【ゆっくり解説】ポルシェに負けた屈辱から生まれた車、プリンスR380

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  • เผยแพร่เมื่อ 11 ก.ย. 2024
  • プロトタイプカーの原点にして日本最高のレーシングカー、その生い立ちを解説
    / carcomi1
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    #日産 #R380 #ポルシェ904 #スカイライン #日本グランプリ #プリンス自動車

ความคิดเห็น • 59

  • @kathuyaaa-1115
    @kathuyaaa-1115 ปีที่แล้ว +13

    今の20代だと知らないのは当然だよな
    プロジェクトXは案外車ネタ取り上げていてこのプリンスの挑戦やっていたけど特に燃料補給のアイデアは素晴らしいと感じる
    昔はポリタンク直で入れてポルシェも燃料入れるのに1分以上かけていたのをプリンスはサイフォンの原理みたいに燃料を建物の上に取り付け燃料補給すると時間かからずにスムーズにピット作業出来たとか中々凄いぞこの話は

  • @user-pm5jc7ph2b
    @user-pm5jc7ph2b ปีที่แล้ว +15

    やはり生沢徹の906と高橋国光の380との死闘ですよね、生沢のスピンに巻き込まれる形で両車共コースアウト、すぐに再スタートできた906はすぐにピットインして応急処置、この時、届け出されていたピットクルーとは別に来ていた生沢の友人が機転を利かせて燃料補給をした、これがキッカケで優勝ができたという、380はエンジンが止まってしまい再始動に手間取りその差を埋められず勝つことができなかった、翌日、生沢は謝りに高橋を訪ねたそうです。高橋は怒らなかったと聞きます。ちなみにその給油をした人が、何と若き日の徳大寺有恒さんだったそうです、レジェンドですよね。

    • @user-oj4ek8sp8b
      @user-oj4ek8sp8b ปีที่แล้ว +1

      あのレースでそのようなエピソードがあったのは知りませんでした。今なら部外者がピット作業すれば失格モノでしょうけど黎明期のユルさが垣間見られるようです。しかしそうした行為を潔しとせず謝罪した生沢氏の行動も清々しさを感じずにはいられません。

    • @user-pm5jc7ph2b
      @user-pm5jc7ph2b ปีที่แล้ว

      徳大寺有恒さんが亡くなった時の追悼記事で知りました、生沢徹の寄稿文で杉江の(徳大寺さんの本名)おかげて勝てた、杉江には本当に感謝していると綴られてました、謝りに行ったのはスピンについてで、このことについては、高橋国光氏の「恐怖を背中に張り付けて走った」と言う30年ほど前の本に書かれていたことです、給油についてはつい最近知ったことです、書き方悪くてすみません。

    • @user-oj4ek8sp8b
      @user-oj4ek8sp8b ปีที่แล้ว +1

      @@user-pm5jc7ph2b さん
      こちらこそ早とちりなコメしてしまいました。改めて読み直したら確かに生沢氏のそれはスピンに対しての謝罪であり、浅読みした自分に赤面の至りです。
      件の徳大寺氏は車好きが高じてこうしたドライバーたちと親交があったと聞きますが、他にも我々が知らない裏話もあったことでしょう。

    • @user-ou5ho6sl6d
      @user-ou5ho6sl6d ปีที่แล้ว +1

      徳大寺こと杉江博愛は当時式場壮吉と組んでレーシングメイトというレース用品メーカーを経営していて、友人だった生沢のスポンサーにもなっていた。
      この年の生沢のポルシェはディーラーの三和が輸入した3台のうち売れ残って展示車になっていた車をスポンサーかき集めて調達したもので、チームのスタッフも友人知人に頼んでいた体制だった。そのメンバーの中に杉江もいたということ。
      その後杉江は会社を潰して紆余曲折の末にファッション雑誌の編集者になり、正体を隠して徳大寺のペンネームで書いた本が大ヒットして自動車評論家になる。

    • @user-bn2iz6qh8d
      @user-bn2iz6qh8d ปีที่แล้ว +1

      生沢がスピンしたのは国さんがわざと二番手に付けてパッシングで生沢を煽っていたら生沢が焦ってシフトミスしたからです❗😅

  • @kent_echo
    @kent_echo ปีที่แล้ว +4

    良く調べてると思います。
    R380は日産プロトの原点にして最後まで開発が継続された車でした。
    トップモデルが毎年更新されていくのに対して毎年改良を加えられて行った最終型A3は世界レベルで通用するプロトタイプになっていたと思います。実際にR38シリーズに海外遠征を行ったのもR380でしたから。その唯一の海外遠征ですが70年代のルマン出場を狙っていたという話があります。同時期にR383での北米カンナムシリーズへの挑戦も話があったのは有名ですが、ここでトヨタ7との闘いがあったならと今でも「もしも」の話で心が躍るのが古い人間の悪いクセですね(笑)

  • @tanbosan
    @tanbosan ปีที่แล้ว +6

    素晴らしい解説、ありがとうございます。
    (;´∀`)同時期だとR380の時代は国産スポーツプロトの鏑矢の時期ですね、ダイハツPシリーズやいすゞRシリーズなど各社かなり力入れてた躍進の時代でした。

  • @user-iz2zc3rz1w
    @user-iz2zc3rz1w ปีที่แล้ว +3

    R380は日本の自動車業界の金字塔と思っています。
    サーマルリターンや、レースでの給油で斬新なアイデアでポルシェに勝った事は、日本人としてとても嬉しいヒストリーです。
    残念なのは、プリンス自動車が無くなった事でしょうか😭

    • @st-fire6680
      @st-fire6680 10 หลายเดือนก่อน +1

      立川飛行機の技術力、プリンス自動車のモノ作りは、今も日産の中で生きていますよ。

  • @belushi3152
    @belushi3152 ปีที่แล้ว +2

    小学生の頃熱狂していた者にとっては懐かしい話をありがとうございました。
    ただリアルタイムでは
    「アールサンパチマル」
    と呼んでいた気がします。

    • @uraraita.0911
      @uraraita.0911 2 หลายเดือนก่อน

      自分はサンパーマルと聞きましたね

  • @red3812
    @red3812 ปีที่แล้ว +1

    トヨタはパブリカしか無かった、と解説していますがパブリカは700ccなのでT-Ⅱクラスです。画像で出来たのは「ころな」で、クラスはT-Ⅴです。
    X水平対抗エンジン ◯水平対向エンジン(8:40付近) 904のエンジンは4気筒と解説していますが、画像は6気筒ですよね。
    正確な情報を取材し、動画を作成していただきたいです。

  • @averageguy365
    @averageguy365 ปีที่แล้ว +1

    12:22の話は簡単に終わらせているけど、昔読んだ生沢徹の自伝によると、生沢がイギリスの修行から帰ってきたら
    プリンス自動車が無くなっていたので、吸収先の日産にドライバー契約の話をしに行ったら塩対応をされて困って
    いたところ、それを見ていた浮谷東次郎の遺族が三和自動車を紹介してポルシェに乗れる事になったそう。
    で、レース中シフトミスでスピンして高橋国光のR380を巻き添えにしたり色々あったけど、見事優勝して塩対応の
    リベンジを果たした、という事だった。
    (蛇足だけど、スピンの件は「申し訳なかったけど、相手が国さんで助かった。下手なドライバーだったら絶対に
    突っ込まれてリタイアしていただろう」と述べている)

  • @user-ol7nq7bo1t
    @user-ol7nq7bo1t 4 หลายเดือนก่อน

    日産もレーシングプロトタイプを開発してましたが、合併する同士が競い合いのは大人げないとの理由で、廃棄処分してしまいましたね。

  • @old8249
    @old8249 ปีที่แล้ว

    中学の時にプリンスR380が登場し東京自動車ショーで展示されたのを見て、そこからレーシングカー/モータースポーツにハマりました。
    沙子さんが勝った時はプリンスチームの給油方法が高いところに吊ったタンクからの落差を利用して短時間に給油を済ませたのに対し、
    滝さんは給油缶からショボショボ給油してたんで給油で抜かれてしまい、そのタイムを詰めようと頑張った時にドライブミスしてしまったんですね。
    でも、これが後の滝レーシングチームの結成に繋がったんですから、そこも当時の日本のレースシーンのエポックだったと思います。

  • @user-ih1vf8lw6s
    @user-ih1vf8lw6s 6 หลายเดือนก่อน

    GR8は中島飛行機で誉を設計した中川良一技師が設計したものですね。プリンスは中島飛行機と立川飛行機の元社員が設立した会社です。

  • @user-qt7yx2nr2u
    @user-qt7yx2nr2u ปีที่แล้ว +1

    日産R380とポルシェ906の死闘すごかったですね。私の好きな生沢徹と浮谷東次郎高橋国光も好きなレ一サ一。

  • @KI-yk2nv
    @KI-yk2nv ปีที่แล้ว +5

    旧立川飛行機と旧中島飛行機エンジン部門の共作。

  • @user-xx3oe4qk7h
    @user-xx3oe4qk7h 5 หลายเดือนก่อน

    懐かしい、その後381、382と進化しましたね。2分割されたリアウイングが、ステアリングと共に動くやつ!

  • @user-co3jv9je5c
    @user-co3jv9je5c 5 หลายเดือนก่อน

    当時の追浜日産ファクトーにいた、Iさんが言ってました。国さんを、勝たせろ!と
    会社のイメージの為でに、と
    あと、周回遅れになったら、他のチームを、ブロックしろとも
    言ってましたね

  • @user-ou5ho6sl6d
    @user-ou5ho6sl6d ปีที่แล้ว +1

    式場壮吉は第一回日本グランプリの時にポルシェワークスのハンシュタインが走らせた356カレラ2が欲しくて、レース後に譲ってもらえないか打診したらしい。それに対してハンシュタインは近々デビューする904を1台日本向けに割り当て、それを式場へ売ることを約束して帰国した。まだ自動車の輸入制限が厳しくて、外国人が持ち込んだ車を買うというのが一般的だった頃の話だ。
    式場の実家はあの山下清の主治医として知られる精神科医だったから、とりあえず金はあった。
    トヨタが金を出したという説は、後のトヨタのスポーツカーやレーシングカーに全く技術的影響を与えていないことからもガセと判る。
    第2回でGTクラスに出す車が無かったトヨタがスカGに勝つために第3回で2000GTを出したら対ポルシェを見込んで作られたR380にやられ、それならばと3リッターのトヨタ7を出したら5.5リッターのR381にやられ、トヨタ7を5リッターにしてみたら今度はR382を6リッターにされてやられてしまうという悲惨な出遅れ現象も、トヨタがまともに904なんか見ていなかった証拠とも言える。

    • @user-bn2iz6qh8d
      @user-bn2iz6qh8d ปีที่แล้ว

      5リッターのR381が同排気量のトヨタ7に勝てなかったからR382は6リッターになりました😅

    • @user-pm5jc7ph2b
      @user-pm5jc7ph2b ปีที่แล้ว +1

      スーパーカーブームの頃、件の病院に行くと何かしらのスーパーカーが停まってましたね。子供の頃自転車で良く見物に行きました。それから、日本GPでは散々排気量で出し抜いたのに、カローラとサニーでは逆の構図になったのは不思議と言うか皮肉。

  • @nekomimiz5559
    @nekomimiz5559 ปีที่แล้ว

    R380はエンジンとボディはプリンス製でシャーシと足回りは市販品ベース。
    R380と906の給油はR380はクイックチャージで906はボディ開けてポリタンクでシコシコしていた。
    マシンの完成度は906だけどピットの総合力でR380は勝った。
    リアーウイングがサスと連動てパタパタしたR381をリクエスト
    50年前にタミヤで出てよく知っている。30年前にキットが定価で売っていたから買って持っている。

  • @user-qt7yx2nr2u
    @user-qt7yx2nr2u ปีที่แล้ว +1

    後式場壮吉砂子義一も大好き。

  • @宇田俊幸
    @宇田俊幸 ปีที่แล้ว +3

    立川飛行機よりも、中島飛行機じゃないの?
    確かに たま電気自動車(立川飛行機系) と合併したんだろうけど、合併相手の規模の方が大きかったのでは?
    中島飛行機系の自動車会社には、プリンスとスバルが有るよね。
    戦後、分裂させられたけど中島飛行機の後の会社は優秀だった様だね。

    • @yamada25tm2
      @yamada25tm2 ปีที่แล้ว +1

      G1、G2、G15、G7、GR8、S20、GRV…これら黎明期の市販車エンジンやレーシングエンジンは確かに中島飛行機エンジン設計部門の開発です。しかし、たま電気自動車、プリンスセダン、スカイライン、グロリア等のシャーシやサスペンションは立川飛行機の職人さん達の匠の技。R380のシャーシやアルミボディも同じく職人さんの仕事。
      立川飛行機→たま自動車→プリンス自動車
                     ↓
      中島飛行機東京工場→→→→富士精密機械
                     ↓
                  プリンス自動車
      富士精密の方が規模が大きく社会的な認知度(ステータス)も高かったので存続会社は一時、富士精密になりましたが、実情はプリンスが富士精密を助けた形(資金的)だと思います。従って然るのちにプリンス自動車に社名を戻しています。このやり方は日本の企業合併てはよくある方法で吸収された側のオーナーが存続会社の社長となり然るのちに本来のオーナーご社長になるというものです。
      ちなみにスカイラインの父、櫻井眞一郎さんは富士精密機械との合併前にプリンス自動車に入社しています。
      中島飛行機エンジン設計の流れは中川良一さんと、その仲間(部下)の一代で終わったと観るのが正解でしょう。
      FJ20辺り迄は日産工機内のプリンスの末裔だとは思います。

    • @宇田俊幸
      @宇田俊幸 ปีที่แล้ว +2

      @@yamada25tm2 さん、返信有り難う御座います。
      エンジンは元中島飛行機、シャーシが元立川飛行機のエンジニアが担当ですか、勉強になります。
      相当、お詳しい様ですね。
      確か、長野県に有ると思うんですが、プリンス自動車の博物館に行ってみたいですね。

    • @user-ou5ho6sl6d
      @user-ou5ho6sl6d ปีที่แล้ว +5

      たま電気自動車が電気自動車を諦めてたま自動車になる時に、中島系列の富士精密工業にエンジンを外注。たま自動車は新しい車にプリンスのブランドを名乗るけど、結局富士精密工業に合併される。ただ富士精密工業はエンジンの外注こそ受けていたものの自動車メーカーではなかったから、そのままプリンスのブランドを継続して使い、後に社名もプリンス自工に改めてしまった。
      ちなみに中島系列とは言いながら資本的にはブリジストングループで、オーナーの石橋正二郎の鶴の一声が無かったらプリンスのレース活動も無かったという。

  • @user-cz8lf6yt6z
    @user-cz8lf6yt6z ปีที่แล้ว

    プリンス自動車は戦後解体された中島飛行機からの分岐なイメージが・・・
    資金捻出の為に今はマンション街に変貌してるが中島飛行機→プリンス自動車→日産自動車の巨大な工場跡が荻窪付近に・・・
    中島飛行場(跡地)ってのも有ったなぁ。

    • @st-fire6680
      @st-fire6680 10 หลายเดือนก่อน +2

      中島飛行機から解体された富士精密工業と言う会社が、プリンス自動車に途中から加わっています。
      プリンス自動車の本社があった杉並区の桃井に、今は日産ディーラーの荻窪店があり、歴史の繋がりを感じますね。

  • @ooutsuke1560
    @ooutsuke1560 ปีที่แล้ว +1

    野暮ったかったスタイルの金属ボディから
    )シュッ」としたfrpになったくらいがバランスが良くて好き
    その後は下品になってしまうのが残念

  • @user-os9yp5ni6v
    @user-os9yp5ni6v ปีที่แล้ว

    R380はⅠとⅡでは外観がかなり違ってたと思います。カレラ6と一緒に写ってるのがⅡ。ⅢはⅡとライト周りが違ってた気がします。

  • @nekomimiz5559
    @nekomimiz5559 ปีที่แล้ว

    プリンスは立川じゃなくて中島じゃない?ゼロ戦や隼の栄エンジン作っていたし
    ポルシェ904とスカGとの戦いは、式場さんが904が走っている時にシートが動くんだな、触ったらワイヤーが切れて操縦不能!で大クラッシュ。
    桜井 眞一郎はライバルがコケてニッコリ。しかし、名古屋のモータースが突貫工事で二日で修理。手放しでは真っ直ぐ走らない手負いの狼。
    不自然な黒のガムテープがペタペタ。
    レース中にスカGが904の前を走ったのは、ドンくさい車に手間取っていたスキにスカGが前に出ただけ。一周で904が前に
    スカGのタイヤはダンロップのレーシングタイヤで、904は交換前提の安物の吊るしタイヤ
    式場さんが乗っていた904は6気筒にエンジンスワップして国内に残っているらしい?
    式場さんの奥さんはアラカン以上なら知っている歌手の欧陽菲菲さん

    • @user-pm5jc7ph2b
      @user-pm5jc7ph2b ปีที่แล้ว +1

      シリンダーブロックに穴が開いていたとか・・・、バルブタイミングをどう合わせるか困ったとか・・・、それでも回すことに成功する。車体は今みたいにガラス繊維がホムセンで手に入るような時代ではなかったので、旅館の浴衣を裂いて繊維の代わりにしたとか・・・。R38シリーズのエンジンは中島飛行機の栄や誉を設計した中川さん本人が携わっていましたね。個人的には田中さんが作った奇跡のOHV!A型が好きです。

  • @user-un7od6po8q
    @user-un7od6po8q ปีที่แล้ว

    桐生市のクラシックカーフェスティバルで見ました
    ダットサンスポーツと竝んでいた

  • @user-pm3rx8jf8r
    @user-pm3rx8jf8r ปีที่แล้ว

    昔の事(๑´罒`๑)
    好き(´˘`*)

  • @user-rp9kk8ri8q
    @user-rp9kk8ri8q ปีที่แล้ว

    直6、DOHC24バルブこそGT-Rの系譜。

  • @user-co3jv9je5c
    @user-co3jv9je5c 5 หลายเดือนก่อน

    その時、国さんが、俺が勝ってもいいの?
    と、言ってたと

  • @user-gb9le9lv3k
    @user-gb9le9lv3k ปีที่แล้ว

    日産はハコスカ ケンメリ ローレルの時代 セドリック430 シーマ エルグランドに乗ってた! トヨタはクラウン2800 3000 セドリックは戸塚 シーマは同棲相手 クラウンは嫁 写真見て思い出す!

  • @user-yz2yu5kr4v
    @user-yz2yu5kr4v ปีที่แล้ว +1

    その時、ポルシェは何を獲得したの?
    ランチャーとかも出てたのでは?

  • @takerushinjo8658
    @takerushinjo8658 ปีที่แล้ว

    我々ニホンザルは外車にひがむね