零戦に対抗するために生まれたF4Fワイルドキャットの後継機、F6Fヘルキャットをゆっくり解説します【ゆっくり解説】
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- เผยแพร่เมื่อ 29 ม.ค. 2025
- 今回は、グラマンF6Fヘルキャットについて紹介します。
F6Fは、第二次世界大戦中のアメリカの空母艦上戦闘機です。
F6Fは、初期のF4Fワイルドキャットの後継機として、また日本の零戦に対抗するために設計されました。
太平洋戦争後半にアメリカ海軍の主力戦闘機として活躍し、視界や空母への着艦に問題があった高速のヴォートF4Uコルセアよりもパイロットの人気を集めています。
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#F6F#ヘルキャット#グラマン
F6Fの開発時期からも対零戦用に設計された訳ではありません。次のF8FはFw190の高い旋回維持率や余剰馬力による優れた運動性能とコマンドゲレードに感銘を受けたグラマンの技術者により海軍に提案された仕様書がベースで、零戦の実機を入手評価後はF6F-5で上昇率と旋回半径以外は充分対抗可能と判断されたそうです。
既に他の人も指摘しているように、F6FもF8Fも、共に対零戦用として開発が始まったものではない
F4Uはエンジンの直後に燃料タンクを置いてコクピット位置が後退したせいで、着艦時の角度では翼で空母の甲板が見えないのが問題だったのであって、信頼性とか関係ない
F4Uは、後に供与されたイギリス海軍で、大きく旋回しながら斜め下を見て位置を決めて降りる方法を開発、海兵隊が陸上運用していたF4Uも空母での運用が可能になった
ヘルキャットの開発は1938年からだしどっちかというとコルセアの保険として開発された機体だと思うよ。(対零戦用は結果論もしくは後付けだと思うよ。)
コルセアが性能的に良くても少々斬新過ぎてやっぱり不安なので保険として堅実な設計で作ったらしいですね。
結果は案の定で作っといて良かった❗良かった❗
でも強力なエンジンの開発と大量生産がアメリカには出来た事の方が大きな理由でしょう。
日本ならエンジンがでかくて前が見えないとかごちゃごちゃ文句垂れただろうな。
でもパワーに余裕があればそれなりの対策も取れただろう。
無駄をそぎおとした零戦の思想が後々呪いの様に降りかかって日本の航空機設計を縛り付けた様に思いますよ。
無駄を削ぎ落としの時点で拡張性皆無ですからね。あとは劣化するのみ
P-51とF6Fは無駄をなくして、生産も容易というのが傑作機であり平凡。
日本が職人技で生産している時代に、既に女性工員でも確実に組み上げられるシステムが構築されていたから、無限に湧いてくるのは恐怖でしかない。
それに独特の主翼折り畳み機能は、空母に最大積載量で汎用機を乗せられる。こんな相手に戦争をしたのは勝てる要素が見つけられない。
突出した性能はないけど、全てにおいてバランスが取れた機体ですね。
必要十分なスピードに機動性、
ブローニング6丁の高火力。
そして堅牢な防御力と高い生産性。
地味な存在かもしれませんが、ヘルキャットは文句なしの名機だと思います!
誰だったか・・・・
「無駄だらけだけど、贅沢にできた良い飛行機」
って言ってた気がする~♪
@@球磨五朗
松本零士戦場まんが「復讐を埋めた山」で、鹵獲した本機で米海軍が鹵獲使用していた零戦を撃墜した主人公の父・大山田中尉
終戦後に喰ってかかってきた鹵獲零戦の模擬空戦相手だった米パイロットに本機の感想を聞かれた時に答えた言葉
中尉といっても兵隊からの叩き上げらしく、白ヒゲのオヤジパイロット
@@球磨五朗「 指が銃の一部になったか。よくあることだ」
@@中村毅彦-d4e
byミスター・オマーシャリフ(ガイド)
零戦に対抗で作られて無い!零戦に遭遇する前からF4Fのアップグレードで開発している。
確かコルセアが視界が良くないとかで競作で落ちたヤツの改良版として作られたのがF6Fだったはず
原型初飛行は、零戦より先だった。
@kohada_kobou
艦上機だから翼断面は大抵同じになりますよ(揚力欲しいので
昔のNHKのドキュメントでも 零戦を徹底的に研究し生まれたのがF6Fだと言っていましたね😅
カッコはどうあれ パイロットを最低限度以上に守る思想は素晴らしいと思います。
戦争は数! 芸術品より量産品...
というのをガルパンで知った。
ティーガー、パンターが登場しても、4号戦車の生産は終戦まで続いたという。
連合国の場合質もあるで
たしか対零戦用よりも、意欲的なF4Uの開発が失敗した時の保険機とされたのと、グラマン社がF4Fの後継機として開発していたF6Fが、量産された側面があるのだったかな?
操縦に癖があり難しいF4Uが実用化に向けてモタついてる間に、操縦がしやすく少々荒っぽい離着陸や操縦をしても、大丈夫なF6Fが急速に空母へ配備された感じです。
玄人向けのF4Uに対して、初心者から中級者向けのF6Fで、太平洋戦争が終わったら急速に退役していったF6Fに対して、朝鮮戦争でも戦闘爆撃機として空母上に配備されていたF4Uが、本命じゃ~なかったのかなぁ~?
零戦 F6F
設計 1937 1938
試作 1939 1942.6
正式 1940 1942.10
良く言われるダッチハーバーの零戦鹵獲が1942.6でどう考えても設計に影響は出来ない。
設計段階だと両機は互いを知らないので対抗しようが無い、もし考えるなら中国派遣のフライングタイガースの報告書だけど新型機(おそらく零戦)の報告を上げているが
信用されなかったらしい(1940頃)
F6Fの本格登場が1943年頃で米軍の本格反攻と重なって、零戦キラー的なイメージが付いたと考えるのが妥当じゃないかな?
ゼロを意識して設計された機体はF8F ベアキャット、ゼロより一回り小さい機体!最初の部隊配備機は日本に向け航行中に終戦。
@@ttora9031
空戦能力はレシプロ最高峰だったが、爆装もできない使い勝手の悪さとジェット戦闘機の時代の到来からすぐに消えてしまった悲運の名機。
結局、大きな機体に強力なエンジンという組み合わせが一番重宝する。
キチキチに作ってしまうとすぐに行き詰まってしまう。
そのかわりF4Fは苦戦したのかもね。零戦なら金星エンジンで延命するとか、機銃をもっと軽いのに統一すべきだったのかもね。
@@室井修-k1r 防戦になっても航続性能という理想を捨てられず
開発時から重量増加の原因となっていた燃料タンクの容積にこだわり
機体強化による重量増加に対応できなかったのが零戦に大きな影を落としたのだと思う。
「日本軍機は胴体内に工員がやっとひとり入れるほど細くスマート、だがヘルキャットは三人同時に入れそうなほど。生産性の高さが違ってた」とは、故 木村秀政氏。
それに、零戦の「神話」なるものは機体性能や操縦士の技量のみならず、後方の警戒システムや生産現場や整備要員たちの練度・経験も大きかった…という面も。
日本軍は航空機も他の兵器・装備類も含め、戦局悪化に比例し製造段階からの品質低下、維持管理の劣悪さで負のスパイラルに陥っていった。警戒・索敵のソフト面も同様。
何km/h速い遅いとか、出力何HPとかいった以前の次元で、そもそも大日本帝国は全世界相手の対外侵略なんか出来る国じゃ無かったというしか。
ヤンウェンリー提督「戦争のほとんどは数で勝負が決まってしまいます。」
皆さんコメントしてますが、F6Fは対零戦用として開発された機体ではありません。
ただ、対零戦用の機体が開発されるまでの「繋ぎ」として、実戦配備を急がせたのです。
真の対零戦用の機体として開発されたのが、F8Fベアキャットです。
仮に、零戦の後継機の
烈風が終戦までに間に合って実戦配備されたとしても、相手をするのがこのF8Fだと思われますので、苦戦は免れなかったでしょうね。
ベアキャットは、ほぼ幻の機体になっちゃったけど、あのエンジン性能と洗練された機体デザインそして過剰とも言える火力はやばい
子供の頃は零戦が好きだったけど今はヘルキャットが一番好きです。
特に折り畳み翼のアイデアはすばらしい。
零戦だって・・・・
翼端畳めるモン!!!←単なる負け惜しみ
F6Fは零戦対抗機種ではありません。本当の零戦対抗機種はF8Fです
F6Fの形はあまり好きでは有りませんがペーパークラフトを作り飛ばしてみると形に反して良く飛びます。高速では零戦より旋回機能が良かったのも納得です。
このずんぐりとしたいかにもカチカチな見た目がアメリカっぽくて好き
なんかめっちゃカッコいいってわけじゃないのになぜかすこってしまう機体
F6Fは零戦なんて見てない
開戦後すぐに初飛行したことも零戦の強さを痛感する前だしF4Fの強化版が正しい
ワイルドキャットの後継に
開発されたスカイロケットの大失敗に懲りて、
無難な設計(大馬力エンジン、
重武装、重装甲、量産可能)
に落ち着いた戦闘機。
「XF5F」と書いておけば「F4FとF6Fの間」が解りやすかったと思います。
ナレーションの監修時自動音声部分を是正してください 疾風は はやて でしょう。 中身がいいだけに要修正です。
子供の時から一番好きな二次大戦戦闘機でした
経験値が低い兵士でも確実に飛んで連れて帰るがすきでした
1970年代に販売されていたF6F関係の本は出来るだけ買い揃えました
輸入盤もあにに手配してもらい輸入しました
完成版の-5より-3の方が好きでした
あたりまえのことを普通にやって勝つ。これが強者の戦い方。
奇襲や突飛なことは弱者が一発逆転を狙った戦い方。
F6Fは焦る必要なないアメリカの余裕と思えます。
グラマン社の戦闘機は凄いし、かっこいいですね!
零戦は大戦初期は米軍機を圧倒したがアメリカ側はたちまち零戦の性能を上回る優秀機を大量に送り出した。豊富な天然資源と高度な工業力で日本の軍用機は太刀打ちできないレベルになった。数少ないベテランパイロットの奮闘で多少の戦果はあったが所詮戦局を挽回することはできなかった。
ヘルキャットは零戦に対抗する為に生まれた┉┉時々こういうのを見ます、
しかしワイルドキャットはバッファローの、ヘルキャットはコルセアの保険機で、対零戦はベアキャット。
もちろん戦争中ですから、ヘルキャットの製作に当たっては戦訓が取り入れられたのは当然すが、それはどこの国でもするでしょう。
F4F/F6Fは海軍のM4シャーマン戦車と思いませんか。ゼロ戦以上の艦載機だと思う。実用性No1の兵器らしい兵器。
F6Fが零戦対抗って勘違い多いですね。設計開始は1938〜、初飛行は1941.6月で設計は単にF4Fの発展でしょう。ただアクタンゼロを参考にサッチウェブとか対抗戦術を立てたから対抗馬と言えばそうだけどね。
ワイルドキャットからのビヤ樽ボディが好き
おつかれさまでしたー
なるほどなー
こんな、機種かー
今関係ない話しだと思うがプライベートで第一第二大戦に無い空想の艦上戦闘機を設計しているがかなり難しいそう考えると昔の設計士はすごい
少しくらい重くなってもいいから防弾をしっかりしてくれ!とのリクエストがあったそうですね。設計思想の違いがわかりますね。空母に乗せて前線での運用中の稼働率はとても高かったようです。
対して日本軍では「大和魂で乗り切るんだ!」との精神論が優先されてたようで...
ヘビー級ボクサーを具現化したカッコいい、アメリカらしいレシプロ戦闘機!
戦いは数だよ、兄貴ィ
初飛行は零戦と殆ど同時期の1941年、元から大馬力機だったのも凄い。航空機開発ではドイツよりイギリスの方が勝った感があるけど、この当時既にそのイギリスよりアメリカの方が勝っている気がする。それに意外にカッコよく見えてしまうのも悔しい(笑) 開発開始が1939年でF4Fの後継機ということは、もしかして日本海軍が96式艦戦の時、既にアメリカ海軍はF4F持ってたんですね。
ヘルキャットの開発時期を考えると、零戦に対抗することが明確な目的とは言えない気が・・・。
今は亡き母が言ってた。「機銃掃射してきたグラマン、操縦士の顔が見えたよ」
22年のお正月にヘルキャット見てきたよ。予想を上回る大きさでスカイレイダーと同じぐらい。コンパクトに羽根を畳めるし、コクピットが防弾構造で異様に狭くて大変そう。
私の父親世代は「グラマンは零戦をコピーして作った」って良く言ってましたね。
自分がオトナになると「全然違うやんけ!」と解るんですが( ̄▽ ̄;)
F6Fで零戦と格闘戦で挑んだ猛者もいたらしいな
高速域の格闘戦なら大丈夫
@@サタンぱんだ 逆にゼロ戦で一撃離脱戦法した人も居るしな
本土防空戦を戦った操縦士の手記だったと思うのですが・・・、
隼3型でF-6Fと格闘戦をして共に低空まで降りてしまったが決着がつかず、そこで隼の操縦士は軽くなれば小回りが利くと思い機銃を撃ちまくって
F-6Fを追従していたらF-6Fが急にバランスを崩して墜落した。
旋回中、隼の照準器の30度上にF-6Fを捉えていたので、銃弾が命中した訳ではなく単に操縦ミスで墜落したのだろうと思い帰還後に墜落したF-6Fを
見に行くと、F-6Fに1発だけ機銃弾が命中していた・・・、しかも操縦士に・・・。
隼と互角に格闘戦をするくらいの猛者が30度も逸れた、たった1発の不規弾を身に受けて墜落した・・。運命を感じた出来事だった・・・。
旋回半径では負けるけど、旋回率は互角なので、垂直機動を混ぜることで零戦のバックを取れたそうだよ。
@@BBS335
そうでなくても隼はコックピット狙う傾向があって落とされると生還率が一際低い
P-47Dエースのニールカービィなんかもパラシュート開くことには成功したものの
コクピットに受けた傷が元で殉職している
16:45 F6Fのコクピットに収まるデビッド大尉の写真で確認できるが、F6Fにはキャノピー上部に後方確認用のバックミラーが装備されていた。
自動車大国ならではの装備とも言えるもので、この発想は新人パイロットばかりで後方が疎かになる日本軍機の方が装備するべきとも言えたね。
バックミラーの装備はスピットファイアの方が全然先ですね。
スピットもF6Fも機体の形状がファストバックという真後ろが全く見えない構造だったから、ミラーを付けたのでしょう。零戦は水滴型風防で後方視界は確保できていたので必要を認めなかったし、開発当時のパイロットたちも攻撃は最大の防御といって後ろに付かれることなど全く考えてませんでした。坂井三郎氏が戦後になって、かつての敵機のコックピットに座ってミラーを確かめた感想として、視界が狭くて後方の見張りには全く役に立たないと述べています。
元ゼロ戦乗りだった人との会話です・・・。
迎撃戦で52型なら同数のF-6Fには何とか対抗出来た、9対12位で始めると、いつの間にやら30~40機に囲まれてて逃げるのが精いっぱいになるんだ・・・。
ゼロ戦は消耗戦が考慮されない時代の少数精鋭の考えの元で開発され、拘りを全て取り入れたが為に製造に手間の掛かる機体になってしまった・・・。
腕の良い奴がゼロ戦に乗ると8機や10機のF-6Fに追われても戻って来るし、時には撃破して戻って来る事も有った・・・。
後で知ったが、戦中に開発されたF-6Fは消耗戦を前提に大量生産に拘った設計をしてて、艦載数を増やす為に性能を犠牲にして折り畳み翼を採用、そして
戦場へ投入できる機数を増やしたら相手を集団で袋叩きにする戦法に徹してきた・・・、それが出来たのは国家規模と桁違いの製造能力の違いなんだよ、
もし、日本がF-6Fを作っていたとしても米国の様に大量に生産する事は出来なかった・・・。基盤産業の規模が違い過ぎたんだ・・・。
結局は、質と量の戦いで、パイロットと機体の質が勝っていた時は勝てても、結局は量で押し潰されたんだよな・・・。
ゼロ戦は32型でやめておけば良かったんだ・・・。フルモデルチェンジとマイナーチェンジの戦いでは無理だよ、とも・・・。
あと飛行訓練の話、日本には四季が有り天候も変わり易く訓練をし難い、しかし戦後カリフォルニアに行って判ったよ、だだっ広くて晴ればかりなんだよな
何もかも出だしから違ったんだよ・・・。天候だけでも3倍は有利だったんだよな~~~、と
堀越二郎氏も自らの著書で零戦の生産性の低さを述べてますね。
艦上戦闘機としての要求だったので、空母に載せる機数とある程度の予備機があれば十分と考えて生産性より多少時間がかかっても仕上げのよい機体になるようにしたが、まさか陸上基地でも使い、まさか一万機も作ることになるとは思っていなかったそうです。
パイロットの養成については坂井三郎氏もカリフォルニアの晴天率の高さに驚き、これなら訓練も捗るだろうと述べてます。
fw190に衝撃を受けたのでそれで少し設計を変えたぐらいで 零戦は全く意識してないね
結局、日米の差は大馬力エンジンを開発できたかどうか
戦いは数だよ。兄貴!
私もWW2のアメリカ艦上戦闘機では一番好きな機体ですね、開発経緯はどうあれ結果的には零戦封じの役割を果たしたのでしょう。
カタログスペックは凡庸でも戦果が優秀さを物語ってるよね
F-6Fは数の暴力・・・。沖縄戦の頃には1対8以上の戦力差・・・。新米操縦士がそれに勝つなんて無理・・・。
兵器の高性能ってカタログスペックが高いとはまた違いますからね
国内余力が別次元な当時のアメリカ
ヨーロッパやアジアと比べると
まるで異世界だな。
坂井三郎中尉は片眼が失明(ラバウルで敵爆撃機の銃撃を受けた)しているにも関わらず硫黄島の戦闘に於いて2機のF6Fを撃墜し、さらに数機のF6Fの追跡を受け、銃撃を受けましたが、被弾ゼロで帰還しました。
16対1での生還の話でしたっけ
戦後にパーティーの招待を受けたときに
米軍元パイロットが話しかけてきて「俺たちがその時のパイロットだ」と言うと
坂井さんは「下手くそ!」と返し
皆で笑いあったのだとか…
サンケイ出版で出てたバランタイン版第二次大戦ブックス「零戦 日本海軍の栄光」冒頭で紹介されてるエピソード、「硫黄島上空一対十五」ですね。あのシリーズ、ストーリーの起承転結しっかりしていて、印象に残る本が多かった。完訳かどうか多少疑念は有りますが。
f6fは対ゼロ戦用に設計されたのではありません。f4f,f5fと連続してコンペに負けて危機感持ったグラマンが自主開発していたものを海軍が目を付けたのが始まりです。ゼロ戦の情報がもたらされた時にはほぼ設計は終わってましたよ。
15:27 雷電は疾風より善戦してるんですね
雷電は対爆撃機しますから、ヘルキャットやムスタングが寄って来ても逃げるでしょう。
よほど有利ならば、別ですが。
まず零戦に対抗して出来たってのが適当すぎるだろ
対ゼロ戦に使われた機体だけど、対ゼロ戦用に開発された機体では無い・・・ ! そもそも開発開始時期はアクタンゼロの発見よりず~っと前ですよ・・・。
対ゼロ戦用と云うなら開発時期的とコンセプト的にはF-8Fじゃないかな・・・?
元ゼロ戦乗りがゼロ戦が劣勢になったのはラバウル~硫黄島以降・・・。硫黄島の頃までは性能差は操縦士の腕でひっくり返る程度だったそうです・・・。
F-6Fの優勢は数の暴力が発揮され戦力差が5~10倍になりしだした頃から、その頃には弾切れで反撃できず落とされるゼロ戦も多かったそうです・・・。
でも、当時のゼロ戦の操縦士はF6-FよりF-4Fの最終型(FM-2型?)を嫌がる方が多かったですよ・・・。F-4Uは絡んでくれば鴨と云ってた方も居ました・・・。
子供の時読んだ空戦モノの漫画に登場する仇役と言えばコレでした。 型式とかわかんないけど「グラマン」って名前だけは覚えました。
タラワの30対1というのは、爆装ゼロ戦との空戦のことでしょうか?
2日で10数機やられていますが、ゼロ戦は爆装させられていてまともに空戦できてないし、3日目の攻撃はこの戦術は無茶苦茶だというパイロットからの猛抗議で中止されています。
30機というのはどこから出てきたんでしょうか?
翼の折りたたみが最高
1938年から開発開始した機体なのになんでゼロ戦に対抗するために開発されたと言うのか理解できないね
ヘルキャットは対日専用で大西洋戦線では使われませんでしたね、大西洋では正規空母ではなくて護衛空母でF4Fが使われていましたねただし護衛空母で使われたのはゼネラル・モーターズ社で製作されたFM2が搭載されていました、そもそもF4Fの生産数はゼネラル・モーターズで生産されたほうが多かったようです
F6Fの生産をグラマンに集中させる為にF4FやTBFはゼネラル・モーターズに移管されて生産されました。
とにかくコルセアの機体の成り立ちがラジカルすぎた、他の方の指摘にもありますが、ダブルワスプエンジンを最小限の太さの胴体で覆い大きなプロペラを回す、滑走中尾部が上がると地面からの隙間が16センチしかないので、降着装置を長くしたいが強度に不安があるので翼を逆ガル翼にした、その上、接合面は従来のリベットではなくスポット溶接を初めて採用した、燃料タンクが翼にうまく入らないから胴体タンクを大きくしたら操縦席が乗っからないから後ろに下げた。これだけでもユーザーサイドにしてみれば不安になるのも当然でこけても大丈夫なように保険を掛けたのが当機。動画の通り現場からの取材から、とにかく馬力のあるエンジンで運動性を確保するために翼面積を大きく、速度性能を確保のため主翼の取り付け角はほんのわずかに、それでは大迎角の時の揚力が足りないからエンジン推力線を思い切り下げて低速時の揚力の足しにした、その分カウリング上部が下がり前下方向の視界が良くなり空母着艦がしやすくなった。と対極な発想で作られ、これが対零戦に役立った。しかし速度性能はコルセアの方が分があり液冷エンジンの開発をR&Wに迫った陸軍大将の鼻を明かし、P47の開発にハッパが掛かったとか、拡張性でもコルセアに分があったので運用期間に差が付いた。
陸軍のパイロットの田形准尉は部下と2機で60機のF6Fと空戦をしたらしい。最終的には撃墜されたが生きて帰って来たらしい
よいエンジンがあればよい戦闘機の設計は容易だ。F6F、F4U、F8F・・・これらの高性能は大出力で低振動のP&W R2800とハイオク燃料のおかげだ。堀越は火星26型程度のエンジンで振動問題に泣かされることになった。F6Fはカタログスペック上は突出している部分はないが、優れている点が多数ある。
・大翼面積による操縦性の良さ
・大出力エンジンによる上昇力の良さ・・・・零戦の宙返りにピタリと突いていく。坂井三郎が著書で驚いているシーンが描かれている。
・視界の良さ・・・艦上機として配慮されている。
・M2 12.7mm機銃 6丁で装弾数も多い。 良好な弾道で弾幕射撃ができる。・・・零戦の 20mm機銃弾は弾道が悪く、命中させるのが難しかった。弾道を修正するにもすぐに弾丸がなくなった。距離を詰めるには速度が足らなかった。7.7mm機銃はほぼ無効だ。
・防弾鋼板と防弾タンク 零戦の20mm機銃をもってしても撃墜は容易ではなかった。零戦は赤い炎を引いて撃墜されるが、F6Fはせいぜい黒煙だ。燃料漏れがすぐに止まるのだ。
・高速でもよく効く舵・・・零戦は高速時に舵が激重になり自由に操舵できなかった。
・明確に零戦より高速であり、重くて頑丈な機体による急降下速度の高さ
・意外と長い航続距離
・F4Fゆずりの主翼の折り畳み機構により2機分のスペースに5機搭載できた。
要するに対零戦に関していえば、零戦の300km/h前後の格闘戦に付き合わないように注意すれば、あらゆる点で優位に戦いを進められるわけだ。
こいつが月産500機で量産され、質も量も圧倒されてしまい、勝負にならなくなった。
F6とF4は、霞ヶ浦で終戦を、迎えた爺ちゃんによう話し、聞かされた!
時期的に単にF4FのスペックUP機でしょ
デザイン性?
二一型
自重2トン、910馬力
F6F
自重5トン、2000馬力
おまけにF6Fは撃っても落ちないって言われてたんだっけ。
仮想敵、Bf-109だったんじゃ?
いや、これも主の深慮遠謀、あえて零戦で...?
対零戦→F8F
F6F はF4Fの発展改良型
だよね???
うちのじーちゃんグラマンに機銃掃射されたってよく言ってた
飛燕は丈夫な機体でF6F追われると急降下で逃げたらしい。
うちのお袋は、これにおいかけられたんだよな。
零戦はP51ムスタングよりF6Fヘルキャットに日本のパイロットは苦しまされた。
紫電改でやっとF6Fに勝てたけど。
機銃も同サイズを6丁装備していて、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式に初心者でも戦果を挙げやすかったとか。あとP51と戦えた疾風なら、互角以上にいい勝負が出来た気もします。勝手な推測ですが、戦後の自衛隊がグラマン社を採用しないのはこれへの怨念の所為かも??
空自がグラマンを採用しないのは「良くも悪くも、米空軍流で育った」「グラマンの戦闘機は艦載機なので、地上運用では不要な装備が出てくる」等かと…
その後震電によりボコボコにされたとさ
F6Fは名機だと聞いています
2000馬力級エンジンを搭載していて、ゼロ戦と渡り合えたらしいですね
バンバン生産された機体だけど合衆国以外であのクオリティで生産出来ない
ベスページ工場の技術と生産力が無ければあの戦果はなかったっぽい
米軍機らしくガチガチに硬い上に機動性も高いから日本機から見ると隙の無い最悪の敵なんですね。
パイロット不足はアメリカも同じ、女性パイロットを採用したり
攻撃と防御を2人組でやることでベテランの技を新人でもできるようにしました
もしも金星エンジン搭載の零戦が間に合っていれば、F6Fに対しても優位に戦えた可能性はあったかもしれない。
勿論、どのみち日本が負けるという結果は変わらないが。
誉エンジンやってください
今のトヨタプロボックスの発想と同じだと思う。
畑違いの話で恐縮だが、かつてタミヤがラジコンレースで他社に勝とうと徹底的にこだわった本格マシンより気負わずに開発したシンプルな廉価モデルの方が使い勝手よく速かったそうな…。
アバンテ「…」(でも、アバンテは中坊の時憧れだけど高嶺の花だった、復刻版を手に入れました!積みプラとの格闘でまだ手付かず)
タミヤは変なとこにベアリングいれたり、ギヤの配置がいまいちだったりで、こけた印象
みんな不格好だと思ってたんだろうね、便利で使いやすいヤツだけど、あるじに愛されてなかった実用道具、見た目って大事だね
だけど胴体が太いと中からの製造工作もスムーズなわけで、日本の一式陸攻も量産しやすかったはず
間違った説明(笑)ゼロ戦に対抗❌
対零戦じゃなくて、単なるワイルドキャットのマイナーバージョンアップ、エンジン替えただけ。F-4Uの代用
翼面積が30平方mもあったのだから、戦闘爆撃機としても十分に使用できるし、旋回性能もよかったはず。機体をスリムにすれば、諸性能も、F4Uに負けないはずだ。改良型のF6FはF8Fより、はるかに実用的な機体になっていたと思う。F8FはFw190のコピーに失敗したような機体だ。F6Fは結果的にだが、1000馬力級の非力で低速な日本機を撃墜するのにうってつけの理想的な機体になってしまった。
戦いは勝てばいいのだよ。
F4Uは、第二次大戦後も、しばらくは使用されたけど、F4Fは戦後急速に退役したね。
後継機も有りますし、乗せる空母も続々と退役していますから。
f66
堀越二郎氏がこの戦闘機を日本用に改良した、だが一度火が付いたらおしまいだった、
エセックス級空母の広い飛行甲板+F6Fの頑丈で戦死者を出せずに数で押す設計は結構日本側にとって痛く、飛行機搭乗員の練度を逆転させる結果となった。ただし、ドッグファイトを徹底してやらない搭乗員ほど長生きするのは・・・当然の結果だった。日本機相手にやったら大抵戦死します。エンジンの気化器が旋回に弱いから。
模擬空戦の話だけど、これ最新鋭のF6Fを鹵獲した零戦五二型と戦わせてF6Fが圧勝する予定だったのが零戦五二型が勝ってしまって米軍が慌てた、という逸話だったりする。
実戦に於いても零戦52丙型はP51、F6F、F4U、にたいして圧勝とはいかないまでも終戦まで戦い抜いてました。対照的に陸軍の戦闘機は1945年2月より敵戦闘機の戦闘を禁止されましたから。
零戦の特徴としていろんな所が有りますが
一番でかい特徴は高い維持旋回能力です
F4と零戦で縦旋回の比べをした記録が有りますが、F4は開始高度から数百フィート近く下り逆に零戦は1800フィート近く登ってたりします
むか~し、知り合いのゼロ戦乗りの方が云ってましたね・・・、52型で胴体機銃を13mm1丁だけにした乙が最良だと・・・、
丙は重過ぎて攻めも守りも難しく32型より曲がらない登らない、さっさと仕掛けて20mm全弾打ち尽くして軽くしてから13mm撃ってたそう・・・。
その方の感想、
52型乙とF-6Fの速度はほぼ互角、高速域の旋回はF-6F、それ以外は零戦、F-6Fの防弾は凄い、加速は零式、伸びはF-6F、F-6Fの機銃は射程の長い散弾銃
願わくば、20mm降ろして13mm3丁にしてくれた方が嬉しかったんだそうです・・・。13mmは当て易く燃やし易かったそうです・・・。
燃料の質も関係あったりして。
@@BBS335 零戦52型ぐらいから離昇出力が10分使えるようになったと考えると、21型→32型→52型まではエンジンの強化と重量の増加が釣り合っているように見えます。丙型は数字で見ると重くなっているのでマリアナでの敗戦後の零戦だなと感じます。丙型は離陸滑走距離と空戦での攻撃回数を妥協して火力と防弾強化したのかもしれません。20mmは性能基準だと爆撃機や攻撃機への対応能力が優先され対戦闘機の優先度が低かったのでその結果だと思います。前線から戦闘機相手なら13mm4挺が良いと要望が上がっても軍令部と航空本部が共同で制定した性能基準だと「1) 敵攻撃機の阻止撃攘」「2) 戦闘機撃破」なので1が優先され採用されなかったのかも。
F6Fは見た目も含めて面白味のない凡機みたいなイメージがあるけど、例えばクルマに例えてみたら、
『スープラのエンジンを積んだ、見た目がカローラのランクル』って考えたらそのバケモノ具合に驚愕しますなw
・・・でも個人的には見た目はF4Uの方が好きです。コルセアは文句なくかっちょいい!
カローラのランクルって見た目にどっち?
@@山村-w5z
見た目はカローラ
堅牢さはランクル
動力性能はスープラ
って事じゃね?
ゼロ戦はもともとは、アメリカ製だから🇺🇸
兵器の戦後って、韓信や義経とあまり変わらんな。
2000馬力クラスのW2800と1000馬力クラスの栄が対戦するのでしょう。日本海軍の用兵思想が無茶です。
2000馬力クラスの誉と比較動画を作ってください。
たらればの誉じゃなくて、現実の量産型の誉で本当にF6Fに勝てたか?。
F6F
戦争終盤のキルレシオにはあまり意味が無いですよ。
素人に乗った少数の日本機を、プロの乗る多数の米軍機が袋だたきにしたんですからね。
機体の優劣以上に、そっちの方の要素が大きいでしょう。
それに他の方が書いているように、対零戦用に作られたのはF8Fでしょう。
もちろん捕獲機の解析や戦訓なんかは盛り込んだとは思いますけどね。
零戦54型を早く作っていたらF6Fと互角です F6Fが活躍したのは日本海軍の後継機開発のミスのおかげです
零戦54型は52型よりほんの数km程度速度が速いだけで、高速時のロール等の操縦性も重くF6Fのダイブ&ズームへの対応はおろか、1:1を挑んでこられても高速機動されたら手も足も出ないのは変わらない上に52型からさらなる重量増加して分低速時の運動性も怪しいですし、互角は望めない機体であると思います。ifとして昭和18年当時に零戦54型に相当する機体の作成は可能でしょうけど、金星5x型は水メタがなく出力1200馬力程度で栄21型の1150馬力の機体と比べた場合、正面面積の増大に重量の増加が加わり速度低下と大幅な航続力低下、三菱だけの生産の割に他の機種への需要も多かった金星のせいで生産数の大幅な減少も加わり審査で落とされた可能性が大だと思われます(まだ13mm機銃や推力式単排気管の採用は厳しいと思いますし)
21・32・52と乗り継いだ方が、最終傑作機は52型と云ってました・・・。
それ以降は重く、登らず、曲がらず、駄目の一言でした・・・。機銃を増やすより弾数がもっと欲しかったそうです・・・。
52型の胴体に13mm1丁積んだのが一番良かったそうで、燃料もそこそこ減った状態なら真っすぐ逃げるF-6Fに追従できたそうです・・・。
1700馬力でも十分だけどね。