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操縦の単純化はかなり重要だよなとくにWW2の頃なんていつベテランパイロットが死んでもおかしくないし、誰が操縦しても安全に飛べるのは大事よな
人間、必ずミスや不注意をする。ミスや不注意で撃たれても、生きて帰れれば反省もできる。
@@akirakajiwara9478 ほんこれ飛行機は壊れたら新しいのを作れるけど人間は一度死んだら二度と同じ物は無いからな
日本海軍は少数精鋭、個体優秀主義。なぜなら空母搭載機がそもそも限られてる上に短期決戦しか勝ち目は無かった。それを知ってるアメリカに消耗戦を強いられて負けただけ。結果から遡って歴史を見てはいけない。
だから米軍のF6Fの着艦でバラバラになってもパイロットは自力で降りてる動画ありましたね
ストーリー、話のまとめ方がとても上手な動画だなと思いました。面白かったです。
ヘルキャットのデザイン好きです
握手
外板の貼り方が素晴らしいよね。素人でも切り出しやすそう量産のアイデアは駄作棄にも多く、調べると結構面白い、p40とかbf103とか主翼ではfw190とかね
コルセア戦闘機とF-18戦闘機ホーネットもアメリカ海兵隊に使用されてマルチロール機として注目されて海軍主力戦闘機に成ったのは共通している。
零戦の華奢さも好きだけど、ヘルキャットのムキムキマッチョマン感も好き
俺ぁゴリマッチョのF6F よりも、細マッチョのF8F派だなぁ~♪
@@球磨五朗 F8Fを装備したVF-19を搭載したUSS Langleyは日本近海に移動中に終戦になりました。もう少し早かったら日本軍機と空戦が生じたかも。
@@球磨五朗 確かに俺も熊猫派
コルセアのあのフォルムがたまらんと思うのよ
華奢で優雅な零戦、マッチョ💪でゴツいワイルドキャット。見た目から機体性能までどれを取っても正反対なのが面白い
一昨年96で亡くなった私の父親は徴兵前は立川飛行機で一式戦を製造する一工員で、その後招集されて陸軍第62対空無線部隊に配属されて日本の敗戦後は立川に存在した陸軍航空技術研究所に捨て置かれた子供と一緒にアメリカ空軍の教育、指導を受けてC46,C124初代グローブマスターの整備、朝鮮戦争が始まると機体剛性が著しく脆弱な旧日本陸海軍機であるなら一瞬にして空中分解する音速付近でMiG15と戦闘して被弾したF86Fの整備、その後アメリカ空軍の命令で発足した空自初のF86Fを朝鮮戦争中に実戦使用されたアメリカ空軍のF86Fの国籍、機体識別番号を剥離剤で落として整備して納入した経緯もございました。日本の敗戦後、南無妙法蓮華経で頭がいかれた日蓮海軍のクズどもが全く防弾のなされない零式戦を運用し敗戦間際にお座なりな防弾をしていたことや、三菱も中島も大型のブレスが無いために小型のプレスで機体構造を作るために手工業同然で製品で、オイルシールがなされないエンジンはすべてがオイル駄々洩れで常に汚れて1回飛行する旅に清掃して、敗戦のその日までも航空無線電話が無く、第一次世界大戦とおなじ手首で打つ富士通製のモールス信号機もビニールコードの一本すら作れず使用されないので極めて振動に弱く、また米軍が各電子機器をラックに収めて故障した部分を現場ですぐにアッセンブリー交換していたのに対して敗戦のその日まで機体に直付けされた無線機を現場で半田付けしていた日本に勝ち目など一切かったことを極めて遅まきに達観して、お母さんと声を上げて戦死した仲間をとても気の毒に思い続けていたようでございます。また自分が台湾沖海戦で南無妙法蓮華経の腐れ外道になりはてたポンコツ海軍の特攻に陸軍も巻き込まれて父親が特攻の訓練機を夜間モールス無線でオペレートしていた際に訓練機と子供同然の飛行兵を空中爆発させて、日本陸海軍の機体識別表にも記載のないP61と思われる機体も朝鮮戦争中に既に旧型ではあったのかもしれませんが米軍に接種された立川基地で目撃してアナログの限界を極めたようなレーダー、FCS、アビオニックスを見て敵、相手を良く調べもしないで太平洋戦争を始めた当時の大人の愚かさで未来のあった若い仲間を失ったことに憤りも抱いて亡くなったようにも思ええます。
アメリカの戦闘機とゼロ戦のドッグファイトで主翼同士が正面で接触した時、ゼロ戦の主翼が真っ二つでアメリカ戦闘機は無傷という逸話が残されている。
え?そんな話はない。96艦戦が敵(中国軍だが、ソ連やアメリカの飛行機)の戦闘機と空中接触して右翼3分の1を失いながらも帰投したって話なら有名だが…零戦は軽量化してるとはいえ激しい格闘戦をしても空中分解しない頑丈な飛行機、どんな頑丈な機でもぶつかりゃただではすまないはず…
@@コウダイ-r1v 急降下制限速度600前後程度の戦闘機の造りが強靭なわけないだろ
ソースは?航空機同士が正面衝突して無傷とかありえないだろ。バードストライクでも派手に損傷するんだから。
@@コウダイ-r1v wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
@@コウダイ-r1vドーントレス対零戦の話だよ
うぽつです。合理化と大量生産代表の戦闘機達。
F4Uは合理とは真逆だろ。一機5.4tという大量の資源を消費して重い上に高速向けだから殆ど曲がらず生存率は高いが敵の殲滅効率と燃費が悪い。だから大量に揃えてカバーしようとしたが大量に作った頃には次世代機も完成してたりヘルキャットの方を好むパイロットが多かったりでパイロットの数に対して機体の方が大量に余る。余った機体は朝鮮戦争で売り付けたがそれでも余って大量に海に捨てた。この動画じゃ触れてないが大量に作って一口食べて残り全部残飯みたいなことしてるぞ。
ys4414 ザ、アメリカやな。
@@ys4414 海に投棄したのは初耳だな。そんな不利益を実際にやったのかい?
宮野善治郎さんまぁ、終戦時に空母から艦載機放り捨てた話は聞いたことありますけどね…
@@ys4414 デメリットだけ上げるとそうなるけどね
零戦も最終時の52丙型では若干だけど防御にも手を入れてますね。操縦席の防弾硝子に防弾板。燃料タンクの防弾ゴムの不備は相変わらずだったけど消火用炭酸ガスを備え被弾発火してもパイロットの脱出時間を稼げ丙型のパイロットの生存率は非常に高かったと言われてます。これまで丙型は発動機は同じままで緒装備増加で重量増加の鈍重零戦のイメージ有るけど最近の研究や資料では決してメタボな機体では無く、本来は装備される予定だったモノまで加味された諸元を元に書かれた後付け資料だったことが丙型のイメージを悪くしたモノでした。アメリカ側の記録でも「発火しても直ぐ消火し、装備した武装も強力で侮れない」と評価されています。事実、終戦まで多数機が実働した事が、その証ですね。機首の7,7㎜を廃止して12,7㎜を1門+主翼2門の火力は堅牢なアメリカ機にも有効だったことがわかります。これを考えたら昭和18年までに改修可能だった金星発動機への換装を頑なに拒否した海軍上層部の保守ぶりに呆れます。何の為の誰の誰の戦争かと…😑
なお、パイロットが防弾板を降ろす模様...
ジャンボリー作戦で来襲した米艦上機を迎撃した五二型丙の搭乗員は13mm機銃を「面白いように当たって威力も大きい」と絶賛したとか。
52丙の生存率の高さには、もうその時点では侵攻して空戦をやる状況がなく実質味方上空で空襲に来る敵機を迎撃する局地戦闘機になっていたためもありますね。落下傘降下や不時着すれば味方陣地ですから。実際落下傘降下する日本搭乗員のパラシュート索を切ったり、銃撃したりする米機はよく知られています。
金星換装零戦は54型として試作されてるよ。でも性能が悪く不採用だったよ。燃費が悪く、視界が悪く、武装も減るのに大して速度向上がない金星エンジンに換装したところで、戦線への影響は無いどころか生産性低下で、悪化する可能性すらあった。どうせ本土防空戦なんて守勢なら高度稼いで一撃離脱戦だけしてたら、栄エンジンでも十分使えた。もう石油も残りわずかな末期に金星換装はしない方がいい。
実は52丙型は最終型じゃないんだよね。そのあとに1500馬力の金星エンジン(爆撃機用)を搭載した54型(64型)、戦闘爆撃機仕様の62型(呉 大和ミュージアムに展示)があるんですよ。54型はパワーアップした事で性能向上を図ったわけではなく、52丙型までの防弾装備や機体強度の向上などで重量増加による性能低下を補う目的でした。まぁ、もし2000馬力オーバーのエンジンに換装されていたら、F8Fに近いコンセプト 性能になっていたのかも知れませんね。どちらにしても、技術的な敗北は明らかですね。
よく調べられた素晴らしい動画ですいつもありがとう😊👍
日本機の方が好きだけど乗るならアメリカ機に乗りたい
海軍の戦闘機隊では支那事変の頃にはそれなりに使えていた無線機がこの頃には使い物にならないことが多かったですからね。無線機なしに指揮官が何十機も指揮したり互いが連携するのは難しいかと、一番改善しないといけなかったのはそこかと自分は思います。
ノイズ対策の不手際
無事これ名馬ですね。おまけに無事なだけじゃないとくれば...
アメリカは作りまくった兵器を運用できる人員も揃ってるのがすごい
戦争になった瞬間に大量養成を始めたらしいですよ。後の月刊エセックスも戦前にかなりの部分も発注済みだし、我が国はもう準備段階でボロ負け状態。陸軍に至ってはち戦争始まってしばらくたってから英語教育を始めた(それまでは仏独露が中心)とか言うんだからもうこの段階で勝ち目はない。
ビジネス教室よくあるPDCAなんですがあれも短期間で人材育成する方法なんですが、なぜか日本では人材つぶしになっていますね
F4Uは重く頑丈なところにロマンを感じる
それは、コルセアだよ。アメリカ海軍の機体は、最初のアルファベットが機種で最後のアルファベットがメーカー数字は、3Fだとグラマンの3つ目の機体て意味。
@@小山義一-x5e 同じF4Uだからコルセアだと勘違いしてみてたわ。別の機体なのね、ありがとう。
なんとなくだけどこうして比較してみてると個人技の日本軍、物量と集団戦の米軍って感じがして面白いね(ふわっと理解
@@ひよこ饅頭-f9k いや、F4「U」とF4「F」を混同してるだろ(´・ω・`)?
17:24ベアキャットの設計って、Fw-190の技術レポートを参考に作られたんじゃなかったかな?零戦のコンセプトは、“貧弱なエンジンでも飛ばせるよう中型の航空機をギリギリまで軽量化する”というもので、フォッケウルフやベアキャットのコンセプト“強力なエンジンをもち、かつパワーレシオを高めるよう機体を小型&軽量化する”とは似て異なるものだと思うのだが…。
@shin まぁそれでも少なからず零戦はアメリカの航空機開発に影響は与えていたと思う。その一つがキャノピー。初期のアメリカの機体は見れば分かるように生産・防弾を主軸にしたキャノピーだったけど視界の悪さが目立った。そのキャノピーからある一定の時期から零戦のようなバブルキャノピーに移行した。ベアキャットにもそれが見られる。実際鹵獲した零戦に米パイロットが乗ってその視界性の良さを驚いたという話もあるため視界の良さはパイロットにとって重要な要素でもあるから零戦に影響されたと思う。
そもそも零戦は翼面荷重優先だから機体は小型化ではなく大型化を図ってるんでF8Fのコンセプトからは逆向きの筈なんですよね。それを理解してない人がF8Fは零戦の影響を受けたとか頓珍漢な事を言っている印象(´・ω・`)
@@ハイルエマ バブルキャノピーの導入は1930年代後半のトレンドで、零戦以前にはイタリアのMC.200初期型(枠有り)、零戦初出撃当時ではイギリスのマイルM.20(枠無し)等で使用されています。日本を真似したというよりも、防弾ガラスの性能が追い付いてきたので、それまで持っていたものを大戦後半から利用し始めたというのが正しいかと。
@@ハイルエマ あれはイギリスのタイフーンを参考にしたものです。
零戦は軽量による小さい旋回半径による小回りの物理的な限界値を出してますからね。重くなっても翼の過重と馬力で補える?ナイナイ。そもそも馬力出してスピードが上がればそれ自体が遠心力を強くして旋回半径を大きくする訳です。馬力と過重で旋回スピードは補えても旋回半径は補えません。だから米軍は高火力、高防御とも両立が可能な大きい旋回半径でもスピードを上げて8の字型に一撃離脱のヒットアンドアウェイを繰り返す格闘方式を取った訳です。この動画だと零戦と同じ旋回性能みたいに言ってるけど零戦の旋回性能とは趣旨が別物。
祖父の兄は隼と疾風ってのに乗ってたけどアメリカの陸海問わず航空機は頑丈やったって昔聞いた事あるなぁ日本機は燃えて墜ちるか爆散するかでアメリカは黒煙吹いて墜ちていくだけで滅多な事がない限り空中分解はしなかったらしい疾風は結構頑丈で何度か助かったとも言ってたけど………隼なら死んでたなって笑ってた
飛行第52戦隊は4式戦への改変を拒み1式戦で最後まで戦ったそうです。4式戦はF6Fより旋回性能も悪く扱いづらい飛行機だったそうです。防弾性能に関しては1式戦の2型以降は4式戦並みの防弾性能は施して有り、何より1式戦の旋回性能を持てば空戦にて落とされる確率は4式戦より遥かに低かったそうです。非力な12.7㍉2門の武装も破壊力の高いマ弾を使えば頑丈な米軍機にも有効だったそうです。資料でも1式戦装備の部隊は終戦まで実働しています。
@@仁科博美-x8g 確かにそうかもしれませんね祖父の兄も回避能力(旋回能力)では隼の方が上って言ってました疾風を隼の様に使うと寧ろ悪いとも特に熟練者で隼で慣れてる上官も疾風は巴戦より一撃離脱で使うと中々の戦闘機と言ってたそうです因みに祖父の兄は2型前の機体ではないでしょうか?12.7㎜1門7.7㎜1門装備だと聞きましたニューギニアではP38やP47等ともやりあったらしいですが戦友の方々は火ダルマになるか爆散したそうですマ弾とはマウザー砲のことでしょうか?確かに破壊力は抜群と聞いてますB24を1通過で落としてたらしいのでただ南方での飛燕は稼働率も悪かったともマウザー装備の機体も例外なく飛ばなければ戦力にならないと祖父の兄も言ってました自分は当時の者ではないのでよく判らないですがグラマンとも充分、疾風でやりあえたとも思います一対一なら少なくとも祖父の兄はF6Fを撃墜確実で1機落としてますので
@@マリアナ-w3z さま 大戦中に日本陸軍戦闘機が装備した代表的な機関砲のホ-103はアメリカの傑作機関銃ブローニングM2の航空機搭載型のコピーですが原型が優秀だから本砲も優れモノでした。しかし使用する弾薬は陸軍がイタリアから購入したブレダSAFAT機関銃の弾薬でビッカース系列の50ブリティッシュ弾を使用しました。この弾はブローニング系列が使用する弾薬より小型軽量で発射速度こそ本家のM2に勝りましたが初速、射程と低伸弾道性に劣り本家のM2より低威力でした。その為、陸軍はマ弾と称する特殊弾を開発して低威力を補いました。本家M2には無い一種の炸裂弾で命中時には炸裂し燃料タンクなどに対する焼夷効果がありました。 ビルマ航空戦等では飛行第64戦隊がB24等をマ弾で多数、撃墜しています。アメリカ陸軍航空隊などはマ弾を20㎜弾と思っていたそうです。マ弾の威力に注目した海軍も20㍉機銃用弾薬と13㍉旋回機銃用弾薬として採用しています。
@@仁科博美-x8g さま 多分ですが祖父の兄が疾風に乗り換えてからだと思いますそのマ弾使用のは疾風の12.7㎜(ホ-103)で初めて数発当てただけなのに火を吹き上げたと日記に書いてありましたのでソレがマ弾使用かわかりませんが本土でしたので可能性はあります
ただアメリカの機体が頑丈過ぎて英国もドイツもそんなに被弾に強い訳ではなかった
無理な話だが、零戦にも、防弾性能があれば、ルーキーも死なずに経験値を上げてベテランになれたかもしれない。
せめて1,500馬力のエンジンに換装していればなぁ、と思います
あれで防弾なんかあったら強すぎるwまあ、日本に馬力の高いエンジンがあれば可能だったかもしれないが
もはやゼロ戦じゃなくて草
ま、それは言わない言わない。
1500馬力のエンジンで旋回性能はそのままF6F並みの防弾性能二〇ミリ、四門・・・つおい
もしも零戦に2,000馬力級のエンジンを載せて防弾設計していたとして....重量増による慣性の法則で格闘性能は落ちるし航続距離も落ちて零戦への評価も変わったものになっていたんじゃないかな。。。当時使えるエンジンと、軍の要求を考慮した上での零戦。開戦当時では間違い無くベストの設計、機体だったと思います。
それをやろうとしたのが烈風
零戦の後継機、烈風がまさにソレ。しかし仮に烈風が実戦化されたとして立ち向かう敵は零戦を徹底的に分析(と言うより運動性の高い日本機全般)したベアキャットです。烈風がベアキャットに勝るのは旋回性能だけだと言われてます。アメリカ版の零戦相手に烈風が苦戦する図はまさに皮肉ですね😬💦大戦末期で余裕しゃくしゃく、高い工業力があるアメリカだからこそ零戦に対するアメリカの回答みたいな飛行機も作れたのでしょう。
@@人食いレッサーパンダ 烈風はフラップの性能を高めて両立を果たした機体。フラップ閉じてれば高速向け。広げれば零戦なみの旋回向けの形状に変化する。零戦に高馬力積んだだけとは訳が違う。そもそも零戦は500キロ後半で制御が落ちるぐらい形状が低速旋回に特化していたので高馬力エンジン積んでも意味がなかった。
とは言え烈風の最高速度は620㎞/hくらいじゃなかったっけ。ベアキャットやコルセア、陸軍機ではマスタングやサンダーボルトが軒並み700㎞/hクラスの高速を叩き出していたのと比べたら決して速くはないし、高速一撃離脱が当たり前になっていた時代に旋回性能を求め、その旋回性能もゼロ戦よりは劣るとあっては、仮に終戦までに実戦配備されていても勝ち目はなかったんじゃないかと思う。大きすぎて、空母上で運用するのもいろいろ不便さが発生しただろうし。
@@ys4414 烈風は、戦闘機戦術の変化を認めない海軍航空隊の指導・強制で、翼面荷重を低く設計(=意味もなくデカい)させられ、設計者も諦めた失敗作になっていた。調子のよい誉を搭載しても駄作にしかならなかった。 誉は、工業力のない日本で、設計上無理をした失敗エンジンです。14気筒の1100馬力栄を18気筒にして2000馬力出るわけない。回転数が上がらず、冷却は厳しいのですから、資材不足を無視しても、無理な設計でした。それで、2000馬力弱級?失敗エンジンですが、まあまあの1500馬力級エンジンなので、そこそこにこれを使った4式戦疾風は、整備次第ですが、活躍出来ました。
F2Aはメーカーで労働争議が頻繁していてストライキがあったり生産設備が旧式だった事もあります。ここは以前にも艦上攻撃機のSBA-1は生産能力に疑問が持たれて30機全部が海軍工廠で生産されました。
@田中一郎 さん階の違う次の工程に送るのにエレベーターに乗せるがバラして乗せるとか余計な手間かけたとか。別の場所に工場建設するまでこんな非効率な事やってた。
この改良速度と改良点の的確さがアメリカの真骨頂ですよね。そう言えば、アメリカ空母で甲板で機体を係留するとき、機体の半分ぐらいを甲板の外に出してる装置ってなんて言うんでしょうか?アウトリガーでいいのかな?
日本の戦闘機はロマン詰め込みまくった感じだけど、アメリカの戦闘機はThe量産型感がすごくて好き。
アメリカの最量産はB24なんだから、単発機体なんてちょろいもんでしょ
まぁ傑作機の共通点は面白みのない所って誰かが言ってたからなぁ
機銃の装弾数も見て欲しいです。F4F-4は12.7mm機銃を4→6にした事で一挺辺りの弾数が減り、継戦時間が短くなったのも不評の理由だったとか。零戦も20mm機関砲弾が一門辺り60発だったのが、五二丙だと125発に増えて、二一型信者の熟練パイロットが言うほど改悪では無かった。何より、一挺あたり600発積んでる7.7mmでは対応困難になってましたしね(これでヘルキャットを一点集中銃撃して墜とす零戦乗りも居るには居ましたが)。
ワイルドキャットが零戦のカモなんて有り得ない。設計思想が違うだけで、ほぼ同性能。
開戦当初は練度の差が大きい...後々になると、米軍パイロットも練度が高くなり、教訓を活かせるように、新米パイロットに教えていけるようになってるから。
ブリュースター・バッファローは太平洋戦線ではパッとしなかったが、フィンランド空軍が主力機としてから真価を発揮してロシア機を凌駕した。卍のマークを付けると同じ機体なのに強く見えるから不思議。
思う所多々あり。素晴らしい解説をありがとうございます。
f4uの逆ガルと脚が可愛いトップクラスで好きな機体
みんなのコメントだけど、機種のハイフンの位置とか有無とかおかしいのがちらほらあるな例えばF4Fだとワイルドキャットだけど、F-4Fだとジェット戦闘機のファントムになっちまうもうひとつ、T-34だとソ連の中戦車だけどT34だとアメリカの重戦車になるからなハイフンの位置とか有無は戦車でも航空機でもけっこう重要やで
グラマンやコルセアの主翼の折りたたみ構造は凄いな。空戦中にヒンジが壊れて空中分解、なんて事故が起きそうな物だが・・・
日本機は機体そのものが空中分解するじゃないか。
F4FとF6Fの大きな特徴は、翼の折りたたみ機構だ。これにより、重量増と引き換えに空母搭載機数を増やした。多少の性能低下を数で補った。とはいえ、両機ともよく面積は結構大きく運動性も良好だった。零戦が運動性を誇る速度域より高速で機動すると零戦を振り切れる。480km/h以上で横転すれば零戦はついてこれない。このような速度では零戦の補助翼と昇降舵が異様に重くなり、結果的に自由に操縦できなかった。大空のサムライでは、零戦の旋回についてくるF4FやF6Fの運動性に驚く場面が描写されている。P40とはその辺りが違っていた。そんな特性のため、零戦のエースパイロットは腕力が強いことも特徴だった。高速時の操縦性については、一式戦の方が優れていたかもしれない。一式戦では舵が重いという話は出てこない。四式戦では、無理な操縦をさせないために意図的に舵が重くされていて不評であった。
いやいやいや まったく。兵器運用・開発思想(構想能力)から見た日本との比較。つまり当時日本の何が劣っていたかの考察だな (こうゆう認識・発想とその反省をすること、日本は昔から苦手なそれは今も本質的には変わってない気がします。=だから良い認識の動画だと力一杯拡散したい❣️
やっぱりちゃんと一つ一つ改良を重ねていって性能を向上させるのが凄い…此処が零戦との大きな違いか、、
F8Fが零戦の影響を受けたというのはかなり無理がある話で、実際に影響を受けたのはフォッケウルフです(´・ω・`)
F6Fが鹵獲した零戦21型を参考にして作ったという妄想の延長ですね零戦は終始軽戦タイプ、ネコ科シリーズは重戦なので、参考にはしたでしょうけど基本設計が全然違います
F8Fは対零戦を意識されていて零戦に対抗するためには小型しかないという結論の元に設計された機体まあその小型化の御蔭でF4Uよりも先に退役する羽目になったんだけど
@@tigerii5946 それは誤解です。零戦を意識して小型化したという事はありません。F8Fが零戦を意識したというのは、爆装零戦等特攻機の撃墜です。当時のレシプロ機は大気が濃密な海面高度では500キロにも達する高速発揮はできません。大気密度が濃すぎて高速を出そうとすると危険なフラッターが発生するため、当時はどの機体も低高度では制限速度を設けています。頑丈で知られるF6Fでさえ海面高度では500キロ未満の制限速度が設けられています。零戦も本当なら海面高度では500キロも出すことは出来ませんが、特攻機は生きて帰る事など考えていないので、フラッターなどお構いなしに海面高度を500キロ以上の高速で突っ込むんです。だから既存の戦闘機では追撃できない。それが米軍で問題視されていたんです。そこで海面高度で高速で突っ込む特攻機を追撃できるだけの機体・・・エンジン馬力は既に余裕があるのでフラッターが出ないOR多少のフラッターが出ても空中分解の恐れが無い機体性能をF8Fに求められたんです。零戦を意識したというのは、決して零戦とのドッグファイトで有利に立つためという意味では無いんです。
そもそも零戦の旋回というのは軽い重量による小さい半径の旋回による小回りでドッグファイトに勝つ為のもの。一方F6FやF8Fは旋回半径大きくてもいいから旋回スピードを上げて8の時型にヒットアンドアウェイを繰り返す為のもの、要するに一撃離脱を繰り返し仕掛ける為のもので趣旨が異なりますからね。(こちらの方が装甲や武装で重くなっても馬力さえ上げれば可能だった上にスピードと格闘戦能力の両立が容易だった)一方日本はフラップに注目してフラップの性能を上げて行った。(重い機体より軽い機体のほうがフラップの効果が大きいのとフラップはどうしても強度が下がるので重い機体を剛性で無理矢理旋回させてるアメリカより日本の方がフラップは発達した)
実際、計画の始まりは英軍基地に誤って着陸し鹵獲されたFw190Aのレポートで、絞った小型の機体に大馬力エンジンを合わせたコンセプトに影響された事F6F同様、開発のきっかけは零戦ではない
52丙型の最高速度は、重量増えまくりで540km/hぐらいまで落ちてたんじゃなかったかな。560は52甲か乙の数値だと思います。
F4Fはカモって訳でもないですね。対米戦争初期の米軍の練度が低い時でも、零戦相手に健闘しています。しかしF2Aはフィンランドへの輸出型は大活躍して「空の真珠」と呼ばれたのに、米海軍に納品されたF2Aは色々、装備を付け足したせいで動きが鈍重で、零戦には全く歯が立ちませんでした。
米軍仕様は燃料やら防弾やらで1トン近く重くなってるからしゃーない
空の真珠の活躍は寒冷なフィンランドの気候のおかげでエンジンのオーバーヒートを気にせず全力を出せたというのもありますね
そもそも戦争序盤は日本側が数の優位がある状態で戦えていたのも大きかったかと
兵器の最も重要視すべき性能は兵士を生かして帰すという事に尽きる。日本がパイロットを生かす事を疎かにした事も後々の戦力低下に拍車をかけている。アメリがが防御にこだわったのもパイロット1人を養成するのに2年の歳月と7万ドルの費用がかかる事、戦力の低下を最大限に抑えたかったからだ。零戦は確かにすごかったが、軍部の要求を満たすために採用されたじ時点で性能をギリギリまで絞り出している、つまりその後発展の有余が皆無だった。戦史には零戦がバタバタとF4Fを撃ち落としてるように記されているが実際のキルレシオはそれほど大差なくアクタン島で鹵獲された21型の機体を調べつくされてからはサッチウィーブやロッテ戦法と相まって殆ど差が無くなっている。
F6Fヘルキャット、ああ見えても実は旋回性能の良い格闘戦向きの機体だったそうです。日本軍パイロットもシコルスキー(F4U)よりグラマン(F6F)のほうが強敵だったと述べているパイロットもいるとか。しかしF4Uコルセアの後にボーイングF5BとかグッドイヤーF2GなどのF8F以外の化け物戦闘機が量産間近だと考えるとたとえ烈風が配備されても零戦並みの活躍できるか?は議論の余地がありますね。
F4Uの逆ガル翼最高にエロくて好き
スツーカの逆ガルもスケベ
流星は?かなりセクシーじゃね???
零戦21型が1番セクシーだろ。
P51Dの腹とキャノピーが最高にエロい曲線だろ?
次は第二次世界大戦中の米陸軍航空軍(USAAF)の戦闘機の歴史などはどうでしょうか?P-40やP-51にP-47など
コルセアの逆立ちはえも言えぬものがある
次は陸軍機も紹介して欲しいです。
9:13 凄く猛禽類っぽさを感じる…メチャ長い前部が Producted in the USA!って感じで好き
大出力エンジン作れないと色々大変ですね。
グラマンf3fのデザインなんか可愛いなぁ
愛称 フライングバレル(空飛ぶ樽)
グラマンF4Fは、主脚輪胴体ガラガラ出るからホイールベースが狭いから良く横転してたよね
F2Aも脚が弱くて着艦した時に破損してヘタり込んだ。
いつもながら勉強になる
零戦はいい戦闘機だけど後継機が開発遅れ過ぎて、時代遅れになっても使い続けた上にアメリカの工業力というチートに晒されたから負けたんだよね
P-51.F6F、F4U、隼、雷電の順に好きですね。
4:32 零戦の20㎜の弾道が山なりだったというのはここ30~40年くらい前から急に言われ出したデマです。主翼に装備された機銃はだいたい想定射撃距離の200mで火力が最大になるよう、機体から200m前方で交差するように主翼に取り付けられます。なので、200m先で交差すると400m以上離れれば右機銃は左へ、左機銃は右へ飛び去ってしまうので元々400~500m以上離れれば当たらないものなのです。どの国の戦闘機でもこの辺の事情はほぼ同じ。そして機銃弾は飛んでいけばもちろん弾道が落下していきますが、零戦の機首に積まれた7.7㎜機銃と主翼に積まれた20㎜機銃の200m先での落下量は14cmほどしか差がありません。対して戦闘機の胴体の直径は1m以上あります。つまり、弾道が山なりだから命中させづらいというのは、現実を無視したデマでしかありません。このデマの発生源は坂井三郎の「大空のサムライ」で、これは当時の週刊誌の記者が坂井氏にインタビューしたものを生地にして連載していたものを単行本にまとめていた者なのですが、当時あまりにも零戦がもてはやされていることに嫌気がさした坂井氏が「別に零戦もいい事ばかりじゃなかったよ」というニュアンスでテキトーに言ってしまったことが独り歩きしたものです。もし、現実にそんな致命的な欠陥があったなら、当時の海軍が改良を命じない筈がありません。しかし、当時の海軍の記録に20㎜機銃を命中させにくいなどという報告はありません。
@@45stg18 いえ、デマです。20㎜が命中させにくいという話は80年代ぐらいから急に言われ始めた事で、当時のパイロットも空戦の難しさは語っていても20㎜の弾道に問題があって命中させにくかったという証言はしていませんし、当時の日本海軍の報告書にもそのような記録はありません。また九九式20㎜機銃の銃身延長は貫通力の向上を狙ったもので命中率の向上を狙ったものではありません。日本海軍が弾道の低伸性を計測していますが200m先での弾道の落下量は以下の通りです。三式13㎜機銃 23センチ九九式二号20㎜機銃 26センチ九九式一号20㎜機銃 37センチ九七式7.7㎜機銃 26センチ「各種固定機銃弾道低下量ナラビニ弾丸飛行秒時表」よりまた、翼の振動云々も20㎜を当てにくいという話に航空機の主翼がどれだけの強度を持っているか知らない人が尤もらしい事を後付けしているだけです。たしかに主翼は高G旋回すれば捻じれたりもしますが、そもそもそんな高G旋回では撃っても当たりませんし、そもそも機銃が動作しません。航空用機銃はどれも4~5Gぐらいで旋回中に撃ったらジャムります。だいたい、主翼が弱いせいで命中率が低下したというのなら、機銃の銃身なんか延長しても命中率が上がるわけ無いでしょう?命中率を上げるために銃身を延長したというのなら、主翼に問題があったらその改良自体が成立しないんですよ。
@@45stg18 坂井氏は20㎜を命中させるために自機を機動させるのが難しかったと言っていたのであって、ションベン弾なんて批判はしていません。そもそも上述の通り、低伸性に問題は全く無いんです。そもそも、地上で銃座に固定して使えば有効射程が数キロに達する機銃が、わずか200mの至近距離で集弾性を取りざたされるような問題を生じるわけが無いんですよ。空戦中はそもそも機銃を命中させにくい物なのです。そして、ただでさえ命中させにくいのに弾数が少ないから20㎜に対する否定的な意見が出ていたにすぎません。個人的には20㎜がションベン弾だった云々の元凶は松本零士の「ザ・コクピット」だと思ってます。作中で米軍の12.7㎜の低伸性を褒めているのですが、その中で対比として20㎜が取り上げられています。確かに、米軍の12.7㎜に比べれば日本の20㎜の低伸性は悪いですが、それは米軍の12.7㎜の低伸性が優れていたのであって日本の20㎜の低伸性が標準的な機銃より劣っていたというわけではないんです。ところが、読者が20㎜は低伸性が悪いんだという印象だけを受け取り、それが坂井氏の20㎜に対する否定的なコメントが組み合わさって、20㎜は低伸性が悪いという勝手なイメージが出来上がって独り歩きしたような状態だと私は認識しています。一方を褒めたからと言って、それ以外を否定した事にはなりません。繰り返しになりますが、80年代以前に20㎜の弾道が悪いとかいう話は一切無かったし、問題にされたこともありませんでした。そして命中性云々に関する否定的な証言や論評は80年代の後半になるまで登場してません。
じゃあ坂井三郎の20mは当てにくいって嘘やったんか?
@@〆チン-l4e あれは嘘と言うか話の聞き手というか読者と言うか、ともかく話の受け手側の誤解です。坂井氏自身は基本的に20㎜を絶賛しています。戦後大分たってから、20㎜を搭載したのは失敗だったかもしれないという考えを持つようになっていたのは事実ですが、それは携行弾数とか威力とか色々総合的に考えてのことであって、20㎜そのものに欠陥があったと言っているわけでは無いのです。当てにくいというのは20㎜に限った話ではなく、そもそも空戦で機銃を命中させるのは難しいと言っているだけでしょう。零戦の20㎜は凄い素晴らしい、そんな凄い機銃があったなら強くて当たり前ですね?というような話の聞き方をする記者に対して、いやそんな単純なもんじゃないんだよと、若い未熟なパイロットなんかは撃っても撃っても当たらなかったし、当たらなければ折角の威力も意味が無いよね。そして20㎜を当てるのは簡単じゃないよというような話をしたのが独り歩きしてしまったという流れのようです。「大空のサムライ」なんかもそうですが、坂井三郎氏の話の多くは週刊誌の記者が取材したものをまとめたもので、本人が直接書き残しているわけでは無い事を踏まえる必要があると思います。
@@45stg18 それは戦後かなり経ってから言い出したことを、週刊誌の記者が記事に起こして本にまとめたものです。坂井氏が直接本に書いたものではありません。また、上にあげたように現実には20㎜と7.7㎜の弾道の低伸性に体感できるような大きな差はなく、20㎜が7.7㎜弾に比べて落差が大きかったという事実はありません。200m先で15cmに満たない程度の差しかありません。直径1m強の太さの胴体を持つ戦闘機を狙い撃つのに15センチに満たない弾道の差がそんなに大きく影響すると考える方がどうかしているのです。
実際は開戦時にはF4Fには防弾装備は無く、空母上で改造されている。
M2×6乱射してくるとか怖すぎ
日本は海軍も陸軍のように軽戦は軽戦、重戦は重戦みたいな開発を行っていれば良かったのかな?ただ低空での旋回性能は艦隊防衛にしても航空隊防衛にしても必須の性能だから零戦(または似た機体)に一本化されてたかな
軽戦と重戦なんて作ったら空母に搭載できる艦爆や艦攻がへるし何機も乗せるなら零戦が敵戦闘機、雷撃機、大型機の迎撃のために20mm積んだり艦戦は艦隊防空が主任務だから艦隊上空を滞空させて対空監視のために燃料多く積めるようにしたりと詰め込む必要もないと思う
F7Fタイガーキャットさん「あ、あの~……ワイは?」
君は戦後に森林火災消火機として活躍するから・・・
XF5F-1の立場は?
何でか知らんが・・・・奇数番手が不遇過ぎて草
実際、英語版Wikipediaでも、グラマンのテストパイロットが英軍が鹵獲したFw190を飛ばし、F8Fの原案に影響を与えた可能性については触れていても、零戦の影響なんて一言も書かれていません零戦がF8Fに影響を与えた、というのは日本人の願望にすぎないってことですね
@スターリン共産趣味者 F8Fの設計完了は1943年11月、特攻作戦の始まるずっと前の話特攻機に対する12.7mm機銃のストッピングパワーが不足していたため、F4UやF6Fの武装をイスパノ20mm機関砲に換装したタイプが作られたという話ならあるけど
F4Uで着艦するには母艦の真後ろではなく少し横にずれてななめに近づき甲板上でまっすぐにします。イギリス軍が見つけたそうです。F4Uの着艦が難しいのは翼面荷重が大きいからです。
F2Aは1型が12.7mm×2門装備で防弾板なしと軽武装弱防御だったが見た目に反して運動性能が良くフィンランド空軍の機体が冬戦争で活躍しているこれに対して2型以降は火力と防御を強化したものの運動性が極端に低下してしまいマレーと蘭印で零戦、隼に蹴散らされる結果となった
フィンランド空軍はロマン過多過ぎて、ニワカレベルで知ろうとすると現実が見えなくなりそうで怖い…しっかり研究すればフィンランドだから出来たとか相手が混乱期のソ連だから出来たとかが分かるんだろうけど…
フィンランド軍はこれといった日本語文献少なすぎて信憑性の高そうな外国語文献選ぶだけで発狂しそう
何だ耐久力お化けのやつか()
7:52 田代まさし「ガタッ・・・!」
あのピーピングジャンキーと括ってくれるなと申してますが…😅
カタログデータ的にはF4Fの降下限界速度はF6FたF4Uを上回るんだよね
うぽつです!
旧日本海軍は南方占領後そこに飛行場作って空母の代わりとして"不沈空母化"しようと考えてた。そのための戦闘機は局地戦闘機の雷電で18年度中に間に合えば良いと考えて飛行隊も編成したが肝心の雷電の実用化は遅れ結局零戦で対応しなければならなかったのが大きな誤算だった。飛行機の新規開発生産には計画から4年前後はかかる。雷電は昭和14年で烈風は昭和17年しかも開発は同じ三菱で設計者も最初は一緒、だから零戦の後継機"烈風"の優先度は雷電の二の次だからそもそも昭和20年でも実用化できる訳なかった…旧日本海軍の開発リソースの少なさが災いした。ただこの穴埋めとして川西で紫電と紫電改が作られたのは海軍の残された唯一の救いだったね…
nice video!
元祖「グラマン鉄工所」の機体。当方は英海軍艦隊航空隊のマートレットが好きだけど。
F8Fには大戦略でお世話になったなぁ
ボク、2020年にセガサターンでアドバンスト大戦略ばかりやってます。アメリカでは艦上戦闘機ではコルセアが好きで、陸上機ではムスタングです。日本では紫電改が艦載できる様になってます。
F4Fは弱くない‼️俺はF6FよりもF4FーFM2の方が好きだ。
シミュレータだとF4Fの方が機敏なんですよね…
搭乗員の技量にもかな〜り左右されたと考えます。😏初期の日本の搭乗員は優秀です。
わかります。というかFM2って低高度限定でけっこう高性能なんですよね。
F6Fの数がそろった時点で太平洋の戦いはすでに勝負あった。一番苦しい時に米軍を支えたのはF4F。
52型乙型から防弾背板と燃料タンク炭酸ガス消化装置はある。 しかし重くなって旋回性能を始め上昇性能も落ちて22型の方がルーキーが乗っても敵機を落としたが52型はベテランが乗っても駄目だった。 エンジンが非力すぎ!
F4Fは新人パイロットには着陸が難しい機体だったでしょう。脚の間隔が狭すぎます。胴体に主脚を収めたBf109と同じ問題。しかも空母への着艦だから事故は多発したと思います。
実際戦闘損失より着艦時の事故などでの損失の方が多かったようですね。ただ機体が頑丈なので搭乗員は助かって、機体はどんどん補充されるのであまり問題ではなかったのでしょう。
f4fとf6fは兵器として素晴らしい
スペックで不利な点を認め、先ずは逃げの一手だったがハードの遅れを2機一組の戦法で対抗した所は敵ながら天晴!残念ながら日本海軍は3機編隊を長らく基本としたため編隊によるチームワーク戦闘に無駄がでてしまった。多分そこまで戦い方を工夫する余裕が無いほどの連戦だったんだろうなあ。
イギリスも3機編成に固執したし、軍隊とは保守的な組織なのです。
次は航空機繋がりで、対空放火や対空放射、列車砲の歴史もお願いします。
ピア38はハドソン川沿いです。
F4Uの解説の中に「朝鮮戦争時は搭載量と滞空時間を武器に主に戦闘爆撃機として対地攻撃で運用」ってのを入れるといいと思う。
あとコルセアの改良点
身も蓋も無い話だけど、F6Fなどの生還率を高める努力をしたのは、人命尊重の観点もあるでしょうが、パイロット養成費用が物凄く高額だったということもあったそうだ。なお、個人的には、F6Fが好きで、それは「工具に不慣れな主婦が戦時労働者として生産に参加できて一定水準以上の品質のものを作れるように直線が多用された設計で、さらに専用工場でなくても生産できた。」という合理性の固まりのような工業製品だから。当時のアメリカが生産した兵器の数をみると、「よく日本はこんな巨大な国と戦争したなぁ」とため息がでる。
ママさん工員のために託児所まであった
日本軍の戦闘機パイロットは少数精鋭のエースパイロットで米軍の場合は大量養成で腕は平凡だか集団戦で戦い熟練者が多く長期戦に強い。
そもそも軍は、規格・画一化された戦力を安定して運用する組織少数精鋭に頼る時点で…な?
@沢井橘花 うわぁ、お前が馬鹿日本外交史や軍事学、自国の歴史ぐらい学ぼうね、馬鹿丸出しでびびったで少なくとも、百冊はまともな本読んでから、もう一回同じ主張してみてくれPS.もし学んだ上で言ってるなら、あなたは別世界の人間なので、流石にパラレルワールド人とはお話しできません(皮肉やでこれ)
沢井橘花 ヒェッ...なんか悪いものでも食ったんか?
いろいろ草一応、防衛大学で学ぶ防衛学の本と、戦士研究所の本程度は読んだのだけどなぁ…まぁさか、その程度も読まずにドヤ顔でコメントしてるとすると、すげぇ恥という概念がない人なんだなって思うしこしこ愛国オナニスト
@沢井橘花 それはブーメランになってますよ
先見性が見てとれるとってもいい例
先見性で言ったらフラップ閉じてると高速戦向け広げると格闘戦向けになる烈風の翼とかまんま近代戦闘機のそれだぞ。先見性はあるけど資源とエンジン技術が無い日本とひたすら性能アップのアメリカだぞ。
F6Fは当初1600馬力エンジンで開発されてたけど、日本軍と戦ったパイロットから意見を聴くなどした結果、日本戦闘機は手ごわい相手だとして2000馬力エンジンを積むことにしたと本で読んだことがある。相手に勝つためには倍の出力のエンジンを積む、という思想がまさに戦争だなと思った。あとF4FもF6Fも美しくはないけど、生産性は良さそうだし、パイロットの視界は良さそうだしで、まさに戦争の為の道具感ありますね。
試作一号機だけアベンジャーやヘルダイバーと同じR-2600
F-4U-A1は確か日本に鹵獲されていたと思います
台湾で完全な形で鹵獲されてましたね。ちゃんと脚を出して主翼を折り畳んだ姿で移動させられる画像が残っています。どんな状況で捕まったのか知りたいですね😀💦因みにF6Fも日の丸付きで終戦後の横須賀で発見された画像が有ります。
仁科博美 ちなみにウォーサンダーと言うゲームで課金機ですが、日本が鹵獲したF-4U-A1を使うことができますよ。
@@cub5409 ウォーサンダーにA-1コルセアはない
@@釣師-p9g F-4U 1Aでしたね。今気づきました
@@cub5409 F4U-1Aやで細かいけど
部隊における交換部品の調達とかで、『F4F』と『F4U』を取り違えた人っているのかな?
「性能向上で重くなるなら、もっと高馬力のエンジンを積めばいいじゃない!」ってのは、やっぱアメリカ🇺🇸ならではだよな。こんな脳筋国家と戦争してたって考えると怖くなってくるわ
陸と海で足引っ張り合いながら3年強もったというのもある意味怖い話
人喰いレッサーパンダ アメリカも陸海軍の対立が中々深かったな、それでも日本ほど作戦に支障が出ないってすげえや(感覚麻痺)
日本のパイロットは、防弾装備を外してもっと軽くしろと言っていた。 ベテランのパイロットには、長い間の戦争をどう戦うか、総合的な考えがなかった。
@@シバタトシオ-m4z 今を生きるのが大切だからな
いや普通だよ。日本だってエンジン出力は新型機になるほど上がっていく。
機体を見て、F4Uのエンジンとコクピットの間がやけに空いているのは、そこに燃料タンクがあるから。F6Fはそこが接近している代わりに胴体が太くてずんぐりしてる。F4UとF6Fの性能差は空力の差。一方零戦は接近していて、且つ胴体もスリム。では燃料はどこに収めてたのか。主翼の中に広く展開していたそうです。以上受け売り。
単純に零戦(てか日本機)は燃料搭載量がかなり少ないから小さくても良いんですよね…。
試作機は鼻が短い
NY駐在時、マンハッタン ピア38番に繋留されているエセックス型空母イントレピット、27500トンの空母がそのまま航空博物館になっており、艦内に第二次大戦中の名機を展示してある。見学してみて驚いた!横に立って大きさを実感したが、180センチの私が小人に感じた。一言でいえば、重量感、圧倒的な工業力!こんな国と戦争したのかと。F6Fの横に、アベンジャー雷撃機も展示してあった。F6Fは大戦終盤に戦闘爆撃機としても使用され1000ポンドつまり450キロ爆弾を2発搭載できる重武装で急降下し、日本軍を襲ったといわれる。速度は900キロを超えたといわれ、日本機は追いつけず、空中分解の恐れがあったらしい。
F−2Fバッハローはフインランド軍や、日本軍でもしょうされた!また、Pー40も、日本陸軍で使われた!
アメリカはキャットが好きだな。プッシーキャットとか。
トムキャット「それな」
×アメリカ○グラマン社
f4fは最終的にコクピットに20mm撃ち込むしか撃墜出来ない頑丈さよ。
真珠湾もミッドウェイももっと積極的に攻撃してたらもう少し戦局はかわかっていただろうね。真珠湾は、石油タンクとか無傷だったみたいだし。
タンクがなくなってもタンカーがあれば…ただ油火災とか環境汚染のダメージが出そう
第二次世界大戦・日本軍(零戦)・アメリカ軍(ヘルキャット)第三次世界大戦・自衛隊(F2)・アメリカ軍(F14)になってますね現在では
両方とも、三菱🆚グラマンだなぁ~♪♪♪
実用化の目処が全く立たない烈風の開発を続けるよりも、金星エンジン搭載の零戦をもっと早く開発した方が良かったのでは…完全な新型機だとパイロットも整備士も1から訓練をやり直しだが、改良強化型なら最低限の訓練で済んでいたと思われる。
第一次大戦で何が起こったのか日本軍はわからなかった。小回り重視のドイツ空軍がフランス高速機の一撃離脱に手も足も出なかった。ドイツ空軍の出した結論:もはや戦闘機に必要な性能は旋回性ではなく、急降下スピードと高高度性能である。その結果できたメッサーBf109は当時無敵で、ポーランド空軍・フランス空軍を瞬殺した。
必ずしもそうとは言えない。ポーランド侵攻の中盤に独軍のメッサ―が旧式のポーランド空軍戦闘機集団にボコボコにされた話を聞いたことがある。また、フランス侵攻時、フランスのモラン・ソルニエMS406が15秒間に3機のメッサ―を撃墜した記録があるらしい。
零戦ってモンハンに例えると火事場装備みたいだよな
零戦は格闘戦するために生まれてきたんだよなぁ
実際は零戦相手に善戦してるんだよね。日本人としては日本びいきなのだがF4Fは確かにぱっとしない感じがするけど頑丈。サッチウェーブ戦法で零戦相手に互角以上に戦っていたしね。
アメリカ艦載機は確かに性能は目を張る。でもやはり艦載機ゆえの弱点はあった。それは甲板の着陸が難しかったらしい。F6Fの着陸事故は多々あったらしい。原因が機体の重さゆえの失速のしやすさが着陸が難しいものにした。零戦は機体の軽さからの着陸がしやすかったらしい。この事からも日本の軽量化とアメリカの重防御化双方の利点、弱点それぞれ分かる。やはり零戦もF6Fもそれぞれの良さがある
グラマンは、なんか車輪と尾輪、三輪車みたい。これはコケる。
つまり・・・・「一長一短で似たような物」って事ですね♪
飛行機は、エンジンの性能で決まると言っても良いと思います。
歴史に「ればたら」はないというけれど、もしも帝国陸海軍が協調して戦闘機の開発・運用ができていたら……と考えてしまいますねぇ。f(^_^;
実質的にやってましたよ。鍾馗の開発に失敗した陸軍は海軍の雷電が開発成功したら陸軍で使わせてもらうつもりでいました。
でも海軍機と陸軍機では機体の作りが全く違うからね。飛行機を空軍所属にして悲惨になったイギリス空母部隊を見たアメリカは陸軍と海軍の航空隊を一緒にすることは決してなかったわけだし。戦後も協調して費用を削減しようとしたけどパイロットの初期訓練以外は全くできない事だけが解っただけだったという。
1950~60年代の第一次戦記ブームの創作本のせいか、未だにF4Fはカモだとか、ちょろいなって言っている人が多いけど、実際にはこちらの動画の通り、結構な強敵でした。特に、ガ島戦における陸攻や艦爆、艦攻に対してはそれこそ死神でしかありませんでした。もちろん零戦に対しても、互角以上の結果を残しています。更に言うなら、基地から近いという決定的な利点はあったものの、後の戦いほどの数的優位はありませんしね。なんでもF4F、F6Fはアメリカでもいまいち人気がないそうですが、その偉大な功績からもっと見直されるべき機体と個人的には思います。プラモの世界でもあまり恵まれていなかったような気がしましたが、今は違うのでしょうか?
8:25冶金、メッキ、加工、………頭おかしくなるで…。(なお、地震…)(逆に考えればここまでやれたのが凄いんだが…)11:13 1944年末とはいえ致命的な欠陥を解決して艦載機に戻せる方がおかしい(真顔)11:49 無(ム)
F4Fでも零戦相手に善戦してたのに、F6Fとか低速での運動性良い(注 米軍比)とかなんですか………米軍比とはいえパイロットの腕次第なら日本機追えるとか頭おかしくなるで…………そしてF4Uが艦載機に返り咲いて以下略
フラシムだからリアルがどうかは分からないし俺の感想だけど、米軍機は安定して飛ばしやすい。だけど低速で気を抜くとすぐ失速する。逆に日本機は機動性とか低速の安定感は勝っていても敏感すぎて真っ直ぐ飛ばせない
やっぱ出てくるんだよなぁ日本機信者。アメリカ機ダサいだのなんだのってさ、どっちも国に合わせたアセンブルなんだからどっちも美しいと思うんだがねぇ。実際、アメリカ零戦強いから研究してどう倒そうか研究して零戦撃墜できる機体や戦術を作って来たのに、今の私たちの中にそれを弱かっただのダサいだのなんだのってさ。ほんっと恥ずかしいと思う。
ゼロ戦は大戦前の設計で有り、元々大量生産する予定はなかったので生産性については全く検討されていなかった・・・。ゼロ戦の後継機の開発遅れが致命的だっただけ・・・。
おもしろいのはF4Fと零戦のエンジンって元をたどると同じだったようなwあと、誉をF4Uで搭載しても性能は落ちなかった気はする。かえってもっと機首を絞ることができたはずなんで旋回系等の性能が上がった気もする。燃料や整備不良による故障もなかっただろうしね。実際アメリカも誉を「遅すぎた良いエンジン」と評価している。
そりゃ、元々アメリカの指導とライセンスで作ってますからね。もし戦時中にアメリカから継続して技師を呼んで工作機械も引き続き部品を取り寄せられればもっと誉もいいものになったでしょうよ。
@@ogikubo15 いやぁ、どうでしょう? アメリカの指導とライセンスで作った事は多分事実と思います。ただ、工作機械と部品取り寄せしても、エンジンとしての精度は確実に上がると思いますが、故障はやはり多かったと思いますね。何せ合う燃料がないし、整備するにもその油がない時代でしたから。そういう意味ではハ43も同じ運命だったかと。
当時は技術の中心地が欧米だったから仕方ない面もあるし、そもそも特許が有ったから、普通に世界中の軍隊は色んなライセンス取得してたで。
操縦の単純化はかなり重要だよな
とくにWW2の頃なんていつベテランパイロットが死んでもおかしくないし、誰が操縦しても安全に飛べるのは大事よな
人間、必ずミスや不注意をする。
ミスや不注意で撃たれても、生きて帰れれば反省もできる。
@@akirakajiwara9478 ほんこれ
飛行機は壊れたら新しいのを作れるけど人間は一度死んだら二度と同じ物は無いからな
日本海軍は少数精鋭、個体優秀主義。
なぜなら空母搭載機がそもそも限られてる上に短期決戦しか勝ち目は無かった。
それを知ってるアメリカに消耗戦を強いられて負けただけ。
結果から遡って歴史を見てはいけない。
だから米軍のF6Fの着艦でバラバラになってもパイロットは自力で降りてる動画ありましたね
ストーリー、話のまとめ方がとても上手な動画だなと思いました。面白かったです。
ヘルキャットのデザイン好きです
握手
外板の貼り方が素晴らしいよね。素人でも切り出しやすそう量産のアイデアは駄作棄にも多く、調べると結構面白い、p40とかbf103とか主翼ではfw190とかね
コルセア戦闘機とF-18戦闘機ホーネットもアメリカ海兵隊に使用されてマルチロール機として注目されて海軍主力戦闘機に成ったのは共通している。
零戦の華奢さも好きだけど、ヘルキャットのムキムキマッチョマン感も好き
俺ぁゴリマッチョのF6F よりも、細マッチョのF8F派だなぁ~♪
@@球磨五朗 F8Fを装備したVF-19を搭載したUSS Langleyは日本近海に移動中に終戦になりました。もう少し早かったら日本軍機と空戦が生じたかも。
@@球磨五朗 確かに俺も熊猫派
コルセアのあのフォルムがたまらんと思うのよ
華奢で優雅な零戦、マッチョ💪でゴツいワイルドキャット。見た目から機体性能までどれを取っても正反対なのが面白い
一昨年96で亡くなった私の父親は徴兵前は立川飛行機で一式戦を製造する一工員で、その後招集されて陸軍第62対空無線部隊に配属されて日本の敗戦後は立川に存在した陸軍航空技術研究所に捨て置かれた子供と一緒にアメリカ空軍の教育、指導を受けてC46,C124初代グローブマスターの整備、朝鮮戦争が始まると機体剛性が著しく脆弱な旧日本陸海軍機であるなら一瞬にして空中分解する音速付近でMiG15と戦闘して被弾したF86Fの整備、その後アメリカ空軍の命令で発足した空自初のF86Fを朝鮮戦争中に実戦使用されたアメリカ空軍のF86Fの国籍、機体識別番号を剥離剤で落として整備して納入した経緯もございました。
日本の敗戦後、南無妙法蓮華経で頭がいかれた日蓮海軍のクズどもが全く防弾のなされない零式戦を運用し敗戦間際にお座なりな防弾をしていたことや、三菱も中島も大型のブレスが無いために小型のプレスで機体構造を作るために手工業同然で製品で、オイルシールがなされないエンジンはすべてがオイル駄々洩れで常に汚れて1回飛行する旅に清掃して、敗戦のその日までも航空無線電話が無く、第一次世界大戦とおなじ手首で打つ富士通製のモールス信号機もビニールコードの一本すら作れず使用されないので極めて振動に弱く、また米軍が各電子機器をラックに収めて故障した部分を現場ですぐにアッセンブリー交換していたのに対して敗戦のその日まで機体に直付けされた無線機を現場で半田付けしていた日本に勝ち目など一切かったことを極めて遅まきに達観して、お母さんと声を上げて戦死した仲間をとても気の毒に思い続けていたようでございます。
また自分が台湾沖海戦で南無妙法蓮華経の腐れ外道になりはてたポンコツ海軍の特攻に陸軍も巻き込まれて父親が特攻の訓練機を夜間モールス無線でオペレートしていた際に訓練機と子供同然の飛行兵を空中爆発させて、日本陸海軍の機体識別表にも記載のないP61と思われる機体も朝鮮戦争中に既に旧型ではあったのかもしれませんが米軍に接種された立川基地で目撃してアナログの限界を極めたようなレーダー、FCS、アビオニックスを見て敵、相手を良く調べもしないで太平洋戦争を始めた当時の大人の愚かさで未来のあった若い仲間を失ったことに憤りも抱いて亡くなったようにも思ええます。
アメリカの戦闘機とゼロ戦のドッグファイトで主翼同士が正面で接触した時、ゼロ戦の主翼が真っ二つでアメリカ戦闘機は無傷という逸話が残されている。
え?そんな話はない。
96艦戦が敵(中国軍だが、ソ連やアメリカの飛行機)の戦闘機と空中接触して右翼3分の1を失いながらも帰投したって話なら有名だが…
零戦は軽量化してるとはいえ激しい格闘戦をしても空中分解しない頑丈な飛行機、どんな頑丈な機でもぶつかりゃただではすまないはず…
@@コウダイ-r1v 急降下制限速度600前後程度の戦闘機の造りが強靭なわけないだろ
ソースは?航空機同士が正面衝突して無傷とかありえないだろ。バードストライクでも派手に損傷するんだから。
@@コウダイ-r1v wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
@@コウダイ-r1vドーントレス対零戦の話だよ
うぽつです。
合理化と大量生産代表の戦闘機達。
F4Uは合理とは真逆だろ。一機5.4tという大量の資源を消費して重い上に高速向けだから殆ど曲がらず生存率は高いが敵の殲滅効率と燃費が悪い。
だから大量に揃えてカバーしようとしたが大量に作った頃には次世代機も完成してたりヘルキャットの方を好むパイロットが多かったりでパイロットの数に対して機体の方が大量に余る。
余った機体は朝鮮戦争で売り付けたがそれでも余って大量に海に捨てた。
この動画じゃ触れてないが大量に作って一口食べて残り全部残飯みたいなことしてるぞ。
ys4414 ザ、アメリカやな。
@@ys4414
海に投棄したのは初耳だな。
そんな不利益を実際にやったのかい?
宮野善治郎さん
まぁ、終戦時に空母から艦載機放り捨てた話は聞いたことありますけどね…
@@ys4414 デメリットだけ上げるとそうなるけどね
零戦も最終時の52丙型では若干だけど防御にも手を入れてますね。操縦席の防弾硝子に防弾板。燃料タンクの防弾ゴムの不備は相変わらずだったけど消火用炭酸ガスを備え被弾発火してもパイロットの脱出時間を稼げ丙型のパイロットの生存率は非常に高かったと言われてます。これまで丙型は発動機は同じままで緒装備増加で重量増加の鈍重零戦のイメージ有るけど最近の研究や資料では決してメタボな機体では無く、本来は装備される予定だったモノまで加味された諸元を元に書かれた後付け資料だったことが丙型のイメージを悪くしたモノでした。アメリカ側の記録でも「発火しても直ぐ消火し、装備した武装も強力で侮れない」と評価されています。事実、終戦まで多数機が実働した事が、その証ですね。機首の7,7㎜を廃止して12,7㎜を1門+主翼2門の火力は堅牢なアメリカ機にも有効だったことがわかります。これを考えたら昭和18年までに改修可能だった金星発動機への換装を頑なに拒否した海軍上層部の保守ぶりに呆れます。何の為の誰の誰の戦争かと…😑
なお、パイロットが防弾板を降ろす模様...
ジャンボリー作戦で来襲した米艦上機を迎撃した五二型丙の搭乗員は13mm機銃を「面白いように当たって威力も大きい」
と絶賛したとか。
52丙の生存率の高さには、もうその時点では侵攻して空戦をやる状況がなく実質味方上空で空襲に来る敵機を迎撃する局地戦闘機になっていたためもありますね。落下傘降下や不時着すれば味方陣地ですから。実際落下傘降下する日本搭乗員のパラシュート索を切ったり、銃撃したりする米機はよく知られています。
金星換装零戦は54型として試作されてるよ。でも性能が悪く不採用だったよ。燃費が悪く、視界が悪く、武装も減るのに大して速度向上がない金星エンジンに換装したところで、戦線への影響は無いどころか生産性低下で、悪化する可能性すらあった。どうせ本土防空戦なんて守勢なら高度稼いで一撃離脱戦だけしてたら、栄エンジンでも十分使えた。もう石油も残りわずかな末期に金星換装はしない方がいい。
実は52丙型は最終型じゃないんだよね。
そのあとに1500馬力の金星エンジン(爆撃機用)を搭載した54型(64型)、戦闘爆撃機仕様の62型(呉 大和ミュージアムに展示)があるんですよ。
54型はパワーアップした事で性能向上を図ったわけではなく、52丙型までの防弾装備や機体強度の向上などで重量増加による性能低下を補う目的でした。
まぁ、もし2000馬力オーバーのエンジンに換装されていたら、F8Fに近いコンセプト 性能になっていたのかも知れませんね。
どちらにしても、技術的な敗北は明らかですね。
よく調べられた素晴らしい動画ですいつもありがとう😊👍
日本機の方が好きだけど乗るならアメリカ機に乗りたい
海軍の戦闘機隊では支那事変の頃にはそれなりに使えていた無線機がこの頃には使い物にならないことが多かったですからね。無線機なしに指揮官が何十機も指揮したり互いが連携するのは難しいかと、一番改善しないといけなかったのはそこかと自分は思います。
ノイズ対策の不手際
無事これ名馬ですね。おまけに無事なだけじゃないとくれば...
アメリカは作りまくった兵器を運用できる人員も揃ってるのがすごい
戦争になった瞬間に大量養成を始めたらしいですよ。後の月刊エセックスも戦前にかなりの部分も発注済みだし、我が国はもう準備段階でボロ負け状態。陸軍に至ってはち戦争始まってしばらくたってから英語教育を始めた(それまでは仏独露が中心)とか言うんだからもうこの段階で勝ち目はない。
ビジネス教室よくあるPDCAなんですがあれも短期間で人材育成する方法なんですが、なぜか日本では人材つぶしになっていますね
F4Uは重く頑丈なところにロマンを感じる
それは、コルセアだよ。
アメリカ海軍の機体は、最初のアルファベットが機種で最後のアルファベットがメーカー数字は、3Fだとグラマンの3つ目の機体て意味。
@@小山義一-x5e
同じF4Uだからコルセアだと勘違いしてみてたわ。別の機体なのね、ありがとう。
なんとなくだけどこうして比較してみてると個人技の日本軍、物量と集団戦の米軍って感じがして面白いね(ふわっと理解
@@ひよこ饅頭-f9k いや、F4「U」とF4「F」を混同してるだろ(´・ω・`)?
17:24
ベアキャットの設計って、Fw-190の技術レポートを参考に作られたんじゃなかったかな?
零戦のコンセプトは、“貧弱なエンジンでも飛ばせるよう中型の航空機をギリギリまで軽量化する”というもので、フォッケウルフやベアキャットのコンセプト“強力なエンジンをもち、かつパワーレシオを高めるよう機体を小型&軽量化する”とは似て異なるものだと思うのだが…。
@shin まぁそれでも少なからず零戦はアメリカの航空機開発に影響は与えていたと思う。その一つがキャノピー。初期のアメリカの機体は見れば分かるように生産・防弾を主軸にしたキャノピーだったけど視界の悪さが目立った。
そのキャノピーからある一定の時期から零戦のようなバブルキャノピーに移行した。ベアキャットにもそれが見られる。
実際鹵獲した零戦に米パイロットが乗ってその視界性の良さを驚いたという話もあるため視界の良さはパイロットにとって重要な要素でもあるから零戦に影響されたと思う。
そもそも零戦は翼面荷重優先だから機体は小型化ではなく大型化を図ってるんでF8Fのコンセプトからは逆向きの筈なんですよね。
それを理解してない人がF8Fは零戦の影響を受けたとか頓珍漢な事を言っている印象(´・ω・`)
@@ハイルエマ
バブルキャノピーの導入は1930年代後半のトレンドで、零戦以前にはイタリアのMC.200初期型(枠有り)、零戦初出撃当時ではイギリスのマイルM.20(枠無し)等で使用されています。
日本を真似したというよりも、防弾ガラスの性能が追い付いてきたので、それまで持っていたものを大戦後半から利用し始めたというのが正しいかと。
@@ハイルエマ あれはイギリスのタイフーンを参考にしたものです。
零戦は軽量による小さい旋回半径による小回りの物理的な限界値を出してますからね。
重くなっても翼の過重と馬力で補える?ナイナイ。そもそも馬力出してスピードが上がればそれ自体が遠心力を強くして旋回半径を大きくする訳です。
馬力と過重で旋回スピードは補えても旋回半径は補えません。だから米軍は高火力、高防御とも両立が可能な大きい旋回半径でもスピードを上げて8の字型に一撃離脱のヒットアンドアウェイを繰り返す格闘方式を取った訳です。
この動画だと零戦と同じ旋回性能みたいに言ってるけど零戦の旋回性能とは趣旨が別物。
祖父の兄は隼と疾風ってのに乗ってたけどアメリカの陸海問わず航空機は頑丈やったって昔聞いた事あるなぁ
日本機は燃えて墜ちるか爆散するかで
アメリカは黒煙吹いて墜ちていくだけで滅多な事がない限り空中分解はしなかったらしい
疾風は結構頑丈で何度か助かったとも言ってたけど………
隼なら死んでたなって笑ってた
飛行第52戦隊は4式戦への改変を拒み1式戦で最後まで戦ったそうです。4式戦はF6Fより旋回性能も悪く扱いづらい飛行機だったそうです。防弾性能に関しては1式戦の2型以降は4式戦並みの防弾性能は施して有り、何より1式戦の旋回性能を持てば空戦にて落とされる確率は4式戦より遥かに低かったそうです。非力な12.7㍉2門の武装も破壊力の高いマ弾を使えば頑丈な米軍機にも有効だったそうです。資料でも1式戦装備の部隊は終戦まで実働しています。
@@仁科博美-x8g
確かにそうかもしれませんね
祖父の兄も回避能力(旋回能力)では隼の方が上って言ってました
疾風を隼の様に使うと寧ろ悪いとも特に熟練者で隼で慣れて
る上官も疾風は巴戦より一撃離脱で使うと中々の戦闘機と言ってたそうです
因みに祖父の兄は2型前の機体ではないでしょうか?
12.7㎜1門7.7㎜1門装備だと聞きました
ニューギニアではP38やP47等ともやりあったらしいですが戦友の方々は火ダルマになるか爆散したそうです
マ弾とはマウザー砲のことでしょうか?確かに破壊力は抜群と聞いてますB24を1通過で落としてたらしいので
ただ南方での飛燕は稼働率も悪かったともマウザー装備の機体も例外なく飛ばなければ戦力にならないと
祖父の兄も言ってました
自分は当時の者ではないのでよく判らないですが
グラマンとも充分、疾風でやりあえたとも思います一対一なら
少なくとも祖父の兄はF6Fを撃墜確実で1機落としてますので
@@マリアナ-w3z さま 大戦中に日本陸軍戦闘機が装備した代表的な機関砲のホ-103はアメリカの傑作機関銃ブローニングM2の航空機搭載型のコピーですが原型が優秀だから本砲も優れモノでした。しかし使用する弾薬は陸軍がイタリアから購入したブレダSAFAT機関銃の弾薬でビッカース系列の50ブリティッシュ弾を使用しました。この弾はブローニング系列が使用する弾薬より小型軽量で発射速度こそ本家のM2に勝りましたが初速、射程と低伸弾道性に劣り本家のM2より低威力でした。その為、陸軍はマ弾と称する特殊弾を開発して低威力を補いました。本家M2には無い一種の炸裂弾で命中時には炸裂し燃料タンクなどに対する焼夷効果がありました。 ビルマ航空戦等では飛行第64戦隊がB24等をマ弾で多数、撃墜しています。アメリカ陸軍航空隊などはマ弾を20㎜弾と思っていたそうです。マ弾の威力に注目した海軍も20㍉機銃用弾薬と13㍉旋回機銃用弾薬として採用しています。
@@仁科博美-x8g さま 多分ですが祖父の兄が疾風に乗り換えてからだと思います
そのマ弾使用のは
疾風の12.7㎜(ホ-103)で初めて数発当てただけなのに火を吹き上げたと日記に書いてありましたのでソレがマ弾使用かわかりませんが
本土でしたので可能性はあります
ただアメリカの機体が頑丈過ぎて英国もドイツもそんなに被弾に強い訳ではなかった
無理な話だが、零戦にも、防弾性能があれば、ルーキーも死なずに経験値を上げてベテランになれたかもしれない。
せめて1,500馬力のエンジンに換装していればなぁ、と思います
あれで防弾なんかあったら強すぎるw
まあ、日本に馬力の高いエンジンがあれば可能だったかもしれないが
もはやゼロ戦じゃなくて草
ま、それは言わない言わない。
1500馬力のエンジンで旋回性能はそのまま
F6F並みの防弾性能
二〇ミリ、四門・・・つおい
もしも零戦に2,000馬力級のエンジンを載せて防弾設計していたとして....
重量増による慣性の法則で格闘性能は落ちるし航続距離も落ちて
零戦への評価も変わったものになっていたんじゃないかな。。。
当時使えるエンジンと、軍の要求を考慮した上での零戦。
開戦当時では間違い無くベストの設計、機体だったと思います。
それをやろうとしたのが烈風
零戦の後継機、烈風がまさにソレ。しかし仮に烈風が実戦化されたとして立ち向かう敵は零戦を徹底的に分析(と言うより運動性の高い日本機全般)したベアキャットです。烈風がベアキャットに勝るのは旋回性能だけだと言われてます。アメリカ版の零戦相手に烈風が苦戦する図はまさに皮肉ですね😬💦大戦末期で余裕しゃくしゃく、高い工業力があるアメリカだからこそ零戦に対するアメリカの回答みたいな飛行機も作れたのでしょう。
@@人食いレッサーパンダ
烈風はフラップの性能を高めて両立を果たした機体。
フラップ閉じてれば高速向け。広げれば零戦なみの旋回向けの形状に変化する。零戦に高馬力積んだだけとは訳が違う。
そもそも零戦は500キロ後半で制御が落ちるぐらい形状が低速旋回に特化していたので高馬力エンジン積んでも意味がなかった。
とは言え烈風の最高速度は620㎞/hくらいじゃなかったっけ。ベアキャットやコルセア、陸軍機ではマスタングやサンダーボルトが軒並み700㎞/hクラスの高速を叩き出していたのと比べたら決して速くはないし、高速一撃離脱が当たり前になっていた時代に旋回性能を求め、その旋回性能もゼロ戦よりは劣るとあっては、仮に終戦までに実戦配備されていても勝ち目はなかったんじゃないかと思う。大きすぎて、空母上で運用するのもいろいろ不便さが発生しただろうし。
@@ys4414 烈風は、戦闘機戦術の変化を認めない海軍航空隊の指導・強制で、翼面荷重を低く設計(=意味もなくデカい)させられ、設計者も諦めた失敗作になっていた。調子のよい誉を搭載しても駄作にしかならなかった。
誉は、工業力のない日本で、設計上無理をした失敗エンジンです。14気筒の1100馬力栄を18気筒にして2000馬力出るわけない。回転数が上がらず、冷却は厳しいのですから、資材不足を無視しても、無理な設計でした。それで、2000馬力弱級?失敗エンジンですが、まあまあの1500馬力級エンジンなので、そこそこにこれを使った4式戦疾風は、整備次第ですが、活躍出来ました。
F2Aはメーカーで労働争議が頻繁していてストライキがあったり生産設備が旧式だった事もあります。
ここは以前にも艦上攻撃機のSBA-1は生産能力に疑問が持たれて30機全部が海軍工廠で生産されました。
@田中一郎 さん
階の違う次の工程に送るのにエレベーターに乗せるがバラして乗せるとか余計な手間かけたとか。
別の場所に工場建設するまでこんな非効率な事やってた。
この改良速度と改良点の的確さがアメリカの真骨頂ですよね。
そう言えば、アメリカ空母で甲板で機体を係留するとき、機体の半分ぐらいを甲板の外に出してる装置ってなんて言うんでしょうか?アウトリガーでいいのかな?
日本の戦闘機はロマン詰め込みまくった感じだけど、アメリカの戦闘機はThe量産型感がすごくて好き。
アメリカの最量産はB24なんだから、単発機体なんてちょろいもんでしょ
まぁ傑作機の共通点は面白みのない所って誰かが言ってたからなぁ
機銃の装弾数も見て欲しいです。F4F-4は12.7mm機銃を4→6にした事で一挺辺りの弾数が減り、継戦時間が短くなったのも不評の理由だったとか。零戦も20mm機関砲弾が一門辺り60発だったのが、五二丙だと125発に増えて、二一型信者の熟練パイロットが言うほど改悪では無かった。何より、一挺あたり600発積んでる7.7mmでは対応困難になってましたしね(これでヘルキャットを一点集中銃撃して墜とす零戦乗りも居るには居ましたが)。
ワイルドキャットが零戦のカモなんて有り得ない。設計思想が違うだけで、ほぼ同性能。
開戦当初は練度の差が大きい...
後々になると、米軍パイロットも練度が高くなり、教訓を活かせるように、新米パイロットに教えていけるようになってるから。
ブリュースター・バッファローは太平洋戦線ではパッとしなかったが、フィンランド空軍が主力機としてから真価を発揮してロシア機を凌駕した。卍のマークを付けると同じ機体なのに強く見えるから不思議。
思う所多々あり。
素晴らしい解説をありがとうございます。
f4uの逆ガルと脚が可愛い
トップクラスで好きな機体
みんなのコメントだけど、機種のハイフンの位置とか有無とかおかしいのがちらほらあるな
例えばF4Fだとワイルドキャットだけど、F-4Fだとジェット戦闘機のファントムになっちまう
もうひとつ、T-34だとソ連の中戦車だけどT34だとアメリカの重戦車になるからな
ハイフンの位置とか有無は戦車でも航空機でもけっこう重要やで
グラマンやコルセアの主翼の折りたたみ構造は凄いな。空戦中にヒンジが壊れて空中分解、なんて事故が起きそうな物だが・・・
日本機は機体そのものが空中分解するじゃないか。
F4FとF6Fの大きな特徴は、翼の折りたたみ機構だ。これにより、重量増と引き換えに空母搭載機数を増やした。多少の性能低下を数で補った。とはいえ、両機ともよく面積は結構大きく運動性も良好だった。零戦が運動性を誇る速度域より高速で機動すると零戦を振り切れる。480km/h以上で横転すれば零戦はついてこれない。このような速度では零戦の補助翼と昇降舵が異様に重くなり、結果的に自由に操縦できなかった。大空のサムライでは、零戦の旋回についてくるF4FやF6Fの運動性に驚く場面が描写されている。P40とはその辺りが違っていた。
そんな特性のため、零戦のエースパイロットは腕力が強いことも特徴だった。高速時の操縦性については、一式戦の方が優れていたかもしれない。一式戦では舵が重いという話は出てこない。四式戦では、無理な操縦をさせないために意図的に舵が重くされていて不評であった。
いやいやいや まったく。兵器運用・開発思想(構想能力)から見た日本との比較。つまり当時日本の何が劣っていたかの考察だな (こうゆう認識・発想とその反省をすること、日本は昔から苦手なそれは今も本質的には変わってない気がします。=だから良い認識の動画だと力一杯拡散したい❣️
やっぱりちゃんと一つ一つ改良を重ねていって性能を向上させるのが凄い…此処が零戦との大きな違いか、、
F8Fが零戦の影響を受けたというのはかなり無理がある話で、実際に影響を受けたのはフォッケウルフです(´・ω・`)
F6Fが鹵獲した零戦21型を参考にして作ったという妄想の延長ですね
零戦は終始軽戦タイプ、ネコ科シリーズは重戦なので、参考にはしたでしょうけど基本設計が全然違います
F8Fは対零戦を意識されていて零戦に対抗するためには小型しかないという結論の元に設計された機体
まあその小型化の御蔭でF4Uよりも先に退役する羽目になったんだけど
@@tigerii5946 それは誤解です。
零戦を意識して小型化したという事はありません。
F8Fが零戦を意識したというのは、爆装零戦等特攻機の撃墜です。
当時のレシプロ機は大気が濃密な海面高度では500キロにも達する高速発揮はできません。
大気密度が濃すぎて高速を出そうとすると危険なフラッターが発生するため、当時はどの機体も低高度では制限速度を設けています。頑丈で知られるF6Fでさえ海面高度では500キロ未満の制限速度が設けられています。
零戦も本当なら海面高度では500キロも出すことは出来ませんが、特攻機は生きて帰る事など考えていないので、フラッターなどお構いなしに海面高度を500キロ以上の高速で突っ込むんです。
だから既存の戦闘機では追撃できない。それが米軍で問題視されていたんです。
そこで海面高度で高速で突っ込む特攻機を追撃できるだけの機体・・・エンジン馬力は既に余裕があるのでフラッターが出ないOR多少のフラッターが出ても空中分解の恐れが無い機体性能をF8Fに求められたんです。
零戦を意識したというのは、決して零戦とのドッグファイトで有利に立つためという意味では無いんです。
そもそも零戦の旋回というのは軽い重量による小さい半径の旋回による小回りでドッグファイトに勝つ為のもの。
一方F6FやF8Fは旋回半径大きくてもいいから旋回スピードを上げて8の時型にヒットアンドアウェイを繰り返す為のもの、要するに一撃離脱を繰り返し仕掛ける為のもので趣旨が異なりますからね。(こちらの方が装甲や武装で重くなっても馬力さえ上げれば可能だった上にスピードと格闘戦能力の両立が容易だった)
一方日本はフラップに注目してフラップの性能を上げて行った。(重い機体より軽い機体のほうがフラップの効果が大きいのとフラップはどうしても強度が下がるので重い機体を剛性で無理矢理旋回させてるアメリカより日本の方がフラップは発達した)
実際、計画の始まりは英軍基地に誤って着陸し鹵獲されたFw190Aのレポートで、絞った小型の機体に大馬力エンジンを合わせたコンセプトに影響された事
F6F同様、開発のきっかけは零戦ではない
52丙型の最高速度は、重量増えまくりで540km/hぐらいまで落ちてたんじゃなかったかな。560は52甲か乙の数値だと思います。
F4Fはカモって訳でもないですね。対米戦争初期の米軍の練度が低い時でも、零戦相手に健闘しています。
しかしF2Aはフィンランドへの輸出型は大活躍して「空の真珠」と呼ばれたのに、米海軍に納品されたF2Aは色々、装備を付け足したせいで動きが鈍重で、零戦には全く歯が立ちませんでした。
米軍仕様は燃料やら防弾やらで1トン近く重くなってるからしゃーない
空の真珠の活躍は寒冷なフィンランドの気候のおかげで
エンジンのオーバーヒートを気にせず全力を出せたというのもありますね
そもそも戦争序盤は日本側が数の優位がある状態で戦えていたのも大きかったかと
兵器の最も重要視すべき性能は兵士を生かして帰すという事に尽きる。日本がパイロットを生かす事を疎かにした事も後々の戦力低下に拍車をかけている。
アメリがが防御にこだわったのもパイロット1人を養成するのに2年の歳月と7万ドルの費用がかかる事、戦力の低下を最大限に抑えたかったからだ。
零戦は確かにすごかったが、軍部の要求を満たすために採用されたじ時点で性能をギリギリまで絞り出している、つまりその後発展の有余が皆無だった。
戦史には零戦がバタバタとF4Fを撃ち落としてるように記されているが実際のキルレシオはそれほど大差なくアクタン島で鹵獲された21型の機体を
調べつくされてからはサッチウィーブやロッテ戦法と相まって殆ど差が無くなっている。
F6Fヘルキャット、ああ見えても実は旋回性能の良い格闘戦向きの機体だったそうです。
日本軍パイロットもシコルスキー(F4U)よりグラマン(F6F)のほうが強敵だったと述べているパイロットもいるとか。
しかしF4Uコルセアの後にボーイングF5BとかグッドイヤーF2GなどのF8F以外の化け物戦闘機が量産間近だと考えるとたとえ烈風が配備されても零戦並みの活躍できるか?は議論の余地がありますね。
F4Uの逆ガル翼最高にエロくて好き
スツーカの逆ガルもスケベ
流星は?
かなりセクシーじゃね???
零戦21型が1番セクシーだろ。
P51Dの腹とキャノピーが最高にエロい曲線だろ?
次は第二次世界大戦中の米陸軍航空軍(USAAF)の戦闘機の歴史などはどうでしょうか?P-40やP-51にP-47など
コルセアの逆立ちはえも言えぬものがある
次は陸軍機も紹介して欲しいです。
9:13 凄く猛禽類っぽさを感じる…メチャ長い前部が Producted in the USA!って感じで好き
大出力エンジン作れないと色々大変ですね。
グラマンf3fのデザインなんか可愛いなぁ
愛称 フライングバレル(空飛ぶ樽)
グラマンF4Fは、主脚輪胴体ガラガラ出るからホイールベースが狭いから良く横転してたよね
F2Aも脚が弱くて着艦した時に破損してヘタり込んだ。
いつもながら勉強になる
零戦はいい戦闘機だけど後継機が開発遅れ過ぎて、時代遅れになっても使い続けた上にアメリカの工業力というチートに晒されたから負けたんだよね
P-51.F6F、F4U、隼、雷電の順に好きですね。
4:32 零戦の20㎜の弾道が山なりだったというのはここ30~40年くらい前から急に言われ出したデマです。
主翼に装備された機銃はだいたい想定射撃距離の200mで火力が最大になるよう、機体から200m前方で交差するように主翼に取り付けられます。なので、200m先で交差すると400m以上離れれば右機銃は左へ、左機銃は右へ飛び去ってしまうので元々400~500m以上離れれば当たらないものなのです。どの国の戦闘機でもこの辺の事情はほぼ同じ。
そして機銃弾は飛んでいけばもちろん弾道が落下していきますが、零戦の機首に積まれた7.7㎜機銃と主翼に積まれた20㎜機銃の200m先での落下量は14cmほどしか差がありません。対して戦闘機の胴体の直径は1m以上あります。
つまり、弾道が山なりだから命中させづらいというのは、現実を無視したデマでしかありません。
このデマの発生源は坂井三郎の「大空のサムライ」で、これは当時の週刊誌の記者が坂井氏にインタビューしたものを生地にして連載していたものを単行本にまとめていた者なのですが、当時あまりにも零戦がもてはやされていることに嫌気がさした坂井氏が「別に零戦もいい事ばかりじゃなかったよ」というニュアンスでテキトーに言ってしまったことが独り歩きしたものです。
もし、現実にそんな致命的な欠陥があったなら、当時の海軍が改良を命じない筈がありません。
しかし、当時の海軍の記録に20㎜機銃を命中させにくいなどという報告はありません。
@@45stg18 いえ、デマです。
20㎜が命中させにくいという話は80年代ぐらいから急に言われ始めた事で、当時のパイロットも空戦の難しさは語っていても20㎜の弾道に問題があって命中させにくかったという証言はしていませんし、当時の日本海軍の報告書にもそのような記録はありません。
また九九式20㎜機銃の銃身延長は貫通力の向上を狙ったもので命中率の向上を狙ったものではありません。
日本海軍が弾道の低伸性を計測していますが200m先での弾道の落下量は以下の通りです。
三式13㎜機銃 23センチ
九九式二号20㎜機銃 26センチ
九九式一号20㎜機銃 37センチ
九七式7.7㎜機銃 26センチ
「各種固定機銃弾道低下量ナラビニ弾丸飛行秒時表」より
また、翼の振動云々も20㎜を当てにくいという話に航空機の主翼がどれだけの強度を持っているか知らない人が尤もらしい事を後付けしているだけです。
たしかに主翼は高G旋回すれば捻じれたりもしますが、そもそもそんな高G旋回では撃っても当たりませんし、そもそも機銃が動作しません。航空用機銃はどれも4~5Gぐらいで旋回中に撃ったらジャムります。
だいたい、主翼が弱いせいで命中率が低下したというのなら、機銃の銃身なんか延長しても命中率が上がるわけ無いでしょう?
命中率を上げるために銃身を延長したというのなら、主翼に問題があったらその改良自体が成立しないんですよ。
@@45stg18 坂井氏は20㎜を命中させるために自機を機動させるのが難しかったと言っていたのであって、ションベン弾なんて批判はしていません。そもそも上述の通り、低伸性に問題は全く無いんです。
そもそも、地上で銃座に固定して使えば有効射程が数キロに達する機銃が、わずか200mの至近距離で集弾性を取りざたされるような問題を生じるわけが無いんですよ。
空戦中はそもそも機銃を命中させにくい物なのです。
そして、ただでさえ命中させにくいのに弾数が少ないから20㎜に対する否定的な意見が出ていたにすぎません。
個人的には20㎜がションベン弾だった云々の元凶は松本零士の「ザ・コクピット」だと思ってます。作中で米軍の12.7㎜の低伸性を褒めているのですが、その中で対比として20㎜が取り上げられています。
確かに、米軍の12.7㎜に比べれば日本の20㎜の低伸性は悪いですが、それは米軍の12.7㎜の低伸性が優れていたのであって日本の20㎜の低伸性が標準的な機銃より劣っていたというわけではないんです。
ところが、読者が20㎜は低伸性が悪いんだという印象だけを受け取り、それが坂井氏の20㎜に対する否定的なコメントが組み合わさって、20㎜は低伸性が悪いという勝手なイメージが出来上がって独り歩きしたような状態だと私は認識しています。
一方を褒めたからと言って、それ以外を否定した事にはなりません。
繰り返しになりますが、80年代以前に20㎜の弾道が悪いとかいう話は一切無かったし、問題にされたこともありませんでした。
そして命中性云々に関する否定的な証言や論評は80年代の後半になるまで登場してません。
じゃあ坂井三郎の20mは当てにくいって嘘やったんか?
@@〆チン-l4e あれは嘘と言うか話の聞き手というか読者と言うか、ともかく話の受け手側の誤解です。
坂井氏自身は基本的に20㎜を絶賛しています。
戦後大分たってから、20㎜を搭載したのは失敗だったかもしれないという考えを持つようになっていたのは事実ですが、それは携行弾数とか威力とか色々総合的に考えてのことであって、20㎜そのものに欠陥があったと言っているわけでは無いのです。
当てにくいというのは20㎜に限った話ではなく、そもそも空戦で機銃を命中させるのは難しいと言っているだけでしょう。
零戦の20㎜は凄い素晴らしい、そんな凄い機銃があったなら強くて当たり前ですね?というような話の聞き方をする記者に対して、いやそんな単純なもんじゃないんだよと、若い未熟なパイロットなんかは撃っても撃っても当たらなかったし、当たらなければ折角の威力も意味が無いよね。そして20㎜を当てるのは簡単じゃないよというような話をしたのが独り歩きしてしまったという流れのようです。
「大空のサムライ」なんかもそうですが、坂井三郎氏の話の多くは週刊誌の記者が取材したものをまとめたもので、本人が直接書き残しているわけでは無い事を踏まえる必要があると思います。
@@45stg18 それは戦後かなり経ってから言い出したことを、週刊誌の記者が記事に起こして本にまとめたものです。坂井氏が直接本に書いたものではありません。
また、上にあげたように現実には20㎜と7.7㎜の弾道の低伸性に体感できるような大きな差はなく、20㎜が7.7㎜弾に比べて落差が大きかったという事実はありません。
200m先で15cmに満たない程度の差しかありません。
直径1m強の太さの胴体を持つ戦闘機を狙い撃つのに15センチに満たない弾道の差がそんなに大きく影響すると考える方がどうかしているのです。
実際は開戦時にはF4Fには防弾装備は無く、空母上で改造されている。
M2×6乱射してくるとか怖すぎ
日本は海軍も陸軍のように軽戦は軽戦、重戦は重戦みたいな開発を行っていれば良かったのかな?
ただ低空での旋回性能は艦隊防衛にしても航空隊防衛にしても必須の性能だから零戦(または似た機体)に一本化されてたかな
軽戦と重戦なんて作ったら空母に搭載できる艦爆や艦攻がへるし何機も乗せるなら零戦が敵戦闘機
、雷撃機、大型機の迎撃のために20mm積んだり艦戦は艦隊防空が主任務だから艦隊上空を滞空させて対空監視のために燃料多く積めるようにしたりと詰め込む必要もないと思う
F7Fタイガーキャットさん「あ、あの~……ワイは?」
君は戦後に森林火災消火機として活躍するから・・・
XF5F-1の立場は?
何でか知らんが・・・・
奇数番手が不遇過ぎて草
実際、英語版Wikipediaでも、グラマンのテストパイロットが英軍が鹵獲したFw190を飛ばし、F8Fの原案に影響を与えた可能性については触れていても、零戦の影響なんて一言も書かれていません
零戦がF8Fに影響を与えた、というのは日本人の願望にすぎないってことですね
@スターリン共産趣味者 F8Fの設計完了は1943年11月、特攻作戦の始まるずっと前の話
特攻機に対する12.7mm機銃のストッピングパワーが不足していたため、F4UやF6Fの武装をイスパノ20mm機関砲に換装したタイプが作られたという話ならあるけど
F4Uで着艦するには母艦の真後ろではなく少し横にずれてななめに近づき甲板上でまっすぐにします。イギリス軍が見つけたそうです。F4Uの着艦が難しいのは翼面荷重が大きいからです。
F2Aは1型が12.7mm×2門装備で防弾板なしと軽武装弱防御だったが見た目に反して運動性能が良くフィンランド空軍の機体が冬戦争で活躍している
これに対して2型以降は火力と防御を強化したものの運動性が極端に低下してしまいマレーと蘭印で零戦、隼に蹴散らされる結果となった
フィンランド空軍はロマン過多過ぎて、ニワカレベルで知ろうとすると現実が見えなくなりそうで怖い…
しっかり研究すればフィンランドだから出来たとか相手が混乱期のソ連だから出来たとかが分かるんだろうけど…
フィンランド軍はこれといった日本語文献少なすぎて信憑性の高そうな外国語文献選ぶだけで発狂しそう
何だ耐久力お化けのやつか()
7:52 田代まさし「ガタッ・・・!」
あのピーピングジャンキーと括ってくれるなと申してますが…😅
カタログデータ的にはF4Fの降下限界速度はF6FたF4Uを上回るんだよね
うぽつです!
旧日本海軍は南方占領後そこに飛行場作って空母の代わりとして"不沈空母化"しようと考えてた。そのための戦闘機は局地戦闘機の雷電で18年度中に間に合えば良いと考えて飛行隊も編成したが肝心の雷電の実用化は遅れ結局零戦で対応しなければならなかったのが大きな誤算だった。飛行機の新規開発生産には計画から4年前後はかかる。雷電は昭和14年で烈風は昭和17年しかも開発は同じ三菱で設計者も最初は一緒、だから零戦の後継機"烈風"の優先度は雷電の二の次だからそもそも昭和20年でも実用化できる訳なかった…
旧日本海軍の開発リソースの少なさが災いした。ただこの穴埋めとして川西で紫電と紫電改が作られたのは海軍の残された唯一の救いだったね…
nice video!
元祖「グラマン鉄工所」の機体。
当方は英海軍艦隊航空隊のマートレットが好きだけど。
F8Fには大戦略でお世話になったなぁ
ボク、2020年にセガサターンでアドバンスト大戦略ばかりやってます。
アメリカでは艦上戦闘機ではコルセアが好きで、陸上機ではムスタングです。
日本では紫電改が艦載できる様になってます。
F4Fは弱くない‼️俺はF6FよりもF4FーFM2の方が好きだ。
シミュレータだとF4Fの方が機敏なんですよね…
搭乗員の技量にもかな〜り左右されたと考えます。😏
初期の日本の搭乗員は優秀です。
わかります。というかFM2って低高度限定でけっこう高性能なんですよね。
F6Fの数がそろった時点で太平洋の戦いはすでに勝負あった。一番苦しい時に米軍を支えたのはF4F。
52型乙型から防弾背板と燃料タンク炭酸ガス消化装置はある。
しかし重くなって旋回性能を始め上昇性能も落ちて22型の方がルーキーが乗っても敵機を落としたが52型はベテランが乗っても駄目だった。
エンジンが非力すぎ!
F4Fは新人パイロットには着陸が難しい機体だったでしょう。脚の間隔が狭すぎます。胴体に主脚を収めたBf109と同じ問題。
しかも空母への着艦だから事故は多発したと思います。
実際戦闘損失より着艦時の事故などでの損失の方が多かったようですね。ただ機体が頑丈なので搭乗員は助かって、機体はどんどん補充されるのであまり問題ではなかったのでしょう。
f4fとf6fは兵器として素晴らしい
スペックで不利な点を認め、先ずは逃げの一手だったがハードの遅れを2機一組の戦法で対抗した所は敵ながら天晴!残念ながら日本海軍は3機編隊を長らく基本としたため編隊によるチームワーク戦闘に無駄がでてしまった。多分そこまで戦い方を工夫する余裕が無いほどの連戦だったんだろうなあ。
イギリスも3機編成に固執したし、軍隊とは保守的な組織なのです。
次は航空機繋がりで、対空放火や対空放射、列車砲の歴史もお願いします。
ピア38はハドソン川沿いです。
F4Uの解説の中に「朝鮮戦争時は搭載量と滞空時間を武器に主に戦闘爆撃機として対地攻撃で運用」ってのを入れるといいと思う。
あとコルセアの改良点
身も蓋も無い話だけど、F6Fなどの生還率を高める努力をしたのは、人命尊重の観点もあるでしょうが、パイロット養成費用が物凄く高額だったということもあったそうだ。
なお、個人的には、F6Fが好きで、それは「工具に不慣れな主婦が戦時労働者として生産に参加できて一定水準以上の品質のものを作れるように直線が多用された設計で、さらに専用工場でなくても生産できた。」という合理性の固まりのような工業製品だから。
当時のアメリカが生産した兵器の数をみると、「よく日本はこんな巨大な国と戦争したなぁ」とため息がでる。
ママさん工員のために託児所まであった
日本軍の戦闘機パイロットは少数精鋭のエースパイロットで米軍の場合は大量養成で腕は平凡だか集団戦で戦い熟練者が多く長期戦に強い。
そもそも軍は、規格・画一化された戦力を安定して運用する組織
少数精鋭に頼る時点で…な?
@沢井橘花 うわぁ、お前が馬鹿
日本外交史や軍事学、自国の歴史ぐらい学ぼうね、馬鹿丸出しでびびったで
少なくとも、百冊はまともな本読んでから、もう一回同じ主張してみてくれ
PS.もし学んだ上で言ってるなら、あなたは別世界の人間なので、流石にパラレルワールド人とはお話しできません(皮肉やでこれ)
沢井橘花 ヒェッ...なんか悪いものでも食ったんか?
いろいろ草
一応、防衛大学で学ぶ防衛学の本と、戦士研究所の本程度は読んだのだけどなぁ…
まぁさか、その程度も読まずに
ドヤ顔でコメントしてるとすると、すげぇ恥という概念がない人なんだなって思う
しこしこ愛国オナニスト
@沢井橘花 それはブーメランになってますよ
先見性が見てとれるとってもいい例
先見性で言ったらフラップ閉じてると高速戦向け広げると格闘戦向けになる烈風の翼とかまんま近代戦闘機のそれだぞ。
先見性はあるけど資源とエンジン技術が無い日本とひたすら性能アップのアメリカだぞ。
F6Fは当初1600馬力エンジンで開発されてたけど、日本軍と戦ったパイロットから意見を聴くなどした結果、日本戦闘機は手ごわい相手だとして2000馬力エンジンを積むことにしたと本で読んだことがある。相手に勝つためには倍の出力のエンジンを積む、という思想がまさに戦争だなと思った。あとF4FもF6Fも美しくはないけど、生産性は良さそうだし、パイロットの視界は良さそうだしで、まさに戦争の為の道具感ありますね。
試作一号機だけアベンジャーやヘルダイバーと同じR-2600
F-4U-A1は確か日本に鹵獲されていたと思います
台湾で完全な形で鹵獲されてましたね。ちゃんと脚を出して主翼を折り畳んだ姿で移動させられる画像が残っています。どんな状況で捕まったのか知りたいですね😀💦因みにF6Fも日の丸付きで終戦後の横須賀で発見された画像が有ります。
仁科博美 ちなみにウォーサンダーと言うゲームで課金機ですが、日本が鹵獲したF-4U-A1を使うことができますよ。
@@cub5409
ウォーサンダーにA-1コルセアはない
@@釣師-p9g F-4U 1Aでしたね。今気づきました
@@cub5409
F4U-1Aやで
細かいけど
部隊における交換部品の調達とかで、『F4F』と『F4U』を取り違えた人っているのかな?
「性能向上で重くなるなら、もっと高馬力のエンジンを積めばいいじゃない!」ってのは、やっぱアメリカ🇺🇸ならではだよな。こんな脳筋国家と戦争してたって考えると怖くなってくるわ
陸と海で足引っ張り合いながら3年強もったというのもある意味怖い話
人喰いレッサーパンダ アメリカも陸海軍の対立が中々深かったな、それでも日本ほど作戦に支障が出ないってすげえや(感覚麻痺)
日本のパイロットは、防弾装備を外してもっと軽くしろと言っていた。
ベテランのパイロットには、長い間の戦争をどう戦うか、総合的な考えがなかった。
@@シバタトシオ-m4z
今を生きるのが大切だからな
いや普通だよ。日本だってエンジン出力は新型機になるほど上がっていく。
機体を見て、F4Uのエンジンとコクピットの間がやけに空いているのは、そこに燃料タンクがあるから。F6Fはそこが接近している代わりに胴体が太くてずんぐりしてる。F4UとF6Fの性能差は空力の差。一方零戦は接近していて、且つ胴体もスリム。では燃料はどこに収めてたのか。主翼の中に広く展開していたそうです。以上受け売り。
単純に零戦(てか日本機)は燃料搭載量がかなり少ないから小さくても良いんですよね…。
試作機は鼻が短い
NY駐在時、マンハッタン ピア38番に繋留されているエセックス型空母イントレピット、27500トンの空母がそのまま航空博物館になっており、艦内に第二次大戦中の名機を展示してある。見学してみて驚いた!横に立って大きさを実感したが、180センチの私が小人に感じた。一言でいえば、重量感、圧倒的な工業力!こんな国と戦争したのかと。F6Fの横に、アベンジャー雷撃機も展示してあった。F6Fは大戦終盤に戦闘爆撃機としても使用され1000ポンドつまり450キロ爆弾を2発搭載できる重武装で急降下し、日本軍を襲ったといわれる。速度は900キロを超えたといわれ、日本機は追いつけず、空中分解の恐れがあったらしい。
F−2Fバッハローはフインランド軍や、日本軍でもしょうされた!また、Pー40も、日本陸軍で使われた!
アメリカはキャットが好きだな。プッシーキャットとか。
トムキャット「それな」
×アメリカ
○グラマン社
f4fは最終的にコクピットに
20mm撃ち込むしか
撃墜出来ない頑丈さよ。
真珠湾もミッドウェイももっと積極的に攻撃してたらもう少し戦局はかわかっていただろうね。真珠湾は、石油タンクとか無傷だったみたいだし。
タンクがなくなってもタンカーがあれば…
ただ油火災とか環境汚染のダメージが出そう
第二次世界大戦
・日本軍(零戦)
・アメリカ軍(ヘルキャット)
第三次世界大戦
・自衛隊(F2)
・アメリカ軍(F14)
になってますね現在では
両方とも、三菱🆚グラマンだなぁ~♪♪♪
実用化の目処が全く立たない烈風の開発を続けるよりも、金星エンジン搭載の零戦をもっと早く開発した方が良かったのでは…
完全な新型機だとパイロットも整備士も1から訓練をやり直しだが、改良強化型なら最低限の訓練で済んでいたと思われる。
第一次大戦で何が起こったのか日本軍はわからなかった。
小回り重視のドイツ空軍がフランス高速機の一撃離脱に手も足も出なかった。
ドイツ空軍の出した結論:もはや戦闘機に必要な性能は旋回性ではなく、急降下スピードと高高度性能である。
その結果できたメッサーBf109は当時無敵で、ポーランド空軍・フランス空軍を瞬殺した。
必ずしもそうとは言えない。
ポーランド侵攻の中盤に独軍のメッサ―が旧式のポーランド空軍戦闘機集団にボコボコにされた話を聞いたことがある。
また、フランス侵攻時、フランスのモラン・ソルニエMS406が15秒間に3機のメッサ―を撃墜した記録があるらしい。
零戦ってモンハンに例えると火事場装備みたいだよな
零戦は格闘戦するために生まれてきたんだよなぁ
実際は零戦相手に善戦してるんだよね。日本人としては日本びいきなのだがF4Fは確かにぱっとしない感じがするけど頑丈。サッチウェーブ戦法で零戦相手に互角以上に戦っていたしね。
アメリカ艦載機は確かに性能は目を張る。
でもやはり艦載機ゆえの弱点はあった。それは甲板の着陸が難しかったらしい。F6Fの着陸事故は多々あったらしい。
原因が機体の重さゆえの失速のしやすさが着陸が難しいものにした。零戦は機体の軽さからの着陸がしやすかったらしい。
この事からも日本の軽量化とアメリカの重防御化双方の利点、弱点それぞれ分かる。
やはり零戦もF6Fもそれぞれの良さがある
グラマンは、なんか車輪と尾輪、三輪車みたい。これはコケる。
つまり・・・・
「一長一短で似たような物」って事ですね♪
飛行機は、エンジンの性能で決まると言っても良いと思います。
歴史に「ればたら」はないというけれど、
もしも帝国陸海軍が協調して戦闘機の開発・運用ができていたら……
と考えてしまいますねぇ。f(^_^;
実質的にやってましたよ。
鍾馗の開発に失敗した陸軍は海軍の雷電が開発成功したら陸軍で使わせてもらうつもりでいました。
でも海軍機と陸軍機では機体の作りが全く違うからね。
飛行機を空軍所属にして悲惨になったイギリス空母部隊を見たアメリカは陸軍と海軍の航空隊を一緒にすることは決してなかったわけだし。
戦後も協調して費用を削減しようとしたけどパイロットの初期訓練以外は全くできない事だけが解っただけだったという。
1950~60年代の第一次戦記ブームの創作本のせいか、未だにF4Fはカモだとか、ちょろいなって言っている人が多いけど、実際にはこちらの動画の通り、結構な強敵でした。特に、ガ島戦における陸攻や艦爆、艦攻に対してはそれこそ死神でしかありませんでした。もちろん零戦に対しても、互角以上の結果を残しています。更に言うなら、基地から近いという決定的な利点はあったものの、後の戦いほどの数的優位はありませんしね。なんでもF4F、F6Fはアメリカでもいまいち人気がないそうですが、その偉大な功績からもっと見直されるべき機体と個人的には思います。プラモの世界でもあまり恵まれていなかったような気がしましたが、今は違うのでしょうか?
8:25
冶金、メッキ、加工、………頭おかしくなるで…。(なお、地震…)
(逆に考えればここまでやれたのが凄いんだが…)
11:13 1944年末とはいえ致命的な欠陥を解決して艦載機に戻せる方がおかしい(真顔)
11:49 無(ム)
F4Fでも零戦相手に善戦してたのに、
F6Fとか低速での運動性良い(注 米軍比)とかなんですか………米軍比とはいえパイロットの腕次第なら日本機追えるとか頭おかしくなるで…………
そしてF4Uが艦載機に返り咲いて以下略
フラシムだからリアルがどうかは分からないし俺の感想だけど、米軍機は安定して飛ばしやすい。だけど低速で気を抜くとすぐ失速する。逆に日本機は機動性とか低速の安定感は勝っていても敏感すぎて真っ直ぐ飛ばせない
やっぱ出てくるんだよなぁ日本機信者。アメリカ機ダサいだのなんだのってさ、
どっちも国に合わせたアセンブルなんだからどっちも美しいと思うんだがねぇ。実際、アメリカ零戦強いから研究してどう倒そうか研究して零戦撃墜できる機体や戦術を作って来たのに、今の私たちの中にそれを弱かっただのダサいだのなんだのってさ。ほんっと恥ずかしいと思う。
ゼロ戦は大戦前の設計で有り、元々大量生産する予定はなかったので生産性については全く検討されていなかった・・・。
ゼロ戦の後継機の開発遅れが致命的だっただけ・・・。
おもしろいのはF4Fと零戦のエンジンって元をたどると同じだったようなw
あと、誉をF4Uで搭載しても性能は落ちなかった気はする。かえってもっと機首を絞ることができたはずなんで旋回系等の性能が上がった気もする。
燃料や整備不良による故障もなかっただろうしね。実際アメリカも誉を「遅すぎた良いエンジン」と評価している。
そりゃ、元々アメリカの指導とライセンスで作ってますからね。もし戦時中にアメリカから継続して技師を呼んで工作機械も引き続き部品を取り寄せられればもっと誉もいいものになったでしょうよ。
@@ogikubo15
いやぁ、どうでしょう? アメリカの指導とライセンスで作った事は多分事実と思います。
ただ、工作機械と部品取り寄せしても、エンジンとしての精度は確実に上がると思いますが、故障はやはり多かったと思いますね。
何せ合う燃料がないし、整備するにもその油がない時代でしたから。そういう意味ではハ43も同じ運命だったかと。
当時は技術の中心地が欧米だったから仕方ない面もあるし、そもそも特許が有ったから、普通に世界中の軍隊は色んなライセンス取得してたで。