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家の前を通過するくりこまは、本当にぶっ飛ばしていましたね(笑)
急行くりこま号が1982年11月15日の上越新幹線🚄大宮ー新潟間開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で東北新幹線🚄が大増発に伴い盛岡ー青森間が特急はつかりに格上げされて仙台ー盛岡間が区間廃止され快速に格下げられました。
3:01 475系だと東北本線はしれないよー
メカオンチなんで良く解らんが、「周波数」違いですか?
@@雅夫大場 ですです475系は交流60ヘルツ対応型ゆえに、モータはともかく補機類がえらいことになりかねませんそして極めつけは冷却不足でモータもあぼん・・・
現在でも需要はあると思う。青森までは無理でも快速列車として盛岡迄は復活して貰いたい。
4:46 1位のさちかぜは、札幌~旭川間ノンストップで、表定速度は85.5km/hだった。ただし、1975年に特急格上げの形で消えている。
その格上げの際、名称もソレに決まり当時の485-15系に「幕」も用意されたが、諸般の事情で「いしかり」に変更された。新幹線開業で快速に格下げられた「くりこま」は特急化される事はなく、残った盛岡-青森間は「はつかり」になった。
東北内で完結した特急に、秋田〜仙台を走った、あおばがあったな。食堂車付きの気動車特急で北上線経由。
475系の東北本線運用は黒磯以北では物理的に不可能。457系なら可能だけど、
昭和53年の夏休みに、花巻から青森まで乗車しました。乗車したのがモハだったので、モーターの【爆音】が凄かったです😅
急行「くりこま」。本当に魅力的な列車でしたね!!
特急に見劣らないグリーン車が秀逸でした。
くりこま号はやりようによっては、急行とか特急で残せたかもしれませんね。冬には盛岡から仙台への臨時快速が走ることがあるので・・・
まさに、快速急行「くりこま」号、高速急行「くりこま」号と呼ぶに相応しい列車です。
コッペおもしろいぞ、急行栗駒はそそるなー
初めて、仙台まで行った時乗ったのが急行くりこまでした。今になると懐かしいです。はやぶさ55号新青森行
現在、仙台始発6:40の新函館北斗行「はやぶさ95号」があるように、上野発の夜行列車群と昼行列車群のスキマを埋め、東北からの北海道連絡に最適な時間帯を走っていた列車でした。6両編成(McM'TsMcM'Tc)の全車指定席で、平日休日問わず混雑していたそうですが、私が乗った時も普通車は全区間満席状態でした。爆走という言葉がこの列車には正しく、常に大揺れの車内でボックスシートから振り落とされまいと、ひじ掛けにつかまり続けた記憶があります。
急行「くりこま」速かったね。時刻表で表定速度を試算して「こいつら、速いなあ、乗ってみたい」と憧れる「ジャリ鉄」でした。今なら、長駆するモーター音と、通過駅のポイントを足早に通り過ぎるジョイント音、対抗列車と交わすホイッスルなど、空耳で大脳に響くよう。「くりこま」「みちのく」「いなほ(上野−青森)」企画列車で構わないから、1日リバイバルをお願いしたいです。
701系でくりこまを再現したらメッチャ楽しいと思う。
@@tomohikoo8949さま。その際は座席の改良をお願いしたいですね。
同種別の列車が同種別のソレに抜かれるのは、客車寝台特急が電車特急に退避させられると云うパターンがありましたが、実は50年以上前にも存在したらしいであります。昭和40年3月当時の時刻表によれば…3031レ(急行「桜島」西鹿児島行き)は東京09:18発。浜松(13:37着/1342発)。その間に東京発(10:00)大阪行き103M(急行「いこま」 )を退避(浜松着13:33/13:35発)。ちなみに「桜島」は不定期列車でした。
7:24 ~1985年快速くりこま号廃止とありますが、1986年(昭和61年)夏、青春18切符で北海道に行く時に仙台~盛岡間で乗りました。記憶違いかな?
当時の時刻表を見てみましたが、記憶違いでした。仙台~一ノ関間に455系の普通列車運用が走っていたのを勘違いしたのでしょうね。一ノ関~青森間は50系の客レでした。
@@51ts20 85年3月改正で455系使用の東北本線急行・快速は全廃されましたので。
確か、この「くりこま」昼行急行では非常に珍しい「全車指定席」だったと記憶しております。車両は急行型でしたが速度は特急並みだったので料金も相応になったのだと思われます。
L特急以外にも自由席がついた53.10改正以降も全車指定席を守り通したそうです
くりこまに使用されたのは50hz用の455、457系で475系は60hz用なので東北本線では走行出来ません。457系は50hz60hz両用なのでどちらも走行出来ます。
457系は東北(仙台)には4ユニットしかありませんでしたね。
動画の中で紹介されていたくりこま6号の行程はそれこそ動画の通りに「札幌から北斗に乗って連絡船に乗り継いで青森から盛岡まで」という経路で子供の頃に毎年利用していました。青森駅で上り大阪行き寝台特急日本海2号と同時発車でしばらく併走するのでその時は子供ながらに興奮しましたね。
東北限定特急といえば特急つばさのアルバイト運用で設定された「あおば」がありますね
「くりこま高原」を見ると、急行くりこまを思い出します。
中学の修学旅行、一ノ関から青森まで乗ったのがくりこま1号だったんですね。青森で乗り換えた連絡船が八甲田丸、懐かしく、鮮明に思い出しました。
当時は、急行の愛称名は【地名】で、特急が【鳥】の愛称名だった。くりこまは、準特急並みだから鳥の愛称名でもよかったな。【はげたか】とか。
「みちのく」「つばさ」「いなほ」なんていう名前の鳥は聞いたことがない
この爆速急行も某速達編で紹介されていましたが、いま改めて違う切り口から見てみても、すごい列車だなと思いました。
とにかく同種別の急行を途中で追い抜く高速ダイヤが衝撃的でしたね。
仙台以南と比較してダイヤ密度に余裕があるからこそできたのでしょうね。
分厚い時刻表を見ていても本当に楽しい良き時代でした。
昼間の急行で唯一の全車指定席東北地方で上野発着以外で電車だった急行は「くりこま」「あぶくま」「仙山」だけ
「時刻表名探偵」という本に急行をぬかす急行として出ていたので、乗ったこと無いけど記憶はある。
くりこまの歴史は大変面白い!更に準急やまびこも安くて速かったが
その準急やまびこですが、キハ55が急行色じゃなく、黄色っぽい少し薄汚れた色だったのを記憶してますが
更にくりこまキハ58の時代、急行むろねに乗って良く仙台に行きましたが、さすがに2エンジン、通学の時のキハ25の加速や25パーミルを20キロも速く走行していたのを覚えていますが、まあ、C58客車5両牽引に比べれば雲泥の差でしたが、しかし❗昭和43年に、初めてモハ453系急行いわてに乗った時の背中に押し付けられる加速は、全く新鮮でした。こんなに違うものかと、ついでに、モハ485系やまびこにかなり乗りましたが、今の新幹線やまびこより速い気がしますが(笑)
タイトル上仕方ないが、急行くりこまは”名列車“だよ。
別の方のコメントにもありますが、475系は北陸地区や九州地区用の交流区間では60Hz対応のため東北地区には配属されていませんでした。東北本線(仙台運転所)には50Hz対応の455系と50・60Hz両用の457系が配属されていました。なお、そのほかに常磐線には勾配抑速ブレーキが装備されていない451・453系も配属されていました。
457系がもう少し増備されていれば金沢〜青森間の急行しらゆきに運用されていたかもしれない。
最後に金沢運転所に新製された457系は名目は快速増発のためだった。なおこれ以降急行型電車は直流、交直流を含めて新製されていない。気動車も翌年キハ65型が新製されて客車は12系が昭和52年に新製されたのが最後だった。
韋駄天急行「くりこま」の系譜は東北の高速列車に受け継がれているようですね😸いつも思うのですが、締めのまとめ方が最高です😺まるで某「鉄道伝説」のように!
急行「くりこま」は、私、関西人には、縁遠い存在だったが、一時代を築いたのは間違いない。
当時仙台在住の鉄道っ子です。函館まで年2~3回使ってました。運転席後の貫通扉から見てるのが好きでしたが運転手により幕を下げられる事もありました。当時の記憶だと110K運転だったと思いますが、止まる駅により停車時間も短く30秒停車もあったと思います。全車指定席で買えなかったときはS席いうものが各車両にありBOXシートではなく片側2人掛け固定式でした。発券では買えないので車内で車掌から買ってました。なつかしく思い返してます。
S席は子供ながらにかなり狭かった記憶が・・
窓側のひじ掛けが無い分横幅が少し狭い席ですね、今なら車補発行させたら狭いうえに手数料まで上乗せされる、嫌な時代になったものだ。
455も485も主電動機はMT54x4だからMT比が同じなら編成出力はほぼ同等ってことだよねそりゃスピード出るよね
さらに言えば、分離された三セク線で期間限定で走った快速列車が往時のとほぼ同じダイヤで話題に。
快速になってから乗ったことがありますがなかなか速かったですね...
韋駄天急行とは頼もしいニックネームですね。私は👦時代準急[伊吹]に乗車しました。大阪⇔名古屋(2時間30分)
大阪でのターミナル位置を鑑みて、近鉄特急に伍するスピード?!
東北地方のローカル急行といえば、多層建て列車が多かった関係で、非電化区間どころか電化区間すら、冷房化率が低い、スピードがイマイチ、エンジン音で車内がうるさい、の三拍子揃ったキハ58系ばかりだっただけに、冷房化率が高い、スピードが速い、車内が静かの三拍子揃った455系に初めて乗った時はそりゃもうw
奥羽本線が全線電化されても急行がキハ58系ばかりとのがね・・
@@jyouban531 さん奥羽本線の急行は非電化の支線系統に乗り入れる急行と多層建て運用が多かったため、電車化できなかったんでしょうね。
それよりもキハ55?52?と併結されているキハ65の写真に釘付け、ワタシはこの動画作成者に土下座しないといけなくなった。。😢
急行を抜かす急行どっかで聞いたような…
青森県は客車列車のイメージが強くて、急行型電車が走っていたことに驚く人は多いのではないでしょうか。
急行型といえば客車orキハ58系ばかりでしたので。秋田県に至っては急行電車は皆無でした。
子供の頃、苫米地駅の近くで遊んでいたとき、はつかりじゃない通過列車の記憶があるけど、やっぱりくりこまだったんですね。ありがとうございました。
当時、日中時間帯で2往復してたからね。苫米地付近なら1号が1030くらい、3号が1350くらい、折返し2号が1430くらい、折返し4号が18時前くらいの通過かと。
「くりこま」は東北・上越新幹線大宮暫定開業時には、仙台〜盛岡は快速に格下げ、盛岡〜青森は特急「はつかり」に格上げされた。新幹線開業まで東北本線優等列車は、上野発着を見れば、表定速度が速い方から「はつかり」「やまびこ」「ひばり」というふうに、走行距離が長い方からとなっていた。これは首都圏〜宇都宮貨物ターミナルの列車が多かった事で徐行区間があったので。「くりこま」は東北本線の本数が少ない区間を走破していたので速いが、それでもこの速さは伝説。
特急に次ぐ在来線列車といえば新快速 新快速くりこまだったらよかったかも
ゴウサントウダイヤ改正までの下り急行くりこま1語と、上りのくりこま2号は、全車指定席だっので周遊券だと急行券と座席指定券が必要なので、周遊券ではあまり乗らなかったのでは?ただゴウサントウ以降は、自由席もできたので周遊券でも乗れるようになった。そしてこのときに、急行いわての上野から仙台間廃止に伴い、くりこま1往復が、仙台盛岡間増発されて3往復になった。なお上野から盛岡まで臨時の急行エコーもりおかという列車があり、最初はビュッフェも営業していた。この列車は上野盛岡間を特急並のスピードで結び、485系の増備に伴い特急やまびこに格上げされていった。
小学校1年生レベルの日本語力すらないとは…【例】号「ごう」五「ご」(伸ばしたいなら「ごー」)到「とう」十「とお」
当時は1,6号、全車指定席だったから、周遊券のみでは乗れ無かった思い出があった…
2:30 サラッと言ってるけど陸中のルートかなりえげつないw
急行が急行を追い抜くこと自体は、2023年03月まで名鉄774列車で見られたが、多層建て急行が絡むのは趣が深い。逆に急行「たかやま」大阪ゆきは、東海道本線で新快速に叶わなかった。急行料金を払いながら、新快速より遅いとはw 「急行=急いで行かない」典型だったなぁ。
そもそも223系が130km/h運転で今よりも停車駅が少なければ国電は勝てませんよね~それでも急行つやまよりかは大分ましかと
地元に通勤時間帯に追い抜きの為、12分停車する車輌が新聞に叩かれた事がある。(国鉄時代)
優等列車待ち合わせは致し方ない部分があるとは言え、通勤時はさすがにまずいですね、、、乗客が最も時間にシビアな状態でしょうから…
1号の場合、上野発の寝台急行新星から乗り換え、6号の場合、仙台で上野行の寝台急行新星に乗り換えられたと思います。
実用的にはほぼ同じ時間帯の急行十和田なんですけどね
北海道からの、こう云う「妄想トレイン」も面白い!
新星は仙台以北の客にとっては、他の列車の指定券が取れない繁忙期にしかたなく乗る列車というイメージがありました。
今一つは、仙台ー青森間に絞った優等列車がない、つまりは良い時間帯の区間特急が悪かった事。夜明け過ぎる夜行特急、夜行急行、昼過ぎる特急などのスキマを埋める列車が必要だったのだ。もちろん、本編で言う様に特急車両に空きが無いので、急行車両を投入せざるを得なかったのだ。
快速時代に家族で仙台から八戸に行く時に一度だけ乗りましたが、ほぼ全区間にわたって混んでいたのを憶えています。当時乗車したのは普通車でしたが、急行時代の車両をそのまま使用していたので、グリーン車🍀も連結していましたね。また、快速化当時は関東で新特急が続々誕生したことから、快速くりこまも、「新特急くりこま」として運転されないかな、と当時の鉄仲間と話していたことも思い出しました☺️
余っている583系を使って新特急くりこまが運転されたら感涙したに違いない。
@@tomohikoo8949 さん大 歓 喜www😭😭😭……あ、でもそれって「はつかり」の仙台延長で対応出来そうだし、そもそも「新特急」の名にふさわしいかどうか(自分から言い出しといてなんだけどさ😅)…………う〜〜〜ん🥴🥴🥴
東海道新幹線開業当時は東京〜大阪間の急行が「なにわ」に一本化されながらも4年残っていたが、それをしなかったんだよな(あえて快速で残ったけど次の改正で廃止)>くりこま
実質所得が増えている時代なので、割高な新幹線と並行する在来線優等列車を残しても乗客は程なくして新幹線へ移行してしまう。「スピードは麻薬」と偉い自動車評論家が言うように一度速いサービスを味わうと元には戻れない。現在でも航空機の味を知ってしまうと戻れないように。
@@けん-o4yさん急行【佐渡】も上越新幹線開業後も生き延びましたな。(*´・∀・)
そういやあ、東北道花巻南IC〜盛岡南ICも120km/hでぶっ飛ばせるのも、何かの縁ですかねぇ。
東北道で岩手県内の120キロ区間は僅か27キロ。120キロ走行だと短時間な所要時間短縮しか効果がない。関東の120キロ区間は41キロだが、せっかく花巻南〜平泉前沢インターまで最高速度120キロ設計区間なのに、何故に花巻南までなのか不可解。現状の岩手県120キロ区間では、所要時間短縮の有難みも薄れるわ。
@@5red90 大阪拠点の運輸会社に勤務したことがありますけど、流石に、佐野以北の東北道は走ったことないので、詳しくないけど、北上JCT以南はカーブが連続してるっぽいね。平泉前沢IC以北は、設計速度120km/hやけどね。
この列車の前身となった臨時急行エコーもりおか号は、上野→盛岡を約6時間40分~50分・盛岡→上野を約6時間30分で走破しており、特に上野行の表定速度は約84kmにも達したようです。そのため1971年の時には上野行が定期の急行ざおう1号を追い抜いたり、盛岡駅を1時間以上早く出発した急行いわて1号に上野駅到着時点で3分差までに迫っていたりと、当時の特急と比較しても遜色ない走りをしていたようです。停車駅は、上野・(大宮)・(宇都宮)・黒磯・郡山・福島・仙台・小牛田・一ノ関・水沢・北上・花巻・盛岡だったようです。※宇都宮は1972年のみ停車していたようです。1971年の秋と1971年~1972年の年末年始と1972年の春に運行された盛岡行の列車が大宮を通過していました。又1971年~1973年頃の東北本線には、急行エコーもりおか号以外にも急行エコーあおもりや号急行エコーくろいそ号などのエコーと名の付く臨時列車が運転されていました。
黒磯も通過したかったのでしょうが485系と違って列車選別装置非搭載だったのでやむなく停車したのでしょうね。
「エコー」って事は、ホントは特急にしたかった?エコー≒こだまorやまびこと云う事で、ある意味リスペクトしたのかと…
@@雅夫大場 485系が不足していたのでやむなく急行型電車(455系)で運転したんでしょうね。
653使って復活してくれんかな(白目)
今だと、えちごトキめき鉄道の観光急行4号だと表定速度80キロオーバーの走りが楽しめますね^-^
朝方に妙高高原まで往復する快速もトンネルが少なくて眺めが良く、登り勾配の連続でモーターの唸りも聞けて良いですな。(*´・∀・)スイッチバックもあるよ!
車両運用の都合という側面はあるにしても庶民向け優等列車であった急行列車で速達化を実現していた「皆様の国鉄」ならでは
末期の国鉄「赤字が膨らんで経営が苦しいなぁ・・・せや急行を特急に格上げしたろ!」
急行くりこまは特急並みの速さでいわば特急はつかりややまびこの補完役といった感じでしたね。また、盛岡、青森まで顔を出した唯一の455系列急行だったかと思います。
車両はおそらく、「まつしま」「あづま」「いわて」の間合いだったと思います。最盛期はサハシ455も連結されていたと思います。
@@坂田庄司-g6n 昭和50年代前半まで急行電車にサハシが連結されてましたね。
@@岡村充康-h9z サハシの営業自体は昭和48年までだったそうです。昭和52年頃までは非営業ながら連結されていました。
@@jyouban531 そうなんですね。
盛岡には「いわて」や「もりおか」が発着していました。青森に入る475系列は「くりこま」が唯一ですね。
くりこまが急行だったのは仙台〜青森で特急の需要があるのか疑問だったから、というのも一つの理由だったようです。また伝説の120km/hというのもあって運輸省から全車指定席にする代わりに特認を得たという話もあります。但し120km/h運転に関しては今日でも真偽が明らかになっていません。ただ青函連絡船に接続する最速達列車は全車指定席になっているのは時刻表で確認する事が出来ます。ちなみに青函連絡船と接続する便は人気だから全車指定席にしたという説もあります。455系の120km/h運転、もし行っていたのであれば乗ってみたかった。さぞかし迫力あるモーター音を響かせただろうなあ。
急行型ギヤ比だから意外にうるさくない
当時の国鉄の線区別最高速度を見ると、東北本線は特急電車と特急気動車と定員制急行電車は120キロになってますから、伝説ではなく正式に120キロで走ってますよ。
キー違いの葦笛の踊り。
東北本線で鉄道版LCCを走らせたい
急行が急行を追い抜く元祖列車の一つでしょうかね?最高速度は敵いませんが、急行宗谷の「函館⇒旭川」間も特急北海と比べて素晴らしい表定速度です。^^あの頃から特急レベル急行だったと認識します。
準急時代は(巻き添え的に)迷だったけども急行時代はまさに名列車でしたしかし臨時急行とはいえ定期の特急並に速かったエコーもりおかやエリアは違うけども小山通らないで水戸線に入るつくばねとか東北本線走ってた急行たちは何か癖が強いのが多い気が……()
急行列車の地位が高かった時代のフィナーレを飾る。今や定期列車では急行が存在せず、急行を知らない若い世代も増えた。
そして今の短距離特急は昔の快速以下の内容で特急なのは料金だけ。
急行がないのに特別な急行という不思議。
@@起きた掃除-h3vさま。そして、たまに設定される普通「急行」列車がいわゆるLimitedなExpとは皮肉…?
もう少し周遊券に乗れた列車を勉強したほうがいいですよ!急行の自由席以外では指定席や寝台車を見てみたいです利用すれば急行券も必要になります。指定席券だけを買えばいいと言うわけには行きません。
もし特急だったら、遜色特急と呼ばれてたんだろうなあ。
替えたまみたいな…?
所要時間だけ見れば房総の特急の方が遜色感がある。
東北でも475使ってたのか!?って思ったけど普通にミスだわな・・・。
この路線に限らないが急行が速いのではなく特急が大して速くないのに料金だけは大幅値上げになっていたんだよな
国鉄は急行を料金だけ値上げして特急にした、JRは快速を料金だけ値上げして全車指定席特急にしている、現在も進行中。
この当時の東北本線の電車特急は全国レベルでも速く、表定速度は上野〜青森間で90キロ近かったです。特に区間別の表定速度は大宮〜黒磯、花巻〜盛岡、三沢〜浅虫間は100キロ、一ノ関〜花巻間は95キロでした。当時の時刻表で見るとわかります。おっしゃるように大して速くなかった特急は房総の特急ですね。
敦賀~福井間だけでも快速の終日運転(途中停車駅は今庄・南条・武生・鯖江の4駅のみに絞る)があってもよかったと言えるのですが、敦賀以南というか米原または近江舞子(湖西線)まで各駅に停車する快速または新快速と却って紛らわしくなってしまうため、恐らく無理だったでしょう。
急行くりこまみたいな最速電車は、関西地方京阪神地区ならば、新快速ですよね🤗🤗
関西の新快速、設定当初はボックス席でしたし…
6:33後に民営化した会社がA特急料金を徴収しました😂
新幹線大爆破ならぬ、急行くりこま大爆破って言う在来線版の奴を考えたことがあります。こちらの場合だと、新幹線よりも低速で爆破になるのですが、それをうまいこと速度を落とさず走らせるのが肝なのです。アニメ映画などでもいいから、一度作ってみたいなぁ。
速達編でもネタにされてた多層建て列車の極み。
最後に流れてるBGMってなんですか??
ご視聴ありがとうございます。最後で流れているのは、「TAM Music Factory- Where the Spring Wind Blows」というフリーBGMです。グーグルで検索すれば出てくると思います。
愛知嫌い男より。集団就職が使った。
455系「くりこま」の話なのに北陸急行の475系をサムネにするのはいただけない。
今でも思うのだけど最終新幹線が出発して30分~1時間後くらいに夜行の特急・急行を走らせる事出来ないかなァ?深夜0:30辺りから5:00迄は運転停車はしても営業停車はしなくても良いから、それを行うだけでも収益性変わりそうなんだけどな?(^^)
昔は良かった。この時代の国鉄はこれに就きます。特に東北、奥羽は言う事なし
家の前を通過するくりこまは、本当にぶっ飛ばしていましたね(笑)
急行くりこま号が1982年11月15日の上越新幹線🚄大宮ー新潟間開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で東北新幹線🚄が大増発に伴い盛岡ー青森間が特急はつかりに格上げされて仙台ー盛岡間が区間廃止され快速に格下げられました。
3:01
475系だと東北本線はしれないよー
メカオンチなんで良く解らんが、「周波数」違いですか?
@@雅夫大場
ですです
475系は交流60ヘルツ対応型ゆえに、モータはともかく補機類がえらいことになりかねません
そして極めつけは冷却不足でモータもあぼん・・・
現在でも需要はあると思う。青森までは無理でも快速列車として盛岡迄は復活して貰いたい。
4:46 1位のさちかぜは、札幌~旭川間ノンストップで、表定速度は85.5km/hだった。ただし、1975年に特急格上げの形で消えている。
その格上げの際、名称もソレに決まり当時の485-15系に「幕」も用意されたが、諸般の事情で「いしかり」に変更された。
新幹線開業で快速に格下げられた「くりこま」は特急化される事はなく、残った盛岡-青森間は「はつかり」になった。
東北内で完結した特急に、秋田〜仙台を走った、あおばがあったな。食堂車付きの気動車特急で北上線経由。
475系の東北本線運用は黒磯以北では物理的に不可能。457系なら可能だけど、
昭和53年の夏休みに、花巻から青森まで乗車しました。
乗車したのがモハだったので、モーターの【爆音】が凄かったです😅
急行「くりこま」。
本当に魅力的な列車でしたね!!
特急に見劣らないグリーン車が秀逸でした。
くりこま号はやりようによっては、急行とか特急で残せたかもしれませんね。
冬には盛岡から仙台への臨時快速が走ることがあるので・・・
まさに、快速急行「くりこま」号、高速急行「くりこま」号と呼ぶに相応しい列車です。
コッペおもしろいぞ、急行栗駒はそそるなー
初めて、仙台まで行った時乗ったのが急行くりこまでした。今になると懐かしいです。
はやぶさ55号新青森行
現在、仙台始発6:40の新函館北斗行「はやぶさ95号」があるように、上野発の夜行列車群と昼行列車群のスキマを埋め、東北からの北海道連絡に最適な時間帯を走っていた列車でした。
6両編成(McM'TsMcM'Tc)の全車指定席で、平日休日問わず混雑していたそうですが、私が乗った時も普通車は全区間満席状態でした。
爆走という言葉がこの列車には正しく、常に大揺れの車内でボックスシートから振り落とされまいと、ひじ掛けにつかまり続けた記憶があります。
急行「くりこま」速かったね。
時刻表で表定速度を試算して「こいつら、速いなあ、乗ってみたい」と憧れる「ジャリ鉄」でした。
今なら、長駆するモーター音と、通過駅のポイントを足早に通り過ぎるジョイント音、対抗列車と交わすホイッスルなど、空耳で大脳に響くよう。
「くりこま」
「みちのく」
「いなほ(上野−青森)」
企画列車で構わないから、1日リバイバルをお願いしたいです。
701系でくりこまを再現したらメッチャ楽しいと思う。
@@tomohikoo8949さま。
その際は座席の改良をお願いしたいですね。
同種別の列車が同種別のソレに抜かれるのは、客車寝台特急が電車特急に退避させられると云うパターンがありましたが、実は50年以上前にも存在したらしいであります。
昭和40年3月当時の時刻表によれば…
3031レ(急行「桜島」西鹿児島行き)は東京09:18発。
浜松(13:37着/1342発)。
その間に東京発(10:00)大阪行き103M(急行「いこま」 )を退避(浜松着13:33/13:35発)。
ちなみに「桜島」は不定期列車でした。
7:24 ~1985年快速くりこま号廃止とありますが、
1986年(昭和61年)夏、青春18切符で北海道に行く時に仙台~盛岡間で乗りました。
記憶違いかな?
当時の時刻表を見てみましたが、記憶違いでした。
仙台~一ノ関間に455系の普通列車運用が走っていたのを勘違いしたのでしょうね。
一ノ関~青森間は50系の客レでした。
@@51ts20 85年3月改正で455系使用の東北本線急行・快速は全廃されましたので。
確か、この「くりこま」昼行急行では非常に珍しい「全車指定席」だったと記憶しております。車両は急行型でしたが速度は特急並みだったので料金も相応になったのだと思われます。
L特急以外にも自由席がついた53.10改正以降も全車指定席を守り通したそうです
くりこまに使用されたのは50hz用の455、457系で475系は60hz用なので東北本線では走行出来ません。457系は50hz60hz両用なのでどちらも走行出来ます。
457系は東北(仙台)には4ユニットしかありませんでしたね。
動画の中で紹介されていたくりこま6号の行程はそれこそ動画の通りに「札幌から北斗に乗って連絡船に乗り継いで青森から盛岡まで」という経路で子供の頃に毎年利用していました。
青森駅で上り大阪行き寝台特急日本海2号と同時発車でしばらく併走するのでその時は子供ながらに興奮しましたね。
東北限定特急といえば特急つばさのアルバイト運用で設定された「あおば」がありますね
「くりこま高原」を見ると、急行くりこまを思い出します。
中学の修学旅行、一ノ関から青森まで乗ったのがくりこま1号だったんですね。青森で乗り換えた連絡船が八甲田丸、懐かしく、鮮明に思い出しました。
当時は、急行の愛称名は【地名】で、特急が【鳥】の愛称名だった。くりこまは、準特急並みだから鳥の愛称名でもよかったな。【はげたか】とか。
「みちのく」「つばさ」「いなほ」なんていう名前の鳥は聞いたことがない
この爆速急行も某速達編で紹介されていましたが、いま改めて違う切り口から見てみても、すごい列車だなと思いました。
とにかく同種別の急行を途中で追い抜く高速ダイヤが衝撃的でしたね。
仙台以南と比較してダイヤ密度に余裕があるからこそできたのでしょうね。
分厚い時刻表を見ていても本当に楽しい良き時代でした。
昼間の急行で唯一の全車指定席
東北地方で上野発着以外で電車だった急行は
「くりこま」「あぶくま」「仙山」だけ
「時刻表名探偵」という本に急行をぬかす急行として出ていたので、乗ったこと無いけど記憶はある。
くりこまの歴史は大変面白い!更に準急やまびこも安くて速かったが
その準急やまびこですが、キハ55が急行色じゃなく、黄色っぽい少し薄汚れた色だったのを記憶してますが
更にくりこまキハ58の時代、急行むろねに乗って良く仙台に行きましたが、さすがに2エンジン、通学の時のキハ25の加速や25パーミルを20キロも速く走行していたのを覚えていますが、まあ、C58客車5両牽引に比べれば雲泥の差でしたが、しかし❗昭和43年に、初めてモハ453系急行いわてに乗った時の背中に押し付けられる加速は、全く新鮮でした。こんなに違うものかと、ついでに、モハ485系やまびこにかなり乗りましたが、今の新幹線やまびこより速い気がしますが(笑)
タイトル上仕方ないが、急行くりこまは”名列車“だよ。
別の方のコメントにもありますが、475系は北陸地区や九州地区用の交流区間では60Hz対応のため東北地区には配属されていませんでした。東北本線(仙台運転所)には50Hz対応の455系と50・60Hz両用の457系が配属されていました。なお、そのほかに常磐線には勾配抑速ブレーキが装備されていない451・453系も配属されていました。
457系がもう少し増備されていれば金沢〜青森間の急行しらゆきに運用されていたかもしれない。
最後に金沢運転所に新製された457系は名目は快速増発のためだった。なおこれ以降急行型電車は直流、交直流を含めて新製されていない。気動車も翌年キハ65型が新製されて客車は12系が昭和52年に新製されたのが最後だった。
韋駄天急行「くりこま」の系譜は東北の高速列車に受け継がれているようですね😸いつも思うのですが、締めのまとめ方が最高です😺まるで某「鉄道伝説」のように!
急行「くりこま」は、私、関西人には、縁遠い存在だったが、一時代を築いたのは間違いない。
当時仙台在住の鉄道っ子です。函館まで年2~3回使ってました。運転席後の貫通扉から見てるのが好きでしたが運転手により幕を下げられる事もありました。当時の記憶だと110K運転だったと思いますが、止まる駅により停車時間も短く30秒停車もあったと思います。全車指定席で買えなかったときはS席いうものが各車両にありBOXシートではなく片側2人掛け固定式でした。
発券では買えないので車内で車掌から買ってました。なつかしく思い返してます。
S席は子供ながらにかなり狭かった記憶が・・
窓側のひじ掛けが無い分横幅が少し狭い席ですね、今なら車補発行させたら狭いうえに手数料まで上乗せされる、嫌な時代になったものだ。
455も485も主電動機はMT54x4だから
MT比が同じなら編成出力はほぼ同等ってことだよね
そりゃスピード出るよね
さらに言えば、分離された三セク線で期間限定で走った快速列車が往時のとほぼ同じダイヤで話題に。
快速になってから乗ったことがありますがなかなか速かったですね...
韋駄天急行とは頼もしいニックネームですね。私は👦時代準急[伊吹]に乗車しました。大阪⇔名古屋(2時間30分)
大阪でのターミナル位置を鑑みて、近鉄特急に伍するスピード?!
東北地方のローカル急行といえば、多層建て列車が多かった関係で、非電化区間どころか電化区間すら、冷房化率が低い、スピードがイマイチ、エンジン音で車内がうるさい、の三拍子揃ったキハ58系ばかりだっただけに、冷房化率が高い、スピードが速い、車内が静かの三拍子揃った455系に初めて乗った時はそりゃもうw
奥羽本線が全線電化されても急行がキハ58系ばかりとのがね・・
@@jyouban531 さん
奥羽本線の急行は非電化の支線系統に乗り入れる急行と多層建て運用が多かったため、電車化できなかったんでしょうね。
それよりもキハ55?52?と併結されているキハ65の写真に釘付け、ワタシはこの動画作成者に土下座しないといけなくなった。。😢
急行を抜かす急行
どっかで聞いたような…
青森県は客車列車のイメージが強くて、急行型電車が走っていたことに驚く人は多いのではないでしょうか。
急行型といえば客車orキハ58系ばかりでしたので。
秋田県に至っては急行電車は皆無でした。
子供の頃、苫米地駅の近くで遊んでいたとき、はつかりじゃない通過列車の記憶があるけど、やっぱりくりこまだったんですね。ありがとうございました。
当時、日中時間帯で2往復してたからね。苫米地付近なら
1号が1030くらい、3号が1350くらい、
折返し2号が1430くらい、
折返し4号が18時前くらいの通過かと。
「くりこま」は東北・上越新幹線大宮暫定開業時には、仙台〜盛岡は快速に格下げ、盛岡〜青森は特急「はつかり」に格上げされた。新幹線開業まで東北本線優等列車は、上野発着を見れば、表定速度が速い方から「はつかり」「やまびこ」「ひばり」というふうに、走行距離が長い方からとなっていた。これは首都圏〜宇都宮貨物ターミナルの列車が多かった事で徐行区間があったので。「くりこま」は東北本線の本数が少ない区間を走破していたので速いが、それでもこの速さは伝説。
特急に次ぐ在来線列車といえば新快速 新快速くりこまだったらよかったかも
ゴウサントウダイヤ改正までの下り急行くりこま1語と、上りのくりこま2号は、全車指定席だっので周遊券だと急行券と座席指定券が必要なので、周遊券ではあまり乗らなかったのでは?ただゴウサントウ以降は、自由席もできたので周遊券でも乗れるようになった。そしてこのときに、急行いわての上野から仙台間廃止に伴い、くりこま1往復が、仙台盛岡間増発されて3往復になった。なお上野から盛岡まで臨時の急行エコーもりおかという列車があり、最初はビュッフェも営業していた。この列車は上野盛岡間を特急並のスピードで結び、485系の増備に伴い特急やまびこに格上げされていった。
小学校1年生レベルの日本語力すらないとは…
【例】
号「ごう」
五「ご」(伸ばしたいなら「ごー」)
到「とう」
十「とお」
当時は1,6号、全車指定席だったから、周遊券のみでは乗れ無かった思い出があった…
2:30 サラッと言ってるけど陸中のルートかなりえげつないw
急行が急行を追い抜くこと自体は、2023年03月まで名鉄774列車で見られたが、多層建て急行が絡むのは趣が深い。
逆に急行「たかやま」大阪ゆきは、東海道本線で新快速に叶わなかった。急行料金を払いながら、新快速より遅いとはw 「急行=急いで行かない」典型だったなぁ。
そもそも223系が130km/h運転で今よりも停車駅が少なければ国電は勝てませんよね~
それでも急行つやまよりかは大分ましかと
地元に通勤時間帯に追い抜きの為、12分停車する車輌が新聞に叩かれた事がある。(国鉄時代)
優等列車待ち合わせは致し方ない部分があるとは言え、通勤時はさすがにまずいですね、、、乗客が最も時間にシビアな状態でしょうから…
1号の場合、上野発の寝台急行新星から乗り換え、6号の場合、仙台で上野行の寝台急行新星に乗り換えられたと思います。
実用的にはほぼ同じ時間帯の急行十和田なんですけどね
北海道からの、こう云う「妄想トレイン」も面白い!
新星は仙台以北の客にとっては、他の列車の指定券が取れない繁忙期にしかたなく乗る列車というイメージがありました。
今一つは、仙台ー青森間に絞った優等列車がない、つまりは良い時間帯の区間特急が悪かった事。
夜明け過ぎる夜行特急、夜行急行、昼過ぎる特急などのスキマを埋める列車が必要だったのだ。
もちろん、本編で言う様に特急車両に空きが無いので、急行車両を投入せざるを得なかったのだ。
快速時代に家族で仙台から八戸に行く時に一度だけ乗りましたが、ほぼ全区間にわたって混んでいたのを憶えています。
当時乗車したのは普通車でしたが、急行時代の車両をそのまま使用していたので、グリーン車🍀も連結していましたね。
また、快速化当時は関東で新特急が続々誕生したことから、快速くりこまも、「新特急くりこま」として運転されないかな、と当時の鉄仲間と話していたことも思い出しました☺️
余っている583系を使って新特急くりこまが運転されたら感涙したに違いない。
@@tomohikoo8949 さん
大 歓 喜www😭😭😭
……あ、でもそれって「はつかり」の仙台延長で対応出来そうだし、そもそも「新特急」の名にふさわしいかどうか(自分から言い出しといてなんだけどさ😅)……
……う〜〜〜ん🥴🥴🥴
東海道新幹線開業当時は東京〜大阪間の急行が「なにわ」に一本化されながらも4年残っていたが、それをしなかったんだよな(あえて快速で残ったけど次の改正で廃止)>くりこま
実質所得が増えている時代なので、
割高な新幹線と並行する在来線優等列車を残しても乗客は程なくして新幹線へ移行してしまう。
「スピードは麻薬」と偉い自動車評論家が言うように一度速いサービスを味わうと元には戻れない。
現在でも航空機の味を知ってしまうと戻れないように。
@@けん-o4yさん
急行【佐渡】も上越新幹線開業後も生き延びましたな。(*´・∀・)
そういやあ、東北道花巻南IC〜盛岡南ICも120km/hでぶっ飛ばせるのも、何かの縁ですかねぇ。
東北道で岩手県内の120キロ区間は僅か27キロ。
120キロ走行だと短時間な所要時間短縮しか効果がない。
関東の120キロ区間は41キロだが、せっかく花巻南〜平泉前沢インターまで最高速度120キロ設計区間なのに、何故に花巻南までなのか不可解。
現状の岩手県120キロ区間では、所要時間短縮の有難みも薄れるわ。
@@5red90
大阪拠点の運輸会社に勤務したことがありますけど、流石に、佐野以北の東北道は走ったことないので、詳しくないけど、北上JCT以南はカーブが連続してるっぽいね。平泉前沢IC以北は、設計速度120km/hやけどね。
この列車の前身となった臨時急行エコーもりおか号は、上野→盛岡を約6時間40分~50分・盛岡→上野を約6時間30分で走破しており、特に上野行の表定速度は約84kmにも達したようです。そのため1971年の時には上野行が定期の急行ざおう1号を追い抜いたり、盛岡駅を1時間以上早く出発した急行いわて1号に上野駅到着時点で3分差までに迫っていたりと、当時の特急と比較しても遜色ない走りをしていたようです。停車駅は、上野・(大宮)・(宇都宮)・黒磯・郡山・福島・仙台・小牛田・一ノ関・水沢・北上・花巻・盛岡だったようです。※宇都宮は1972年のみ停車していたようです。1971年の秋と1971年~1972年の年末年始と1972年の春に運行された盛岡行の列車が大宮を通過していました。又1971年~1973年頃の東北本線には、急行エコーもりおか号以外にも急行エコーあおもりや号急行エコーくろいそ号などのエコーと名の付く臨時列車が運転されていました。
黒磯も通過したかったのでしょうが485系と違って列車選別装置非搭載だったのでやむなく停車したのでしょうね。
「エコー」って事は、ホントは特急にしたかった?
エコー≒こだまorやまびこと云う事で、ある意味リスペクトしたのかと…
@@雅夫大場 485系が不足していたのでやむなく急行型電車(455系)で運転したんでしょうね。
653使って復活してくれんかな(白目)
今だと、えちごトキめき鉄道の観光急行4号だと表定速度80キロオーバーの走りが楽しめますね^-^
朝方に妙高高原まで往復する快速もトンネルが少なくて眺めが良く、登り勾配の連続でモーターの唸りも聞けて良いですな。(*´・∀・)スイッチバックもあるよ!
車両運用の都合という側面はあるにしても庶民向け優等列車であった急行列車で速達化を実現していた
「皆様の国鉄」ならでは
末期の国鉄「赤字が膨らんで経営が苦しいなぁ・・・せや急行を特急に格上げしたろ!」
急行くりこまは特急並みの速さでいわば特急はつかりややまびこの補完役といった感じでしたね。また、盛岡、青森まで顔を出した唯一の455系列急行だったかと思います。
車両はおそらく、「まつしま」「あづま」「いわて」の間合いだったと思います。最盛期はサハシ455も連結されていたと思います。
@@坂田庄司-g6n 昭和50年代前半まで急行電車にサハシが連結されてましたね。
@@岡村充康-h9z サハシの営業自体は昭和48年までだったそうです。
昭和52年頃までは非営業ながら連結されていました。
@@jyouban531 そうなんですね。
盛岡には「いわて」や「もりおか」が発着していました。
青森に入る475系列は「くりこま」が唯一ですね。
くりこまが急行だったのは仙台〜青森で特急の需要があるのか疑問だったから、というのも一つの理由だったようです。
また伝説の120km/hというのもあって運輸省から全車指定席にする代わりに特認を得たという話もあります。但し120km/h運転に関しては今日でも真偽が明らかになっていません。ただ青函連絡船に接続する最速達列車は全車指定席になっているのは時刻表で確認する事が出来ます。ちなみに青函連絡船と接続する便は人気だから全車指定席にしたという説もあります。
455系の120km/h運転、もし行っていたのであれば乗ってみたかった。さぞかし迫力あるモーター音を響かせただろうなあ。
急行型ギヤ比だから意外にうるさくない
当時の国鉄の線区別最高速度を見ると、東北本線は特急電車と特急気動車と定員制急行電車は120キロになってますから、伝説ではなく正式に120キロで走ってますよ。
キー違いの葦笛の踊り。
東北本線で鉄道版LCCを走らせたい
急行が急行を追い抜く元祖列車の一つでしょうかね?
最高速度は敵いませんが、急行宗谷の「函館⇒旭川」間も特急北海と比べて素晴らしい表定速度です。^^
あの頃から特急レベル急行だったと認識します。
準急時代は(巻き添え的に)迷だったけども
急行時代はまさに名列車でした
しかし臨時急行とはいえ
定期の特急並に速かった
エコーもりおかや
エリアは違うけども
小山通らないで水戸線に入る
つくばねとか
東北本線走ってた急行たちは
何か癖が強いのが多い気が……()
急行列車の地位が高かった時代のフィナーレを飾る。今や定期列車では急行が存在せず、急行を知らない若い世代も増えた。
そして今の短距離特急は昔の快速以下の内容で特急なのは料金だけ。
急行がないのに特別な急行という不思議。
@@起きた掃除-h3vさま。
そして、たまに設定される普通「急行」列車がいわゆるLimitedなExpとは皮肉…?
もう少し周遊券に乗れた列車を勉強したほうがいいですよ!急行の自由席以外では指定席や寝台車を見てみたいです利用すれば急行券も必要になります。指定席券だけを買えばいいと言うわけには行きません。
もし特急だったら、遜色特急と呼ばれてたんだろうなあ。
替えたまみたいな…?
所要時間だけ見れば房総の特急の方が遜色感がある。
東北でも475使ってたのか!?って思ったけど普通にミスだわな・・・。
この路線に限らないが急行が速いのではなく特急が大して速くないのに料金だけは大幅値上げになっていたんだよな
国鉄は急行を料金だけ値上げして特急にした、JRは快速を料金だけ値上げして全車指定席特急にしている、現在も進行中。
この当時の東北本線の電車特急は全国レベルでも速く、表定速度は上野〜青森間で90キロ近かったです。特に区間別の表定速度は大宮〜黒磯、花巻〜盛岡、三沢〜浅虫間は100キロ、一ノ関〜花巻間は95キロでした。当時の時刻表で見るとわかります。
おっしゃるように大して速くなかった特急は房総の特急ですね。
敦賀~福井間だけでも快速の終日運転(途中停車駅は今庄・南条・武生・鯖江の4駅のみに絞る)があってもよかったと言えるのですが、敦賀以南というか米原または近江舞子(湖西線)まで各駅に停車する快速または新快速と却って紛らわしくなってしまうため、恐らく無理だったでしょう。
急行くりこまみたいな最速電車は、関西地方京阪神地区ならば、新快速ですよね🤗🤗
関西の新快速、設定当初はボックス席でしたし…
6:33
後に民営化した会社がA特急料金を徴収しました😂
新幹線大爆破ならぬ、急行くりこま大爆破って言う在来線版の奴を考えたことがあります。こちらの場合だと、新幹線よりも低速で爆破になるのですが、それをうまいこと速度を落とさず走らせるのが肝なのです。アニメ映画などでもいいから、一度作ってみたいなぁ。
速達編でもネタにされてた多層建て列車の極み。
最後に流れてるBGMってなんですか??
ご視聴ありがとうございます。最後で流れているのは、「TAM Music Factory- Where the Spring Wind Blows」というフリーBGMです。グーグルで検索すれば出てくると思います。
愛知嫌い男より。集団就職が使った。
455系「くりこま」の話なのに北陸急行の475系をサムネにするのはいただけない。
今でも思うのだけど最終新幹線が出発して30分~1時間後くらいに
夜行の特急・急行を走らせる事出来ないかなァ?
深夜0:30辺りから5:00迄は運転停車はしても
営業停車はしなくても良いから、
それを行うだけでも収益性変わりそうなんだけどな?(^^)
昔は良かった。この時代の国鉄はこれに就きます。特に東北、奥羽は言う事なし