【国鉄列伝】懐かしの国鉄気動車列伝
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- เผยแพร่เมื่อ 4 ธ.ค. 2024
- 国鉄気動車の黎明期のキハ10,キハ20系列の派生をご紹介します。これらの気動車は日本の気動車の礎を築いたものです。
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1964年生まれ 乗り鉄の前面展望マニア 某IT会社に勤務の傍ら2005年よりJR乗りつぶしを開始し、2016年JR四国の内子線を最後にJR在来線完乗、現在民鉄に挑戦。兵庫県出身 千葉県在住。
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夏は暑かったのか、最後尾の貫通扉を開けっぱなしのまま走らせていたキハ10を覚えています。冷房設備はローカル線には不要とされた昭和を象徴していましたね。(国鉄津山線にて)
国鉄時代は夏季でもキハ58・28・65等の冷房車で組成されていたにもかかわらず普通列車運用時には冷房のスイッチを切ってしまうケースがあった様ですね。💦
何とも杓子定規というかお役所体質というか…。😅
首都圏の中央線103系も昔子供時代は非冷房だったですね。南武線はまだボロ電が走ってた
@@sunami808 まさに「痛勤電車」。満員電車でもよく耐えた🇯🇵日本人はエラかった。
昔、夜にキハ17に乗ったことがありますが、薄暗い白熱電球の室内照明が懐かしいです。
解説がありませんでしたが、中部地区では、国鉄時代はキハ17系は美濃太田機関区に多く配置され、高山本線、太多線、越美南線にキハ17とキハ18が活躍していました。
2:10あたりでキハ45000形がキハ10とあるが、記録にあるのはキハ17 45001の筈です。またその試作車とも言える44500形(キハ15)はキハ17と同じ片側運転台で両側運転台であるキハ10形ではありません。さらに製造数でもキハ10が70輌(キハ11は71輌)に対してキハ17は402輌と多くキハ10形と言うよりキハ17形と呼ばれることもあります。訂正した方がいいかと思います。
冒頭からノスタルジーを感じさせる写真のオンパレードで思わず見入ってしまいました。🥲
ウチの地元ではキハ10系は飯山線の活躍が印象に残っていますが、何故か記憶にあるのは両運転台・トイレ🚻付きのキハ11ばかりだなぁ…。🤔
(もっと古い時期には片運転台のキハ17とかも運用されていたのだろうか…?)
飯山線ではキハ20系は両運転台のキハ20・片運転台のキハ25に加えて郵便🏣荷物📦合造車のキハユニ26も活躍していました。
キハ20は車内中央をアコーディオンカーテンで仕切り、半分をロングシートにした代用荷物車📦の600番台にも乗った記憶があります。
国鉄時代最後の「61-11」改正からは2エンジンのキハ52が中込から順次転入してキハ58系と共にブルーとホワイトの「飯山色」に塗替えられてキハ110系への置換えまで活躍していました。
1:21 3:13 キハ18改造車のキハニ19でしょうか?
同車は後述するキハユニ17の事故廃車補充用の型式で1型式1輌のみの存在でした。(新潟運転所=新ニイ配置)
18:35の様に九州のキハ52にも見られましたが、低運転台にキハ58系用やキハ45系用の貫通扉を組み合わせると何とも締まりのない顔に…😂
1:56 「湘南顔」のキハ44000系グループの中には、運用上の利便を考慮してこの様な貫通顔に「顔面整形」(笑)した車輌も存在しました。
3:04 キハユニ17(試作2エンジン車のキハ50を1エンジン化・合造車化したもの)ですね。
改造後は2輌とも新ニイに配置されたものの、1964(昭和39)年の新潟地震で2 が崩落した跨線橋に押し潰されて廃車に…😢
12:39 関東鉄道常総線にはキハ20ベースのキハ0型もありましたね。
(こちらは改造扱いだったかな?)
16:03 新潟地区だとキハ52は今は亡き赤谷線(新発田〜東赤谷)のイメージが強いですね。
新潟地区のキハ52は国鉄時代に一旦全車が他地域に転出し、JR化後に新ニツに在籍した車輌は飯山線のキハ110系化で長ナノから転入した車輌です。
17:44 木次線の名物でもあったキハ52 128は「57-11」ダイヤ改正までは多層建て列車として有名だった急行「いなわしろ」に充当されていました。
(会津田島・只見発着の列車がキハ52の単行だった。)
「いなわしろ」の廃止後に米子に転入してきましたが、いずれにせよ一度も「タラコ色」こと首都圏色にならなかった車輌として稀有の存在ですね。😊
次回以降はキハ30系・40系にも着手されるそうですが、可能であればキハ45系(キハ45・23・53等)やキハ55系等のバリエーション展開があるかな?とワクテカしております(笑)
長文失礼しましたm(_ _)m
無煙化と良く言われるし、良く聞く言葉だがディーゼルは機関車、列車、車に至るまで真っ黒な煙を沢山出して走っているけど、あれで本当に無煙化といっていいのだろうか。
燃料として石炭を焚いた煙をはいていないので『無煙化』という趣旨らしいですよ😅
まあディーゼル機関の黒い排煙(煤)を出さないようにすること自体は簡単にできますが、そうすると今度は窒素酸化物(Nox)が大量に放出されますよ😅
房総地区のキハ17は
夏の海水浴ダイヤ等で
急行が増発されると
急行用車両の不足で
キハ17の(臨時)急行運用があって
遜色急行と揶揄されたりしたらしい。
電化後もスカ色113系の
うち房やそと房とかもあったり
してたね。
房総113系ってボックスシートに座席番号が振ってありました。さすがにこれを指定席にするのはボッタクリだろうと思いました。
113系や115系の急行って
房総は臨時急行だったけど
定期の列車でもあったのよ
此処の管理人さんが前に触れてた
かいじ(115系)とか
他にも
今じや新幹線の愛称になってる
なすの(115系)とか …
聞くところによれば最繁忙期にはキハ35も混じってたとの話を聞きましたが本当かな。
@@N--jv3go
キハ35
オールロングシートにつり革付き😅
俺も話しには聞いた事あるけど
写真等は見た事ないな
キハ45はあるけど…
1970年頃には
オハ35の客車急行もあったり
なんでもアリな時代だったんだなぁ~😅
@@choiwaru-oyajiさん
1970年代半ば迄は旧型車や近郊型車輌をやり繰りした「遜色急行」が結構存在しましたね。
今回の題材にもなったキハ20系列のキハ52 に至っては、多層建て列車として有名だった「いなわしろ」の会津田島・只見発着系統が単行だったせいもあって1982(昭和57)年まで充当していましたから(笑)
長野県内では、下りの1本のみ(上諏訪~長野)ですが旧型国電の80系が1973(昭和48)年から1978(昭和53)年まで急行「天竜」に運用されていました(苦笑)
キハ26、キハ55の情報(キロ25、キロハ25など)が少ないことや、郵便・荷物形式キニ26、キニ56、キユニ26、キハユニ25、キハユニ26、片運転台にも関わらず両運転台の形番を名乗るキハ51などの情報が皆無な点がちょっと残念。
キハ20系にはお世話になりました。真岡線はキハ25のイメージ、足尾線はキハ20+キハ40、二俣線のキハ20は貫通扉下の渡し板に大きく車輌番号のみ(通常はキハ20 125や20 125と表記されるところ「125」のみ)表記され、高千穂線のキハ20にはバス窓や前照灯が一灯というレア車もいました。車内のボックス席窓側の小テーブルには、地元の高校生が刻印した相合い傘や落書きが凄かったですね。キハユニ26は小牛田で、キハ26は太多線(美濃太田)でキハ22は奥羽本線が最後の出会いとなったことを思い出しますね。
第二弾ではキハ30系・40系を特集されるとの事なのでその次あたりに来るかな?と微かに期待しています(笑)
郵便・荷物車グループは新造のキハユニ25・26やキハ58系グループのキユ25を除けば殆どが改造車で占められていて、外観も千差万別なのが今回の収録対象から漏れた理由かな?と推察します。
(実際、キユニ26だけでも種車がキハ26、キロハ25、キロ25の3パターンがありましたし、2エンジンのキニ56に到っては改造総数4輌なのに外観が3パターン…😅)
郵便・荷物車については、線区によっては編成の中間に連結される事もありました。
理由としては荷物取扱い駅に設置されていたテルハ(荷物運搬用にホーム上に設けられたクレーン)の位置が関係していたとか。
意外かも知れませんが、キハ20が新製投入されたのは東北本線上野口(宇都宮線)でした。
キハ20が新製されたのは昭和32(1957)年でしたが、東北本線大宮~宇都宮間の電化は昭和33(1958)年だったので短期間だけ使われていたようです。
高松駅でキハ17みたことある
キハ10系は中学生の頃相模線で走っているのは見ましたが、後に加悦鉄道で払い下げられた車両に乗りました。
キハ110が30年以上走ってるという事実が軽い衝撃でした。
15:53 JR北海道のキハ22忘れていませんか?
14:25にありますよ
@@heitetsu4649 すみませんでした。
補足すると、状態の良かった102両がJR北海道に継承され、その内1990年に6両がワンマン改造されてキハ22形700番台となりました。
1995年3月15日迄に運用終了、全車廃車。
廃線になった 青森県の南部縦貫鉄道に国鉄から移籍した キハ10が1両います。
毎年 ゴールデンウィークに行われる 南部 縦貫道鉄道 の七戸駅 あと で 行われるイベントで 車庫から引き出されて 展示されます。
キハ系の全力で走ってる感の走行音が大好きです🚃❤
多分キハ10系だったと思いますが、運転席と客室に壁が無く、腰高の扉だけが境でした。運転手の人と会話が可能でしたね。ボックスシートの背もたれが低く乗客の顔が丸見えだった。
乗降扉は自分で開ける形でかなり重い、取っ手に届かない子供は自分で開けれない、当時そんな気動車は多かった。
それと80km/hも出すと縦揺れが酷く乗客は皆弾んでました。
キハ40系の投入と共に居なくなってしまいました。
昔の車両は窓が開くのが普通だったから、夏は空いてる席で窓が開いてたらそこから子供を放り込んで席を分捕って親は後から入り口から乗ってくるという荒業が当たり前でした。
キハ17とキハ22は遠くから見ると全面デザインが同じに見えるが連結するとその断面積が異なる。
近くで比較すると如実に分かる。
いつもどちらに乗ろうかと迷った。
幼少期は小さいキハ17を選んだ。
キハ10系とキハ58系が隣り合って連結された時は断面積の違いが如実に現れていたことと思われます。😅
懐かしい
大昔、1970年代半ばくらいに長野辺りに行ったとき、キハ20系かキハ10系に乗った覚えがあります。詳しく調べてみたところ、どうやら篠ノ井線と大糸線ののキハ20系だったようです
昔の車両は旧客でもですが、車齢30年経てば、ほんとボロボロでしたね。令和の世になって昭和50年代の車両って普通に走ってるもんなぁ。日頃使う地下鉄も昭和56年の開業時車両がまだ走ってる
153系(+155·159系)一族も最長25年。
修学旅行車159系に至っては全車18~19年で廃車でした。
あの頃の国電は新性能車でも室内内張りの退色が酷かった。
関西人なので 三木線や北条線 高砂線のキハには よく乗りました。懐かしいですね。a🎉
快速房総の休日は最初キハ17で運転されていましたが、キハ25が配置されるようになってからキハ17+キハ17+キハ25では観音駅を通過することができましたがキハ25×3両では見事にガリガリ...
観音駅から引き返し、以後運転されることがなくなったようです...
あとキハ21の写真は号車番号と急行サボが...
おそらく「えさし」「松前」「せたな」のいずれかなのでしょう...
キハ10系なら銚子電鉄に入れるか
キハ10系は動力近代化の為に性能はともかくSL旅客列車を置き換えることを目的としていたので
試験的意味合いもあり耐用年数は犠牲にしていたのかと。
大昔の89年頃に茨城交通湊線でキハ11スカ色?に乗った記憶があります。
那珂湊には使われなくなった車両がたくさん留置してあって見て楽しかった思い出あります。
小湊鉄道キハ200、国鉄キハ20系と異なり、ベージュ系の化粧板、独特の吊手受け等もどことなく京成っぽい雰囲気もあるかなあ……と。
昔奈良線を走っていたキハユニ16が好きでした。
福知山線でいうと、一日数本の篠山口ー大阪間の快速列車に充当されていましたので、気動車は優等列車のイメージがありましたね。個人の感想ですが。
キハ10系が短命なのは、エンジンの出力不足解消のため車両の小段面設計や鉄材の肉厚をやみくもに限界まで減らす当時の軽量化技術を使った設計が原因だったのかもしれませんね。これがのちのキハ55系やキハ20系になると、海外技術による準モノコック構造が採用され、解消されることになったのでしょうか。
おそらくキハ04・05・07系の保存車が少ないのは、キハ10系と同じ理由かもしれませんね。
あと当時は集客のため最新車両を看板優等列車に投入する政策をとっていたようでしたので、キハ18形にしろキロハ18形にしろ一定数が製造されたのは仕方がなかったとは思いますね。
ガセかもしれませんが、キロハ18が誕生した経緯は千葉県庁のゴリ押しとの話が有ります。
@@松尾浩之-s7y さま。事情はわかりかねますが、当時の雑誌記事によれば1954年(昭和29年)12月に千葉に配備された虎の子キロハ47000(キロハ18 1)も、翌年3月には関西本線準急『かすが』新設のためにさっさと召し上げられてしまったようですよ😰その時点の配置表なのでひょっとするともっと早かったかもしれません😅少なくとも手持ちの1955年3月の気動車配置表では当時5両あったキロハが配置されていたのは奈良(関西本線)1両と田端(日光線)4両のみで、千葉には配置されていませんでした😢のこり3両も1956年6月に奈良に全車配置されました🤔
@@松尾浩之-s7y さま。あと地方自治体が地方選出議員の便宜を図るために、2等車(今で言うグリーン車)の融通を図ってもらうことはどこでも普通にあったことですよ。
たとえば国政関係などの重要案件が審議中に外部に漏れないようにしたり、議員同士が会話しやすくするため、報道機関等と遮断するためでしょうね🤫
@@松尾浩之-s7y さま。それでキロハの話ですが、蔵書をひっくり返して探した結果、ある雑誌の座談会のなかでそのような話はでてきていましたが、ほかに確認できるような記事がなかったので、あったようななかったようなと言う感じですね。
当時の行政職員さんは慣例で2等車までは出張費として認められたようなのですが、フタを開けると利用者はだれもいなかったというオチになってました
当時の県職員さんは、2等車までは出張費として認めてもらえたようなので要求したようなのですが、実際フタを開けてみると誰も利用者はいなかったという顛末だったと、ある雑誌の座談会の記事にありました🤣
キハ10系のところで、キハ45000(キハ17)を派生形式として扱っていらっしゃいましたが、雑誌「鉄道ピクトリアル」によると、キハ17がこの系列では最初に製造されたと記述してあり、こちらが基幹形式、他を派生形式とした方がよいのではないかと感じました。確かに、形式の数字ではキハ10が若い数字なので「10系気動車」と言いたいのは理解できますし、言いやすいように感じていますので、この点はこのままでよいかと思われます。
大変かと思いますが、修正についてご検討くださるようお願い申し上げます。
関西では、
紀勢線・和歌山線・奈良線・関西線・山陰本線・加古川線・鍛冶屋線・播但線・小浜線ぐらいですか。
冷房無し、窓全開、余り意味のない扇風機😰🚃
キロハ18に触れないのはなぜ? また、銚子電鉄乗入れ中止の原因は車体長20mが原因では無く、車体幅がキハ10型系列の2600㎜から2800㎜になったキハ20がカーブの有るホームに接触事故を起こした事が原因では?
やったかどうかはわかりませんが、1959年8月の雑誌記事に読者からの投稿で『キハ20・25系使用に伴う銚子電鉄のホーム後退改造工事云々』というのがありますね。
その後1960年10月に『弾力的な運用ができない』という理由で乗り入れ中止となっていて、くわしく記事を読むと『全車キハ20・25系で編成された車両が観音駅のホームに接触云々』とあり、キハ10・20系との混合編成であればどうにか運行できていたような節ですね。
キハ10系は四国でも走ってたと思うけど取り上げないのは何故かな?
気動車って、あんまり乗ったことないなぁ。昔、八王子から拝島に行く時くらいで…
そのうち、飯山線に乗りに行こうかな。
JRの一般形気動車は混雑時に詰め込みが利くように、
ボックスシートが1列&2列になっているものが多いですが、
座席が少なくサービスダウンです。
経営を考えた場合それは妥当とも言えますが、
国鉄型気動車のゆとりが懐かしいです。
昭和50年頃、相模線が非電化だったとき閉じ主流のキハ17が主に走っていました。
ボックスシートの背もたれ部分の内装の芯が無く、背中合わせで座っている人の背中の動く感じが直接わかり
かなり気持ち悪かったですが、それが当たり前だと思って乗っていましたよ。😢
th-cam.com/users/sgaming/emoji/7ff574f2/emoji_u1f622.png😢
懐かしすぎ
鉄道ビジネスカジュアル最高
キハ17のドアにはホームの位置が分かるようにドアなのに下側に窓が着いていました。
幼い僕は断面が小さいキハ17に乗るときはホームから車体が離れているから大きく足を伸ばしてこわごわと乗っていた。
@@信広-q4hさん
ドア下部の明り窓はキハ20系にも装備されていましたね。
2エンジン車のキハ52では増備途中でプレスドアから平板ドアへの変更に伴ってそれまでの長円形から小さな◯窓に変更されていました。
ドア下部の◯窓はキハ58系にも途中まで装備されていたような記憶が…。🤔