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劉備って癖の強い部下を上手く起用から凄い。
諸葛亮が楊儀を重用するのがずっと不思議でした。劉備や関羽にも認められた人材とは知りませんでした。劉巴や馬謖らを評価しない劉備の目に止まるなら、魏延と楊儀は実践派と言えるのかも知れませんね。今回の動画でちょっと楊儀を見直しました。ありがとうございます。
数多ある三国志解説の中で、一番公正な内容でいつもの感心します。
コメントありがとうございます!
魏延に対しても楊儀に対しても優しい解説、ありがとうございます。ふたりとも私たち現代人と同じような悩みを抱え、変えられない自分に苦しんだ人間だったんだなあ。
コメントありがとうございます。二人とも有能だから頭の冷静な部分では、これではイカンと分かってたんじゃないか?でもどうしても感情の抑制がつかない、そんな風に解釈してみました
この作者の動画は初めて見たけど、現代の会社の例えが的確でわかりやすい社会経験がちゃんとある人なんだろうな
現代人にも似たような人が意外と近くにいて親近感が湧きました因みに私の職場には魏延みたいな性格で楊儀みたいな心の狭い直属の先輩がいてそろそろ自分の星(めっちゃちっちゃいゴミ屑くらいの大きさ)が堕ちそうです
分かります本人達は気づかないけど周りはメッチャ気を使うんですよね(汗
字幕や発言の編集が丁寧で見入ってしまった.いい動画だ。
ありがとうございます
いつも楽しくて詳しい解説ありがとうございます。猫さんの解説を見ていると自分の考えがまとまったり補完されて気分が高揚します。蜀漢の人材不足や、制度の未熟さが良く分かるいい動画でした。次回も楽しみにしています。
ありがとうございます。制度については動画では簡潔にしてコミュニティで補足する事にしようかと思ってますまた気付いた事があれば教えて下さい!
性格が狷介偏狭と表現されてましたが、納得してしまいますね…
どれだけ才覚があっても度量がないと上には立たせられないですからね~楊儀や魏延は自分に逆らった奴は絶対敵視しそうですし(汗
揚儀の掘り下げって貴重ですね。知らなかった事も多くあり、楽しく拝見しました。
楽しんで頂けたなら何よりです。
楊儀は北伐以前のことはほとんど知らなかったのでこの解説動画でいろいろ知ることができました。次の動画も楽しみにしています。
ありがとうございます。次もご期待下さい。
自分の長所によって栄達して自分の短所によって滅びたんだから、これはこれで人生を全うしたと言えるのではなかろうか
コメントありがとうございます。満足したかどうかはともかくしっかりと生ききった人生ですね
楊儀、最期はよく知ってたけど前半生はあまり知りませんでした。誰に対してもキツいと思ってたんですが、関羽や劉備、孔明にはかわいいとこあるんですね
あの当時の中国で出身地を捨てるというのは簡単な事ではないので、そこまでして仕官した相手に評価されると感激して「この人のためなら」って思ったのかも知れませんね
やはり歴史は地図を見ながらの方が理解しやすいですね。理解し易く、面白い動画ありがとうございます!
23:20 諸葛亮ageの演義が、結果的に諸葛亮sageになってしまった部分。あと、降服直後の魏延の首を斬れという話も。作者的には諸葛亮に先見の明があるという意味で書いたのだろうが。
演義の孔明は演出が薄っぺらいな、とは感じますね
難しい問題ですねぇ~ この辺りを曹孟徳、孫仲謀はやってのけましたね。
五丈原で全軍の指揮を執ってあの状況から退却を成功させるあたり、軍才もかなりのものがあったように思います。ひょっとして、自分の指揮で北伐したかったのでは?
姜維の補佐も大きかったような気もしますが、少なくとも蜀軍を救った事は間違いないですね〜
劉巴も楊儀も魏延も法正も鄧芝も李厳も有能な逸材だけれど、それぞれクセが強くて色々ヤバい人達。蜀の人材が豊富なら、そういうトリックスターを用いない選択もあるかもだけれど、蜀陣営の致命的な人材不足は如何ともし難い。
コメントありがとうございます。返す返すも夷陵の敗戦が痛かったですね~
性格の良いひとは亡くなってますよね、ほうとう、馬良、黄けん(魏に)、孔明、不幸な国ですね。でも劉禅は凄いよね結構放任してたお陰で他の武将がやってくれるし、あっさり降伏したから長生きできたし、たしか劉章も長生きしてますね、凡能の君主は国をながらえるのかもね、下手に頭が良いと猜疑心で有能な部下を殺す奴もいるからね。
@@川村信二-n5t 頭が切れるなら有能無能な部下たちの助言讒言の区別がつく。曹操は、その時代を代表するような数多の知恵者たちの言葉から最良を選択できた。それは彼自身がその部下たちと同等以上の知恵と決断力の強さだと言っていい。劉禅は言うほど無能ではない。
楊儀好きだから嬉しいっす😆
楊儀が好きとはマイノリティーですね~私も好きですよ~
段々孔明が失くなったのを契機に劉備が築いた旧臣達を始末して人員を一新したような気もしてきた
楊儀の解説とかあまりなかったのでみました。勉強になりました。ついでに魏延の解説も見ました。両方とも面白かったです。
コメントありがとうございます。
それでは劉備の直臣になった楊義の活躍を見ていきましょう→劉巴と対立して左遷! w
ある意味才能ですね
劉備「楊儀も劉巴も似たタイプだから一緒にいたらウマが合うんじゃね?」
劉備ならそんなノリで考えたかも?(笑
人間というのは1800年たっても変わらないなw
秀吉政権末期の官僚の石田三成=楊儀、加藤福島=魏延という構図が頭に浮かびました。しかし大変面白い動画で目から鱗が落ちるような思いで感心します。
ありがとうございます。その図式は結構当たってる気もします。楊儀が三成ほど滅私奉公でもなければ、魏延が加藤清正ほど文武両道ではなかったという点は違いますけど(笑加藤清正は飯田直景という家臣にものちのち悪口言われてますけどね
@@装甲猫 単純に官僚派の楊儀を三成に、武断派で魏延を加藤福島らに例えただけでありんす。この動画のおかげで楊儀の前半生、劉巴が曹操寄りの人だったとかホント知らないことが多くて改めてこの動画を作る装甲猫どのに敬意を持ちます。この先もゆっくり頑張ってください。
@@02hei さん応援ありがとうございます♪
陽儀って、北伐あたりでパッと出てきて、経歴が全然分からない人でしたから、今回の動画で、その辺りも解説されていて、大変面白かったです。しかし…日本でも、三成と武断派が同じパターンで反目しあいますよね…^^;
確かに文治派と武断派の対立って多いですよね三成と武断派の仲違いはつとによくしられていますが、実は武断派同士も仲が悪かった事はあまりしられてないので、三成だけが嫌われ者だったかのように思われがちです実際は、武断派の一分の方がよほどにヒドイ性格なんですが(笑
まぁ、改めてこんな癖の強いメンツをまとめ上げてた劉備って凄いな……と
劉備の場合はそもそも向こうから慕って寄ってきている、という所から凄いですよね
ゲームで捕らえたら、必ず斬る奴だ。
楊儀の子孫については、正史三国志では「楊儀が漢嘉郡に流されて自殺した後、妻子は蜀に帰ってきた」としか記述されておらず、三国志演義に至っては触れられてすらいない。一方、三国志演義の続編という設定の明代の演義小説である三国志後伝では楊儀の子という設定の楊龍、その子供の楊継勲が登場する。何故かこの二人は文官だった楊儀とは異なり、猛将とされている。
そうなんですね。三国志後伝というのは読んだことがないので知りませんでした
コーエーの無双から魏延が好きなので、少し嫌いな人物でしたが、それなりに侠気のある人物なので少し見直しました。13をやる時は絆を結ばせようかな
蜀の人事は意外に実力主義で内面の良し悪しを問わなかったから、それ故にきっと色んな所で摩擦が起きていて、その一番最悪なケースが楊儀と魏延なのでしょうね。ある意味蜀を代表する人物。
私もこの二人こそ蜀内での歪を代表する人物だと思います。この後は、大概が組織に順応しちゃった人達なので
ここでも出てくる孔明えもん
魏延は退路を塞いで橋を燃やし、楊儀はその魏延の首を踏み付ける…どちらもそりゃ人望なんて皆無だわな、という感じです😅この2人がもう少しだけでも性格が良ければ、お互いに協力して、それを蒋琬が統括する、という形を取れていたら、また面白かったのですが、そううまくいきませんね😓以前何かの媒体で「諸葛孔明という巨星が落ちた事で、魏延・楊儀という小星も落ちてしまった」という表現を見ましたが、まさにその通りの展開になってしまいました、どれだけ時代が変わっても、人間関係の難しさは変わらないですね💦💦
この二人に関しては、性格が悪かった事を隠したり誤魔化すと、史書に残った姿と違う事になるので、代わりに手腕の凄さはしっかりと解説してみました。いつの世も協調性が大事という事で、魏延・楊儀が車の両輪の如くになっていたら、もっと違った展開になったかもですね
政治家官吏が有能でも性格や自分の我を抑えられていたらと思うと…終盤の愚痴もその場の勢いで抑え利かずで惜しい人物です。でもこのエピソードが有るから楊儀が注目されたのでしょうか…楊儀面白かったです。
ありがとうございます。魏延は私がやるまでもなく擁護されるので、注目されない楊儀の方も取り上げてみました
諸将の誰もが畏れる魏延に対し、憚ることなく大嫌いと公言していた楊儀だけど魏延嫌いの同士ともいうべき「劉エン」とは仲が良かったのかな?敵の敵は味方ってわけじゃないけど、二人で魏延への悪口で意気投合して盛り上がってる光景が浮かんだのだが
劉琰は酔った勢いで虚偽を述べて諸葛亮に怒られてるので、楊儀とはベクトル違うかもですね~楊儀は魏延の横柄な態度を非難したって感じですし
魏延との関係は石田三成と加藤清正みたいな感じだったんですかね。
加藤清正より福島正則の方が近いかな?楊儀は石田三成ほど滅私奉公じゃなかったですけどね。
を見てみたいです。一般的に親の七光り評価が当たり前で、才能は並以下、忠義者が通説とあるのを、他の視点からの才能部分等をみたいです。
サムネの楊儀のグラフィック、費禕相手に愚痴ってる時の様子を描いたものにしか見えない。
確かに(笑でも、なんというか特徴的な感じで絵師さんの技量が伺われます
魏延をおちょくってるかも?
小さい組織で活躍できる人と、大きい組織で活躍できる人とは、全く要件が違う、ということでしょうか。
う~ん、難しいところですね案外上手くやったかも知れませんし駄目だったかも知れませんしただ、自分より下位の人間の忠告や諫言を受け入れる度量があったかどうか?が問題かも知れません
廉頗と藺相如、賈復と寇恂は和解したっていうのに
どっちもそれほどの器ではなかったということなんでしょうかね…廉頗の率直さなんか清々しいくらいですけどね
同属嫌悪ってやつかねぇ似た者同士って、上下関係とライバル関係で全然違うんだよな上下関係だと、上司「自分の考えを理解する使える部下」部下「自分の能力を評価してくれる上司」ってウィンウィンなんだけどライバル同士だと、自分の地位を脅かす存在になるからな~
劉巴に関しては張飛とのやり取りを聞いた張昭が呆れたくらいだからなぁ~。(何故か孫権が劉巴の肩を持ったけど)仮に曹操に仕えてもこの性格だと曹操陣営で重用されたかどうか…。
孫権の擁護も的はずれですしね~それ言うならそもそも劉備に謝罪して仕えた時点でアウトじゃんっていう(笑
楊儀の兄が17歳で死ぬ前に弟子100人いたは怪しすぎる。
まあしかし来敏等学者連中と言い、劉巴、魏延、楊儀、廖立、もちろん関羽や張飛と蜀はやたら性格に難のある人物が多いような・・・と言うかうまく扱える人がいなさすぎるんだろうな
劉備の人徳(?)の賜物でしょうか。というかまっとうな性格の人物は劉備を選ばないとか?(笑
楊儀「この動画を好評したらハートマークくれるだろ(傲慢)」その後………楊儀「は?ハートマークくれなかった、その時好評ではなくて、低評価を押せばよかった」→悲惨www
えらくメタい楊儀(笑
諸葛亮が亡くなった蜀で魏延以上の高位って劉禅以外いないんすよね。9品官制度で言えば3品くらいで実質北伐軍の副指令。対して楊儀は5だか6くらい。いち幕僚くらいです。副指令差し置いて幕僚が指揮権持つのがおかしいとは思うのですが・・・。魏延が先回りしたことを非難する人も多いのでしょうが、先に撤退した軍を追い抜くほど地理を完全に理解していた事にも注目してあげて欲しいですね。
動画で解説しましたが、将軍位の高低は意味がないんです。重要なのは職権なので。なので魏延は副司令でもなんでも無いです。また先回りを避難されてるのではなく、持場放棄と退却妨害が問題なんです。恐らくとても魏延がお好きなんで、ついつい肩入れしてしまうのでしょが、出来れば悪い部分や欠点も含めて魏延を好きになってあげて下さいな
費禕先輩を信じちゃダメw好きだけどなんというか費禕先輩はかなり裏が黒い印象あるし・・・
費禕「それでもボクはやってない」
@@装甲猫 動画見て思いましたが確かに先輩が黙ってたらなんで知らせなかったとか言われそうだなとは思いました・・・でもやっぱり先輩は裏がありそうで怖い・・・でも好きw
蜀の人材不足を嘆いていた孔明だけど、「癖が無い奴」という点でも人材不足だったのかも…。 荊州勢全滅して後はド田舎で引きこもりの益州人材から見出すのは苦労しただろう。 だからこそ「山登り」に過大な期待が…。
どこの国、いつの時代でも人材の流動がなくなると先細る一方なんでしょうね〜
まさか劉備に才能を評価されたとは…てっきり諸葛亮以外には嫌われ者と思ってたが、他の楊儀の伝記と違って内容が深く調べてると思いました。出来れば次は諸葛瞻
別の方の解説動画で費禕が楊儀を密告したのは、当時、費禕も干されていたから楊儀を売って中央の信用を勝ち得ようとしたとの推測がなされていましたが、この説も確かにありそう。もしこの説が正しいとすると楊儀は自業自得ではありますが、ある意味哀れな最期と言えます。
なるほど、なるほど。解釈は人それぞれなので、そういう見方もありかもですね。 あくまで私個人の見解では、後軍師就任は表面をみると閑職に回された様に見えますが、他の伝も読むと蒋琬の後釜として尚書令(政治実務の長官)につくのが既定路線だったのが分かるので、腰掛けとしてわざと実務のない職についていたんだと思います。 じゃないと、蒋琬が大将軍に就任した(ここまでが同年の235年)後に「政治長官の後任が決まってないなあ。じゃあ密告したし費禕でいっか」という、あまりに尚書令のポストが軽い感じになっちゃうので(笑
軍師という官職は皇帝の軍師という意味で実務のほとんどない閑職です。とはいえ、当時は閑職といえど疎かに出来なかった。諸葛孔明亡き後の蜀は対外的に重大な危機を抱えていた。軍師は楊儀を含めて3人。その内訳は前軍師:トウ芝(対呉の要)中軍師:楊儀(対魏対応)後軍師:費イ(")ただ、官職が軍師だけなのは楊儀だけで費イは蒋エンの後任で尚書令に就くのが確実、トウ芝も現在の重慶に駐屯して宗預と一緒に呉が孔明の死に乗じて攻めて来る事がない様警戒していた。楊儀・費イは司馬仲達率いる魏の動きに対処する為にこの閑職に回されたのだが人事に不満の楊儀はほぼ職場放棄。ほぼ費イ1人で対処していた。蒋エン政権に不満を顕にした楊儀を費イが密告したのもこれ以上楊儀に任せては魏に成都近くまで入られて蜀が滅びると思ったからだ。でも楊儀が流刑になった後、最も恐れていた事態が起きて馬岱が成都に近い陰平まで迎撃に行く事に。ところが馬岱は牛金に敗れ陰平を喪ってしまった為に馬岱の元上官だった楊儀も戦犯扱いされ、更に流刑先で反乱を起こす危険性が高かった為、処刑されてしまった。
昨今のネットに置き変えるとクソコメを書くのが魏延クソコメへのスルースキルが高いのが孔明スルースキルが無く反論してクソコメ残しちゃうのが楊儀って感じかなぁ
ネットで例えるとそんな感じなんですかね~?
なんで刎頸の友とは真逆を行くかねこの二人は……
日本で言うと、石田三成タイプなんだよなぁ…となると、魏延は福島正則あたりか。
楊儀なぁ、楊儀・・・。どうしても魏延好きだと楊儀は嫌いになっちゃいますね。孫権の評価がこの二人の当時からの認識だったんでしょうね。小人・・・。
私としては戦場で武功を立てるだけが戦争じゃない、という陰の功労者に視点を向けて貰えれば~と思います
サムネの顔好き「そんなことも分からないのですか? 所詮は下賤な輩、仕方ありませんなwww」とか言ってそうな顔
子供の頃横山三国志読んでて、唐突に現れた楊儀に『どっから湧いてきた?』ってイメージを持ってしまい、ずっとそれを引きずってたんだよね~なんて、本人には言えないけどw
あるあるですね~
@@装甲猫 それにしても魏延・楊儀に限らず、関羽・張飛、法正・龐統・李厳など、有能でも厄介な人物をよく束ねたというか、付いてこさせた劉備の凄さよwそんな劉備の元を去る徐庶や田豫とか実に興味深いですね~
藺相如と廉頗みたくはなれなかったね。狭量且つ癖が有り過ぎる同志だと無理なんだなあという証明になっちゃった。蔣琬は上手く立ち回ってまとめたけど、後継が楊儀なら内乱で滅亡してた可能性もあるし。こういうタイプって現代でも居るから親近感がある。従って楊儀は昔から好きになれないです。
癖のあるところも含めて面白い人物だ、と思ってあげて下さい(笑
遅くなりましたが今回もお疲れ様でした!楊儀、魏延がどうこうよりも…劉備はこの2人をうまく扱えた、孔明はうまく扱えなかった、なんじゃないかなと思う。政治家として孔明は偉大な人物だとは思うのですが唯一の欠点が「人を使役する能力」だったのではないかと。自分1人で出来てしまいすぎるのも問題なのかもですね。次回も楽しみにしております!
魏も間に入る武将が居たからこそ強かったもんな。この辺りが差だな。
何事も和をもって貴しですねスター選手を集めても勝てない野球と同じです
三國志版の石田三成か…
有能な事務方であり、武闘派とそりが合わないという点は確かに似ています。でも、「義」を重んじた石田三成は、冗談でも「敵国に行っていたらもっといい待遇だった」などとは言わなかったと信じています。
まあそもそも楊儀くらいの地位(ほぼトップ)になればよほどなことがないと魏に降ったとしても信じてもらえないでしょう。と考えればただの愚痴を聞かれて告げ口されたのが正解なんでしょうね。( ̄▽ ̄;)歴史にあまり出てこないのは文官の宿命で、裏方の活躍は多かったろうと思います。軍記物は文官よりも武将の方が華があるので描かれやすいですし。
コメントありがとうございます。文官の宿命というと、その辺は前漢の劉邦配下の武将達が文官の蕭何が勲功第一とされた時に「戦場で戦いもしてないのに〜!」って不満を持ったのと同じで、武功の方が上、と考えがちなんでしょうね。でも分かってる人間、いわゆる名将は兵站の大事さを分かってる、と。
才能はあったんだろうな・・才能すらない私なんかより凄いのにもったいないね
魏延の方がマシだと思ってたけど、どっちもどっちだなぁ。
ある意味似た者どうしなんですよね。協力できていれば変わっていたろうに惜しいです
どう考えても自業自得の最期
正直、魏延、楊儀と一緒に立伝されてる人物の中で自業自得っていうのが酷なのは劉封くらいですね~
劉備って癖の強い部下を上手く起用から凄い。
諸葛亮が楊儀を重用するのがずっと不思議でした。
劉備や関羽にも認められた人材とは知りませんでした。
劉巴や馬謖らを評価しない劉備の目に止まるなら、
魏延と楊儀は実践派と言えるのかも知れませんね。
今回の動画でちょっと楊儀を見直しました。
ありがとうございます。
数多ある三国志解説の中で、一番公正な内容でいつもの感心します。
コメントありがとうございます!
魏延に対しても楊儀に対しても優しい解説、ありがとうございます。
ふたりとも私たち現代人と同じような悩みを抱え、変えられない自分に苦しんだ人間だったんだなあ。
コメントありがとうございます。
二人とも有能だから頭の冷静な部分では、これではイカンと分かってたんじゃないか?でもどうしても感情の抑制がつかない、そんな風に解釈してみました
この作者の動画は初めて見たけど、現代の会社の例えが的確でわかりやすい
社会経験がちゃんとある人なんだろうな
現代人にも似たような人が意外と近くにいて親近感が湧きました
因みに私の職場には魏延みたいな性格で楊儀みたいな心の狭い直属の先輩がいてそろそろ自分の星(めっちゃちっちゃいゴミ屑くらいの大きさ)が堕ちそうです
分かります
本人達は気づかないけど周りはメッチャ気を使うんですよね(汗
字幕や発言の編集が丁寧で見入ってしまった.
いい動画だ。
ありがとうございます
いつも楽しくて詳しい解説ありがとうございます。
猫さんの解説を見ていると自分の考えがまとまったり補完されて気分が高揚します。
蜀漢の人材不足や、制度の未熟さが良く分かるいい動画でした。
次回も楽しみにしています。
ありがとうございます。制度については動画では簡潔にしてコミュニティで補足する事にしようかと思ってます
また気付いた事があれば教えて下さい!
性格が狷介偏狭と表現されてましたが、納得してしまいますね…
どれだけ才覚があっても度量がないと上には立たせられないですからね~
楊儀や魏延は自分に逆らった奴は絶対敵視しそうですし(汗
揚儀の掘り下げって貴重ですね。知らなかった事も多くあり、楽しく拝見しました。
楽しんで頂けたなら何よりです。
楊儀は北伐以前のことはほとんど知らなかったのでこの解説動画でいろいろ知ることができました。
次の動画も楽しみにしています。
ありがとうございます。次もご期待下さい。
自分の長所によって栄達して自分の短所によって滅びたんだから、
これはこれで人生を全うしたと言えるのではなかろうか
コメントありがとうございます。
満足したかどうかはともかくしっかりと生ききった人生ですね
楊儀、最期はよく知ってたけど前半生はあまり知りませんでした。
誰に対してもキツいと思ってたんですが、関羽や劉備、孔明にはかわいいとこあるんですね
あの当時の中国で出身地を捨てるというのは簡単な事ではないので、そこまでして仕官した相手に評価されると感激して「この人のためなら」って思ったのかも知れませんね
やはり歴史は地図を見ながらの方が理解しやすいですね。理解し易く、面白い動画ありがとうございます!
23:20 諸葛亮ageの演義が、結果的に諸葛亮sageになってしまった部分。
あと、降服直後の魏延の首を斬れという話も。
作者的には諸葛亮に先見の明があるという意味で書いたのだろうが。
演義の孔明は演出が薄っぺらいな、とは感じますね
難しい問題ですねぇ~ この辺りを曹孟徳、孫仲謀はやってのけましたね。
五丈原で全軍の指揮を執ってあの状況から
退却を成功させるあたり、軍才もかなりのものがあったように思います。
ひょっとして、自分の指揮で北伐したかったのでは?
姜維の補佐も大きかったような気もしますが、少なくとも蜀軍を救った事は間違いないですね〜
劉巴も楊儀も魏延も法正も鄧芝も李厳も有能な逸材だけれど、それぞれクセが強くて色々ヤバい人達。
蜀の人材が豊富なら、そういうトリックスターを用いない選択もあるかもだけれど、蜀陣営の致命的な人材不足は如何ともし難い。
コメントありがとうございます。
返す返すも夷陵の敗戦が痛かったですね~
性格の良いひとは亡くなってますよね、ほうとう、馬良、黄けん(魏に)、孔明、不幸な国ですね。でも劉禅は凄いよね結構放任してたお陰で他の武将がやってくれるし、あっさり降伏したから長生きできたし、たしか劉章も長生きしてますね、凡能の君主は国をながらえるのかもね、下手に頭が良いと猜疑心で有能な部下を殺す奴もいるからね。
@@川村信二-n5t 頭が切れるなら有能無能な部下たちの助言讒言の区別がつく。曹操は、その時代を代表するような数多の知恵者たちの言葉から最良を選択できた。それは彼自身がその部下たちと同等以上の知恵と決断力の強さだと言っていい。劉禅は言うほど無能ではない。
楊儀好きだから嬉しいっす😆
楊儀が好きとはマイノリティーですね~
私も好きですよ~
段々孔明が失くなったのを契機に劉備が築いた旧臣達を始末して人員を一新したような気もしてきた
楊儀の解説とかあまりなかったのでみました。勉強になりました。ついでに魏延の解説も見ました。両方とも面白かったです。
コメントありがとうございます。
それでは劉備の直臣になった楊義の活躍を見ていきましょう→劉巴と対立して左遷! w
ある意味才能ですね
劉備「楊儀も劉巴も似たタイプだから一緒にいたらウマが合うんじゃね?」
劉備ならそんなノリで考えたかも?(笑
人間というのは1800年たっても変わらないなw
秀吉政権末期の官僚の石田三成=楊儀、加藤福島=魏延という構図が頭に浮かびました。しかし大変面白い動画で目から鱗が落ちるような思いで感心します。
ありがとうございます。
その図式は結構当たってる気もします。
楊儀が三成ほど滅私奉公でもなければ、魏延が加藤清正ほど文武両道ではなかったという点は違いますけど(笑
加藤清正は飯田直景という家臣にものちのち悪口言われてますけどね
@@装甲猫
単純に官僚派の楊儀を三成に、武断派で魏延を加藤福島らに例えただけでありんす。この動画のおかげで楊儀の前半生、劉巴が曹操寄りの人だったとかホント知らないことが多くて改めてこの動画を作る装甲猫どのに敬意を持ちます。この先もゆっくり頑張ってください。
@@02hei さん
応援ありがとうございます♪
陽儀って、北伐あたりでパッと出てきて、経歴が全然分からない人でしたから、今回の動画で、その辺りも解説されていて、大変面白かったです。しかし…日本でも、三成と武断派が同じパターンで反目しあいますよね…^^;
確かに文治派と武断派の対立って多いですよね
三成と武断派の仲違いはつとによくしられていますが、実は武断派同士も仲が悪かった事はあまりしられてないので、三成だけが嫌われ者だったかのように思われがちです
実際は、武断派の一分の方がよほどにヒドイ性格なんですが(笑
まぁ、改めてこんな癖の強いメンツをまとめ上げてた劉備って凄いな……と
劉備の場合はそもそも向こうから慕って寄ってきている、という所から凄いですよね
ゲームで捕らえたら、必ず斬る奴だ。
楊儀の子孫については、正史三国志では「楊儀が漢嘉郡に流されて自殺した後、妻子は蜀に帰ってきた」としか記述されておらず、三国志演義に至っては触れられてすらいない。一方、三国志演義の続編という設定の明代の演義小説である三国志後伝では楊儀の子という設定の楊龍、その子供の楊継勲が登場する。何故かこの二人は文官だった楊儀とは異なり、猛将とされている。
そうなんですね。三国志後伝というのは読んだことがないので知りませんでした
コーエーの無双から魏延が好きなので、少し嫌いな人物でしたが、それなりに侠気のある人物なので少し見直しました。13をやる時は絆を結ばせようかな
蜀の人事は意外に実力主義で内面の良し悪しを問わなかったから、それ故にきっと色んな所で摩擦が起きていて、その一番最悪なケースが楊儀と魏延なのでしょうね。
ある意味蜀を代表する人物。
私もこの二人こそ蜀内での歪を代表する人物だと思います。
この後は、大概が組織に順応しちゃった人達なので
ここでも出てくる孔明えもん
魏延は退路を塞いで橋を燃やし、楊儀はその魏延の首を踏み付ける…
どちらもそりゃ人望なんて皆無だわな、という感じです😅
この2人がもう少しだけでも性格が良ければ、お互いに協力して、それを蒋琬が統括する、という形を取れていたら、また面白かったのですが、そううまくいきませんね😓
以前何かの媒体で「諸葛孔明という巨星が落ちた事で、魏延・楊儀という小星も落ちてしまった」という表現を見ましたが、まさにその通りの展開になってしまいました、どれだけ時代が変わっても、人間関係の難しさは変わらないですね💦💦
この二人に関しては、性格が悪かった事を隠したり誤魔化すと、史書に残った姿と違う事になるので、代わりに手腕の凄さはしっかりと解説してみました。
いつの世も協調性が大事という事で、魏延・楊儀が車の両輪の如くになっていたら、もっと違った展開になったかもですね
政治家官吏が有能でも性格や自分の我を抑えられていたらと思うと…終盤の愚痴もその場の勢いで抑え利かずで惜しい人物です。でもこのエピソードが有るから楊儀が注目されたのでしょうか…楊儀面白かったです。
ありがとうございます。魏延は私がやるまでもなく擁護されるので、注目されない楊儀の方も取り上げてみました
諸将の誰もが畏れる魏延に対し、憚ることなく大嫌いと公言していた楊儀だけど
魏延嫌いの同士ともいうべき「劉エン」とは仲が良かったのかな?
敵の敵は味方ってわけじゃないけど、二人で魏延への悪口で意気投合して盛り上がってる光景が浮かんだのだが
劉琰は酔った勢いで虚偽を述べて諸葛亮に怒られてるので、楊儀とはベクトル違うかもですね~
楊儀は魏延の横柄な態度を非難したって感じですし
魏延との関係は石田三成と加藤清正みたいな感じだったんですかね。
加藤清正より福島正則の方が近いかな?
楊儀は石田三成ほど滅私奉公じゃなかったですけどね。
を見てみたいです。一般的に親の七光り評価が当たり前で、才能は並以下、忠義者が通説とあるのを、他の視点からの才能部分等をみたいです。
サムネの楊儀のグラフィック、費禕相手に愚痴ってる時の様子を描いたものにしか見えない。
確かに(笑
でも、なんというか特徴的な感じで絵師さんの技量が伺われます
魏延をおちょくってるかも?
小さい組織で活躍できる人と、大きい組織で活躍できる人とは、
全く要件が違う、ということでしょうか。
う~ん、難しいところですね
案外上手くやったかも知れませんし駄目だったかも知れませんし
ただ、自分より下位の人間の忠告や諫言を受け入れる度量があったかどうか?が問題かも知れません
廉頗と藺相如、賈復と寇恂は和解したっていうのに
どっちもそれほどの器ではなかったということなんでしょうかね…
廉頗の率直さなんか清々しいくらいですけどね
同属嫌悪ってやつかねぇ
似た者同士って、上下関係とライバル関係で全然違うんだよな
上下関係だと、上司「自分の考えを理解する使える部下」部下「自分の能力を評価してくれる上司」
ってウィンウィンなんだけど
ライバル同士だと、自分の地位を脅かす存在になるからな~
劉巴に関しては張飛とのやり取りを聞いた張昭が呆れたくらいだからなぁ~。(何故か孫権が劉巴の肩を持ったけど)
仮に曹操に仕えてもこの性格だと曹操陣営で重用されたかどうか…。
孫権の擁護も的はずれですしね~
それ言うならそもそも劉備に謝罪して仕えた時点でアウトじゃんっていう(笑
楊儀の兄が17歳で死ぬ前に弟子100人いたは怪しすぎる。
まあしかし来敏等学者連中と言い、劉巴、魏延、楊儀、廖立、もちろん関羽や張飛と
蜀はやたら性格に難のある人物が多いような・・・と言うかうまく扱える人がいなさすぎるんだろうな
劉備の人徳(?)の賜物でしょうか。というかまっとうな性格の人物は劉備を選ばないとか?(笑
楊儀「この動画を好評したらハートマークくれるだろ(傲慢)」
その後………
楊儀「は?ハートマークくれなかった、その時好評ではなくて、低評価を押せばよかった」→悲惨www
えらくメタい楊儀(笑
諸葛亮が亡くなった蜀で魏延以上の高位って劉禅以外いないんすよね。9品官制度で言えば3品くらいで実質北伐軍の副指令。対して楊儀は5だか6くらい。いち幕僚くらいです。副指令差し置いて幕僚が指揮権持つのがおかしいとは思うのですが・・・。魏延が先回りしたことを非難する人も多いのでしょうが、先に撤退した軍を追い抜くほど地理を完全に理解していた事にも注目してあげて欲しいですね。
動画で解説しましたが、将軍位の高低は意味がないんです。重要なのは職権なので。なので魏延は副司令でもなんでも無いです。また先回りを避難されてるのではなく、持場放棄と退却妨害が問題なんです。
恐らくとても魏延がお好きなんで、ついつい肩入れしてしまうのでしょが、出来れば悪い部分や欠点も含めて魏延を好きになってあげて下さいな
費禕先輩を信じちゃダメw
好きだけどなんというか費禕先輩はかなり裏が黒い印象あるし・・・
費禕「それでもボクはやってない」
@@装甲猫
動画見て思いましたが確かに先輩が黙ってたらなんで知らせなかったとか言われそうだなとは思いました・・・
でもやっぱり先輩は裏がありそうで怖い・・・
でも好きw
蜀の人材不足を嘆いていた孔明だけど、「癖が無い奴」という点でも人材不足だったのかも…。 荊州勢全滅して後はド田舎で引きこもりの益州人材から見出すのは苦労しただろう。 だからこそ「山登り」に過大な期待が…。
どこの国、いつの時代でも人材の流動がなくなると先細る一方なんでしょうね〜
まさか劉備に才能を評価されたとは…てっきり諸葛亮以外には嫌われ者と思ってたが、他の楊儀の伝記と違って内容が深く調べてると思いました。出来れば次は諸葛瞻
別の方の解説動画で費禕が楊儀を密告したのは、当時、費禕も干されていたから楊儀を売って中央の信用を勝ち得ようとしたとの推測がなされていましたが、この説も確かにありそう。もしこの説が正しいとすると楊儀は自業自得ではありますが、ある意味哀れな最期と言えます。
なるほど、なるほど。解釈は人それぞれなので、そういう見方もありかもですね。
あくまで私個人の見解では、後軍師就任は表面をみると閑職に回された様に見えますが、他の伝も読むと蒋琬の後釜として尚書令(政治実務の長官)につくのが既定路線だったのが分かるので、腰掛けとしてわざと実務のない職についていたんだと思います。
じゃないと、蒋琬が大将軍に就任した(ここまでが同年の235年)後に「政治長官の後任が決まってないなあ。じゃあ密告したし費禕でいっか」という、あまりに尚書令のポストが軽い感じになっちゃうので(笑
軍師という官職は皇帝の軍師という意味で実務のほとんどない閑職です。とはいえ、当時は閑職といえど疎かに出来なかった。諸葛孔明亡き後の蜀は対外的に重大な危機を抱えていた。軍師は楊儀を含めて3人。その内訳は
前軍師:トウ芝(対呉の要)
中軍師:楊儀(対魏対応)
後軍師:費イ(")
ただ、官職が軍師だけなのは楊儀だけで費イは蒋エンの後任で尚書令に就くのが確実、トウ芝も現在の重慶に駐屯して宗預と一緒に呉が孔明の死に乗じて攻めて来る事がない様警戒していた。楊儀・費イは司馬仲達率いる魏の動きに対処する為にこの閑職に回されたのだが人事に不満の楊儀はほぼ職場放棄。ほぼ費イ1人で対処していた。蒋エン政権に不満を顕にした楊儀を費イが密告したのもこれ以上楊儀に任せては魏に成都近くまで入られて蜀が滅びると思ったからだ。でも楊儀が流刑になった後、最も恐れていた事態が起きて馬岱が成都に近い陰平まで迎撃に行く事に。ところが馬岱は牛金に敗れ陰平を喪ってしまった為に馬岱の元上官だった楊儀も戦犯扱いされ、更に流刑先で反乱を起こす危険性が高かった為、処刑されてしまった。
昨今のネットに置き変えると
クソコメを書くのが魏延
クソコメへのスルースキルが高いのが孔明
スルースキルが無く反論してクソコメ残しちゃうのが楊儀
って感じかなぁ
ネットで例えるとそんな感じなんですかね~?
なんで刎頸の友とは真逆を行くかねこの二人は……
日本で言うと、石田三成タイプなんだよなぁ…となると、魏延は福島正則あたりか。
楊儀なぁ、楊儀・・・。どうしても魏延好きだと楊儀は嫌いになっちゃいますね。孫権の評価がこの二人の当時からの認識だったんでしょうね。小人・・・。
私としては戦場で武功を立てるだけが戦争じゃない、という陰の功労者に視点を向けて貰えれば~と思います
サムネの顔好き
「そんなことも分からないのですか? 所詮は下賤な輩、仕方ありませんなwww」
とか言ってそうな顔
子供の頃横山三国志読んでて、唐突に現れた楊儀に『どっから湧いてきた?』ってイメージを持ってしまい、
ずっとそれを引きずってたんだよね~
なんて、本人には言えないけどw
あるあるですね~
@@装甲猫 それにしても魏延・楊儀に限らず、関羽・張飛、法正・龐統・李厳など、有能でも厄介な人物をよく束ねたというか、付いてこさせた劉備の凄さよw
そんな劉備の元を去る徐庶や田豫とか実に興味深いですね~
藺相如と廉頗みたくはなれなかったね。
狭量且つ癖が有り過ぎる同志だと無理なんだなあという証明になっちゃった。
蔣琬は上手く立ち回ってまとめたけど、後継が楊儀なら内乱で滅亡してた可能性もあるし。
こういうタイプって現代でも居るから親近感がある。
従って楊儀は昔から好きになれないです。
癖のあるところも含めて面白い人物だ、と思ってあげて下さい(笑
遅くなりましたが今回もお疲れ様でした!
楊儀、魏延がどうこうよりも…
劉備はこの2人をうまく扱えた、孔明はうまく扱えなかった、なんじゃないかなと思う。
政治家として孔明は偉大な人物だとは思うのですが唯一の欠点が「人を使役する能力」だったのではないかと。
自分1人で出来てしまいすぎるのも問題なのかもですね。
次回も楽しみにしております!
魏も間に入る武将が居たからこそ強かったもんな。この辺りが差だな。
何事も和をもって貴しですね
スター選手を集めても勝てない野球と同じです
三國志版の石田三成か…
有能な事務方であり、武闘派とそりが合わないという点は確かに似ています。
でも、「義」を重んじた石田三成は、冗談でも「敵国に行っていたらもっといい待遇だった」などとは言わなかったと信じています。
まあそもそも楊儀くらいの地位(ほぼトップ)になればよほどなことがないと魏に降ったとしても信じてもらえないでしょう。
と考えればただの愚痴を聞かれて告げ口されたのが正解なんでしょうね。( ̄▽ ̄;)
歴史にあまり出てこないのは文官の宿命で、裏方の活躍は多かったろうと思います。軍記物は文官よりも武将の方が華があるので描かれやすいですし。
コメントありがとうございます。
文官の宿命というと、その辺は前漢の劉邦配下の武将達が文官の蕭何が勲功第一とされた時に「戦場で戦いもしてないのに〜!」
って不満を持ったのと同じで、武功の方が上、と考えがちなんでしょうね。
でも分かってる人間、いわゆる名将は兵站の大事さを分かってる、と。
才能はあったんだろうな・・
才能すらない私なんかより凄いのに
もったいないね
魏延の方がマシだと思ってたけど、どっちもどっちだなぁ。
ある意味似た者どうしなんですよね。協力できていれば変わっていたろうに惜しいです
どう考えても自業自得の最期
正直、魏延、楊儀と一緒に立伝されてる人物の中で自業自得っていうのが酷なのは劉封くらいですね~