【古代濃尾考⑨】⛩️🚃✨丹波道主命は古代岐阜県の美濃国に関係するのか?😧古事記&日本書紀を読み解きつつ、愛知県と岐阜県を旅行して古代史の謎を妄想解釈します😉

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  • เผยแพร่เมื่อ 9 ก.พ. 2025
  • 古事記&日本書紀を妄想解釈しつつ、愛知県と岐阜県を旅行します😉
    丹波道主命は古代岐阜県の美濃国に関係するのか?😧
    ◆参考資料
    "伊奈波神社HP参照
    www.inabasan.com/"
    一猛斎芳虎//画 ほか『武者かゞみ 一名人相合 南伝二』,山庄,〔安政6〕. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-05-30)
    菊池容斎 (武保) 著『前賢故実』巻之1,東陽堂,明36.3. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-08-06)
    菊池容斎 (武保) 著『前賢故実』巻之2,東陽堂,明36.3. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2023-12-06)
    『先代旧事本紀 10巻』[5],前川茂右衛門,寛永21. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2024-01-22)
    稲葉郡教育会 編『美濃国稲葉郡志』,西濃印刷岐阜支店,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2024-01-22)
    伊奈波神社奉賛会 編『伊奈波神社略誌』,伊奈波神社,昭和16. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2024-01-23)
    岐阜市 編『岐阜市史』,岐阜市,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2024-01-22)
    本巣市HP
    www.city.motos...
    [舎人親王] [編]『日本書紀 30巻』[4],慶長15 [1610]. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2024-01-24)
    神谷永平 (稲羽) 頭注『延喜神名式』下,出雲寺文次郎[ほか],明14.7. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2024-01-24)
    岐阜市教育会 編『岐阜市案内 : 附・長良川鵜飼記』,西濃印刷岐阜支店,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/p... (参照 2024-01-22)
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    #古事記
    #日本書紀

ความคิดเห็น • 6

  • @maskni8765
    @maskni8765 15 วันที่ผ่านมา +1

    岐阜県民です。本巣市に注目してます。地名や古墳など

  • @akudaikan1127
    @akudaikan1127 16 วันที่ผ่านมา +1

    イイですねー。
    サイコーです。
    ワクワクしますよ。

  • @yukira704
    @yukira704 16 วันที่ผ่านมา +1

    いつも楽しく拝聴しています。
    ますみたんとうしょう は偽書とも言われますが、2人の王子の丹波からの足跡から、黒田で一夜を明かしたというのは相当古い頃からの伝承とわかります。何故なら、木曽川の流れが戦国時代に大きく変わっていますので、今の土地勘では木曽川町の黒田で一夜を明かすとは考えられないのです。などなど、あれこれ考えると面白い伝承ですね。
    ふどきさんの考察をいつかお聞きしたいです。

    • @グラビトン
      @グラビトン 15 วันที่ผ่านมา +1

      @@yukira704 地形から濃尾平野は西の多度山に向かって低くなって行く、東高西低に傾斜してるので木曽三川が集まって来ました。また中央構造線が伊勢神宮から伊勢湾を横断して三河湾に豊川稲荷を通って信濃に抜ける。結構地殻変動のある地域です。歴史的に農産放牧に向いていたと思うわ🤔

    • @yukira704
      @yukira704 14 วันที่ผ่านมา

      @ 以前ブラタモリで同様のことを知りました。
      その時、お千代保稲荷の隣にあるお稲荷さんが、地主さんのプライベートなお稲荷さんと紹介されていて、相当昔、豊かな稲作の土地と見込んで、京都からどなたかの指示があり移住されてきたのだそうです。
      私自身、濃尾平野で戦前は大地主だった方から、藤原氏に関わる一族だったが、移住してきて、代々、米を伊勢神宮に奉納されてきたており、一族の神社は近くに建つ神明社をお守りしてきたと聞きました。
      木曽三川の川沿いは神明神社が多くあり、神宮との関わりが色濃いようです。
      その昔倭姫が廻られたのは、各地を見聞してコメ作の土地を探す目的もあったのかもしれないです。