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父は腕のいい塗装工でした。1970年代に輸出用Zの特定の色が他の人では出せないとかでドアを握る部分だったか、父がかなりの台数の色を塗っていました。ホコリも厳禁な締め切った部屋で夏場は室温40度すぎ(当時は今より夏場の温度は低かった)氷柱が唯一の暑さ対策の過酷な環境で父は痩せていったのを記憶しています。あまりの過酷さに休みを取ろうとしても上司が迎えに来てしまったそうです。父は亡くなりましたがもしかしたら、今でも父が塗装したZは残っているんだろうかとたまに思い出す事があります。
腕が良過ぎた故の悲劇ですね・・私もS30は大好きなので湾岸風に(お父様)『オレは・・オレは良い仕事をしたか⁉️』『はい‼️‼️』(素晴らしく誇らしい仕事です‼️)と言ってあげたいです(*´▽`*)
@@Zakky-ye4nx さん、ありがとうございます。父を思い出して思わずうるっとしてしまいました。
@@marumaru7427 いえいえ、Z大好きだからこういう方々が支えて下さってたのかと感慨深くなりました(*´▽`*)
ロマンがあるとても良い話ですね。私も父から譲ってもらった(まだ健在ですが)S30に乗っています。サイドから見たラインと、駐車している時に見える気品溢れる佇まいがとても好きです。お父様のような素晴らしい職人達がおられたからこそ、Zは今もなお語り継がれる伝説なんだと感じました。
矢臼別の日米合同演習から帰るトラックの隊列の横をZで並走したとき、米兵たちが幌を開けてこちらを指さし手を叩いて盛り上がっていた。あいつらホントZが好きだよな。
メチャクチャ嬉しいエピソード(*´▽`*)
米国向けのS30ZがL型のみだったのは当時の米国では自分でエンジンヘッドを開けて個人でチューニングをする文化があったので複雑でバルブタイミングの調整等難易度が高いDOHCより調整等が容易なOHVやSOHCの方が好まれやすい土壌があったのも一因です。それとS30ZはS20エンジンと車体との相性が悪く、高回転域での振動が酷く同じエンジンのC10スカイラインでは発生していなかった事から旧プリンスと日産との確執とまで言われたものですL24は大排気量であるがゆえに中低速トルクが大きくてチューニングしやすいので人気が出たのもあります。当時の日本では2Lを越えると自動車税が倍近くに跳ね上がったり、当時の自動車物品税が23%になったりと高額で維持費も含めて簡単には手に入れづらいものでしたが
S20は特にメンテが大変なエンジンだから、サービス体制が決していいとはいえないアメリカには出せなかったろうしね。
@@司裕次郎 そうですよね。最近米国やアジア諸国にハコスカGT-Rまで流出してますがちゃんとメンテ出来るのか疑問ですね海外でR32GT-Rを買って期待外れだったからと重機で破壊する動画とかありましたがそんな事にならない事を祈るばかり
@@司裕次郎S20は振動も酷くミッションが壊れる事が頻繁だったそうです。
動画ではサラッと触れただけですが、BREの正式名称はブロック・レーシング・エンタープライズ代表はピート・ブロックでした彼はレーシングカーデザイナーとして有名な人物BREは1966年に設立されましたが、以前に彼が所属してたのはあのシェルビー・アメリカン代表作はシェルビー・デイトナ・クーペ他にも日野がレース活動で参戦していたプロトタイプカー、日野サムライも彼のデザインです
勝手に補足します(笑)シェルビーを離れたピート・ブロック氏はBREを設立しますが、自ら日野自動車に売り込み「コンテッサクーペ」でアメリカの数々の草レースで活躍します。BREのレース成績とアメリカでの販売台数増加で、日野本社は1967年の日本GPに向けてプロトタイプレーシングカー『サムライ』の製作を依頼するのですが、日野の企業買収を予定していたトヨタは「レースで活躍して日野の株価高騰=買収金の増額」を恐れ妨害されます。 ピート・ブロック側の話しではトヨタの代理人が来て「サムライは計画ごとトヨタが買取る、その代わりトヨタのプロトタイプレーシングカー(JP6)を作って欲しい」「なんならSCCAにトヨタ2000GTを走らせて欲しい」 と提案してきたとか。ところが製作契約したJP6の約束の支払いが無く、怒ったBREが日野サムライで1967年の日本GPに乗り込み有名な失格騒動に。 この件が原因か「BREによる2000GTのSCCA参戦」もシェルビーに奪わてしまい、怒り心頭のピート・ブロックは「打倒トヨタ、打倒シェルビー」を目標に北米日産に売り込みに行くのですが門前払いに合います。 そんな困窮状態を日野自動車の恩師に話したところ、恩師が日産本社の知り合いに掛けあって貰いフェアレディ2000とレース資金を援助して貰ったのです。動画では「BREは元からダットサンを走らせていた」と省略されていますが(笑)あと打倒目標のシェルビーによるトヨタ2000GTですが、成績不振により1968年の一年限りで撤退してしまいます。 もしピート・ブロックとトヨタが喧嘩別れせず、2000GTをSCCAで走らせていたなら・・・・SCCAで改良、優秀な成績を残しBREカラーのトヨタ3000GT(3L、SOHCエンジンを積んだ2000GTの廉価版)が市販されたり、今のようなフェアレディZの成功も無かったかもしれませんね。
以前S30Zを所有してました~ミッションを32スカイラインの5速ミッションに載せ替えたりボアアップして2Lから2.4Lにしてみたりと色々イジって楽しんでました非常にシンプルな造りなのでイジり易くタフで滅多な事では壊れない、そんな所がアメリカ人に受けた理由なのかな?って思いますいい車ですよ、“Z”carは☆
安くて軽くて小回りが効くZは当時アメリカでZEEK (零戦の愛称)と呼ばれていて大人気だった
子供の頃、フェアレディZは日本車とは思えない位、カッコ良かったです。 ってか他の日本車みんな不細工に見えてましたw けど子供の自分でもこれは"スポーツカー"過ぎて家族が乗る車じゃないよなって思ってました。 一応4人乗りバージョンも有ったんだけどね。 後にトヨタがセリカ発売してカッコ良いしこれなら家族でも乗れるなと思ったもんですw 子供だった自分の判断基準はこんなもんでしたwww Zが次の型にフルモデルチェンジした時は更にカッコ良く見えて感激したのを覚えてます。 自分の印象ではコーナリングのスカイライン、直線番長のフェアレディZって感じでした。
フェアレディZの素晴らしいデザインその秘密がちょっとわかりました。
初期のナローポルシェ911、912を見ると、ああ、この層にZは愛されたのね、と実感としてわかるな。
たまに見掛けると『ちっさ‼️‼️!!(゜ロ゜ノ)ノ』とビックリしますね(*´▽`*)これなら高性能も納得(*´▽`*)因みに友人の240ZはわちきのS13(ブーストアップ300馬力)より遥かに速かった(*´▽`*)
「Z」なんて、考えるとすごい名前だよねよくまあそんな大層な名前をって思ったけど、開発陣のこの車にかける覚悟を感じられるから好き
ラリーに出た時「あの車はダメだよ。名前がZ(最後尾)だからね」と言われました。
日本語で言う「ん」やで
Mr.K ”Z旗の伝説” ですね。
カマロやコルベットのグレード名にもZあるよね
開発陣はみんな追い詰められてたり、実力はあるのに正当に評価されず、半ば窓際に追いやられてた人たちだった(当時は例えば1990年代とかとちがって、経営陣そのものがスポーツカーにまったく理解がなかった)そこで、ある意味不本意ながらアメリカに渡って奮闘してた片山さんが当時のアメリカだとみんな思いも思いのクルマをチューンして草レースやってたのを見て、安めのスポーツカーを繰り出せば売れる!!と閃いて日本に戻ってきて開発した。その時あの日本海海戦のZ旗を示して、士気を上げた…。
S30Zは1970,73年のサファリラリー優勝に72年のモンテカルロラリー3位、1975年のル・マン24時間レースでは日本車として初完走(総合26位)と欧州でも大活躍し、アメリカに負けじと日本車の地位を向上させたスゴイ車。 なので今でもZファンも多く、イギリスに240Zのスペシャルショップが有る程。ただ世界中のモータースポーツで活躍しても、日本では「スポーツカー」というジャンルでは売り辛く「ファミリーカー」ベースのスカイライン(GT−R)より一般的に認知度が低いのが悲しい(泣)今回の“ゆっくり動画”でフェアレディZが如何に名車なのか、もっと知られて欲しい。
71年ですね、510ブルで優勝した前年からの2連覇
シリーズ通してフェアレディZは日本車の中で一番美しいデザインだと思います。長い間ライバルとなっているスープラもデザインだけは敵わない。
このカラー、富士も走ってましたが、派手だなぁと思ってました。なるほど…!ディーゼルみたいな重くてOHCでしかもターンフローの当時のL型エンジンを8000まで回そうとした気持ちもわかりました😅
よく、スカイラインに海外のL型2.8リットルをボアアップして3.0リットルにしたエンジンをスワップしていたなぁw凝り性な人は、メーターも海外様にして240キロになってたもんな~いい時代だったね、あの排気ガスの臭いが好きだなぁw私、変態だねwww
何事も王様になることは✨良いことですよ😁僕は思う❗
北米だと、「ダットサン」が上手く言えず、「ダッツン」呼ばれ、初代「フェレディーZ(S30)」の子事を今でも、「ダッツン,ズィー」っと、親しまれている。( ̄∇ ̄*)ゞ
それよく言われるけど、アメリカ人が「ダッツン」とは発音したことはないそうだ。北米での愛称は「Z(ズィー)カー」
@@IzumizukiPinky 240Zは「ツーフォーティーズィー」
240Zを語呂合わせ?で24-OZ(24オンス)というアメちゃんもいたとか?
片山豊さんが書いた本によれば、アメリカ人はちゃんと「ダットサン」と発音しているそうです。が、米語を聞き慣れない日本人には、「ダッツン」と聞こえるそうです。例えるなら、ホワイトシャツがワイシャツに聞こえたみたいなものです。
知ってるアメリカンは普通にダッツンもダットサンもニッサンもズィーカーもゼットも言えるな
初期は1$=360円でしたからね。安さも際立ったのでしょう。姉はLAでZ33を20年以上乗っています。
ピートブロックとボブシャープの黎明期のストーリーも良いが、この後のダンデベンドルフとジョンネップのエレクトラモーティブからNPTIのストーリーも良いよ
S31に乗っていた頃の思い出。通りすがりの小学生に「カッケー!」と叫ばれた。もう30年近く前の話。やはり良い物は誰の目にも良いと映るようだ。
フェアレディZは国内のみならず全米でも愛されているんですね!!
マイケルJ フォックスさんもZを愛してましたね!やはりL2.8改のZ3.0にして伝説の悪魔のZが生まれたわけですね...
不義理CM😂😂😂#かっこインテグラ
トヨタ2000GTほど、凝ってはいないけど、その「自由さ」が良いんだろうね。
Zではなくジャパンでしたが、朝エンジンをかける時のボボボンという地鳴りのような音を今でも覚えてます。もっと写真を撮っておけばなぁと後悔もしてますがラジカセで音を録音するのも良かったかもしれませんね…(笑)
Zは市場自体もアメリカ向けだったし、アメリカ人の有能なチューナーに依って育てられたんだね。元々、コルベット的なアメリカンを彷彿させる物を感じる車だったけど、こんな歴史が在るとは知りませんでした。それも、現地のプライベーターに感化されてメーカーが動くってのも凄い話です!
スポーツカーは乗ったことすら全くないど素人ですけどスポーツカーの改造改良とかそれにまつわる話はとてもおもしろいですね関わる人の情熱を感じる事ができるからだと思います
BREカラーは良いですね!510も走らせてましたね。ちなみに何故か1/43スケールのBREカラーのZの安物ミニカーを持ってますw週刊なんちゃらのレーシングカーコレクションみたいなブツで古本屋だかで買いました。現行Zにも特別色で設定して欲しいですね。
知らなかった。おもしろかった。ありがとう。
240Zはカッコイイねえ~ このフォルム、ずっと見てられる。 現行Zもカッコイイけど、やっぱ初代の迫力はちがうな!
バイオニックジェミーも、Zを愛車にしていました。そういうことなんですね。
Motor Trend Japanクラシックカー・ディラーズにて買い取ったAT車、MTに載せ替える内容MT仕様は需要があり価格上乗せも出来ると🇺🇸 でもMT需要のある 🇯🇵 車の1つ。
ユキオ さんやってましたね、ZのAT車にはMTの取り付け部分がそのまま残ってるので市販のMTキットを買って組み込めるとか
@@TDF002 さん期間限定だったのは 残念DL保存しとこか思うた位良き (´・ω・`ウムウム
昔日産のディラーで営業の仕事を始めるのに何乗ろうと思ってS30(当時は今みたいに高価じゃない)にしようと上司に言ったら即却下されました(笑)結局マーチターボになりました。確かにお客さんとこに行くに威圧感ありすぎですね。
二十歳の時フェアレディZを勝手に買って家に帰ってきたら大正生まれのオカンが「返してこい」泣くなく手放した
S30のZがプアマンズと言われる対象は924じゃなくて911かな?ちなみに911とS30とは真正面から遠目で見るとよく似て見えますね。
プアマンズ924は初代サバンナRX7 ですね。
FCもプアマンズ944と言われた。S30はどちらかというとプアマンズジャガーEかな。
当時は、車検が厳しくノーマル以外は、受付ないのが主流でした。zは3.1にして3連キャブ車検でSU2連に戻すとか、面倒なので2TGのLBにした。4人乗れるのがやはり実用で余裕当時なかった。ただL型チューニングすると、リターンの悲しいパーコレーションで夏場は厳しいので渋滞では乗れないのが現実でした。
以前BRE仕様の240Zと510のプラモデルを作ったけど日産ワークスとは違うテイストがカッコ良かった。欲しいという人がいたのであげてしまったが手元に置いておけば良かったかなぁ。今も旧車のイベントでBREカラーにしたZを見かけることがある。
S20はとっても高いエンジン。ハコスカの無印2000GTは75万円でGT-Rは150万円だった。
クラッチ重いよ重いよ~元からバランスのいいフルカウンタークランクだけど、それでも精密バランス取り必要だったてことね
昔、バイオニック・ジェミーで主人公が劇中で乗ってましたね。リンゼイさんの足の長さにマッチしてました。
個人的にはポルシェよりもフェラーリよりもランボルギーニよりも…そしてトヨタ2000GTよりもずっとZがすき❗😆
Zは、ポルシェの半額で、それもレースでチャンピオン採る車となると人気になるよ。それで、北米ではZのクラブまで出るほどの車になったのか。日産も、凄い車作り続けて欲しい。
スタイルがそこそこ良くて、値段がそこそこ安くて、壊れにくくて、チューニングベースとして優秀でってなれば、人気にならない訳はない
リスペクト いいですねぇ!~👍知り合いのカリフォルニア生まれのアメリカ人は興奮しながら「BREのZ」話をしてましたね!
ピーターブロックのJP6の話、聞かせてほしいですね。
主さん、プアマンズポルシェをよく知ってるね。確かにその通り日本の雑誌で書かれてたのをはっきり覚えているわ。F1を特集してた月刊誌だったかな。 🤔
240Zはもちろんカッコイいけど一番好きなのはZ32!300ZXですね。
昔、外国人の動画で240Zかっこいいねと言ったら、おばぁかぁな日本人がコメントで食って掛かってきたな30だろってさw北米仕様の呼称は240Zなのに、ああいう奴って何だろうなw
黒に金のミッドナイトカラーがカッコいいのだ
Zの柳田ですな☺️ナスカレースだなぁ🤔
エロガキの頃🇺🇸の雑誌を入手して表紙めくったら見開き2頁にZの広告出ててちょっと感動しました。でも目的はバターや溶剤で黒塗り消えるか試すこと。雑誌メチャクチャになって捨てました😆
消えましたか?😁
はい、下のインクごと😭
樹はSOHCの85を買って、池谷先輩に笑われてましたね!
確かにアメ公向け。ポジションが深すぎて日本人にはダッシュボードが高かった。
米国人さんはDATSUNが大好きですから。
Z近年といっても、30年位前には、俳優のポールニュウ~マンさんの、R32V8ZでのIMSAレースでの活躍があったね
まさにアメリカのミスター・日産でしたね。
以前はフェアレディZが嫌いだったがプロジェクトxを観てから見方が変わった。
今から。46年前から🐉Zは🙏知ってますよ🐉昭和51年🤫
アメリカ人がなぜ「ハコスカ」が好きなのかも知りたい!
日産てちゃんと開発が出来て新規技術やレース活動に理解のある会社なんだけど、労使関連に苦労し続けている会社なんですよね。労働組合関連で人間関係がグチャグチャなのは各種著作や証言からでも想像できます。310系ブルーバードの広告に「労使関係は良好になりまして」なんてわざわざ書くくらい色々ある会社。イギリスやイタリア、アメリカGMをみるとわかりますけど、組合が強すぎる自動車会社は怠慢な奴がはびこるんですよね。クランクシャフトの件でぼんやり思い出しました。そういう阿呆を出し抜ける頭脳と運と行動力が必要なんでしょう。
240Zで思い出す、ハリウッド俳優のポールニュウマンが稼ぎをレースに突っ込んでたな d🤪
ソコからル・マン2位(@ポルシェ)→R30スカイラインのCM
Z31が登場したころ、まだ小学生だったワシには1番の車だったな。ハコスカの何が良いのかわからなかった…。
私がZを好きなのは日本海海戦のZ旗から名前をとった経緯があるからです。
スカイラインよりは、フェアレディが大好きだぁ(*^^*)
さらっと流されてるど、自下談判したマネージャーとカムシャフトって、なんか確執あったのかな?
速い、安い、上手いって牛丼だなw
日産派 ハコスカ ケンメリ セドリック シーマ エルグランドなど セドリックは戸塚の彼女 シーマは同棲相手 クラウンは嫁だった! 今は脳梗塞で免許返納した😢
68のZの後ろ何?ランチア?
ガルフカラーのフォードGT40かな
それか!
日本の担当者の対応が何故悪かったのか? 理由は何でしょうね⁉️
憶測に過ぎませんが(調べても分からない)北米日産の片山社長が部下である自分(マネージャー)を通さず直接ピート・ブロックとやり取りしているのが気に食わなかった、 男の嫉妬。 もしくは人種差別(マネージャーは現地の白人)かもしれませんね。聞いた話しですが、70年代は日本人に対する差別は酷かったので。
@@カイザーソゼ-r2e なるほど。ありがとうございます(^^;) あり得る話ですね。
なんだろ・・・この車、色気あんのよ、俺、変態?w
オレもZ派だね。
ジジイが若い頃wL型エンジンは解体屋にゴロゴロしててwチューニングエンジンのベースに最適w
アメリカ人に一番似合う日本車はZ
日産USAのマネージャーは何故妨害したの?
アメリカでLYのホモロゲ取れてたらまだ凄かったかな?
自国大好きアメリカの人ならカマロやマスタングでしょ。当時のZは安く提供するヒュンダイと同じ位置づけのような気がする
労働者階級にとってのフェラーリ。言い過ぎかw
わちきもRよりZ派ですスクープされてた平成版『432R』出たら絶対買ってた( ̄▽ ̄;)まぁ、ある意味35Rがその進化型だけど
小細工するより排気量
そのようですね。バイクもホンダは中排気量(450cc)でもDOHCのハイテクエンジンを積めばヨーロッパの650に勝てると自信満々で売り出したが不評だった。米国人はパワーバンドに合わせて細かなギアチェンジをするような乗り方はしなかった。ギアをポンと入れたらあとはアクセルをひねってぐいぐい進むマシンが好みのようだ。結局排気量に勝るもの無しで750cc4気筒のマシン、CB750の開発、発売に行きつく。
小学生の頃、日産の工場見学会の時、スカイラインの4ドアの24Kを、見たL24で輸出用だった‼️
江戸川区に居た頃、R仕様の外装をしてた240Kハードトップが近所にいました。(バッジだけ240K)
父は腕のいい塗装工でした。1970年代に輸出用Zの特定の色が他の人では出せないとかでドアを握る部分だったか、父がかなりの台数の色を塗っていました。ホコリも厳禁な締め切った部屋で夏場は室温40度すぎ(当時は今より夏場の温度は低かった)氷柱が唯一の暑さ対策の過酷な環境で父は痩せていったのを記憶しています。あまりの過酷さに休みを取ろうとしても上司が迎えに来てしまったそうです。父は亡くなりましたがもしかしたら、今でも父が塗装したZは残っているんだろうかとたまに思い出す事があります。
腕が良過ぎた故の悲劇ですね・・
私も
S30は大好きなので
湾岸風に
(お父様)
『オレは・・オレは良い仕事をしたか⁉️』
『はい‼️‼️』
(素晴らしく誇らしい仕事です‼️)
と
言ってあげたいです(*´▽`*)
@@Zakky-ye4nx さん、ありがとうございます。父を思い出して思わずうるっとしてしまいました。
@@marumaru7427
いえいえ、Z大好きだから
こういう方々が
支えて下さってたのかと
感慨深くなりました(*´▽`*)
ロマンがあるとても良い話ですね。
私も父から譲ってもらった(まだ健在ですが)S30に乗っています。サイドから見たラインと、駐車している時に見える気品溢れる佇まいがとても好きです。
お父様のような素晴らしい職人達がおられたからこそ、Zは今もなお語り継がれる伝説なんだと感じました。
矢臼別の日米合同演習から帰るトラックの隊列の横をZで並走したとき、米兵たちが幌を開けてこちらを指さし手を叩いて盛り上がっていた。あいつらホントZが好きだよな。
メチャクチャ嬉しいエピソード(*´▽`*)
米国向けのS30ZがL型のみだったのは当時の米国では
自分でエンジンヘッドを開けて個人でチューニングをする文化があったので
複雑でバルブタイミングの調整等難易度が高いDOHCより
調整等が容易なOHVやSOHCの方が好まれやすい土壌があったのも一因です。
それとS30ZはS20エンジンと車体との相性が悪く、高回転域での振動が酷く
同じエンジンのC10スカイラインでは発生していなかった事から
旧プリンスと日産との確執とまで言われたものです
L24は大排気量であるがゆえに中低速トルクが大きくてチューニングしやすいので
人気が出たのもあります。当時の日本では2Lを越えると
自動車税が倍近くに跳ね上がったり、当時の自動車物品税が23%になったりと
高額で維持費も含めて簡単には手に入れづらいものでしたが
S20は特にメンテが大変なエンジンだから、サービス体制が決していいとはいえないアメリカには出せなかったろうしね。
@@司裕次郎 そうですよね。最近米国やアジア諸国にハコスカGT-Rまで流出してますが
ちゃんとメンテ出来るのか疑問ですね
海外でR32GT-Rを買って期待外れだったからと重機で破壊する動画とかありましたが
そんな事にならない事を祈るばかり
@@司裕次郎
S20は振動も酷くミッションが壊れる事が頻繁だったそうです。
動画ではサラッと触れただけですが、
BREの正式名称はブロック・レーシング・エンタープライズ
代表はピート・ブロックでした
彼はレーシングカーデザイナーとして有名な人物
BREは1966年に設立されましたが、
以前に彼が所属してたのはあのシェルビー・アメリカン
代表作はシェルビー・デイトナ・クーペ
他にも日野がレース活動で参戦していたプロトタイプカー、
日野サムライも彼のデザインです
勝手に補足します(笑)
シェルビーを離れたピート・ブロック氏はBREを設立しますが、自ら日野自動車に売り込み「コンテッサクーペ」でアメリカの数々の草レースで活躍します。
BREのレース成績とアメリカでの販売台数増加で、日野本社は1967年の日本GPに向けてプロトタイプレーシングカー『サムライ』の製作を依頼するのですが、日野の企業買収を予定していたトヨタは「レースで活躍して日野の株価高騰=買収金の増額」を恐れ妨害されます。
ピート・ブロック側の話しではトヨタの代理人が来て
「サムライは計画ごとトヨタが買取る、その代わりトヨタのプロトタイプレーシングカー(JP6)を作って欲しい」
「なんならSCCAにトヨタ2000GTを走らせて欲しい」
と提案してきたとか。
ところが製作契約したJP6の約束の支払いが無く、怒ったBREが日野サムライで1967年の日本GPに乗り込み有名な失格騒動に。
この件が原因か「BREによる2000GTのSCCA参戦」もシェルビーに奪わてしまい、怒り心頭のピート・ブロックは「打倒トヨタ、打倒シェルビー」を目標に北米日産に売り込みに行くのですが門前払いに合います。
そんな困窮状態を日野自動車の恩師に話したところ、恩師が日産本社の知り合いに掛けあって貰いフェアレディ2000とレース資金を援助して貰ったのです。
動画では「BREは元からダットサンを走らせていた」と省略されていますが(笑)
あと打倒目標のシェルビーによるトヨタ2000GTですが、成績不振により1968年の一年限りで撤退してしまいます。
もしピート・ブロックとトヨタが喧嘩別れせず、2000GTをSCCAで走らせていたなら・・・・
SCCAで改良、優秀な成績を残しBREカラーのトヨタ3000GT(3L、SOHCエンジンを積んだ2000GTの廉価版)が市販されたり、今のようなフェアレディZの成功も無かったかもしれませんね。
以前S30Zを所有してました~
ミッションを32スカイラインの5速ミッションに載せ替えたりボアアップして2Lから2.4Lにしてみたりと色々イジって楽しんでました
非常にシンプルな造りなのでイジり易くタフで滅多な事では壊れない、そんな所がアメリカ人に受けた理由なのかな?って思います
いい車ですよ、“Z”carは☆
安くて軽くて小回りが効くZは当時アメリカでZEEK (零戦の愛称)と呼ばれていて大人気だった
子供の頃、フェアレディZは日本車とは思えない位、カッコ良かったです。 ってか他の日本車みんな不細工に見えてましたw けど子供の自分でもこれは"スポーツカー"過ぎて家族が乗る車じゃないよなって思ってました。 一応4人乗りバージョンも有ったんだけどね。 後にトヨタがセリカ発売してカッコ良いしこれなら家族でも乗れるなと思ったもんですw 子供だった自分の判断基準はこんなもんでしたwww Zが次の型にフルモデルチェンジした時は更にカッコ良く見えて感激したのを覚えてます。 自分の印象ではコーナリングのスカイライン、直線番長のフェアレディZって感じでした。
フェアレディZの素晴らしいデザイン
その秘密がちょっとわかりました。
初期のナローポルシェ911、912を見ると、ああ、この層にZは愛されたのね、と実感としてわかるな。
たまに見掛けると
『ちっさ‼️‼️!!(゜ロ゜ノ)ノ』と
ビックリしますね(*´▽`*)
これなら高性能も納得(*´▽`*)
因みに
友人の240ZはわちきのS13
(ブーストアップ300馬力)より
遥かに速かった(*´▽`*)
「Z」なんて、考えるとすごい名前だよね
よくまあそんな大層な名前をって思ったけど、開発陣のこの車にかける覚悟を感じられるから好き
ラリーに出た時「あの車はダメだよ。名前がZ(最後尾)だからね」と言われました。
日本語で言う「ん」やで
Mr.K ”Z旗の伝説” ですね。
カマロやコルベットのグレード名にもZあるよね
開発陣はみんな追い詰められてたり、実力はあるのに正当に評価されず、半ば窓際に追いやられてた人たちだった
(当時は例えば1990年代とかとちがって、経営陣そのものがスポーツカーにまったく理解がなかった)
そこで、ある意味不本意ながらアメリカに渡って奮闘してた片山さんが当時のアメリカだとみんな思いも思いのクルマをチューンして草レースやってたのを見て、安めのスポーツカーを繰り出せば売れる!!と閃いて日本に戻ってきて開発した。
その時あの日本海海戦のZ旗を示して、士気を上げた…。
S30Zは1970,73年のサファリラリー優勝に72年のモンテカルロラリー3位、1975年のル・マン24時間レースでは日本車として初完走(総合26位)
と欧州でも大活躍し、アメリカに負けじと日本車の地位を向上させたスゴイ車。
なので今でもZファンも多く、イギリスに240Zのスペシャルショップが有る程。
ただ世界中のモータースポーツで活躍しても、日本では「スポーツカー」というジャンルでは売り辛く「ファミリーカー」ベースのスカイライン(GT−R)より一般的に認知度が低いのが悲しい(泣)
今回の“ゆっくり動画”で
フェアレディZが如何に名車なのか、もっと知られて欲しい。
71年ですね、510ブルで優勝した前年からの2連覇
シリーズ通してフェアレディZは日本車の中で一番美しいデザインだと思います。
長い間ライバルとなっているスープラもデザインだけは敵わない。
このカラー、富士も走ってましたが、派手だなぁと思ってました。なるほど…!ディーゼルみたいな重くてOHCでしかもターンフローの当時のL型エンジンを8000まで回そうとした気持ちもわかりました😅
よく、スカイラインに海外のL型2.8リットルをボアアップして3.0リットルにしたエンジンをスワップしていたなぁw
凝り性な人は、メーターも海外様にして240キロになってたもんな~
いい時代だったね、あの排気ガスの臭いが好きだなぁw
私、変態だねwww
何事も王様になることは✨良いことですよ😁僕は思う❗
北米だと、「ダットサン」が上手く言えず、「ダッツン」呼ばれ、初代「フェレディーZ(S30)」の子事を今でも、「ダッツン,ズィー」っと、親しまれている。( ̄∇ ̄*)ゞ
それよく言われるけど、アメリカ人が「ダッツン」とは発音したことはないそうだ。
北米での愛称は「Z(ズィー)カー」
@@IzumizukiPinky 240Zは「ツーフォーティーズィー」
240Zを語呂合わせ?で24-OZ(24オンス)というアメちゃんもいたとか?
片山豊さんが書いた本によれば、アメリカ人はちゃんと「ダットサン」と発音しているそうです。
が、米語を聞き慣れない日本人には、「ダッツン」と聞こえるそうです。
例えるなら、ホワイトシャツがワイシャツに聞こえたみたいなものです。
知ってるアメリカンは普通にダッツンもダットサンもニッサンもズィーカーもゼットも言えるな
初期は1$=360円でしたからね。安さも際立ったのでしょう。
姉はLAでZ33を20年以上乗っています。
ピートブロックとボブシャープの黎明期のストーリーも良いが、この後のダンデベンドルフとジョンネップのエレクトラモーティブからNPTIのストーリーも良いよ
S31に乗っていた頃の思い出。
通りすがりの小学生に「カッケー!」と叫ばれた。
もう30年近く前の話。やはり良い物は誰の目にも良いと映るようだ。
フェアレディZは国内のみならず全米でも愛されているんですね!!
マイケルJ フォックスさんもZを愛してましたね!やはりL2.8改のZ3.0にして伝説の悪魔のZが生まれたわけですね...
不義理CM😂😂😂
#かっこインテグラ
トヨタ2000GTほど、凝ってはいないけど、その「自由さ」が良いんだろうね。
Zではなくジャパンでしたが、朝エンジンをかける時のボボボンという地鳴りのような音を今でも覚えてます。もっと写真を撮っておけばなぁと後悔もしてますがラジカセで音を録音するのも良かったかもしれませんね…(笑)
Zは市場自体もアメリカ向けだったし、アメリカ人の有能なチューナーに依って育てられたんだね。元々、コルベット的なアメリカンを彷彿させる物を感じる車だったけど、こんな歴史が在るとは知りませんでした。それも、現地のプライベーターに感化されてメーカーが動くってのも凄い話です!
スポーツカーは乗ったことすら全くないど素人ですけど
スポーツカーの改造改良とかそれにまつわる話はとてもおもしろいですね
関わる人の情熱を感じる事ができるからだと思います
BREカラーは良いですね!510も走らせてましたね。ちなみに何故か1/43スケールのBREカラーのZの安物ミニカーを持ってますw週刊なんちゃらのレーシングカーコレクションみたいなブツで古本屋だかで買いました。現行Zにも特別色で設定して欲しいですね。
知らなかった。
おもしろかった。
ありがとう。
240Zはカッコイイねえ~ このフォルム、ずっと見てられる。 現行Zもカッコイイけど、やっぱ初代の迫力はちがうな!
バイオニックジェミーも、Zを愛車にしていました。そういうことなんですね。
Motor Trend Japan
クラシックカー・ディラーズにて
買い取ったAT車、MTに載せ替える内容
MT仕様は需要があり価格上乗せも出来ると
🇺🇸 でもMT需要のある 🇯🇵 車の1つ。
ユキオ さん
やってましたね、ZのAT車にはMTの取り付け部分がそのまま残ってるので市販のMTキットを買って組み込めるとか
@@TDF002 さん
期間限定だったのは 残念
DL保存しとこか思うた位良き
(´・ω・`ウムウム
昔日産のディラーで営業の仕事を始めるのに何乗ろうと思ってS30(当時は今みたいに高価じゃない)にしようと上司に言ったら即却下されました(笑)結局マーチターボになりました。確かにお客さんとこに行くに威圧感ありすぎですね。
二十歳の時フェアレディZを勝手に買って家に帰ってきたら大正生まれのオカンが「返してこい」泣くなく手放した
S30のZがプアマンズと言われる対象は924じゃなくて911かな?
ちなみに911とS30とは真正面から遠目で見るとよく似て見えますね。
プアマンズ924は初代サバンナRX7 ですね。
FCもプアマンズ944と言われた。
S30はどちらかというとプアマンズジャガーEかな。
当時は、車検が厳しくノーマル以外は、受付ないのが主流でした。
zは3.1にして3連キャブ車検でSU2連に戻すとか、面倒なので2TGのLBにした。
4人乗れるのがやはり実用で余裕当時なかった。
ただL型チューニングすると、リターンの悲しいパーコレーションで夏場は厳しいので
渋滞では乗れないのが現実でした。
以前BRE仕様の240Zと510のプラモデルを作ったけど日産ワークスとは違うテイストがカッコ良かった。欲しいという人がいたのであげてしまったが手元に置いておけば良かったかなぁ。今も旧車のイベントでBREカラーにしたZを見かけることがある。
S20はとっても高いエンジン。
ハコスカの無印2000GTは75万円でGT-Rは150万円だった。
クラッチ重いよ重いよ~
元からバランスのいいフルカウンタークランクだけど、それでも精密バランス取り必要だったてことね
昔、バイオニック・ジェミーで主人公が劇中で乗ってましたね。リンゼイさんの足の長さにマッチしてました。
個人的にはポルシェよりもフェラーリよりもランボルギーニよりも…そしてトヨタ2000GTよりもずっとZがすき❗😆
Zは、ポルシェの半額で、それもレースでチャンピオン採る車となると人気になるよ。
それで、北米ではZのクラブまで出るほどの車になったのか。
日産も、凄い車作り続けて欲しい。
スタイルがそこそこ良くて、値段がそこそこ安くて、壊れにくくて、チューニングベースとして優秀でってなれば、人気にならない訳はない
リスペクト いいですねぇ!~👍
知り合いのカリフォルニア生まれのアメリカ人は興奮しながら「BREのZ」話をしてましたね!
ピーターブロックのJP6の話、聞かせてほしいですね。
主さん、プアマンズポルシェをよく知ってるね。確かにその通り日本の雑誌で書かれてたのをはっきり覚えているわ。F1を特集してた月刊誌だったかな。 🤔
240Zはもちろんカッコイいけど一番好きなのはZ32!300ZXですね。
昔、外国人の動画で240Zかっこいいねと言ったら、おばぁかぁな日本人がコメントで食って掛かってきたな
30だろってさw
北米仕様の呼称は240Zなのに、ああいう奴って何だろうなw
黒に金のミッドナイトカラーがカッコいいのだ
Zの柳田ですな☺️
ナスカレースだなぁ🤔
エロガキの頃🇺🇸の雑誌を入手して表紙めくったら見開き2頁にZの広告出ててちょっと感動しました。でも目的はバターや溶剤で黒塗り消えるか試すこと。雑誌メチャクチャになって捨てました😆
消えましたか?😁
はい、下のインクごと😭
樹はSOHCの85を買って、池谷先輩に笑われてましたね!
確かにアメ公向け。ポジションが深すぎて日本人にはダッシュボードが高かった。
米国人さんはDATSUNが大好きですから。
Z近年といっても、30年位前には、俳優のポールニュウ~マンさんの、R32V8ZでのIMSAレースでの活躍があったね
まさにアメリカのミスター・日産でしたね。
以前はフェアレディZが嫌いだったがプロジェクトxを観てから見方が変わった。
今から。46年前から🐉Zは🙏知ってますよ🐉昭和51年🤫
アメリカ人がなぜ「ハコスカ」が好きなのかも知りたい!
日産てちゃんと開発が出来て新規技術やレース活動に理解のある会社なんだけど、労使関連に苦労し続けている会社なんですよね。
労働組合関連で人間関係がグチャグチャなのは各種著作や証言からでも想像できます。310系ブルーバードの広告に「労使関係は良好になりまして」なんてわざわざ書くくらい色々ある会社。
イギリスやイタリア、アメリカGMをみるとわかりますけど、組合が強すぎる自動車会社は怠慢な奴がはびこるんですよね。クランクシャフトの件でぼんやり思い出しました。そういう阿呆を出し抜ける頭脳と運と行動力が必要なんでしょう。
240Zで思い出す、ハリウッド俳優のポールニュウマンが稼ぎをレースに突っ込んでたな d🤪
ソコからル・マン2位(@ポルシェ)→R30スカイラインのCM
Z31が登場したころ、まだ小学生だったワシには1番の車だったな。ハコスカの何が良いのかわからなかった…。
私がZを好きなのは日本海海戦のZ旗から名前をとった経緯があるからです。
スカイラインよりは、フェアレディが大好きだぁ(*^^*)
さらっと流されてるど、自下談判したマネージャーとカムシャフトって、なんか確執あったのかな?
速い、安い、上手いって牛丼だなw
日産派 ハコスカ ケンメリ セドリック シーマ エルグランドなど セドリックは戸塚の彼女 シーマは同棲相手 クラウンは嫁だった! 今は脳梗塞で免許返納した😢
68のZの後ろ何?ランチア?
ガルフカラーのフォードGT40かな
それか!
日本の担当者の対応が何故悪かったのか? 理由は何でしょうね⁉️
憶測に過ぎませんが(調べても分からない)
北米日産の片山社長が部下である自分(マネージャー)を通さず直接ピート・ブロックとやり取りしているのが気に食わなかった、 男の嫉妬。
もしくは人種差別(マネージャーは現地の白人)かもしれませんね。
聞いた話しですが、70年代は日本人に対する差別は酷かったので。
@@カイザーソゼ-r2e なるほど。ありがとうございます(^^;) あり得る話ですね。
なんだろ・・・この車、色気あんのよ、俺、変態?w
オレもZ派だね。
ジジイが若い頃wL型エンジンは解体屋にゴロゴロしててwチューニングエンジンのベースに最適w
アメリカ人に一番似合う日本車はZ
日産USAのマネージャーは何故妨害したの?
アメリカでLYのホモロゲ取れてたらまだ凄かったかな?
自国大好きアメリカの人ならカマロやマスタングでしょ。
当時のZは安く提供するヒュンダイと同じ位置づけのような気がする
労働者階級にとってのフェラーリ。言い過ぎかw
わちきもRよりZ派です
スクープされてた
平成版『432R』出たら
絶対買ってた( ̄▽ ̄;)
まぁ、ある意味35Rが
その進化型だけど
小細工するより排気量
そのようですね。バイクもホンダは中排気量(450cc)でも
DOHCのハイテクエンジンを積めばヨーロッパの650に勝てると
自信満々で売り出したが不評だった。米国人はパワーバンドに
合わせて細かなギアチェンジをするような乗り方はしなかった。
ギアをポンと入れたらあとはアクセルをひねってぐいぐい進む
マシンが好みのようだ。
結局排気量に勝るもの無しで750cc4気筒のマシン、CB750の
開発、発売に行きつく。
小学生の頃、日産の工場見学会の時、スカイラインの4ドアの24Kを、見たL24で輸出用だった‼️
江戸川区に居た頃、R仕様の外装をしてた240Kハードトップが近所にいました。(バッジだけ240K)