【武器解説】和弓の歴史、日本独自の長弓【ゆっくり解説】
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 8 พ.ค. 2020
- 日本独自の弓、和弓の解説動画です。世界的にも珍しい弓。長弓だと、中世イギリスのロングボウが有名ですが、日本は世界と違って独自の弓文化を形成します。日本の弓も合成弓ですが、木材と竹のみで作った弓です。
武士が使った弓は現在のものよりも張力の高い弓でした。戦国武士は矢を4町(436メートル)飛ばすことを目標に鍛錬をしたそうです。強弓という強力な弓を使った人もいたそうです。
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動画の中で四方打弓(しほううちゆみ)と言ってますが、四方竹弓(しほうちくゆみ)でした…。すみません。
しょうがないです間違いはだれでもありますよ❗️
次回汚名返上ですね‼️
もう既にお気づきでしたら申し訳ありません
弦は「げん」ではなく「つる」と呼びます
初見m(_ _)m
何作かの動画拝見して良く調べてる⤴️👍が うんちくコク俺から言ったら他の動画、誤多いのか疑問です
馬上(流鏑馬)で40〜はキツイ恐らく40以下の誤り 飛距離400超え??20年前の日弓連の記錄Carbon弓Carbon矢で300こえてません矢の空気抵抗で失速 軽量矢💥発射時💥壊れ丈夫!重い 京都三十三間堂の廊下の天井に弓道の元祖となる強者の名前が書かれてます吉見順正 星野勘左衛門等 その名札のある廊下の外側で120mの通し矢 クリ矢 堂射と呼ばれる競技がありましたその頃の弓が40〜80㌔と言われてます その時代に今の弓道の弓の形になったと文献に
丸木弓 1月8日三河一宮にて毎年神事がある 膠でなくニベ 早く打つ、カズヤいかに速く時間内に的に当てるか距離120m高さ、軒先の一番高い所で5m一昼夜 といった競家康〜綱吉の時代にやってたと日置流の後継者が言ってました 本重藤弓は免許皆伝 宗家が師範の免許を与え許した者 上重藤弓は上位の弓の先生 下重藤弓その下の先生の位を現している(現在も紫付けると評価下がります連合審査以上) 💩💩💩オヤジは食べてろって❕言われるかな😁😛
星野勘左衛門24時間で 15000本射 8千本 して 尾張の殿様に記録の塗り変えられなかった者の切腹禁止の願いを出した人
その星野勘左衛門の後継者 愛知県一宮故魚住文衛先生 故魚住一郎 春日井市の先生
@@YY-so9fv さん❕スカトロ💩
元弓道部の私、武士の強さに震える。
勉強になりました!
今度発売するゲームゴーストオブ対馬の動画に対するコメで「弓で敵が吹っ飛ぶのはリアリティがない」とする意見に対する開発側の返答は「当時の長弓ならこれくらいの威力だと想定している」って感じだったんだけどこの動画見ると現代と戦国では弓の基準が全然違うみたいね
エアガンとかなら初速を判定する機材があります。
そのアドバイザさんは至近距離戦闘を忘れてた。?
スタープラチナは時速60km異常らしいぞ。
竹が有能すぎて草
こんな弓からぶっぱなされる矢を掴める人もいたとか昔の日本いろいろ強すぎる
剛弓で足軽を2枚抜きしたり、不意打ちの矢を刀でぶった斬ったり、百人斬りしてみたり、兵力5倍差で城守りきったり、小隊規模で騎兵突撃して城落としたり、銃創に唾つけて敵陣に単騎突撃したり、銃剣突撃で戦車破壊してみたり……アタマオカシナルデ
アシタカみたい
この手の話は尾ひれがついたパターンも多いですけど…
夢があって信じたくなっちゃいます!
@@mirin1297 ちなみに銃剣突撃で戦車破壊は中隊単位で撃破してるから……うん、大和魂デスネ()
昔の日本人強え
世界のアーチャーがどんどん軽装化していったのに対し超ロングボウ、甲冑、馬、刀が悪魔合体したフルアーマーマークスマン鎌倉武者ェ・・・・
運用コストがアホみたいに高い代わりにくっそ強い戦車見たいなやつだな( '-' )
重装弓騎兵とかいう日本にしかない兵科
槍・刀・弓・薙刀・無手に乗馬礼儀作法と全てできないと認められないっていう鬼畜仕様の国だからしょうがないね(^∇^)
うーんワザマエ…
高麗軍(無理っす)
徳川慶喜が日課で引いていた弓の一張が強弓だったのか、後に術の師範が引こうとしたけど引けず、
もう一張も普通の大弓のはずなのに、引いて留めることができなかったと、テレビ番組で視たなぁ。
普通に考えても250メートル先の相手を仕留めるってマジでヤバいな。
命がけだから、ものすごく練習をしたのでしよう。うまくなるまでは一日何時間も。今のプロの選手と同じですね。千本ノックを何年間も!
@@user-kq6ue3md4i 日本にも昔はプロがいたね三百年以上前に 負けたら死あるのみ
日本でクロスボウや逆手に装着する盾が流行せず廃れた原因が和弓の存在で、確かにこの超高性能見ると納得いきます。日本に来た鉄砲も、織田軍みたいにうまい運用かかなりの改良が進まないと和弓をリードできなかった。弓矢職人の天才ぶりも、西洋ですっごく驚いたでしょうね。
9:03 伊勢物語に「あづさ弓 ま弓つき弓 年を経て わがせしがごと うるはしみせよ」という歌がありますね。
ちなみに弓矢は威力もそうですが、傷口を更に悪化させる為に矢尻に糞尿を塗ったりしてたそうですね。破傷風は怖いのです。
何それ即席の毒矢じゃん
破傷風恐ろしや
上下非対称で振動を抑える構造ほんと好き。
日本の弓って形が独特で綺麗だねぇ
日本の戦国時代って律儀だw
戦国時代の人間の平均身長って160cmあったら結構高い方だったような
その骨格で40kg~70kgの弓を扱えるって筋量がとんでもない変態しかいないんでは・・
舟の上の扇と武者を撃ち抜いたという那須与一は、左右の手の長さが全然違ったそうです
イギリスのロングボウ射手も、明らかに弓を引く側の体が異常に発達しています。
あまりに強い弓を引き続けると、指が矢を引く形で固まって曲げ伸ばしできなくなるなんて話もあったそうです
命がけなので、必要性やモチベーションが全然違ったのでしょうね
@@nishis.k.4136
押す方の間違いだよ。
鬼○の刃の鬼○隊って実はそこまで化け物じゃなかった!?
@ARK
遺骨が多く発見されている鎌倉〜戦国時代の人々の平均身長は160cm前後なので160cmは取り立てて長身というわけではありませんよ。
また武士には庶民層より長身の人物が多かったらしく155cm前後だったとされる源義経は平家方の武者から「色白うせいちいさき」と揶揄されていますし、本人着用の甲冑から当時の平均を上回る身長165cm前後であったと推測される源頼朝も征夷大将軍即位後の記録で「背引くかりけり」とされていたりもします。
これらの傾向は戦国時代にも受け継がれたようで甲冑や着物など本人の私物から身長が確実に分かる武将たちにも前田利家(182cm) や立花宗茂(185cm前後 首がかなり太くラガーマンのような体型だったと推測される)などが居り、文献や肖像画などからでは斉藤義龍(197cm)、真柄直隆(196cm)や藤堂高虎(190cm)など現代から見ても規格外の長身を誇った武将たちも多く存在しています。
しかし現代から見ると小柄、当時としては平均的な160cm程の武士だった徳川秀忠も手足の筋肉が骨にまで影響を残すほど異様に発達しており、鎌倉武士などは左右の腕の長さや筋肉量が大きく異なっていたことが調査で分かっていますし、源平鎌倉戦国武士がとんでもない変態であることは疑いありませんね
和弓の引き方は「後ろに引く」のではなく左腕(弓手)を一本の曲がらぬ棒にして右手は指が吹っ飛ぶレベルの張りの弦でも負けないよう固めた弽の溝に引っ掛けたまま両腕を口割になるまで「頭上から引き分ける」。
肩をテコにする事で各国の弓のように「腕で引く」数倍の力をかけられる「引き分け」の技術を確立したのです。
大陸の軍事も学んだ吉備真備の帰還とそのお土産の角弓への対抗策構築開始から戦国後期まで独自進化続けた変態ですのでw
京都三十三間堂でやっている「通し矢」が江戸時代で最も流行ってて
しかも今と違って24時間ぶっ通しで射続けたという・・・
侍たちの記録を見ると和弓そのものも進化してたのだろうと思われます。
大砲とライフル銃の時代になるまでですけど。
24時間とは、長いですね!途中で寝たら打首とかになりそうな時代ですし。
人から聞いた話だから真偽は分からないけど、
今の弓道と昔のでは弓の引き方が違ったらしい今は身体全部を使って引くのに対して昔は今の半分くらい(語彙力)で放ってたとか、
その関係で強い弓が引きやすいのかも!
それにしても昔の武士のパワーっぷりには感服ですね!
今の弓道では射法八節に則り引きますが、昔の弓術は左乳首あたりまでしか引かずに放つため二人張や三人張の重い弓が造られていたそうです。
なんで引ききらないかというと、兜の返しにひっかかるからです。洋弓と同じく顔の横あたりまで引いて射つのが戦場では当たり前でした。
また、弓道場でやるようなゆったりとした引き起こしもしておらず、下から引いて放つこともしていました。速射出来ないと死んじゃいますからね。
一応弓道教本にも載ってるはずです。(遠い記憶
弓道経験者
25キロ引けて型崩れないのすげーとか、思ってたけど武士がそれを軽々超える化け物で草
それらの50や80㌔の弓で実際そこまで引いてない可能性大です
肩入れ少々
昔は今みたいに耳の後ろまでは引かないし、会という概念はなかったみたい。
弓道と弓術は別物というのが俺が倣ってた師範の口癖だった。
@@user-kv3yr8ph7o さんに同感です👍
25㌔って 普通ですよ 80すぎの先生も普通に引いてたよ 若い人で30㌔5段受かりましたよ
皆様何故20㌔以下の弱い弓使われるのですか?❓❕
紙に穴開けるだけなんですか❔ 的矢でフライパン射抜いてみよう
五段の課題クリヤ―すると出来ます 稀に三段の方もクリヤ―してます
気合いの発動って言う人又、会と離れの間で○をして離れると弱い弓でも可能 です
@@user-nq4yn5wi5e 理由を挙げると
・型が崩れる
・体を壊す
・流通量が少ない
・高価
・評価に無関係
以上から、上手い人ほど安全で手軽で効率的な練習のため軽い弓を使う傾向があります。
25kg級の弓でフライパンを射貫する競技はボンボンの道楽ですね。少なくとも弓道ではありません
武士の主力武器は本来弓なんですよね。刀は接近用だしどちらかというと普段の身分を示すための証という側面が強い。武士の魂=身分の証であって戦場の得物としては弓、戦国時代以降は槍が主となる
日本刀にフォーカスされがちですが、戦国以前の武士が一番鍛錬したのは弓だと思います。
まあ武士道自体平和な江戸時代になってから産まれた概念ですしね
ここらへんは騎士道も似てる
戦国以前は薙刀が主流で弓矢は上流階級武士の武器じゃないですかね。
矢の値段が高すぎるので...
弓は実戦では使い物になりません。仰る通り、鑓が正解です。総合的にこんなアホな武器は使いませんよね。
戦国時代の大名を「街道一の弓取り」なんて異名をつけるくらいだから、刀より弓の方が扱いというか「格」が上だったりするのかな
実際お殿様が時代劇で修練に励むシーンって弓術ばっかりなんだよね
郷土の英雄、足助重範さんが紹介されててウレシイ…
尾張源氏山田重忠(承久の乱で敗死)→分家の子孫が足助重範(元弘の乱で敗死)→さらに分家が成瀬氏
足助町には今も竹の矢を作る職人さんがいらっしゃいます。
弓越しに的を狙った時、大体小指の爪ほどの大きさに見えるのですが、400mちょいの距離……………もう見えないんじゃないかと思うなぁ
こえぇよ……
興味深い話で、とても勉強になりました。ありがとうございました。
狙って当てる事ができる半弓と、重く凶悪な返しのある鏃を降らせる長弓があって
戦で使う長弓が重視されていたからその飛距離を競っていたのよね。
吉備真備が唐から角弓を持ち帰り「コレに対抗できない限り大陸には勝てない」とし、再現できなかった角弓に別アプローチを用い飛距離で勝つのが和弓の目標で、同様に角弓に耐えられる防御手段の確立(挂甲→胴丸挂甲→胴丸と大鎧)が日本甲冑の目標だった。
(そしてソレはガラパゴス化を頭おかしいレベルで突っ切りつつも、元寇で実を結んでいたことを証明した)
四町通しについて正確には今は「4町飛ばせる射手が居ない」んじゃなく、今の弓は近的競技がメインで「飛距離を出すために作っている弓でもなく、飛距離を競う訓練している人もそもそも居ない」。
元来の「遠距離で上から降り注がせる武器」と今日の「本来狙って当たらない弓を用い鍛錬によって近的に当てる競技」はもはや別物ですね。
重藤弓の藤弦の部分に色漆を使った笛重藤もあります。
威力に差は無いですが色の塗り分け方で所有者が解る様にしています。戦場で目立つ事は味方や敵に対して重要な事なので、何時の頃からか塗り分け方にも規則が出来たようです。
矢も右回転する甲矢(はや)と左回転する乙矢(おとや)があります。基本的に甲乙一組で、打つ時は甲矢乙矢の順に打ちます。
雁又(かりまたは鏃の先が二又になっている鏃です)や鏑矢などの回転しては困る矢の場合は四枚羽の矢を使います。
鴨長明の方丈記にも、試しに弓矢を打ってみる話が出てきますね。「こんな面倒臭いモノなんかやってられない」と言って放り投げるシーンがあります。
当時でも普段鍛練している武士で無いと扱いきれない武器だとわかります。
弓も日本刀も、使いこなすのに相当な鍛錬が必要ですね。たぶん1日8時間くらいは練習していたんじゃないでしょうかね。
勉強になりました。
ありがとうございました😌
なるほど、あまり弓道は知りませんが、そういう構造なんですね!面白かったです!
「弓返り」は和弓ならではのものかと。
洋弓の矢の番え方では難しいですね。
70キロの弓で弦が切れたり、弓反りしなかったりしたらスゲー怖いんだが。。。
洋弓と和弓は、引き方に違いがあるね。洋弓は弓を持った左腕をまっすぐ伸ばし、そこから右腕で弦を頬の位置まで引く。和弓の場合は左腕で弓を押し出しながら、右腕で弦を右肩まで引く。
矢をつがえる位置も違うしね。洋弓は矢が弓の左側になるのに対し、和弓は右側になる。和弓の場合、矢は左手の親指の上に乗っかってるだけだから、うっかりするとポロっと落ちちゃうし。
今日は少しおっかなびっくり観てました
昔、地元の中学校の弓道の部活中に死亡事故が起こった事が…
殺傷力がある武器を扱うには、ちゃんと監督、指導する者が必要ですね。
楽天でも普通に弓矢は売っているのですが、威力は銃器にも劣らないかと・・・少しゾッとしますね。
弓道する際は指導者がいないと引けません(;^_^A事故の可能性はどんな練達者でもあります
その弓道部は廃部になったね。
どんな武道・スポーツにも傷害の危険はあるけれど、弓なんてまんま凶器だからな…
そういった点も加味すると、型の綺麗さを評価する競技であるのにも、より納得できる気がする
実際に引いてみたら、どれだけ手が震えてしまうんだろう
事故にはならなかったけど、ふざけて上向きにすこし角度つけて放った矢が学校の敷地を簡単に超えて、民家の納屋のトタン壁に突き刺さった事があった、よわよわと言われてた現代の弓でも、余裕で100メーター以上飛んでトタンを打貫く威力があると戦慄した思い出。
うぽつです
動画面白かったです
おすすめに出てたから見てしまったけど、面白いな!
おお!ありがとうございます!
鉄砲が入って来るまで弓は最強だったんだな。
そして、現在の弓より強いとは!源為朝の弓だと、どの位強いのか現代技術で測定してほしい!
あ、その辺は誤解がある。
旧式の先米式の銃は有効射程距離は50Mくらいしかなく
命中性や貫通力など全てにおいて弓に劣るよ
ただ、弓を使いこなすにはやはり長期の訓練が必要だったが
銃なら兵士の訓練がほとんど不要で使えるってメリットがあった
和弓の持ち手が下よりに有る事で騎射にも使い易い特徴になっているんだよなぁ
最近の弓道だとカーボンの弓が多い様だけど、竹の節を残して背に仕立てた昔ながらの弓も実用性は兎も角味が有って良い
戦国時代だと騎馬武者は弓と槍か薙刀、徒歩組の武者は長巻/中巻か野太刀、槍、そして留め用の短刀というのが記録に残ってる感じ(雑兵が槍なのは何処の国も同じ)で、弓が主力だから日本の具足では鎧に盾を手持ちするスタイルにはならなかった
射程が長いのは山がちな日本の地形も大きいと考えられます
現代で5.56mm口径自動小銃の交戦距離は150mくらいが想定されている事が多いのに日本とスイスだけは同じ弾薬で300mの交戦距離を想定していて、それは山地の尾根間の平均距離がおおよそ300m程度だからだそうです和弓の冗談みたいな最大射程も尾根陰から別の尾根に射ち込んで敵の肝を冷やす思いをさせる為の必要な能力として目標になっていたと考えられそうです
日本の具足は奈良時代位までは、矛と盾が標準でしたが独自発展して行くうちに平安時代位から大鎧の袖の部分が盾の代わりになって行きました。
これで両手が自由になって、弓などの武器が自由に扱えるようになって攻守のバランスを取ることが出来たようです。
このあたりの話は鎧の進化の話にもなりますね。
武器と鎧の進化の話は切り離せない部分もありますけど。
今回も勉強になったなぁ〜!
ありがとうございます!
正式には「弓取」と書いて「ゆんどり」と読みます。
祖父が戦国時代から代々城主に弓道を教える「御弓取(おゆんどり)」の家の出で、自身も師範免許持ちでした。
明治の人間ながら身長が180㎝あった祖父の引く強弓は3m近くあり、普通の人は持つのがやっとで引くことはできない代物でした。それを片手で軽々と持ち、遠方の的を射抜く姿はとてもカッコよかったです。「弓」と言うよりも「武器」という感じでした。
大事なのは“どこまで引くか“ではないだろうか。同じ弓力でも、弓道のように右肩まで弦を引っ張ってくるのと、左胸あたりまでしか引かないのでは、必要とされる力が格段に違う。
重装弓騎兵とかいうどう考えてもおかしい兵科の鎌倉武士よ…
重装弓騎兵では無く重装騎馬弓兵と言います
@@user-xq6op4my6d 確かにそうですね 失礼
…やっぱりおかしい
まあ、戦術としては多数の敵陣に弓で指揮官を間引きながら突貫して白兵戦をするんですよ、ちなみにこの戦い方は元軍は理解出来ず大量の戦死者を出しました(島津が主に使いました)日本軍騎兵も同じような訓練してました
講釈たれてすみません…
@@user-xq6op4my6d 大丈夫ですよ
しかし元軍の記録に「なんなのあいつら、訳がわからない」みたいな事書いてありますもんね(汗)
@@user-rn8jv3pj7o 当時の武士はガチの野蛮人だししゃーないで
和弓の構造に日本刀との類似(心鉄、皮鉄)があるように思えますね
同じ国だから当たり前なのかな?と思いつつ、どちらの技術が先で流用されたのかな?
とか妄想すると面白いですね
一方通行はイギリスの問題だと思いますぞ。日本には先も後も無いだろう。まあ確かに、会話においてどちらが先に話し始めるかによっての違いはあるが、普通に技術を情報交換していただけなのでは?
勿論、今の常識はそれはそれで八百万が認めたものだから、特に馬鹿にしているつもりはないけど。
確かに、武士道を指して弓馬の道という言葉も存在するくらいですから、弓って武士道を語る上ではなくてはならないアイテムなんですね
たや、
シノハラケイイチ
ゆうちゃん:勇者:Lv.2
フランさん:武器屋:Lv87
魔王「」
配下「ど、どうします?」
魔王「あの武器屋は刺激するな…」
配下「はっ!」
刀とかもそうだけど柔と剛を一体にする技術を極めてる感がして凄い
刀伊の入寇の時に「大弓(弩)をだしていれば、こんなに苦戦してなくてよかったのに」という日記を書いた貴族がいたように聞きます。そして、そのころは朝廷の正規軍がなくなって都の治安は検非違使がになっているわけで、日本で弩が廃れたのは正規軍の武器としての弩を私兵である武士が使う事を禁止されていたからではないかと思ってます。
武士の携行食、干し飯と味噌玉でそんな力が出たなんてスゲーな👍
そういえば、別の方のTH-camで、幕末に日本に来た外国の人が、近代的な食事(欧米の栄養価が高い食事)と、日本の(彼から見て)粗食で、飛脚だか車引きで実験して、「いつもの食事がいい」って、最終的には言われてたのあったね。
塩がかなり重要ですよ
昔の大豆加工食品より綺麗な蛋白質が体内で精製できない大量生産に特化した西洋由来の家畜の肉を食べるとそりゃあ、'武士'の身体には合わんよなぁ。
'武士'の様な頑健な身体に合った肉は全部その赤身肉がブランドだ(因みに、弥生人の血が覚醒すると、霜降り肉が大好き♡ってなって無駄に太る。)し、家庭環境に依らない専守防衛の能動的な正義は皆、世界的に見てエリート層の中のトップしか居なかったんでしょ。
あーあ、その日本人の中で、俺は一体…何故葱なんだ。力以外しか良くない。
なんでサガで弓使ったら反対に描写されんだろうと疑問だったけどこれで納得した
那須与一が如何に化け物かがよく分かる動画
弓矢ってめちゃくちゃ金かかるんですよね。
矢一本一本作るのにも時間かかるし、羽をつけるために鳥を調達しないといけない。
ヨーロッパでは矢を大量に使っていたので一回の戦闘で何万羽もの鳥を必要としたみたいです。
他の弓の話も楽しみにまっています
がんばります!
いやああああああ、面白かったあ、っつーか、知らない事ばかりで、ビックリしてばかりでした。和弓すげーーー。
時々地下鉄で見かける、ながーい弓を持った青少年たち、今後は尊敬のまなざしで寿ぐしかない!おねえさん、うp有難う、眼から鱗でした♪
ありがとうございます!自分も調べていて、和弓すげーって思いました。
あれ持って電車乗るとしまってる袋によっては手すりと勘違いされるんですよね
現役で弓道をさせて頂いているのですが、自分が日頃から引いている弓にこんなにも歴史が詰まっているということを知ることが出来てとても嬉しいです(*´ω`*)
もっともっと弓道が好きになりました(๑ ᴖ ᴑ ᴖ ๑)
弓の成形に3人張り、4人張り。です。
引くのに3人力や4人力では有りません。
弓を造る工程に水蒸気で成型しやすくして、その際に複数人で圧力をかけるのです。その人数が3人張りや4人張りが強弓と言われるのです。
そうですね!作る時の人数でした!間違えました!ありがとうございます!
日本の弓は弓の性質もかなり独特ですが、道具や射法もかなり独特ですね。
道具や射法は特に三十三間堂の「通し矢」(堂射)を通じて発達したと言われています。
うぽつですー
和弓関連なら、訓練の中に犬追物とかありましたね。実戦を想定しての、近付いてから仕留める為の訓練の一つですね。当然、現代では到底そんなことは出来ませんが……
三大騎射のひとつのようですね。さすがに現代では無理ですね。
今より栄養の乏しい中で、そこまでの筋力を維持するのは、大変そう。
今以上にジビエ食が流行ってたしイケルイケル
実は、昔の方が力強い!( ´∀`)
…寿命は半分位だけどね
そう考えると最近流行してきてる1日3食否定の論調って正しいのかもしれませんね。
@@j7w1
>…寿命は半分位だけどね
医学が発達していなかったから若年病死が多かっただけで
天寿を全う(老衰)であれば60歳越えはごろごろいた
@@user-oi5tf4fu9q 人間50年って言われてたぐらいだからな
娘が中学で弓道部に入った時、弓と矢を購入したのですが、矢を購入したのは、足助の弓道具を作るお店が出張して、身長に合わせて調整してくれました。
足助氏だなんて、そんな時代から弓道が盛んだったのですか!足助氏は、楠正成について行ったと聞いています。
因みに弓は、岡崎の弓道具店です。
い・・・弩。
軍記物登場の弓取りに、足助重範を採り上げるとは良いですねえ。
たいていは源為朝か那須与一。あるいは平教経が挙がる中からの渋いチョイス。
地元の神社でも神事で流鏑馬をやってる神社があるけど、それ以上に実際に鎌倉、室町時代の戦場で駆けた射手はかなり重い弓を弾きながら馬上でバランスを取っていたんだろうな。(弓を引いた事も持った事も無い。)体幹も腕力もすごいけど、その技術もすごいよな。ただ、日本の馬はポニーくらいの大きさで今のサラブレッドみたいなスピードは出なかったみたいだけど。あの時代は今考えるとパワー型の兵士が多いよね。
やっぱり有名な射手としては古典の教科書にも出てくる那須与一だろうなぁって思いながら見てました。
お姉さんが、勇ちゃんの言う言葉を否定せずに、
もう一回繰り返す辺りが、カワイイと思う。
あ、この2人、絶対に性格が良いわ!と思う。
和弓は、女の人のたしなみ…みたいになっているけど、素敵だと思う。
当時の武士達の中にはサイヤが居そう
代々九州の端っこの島津さんとこかな?
四町とは…ライフルは大方300mの間で撃ち合いを始める事が多いそうです。
照準は握り上の籐の数で合わせていました。
弓返りしない下手人の腕の内側は弦でパッチンされて真っ赤、
耳や顔までパッチンな人も居ますね。
アーチェリーをやっていた者として楽しく見させていただきました。
ナルホド、「街道一の弓取り」というのは最上の誉め言葉であったのか。
鉄腕DASHで和弓作ってるところやってたけど
材料を曲げてここに弦を張るんか〜って思ってたらそれを更に反対に曲げてから張っててこの最中に外れたら怖ぇなぁとかヒヤヒヤしてた
いつもUPありがとうございます。
13:09 のように「弓返り」が起こらなければ、正確な矢の発射は難しい。
拳銃で、変に握りすぎて、引き金を引きすぎると、弾は正確に的に当たらないのに似ているのかなと思いました。
ちなみに、拳銃は、引き金を人差し指で引くのではなく「相手と握手をするように、そして、濡れた雑巾を絞るように」して人差し指が独立することがないように自然と絞るように握りしめるようにすると、的に当たります。
機会がありましたらお試しくだされ。
弓道やってたとき湿気に気をつけてたなぁ。
弓がえりは緩く握れば良いわけじゃ無くて、ある程度しっかり握らないといけないのが難しいんだよね。
日本が誇るチート武器(ただしチート弓種が必要)の和弓だ。射程と威力では火縄銃にも勝っていたんだけど、火縄銃の方が射手を育成する期間がずっと少なかったので、戦場の主力を火縄銃に譲ったという。
弓矢というより携行ミサイルランチャーのような源鎮西八郎為朝さんの逸話が好き。
弓道で使う弓と全然必要な力違いすぎて草
そりゃ、戦国時代と現代目的が違うから性能も変わってきますわなぁ
和弓の最大の特徴であり長所は、ロングボウでありながら馬上から使えたことだ。同じくらいの長さのイギリスのロングボウは馬上からは使えない。和弓は、上下非対称で握りから下が短く上が長い構造が、馬上で使うことを可能にしている。和弓は武器として史上最強の弓だったのだ。
重籐の数は七五三になってるのもいいですよね!
自分は千段巻の弓を引いてみたいです。
矢も羽根とか色々あるから奥が深いですね。
カラスの羽も伊勢神宮の神事で使うとかなんとか
矢の形状とか素材も色々あるんですよね、生身用とか装甲貫通用とか、さらに矢に毒(糞尿などで不衛生にするのも含めて)を塗るのも良くあったり
毒は危険な武器ですね!
@@buki8
もしかして毒も解説するんですか?(武器と言えばそうかもしれないけど)
毒と言うより生物兵器
石川先生、あんなだけどすごい人だったんだなぁ……(遠い目)
入ってきたばかりの種子島は射程が短い為、弓の方が有利だったというのも事実ですね。
ですが扱いが種子島の方が楽なので重宝されたとも。
分かりやすくて面白かったです。登録させていただきました。ええと、和弓なんですが昔調べたところだと、何でも竹を火であぶることで炭素(カーボン)化させより弾性を高めているのだそうです。なのでカーボンファイバーが使われた高度な弓なのだそうです。あと、和弓の鏃も強力で日本刀の技術で作られ短刀ほどもあるため、それを防ごうと鎧が鉄板3枚重ねの重装甲になっていったとか。他にも腕を切断した記録のある2又の鏃や、舟板を叩き割るための先端に鉄球が付いた鏃まであったそうです。
ありがとうございます。詳しいですね!私は調べてもそこまで分からなかったです。
@@buki8 鏃については、昔世田谷の美術館でみましたね。たしかネットでも現物の画像があったと思いました。
扇の的大会の練習で校庭で撃ったこと有ったけど、矢が端まで届いてた!ああこれが刺さったら死ぬんだなって思ったな~。
少しだけ解説。
和弓が上下非対称に運用されたのは、地上では下側がつっかえず弓を傾けずに放てたため、威力を維持したまま馬上、地上と同じ感覚で使えました。
また、弓が強力だと有利になると思われがちですが、矢が弓の弓力に耐えられないと放った直後に矢がたわんだり、折れずとも裂け目が走って命中率が落ちるため、いい具合の発射力に経験則的に発展しています。
足助の弓の弓力は嘘くさいな。
弦と端の結びで材質上物理的強度が足りないんじゃないかと思える。
和弓が下から1/3の位置で矢を番えるのは、振動対策らしいよ。
引き重量が大きい弓には太い矢を使うんだよ。
@@yamakazu7682 振動対策の件、どこか参考になるサイトがありましたらご紹介ください。
太い矢、原料の関係であまり多く調達できないので実戦向けではないと思われます。
敵の矢を使って打ち返すのも戦術のうちなので、おのずと張力に上限が設定されたでしょう。
その昔、所さんの目がテン!で「弓道の科学」のときに弓の構造と作り方やってたなー。
持ち方が3分の1の一の理由とかもやってたはず。そのなかでは3分の1の位置では振動が少なくなるから手に伝わる衝撃が少なくてブレないという解説だった。
弓返りの話もしてたけど、番組内では角見と呼んでた記憶。
弭槍とかいう弓と槍のキメラみたいな武器も解説お願いします
マニアックな武器ですね!資料あるかな・・・探してみます。
弓返りは反動で回転しているというのは少し違います、弓道だと初めから弓を90度くらい返らせた状態で握ってから矢を引いてます、また、そこから上手く返るかは親指の押出とか色んな技術次第ですね。
ゼルダのリンクは、大妖怪が使うような大きな弓だって平然に使いこなす点はすごい。
おまけに、高所から飛び降りて、目標をセンターに入れてSwitchで狙う離れ業も。
上下非対称の弓は、ニューギニアの部族が使っていたような気がする
やっぱり古代の方が身体能力が優れてますよね。科学はそこまで発展してないし、身体能力に頼らざるを得ないし。だからこそ科学による強力な補助が当たり前になった現代人からすれば化物に見えてしまうのかもしれません。
お姉さん可愛い!
それはそうとして、この二人ってやたら異世界(こっちの世界)の知識あるよねw
わいらだって異世界の知識をもってるから、何ら問題ないやろw
弓の下側を持って狙うのは、黄金比にかなっているらしいですね。
『弓取り』と言えば織田信長に敗れた『今川義元』ですね。
弓力300kgの強弓って、どんな怪物が使ってたのやら。
アルスラーン戦記でダリューンが弓を使うシーンがあるけど、あんな感じかなぁ。
昔の戦の戦死・負傷の中で刀&槍は3割、弓矢は7割。
NHKの「歴史秘話ヒストリア」では、投石の攻撃による負傷者が3割いた、となっていました。むろん時代により違いはあるのでしょうね。
投石忘れてるよ
200m先の鎧ぶち抜くって、ふつうに二次大戦時代のライフル位の威力あるんじゃないか?こっわ。
20cm?
@@pokipokipon うわあ、恥ずかしいミスしてましたw
200mですよね。ありがとうございます。
たまによくあります^_^
弓道やってたけど、自分は17キロくらいの弓引くのが弓道の作法的には限度だったけど
遠的(60メートル先)やってる時に周りに26キロ引いてる人がいて、狙い水平で遠的の的届いてて恐怖した思い出
ちなみに26キロ引かせてもらったけど完全に無理やったわ
えぐいっすね...
26キロは腕痛めるゾ....(経験者はry)
40ポンドの弓をもっているが、これも引くのはけっこう力が必要だよね
海外で狩猟のために50ポンド以上の弓を使った事があるが
このサイズでも猪や鹿くらいしか使えない。遠距離から大型動物を仕留めるためでは50ポンド以上はどうしても必要だ
熊やヘラジカとか仕留めるために70ポンドを超える強弓を使っている人もいたが、とても真似できないよ
昔アーチェリーを少しやってて、その時使ってたのがドローウエイト60lbsでした。
大人の男でも50lbsを超えるときつくなってきて、60lbsはかなりトレーニングを積んだ上級者にならないと引けないと言われてました。
私はウエイトトレーニングが大好きで、体重80キロの時にラットマシンで120kg引けたのでそれが影響して引けたのだと思います。
一般的には30〜50lbsが多いですね。
@@ryojinishigaki5345
リカーブボウで60ポンドは売っていないが、特注品なのかな?
源為朝は弓一発で船をしずめた事があります
弓使いの部将の解説リクエストします。
島流しにあって一回利き腕の健を切られたはずなのになぜか回復したんでしすよねw
@@user-zj1qv1yc2u なんでも自然につながったそうです
了解です!
弓と言うと矢も日本独特ですよね元寇で多くの元、高句麗軍が苦戦したとか聞きます飛距離と技術の違いかな蒙古襲来絵詞を見ると竹崎季長軍な(五名)の放ったやが盾を貫通してましたし
大河ドラマ功名の辻だと思いますが主人公の山内一豊の足軽達が「朝倉軍の弓取りがやたら強く弓から放たれる一条の矢で近く前に首や腕を射落とされる」と脅えるシーンがありましたけどもののけ姫の首や腕を射落とすのは現実的にあったのかなと思います‼️
武田軍の矢で綿潜りという矢もあったらしいが和弓と共に殺傷力も凄かったんでしょうね
集団で一斉射撃する五月雨射ち実際にあったのなら当時の戦場のすごさ怖さを感じる‼️
矢もいろいろあって奥が深いですよね!弓は私達が想像しているよりもスゴイ威力がありそうです。
鎌倉武士が使ってた太矢
鏃というより槍の穂先かよってくらいぶっといのありますよね
元に「高句麗」人はおらへんやろ
日本の鏃は特に重くて形も凶悪なんですけど、これは唐軍が使っていた矢の中でも「透甲箭」という鎧貫きを目的とした1番凶悪な鏃のついた矢(及びあっちでもかなり強力な角弓3種)をおみやげに持って帰って「コレに勝てなきゃ大陸が攻めてきた時この国は終わる」と危機感煽って焚き付けたためですw
日本の武士のガラパゴス化の原因はだいたいこの人のせい(おかげ)ですw
やっぱ遊牧民の脅威が無くてよかった。いろんな意味でキャラも立つしな
4町飛ばせる人がいないのは今使ってる弓と当時の弓は同じようなものですが全く性能は昔の方が上だからですよね
まあ実戦がない現代で当時の弓は必要ないですから扱いや競技化すれば自然と能力的に劣化もしますよね
4町すげー。アサルトライフルの交戦距離より長い
和弓って、結構頭おかしい武器で
そりの違う木材を素直な木材にサンドして作り上げた弓
当然威力は半端ないけど、ぶっ壊れ易く、扱いも難しいと言う
完全に玄人専用武器
こんなものを量産してたご先祖様って頭おかしいとしかw
そりゃ、一つの事にスキルを全振りしちゃう国民性ですからね。w
ひご弓は確か一つ作るのに数年単位掛かったはず。
(接着剤等の乾燥に時間が掛かるみたい)
@eagle-innu-desuyo
なぜ建築や仏像に使われる米糊(続食・そくい)を使わなかったのだろう?
@@user-jr8do9zp1s憶測でしかないけど、弓師の動画をみるとにかわの作り方が企業秘密になってるから、続飯では性能的に足りないところがあったのか…それか単純に弓が長いから、続飯を使うと食うための米がなくなるからとかいう理由だったりして。
流れ矢にあたるって強調されるのも矢の違いからなのかな
日本で弓の名手と言えば那須与一、源為朝、藤原秀郷ですかね。特に為朝は船撃沈、秀郷は大百足退治で有名。
そのあたりの人たちは、別の動画でやろうかと思っています。
そういえば、イランの神話にはアーラシュという弓の名手がいるそうです。自分の命と引き換えに矢を1,000里(諸説あり)まで飛ばしたそうな。
機会があればそれについても触れて欲しいです。
@@buki8 その際は元阪神の真弓選手の先祖が弓の名手だったんで取り上げてください
@@user-ec8de7vm6j さん、それについては知らなかったですね。ちょっとリサーチしてみたいと思います。
弓具用品店にいけば30kgぐらいまではお店に置いてありますよ。
注文なら50kgぐらいまでなら頼めます。
(受注生産で頼んだ重さからブレがあるみたいですが)
中高の頃、弓道部にいた時には12~15kgぐらいを使っていて、
中学の外部顧問の段持ちのおじいちゃん先生は35~40kgぐらいの弓を使ってましたね。
手を添えて口頭で弓の引き方を教えると引くだけなら初心者でも15kgぐらいまでなら引けます。(狙える訳じゃないですが)
自分も引くだけなら顧問の先生の重い弓が引けましたし、(50kgオーバーの)重い弓は手が震えても如何に狙えるかが重要ではないのでしょうか?
射程400mオーバーというのは直射ではなく曲射での飛距離で現代では曲射を使う競技は和弓にはないので実験などでの数値しかないはずです。
直射は↑の顧問の先生の弓が直射だと大体40mぐらいから降下し始めてたので、70~80kgの弓でも100m超えると思いますが200mは超えないぐらいかと……
弓の強さが昔より落ちているのは現代では100m以上離れた先を狙うことがないので(大会では60m、的までが遠い道場でも90m)必要な張力の弓が一般化したので出回っていないだけです。
工芸品扱いだと60kg以上の弓があったりしますから。
下の方を持つのは、馬上で扱いやすいから、と聞いたことがあります。
威力を確保するために最長の弓でありながら、短弓のような使いやすさということで、騎乗する武士に重宝される形だったのではないでしょうか。
牛馬のいなかった縄文時代からあの形だったという
運命だったか……
雁股のような斬撃特性付与の矢についても、布教してください
いろいろ調べてみたいと思います!
興味深い動画、ありがとうございます。
所で、疑問に思ったのですが、戦国時代や鎌倉時代の武士の弓力が分かるのは、なぜなんでしょうか?
文献に乗っている飛距離からの計算でしょうか?それとも神社等に奉納されている当時の弓を解析したんでしょうか?
あと四町飛ばすのを目標にしたというのは、弓道界に伝わる伝聞なのでしょうか?
それとも、どこかの弓術の流派の伝書やあるいは軍記等に載っていた話なのでしょうか?
文献の飛距離などから計算してそう
日本で合成弓はドンドン開発されてきたが複合弓は開発されてなかった理由は本映像の10:15ごろの内容がよりひどく発生するからです。日本のような温暖多湿な環境では糸などでもう一回固定しても、耐久性で大した問題が発生しちゃいます。
だから、日本では本当に日本の環境に適した弓が開発されたのです。
そして、和弓を中央よりしたのほうを持つ理由は利点よりはもともとの徳性のせいだと思います。
あれ、長いですから。
ほかの弓を持つように持つと打ちにくいです。
特に馬上では無理ですから。
追伸、1と2の理由はそのように持つ弓は長く作れるからあがるしかないのがその解説です。
後は、水平射撃でも射角が一定以上出るから、狙い撃ちできる距離が長くなるのもあります。
真ん中を持つ弓、その戦争用はそのため、上と下の形をちょいちょい違うように作ります。
こうすると、遠距離の敵打つため、上向きで打つ必要が減ります。