今より宰相といえど軽い命の価値観の中で、公平さを貫こうとし、政治家として恐れ愛された諸葛亮はやはり偉人だと思います。しかし、この時代、曹操もしかり明らかに中華統一できておかしくない人物ができてない所が面白いんですよね。後漢の光武帝なんて漫画のヒーローすぎて日本じゃあまり人気ないですよね。
いつだったかのテレビ番組か動画で「諸葛亮は三顧の礼の前に曹操から士官の話が来ていたが断っていた」っていう話を聞いたことがある。人材豊富な曹操に仕えても埋もれるだけで昇進できない、という理由じゃないかって考察されてた。その点劉備なら「周囲が納得するほどの大物」で人材もほぼおらず、無名無官の自分でも重宝されると読んで仕えたって話だったな。だから自分を高く売り込むために劉備が来ると知りながら隠れるなどして3度訪問させた上で自身の戦略を「劉備が望む展望と合致してる」ように見せながら伝えた、とか。そしてその野心を見抜いていた劉備が、諸葛亮が自分の死後に裏切る可能性がある事を気にして、蜀と劉禅に永劫の忠誠を誓わせるために死の間際に「劉禅がアホなら国を奪え」とあえて言ったみたいな事も。
三国志の専門家が、三国志演義で一番許せない事で、夷陵の戦い前に諸葛亮が劉備を諌めたところと言ってましたね。打算的に動くのではなく、関羽の仇討ちの為に動く劉備が、諸葛亮の好きな劉備なのだから、あそこで諌めるのが気に食わないのだとか。
公私混同は戦争では御法度なので諸葛亮の諌言は正しい趙雲ですら諌めてるというのに
もはや個人所有の集団ではなく、漢王室の継承を謳う国家に成っていたわけで、如何な皇帝と言えど、いや皇帝だからこそ覇業を感情で乱してはならない。忠臣ならではの「苦渋の思いは、天下を取るまでお秘め下さい。バネとなさいませ」でしょうね。趙雲ですら異を唱える。まして、諸葛亮は本来理論優先・規則に厳格な合理家。
言葉足らずで申し訳なかったです。演技では止めてるんですけど、正史では止めてないんですよね。演技の三国志は諸葛亮を神のように扱っているので、常に合理的な選択をしているように書かれています。しかし実際諸葛亮は常に正しい選択をするような神ではありません。間違っていると思いながらも、劉備の気持ちを汲み取り、あえて止めない人間的なところも、個人的には諸葛亮の大きな魅力だと思います。劉備と上手くやれるのも、諸葛亮にも人情や義といった狭の精神が根付いていたのだと思います。逆に合理主義の権化のような司馬懿は、諸葛亮とは違い、魏を乗っ取りました。常に正しい選択をする人を主人公にするならば、司馬懿が主人公でも問題ないわけです。個人的にはこの諸葛亮の人間味を感じるようなエピソードを演技で取り除いたのは残念ですね。長文で返信して申し訳ありません。
人材起用に関しては諸葛亮が好んだのは性格に問題のない人物、与えられた仕事を確実にこなす優等生タイプ、これは本人の能力の高さ故と言った所か、能力、実力が第一の劉備や曹操とはある意味では正反対、そのように考えると比較が難しい。
まあ要は諸葛亮は官僚の長、曹操・劉備は王とそれぞれの立場に適した好み方と言えるし立場が違うから比較は無理じゃないかなぁ
解りやすく面白い、さらにBGMが喧しくないのがとても有り難いです。
待ってたぜ?この時をよ!?今の政界に諸葛亮がいたらなぁ。。。あかん。“魚”がおらんわ。“王と名士”のせめぎ合いというバランスはむしろ必要と思う。三国志は“歴史”が圧縮されている。大作ありがとうございます。
軍師連盟と鎌倉殿で嫌というほど見てきた君臣の軋轢…(笑)
李厳が失敗しなければ三国志は変わっていた説
一番乗り。やはり長かった・・・。”唯才”がモットーの曹操ですら名士を用いざるを得なかったのだから、劉備も心を砕いたことだろう。法正亡き後実権を握った諸葛亮だが、「夷陵の戦い」の敗戦処理や北伐等で激務の日々だったことは想像に難くない。こう言っては失礼かもしれないが、孤軍奮闘の日々にいかほどやりがいを持っていたのだろう。
どれだけ命を削っても、理想に近づくことのない現実。壊れることすら許されないほどの激務。やはり、凄まじい傑物だと思います。
もし孔明が劉備に仕えなかったら歴史は大きく変わっただろうし劉備以外のところじゃ力を存分に発揮できなかったある意味孔明は主君に恵まれたとも言える
曹真>諸葛亮>司馬懿・満寵>陸遜>曹休 これが中期の最強武将ランキング
孔明が凡庸な君主をもり立て自らが決して帝位を覗わなかった、というのは結果論としてそうなんですが仮に蒼天航路の曹操のように連戦連勝(というほどでもないなw)、北伐でも戦えば必ず勝ち、最終的に蜀漢による天下の再統一までなしえていたらどうでしょうか?現状孔明は人臣として得られる官位のおおよそ考えられる最高位にいますのでもしここから大きな功績を立てていたら(李厳の提言は早すぎますが笑)次は”九錫”の下賜や”公””王”の爵位しか残ってないんですよね(※例えば長安陥落で九錫、洛陽確保による劉禅の洛陽帰還で王位、曹家殲滅による天下再統一で・・・・・・というまさに曹操コースもあったかもしれない笑) 無論、孔明にその気が無ければこれを断ればいいだけの話なんですがさまざまな境遇の臣下のさまざまな思いが一群の熱望となっておし迫れば、孔明とて、諸葛孔明とてこれを退け得るだろうか!?(荀彧風)孔明「”王の位”は”天才軍師”の名と同じ程度の飾りだ😗✨」
自分も「劉禅は暗愚じゃない」の回でそれを少し考えてみましたが、そうなった場合荊州名士を中心に諸葛氏への禅譲の動きが起こり、諸葛亮本人は拒むでしょうが恐らく子か孫の代で・・と予想しています。
孔明はともかく、その子孫が「建国の忠臣」の末裔として、幅を利かせていたでしょうね。諸葛瞻ですら内心はともかく、黄皓の肩を持つ保守派でしたからね。まぁあれは、姜維が国力を顧みず、また派閥てきに異端すぎたのもありますが。
諸葛亮は軍事、行政、外交の全てをこなしていたわけだが、彼は立場によって能力を伸ばしていけた人物だったのだろうなぁ
政治の形は似てるのに、曹操は自分の好きなことだけを突き詰めて、他の決裁は重臣達に丸投げ。方や諸葛亮は鞭打ち二十回以上の決裁を自分一人ですべて処理。面白い対比ですよね。
私は思う…うぷ主が血の涙を流しながら過去最大スケールの動画を作って、皆が千の言葉を用いてコメントし続けてもなお、我々はまだ伏龍を語り尽くすことはできないのだと…まあでも逆に考えて、最も孔明を体感した人物は司馬懿なんでしょうね
速戦即決を好むあの司馬懿が、全力を尽くして耐え忍ぶ戦いを選んでいるあたり、諸葛亮を必要以上なレベルで警戒していた感じがありますよね(笑)
孔明になんもさせてもらえそうにないからもうとりあえず守るしか…みたいな感じですかね…しかしそれで司馬懿(魏)の側は一応勝ったということではあると…
一時間半ww編集どれだけかかったんだろ
台本3万字書いて、まだまだ内容薄いなぁと感じてしまうのがこの人の恐ろしいところ(๑´•.̫ • `๑)
すみません。いまいちわからないのですが、劉備を好きな人嫌いな人はいると思いますが、孔明の真実(スーパーマンではない)をしって、嫌いな人がいないくらい全員孔明が好きになる本当の魅力は何ですか?
何を魅力に感じるか、というのは「感性」の話になるので、当然個人差もありますし、これだと答えを出すことは難しいですね。ただ自分は「自分の人生をどう生きるのか」というのを突き詰めているような、そんな人物に特に魅力を感じる感性があり、そういう意味では諸葛亮という存在をとても輝かしいものに思っております。
ニートが中小からスカウトで取り立てられて巨大な敵に立ち向かうのに活躍するそらみんな惚れます。人を見る目がなかったり期待した部下に登山家されたりと人間くささもあるし
魏延が提案した「子午谷奇謀」の奇襲路線は後世で実際に実践されており、魏延以前にも子午谷を試した人がいたほどだ。曹真、曹爽父子は蜀漢討伐の時から子午谷ルートを採用していたが、曹真は直接山道に閉じ込められ、1ヶ月も進軍路の半分も完成していなかった。曹爽の行動はさらに興勢の戦いで魏軍の惨敗を招いた。東晋時代の桓温が前秦を討伐した時も、司馬勲に漢中を出発し、子午谷を利用して長安を攻撃するよう命じたが、この部隊は谷から出ることもなく前秦の軍隊に敗れた。明末の農民戦争時の高迎祥も子午谷を利用して西安に侵攻しようとしたが、結果として子午谷ルートの途中にあった黒水峪は大明王朝の官軍によって殲滅された。
魏延の「子午谷奇謀」は非常に危険な賭けだった,そして曹魏もこの進軍ルートの存在を知っているに違いない。蜀を伐伐とした時に子午谷を経て長安から漢中を攻めたこともある。子午谷という330キロの山道自体が非常に危険で、しかも道路状況が悪く、後方勤務の補給が困難で、長安側は子午谷の中間地点で攻撃側を迎撃することができる。そのため後世の2回の「子午谷奇謀」はほとんど子午谷を出ずに完全に潰された。成功を賭けたいのは、ほぼ完全に「長安の守将夏侯楙、あるいは彼の部将は全員馬鹿だ」という前提の上に成り立っている。「逆子午谷奇謀」の成功例もある:鐘会が蜀を伐採する時、その中には子午谷への進軍ルートがある
1936年の「西安事変」期間中に王耀武の国民革命軍第51師団は、子午谷ルートを利用して西安に行って蔣介石を救出しようとしたこともあった…途中道が難路で水源が見つからず、3日間だけ進軍してそのまま断念。南から北への「子午谷奇謀」はほとんど失敗した。北から南への「逆子午谷奇謀」には成功例がある。曹魏の鐘会伐蜀、西魏の王雄伐南梁
結果論。成功確率は高くはないし孔明は採用しない
そして今の日本でパリピとして君臨するとは。
『たら・れば』を言い出すとキリがないですが『徐庶と龐統』が生きて蜀漢に仕えていたら、『関羽の元に徐庶を置いて進言や諫言』『張飛と龐統の酒飲みコンビ』『孔明自身は内政官と兵站を務める』他には短命だけど馬良や法正も居るし上記の2人が健在なら荊州を奪われることなく対魏戦も劉備抜きでも抑えたり攻め取ったり出来たかも🤔
とうとう諸葛亮が!
いぇいいぇい!
朱皓は朱儁の息子でしたね。彼も父同様数奇な運命の下、悲惨な最期を遂げてしまったのはちょっと残念な話です。諸葛亮の「概要だけ掴んで」とか言うのは後の諸葛亮のこまめな性格を考えると、ちょっと違和感を感じる逸話でもあるんですよね
蜀漢建国依頼の重臣が相次いで亡くなり、諸葛孔明が独り人材が希薄な中で死力を尽くした果ての秋風五丈原・・・。孔明死後、約30年は国が保たれ、後の時代にも孔明は「政治家の手本」として現代も生きている。
演義の影響力は凄まじいのと軍師中郎将という役職名からか諸葛亮(孔明)を軍師と思っている人は多いですが、宰相として政治家の面は強いですね。スーパマンではないし、軍事に関してはライバルの司馬懿(仲達)に負けていますね。
映画並みの時間で草見応えありますねこれは…
休憩を挟みながら、ご視聴いただければ幸いです(*'ω'*)
まだ冒頭だけど琅"邪"が琅"耶"になってますね。よく使う地名なので単語登録がオススメ。
おぅふ、早急に手配します…(笑)
劉禅の数少ない名采配、丞相職廃止。孔明を降格させる為の苦肉の策とはいえ、この時の劉禅はまだ知的であった
ついに諸葛亮か・・・ゴクリ
お手柔らかに…(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA やっと見終わることができました笑そういえば劉備が「軍師中郎将」って役職を諸葛亮に任命したときに初めて「軍師」って名称ができたって昔本で読んだことがあります(=゚ω゚)ノ
最終的に勝てなかったという結果だけで、孔明は弱いだの戦下手だの言う自称三国志通多いけど、内容見れば出来る限り最善尽くした化け物って分かるのにな。結果しか見れないそいつらは大国ローマに負けたカルタゴの名将さんも酷評してそう。
「おいおいおい、アイツ軍略微妙だわ」は司馬氏に遠慮した陳寿がなんとか見つけた苦し紛れの欠点って感じですよね😎特に退却戦を無事に成功させているのは大したものですね。退却戦は軍の指揮が極めて難しいらしく、10万の大軍で退却してても8000の兵にボコられる指揮官もいるくらいです。それに五度の退却成功、これらはそれぞれ違うシチュでの成功です。その上王双、張郃などの撃破も添えてバランスが良い。それにしても自分が死んだあとだというのに五度目の退却も成功させているとは、驚異的な指揮能力というほかない👓
そもそも時代からして将官は武人でも一般兵は農民ですからね、兵全体への恐怖も伝播しやすいですしちょっと脅かすだけでも壊走するレベル攻めている時は兎も角撤退となれば規律の維持が非常に難しいので指揮官も圧倒的に不足してる状況にも関わらずよくもまぁ撤退を成功させられるなと諸葛亮の万能さが空恐ろしく感じます
もしも孔明が蜀を奪っていたら・・・どんな歴史になっていたのだろう。と、ついつい考えてしまう^^;
でもそれをしてしまったら恐らく、孔明は孔明になれなかったんだろうなぁ、とも
@@KOUMEI_NO_WANADA ですよねぇ^^;
劉備の遺言が実は美談では無く、釘を刺していた説もありますね。孔明もそう答えざるえない状況にされた
@@bureize-アスミタ まあ、「才能ありありだから君が国を継げ」では、蜀漢の大義である「漢の再興」ではなくなりますからね。
三国志というか世界の大帝国に於ける殆どの問題は後継問題か後継が馬鹿過ぎる問題なんだよなぁ
よかったよ。
嬉しい(´;ω;`)
諸葛孔明ってみんな演義から入るから最初は「天才軍師」なんだけど、正史を読んで「忠臣」「政治家」に変わります。さらに武廟十哲を知って「名将」が加わります。詳しく言うと孔明の同時代人の評価と陳寿の評価は違うし、唐と宋でも重視する要素が全然違う。(例えば20年前だと小国家の宰相にすぎないというのも多かったですね。)この辺我々三国オタクには常識なんだけど、なんらかの解説が必要ではないかな~。一般層にとってはやっぱり「天才軍師」なわけで。
メモメモ…( ..)φ(笑)
評価の変遷については「諸葛亮像の変遷」を読んでいただくとして(笑) (北魏最高の宰相崔浩なんかは「孔明大したことない」ですね。)つまるところ、人物の評価ってのはその時代の影響を受けざるをえないんですね。「歴史とは現在と過去との対話である(E.H. カー)」というやつです。
ゲーム三國無双から入ると扇子ビーム
そりゃ曹操や周瑜なんかと比べれば軍才は劣るでも周瑜は元々軍事一辺倒の軍人だし曹操は一代であれだけの国を作った大天才なんだから仕方ない軍事にも秀でた行政官と見れば他国のそういう人で孔明より明確に優れている人はほとんどいないと思う
孔明の荊州を取るべきという進言を劉備、不採用。孔明を孫権の下に行かせたのも同盟締結に成功したらラッキー、失敗して孔明が亡き者にされても痛くも痒くもないという劉備の博打だったのだろう。噂に翻弄され三度行っきマンになった劉備。いざ孔明を前にすると超変人だったので好きじゃなかったんだと思う。漢中攻略戦も劉備は法正を頼って、孔明はアテにしてない
三国志の裏話しで日本の縄文土器は、世界一古く土器を作る火力の進歩で銅や鉄が造れるように成り、日本が魏に鉄を売り鉄武器で魏が統一できたとかです。蜀や呉は、青銅器の武器で不利でした。小名木善幸さんのTH-camで知りました。
関羽による荊州失陥と夷陵の戦いでの大敗による人的資源の損失でほぼオワコン状態の蜀を立て直した手腕は流石。荊州失陥がなければ荊州方面からの進出なら楽な軍事行動が出来た。関羽のやらかしがなかったら北伐は上手くいったかもしれない。
関羽の死でほぼ手駒が瓦解したといううのは痛すぎますね。
従軍軍師としては徐庶の方が優秀だった気がする
劉備玄徳は解説してくれませんの?
息子に亮の名をつけました。
三國無双2から入った身だけど、史実を知れば知るほど盛りすぎで信じられない人。個人的には張遼、曹操に並ぶ超人、リアル三國無双。
諸葛亮をもってしても、大願成就せず 要因は、劉備・関羽・張飛の性格によるものか
孔明には5虎大将軍が必要だと思う孔明の描く絵を現実にしていく手足が必要だと思うその中で筆頭の関羽が没したのは痛い。張飛もも落ち趙雲も落ちて手足をもがれて馬謖でとどめを刺される。馬岱もイマイチ義援は論外。黄忠厳顔は老齢だし。魏と呉がキラ星のように諸将いるのと大きく異なる。規模が小さいのが痛い。益州という肥沃な地を持って収入は良かったと思える揚子江のほとりの益州は肥沃な土地だ。
魏延を冷遇して用いなかったのが残念いつも兵糧が尽きては撤退するのが北伐の常で蜀の桟道に山脈まで越えての兵站には無理があったその先に自国の数倍大きい敵国が待ち構えているというのだから、北伐は成功の見込みが無く無駄に国を疲弊させただけの結果に終わったのは当然だろうそれは魏軍も同じで守りに徹すれば蜀は存続できただろう魏や呉は政争や内紛により衰退し続けており、蜀が国力の充実に集中し無用な損害と疲弊を避けていれば北伐のチャンスがあったかもしれない国民生活を第一にすれば民は満足し、その様子は魏呉にも伝わり大量の住民移動が起きて蜀の人口は三国一になっていたであろう当時の人口は現代よりもずっと少なく広大な蜀の平野を田畑にすれば全人口を養えただろうこれを徴兵すれば蜀の兵力は魏呉を越える事になったこれぞイツをもって労を待つ 静をもって動を制すただこの戦略を自身で達成するには諸葛亮の寿命が足りなかった良き後継者を得て長期に存続できるよう政権や国をかためる事は出来なかったのだろうか?
荊州失地が根幹にあることを考えると、人材面や国内の摩擦の火種などが常に不安として付きまとうわけで。国是に基づいた拡充戦略の成功に一縷の望みを託さざるをえなかったのかなぁ、なんて。
まず名前は諸葛亮の時点で間違いでは?姓は諸葛、名は亮、字は孔明のはずですまた赤壁の戦いは実際は起きてないと言う見方もあります魏書では疫病が流行ったので、船を焼いて撤退したと言う記述しかなかったはず呉書には魏軍の船を焼いて勝ったと書かれてたはずですから、小競り合い程度の闘いしかなかったと言う見方もありますね
法正が長生きしていたら諸葛亮がこれほど有名にならなかったのも事実だろうけど、寿命はもう10年くらいあったかもしれない。法正死後、軍事も政治も全て自分で背負ったことで過労状態になっていただろうから。
@@user-mk4dj8ku6i法正は完全な参謀タイプで謀略などの才は蜀随一でも劉備という指揮官の才能を完璧に補完する最高の相棒であって個人で戦が強いって感じじゃないですからね諸葛亮と同じ分類になるのは陸遜や周瑜になるんじゃないですかね
中国どころか世界的に見てもトップクラスの政治家だと思うそれゆえに人に任せるのが苦手なタイプだったんだろうなと感じる(任せるより自分がやった方が早いと思うタイプ)
諸葛っていう苗字って、なんか蟹っぽくね?なんかわからんけど、諸葛っていう文字を見ると蟹に見えるのだが…
孔明って過大評価してる奴と過小評価してる奴が大多数な印象
演義での過大評価がエグすぎて正当な評価されずらいんだよねw逆にそれでsageられることも多いし
当の中国人たちは関羽公が偉大だと思ってるので、結局はバーターなんだよね
諸葛亮が呂布使ったら...
強・魏延みたいなイメージ
あのバカ三兄弟がやらかさなかったら天下も狙えたのにな。
優秀である事は否定しないが、史上最高ではない。一例として、政治は蕭何には及ばないだろうし、政略においては張良に及ばないだろうし、采配軍略においては韓信には及ばない。
演義諸葛亮のモデルになったとも言われる異次元の天才「劉基」なんて人物も居ますしね…(笑)
全教科80点の人を史上最高という形容詞で表現するか?という事だと思います。一教科でもぶっちぎりに突き抜けている人を呼ぶのではありませんか?ですが、諸葛亮は全教科90点以上ありそうですけどね。
曹操にしても、司馬懿にしてもそうですけど、能力がズバ抜けているのは勿論のこと、1番優れた能力は時流を掴まえた事。これに尽きるのかもしれません。諸葛亮は時流を掴まえる事はできなかったと思います。ちなみに、私は諸葛亮よりも司馬懿の方が優れた武将だと思っています。
@@広一-e8c 曹操はともかく司馬懿が孔明より上は無いでしょ。勝ち馬に乗ったら有能って結果論でしか無い。子孫が野心家だったり、曹家がポンコツムーブかましまくったり、運要素強すぎる
確かに小説「三国志演義」は、孔明のこと盛りすぎですよね。おかげで実際以上に天才軍師みたいなイメージが作られてしまって、また政治家としての手腕もなかったようです。カエサルのほうがよっぽどすばらしい戦略家で、弁舌もすばらしい政治家で、行政能力もあり、何倍もレベルが上だと思います。
諸葛亮孔明武力 1知力 96政治 100かな🤭
すべての元凶って孫呉だと思う!?結局荊州奪っても?魏とまともに戦えない奴らやんw諸葛亮の北伐成功しないのはほぼ孫呉が原因!?
このチャンネルの好きな所は、どんな武将も「魅力的」と言うのを大前提に解説してくれる所ですね
好きだからこその活動ですので!(笑)
素晴らしいわかりやすさです!
ありがとうございます!!( ;∀;)
こういう長時間の動画はあまり最後まで見ないのですが、元三国志ファンでもあったことや、地図での詳しい解説に見入って最後まで一気に見させてもらいました。「荊州を守っていられたら」「龐統が死ななかったら・・・」と、思いを巡らせずにはいられませんでした。ありがとうございます。
1時間超えの大作の作成お疲れ様です。 ラジオ感覚で聴いてたので40:59 のほぼオウム返しで会話するのが面白かったです笑
何を見ても思いますが、今回の動画を見てもやはり『人材』というのはとても大事なんだなと思いました
さらに、その人材を使う使い方も大事なんだなと感じました
41:05 大事なことなので2回
配信かと思うような長時間動画お疲れ様です
編集苦手過ぎる、二重チェックしてこれは頭抱える…(笑)
1時間超えの動画お疲れ様です。諸葛亮一人で行っていたことがあまりにも多すぎるんですよねせめてもう少し蜀に人材がいたらとかはよく思います
あと北伐って5回行っていますけど秦嶺山脈越え5度も兵士にさせてるのに兵士の反乱が起きたなんて聞かないんで兵士からの信頼は相当厚かったんだと思います
トップが一番苦しい思いして働いてるっていうのが、みんな分かってたのかもなぁなんて。
待ってました!諸葛先生😊
いぇい!
1時間以上にわたるまとめお疲れさまでした
よく龐統や法正が生きていれば諸葛亮は長生きしたと言われてますが
その二人が生きていたらそちらが重用されて諸葛亮は荊州の地方役人で終わっていた可能性もあったと考えると複雑なものがあります
ここでは紹介されてませんが織物で儲けたり鉄での兵装や貨幣を作って装備や経済を他国よりワンランクアップさせてる点も見逃せません
魏延の戦略を取らなかった点や馬謖の何が悪かったかは別の方の動画で見た事ありますがまあ諸葛亮のせいではないと思う部分が多すぎます
馬謖については本当に張コウが偉大過ぎた
諸葛亮自体の失態と言う意味では郝昭の守備を抜けなかった点くらいですかね
龐統が死なずに単独で益州攻略に成功していたら、丞相が彼であったのはそうだろうが、諸葛亮が地方長官になるというのは正確でない。
関羽に与えた治外法権を関羽でなく諸葛亮に与える訳で、諸葛亮の抜群の内政力を考えれば、かなり安全な北伐を諸葛亮主導で行うことができたはず。
長編動画作成ありがとうございます
興味深く拝見させていただきました
子供の頃は横山三国志の完璧超人な描写に そんなことができるのかと驚いていました
多少知識がついた今の視点では 滅亡寸前の国家を短期間で建て直しただけにとどまらず大きな戦争を起こせるほどの兵力を用意し攻め込めるほどに国力を高めた手腕に子供時代とは別のベクトルでそんなことができるのかと驚愕しました
見方は変わりましたが英雄という名にふさわしい人物だと思います
興味深く拝見させていただきました。数多くの三國志を読み、観ましたが、「公平無比な人物」だったって評価が、一番ピッタリだったと考えます。
弱小蜀漢に十年近く軍事行動を挑み、不平不満の声が庶民から出なかったことが、諸葛亮の凡てを著していると考えます
3:28 保身もあり袁術に従っていたが、任地を追われた所で見切りをつけた…とも考えられる。
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諸葛亮でこの時間であれば、劉備、曹操、孫権は二時間ぐらいは余裕で越えそうです
情勢が安定したら、成都の武候祠を見てみたいです
曹操の覇道を阻止するには劉備との出会いが5年は遅かったのでしょうね
歴史を変えることは叶わずも、絶対的な運命に抗った結果誰よりも歴史に名を深く刻んだ偉人だと思っています
ついでに言えば劉備の年も50近くといつ寿命がきてもおかしくなかったので。
人には向き不向きがありますからね、武官なら劉備文官なら諸葛亮が抜擢が上手かったって事でしょう
諸葛亮は天下の宰相たる能力に加えて将軍としての一線級の能力があるだけで傑出した人材で謀略や奇策を用いない正攻法が得意なだけでしょう
それを補う為の馬謖抜擢であって、周瑜なんかも正攻法で強くてそういった方面は呂蒙やホウ統を側に置いて重用してましたし二人みたいな清廉な人間は謀略を駆使する参謀向きではないというだけなのでしょう(周瑜まで巻き込んでいく
あの呂蒙の勝負強さも、凄いっすよねぇ…
謀略は張良よりも陳平のほうが得意であったらしいですからねぇ、役割分担がちゃんと出来るくらいの人材が揃っていれば…孔明もここまで苦労はしなかったでしょうに…
非常に解り易く素晴らしい動画なんだけど、BGMがもうちょっと抑えめだったら有り難かった
流石に一時間以上「ばーばらばばーーばーばらばばーー」とこの音量で流れ続けるとものすごく疲れてしまってな
弥生時代の人達の名前が分かるだけで、もうすごいと思います。そして想像もつかない広大な土地を治めるんだから。
泣いて馬謖を切る。という物語😊はマジで深い。あの時代において、そういう思想があった事が凄い
演義では神算鬼謀の軍師として描かれ、正史では古の名宰相にも引けを取らないと言われる。
描かれ方は正反対とも取れるけど、どっちもとんでもない大人物というのは変わらないのが本当に凄い。
しかも無類の忠臣。そりゃみんな好きになるわい\(^o^)/
昔の話では歴史に出てくる人になぞらえるってことは、現代で言えば特撮やアニメのヒーローと変わらないんだぞ?って位の言動だと思ってますが、有言実行したのは素直に凄い!と思ってます
@@KOUMEI_NO_WANADA
劉封を自害させるよう進言してるし、孔明は普通に怖いです。
世界史上稀に見るレベルの善良な独裁者というイメージ…
何回かに分けて、ゆっくり見させていただきます😊
孔明は逸話も多いから纏めるの大変ですね。
長いけども分かりやすくて非常に面白かったです。
ありがとうございます!(*´ω`*)
横山三国志から入ったから、劉備と諸葛亮の関係性に大きなギャップを感じた。個人的には法正も好きだから、もし病死していなければ諸葛亮は、、、と色々想像する。ただ歴史のifを考えるほど楽しいことはないと思う。今後も動画楽しみにしてます^ ^
若き日の諸葛亮は他の人よりも乱世を体感したからこそ「現実を見る」事を重視してそうですね〜
同じ時期の学徒の皆は「出世するための学問」って学び方だったのかも…
荊州学が見事に合致してたんでしょうなぁ
小説の国語試験化と同じだと思います。作者は勢い・流れ・感情などで書いた場面を「この1行には、どのような意味を込めたのか?」
作者「ほー、そんな意味が有ったのか? 初めて聴いたよ」
…諸葛亮の見解は、古典の一字一句をそのまま再現するのではなく、大局・真理こそ得るべきものとして、それを応用する事こそ知識の活用というものですね。
内政での手腕はホント右に出る者は居ないと思う
軍略にかけては郭嘉 司馬懿 陸遜辺りの方が上かも
短時間でも構いませんので「徐庶」解説回の作成をお願いします
リクエストは多いけど、正史の記録が少なくて取り上げづらい人物「徐庶」&「李儒」(笑)
でも要望は多いので、そのうちしっかり解説します!
今持っている三国志のDVD32巻をもう一度見直して勉強します📺
オレが三国志Ⅱをやった時は
いつも的確なアドバイスをくれてたぞ。
ついでに言えば三国志マンガで1番素晴らしいのは片山まさゆきさんの「sweet三国志」
徐庶か龐統のどちらかがずっといればと思えてならない…
天下三分までの期間が短すぎるのが、非常に優秀
徐庶が居れば、劉備・関羽・張飛と名士集団はもっとスムーズに連携できたかもしれないし、龐統が居れば、孫呉との外交はもっと上手くいっていたかもしれない。うーん、なんとも惜しい話ですね(๑´•.̫ • `๑)
@@KOUMEI_NO_WANADA
亮は内政に専念できて、北伐は任せられたのが大きいかなと思っています
内政力は異常値だと思うので、全てやらねばいけない状況が残念でならないのです
あと、もう少し長く生きていれば勝機もあったかもなぁとかですかね
過労は良くない(´∇`)
演技で酔狂の迷言かな。
ホウトウに仮に才能があっても親の気持ちも理解できない徐庶がいてもきっと法正には及ばないでしょうね。
軍師というより、最高の政治家で発明家って感じかな。なにより私利私欲がなく、公平で死ぬまで国のために忠義を尽くした所が日本人にも共感を得てるんだと思います。
孔明って清廉で通ってるが、関羽死亡の問題を利用して後に起こる可能性のある後継者問題の種である劉封を殺害に積極的に賛成した人物。
それが国家であり、それが政治、ということなのかもですね。なんにせよ、生きてる時代が違い過ぎることを痛感させられます。
劉封、もちろん好きだからこそ、やるせない…(๑´•.̫ • `๑)
荊州を制圧しかけていた関羽からの援軍要請を断り続けていたのは大問題かと(^_^;)
上手くいけば荊州制圧。荊州を制圧出来ずに呉にやられてしまったとしても、荊州を制圧しかけて曹操を震えあげさせた関羽の生存、荊州一部の死守に成功・それに伴う蜀内の荊州派の立場をギリ守れる可能性があるので(´∀`; )
孟達と対立し魏に走らせ、上庸も奪われてしまっているので、罪はかなり重い状況でしょ(^_^;)
皇帝の義兄で、暗愚な義弟と違い勇猛。
関羽と対立するような性分。
孟達の軍楽隊を奪う勝手さ。
荊州・上庸を失わせる戦犯となった過去。
処刑されるとなり、孟達の言う事に従っておけば良かったと通しぬけない義理。
不安要請がここまで積み上がった状況で、劉封を生かしておくのは厳しいものがあるでしょ(´∀`; )
武将や君主の夫人も取り上げてほしい
待ちに待った諸葛亮動画お疲れ様です!
劉備軍は死んではならない人が死んでってしまったのが惜しまれますよね
龐統、法正、関羽、夷陵の戦い
みんな生きてれば諸葛亮はここまで有名になっていなかったかもしれませんが皆生きてれば…と言われてしまう人ばかりが…
徐庶が居なくなってしまったあたりから始まっていたのかも…?
50:25 初戦なのかなあ・・・
入蜀時の記述が先主伝で、諸葛亮・張飛・趙雲らは兵をひきいてさかのぼって白帝・江州・江陽を平定した、で
諸葛亮伝で、諸葛亮は張飛・趙雲らとともに軍勢を率いて長江をさかのぼり手分けして郡県を平定し、で
張飛伝で、張飛は諸葛亮とともにさかのぼって攻めて手分けして郡県を平定した、で
趙雲伝で、諸葛亮は趙雲や張飛を率いてともに長江をさかのぼって西上し郡県を平定した、で
どれも軍を率いて平定になっているから南蛮以前の入蜀時に指揮権のある軍事経験あるんじゃないのかなあ・・・
これは僕の言い方が悪かったですね(;'∀')
確かに軍を率いるだけであればそうですが「自ら戦略を組み立て、主導するような形」での戦役であれば、初めてという形になるのではなあいかなぁーと。
また劉備の性質上、基本的に関羽と張飛にしか一軍の指揮権を預けないタイプなので、益州平定の総仕上げである今回もまた、あくまで張飛に軍事権限を握らせるという指揮系統の下で進軍しているのではないか、と推測しています。
記録を見てみても、張飛が主力軍を、趙雲が別動隊を指揮しているような感じに書かれていますし。
ただそれだけと幕僚筆頭格である諸葛亮の顔が立たないので、名目上は諸葛亮の方が上にきているだけ、と勝手ながら推測しています。
夷陵の戦いにおける黄権が、なんとなーく近いかなぁ。夷陵の戦いだってあくまで総指揮は劉備で黄権ではないということを考えて、今回のような表現になってしまいました(;'∀')
@@KOUMEI_NO_WANADA さん
独自の軍権となると張飛はどうなのかちょっと疑問が…
関羽の方は明らかに節と鉞を渡してるので自己の判断によってほとんど独自の判断で軍権をふるう権限が与えられているとは思うんですが、
張飛については一個の軍事集団としての軍権の発動についてまでは与えられてないような感じが…
(まあ部下の扱いがぞんざいな人間に孫子でいうところの国の大事である兵権への大幅な権限を与えるのはかなり冒険的な感じがしますので…)
まあ諸葛亮については南蛮でいきなり万単位の軍事指揮をするのはいかに天下の奇才とはいえちょっと厳しいような気がするので入蜀時にある程度の軍事指揮は執っていたんじゃないのかなあと…
昨年10月に浙江省蘭渓市の諸葛村を旅行しました…祠や扁額は基本的に明清時代の文物で、皇帝の御書でもある。諸葛村内部の村民の民家については、西暦20 ~ 21世紀にリニューアルされたものがほとんどだ。村人は数百年来、諸葛亮の孫、晋の江州刺史諸葛京の末裔を自称してきたが、本当に考証できる祖先は実は唐末の軍閥である諸葛爽であり、北方南から江南に移った士人代表である。現地の総人口4000人、約2500人の姓は諸葛で、その他の基本は金姓と黄姓である。村全体で数百年来主に経営されているのは漢方薬で、村内には巨大な薬草園があり、華南農村で最も裕福な一類とされている。
一時間を超える動画の作成お疲れさまでした。とりあえず一つ、 41:00 の霊夢と魔理沙の台詞がかぶっています。
三国時代を代表する大物だけに思うところも沢山ありますが一つだけ、第一次北伐で街亭の守将に馬謖を抜擢した理由はいろいろ言われていますが、個人的には「祁山攻撃の戦力を大きく落とせないから」と考えています。確かに魏延や呉懿ならより長い時間街亭を守れるでしょうが、逆に祁山攻略がより困難になってしまいます。そのジレンマを解消する策が馬謖に街亭で専守防衛させることではないでしょうか。
隴西が落ちるまでに魏軍と睨み合ってても良いわけですからねー
うわ、ホントだ。3回くらいチェックしたのに、マジでもう、編集苦手過ぎる……すいません(´;ω;`)
戦力分散の危惧、確かになるほど。正直、ここまで広範囲に展開できるほど兵力が多くないんですよね、北伐軍は。
考えられる不利な理由すべて含めた上での決断だったのかもしれないですね。
@@KOUMEI_NO_WANADA ドンマイです。「蜀漢滅亡の原因シリーズ第三段 馬謖」お待ちしております(冗談)。
@@matukawatositane 実は隴西に派遣した軍勢も遊楚に撃退され(張既伝)更には張郃だけでなく涼州からも援軍が(徐バク伝)。
@@ひょうべえ 諸葛亮視点では単車刺史の徐邈の巻き返しは予想外だったかもね
魏延の子牛谷の話は出鱈目という説もあったような気がする。東京から京都ぐらいの距離の険しい山道をフル装備の鎧武者が10日で走破するのは不可能に近いし、いくら長安の夏侯ボウが無能といっても、皇帝が直々に後詰を務めるような状況で逃亡なんてしたら間違いなく処刑されるに決まってるから、徹底抗戦するしかない。そんな状況で疲労困憊の魏延の部隊が勝てる道理もなく、果たして魏延が本当にこの献策をしたのか疑わしいという説。
でも魏延はその予行演習でもやるかのように、呉懿と共に西方の遠い僻地まで踏破し、迎撃に出てきた郭淮も破って堂々たる武威を示したなんて記録もあるので、この無理を押し通せそうな気もしなくもない…(笑)
孔明の話しを見た後だと、政治に軍事に秀でていた曹操ってやっぱり天才なんだなって思う
女癖の極悪さ以外は完璧ですからね
蒼天航路の曹操もヤバすぎでw
御しきれない法正が”病死”して後継に自分派閥劉巴→全権掌握。丞相は恐ろしい男やで
現場で叩き上げたおっさん劉備と天才で真面目だけどちょっとめんどくさい諸葛亮
劉備が現場の人間(軍人)の、諸葛亮が裏方(官僚)の見る目がしっかりしていたというのは納得がいくなぁ
投稿お疲れ様です。
久々の長尺動画嬉しい!
昔は三十分で長尺だと思ってたのになぁ…(笑)
マレーシアに住んでたとき、華人系の人とも知り合うことがたくさんありました。孔明のことを尋ねてみたら「He's great」と答えた青年がいたことが印象深いです。あの国の華人系は南部出身者の子孫が多く、三国志で言えば呉の地域からの人がほとんどです。そんな中で彼の評価が高いのは演義の影響も多分にあるかなと思います。
劉琮の生母が蔡氏(劉表の後妻)ってのは演義のみの設定だったのでは🙃?
彼自身の蔡氏との関係は彼の妻も蔡氏出身であったとされています(後漢書劉表傳)
つまり劉表と劉琮は親子二代にわたって荊州蔡氏から妻を娶ったという強力な婚姻関係を築いていたことになります(曹家が二代丁氏から娶ったヤツみたいですね😗)
あれ?そーでしたっけ?やば…
擁立事情もあって、ずっと勘違いしてきた…
1時間以上の動画でしたが、面白くて最後まで夢中で見入ってしまいました^ ^
孔明の人生を辿ると、三国志の歴史も再確認出来て、とても興味深かったです(*゚∀゚*)b
ありがとうございます( ;∀;)!
1時間超えの動画投稿お疲れ様です。
やりたい様にやらせてくれた劉禅が君主でなければ権限を制限されて、ただの優秀な内政官としてしか語られず、今日の様な評価はされていなかったでしょうね。
法正の早世と、劉禅の全権委任。これがあったおかげで、諸葛亮は今の姿になった感じがありますね。
政治の派閥争いも含め、各方面での情実人事なんかは現代でも残る慣習ですが、当時今より宰相といえど軽い命の価値観の中で、公平さを貫こうとし、政治家として恐れ愛された諸葛亮はやはり偉人だと思います。
しかし、この時代、曹操もしかり明らかに中華統一できておかしくない人物ができてない所が面白いんですよね。後漢の光武帝なんて漫画のヒーローすぎて日本じゃあまり人気ないですよね。
いつだったかのテレビ番組か動画で「諸葛亮は三顧の礼の前に曹操から士官の話が来ていたが断っていた」っていう話を聞いたことがある。
人材豊富な曹操に仕えても埋もれるだけで昇進できない、という理由じゃないかって考察されてた。その点劉備なら「周囲が納得するほどの大物」で人材もほぼおらず、無名無官の自分でも重宝されると読んで仕えたって話だったな。だから自分を高く売り込むために劉備が来ると知りながら隠れるなどして3度訪問させた上で自身の戦略を「劉備が望む展望と合致してる」ように見せながら伝えた、とか。
そしてその野心を見抜いていた劉備が、諸葛亮が自分の死後に裏切る可能性がある事を気にして、蜀と劉禅に永劫の忠誠を誓わせるために死の間際に「劉禅がアホなら国を奪え」とあえて言ったみたいな事も。
三国志の専門家が、三国志演義で一番許せない事で、夷陵の戦い前に諸葛亮が劉備を諌めたところと言ってましたね。打算的に動くのではなく、関羽の仇討ちの為に動く劉備が、諸葛亮の好きな劉備なのだから、あそこで諌めるのが気に食わないのだとか。
公私混同は戦争では御法度なので諸葛亮の諌言は正しい
趙雲ですら諌めてるというのに
もはや個人所有の集団ではなく、漢王室の継承を謳う国家に成っていたわけで、如何な皇帝と言えど、いや皇帝だからこそ覇業を感情で乱してはならない。
忠臣ならではの「苦渋の思いは、天下を取るまでお秘め下さい。バネとなさいませ」でしょうね。趙雲ですら異を唱える。
まして、諸葛亮は本来理論優先・規則に厳格な合理家。
言葉足らずで申し訳なかったです。
演技では止めてるんですけど、正史では止めてないんですよね。演技の三国志は諸葛亮を神のように扱っているので、常に合理的な選択をしているように書かれています。しかし実際諸葛亮は常に正しい選択をするような神ではありません。間違っていると思いながらも、劉備の気持ちを汲み取り、あえて止めない人間的なところも、個人的には諸葛亮の大きな魅力だと思います。劉備と上手くやれるのも、諸葛亮にも人情や義といった狭の精神が根付いていたのだと思います。逆に合理主義の権化のような司馬懿は、諸葛亮とは違い、魏を乗っ取りました。常に正しい選択をする人を主人公にするならば、司馬懿が主人公でも問題ないわけです。個人的にはこの諸葛亮の人間味を感じるようなエピソードを演技で取り除いたのは残念ですね。
長文で返信して申し訳ありません。
人材起用に関しては諸葛亮が好んだのは性格に問題のない人物、与えられた仕事を確実にこなす優等生タイプ、これは本人の能力の高さ故と言った所か、能力、実力が第一の劉備や曹操とはある意味では正反対、そのように考えると比較が難しい。
まあ要は諸葛亮は官僚の長、曹操・劉備は王とそれぞれの立場に適した好み方と言えるし立場が違うから比較は無理じゃないかなぁ
解りやすく面白い、さらにBGMが喧しくないのがとても有り難いです。
待ってたぜ?この時をよ!?
今の政界に諸葛亮がいたらなぁ。。。
あかん。“魚”がおらんわ。
“王と名士”のせめぎ合いというバランスはむしろ必要と思う。
三国志は“歴史”が圧縮されている。
大作ありがとうございます。
軍師連盟と鎌倉殿で嫌というほど見てきた君臣の軋轢…(笑)
李厳が失敗しなければ三国志は変わっていた説
一番乗り。やはり長かった・・・。”唯才”がモットーの曹操ですら名士を用いざるを得なかったのだから、劉備も心を砕いたことだろう。法正亡き後実権を握った諸葛亮だが、「夷陵の戦い」の敗戦処理や北伐等で激務の日々だったことは想像に難くない。こう言っては失礼かもしれないが、孤軍奮闘の日々にいかほどやりがいを持っていたのだろう。
どれだけ命を削っても、理想に近づくことのない現実。壊れることすら許されないほどの激務。やはり、凄まじい傑物だと思います。
もし孔明が劉備に仕えなかったら歴史は大きく変わっただろうし
劉備以外のところじゃ力を存分に発揮できなかった
ある意味孔明は主君に恵まれたとも言える
曹真>諸葛亮>司馬懿・満寵>陸遜>曹休
これが中期の最強武将ランキング
孔明が凡庸な君主をもり立て自らが決して帝位を覗わなかった、というのは結果論としてそうなんですが
仮に蒼天航路の曹操のように連戦連勝(というほどでもないなw)、北伐でも戦えば必ず勝ち、最終的に蜀漢による天下の再統一までなしえていたらどうでしょうか?
現状孔明は人臣として得られる官位のおおよそ考えられる最高位にいますので
もしここから大きな功績を立てていたら(李厳の提言は早すぎますが笑)次は”九錫”の下賜や”公””王”の爵位しか残ってないんですよね(※例えば長安陥落で九錫、洛陽確保による劉禅の洛陽帰還で王位、曹家殲滅による天下再統一で・・・・・・というまさに曹操コースもあったかもしれない笑)
無論、孔明にその気が無ければこれを断ればいいだけの話なんですが
さまざまな境遇の臣下のさまざまな思いが一群の熱望となっておし迫れば、孔明とて、諸葛孔明とてこれを退け得るだろうか!?(荀彧風)
孔明「”王の位”は”天才軍師”の名と同じ程度の飾りだ😗✨」
自分も「劉禅は暗愚じゃない」の回でそれを少し考えてみましたが、そうなった場合荊州名士を中心に諸葛氏への禅譲の動きが起こり、諸葛亮本人は拒むでしょうが恐らく子か孫の代で・・と予想しています。
孔明はともかく、その子孫が「建国の忠臣」の末裔として、幅を利かせていたでしょうね。諸葛瞻ですら内心はともかく、黄皓の肩を持つ保守派でしたからね。まぁあれは、姜維が国力を顧みず、また派閥てきに異端すぎたのもありますが。
諸葛亮は軍事、行政、外交の全てをこなしていたわけだが、彼は立場によって能力を伸ばしていけた人物だったのだろうなぁ
政治の形は似てるのに、曹操は自分の好きなことだけを突き詰めて、他の決裁は重臣達に丸投げ。方や諸葛亮は鞭打ち二十回以上の決裁を自分一人ですべて処理。面白い対比ですよね。
私は思う…
うぷ主が血の涙を流しながら過去最大スケールの動画を作って、皆が千の言葉を用いてコメントし続けてもなお、我々はまだ伏龍を語り尽くすことはできないのだと…
まあでも逆に考えて、最も孔明を体感した人物は司馬懿なんでしょうね
速戦即決を好むあの司馬懿が、全力を尽くして耐え忍ぶ戦いを選んでいるあたり、諸葛亮を必要以上なレベルで警戒していた感じがありますよね(笑)
孔明になんもさせてもらえそうにないからもうとりあえず守るしか…みたいな感じですかね…
しかしそれで司馬懿(魏)の側は一応勝ったということではあると…
一時間半ww
編集どれだけかかったんだろ
台本3万字書いて、まだまだ内容薄いなぁと感じてしまうのがこの人の恐ろしいところ(๑´•.̫ • `๑)
すみません。いまいちわからないのですが、劉備を好きな人嫌いな人はいると思いますが、孔明の真実(スーパーマンではない)をしって、嫌いな人がいないくらい全員孔明が好きになる本当の魅力は何ですか?
何を魅力に感じるか、というのは「感性」の話になるので、当然個人差もありますし、これだと答えを出すことは難しいですね。
ただ自分は「自分の人生をどう生きるのか」というのを突き詰めているような、そんな人物に特に魅力を感じる感性があり、そういう意味では諸葛亮という存在をとても輝かしいものに思っております。
ニートが中小からスカウトで取り立てられて巨大な敵に立ち向かうのに活躍する
そらみんな惚れます。
人を見る目がなかったり期待した部下に登山家されたりと人間くささもあるし
魏延が提案した「子午谷奇謀」の奇襲路線は後世で実際に実践されており、魏延以前にも子午谷を試した人がいたほどだ。曹真、曹爽父子は蜀漢討伐の時から子午谷ルートを採用していたが、曹真は直接山道に閉じ込められ、1ヶ月も進軍路の半分も完成していなかった。曹爽の行動はさらに興勢の戦いで魏軍の惨敗を招いた。東晋時代の桓温が前秦を討伐した時も、司馬勲に漢中を出発し、子午谷を利用して長安を攻撃するよう命じたが、この部隊は谷から出ることもなく前秦の軍隊に敗れた。明末の農民戦争時の高迎祥も子午谷を利用して西安に侵攻しようとしたが、結果として子午谷ルートの途中にあった黒水峪は大明王朝の官軍によって殲滅された。
魏延の「子午谷奇謀」は非常に危険な賭けだった,そして曹魏もこの進軍ルートの存在を知っているに違いない。蜀を伐伐とした時に子午谷を経て長安から漢中を攻めたこともある。子午谷という330キロの山道自体が非常に危険で、しかも道路状況が悪く、後方勤務の補給が困難で、長安側は子午谷の中間地点で攻撃側を迎撃することができる。そのため後世の2回の「子午谷奇謀」はほとんど子午谷を出ずに完全に潰された。成功を賭けたいのは、ほぼ完全に「長安の守将夏侯楙、あるいは彼の部将は全員馬鹿だ」という前提の上に成り立っている。「逆子午谷奇謀」の成功例もある:鐘会が蜀を伐採する時、その中には子午谷への進軍ルートがある
1936年の「西安事変」期間中に王耀武の国民革命軍第51師団は、子午谷ルートを利用して西安に行って蔣介石を救出しようとしたこともあった…途中道が難路で水源が見つからず、3日間だけ進軍してそのまま断念。南から北への「子午谷奇謀」はほとんど失敗した。北から南への「逆子午谷奇謀」には成功例がある。曹魏の鐘会伐蜀、西魏の王雄伐南梁
結果論。成功確率は高くはないし孔明は採用しない
そして今の日本でパリピとして君臨するとは。
『たら・れば』を言い出すとキリがないですが
『徐庶と龐統』が生きて蜀漢に仕えていたら、
『関羽の元に徐庶を置いて進言や諫言』
『張飛と龐統の酒飲みコンビ』
『孔明自身は内政官と兵站を務める』
他には短命だけど馬良や法正も居るし上記の2人が健在なら荊州を奪われることなく対魏戦も劉備抜きでも抑えたり攻め取ったり出来たかも🤔
とうとう諸葛亮が!
いぇいいぇい!
朱皓は朱儁の息子でしたね。彼も父同様数奇な運命の下、悲惨な最期を遂げてしまったのはちょっと残念な話です。
諸葛亮の「概要だけ掴んで」とか言うのは後の諸葛亮のこまめな性格を考えると、ちょっと違和感を感じる逸話でもあるんですよね
蜀漢建国依頼の重臣が相次いで亡くなり、諸葛孔明が独り人材が希薄な中で死力を尽くした果ての秋風五丈原・・・。孔明死後、約30年は国が保たれ、後の時代にも孔明は「政治家の手本」として現代も生きている。
演義の影響力は凄まじいのと軍師中郎将という役職名からか諸葛亮(孔明)を軍師と思っている人は多いですが、宰相として政治家の面は強いですね。
スーパマンではないし、軍事に関してはライバルの司馬懿(仲達)に負けていますね。
映画並みの時間で草
見応えありますねこれは…
休憩を挟みながら、ご視聴いただければ幸いです(*'ω'*)
まだ冒頭だけど琅"邪"が琅"耶"になってますね。
よく使う地名なので単語登録がオススメ。
おぅふ、早急に手配します…(笑)
劉禅の数少ない名采配、丞相職廃止。孔明を降格させる為の苦肉の策とはいえ、この時の劉禅はまだ知的であった
ついに諸葛亮か・・・ゴクリ
お手柔らかに…(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA
やっと見終わることができました笑
そういえば劉備が「軍師中郎将」って役職を諸葛亮に任命したときに初めて「軍師」って名称ができたって昔本で読んだことがあります(=゚ω゚)ノ
最終的に勝てなかったという結果だけで、孔明は弱いだの戦下手だの言う自称三国志通多いけど、内容見れば出来る限り最善尽くした化け物って分かるのにな。
結果しか見れないそいつらは大国ローマに負けたカルタゴの名将さんも酷評してそう。
「おいおいおい、アイツ軍略微妙だわ」は司馬氏に遠慮した陳寿がなんとか見つけた苦し紛れの欠点って感じですよね😎
特に退却戦を無事に成功させているのは大したものですね。退却戦は軍の指揮が極めて難しいらしく、10万の大軍で退却してても8000の兵にボコられる指揮官もいるくらいです。
それに五度の退却成功、これらはそれぞれ違うシチュでの成功です。その上王双、張郃などの撃破も添えてバランスが良い。
それにしても自分が死んだあとだというのに五度目の退却も成功させているとは、驚異的な指揮能力というほかない👓
そもそも時代からして将官は武人でも一般兵は農民ですからね、兵全体への恐怖も伝播しやすいですしちょっと脅かすだけでも壊走するレベル
攻めている時は兎も角撤退となれば規律の維持が非常に難しいので指揮官も圧倒的に不足してる状況にも関わらずよくもまぁ撤退を成功させられるなと諸葛亮の万能さが空恐ろしく感じます
もしも孔明が蜀を奪っていたら・・・どんな歴史になっていたのだろう。と、ついつい考えてしまう^^;
でもそれをしてしまったら恐らく、孔明は孔明になれなかったんだろうなぁ、とも
@@KOUMEI_NO_WANADA
ですよねぇ^^;
劉備の遺言が実は美談では無く、釘を刺していた説もありますね。孔明もそう答えざるえない状況にされた
@@bureize-アスミタ まあ、「才能ありありだから君が国を継げ」では、蜀漢の大義である「漢の再興」ではなくなりますからね。
三国志というか世界の大帝国に於ける殆どの問題は後継問題か後継が馬鹿過ぎる問題なんだよなぁ
よかったよ。
嬉しい(´;ω;`)
諸葛孔明ってみんな演義から入るから最初は「天才軍師」なんだけど、正史を読んで「忠臣」「政治家」に変わります。さらに武廟十哲を知って「名将」が加わります。
詳しく言うと孔明の同時代人の評価と陳寿の評価は違うし、唐と宋でも重視する要素が全然違う。(例えば20年前だと小国家の宰相にすぎないというのも多かったですね。)
この辺我々三国オタクには常識なんだけど、なんらかの解説が必要ではないかな~。一般層にとってはやっぱり「天才軍師」なわけで。
メモメモ…( ..)φ(笑)
評価の変遷については「諸葛亮像の変遷」を読んでいただくとして(笑) (北魏最高の宰相崔浩なんかは「孔明大したことない」ですね。)
つまるところ、人物の評価ってのはその時代の影響を受けざるをえないんですね。
「歴史とは現在と過去との対話である(E.H. カー)」というやつです。
ゲーム三國無双から入ると
扇子ビーム
そりゃ曹操や周瑜なんかと比べれば軍才は劣る
でも周瑜は元々軍事一辺倒の軍人だし曹操は一代であれだけの国を作った大天才なんだから仕方ない
軍事にも秀でた行政官と見れば他国のそういう人で孔明より明確に優れている人はほとんどいないと思う
孔明の荊州を取るべきという進言を劉備、不採用。孔明を孫権の下に行かせたのも同盟締結に成功したらラッキー、失敗して孔明が亡き者にされても痛くも痒くもないという劉備の博打だったのだろう。噂に翻弄され三度行っきマンになった劉備。いざ孔明を前にすると超変人だったので好きじゃなかったんだと思う。漢中攻略戦も劉備は法正を頼って、孔明はアテにしてない
三国志の裏話しで日本の縄文土器は、世界一古く土器を作る火力の進歩で銅や鉄が造れるように成り、日本が魏に鉄を売り鉄武器で魏が統一できたとかです。蜀や呉は、青銅器の武器で不利でした。小名木善幸さんのTH-camで知りました。
関羽による荊州失陥と夷陵の戦いでの大敗による人的資源の損失でほぼオワコン状態の蜀を立て直した手腕は流石。荊州失陥がなければ荊州方面からの進出なら楽な軍事行動が出来た。関羽のやらかしがなかったら北伐は上手くいったかもしれない。
関羽の死でほぼ手駒が瓦解したといううのは痛すぎますね。
従軍軍師としては徐庶の方が優秀だった気がする
劉備玄徳は解説してくれませんの?
息子に亮の名をつけました。
三國無双2から入った身だけど、史実を知れば知るほど盛りすぎで信じられない人。個人的には張遼、曹操に並ぶ超人、リアル三國無双。
諸葛亮をもってしても、大願成就せず 要因は、劉備・関羽・張飛の性格によるものか
孔明には5虎大将軍が必要だと思う孔明の描く絵を現実にしていく手足が必要だと思うその中で筆頭の関羽が没したのは痛い。張飛もも落ち趙雲も落ちて手足をもがれて馬謖でとどめを刺される。馬岱もイマイチ義援は論外。黄忠厳顔は老齢だし。魏と呉がキラ星のように諸将いるのと大きく異なる。規模が小さいのが痛い。益州という肥沃な地を持って収入は良かったと思える揚子江のほとりの益州は肥沃な土地だ。
魏延を冷遇して用いなかったのが残念
いつも兵糧が尽きては撤退するのが北伐の常で蜀の桟道に山脈まで越えての兵站には無理があった
その先に自国の数倍大きい敵国が待ち構えているというのだから、北伐は成功の見込みが無く無駄に国を疲弊させただけの結果に終わったのは当然だろう
それは魏軍も同じで守りに徹すれば蜀は存続できただろう
魏や呉は政争や内紛により衰退し続けており、蜀が国力の充実に集中し無用な損害と疲弊を避けていれば北伐のチャンスがあったかもしれない
国民生活を第一にすれば民は満足し、その様子は魏呉にも伝わり大量の住民移動が起きて蜀の人口は三国一になっていたであろう
当時の人口は現代よりもずっと少なく広大な蜀の平野を田畑にすれば全人口を養えただろう
これを徴兵すれば蜀の兵力は魏呉を越える事になった
これぞイツをもって労を待つ 静をもって動を制す
ただこの戦略を自身で達成するには諸葛亮の寿命が足りなかった
良き後継者を得て長期に存続できるよう政権や国をかためる事は出来なかったのだろうか?
荊州失地が根幹にあることを考えると、人材面や国内の摩擦の火種などが常に不安として付きまとうわけで。
国是に基づいた拡充戦略の成功に一縷の望みを託さざるをえなかったのかなぁ、なんて。
魏延が提案した「子午谷奇謀」の奇襲路線は後世で実際に実践されており、魏延以前にも子午谷を試した人がいたほどだ。曹真、曹爽父子は蜀漢討伐の時から子午谷ルートを採用していたが、曹真は直接山道に閉じ込められ、1ヶ月も進軍路の半分も完成していなかった。曹爽の行動はさらに興勢の戦いで魏軍の惨敗を招いた。東晋時代の桓温が前秦を討伐した時も、司馬勲に漢中を出発し、子午谷を利用して長安を攻撃するよう命じたが、この部隊は谷から出ることもなく前秦の軍隊に敗れた。明末の農民戦争時の高迎祥も子午谷を利用して西安に侵攻しようとしたが、結果として子午谷ルートの途中にあった黒水峪は大明王朝の官軍によって殲滅された。
まず名前は諸葛亮の時点で間違いでは?
姓は諸葛、名は亮、字は孔明のはずです
また赤壁の戦いは実際は起きてないと言う見方もあります
魏書では疫病が流行ったので、船を焼いて撤退したと言う記述しかなかったはず
呉書には魏軍の船を焼いて勝ったと書かれてたはずですから、小競り合い程度の闘いしかなかったと言う見方もありますね
法正が長生きしていたら諸葛亮がこれほど有名にならなかったのも事実だろうけど、寿命はもう10年くらいあったかもしれない。法正死後、軍事も政治も全て自分で背負ったことで過労状態になっていただろうから。
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法正は完全な参謀タイプで謀略などの才は蜀随一でも劉備という指揮官の才能を完璧に補完する最高の相棒であって個人で戦が強いって感じじゃないですからね
諸葛亮と同じ分類になるのは陸遜や周瑜になるんじゃないですかね
中国どころか世界的に見てもトップクラスの政治家だと思う
それゆえに人に任せるのが苦手なタイプだったんだろうなと感じる
(任せるより自分がやった方が早いと思うタイプ)
諸葛っていう苗字って、なんか蟹っぽくね?
なんかわからんけど、諸葛っていう文字を見ると蟹に見えるのだが…
孔明って過大評価してる奴と過小評価してる奴が大多数な印象
演義での過大評価がエグすぎて正当な評価されずらいんだよねw
逆にそれでsageられることも多いし
当の中国人たちは関羽公が偉大だと思ってるので、結局はバーターなんだよね
諸葛亮が呂布使ったら...
強・魏延みたいなイメージ
あのバカ三兄弟がやらかさなかったら天下も狙えたのにな。
優秀である事は否定しないが、史上最高ではない。
一例として、政治は蕭何には及ばないだろうし、政略においては張良に及ばないだろうし、采配軍略においては韓信には及ばない。
演義諸葛亮のモデルになったとも言われる異次元の天才「劉基」なんて人物も居ますしね…(笑)
全教科80点の人を史上最高という形容詞で表現するか?という事だと思います。
一教科でもぶっちぎりに突き抜けている人を呼ぶのではありませんか?
ですが、諸葛亮は全教科90点以上ありそうですけどね。
曹操にしても、司馬懿にしてもそうですけど、能力がズバ抜けているのは勿論のこと、1番優れた能力は時流を掴まえた事。
これに尽きるのかもしれません。
諸葛亮は時流を掴まえる事はできなかったと思います。
ちなみに、私は諸葛亮よりも司馬懿の方が優れた武将だと思っています。
@@広一-e8c 曹操はともかく司馬懿が孔明より上は無いでしょ。勝ち馬に乗ったら有能って結果論でしか無い。子孫が野心家だったり、曹家がポンコツムーブかましまくったり、運要素強すぎる
確かに小説「三国志演義」は、孔明のこと盛りすぎですよね。おかげで実際以上に天才軍師みたいなイメージが作られてしまって、また政治家としての手腕もなかったようです。カエサルのほうがよっぽどすばらしい戦略家で、弁舌もすばらしい政治家で、行政能力もあり、何倍もレベルが上だと思います。
諸葛亮孔明
武力 1
知力 96
政治 100
かな🤭
すべての元凶って孫呉だと思う!?
結局荊州奪っても?魏とまともに戦えない奴らやんw
諸葛亮の北伐成功しないのはほぼ孫呉が原因!?