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しかも1機落ちるたびに7,8人が死ぬ機体だもんなぁ。零戦乗りだった大叔父が「中攻に行った奴は殆ど帰らなかった」と生前に嘆いていた事を思い出した。
零戦設計で有名な堀越技師が「資源が無い国が戦闘機を造るとなると燃費が良く小型軽量な飛行機になる」と回想してました。旧帝国日本軍の作戦は「資源が無いゆえに『短期決戦』で無理があっても戦果を挙げそれをもって停戦交渉で有利に決める」ってのが上層部に有るため乾坤一擲な作戦で失敗すると窮地に立たされる。 海軍航空技術工廠では一応『自動消火装置』が開発されたが一式陸攻に取り付ける際に参謀側から「重量はどれくらいだ?」と聞かれ「50キロ」ですと答えると、参謀側が「外して爆弾を一つでも持って落とした方がマシだ」と言うエピソードが。因みにコッソリ試験的に自動消火装置を取り付けて出撃し無事帰還。隊長から「戦闘機から銃撃を受け火を噴いたが、自動消火装置のおかげで鎮火し無事に帰って来られた」と技術者に握手して感謝されたそうでした。
コクサは自分で飛ばないからそんなこと平気で言う!自分で航空船に出ないからね。地図とコンパスと、肩からつるしたくだらない参謀肩章だけでアイデンディティを保っていた人間のくずです。ラバウル撤収時も1番で零式輸送機に飛び乗ったんだろうな。。。。名前を調べて、世にさらしてやりたいですね。近衛理に従って、信頼に値しないリーダーには「不関旗」をかかげて、実証していくしかありませんね。今のクソコロナ問題と同じです。
敵より数が少ないのにセカンドプランを用意しない日本軍...少ないのなら、1人の兵士をできる限り生きて少しでも戦ってもらう必要があるのに...
なんというか、国力の都合もあるから短期決戦挑むのはいいんだけど、それが打撃を受けた相手が講和してくれるっていう相手側の考えとかプランを無視した戦略なんだよね。あと短期決戦というものは勝つこともあれば負ける事もある。勝てばよしだが負けた時、どこを限界点とするか?降伏などの選択肢はあるのかなどの出口戦略が全くないんだよね…
いや、逆だよ1人のパイロットを育成するのに2年の歳月と現代貨幣価値で2億円もかかる。この事実を冷静に分析しパイロットの生還を重要視した米軍が有利となった。航空機の代わりは用意出来てもパイロットの代わりはない。航空機は撃墜されてもパイロットさえ生還出来ればその経験をもとに腕前を上げる訳だから
その点意外とソ連はパイロット大事にしてる印象
水木しげるがニューブリテン島に上陸しようとして輸送船がP-38に襲撃されたときに一式陸攻が助けに来てくれたと伝記漫画に描いてあったけど、それがどれだけ絶望的な状況だったかよく理解できた
勝てる見込みは無かったですが、輸送船から目をそらさせる為のオトリになる覚悟での行動だったのでしょうね・・・。
防御ができる胴体燃料タンク方式を反対し翼タンクを主張した2人の将軍の主張決定には驚きでした。貴重な動画と調査には感謝です。
一式陸攻の米コードネーム「betty」は米兵の彼女の名前で、双発から彼女の胸を連想してつけられたって話すき
胸があるのにぶっとい魚雷が出てくるんだぜ?
戦闘機の護衛とかが充実してそうな戦争初期でもこんな損耗率があったとは……しかも飛行時間1000~2000時間の搭乗員や中隊長などのベテランがどんどん戦死していくのがなんとも……(防弾を後回した事や運用構想にあった運用を出来なかったことで色々なツケが実戦で出てきてしまってますね)
飛行時間1000~2000時間の攻撃機搭乗員は中堅未満だよ
本当に? 2000時間って1日3時間毎日飛んでも2年近くかかるんだけど。
飛行員はまともに飛べるようになるまでに3年かかるみたいに言われてたから、毎日乗って2年程度なら休日挟んで3年弱だろうから普通に扱いとしてはやっとまともに乗れるようになってきた新人程度じゃない?
例え一式陸攻が完璧な防弾装備が施されていたとしても、当時の海軍の運用方では実際の損耗率と大差がないと思われる。雷撃にこだわらずある程度の戦闘機の護衛付きの高高度爆撃が最も適した運用だという事が良く分かりました。
カンゲキするほど同感。サングラスはかけていませんが。
あんな大型機で雷撃なんて多少の防弾装備でどうこうできる話ではないですからね遙かに堅いB25.B26が弱い日本艦を攻撃しても毎回1~2機落とされてるのにね。
反跳爆撃も、相手が対空火力の貧弱な日本艦だからこそ成立したみたいだな
高高度での爆撃が動いている敵艦に当たるとでも?😂護衛機がついたところで敵戦闘機の方が数が多いので消耗戦。これだから情弱は😂無知はコメすんな
しかし、高高度からの無誘導爆撃では陸上目標はまだしも洋上を移動する敵艦への直撃は期待できないので三式弾のようなクラスター爆弾やチャフや煙幕弾を投下して敵艦の防空能力を低下させて後続部隊の突入を援護するという運用になりそう。
最近の「実は頑丈だった」説聞いて「その割にはバカスカ落ちてるよなぁああ」と思ってましたので、今回の動画に納得です。
対戦した。米軍戦闘機パイロットの証言なんかが。情報ソース。防御火力は、高いとも報告されてます。現実は、発火、爆発💥が多いですね。ただし、ガンカメラ映像で、被弾してもなかなか発火せず(白煙は出る)に飛行する一式陸攻も実際にあるのも事実。消火装置で助かった‼️と、三菱の技術者に感謝した。搭乗員の話しもあるし、消火装置か効いた報告も実際にある。悩ましいとこですが。発火爆発しやすいのが、当時の搭乗員の証言からハッキリとわかります。
「実は頑丈だった」って説は「日本にだってiPhoneを作る技術と土壌はあった」って言ってるのと同じ匂いがする。
頑丈でも数による暴力には敵わんし、使い方を間違えば鉄グスになる。王虎がww2最強でも結局連合軍の物量には勝てなかったし、最近よく言われるゲームチェンジャーも一兵器だけで出来るわけがないってのは戦史からよくわかる。
昔は韓国がファンタジー語ってたけど今は日本でそういうの多いよね
遅レスで恐縮だが実際双発機としてはかなりの巨体かつ頑丈な機体構造により、防弾装備等の欠如にもかかわらずけっこうタフな機体でした。そこだけはバトルオブブリテンでハリケーンに落とされまくったHE111やBR20よりも単純比較では上だと思います。ただしそのタフさはポケモンで言えばハピナスのようなもので、防御が無いのを巨体のHPで耐えてる訳ですから軍用機として褒められたものではないのは確かですね。
高価な双発機に7人の乗組員を乗せて損耗率の高い雷撃を行うコンセプトよ…
それでより高価かつ人員の多い艦艇を沈められれば御の字、ということなのでしょうねまあ結果は史実の通りなんですけど
深山や酸素魚雷を見ると、そもそも日本軍が求めたのは敵防空圏外からの魚雷攻撃というアウトレンジ戦術。その為艦攻程度だと搭載できない魚雷を搭載できる双発機に目をつける。しかも実戦で活躍したならなおのこと。
7人のち価値があるのはパイロットの二人だけであとはそこらで代用できる
@@ニシノフラワー0 パイロットは途中から一人にしてるよ バンバン落ちるから
そもそものコンセプトが時代に合ってなかった、というのはまさにそれって感じですよね。動画面白かったです。1937年の渡洋爆撃で衝撃的な大損害を受けたのに、結局一式がちゃんと防弾重視にならなかったのは、やっぱりエンジンの問題が大きかったんじゃないかなと思いますね…。九六式と大して変わらないレベルのエンジンしか無ければ、結局全体の性能としては大して変わらないレベルにしか出来ない。航続距離とか搭載量とかの要求を落とすのは、そもそもの陸攻の存在意義(対米漸減)がなくなるから駄目。ならせめて防御火器強化と速度でなんとか…というのは、まあ当時の海軍の発想としては常識の範囲内というか通常運転というかそういうことだったのかなと。むしろ火星エンジンに目処がついた後も変更が無かったのが問題なのかなと思いますけど、要求性能出した後だし仕方ないのかな…。後は日中戦争での九六式陸攻の被害が落ち着いたってのも原因だと指摘されたりしてるみたいですね。
どこかの掲示板にも書いてあった。・陸攻思想に基づく限り、一式陸攻は非の打ち所が無い優秀機である。・だからといって、それが兵器として優秀かどうかは別問題である。・↑のような事になるのは、陸攻思想そのものが時代にそぐわないものになっていたから軍縮条約や国力の関係で洋上戦力に頼れなくなった日本は、状況打開にあたって陸上から発進する長距離対艦攻撃機に希望を見出した。ここまでは発想としては決して悪くないように思える。一体何がいけなかったのか。戦艦による決戦に先立ち遠方で攻撃を行う都合上、航続距離が求められるのは必然。速力や防弾、攻撃力も必要になる。全てを兼ね備えるには当時の技術力というか馬力では実現不可能だった。そういう意味で、陸攻思想は当時の日本には早すぎたのかもしれない。対艦ミサイルを搭載して日本近海を飛ぶF-2やP-1は、現代の陸攻とも解釈できる。
ほぼ、同世代のB25辺りと比較だと。エンジン馬力は同等なんですよね。結局、海軍の戦略、戦術である。太平洋上で、アメリカ海軍を叩く為の、長距離雷撃機であるのが、歪な性能の飛行機なった最大原因。同世代の陸軍97重爆が、それなりに防弾装備を実施できたのも。一式陸攻よりも、長距離飛行を求められてないので。燃料搭載にリソースを割かずに設計できた事と、陸軍航空隊が。きちんと戦訓を冷静に分析して防弾装備を直ぐに有効と判断できたから。海軍は、必要性を認識していながら。無視する参謀達の精神論が、防弾するのは『卑怯もの、弱腰』と言い放って。(特に、源田)。開発を停滞させた。源田は、零戦パイロット達からの、防弾の必要性の報告も。軟弱思想‼️とバッサリ‼️。ついでに『腕を磨いて、弾に当たらなくすれば良い‼️だの』『零戦の後継機は、防弾なんかいらないから、軽くて、運動性が良くて、敵の戦闘機と同等の速度と、高い火力』があればよいのだ‼️と。恫喝‼️。まともな会議になってないんです。陸軍に頭を下げる度量があれば、米軍機並みはムリでも。防弾ができる技術はあったのです。本当に残念。
@@三浦英則 皮肉にも97重も一式陸攻も同じ三菱である件因みに反復打撃のため修理時間を抑えるのが陸軍の防弾の狙いとか
零戦と似てる気がする
九六式が新ホークの50Calに為す術もなくやられた時点で、新型機の防弾対策の順位を優先すべきだったのですが、足の長さが最重点でしたから……エリコン積めば何とかなる、では帳尻合わずに陛下の赤子を随分と死なせるハメになりましたね。エンジンは火星か護しかないのが実情でこれで総花的な性能実現は最初から無理だったと思いますよ。
陸攻機で大戦初期から最後まで戦い抜いた搭乗員はほぼほぼいないんだろうね。護衛の戦闘機パイロットの証言では陸攻機のパイロットは本当に勇敢だったと言われてた。
1機落ちるだけで7人死ぬのに7割8割平気で落とされるとかゾッとした、行く前に百数人いたのに数十人程度で帰ってくるとか恐怖でしかない現場の指揮官の人はどんな思いで見てたのか気になる
頑丈なB17やB24ですら。ドイツ本土空襲で3000機近く撃墜されてる😰。1機あたり10人乗りで、撃墜時にはほぼ全員死亡が多い😰。当時の爆撃任務は命がいくつあってもたりない、、。ヨーロッパの空から毎日大量に爆弾の雨と、人間の雨が降っていた事実。戦争は悲劇しか生まない。
@@三浦英則 勝ったイメージのアメリカでさえ死ぬ人は死んでますね……一兵卒目線で見れば悲惨としか言えない
同規模の機体であるB-25と比較すると日米の違いが顕著ですね。無理に航続距離を要求せず、その分防弾をしっかり施したB-25。主翼にまで大型の燃料タンクを装備し能力を航続距離に無茶振り。防弾の弱さを防御火力で補おうとした一式陸攻。どちらが戦場では正解だったのか。歴史が証明していますね。
とはいえ日本海軍の戦略的にあの航続距離がないと活用ができなさそうなのがネックですね。
ドーリットル空襲では航続距離がない故に、b25は不時着する羽目になってるし、一概には言えないですね。兵器の性能なんて、数多くある戦争の勝因の一つでしかないですし、こう言った話はほとんど意味のないものしれませんね。
アメリカもイギリスに渡されたより航続距離の長いB-24はB-17に比べヤワな機体が搭乗員には嫌われて『未亡人製造機』などと不名誉なあだ名を貰っていますけどね…結局どこも無理をすれば同じようにガタが出て、それが国力の少ない日本は早めに出たというだけの話です
@@TAKAYA-m4s ドゥーリットル空襲は作戦自体無茶だったし…
運用思想が違う以上、どちらが「正しい」とは断言できん気がしますが…
一式は飛行高度限界が高めでP-40だと食いつきずらいってのは初めて知りました。一式陸攻三四型の写真はどこか哀愁を感じさせますね。
ラバウルに所属していた零戦搭乗員の回顧録に四空の未帰還になった搭乗員の遺品が山のように積まれていたというのがありますね。護衛戦闘機が付いていても大損害というのは防弾不足は間違いないですが、戦闘機搭乗員が敵戦闘機を発見すると結局護衛を放棄して空戦してしまう形が多かったというのもあるとは思います。まあ空中指揮も無線を使っての護衛も中々組織的公的に体型化出来なかったという運用面の稚拙さも損害に大きくかかわっているのはあるのではないかと。
光人社文庫の戦闘機パイロットの回想録を読んだことがあるが、そこには、護衛戦闘機は陸攻の盾になるために、敵機から銃撃を受けても、弾受けして撃墜されていたらしい事実かどうかわからないが、その記述を読んでいるときの虚しさは計り知れないなかったな
@@owannu7654 スタンレーの魔女
ガチガチに防弾して、75ミリ砲つけて対艦対戦車する姿を見たかった
本動画でも何度も触れられているように、最近、明らかに切り取りとした思えない出所不明のあやふやな伝説ばかりが吹聴されるのは大いに悲しむべきことと思います。こちらの動画の通り、1942年初頭には本機の限界はすでに露呈しておりました。事実として損害に見合うだけの戦果を挙げられる機材ではなかったということに尽きますね。いずれにしても本機の第一の目的が漸減作戦における敵艦隊の雷撃ですから、損害の多い敵艦隊雷撃は除外するなんて言うのはナンセンス極まりないです。それに同様な艦船攻撃を行ったB-25は一式よりは遥かに生還率が高く、またずっと戦果を上げていますしね。それにしてもこれだけの大損害そして何よりも戦果なしが続いているのに、どうしてやり方を変えなかったのでしょうか?当時の上層部は本気で航空部隊の戦果を信じていたのでしょうか? このことがどうしてもわかりません。
>どうしてやり方を変えなかったのかこれに対する答えはハッキリしていて一式陸攻の雷撃が効果があると本当に信じてたんですよ43年末のギルバート沖航空戦で一式陸攻による夜間雷撃は実に正規空母8隻の撃沈を報じており、日本本土では米軍艦で太平洋を埋め立てるって歌が流行りました 本当の戦果はよく知られる通りです確かに損害も大きいが一式陸攻は大きな戦果を挙げていると軍令部でも信じており、大きな期待をかけていたのが実態です 実際の効果に気づいたのは台湾沖航空戦で航空決戦に敗れた後でした これは陸攻の性能よりも海軍の戦果分析能力と戦訓を作戦に反映する能力の問題です一方、B-25でも当初は対艦攻撃の効果はなく、43年正月に行われた18号作戦では大兵力で日本の輸送船団への攻撃を行うが殆ど効果がなかった 5航空軍は戦果分析結果から従来の水平爆撃はやるだけ無駄との結論を出して急遽新戦法スキップボンビングの訓練をB-25部隊にやらせます。きっかり2ヶ月後の81号作戦でB-25部隊は雪辱を果たして日本の輸送船団は全滅しますB-25と一式陸攻の性能の違いよりも正しく戦果を把握して戦訓を反映できたかどうかが日米両軍の分かれ目です 一式に防弾装備が無かった事も日華事変の戦訓を正しく反映できなかった結果とも言えるでしょう
最近は情報が出揃いすぎてて、捏造された逸話に縋り付かなければ枢軸崇拝っていう宗教を維持できなくなってきてるんでしょう。しかし元が捏造なだけに、どれだけ史料で否定されても新しく湧いてくる厄介なもの。
米側に護衛戦闘機いる状態だと艦船攻撃で想像以上に一方的にやられているというか双発大型機に魚雷を積むことが無謀だったのか…。
アレもコレもで要求詰め込み過ぎて防御性能を切り捨て無いといけなくなるのは日本機の特徴だな。まぁ結局は大馬力エンジンが開発出来なかったのが元凶ではあるが。
機体が海面に触れて墜落するほどの低空飛行できるパイロットて…。それ大戦に従軍した全パイロット含めてもトップに入る技量では…。
このあと海面に激突しなきゃね
一式陸攻を諸外国の同級機と比較する人もいるけど、単にスペック表を並べて比べるだけでは表面的な理解にしかならない。なぜそうなったのか、どうしてそのようなコンセプトになったのか、その裏には必ず背景がある。国力や技術力のほか、既存の戦力ストックや軍縮条約も絡んでる。どの組織にも固有の背景があり、それを無視することはできない。
あの写真のやつ墜落したんか・・・
当時の日本パイロットの技量を持ち上げる為によく引用される写真ですが、その直後に落ちてることを知っちゃうとねぇ
日本海軍は魚雷が大好きなのに使い方が下手だと思う。
知名度の高い爆撃機なのに、本当に輝いた期間が短期間というのが悲しい。ワンショットライターが誇張だとしても、米軍機の機銃や対空火力の前には防弾装備が不十分だというのも分かった。あと本来なら相手の防空能力を喪失させた後が、一式陸攻の出番だということも。それなら防弾装備より航続距離が重要だったのは理解できる。でもそんな場面は...。搭乗員たちはどんな思いで搭乗したのか。
極、短期でも輝いた時期が有っただけマシかも。
航続力と速度があれば攻撃範囲が広がり、攻撃範囲が広がれば様々な基地から攻撃できる、太平洋ならではの話。米軍でも太平洋はB17より航続力の長いB24が主力。エンジン4基使うと飛行機が半分になり稼働機はさらに減るからね。
確か、山本五十六連合艦隊司令長官の最後の座乗機は、一式陸上攻撃機でしたね。損耗率が新鋭機として配備当初から、高い傾向にあった事は知らなかったです。防弾に関しての、技術的や資源的な差は当時の日本と連合国とでどうであったのか興味が湧きました。面白く大変勉強になる動画ありがとうございます。
私は山本氏は乗っていなかったと思う。とっくにアメリカに通じていて、もしなくなった将官(のかっこうをしたデコイ)がいたなら、可哀想に、、、と考察しています。メイソンリーの山本は、とっくに脱出していたと思う。新説ですが、愚将論は今日、珍しくない分析だし、永野修身と山本は倍高度だったとも思われます。永野は裁判にも出れず、独房で凍死させられたんだよ!!!!
@田中一郎 さま 子供時代から戦記物は好きでよく読んでいました。ブーゲンビルデ落ちた中攻は大炎上していなかった?との報告ですが、かすかすの燃料で将軍を移動させないし、燃料満載の飛行機が椰子の森に墜ちれば炎上しないはずがない。私が子供時代に読んだ(読まされた)戦機では他の搭乗員の遺体は腐敗が進んでいたが、山本長官は群島を胸に掴み、遺体も鼻の穴辺りにウジが少し涌いている程度だったという「はなし」です。子供心に、変だなと思いましたが、当時は山本大将を尊敬していましたから、偉いヒトは死んでも立派なんだとダマされていました。発見したのは日本軍ではなく現地のゲリラくずれだったと思います。海軍の隠蔽体質は、この後も日本を左前に傾ける事件を次々と起こしていきましたよね。
@田中一郎 さま 永野修身が東京裁判で法廷に立つ前に凍死させられたことを考えると、無傷で米軍側に脱出した山本に生き残るチャンスはなかったと思います。口封じなど、彼ら白人達には赤子の手をひねるよりたやすいことです。五十六の投機的な行動をみれば、むこうと取引きできる隠し球を持っていたとは思えません。近衛文麿でさえやられているんですよ。いかに彼らが腹黒いか、、、日本人では民度的にムリなんです。従って、もしゲリラが生け捕りにしたなら、この世から跡形もなく消滅させられたのではないでしょうか。
お疲れ様です。面白かったです 一点だけ動画で参考に挙げている「一式陸攻戦記」や「世界の傑作機」の両方に明記されていますが一一型の翼内燃料タンクには防弾ゴムは付いてません 側面に防弾ゴムをつけたのはG6M1の話で量産型のG4M1には側面防弾ゴムはつけられなかった G6M1で翼内タンクを前後桁だけでも防弾しようとしたのに何故G4M1に防弾ゴム設置の指示が無かったかは付いては記録がありませんが、本庄技師が証言している様に側面だけに防弾ゴムをつけても意味が無いからだろうと思われますね
14:27のとこの損害8機ではなく4機なので、帰還機の数と間違えているかと思います。
本編中にも紹介されていますが、一式陸攻の三菱と海軍の第一回打合せにおいて三菱の本庄技師は「四発機案」を提示。「二つの発動機の馬力で兵器搭載量と空力性能と兵艤装を満たし、残り二つの馬力を使って防御鋼板と防弾タンクと消火装置に充てる。」と、海軍に提案したところ、当時、航空本部技術部長の和田操少将が「用兵については軍が決める、三菱は軍の仕様書通りの双発機を造ればよいのだ!」と大激怒。ほぼ同時期に行わた九六式陸攻の防御力強化の会議で、防弾タンクを装備すると300キロ重くなり、その分、燃料か爆弾搭載量を減らさなければならないという事を現場の用兵側が拒否。こういった経緯があり、一式陸攻の要求も「防弾を考慮する」のみになったそうです。※出典、光人社FN文庫「海軍空技廠」
和田操は脚を悪くして飛行機に乗れなくなり、航空兵器行政の方へ転じたんだったと思います。源田実なんかもそうだけど、現場からいったん「仕切る側」へ抜けると、顔だけは現場上がりを通しつつ言うことと仕切りは現場無視みたいになる者が多いのは、ちょっと不思議な光景です。
その話しネェ。本庄さんは怒りを通り越して、呆れるしかないと言った心境でしょうね。本庄さん的には『はい、どうぞ、仰せのとうりに御作りしました』てとこでしょうね。陸軍の四式重爆は、実質の一式陸攻の後継機。一式の経験と戦訓と陸軍の長年の運用経験から防弾仕様。航続性能以外は高性能にまとまってます。海軍の兵器行政のトップがキチガイでなければ。陸軍みたいに、まともな爆撃機ができる技術はあったんですよねぇ。一式陸攻も、97重爆、四式重爆も全部 三菱製なんですからね。
@@三浦英則 同感。戦後の海軍軍人の回想では「米軍は次々と新手を出してきたが、国力乏しい当方は零戦で戦わざるを得なかった。だから負けたのだ(←生産力以外ではヒケを取っちゃいなかったのだ?)」と云う類のものが多いが、これだけなら下士兵卒の感想と変わらないだろうと思う。現に陸軍では、一式、二式(単・複)、三式、四式、五式と、戦闘機に限っても次々と開発機を送り込んでいる。空母での利用を前提とした為に制約が多いにしても(おっしゃるところの陸上機ならそれさえないのだが)、リソース対比で陸軍よりよほど海軍の方が開発の効率は悪い。過大で細かい要求項目等々、陸軍に比べ仕切りがよほど悪かったのだろうと容易に推察できるのである。旧海軍軍人にマンリーナイスな人が多かったのは、確かに本当なんだろう。関係者が懐かしむのも当然な気風があったのもまた事実なんだろう。それにしても、陸軍の言う「海軍の眼には海軍のみあり国家なし」というのも、また確かに真実だろうと思う。
@@草莽-b6d 陸軍は、航空機関連の開発の仕方は。意外と合理的な感じ(97戦~キ43は海外の流れを読みきれず、難産でしたが)。現場からのフィードバックを重視してる感じが海軍より強いですね。陸軍航空審査部隊なんか良い例で、現場叩き上げの優秀なパイロットをテストパイロットに任命したり。整備関係の人材も、優秀な人材を、学生や、軍関係の学校から。青田刈りして採用したりと。人事面でも臨機応変。モノに成らない機体も多数あったけども。海軍よりは、使える機体を実用化できてますね。海軍は、良くも悪くも。三菱一社指定。しかも、三菱の戦闘機設計は、『チーム堀越のみ』。確かに、96艦戦、零戦と、続けて海軍の要求性能を達成した艦戦を造り上げましたが。海軍側が、無理難題を形にする『チーム堀越』に過度な期待と要求をして。雷電なんて言う畑違いの戦闘機を発注したり、同時に、零戦の改良要求を乱発したり。挙げ句、雷電すら完成してないのに烈風の開発要求ですからねぇ。そもそも、堀越、奥宮コンビの書籍の中にも書かれてめすが。烈風の開発指示が、堀越さん曰く、2年遅いんですよね。結局、雷電が足を引っ張り続けるんですよね。海軍としては絶対に雷電を時期陸上用戦闘機として実用化したい腹積もりでしたが。全てが悪い方に転がり、陸軍の用に新型機が出ない状態に(涙)。雷電がなければ、零戦の金星搭載も、烈風の繋ぎで出せていたかも。しれませんが、今だから言える事。当時は、どうしようもなかったと言う事なんでしょうね。陸軍は、中島、川崎を上手く使い分けしてますね。しかも、中島、川崎は三菱みたいに。一人の人間に戦闘機全般を任せていないのも合理的。せめて、川西に零戦のライセンス生産をさせて。陸上戦闘機のノウハウを学ばせる事をしておけば。紫電は最初から紫電改の形で1943年には戦力となっていたかも?と妄想してしまいます。雷電をサッサと中止して置けば烈風も1944(誉搭載)には実戦配備も出来た可能性もあります。ただし、誉搭載の烈風は、現実に試作された大柄な機体ではなく。空技厰が一時提示していた、零戦とほぼ同じサイズの型式であればですが。堀越さんがハ43搭載に拘らない条件も必須ですけどね。
最後の最後は、緑十字飛行で日本軍の幕引きを白菊とともに務めた機種ですね。
こんなにも無茶苦茶だったんだな解説ありがとうございます!
無茶苦茶って言うか当時の日本の技術レベルじゃこうせざるを得なかったって言った方が正しいかどう正しい
結果ね…
@@user-lx1ns2hz4n 無茶苦茶であることを裏付けておりますね。
@@user-lx1ns2hz4n 仮に日本にも米国以上の技術があっても物量で押し切られていただろ。そもそも日本の攻撃機の技術は米国にさほど遅れを取っていなかった。情弱はコメすんな😂
1式陸攻も完全な状態で現存する機体が一機も残ってないの本当に残念だわ ドイツ機はHe111もユンカースも残ってるのに
山梨県の河口湖自動車博物館に、南方のジャングルから回収されて、そこから主翼以外は完全な状態で復元された1式陸攻が展示されてますよ。
二式大艇君を忘れないで差し上げろ
コンセプトは達成できたが、コンセプトそのものが間違っていたという話、二式大艇にも通じるものがありますね。より多く作られた本機の方が兵器としての仕事はできていたのでしょうが、やはり損耗率があまりに高すぎますね・・・。
世界の傑作機に、当時の搭乗員のインタビュー記事で。陸攻乗りで生き残こるのは『運』だとコメントしてましたね。生粋の陸攻乗りが、『腕』ではなく、『運』と言ったのに真実を感じる。
@田中一郎 生き残りの搭乗員ですから、『腕』も一流だったはずなんですよね。その方が『運』と言い切るくらいに、発火しやすい飛行機だったという現実😔。アメリカ海軍の対空砲火が当時としては、異次元レベルに強力だったのも大きいですけどね。イヤな言い方すると、一式陸攻は。巨大なガソリンドラム缶が魚雷を搭載して飛んでる様なもの。死なない方が奇跡。ビックリ箱で有名なT72戦車よりも、人命軽視😢。海軍の航空機で、そこそこの防弾がされたのは紫電改、銀河、流星、二式大艇。次点は、雷電。雷電は燃料タンクの防弾は、ほぼ効果がなかった、のか。被弾炎上してる写真が多いですね。
@@三浦英則 これも極端な例(すなわち珍しいから記録されている)と思いますが、「陸攻と銀河」と言う本の冒頭に米海軍の4発飛行艇のコロナードに一式が撃墜された話が書いてあります。3ヶ月間で米軍側にほぼ損害なし、一式は5機撃墜されているとのこと。
@@DB-eq4hd コロナードに😲初めてしりました。一式陸攻は、航続性能を買われて単独哨戒も任務でしたから一騎討ちだったのでしょうかねぇ。PB4Y2プライバティア(ハリネズミのB24)にも喰われてそうですね。二式大艇も、PB4Yに撃墜されてる写真が。『世界の傑作機』に載ってますね😰。二式大行艇は、日本海軍機のなかでは防弾も良く、火力も強力(1号20ミリで初速が遅いのが問題🤔)で。P38から、しこたま撃たれたのに生還したエピソードもありますが。単独哨戒中に、無電連絡すらなく消息を経ってしまうのも多かったようですから。防弾も無く、さほど高速でもない一式陸攻では尚更😢。
@@三浦英則 B-17やB-24の中には、任務そこのけで敵哨戒機を追い回した機体もあるので。
若い頃だが沖縄にいた時、スナックでガダルカナルで従軍した元米海兵隊パイロットの老紳士と飲んだことがありましたかの老兵によれば一式陸攻はとにかく逃げ足が早く、待ち伏せでなければ接敵すら出来なかった事のこと。ただただ飛び去る一式陸攻を見送る事が何度もあって、頑強よりその速さが厄介であったらしい一式陸攻を撃墜した事があるかの質問に苦笑と「グラスを一杯受け取れ」の定番セリフで誤魔化されたのは、老パイロットの息子が日本女性と結婚して在沖してた事と、私の祖父(軍属だが)が鹿屋で戦死した話をしたため、元軍人として気を遣ってくれたのかもしれませんね
損耗率70〜90が普通に出てきて縮み上がった…。搭乗員は畑からは取れないんですが?幾らなんでも兵器としての効率悪すぎると運用中に気づかないものなんですかね?
99艦爆なんかも初期でさえ損耗率そんなもんだよね
@@141easy6 それ言ったらドーントレスも
双発機でその消耗率はちょっとありえないし擁護できない。機体と運用、双方がクソだという逆奇跡によってようやく到達出来る数字だわな。ましてや一機落ちるだけで単発戦闘機の10倍のパイロットが戦死する…
北海道ツーリングの時に陸攻の航空機関士の方と旭川近郊の鍾乳洞でお話した事があります。エナーシャ回せ!コンタック!と言ってセルを回しました。もっともっとお話を聞きに行けば良かった‥
開戦直後にアメリカに大損害を与えて講和に持ち込むしか短期決戦しか日本には勝ち目はないわけで・・・最初に一撃でしくじったら内閣総辞職ではなく内閣総腹切りで少しでも有利な条件で講和するくらい状況なので防御無視の攻撃一辺倒も仕方がないかと思います
最初から戦わないって政治的選択肢もありますよ。希望的観測で戦端開いた連中で腹切ったのが幾人います?
@@解離性乖離太郎 同意します。
@@解離性乖離太郎 戦争計画の話をしてるのに、戦争をしなければ良いとはこれ如何に
@@TAKAYA-m4s さま戦争計画とはどこの言葉か存じませんが、仰せの計画なるものはどの内閣でいつ策定されたものなのでしょう?それによって腹を切る面子が違ってくるのですが……明治憲法下に於ける統帥制度の知識程度は当然お持ちと思うのですが。
@@解離性乖離太郎 いさむさんが一式陸攻の性能の話をしているのに、論点のズレた回答を貴方がしていたので、指摘しただけですよ。それと小学生のような揚げ足取りはやめません?
米艦艇の主な対空火器は、5インチ両用砲と40mmボフォース機関砲でした(20mmエリコン機銃は非常手段)。砲種ごとに、自動で見越し照準可能なジャイロ照準器と対空射撃方位盤を組み合わせた精巧な指揮装置を備え、有効な弾幕を張りました。当時40mm砲弾ではVT信管は使われず、対空用としては、榴弾と着発信管の組み合わせが用いられ、目標への直撃を要しました。さすがに航空機で40mm砲弾直撃の防御は無理ですから、この点に限っては、海軍の言い分が正しいと言えます。問題は、12.7mm機銃の標的となる任務に酷使されたことでしょう。合成ゴム生産は実用化されていたものの、当時ゴムと言えば天然ゴムが多く、貴重な戦略物資でしたから、ふんだんに使えるようなものではありませんでした。
14:49 ツラギ島攻撃は1942年8月7日では……
お疲れ様です。今回も面白い動画ありがとうございます。マレーの時にイギリス東洋艦隊上空に護衛機が20数機ほどいたらレパルス、プリンス〜はどうなっていたのでしょうね。陸攻の損害はどうやら対空砲火より敵戦闘機のより損害の方が多いみたいですが、米空母とその護衛艦の対空砲火の苛烈さも特筆するのがあると思います。プリンス〜の対空砲はMark I 133mm連装両用砲×8基 40mmポンポン砲八連奏×4基 40mm四連装ポンポン砲×2基2基 40mm単装機銃×1基 20mm単装機銃×7基を装備していますが、少なからず陸攻に撃墜出来なくても10数機に損害を与えて、撃墜もしていますが、やはり米軍艦艇に比べて、対空砲の航空機への追従速度が順動だったのではないでしょうか?またチャーチルの米大統領との会談に派遣されたりして、訓練時間が取れなくて練度も低かったにのでは?動画リストを見たら日本海軍機動部隊に欠かせない「99式艦上爆撃機」の解説動画がないようです。(もう1度探して見ますが)気が向いたら動画作成をお願いしたいです。99式艦爆に500キロ爆弾が搭載出来ていたらヨークタウンは珊瑚海戦で沈んで、ミッドウェーはどうなっていたのでしょうね。艦攻が優秀すぎて艦爆はこの程度の爆弾搭載量になったとか?
それに関しては、投稿者が過去に投稿したマレー沖海戦の動画で詳しく解説されていますよ。
色々と運用や戦況が合わず評価の難しい形になったただ高高度での運動性が良いだけに飛行機としては優れてた陸軍が開発した飛竜が似たデザインだし海軍も使ってたので日本の双発機の到達点だったのかも
高高度が高くって小泉構文みたい
@@user-rd3rx5lt6r 高高度での と書こうとしてたのにミスしてた
私が読んだ書籍には、胴体内燃料タンクが却下されたのは、機内での指揮がやりにくくなるから、と言うものでした。機内の前後が燃料タンクで分断されると言う事でしょうね。しかし、B29でさえ前後の往来は細いパイプを通してだったんだけど。なんとも合点のいかない理由と思いますね。
実情にあった運用をすれば陸軍の屠龍のように駄作機でも活躍出来るんだけど、1式陸攻では何やっても難しそう。対潜哨戒と物資輸送ぐらいしか思いつかん。
遅レス恐縮ですが単なる爆撃機としては43年まで通用してますよそれ以降はそもそも引退すべきですから仰る通りどうしようもないですね。
@@福正之 戦況が優勢だった緒戦でも損害を多く出していから通用しているとは言い難いでしょう。
ドイツ空襲の場合は作戦機の一割落とされた程度で大損害と大騒ぎされて戦術変更や機体改良にてんやわんや一方で一式陸攻は毎回8割近く落とされ続けて思考停止で作戦継続とか…率直に言って腐ってる
戦闘機無用論は、戦闘機パイロットだった源田実がライバルで彼より腕利きの柴田光雄を蹴落とすため提唱したという話がある。源田は一度も空戦をやったことがなく歴戦の柴田とは比べ物にならない。零戦開発の時も、実戦経験豊富な柴田は速度が第一、敵に追い付けなくては空中戦など出来ないといったのに、実戦経験ゼロの源田は、フワフワと旋回する戦闘機を主張した。エンジン技術はアメリカの2年遅れであったから飛行性能を達成するためには防御を無視するしかなかった。基本的に海軍は下士官と兵隊のパイロットを消耗品と考えていた。陸軍は違ったが。
概ねそのとおりなんだが「光雄」ではなく、柴田武雄です。数理に優れた柴田武雄と源田実との確執は相当深刻なものだった様ですが、山本五十六や大西瀧治郎あたりはどう転んでも源田のバックに付き、柴田武雄の方は研究発表を遮られたり鈴鹿あたりに飛ばされたりで、相当苦労した由。戦後に至っても「源田実論」等を著作し、「これ以上やるとクラス会から除名する」(海軍流の村八分で、これをやられると退役。海軍OBとは名乗れない)とまで警告されたとか。晩年は新興宗教の開祖みたいになって亡くなられたと聞いています。筋の通った主張をされたのに関わらず名も聞こえず、お気の毒なことだと思います。
1942年2月20日のニューギニア沖海戦に祖父は一式陸上攻撃機で出撃して生還した2機のうち1機に搭乗していたようです。
長大な航続距離を活かしての遠距離雷撃という戦術が通用したのは最初のプリンスオブウエールズとレパルスだけ。これにしても両艦の対空火器が有効に機能してたらあそこまでの成功は無かったかも知れません。最初に大成功したのが悲劇の始まり。弾が当たって燃えやすかった以前に、的の大きな双発機が敵艦に肉薄して雷撃するという方法に無理があった様です。速く気付いて早期に中止するべきだったと思います。
一式陸攻とやや話はずれるのですが、爆撃機相手には弱武装と言われる隼2型でさえ千島列島での同士討ちで96式陸上攻撃機を一撃で撃墜してるんですよね・・・防御力は同等と考えると、そりゃあより威力のある弾丸に加えて搭載数の多い米軍機に容易に打ち落とされてしまうのは当然の気はします
残念ながらB25は日本の小銃にすら撃ち落とされていますwこれだから情弱パヨクなんだよ😂
様々な『悪癖』の上に出来上がってしまった機体、という感想。ドクトリンにしても機体設計にしても運用にしても何から何まで、どこかで歯止めが掛かればここまで酷くはならなかったんじゃね?と。装備換装のゴタゴタはコロンボ空襲でもミッドウェーでもやらかしてたのにまだ上塗りしてるし…
電撃戦の歴史 更新待ってます
投稿お疲れ様です
結局戦いは数だよ兄貴に行き着くのか
正しくは、数を揃える努力。数を運用できる組織力。有史以来、物量戦ほど実現難易度の高い軍事作戦はありません。それを高い次元でやってのけた米英ソの涙ぐましい努力はもっと現代日本において周知されるべきでしょう。
過去の成功例から脱却できないで、前例踏襲で作られたことが一式陸攻の最初の悲劇だったって感じです。「足さえ速けりゃ防弾なんかいらねえ!」とでも言わんばかり…本庄技師が4発機を提案したのも「てめえらの要求通りの物を作れっていうんなら、4発機にでもしなきゃ無理なんだよ!」っていう抗議の意味なんでしょうね。ただ上限高度が高かったおかげで開戦初期に意外と損害を抑えられたというのは初めて知りました。個人的に思うのは戦局が傾いた時点で双発陸攻には見切りをつけて、艦爆・艦攻にリソースを振り向けなかったのかと思います。搭載量がが同じぐらいだったら、人的損害を抑えられると思うのですが・・・
一般論として近代の海軍て陸軍よりテクノロジーへの理解関心が求められるように思えるんだけど、こと日本海軍の航空機開発に関しては、陸軍よりはるかに精神主義・無茶ブリが横行してたのはナゼなんだろ
この動画を観ると、一航戦がインド洋で時間を浪費せずに二航戦と共にポートモレスビー攻略に参加すべきだったと改めて思うよ。ポートモレスビーさえ占領しておけば陸海軍でこのような悲惨な犠牲を出さずに済んだのに。それからガンカメラは必要だよね。戦果報告も写真付き以外は認めるべきではない。
ガンカメラってデカイんですよ。仮に搭載しても無線や防弾板降ろすような人達に降ろされてたでしょうね
@@tenkararyu 歴史上日本人は一度も戦争で外国を滅ぼした事がありません。ぶん殴って言う事を聞かせる、それくらいしかできませんでした。これは世界的に見るととても珍しい。日本人は兵器を作る技術はあるのですが戦争をやる心構えが他の国とは違うようです。それが有利なのか不利なのか一度良く考えた方が良いのかも知れません。
ガンカメラ自体はあったけど機銃を取り外して付ける構造だったので当然ながら誰も付けたがらなかったって聞いたことあるなぁアメリカやイギリスみたくいっぱい積んでるなら1個くらい外してもだったろうけど
@@sei-un ドイツ軍機もガンカメラは標準装備でしたよ。それだけ戦果確認は大切だという事です。
@@鄭宗元-b2d そういや空の魔王のアレにも積んであったですもんね(出撃がバレるので他人の戦果と申告した模様)日本は戦果報告を疑ったら(堀さん)「搭乗員を疑うのか!」ってキレられたとかありましたしねマスコミ発表用ならともかく軍内でも誤魔化してエライ事に…
敵の迎撃を振り切る高速性能をもった爆撃機というコンセプト。WW2時代ならまだしも、冷戦末期まで存在していたのが恐ろしいですね。今でも現役のB-52も敵の戦闘機を振り切る高速ジェット爆撃機として開発されてますし。
結局そのコンセプトを実現できたのは世界でもB-1とTu-160だけなのがなんとも
@@ベルカ公国国家宣伝相 モスキート
防弾に関しての評判はMicrosoftがCombatfFightsimulator作った時の米パイロットへのインタビューで「あれ落としの大変、防御弱いとは思わない」って証言が出たのと、それ以前は(if戦記の影響もあって)「一式陸攻は歩兵の小銃1発でも被弾すると落ちる完全な欠陥機」って意味にワンショットライターという蔑称がとられていたことへの反動が大きいと思いますね。
そりゃあタンクに当たらなきゃ燃えない・・・
看るだけで辛すぎるシビアな現実ですね。
陸攻思想の前提では一式陸攻は優れたとまでは行かなくてもそこそこの性能なんだろうけど、その思想がそのまま現実に降りてくるわけ無いからな…
そもそも「戦闘機を振り切れるほどの高速双発爆撃機」っていう世界中(特に枢軸)で流行ったコンセプト自体が戦闘機の高速化でオワコン化してしまったのがね...
なんでそれを捨てられなかったんですかね枢軸は。
のちのミサイル万能論に通じるものを感じる
戦闘機不要論と双発万能戦闘機、WW2直前ぐらいに世界的に流行したなあ。
@田中一郎 モスキートは奇跡とも言える。最初、偵察専用だったのに、何でも出来るマルチファイターになった。偵察専用で、設計したハズなのに。高い負荷が掛かる戦闘機、爆撃機になれたのが凄い‼️。対日戦線(ビルマ)でも、韋駄天ぶりを発揮してるが。欧州戦線より活躍できてない。原因は湿度。木製のモスキートは、湿度に弱く、機体の劣化が激しく。すぐに廃棄になっていたようです。ホントかどうか知りませんが機体から、キノコが生えたりしたエピソードを読んだ事があります。(書籍は忘れました😅)
カタログデータよりかなり鈍足でラバウルの搭発員の手記によるとニ二型でも25番一発積んで205Ktが精一杯とか、ハミルトンでもVDMでもフルフェザー出来ないペラと無防備なタンクでは生残性の点で前線で使える代物では無かったという悲劇的な結論に達せざるを得ません。また、陸攻による雷撃戦術は山本五十六の執念もあり、実用的機体の構想を阻んだ面もあったかと思われます。
え!22型でもそんな遅かったんですか!?もしソースあったら読みたいので教えてくださいNF文庫ですかね?
@@福正之 さま手元にみつからなかったのでうろ覚えなことをお詫びします。小林孝裕 著 海軍よもやま物語という本で、光人社刊でしたので、或いはNF文庫に収録されているかも知れません、正続二冊で、お探しの内容は続篇にあるはずです。昭和五十年代に丸エキストラ版に連載されていたエセーで著者は緑十字機の登発員まで務めた昭和十二年志願のベテラン整備兵曹だった方です。
@@解離性乖離太郎 返信ありがとうございます日本機、特に海軍機はスペックより遅い場合が多いですが、実用時速380キロくらいは44年では遅すぎて絶望的ですね。海軍よもやま…は名前は知っていますが読んだことはありませんでした今度探してみますありがとうございます🙇
16:28 誤認がすぎる
東日本大震災の時もそうだったけど、この国の上層部って危機的状況において楽観的な情報だけを選択する癖があるよな仮に日本が次も戦争したとしたら、耳障りのいい情報ばっかり選択して勝手に負けてそう
大本営発表を司令部が信じ込んでどうする!...まぁ、どうにもならなかったから負けたんだけど
何かに特化するためには、何かを犠牲にするしかない。残酷だけど、それが現実かと
魚雷調整整備士の曽祖父は中攻の隊員は気の毒で仲の良い機長は精神衰弱で薬に頼っていたしトラブルで帰還した皮肉を言われて狂った様に笑っていたと、実際に狂ったが出撃させられて帰ってこなかったと。雷装出撃前はまるで葬式のようだったと言っていました。
そもそも計画時に将来米軍機が装備するであろう、20ミリ銃に対して有効な防御を行うのは技術的に無理という判断で、防御火器と高速によって対応しようとした結果みたいですね。ブローニングの12.7mmは炸裂弾なので、当時の技術ではどうやっても不十分だった気もします。制空権を得られない限り、この時代の大型爆撃機では大体厳しいでしょう。Ju188、モスキートくらいの高速が出ても、難しい話です。
仮に機体が壊れても搭乗員の命だけは絶対に守る方向に行ってくれていれば、ここまでの悲劇は起こらなかったでしょうね
その割に肝心の機銃は骨董品のルイスのまんまなのが海軍しぐさよマジで無能!w
@@diopresarioまあ重量問題もあるんで何も全周を守れなんていうんじゃなくて、コクピット正面だけでも防弾ガラス、操縦席後方だけでも防弾板の設置、欲しいですよね。あとエンジン消化装置
@@ヤス-l4bさま胴体に銃撃されれば、搭乗員に被害がでます。操縦員だけ護れればはさせがに。B17は胴体も防弾仕様です。無駄に7人乗っている分けでは無いですし。
自分の祖父が渡洋爆撃に参加したそうです。木更津航空隊に所属し、パイロットだったそうです。その後、立川飛行機に所属したそうです。
一式陸攻は前線に出さず、南シナ海で船団護衛に使うべきでした。
実際に901空で運用した時には既に遅すぎでした。磁探はありましたが、ろくな電探も爆雷もありませんでしたが、ずっと役に立ったはずです。
帝国陸海軍の航空機に対する思想が『弾は当たらなければどうと言うことはない』だったんでしょうね。太平洋戦争開戦初期はそれをやってのける精鋭猛者の搭乗兵が一杯居たようですしね。間違えたのは、戦争が消耗戦だって事を軽く考えていた事と、敵側の補充が想定以上だった事。山本長官も一式陸攻と共に帰らぬ人になったしね。
日本海軍が出した結論は戦闘機より高性能な爆撃機があれば成立し世界でそれを実現させたのはイギリス「モスキート」だけですね。
一式陸攻は性能そのままに防弾装備が充実していたら、戦績も評価も変わっていたと思います。if物語なんですけど、一式は語りたくなりますね。
2000馬力で信頼性のあるエンジンがあれば、換装すれば可能だったかも
運用構想自体が実戦とミスマッチだったという話になるのかやっぱりこういうのは機体の性能云々だけでは語れない背景があるんだな
ごがしゅうと氏も自身の著作で指摘してるけど、桜花を抱いた一式陸攻への銃撃を収めたガンカメラ、右主翼端が破裂してる映像がある。インテグラルタンクの対策が不十分のままだったせいであんな致命的な損傷を甘んじてしまった。確かに速度・防御火器は一定の評価は得たのだろうが、最終的に棺桶の謗りを受けてしまったのは製作者・搭乗員共に無念だったろう。どちらにせよ仕様・運用を二転三転させた軍側の責任。
いつも興味深く動画を拝見しています。おそらくは主様の興味としては、戦争という国家の一大事業にかかわった兵器の性能や生産量なども当然範疇に入るのでしょうが、それらを運用する人々の錬成状況も興味の範疇に入るものではないではないか、と推察します。少し遠い先の話でも構いませんので、日本の航空人力の整備と、あと米国がどうやって航空人力を平時と戦時のスイッチを切り替えて錬成していったのか。こういうあたりを主題に動画を上げていただければ幸いです。
よくよく考えれば比較的鈍重な多発機に重量物の魚雷ぶら下げて低空飛行させるなんざ正気の運用じゃないわな。主力艦決戦の前に陸上攻撃機による長距離攻撃って思想は誤りではないだろうが、実現のための諸要素が不足していたってことなんだろう。
言っても仕方ないかもしれないが、一式陸攻が4発で完成していたらどのような機体になっていただろうか?
エンジンが増えただけで、印象は同じになると思いますよ。例:マンチェスターとランカスターエンジンの数だけ価格が高騰して、生産数が半分以下になりそうです。
なるほど、何となくイメージできました。兵器として考えれば本庄技師の言い分がごもっともなのでしょうけど現実的には和田廠長の意見を取らざるを得なかったということになりますか。
多分ですが。実用化できなかった可能性が高いですね。何せ、四発の陸上機経験が皆無。中島『深山』ですらDC4の劣化コピー。まともな爆撃機にはならず。物資輸送機としてしか使えませんでした。『深山』の経験と、南方で入手したB17の技術を研究して。やっと『連山』です。アメリカの四発爆撃機の開発も、書籍を読むと苦労の連続。基礎工業力で劣る日本には荷が重いですね。本庄技士が『四発』発言をしたのは無茶苦茶な海軍に。頭にきたからでは?と想像します。インテグラルタンクにしたのも。海軍に対する当て付けだったんではないかなぁと邪推します。常識的に考えて、こんな『被弾→炎上』が確実な軍用機なんてキチガイの産物です。技術者である、本庄さんが、気付かない訳もない🤔。『頭のイカれた海軍の要求どうりに造って差し上げました』て、とこでしょう。ちなみに、四発爆撃機ですが実は日本にも存在しますよ。二式大艇です。陸上基地用が、『深山』ただし、ノウハウ不足で。降着装置が上手く出来るかわからず、また大型陸上機は、長大な滑走路が必須となるので。当時の日本の土木技術だと大変でして。その解決方法が、無限の滑走路である水上を使用できる。飛行艇だったのです。『深山』『二式大艇』の要求性能は実はおんなじなんです。
@田中一郎 (笑っ)92式重爆はさすがに古すぎかと。一応、後々の三菱の大型機の設計の勉強にはなったみたいですね。そう言った意味では、96式や一式の御先祖さまですね。陸軍は、92式重爆で。懲りたのか、四発爆撃機はすっかり鳴りを潜めちゃいましたね。貧乏国家には四発はキツイですね。飛行艇とは言え、四発を製造した川西は。たいしたもんです。
やはり爆撃機は贅沢な装備だ
最後期型の一式陸攻は 良き。B29にしたって トラブルの多い問題機だった。
エンジンも電装品も欧米より大きく遅れているのに性能だけは負けないものを、となると生存性という数値的には華がないものを切り捨ててしまいますね。現代の我々の社会も売上とか純利益など決算書に載る「スペック」を充足させる一方でコンプライアンス違反や従業員離職率など見えない問題を抱えてしまうケースがある。
あるいはメンツの文化というものでしょうか。数字という名のメンツを守るために実態を犠牲にするという本末転倒。
防御を切り捨てないと欧米に対抗する性能を得られない悲しさ。
でかい機体で雷撃ってそもそも無理がある。悲しいなあ
そもそも帝国海軍に人命重視の概念があったのでしょうか。勿論ヒューマニズムではありません。戦争ですから。海軍が人命救助を行ったのも確かです。ただ戦争だから将兵が○ぬのは当然と言う雰囲気があった様に感じます。ラバウルにいた陸軍高射砲隊将校(兵の叩き上げ)の方の回想では迎撃に出撃する零戦が重量軽減に落下傘を置いているのに軍刀を持参するのはおかしいではないか、軍刀を置いて落下傘を持ち生還を期すべきではないか、訓練された操縦者は大事ではないのかと言われていました。一方アメリカ軍はパイロットの救助に力を尽した様です。これは訓練された将兵を大事にすると同時に「味方が助けてくれる」安心感からモチベーションが保てる効果もあった様に感じます。
ヒューマニズムの問題を棚に上げても、ひとりの人間を軍人として訓練教育するためにはべらぼうのコストが掛かります。エリートであるパイロットとなれば説明する必要もないでしょう。戦死というのはそのコストを悉く無駄にする現象であり、戦争の本質が資源消耗戦である事を勘案するなら戦死は可能な限り避けなければなりません。あまつさえマヌケで愚かな日本海軍は優秀なパイロットを一回限りの使い捨て弾丸と捉えていたフシがあります。もしや彼らは最初から戦争に負けたかったのかもしれませんね。未必の故意。
@@diopresario堀栄三参謀の本で、前線の搭乗員が散華しだして隊の士気が低下してくると、何故かまだ死んでない搭乗員が大事にされるのではなく、戦友が散っているのにまだ貴様は死んでいないのか?と詰められてる搭乗員の話が出てきます。特攻隊でなくて通常部隊でこれです。どう考えても通常部隊ならば技量優秀なパイロットが繰り返し出撃したり無事帰ってきた方が作戦もできるし効果的なはずですが、太平洋戦争(大東亜戦争)中期頃からの日本軍は死ぬ事、そのものを賛美してもはや死ねばなんとかなると思っていたフシがあるんじゃないかと思います
この陸攻、何とか魚雷を2発積めませんでしたかねえ。と私は思ったことがあります。艦上攻撃機でも魚雷を一発詰めるのだったら、2発は積んでもおかしくないだろうと思いました。アメリカのB25、B26は出来るんですよね。
ワンショットライターってどっちが言ったか気になる。日本軍が皮肉で言ったとか、米軍がつけたのか、どっちなんだろう
戦後日本だったかと
真偽不明だったと思う。元搭乗員が言ったのか、はたまた米パイロットが言ったのか、ソースが不明で多いからどこから広まったかマジで分からん。
結局最後まで見ても、上層部の無能以外の原因が見当たらない件。冒頭の「技術者は悪くないというのは乱暴」に該当する内容が全く入ってないような気も
やっぱ海軍の無茶な要求が全ての元凶かと。これがドイツだと軍の要求スペックの中で優先するべきスペックを重視して他の要求スペックを無視する一種の割り切りが出来なかったのが一因があると思うね。(Bf社のBf110とFw社のFw189等)でも、日本じゃあメーカーよりお上のほうが強いから無理かなぁ(苦笑)
開戦初頭で捕虜になった搭乗員が自爆させられた話、あれも一式陸攻だったかな。
コイツに限らず欲張りがすぎるんだよな、まぁその欲張りも諸外国からしたらレベルの低い内容なのが多いんだろうけど。実現させるための基礎技術がないのを当事者たちが知らなかったから仕方がないと言うか自業自得と言うか……
日本海軍の要求って列強各国が協力してようやく完成するレベルだと思う。もし実現出来るとしたら、具体的には諸外国のどこの国が日本海軍のアタオカ要求を(煽りとかではなく)クリア出来ると思いますか?
@@TAKAYA-m4s 少なくとも枢軸陣営は無理だと思う、戦時中ドイツから技術供与が複数あった事を踏まえると少なくとも日本よりは進んだ技術があったと思うけど、比較対象を連合国にした途端下位互換に成り下がっちゃうし………多分連合国側、それでも一国じゃあ無理。エンジン一つとっても米ソの共同とかじゃ無いとほぼほぼ詰みだと思う
@@そよかぜはるな 最初に言ってることと違うやんけ!笑
@@TAKAYA-m4s アッやべ(素
しかしどうやったら米機動部隊を航空攻撃で撃退できるんだろう?最適解が全く見えない
南太平洋海戦の結果が良い例だと思います。日本側が夥しい熟練搭乗員を損失して壊滅状態になっても、米軍は空母1~2隻を失うのみ。空母は造船所から送られた後続艦がすぐに補充され、戦闘機パイロットの損失も僅か。日本軍の兵器性能や運用能力では、世界一の米軍を壊滅させるのは不可能です。
艦隊に限らず、防空体制の整った(=制空権を奪われていない)対象への航空攻撃がほぼ失敗するのは戦史が証明しています。直近ではロシア・ウクライナ戦争でのロシアの失敗。ミサイルをはじめ誘導兵器など航空機以外の方法を編み出さない限り当時の米艦隊の牙城を崩すのは不可能でしょう。かといって誘導兵器の技術についても日本は数世代遅れていますので…
詳しい解説ありがとうございます。
千歳空が装備する一式陸攻は一小隊を編成するにおよばず、大半が九六陸攻だったと思うのですが、四空開隊時に装備する陸攻は一式陸攻だけだったのですか?
動画内の一式陸攻の内部の様子を見てると、操縦士の座席の背面に防弾鋼板などが全くないですよね。被弾することを想定してなかったと言われても仕方ないかなと思います。
某惑星でお世話になっております!!よく燃えますオヌヌメです(脳死)
ガイジンはもっと陸攻の派生増やして♡
な ぜ 二 式 大 艇 に 乗 ら な か っ た
銃手エース化して空戦しろ(脳死空戦民)
名前忘れたんですがナチスドイツ軍の、巨人というあだ名を持った輸送機を解説して欲しいです。少し調べたんですけど海外の資料が多い印象でよく分かりませんでした
Me323だね。ギガント(独語で巨人)は愛称。
ドイツのハインケルより良いくらいですよ。危険な魚雷攻撃の時が特に損耗率高かったのは運用じたいに一番問題があったのではないですか? たしか各爆撃機の損耗率が表で発表されてませんでしたか? 一式はワーストには入ってなかったと思いますよ。 桜花発射のプラットフォームに使うとゆう発想じたいと運用が最悪です。
それこそ戦地による差でしょう。独英米の爆撃機は互いの大都市や大規模航空基地などの分厚い早期警戒対空網に真っ正面から殴り込んでいっての消耗率ですし。万が一日本の爆撃機が同じ使われ方をしたら…恐ろしくて想像すらしたくないです。
海軍は艦隊決戦に固執していたから、陸攻の主任務はあくまで雷撃であり、爆撃「も」できる、という認識。海軍は、九七大艇や二式大艇にさえ雷撃能力を要求しています。急降下爆撃に固執したドイツ空軍が、四発機を含むあらゆる爆撃機に急降下爆撃能力を要求したのに比肩します。零戦は、堀越技師の完璧主義もあって、恐ろしく生産工数が掛かるものの、少数精鋭の艦戦ゆえに問題なしとされています。一式陸攻も零戦も、結局は陸上基地間の消耗戦で酷使されたから、その点海軍の見通しは甘かったというほかありません。
現場サイドから戦闘機不要論とか後の格闘戦至上主義が出てくるのは、なんか考えさせられるな良くも悪くも現場だけではイノベーションは出ないというか
祖父実家の石碑に弟が豪空襲へ行った際、片肺で帰還した。その後、南方で亡くなったと載っていました。
昼間雷撃で敵艦船を撃滅なんて護衛戦闘機付けてても犠牲は避けられないのにその愚策を何度も繰り返す海軍の無能ぶりに振り回された感が強い機体ですね。本来の艦隊決戦での役目を遂行するために防弾を犠牲にして完成した一式陸攻を運用するなら対潜哨戒か高高度爆撃くらいしか使い道が無いかもしれません。まあ、それもP-38の配備が充実されたら終わりだとは思いますが。
銀河や零戦みたいな増槽タンクをつける発想はなかったのかな?
理論的には可能でしょうが、空気抵抗と重量増加で陸攻としての役割(特に魚雷の搭載)を果たせなくなるので実行されなかったと思います。そもそも増槽つけて初めてカタログスペック(の一部)を達成できるって言うのは設計者としては敗北に等しい代物です。そんなことするなら4発大攻(深山)量産するわ!に行き着いてしまうのですが、まぁないものねだりでして…
増槽を付ける=兵器搭載量が減るなので、その機能があっても現場でそういう運用が為されるかどうか
初期の方は付けていたはずです。でも結局翼内タンク増量で無くなりましたね
正解は防御装置の重量をものともしない強力なエンジンに高質な燃料、護衛戦闘機を含め圧倒的な数による飽和攻撃。それを米軍相手にw誰か宇宙人からの技術供与以外で実現可能な方法を教えてくれ。
手術は成功した、しかし患者は亡くなった。技術屋はこんな笑えない例をいっぱい作りやがる、現場はたまったもんじゃない。エンジン能力の限界が防御・攻撃さまざまな航空機の装備に影響を及ぼす。
なら用兵側は無茶な要求をするなよ
@@装甲擲弾兵-u5jさん 空技廠は技術屋兼運用側
護衛機が無かったり、別々に目標に侵入した複数の攻撃隊が連携できなかったりしたら、連合軍機でも日本軍機でも高い損害を負うことが多いよね。防弾だけが損害の原因というのももちろん間違ってるけど、そもそも一式陸攻の設計でこの性能が引き出せているのであれば、防弾その他を考慮して性能が落ちれば緒戦の航空撃滅戦は不可能だろうからさらに複雑だ。損害に関しては海軍はガダルカナル以上に、絶対国防圏以東のラバウルやその他の諸島に固執して、劣勢な空域に多くの航空隊を活動させたままにして、悪戯に損害を出し続けた1943年後半から1944年あたりはもはや擁護できないけどね。トラック空襲では陸軍に戦争のやる気すら疑われてる始末だし…
しかも1機落ちるたびに7,8人が死ぬ機体だもんなぁ。零戦乗りだった大叔父が「中攻に行った奴は殆ど帰らなかった」と生前に嘆いていた事を思い出した。
零戦設計で有名な堀越技師が「資源が無い国が戦闘機を造るとなると燃費が良く小型軽量な飛行機になる」と回想してました。
旧帝国日本軍の作戦は「資源が無いゆえに『短期決戦』で無理があっても戦果を挙げそれをもって停戦交渉で有利に決める」ってのが上層部に有るため乾坤一擲な作戦で失敗すると窮地に立たされる。
海軍航空技術工廠では一応『自動消火装置』が開発されたが一式陸攻に取り付ける際に参謀側から「重量はどれくらいだ?」と聞かれ「50キロ」ですと答えると、参謀側が「外して爆弾を一つでも持って落とした方がマシだ」と言うエピソードが。因みにコッソリ試験的に自動消火装置を取り付けて出撃し無事帰還。隊長から「戦闘機から銃撃を受け火を噴いたが、自動消火装置のおかげで鎮火し無事に帰って来られた」と技術者に握手して感謝されたそうでした。
コクサは自分で飛ばないからそんなこと平気で言う!自分で航空船に出ないからね。地図とコンパスと、肩からつるしたくだらない参謀肩章だけでアイデンディティを保っていた人間のくずです。ラバウル撤収時も1番で零式輸送機に飛び乗ったんだろうな。。。。名前を調べて、世にさらしてやりたいですね。近衛理に従って、信頼に値しないリーダーには「不関旗」をかかげて、実証していくしかありませんね。今のクソコロナ問題と同じです。
敵より数が少ないのにセカンドプランを用意しない日本軍...
少ないのなら、1人の兵士をできる限り生きて少しでも戦ってもらう必要があるのに...
なんというか、国力の都合もあるから短期決戦挑むのはいいんだけど、それが打撃を受けた相手が講和してくれるっていう相手側の考えとかプランを無視した戦略なんだよね。
あと短期決戦というものは勝つこともあれば負ける事もある。勝てばよしだが負けた時、どこを限界点とするか?降伏などの選択肢はあるのかなどの出口戦略が全くないんだよね…
いや、逆だよ
1人のパイロットを育成するのに2年の歳月と現代貨幣価値で2億円もかかる。
この事実を冷静に分析しパイロットの生還を重要視した米軍が有利となった。
航空機の代わりは用意出来てもパイロットの代わりはない。
航空機は撃墜されてもパイロットさえ生還出来ればその経験をもとに腕前を上げる訳だから
その点意外とソ連はパイロット大事にしてる印象
水木しげるがニューブリテン島に上陸しようとして輸送船がP-38に襲撃されたときに
一式陸攻が助けに来てくれたと伝記漫画に描いてあったけど、それがどれだけ絶望的な状況だったかよく理解できた
勝てる見込みは無かったですが、輸送船から目をそらさせる為のオトリになる覚悟での行動だったのでしょうね・・・。
防御ができる胴体燃料タンク方式を反対し翼タンクを主張した2人の将軍の主張決定には驚きでした。貴重な動画と調査には感謝です。
一式陸攻の米コードネーム「betty」は米兵の彼女の名前で、双発から彼女の胸を連想してつけられたって話すき
胸があるのにぶっとい魚雷が出てくるんだぜ?
戦闘機の護衛とかが充実してそうな戦争初期でもこんな損耗率があったとは……しかも飛行時間1000~2000時間の搭乗員や中隊長などのベテランがどんどん戦死していくのがなんとも……(防弾を後回した事や運用構想にあった運用を出来なかったことで色々なツケが実戦で出てきてしまってますね)
飛行時間1000~2000時間の攻撃機搭乗員は中堅未満だよ
本当に? 2000時間って1日3時間毎日飛んでも2年近くかかるんだけど。
飛行員はまともに飛べるようになるまでに3年かかるみたいに言われてたから、毎日乗って2年程度なら休日挟んで3年弱だろうから普通に扱いとしてはやっとまともに乗れるようになってきた新人程度じゃない?
例え一式陸攻が完璧な防弾装備が施されていたとしても、当時の海軍の運用方では実際の損耗率と大差がないと思われる。
雷撃にこだわらずある程度の戦闘機の護衛付きの高高度爆撃が最も適した運用だという事が良く分かりました。
カンゲキするほど同感。
サングラスはかけていませんが。
あんな大型機で雷撃なんて多少の防弾装備でどうこうできる話ではないですからね
遙かに堅いB25.B26が弱い日本艦を攻撃しても毎回1~2機落とされてるのにね。
反跳爆撃も、相手が対空火力の貧弱な日本艦だからこそ成立したみたいだな
高高度での爆撃が動いている敵艦に当たるとでも?😂護衛機がついたところで敵戦闘機の方が数が多いので消耗戦。これだから情弱は😂無知はコメすんな
しかし、高高度からの無誘導爆撃では陸上目標はまだしも
洋上を移動する敵艦への直撃は期待できないので
三式弾のようなクラスター爆弾やチャフや煙幕弾を投下して
敵艦の防空能力を低下させて後続部隊の突入を援護するという運用になりそう。
最近の「実は頑丈だった」説聞いて「その割にはバカスカ落ちてるよなぁああ」と思ってましたので、今回の動画に納得です。
対戦した。米軍戦闘機パイロットの証言なんかが。情報ソース。防御火力は、高いとも報告されてます。現実は、発火、爆発💥が多いですね。ただし、ガンカメラ映像で、被弾してもなかなか発火せず(白煙は出る)に飛行する一式陸攻も実際にあるのも事実。消火装置で助かった‼️と、三菱の技術者に感謝した。搭乗員の話しもあるし、消火装置か効いた報告も実際にある。悩ましいとこですが。発火爆発しやすいのが、当時の搭乗員の証言からハッキリとわかります。
「実は頑丈だった」って説は「日本にだってiPhoneを作る技術と土壌はあった」って言ってるのと同じ匂いがする。
頑丈でも数による暴力には敵わんし、使い方を間違えば鉄グスになる。王虎がww2最強でも結局連合軍の物量には勝てなかったし、最近よく言われるゲームチェンジャーも一兵器だけで出来るわけがないってのは戦史からよくわかる。
昔は韓国がファンタジー語ってたけど今は日本でそういうの多いよね
遅レスで恐縮だが
実際双発機としてはかなりの巨体かつ頑丈な機体構造により、防弾装備等の欠如にもかかわらずけっこうタフな機体でした。
そこだけはバトルオブブリテンでハリケーンに落とされまくったHE111やBR20よりも単純比較では上だと思います。
ただしそのタフさはポケモンで言えばハピナスのようなもので、防御が無いのを巨体のHPで耐えてる訳ですから軍用機として褒められたものではないのは確かですね。
高価な双発機に7人の乗組員を乗せて損耗率の高い雷撃を行うコンセプトよ…
それでより高価かつ人員の多い艦艇を沈められれば御の字、ということなのでしょうね
まあ結果は史実の通りなんですけど
深山や酸素魚雷を見ると、そもそも日本軍が求めたのは敵防空圏外からの魚雷攻撃というアウトレンジ戦術。その為艦攻程度だと搭載できない魚雷を搭載できる双発機に目をつける。しかも実戦で活躍したならなおのこと。
7人のち価値があるのはパイロットの二人だけであとはそこらで代用できる
@@ニシノフラワー0 パイロットは途中から一人にしてるよ バンバン落ちるから
そもそものコンセプトが時代に合ってなかった、というのはまさにそれって感じですよね。動画面白かったです。
1937年の渡洋爆撃で衝撃的な大損害を受けたのに、結局一式がちゃんと防弾重視にならなかったのは、やっぱりエンジンの問題が大きかったんじゃないかなと思いますね…。九六式と大して変わらないレベルのエンジンしか無ければ、結局全体の性能としては大して変わらないレベルにしか出来ない。航続距離とか搭載量とかの要求を落とすのは、そもそもの陸攻の存在意義(対米漸減)がなくなるから駄目。ならせめて防御火器強化と速度でなんとか…というのは、まあ当時の海軍の発想としては常識の範囲内というか通常運転というかそういうことだったのかなと。
むしろ火星エンジンに目処がついた後も変更が無かったのが問題なのかなと思いますけど、要求性能出した後だし仕方ないのかな…。
後は日中戦争での九六式陸攻の被害が落ち着いたってのも原因だと指摘されたりしてるみたいですね。
どこかの掲示板にも書いてあった。
・陸攻思想に基づく限り、一式陸攻は非の打ち所が無い優秀機である。
・だからといって、それが兵器として優秀かどうかは別問題である。
・↑のような事になるのは、陸攻思想そのものが時代にそぐわないものになっていたから
軍縮条約や国力の関係で洋上戦力に頼れなくなった日本は、状況打開にあたって陸上から発進する長距離対艦攻撃機に希望を見出した。ここまでは発想としては決して悪くないように思える。一体何がいけなかったのか。
戦艦による決戦に先立ち遠方で攻撃を行う都合上、航続距離が求められるのは必然。速力や防弾、攻撃力も必要になる。全てを兼ね備えるには当時の技術力というか馬力では実現不可能だった。
そういう意味で、陸攻思想は当時の日本には早すぎたのかもしれない。対艦ミサイルを搭載して日本近海を飛ぶF-2やP-1は、現代の陸攻とも解釈できる。
ほぼ、同世代のB25辺りと比較だと。エンジン馬力は同等なんですよね。結局、海軍の戦略、戦術である。太平洋上で、アメリカ海軍を叩く為の、長距離雷撃機であるのが、歪な性能の飛行機なった最大原因。同世代の陸軍97重爆が、それなりに防弾装備を実施できたのも。一式陸攻よりも、長距離飛行を求められてないので。燃料搭載にリソースを割かずに設計できた事と、陸軍航空隊が。きちんと戦訓を冷静に分析して防弾装備を直ぐに有効と判断できたから。海軍は、必要性を認識していながら。無視する参謀達の精神論が、防弾するのは『卑怯もの、弱腰』と言い放って。(特に、源田)。開発を停滞させた。源田は、零戦パイロット達からの、防弾の必要性の報告も。軟弱思想‼️とバッサリ‼️。ついでに『腕を磨いて、弾に当たらなくすれば良い‼️だの』『零戦の後継機は、防弾なんかいらないから、軽くて、運動性が良くて、敵の戦闘機と同等の速度と、高い火力』があればよいのだ‼️と。恫喝‼️。まともな会議になってないんです。陸軍に頭を下げる度量があれば、米軍機並みはムリでも。防弾ができる技術はあったのです。本当に残念。
@@三浦英則 皮肉にも97重も一式陸攻も同じ三菱である件
因みに反復打撃のため修理時間を抑えるのが陸軍の防弾の狙いとか
零戦と似てる気がする
九六式が新ホークの50Calに為す術もなくやられた時点で、新型機の防弾対策の順位を優先すべきだったのですが、足の長さが最重点でしたから……エリコン積めば何とかなる、では帳尻合わずに陛下の赤子を随分と死なせるハメになりましたね。
エンジンは火星か護しかないのが実情でこれで総花的な性能実現は最初から無理だったと思いますよ。
陸攻機で大戦初期から最後まで戦い抜いた搭乗員はほぼほぼいないんだろうね。
護衛の戦闘機パイロットの証言では陸攻機のパイロットは本当に勇敢だったと言われてた。
1機落ちるだけで7人死ぬのに
7割8割平気で落とされるとか
ゾッとした、行く前に百数人いたのに数十人程度で帰ってくるとか恐怖
でしかない現場の指揮官の人は
どんな思いで見てたのか気になる
頑丈なB17やB24ですら。ドイツ本土空襲で3000機近く撃墜されてる😰。1機あたり10人乗りで、撃墜時にはほぼ全員死亡が多い😰。当時の爆撃任務は命がいくつあってもたりない、、。ヨーロッパの空から毎日大量に爆弾の雨と、人間の雨が降っていた事実。戦争は悲劇しか生まない。
@@三浦英則 勝ったイメージのアメリカでさえ死ぬ人は死んでますね……
一兵卒目線で見れば悲惨としか言えない
同規模の機体であるB-25と比較すると日米の違いが顕著ですね。無理に航続距離を要求せず、その分防弾をしっかり施したB-25。主翼にまで大型の燃料タンクを装備し能力を航続距離に無茶振り。防弾の弱さを防御火力で補おうとした一式陸攻。どちらが戦場では正解だったのか。歴史が証明していますね。
とはいえ日本海軍の戦略的にあの航続距離がないと活用ができなさそうなのがネックですね。
ドーリットル空襲では航続距離がない故に、b25は不時着する羽目になってるし、一概には言えないですね。兵器の性能なんて、数多くある戦争の勝因の一つでしかないですし、こう言った話はほとんど意味のないものしれませんね。
アメリカもイギリスに渡されたより航続距離の長いB-24はB-17に比べヤワな機体が搭乗員には嫌われて『未亡人製造機』などと不名誉なあだ名を貰っていますけどね…
結局どこも無理をすれば同じようにガタが出て、それが国力の少ない日本は早めに出たというだけの話です
@@TAKAYA-m4s
ドゥーリットル空襲は作戦自体無茶だったし…
運用思想が違う以上、
どちらが「正しい」とは断言できん気がしますが…
一式は飛行高度限界が高めでP-40だと食いつきずらいってのは初めて知りました。
一式陸攻三四型の写真はどこか哀愁を感じさせますね。
ラバウルに所属していた零戦搭乗員の回顧録に四空の未帰還になった搭乗員の遺品が
山のように積まれていたというのがありますね。
護衛戦闘機が付いていても大損害というのは防弾不足は間違いないですが、戦闘機搭乗員
が敵戦闘機を発見すると結局護衛を放棄して空戦してしまう形が多かったというのもある
とは思います。まあ空中指揮も無線を使っての護衛も中々組織的公的に体型化出来なかった
という運用面の稚拙さも損害に大きくかかわっているのはあるのではないかと。
光人社文庫の戦闘機パイロットの回想録を読んだことがあるが、そこには、護衛戦闘機は陸攻の盾になるために、敵機から銃撃を受けても、弾受けして撃墜されていたらしい
事実かどうかわからないが、その記述を読んでいるときの虚しさは計り知れないなかったな
@@owannu7654 スタンレーの魔女
ガチガチに防弾して、75ミリ砲つけて
対艦対戦車する姿を見たかった
本動画でも何度も触れられているように、最近、明らかに切り取りとした思えない出所不明のあやふやな伝説ばかりが吹聴されるのは大いに悲しむべきことと思います。こちらの動画の通り、1942年初頭には本機の限界はすでに露呈しておりました。事実として損害に見合うだけの戦果を挙げられる機材ではなかったということに尽きますね。いずれにしても本機の第一の目的が漸減作戦における敵艦隊の雷撃ですから、損害の多い敵艦隊雷撃は除外するなんて言うのはナンセンス極まりないです。それに同様な艦船攻撃を行ったB-25は一式よりは遥かに生還率が高く、またずっと戦果を上げていますしね。それにしてもこれだけの大損害そして何よりも戦果なしが続いているのに、どうしてやり方を変えなかったのでしょうか?当時の上層部は本気で航空部隊の戦果を信じていたのでしょうか? このことがどうしてもわかりません。
>どうしてやり方を変えなかったのか
これに対する答えはハッキリしていて一式陸攻の雷撃が効果があると本当に信じてたんですよ
43年末のギルバート沖航空戦で一式陸攻による夜間雷撃は実に正規空母8隻の撃沈を報じており、日本本土では米軍艦で太平洋を埋め立てるって歌が流行りました 本当の戦果はよく知られる通りです
確かに損害も大きいが一式陸攻は大きな戦果を挙げていると軍令部でも信じており、大きな期待をかけていたのが実態です 実際の効果に気づいたのは台湾沖航空戦で航空決戦に敗れた後でした これは陸攻の性能よりも海軍の戦果分析能力と戦訓を作戦に反映する能力の問題です
一方、B-25でも当初は対艦攻撃の効果はなく、43年正月に行われた18号作戦では大兵力で日本の輸送船団への攻撃を行うが殆ど効果がなかった 5航空軍は戦果分析結果から従来の水平爆撃はやるだけ無駄との結論を出して急遽新戦法スキップボンビングの訓練をB-25部隊にやらせます。きっかり2ヶ月後の81号作戦でB-25部隊は雪辱を果たして日本の輸送船団は全滅します
B-25と一式陸攻の性能の違いよりも正しく戦果を把握して戦訓を反映できたかどうかが日米両軍の分かれ目です 一式に防弾装備が無かった事も日華事変の戦訓を正しく反映できなかった結果とも言えるでしょう
最近は情報が出揃いすぎてて、捏造された逸話に縋り付かなければ枢軸崇拝っていう宗教を維持できなくなってきてるんでしょう。
しかし元が捏造なだけに、どれだけ史料で否定されても新しく湧いてくる厄介なもの。
米側に護衛戦闘機いる状態だと艦船攻撃で想像以上に一方的にやられているというか双発大型機に魚雷を積むことが無謀だったのか…。
アレもコレもで要求詰め込み過ぎて防御性能を切り捨て無いといけなくなるのは日本機の特徴だな。
まぁ結局は大馬力エンジンが開発出来なかったのが元凶ではあるが。
機体が海面に触れて墜落するほどの低空飛行できるパイロットて…。
それ大戦に従軍した全パイロット含めてもトップに入る技量では…。
このあと海面に激突しなきゃね
一式陸攻を諸外国の同級機と比較する人もいるけど、単にスペック表を並べて比べるだけでは表面的な理解にしかならない。
なぜそうなったのか、どうしてそのようなコンセプトになったのか、その裏には必ず背景がある。
国力や技術力のほか、既存の戦力ストックや軍縮条約も絡んでる。
どの組織にも固有の背景があり、それを無視することはできない。
あの写真のやつ墜落したんか・・・
当時の日本パイロットの技量を持ち上げる為によく引用される写真ですが、その直後に落ちてることを知っちゃうとねぇ
日本海軍は魚雷が大好きなのに使い方が下手だと思う。
知名度の高い爆撃機なのに、本当に輝いた期間が短期間というのが悲しい。ワンショットライターが誇張だとしても、米軍機の機銃や対空火力の前には防弾装備が不十分だというのも分かった。あと本来なら相手の防空能力を喪失させた後が、一式陸攻の出番だということも。それなら防弾装備より航続距離が重要だったのは理解できる。でもそんな場面は...。搭乗員たちはどんな思いで搭乗したのか。
極、短期でも輝いた時期が有っただけマシかも。
航続力と速度があれば攻撃範囲が広がり、攻撃範囲が広がれば様々な基地から攻撃できる、太平洋ならではの話。米軍でも太平洋はB17より航続力の長いB24が主力。
エンジン4基使うと飛行機が半分になり稼働機はさらに減るからね。
確か、山本五十六連合艦隊司令長官の最後の座乗機は、一式陸上攻撃機でしたね。損耗率が新鋭機として配備当初から、高い傾向にあった事は知らなかったです。防弾に関しての、技術的や資源的な差は当時の日本と連合国とでどうであったのか興味が湧きました。面白く大変勉強になる動画ありがとうございます。
私は山本氏は乗っていなかったと思う。とっくにアメリカに通じていて、もしなくなった将官(のかっこうをしたデコイ)がいたなら、可哀想に、、、と考察しています。メイソンリーの山本は、とっくに脱出していたと思う。新説ですが、愚将論は今日、珍しくない分析だし、永野修身と山本は倍高度だったとも思われます。永野は裁判にも出れず、独房で凍死させられたんだよ!!!!
@田中一郎 さま 子供時代から戦記物は好きでよく読んでいました。ブーゲンビルデ落ちた中攻は大炎上していなかった?との報告ですが、かすかすの燃料で将軍を移動させないし、燃料満載の飛行機が椰子の森に墜ちれば炎上しないはずがない。私が子供時代に読んだ(読まされた)戦機では他の搭乗員の遺体は腐敗が進んでいたが、山本長官は群島を胸に掴み、遺体も鼻の穴辺りにウジが少し涌いている程度だったという「はなし」です。子供心に、変だなと思いましたが、当時は山本大将を尊敬していましたから、偉いヒトは死んでも立派なんだとダマされていました。発見したのは日本軍ではなく現地のゲリラくずれだったと思います。海軍の隠蔽体質は、この後も日本を左前に傾ける事件を次々と起こしていきましたよね。
@田中一郎 さま 永野修身が東京裁判で法廷に立つ前に凍死させられたことを考えると、無傷で米軍側に脱出した山本に生き残るチャンスはなかったと思います。口封じなど、彼ら白人達には赤子の手をひねるよりたやすいことです。五十六の投機的な行動をみれば、むこうと取引きできる
隠し球を持っていたとは思えません。近衛文麿でさえやられているんですよ。いかに彼らが腹黒いか、、、日本人では民度的にムリなんです。従って、もしゲリラが生け捕りにしたなら、この世から跡形もなく消滅させられたのではないでしょうか。
お疲れ様です。面白かったです 一点だけ動画で参考に挙げている「一式陸攻戦記」や「世界の傑作機」の両方に明記されていますが一一型の翼内燃料タンクには防弾ゴムは付いてません 側面に防弾ゴムをつけたのはG6M1の話で量産型のG4M1には側面防弾ゴムはつけられなかった
G6M1で翼内タンクを前後桁だけでも防弾しようとしたのに何故G4M1に防弾ゴム設置の指示が無かったかは付いては記録がありませんが、本庄技師が証言している様に側面だけに防弾ゴムをつけても意味が無いからだろうと思われますね
14:27のとこの損害8機ではなく4機なので、帰還機の数と間違えているかと思います。
本編中にも紹介されていますが、一式陸攻の三菱と海軍の第一回打合せにおいて三菱の本庄技師は「四発機案」を提示。
「二つの発動機の馬力で兵器搭載量と空力性能と兵艤装を満たし、残り二つの馬力を使って防御鋼板と防弾タンクと消火装置に充てる。」
と、海軍に提案したところ、当時、航空本部技術部長の和田操少将が「用兵については軍が決める、三菱は軍の仕様書通りの双発機を造ればよいのだ!」と大激怒。
ほぼ同時期に行わた九六式陸攻の防御力強化の会議で、防弾タンクを装備すると300キロ重くなり、その分、燃料か爆弾搭載量を減らさなければならないという事を現場の用兵側が拒否。
こういった経緯があり、一式陸攻の要求も「防弾を考慮する」のみになったそうです。
※出典、光人社FN文庫「海軍空技廠」
和田操は脚を悪くして飛行機に乗れなくなり、航空兵器行政の方へ転じたんだったと思います。
源田実なんかもそうだけど、現場からいったん「仕切る側」へ抜けると、顔だけは現場上がりを通しつつ言うことと仕切りは現場無視みたいになる者が多いのは、ちょっと不思議な光景です。
その話しネェ。本庄さんは怒りを通り越して、呆れるしかないと言った心境でしょうね。本庄さん的には『はい、どうぞ、仰せのとうりに御作りしました』てとこでしょうね。陸軍の四式重爆は、実質の一式陸攻の後継機。一式の経験と戦訓と陸軍の長年の運用経験から防弾仕様。航続性能以外は高性能にまとまってます。海軍の兵器行政のトップがキチガイでなければ。陸軍みたいに、まともな爆撃機ができる技術はあったんですよねぇ。一式陸攻も、97重爆、四式重爆も全部 三菱製なんですからね。
@@三浦英則
同感。
戦後の海軍軍人の回想では
「米軍は次々と新手を出してきたが、国力乏しい当方は零戦で戦わざるを得なかった。だから負けたのだ(←生産力以外ではヒケを取っちゃいなかったのだ?)」
と云う類のものが多いが、これだけなら下士兵卒の感想と変わらないだろうと思う。
現に陸軍では、一式、二式(単・複)、三式、四式、五式と、戦闘機に限っても次々と開発機を送り込んでいる。
空母での利用を前提とした為に制約が多いにしても(おっしゃるところの陸上機ならそれさえないのだが)、リソース対比で陸軍よりよほど海軍の方が開発の効率は悪い。
過大で細かい要求項目等々、陸軍に比べ仕切りがよほど悪かったのだろうと容易に推察できるのである。
旧海軍軍人にマンリーナイスな人が多かったのは、確かに本当なんだろう。
関係者が懐かしむのも当然な気風があったのもまた事実なんだろう。
それにしても、陸軍の言う「海軍の眼には海軍のみあり国家なし」というのも、また確かに真実だろうと思う。
@@草莽-b6d 陸軍は、航空機関連の開発の仕方は。意外と合理的な感じ(97戦~キ43は海外の流れを読みきれず、難産でしたが)。現場からのフィードバックを重視してる感じが海軍より強いですね。陸軍航空審査部隊なんか良い例で、現場叩き上げの優秀なパイロットをテストパイロットに任命したり。整備関係の人材も、優秀な人材を、学生や、軍関係の学校から。青田刈りして採用したりと。人事面でも臨機応変。モノに成らない機体も多数あったけども。海軍よりは、使える機体を実用化できてますね。海軍は、良くも悪くも。三菱一社指定。しかも、三菱の戦闘機設計は、『チーム堀越のみ』。確かに、96艦戦、零戦と、続けて海軍の要求性能を達成した艦戦を造り上げましたが。海軍側が、無理難題を形にする『チーム堀越』に過度な期待と要求をして。雷電なんて言う畑違いの戦闘機を発注したり、同時に、零戦の改良要求を乱発したり。挙げ句、雷電すら完成してないのに烈風の開発要求ですからねぇ。そもそも、堀越、奥宮コンビの書籍の中にも書かれてめすが。烈風の開発指示が、堀越さん曰く、2年遅いんですよね。結局、雷電が足を引っ張り続けるんですよね。海軍としては絶対に雷電を時期陸上用戦闘機として実用化したい腹積もりでしたが。全てが悪い方に転がり、陸軍の用に新型機が出ない状態に(涙)。雷電がなければ、零戦の金星搭載も、烈風の繋ぎで出せていたかも。しれませんが、今だから言える事。当時は、どうしようもなかったと言う事なんでしょうね。陸軍は、中島、川崎を上手く使い分けしてますね。しかも、中島、川崎は三菱みたいに。一人の人間に戦闘機全般を任せていないのも合理的。せめて、川西に零戦のライセンス生産をさせて。陸上戦闘機のノウハウを学ばせる事をしておけば。紫電は最初から紫電改の形で1943年には戦力となっていたかも?と妄想してしまいます。雷電をサッサと中止して置けば烈風も1944(誉搭載)には実戦配備も出来た可能性もあります。ただし、誉搭載の烈風は、現実に試作された大柄な機体ではなく。空技厰が一時提示していた、零戦とほぼ同じサイズの型式であればですが。堀越さんがハ43搭載に拘らない条件も必須ですけどね。
最後の最後は、緑十字飛行で日本軍の幕引きを白菊とともに務めた機種ですね。
こんなにも無茶苦茶だったんだな
解説ありがとうございます!
無茶苦茶って言うか当時の日本の技術レベルじゃこうせざるを得なかったって言った方が正しいかどう正しい
結果ね…
@@user-lx1ns2hz4n 無茶苦茶であることを裏付けておりますね。
@@user-lx1ns2hz4n 仮に日本にも米国以上の技術があっても物量で押し切られていただろ。そもそも日本の攻撃機の技術は米国にさほど遅れを取っていなかった。情弱はコメすんな😂
1式陸攻も完全な状態で現存する機体が一機も残ってないの本当に残念だわ ドイツ機はHe111もユンカースも残ってるのに
山梨県の河口湖自動車博物館に、南方のジャングルから回収されて、そこから主翼以外は完全な状態で復元された1式陸攻が展示されてますよ。
二式大艇君を忘れないで差し上げろ
コンセプトは達成できたが、コンセプトそのものが間違っていたという話、二式大艇にも通じるものがありますね。より多く作られた本機の方が兵器としての仕事はできていたのでしょうが、やはり損耗率があまりに高すぎますね・・・。
世界の傑作機に、当時の搭乗員のインタビュー記事で。陸攻乗りで生き残こるのは『運』だとコメントしてましたね。生粋の陸攻乗りが、『腕』ではなく、『運』と言ったのに真実を感じる。
@田中一郎 生き残りの搭乗員ですから、『腕』も一流だったはずなんですよね。その方が『運』と言い切るくらいに、発火しやすい飛行機だったという現実😔。アメリカ海軍の対空砲火が当時としては、異次元レベルに強力だったのも大きいですけどね。イヤな言い方すると、一式陸攻は。巨大なガソリンドラム缶が魚雷を搭載して飛んでる様なもの。死なない方が奇跡。ビックリ箱で有名なT72戦車よりも、人命軽視😢。海軍の航空機で、そこそこの防弾がされたのは紫電改、銀河、流星、二式大艇。次点は、雷電。雷電は燃料タンクの防弾は、ほぼ効果がなかった、のか。被弾炎上してる写真が多いですね。
@@三浦英則 これも極端な例(すなわち珍しいから記録されている)と思いますが、「陸攻と銀河」と言う本の冒頭に米海軍の4発飛行艇のコロナードに一式が撃墜された話が書いてあります。3ヶ月間で米軍側にほぼ損害なし、一式は5機撃墜されているとのこと。
@@DB-eq4hd コロナードに😲初めてしりました。一式陸攻は、航続性能を買われて単独哨戒も任務でしたから一騎討ちだったのでしょうかねぇ。PB4Y2プライバティア(ハリネズミのB24)にも喰われてそうですね。二式大艇も、PB4Yに撃墜されてる写真が。『世界の傑作機』に載ってますね😰。二式大行艇は、日本海軍機のなかでは防弾も良く、火力も強力(1号20ミリで初速が遅いのが問題🤔)で。P38から、しこたま撃たれたのに生還したエピソードもありますが。単独哨戒中に、無電連絡すらなく消息を経ってしまうのも多かったようですから。防弾も無く、さほど高速でもない一式陸攻では尚更😢。
@@三浦英則 B-17やB-24の中には、任務そこのけで敵哨戒機を追い回した機体もあるので。
若い頃だが沖縄にいた時、スナックでガダルカナルで従軍した元米海兵隊パイロットの老紳士と飲んだことがありました
かの老兵によれば一式陸攻はとにかく逃げ足が早く、待ち伏せでなければ接敵すら出来なかった事のこと。ただただ飛び去る一式陸攻を見送る事が何度もあって、頑強よりその速さが厄介であったらしい
一式陸攻を撃墜した事があるかの質問に苦笑と「グラスを一杯受け取れ」の定番セリフで誤魔化されたのは、老パイロットの息子が日本女性と結婚して在沖してた事と、私の祖父(軍属だが)が鹿屋で戦死した話をしたため、元軍人として気を遣ってくれたのかもしれませんね
損耗率70〜90が普通に出てきて縮み上がった…。搭乗員は畑からは取れないんですが?
幾らなんでも兵器としての効率悪すぎると運用中に気づかないものなんですかね?
99艦爆なんかも初期でさえ損耗率そんなもんだよね
@@141easy6 それ言ったらドーントレスも
双発機でその消耗率はちょっとありえないし擁護できない。機体と運用、双方がクソだという逆奇跡によってようやく到達出来る数字だわな。
ましてや一機落ちるだけで単発戦闘機の10倍のパイロットが戦死する…
北海道ツーリングの時に陸攻の航空機関士の方と旭川近郊の鍾乳洞でお話した事があります。
エナーシャ回せ!コンタック!
と言ってセルを回しました。
もっともっとお話を聞きに行けば良かった‥
開戦直後にアメリカに大損害を与えて講和に持ち込むしか短期決戦しか日本には勝ち目はないわけで・・・
最初に一撃でしくじったら内閣総辞職ではなく内閣総腹切りで少しでも有利な条件で講和するくらい状況なので
防御無視の攻撃一辺倒も仕方がないかと思います
最初から戦わないって政治的選択肢もありますよ。希望的観測で戦端開いた連中で腹切ったのが幾人います?
@@解離性乖離太郎 同意します。
@@解離性乖離太郎 戦争計画の話をしてるのに、戦争をしなければ良いとはこれ如何に
@@TAKAYA-m4s さま
戦争計画とはどこの言葉か存じませんが、仰せの計画なるものはどの内閣でいつ策定されたものなのでしょう?それによって腹を切る面子が違ってくるのですが……明治憲法下に於ける統帥制度の知識程度は当然お持ちと思うのですが。
@@解離性乖離太郎 いさむさんが一式陸攻の性能の話をしているのに、論点のズレた回答を貴方がしていたので、指摘しただけですよ。それと小学生のような揚げ足取りはやめません?
米艦艇の主な対空火器は、5インチ両用砲と40mmボフォース機関砲でした(20mmエリコン機銃は非常手段)。砲種ごとに、自動で見越し照準可能なジャイロ照準器と対空射撃方位盤を組み合わせた精巧な指揮装置を備え、有効な弾幕を張りました。当時40mm砲弾ではVT信管は使われず、対空用としては、榴弾と着発信管の組み合わせが用いられ、目標への直撃を要しました。さすがに航空機で40mm砲弾直撃の防御は無理ですから、この点に限っては、海軍の言い分が正しいと言えます。問題は、12.7mm機銃の標的となる任務に酷使されたことでしょう。合成ゴム生産は実用化されていたものの、当時ゴムと言えば天然ゴムが多く、貴重な戦略物資でしたから、ふんだんに使えるようなものではありませんでした。
14:49 ツラギ島攻撃は1942年8月7日では……
お疲れ様です。
今回も面白い動画ありがとうございます。マレーの時にイギリス東洋艦隊上空に護衛機が20数機ほどいたらレパルス、プリンス〜はどうなっていたのでしょうね。
陸攻の損害はどうやら対空砲火より敵戦闘機のより損害の方が多いみたいですが、米空母とその護衛艦の対空砲火の苛烈さも特筆するのがあると思います。プリンス〜の対空砲は
Mark I 133mm連装両用砲×8基
40mmポンポン砲八連奏×4基
40mm四連装ポンポン砲×2基2基
40mm単装機銃×1基
20mm単装機銃×7基
を装備していますが、少なからず陸攻に撃墜出来なくても10数機に損害を与えて、撃墜もしていますが、やはり米軍艦艇に比べて、対空砲の航空機への追従速度が順動だったのではないでしょうか?
またチャーチルの米大統領との会談に派遣されたりして、訓練時間が取れなくて練度も低かったにのでは?
動画リストを見たら日本海軍機動部隊に欠かせない「99式艦上爆撃機」の解説動画がないようです。(もう1度探して見ますが)
気が向いたら動画作成をお願いしたいです。
99式艦爆に500キロ爆弾が搭載出来ていたらヨークタウンは珊瑚海戦で沈んで、ミッドウェーはどうなっていたのでしょうね。艦攻が優秀すぎて艦爆はこの程度の爆弾搭載量になったとか?
それに関しては、投稿者が過去に投稿したマレー沖海戦の動画で詳しく解説されていますよ。
色々と運用や戦況が合わず評価の難しい形になった
ただ高高度での運動性が良いだけに飛行機としては優れてた
陸軍が開発した飛竜が似たデザインだし海軍も使ってたので日本の双発機の到達点だったのかも
高高度が高くって小泉構文みたい
@@user-rd3rx5lt6r 高高度での と書こうとしてたのにミスしてた
私が読んだ書籍には、胴体内燃料タンクが却下されたのは、機内での指揮がやりにくくなるから、と言うものでした。機内の前後が燃料タンクで分断されると言う事でしょうね。しかし、B29でさえ前後の往来は細いパイプを通してだったんだけど。なんとも合点のいかない理由と思いますね。
実情にあった運用をすれば陸軍の屠龍のように駄作機でも活躍出来るんだけど、1式陸攻では何やっても難しそう。対潜哨戒と物資輸送ぐらいしか思いつかん。
遅レス恐縮ですが
単なる爆撃機としては43年まで通用してますよ
それ以降はそもそも引退すべきですから仰る通りどうしようもないですね。
@@福正之 戦況が優勢だった緒戦でも損害を多く出していから通用しているとは言い難いでしょう。
ドイツ空襲の場合は作戦機の一割落とされた程度で大損害と大騒ぎされて戦術変更や機体改良にてんやわんや
一方で一式陸攻は毎回8割近く落とされ続けて思考停止で作戦継続とか…率直に言って腐ってる
戦闘機無用論は、戦闘機パイロットだった源田実がライバルで彼より腕利きの柴田光雄を蹴落とすため提唱したという話がある。源田は一度も空戦をやったことがなく歴戦の柴田とは比べ物にならない。零戦開発の時も、実戦経験豊富な柴田は速度が第一、敵に追い付けなくては空中戦など出来ないといったのに、実戦経験ゼロの源田は、フワフワと旋回する戦闘機を主張した。エンジン技術はアメリカの2年遅れであったから飛行性能を達成するためには防御を無視するしかなかった。基本的に海軍は下士官と兵隊のパイロットを消耗品と考えていた。陸軍は違ったが。
概ねそのとおりなんだが「光雄」ではなく、柴田武雄です。
数理に優れた柴田武雄と源田実との確執は相当深刻なものだった様ですが、山本五十六や大西瀧治郎あたりはどう転んでも源田のバックに付き、柴田武雄の方は研究発表を遮られたり鈴鹿あたりに飛ばされたりで、相当苦労した由。
戦後に至っても「源田実論」等を著作し、
「これ以上やるとクラス会から除名する」(海軍流の村八分で、これをやられると退役。海軍OBとは名乗れない)
とまで警告されたとか。
晩年は新興宗教の開祖みたいになって亡くなられたと聞いています。
筋の通った主張をされたのに関わらず名も聞こえず、お気の毒なことだと思います。
1942年2月20日のニューギニア沖海戦に祖父は一式陸上攻撃機で出撃して生還した2機のうち1機に搭乗していたようです。
長大な航続距離を活かしての遠距離雷撃という戦術が通用したのは最初のプリンスオブウエールズとレパルスだけ。これにしても両艦の対空火器が有効に機能してたらあそこまでの成功は無かったかも知れません。最初に大成功したのが悲劇の始まり。弾が当たって燃えやすかった以前に、的の大きな双発機が敵艦に肉薄して雷撃するという方法に無理があった様です。速く気付いて早期に中止するべきだったと思います。
一式陸攻とやや話はずれるのですが、爆撃機相手には弱武装と言われる隼2型でさえ千島列島での同士討ちで96式陸上攻撃機を一撃で撃墜してるんですよね・・・防御力は同等と考えると、そりゃあより威力のある弾丸に加えて搭載数の多い米軍機に容易に打ち落とされてしまうのは当然の気はします
残念ながらB25は日本の小銃にすら撃ち落とされていますwこれだから情弱パヨクなんだよ😂
様々な『悪癖』の上に出来上がってしまった機体、という感想。ドクトリンにしても機体設計にしても
運用にしても何から何まで、どこかで歯止めが掛かればここまで酷くはならなかったんじゃね?と。
装備換装のゴタゴタはコロンボ空襲でもミッドウェーでもやらかしてたのにまだ上塗りしてるし…
電撃戦の歴史 更新待ってます
投稿お疲れ様です
結局戦いは数だよ兄貴に行き着くのか
正しくは、数を揃える努力。数を運用できる組織力。
有史以来、物量戦ほど実現難易度の高い軍事作戦はありません。それを高い次元でやってのけた米英ソの涙ぐましい努力はもっと現代日本において周知されるべきでしょう。
過去の成功例から脱却できないで、前例踏襲で作られたことが一式陸攻の最初の悲劇だったって感じです。「足さえ速けりゃ防弾なんかいらねえ!」とでも言わんばかり…
本庄技師が4発機を提案したのも「てめえらの要求通りの物を作れっていうんなら、4発機にでもしなきゃ無理なんだよ!」っていう抗議の意味なんでしょうね。
ただ上限高度が高かったおかげで開戦初期に意外と損害を抑えられたというのは初めて知りました。
個人的に思うのは戦局が傾いた時点で双発陸攻には見切りをつけて、艦爆・艦攻にリソースを振り向けなかったのかと思います。搭載量がが同じぐらいだったら、人的損害を抑えられると思うのですが・・・
一般論として近代の海軍て陸軍よりテクノロジーへの理解関心が求められるように思えるんだけど、こと日本海軍の航空機開発に関しては、陸軍よりはるかに精神主義・無茶ブリが横行してたのはナゼなんだろ
この動画を観ると、一航戦がインド洋で時間を浪費せずに二航戦と共にポートモレスビー攻略に参加すべきだったと改めて思うよ。
ポートモレスビーさえ占領しておけば陸海軍でこのような悲惨な犠牲を出さずに済んだのに。
それからガンカメラは必要だよね。戦果報告も写真付き以外は認めるべきではない。
ガンカメラってデカイんですよ。
仮に搭載しても無線や防弾板降ろすような人達に降ろされてたでしょうね
@@tenkararyu 歴史上日本人は一度も戦争で外国を滅ぼした事がありません。ぶん殴って言う事を聞かせる、それくらいしかできませんでした。これは世界的に見るととても珍しい。日本人は兵器を作る技術はあるのですが戦争をやる心構えが他の国とは違うようです。それが有利なのか不利なのか一度良く考えた方が良いのかも知れません。
ガンカメラ自体はあったけど機銃を取り外して付ける構造だったので当然ながら誰も付けたがらなかったって聞いたことあるなぁ
アメリカやイギリスみたくいっぱい積んでるなら1個くらい外してもだったろうけど
@@sei-un ドイツ軍機もガンカメラは標準装備でしたよ。それだけ戦果確認は大切だという事です。
@@鄭宗元-b2d そういや空の魔王のアレにも積んであったですもんね(出撃がバレるので他人の戦果と申告した模様)
日本は戦果報告を疑ったら(堀さん)「搭乗員を疑うのか!」
ってキレられたとかありましたしね
マスコミ発表用ならともかく軍内でも誤魔化してエライ事に…
敵の迎撃を振り切る高速性能をもった爆撃機というコンセプト。WW2時代ならまだしも、冷戦末期まで存在していたのが恐ろしいですね。
今でも現役のB-52も敵の戦闘機を振り切る高速ジェット爆撃機として開発されてますし。
結局そのコンセプトを実現できたのは世界でもB-1とTu-160だけなのがなんとも
@@ベルカ公国国家宣伝相 モスキート
防弾に関しての評判はMicrosoftがCombatfFightsimulator作った時の米パイロットへのインタビューで「あれ落としの大変、防御弱いとは思わない」って証言が出たのと、
それ以前は(if戦記の影響もあって)「一式陸攻は歩兵の小銃1発でも被弾すると落ちる完全な欠陥機」って意味にワンショットライターという蔑称がとられていたことへの反動が大きいと思いますね。
そりゃあタンクに当たらなきゃ燃えない・・・
看るだけで辛すぎるシビアな現実ですね。
陸攻思想の前提では一式陸攻は優れたとまでは行かなくてもそこそこの性能なんだろうけど、その思想がそのまま現実に降りてくるわけ無いからな…
そもそも「戦闘機を振り切れるほどの高速双発爆撃機」っていう世界中(特に枢軸)で流行ったコンセプト自体が戦闘機の高速化でオワコン化してしまったのがね...
なんでそれを捨てられなかったんですかね枢軸は。
のちのミサイル万能論に通じるものを感じる
戦闘機不要論と双発万能戦闘機、WW2直前ぐらいに世界的に流行したなあ。
@田中一郎 モスキートは奇跡とも言える。最初、偵察専用だったのに、何でも出来るマルチファイターになった。偵察専用で、設計したハズなのに。高い負荷が掛かる戦闘機、爆撃機になれたのが凄い‼️。対日戦線(ビルマ)でも、韋駄天ぶりを発揮してるが。欧州戦線より活躍できてない。原因は湿度。木製のモスキートは、湿度に弱く、機体の劣化が激しく。すぐに廃棄になっていたようです。ホントかどうか知りませんが機体から、キノコが生えたりしたエピソードを読んだ事があります。(書籍は忘れました😅)
カタログデータよりかなり鈍足でラバウルの搭発員の手記によるとニ二型でも25番一発積んで205Ktが精一杯とか、ハミルトンでもVDMでもフルフェザー出来ないペラと無防備なタンクでは生残性の点で前線で使える代物では無かったという悲劇的な結論に達せざるを得ません。また、陸攻による雷撃戦術は山本五十六の執念もあり、実用的機体の構想を阻んだ面もあったかと思われます。
え!22型でもそんな遅かったんですか!?
もしソースあったら読みたいので教えてください
NF文庫ですかね?
@@福正之 さま
手元にみつからなかったのでうろ覚えなことをお詫びします。
小林孝裕 著 海軍よもやま物語
という本で、光人社刊でしたので、或いはNF文庫に収録されているかも知れません、正続二冊で、お探しの内容は続篇にあるはずです。昭和五十年代に丸エキストラ版に連載されていたエセーで著者は緑十字機の登発員まで務めた昭和十二年志願のベテラン整備兵曹だった方です。
@@解離性乖離太郎
返信ありがとうございます
日本機、特に海軍機はスペックより遅い場合が多いですが、実用時速380キロくらいは44年では遅すぎて絶望的ですね。
海軍よもやま…は名前は知っていますが読んだことはありませんでした
今度探してみます
ありがとうございます🙇
16:28 誤認がすぎる
東日本大震災の時もそうだったけど、この国の上層部って危機的状況において楽観的な情報だけを選択する癖があるよな
仮に日本が次も戦争したとしたら、耳障りのいい情報ばっかり選択して勝手に負けてそう
大本営発表を司令部が信じ込んでどうする!
...まぁ、どうにもならなかったから負けたんだけど
何かに特化するためには、何かを犠牲にするしかない。
残酷だけど、それが現実かと
魚雷調整整備士の曽祖父は中攻の隊員は気の毒で仲の良い機長は精神衰弱で薬に頼っていたしトラブルで帰還した皮肉を言われて狂った様に笑っていたと、実際に狂ったが出撃させられて帰ってこなかったと。雷装出撃前はまるで葬式のようだったと言っていました。
そもそも計画時に将来米軍機が装備するであろう、20ミリ銃に対して
有効な防御を行うのは技術的に無理という判断で、
防御火器と高速によって対応しようとした結果みたいですね。
ブローニングの12.7mmは炸裂弾なので、
当時の技術ではどうやっても不十分だった気もします。
制空権を得られない限り、この時代の大型爆撃機では大体
厳しいでしょう。Ju188、モスキートくらいの高速が出ても、
難しい話です。
仮に機体が壊れても搭乗員の命だけは絶対に守る方向に行ってくれていれば、ここまでの悲劇は起こらなかったでしょうね
その割に肝心の機銃は骨董品のルイスのまんまなのが海軍しぐさよ
マジで無能!w
@@diopresario
まあ重量問題もあるんで何も全周を守れなんていうんじゃなくて、コクピット正面だけでも防弾ガラス、操縦席後方だけでも防弾板の設置、欲しいですよね。あとエンジン消化装置
@@ヤス-l4bさま
胴体に銃撃されれば、搭乗員に被害がでます。操縦員だけ護れればはさせがに。B17は胴体も防弾仕様です。
無駄に7人乗っている分けでは無いですし。
自分の祖父が渡洋爆撃に参加したそうです。木更津航空隊に所属し、パイロットだったそうです。その後、立川飛行機に所属したそうです。
一式陸攻は前線に出さず、南シナ海で船団護衛に使うべきでした。
実際に901空で運用した時には既に遅すぎでした。磁探はありましたが、ろくな電探も爆雷もありませんでしたが、ずっと役に立ったはずです。
帝国陸海軍の航空機に対する思想が『弾は当たらなければどうと言うことはない』だったんでしょうね。
太平洋戦争開戦初期はそれをやってのける精鋭猛者の搭乗兵が一杯居たようですしね。
間違えたのは、戦争が消耗戦だって事を軽く考えていた事と、敵側の補充が想定以上だった事。
山本長官も一式陸攻と共に帰らぬ人になったしね。
日本海軍が出した結論は
戦闘機より高性能な爆撃機があれば成立し
世界でそれを実現させたのはイギリス「モスキート」だけですね。
一式陸攻は性能そのままに防弾装備が充実していたら、
戦績も評価も変わっていたと思います。
if物語なんですけど、一式は語りたくなりますね。
2000馬力で信頼性のあるエンジンがあれば、換装すれば可能だったかも
運用構想自体が実戦とミスマッチだったという話になるのか
やっぱりこういうのは機体の性能云々だけでは語れない背景があるんだな
ごがしゅうと氏も自身の著作で指摘してるけど、桜花を抱いた一式陸攻への銃撃を収めたガンカメラ、右主翼端が破裂してる映像がある。インテグラルタンクの対策が不十分のままだったせいであんな致命的な損傷を甘んじてしまった。
確かに速度・防御火器は一定の評価は得たのだろうが、最終的に棺桶の謗りを受けてしまったのは製作者・搭乗員共に無念だったろう。
どちらにせよ仕様・運用を二転三転させた軍側の責任。
いつも興味深く動画を拝見しています。
おそらくは主様の興味としては、戦争という国家の一大事業にかかわった兵器の性能や生産量なども当然範疇に入るのでしょうが、それらを運用する人々の錬成状況も興味の範疇に入るものではないではないか、と推察します。
少し遠い先の話でも構いませんので、日本の航空人力の整備と、あと米国がどうやって航空人力を平時と戦時のスイッチを切り替えて錬成していったのか。こういうあたりを主題に動画を上げていただければ幸いです。
よくよく考えれば比較的鈍重な多発機に重量物の魚雷ぶら下げて低空飛行させるなんざ正気の運用じゃないわな。主力艦決戦の前に陸上攻撃機による長距離攻撃って思想は誤りではないだろうが、実現のための諸要素が不足していたってことなんだろう。
言っても仕方ないかもしれないが、一式陸攻が4発で完成していたらどのような機体になっていただろうか?
エンジンが増えただけで、印象は同じになると思いますよ。
例:マンチェスターとランカスター
エンジンの数だけ価格が高騰して、生産数が半分以下になりそうです。
なるほど、何となくイメージできました。兵器として考えれば本庄技師の言い分がごもっともなのでしょうけど現実的には和田廠長の意見を取らざるを得なかったということになりますか。
多分ですが。実用化できなかった可能性が高いですね。何せ、四発の陸上機経験が皆無。中島『深山』ですらDC4の劣化コピー。まともな爆撃機にはならず。物資輸送機としてしか使えませんでした。『深山』の経験と、南方で入手したB17の技術を研究して。やっと『連山』です。アメリカの四発爆撃機の開発も、書籍を読むと苦労の連続。基礎工業力で劣る日本には荷が重いですね。本庄技士が『四発』発言をしたのは無茶苦茶な海軍に。頭にきたからでは?と想像します。インテグラルタンクにしたのも。海軍に対する当て付けだったんではないかなぁと邪推します。常識的に考えて、こんな『被弾→炎上』が確実な軍用機なんてキチガイの産物です。技術者である、本庄さんが、気付かない訳もない🤔。『頭のイカれた海軍の要求どうりに造って差し上げました』て、とこでしょう。ちなみに、四発爆撃機ですが実は日本にも存在しますよ。二式大艇です。陸上基地用が、『深山』ただし、ノウハウ不足で。降着装置が上手く出来るかわからず、また大型陸上機は、長大な滑走路が必須となるので。当時の日本の土木技術だと大変でして。その解決方法が、無限の滑走路である水上を使用できる。飛行艇だったのです。『深山』『二式大艇』の要求性能は実はおんなじなんです。
@田中一郎 (笑っ)92式重爆はさすがに古すぎかと。一応、後々の三菱の大型機の設計の勉強にはなったみたいですね。そう言った意味では、96式や一式の御先祖さまですね。陸軍は、92式重爆で。懲りたのか、四発爆撃機はすっかり鳴りを潜めちゃいましたね。貧乏国家には四発はキツイですね。飛行艇とは言え、四発を製造した川西は。たいしたもんです。
やはり爆撃機は贅沢な装備だ
最後期型の一式陸攻は 良き。
B29にしたって トラブルの多い問題機だった。
エンジンも電装品も欧米より大きく遅れているのに性能だけは負けないものを、となると生存性という数値的には華がないものを切り捨ててしまいますね。
現代の我々の社会も売上とか純利益など決算書に載る「スペック」を充足させる一方でコンプライアンス違反や従業員離職率など見えない問題を抱えてしまうケースがある。
あるいはメンツの文化というものでしょうか。
数字という名のメンツを守るために実態を犠牲にするという本末転倒。
防御を切り捨てないと欧米に対抗する性能を得られない悲しさ。
でかい機体で雷撃ってそもそも無理がある。悲しいなあ
そもそも帝国海軍に人命重視の概念があったのでしょうか。勿論ヒューマニズムではありません。戦争ですから。海軍が人命救助を行ったのも確かです。ただ戦争だから将兵が○ぬのは当然と言う雰囲気があった様に感じます。ラバウルにいた陸軍高射砲隊将校(兵の叩き上げ)の方の回想では迎撃に出撃する零戦が重量軽減に落下傘を置いているのに軍刀を持参するのはおかしいではないか、軍刀を置いて落下傘を持ち生還を期すべきではないか、訓練された操縦者は大事ではないのかと言われていました。一方アメリカ軍はパイロットの救助に力を尽した様です。これは訓練された将兵を大事にすると同時に「味方が助けてくれる」安心感からモチベーションが保てる効果もあった様に感じます。
ヒューマニズムの問題を棚に上げても、ひとりの人間を軍人として訓練教育するためにはべらぼうのコストが掛かります。エリートであるパイロットとなれば説明する必要もないでしょう。
戦死というのはそのコストを悉く無駄にする現象であり、戦争の本質が資源消耗戦である事を勘案するなら戦死は可能な限り避けなければなりません。
あまつさえマヌケで愚かな日本海軍は優秀なパイロットを一回限りの使い捨て弾丸と捉えていたフシがあります。もしや彼らは最初から戦争に負けたかったのかもしれませんね。未必の故意。
@@diopresario
堀栄三参謀の本で、前線の搭乗員が散華しだして隊の士気が低下してくると、何故かまだ死んでない搭乗員が大事にされるのではなく、戦友が散っているのにまだ貴様は死んでいないのか?と詰められてる搭乗員の話が出てきます。特攻隊でなくて通常部隊でこれです。どう考えても通常部隊ならば技量優秀なパイロットが繰り返し出撃したり無事帰ってきた方が作戦もできるし効果的なはずですが、太平洋戦争(大東亜戦争)中期頃からの日本軍は死ぬ事、そのものを賛美してもはや死ねばなんとかなると思っていたフシがあるんじゃないかと思います
この陸攻、何とか魚雷を2発積めませんでしたかねえ。と私は思ったことがあります。艦上攻撃機でも魚雷を一発詰めるのだったら、2発は積んでもおかしくないだろうと思いました。アメリカのB25、B26は出来るんですよね。
ワンショットライターってどっちが言ったか気になる。日本軍が皮肉で言ったとか、米軍がつけたのか、どっちなんだろう
戦後日本だったかと
真偽不明だったと思う。元搭乗員が言ったのか、はたまた米パイロットが言ったのか、ソースが不明で多いからどこから広まったかマジで分からん。
結局最後まで見ても、上層部の無能以外の原因が見当たらない件。冒頭の「技術者は悪くないというのは乱暴」に該当する内容が全く入ってないような気も
やっぱ海軍の無茶な要求が全ての元凶かと。
これがドイツだと軍の要求スペックの中で優先するべきスペックを重視して他の要求スペックを無視する一種の割り切りが出来なかったのが一因があると思うね。
(Bf社のBf110とFw社のFw189等)
でも、日本じゃあメーカーよりお上のほうが強いから無理かなぁ(苦笑)
開戦初頭で捕虜になった搭乗員が自爆させられた話、あれも一式陸攻だったかな。
コイツに限らず欲張りがすぎるんだよな、まぁその欲張りも諸外国からしたらレベルの低い内容なのが多いんだろうけど。実現させるための基礎技術がないのを当事者たちが知らなかったから仕方がないと言うか自業自得と言うか……
日本海軍の要求って列強各国が協力してようやく完成するレベルだと思う。もし実現出来るとしたら、具体的には諸外国のどこの国が日本海軍のアタオカ要求を(煽りとかではなく)クリア出来ると思いますか?
@@TAKAYA-m4s 少なくとも枢軸陣営は無理だと思う、戦時中ドイツから技術供与が複数あった事を踏まえると少なくとも日本よりは進んだ技術があったと思うけど、比較対象を連合国にした途端下位互換に成り下がっちゃうし………多分連合国側、それでも一国じゃあ無理。エンジン一つとっても米ソの共同とかじゃ無いとほぼほぼ詰みだと思う
@@そよかぜはるな 最初に言ってることと違うやんけ!笑
@@TAKAYA-m4s アッやべ(素
しかしどうやったら米機動部隊を航空攻撃で撃退できるんだろう?最適解が全く見えない
南太平洋海戦の結果が良い例だと思います。
日本側が夥しい熟練搭乗員を損失して壊滅状態になっても、米軍は空母1~2隻を失うのみ。
空母は造船所から送られた後続艦がすぐに補充され、戦闘機パイロットの損失も僅か。
日本軍の兵器性能や運用能力では、世界一の米軍を壊滅させるのは不可能です。
艦隊に限らず、防空体制の整った(=制空権を奪われていない)対象への航空攻撃がほぼ失敗するのは戦史が証明しています。直近ではロシア・ウクライナ戦争でのロシアの失敗。
ミサイルをはじめ誘導兵器など航空機以外の方法を編み出さない限り当時の米艦隊の牙城を崩すのは不可能でしょう。かといって誘導兵器の技術についても日本は数世代遅れていますので…
詳しい解説ありがとうございます。
千歳空が装備する一式陸攻は一小隊を編成するにおよばず、大半が九六陸攻だったと思うのですが、四空開隊時に装備する陸攻は一式陸攻だけだったのですか?
動画内の一式陸攻の内部の様子を見てると、操縦士の座席の背面に防弾鋼板などが全くないですよね。
被弾することを想定してなかったと言われても仕方ないかなと思います。
某惑星でお世話になっております!!
よく燃えますオヌヌメです(脳死)
ガイジンはもっと陸攻の派生増やして♡
な ぜ 二 式 大 艇 に 乗 ら な か っ た
銃手エース化して空戦しろ(脳死空戦民)
名前忘れたんですがナチスドイツ軍の、巨人というあだ名を持った輸送機を解説して欲しいです。
少し調べたんですけど海外の資料が多い印象でよく分かりませんでした
Me323だね。ギガント(独語で巨人)は愛称。
ドイツのハインケルより良いくらいですよ。危険な魚雷攻撃の時が特に損耗率高かったのは運用じたいに一番問題があったのではないですか? たしか各爆撃機の損耗率が表で発表されてませんでしたか? 一式はワーストには入ってなかったと思いますよ。 桜花発射のプラットフォームに使うとゆう発想じたいと運用が最悪です。
それこそ戦地による差でしょう。独英米の爆撃機は互いの大都市や大規模航空基地などの分厚い早期警戒対空網に真っ正面から殴り込んでいっての消耗率ですし。
万が一日本の爆撃機が同じ使われ方をしたら…恐ろしくて想像すらしたくないです。
海軍は艦隊決戦に固執していたから、陸攻の主任務はあくまで雷撃であり、爆撃「も」できる、という認識。海軍は、九七大艇や二式大艇にさえ雷撃能力を要求しています。急降下爆撃に固執したドイツ空軍が、四発機を含むあらゆる爆撃機に急降下爆撃能力を要求したのに比肩します。零戦は、堀越技師の完璧主義もあって、恐ろしく生産工数が掛かるものの、少数精鋭の艦戦ゆえに問題なしとされています。一式陸攻も零戦も、結局は陸上基地間の消耗戦で酷使されたから、その点海軍の見通しは甘かったというほかありません。
現場サイドから戦闘機不要論とか後の格闘戦至上主義が出てくるのは、なんか考えさせられるな
良くも悪くも現場だけではイノベーションは出ないというか
祖父実家の石碑に弟が豪空襲へ行った際、片肺で帰還した。その後、南方で亡くなったと載っていました。
昼間雷撃で敵艦船を撃滅なんて護衛戦闘機付けてても犠牲は避けられないのに
その愚策を何度も繰り返す海軍の無能ぶりに振り回された感が強い機体ですね。
本来の艦隊決戦での役目を遂行するために防弾を犠牲にして完成した一式陸攻
を運用するなら対潜哨戒か高高度爆撃くらいしか使い道が無いかもしれません。
まあ、それもP-38の配備が充実されたら終わりだとは思いますが。
銀河や零戦みたいな増槽タンクをつける発想はなかったのかな?
理論的には可能でしょうが、空気抵抗と重量増加で陸攻としての役割(特に魚雷の搭載)を果たせなくなるので実行されなかったと思います。
そもそも増槽つけて初めてカタログスペック(の一部)を達成できるって言うのは設計者としては敗北に等しい代物です。
そんなことするなら4発大攻(深山)量産するわ!に行き着いてしまうのですが、まぁないものねだりでして…
増槽を付ける=兵器搭載量が減るなので、その機能があっても現場でそういう運用が為されるかどうか
初期の方は付けていたはずです。
でも結局翼内タンク増量で無くなりましたね
正解は防御装置の重量をものともしない強力なエンジンに高質な燃料、護衛戦闘機を含め圧倒的な数による飽和攻撃。
それを米軍相手にw
誰か宇宙人からの技術供与以外で実現可能な方法を教えてくれ。
手術は成功した、しかし患者は亡くなった。
技術屋はこんな笑えない例をいっぱい作りやがる、現場はたまったもんじゃない。
エンジン能力の限界が防御・攻撃さまざまな航空機の装備に影響を及ぼす。
なら用兵側は無茶な要求をするなよ
@@装甲擲弾兵-u5jさん 空技廠は技術屋兼運用側
護衛機が無かったり、別々に目標に侵入した複数の攻撃隊が連携できなかったりしたら、連合軍機でも日本軍機でも高い損害を負うことが多いよね。
防弾だけが損害の原因というのももちろん間違ってるけど、そもそも一式陸攻の設計でこの性能が引き出せているのであれば、防弾その他を考慮して性能が落ちれば緒戦の航空撃滅戦は不可能だろうからさらに複雑だ。
損害に関しては海軍はガダルカナル以上に、絶対国防圏以東のラバウルやその他の諸島に固執して、劣勢な空域に多くの航空隊を活動させたままにして、悪戯に損害を出し続けた1943年後半から1944年あたりはもはや擁護できないけどね。
トラック空襲では陸軍に戦争のやる気すら疑われてる始末だし…