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道長って権力を得るために戦ったんじゃなくて、いつの間にかなっていた権力者として全体を安定させるために戦っていただけだよなと思いました。その過程で色々しているけど全て避けては通れない道…
藤原道長は、最高権力者になるまでの過程が日本史上最も幸運と言っても良いと感じます。(後ろ盾・妻・出世し始めたタイミングなど)小学生の時の道長の印象は「権力の絶頂を極めた貴族」という感じでしたが、2024年春には「最高権力を得る過程が幸運かつ、安定策で権力の絶頂を目指した貴族」という印象に10年以上ぶりにアップデートした感じです。
5/2に宇治を通ったですが1000年前の人の亡くなった場所が未だに残ってるというのがすごいなぁ。ン十年前に産んでもらった病院ですらもう更地になっちゃった私と大違い。
道長の幸運1、女性(姉 妻 娘)に恵まれた2、兄達が早逝し、敵(伊周)が自滅した(ライバルの全コケ)これだけの運に恵まれれば、恨まれるのは当然です。
いよいよブラック道長の発動開始ですね‼️見逃せません!🥰🙏
やはり望月は、次の夜から欠けてゆくのですね。
位人臣を極めたとはいえ、ストレスの多そうな生涯。ドラマで吐露してたみたいに気楽な立場でゆるりと生きてみたかったというのはありえたかも
ストレスと過労で病にもなっているものね。
倫子への配慮があったとはいえ明子も血筋は悪くないし倫子に負けず劣らず子沢山なのにこちらの子たちはほどほとの出世しかさせてない。財力の違いは明らかだったのかもしれないけど正妻ってやっぱり強いよねと思うそれ以上に道長の運の引きが強すぎる!
最高権力者になる中で過労とストレス病にもなったみたいだけどね。良く言えば安定した政権を続けたいと願う気持ちが強かったのかも知れないな。
藤原道長は何となく徳川吉宗と被る。😅お互い末っ子に生まれて権力者の座に着く事など夢のまた夢だった。それが兄達の死と政敵の自滅によって最高権力者の座に座る事が出来た点が、よく似ている😊
レキショック様遂に本丸の登場ですね。作家の大石静さんによるとレキショック様のコメントに有るように、いつの間にか権力者なっていたという話にしたいとの事です。余り悪役の印象を持たれないようにしたいそうですが、何となく義時と同じ臭いがします。私は幸運の持ち主といえば徳川吉宗を思い浮かべます。吉宗とどちらが幸運でしょうか。
出世の仕方は道長と吉宗は本当に似てますよね。ただ、吉宗の場合は兄の母が違いますから、道綱以外は同母兄の道長より吉宗の方が運がいいのかな…とは思います。(将軍の成り手となると御三家もいるわけですし)
下から上への昇進度合いでは吉宗の方が幸運な気はします。ですが道長は権力者になった後も続く争いでも幸運を発揮しているので、そこを加味すると道長の方が幸運かなあと自分は思いますね(特に三条天皇との争い)
道長の幸運なポイントは、まず兼家が摂政、詮子が皇太后になり昇進が容易になった、天皇の孫明子と当時の左大臣源雅信の娘倫子の二人を妻にし最高権力者の血縁者となった、もともと仲の良かった詮子が内裏を出て土御門第に住むようになりさらに彼女との結びつきが強固になったための親交の深さ、疫病に生き残り、生き残ったライバル伊周の失脚、それぞれの複合にあると感じる。いずれも、運の強さだけではない敗北知らずの周り合わせだ。その後も、病を得て辞任を乞うも取って代わるべき人物がいないという理由で在任、詮子の死後は、彼女をある意味後ろ盾にしていた者同士、一条天皇とも強調路線を取る、ライバル伊周の死で長年の宿敵が葬られる。定子の弔いに参上しなかったり、一条天皇、三条天皇の譲位を勝手に図ろうとしたりかなりあくどいことをしているにも関わらず、最終的には自身の孫を皇太子にし外祖父として君臨する。これが、結果的に円融天皇、冷泉天皇の両統迭立を終わらせたという歴史的意義もあるのだろう。藤原氏の摂関政治が、後の院政期の天皇の即位を巡る闘争と軋轢を導き出したのも因縁めいて感じる。
道長を演じる柄本佑さんも一昨年の小栗旬さんの義時見たいになって来るかも、道長は長女彰子、そして孫に当る後冷泉天皇の中宮寛子が平清盛、源義朝が逞しく成長する時に92歳の長寿を全うするまでの道筋を作りあげました。
😊😊
ありがとうございます、本当に分かりやすくありがとうございます。
伊周の襲撃、定子の出家……高階家、引きが強いわりに打たれ弱さで自滅してる感じが強いな
まあ若い頃自分が嫌がってた父親や兄と同じになるの見ると悲しくなるな光る君へはどこまでやるんだろうか?
平安のラッキーボーイ道長
摂関家としての藤原氏は、息子である賴通の時代が最盛期だったように思えますが、賴通の子孫達が栄えることは無かったのも、道長が数々の悪事に手を染めた因果応報のようなものだったんですかね。とは言え、源平両家のように嫡流が滅びる憂き目に遭わなかっただけ、まだマシなのかもしれませんね。
因果応報、源氏物語みたいです。
妻子が入水しなくて済んだのは、不幸中の幸いでした…
平清盛は偉業をいくつも成してる。源義朝頼朝は結局、兄弟を無くし、一族は滅亡した。第一、清盛には沢山の妾妻がいて女の子が沢山うまれ、賢い時子の教育によりそれこそ藤原さんの公卿に嫁入りし、現代まで、清盛の血は延々と続いている。
ざけんな。道長は糞馬鹿ヤロー。棚ぼた権勢を無くしたくないばかりになにが闇落ちいとわずだ。悪党だから皆に嫌われ傀儡にしたかった一条ら三条には裏切られ、詮子は鬼女であるために嫌われ女としては気の毒くらい不幸だがみずからの不幸な事を定子のせいにし、まさに鬼女全開。さぞや生まれ変わった際には蠍か毒蛇。生まれ変わった時点で駆除され2度とは人間には生まれることはない。
なんにせよ。定子の短命が悲しい。せめて道長の希望の星だった彰子が摂関政治の終焉を招き、愛する娘に生涯うらまれ、子達の諍いを目の当たりにし、不細工な人生を送る。
ブラック道長早く祐さんで見たいです❗権力を握ったら誰だって保守的になるよ🎵~(*^_^*)
結果的に三条天皇にとっては妍子は三条天皇ではなく敦明親王に嫁いだ方がよかったかもしれない?(年齢的にも、、)
道長は摂政になったけど関白にはなれなかった‼️
23:32 白河法皇、鳥羽法皇、後白河法皇などの院生政治、そして保元の乱で活躍した源氏平氏と言った武士時代になっていく。
彰子様が白河天皇のひいお祖母様に当たるんですね。12年前の大河「平清盛」と繋がってきました。😊💕
頼通の時代には東北地方で「前九年の役」が起きていて、武士が台頭してくる兆しがあった。
あの月の如き慈愛の王后、彰子の子孫がドクロベエ白河、後白河にって凄い皮肉
三条天皇は藤原詮子の姉の子?
この時代 近親結婚が当たり前のようです、結果、優秀な人が生まれる一方で、障碍者も生まれます、記録は残っているのでしょうか。
近親婚とはいえない結婚でも、んー?という感じの人は何人か記録にあります。兼家の息子、道隆の娘等。記録に残っていないケースもいくつかあったでしょう。
息子と姪は従兄弟でまだいいが孫と娘=姉の子と妹=甥と叔母なかなかの婚姻
まさか摂関政治への終止符を打つのが道長のひ孫である後三条天皇になるとは亡くなった道長びっくりだよね😮
三条帝の孫でもありますしね
年齢のショートおなしゃす!
明日出しますね。コメントありがとうございます。
一家立三后
三条天皇は吉田羊の子供ではない
吉宗の母親は貧乏な水飲み百姓の出で、湯場の担当で、かなり不細工だった。道長の母時姫は良い家の出で、兼家に見初められる美女。かなり違う。
本当に丁寧かつ解りやすく、面白く編集されてて、観る毎に新しい物事を知れます
道長って権力を得るために戦ったんじゃなくて、いつの間にかなっていた権力者として全体を安定させるために戦っていただけだよなと思いました。
その過程で色々しているけど全て避けては通れない道…
藤原道長は、最高権力者になるまでの過程が日本史上最も幸運と言っても良いと感じます。
(後ろ盾・妻・出世し始めたタイミングなど)
小学生の時の道長の印象は「権力の絶頂を極めた貴族」という感じでしたが、
2024年春には「最高権力を得る過程が幸運かつ、安定策で権力の絶頂を目指した貴族」という印象に10年以上ぶりにアップデートした感じです。
5/2に宇治を通ったですが
1000年前の人の亡くなった場所が未だに残ってるというのがすごいなぁ。
ン十年前に産んでもらった病院ですらもう更地になっちゃった私と大違い。
道長の幸運
1、女性(姉 妻 娘)に恵まれた
2、兄達が早逝し、敵(伊周)が自滅した(ライバルの全コケ)
これだけの運に恵まれれば、恨まれるのは当然です。
いよいよブラック道長の発動開始ですね‼️
見逃せません!🥰🙏
やはり望月は、次の夜から欠けてゆくのですね。
位人臣を極めたとはいえ、ストレスの多そうな生涯。ドラマで吐露してたみたいに気楽な立場でゆるりと生きてみたかったというのはありえたかも
ストレスと過労で病にもなっているものね。
倫子への配慮があったとはいえ明子も血筋は悪くないし倫子に負けず劣らず子沢山なのにこちらの子たちはほどほとの出世しかさせてない。
財力の違いは明らかだったのかもしれないけど正妻ってやっぱり強いよねと思う
それ以上に道長の運の引きが強すぎる!
最高権力者になる中で過労とストレス病にもなったみたいだけどね。良く言えば安定した政権を続けたいと願う気持ちが強かったのかも知れないな。
藤原道長は何となく徳川吉宗と被る。😅
お互い末っ子に生まれて権力者の座に着く事など夢のまた夢だった。
それが兄達の死と政敵の自滅によって最高権力者の座に座る事が出来た点が、よく似ている😊
レキショック様
遂に本丸の登場ですね。
作家の大石静さんによるとレキショック様のコメントに有るように、いつの間にか権力者なっていたという話にしたいとの事です。余り悪役の印象を持たれないようにしたいそうですが、何となく義時と同じ臭いがします。
私は幸運の持ち主といえば徳川吉宗を思い浮かべます。吉宗とどちらが幸運でしょうか。
出世の仕方は道長と吉宗は本当に似てますよね。
ただ、吉宗の場合は兄の母が違いますから、道綱以外は同母兄の道長より吉宗の方が運がいいのかな…とは思います。(将軍の成り手となると御三家もいるわけですし)
下から上への昇進度合いでは吉宗の方が幸運な気はします。
ですが道長は権力者になった後も続く争いでも幸運を発揮しているので、そこを加味すると道長の方が幸運かなあと自分は思いますね(特に三条天皇との争い)
道長の幸運なポイントは、まず兼家が摂政、詮子が皇太后になり昇進が容易になった、天皇の孫明子と当時の左大臣源雅信の娘倫子の二人を妻にし最高権力者の血縁者となった、もともと仲の良かった詮子が内裏を出て土御門第に住むようになりさらに彼女との結びつきが強固になったための親交の深さ、疫病に生き残り、生き残ったライバル伊周の失脚、それぞれの複合にあると感じる。いずれも、運の強さだけではない敗北知らずの周り合わせだ。その後も、病を得て辞任を乞うも取って代わるべき人物がいないという理由で在任、詮子の死後は、彼女をある意味後ろ盾にしていた者同士、一条天皇とも強調路線を取る、ライバル伊周の死で長年の宿敵が葬られる。定子の弔いに参上しなかったり、一条天皇、三条天皇の譲位を勝手に図ろうとしたりかなりあくどいことをしているにも関わらず、最終的には自身の孫を皇太子にし外祖父として君臨する。これが、結果的に円融天皇、冷泉天皇の両統迭立を終わらせたという歴史的意義もあるのだろう。藤原氏の摂関政治が、後の院政期の天皇の即位を巡る闘争と軋轢を導き出したのも因縁めいて感じる。
道長を演じる柄本佑さんも一昨年の小栗旬さんの義時見たいになって来るかも、道長は長女彰子、そして孫に当る後冷泉天皇の中宮寛子が平清盛、源義朝が逞しく成長する時に92歳の長寿を全うするまでの道筋を作りあげました。
😊😊
ありがとうございます、本当に分かりやすくありがとうございます。
伊周の襲撃、定子の出家……高階家、引きが強いわりに打たれ弱さで自滅してる感じが強いな
まあ若い頃自分が嫌がってた父親や兄と同じになるの見ると悲しくなるな
光る君へはどこまでやるんだろうか?
平安のラッキーボーイ道長
摂関家としての藤原氏は、息子である賴通の時代が最盛期だったように思えますが、賴通の子孫達が栄えることは無かったのも、道長が数々の悪事に手を染めた因果応報のようなものだったんですかね。とは言え、源平両家のように嫡流が滅びる憂き目に遭わなかっただけ、まだマシなのかもしれませんね。
因果応報、源氏物語みたいです。
妻子が入水しなくて済んだのは、不幸中の幸いでした…
平清盛は偉業をいくつも成してる。
源義朝頼朝は結局、兄弟を無くし、一族は滅亡した。第一、清盛には沢山の妾妻がいて女の子が沢山うまれ、賢い時子の
教育によりそれこそ藤原さんの公卿に嫁入りし、現代まで、清盛の血は延々と続いている。
ざけんな。道長は糞馬鹿ヤロー。棚ぼた権勢を無くしたくないばかりに
なにが闇落ちいとわずだ。悪党だから皆に嫌われ傀儡にしたかった一条ら三条に
は裏切られ、詮子は鬼女であるために嫌われ
女としては気の毒
くらい不幸だがみずからの不幸な事を定子のせいにし、まさに鬼女全開。さぞや生まれ変わった際には蠍か毒蛇。生まれ変わった時点で駆除され2度とは人間には生まれることはない。
なんにせよ。定子の短命が悲しい。せめて道長の希望の星だった彰子が摂関政治の終焉を招き、愛する娘に生涯うらまれ、子達の諍いを目の当たりにし、不細工な人生を送る。
ブラック道長早く祐さんで見たいです❗権力を握ったら誰だって保守的になるよ🎵~(*^_^*)
結果的に三条天皇にとっては妍子は三条天皇ではなく敦明親王に嫁いだ方がよかったかもしれない?(年齢的にも、、)
道長は摂政になったけど関白にはなれなかった‼️
23:32 白河法皇、鳥羽法皇、後白河法皇などの院生政治、そして保元の乱で活躍した源氏平氏と言った武士時代になっていく。
彰子様が白河天皇のひいお祖母様に当たるんですね。
12年前の大河「平清盛」と繋がってきました。😊💕
頼通の時代には東北地方で「前九年の役」が起きていて、武士が台頭してくる兆しがあった。
あの月の如き慈愛の王后、彰子の子孫がドクロベエ白河、後白河にって凄い皮肉
三条天皇は藤原詮子の姉の子?
この時代 近親結婚が当たり前のようです、結果、優秀な人が生まれる一方で、障碍者も生まれます、記録は残っているのでしょうか。
近親婚とはいえない結婚でも、んー?という感じの人は何人か記録にあります。兼家の息子、道隆の娘等。記録に残っていないケースもいくつかあったでしょう。
息子と姪は従兄弟でまだいいが
孫と娘=姉の子と妹=甥と叔母
なかなかの婚姻
まさか摂関政治への終止符を打つのが道長のひ孫である後三条天皇になるとは亡くなった道長びっくりだよね😮
三条帝の孫でもありますしね
年齢のショートおなしゃす!
明日出しますね。コメントありがとうございます。
一家立三后
三条天皇は吉田羊の子供ではない
吉宗の母親は貧乏な水飲み百姓の出で、湯場の担当で、かなり不細工だった。道長の母時姫は良い家の出で、兼家に見初められる美女。かなり違う。
本当に丁寧かつ解りやすく、面白く編集されてて、観る毎に新しい物事を知れます